さっきストーブをつけた。夜はまだちょっと寒い。日中が暖かいと、夜、冷えることがある。この夜の寒さを防ぐために、4月下旬に定植すると、5月中旬頃までの3週間ほど、薄い毛布のような織布をトンネル状にしてかぶせている。
ポリより織布の方が便利と思う。雨は通すし、風にも強いし、ポリのようにすその開閉もしなくてよい。

左の二つは義兄にもらったスイカとナスビの苗。その右は自分が蒔いたトウガンとエンサイ。
スイカとナスビは直径12センチポット。トウガンは8センチポット。エンサイは5センチポット。
ポットが大きいと土がたくさん必要になる。義兄は前年の踏込温床を翌年のポット土に利用している。プロ農家は、このような大型ポットを利用して、ぎりぎりまでハウス内で育て、すでに花の蕾が膨らんでいる状態で定植をする。だから定植後短期間に実が成り出す。
自分の場合は、ナンキン、キュウリ、トウガン、ニガウリの「ウリ科」4種類だけは8センチポットを使い、その他は5センチポットを使う。
5センチポットでも、山の腐葉土がかなり必要であるし、ポットの土入れ作業も結構大変なので、12センチポットだと、いかに大変かがわかる。
なお、スイカは「接ぎ木苗」である。スイカはきゃしゃなので、強いナンキンに接いでいるのだと思う。自分は接ぎ木の技術は知らない。
接ぎ木苗を植えるのはスイカだけである。
義兄ももう若くないので、来年からは市販の苗を購入するつもりである。
ナスビ→40本+3本(補充苗)=43本
ピーマン→20本+2本(補充苗)=22本
スイカ→6本+1本(補充苗)=7本
トマト→18本
合計90本×60円(1本の市価)=5400円
これらは自分で蒔いたりしない。苗を購入した方がはるかに安くつく。
自分が蒔くのは、
(4月2日蒔き)
ナンキン 30ポット(1粒蒔き)
キュウリ 16ポット(1粒蒔き)
ニガウリ 7ポット(2粒蒔き)
トウガン 11ポット(2粒蒔き)
スイートバジル 2ケース→ポットに鉢上げ
イタリアンパセリ 1ケース→ポットに鉢上げ
(4月14日蒔き)
オクラ90ポット(5粒蒔き)
ツルムラサキ75ポット(5粒蒔き)
エンサイ55ポット(5粒蒔き)
畦岸のアップルミント。すでにこんなに大きくなった。近くを通ると、いい香りがする。


左はツルムラサキ、右はエンサイ。定植後、画像のような織布をトンネル状にしてかぶせた。
ヨトウムシ(ネキリムシ)の被害が出ていないか、織布の上から毎日確認することがポイント。やられていたら、すぐに植え継ぎする。
ニガウリは5本定植した。
トウガンは7本定植した。トウガンも同じように織布をかぶせた。
トウガンはニワトリのエサにも考えている。その他、ニワトリのエサとしてイメージしているのは、キクイモ、ジャガイモくず、ナンキンくず、サツマイモくず、サトイモくず、ヤーコンくず、変形ダイコン、変形カブ、変形ニンジン。
時々イメージすることは、仮に出荷を止めて家庭菜園だけにした場合、何をどれくらい作るか、ニワトリをどうするか、という問いである。
ハーブは春夏作のスイートバジルとイタリアンパセリは止める。秋冬作のロケット、ディル、チャービルは、ロケットだけ少量蒔く。その他は永年草のハーブなので、少量ずつ残す。
春夏作の野菜ではニガウリは止める。その他の春夏作と秋冬作は作付量は減らすが全部作る。
野菜の出荷は最長で60代の半ば頃までと思う。後10年ほど。
出荷は止めても家庭菜園は作り続ける。農作業は楽しみであり、癒しである。田んぼで収穫した野菜を、その日の夕飯で食べるのは、農家としての大いなる楽しみ。
別に菜食主義ではないが、自分で作った野菜を食べる楽しみだけは終生、手放せない。
ただ、最近「サル」が人の話に出るようになった。多分10年後くらいには、現在のイノシシのように、被害が出始めるかもしれない。これから農業を始めようと考えている人にとって、害獣防御のことを考えると、今までより何倍も手間がかかるものになるだろう。
この国の農業も山村も近未来、害獣によって滅ぼされる。

今日のニワトリ。好物のクローバやコンフリーをむさぼリ食べている。出荷を止めたらニワトリはどうするだろう。「長期間の留守」という問題をクリアできれば、飼い続けると思う。
(今日の夕飯)
レタス
黒豆・・・義父にもらった黒豆(時々圧力鍋で煮る)
刺し身・・・ボラ
イカのフライ・・・市販の惣菜
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韓国の鳥インフルエンザで政府は300万羽の家きんを処分したと発表。何でこんなに殺されなければならないのか。飼い方のシステムが誤っている。鳥インフルエンザは「防ぎきれない」のだから、危険分散の意味で、 少羽数をたくさんの人で飼うという「昔ながらの飼い方」に復古する必要がある。
ビジネスにならず、採算が合わなくても、そういう飼い方に戻す必要がある。
一箇所に集めて何十万羽と飼う方法では、鳥インフルエンザに対する恐れから、必要以上の殺菌剤や殺虫剤や抗生物質がニワトリに使われる可能性があり、いわゆる集中治療室のような無菌室状態の鶏舎に近づけても、鳥インフルエンザの発生を防ぐことができていない。
300万羽を人間に置き換えたらどうだろう。ニワトリが支配する地球で、アウシュビッツのような空間に閉じ込められた人間が窒息死させられる。
確か虐殺されたユダヤ人は600万人。今回の鳥インフルエンザで処分されたニワトリの2倍の人間。
大企業で何万人と飼われる人間も、組織のごく小さな歯車というアウシュビッツ状態。しかし独立自営業が成り立つ職業はほとんどない。
ニワトリが解放された時に、人間も解放される。どちらも高度資本主義社会の運命共同体。
自給率について
自給率を上げる必要があると大合唱。
それなのに、米は作るな、生産調整という大合唱。
しかし、自給率は上げる必要があると大合唱。
それなのに、キャベツやハクサイが豊作で、収穫せずにそのまま田んぼにすき込んだりすることがしばしば発生する。
それでも自給率を上げる必要があると大合唱。
そんな勝手な理屈がまかり通る不思議な日本。
農業は最短でも60日という歳月を費やし、その年の天候でできたりできなかったりする。そのうえ、2本足、4本足の害獣から農作物を守れるセキュリティも少ない。
工業製品と農業製品を同じテーブルの上で論じている。
そして、農業製品に補助金をの大合唱。
農業者として、農業補助金には断固反対する。
いいことにならない。
道路と同じで莫大な無駄な投資(援助)に終わる。
農業者の甘えの構造が助長されるだけである。
もらえる人はもらい続け、もらえない人は全くもらえない。
どこで差がつく。
認定農業者と、そうでない農業者で差がつく。
農業補助金は未来の日本農業の発展には、何ら寄与しない。
補助金なら未来への投資である必要がある。農業者の単なる収入援助なら、淘汰の先送りでしかない。
限界集落への支援も同じ。集落消滅の先送りでしかない。
限界集落をどうしても支援したいのなら、ハード事業ではなくソフト事業の援助であるべき。ハード事業なら限界集落の援助にならず、事業施工主援助である。


スイートバジルの定植予定地に液肥を施した。これで春夏作の主だった施肥は終わり。

左のポリのトンネルの中には、エンサイ、ツルムラサキ、スイートバジル、イタリアンパセリの4種類が残っている。
エンサイ、ツルムラサキ・・・29日か30日に定植
スイートバジル・・・・・・・・・・・・5月5日頃定植
イタリアンパセリ・・・・・・・・・・・5月10日頃定植
右の画像のように、オクラには保温資材をかぶせた。



トリ小屋の前のハーブは手前から、セイジ、コモンタイム、ルバーブとレモンタイムである。
ルバーブは真ん中の画像のように、かなり大きくなる。茎を小口切りして、目方の半分の砂糖を加え弱火で25分ほどことこと煮ると、酸味のあるおいしいルバーブのジャムの出来上がり。5月連休明け頃はまだ野菜の種類が少ないので重宝する。
右の画像でトンネル状にしている中に、キュウリを定植している。ウリ科野菜は今の時期は「ウリバエ」にやられやすいので、べた掛け資材で防御と保温をする。
左下の画像で、このあたりを歩いている時は、すでにニワトリはボクの存在に気づいて、出入口のあたりで飛び跳ねているのがわかる。
下の右の画像は「桑の木」。去年の秋に植えた。もう20年ほどしか命がないと意識し始めてから、野菜の作付予定のない土地や、野菜の栽培に不適切な土地に果樹や花木を20本ほど植えた。4本ほど枯れたが残りは活着している。
今日のニワトリ
(今日の夕飯)
焼きそば
卵・ちくわ・キャベツの煮物
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水の問題では、いろいろあって、結局の所、井戸を掘ることになったが、結果的に井戸は、その後の農業にとってクリーンヒットになった。
田んぼ周辺に細い水路はあるが、水が流れるのは、稲に水が必要な6月15日~9月20日頃までである。その後は池の碑は閉められる。だから、池の「うだれ水」がちょろちょろと流れるだけである。
今の時期は苗物の水やりに井戸水が多いに役立っている。もちろん、井戸水がないとメタン菌液肥も作れない。
エンジンポンプをその都度稼動させるのは面倒なので、画像のような「つるべ」を利用して水を汲んでいる。
6月15日~9月20日頃の間は水路に水が流れると言っても、稲を作っていないので、竹薮沿いの水路に水は流れず、柿の木の下にある水路を走るだけである。だから夏場もこの井戸は大いに役立っている。
井戸のなかった時代が考えられない。しかし井戸ができたのは9年目の秋である。スタート時の3年間はエンジンポンプもなかった。それでも野菜は普通に収穫できていた。つまり、気候が現在ほど過激でなかったと思う。
4年目の秋に50メートル×2=100メートルのホースとエンジンポンプを購入し、柿の木の下を流れる細い水路にエンジンポンプを置いて、100メートルホースで水を使わせてもらった。
それでも、雨がほとんど降らなくて稲の水が足らなくて困っている時に、池の水を使わせてもらうのは少し気が引ける。そして、9月20日以降に雨がほとんど降らない時は、水をポンプアップする場所がない。
そんな諸々の事情が井戸につながったが、奇跡的に現在の場所に水の道があった。地下150センチくらいの場所である。
現在の水量は、毎日1時間半はエンジンポンプが使える量である。これだけ井戸水が使えれば十分である。
井戸の候補地として、ユンボで何箇所か、ためし掘りしてもらったが、水が出たのはこの場所だけだった。
井戸が作れなかったら、いけす(掘り池)のようなものが必要と思った。田んぼの一角に水場(ビオトープ)のようなものがあると、カエルやトンボが集まり、田んぼの害虫を退治してくれる。
井戸ができたのは、今までの農業人生の中間点のできごとだったが、振り返って考えても、最も大きな出来事だった。
農業をスタートする前は、野菜にこんなに水が必要とは思わなかった。水を巡る問題は古来から枚挙に暇がない。我田引水という言葉もある。水問題がこじれたら、人間関係が嫌悪になる。
井戸に掘り当たったことは、本当にありがたいことだった。ただ、現実には37万円という投資になっている。安い金額ではない。仮に75才まで後20年農業ができるとして、1年当たりの井戸代金は、37万÷(9年+20年)=12700円になる。65才までしか農業ができないとすると、37万÷(9年+10年)=19400円になる。
農業は投資の大きい職業である。へたに投資すると、決して元が取れなくなる。投資するなら、残りの農業人生をよく計算して投資する必要がある。
要するに言いたかったことは、農業などせずに、買って済ませた方が、経済的にははるかに合理的ということ。
4人家族で1年間にいくら野菜を購入するだろうか。1回の買い物で 250円の野菜代とすると、週2回買えば500円。1ヶ月だと2000円、1年間で24000円。つまり、野菜をよく買っても1年間で24000円ほどしか買わないと思う。
スイートバジルとイタリアンパセリの植え継ぎ用の苗。定植予定数より多めに鉢上げしているが、第2、第3の植え継ぎ用。特に大事な作物はこのようにしている。

オクラの定植をした。例年より20日余り早い。オクラにはまだちょっと寒いので、トンネル状にして、薄い毛布のような資材をかぶせた。
物置の北側に植えている、半日陰を好むミョウガの芽が出てきた。これから2ヶ月ほどの間に急激に大きくなり、6月末頃には収穫できる。
野の花。雑草の名前を知らないが、この雑草も日陰を好む。きれいな花が咲く。
タマネギに病気が来た。毎年この時期に発生する。近所の家庭菜園の人はたいてい、4月上旬頃に「ダイセン」という殺菌剤を散布しているので、まだ病気がきていない。5月末の収穫期までに1~2回散布しているようである。
毎年発生するのがわかっているのに、むざむざ放任しておいていいのか。
一応、農薬の使用は秋のアブラナ科野菜だけと決めているし・・・
農薬散布が慣れていないものにとっては、案外面倒な作業・・・
1500本ほどだから、まあいいか・・・
出荷する野菜には何度も農薬を使い、自給野菜は別な場所に作って農薬を使わないという言葉が一人歩きしているが、自分の場合は、出荷を止めて自給野菜だけになったら、逆に農薬を使う野菜が増えるような気がする。
来年以降のタマネギは農薬散布する方向で考えてみよう。
(今日の夕飯)
チマサンチュ(下葉から順次収穫するレタス)
エンドウ・・・卵、アゲ
煮魚・・・・・・ツナシ
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「炭焼きをするからどうぞ」と電話をもらったので、今日午前中、家から45分ほどの「和気美しい森」の近くにあるAさんの炭焼き窯を訪ねた。
1年余り前の2月に焼いて窯出しをしていなかったので、今日、窯出しと新たな窯入れをした。
窯を良い状態で保存するためには、常に窯の中に材料が入っている状態にしておく必要があるので、窯出しと窯入れは同一日が多いようである。
簡易なドラム缶窯ではなく、本窯なので、窯出しも窯入れも2人作業である。
まず、材料投入口=焚き口のレンガを崩して、前回に焼いた炭を取り出す。
「レンガを崩す」という意味は、材料を投入後に、炊き口で火を焚いて、窯の中の温度が800度(確かそう聞いた)ほどになったら、握りこぶしほどの小さな空気穴だけ残して、炊き口はレンガを積み上げて泥を塗り空気を遮断する。
その後、煙の状態を見て、空気穴も完全に密閉する。
Aさんは77才。炭焼きを始めて8~9年ほどになるらしい。1年に1~3回焼かれるようである。
そんなに大きな窯ではないが、それでもドラム缶窯に比べたらはるかに大きい。


Aさんの本業はシイタケ栽培。毎年1000本ほどのシイタケの原木を用意するらしい。シイタケは菌を植菌して1年半経過すると出始める。出始めてから5年ほどが原木の寿命らしい。
例えば、この冬に植菌すると、シイタケが出始めるのは来年の秋から。
シイタケが生えるのは、毎年10月上旬頃から4月末頃までの7ヶ月間。
太い原木は右の画像のように短く切り、持ち運びが楽なようにしている。
都会に出て35年間ほど働いた後、61才の時(平成4年)に地元にUターンして、平成5年からシイタケ栽培を始めて、栽培歴は15年ほどになるらしい。
シイタケの選別や調整のために、画像のような小屋を手作りしている。こんな建物が自分で作れるくらいだから、かなり器用なのだろう。チェーンソーも、まるで身体の一部であるかのように、軽々と使われる。
シイタケの原木を切り出す時に、雑木も切り出す必要があり、その雑木を炭に焼いている。
10年ほど前に炭焼きがにわかにブームとなり、本窯でなく簡易なドラム缶窯で焼く「ドラム缶炭焼き」のイベントがしばしば催されていたが、Aさんもその頃に始められたようである。ただ、Aさんの場合、子供の頃に親の炭焼きを手伝った経験が豊富らしい。このあたりには、昔の炭窯の後がたくさん残っているとお聞きした。
シイタケは地元の農協の直売店に売っているが、炭の売り先はないようである。炭はなかなか売れない。中国や東南アジアの安い炭がいくらでも入ってくる。
良い炭を焼こうと思えば、何十回という炭焼きの経験が必要である。炭焼きがビジネスとして成り立つには、きちんとした炭を焼く技術力と、販路を開拓する営業力の二つがどうしても必要になる。それを兼ね備えた人は十分にビジネスとして成り立っているようである。
シイタケでも炭焼きでも、チェーンソーは朝飯前くらいに使いこなす必要がある。チェーンソーの刃が研げないようでは話にならない。自分の場合は草刈機の刃も研げないので、チェーンソーの刃を研ぐことはできない。チェーンソーの刃の研ぎ方は、何回教えてもらってもうまくできず、結局、チェーンソーは使わなくなった。
ハウス→自分で建てれない
ブドウ棚→棚が作れない
トリ小屋→自分で建てれない
その作物の起承転結のいずれかに苦手分野があれば、その作物は必要最低限しか作れない。
農業もかなり細分化されているので、まず、自分に最も向いていると思うものを、スタートするまでに見つける必要がある。
炭焼き窯の近くに、「水場」があった。山の清水が湧き出ているらしい。山にはこのように水が出る場所があり、上水道ではない「簡易水道」として利用している人も多い。
我が集落にも、自宅のすぐ東の山にこのような清水の出る箇所があり、集落の10軒ほどが共同で簡易水道として利用している。

ネギとチンゲンサイの2回目を蒔いた。地床育苗。
育苗にはこのような地床育苗の他に
(1)ポット育苗→5センチと8センチポット
(2)稲の苗箱に蒔いて、ポットに鉢上げして育苗
(3)144穴の発砲スチロールの連結ポットで育苗
と、作物によって使い分けているが、育苗せずに直播もある。直播はダイコン、カブ、ニンジン、インゲン。
身辺が忙しく、ネギの種蒔きが予定より5日ほど遅れた。その作物の最適期に種蒔きをすれば、たいてい順調に生育する。
(今日の夕飯)
トリのから揚げ・・・市販の惣菜
春キャベツ
シイタケ・・・今日の炭焼きで頂いた
煮魚・・・・・・ヒラ
あなたの一票が、農業ルポライターへの
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