あめんぼ通信

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

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父から娘へ

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 今日農作業をしていたら、田んぼのすぐ上にあるドングリの木が音を出してゆれている。なんか動物が網に引っかかったように見えた。あんな所に網はないし、どうしたんだろうと近づいていくと、ヌートリアらしき動物がストンと下の草むらの中に落ちた。そして、近づいてドングリの木をみてびっくりした。なんと蛇が頭を食いちぎられているのだ。このドングリの木は3メートルほどあるが、ヌートリアに追い詰められて、蛇は木の上に逃れたが、その木の上までヌートリアに追いかけられて、とうとう息の根が切れたらしい。それにしても、ヌートリアが蛇を食べるとは思いもよらなかった。ヌートリアは川辺や湿地帯、田んぼの畦際の細い水路に生息しているが、以前、川べりの遠方の畑に作っていたハクサイが、20個ほど、中をきれいにくり抜かれて食べられたことがあるので、てっきり草食動物だと思っていたが、雑食なのかも知れない。ヌートリアは生まれて1ヶ月ほどの子猫をちょっと細長くしたくらいの大きさなのに、よくあの大きな蛇と戦って、しかも勝つんだなあと思った。コブラの天敵のマングースを思い出していた。蛇はもう冬眠時期がきているのに、今年は暖かいので、まだ外をうろちょろしていて、ヌートリアに遭遇してしまったのだろう。蛇の天敵はいないと思っていたが、ヌートリアが天敵だったとは。蛇は尻尾をドングリの木に巻くいつけた状態で、首だけがちょん切られていた。その後30分ほどしてまた現場へ行ってみたが、もう蛇は見えなかった。食べられてしまったのだろう。蛇は田んぼの有益動物であるカエルを食べるし、毒蛇(ハミ)でなくても怖いので、ヌートリアに食べられたからといって、別段かわいそうとも思わないが、自然界はやはり、どれか特定の種がはびこらないようにうまくできているのだなあと思った。やられたのが普通の蛇でなく毒蛇(ハミ)だったらよかったのに。


 次は過去のあめんぼ通信を載せます。
あめんぼ通信38(1993年8月)


 巣箱にニワトリがいると、怖くて手を出せなかったので、いないのを見計らって、さっと巣箱の中に手を伸ばす。時々、ぬくい(暖かい)タマゴがあった。産みたてなのかもしれない。口にあてたり、ほっぺたにあてたりして、ひとしきりもてあそんでから、タマゴ置き場に持っていく。こんなにたくさんあるのに何で毎日食べれないのだろう・・・それは売ってお金をもらっていたからである。時々食べるタマゴはごちそうだった。たまに祖父がニワトリをつぶして(絞めて)いたが、どういうわけかその現場によく出くわして記憶に残っている。ということは、まだ小学校へ上がる前か低学年の頃だったのだろう。ニワトリが肉になっていくのがおもしろくて、じいっと見つめていた。不思議なことに「かわいそう」と思った記憶はただの一度もない。祖父の手つきは鮮やかだった。タマゴになる前のタマゴも2つ3つあった。今日の晩のおかずは「ニワトリのすき焼き」というのもいつものことなので、待ち遠しいのだった。


 遊び相手がいない時など、ひとしきりニワトリと遊んだ。ブドウやスイカを手にして近づいていくと、金網越しにいっぱいそばによってきた。ブドウのかすを金網に近づけると、われ先にと口ばしを伸ばして競争してついばんだ。当時は、ニワトリはいつまでもいつまでもタマゴを産み、生きるものと思った。それぐらい長い期間生きているように思えた。


 いつしか家から牛がいなくなり、豚がいなくなり、ニワトリもいなくなった。今から思えば小学校の高学年だったから、昭和30年代の終わり頃だったに相違ない。時を同じくして近所まわりからも、牛が消え、豚が消え、ニワトリが消えていった。あの頃、小学校の夏休みの図画の宿題に豚の絵を描いてくる人が多かったから、どこの家にも豚を買っていたのだろう。そして、豚は牛やニワトリより描きやすかったのだろう。


 36才の時、百姓になった。牛や豚やニワトリがいなくなってからすでに25年が過ぎようとしていた。どうして百姓になったかって・・・。そりゃあやっぱり会社へ行くのが嫌になったからさ。学校へ行ったり勉強したりすることが嫌でたまらなくなることがよくあるだろう・・・、それと同じことさ・・・。ただ、学校は行っても行かなくても食べる物には困らない。親が食べさせてくれるから。学校へ行きたくないのと同じように会社へ行くのが嫌になって休んだらお金がもらえない。そうしたら生活していけない。大人になったら、誰も食べさせてはくれない。自分で稼いで自分で食べていかなければならない。学校へ行きたくなかったり、勉強をしたくなかったりするように、会社も行きたくなかったり、辞めたりしたくなるものさ。学校へ行きたくなかったり、勉強したくなくなったりすると親が悲しむだろう・・・。それと同じように、会社に行きたくなくなったらお金が入らないので、夫婦喧嘩が始まり子供たちが悲しむだろう・・・。でもお父さんはどうしても会社に行きたくなかったから辞めたんだ。代わりにお母さんが働き始めたんだ。お父さんにはお母さんという代わりがいたけど、お前には代わってくれる人がいないなあ・・・。お父さんが代わりにランドセルしょって学校へ行くわけにも行かないしなあ・・・。


 農業を始めたらニワトリを飼おうと思っていたんだ。2年前の3月6日、ヒヨコを買いに姫路まで行って、自分の手のひらにのせた時の感動は、久しぶりに少年の時のあの日に返ったようだった。初産のタマゴを始めて見た時はもう天にも昇るような気持ちだった。でもそれまでに二つの悲しい出来事を乗り越えなければならなかった。一つは5月25日に一晩のうちに36羽全部が外敵に殺されたこと。もう一つは、2回目に導入したヒヨコが大きくなってから、オンドリどうしが喧嘩をして(オンドリは今でもしょっちゅう喧嘩をしているが)一羽が動けなくなり、つぶさざるをえなかったこと。


 オンドリのからだを片方の足で押さえつけ、動けないようにしてから、右手で首を持ち、1回、2回、3回とぐるぐるひねった。まともに顔を見ることができなかったので、顔をそむけながら、右手だけはなおも、ひねる力を加えていた。しばらくの間、足や羽をばたばたさせてもがいていたが、やがて動かなくなった。後になって、絞めて殺すことは誤りであり、いきなりニワトリの首の頚動脈を出刃包丁で切り、一気に血抜きすることが、ニワトリが短時間で死に、最も苦しまないつぶし方だと知った。つぶす(殺す)瞬間にエネルギーの99%がいるんだということがわかった。その後、熱い湯につけて羽をむしったり、首を出刃で切り落としたり、骨から肉をそいだりすることは残りの1%のエネルギーで足りた。祖父も今のボクと同じように渾身の力を込めてニワトリの首をひねったのであろうか・・・同じように顔をそむけて・・・。すき焼きを作ってくれた母はもういない。


 すき焼きは作らなかったけれど、甘がらく炊いてみた。でも食べた肉は少年の日のあの「すき焼き」にははるかに及ばなかった。初産の感動もいつしか薄れ、タマゴを毎日手にし、毎朝食べているけれど、当時の味に近づけない。


 時代が移り住む人も変わったけれど、小学生だった自分が25年という年だけを加えて、あの時のある日と同じように時の経つのも忘れて、ニワトリの動きを追っている。学校のことも勉強のことも忘れて・・・、仕事のことも生活のことも忘れて・・・じっと見ている。


 どうしても学校が嫌だったら、しばらく休んでみるとよい。また行きたくなったら行けばよいし、もう2度と行きたくなかったら・・・、その時は、お父さんが百姓を見つけたように、早く何かしたいことが見つかるといいね・・・。



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プロフィール

水田祐助

Author:水田祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在55才、農業歴19年目。農業形態は野菜とハーブのワンパック宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ30羽。25年ほど農業とは無縁だったが、ボクが子供の頃は、家は葉タバコ農家だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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