タンポポが終わると藤の花が咲いてくる。どこへ花見に行かなくても、農作業をしながら花見ができる。これも農業の特権。
一昔前、ニワトリの最も怖い病気は「ニューカッスル病」だった。今、ニューカッスル病の発生をほとんど聞いたことがない。代わって登場したのが「鳥インフルエンザ」である。
自分が飼っているニワトリも病気に縁がなかったわけではない。過去に「コクシジウム」という重病にかかり、飼っていたニワトリの半分が死んだことがある。エサを食べない、元気がない、血便をする、死に方が異常・・・だからすぐに家畜保険所へ電話した。そうしたら3人の係員が来てくれて、白装束に着替えてトリ小屋に入り、糞と1羽のニワトリを持ち帰った。
翌日電話があり、「コクシジウム」という病名を告げてくれて、鶏舎の消毒液と、飲み水に入れる薬を持ってきてくれた。そうしたら、死ぬのがぴたりと止まった。
係員に、病気の原因は、
(1)飲み水
(2)気象
(3)エサ
の3つしかないと言われた。実際、考えられるのはその3つしかないが、長梅雨で1週間ほど晴れ間がなく、鶏舎の中がずっとじめじめしていたことと、購入エサが保存中に「腐っていた」のかも知れないと後で思った。
ニワトリをたくさん飼っている友人たちは、鶏舎の前にニワトリの「遊び場」を作っている。太陽を浴びながら三々五々くつろぐ風景を見て、こんな牧歌的風景を自分のトリ小屋の前にも作りたいと思ったが、とにかく大工仕事が大の苦手で、ごく簡単な屋根のない金網の囲い(広場)なのに、それができなかった。
日本で初めて鳥インフルエンザが発生して以降は、原因の一つとして「野鳥との接触」が言われ、遊び場(広場)に放すことができなくなった。これはニワトリにとっては大きなストレスであり、同時に牧歌的風景も見ることができなくなった。
遊び場をわざわざ作っているのに、そこに放せないのは、さぞ無念だろう。自分の場合は遊び場を作ることができず、結果的に閉じ込めてきたので、そんな無念を意識することはなかった。ただ、戸外の青菜(雑草)をいっぱい収穫してトリ小屋に入れているのだから、野鳥の食いさしや付いた糞などを通して、結果的に野鳥との接触を持っているのと同じことになる。
屋根のない遊び場でくつろいでいる風景をブログにアップしたら、家畜保険所のお咎めを受けるかも知れないが、戸外の雑草を与えることはニワトリが生きていくための「命」だと思う。
鳥インフルエンザの原因はまだわかっていないが、対策としては、イソップ物語風に言えば、北風政策と太陽政策に別れると思う。
北風政策
(1)殺虫剤や各種抗菌剤の多用
(2)雑菌との接触を避けるために閉じ込める
(3)太陽にあたることもない集中治療室的空間
(4)大羽数を一箇所で
太陽政策
(1)土との接触を持たせる
(2)太陽の光を浴びた青菜をたっぷり与える
(3)身動きできないケージから開放して、動きまわれるようにする
(4)少羽数を多数の箇所に分散して
北風政策が現在の飼い方。太陽政策は45年前頃までの飼い方。北風政策は高度資本主義的飼い方であり、太陽政策は自給自足主義的飼い方。
もう元の飼い方には戻せない
戻せない、だったら行き着くところまで行くしかない
鳥インフルエンザの発生も回避できない
世の中の多くのシステムが北風政策になっている
雇用もそうなっている
初めて就職する時のスタート時点で乗り遅れたら
一生乗れない
労働現場の人間は使い捨て
全ての価値基準はカネ
船の方向を変える必要があると思う
でも、がんじがらめで変えれそうにない
しかし、スタート時点で乗り遅れた以上
そのまま、都会にとどまっていてもいいことにならない
30代ならまだまだやり直しができる
ボクが再スタートをしたのは37才目前
どの方向も道がふさがれているように見えても
一歩を踏み出さないと現状は変えれない
しかし、どの方向も道がふさがれている
何も見えない。薄明かりもない
何も見えなくても
土の上に戻るしか道はないと思う
家のローンがあったり、配偶者や子供がいたり
がんじがらめで動けない
どれ一つ捨てることができない
でも身軽にならないと、一歩も動けない
どうしようもない絶望だけ
救いの手はどこからもない
自分で自分を救うしかない
土に上に帰るしかないと思う
しかし自分は、帰る方法を提示できない
農業に未来を提示したかったのに
農業にもスペードのエースしか見えない
理想的な農業をしている自分が、農業にも、未来にも
絶望を感じるだけ
絶望を感じても自分には残された時間が少ないからいい
現状をキープさえしていれば何とか生活はまわっていく
農業という他のどんな職業より贅沢な職業に従事して
土や草や山が自分の心身を遊ばせてくれる
極めて恵まれた生活をしているが
世の中の多くの人はそうではない
道を開いてくれます→

