あめんぼ通信

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

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鳥取県 日野町の場合

 17年間農業をしてきた友人が57才になって地下足袋を脱ぎ、大阪へ帰られた。60才までに後3年あるし、今ならまだ職を探すこともできる。限界がきて止めるのではなく、まだ余裕のある今、農業を止める決心をしたと言われる。

 重い決断だったと思う。過去30年ほどの期間に、そんな重い決断をせざるを得なかった農業者は何百万人いるだろうか。

 すでに45年ほど前の話になるが、我が家の両親もそういう決断を迫られ、それぞれ工員と日雇いに転身した。

 自分は転職を繰り返し、36才の末に農業に転身した。サラリーマンは向いていないと思った。かといって、資格試験をパスして独立自営業が開けるような頭もなかった。

 失意の日々の中で突然、農業がひらめいて、2年間ほど試行錯誤の準備期間を経て転身した。

 母はその時すでに亡くなっていて、父は「食えるかえ~」と言っただけだった。何回も転職しているのを見てきた父は何も言えなかったのだろう。

 農業は本当に「心の休まる世界」だった。もう、がむしゃらにがんばった。がむしゃらにやってもストレスなど感じなかった。

 カネにならなくても、農業は「癒し」になるから、農業が止められないのだと思う。

 しかし、生活のための最低限の収入に事欠くようになると、止めざるをえなくなる。毎年、何万人の人が農業からのリタイアを迫られているだろう。

 自分と入れ替わりに配偶者が働き始めたので、自分の農業収入は少なくても我が家の生活はまわっていった。いわゆる「補助金漬け農業」と同じである。補助金がなかったら、もっと早くに農業から「淘汰」されていた。

 いつの間にか農業歴も18年になった。ほんとにあっという間だった。18年前のスタートの頃を今でもよく覚えている。

 途中、もっとカネになる農業形態に替えようと種々トライしたが、結局、替える能力がなかった。農閑期にアルバイトをする必要にも迫られたが身体が動いてくれなかった。

 ずるずると来てしまったような気もする。今頃になってまた、付け焼刃で勉強(今の自分にとって勉強とは、1時間半で新聞3紙を読むこと)を始めた。

 自分の農業にこれ以上の展開はもう期待できないが、人がうらやむ、これほどぜいたくな職業はないと思う。

 自分を取り巻くいろんな環境に恵まれていたからこそ、今まで農業が継続できた。

 しかし今は、少し違った方向へ進みたいと思っている。新しい道へ進むには、ある程度の蓄えと新しい道での新たな収入も必要である。

 他人頼みもできないし、補助金もない。自分の力で切り開いていくしかない。つまり、ここ1年半ほどの間に習慣になった「半農半ブログ」の生活の中で、自分の道を切り開いていくしかないのである。

 農業には30代の後半に転身してくる人が多い。第2の人生をスタートしてもまだ十分に一つのことが成し遂げれる年代である。50代の半ばまで続ければ20年にもなる。

 50代の後半は、もう一度転身がはかれる年代だと思う。70才くらいまで続ければ15年にもなるし、生産活動を伴わないならば、15年間は現役世代の25年間ほどに匹敵すると思うから、この年代になっても、何か一つのことが十分に成し遂げれると思う。

 

 2008_02232008年2月23日0003

 2月6日の朝日新聞の記事、感銘したので何回も読み直している。800字ほどの記事の全文を掲載させて頂きます。

 『06年2月に初当選した鳥取県 日野町の景山享弘町長(65)を待っていたのは、破綻した財政下での予算編成だった。
 
 まず、自分の給与を前町長の半額にしようとした。だが、副町長より低くなることに幹部職員が当惑。やむなく副町長より千円高い月56万円にした。町長公用車は競売にかけ約200万円で売った。
 
 職員の給与カット率も平均3%から10%に拡大した。この2年で80人の職員中17人が早期退職に応じた。新規採用はゼロ。住民サービスの低下を防ぐため、保育所や図書館、公民館などに計27人の嘱託職員を置いている。
 
 予算は削りに削った。04年度に7億円近かった公共事業は、06年度には2億1千万円、07年度は4400万円にまで減らした。うち、町の発注分は06年度の2千万円から07年度はついにゼロにした。
 
 小額の随意契約でも、必ず複数の業者に見積もりを出させ、競走させるようにした。コピー機、電話機のリース、清掃委託などは単年度契約から3年、5年の長期契約にし、経費を4割削減した。
 
 住民にも下水道料金の30%値上げなどで負担増を求めた。毎年12月に開く町民ミュージカルは約350万円の経費全額を町が出していたが、50万円に減らし、残りは住民が寄付を募る方法に改めた。
 
 財政が破綻した直後に初めて開いた住民説明会は、毎年11月に定期化した。10年後には交付税が今より4億円近く減る。昨年も計80人前後がそうした町の歳入、歳出見込みの説明に聴き入った。
 
 住民の意識は明らかに変わってきた。「うちの前の道路を舗装して」といったおねだり型の陳情はほぼなくなった。06年夏の集中豪雨で林道が崩落した時は、町が砂利やダンプカーなどを提供し、住民が手弁当で復旧作業にあたった。
 
 こうした積み重ねの結果、来年度にも単年度黒字に転じるめどもたった。「もはや国も町も余計なお金はない。1軒1軒の家まで立派な道路を通すのは無理。財政破綻を経験したからこそ町民は気づいた」と景山町長は言う。』


 
 今は国も地方自治体も財政が逼迫して、財政破綻の状態に近い。そんな状態で「道路整備」などにカネをまわす余裕はないはずである。

 道路整備や下水道整備は特定の業者を保護するためだけの施策である。

 農業への補助金も特定の農業者を保護するだけである。永遠に補助金漬けにならないと、現在の畜産形態は継続できないと思う。
 輸入飼料に頼らず、国産飼料(自給飼料)で賄うには、頭数(羽数)を格段に減らすしか方法はない。従来の飼育方法の見直しが必要であり、補助金を出すなら、飼料高騰への補助金ではなく、農業形態(飼育形態)変更のための補助金であるべき。

 農業には、ほとんど活路が見えてこない。18年前より明らかに農業への道が悪化している。


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プロフィール

水田祐助

Author:水田祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在55才、農業歴19年目。農業形態は野菜とハーブのワンパック宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ30羽。25年ほど農業とは無縁だったが、ボクが子供の頃は、家は葉タバコ農家だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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