今日は小春日和のような暖かい1日だった。このトリ小屋は、春夏秋冬、半日は鶏舎内に太陽の光が入る。しかし、99.9%(ケージ飼い)のニワトリは太陽の光を全く知らずに死ぬ。
5月26日で満3年が来るが、まだ1羽しか死んでいない。決闘で負けて客死したオンドリを加えてもまだ2羽しか死んでいない。これは奇跡的な生存率だと思う。後2年間飼う予定である。
現在は31羽であるが、エサは「コゴメ」だけである。コゴメがなくなる4月中頃から農協の配合飼料を買うつもりでいる。輸入飼料であリ安全性は疑問であるが、青菜や野菜クズだけでは栄養が足らない。
たった31羽でもエサを自給しようと思うと、麦やキビを作る必要があるが、それはかなり面倒であり、エサの保存をどうするかの問題もある。10羽ほどに減らせば、コゴメが1年間持ちそうだが、それだけの羽数では野菜クズが残る。
現在、飼料の高騰が問題になっているが、飼っている牛や豚やニワトリの頭数や羽数があまりに多すぎる。牛の場合はまだ半分は粗飼料(草や乾草、サイレージ)でまかなえるが、豚やケージ飼いのニワトリとなると、ほとんど配合飼料に依存している。つまり輸入したエサで飼っているわけである。人間の食料も多くは中国野菜に依存しているくらいだから、エサを自給するというのはもっと難しい。しかし、バイオエタノールや気候問題を考えると、今までどおり輸入できることは少なくなるから、必然的に、人間の食べ物も動物のエサも国内の自給度をアップさせる必要がある。
すなわち、昔帰りする必要があると思う。
二酸化炭素の排出量も昔帰り。
人間も老いたら子供帰りをする。
だから、動物も昔のような飼い方に戻せる。
大規模大量生産という資本主義的システムが環境破壊や人間疎外や不確かな安全性をもたらしたのだから、以前のシステムに戻していく必要がある。
二酸化炭素の排出量も90年比で6%削減しようというのだから、それに比べたら、動物の飼い方を昔に戻すくらいは簡単である。つまり、牛1頭、もしくはヤギ1頭、ニワトリ20~30羽、ウサギ3~4羽という飼い方である。
これは反資本主義的であるが、人間性を取り戻すには、1人の人間が手に負える範囲(家族労働)で飼うという一昔前の飼い方が理にかなっている。鳥インフルエンザと戦うにも、1社で20~30万羽飼うより、20~30羽を10000軒で飼う方がはるかに危険分散できる。ちょっと見た感じ、20~30万羽の方が危機管理しやすいように見えるが、そういう飼い方では、1羽の感染がすべてに感染するので、衛生管理や細菌管理のために、必要以上の消毒や必要以上の抗菌剤を投与するようになり、卵や肉の安全性の見地からは逆効果になる。
ニワトリを、ケージ飼いから地べた(大地)に戻して(開放して)あげなり限り、人間も大地から離されて生きるしかない「人間疎外(土からの疎外)」から開放されない。
ほとんど不可能と思える二酸化炭素を削減しようというのだから
原子力発電→風力発電、太陽光発電
下水道設備→メタンガス発生装置
大規模飼育→45年前までの少頭数少羽数飼い
ガソリンエンジン車→水素エンジン車(燃料電池車)
も必ず実現できる。
これらはすべて「自然に帰れ」運動といえる。人間性を取り戻す運動でもある。
輸入飼料価格の高騰で「平成の畜産危機」と言われている。酪農の場合、配合飼料と粗飼料の割合は半々程度であり、現実的に自給飼料に代替可能なのは「粗飼料」の方だけだが、サイレージは自給できても乾燥牧草は天候の問題や機械が必要になること、労力がかかることなどから、自給は難しいとされる。「現場の自助努力には限界があり、国の支援が必要」と農業新聞に出ていたが、一過性の支援では効果はなく、飼料は高止まりを続けると思う。1年間ほどの支援では問題は何ら解決しないだろう。
結局、国産のエサで自給できる範囲、つまり昔ながらの「1頭飼い」に切り替えていかざるをえないのではなかろうか。ニワトリも同じである。少頭数、少羽数なら、エサは何とか切り回せる。
(今日の夕飯)
ギョウザ・・・市販の惣菜
カナギ(今、スーパーでよく見かける魚)
キャベツ
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