昨晩は久米南町、上籾の農家民宿「園田ファーム」に泊まっていた。楽しみにしていた初めての農家民宿だった。
泊まった部屋は左の画像の部屋。これは一昔前によく見かけた「隠居部屋」で、昭和の初期に建てられたらしい、風情のある隠居部屋だった。外は「雨戸」になっていて、廊下があり、廊下の内側に障子がある。
夏はいいが、冬はすきま風が入るのではと思ったが、すきま風は感じなかった。ただ、昨晩は風が強かったのか、雨戸ががたごと音がしていた。
昭和20年代、30年代に建てられた田舎の家には、どこにもこんな雨戸と、雨戸を収納する、雨戸の数だけの出っ張り(上の画像の右隅)があった。
(1)定年2年前に退職して、西は山口県から、広島県、島根県、鳥取県、岡山県と、農家民宿ができそうな物件を探して歩かれたらしい。
(2)この物件が気に入って、民宿を開いてすでに5年。60代半ばのご夫婦である。
(3)1泊2食付5500円という驚異的安さ。
本宅を前から写すのを忘れた。三方からの画像があるので、農家民宿の大体はわかってもらえると思います。
本宅(母屋)の右隣に、白壁の「蔵」がある。今は白壁はかなり崩れ落ちているが、こういう蔵がある家はたいてい、一昔前の「庄屋」である。
蔵の前には見事な庭があった。随分昔にできた庭のようだった。なお、本宅は明治4年頃に建てられていて、築140年ほどになるらしい。黒い大黒柱と梁に年月の重みを感じた。
庭を隔てて「隠居部屋」がある。つまり、蔵と隠居部屋の間に庭がある。
そして、庭の間を小川が流れている。下の右の画像の石積みの間の長方形の形をした個所から水が流れ落ちる。
つまり小川は「庭」の中を通り、「母屋と隠居部屋の間」を急勾配に落下して、下に流れている。
家は、かなり急峻な段々畑の一角に建てられているので、家の後ろも前も、かなり高い石垣が組んである。
水の出口を長方形に高くしているのは、多分「鉄砲水」が流れてきた場合に、狭く小さい出口では、水がさばけなくなるので、画像のような長方形の大きな出口にしているのだろう。
上の画像の右の、網で囲っているのが家庭菜園である。家庭菜園で取りたての野菜を料理に使うというのも「売り」の一つである。
夕食は母屋の囲炉裏端でいただいた。昔この場所に囲炉裏があったらしいが、現在の囲炉裏は大工さんに頼んで作り直したものらしい。
右の画像のような、なつかしい「クド」も撤去せずに、使われている。
囲炉裏の画像が不鮮明で申し訳ない。ここで「鍋料理」と「刺身や天ぷらの和食」をいただいたが、画像が残っていない。
朝はこんなご馳走だった。
風呂はどこの家庭にもあるような普通の風呂だったが、これで1泊2食付5500円は安いと思った。
自分の収入では7500円というのは、一つの壁。これより高ければ、あまり行く気にならないと思う。5500円なら、度々来れるような気がする。
この地区には有名な棚田が3箇所かたまってある。
(1)上籾の棚田
(2)北庄の棚田
(3)大併和西の棚田
家からこの農家民宿まで1時間45~2時間ほどかかるので、日帰りではちょっときつい。3箇所の棚田をゆっくり見てまわろうと思ったら、どこか泊まれる拠点がいる。
道を開いてくれます→

