(今日の夕飯)
近くに住む姉にもらった「大豆の煮豆」を食べる予定だったが、今日は親戚の葬儀に参列してお膳を頂いたので、それを食べた。
前々日の朝は手伝いに、昨晩は通夜に、今日は葬儀だった。3日目の今日は少々疲れた。
お客さんとして葬儀に参列する場合は、せいぜい2時間余りだが、当事者の親戚として出席する場合、葬儀で始めて出会う親戚も多いので緊張する。酒は飲まないので、相手に酒を注ぐタイミングもわからない。同じように農業をしている人が多いのであるが、会話はさほどはずまない。こういう席での立ち居振る舞いは苦手であるが、こういう席に出ることが年に数回はある。自分の場合のきちんとした格好というのは葬儀の参列で礼服を着る時だけである。
自分には野良着が最もリラックスできる格好である。10日~2週間ほど着替えることもない。今の時期は汗をかくこともないし、暑ければ上着を1枚脱ぐ。土は油と違って「汚い」ことはないので、4~5日で洗ったりしない。そんなことをしていたら、洗濯をしてくれる人の負担が増えるだけなので、野良着は半月に1度ほどしか洗濯にまわさない。夏は汗びっしょりになるが、すぐにそれを天日乾燥すれば3~4時間ほどでまた着れる。だから2枚の作業着を交互に着て、夏も10日に1度ほどしか洗い物にまわさない。
以前は洗っていた軍手も、最近は洗う手間もばかばかしくなるくらい安い軍手が出回っているし、多分1回洗うとだめになる素材と思うので、軍手は使い捨て。10足が200円。
田んぼにいれば、忙しくても、遊んでいるようなものなので、またたく間に時間は過ぎていく。
政治のことを考えるわけでもなく
生活のことを考えるわけでもなく
明日の希望や明日の絶望を意識することもなく
近所の人の目顔を気にするでもなく
朝最初に出会った時に、最小限の「おはようございます」の挨拶をする程度である
大体、田んぼの行き帰りに出会う人はたいてい1人だけ。4~5日に1度出会う人が4人ほどという少なさなので、人と会話をすることも少ない
会話をすることはなくても、頭の中は「にぎやか」で騒々しいくらいである
大都会の群集の中で一人を感じる孤独
大都会のネオンに感じるきらびやかな孤独
大都会の狭い一室でもんもんとした孤独
誰もいない大自然の中は、逆に、雑踏のにぎやかさである
何の地位がいるだろうか
何の肩書きやステイタスがいるだろうか
ただ、必要最低限のカネは必要である
必要最低限の生活をするために、人はいったいどれほどの金額がいるだろう
年間100万という人もいるだろう
年間200万という人もいるだろう
家屋の改修などの大きな出費を除けば、自分の場合は、月に3~4回のドライブや田んぼ訪問に費やす「時間的余裕」と「昼飯代で500円」もあればよい
通常なら、とっくに農業界から淘汰されているだろうが、大きな出費はマルミさんに押し付けて、自分はライフラインの支払いと、自分自身に関する支払いだけを追っかけていればよい
何にもない
何にもない
何も捨てるものがないぐらい身軽になりつつあるが、まだ、ろくでもないものがいっぱい身について離れない
ぼう~っとする時間をもっと持ちたい。
ぼう~っとするには、日常という時間から脱出する必要がある
吉井川水系という狭い区域を中心に
ふら~っと行って、ぼう~っとして、缶コーヒーでも飲みながら
天と地と流れる雲と流れる川とそこにたたずむ草木を楽しんで
現在、過去、未来を感じていたい。ただそれだけが今の希望。
何というゲージュツ空間
ゲージュツを導き出してくれたのは農業
ブログが与えてくれたゲージュツカツドウ
道を開いてくれます→

