(今日の夕飯)
親子どんぶり・・・タマネギ、ハクサイ、シュンギク、鶏肉
水炊き・・・昨日の残りにハクサイとシュンギクを追加。
20~30羽養鶏が10万~100万羽養鶏になったのが高度資本主義社会
小さな個人農が淘汰されていくのが高度資本主義社会
小さな行政区域が合併されて大きな行政区域になるのが高度資本主義社会
振込手数料は70円だったのが、民営化されて倍近い120円になるのが高度資本主義社会
2001年に1006あった市町村立病院は2005年までに982まで減少した。多くは統廃合、民営化、診療所への格下げなどで消えていった。それが高度資本主義社会。
つまり、高度資本主義とは、地域も合併、企業も合併、ニワトリも合併(大規模化)・・・小さいままでは生き残れない社会である。
そして、病院も半減、人間数も半減すると言われている。すなわち、高度資本主義社会は、人間や人間性や環境を破壊する経済制度である。
そして、病院も半減、人間数も半減すると言われている。すなわち、高度資本主義社会は、人間や人間性や環境を破壊する経済制度である。
資本主義経済制度の中で、農業で生き残るには、規模拡大や設備投資をしないこと。できるだけ小規模にとどめることだと思う。
拡大すれば、負債が増えるだけ
拡大すれば、忙しさが増えるだけ
農業がビジネスにならないのは「自己責任」ではなく、「資本主義経済における農業」というように、高い見地から見るべきだと思う。
資本主義システム下で、農業が発展している国などあるだろうか。小農は駆逐されて、大型化(法人化)されていくだけである。
「有畜・小農・複合・自給」の農業形態。これこそ、資本主義と戦える農業形態である。これは、差し引き100万円以下の収入にしかならないが、こういう農業形態にしていかないと、地球温暖化も、環境問題も解決することはないだろう。
・・・1992年度に29人だった岡山県の新規就農者は、増加傾向が続いて2002年度に100人を突破。以降110人前後で推移している(山陽新聞より)・・・。健康の基本である食に携わる人の数が、こんな幾何学的な数字だから、医者をいくら増やしても追いつかない。
65才以上の高齢者が集落人口の半数を超えている村を限界集落と呼ぶが、「財政援助」や「複眼的な視点で再生」と言われても、短期的には功を奏しても、抜本的には無理である。どんな援助や視点も消滅を先送りするだけである。資本主義という経済システムが限界集落の発生を促したのだから、それを止めるには、経済システムそのものを見直す必要がある。
戦前のような自給自足の経済圏に戻すことはすでに不可能であるが、1人1人が、
戦前のような自給自足の経済圏に戻すことはすでに不可能であるが、1人1人が、
小さな生活
小さな行動範囲
小さな生き方
小さな農業
小さな食生活
小さな環境保全活動
小さな財布
で生きる必要があると思う。
しかし、
組織人と比較して圧倒的に収入の少ない農業者は、1円でも多くの収入を望む。少しでも身体的に楽ができて、少しでも収入アップにつながるなら、環境よりも経済を優先せざるをえない。それは資本主義社会に生きる農業者の宿命だと思う。
資本主義社会に否定的な見解を並べ立てたが、マルクス主義者ではない。スターリン、毛沢東、ベルリンの壁が崩壊する前の東欧諸国など、あまりよいイメージがない。しかしこのまま資本主義経済が続くなら、人の心はますます荒廃する。
道を開いてくれます→


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