あめんぼ通信

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

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農業形態の変更を目指した日々

 農業者といっても、ピンからキリまでいる。同じ農業なんだから、他の農業もできるんじゃないかと思われるなら大間違いで、誰でも、今現在、自分がしている農業形態以外の農業は難しいと思う。 


 ボクは農業をスタートする前、有機農業とか、ワンパック宅配という農業形態があることさえ知らなかった。農業改良普及所の所長に連れられて、近くの先進農家の花のハウスを見せてもらったことがある。案内されてハウスの中に入ってすぐに、こういう農業は自分には向かないなあとすぐに感じた。すでに35才だったので、どんなことならできて、どんなことはできないかぐらいは、かなりわかる年齢だった。所長さんが、これからは野菜より花がいいと言われたが、ハウスが自分の力では立てれそうになかった。


 稲作は機械が苦手だったので、ハナから眼中にはなかった。父の病気入院の年に即、稲作は手放した。ボクの農業と父の稲作はちょうど3年間かさなったが、手伝いもしなかった。苗を運ぶのを手伝っただけだった。


 農業を始めたらニワトリは飼うつもりだった。自分を有機農業に導いた1冊の本「都市生活者のためのほどほどに食っていける百姓入門」という長ったらしい題名の本を読んでから、ぜひニワトリを飼おうと思った。子供の頃、家でも30羽ほどのニワトリを飼っていた。でもいろんな農業者のトリ小屋を見せてもらってから、自分には30~40羽ほどしか飼えないと思った。トリ小屋を自分で立てることができないなら、ニワトリは30~40羽までしか飼えない。


 大規模にニンジンを作っている人の田んぼを見せてもらった時は、自分にはこれは真似ができないと思った。


 とにかく、努力したらできるかも知れないと思えることと、これはいくら努力しても自分にはできないだろうということは、田んぼや畑や構造物を見せてもらっている間の1時間ほどの間にわかるのである。ボクが現在している農業形態は、農業形態の中でもごくごく一部の100分の1くらいのエリアでしかない農業である。つまり残りの99%の部分の農業は、自分に何らかのきわめて苦手な部分があって、そういう農業形態は真似ができないというか、できるとは思えない。趣味で農業をやっているわけではないので、もっと儲かる農業形態を自分がやりこなす能力さえあれば、すぐにでも変わりたいし、それができたなら、とっくにその農業形態に変わっていただろう。変える力(能力)がなかったから、16年もワンパターンのワンパック宅配をしているのである。安全とか環境、そんなものより、自分の生活(収入)を優先して考える。どんな農業者でも、農業の全分野のごく狭い自分の得意と思える部分の農業をしているのである。


 農業形態の変更ができなかったのは、自分に危機意識が足らなかったのか、意識下に甘えの構造があったのかも知れない。というのは、ボクが農業をスタートする1年前から、マルミさんが、奥様ではなく外様として働き始めたので、自分の収入が少ないために我が家の生活がまわっていかなくなるということはなかったから。でも経済を「どんぶり勘定」にしているわけではない。それぞれが稼いだ収入はそれぞれのものである。1代前も我が家はそうだった。


 「言いごとはトビツ(米ビツ)から」という昔からよく使われている言葉があるが、我が家の場合、特定の出費をどちらが出すかという問題がしばしば浮上した。


 だからボクも、16年もの間、安穏としてワンパックだけに安住してきたわけではない。内面では「我が闘争」を繰り返していたのである。それは「農業形態の変更」を試みる闘争である。


 同じワンパック宅配からスタートした友人の何人かが、6~8年め頃を境に、1~2年ほどの間に農業形態を大きく転回させて、経済的に安定していったのを見てきた。それができなくて、結局農業を止めていった友人もいる。


 自分の農業に大きな転機が訪れたのは8年目に入った年である。それまでの7年間は無我夢中で、とにかく野菜を失敗せずに作ることと、顧客の獲得のことだけを考え続けていた。農業に関する適性はあると思ったが、農業に関する能力が少ないということを痛切に悟らされた7年間でもあった。だからもう必死だった。しかし、作ることをいくらがんばってみても、顧客が比例して増えることはない。顧客を獲得することはまたそのための努力が必要だった。自分の野菜は農協とか市場では相手にされなかった(寸法、重量、外観などの規格が問われる為)ので、とにかく直接誰かに売るしかなかった。恥も外聞もなくというか、もうそんなことを言っておれる状態でもなかった。団地を引き売りしたり、朝市に出かけたり、美容院にパンフレットをおかせてもらったり、リビング新聞に広告を入れたり、新聞やテレビの取材を受けたり、雑誌に載せてもらったり、親戚や友人にワンパック購入の紹介を依頼したり、自分でパンフレットを持ってポスティング方式で大阪営業に出かけたりした。とにかく顧客を一定数まで増やさなければ、せっかく作っても無意味になってしまう。しかし、顧客は増えたり減ったりで一定せず、農業収入もほとんどアップしていかなかった。かといって、何か専門作物を持って農協出荷(市場出荷)という形態への移項は、どうしても身体が動いてくれなかった、というか作れる自信がなかった。


 8年めに入り、野菜が一応自分なりに失敗しないようにできるようになった時、それまでずっと気にかかっていたハーブを始めて植えた。自分は特定の専門作物を持って、それを深めることは向いていない。より広げて行こうと思った。大風呂敷に広げた。同じ年にドラム缶炭焼きを始め、年が明けると、自分の農業レベルも省みず「あめんぼ百姓塾」を立ち上げた。農業本体ではなく、農業塾で学習塾みたいに稼げないかと思った。自分でもまれに見るよい案だと思ったので、地元の新聞社に電話を入れて、取り上げてもらえないかとお願いすると、おもしろい企画であるからと、新聞にでかでかと取り上げてくれた。今もその新聞を保存している。でも反響は少なかった。5~6人から電話があっただけで、実際に農業塾へ入りたいという希望者は一人もいなかった。同じく農業塾関連で「田んぼで遊ぼ」というイベント企画を5千円ほどの広告代を出して、何回か広告に入れたが、小さな子供連れで来られて、田んぼを走り回られて困った。ドラム缶炭焼きや七輪で沸かすハーブティやゆで卵のイベントなども何回かしたが、顧客獲得には結びつかなかった。時間給1500円ほどの「家庭菜園ヘルパー」なども考えたが、頭の中の構想だけで終わった。一冬、「あめんぼ百姓塾、塾生募集」のパンフレットを持って団地を営業したり、公民館講座の開設をお願いしたりしたが、塾生は2~3人しか集まらなかった。


 農業本体では稼げないと自覚してから、結構いろいろと手を広げて、あの手この手で収入アップの道を模索してきた。結局どれもカネにならず、ハーブだけがカネにつながった。もし8年めに入った時、ハーブに手を出していなかったら、現在、ワンパック宅配の継続は危機的状況にあるだろう。なぜなら、個人客はすでに10軒ほどに減っているから。ハーブを導入してからは個人客を増やす営業努力をしなかったというのも個人客が減った原因であるが、8年もやってきて、個人客の数が安定しないということは、自分の野菜パックに問題があるか、もしくは、個人客はそこまで有機野菜に熱意を感じていないということである。そうでないなら、家族構成が1人や2人減ったくらいでワンパックを止めたりしないだろう。


 イタリア料理店に電話営業を始めたのは翌年のバジルの季節だった。とにかく、何らかの形でカネにしないと、趣味ではハーブが続かなくなると思った。ハーブを使ってくれそうなのはフランス料理店かイタリア料理店、それしか思いつかなかった。でも不思議なことに「電話営業をする」という方法に1年ほど気づかなかった。近くの電報電話局へ行って職業別電話帳をコピーさせてもらって持ち帰り、電話営業を始めた。「もしもし、岡山で野菜とハーブを作っている農家ですが、お宅のお店でハーブを使って頂くわけにはいきませんか」こんな電話をかけまくった。


 イタリア料理店は個人客よりもっと出入りが激しいが、横のつながりもあり、ワンパックが気に入ってもらえれば、口コミの紹介もかなりある。


 今、何とかワンパックを継続できるだけの、個人とイタリア料理店の顧客はキープできている。ここ4年間は全く営業活動をしていない。でも必要に迫られたら、いつでも営業活動をして数軒は増やすことができると思っている。


 13年が過ぎた冬の農閑期に、今まで書き続けたあめんぼ通信を1冊の本にしようと思いついた。それを出版社に送った。それからは毎年、1冊の本になるくらいの原稿を出版社に送り、ボツになったら小冊子にして自費出版を続けてきた。今年は勝負をかけて15社の出版社に送った。でも全てボツだった。しばらくへこんで書く気になれなかった。4冊めは小冊子にしなかった。毎年お世話になっていた方から、今回は小冊子にしないで、その分のお金を出版社の編集者に直接渡して依頼する方法もあると聞いたが、そういうふうにはならなかった。4冊目の原稿の打ち出しの過程で新しいパソコンの導入にせまられ、小冊子代がノートパソコンに代わった。


 もうワンパックだけの収入では先が見えている。どんなにかしなければならない。そうだ、夢の印税暮らしに賭けようと1冊目を小冊子にしてから思った。それからは農業本体以外の時間は作文に費やすようになった。でも全然甘くはなかった。出版社に原稿を送る方式は4冊めでひとまず退散することにした。新しいノートパソコンはよく自分の手に馴染んでくれている。毎日開いているうちにブログに出会った。そして、新しい挑戦の場をブログと決めた。いつの日かブログで稼ぐ。


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プロフィール

水田祐助

Author:水田祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在55才、農業歴19年目。農業形態は野菜とハーブのワンパック宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ30羽。25年ほど農業とは無縁だったが、ボクが子供の頃は、家は葉タバコ農家だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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