1週間が過ぎてまた、棚田を写しに行ってきた。コースは先週の日曜日と同じである。ここ奥塩田の秋は早い。すでに半分ほど刈り取りが終わっていた。絵になるような棚田である。
上山神社から見た、上山の千枚田。しかし、稲が育
っているのは、そのうちの2割もない。
(1)勾配が急
(2)1枚1枚の田んぼの面積が小さい
(3)とても辺鄙な場所にある
崩れ行く日本の棚田。
ここは佐伯町、南山形の棚田。黄金色の稲穂が、所々波打っている。風で倒れたのかなと思っていたら、イノシシが侵入して倒しているらしい。電柵やトタンでほとんどの田んぼが囲われているが、少しでも、柵の甘い箇所があると侵入する。
9月お彼岸過ぎ頃から刈り始めるらしい。
佐伯町 田土の広大で雄大な棚田を13枚の画像でアップしてみた。夕方5時頃、棚田の頂上付近から麓へ下りてくる途中で順次写した。標高差はどれくらいだろう。300メートルはあるように思う。広い大きな谷のような場所に広がっている棚田である。
岡山市内へのぎりぎり通勤圏(車で片道1時間半)であるせいか、田舎田舎していない。サラリーマン時代に稼いだ収入で、稲作の農具を買い揃えたのだろう。年齢的に次の買い替えはないだろう。この棚田が維持されるのも、後5~7年くらいか。7割近くはまだ作付されているように見える。
田土の棚田は、一本の太い幹線道路から、道沿いに順次頂上付近まで棚田が広がっているので、とても写しやすい。今の時期は棚田撮影の愛好家が頻繁に訪れているようである。
棚田を支えているのは、65才~75才の戦前生まれの人たちだろう。団塊の世代以下の人は、サラリーマン収入をつぎ込んでまでは稲作はしないと思う。団塊の世代を境に、田舎在住の人も大半がサラリーマンをするようになった。というよりは、団塊の世代以降、田舎の次男、三男だけでなく、長男も都会に出て働くようになった。だから田舎では、子供の姿が見えなくなり、老夫婦だけの家が多い。
都会に出た団塊の世代の長男は、果たして、田舎に戻り、親の後を引き継いで、稲作をするという選択をするだろうか。
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