あめんぼ通信

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

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農業形態の変更について

 以下は、今から3年前、2004年9月に書いたものです。 

 農業形態の変更について、項目を列挙して、心の整理をしてみた。

(1)14年間の間にできなかったことが、今頃になって、果たして切り替えれるだろうか。切り替えるなら、遅くても就農後10年くらいまでに、切り替わっていなければならない。できなかったのが自分の能力であり、できなかったという現実を受け入れていくしかない。


(2)今までの顧客、そしてあめんぼ通信も、農業形態を変更すると、生かせれない可能性が高い。


(3)農業形態の変更は、考えて計画してというのではなく「知らん間に変わっていた・・・」という様でないと、現実には難しいと思う。


(4)専門作物として考えた場合、野菜では、エンサイ、ツルムラサキ、青シソ、シュンギク、不結球レタスの5種類しかない。他の作物は、何らかの不得意があり、たくさん作る自信がない。


(5)今まで、農業形態を変更して収入アップをしたいと考えたことはしばしばあるが、農業規模を拡大しようと思ったことは1度もない。


(6)新しい技術のマスターには2~3年という歳月がどうしてもかかる。ハーブでもそれくらいかかった。


(7)今までの農業形態を続ければ、少ない額であっても、稼げる金額が見通せる。その枠内で今まで生活できたのだから、今後もできる。仮に新しいことが始められたとしても、現役でがんばれるのは、後10年ほどである。それなら、今まで14年やってきたことを継続した方が、肉体的、経済的リスクが小さい。


(8)新たな設備投資(ハウス等)や、機械の導入のいらない農業形態の変更など、はたして可能だろうか。


(9)農業を考え始めた頃から、自分は大規模単作には向かないと思った。自分の場合、最も作付面積の広い「ロケット」でも、たった2アールほどである。そして30~35アールという作付けを自分の限界と感じている。義兄は、農業高校を出て18の時から農業をしているが、その7倍の2ヘクタール以上の面積を、夫婦2人と父親(高齢なので半手間くらい)でやっている。その内、ハウスだけでも、直線に換算して500メートルを超えている。なぜこれだけの面積がやれるのか(稲作でも2ヘクタールという面積はかなり大きいのに)不思議である。機械を駆使しているが、それにしても規模が大きい。しかし、その地域では、義兄の規模がそれほど大きいと思えないくらい、他の農家の規模も大きい。農家とは、こういうのを言うのだろうか。でも、その地域に農業後継者はほとんどいない。もちろん、2人の息子もサラリーマンをしている。


(10)どんな農業形態を新たに選択しても、2~3年の内に「形にできなければ」失敗である。失敗したからと言って、元の農業形態に戻れるほど農業は甘くない。


(11)読み書きも満足にできない、一回りほど年上の人を知っているが、こと、機械や道具の修理に関しては、地域の人から一目も二目もおかれていて、機械や道具の調子を見てあげている。「何で、それがわかるんだろう」と思い、聞いてみたことがある。その方が言うには、農機具店の人が修理している現場に出くわすと、じいっと立ち止まって、ずっと見続けるらしい。そんなことを繰り返しているうちに、自分で直せるようになったと言われる。でもその方、その機械を使う野菜や米作りは、とても見劣りする。農具の修理なんかに比べて、はるかに身近に日々見ていると思うが、それでも野菜がまともに作れていない。


(12)農家の跡取りではなく非農家出身なのに、たった3~4年のうちに、ビジネスラインに到達していると思える人を何人か見てきた。誰もが、そういう人のまねが出来るわけではない。
 自分の得意な形でしか、カネにすることはできない。自分の土俵で最大限の努力を続けること。それが○○円にしかならなかったとしても、その範囲内で生活がまわらないなら、農業の継続は無理である。


(13)現実はすでに、好むと好まざるにかかわらず、カネになるならないにかかわらず、現在やっている農業形態を続けざるをえない年令である。40代なら、まだよそ見が可能かも知れないが・・・。


 
 ふりかえってみれば、農業形態の変更、あるいは副収入を切実に模索した時期がある。それは8年目のスタートの頃である。

 
 農業をスタートした3年間は無我夢中、4年めに入った年は、父の入退院の繰り返しで、すべて1人で農業をすることになった。4年めの末に父の死、その3ヵ月後に祖母の死と続いた。5年め、6年めは早く軌道にのせよう(めいっぱい、顧客を確保しようと努力した時期)と必死だった。7年めに、集落の実行長の役がまわってきて、その年は、その役の仕事に大分時間を取られた。その役が終わった翌年、肩の荷が下りて、随分、時間の余裕を感じることができた。そのほっとした気分の時、以前から気にかかっていた「ハーブ」の苗を初めて植えた。友人や知人、方々に頼んで、ハーブに詳しい人を紹介してもらい、実際に教えてもらい、図書館で本も読んだりしながら、2~3年で、作ることに関しては大体わかるようになった。職業別電話帳からイタリア料理店に電話をかけまくり、少しずつ顧客を増やしていった。現在は、1ヶ月の発送パック数に占める割合は、60パックがイタリア料理店で、20パックが個人の家庭なので、結果的に見て、個人用から業務用中心(ハーブ中心)へと、農業形態の変更をしてきたと言える。変更してきたというよりも、個人客が減っていたので、新しい売り先が必要だった。自分の場合も、8年目に入った頃から2~3年のうちに、売り先の変化があったわけだ。それほど収入アップには結びつかなかったから「ステップアップ」という認識はないが、その後、個人客は増えなかった(営業方法が思いつかなかった)ので、もしあの時、ハーブに手を出し、そしてハーブも売りたいと強く思わなかったら、農業の継続自体が危機に陥っていたと思う。

 
 「楽しく新しいことをやれる」かどうかがポイントになると思う。自分の場合は、始めて育てるハーブの生育姿や香りや花に感動して、もっと種類をふやそう、もっと詳しくなろうと思った。そして、趣味では続かない、カネにしないと続かないだろうと思った。

 
 ハーブを使ってくれるのは、フランス料理店かイタリア料理店、それしか思いつかなかった。

 
 絶えず収入アップの努力を試みてきた。それは、規模拡大であるとか、専門作物集中主義であるとか、ハウス集約作物であるとかの、農作物本体の「技術指向」ではなくて、百姓塾の塾生募集の営業活動であったり、ドラムカン炭焼き等のイベント収入であったり、貸し農園であったり、家庭菜園ヘルパーであったり、ハーブの導入であったり、エディブルフラワー(食用花)の試作であったりした。ハーブしかカネにつながっていないが・・・。

 
 自分の興味があるものに、とにかく手をつけて見る。やっているうちに、これはおもしろいかも知れないとか、続けることが苦にならなかったりするものが出てくる。それを何とかしてカネにつなげる努力をする。

  

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プロフィール

水田祐助

Author:水田祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在55才、農業歴19年目。農業形態は野菜とハーブのワンパック宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ30羽。25年ほど農業とは無縁だったが、ボクが子供の頃は、家は葉タバコ農家だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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