1週間ほど前にスーパーで偶然会った小学校の同級生が、ハウスで花を作っているというので、見せてもらいに行った。
作付規模
ハウス4棟→スターチス、トルコキキョウ等
露地のキク→10アール
稲作→130アール
稲作は、働き出してからずっと土日百姓をしてきたが、露地のキクを作り始めたのは42才の時で、その後、ハウスを徐々に増やしていったようだ。だから、花歴は12年である。
この規模を、サラリーマンをしながら並行してやっているらしい。小学校時代の面影はもうどこにも見えなかった。何十年も会わなかった間に、見違えるようにたくましくなっていた。
要は、やり方だ・・・、目標設定が低すぎる・・・、と言われた。
農作業は夜間と、土曜、日曜である。奥さんが収穫や配達(多くは、小売店への直接販売)はしてくれるらしいが、植え付けの時など、作業が集中する時はアルバイトも頼んでいるらしい。
サラリーマンをしながら、土日百姓で、稲作をしているというのは、田舎ではそれほど珍しくないが、稲作の他に、ハウス4棟と露地のキクを10アールほど作っているのだから、いったいいつ寝るんだろうと思う。
自分はハウスはなく、野菜とハーブで合計30アールほど作付しているだけだから、規模的にも自分よりかなり大きい。
こういう事実を目の当たりにすると、自分のやり方のどこが劣っているんだろうと、考えさせられる。
2~3ヶ月に1度、話を聞かせてと、お願いして帰った。
こういう人を見ると、自分の甘さが際立つ。並行処理するのは、要はやり方なんだと言われて、その言葉が今も頭の中でぐるぐるまわっている。
能力差というものはどんな世界でもあるが、自分の場合、稼ぎの少ない現状で安住してしまったのは、自分と入れ違いに配偶者が定職についたので、自分の稼ぎが少なくても、我が家の生活がまわっていったという現実にあったかも知れない。
稼ぎが少ないからといって、またサラリーマンに戻るという選択肢は頭の中に思い浮かばなかった。ただ、農閑期にアルバイトをする必要があるなあということは、しばしば考えた。しかし、実際には、そのほうに身体は動かなかった。
自分がハウスを持てなかった原因は、
ハウスだと雨水は入らないので、水をどう工面するか→当時はまだ井戸はなかった。
台風で倒壊したハウスを何度も目にしてきた。
ハウスのビニールの2~3年おきの張替えが、一人でできるだろうかと思った。
ビニール代がとても高くつく気がした→現在は処分料もかなり高い。
ハウスだと、特定作物の連作→病害虫が出やすいと考えた→逆に雨にあたらないので病気は少ないらしい→どちらも一理あり正解は半分半分?→ただハウスだと、タヌキ、シカ、カラスなどの害獣は入らない。
ハウスで作る特定作物の販路はどう探せばよいか→ワンパックのように直販する自信が持てなかった。
ハウスが自分で建てれない。
借金してまで建てたくない。
農業を始めて7年間ほどは無我夢中でやってきた。8年目に入ってやっと一息ついた頃、ワンパックの顧客は長くは続かないということを実感して、ワンパックだけの農業形態では早晩行き詰ると思った。その時に試行錯誤しながらいろんなことに手を出したが、そのうちハーブに夢中になり、ハーブの顧客ができてからは、またその状態に安住してしまった。10年目の頃である。つまり、8~10年目の頃に、自分の関心はハウスに向かずハーブに向かった。
13年目の末にあめんぼ通信を1冊の小冊子にしてからは、今度は毎年の小冊子の完成のことばかりに気持ちが向き、肝心の農業の販路拡大の熱意が衰えた。
小冊子はその後ブログに変わったが、今頃また、こんな稼ぎでは自分の老後がままならないと考え始め、農業本体への傾斜を強めている。
ワンパックは農業をスタートして5ヶ月後には数軒の顧客ができた。
ニワトリも農業をスタートした1年後から飼い続けている。
ドラムカン炭焼きはハーブと同時期にスタートしたが、形にならなかった。苦手作業が多かったように思う。
ハーブは作り始めた翌年には顧客ができた。職業別電話帳からの電話営業である。
作文はワンパックの顧客ができた月から、月に1回のミニコミ(あめんぼ通信)を出し続けてきた。
つまり、形になるものは、ほとんど労せずして形になり、形にならないものは、何年費やしても形になっていない。