あめんぼ通信

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

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ある阿呆の詩

土はいつも自分の身近な所にあった。

でも、土に触れることはなかった。

土に親しむのは60才になってからだと思っていた。

若い時代はきちんとした所に勤めるものだと思った。

でも、どこの会社に入っても長続きしなかった。

社会に出て、自分はサラリーマンという組織はあまりむいていないから、

何か資格を取って将来は独立した仕事がしたいと思った。

でも独立して食えるような仕事は資格試験が難しい。

30才を過ぎて、資格試験もあきらめなければならない年齢になった。

仕方なく、またサラリーマンに戻った。

でもやはりサラリーマンはしたくないという思いがつのった。

そんな時に突然ひらめいたのが農業だった。

農業も土も、いつも自分の身近にあったが、

農業では食えないとという先入観があまりに強かった。

そして、農業がひらめいた時にも、はたして農業で食えるだろうかと自問自答した。

はっきり食えないと認識したが、それでも農業をしようと思った。

アルバイト収入くらいにしかならなくても、何とかなると思った。

多分自分のことだから、生活がまわらないとわかっても、農業を始めていただろう。

いつも前後の見境もなく、会社をやめたりしていたから。


自問自答していた頃、配偶者が職業についた。

農業をすると決めたのに、

今回の転身に関してだけは2年間も準備期間をもったのに、

なぜか、土に触れることが怖かった。

なぜか、すぐには土に触れたくなかった。

いざスタートしようとすると、

自分がとても落ちこぼれてしまったように感じた。

自分はもっとしかるべき立場にいてもいいのにと思った。

農業を始めることは、とても奇異に見えた時代だった。

もちろん今でもそうである。

現役世代の人が農業を始めると、集落の人は、どうかしたんだろうかと思う。

田舎の人は、農業では食えないと言うことを、

すでに何十年もの間にわたって体感している。

だから、その食えない農業を始めたのを見ると、

頭がどうかしたんじゃないだろうかと想像したりする。

サラリーマンが勤まらなかったのだと想像する。

どうせ、農業を始めても長くは続かないと想像する。

そして、うさんくさそうな目で遠巻きにながめる。

面と向かって、農業を始めた理由を聞いたりしないが、

けげんそうな目で見られていることを感じる。

こういうこともなんとなくわかって、

田んぼに出るのがちょっと気が引けたのだと思う。

でもすでに無職である。

サラリーマンはもうできない。

背中を押されるような気がしたが、それでも田んぼに出る気がしない。

数ヶ月前に農業研修を依頼した方には、まだ教える立場にないからといって断られていた。

ちょっと遠かったが、現代農業という雑誌で知っていた、御津郡 建部町へ研修に行かせてもらった。

家から片道50キロあり、週に何回かしか行けなかった。

優柔不断な日々が1ヶ月半ほど続いた後、家の田んぼに出始めた。

2月末に会社を辞めて3月からスタートしたが、スタートしてからの2ヶ月間ほどが、最も危機的な状況だった。

2~3ヶ月の間に、集落の人の目も、あまり気にならなくなった。

というか、

自分も、集落の人も、「その状況に慣れてきた」のだと思う。

その状況を受け入れたのではなく、その状況に慣れてきた。

4ヵ月後の7月2日に軽四を買ってからは、農業にのめりこむようになった。

その頃から地域の人の目は気にならなくなった。

 

あれから17年と6ヶ月ほどが経過した。

あっという間だったように思うが、

スタートした4年後、父と祖母が亡くなった。

毎日のように田んぼで見かけた集落の人もかなり亡くなった。

短くはない歳月だったのかも知れない。

 

土は自分自身を癒してくれるものだった。

十数年のサラリーマン生活で疲れはてた自分に、安らぎを与えてくれるものだった。

毎日、土と接するようになると、すぐに慣れてきて、癒し効果も薄れてくる。

土の効果よりも、煩わしい人間関係から開放された効果の方が大きかった。

1年もすると、土にあまり感動を覚えなくなった。

慣れると何でもそうなのだろう。

でも、土や野菜が嫌いになったことはない。

自分の収入がアルバイト収入くらいでも、我が家の生活はまわっていった。

本当なら、とっくに農業からのリタイアを迫られていただろうが、配偶者の定期収入のおかげで、農業界から淘汰されることはなかった。

それがいいことだったのか、悪いことだったのか、それは知らない。

自分にはいいことだった。

ホームレスの人は、当人の努力うんぬんに関わらず、いったんホームレスの状態になると、その状況を変えることは困難であると思う。

サラリーマンも、その世界でどうしても続けれない人もいる。その場合、カネになるならないに関わらず、選択した独立自営業である仕事を続けざるをえないではないか。

ホームレスの人がホームレスの状況を脱却できないことと同じく、自分も農業の世界から脱却できなかった。

それは甘えの構造であったかも知れない。

それは楽しい世界だったからかも知れない。

でも自分自身、それなりにベストを尽くし続けてきたことは確かである。

べストを尽くし続けてきたが、自分は農業をカネにする能力が少し足らなかった。

そしていつの間にか歳月が経過して、いつの間にか自分も若くなくなった。

今まで農業を続けれる環境にあったことはありがたいことである。

今後も細々と続けていくだろう。

現在の状況下で、今後も、自分なりにベストを尽くしていくしかない。

あまりよそ見はしない。同年齢の他の人を見ても仕方がないから見ない。

 

土は確かに、人の心を癒してくれる一面はある。

でもそれは、経済的なバックボーンがあってのことである。

 

若い人に農業を勧めることはできない。

農業で生活できるとも思えない。

農業に未来を感じることもできない。

 

45年前まで土の上で生かされていたニワトリは、資本主義の発達で、土から離され、ケージに閉じ込められたまま生涯を終える。

45年前まで土の上で生かされていた人間も、資本主義の発達で、土から離され、まるでケージのような組織に閉じ込められて、現役世代を終える。

 

ケージは、鳥インフルエンザの発生を促した。

組織は、格差と差別の発生を促した。

 

大規模、効率、採算という高度資本主義システムの中で生きるニワトリと人間。ニワトリがこのシステムから開放されないのに、人間だけがこのシステムから開放されるわけがない。



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プロフィール

水田祐助

Author:水田祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在55才、農業歴19年目。農業形態は野菜とハーブのワンパック宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ30羽。25年ほど農業とは無縁だったが、ボクが子供の頃は、家は葉タバコ農家だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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