あめんぼ通信

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

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シューカツ

 ちょっと前に農業を始めたように思うが、15年くらいあっという間に過ぎてしまう。こうやって残りの15年も過ぎていくのだろう・・・その時70才。


 画像があると、画像の説明だけで、その日のブログのスペースがかなり埋まってくれるが、言葉だけだと、目をつぶって、じいっと静かに、気持ちを落ちつける作業をしないと、言葉が出てこない。ただ、画像を入れると、ブログに載せる画像の選択やファイルのアップロードで40分~1時間くらいはかかってしまうので、時間的には言葉だけの更新の方が早い。


 ブログの日々の更新作業は、できれば3時間内で終わらせるようにしたいと思うが、なかなか3時間で終わらない。途中休憩をはさむと4時間ほどかかってしまう。自分の途中休憩は、風呂に入ったり、時々は食後の洗い物をしたり、営業の電話を入れたり、事務処理だったりする。途中休憩をはさんでも3時間ほどで終わらせるようにしないと、翌日の農作業に差しつかえる(昼寝が長くなってしまう)。


 時々、新聞のアルバイトニュースを見る。見ても、たいていは45~50才くらいまでという年齢制限があるから、アルバイトも使ってもらえない。
 30才を過ぎても、きちんとした職場に勤めることができていなかったら、現在の社会では生き辛いだろうなあと思う。そして、30才を過ぎていたら、特別の能力でもない限り、きちんとした職場に勤めるチャンスも与えてもらえないのでなかろうか。とにかくこの国は、新卒の年に船に乗り遅れたら、次の船の便はもうない。そして、現在きちんとした船に乗っている人は、他の船に乗り換えようなどとよそ見をすることなく、その船に乗ったことが運命とあきらめて乗り続けないと、1度降りると、もう次の船はないように思う。
 固まってしまった社会を生きることは、なぜこうも、やり直しがきかないのだろうか。でもこれは今に始まったことではなく、30年前にもすでにこのようだった。


 50代という年齢は、現在の仕事にしがみついて続けていくしかない年代である。よい会社へいっている人も、そうでない人も、高い給与でも低い給与でも、農業でも同じである。止めると、次に働ける場所などない。

 
 自分より2年ほど早く農業を始めた仲間が、17年間農業をした後、57才の時、大阪へ帰られた。「まだ今なら、何とかなると思うし、まだ今なら元気だから働ける」と決断されての離農だった。
 自分もその17年が過ぎた。そして、何ら農業に展望を見出せてはいないが、「離農」という重い決断は躊躇する。一人でなく夫婦で農業をされていたから、二人とも、その意向で一致したのだろう。大阪へ帰るとすぐに二人とも職を見つけて働かれ始めた。去年こちらに来られた時に話していたら、今の仕事の方が農業よりかなり楽だと話されていた。

 
 主がおられた時には、忙しくてなかなか遊びに行くことはできなかったが、今頃になって、その仲間が住んでいた、現在は空き家である家を訪ねることがある。今後の自分のテーマにしたいと思っている「山村の農業」「山村の春夏秋冬」「過疎に生きる人々」を訪ねて出歩くようになったからである。主がいない家の前でじいっとその家を見ながら、この地でその後もずっと年を重ねていくことは、難しかったのだろうか・・・、山深い谷間の集落を「終の棲家」にすることはできなかったのだろうか・・・と思う。



 今、山陽新聞の連載小説は「シューカツ」という、石田衣良・作の就職活動の話である。この連載が始まった時、この連載を読む人は大学3年生の、それもごく一部の優秀な生徒くらいで、そんな少ない読者層しかいないのに、よく山陽新聞が取り上げるなあと思った。そして、第三者の目から見て、やはりこの就職活動というのは、昔も今も、極めて日本的な「奇異」なことに見える。
 連載小説とは別に、今日の新聞に「私の就職活動記」が載っていた。「戦闘服で売り込み」という題だった。

 「よっしゃーっ!!」。携帯を切った瞬間、思わず声がでた。岡山市内の美容院の椅子の上。美容師は拍手し、隣の客は何事かとこちらを向く。
 予定の面接をすべて終え、シューカツ(就職活動)用の黒髪をもとの茶色にカラーリングしている最中の「内定通知」だった。
 大学4年の昨年5月末、この着信で私の「シューカツ」は幕を閉じた。就職活動を始めたのは大学3年の秋。臨戦態勢を整えたのが大学3年の2月・・・。

 
 そしてシューカツQ&Aに、「就職前の準備としては、自己分析、企業研究、就活グッズ(スーツ・靴・鞄など)の準備、SPIなどの試験勉強、履歴書の用意などが挙げられます。一般的に大学3年の10月から大学4年の5、6月くらいまでが就活時期と言えます。10月頃から、就職サイトが一般公開され、年末年始から合同会社説明会が開催されます。2月から5月の間に選考や面接に行きます・・・」こんな記事が載っていた。

 
 これを読んで、なにかおかしい、どこかおかしいと思った。こういう就職活動で、本人の人生が決まってしまい、受かった就職先のレールを60才まで上手に走った人が安定した経済生活を送ることができる。就職後3年以内に止めるであろう3割余りの人を見越して企業は採用し、実際はその計算の元で合格者を決めている。

 
 やはり人生は、よそ見をせず、これくらい計算高く進めないと、安定した生活は保障されないのかも知れない。自分のような者は卒業と同時に脱落者である。でも、自分と同じくらいの年齢層の人は、多くの人が、大なり小なりこのようなレールの上を走り続けている。あっちへきょろきょろ、こっちへふらふらした自分のような人生行路を取った人も少ないだろう。

 
 固まってしまった社会を生きることは、このような就職活動をして、合格した企業が敷いてくれたレールの上を逸脱しないように運転することなのだと思う。

 
 そして現在の日本社会では、レールから外れた人も外れなかった人も、大都市も過疎の山村も、全く同じシステム(例えば年金システムとか保険システム)の中に組み込まれ、全国一律のライフラインというシステムの中でしか生きることができない。これが格差の生じる原因であり、レールをドロップアウトした人が生き辛い源はここにあると思う。

 
 山深い山村を車で走っていて思うことは、資本主義とは、山村や農業を切り捨てて成り立つのだという事実である。


 45年前、庭先の土の上で遊んでいたニワトリは、土から離され、ケージという狭い檻の中でしか生きることができなくなった。


 45年前、土の上で生活していた独立自営農民は、地下足袋を脱がされ、企業戦士に変身を余儀なくされた。


 ニワトリと人間はそっくりの歴史を歩んでいる。土から離された時、ニワトリも人間も激しい疎外感を受ける。でもいつしか慣れさせられる。


 土の上で生きてきた人類3000年のDNAを、魂の奥深くに閉じ込めざるをえなくなった時、「人間疎外」という概念が始めて発生した。それは「土から離された疎外感」だった。



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独立自営の個人事業主も

私は39歳で、公務員を脱サラして、コーヒー豆の焙煎加工業をはじめました。
それから十数年間、いまだに独立自営の個人事業主で、夫婦2人だけで商売を営んでいます。
 
で、この仕事をはじめて十数年、最近になって、ようやく自分の焙煎加工するコーヒー豆に自信を持てるようになりました。
 
農業でも同じだと思うのですが、技術とはそういうものだと納得しています。
サラリーマンの定年は60歳くらいですが、私の場合、定年が無いわけですから、独立自営の個人事業主も悪い仕事ではないと思っています。
 
60歳で定年を向えたサラリーマンが、私程度の技術を習得するのに10年くらいは必要だと思いますから。

  • 2007/08/07(火) 23:28:37 |
  • URL |
  • エカワ #d6vwhNFw
  • [編集]

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プロフィール

水田祐助

Author:水田祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在55才、農業歴19年目。農業形態は野菜とハーブのワンパック宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ30羽。25年ほど農業とは無縁だったが、ボクが子供の頃は、家は葉タバコ農家だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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