あめんぼ通信

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

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ニワトリの淘汰 (2)

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 赤い血しぶきの予科練の・・・そんな軍歌の出だしが、ふと頭に浮かび、繰り返し、唱えるように歌っていた。自分の気持ちを鼓舞するためだったかも知れない。生きることは、他の生きている命を頂くこと。今日、最後まで生き残った21羽のニワトリの首をはねた。

 
 感傷に浸る気持ちなどなかった。自分が手にかけるか、殺すことを他人に依存するか、選択はふたつにひとつしかない。それなら、最後の最後まで、自分の手にかけて、できるなら安楽死できるようにしたいと思った。助っ人のIさんがいてくれたから、自分で手にかける踏ん切りがついた。


 これに先立って、1週間前に2羽のニワトリをつぶして肉にして食べていた。肉はかなりしわかったけれど、もう5年も飼っている「ひいおばあさんニワトリ」にしては、歯でなんとか噛み切れた。肉は食べれなくても料理のだしには十分使えると思った。でもIさんが、とてもしわくなっているので人にあげれる肉ではないと言われるし、ボクも、冷凍庫に肉を保存するにしても、2羽くらいがスペース的に限度と思えた。解体して肉にする手間ひまも考慮して、残りの21羽については、肉にせず、火葬か土葬にする事を決めた。


 1週間前の2羽は火葬にしていた。少し臭ったが、脂分が多いせいか、案外早くきれいに燃えた。翌朝、その木灰を畑に降ろうと思い、フゴに入れていると、足の骨がきれいな「お骨」になっていた。人間の「お骨」と何ら変わりなかった。

 
 案外、火葬が簡単だったので、今回の21羽も自分の心の中では「火葬」と決めていた。土葬だと「かなり深い穴を掘る」というエネルギーが余分にかかると思った。当日の朝は、新調の包丁をおろした。切れない包丁では安楽死できない。よく切れる包丁で、できるだけ手際よく、スパッとやらなくてはと思った。昨日の晩に寝床についてから、まず一番に、オンドリからつぶそうと決めていた。メンドリの1.3倍ほどの大きさだし、後にまわしてはいけないと感じていた。

 
 1週間前に2羽を料理した時に、Iさんからつぶし方の手ほどきを受けていたので、要領はわかっていた。Iさんからは、

(1)羽をはがいじめにしておくと、持ちやすいし、羽がばたつかない。

(2)首の頚動脈を切る時は、包丁の刃先をノコのように使うのではなく、包丁の根元の太い所から、バイオリンを弾くようにスパッと1回で切り落とすようにしないとニワトリが苦しむ。鳴き声ひとつ出さずに安楽死できるように包丁を使うようにと、何回か注意を受けた。

(3)ボクは、羽を「はがいじめ」にすることが、どうもうまくできず、自分のひざで、ニワトリを地面に押さえつけるようにする方法をとった。しかし、ニワトリがばたついて、いくらか返り血を浴びた。Iさんが、自分はスーツ姿で作業しても、服をよごすことなく放血できると言われる。実際、全部のニワトリを処分し終えた後でも、Iさんの野良着には血痕ひとつついていなかった。しかも、自分のように、片ひざか両ひざをを地面につけての姿勢ではなく、ずっと立ったままの作業姿勢だった。

 
 今回は土葬にした。というのはIさんが、火葬は風が出てくると危険だし、21羽もいるから手間がかかる、土葬の方が時間が短縮できると言われた。実際、深さ50センチ、直径80センチほどの穴が、2人で15分もかからずに掘れた。1羽つぶすごとに、その穴に入れた。1人10羽ずつ21羽のすべてのニワトリを処分して穴に入れ、掘り上げた土を戻し、その上に2枚のトタン板を置き、トタン板の上に5キロほどの石を10個以上置いて、タヌキが掘り返さないようにした。8時半頃からスタートして、すべての作業が完了したのは10時前だった。

 
 5年前の時は、一人で9羽をつぶした。あの時は、上手にニワトリを安楽死させることができず、断末魔の鳴き声を何度も出させるような絞め方だった。その鳴き声のせいか、鶏舎の中でニワトリが逃げ回って、つかまえるのにとても苦労したが、今回は、ほとんどのニワトリが断末魔の声を出さないくらい手際が良かったので、エサを少しずつ与えながら、エサを食べに寄ってきたニワトリを1羽ずつ、最後の1羽まで、ごく簡単につかまえることができた。

 
 夕方、からっぽになった鶏舎の中に入った。、激しい戦いの後の静寂な時間だけが時を刻んでいた。ひとしきり、その場に立ち尽くした後、巣箱に残っていた4個のタマゴを取り出した。昨日3時以降から、今朝亡くなる8時半頃までに産み落とされたタマゴである。

 
 殺戮の現場となったユズの木の根元には、乾いた血痕があちこちに見て取れた。つぶし始めるとすぐに、血の臭いをかぎつけたカラスが早くも集まってきて、甲高い鳴き声を出していたが、すでにそのあたりも静寂な空間に戻っていた。

 
 Iさんという助っ人のおかげで、また貴重な経験をすることができた。スーパーに並んだ肉からは、「生きている動物の姿」など想像すらできない。
1世代前には、1~2ヶ月に1羽ほどをつぶして食べていた。それは楽しい仕事(遊び)であり、夕飯には久しぶりの肉にもありつけた。ニワトリを飼う本来のあり方は、最後は肉にして食べることが正しい飼い方である。土葬とか火葬という言葉が出ること自体、不自然な状態である。Iさんも、これは大量殺戮だ、これではエネルギーを浪費するだけだ、もっと飼い方を考えた方がよいと言われる。そして、トリ小屋を半分に仕切って15羽ずつ飼い、しばしば食べながら淘汰の回転を早めると、肉もおいしく食べれるし、タマゴも途切れないと言われる。以前はそういうふうに考えた時期もあり、物置を一部金網にして、いつでもニワトリが飼えるようにしていた。でも、田んぼに農閑期があるように、タマゴも半年間ほどない期間があるとありがたみがわかる。
 ヒヨコと成鶏の二手に分かれると、注意の度合いも半分になるし、家から出る多少の食べ残りをどちらに与えるか迷ってしまう。しかしビジネスなら、タマゴの途切れる期間が長いと顧客が離れる可能性もある。


 1世代前の廃鶏は高価な値段で買ってくれたが、今は逆に引き取り料がいる時代である。
 少羽数では送ってくれないし、中間にニワトリを扱う業者もいないので、自分のような30羽養鶏では、4~5年と長く飼う方法しかない。


 
今は田んぼにニワトリがいない状態である。家から出る多少の食べ残りは残飯扱いになり、収穫したレタスやキャベツの外葉や出荷外品も田んぼにそのままの状態である。今までのように、ニワトリがきれいに片付けて(食べて)くれない。

 
 2世代前には、集落のほとんどの人が農業で自給自足的な生活を送っていたのに、今は誰も農業をしなく(できなく)なった。農業が「生活」だったのに、農業が「職業」になってから、地域の現役世代の人は農業をすることができなくなった。

 
 45年ほど前まで、家の軒先で飼われていた20~30羽養鶏は昭和35年~45年のたった10年ほどの間に、またたく間に姿を消してしまった。それはまさしく、一瞬の通り風のようだった。そして、資本主義概念である、大規模、効率、採算という経営により、ケージというごく小さい檻の中で、10万~20万羽、もしくは100万羽単位で飼われるようになった。

 
 人間も時を同じくして地下足袋をぬぎ、企業組織の一員として働かざるをえないようになった。

 
 いずれの場合も「土」から離されてしまった。人間なら、定年帰農という形で土の上に帰れるチャンスもある。しかし、夢にまで見た大地も、イノシシやシカやカラスが支配する、とても荒廃した自然空間であるということにすぐに気付かされ、愕然とすることだろう。これが今の現実である。

 
 ニワトリも人間もすでに、土の上に復帰することが困難な時代である。土から離された状態は「自然な人間の姿」「自然なニワトリの姿」ではない。でも大多数の人(ニワトリ)はもう、土の上に戻れない。


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プロフィール

水田祐助

Author:水田祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在55才、農業歴19年目。農業形態は野菜とハーブのワンパック宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ30羽。25年ほど農業とは無縁だったが、ボクが子供の頃は、家は葉タバコ農家だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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