
今日は決闘で負けて6日目の朝である。まだとても怯えている。今まで1年以上の間、追い回す立場だったという貫禄は全くない。ニワトリは決闘で負けるとこうなってしまうのだろうか。
元気を取り戻すまで、巣箱の上にエサと水を置いている。画像のようにメンドリが食べに来ると、手で払い落とす。
今朝は、エサを持ってトリ小屋に入ると止まり木から下りてきたので、もう大丈夫かなと思ったら、勝ったオンドリにすぐに見つけられて、追い回されだした。でも腹がすいていたのか、勝ったオンドリの目を盗んでは遠巻きにしてコゴメをついばんでいたが、すぐにまた追い回される。これを繰り返しているうちに、また止まり木から下りなくなった。今まで1年以上の間、追い回されていた怨念でもあるのか、勝った方が「深追い」をする。立場が逆転する前までは、そんなに深追いはされていなかったのに。
あまりびくつかないようになるまで、もうちょっと時間がかかりそうである。

タンポポがちらほら咲き始めた。桜はまだつぼみだが、今日、海沿いの道を走っていたら、桜が咲き始めていた。同じ瀬戸内市でも、海沿いは暖かいのだろう。
(2003年9月)
旧ソビエト連邦では、「コルホーズ」とか「ソフホーズ」と呼ばれる、国営の集団農場が営まれていた。これらの農場では、農業生産性がきわめて悪かったらしい。
(1) いくら生産性をあげても、個人の利益にはつながらないという社会制度的な理由。
(2) 細分化された「分業」が進み過ぎていたこと。
(3) 過度に機械化を推し進めたこと。
の3点が、その大きな理由ではなかろうか。
コルホーズとかソフホーズと言えば、もう40年ほど前に中学校の社会で習った言葉で、当時としては、画期的な「農業経営」とみなされていたが、農業生産性は全く上がらなかったと、何かの本で読んだことがある。今ごろになってまた、その話を思い出し、自分の独善と偏見で、その理由を考えたのが、上記3点である。特に、(2)の理由が、労働生産性を著しく低下させたと思う。つまり、細分化された分業とは
(1) 耕したり、肥料を施す人
(2) 種を蒔いたり、植えたり、水をやったりする人
(3) 草取りや中耕をする人
(4) 収穫する人
(5) 仕分けや出荷作業をする人
(6) 納品書や各種事務処理をする人
(7) 配送する人
というふうに、農作業が、ごく細分化されて、1人の人が同じことばかり、繰り返すようなシステムだったと思える。これは一見、とても効率のよさそうなシステムに見えるが、一つの作業を3~4時間ぶっ通しでやることは、かえって非能率ではなかろうか。一つの野菜の成長過程から収穫までの全体像を把握できず、自分が単なる歯車の一つであり、いつでも、誰にでも、とって変えられる存在となり、現在の資本主義社会の企業組織と同じようなやり方が、農業現場に取り入れられたため、労働意欲を見失っていったのだろう。
(3)の過度に機械化も、やる気をなくさせる原因である。足を地につけた農業こそ、全身で喜びを受ける。機械に乗ってする農業は、確かに効率はよいのだろうが、そのスピードや効率から、人間疎外を受ける要因となる。農業は、第2次、第3次産業のように、採算やスピードや効率だけを追い求めるものではなく、内面の深い欲求(土に帰依したいという人間の遺伝子)を満たそうとする行為でもある。
とにかく、過度の分業や過度の機械化は、農業現場に携わる人の労働意欲を喪失させる結果となった。これでは生産性はあがらないのは当然である。
農業は、土地を私的に所有した独立自営農民が、農作業の起承転結にすべてかかわり、機械にあまり依存しないことが、結局のところ効率的であり、生産性も上がるように思う。
旧ソ連のコルホーズやソフホーズは、それ以前の社会制度下の独立自営農民のやる気を著しくそいだと言えるが、今世紀に入って、「キューバ」が脚光を浴びている。
キューバは、自由の女神、アメリカ合衆国に、多くの共産主義難民を送り出し、ケネディ大統領の時代の、あの「キューバ危機」を乗り越え、ソ連の崩壊、東欧の崩壊、に直面しながらも、政治体制を維持し、今また、その農業システムが注目を集めている。
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