あめんぼ通信

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

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あばれ火

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 これは6年前の3月に知人にホームページを作成してもらった時、ホームページに載せた作文の一つです。ブログのあめんぼ通信を始めてから、ホームページのあめんぼ通信は削除したので、ボクのホームページをご存知の方は読まれたことがあるかもしれません。実際にこの作文を書いたのは、1993年の2月で、今から14年前のことです。父はこの火事騒ぎの1年後の2月に亡くなり、その3ヶ月後の5月に祖母も亡くなりましたが、祖母は火事騒ぎの前後から痴呆が進み、息子の死を、何のことか理解できませんでした。
 


 熱い、熱い、早く来て・・・もうだめ・・・、母はそう叫んだのかもしれない。
 今ふりかえってみても、その現場への到着があと1~2分遅れていたら、家はどうなっていたかわからない。一瞬、上を見上げた時、ボクは「もうだめだ」と思った・・・。祖母の部屋にいた父に火事だと知らせ、妻にすぐ消防へ電話するようにいい、風呂場の煙突のある棟続きの2階にかけあがり、、寝入りばなの子供2人を起こし、大急ぎで家の外に連れ出した。時刻は、9時15分だったか、17分だったか・・・。妻にはすぐ隣近所に連絡するようにいい、ボクは、現場で「火事だ・・・」と大声で叫んだ。すぐそばの、堀池(防火用水)のたまり水をバケツで、今やおそしと燃え盛ろうとする屋根のひさしめざして、ぶちかけた。間髪を入れず、近所の人がかけつけてくれ、父が納屋からハシゴを出してきた。ボクはハシゴにかけあがり、堀池からのバケツリレーの水を受け取り、怒り狂おうとしている風呂場の煙突のある屋根の火の手に向かって、しゃにむに水をかけ続けた。反対側から屋根にあがった父は瓦をめくった。その瞬間、火勢が出口を求めて、ぱっと夜空に舞い上がった。それに向かって、父はかぶせるようにバケツの水を浴びせた。
 あとどのようなバケツリレーがあっただろう・・・20回か30回か・・・その間5分あるいは15分ぐらいだろうか・・・。消防のうなるようなサイレンがボクの耳に到着したころ、火の手はその勢いを弱め、もはや、やさしい下火となっていた。
 
 一生のうちで忘れることのできない事件・・・2月11日、夜中の9時過ぎ・・・もうじき1ヶ月がくる。
 我が家はそれまで風呂焚きをしていた。電気温水器もあり、湯も出るようになっていたが、下から焚いた湯はさめにくく、なかば習慣的に風呂を焚いていた。燃やすための割り木はいくらでもあったし、父にとっては、そんなに手間な仕事でもなかったから。
 
 台所の風呂場を改造して11年、その時に煙突の位置も変えていた。以後今日まで、ほとんど毎日、風呂を焚き続けてきた。11年間どうもなかったのに、今になって、煙突が過熱し、その周囲の「たる木」が燃えるとは想像もしなかった。しかし、結果的に見ると、この11年の間に、少しずつ、少しずつ、周囲の「たる木」を炭のような状態にしていったのかもしれない。あるいは、2週間ほど前に、父が、煙突掃除をしたと言っていたので、その時、煙突が微妙に動いたのかもしれない。日頃、火の元に神経質であり、ガスの元栓とかストーブなど、いちいち確認しないと寝れない性格ではあるが、風呂場の煙突が過熱して、火事になるなど、考える余地もなかった。しかし、火災原因として、そういう事例も多いということを、後で聞かされた。
 
 父はいつも夕方6時過ぎには焚き始め、7時頃にはたいてい湯がわいている。火事を発見したのは9時15分がまわっていたので、その間およそ、3時間ほどくすぶりながら、じわじわとおごり、火勢がつく一歩手前だったように思う。この時点で火を抑えることができた幸運が二つあった。そのことを身にしみて感じた。
 一つは、昔の造りだったので、瓦の下も土、壁も土壁だったことが、台所の天井へ火がまわるのを防いだということ。翌朝、焼けた風呂場の屋根に上がってみたとき、土壁が火をとどめたということが、はっきりみてとれた。近所の人もそのことを指摘した。
 もう一つは、当日(2月11日)の夜、風がほとんど吹かず、その時間帯7時~10時の間、まったく凪いでいたということ。この自然環境の幸運が、最小限のボヤですますことができた一因である。確か、その2日後だったと思うが、寝床に就いたとき、家のそばの竹やぶが、ごうごうと吹き荒れているのを耳にした。これが2日前だったらと思うと身震いした。例年なら、この時期、毎晩のように激しい季節風が吹いている。この二つが、風呂場の天井の屋根を畳1畳くらい焼いただけですますことができた理由である。
 
 焼け跡は、軒にそって、きれいな長方形をしていて、火がほとんど、あばれていなかった。もう一つ付け加えるならば、火事の発生した時間が、夜9時ごろであり、まだみんな起きている時間帯であり、近所の人がかけつけてくれるのが早かった。
 
 1月、2月という月は、空気が乾燥していて、火災が発生しやすく、新聞にも時々載っているが、同じ煙突火災でも、夜の12時、1時の発見では(この月に岡山県で2例あった。どちらも全焼だった)逃げるのがせいいっぱいだったかもしれない。
 
 翌朝、近所の人が、お見舞い方々、あとかたづけにきてくれて、その焼け跡をみながら、「よう、ここで、おさえられた・・・」と言ってくれた。
 出火した事実はさておいて、あの時点で発見できたということは、その日、家族みんなが家にいて、父や妻、そしてボクのバイオリズムもよかったからのような気がしている。
 
 ボクの家は、敷地だけは、だだっぴろくて、納屋の一部を改造した部屋で祖母が寝ている。その日、父はそこでテレビを見ていた。妻は友人と長電話の最中だった。ボクは母屋と離れた私室で、そのころようやく10本の指で打つことができるようになったワープロがおもしろくて、毎晩8時過ぎから、10時ごろまで早打ちの練習をしていた。9時ごろに、母屋の方へ戻ったのは、伊丹市から、顧客の紹介状を頂いていて、宅配の案内を送るため、住所を書いた手紙をとりに行くためだった。
 取りに戻った時、なにか、ものがこげるような、異様な臭いがした。なんじゃろうか、この臭いは、と思いながら、その原因をさがしているうちに、妻も電話が終わり、「さっきから、変な臭いがするんじゃけど・・・」と言う。おかしいなあと思いながら、台所、隣の部屋、子供が寝ている部屋と見回ったが、それらしい原因がみあたらない。でも臭いがあまりに異様なので、ボクはなお原因をさぐりに、家の外に出た。おかしいなあと思って、門の方へ行ってみたが、別に変わったふうはない。今度は裏の方へまわってみた。堀池(防火用水)のそばを通り、風呂の焚き口を行き過ぎようとしたところ、10円玉ぐらいのものが、1~2個、赤々と光っている。はは~ん、これは、父が風呂の焚き口をきちんと閉めていないなあと思いながら・・・(風呂の焚き口を閉めていなかったのではなくて、風呂場の煙突の、天井周囲のたる木が過熱で燃えて、それが炭火となって、下に落ちて、赤々と光っていたのだった。火はすでにそれくらい進行した状態だった)、その時、ふと上を見上げて、動転、はっきりと、臭いの源と、火事を認識させられた。
 
 発見後、すぐさま取った行動は、いつもの自分に似合わず、落ちついていたなあ・・・と思う。これが、「火事場のばか力」だろうか・・・。風呂の焚き口のすぐそばには、堀池(家では、「ほりけ」と呼んでいたが、正しくは、「ほりいけ」なのかもしれない。1メートル50センチ、4メートルくらいの長方形で、深さ20センチくらいの防火用水。昔はどこの家にもこれがあった)があり、これが、防火用水の役目をきちっとはたし、初期消火が見事にできたといえる。
 
 このあたりでは、もうほとんど風呂焚きをしなくなっているが、年寄りのひま仕事として、風呂焚きをしている家も、まだちょこちょこ見受けられる。
 その晩は気持ちが高ぶって、なかなか寝つけなかった。子供もたいそうこわがっていたようだが、あれほどの騒ぎにも祖母は何も気づかず、いつもと同じ朝を迎えたようだった。
 あれから風呂を焚くことをやめた。
 その後、妻もボクも、ちょっとした臭いにさえ意識過剰になり、なにかと神経質になっている。
 母の死後6年余り、これで母も深い眠りについて、あの日のように、自分を導いてくれることはもうないかもしれない。

(注)これは野菜とは関係ないことですが、自分の記憶として書いておこうと思った。あめんぼ通信は自分の生活の一部だから。
(1993年、2月)



 補足として、我が家の全体像をアップしました。


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 左の画像は、道から見た我が家です。青い瓦屋根が自分の私室で、中央が築56年の母屋、右に納屋です。
 真ん中の画像は、左の画像から20メートルほど右に移動して写した画像です。シャッターがあるのが、農業用軽四を入れる車庫です。正面の小屋は納屋の右隣にあり、45年前はは牛小屋でした。牛小屋の一部がニワトリ小屋であり、かどの一部がニワトリの遊び場でした。
 右の画像は、かどから見た車庫で、道のそばに竹やぶがあります。車庫は45年前は豚小屋でした。


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 上記3画像で、我が家の概観がわかると思います。納屋はかなり古いです。はっきり聞いていませんが、築80年は過ぎていると思います。




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プロフィール

水田祐助

Author:水田祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在55才、農業歴19年目。農業形態は野菜とハーブのワンパック宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ30羽。25年ほど農業とは無縁だったが、ボクが子供の頃は、家は葉タバコ農家だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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