あめんぼ通信

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

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新天地を求めて (2)

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 津山線福渡駅着8時26分の待ち合わせだった。数日前に電話で、家主の奥さんが「私もついていって、家の中を案内してあげます」と言ってくださったので、2人でWさんを待った。駅から出て来られた方は背が高く、細身で、首から空気清浄器のような器具をさげていた。福渡駅から国道53号線を北上して「川口」という標識で左折して、岡山三大河川の一つ旭川沿いに5キロほど走ると右手に郵便局があり、そこを直角に右折して1キロほど行くと「和田北」の標識があり、そこを左折すると登りに入る。標高400メートルほどの山の中腹まで6キロほど登ると、めざす角石畝の集落である。15年前に何度も走った道だったので、大体の道は覚えていた。当時からすでにMさんの自宅近くまで全線舗装だった。懐かしかったので、家主さんの家を訪問する前にMさんの家を訪問させてもらった。15年の歳月は屋敷の風化をもたらしていた。奥さんが倒れて空家になってからすでに12年が経過しているのだから致し方ないのだろう。農作業の合い間によくお茶を頂いた玄関横の部屋もカーテンが引かれていた。Mさん宅に隣接したお隣の家はもっと崩れかかっていた。その家の住人は、ボクが研修に行かせてもらっていた時にすでに山を下りて福渡駅の周辺に家を新築されていて、週末だけ農業をするために上って(登って)来られていた。たまたま今日も上って来られていたので立ち話をしたが、15年前に何度か話をしたことはすっかり忘れておられた。Mさん宅の屋敷まわりを歩き始めたが、夏草が深くて前に進めなかった。屋敷の門先から、はるか前方に見渡せた絶景も、今は門先の木が高くなって、ちょっと見晴らしも悪くなっていた。紅葉にはまだ1ヶ月半ほど早かった。

 
 来た道を少しバックして200メートルほど車を走らせると目的地の家主さん宅である。15年前にMさんに集落を案内してもらった時には車の窓から見ただけだったが、今日はその場所に車を止めて降り立った。一昔前の田舎でよく見受けられた玄関先だった。屋根は瓦屋根ではなく、ワラ屋根をアルミトタンで囲んでいた。土間の玄関が広く、茶飲み台が置かれていた。来客があっても地下足袋のままその椅子にすわって茶飲み話ができるようになっていた。玄関の隣は応接間に改造されていたが、以前は「牛まや」だったらしい。玄関の隣の、家人の目が最も行き届く特等の場所に「牛まや」があったというのは、どこの田舎でも同じである。南向きの縁側は日当たりがよく、お年寄りはここに座って、過ぎ去りし日々のことなどを思い浮かべながら、うつらうつらしていたのだろう。ずっと以前は「カイコ」を飼っていたらしく、家の2階部分は「オカイコさん」の部屋になっていた。1年半ほど前にご両親が相次いで亡くなられてから「空き家」になったが、まだ期間がそれほど経過していないので、別段どこも傷んではなく、掃除をすればすぐに住めると奥さんが話された。母屋の東側に納屋があり、納屋から母屋の北側にかけて竹やぶがあるので、この竹やぶを少し整理すれば、家全体がもう少し明るくなり、風通しもよくなるだろう。ただ、竹やぶが近いので「やぶ蚊」が多いらしい。

 
 ご両親が亡くなられてから、始めて上った2階の「オカイコさんの部屋」から、代々の家系図を書いた巻物が見つかり、十数代続いてきた家系らしい。Mさんのお墓参りをさせてもらった時も、お隣の家の墓石に17代と彫られていたので、この集落の歴史はすでに500年以上に渡って続いてきた様子がわかる。20世紀後半の高度な文明の進歩さえなければ、炭焼きを中心とした自給自足の山村暮らしが、この先まだ幾世紀も続いたと思うが、文明によって、それまで数百年に渡って延々と続いてきた自給自足の生活が破壊されてしまった。カネを稼がないと電話代、電気代等のライフラインや国民年金、国民健康保険、生命保険、火災保険、車両関連費等の固定的支出が払えない。大都会に住んでいても、このような山村に住んでいても、生活にかかる経費は何ら変わりない。

 
 田舎で自給できるものは、すでに何にもない。野菜や米は経済的側面からだけ考えれば、作るより買った方がはるかに安いシステムの中に田舎の人も住んでいる。カネがないと田舎(山村)でも生きていけなくなっている。田舎は賃仕事の場所が少ないから町に働きに行かざるをえない。都市近郊の田舎在住なら賃仕事に通勤できるが、山村では通勤ができない。

 
 人家は100~200メートルほど離れて、2~3軒ずつ、あちこちに点在している。
この角石畝の集落はすでに空き家が多く、住人の平均年齢も70代の半ばらしい。このまま経過すれば、いずれは廃村になってしまう。集落で道普請(道沿いの草刈り等)をするにも人手が足りないこういう村では若いWさんの入植は歓迎されるだろう。友人のNさんが和気町に入植されたのは40代の半ばだったが、Nさんは農業以外にも収入の道を確保する生活力があった。角石畝はアルバイトをするには少し不便な土地である。でもWさんは以前の入植地で6年ほどの稲作と野菜の農業経験がある。四万十川源流域と角石畝は気候がそれほど違わないらしい。初霜の降りる時期は角石畝の方が遅いらしいので、ここの方が多少暖かいのかも知れない。

 
 初めての訪問地「角石畝」で、Wさんは何を感じて帰ったのだろう。ボクとの出会いがなければ、角石畝はWさんにとって縁もゆかりもない土地だったはずである。実際、Wさんの新しい入植地に関して、ここまで深く自分が関与する事になるとは思ってもいなかった。Wさんが自力で捜すだろうくらいに思っていた。でも何か自分を動かすものがあった。ほとんど関係がなくなっていた角石畝が、何回も頭の中で素通りした後に止まった。電話をしたのは9月10日だった。今日は10月1日だから、ほんとにとんとん拍子だった。あとはWさんの決断待ちである。早急に結論は出さず、後悔の残らないような選択をしてくださいと家主さんが言われていると電話で伝えた。

 
 農業をスタートする前、36才の時、初めてこの地に足を踏み入れた時、「お化け」でも出てきそうな山奥に感じた。家主の奥さんも今日同じ言い方をされたのが、おかしかった。でも今回は山奥と思わなかった。それは自分がいろんな山奥を経験してきたからだと思う。同じくらいの標高にある、備前市 吉永町 加賀美、それに赤磐市 吉井町 是里、そして御津郡 建部町 角石畝と、初めて訪問した時は、いずれの場所にも度肝を抜かれた。平野部に住んでいることは、それに比べれば、ぬるま湯につかっているようなものである。

 
 自分の場合は、家つき、土地つき、農具つき、先生(父)つきだったので、農業をしようと思いつきさえすれば、いつでもスタートできる環境にあったが、農業では生活できないというのは衆目の常識だった。スムーズに企業組織の一員として溶け込んでいける自分であったら、生きる事にこんなに苦労を背負い込まず、家族を落胆させ、不安と失望の道連れにする事はなかったのにと思う。結局自分の場合、企業組織では勤まらないという絶望的状況に追い込まれるまで、農業が脳裏にひらめくことはなかった。明日の自分が見えなくなった時に始めて農業という職業の選択肢もあることに気づいた。

 
 他の人もそれぞれ、いろんな形で農業と出会ったのだろう。でもWさんのように非農家出身なら、まず入植地の選定をする必要がある。これが第一の大きなハードルである。いろんな出会いや、何かのきっかけで入植地が決まる。一度入った入植地を出て、新たな入植地を探す人は少ない。最初の入植地を運命的なものとして根を生やそうとする。もう一度入植地を探すエネルギーや時間は多くの入植者には残っていない。

 
 自分が時々会っている農業者の多くは入植者である。元々の農家(田舎)の人は農業をしなくなった(できなくなった)ので、農業をしている現役世代と言えば入植者が多くなっている。縁もゆかりもない土地で農業を始めるにはタフな精神がいる。彼らはゼロから、自分には家も土地も農具も地域の人間関係も備わっていたのだから。でも農業人生は同じく30年ほどである。自分には農業後継者はいないし、入植者にも農業後継者は見受けられない。どちらも同じ一代限りの農業を展開している。


 北海道開拓農民、満州農業移民、南米農業移民、それぞれが苦難の歴史として記録されている。そして現代版、山間地(過疎地)への農業移住(入植)。自分には真似が出来ない。

 農業を選択せざるをえなかった、止むにやまれぬ理由・・・、そんなところに共感して訪ねて行く。


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コメント

こんばんは。いろいろあるんですね。皆さんいろんな選択肢があって、その中で、それを選んでおられる訳ですね。

  • 2007/02/10(土) 19:20:34 |
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プロフィール

水田祐助

Author:水田祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在55才、農業歴19年目。農業形態は野菜とハーブのワンパック宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ30羽。25年ほど農業とは無縁だったが、ボクが子供の頃は、家は葉タバコ農家だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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