あめんぼ通信

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
このページのトップへ

リレーゾーン

20070207002839.jpg  20070207002951.jpg  20070207003527.jpg

 父が72才、73才、74才の時、もう残された時間は少なく、最後の追い込みの状態に入っており、まもなくタスキの受け渡しが近かった。でも父は、そのタスキの受け渡しゾーンに、タスキを受け渡す人を見つけることができなかった。まだ誰も待機していなかったのである。その時、突然、受け渡しゾーンに36才のボクが立っているのが見えた。37才、38才、39才のちょうど3年間だけがタスキの受け渡しゾーンだっ た。タスキを受け渡す人がいなかったら、そこでタスキはつながれることなく投げ出されていたはずである。父にとって、タスキの受け渡し(つまり農業技術の受け渡し)ができたことは、喜ぶべき事だったのか、悲しむべき事だったのかそれは知らない。でもボクの場合は、間一髪の差で、タスキが落とされることなく自分の肩に渡ったので、1~2年の時間ロス(技術習得ロス)をしなくてすんだ。36才の終わり頃、農業に飛び込み参入をしていなかったら、もう少しぐずぐずして時間が経過していたら、父の死に間に合っていなかっただろう。


 
 それまで20年以上の間、自分は農業とは無縁の生活をしていたし、手伝いもしなかった。手伝ってくれとも父は言わなかった。だから、田んぼの場所さえ、すでにどこが自分の家の所有田であるかさえ、はっきりとわからなくなっていた。小学校の頃までは、田植えや稲刈り、天日乾燥のムシロをしまうのを手伝っていたと言っても、それからすでに25年ほどが経過していたのだから。


 
 ナスビやピーマンはどういうふうなかっこうで成っているのか、ジャガイモやタマネギはどのようにして収穫するのやら、ニンジンやダイコンはいつ蒔くのやら、皆目わからなかったし、知ろうともしなかった。当時は、農業は年寄りになってからするものだと思っていた。

 
 働く場所がない・・・、どこに行っても続きそうにない・・・、何をしたらいいのかわからない・・・、この先どうなるのだろう・・・と絶望的な状態に追い込まれていた時、突然脳裏にひらめいたのが農業だった。この時始めて、2年間の準備期間を持った。わずかの貯金も底をついていたので、とにかく100万くらいはためないと、身動きできなかった。35才と36才の2年間である。

 
 一応、農家の長男でありながら、農業の事は全くの白紙だった。就農準備期間中も、父がしていた稲作と少しの家庭菜園は全く手伝わなかったし、農業をするとも言わなかったので、会社を辞めてからすぐには、家の田んぼに出るのが、なぜか怖いような気がした。近所の人の目もいやだった。でも背中を押されるような気持ちになって、田んぼに出るようになってから1ヶ月もするうちに周囲の状況に慣れてきた。最初はけげんそうに見ていても1~2ヶ月もすれば、自分も周囲も、その違和感に「慣れて」くるものである。スタートした3月、4月、5月、6月あたりが、一番きわどい状態だった。農業をする上で危機的状況があったとすれば、自分の場合はスタート時点のこの4ヶ月だけである。7月2日に農業用軽四を買い、それ以降は農業にのめりこんでいくことができた。田んぼのありかを確認したり、持ち山の境界線を覚えたり、草刈機を始めて使ったり、カエルやバッタに感動したり、とにかく情けない、とんでもないレベルの「農業後継者の出現」だった。父は細々と自給用の家庭菜園と50アールほどの稲作を続けてきていたので、たいていの野菜の作り方は知っていた。自分にはそれで十分だった。

 
 でも、早くも今度は子供へのバトンリレーを視野に入れる必要にせまられている。すでに53才。自分が農業をスタートした時、父は72才。つまり、あと20年ほどでリレーゾーンに入ってしまう。リレーゾーンに入っても、自分の場合もタスキを渡す人がいなくて右往左往するかもしれない。自分がリレーゾーンに入った時、長女は42才、次女は40才。その年まわりになると、自給用の野菜ぐらいは作ろうと思い始めるかもしれない。こればっかりは、本人がする気にならないと、はたの者が、やいのやいのと騒いでも農業はできない。土に対峙した時に、癒されるかストレスを感じるかは、人それぞれである。

 
 
父の亡くなった年令から考えて、自分も後20年ほどしか農業はできないのだなあと思う。死は突然来るかも知れないし、ガンの告知のように、余命がある程度はっきりした期日指定になることもある。その時に泣き叫んだり、取り乱したり、世間や社会を恨んでみたり、自分の運命をひがんで見たり、誰かに八つ当たりもできない。死を受け入れていく・・・それは無理。受け入れられない。その時になってあわてふためかないように、こうやって、せっせと作文を書いておこう。


 30代の半ば頃まで、お粗末過ぎるほど行き当たりばったりで、農業を始めてからは、がむしゃらにやってきたが、この職業はカネには縁のない職業だった。でもすでに長女も次女も働き出した。ボクは今まで以上に、自分の目の前のハエを追い払うだけでよくなった。ライフラインの支出を追っかけることと、野菜以外の食費の支出を追っかけることである。でもこれでは今までと同じく貯金通帳に残高が少ない状態が続く。農業に定年はないので、元気でいさえすれば65~70才くらいまで出荷野菜を作り続けることも可能であるが、リレーゾーンに入るまで自分は働き続けなければならないのだろうか。ナムアミダブツ・・・ナミアミダブツ・・・

あなたの一票が、農業ルポライターへの
道を開いてくれます→
ranking
スポンサーサイト
このページのトップへ

コメント

こんばんは。リレーゾーンは今までの中で最も興味をそそられました。

  • 2007/02/07(水) 22:27:50 |
  • URL |
  • #-
  • [編集]

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://terayama.blog57.fc2.com/tb.php/181-da8b9fc5
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
このページのトップへ

FC2Ad

プロフィール

水田祐助

Author:水田祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在55才、農業歴19年目。農業形態は野菜とハーブのワンパック宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ30羽。25年ほど農業とは無縁だったが、ボクが子供の頃は、家は葉タバコ農家だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

最近の記事

最近のコメント

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

QRコード

QRコード

リンク

このブログをリンクに追加する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。