あめんぼ通信

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

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ふるさと色川 ④

廃村とアイデンティティ 

  夜の飲み会を2回もセットしてくれて、この地域をくまなく案内してくれて、2泊3日の貴重な体験をさせてくれたOさんに、心から感謝しながら、大野集落、口色川集落を後にした。途中、小阪集落の丘の上から、はるか遠方に見渡せた田垣内集落、坂足集落、大野集落は、真昼の太陽を浴びて、まるでパノラマのような光景だった。「ふるさと 色川」のホームページ開設者が、めざす集落に到着する前に、「決めてしまった」「あ、ここだと思った」とインスピレーションがわいたのは、今自分が立っている、この丘から見た「ふるさと 色川」ではなかっただろうか・・・。

 昼は、Oさんに勧められて「まぐろ丼」を食べ、2時発の電車にはまだ時間があったので、湯川温泉に行った。その後、鯨の町、太地をドライブして、展望のよい岬まで案内してもらった。そして、もうあまり時間がないと思いながら、この旅の道先案内人、Oさん自身のことについて、あまりお聞きしていないとあせりながら、Oさんの了解を得て、最後にもう一度、Oさんが、「ふるさと 色川」にやってきた理由を聞かせてもらった。

 Oさんは、高校では登山部、大学では山岳部に所属し、近くは大山、遠くはネパールからエベレストのベースキャンプまで登ったと言われる。大学時代から、アルバイトで、ビルの窓ふきをしていた。一番高い所では、ゴンドラに乗って、霞ヶ関ビルの36階の窓をふいたらしい。10階くらいの窓ふきが多かったと言われる。各国大使館の窓ふきも多かった。山岳部とか、森林組合の木の上での作業など、高い所を苦手としないのが、この窓ふきのアルバイトでよくわかった。ボクは、自分の家の2階の屋根に、足が震えて上がれない部類だから、森林組合など勤まりそうもない。卒業後は、就職する気持ちがなく、ずっとアルバイトを続けてきた。その当時は「フリーター」という言葉はまだ使われていなかった。だから自分は、現在のフリーターの草分けだと話された。「定職につく気がしなかった」と聞いて、規制の秩序やモラルにそわない概念や価値観を持つ、一介の自由人なのだと思った。36の年まで、都会で、そのような暮らしを続けていたが、このまま、都会に住み続けても仕方がない・・・と、以前に山岳関係の本で見た「炭焼きで食っていく方法を教えます」の案内を出していた、和歌山県木炭協会の副会長をしておられたMさんを訪ねた。若い頃に山岳部にいて、木や森や山が身近にある生活をして来られた方が、今でいうフリーターをしながら、36の年まで、あのコンクリートジャングルに踏みとどまっていたのは、田舎に比べて大都会の空間の方が「自由人」としての立場を保持できる空間であったのだと思う。36という年は、自分が農業に転身した年と同じである。Mさんの所へ入門してから、たった3ヶ月で「お前はもう卒業だ」と言われたそうである。それはOさんが、たった3ヶ月で、炭焼きで最も重要な「かまつけ」を理解(習得)したからである。「かまつけ」とは、「炭化が始まることを言い、それ以上「口だき」をしなくても、言い換えれば、「口だき」を止めるタイミングのことを言う。それは、炭人の「カンの世界」であり、そのカンを、Oさんがごく短期間に習得したことを、Mさんが見逃さなかったから、「卒業」という言葉になったのだと思う。Oさんの、七輪の会(炭焼きを生活に取り戻す会)の小冊子では、その「カンの世界」の「かまつけ」を、煙の色や、焚き口のレンガに現れた兆候から、「視覚で判断」できることを教えてくれる。

 そのMさんが、次への旅立ちのレールを敷いてくれた。その後3年間、三重県の山中で暮らすことになる。三重から、ここ色川に住むことになった経緯も聞いたのに、メモにも記憶にも残っていない。色川に入植したのは、奈良県の十津川の山中で、自給自足の生活をしていた、Sさんという大学時代の友人がいて、そのSさんは、以前、「オレたちの屋号は共同体」の、島根県の弥栄村に住んでいたことがあり、その弥栄村で3年間ほど暮らして、現在は色川に移住されているTさんを紹介された。そのTさん訪ねた時に、入植希望者として紹介され、その場にいた何人かの人が、すぐに、空き家などを案内して見せてくれた。その空き家に、まだ「クド」があったことが、とても気に入ったらしい。自分たちの年代(50前後)は、「クド」が記憶に残っている、最後の世代でもある。我が家にも10才の頃まで「クド」があった。小学校3年か4年の時に、我が家にプロパンガスが入った。始めてガスの火を見た光景を、今でも思い出すことができる。だから、「クド」が気に入ったということが、自分にはよくわかる。とんとん拍子に話が進み、翌日にはもう引越してきて、みんなが手伝いもしてくれた。この地の人たちが、とても親切に迎えてくれたことがうれしかったと言われる。決まる時は、こんなふうに、何かのきっかけで、とんとん拍子に進むものかも知れない。考えて、計画して、また思案して・・・というのは大切であるが、とんとん拍子というのも、前に進むきっかけであると思う。当地に入植して、この春で、丸十年が来ると言われる。

 温泉と那智の滝で有名な紀伊勝浦は、特急でも新大阪から3時間半という時間がかかる。往復すれば1万2千円ほどかかる。そして、温泉と滝はよく知られているが、そこから車で30分の色川集落のことを知る人は少ない。温泉につかって、那智の滝を見学するという、お決まりの観光コースをめぐる旅で終わる。縁あって、「ふるさと 色川」を旅することができた。慣れ親しんだ地域や、人間関係や、仕事を捨てて、このような山村に移住してくるのは、通常の価値観とは違った価値観を持つ人たちである。しかし、「ふるさと 色川」に住み続けるには、生活の糧をどこからか得る必要がある。継続して住み続けることは安易ではないと思う。桃源郷など、どこにもないのではなかろうか・・・。住んでいる地域とか場所とか、田舎とか都会とかに関係なく、自分の心の片隅に桃源郷は宿していると思う。それが自分にとって何(どこ)なのか、最後の行程(死)まで、探し求めていくのが人間なのだろう・・・。

 日本各地の山村集落においては、すでに、集落としての機能が維持できないくらい、若い人や子供がいなくなっている。廃村の危機に直面している。このような集落は、必然的に、定年帰農や現役帰農を受け入れるべく、そのための活動を起さざるをえないだろう。そうしなければ、自分自身のアイデンティティも、廃村という事態によって、失われていくだろうから。全国の先駆例が、この色川地区である。都市住民が作る「新しき村」づくり・・・また訪ねてみたい。

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プロフィール

水田祐助

Author:水田祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在55才、農業歴19年目。農業形態は野菜とハーブのワンパック宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ30羽。25年ほど農業とは無縁だったが、ボクが子供の頃は、家は葉タバコ農家だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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