あめんぼ通信

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
このページのトップへ

ふるさと色川 ①

安住の地を探し求めるさすらい人 

 4時2分発、スーパークロシオ30号に乗り、列車は一路、新大阪をめざす。今、串本を過ぎたあたりを走っている。一歩、また一歩と、南紀、紀伊勝浦から遠ざかって行く。2泊3日の印象深い旅になった。4年ぶりの県外への旅の、夢をふくらませてくれた、OさんとNさんに感謝しなければならない。

 那智勝浦町の、大野と口色川という2つの集落には、30代、40代、50代の現役帰農と、60代からの定年帰農の都市住民が、40家族以上も移り住んでいる、全国的にも特異な集落である。なぜ都市住民が、この地をめざして、こんなに移り住んでいるのかリポートしてみたかった。

 自分は36才で脱サラした、農業歴14年の、農家育ちの長男である。20年ほど農業から遠ざかっていたが、家つき、土地つき、農具つき、先生(父)つきという、都市住民からみれば、ごく恵まれたスタートだった。だから後は、「売り先」を探すだけでよかった。しかし、この地(色川地区)をめざして入植してくる人々は、家なし、土地なし、農具なし、先生なし、の都市住民である。

 ふるさとの地を離れて・・・、いや、この人たちには、元々ふるさとがなく、安住の地を探し求める、流浪の民であるのかも知れない。そして、何らかの情報で、この色川地区を知り、この地にとどまり、ちょっと一息、羽を休めている・・・。自分の居場所(死に場所)を探す求道者なのかも知れない。自分は農家の長男として生まれた運命上、ふるさとを最初から背負っていたので、自分のふるさと(居場所)を探し求める流浪の旅に出る必要はなかった。この地に足をとどめた都市住民は、当地に「ふるさと 色川」を作ろうとしている。だから、立場があべこべである。考える「起点」も異なる。ボクは、自分のふるさとを、いい所だと思ったことはあまりない。風光明媚な場所とも違う。地域に住む人にも、親しい人はいない。生まれ故郷が好きでないからと言って、嫌いな所でもない。好き嫌いを超越した場所である。この地から離れてしまうと、自分のアイデンティティは根こそぎに崩れてしまう。この地を起点に発信して、この地を起点に出かけて行き、そして、必ずこの地に帰ってくる。

 理想郷(ユートピア)など、どこにもないと思う。どこかで妥協するか、折り合いをつけるか、それともあきらめの境地に達するかであろう。ある程度の年令を過ぎれば、いつまでも流浪の民として生きるのもしんどい。

 いつか、田舎暮らし(小さな生活、小さな農業、自然の懐の中で生活)がしたいという思いが、潜在意識にあり、情報としてこの地の存在を知り、他の場所は全く訪問していないのに、始めての訪問で、いきなり移住してきた人もいれば、知人や友人を通して、人づての紹介で入ってきた人もいるし、インターネットなどで調べて、この地で2~3日、あるいは1ヶ月ほどの体験研修を終えて、この地に入植した人もいるし、十数回の田舎調べを経て、この地を選択した人もいるし、たまたま、仕事(教員等)で、この地に赴任し、この地が気に入ってしまい、定住した人もいる。入り方はいろいろである。その中で、記憶に残った言葉がある。7~8回の田舎探しをしてきたが、気持ちにぴったり来る場所にめぐりあえず、田舎探しは、これくらいで終えようと思いながら、当地を見学するために、勝浦から上がってきて、めざす場所はまだ先の、はるか稜線にたたずむ、その集落を目にして、「あ、これだ」と直感して、まだ当地に到着していないのに、行き着くまでに、住むことに決めてしまった・・・と言われる。この地に羽を休めた人たちは、このようなインスピレーションを、この地に入る道すがら、あるいは、この地に入って、旧住民や新住民との立ち話、あるいは、石垣の家や段々畑を見て、何かしら気持ちが安堵し、あるいは一泊して、この地を歩き回って、足裏を通して共鳴してくる、ある種の音楽に対して、頭でなく身体で反応して・・・、この地にひとまず、羽を休めてみようと思った・・・。

 そこが安住の地でなくなったら、また旅立っていく。その地を出て、また流浪の旅に出て、「ふるさと 色川」の次に、ここでまた、羽を休めてみようと、岡山県和気郡和気町に入植して来られたNさん。6年前、そのNさんを紹介してくれた色川在住のOさん。このNさんとOさんの影響を受けて、彼らの共通の地「ふるさと 色川」を一度訪ねて見たいと夢をふくらませてきた。彼らのアイデンティティと自分のアイデンティティはどこが違っているのか。違っていなくて同じものなのか。なぜこの二人の生き様に興味を喚起されるのか。自分自身に問う旅であった。

 我が家から車で30分ほどの所に入植されたNさんの所に遊びに行くと、よく色川の話が出た。Nさんは、色川在住の都市住民のことを総して、「個性的でマニアックな方が多い」と表現された。それぞれが個性的な集団の中では、Nさんの個性が埋没したのかも知れない。誰でも、その地域、組織、共同体から出て行った人のことを、あまりよく言わない。これはどこにおいても、その組織(地域)にとどまり続ける多数派から見ると、当然なことなのかも知れない。しかしNさんは、第2の入植地である岡山県和気郡和気町に新しい多くの人間関係ができているし、稲作の農具はほとんど全部、当地でただで手に入れたし、借地に立てた炭焼小屋兼物置も周囲の風景にとけこんでいる。。

 今、「ふるさと 色川」に羽を休めている人たちの中から、またNさんのように、流浪の旅に出て、安住の地を探し求める、さすらい人となる人も出てくるだろう。自分も、自分のふるさとを探すさすらい人ではないが、自分自身のアイデンティティを探し求める、永遠のさすらい人と思っている。同じさすらい人であるという点、いつまでも、いつまでもさすらい人であり続けるという点に、共感を覚えるのかも知れない。

 Oさん(福岡県出身)との出会いの経緯を書いておきたい。訪問地「ふるさと 色川」で、道先案内人をしてくれて、新住民との「出会いの場」を、2回もセットしてくれたのが、Oさんである。Oさんとは、多くの農業人に発言の場を提供してくれた雑誌「百姓天国」誌上で知り合った。「七輪の会」(炭を生活に取り戻す会)を立ち上げたOさんが、そのドラムカン炭焼方式の作り方と焼き方を書いた小冊子を、無料で差し上げますという記事が、百姓天国誌に載っていた。そのころ、「あめんぼ百姓塾」を立ち上げたばかりで、「野菜、ハーブ、炭焼き、ニワトリ」の内、炭焼きだけは、あまり知らなかったので、ぜひ指導を仰ぎたいと思った。送られてきた小冊子の中に、一通の手紙があり、色川から、最近、和気郡和気町に住居を移されたNさんと言う方がおり、ドラムカン方式の炭焼きを教えた方であり、もしお近くなら、お付き合いのほどよろしく・・・と言う手紙が入っていた。しばらくしてから訪ねて行った。そして、小冊子に加えて、Nさんからも直接、指導を受けた。これが、Oさん、Nさんと知り合ったきっかけである。


一路、那智勝浦へ

  窓の外に見える山の斜面にはミカン畑、田んぼにはハウス、そして露地ではすでに、エンドウが50センチほどになっている。自分の所より、大分暖かいのだろう。青い海、どんよりした空。ひたすら続くハウスとエンドウ畑・・・。列車は紀伊田辺に向かっている。時刻は11時。打ち寄せる波がきれいだ。梅の花も満開だ。そういえば、和歌山は梅の産地である。曇天に煙る梅の花。台風のコースになる半島。日本でも有数の雨量の多い地域。白浜に列車が到着した。11時15分。次は串本、その次がめざす紀伊勝浦。海沿いを走る特急オーシャンアロー5号。色川に移り住んだ多くの都市住民も、この列車を利用して、あるいは車で、こうやって窓外の風景に目をひかれながら、これから住む「新天地」に思いをめぐらしたことだろう。都会からの疎開・・・。

 紀伊勝浦着12時31分。待ち合わせの、山側の出口に行くと、Oさんが待っていてくれた。渡し船でホテル浦島に渡り、ホテル内のバイキング料理を食べ、山上露天風呂と忘帰洞の2つの温泉につかった。30年ほど前、学生の時に、確かこのホテルに泊まり、このホテルの温泉に入ったのだが、あまり記憶が定かでない。当時は自分でない自分を生きていたのだろう。このたび、Oさんとの不思議な出会いに導かれて、30年ぶりにまた、この地を訪れることになった。ほんのちょっと前だったような気がするが、30年という歳月がすでに過ぎている。

 ホテルを出ると、滝をめざした。那智勝浦の滝として、そして、日本一長い滝(130メートルほど)として、全国的に有名な、あの那智の滝である。その後、峠を越え、展望台では一時停車して、眼下の風景を楽しみ、次にまた、那智の滝よりかなり高い山の展望台から、那智の滝を遠くに見下ろし、その後また、山から山を越えて、Oさんの住む、那智勝浦町、大野、という集落をめざす。時刻はすでに5時半近く。6時には、Oさんがセットしてくれた、岡山出身の方、岡山近辺の方、自分が前もって、会って見たいと頼んでおいた方たちが、飲み会に集まってくれる時間である。

 始めて出合った方たちは新鮮だった。違和感などなかった。思想や生き方が自分に似ていると思った。岡山市出身のYさんは、まだ30代の前半。去年入植して、当地在住のSさんの元で、1年ほど農業研修を受けた後、当地で独立したばかりである。岡山でも入植地を探されたらしいが・・・。玉野出身のOさんは、当地に入植して12~13年の45~46才。今は当地で土建業に勤めている。ニワトリ20羽。自給用の野菜、そして農家民宿もしている。奥さんは、グループで、パンやクッキーを焼いている。もう1人のOさんは、広島県三原市出身で、元経営コンサルタント。もう1人のOさんは、茨城県出身であるが、奥さんが岡山の倉敷市出身で、信州の大学で知り合ったらしい。何で和歌山くんだりまでと思ったが、他の地域では、どこも入植者に対して排他的であったと言われる。まだ30才になったばかりで、赤ちゃんも生まれたばかり。Yさんと同じく、Sさんの元で、1年間ほど農業研修を受け、当地で独立されたばかりである。Oさんばかりでまぎらわしいが、もう1人のOさんは、ホームページで、「ふるさと 色川」を発信している。3年前、自分も「あめんぼ通信」という題名でホームページを開設(ここ数年全く更新できていない。今はホームページには全く興味がなくなった)した時に、NさんやOさんと縁ができた那智勝浦町に関するホームページを「リンク集」に加えたいと探していた時、「ふるさと 色川」というホームページを見つけた。何とネーミングのすばらしいホームページだろうかと思った。開設者の思いが、たった6文字の題名に凝縮されている。自分も、いずれ行くことになるだろうと感じていた、この旅の、リポートの題名は、1年以上も前から、「ふるさと 色川」に決めていた。今、この「ふるさと 色川」は、那智勝浦町の公式ホームページになっている。7年ほど前に当地に入植された、50代前半の方である。当地に到着する前に、遠くにその集落を一望して「あっ、これだ」と決めてしまったと話されて、ボクの耳をくぎづけにした方である。もう1人、口数はとても少ない方だったが、ボクの道先案内人のOさんと同じ「林業の会社」に勤めていると言われるTさん。翌日、Tさんの奥さんと話す機会があり、言葉のはしはしから、Nさんのよき理解者だったのだということを感じた。最後になったが、当地に入植されて、すでに20年ほどになるSさん。年令は自分と変わらない。この地に、先駆者である村山兄弟によって、始めて、「都市住民の入植」という歴史的一歩がしるされてから、「耕人舎」と名づけられた彼らの共同体の研修生となり、その後当地で独立された古参。今度は逆の立場で、多くの研修生を受け入れ、独立のためのフォローをしておられる。

ブログランキング1位を目指して挑戦中!!! クリックお願いします!!!
スポンサーサイト
このページのトップへ

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://terayama.blog57.fc2.com/tb.php/137-0069b5ce
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
このページのトップへ

FC2Ad

プロフィール

水田祐助

Author:水田祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在55才、農業歴19年目。農業形態は野菜とハーブのワンパック宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ30羽。25年ほど農業とは無縁だったが、ボクが子供の頃は、家は葉タバコ農家だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

最近の記事

最近のコメント

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

QRコード

QRコード

リンク

このブログをリンクに追加する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。