残暑がきびしい。だから、早朝7時~10時半頃までの3時間半と、午後4時ごろから7時頃までの3時間が農作業時間である。でもこれでは、1日、6時間半しか農作業時間が取れない。週に3日間しか農作業時間が取れない(残りの3日間は収穫、出荷作業)ので、1日に8時間はどうしても農作業時間を捻出したい。午後3時ではまだ暑すぎて田んぼに出れないので、朝をもう1時間半早く、5時半頃から農作業をスタートすればよいのだが、出荷の朝(月、水、金)は起きれても、他の日はどうしても早くは起きれない。「夜型」の自分にとって、早起きは16年(農業歴)過ぎた今でも苦手である。
それなら6時間半を、もっと密度の濃い農作業時間にして、仕事をはかどらせる必要がある。
10時半~4時は農作業ができないから、「家の中でごろごろ」というわけではない。多くの現役農業者はたいてい、家の中でも田んぼでも「分刻み」で動いているのが実情である。のんびり構えていたら、独立個人事業(農業)の世界からすぐに淘汰されてしまう。はたから見てのんびりしているように見えるとしたら、それは定年帰農者だろう。現役農業者に「牧歌的」などという言葉はない。それは、クワを持つ手を休めて背伸びした時に、つかの間感じるだけであり、まるで、田んぼを横切る風のごとく、すぐに通り過ぎてしまう。
家の中にいるときは家の中でできる仕事をする。ごそごそ用が結構ある。ボクの場合は、今は、農業ブログを書いたり、他人のブログを読んだりしている。それも農作業の一環だと考えている。田んぼに出て農作業をしている時間だけが農業時間ではない。もちろん、この16年間、夜の時間帯はゆっくりテレビを見るなどということはなく、何らかの自己啓発(農業雑誌に目を通したり、毎月1回、野菜のワンパックに添えて送るあめんぼ通信の下書きをしたり・・・)を続けてきた。
そんな涙ぐましい?、努力をしてきたにもかかわらず、自分の農業収入は、まさに、手取り年収100万の攻防であり、100万円というのは、まさに自分の中での「壁」だった。なぜ自分の農業収入はこれくらいにしかならなかったのか、なぜそこから脱出して、他の農業形態に転身できなかったのか、その能力がなかったのか・・・、それは逐次、今後のブログで詳述する予定である。
それでも我が家の生活はまわっていった。それは配偶者の「まるみさん」が奥様ではなく外様として、定職を持って働いていたので、その収入があったから、我が家の生活はまわっていった。この他に、今後このブログでたまに登場するかも知れないのが、長女の「かくみさん」次女の「ぺけみさん}。家族構成は現在の所4人である。3人とも仮名で登場してもらう。
現在、かくみさんもぺけみさんも、それぞれ学校生活を終え、働くようになった。だから、自分はますます、自分の身の回りのことだけをすればよくなった。ずっと以前から実はそうしてきたが・・。
ボクの収入では、ライフラインの支出が自分の普通預金口座から「自動落ち」になるのを「追っかける」ことと、出荷の帰り道に、近くのスーパーで、アゲ、トーフ、食パン、ティッシュ、トイレットペーパー等の日用品を買うことと、集落内や親戚の「冠婚葬祭費」の支出、それだけしかできなかった。実際問題として、それだけで、自分の手取り収入など「ふっとんで」しまう。
農業関連以外の自分に関する個人的費用は「散髪代」くらいだった。まさに「農業ざんまいな日々」と言えば、聞こえはよいが、「事」を起こそうにも先立つものがなかった。
まあそれでも、そんなに「精神がひからびることもなく」日常がおくれたのは、まるみさんの金銭的内助の功が大きかったからだろう。
でも決して自分が「のほほんとして」過ごしてきたのではない。現在でも農業という職業がキープできているのは、前述のように分刻みで自分の中のあらゆるものを「農業に昇華」してきたからである。精神分析学で言う「昇華」がなんとかうまくいったから、もしくは、雑念や煩悩をうまく農業に「逃避(転化)」させることができたから、自分の精神の均衡が保てれたと考えることもできる。
現役世代の人が職業の選択肢の一つとして、農業に転身を考えるとしたら、それは、現在の社会の状況下では、ほんとうに厳しいと思う。どこがどう甘くないのか、このブログで、農業の「疑似体験」が提供できればと思う。