あめんぼ通信

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

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スタート

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 退職した次の日から3日間は、どしゃ降りの雨だった。寝床から出る気になれなかった。退職する数ヶ月前に、八塔寺のNさんに研修に通わせてほしいと頼んだが、まだそういう立場でないし、教えることがあまり上手でないと言われた。

 
雑誌「現代農業」に記載されていた御津郡建部町の「喜多鶴会(無農薬野菜栽培集団)」に、週に何回か通わせてもらい始めたが、片道50キロという距離の壁があって、十数回しか通えなかった。

 
家庭菜園くらいなら父がしていたので、父に教えてもらえばよかったのであるが、なかなか自分の家の田んぼに出る「踏ん切り」というか「勇気」が出なかった。田んぼは場違いな場所のような気がした。大学まで出たのに・・・という意識もあったかも知れない。その時はまだ、地域からも田んぼからも土からも疎外感を感じていた。でもなんだかんだといっても、もう田んぼに出るしかない。何かに背中を押されるような気持ちで田んぼに出始めた。


 田んぼに毎日出るようになって、3週間~4週間ほど過ぎてから、自分のそういう意識も、周囲の目も気にならなくなった。2ヶ月もすると、自分も周囲も「その状況に慣れてくる」。認めたくなくても、認めざるをえない状況とでもいうのだろうか・・・。農業をスタートしてからの16年間は、思い返すようなスランプにも何ら陥ることなく過ぎたが、唯一危機的な状況があったとすれば、スタート時点の3月、4月の2ヶ月間である。4月下旬頃からやっと、田んぼに出ることに慣れてきた。この2ヶ月間は、田んぼに出るということが何か不思議な感じがして、足も上ずっていた。4月下旬頃からやっと、田んぼや土や空気や景色に慣れてきた。7月2日に農業用軽四を購入し、ほとんど父が作った家庭菜園の野菜を軽四に積んで、近くの団地を「引き売り」した。1軒1軒、「野菜はいられませんか」と声かけしてまわった。「引き売り」もとても恥ずかしかったので、自分のことを知っている人に出会わない団地をまわった。しかし、引き売りの方は3日で慣れた。引き売りしながら、野菜を買ってくれたお客さんに「野菜会員募集」のパンフレットを渡した。野菜会員というのが珍しかったのか、すぐに5~6軒の会員が獲得できた。8月には「あめんぼ通信第1号を出して、野菜会員に野菜を配り始めた。3年ほど引き売りをしたが、地元では最多でも40軒には届かなかった。現在も続けてくれているのは2軒である。5%ほどしか残ってくれなかった。3~4年間続けてくれた顧客は多かったが、3~4年間というのは一つの壁だと思う。2軒の顧客はすでに15年間を越えている。

 父が元気でいてくれたのは、農業をスタートしてちょうど3年間だった。4年目に入った春、突然、身体に黄疸が出て、入退院を繰り返すようになり、1年も経たないうちに亡くなったが、自分が一通りの技術(家庭菜園程度であったが)をマスターし、もうこれで教えてもらうことはなくなったと思い始めた頃の、突然の発病、死だった。この3年間はとても大きかった。それまで、野菜に関する知識は全くの白紙だったから。10年を経過したら「百姓塾」を立ち上げようと思ったのも、農業の研修先が近くに全く見つからなかったことと、有機農業には、特定の専門知識ではなく、家庭菜園的な技術(技術というほどのものではないが)こそ必要と思えたからである。

 母は農業を始める3年半ほど前に亡くなっていた。父母は若い時代は「葉タバコ」で生計をたてていたが、農業では生活できなくなり、ボクが中学校を卒業する頃から、それぞれ「コンクリート会社」、「建設現場の日雇い」に働きに出るようになった。昭和40年代の初め頃から、まさに「農業では食えない時代」に突入していたのである。自分たちがえらいめをして、ボクを大阪の私立大学に進学させたのに、まわりまわって、めぐりめぐって、農業を始めたりしたものだから、父もショックだったかもしれない。「食えるかえー」と一言いっただけだった。ボクはボクで、バカにしていた父と「農業」という同じラインに立つとは夢にも思わなかった。

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プロフィール

水田祐助

Author:水田祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在55才、農業歴19年目。農業形態は野菜とハーブのワンパック宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ30羽。25年ほど農業とは無縁だったが、ボクが子供の頃は、家は葉タバコ農家だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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