あめんぼ通信

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

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就農準備期間

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 「農業」がひらめいてから、どういう農業形態にしようかと考えた。まず考えたのは「農協便り」に出ていた施設園芸である。会社を休んで、農業改良普及所の所長さんに連れられて先進農家訪問などしたが、どうも自分にしっくりこなくて、同じようなことが自分にできるとは思えなかった。休日には図書館へ通って、農業関係の本も読み始めたが、そこで始めて「有機農業」という言葉を知り、坂根修さんが書いた「都市生活者のためのほどほどに食っていける百姓入門」という長ったらしい題名の本を読んでからは、「有機農業」にどんどん引かれるようになった。この農業形態は元手があまりかからないような気がしたことと、ハウスを建てて集約栽培とか、大規模に専門作物を作るという農業形態とは対極の立場にあったので、これなら自分にもできるかも知れないと「始めて思った」農業形態だった。その時すでに35年も生きてきているのだから、どんなことなら自分にもできて、どんなことはとても苦手だくらいわかっている年齢である。その後、50冊以上の有機農業関連の本を読んだ。いつしか、星寛治さんの住む山形県東置賜郡高畠町は、「有機農業の聖地」のように思えた。

 
その後、「金光教」の先生の紹介で、「岡山土と健康の会」という存在を知り、その代表者であった景山大吉さんから頂いた、日本有機農業研究会発行の「土と健康」誌と、「自然食通信」という2冊の本を読んだ。この2冊はとても有意義で、それぞれ過去に発行されたものを何度も繰り返し読んだ。「自然食通信」はすでに廃刊になっているが、まだまだアウトサイダーであった1980年代の有機農業をリードし続けたすばらしい本だったように思う。

 「農業」がひらめいてから半年ほどの間に、何人かの農業の先達に出会い、有機農業関連の本も読み始めていたが、それでも農業にはなかなか踏ん切れなかった。蓄えもほとんど底をついていたし、自由になるカネもなかった。結局その後も、現場作業員として2年間働いた。この2年間、農業で食えるだろうかと迷いに迷ったが、農業をしたいという意思がゆらぐことはなかった。給料はほとんど貯金にまわした。当時はまだ父が健在で、そうできる境遇にあった。10年余り机についてする仕事だったのに、この2年間の肉体労働で、身体が少し変わってきたようにも感じた。そして初めての肉体労働から風邪をこじらせて肺炎になり、それがきっかけで、へビースモーカーだったのに、運良く禁煙にこぎつけれた。禁煙は体力増強にも節約にもつながった。


 そして、何よりも踏ん切りがつけれたのは、農業がひらめいてから1年後、妻(マルミさん)が町役場の職員として採用され、フルタイムで働き出したことだった。妻が職場にも慣れた1年後、農業がひらめいてから2年が来ようとしていた春に退職した。その時37才の誕生日が目前だった。


 2年間も準備期間があったのだから、休日には、田んぼに出てみるくらいはすればよかったのに、全く田んぼには出なかった。どうも田んぼには出たくなかった。出れなかった。父にも、農業をするとは一言も言わなかった。



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プロフィール

水田祐助

Author:水田祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在55才、農業歴19年目。農業形態は野菜とハーブのワンパック宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ30羽。25年ほど農業とは無縁だったが、ボクが子供の頃は、家は葉タバコ農家だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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