例えば、あなたが55才だったら人生の終末点を意識し始めているかもしれない。
例えば、あなたが35才だったら、人生の終末点どころか、これから人生が始まろうとしている。
たった20年の違いだけれど、残された時間は、これだけの開きがある。
例えば自分の場合、35才とは、農業が脳裏に突然ひらめいた頃だった。実際にスタートしたのはその2年後。
ひらめいてから、早、20年が経過している。ひらめいた瞬間の衝撃を今でもはっきり覚えている。5月の連休、家でぼう~っとしていた時、何気なく手にした「農協だより」をぱらぱらと見た時だった。あの当時のことが、つい昨日のように思い出せるが、実際にはもう20年という歳月が経過している。
今日の朝日新聞に出ていた正社員の壁
大卒39才(男)、都内の有名私立大卒。就職氷河期の真っ只中に卒業。やっぱり、私のような人間では駄目なんです。ピシッとスーツを着て、ライフステージを踏んできましたと胸を張れないと正社員にはなれない。そういう厚い壁を感じてしまいます。
32才(女)、高校卒業後3年間は正社員だった。その後はバイト、製造業派遣、日雇い派遣へと「坂道を転がるような日々」だった。昨年夏から生活保護を受けている。
風呂の湯を再利用するため、空のペットボトルが並べられていた。トイレや洗濯に使うという。
どちらの人も未来は見えないと思う。自分の中でのコペルニクス的転回、もしくは世の中のコペルニクス的転回がないと、人生を変えることはできない。
そんな状態に追い込まれた時に自分は「農業」がひらめいた。ひらめいたのは、元々の農家であり、父が細々とながら家庭菜園を続けており、田畑も農具も全て揃っていたからひらめいたのである。背景に何もなかったら、農業などひらめくことはない。
「農業では食えない」と自他共に認識していたが、ひらめいてからは、150万~200万になれば十分だと考えた。
大阪、岡山と転職を繰り返していたので、その当時から自分の年収は「スズメの涙」だったので、150~200万は、そんなに少ない金額ではなかった。ただ、150~200万にはなるだろうと考えたのは、あくまで自分の「願い」の年収だった。現実はその半分にしかならなかった。
転職を繰り返していた時も、当時はまだいずれも「正社員」としての雇用だった。
自分と同年齢の人は今どれくらいの年収になるのだろう。あまり聞きたくはない。自分の気持ちが落ち込むだけだろう。
今は職業の違う人との交際はなく、同業者としか付き合っていない。
何か「住む世界が違う」ような気がする。自分の「農業世界」を充実させているので、相手が商工業の世界でどんな立派な肩書きの人であっても、臆することもないし、嫉妬などの感情は微塵もない。ただ、「住む世界が違う」と感じる。興味がない・・・。
商工業の世界は砂上の楼閣と思う。ちょっと運がよかったり、ちょっと時流に乗ることができたり、ちょっと特定の能力があったり、ちょっと話術や人をまとめる能力があったり、ちょっとその会社向きだったり、ちょっと上司に恵まれたり、ちょっと盆暮れの歳暮を他人より多く贈ったり・・・そんなちっぽけな・・・これは失礼かも知れない、本人の隠れた努力も大きいだろう。まあ、それはどうでもよい。36才で卒業した世界のことは。
上記の2人も、別の世界に進むことだと思う。ああ、でも現在の世の中には「別の世界」がない。逃げ場がない。農業が逃げ場になるのは、
(1)元々の農家で、田畑も農具も揃っている人
(2)資本力のある人(定年帰農者等)
(3)現役帰農者なら、特別の技術力や営業力が備わっている人
(4)Iターンなら、情報収集力、新しい土地でのよい出会いなども関係すると思う。
農業は今、特別の才能の持ち主か、元々の農家か、年金の後ろ盾のある定年帰農者か、そういう人たちに特化されつつある。
現実の農業は、自分がスタートした18年前より、状況がかなり悪化している。最も大きな悪化は「害獣のすさまじい進出」。
害獣防御の不得意な人は農業ができなくなりつつある。
商工業の社会は均質化されていて、一度レールを踏み外すと、もう元のレールに戻れない社会である。かといって農業も他の独立自営業も商工業の社会以上にきびしい経済状況にある。
都会の片隅で悶々と生きていく社会
狭いアパートの一室で、群集の中の孤独を感じる社会
それでも生きていかざるをえない社会
それが今の日本社会
息苦しいんだけれど、どうすることもできない
自分は転職を繰り返したのに、配偶者や子供には安定した職業生活を期待する自分の身勝手さ
コースを外れたけれど田舎では生きていける・・・それはない。今は田舎でも大都会でも日常の生活費にほとんど差はないと思う
田舎に行けば食べ物だけは何とかなる・・・それもない。自給用を作ろうとすれば買うことの数倍のカネがかかる
田舎に行けば人のよいおじいちゃんやおばあちゃん・・・それもない。田舎の人はあまり単純ではないし、人間関係も複雑
生きて行くための選択肢が限りなく少なくなっていると思う。
学校を卒業した年にきちんとした企業に入社し、つつがなくその企業で勤め上げれるような人はいいが、そういうコースに乗れない性格の人も多い。
これから人生が始まろうとしている35才前後の人に、自分はどんな助言ができるだろう。自分はサラリーマンが勤まらなかった。しかし農業という逃げ場があった。でも今の35才の人には逃げ場がない。
何の助言もできない・・・
スイートバジルの現在。5月5日頃に定植予定。定植までに35日かかるが、定植後の成長は猛スピード。5月末には収穫が始まる。
ナンキンに元気がない。長雨で過湿が続いたせいかもしれない。今日、ナンキンの周囲をヨツメで打って(耕して)、空気を入れた。少しメタン菌液肥も施した。

今日は真夏日を思わせるような高温だった。だから井戸水が大活躍。


左からオクラ、エンサイ、ツルムラサキ。オクラに元気がない。もう2~3日様子を見てみよう。エンサイとツルムラサキは元気。
暑かったので、日中は織布を取り、水やりを何回かした。
今日のニワトリ
(今日の夕飯)
ハヤシライス
キャベツの三杯酢
レタス
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ふと見たら、サクランボが成っている。ただし、このサクランボは売っているようなサクランボではなく、色もさほど赤くならず、サイズもごく小さい。
少し色づくと、カラスや他の鳥たちが狙うので、競争になり、ちょっと色づいたくらいで口に入れないと、まず食べさせてもらえない。
網をかぶせるのも面倒だし、網をかぶせてまで食べたいと思わないし、まあ、花が楽しめたからよい。
果樹でまともに収穫できるのは、
(1)ハッサク
(2)キーウイ
(3)ユズ
の3種類だけ。
柿は最近、害虫にやられて、2年続けて不作だった。
イチジクは今年は網をかぶせようと思う(不得意だが)。
仕込む楽しみ。このメタン菌液肥に「くさい臭い」がなければ大いに勧めたいが、臭うので住宅の近くでは使えない。
ヌカ5に対してナタネカス1くらいの割合で腐らせた?(発酵させた?)ものだから、どうしても臭う。
雑草を入れるのは「天恵緑汁を取り込む?」ため。


左からレモンバーム、レモンバーベナ、レモングラス。
レモングラスの株分けは6月梅雨入りの頃にしようと思う。早くすると活着が悪い。


左からタイム、ミント、セイジ。
タイムは手前がコモンタイム、後方がレモンタイム。そっくりだが匂いが異なるし、花が異なるので、違いはわかる。

全体像。なお、右のミントはブラックミントであるが、注文の多いのは上記のスペアミント。
フキ。5月のワンパックに1度は入れようと思う。
キクイモ。ヤーコンよりはるかに強靭な作物。放任していたらどんどん伸びるので、50センチほどの高さになったら、中心部を止めて、脇芽を伸ばし、脇芽もまた高くならないうちに止める。早め早めに止めると、上に伸びずに茂る。上に伸びると台風で倒れる。
秋のお彼岸頃に咲く黄色の花(菊のような花)をお墓に供えている。
芋はこぶんこぶんしているが、洗って皮をむかずにそのままスライスして炒め物等に使う。
雑草よりたくましい作物なので、一度作って食べてみて、気に入ったら出荷したらよい。皮はむきずらいが、やわらかい皮なので、むかずに調理可能。

ソラマメ。期待していなかった作物だが、今年はあまり病気が発生していないので収穫できるかも知れない。茶色のソラマメ。種は友人にもらった在来種。
風で倒れないように、先を止めた。止めた方が、実の太りがよくなる。
地床育苗。同じような画像を何回もアップしているが、これを覚えておくと便利。
(1)畝立てして(排水をよくするため)
(2)ヨツメのような農具で蒔く場所を水平にならし
(3)画像の右の方に見える板の切れ端を使って、より水平にし
(4)種を蒔いた後、種が隠れるくらいに、フルイを使って土を落とす(かぶせる)
(5)その後、籾殻かクン炭をふって、強い雨で蒔き床がたたかれるのを防ぐ。クン炭だと保温になるし肥料効果にもなる。
地床育苗の作物は
チンゲンサイ、ネギ、レタス、タマネギ、シュンギク、ロケット、ディル、チャービル、秋蒔きの春キャベツ
ニンジンの初期成育はごく「か細い」。
春夏作(4月上旬蒔き)→6月20日~7月末の40日収穫
秋冬作(8月中下旬蒔き)→11月~3月末の5ヶ月収穫
(今日の夕飯)
レタスと生ハム
タマネギとエンドウの卵とじ
スナックエンドウの炒め物
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さっきストーブをつけた。夜はまだちょっと寒い。日中が暖かいと、夜、冷えることがある。この夜の寒さを防ぐために、4月下旬に定植すると、5月中旬頃までの3週間ほど、薄い毛布のような織布をトンネル状にしてかぶせている。
ポリより織布の方が便利と思う。雨は通すし、風にも強いし、ポリのようにすその開閉もしなくてよい。

左の二つは義兄にもらったスイカとナスビの苗。その右は自分が蒔いたトウガンとエンサイ。
スイカとナスビは直径12センチポット。トウガンは8センチポット。エンサイは5センチポット。
ポットが大きいと土がたくさん必要になる。義兄は前年の踏込温床を翌年のポット土に利用している。プロ農家は、このような大型ポットを利用して、ぎりぎりまでハウス内で育て、すでに花の蕾が膨らんでいる状態で定植をする。だから定植後短期間に実が成り出す。
自分の場合は、ナンキン、キュウリ、トウガン、ニガウリの「ウリ科」4種類だけは8センチポットを使い、その他は5センチポットを使う。
5センチポットでも、山の腐葉土がかなり必要であるし、ポットの土入れ作業も結構大変なので、12センチポットだと、いかに大変かがわかる。
なお、スイカは「接ぎ木苗」である。スイカはきゃしゃなので、強いナンキンに接いでいるのだと思う。自分は接ぎ木の技術は知らない。
接ぎ木苗を植えるのはスイカだけである。
義兄ももう若くないので、来年からは市販の苗を購入するつもりである。
ナスビ→40本+3本(補充苗)=43本
ピーマン→20本+2本(補充苗)=22本
スイカ→6本+1本(補充苗)=7本
トマト→18本
合計90本×60円(1本の市価)=5400円
これらは自分で蒔いたりしない。苗を購入した方がはるかに安くつく。
自分が蒔くのは、
(4月2日蒔き)
ナンキン 30ポット(1粒蒔き)
キュウリ 16ポット(1粒蒔き)
ニガウリ 7ポット(2粒蒔き)
トウガン 11ポット(2粒蒔き)
スイートバジル 2ケース→ポットに鉢上げ
イタリアンパセリ 1ケース→ポットに鉢上げ
(4月14日蒔き)
オクラ90ポット(5粒蒔き)
ツルムラサキ75ポット(5粒蒔き)
エンサイ55ポット(5粒蒔き)
畦岸のアップルミント。すでにこんなに大きくなった。近くを通ると、いい香りがする。


左はツルムラサキ、右はエンサイ。定植後、画像のような織布をトンネル状にしてかぶせた。
ヨトウムシ(ネキリムシ)の被害が出ていないか、織布の上から毎日確認することがポイント。やられていたら、すぐに植え継ぎする。
ニガウリは5本定植した。
トウガンは7本定植した。トウガンも同じように織布をかぶせた。
トウガンはニワトリのエサにも考えている。その他、ニワトリのエサとしてイメージしているのは、キクイモ、ジャガイモくず、ナンキンくず、サツマイモくず、サトイモくず、ヤーコンくず、変形ダイコン、変形カブ、変形ニンジン。
時々イメージすることは、仮に出荷を止めて家庭菜園だけにした場合、何をどれくらい作るか、ニワトリをどうするか、という問いである。
ハーブは春夏作のスイートバジルとイタリアンパセリは止める。秋冬作のロケット、ディル、チャービルは、ロケットだけ少量蒔く。その他は永年草のハーブなので、少量ずつ残す。
春夏作の野菜ではニガウリは止める。その他の春夏作と秋冬作は作付量は減らすが全部作る。
野菜の出荷は最長で60代の半ば頃までと思う。後10年ほど。
出荷は止めても家庭菜園は作り続ける。農作業は楽しみであり、癒しである。田んぼで収穫した野菜を、その日の夕飯で食べるのは、農家としての大いなる楽しみ。
別に菜食主義ではないが、自分で作った野菜を食べる楽しみだけは終生、手放せない。
ただ、最近「サル」が人の話に出るようになった。多分10年後くらいには、現在のイノシシのように、被害が出始めるかもしれない。これから農業を始めようと考えている人にとって、害獣防御のことを考えると、今までより何倍も手間がかかるものになるだろう。
この国の農業も山村も近未来、害獣によって滅ぼされる。

今日のニワトリ。好物のクローバやコンフリーをむさぼリ食べている。出荷を止めたらニワトリはどうするだろう。「長期間の留守」という問題をクリアできれば、飼い続けると思う。
(今日の夕飯)
レタス
黒豆・・・義父にもらった黒豆(時々圧力鍋で煮る)
刺し身・・・ボラ
イカのフライ・・・市販の惣菜
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韓国の鳥インフルエンザで政府は300万羽の家きんを処分したと発表。何でこんなに殺されなければならないのか。飼い方のシステムが誤っている。鳥インフルエンザは「防ぎきれない」のだから、危険分散の意味で、 少羽数をたくさんの人で飼うという「昔ながらの飼い方」に復古する必要がある。
ビジネスにならず、採算が合わなくても、そういう飼い方に戻す必要がある。
一箇所に集めて何十万羽と飼う方法では、鳥インフルエンザに対する恐れから、必要以上の殺菌剤や殺虫剤や抗生物質がニワトリに使われる可能性があり、いわゆる集中治療室のような無菌室状態の鶏舎に近づけても、鳥インフルエンザの発生を防ぐことができていない。
300万羽を人間に置き換えたらどうだろう。ニワトリが支配する地球で、アウシュビッツのような空間に閉じ込められた人間が窒息死させられる。
確か虐殺されたユダヤ人は600万人。今回の鳥インフルエンザで処分されたニワトリの2倍の人間。
大企業で何万人と飼われる人間も、組織のごく小さな歯車というアウシュビッツ状態。しかし独立自営業が成り立つ職業はほとんどない。
ニワトリが解放された時に、人間も解放される。どちらも高度資本主義社会の運命共同体。
自給率について
自給率を上げる必要があると大合唱。
それなのに、米は作るな、生産調整という大合唱。
しかし、自給率は上げる必要があると大合唱。
それなのに、キャベツやハクサイが豊作で、収穫せずにそのまま田んぼにすき込んだりすることがしばしば発生する。
それでも自給率を上げる必要があると大合唱。
そんな勝手な理屈がまかり通る不思議な日本。
農業は最短でも60日という歳月を費やし、その年の天候でできたりできなかったりする。そのうえ、2本足、4本足の害獣から農作物を守れるセキュリティも少ない。
工業製品と農業製品を同じテーブルの上で論じている。
そして、農業製品に補助金をの大合唱。
農業者として、農業補助金には断固反対する。
いいことにならない。
道路と同じで莫大な無駄な投資(援助)に終わる。
農業者の甘えの構造が助長されるだけである。
もらえる人はもらい続け、もらえない人は全くもらえない。
どこで差がつく。
認定農業者と、そうでない農業者で差がつく。
農業補助金は未来の日本農業の発展には、何ら寄与しない。
補助金なら未来への投資である必要がある。農業者の単なる収入援助なら、淘汰の先送りでしかない。
限界集落への支援も同じ。集落消滅の先送りでしかない。
限界集落をどうしても支援したいのなら、ハード事業ではなくソフト事業の援助であるべき。ハード事業なら限界集落の援助にならず、事業施工主援助である。


スイートバジルの定植予定地に液肥を施した。これで春夏作の主だった施肥は終わり。

左のポリのトンネルの中には、エンサイ、ツルムラサキ、スイートバジル、イタリアンパセリの4種類が残っている。
エンサイ、ツルムラサキ・・・29日か30日に定植
スイートバジル・・・・・・・・・・・・5月5日頃定植
イタリアンパセリ・・・・・・・・・・・5月10日頃定植
右の画像のように、オクラには保温資材をかぶせた。



トリ小屋の前のハーブは手前から、セイジ、コモンタイム、ルバーブとレモンタイムである。
ルバーブは真ん中の画像のように、かなり大きくなる。茎を小口切りして、目方の半分の砂糖を加え弱火で25分ほどことこと煮ると、酸味のあるおいしいルバーブのジャムの出来上がり。5月連休明け頃はまだ野菜の種類が少ないので重宝する。
右の画像でトンネル状にしている中に、キュウリを定植している。ウリ科野菜は今の時期は「ウリバエ」にやられやすいので、べた掛け資材で防御と保温をする。
左下の画像で、このあたりを歩いている時は、すでにニワトリはボクの存在に気づいて、出入口のあたりで飛び跳ねているのがわかる。
下の右の画像は「桑の木」。去年の秋に植えた。もう20年ほどしか命がないと意識し始めてから、野菜の作付予定のない土地や、野菜の栽培に不適切な土地に果樹や花木を20本ほど植えた。4本ほど枯れたが残りは活着している。
今日のニワトリ
(今日の夕飯)
焼きそば
卵・ちくわ・キャベツの煮物
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水の問題では、いろいろあって、結局の所、井戸を掘ることになったが、結果的に井戸は、その後の農業にとってクリーンヒットになった。
田んぼ周辺に細い水路はあるが、水が流れるのは、稲に水が必要な6月15日~9月20日頃までである。その後は池の碑は閉められる。だから、池の「うだれ水」がちょろちょろと流れるだけである。
今の時期は苗物の水やりに井戸水が多いに役立っている。もちろん、井戸水がないとメタン菌液肥も作れない。
エンジンポンプをその都度稼動させるのは面倒なので、画像のような「つるべ」を利用して水を汲んでいる。
6月15日~9月20日頃の間は水路に水が流れると言っても、稲を作っていないので、竹薮沿いの水路に水は流れず、柿の木の下にある水路を走るだけである。だから夏場もこの井戸は大いに役立っている。
井戸のなかった時代が考えられない。しかし井戸ができたのは9年目の秋である。スタート時の3年間はエンジンポンプもなかった。それでも野菜は普通に収穫できていた。つまり、気候が現在ほど過激でなかったと思う。
4年目の秋に50メートル×2=100メートルのホースとエンジンポンプを購入し、柿の木の下を流れる細い水路にエンジンポンプを置いて、100メートルホースで水を使わせてもらった。
それでも、雨がほとんど降らなくて稲の水が足らなくて困っている時に、池の水を使わせてもらうのは少し気が引ける。そして、9月20日以降に雨がほとんど降らない時は、水をポンプアップする場所がない。
そんな諸々の事情が井戸につながったが、奇跡的に現在の場所に水の道があった。地下150センチくらいの場所である。
現在の水量は、毎日1時間半はエンジンポンプが使える量である。これだけ井戸水が使えれば十分である。
井戸の候補地として、ユンボで何箇所か、ためし掘りしてもらったが、水が出たのはこの場所だけだった。
井戸が作れなかったら、いけす(掘り池)のようなものが必要と思った。田んぼの一角に水場(ビオトープ)のようなものがあると、カエルやトンボが集まり、田んぼの害虫を退治してくれる。
井戸ができたのは、今までの農業人生の中間点のできごとだったが、振り返って考えても、最も大きな出来事だった。
農業をスタートする前は、野菜にこんなに水が必要とは思わなかった。水を巡る問題は古来から枚挙に暇がない。我田引水という言葉もある。水問題がこじれたら、人間関係が嫌悪になる。
井戸に掘り当たったことは、本当にありがたいことだった。ただ、現実には37万円という投資になっている。安い金額ではない。仮に75才まで後20年農業ができるとして、1年当たりの井戸代金は、37万÷(9年+20年)=12700円になる。65才までしか農業ができないとすると、37万÷(9年+10年)=19400円になる。
農業は投資の大きい職業である。へたに投資すると、決して元が取れなくなる。投資するなら、残りの農業人生をよく計算して投資する必要がある。
要するに言いたかったことは、農業などせずに、買って済ませた方が、経済的にははるかに合理的ということ。
4人家族で1年間にいくら野菜を購入するだろうか。1回の買い物で 250円の野菜代とすると、週2回買えば500円。1ヶ月だと2000円、1年間で24000円。つまり、野菜をよく買っても1年間で24000円ほどしか買わないと思う。
スイートバジルとイタリアンパセリの植え継ぎ用の苗。定植予定数より多めに鉢上げしているが、第2、第3の植え継ぎ用。特に大事な作物はこのようにしている。

オクラの定植をした。例年より20日余り早い。オクラにはまだちょっと寒いので、トンネル状にして、薄い毛布のような資材をかぶせた。
物置の北側に植えている、半日陰を好むミョウガの芽が出てきた。これから2ヶ月ほどの間に急激に大きくなり、6月末頃には収穫できる。
野の花。雑草の名前を知らないが、この雑草も日陰を好む。きれいな花が咲く。
タマネギに病気が来た。毎年この時期に発生する。近所の家庭菜園の人はたいてい、4月上旬頃に「ダイセン」という殺菌剤を散布しているので、まだ病気がきていない。5月末の収穫期までに1~2回散布しているようである。
毎年発生するのがわかっているのに、むざむざ放任しておいていいのか。
一応、農薬の使用は秋のアブラナ科野菜だけと決めているし・・・
農薬散布が慣れていないものにとっては、案外面倒な作業・・・
1500本ほどだから、まあいいか・・・
出荷する野菜には何度も農薬を使い、自給野菜は別な場所に作って農薬を使わないという言葉が一人歩きしているが、自分の場合は、出荷を止めて自給野菜だけになったら、逆に農薬を使う野菜が増えるような気がする。
来年以降のタマネギは農薬散布する方向で考えてみよう。
(今日の夕飯)
チマサンチュ(下葉から順次収穫するレタス)
エンドウ・・・卵、アゲ
煮魚・・・・・・ツナシ
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「炭焼きをするからどうぞ」と電話をもらったので、今日午前中、家から45分ほどの「和気美しい森」の近くにあるAさんの炭焼き窯を訪ねた。
1年余り前の2月に焼いて窯出しをしていなかったので、今日、窯出しと新たな窯入れをした。
窯を良い状態で保存するためには、常に窯の中に材料が入っている状態にしておく必要があるので、窯出しと窯入れは同一日が多いようである。
簡易なドラム缶窯ではなく、本窯なので、窯出しも窯入れも2人作業である。
まず、材料投入口=焚き口のレンガを崩して、前回に焼いた炭を取り出す。
「レンガを崩す」という意味は、材料を投入後に、炊き口で火を焚いて、窯の中の温度が800度(確かそう聞いた)ほどになったら、握りこぶしほどの小さな空気穴だけ残して、炊き口はレンガを積み上げて泥を塗り空気を遮断する。
その後、煙の状態を見て、空気穴も完全に密閉する。
Aさんは77才。炭焼きを始めて8~9年ほどになるらしい。1年に1~3回焼かれるようである。
そんなに大きな窯ではないが、それでもドラム缶窯に比べたらはるかに大きい。


Aさんの本業はシイタケ栽培。毎年1000本ほどのシイタケの原木を用意するらしい。シイタケは菌を植菌して1年半経過すると出始める。出始めてから5年ほどが原木の寿命らしい。
例えば、この冬に植菌すると、シイタケが出始めるのは来年の秋から。
シイタケが生えるのは、毎年10月上旬頃から4月末頃までの7ヶ月間。
太い原木は右の画像のように短く切り、持ち運びが楽なようにしている。
都会に出て35年間ほど働いた後、61才の時(平成4年)に地元にUターンして、平成5年からシイタケ栽培を始めて、栽培歴は15年ほどになるらしい。
シイタケの選別や調整のために、画像のような小屋を手作りしている。こんな建物が自分で作れるくらいだから、かなり器用なのだろう。チェーンソーも、まるで身体の一部であるかのように、軽々と使われる。
シイタケの原木を切り出す時に、雑木も切り出す必要があり、その雑木を炭に焼いている。
10年ほど前に炭焼きがにわかにブームとなり、本窯でなく簡易なドラム缶窯で焼く「ドラム缶炭焼き」のイベントがしばしば催されていたが、Aさんもその頃に始められたようである。ただ、Aさんの場合、子供の頃に親の炭焼きを手伝った経験が豊富らしい。このあたりには、昔の炭窯の後がたくさん残っているとお聞きした。
シイタケは地元の農協の直売店に売っているが、炭の売り先はないようである。炭はなかなか売れない。中国や東南アジアの安い炭がいくらでも入ってくる。
良い炭を焼こうと思えば、何十回という炭焼きの経験が必要である。炭焼きがビジネスとして成り立つには、きちんとした炭を焼く技術力と、販路を開拓する営業力の二つがどうしても必要になる。それを兼ね備えた人は十分にビジネスとして成り立っているようである。
シイタケでも炭焼きでも、チェーンソーは朝飯前くらいに使いこなす必要がある。チェーンソーの刃が研げないようでは話にならない。自分の場合は草刈機の刃も研げないので、チェーンソーの刃を研ぐことはできない。チェーンソーの刃の研ぎ方は、何回教えてもらってもうまくできず、結局、チェーンソーは使わなくなった。
ハウス→自分で建てれない
ブドウ棚→棚が作れない
トリ小屋→自分で建てれない
その作物の起承転結のいずれかに苦手分野があれば、その作物は必要最低限しか作れない。
農業もかなり細分化されているので、まず、自分に最も向いていると思うものを、スタートするまでに見つける必要がある。
炭焼き窯の近くに、「水場」があった。山の清水が湧き出ているらしい。山にはこのように水が出る場所があり、上水道ではない「簡易水道」として利用している人も多い。
我が集落にも、自宅のすぐ東の山にこのような清水の出る箇所があり、集落の10軒ほどが共同で簡易水道として利用している。

ネギとチンゲンサイの2回目を蒔いた。地床育苗。
育苗にはこのような地床育苗の他に
(1)ポット育苗→5センチと8センチポット
(2)稲の苗箱に蒔いて、ポットに鉢上げして育苗
(3)144穴の発砲スチロールの連結ポットで育苗
と、作物によって使い分けているが、育苗せずに直播もある。直播はダイコン、カブ、ニンジン、インゲン。
身辺が忙しく、ネギの種蒔きが予定より5日ほど遅れた。その作物の最適期に種蒔きをすれば、たいてい順調に生育する。
(今日の夕飯)
トリのから揚げ・・・市販の惣菜
春キャベツ
シイタケ・・・今日の炭焼きで頂いた
煮魚・・・・・・ヒラ
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ナスビ40本、ピーマン20本の定植をした。もう遅霜の心配はないと思う。天気予報で気温が低くなりそうなら、薄い毛布のような、べた掛け資材をかぶせる。
イタリアンパセリをポットに鉢上げした。32ポット×5ケース=160本。
キュウリの定植13本(4回蒔く、その1回目)。
トマトの定植16本。自給用。トマトは雨避け設備がないと病気が出やすい。ハウスがあれば雨避けになるし、害獣の侵入が防止できる。
前年のイタリアンパセリの畝を利用して不耕起栽培。肥料は追肥で。

前年のスイートバジルの畝を利用して、不耕起で、黒マルチの上部をハサミで丸く切り、株間50センチでインゲンの種を蒔いた。 種蒔き後、クン炭をふって強い雨でたたかれるのを防ぐ。
育苗してもらっていたオクラ、ツルムラサキ、エンサイの3種類をもらって帰った。
例年この3種類は5月2日か5月3日に蒔いていたが、今年は今週末には定植できそうである。
手前はチンゲンサイの地床育苗。後方のレタス2種類の発芽がよくない。それでも30本は定植できる。
チンゲンサイは前後左右10センチ間隔で定植。
その他、スイカ6本(自給用)の定植をした。
小梅の現在。5月末~6月上旬収穫。
道路
下水道
農業
この3つには、莫大な税金が投入されていると思う。道路は今、見直しが叫ばれているが、下水道と農業は見直しどころか、ますます巨額の税金が投じられようとしている。
でもよく考えて見れば、道路も、下水道も、農業も、全て土建業関連である。農業は一見、土建業と何ら関係なく見えるが、
(1)小さい田んぼをまとめて大きな一つの区画にする圃場整備事業
(2)限界集落支援(農業支援)は、名目を変えた、限界集落の道路整備事業
つまりどちらも土建業の仕事である。道路が見直されても、名目だけ代えた土建業支援の「抜け道」がいくらでもある。
農協事業
現在の農協は、本体の農業事業は10%ほどで、他の90%の事業は、金融、共済、購買、介護等のありとあらゆる事業を、集落をターゲットにしてビジネス展開していると思う。だから、農業者など一人もいなくても、田舎(特に限界集落の田舎)をターゲットにして、ますます農協は栄える。つまり農業者と農協の利益(繁栄)は反比例する。
農業の分野には、農協経由で莫大な補助金 が下りているが、実際の所は「農業者支援」でなく「農協支援」ではなかろうか。
農協の果たしてきた役割はなんだろう。自分はほとんど農協との付き合いがない。たまに米ヌカを購入するくらいである。農協には出荷したことがないし、農業資材も農協ではなく、安いホームセンター等で買う。
顧客に直接販売をするのが農業の基本だと思う。自分で作り、自分で販路を開拓して、自分で値段を決める。この場合、作ることより顧客を見つけることが難しい。
食糧の自給率向上がさかんに言われているが、現実的に無理。
(1)誰でもが簡単に農業に新規参入できないし、
(2)3年くらいではなかなか1人前にならないし、
(3)初期投資の金額も大きいし、
(4)害獣の被害は年々激しくなるし、
(5)台風は大型化し、日照りと大雨の凹凸も著しいし、
(6)サイクルが1年なので、10年経過しても、たった10回の経験しかできないし、机上で学習できるものでもない。
(今日の夕飯)
新タマネギとトーフの煮物
摘み取り系レタス(初物)
目玉焼き
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時刻は10時20分。2日間更新していないと、随分しなかったような気がする。私事により、昼間も夜もどうしても時間が取れなかった。
画像は日曜日に更新しようと思っていた画像である。スイートバジルの鉢上げをした。今回は前年の温床の堆肥土がなくなったので、山へ腐葉土を取りに行き、ポットの8分目まではそれを入れた。上部の2割は細かい土の方が扱い安いので、市販土にクン炭を混ぜたものを使っている。
稲の苗箱2ケースで、軽く32ポット×10ケース=320本の鉢上げができた。残りの苗は「植え継ぎ用」に使う。
スイートバジルは2週間あまり育苗して、5月連休末頃に定植する。
昨日、今日と絶好の「定植日より」だったが、昼間も農作業はできなかった。明日は朝から農作業ができるが、すでに午後からは雨のマーク。雨の前に、キュウリ、ナスビ等の定植を終わらせたいが、どこまでできるかわからない。
明日はまた育苗の第2弾、エンサイ、ツルムラサキ、オクラのポット苗を大森園芸さんにもらいに行く。今年、育苗を依頼したおかげで、かなりの時間と費用の両方を節約することができた。
(1)朝、晩のポリの開閉、水やりの時間を免れることができた。
(2)発芽失敗とわかるのは、たいてい1週間ほど経過してから。その当日に蒔き直したとしても、すでに1週間遅れる。
(3)今まで失敗する可能性が高かった(発芽適温まで温度が上がらなかった)作物は、種を2倍買っていたので、種代もその分が高くついていた。
(4)第1弾の育苗では、たいてい温床が必要になったが、今回は依頼したので、温床を作る時間が省けた。
(5)1回で育苗が成功すると、市販の土も少なくてすむ。
(6)エンサイ、ツルムラサキ、オクラの育苗を3週間早めることができたので、収穫も3週間早めることができる。
育苗(発芽処理)を依頼したおかげで、毎年のこの時期の「育苗」という煩雑さから開放されて、余裕を持って過ごすことができた。だから今回のように急に2日間農作業ができなくなっても、そんなに影響を受けることなく通過できた。
夜の時間も取れなくて、ブログのことが気になって仕方がなかった。さっきからまた、普通の日々に戻れた。

左はイタドリ、右はワラビ。日曜日夕方の画像。春の訪れをつげる山菜は、あっという間に大きくなり、春の終わりをつげる使者にもなる。
日曜日夕方のニワトリ。
農作業はできなくても、昨日、今日と、ニワトリのエサやりだけは欠かしていない。しかし今日の産卵はゼロ。明日、明後日の産卵個数を見てみないとわからないが、ニワトリも春の終わりを告げているのかも知れない。
いつもご訪問ありがとうございます。
明日からまた、通常通りの更新予定です。
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「アメショッス(猫ブログ)」や「Mのランチ(飲食店ブログ)」などを見て、自分のブログに入る前のウオーミングアップをしていると、自分のブログに入るのが嫌になることがある。そうしているうちに時間は刻々と過ぎていく。自分の場合、12時前後がタイムリミットなので、多くても少なくても、それまでに書けたものをアップしている。
自分のブログへ進みたくなくても、とにかく身体(10本の指)を動かしていくようにすると、5行ほど書き進んだら、いつの間にか自分の空間に入れるようになる。
朝日新聞の「記者風伝」に横井庄一さんのことが載っていた。横井庄一さん・・・知っておられますか。グアム島で見つかり「横井庄一、恥ずかしながら帰って参りました」と、羽田空港、特別便のタラップの車椅子で叫んだ、あの横井庄一さんです。ボクはあの日の横井庄一さんをテレビに釘付けになって見ていた。だから、今でもよく覚えている。あの第一声は、なかなかの「名文句」だったと思う。
横井庄一さんがグアム島で見つかったのは1972年1月だから、今からもう36年も前の20才の頃。あれからもう36年もたっているのか! 自分の脳みそが、あの頃から全然、進歩していないような気がする。
横井庄一さんは戦争が終わってからも27年間一人で隠れ住んでいたわけだから、まるで龍宮城の浦島太郎。でも楽しい一人暮らしだったのではなかろうか。周りには豊かな自然があり、木の実、魚、食用になる植物やイモ類を食べていたのだろうから、とてもリッチな生活。
あくせく働く必要はなく、腹が減ったら、身近にあるものを採取や狩猟すればよかった。春夏秋冬、一人分の食べ量くらいなら、いくらでも収穫できたのだと思う。
小鳥の声や水の音や、太陽や、美しい自然に囲まれて、「孤独」など、あまり意識することはなかったのではなかろうか。大都会の孤独の方が深いと思う。
ただ、人に見つかることを何より恐れて暮らしていた横井さんは、人の気配というものを何より欲していたらしい。それは、横井さんの隠れ住んだ穴のあった竹やぶから、団地のような人家が見えていたらしいから。
あの年代の人は、山中に一人取り残されても、十分に生きながらえて行くだけの、生きる知恵があったのだと思う。つまり、戦争に徴兵されるまで自給自足的な生活をしていただろうから、それを引き続けてグアム島ですればよかった。
現代人はそんな自給自足の経験がないから、無人島に一人取り残されたら、生き残れないかも知れない。自分もそうである。
(1)火の起こし方を知らない
(2)足に履く「ワラジ」のような物が作れない
(3)釣り針が作れない
(4)釣り針に結ぶ糸が作れない
(5)魚を取る網や銛(モリ)が作れない。
(6)鳥を捕まえる網が作れない
(7)鳥を捕まえる「ひっつきもち」が作れない
(8)鋸(のこ)や鎌(かま)や鍬(くわ)の代用となるものが作れない
(9)魚の燻製や保存食の作り方を知らない
(10)下着や服が作れない→横井さんは戦前は服飾の職人だった
1世代前までの人は、幼い時から親の自給自足的な生活を間近に見ていたので、生活に必要な物は、人に依存したり、購入したりすることなく、自分で手作りすることができた。
現代人は、教科書の知識はあっても、現場の知識はないから、無人島などに取り残されると、生きていくことができない。カエルやバッタやヘビを食べるのも、生き残る条件である。
食糧危機が生じた場合、
(1)野菜は作れる
(2)主食の米は作れない→放棄
(3)この場合、サツマイモ、ジャガイモ、サトイモのイモ類が主食の代用となる
(4)イノシシやシカを捕まえる技術はないが、ニワトリを飼えば、肉と卵は自給できる
(5)牛乳はほとんど飲まないので不必要
(6)汚染が進んで魚も遠くない将来、食べれなくなるだろう
(7)茸類は取れなくなったが、シイタケは栽培して食することができる
そして、
(1)水は山水を利用できる。
(2)煮炊きは、戸外で薪を利用して炊くことができる。
(3)風呂も薪で沸かすことができる。
(4)下肥は田んぼに施せばよい。
都会では無理でも、田舎では何とか食糧危機は回避できる。


水曜日の10時頃からぽつぽつ降り始め、昨日は1日中降り、深夜にも強い雨が降った。1日半ほど降り続いた雨で、また田んぼが水浸しになった。4月に入ってから雨量の多い雨がよく降る。右の画像は液肥を担ぐタゴであるが、空っぽだったのが1日半で、5リットルの目盛りをを越えるほど降っている。
ナンキンを雨の前に植えていたのが、良かったのやら、悪かったのやら。早く水が引いてくれないと「根腐れ」を起こす。ナンキンの田んぼと、その上の田んぼは、どうも排水が悪い。まわりの細い水路も点検したが、落ち葉で「堰止め」になっている箇所はなく、水はスムーズに流れている。
去年の秋に集落で、墓に水が流れ込まないよう、墓の上に排水路を作ったので、水の道がちょっと変わったのかも知れない。それ以前は、こんなに水浸しになることはなかったように思う。

今日のタンポポ。強い雨にもめげず、元気に復活。
タマネギの通路に植えている、ハーブの「ジャーマンカモミール」が咲き始めた。このカモミールは定植したものでなく、こぼれ種から自然に生えたもの。これから5月中旬頃までの1ヶ月、この花が楽しめる。
この花を10個ほど摘んで湯のみに入れ、沸騰した湯を注げば、ほのかなリンゴの香りのカモミールティの出来上がり。


大森園芸さんで育苗してもらった、手前からイタリアンパセリ、スイートバジル、ニガウリ・トウガン、キュウリ、ナンキン、購入したトマト。
真ん中は昨日、義兄にもらったナスビ、ピーマン、スイカ。
スイートバジルは日曜日に5センチポットに鉢上げ予定。他は、もう少しこのままの状態で管理。
(今日の夕飯)
カレー
春キャベツ
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75才までにあと20年しかないというのは、立ち止まって考えるとちょっと怖い。しかしこれが現実。
最も円熟期であるはずの晩年の10年が、この国では、人生で最も過酷な時期になるような気がする。
健康への不安・・・
経済的な不安・・・
家族や友人、自分のまわりの親しい人の死・・・
物忘れや痴呆との内面的葛藤・・・
老いとの直面・・・
あと20年で75才・・・
何も残せそうにない・・・
あめんぼ通信を残そう・・・
この先2年ほどは今の環境下で書けると思うが、その後は書く環境の変化が必要になると思う。ワンパターンでは書き続けれない。
2年後の激しいスランプ、葛藤、挫折・・・
スランプ、葛藤、挫折を乗り越えたら、また新しい夢中になれる対象が見つけれると思う・・・
とにかく、2年後まで毎日少しずつでも書き続けないと、スランプ、葛藤、挫折を経験できないし、それを経験しないと、次の段階には進めない・・・
小雨がそぼ降る中、ナンキンの定植をした。明日、明後日が雨の予報であり、雨上がりの3日間は、じるくて(ぬかるんで)植えれないとすると、今日植えなかったら5日後の22日になる。これではポット苗が大きくなりすぎるので、肌寒かったが今日定植した。
(1)品種、鈴なり錦2号・・・ナント種苗
(2)定植本数23本
(3)植え次ぎ(補植)苗として7本 準備
(4)保温とウリバエ避けにべた掛け資材をトンネルにした
(5)定植後、苗のまわりにクン炭をふり、その周囲に液肥をふった
(6)クン炭はネキリムシ(ヨトウムシ)の被害を防いでくれると思う
イノシシやシカの被害を考えて、今年から電柵で囲うことにした。そのためサツマイモの隣に植えた。

この黒マルチは、ナスビ、ピーマン、オクラ用。乗用トラクタの畝立て機を使えば、もっと高畝にできるが、自分はそれが使いこなせないので、小型管理機の畝立て機を使う。だから、畝が低くて排水が悪いが、できないのだから仕方がない。
右の画像のタマネギは少なく見えるが、これでも1500本余り植えている。最大の時はこの2倍の3000本ほど植えていたこともある。
もう少し多く「ブログ時間」を確保するために、春夏作のシミュレーションをしょっちゅうしている。
春夏作の12品目は
1類 タマネギ・ジャガイモ
2類 キュウリ・ナスビ・ピーマン・オクラ
3類 ナンキン・ニガウリ・トウガン
4類 エンサイ・ツルムラサキ・青シソ
※サツマイモ、サトイモ、ヤーコンは秋冬の出荷であるが、作るのは春夏作。
※自給用のスイカ、トマトの防御に案外と時間がかかる。
※ハーブはスイートバジルとイタリアンパセリ。後は小面積で足りる。
※ロケット、ディル、チャービルの3種類は秋冬作だけ作る。
「ソロで生きる意識を」と、作家の沢木耕太郎さんの講演が朝日新聞に載っていたが、今の時代は、独立自営業が成り立たなくなった。農業、大工さん、左官さん、自転車店、薬局、鉄工所、文房具店、八百屋・・・。95%以上の人がサラリーマンだと思う。長く組織の中で生きて、定年でソロになる。30代や40代で組織をドロップアウトすると、よほど能力がないと生きていけない。
生き方の選択肢がますます狭くなり
生きることがますます息苦しくなり
土からはますます遠ざけられ
夢にまで見た定年後の大地は、イノシシやサルが支配して 家庭菜園もろくろく作れない
資本主義の発達とともに、ニワトリは大地から離され、身動きできないケージに閉じ込められて、その生涯を終える。
資本主義の発達とともに、人間も大地(農業)から離され、サラリーマンという組織に閉じ込められて、その生涯を終える。
ニワトリも人間も資本主義経済の運命共同体。ニワトリがケージから開放されて、自由の大地(土の上)に戻ることができない以上、人間もサラリーマン組織から開放されて、自由の大地(農業)に戻ることはできない。
人間は本来「土着性」の生き物なのに、土から離され、身近に土のない生活を余儀なくされているために、ばかげたスピリチュアルや宗教やセラピーに依存する。
すでにニワトリも人間も大地の上に戻れなくなっている。死んでも土に戻れない。土葬でなく、産業廃棄物扱いの火葬によって、魂は帰る場所を失って彷徨う。これでは大地からの輪廻転生もない。
(今日の夕飯)
豚肉の生姜焼き・・・スパゲティ、春キャベツ
すまし汁・・・新タマネギ、トーフ
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普通にサラリーマンが勤まっていたら、農業などしていなかった
カネにならないのはわかっていたし
年寄りがするような仕事と思ったし
道を追求するような仕事と思わなかったし
市場出荷なら当然、農薬、化学肥料を使わないと、いいのができないと思ったし
葉タバコを子供の頃から見ていたので、農業にいいイメージが持てなかったし
両親はボクが高校生になった頃から農業を止めて、日雇いで働き始めたし
頭の悪い人がする仕事と思ったし
大体、農業など職業として想像もしなかった
ドン百姓、田吾作、田舎もん・・・
なのに、逃げ場が農業になった
青天の霹靂のように農業がひらめいたのだった
最初はハウスで施設園芸のような農業を考えた・・・
しかし、何箇所か見せてもらって、自信が持てなかった・・・
ハウス等、最初の設備投資に200万ほどかかると言われた・・・
500万ほどの農業設備資金が借りれると言われた・・・
しかし、農業収入で返せるだろうかと思った・・・
しばらくして有機農業という農業を知った・・・
初めて、これならできるだろうと思った・・・
スタート時に元手が余りかからないのがいいと思った・・・
田畑も農具も先生(当時は父が健在)もすべて揃っていたので、スタートできた・・・
普通にサラリーマンができていたら、60才になってから、家庭菜園を始めていただろうと思う
しかし、何の因果か30代の半ば過ぎにスタートして、すでに20年近い経験を積むことができた
他の人ができない経験を積むことができた
農業は、机上では全くわからないものだからである
経験して初めてわかることがほとんどだからである
農業には全く未来が見えない・・・
農業を取り巻く状況はますます悪化している・・・
沈没が間近いのに、防ぐ術も見当たらない・・・

ニワトリのエサを農協で買った。前回3月10日に買った時は1240円だったが、今日は1350円だった。110円値上がりしている。飼料の大半は輸入品だから、国際的な動向に左右される。
前回から35日空いているので、20キロ÷35日=570グラムほどしか1日に与えていない。570グラム÷31羽=18グラムしか1羽が食べれていない。
1日1羽が100グラムというのがエサの標準なのに、18グラム。でも、栄養失調にはなっていない。米ぬかを結構やったので、それが有効だったと思う。春のせいでもあるが、産卵率は他の月よりもよい。
卵はよく食べるので、得体の知れない購入飼料はあまり与えない方がいいが、だからといって、米ぬかだけでは栄養が足りない気がする。
たった31羽でも、エサの自給はなかなか難しい。


昨日、今日と液肥を使ったので、午後また新しく仕込んだ。米ぬかを入れて、ナタネカスを少々入れて、周囲の雑草を少し入れて、エンジンポンプで井戸水をポンプアップして完了。
ボクが液肥に出会えたように、早くあなたも、あなた自身に最も適した肥料を見つけて欲しい。
液肥作りは堆肥作りよりはるかに楽だと思う。堆肥作りは、作る時も施す時も両方とも重労働。1~2回の切り返しも重労働。
酪農家から、2トン車一杯○○円とかで、配達してもらっている人も多いのではなかろうか。
ずっと以前、市販の袋入りの鶏糞を使ったことがあるが、気味が悪くなって1年で止めた。
肥料はできれば自分で作った方がよい。肥料作りが楽しくなると、農業全体が楽しくなるし、作物の安全性も飛躍的に高まるし、味もよくなる。


タンポポが写してくれと言う。4月13日~4月23日頃の10日間が最も見頃。太陽があたり出すと花が開いて、夕方には花が閉じる。
花の命ははかないが、1年間をこの10日間に凝縮したように咲き誇る。
(今日の夕飯)
シズという魚
イカフライ・・・市販の惣菜
キンピラ・・・購入したゴボウ
春キャベツ
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肥料の高騰、飼料の高騰が、農業新聞で毎日のように取り上げられているが、自分の場合はほとんど影響がない。あまり「購入していない」から。
肥料・・・米ヌカ(1袋100円、もしくは無料)。ナタネカス(今年急激に値上がりしているが、年間で5袋ほどしか使わないので影響は小さい)。
飼料・・・コゴメ(親戚からもらっている)。購入飼料(コゴメがなくなったら月に1袋購入×7ヶ月ほど)。米ヌカ(肥料と飼料の兼用)
金額的には肥料で5千円、飼料で8千円ほど。完全自給はできていないが、これくらいの金額なら、外部にほとんど依存していないと言える。
最も頼りにしているのが稲作農家。稲作農家ががんばってくれるから、
(1)コゴメがもらえる(買える)
(2)米ヌカがもらえる(買える)
(3)籾殻がもらえる
(4)籾殻を利用して焼きすくも(くん炭)が作れる
(5)稲ワラがもらえる(買える)
(6)池の水を管理してもらえる
(7)害虫を食べてくれるトンボやカエルは水田で育つ
(8)田んぼが近くにあると涼しい
(9)田植え後の水を張った風景が好き
(10)作ってもらい、その上、小作料がもらえるありがたさ
なのに、減反(生産調整)の大合唱・・・。作るな作るな、減らせ減らせと言っている内に、減ってはいけない面積まで減ってしまう。そうなったら本当に困る。稲作はいったん手放したら(耕作を止めたら)、もう一度復帰するのは難しいと思う。
当地域の稲作は、10年後は風前の灯と思う。野菜は家庭菜園でできる。しかし稲作は家庭菜園ではできない。
稲作の風景が消えていく時、瑞穂の国の日本人の魂も消えていく。
肥料、飼料を書いたら、農薬についても書く必要がある。
農薬は秋のアブラナ科野菜だけに使っている。
春のアブラナ科野菜は、以下の2種類しか作っていない。
(1)冬越しの春キャベツ
(2)チンゲンサイ(去年まではコマツナ)
冬越しの春キャベツは害虫が活躍を始める頃にはすでに収穫期に入っているし、春はダイコンサルハムシがほとんど出ない。だから農薬の世話になる必用がない。少々の外観の悪さは有機栽培では当然のこととして出荷する。
山村の活性化について
山村の活性化について最近よく論じられているが、活性化はごく単純なことだと自分は思っている。それは、「山村で自給自足的な生活が成り立つこと」、この1点だけ。
(1)都市のスラム街の人の移住
(2)ニートやフリーターの人の移住
(3)雇用の場のない中高年の移住
(4)心身に障害のある人の移住
(5)刑務所から出所した人の移住
いわゆる社会的弱者の立場に追いやられた人が、誰に依存することなく、風光明媚な山間地に移住できて、そこで自給自足的な生活がまわっていくなら、山村は必ず活性化する。
しかし、自給自足されたら企業は困るのである。作った製品を買い続けて、あるいは、買い替え、買い替えしてもらわないと、資本主義は成り立たない。現に資本主義は「輸出」によって、低開発国の「自給自足的な村」を徹底的に破壊してきた。自給自足の生活が成り立たなければ成り立たないほど、資本主義は発展するのである。だから世界の隅々まで、アマゾンの奥深い集落の村々でさえ自給自足が成り立たないように仕向けてきたのである。
自給自足ができなくなった人は都市に働きに出て、そこで仕事にあぶれると、大量のストリートチュルドレンが発生するという構図である。
自給自足を取り戻す道は2つある。
(1)各種ライフラインの支払いからの開放
(2)各種社会保険料の支払いからの開放
なぜこの2つを取り上げたかというと、この2つに関して、日本全国津々浦々まで、大都会も、限界集落も同一の負担であるということ。もっと厳密に言えば、上水道代、下水道代等、限界集落の方が大都市より負担がかなり大きいという、まさに「あべこべ」の現象。財政破綻した夕張を見ればよくわかる。これでは、ますます山村から人口は流出する。
若い人が田舎で生活できなくなっているのである。
(1)雇用の場がない
(2)ライフラインや社会保険料支払いのためには、どうしても働きに出なければならない。
山村が没落するこんな単純な理屈がなぜわからないのだろう。雁首並べて、がたがた議論しても、何ら問題は前進しない。ある意味、資本主義政治経済制度そのものにあると考える。
EU(ヨーロッパ連合)諸国の山村がどうなっているのかよく知らないが、生きていくための、必要最低限の固定費(ライフラインと社会保険料)があまりに高過ぎるということが、若い世代が山村から出て行かざるをえない原因である。
政治経済制度はそのままで、補助金も出せないとしたら、システムを変えていくことである。つまり、
(1)上水道→山の清水を引く簡易水道の普及
(2)下水道→中国式の簡易なメタンガス発生装置に変更
(3)ガス→中国式の簡易なメタンガス発生装置の導入
(4)暖房→床暖房、いろり(薪を利用)
(5)NHK受信料→無しに
(1)国民健康保険料→免除
(2)国民年金保険料→免除
(3)固定資産税と火災保険料(家主に支払い)
山村活性化には、こんな政策が必要と思う。
こういう人たちは自給自足をめざすのだから、何ら経済活動には貢献しない。資本主義経済を信奉する人から見るとマイナス経済になるだろう。しかし、
(1)これ以上の害獣の進出を食い止め
(2)山林や河川を守り
(3)田園風景を維持し
(4)地球温暖化を止める生活様式
(5)山村に逃げ場があるという心の余裕
等は山村が維持されて始めて成り立つ。
道路などいらない
そんな余裕があるなら国家の借金をまず減らせ
山村に下水道などいらない。環境に名を借りた業者利益
道路工事がなくなって下水道に群がる
農業関係の補助金を全て一覧表にして示せ
農協はいったい、農業に何を貢献してきたのか
自給自足を返せ
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里の夕暮れ。前々日の大雨で、今日も田んぼには入れない。


左からセイジ、タイム、ルバーブ。このセイジは3年目。セイジは突然に枯れることが多いが、この場所の土質はセイジに合っていたのか、青枯病は1株も発生していない。
タイムはレモンタイム(ハーブティ用)とコモンタイム(料理用)の2種類。手を加えなくても丸っこく茂る。
ルバーブは茎をジャムにする。5月はまだ野菜の種類が少ないので、ルバーブやハーブティ用ハーブは重宝である。

他に食べる物がなければ、サトイモのくずや、不良シイタケも食べるという新しい発見をした。ほんとに何でも食べてくれるリサイクル鳥。
あぜ道のアップルミント。畦のそばに植えていたら、いつのまにか畦岸に侵入して、雑草を押さえてはびこる、たくましいミント。
雨の前に植えたサトイモ。強い雨にたたかれるのはよくないと思い、籾殻をふっておいた。サトイモは2品種を並べて植えると、収量の多少、渇水に強い弱いが、てき面に現れる。
日本全国いたるところで害獣被害。農業新聞にも週に1~2度のペースで必ず載っている。
押し寄せてくる煩悩も、ブログの方ばっかりに気持ちが向いていると、あまり気にならなくなる。ブログは自己療法である。
ボクは単純だから、もうずいぶん昔に読んだ本の1フレーズだけを暗記していて、それをしばしば思い出す。
「寝ても、さめても、立居につけても、自心これ何ものぞと深く疑いて・・・、一日に千巻万巻のお経や陀羅尼を読むよりは、一念自心を見るにしかず・・・」
30年ほど前に読んだ小林幹夫著「禅入門」という本の中に書いてあった。
今は、寝ても、さめても、立居につけてもブログ・・・。しかし、「一念自心を見るにしかず」は、これとは全く逆の方法をとる。つまり、「自分を決して省り見ないで、自分以外の対象に徹底して注意を向ける」という方法を取る。これも一つの真。
自分を見続けていたらノイローゼになる。
備前市 鶴海出身の作家「柴田錬三郎」が、母校の小学校に贈った手紙に「自分の好きなことを早く見つけて生きてほしい」と書いているらしい。
実際にこれができている人が何人いるだろう。10人に1人もいるだろうか。普通は
(1)仕方がない。もう若くないから、今の仕事を続けるしかない
(2)希望してはいないが、ここしか入れなかったから
(3)考えても仕方がない。他所を見てもどうにもならない
(4)合格先、あるいは就職先を運命と考えて、努力する
こんなパターンだと思う。
大体、何が好きかもよくわからない。今幸福かと、つきつめれば、とたんにぼろが出る。誰もがいい加減な所で妥協する。
好きだと思っても、向いていなかったり、適性がなかったりすることもあるだろうし、考えもしなかった仕事に適性があったりする。能力と適性も異なる。ということは、結果的に長く続いたことが、結局適性があり能力もあったということになるのではなかろうか。
つまり能力や適性など20代の前半くらいでは皆目つかめないと思う。それがわかる人は少なく、それをすることができる人は幸運である。
凡人は、たまたま入れた、仕方なくそうなった第2志望、第3志望の場所で妥協して生きていると思う。自分などいつも浮き草のようだった。あっちへふらふら、こっちへふらふら。今はふらふらはしていないが経済的にいつも超低空飛行。安定という時代を生きてきたことがない。多分これは死ぬまで続くだろう。
ただ考えてみるに、今は誰もが不安定と思う。
2008年産米の生産調整では、全国で約10万ヘクタールの米の作付減少が必要・・・。
転作拡大を決断した佐賀市久保田町の場合、米の10アール所得は約3万円。大豆は品代だけなら赤字だが、
(1)産地づくり交付金
(2)水田・畑作経営所得安定対策(品目横断的経営安定対策)
などを合わせると、10アール所得は約6万円になる。(日本農業新聞)
米の10アール所得は3万円ほどにしかならないそうだから、1へクータール作っても30万円という所得。考えられないような安さである。それでも米を作るのは、
(1)先祖代々の土地を荒らしたくないから
(2)田植え機もコンバインもまだ新しく、今止めるのは惜しいから
(3)定年後、他にすることがないから
(4)ボランティア?、それとも趣味?
野菜農家も同じ。
海外は米不足なのに生産調整なぜ?
国際相場は高騰したと言っても、タイの長粒種米で1トン8万円程度。日本と同じ短粒種の外国産米の3月平均買い入れ価格も、1トン15万円程度。国内で60キロ1万5千円の米は1トン25万円なので、価格差が大きい。このため、穀物の国際相場が高騰しようとも、国内の米の需給に与える影響はほとんどなく、生産調整の必要性は何ら変わらない。(日本農業新聞)
韓国で鳥インフルエンザが相次いで発生。昨年に被害を受けた宮崎県では養鶏農家が警戒を強めている。宮崎県内の養鶏農家は478戸、羽数3281万羽。 1戸平均の羽数は約7万羽。
鳥インフルエンザは自分も怖い。しかし、太陽をたっぷり浴び、青菜もたらふく与えているので、かなり抵抗力はあると思う。
小さな身動きできないケージに閉じ込めて、何十万羽も飼うというシステムは、鳥インフルエンザのようなウイルスには危機管理で劣る。
1軒で10万羽飼うのではなく、5千軒が20羽ずつ飼うというシステムが危機管理では勝る。これは、古い、旧システムだろうか。動物を飼うということは本来、こういう小さな飼い方だと思う。ウイルスの脅威は、あまりに大規模な、資本主義的飼い方への警告である。
45年前まで庭先で飼っていた20~30羽養鶏の方が生態的にも環境的にも優れている。 戻せそうにない・・・しかし戻さなければ同じ事態が繰り返される。
乗用トラクタのような重たいものが、田んぼにどんどん入り込むのはよくない。農業を始めた頃はそう思った。しかしすぐに、その便利さに慣れ親しんで、いつしか考えなくなった。
乗用トラクタは自分が持っているような最も小型の部類でも700キロほどになる。700キロもの重機が田んぼに入ったら素人目にも田んぼによくないのはわかる。耕盤を発達させて、上層土と下層土を分離して水はけを悪くし、ロータリーツメの届かない耕せない場所の土をより踏みしめてしまい、根が伸びづらくなるように思う。
家庭菜園ほどの規模だったら、乗用トラクタはいらない。現に、家庭菜園の人が使っているのは小型の管理機(ミニトラクタ)だけである。
家庭菜園なら不耕起栽培が比較的楽に出来ると思う。
(今日の夕飯)
レトルトカレー
ワケギの酢味噌・・・前日の残り
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昨晩はかなり雨が降ったということが、田んぼに着いてわかった。今日も雨脚の強い時間帯があった。
こんな雨の日は田んぼ仕事はできないが、ニワトリのエサだけは行く必要がある。
サトイモを昨日伏せておいてよかった。こんなに雨が降ったら、4~5日晴天が続かないと、管理機やクワが使えない。150個ほどだから、昨日終わらせることができた。最高480個伏せたことがあるが、それは明らかに多すぎた。240~180個伏せた期間が長かったが、昨年から150個ほどに減らした。
サトイモは「水肥え」と言われるくらい水の要求量が多いから、たくさん作っても、盛夏に水がたっぷりやれなければ、芋はあまり入らない。 他の作物の水の割り振りを考えて、サトイモの定植個数を決める必要がある。
今日は新聞を読みながら過ごした。新聞3紙に毎日目を通すのは、時間的にきついが大いに役立っている。他に何も勉強らしいことはしていないので、新聞が勉強である。
50代の前半まで長らく山陽新聞だけであり、農業新聞を取り出したのは去年の10月から、朝日新聞を取り出したのは今年の1月からであり、やっと3紙を読むリズムができてきた。
農業を始めてからは農業に没頭した日々を送っていたので、新聞などあまり必要としなかった。農業専門書もあまり必要としなかった。読んでも自分の田んぼに生かせるものが少なかったし、個々の作物に対して技術的なことを追求していくというタイプでもなかった。ハーブに関しては知識はゼロだったので、本を読んだり、何度か見学に行かせてもらったりした。
作物を作る技術的なことより、売り方の方にこだわりがあったので、むしろ営業に力を入れてきた。
ちょっと前に農業を始めたような気がするがもう18年も経過してしている。ワンパック宅配という出荷形態の必要性に迫られて、毎月1回ミニコミを添付してはいたが、ブログとの出会いはあまりにも大きかった。「はまった」と言うか「これだ」と思った。同じようなことの繰り返しになっているかも知れないが、自分の中では毎日新鮮な気持ちでブログに向かっている。
他に何のとりえもないし、人の4分の1も稼げなかったし、何をやっても続かなかったのに、農業だけは続いた。気楽な職業だったからだろう。
13年目の末にふと思いついて、それまでのミニコミを一冊の小冊子にした。それから毎年一冊の小冊子にしたが4冊目の時に挫折した。その直後にブログと出会った。
農業だけやっていたのでは何ら変わることはできなかっただろうが、ブログが自分を変えてくれている。農業には限界を感じ始めたが、新しい興味の方向をブログが提示してくれた。
あっという間に18年が経過したが、これからの20年もあっという間に過ぎ去るのだろう。その時はもう75才。自分が自分らしく生活できている限界の年齢ではなかろうか。だから、、今日の今、こつこつと書かなければ、明日のことはわからない。
沖縄県 尖閣諸島の魚釣島で、繁殖したヤギの食害で、島固有の動植物が危機にさらされているらしい。
ヤギは1978年にある政治団体が連れて行った2頭が繁殖して、1991年にはすでに300頭ほどになっていたらしい。たった13年間で2頭が300頭に・・・。こんなに繁殖するものなのか。
イノシシやシカ、サルもこんな調子で増殖しているのではなかろうか。今手を打たなければ、農作物が作れないようになるかも知れない。動物愛護とか言っておれないと思う。
県内の各地の山村を訪ねた時、「いつ頃からイノシシが出始めたのですか」と聞くと、30年前はほとんどこのあたりでは見かけなかったとか、出始めたのは10年ほど前からだとか、5年前に初めて出たという話を聞いた。つまり、今から30年ほど前にはまだ、かなりの奥山にイノシシはひそんでいて、里にまで進出していなかったのである。
自分の場合も「まさか」だった。しかし、一度出始めると、現実を受け入れざるをえない。「農業に未来はない」と思えるのは、こんな野生動物の幾何学的増加を感じるからである。当地でも、サルを見かけたという話が時々出る。サルが出始めたらもうお手上げである。
多くのハードルは苦もなく越えてきたが、イノシシは自分にとって最も大きなハードルになっている。しかし他地域に比べたら、当地の密度はまだまだかなり低い。
家庭菜園でトウモロコシを作っている人は少ない。トウモロコシは、上からはカラスが、下からはタヌキが狙い、スイカやトマト同様、全体を網で囲う必要があるからである。面倒くさくなると家庭菜園では作らなくなる。同じ理由でスイカも作らなくなったが、トマトは厳重な囲いをして作っている。スイカはシーズンに1~2回食べれば満足するが、トマトは「おかず」にもなるし、やはり家庭菜園で人気が高いのだと思う。
自分の場合、トウモロコシはもうかなり以前から作るのを止めている。スイカとトマトだけは網で囲いをして自給用に少しだけ作っている。
エダマメももう随分作っていない。換金作物でない自給用のものは、どうしても食べたいもの以外は作る余裕がない。
ワンパックと並行して何か一つ二つ「専門作物」を持とうと、真剣に模索した時期があった。何を専門作物と考えたかというと、野菜では、
(1)エンサイ
(2)ツルムラサキ
(3)青シソ
(4)シュンギク
(5)不結球レタス
の5品目しか思い浮かばなかった。他の野菜には何か一つ苦手項目があり、作れそうになかった。たくさん作る必要がないから作れる。
上記5品目については専門作物にできると考えたが、売り先のことを考えると結局自信がなかった。たとえば青シソとエンサイなら寿司店というふうに、出荷先をしぼって電話営業をすることも考えたが、費やすエネルギーと、継続して購入してくれるだろうかと考えていたら、だんだんと億劫になった。それっきりである。
(今日の夕飯)
ギョウザ・・・市販の惣菜
春キャベツ
ワケギの酢味噌
目玉焼き
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夕方、風がないでから、サツマイモに黒マルチを張った。サツマイモの第1回目の挿し木は5月末の予定であるが、黒マルチを利用すれば、挿し木の50日も前から、準備万端、整えて待つことができる。
黒マルチは産業廃棄物であるが、雨天続き、あるいは急な用事等で仕事の段取りが狂うことがあっても、黒マルチを利用すれば早々と準備ができる。これは最大のメリットである。
もう1列黒マルチをする予定。向こう岸まで植えると、1列で130本植わる。3列×130本=390本の挿し木予定。去年より60本ほど減らす。
電柵を動かすのが負担に感じたので、サツマイモは連作。サツマイモに関しては連作は問題ないと思う。サツマイモに肥料はあまりいらないが、下記のものを使った。
(1)米ヌカ・・・生で畝の上に振った
(2)クン炭
(3)メタン菌液肥少々・・・多いと「ツルボケ」する。
窒素分があると「ツルボケ」するので控えることがポイント。
ジャガイモの畝に少し草が見え出したので、三角鍬で、ジャガイモの足元に土を引き上げるような要領で土を動かした。
「草を抜く」のでなく「草が少し生えてきた状態の時、土を動かすように三角鍬を使う」と、時間は5分の1ほどですむ。
4月は野菜がほとんどない。今日収穫したのは、シイタケと春キャベツ。冬のキャベツが最近まであったが、春キャベツが収穫できるようになった。
これからしばらくは、春キャベツとワケギの「そればっかり食」が続く。旬のものは毎日食べ続けても飽きない。
育苗4パターン
(1)自分で育苗
レタス、チンゲンサイ・・・発芽に高温が必要ないので簡単。
サツマイモ・・・冷床でも5月連休には芽が出る。野ネズミに食われるのが心配なだけ。
(2)今年から大森農園さんに依頼
第1回目・・・(4月2日)ナンキン・キュウリ・トウガン・ニガウリ ・スイートバジル・イタリアンパセリ
第2回目・・・(4月15日)エンサイ・ツルムラサキ・オクラ
(3)義兄から多分もらえる
ナスビ・ピーマン・スイカ・・・もらえなかったら購入
(4)市販の苗を購入
トマト
市販の苗は1本が60円で、仮に30本購入しても1800円。家庭菜園の人はたいてい苗を購入している。
キュウリ・・・ 4本
ナスビ・・・・・6本
ピーマン・・・4本
ナンキン・・・3本
トマト・・・・・12本
合計29本 。4月中旬頃に購入して、簡易なポリのトンネルで4~6日管理して4月20日以降に植えれば、遅霜の被害は少ない。
5月連休は終わり頃なので、早めに買っておいた方がよい。その他、
イ. トウガンとニガウリは家庭菜園ではあまり作っていないようである。
ロ. キュウリは1カ月おきに4回蒔けば途切れない。2回目からは売っていないので自分でポット育苗もしくは直播。
ハ. 青シソはこぼれ種で発芽してくるので、それを定植すればよい。
ニ. エンサイ、ツルムラサキ、オクラはあまり売っていない。この3種類は発芽に高温を要するが、5月20日以降に蒔けば、露地の直播でもよく発芽する。ポイントは種を一晩、「水にかしてから」蒔く。
ホ. スイカは防御の必要があるので、最近は誰もあまり作っていない。
農業環境の劣化
温暖化に伴う稲作や果樹、野菜等の減収を「驚異的な危機」と 位置付け、国や関係機関が、経済成長以上に環境を重視して対策に当たる必要性を指摘した(北里大学シンポジウム・日本農業新聞より)
その他、イノシシ、シカ、サル等の害獣による被害
台風、大雨、日照りによる被害
ハウスのビニールや黒マルチの廃棄による間接的温暖化
市場価格の低迷
自分は以上のような事項と戦うには唯一「作付量を少なくすること」だと思っている。つまり、作れば作るほど損をするという悪循環に組み込まれる。言い換えれば、規模を拡大すればするほど赤字が出る。農業者はできるだけ小規模に、そして設備投資をできるだけ少なくすることが、生き残るための条件と考えている。酪農でも果樹でも稲作でも同じと思う。
(今日の夕飯)
ハモのフライ・・・市販の惣菜
春キャベツ
ワケギの酢味噌
みりんぼし
昨日は久しぶりに外食だった。子供が焼肉を食べたいと言うので焼肉になったが、自分はあまり好きでない。牛がかわいそう。生きている姿を想像しながら食べた。家で食べる時はさほど気にならないのに。
スポンサーは自分でなかったので、値段は気にならなかった。
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取り込み詐欺 (日本農業新聞4月7日付)
「詐欺師にとって、農家は新しいカモ、いわば新市場なんです」。
防止策
(1)突然の大量注文や接触には警戒する
(2)決済方法は代金引換を厳守し、相手が代金後払いに固執するなら取引しない
自分の場合はインターネットなどでたまに入ってくる新規取引は、たいてい断る。小面積だから、そんなに送れる野菜やハーブはない。
自分が相手をしてもらえる顧客は一般の個人客か、もしくは業務用では小さな個人経営の店である。仮にサンプル送付だけで次の注文がもらえなくても、金額的には知れている。1ヶ月間の取引も多くて3回ほどだから、1万円ほどである。貸し倒れもほとんど発生しない。
ただ、これからは小口を狙ったサンプル詐欺も「ちりも積もれば山となる」で多くなるだろう。むやみにサンプルを送らない。1ヶ月間の取引を大きくしない。支払日を定めてもらう等の方法も必要だろう。
農業における個人差
スーパーに並んでいるナスビは想像できても、ナスビが成っている姿を想像できる人が何人いるだろう。そういう自分も、農業がひらめく以前は、ナスビがどんな格好で成っているのか全く知らなかった。就農準備期間中に始めて知った。元々の農家でもこの程度である。興味がなければ気にも留めないので、田舎でもサラリーマをしていればこういう人の方が多いと思う。
そのナスビであるが、今まではずっと44本定植してきた。最も多く定植した時でも90本が最高だった。90本定植して収穫が始まった頃、自分にはこれは多すぎると感じた。
しかし広い世間を見渡してみると、有機農業をスタートして3年ほどで、500~600本を植えている人もいる。
つまり農業の世界では、一口に有機農業といっても、個人差が大きい。能力(技術力)の差 、資本力(経済力)の差、年齢の差など千差万別である。
個人差というのは歴然と田んぼに出てしまう。そして、人の田んぼを見れば大体どれくらい稼いでいるかくらいは10年も農業をやっていればわかる。
他人がやっているから自分にもできるだろうとか、真似をすればできるだろうというやさしい世界ではない。農業が継続できている人は、営業力、資本力、技術力の内、どれか一つは強い分野を持っている。
農業の世界で自分の稼げる金額というのは、4~5年のうちにわかってくる。稼いだ範囲で生活がまわらなければ、農業は継続できなくなる。
現役世代の人が農業に新規参入しても、10年継続できる人は「3~4割」ほどだと思う。
「無知の涙」と言うか、農業雑誌にだまされてこの世界に入ったりすることのないようにしたい。
とにかく元手のかかる職業である。元々の農家である自分でも、
農業用軽四・・・・・・・・・・・・・74万
物置とトリ小屋・・・・・・・・・・41万
井戸・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・27万
エンジンポンプとホース・・・・・7万
草刈機2台目・・・・・・・・・・・・・・6万
管理機・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9万
乗用トラクタ・・・・・父が買っていた
これだけですでに164万かかっている。そして、農業を始めれば、いろんな費用がいっぱいかかりだす。そして自分くらいの小面積でも、種代と苗代だけで平成18年度は4万9千円、平成19年度は3万8千円支出している。
作らずに買った方がはるかに「得である」。はっきりいって農業は「道楽」だと思う。貧乏人はできない。
稲作は父の入院の年に、即、手放した。すでにコンバインは買い替えの時期がきていたし、不器用なのでコンバインや田植え機の使用、乾燥機の組み立ても自信がなかったから。
稲作は近所の親戚に70アール(7反)ほど委託して、毎年、小作料として4俵(240キロ)頂いている。我が家は年間に1人1俵食べるので、ちょうど1年間分になる。しかし作ってくれている人は70代半ばなので、いつまで作ってくれるかわからない。その後は地域で委託できる人はいないので、「遊休地」にするしかない。草ぼうぼうでは周囲の田んぼの迷惑になるので、年に3~4回、耕運だけはする必要がある。
大豆等への転作は難しい。作る作物を変更すれば、その作物にあった機械が必要になる。加えて誰でも得手不得手はあるので、転作は簡単ではない。
自給率のアップは困難
自給率のアップをいくら叫んでみた所で、この国の自給率は決してアップしない。新規参入しても、農業で生活ができるほど、あまい職業ではないと思う。補助金なしでは自立は難しいのではなかろうか。
そして農業は、収入の割には高い職業能力が要求される仕事である。今は中国からの輸入が少し減っているようだが、早晩また頼らざるを得ない。この国では農業が職業として成り立つような経済収入が得られないから、農業の継続は困難を伴う。農業を始めるより農業を継続する方がはるかに難しい。
だからといって補助金の垂れ流しだけは止めてほしい。いくらつぎ込んでも、農業の足腰が強くなることはなく、補助金依存型農業になってしまう。
この国の農業はすでに末期ガンの状態であり、助けようがないのに、延命に膨大な金額がつぎ込まれている。そしてこれは、食糧という国の基本に関わることだからか、誰も表立って反対ができない。
グローバル経済の下では、自国の農業を簡単に自立させることはできない。
(1)地球というパイは限られている。
(2)人口はますます増えている。
(3)農作物は国際市場の取引となっている。
(4)どこかの国が芳醇であれば、どこかの国は不足する。
(5)農作物は世界を平等にまわってはいない。
(6)飢える人と飽食の人に必然的に分かれる。
(7)輸入を途絶えさせれば、その国だけの農作物で供給しなければならないから、農業が自然と自立してくるが、他国との競争にさらされている以上、安い外国の農作物が、高い国内の農作物を駆逐する。
(8)価格が2倍も異なれば、安い方を選択したくなる。
輸入飼料が2倍に高騰した→ならば自国で作るようにしたらどうか→しかし、補助金がついても誰も作ろうとしない→それでもまだ輸入飼料の方がはるかに安くつくからである→輸入飼料が3倍になっても、まだ国産は対抗できない→こんな状態なのに自国で飼料を作る人が出ると思いますか→結局、高騰した部分に補助金を出す(出せ)と言う→短期間では終わらない→その間に持ちこたえれなくなって廃業を決意するか、あるいは補助金をもっと出せと要求する→大きな投資をしていれば、止めようにやめれない→国は補助金を出し続け、自給できないのだから経営者の足腰は何ら強くならず→延命措置か自爆か。
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昨日、朝日写真教室の第1回めが、朝日新聞岡山総局の3階会議室であった。入ってびっくり、ちょっと違和感を感じた。というのは雰囲気がとてもアカデミックなのである。ボクはそこらへんの公民館講座の写真の初歩を教えてくれる所みたいな感覚だったのに、何と講師はそうそうたる顔ぶれのようだった。10人余りの講師の全員が出席されていて、その自己紹介を聞きながら、場違いな所に来たように感じた。
その後、受講生の自己紹介も始まり、それぞれが手持ちのカメラを紹介するのであるが、9人ほどの受講生のほとんどが、一眼レフとかいう、大きな高そうなカメラを持参されていた。2万円余りの安っぽいデジカメを持参していたのは自分だけだった。
アカデミックな雰囲気と他の受講生の立派なカメラに最後まで圧倒されて2時間が終わった。これは単なるデジカメの初歩教室と違って、本格的なカメラで写す人の初歩教室と思った。ちょっと落ちこんで家に帰り、そのことをマルミさんに話すと「あんた、講座内容をよう確認したん・・・」と言う。
実はここを選択する以前に、地域の公民館講座を何箇所かあたっていたが、自分が希望するようなデジカメ教室はなく、そんな時に朝日新聞で受講生募集の記事を目にして、即、応募したのだった。
でも、ここまできたらもう後戻りはできない。6月末までの3ヶ月間(12回)だから、休まず出席するつもりである。
この講座を希望したのは、作文とデジカメの「二兎を追いたい 」と思ったからである。せっかくデジカメ画像を頻繁にアップしているのだから、見てくださる人に少しは良い画像を提供したいと思った。
いろいろ感じる所はあったが、写真に対する「美の概念」が自分の場合は少し違うのかなあと思った。
(1)写真(画像)は紙に残すものではなく、パソコン上で見るだけのものと捉えていたが、ここに来られている人は逆のようだった。
(2)自分がカメラを選ぶ基準は、「安い」「軽い」「ポケットに入るくらい小さい」という3つの基準があるが、ここに来られている人は違った。
(3)言葉では伝えれないような伝達手段の一つだから、きちんと情報が伝わるような画像というのが第一義であり、美の追求(画像がきれいであるに越したことはないが)は第二義と思う。
(4)だから、時間を掛けずに、たくさん写し、その中から1枚を選択する。
(5)狙って取るのではなく、たくさん写した中から、一つくらいは良いのが見つかるという考えかた。
(6)写すのはほとんど田んぼ画像だけ。人物画像は好きでない。
(7)テーマや対象は、「自分の田んぼ」が今は主体なので、その狭い範囲内を繰り返し写し続ける。場所の変化ではなく、季節(時間)の変化。
(8)メカには全くこだわらない。逆に高価なメカには否定的である。
(9)写真の美は、写したメカの高い安いにもかなり影響されるのだろうか。
(10)コンテストで選ばれる写真は、プロの目から見たらやはり違うのだろうか。
(11)絵や写真は、良い悪いや上手下手が全くわからない。絵や写真にあまり興味がない。備前焼に至っては単なる石。5千円の湯のみと5万円の湯のみの違いが識別できないし、買ったこともない。
(12)自分は単にデジカメの基本的な使い方だけをマスターしたいためにこの写真教室を受講した。他の受講生がどのような目的で来られたのかよくわからないが、この3ヶ月間休まずに通えば、他の人の写真に対する捉え方や考え方のようなものが、少しはわかるかも知れない。
ニワトリ脱走
昨晩食べた「つなし」の頭や骨などのお皿を持ち、もう一方の手にはいつもの飼料を持ちトリ小屋に入ったら、入り口の戸を閉める間に、するりと1羽のメンドリが小屋の外に出た。やばいと思ったがもう遅い。それでもエサを与え始めたらトリ小屋に帰ってくるだろうと、今度は入り口の戸を全開にしたが、入ろうとしない。トリ小屋の中のトリはエサに夢中でしばらくは他の事には目もくれない。しかし逃げ出したニワトリが入ろうとしないので、すぐに戸を閉め、ニワトリを追いかけた。
いつもは動作がさほど速くないのに、いったん戸外に出ると、どういうわけか逃げ足が速い。それでも追い続けて、角のコーナーへ追い詰めれば飛びつけると思ったが、なかなか飛びつく状態にまで持ち込めない。しかし休まず追い続け、タイミングを見て間一髪の所で空中ダイビングをして捕まえた。まだまだ若いと思いながら、その後、かなり息切れがした。
今回導入したニワトリはまだ1羽しか死んでなく、生存率が高いので、逃げられて、タヌキ等の餌食にはさせたくない。
ブログ更新パターン
このところ何かと忙しく、新聞が読めなかった。そして、たまると、ますます読めなくなる。その日の新聞はその日に読まないと、たまってから読むと読み方がうすっぺらになる。
ブログも2~3日あくと、書くのがおっくうになると思う。毎日習慣になっているから書ける。2~3日に1度更新するより、毎日更新した方が生活にリズムができる。
自分は一つの主題なりテーマを何日か何週間か心の中で「熟成」してから出すようなことはできない。それは硬くなることであり、構えてしまうことにつながる。
日々思ったことや感じたことを「写実的」に書くと楽であり、「思い」を書こうとすると重たくなる。
更新パターンを6つほど用意している。
(1)日々の農作業を画像で説明
(2)読書感想文・・・忙しくてあまり読めない
(3)新聞記事より・・・今はこれが主体
(4)田んぼ訪問の記事・・・月に2~3回しか出れない
(5)ふら~と観光地や名所旧跡を訪ねた記事
(6)自分の中のテーマ・・・忙しくて前へ進まない
イ.県境の村
ロ.吉井川水系の山村や棚田
ハ.柵原鉱山と長島(ハンセン病の島)
ニ.久米南や美咲町の棚田
(今日の夕飯)
キャベツ炒め・・・豚肉少々
マーボ豆腐・・・豆腐とネギ
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オンドリが元気に復帰。何か変な物でも食べたのかも知れない。昨日の細長い糞で排出できたのだろうか。あの糞をよくチェックすれば原因がわかったかも知れない。

エンドウ、グリンピース、スナックエンドウの支柱を立てた。支柱立ては何年たってもうまくならない。それでも作付をかなり減らしているので、これくらいの支柱立てなら、さほど負担にならない。エンドウは15メートルあるが、グリンピースとスナックエンドウは各10メートル。
キュウリネットを利用してもよいが、エンドウ類は巻きひげ、インゲンはツルなので、エンドウ類はキュウリネットでは捕まえれずに倒れる。今年は竹の笹を利用した。
エンドウ類は、
(1)収穫期間がたった3週間ほどしかない。
(2)4週間めには、必ず「ウドンコ病」が発生して収穫が終わる。
(3)ちぎるのがかなり面倒。
(4)中国産の価格の安さに対抗できない。
結論・・・たくさん作付けすると損をする。



昔の人はすごい「石組み」をしている。たった3アールほどの1枚の田んぼのために、これだけの「石組み」をしたのだろう。この近くには、こんな大きな石も、そしてこれだけたくさんの量も、何処を探しても見当たらないのに、いったいどこから、これだけの石を運んだのだろう。数百年以上昔のことだと思う。
今の人で、こんな石垣を組める人がいるだろうか。昔は石垣作り専門のプロのような人がいたのだろうか。それとも、必要に迫られて、みようみまねで覚えたり、親のしていることを見たりして覚えたのだろうか。
こんな石垣を作るには、頭の良し悪しは関係ない。体力は基本的にいると思うが、それだけではできない。
一度置いた石は、その後の変更は難しいと思うから、どうやって一個一個の石をその都度選択していったのだろう。
今日はこの石垣のそばの「みぞ掃除」をした。2月にする予定だったのに、今頃になった。泥や枯れ草などがたまり、水の流れをせきとめてしまい、田んぼの方へ流れ込む恐れがあるので、年に1回は「みぞ掃除」をしておく必要がある。
(1)結構手間がかかり
(2)結構重労働で
(3)1円にもならない
こんな作業はどうしても、後手、後手になる。
去年は春にすることができず、放任していたら、梅雨時期の大雨で田んぼが水浸しになり、結局、梅雨の雨の中で合羽を着て「みぞ掃除」をするはめになった。
ジャガイモの芽が出始めた。ジャガイモは害獣避けの電柵はしない。ジャガイモもイノシシの好物であるが、まだ当地の家庭菜園で、ジャガイモが被害にあったという話は聞かない。しかし今年からは、サツマイモに加えて、ナンキンは防御することにした。

まだ今の所、タマネギに全く病気はきていない。しかしタマネギは決まって4月下旬頃には病気が出始めて、収穫前の5月中下旬の頃は蔓延している。タマネギの病害虫を防ぐと言われている、ハーブの「カモミール」を畝間に定植しているが、毎年ほとんど効果がない。
少ないように見えるが、これで1500本ほどのタマネギが植わっている。
毎年、タマネギの隣に「ラッキョ」「ニンニク」「ワケギ」という、タマネギの近縁を植えている。ラッキョとワケギは自給用。ニンニクのみ出荷。

黒マルチをはがして、レタス(育苗)、チンゲンサイ(育苗)、ニンジン(直播)を蒔く準備をした。
黒マルチは産業廃棄物であるが、
(1)黒マルチをしていた場所は、草の生える量が極めて少ない。理由は前年に草の種が落ちていないから。
(2)ちょっとヨツメで耕して、液肥を2倍ほどに水で薄めて散布すると、翌日には乾いて種蒔きができる。つまり、黒マルチをしていた場所は、「不耕起栽培」が簡単にできる。
(3)黒マルチをしておけば、液肥が雨で流亡しない。
(4)他にもメリットはいっぱいあるが、最大のメリットは、定植の1ヶ月以上前に、畝立て、液肥散布をして、黒マルチをしておけば、その間、草も生えない。つまり、黒マルチを利用すれば、前もって作業を終わらせることができ、仕事の段取りの面で最大のメリットがある。


月曜日に仕込んだので、今日で3日め。半分は残して仕込むので、出来上がりも早い。
臭いけれど、よい香り。
この液肥と出会えたおかげで、農業がものすごく楽しくなった。そして、肥料に関しては卒業した。
他人の最も良い方法が、あなたにも、最も良い方法であるということは少ない。そう思う根拠は、
(1)かなり臭うので、住宅の近くでは使えない。
(2)施す時に担ぐので、それが重労働。
(3)井戸など、水が常時利用できる場所でないと作れない。
(4)500リットル容器は1個が1万4千円ほど。2個で2万8千円。30アールほどの作付けなら2個で十分足りる。
50リットル容器は食糧製造会社でもらったので無料。
(5)エンジンポンプとホースも必要。合計で6~7万円。
この5点がクリアできるなら、ぜひお勧めする。
(今日の夕飯)
山菜おこわ・・・もらいもの
シューマイ・・・市販の惣菜
キャベツ炒め
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春風を受けながらする農作業は心地よい。ただ春夏作は秋冬作に比べてかなり忙しい。
(1)秋冬作の農作業は出荷と並行しながら十分やれる。
(2)春夏作は、5月連休明けまで出荷はないから、月、水、金と丸々3日間も秋冬作より時間が多いにもかかわらず、春夏作の方が忙しい。
理由は、
(1)育苗期間が4月1日~5月17日頃まで45日間も続く。その間、1日1回の水やり、ポリのトンネルの開閉、夜間の保温作業が欠かせない。
(2)秋冬の出荷であるが、サツマイモ、サトイモ、ヤーコンの3種類の農作業は、4月~6月中下旬の2ヶ月半。
(3)秋冬作のほぼ半分のウエートを占める、ハクサイ、キャベツ、ダイコン、カブ、ブロッコリーのアブラナ科5作物は「よーいどん」の同時進行であるが、春夏作は、第一弾、第2弾、第3弾・・・というように順次スタートである。
(4)秋冬作の農作物は「平面的」であるが、春夏作の農作物は「立体的」な作物が多い。例えば、キュウリ、ニガウリ、トマトの支柱、ツル有り品種を利用した場合のインゲンの支柱、ナスビやピーマンにも支柱が要る。その分手間が余計にかかる。
(5)春夏作は草の管理が大変。秋冬作は、種蒔きあるいは定植初期には草削りが必要であるが、その後は野菜が陰をして草を押さえる。春夏作はこの逆で、梅雨、盛夏と続いてますます草に覆われる。
(6)秋冬作は成長後は全て11月から「在庫野菜」となり、冷蔵庫のような戸外に放任しておけるが、春夏作は収穫適期が来ていれば、当日の出荷軒数の多少に関わらず収穫する必要がある。その分が手間。
(7)秋冬作に害獣防御の作物はないが、春夏作は、サツマイモ、ナンキン、スイカ、トマト、自分は作っていないが、トウモロコシ、キンウリ(マクワウリ)、ヤマイモ等も、イノシシ、シカ、カラス、タヌキから防御する必要がある。防御作業はばかばかしいほど時間を要する作業である。
(8)秋冬作にはない「敷き藁をする作業(主にウリ科野菜)」も加わる。
(9)田んぼの畦草刈りも春夏作は秋冬作の4~5倍。
このように書き出してみると、春夏作の方がはるかに手間がかかっているのがよくわかる。

昨日、オンドリの様子がすこしおかしかった。トサカも少し黒ずんで元気もなかった。今朝はちょっと心配したが、田んぼに着くと、コッケコッコーと鳴いたので、元気なのがわかった。
エサをやるためにトリ小屋に入ると、やっぱり元気がない。メンドリは競争で食べているのに、オンドリは離れた所であまり動かない。今日で2日目。どこか悪いのかも知れない。様子を見ていたら、普通は団子のような糞をポトンと落とすのに、糞の中にギョウチュウでもいるような細長い糞が垂れ下がり、なかなか落ちない。何と6センチ以上もあるような細長い糞がやっと地面に落ちた。
ニワトリはこういうことは時々あるが、3~4日の間にたいていは元通りに元気になってくれる。逆に3~4日の間に死ぬ場合もある。
1羽しかいないオンドリだから元気になってほしい。
購入エサを少しにして、足らずは画像のように、ヌカを床にばら蒔いている。コゴメから購入エサ+ヌカになってから、産卵率が4割ほどにアップしている。時期的なものもあるかも知れない。例年3月中旬~4月中旬の産卵率は高いが、産み疲れもあるのか、5月に入ると、がくんと産卵率が落ちることが多い。3月中旬~4月中旬は身を削ってでも産むらしい。


今日、稲の苗箱を利用して種を蒔いた。
ナンキン・・・32ポット(20~22本定植予定)
キュウリ・・・18ポット(12本定植予定)
トウガン・・・12ポット(7本定植予定)
ニガウリ・・・7ポット(4本定植予定)
スイートバジル・・・2ケース(鉢上げ300本ほど)
イタリアンパセリ・・・1ケース(鉢上げ150本ほど)
野菜の種蒔きが随分少ないのがわかると思う。、家庭菜園より少し多い程度。
野菜の個人客は少なくなっているし、これで十分まにあう。残った時間はブログ関連にまわしたい。
画像のように、種蒔き後、種が隠れる程度に育苗土をかぶせ、その上からクン炭をふる。クン炭をふる目的は保温と保水目的である。
合計7ケースを、家から3キロほどの大森園芸さんに委託した。つまり、大森園芸さんの育苗ハウスで2週間(15日まで)の育苗を依頼した。
依頼した理由は、
(1)トウガンとニガウリは発芽に35度近い高温が必要であり、毎年5月10日頃に蒔いても、発芽にしばしば失敗していた。
(2)発芽までに10日間かかるイタリアンパセリは、毎年失敗を繰り返し、蒔き直しを何回もしていた。
この2点が育苗を依頼した理由であるが、他に、
(1)育苗期間の4月1日~5月17日頃までの約45日間、去年までほとんど出かけることができなかった。毎日の水やり、温度管理、寒さ避けに夕方、毛布をかぶせる作業。
45日間になる理由は、4月20日頃スイートバジルのポット鉢上げ、5月2日前後にエンサイ、ツルムラサキ、オクラ(これらは発芽に高温が必要)を蒔いていたので、結局4月1日~5月17日頃まで家をあけれなかった。
(2)特定の作物は、発芽失敗を見越して、種を2~3倍買う必要があった。
(3)失敗がわかってから蒔き直すと、それだけで1週間~10日ほどの生育の遅れにつながる。
(4)育苗土の新たな準備、ポットの土入れ作業、種蒔き等、ダブルで労力がかかり、購入する土も少しあるので、費用もかさむ。
(5)家をあけれない期間がその分だけ伸びる。
この時期の育苗から開放され、かなり安堵している。今までならこの時期、家にいても田んぼにいても、心は常に育苗のポリのトンネルに向いていた。一時の油断もできなかった。
1回目 4月2日~4月15日 稲の苗箱7ケース
2回目 4月15日~4月25日 稲の苗箱7ケース
これで合計5千円ほどでしてもらえるなら、経済的にも労力的にも精神的にも、自分でするよりはるかに楽である。
去年までは育苗の温床作りにも、ほぼ半日を費やしていた。
4年前の平成16年3月8日に購入した電熱園芸マット、電子サーモスタットの購入代金20664円が無駄になった。平成16年、平成17年、平成18年と使ったにもかかわらず、いずれも失敗を繰り返し、去年は元の「踏み込み温床」に戻したので、結局3年間しか使っていない。
農業はこのように、うまくいくと思って購入しても、うまくいかない場合も多いので、小さな金額であっても「投資」はよくよく考えた方がよい。
(今日の夕飯)
カツ丼
キャベツの三杯酢
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田んぼから50メートルも歩けば、もう池の土手。池の土手から30メートルほど画像の小道を行けば、10アールほどの葉タバコ跡地の山の斜面に出る。
ちょうど春休みの4月上旬頃が「葉タバコ」の植え付け(定植)時期だった。一家総出の仕事だった。祖父が下の池からタゴで水を汲んでくると、ボクは植えた葉タバコに水を与える役目だった。もう45年ほど前のこと。
両親も祖父母ももうとっくの昔にこの世をおさらばしている。別にたいした感慨も感傷もない。年月が経過すれば誰でもそうなるのだから。そして存在は風化して、彼らがこの世に生を受けていたという記憶は、自分たち兄弟くらいにしか残らない。
まさか農業をするとは自分でも全く想像しなかった。普通にサラリーマンが続けれたら、農業などしなかった。
突然、頭の中に農業がひらめいた時、この田んぼをイメージすることができた。その時にイメージできた農業が今やっているような農業であり、イメージできなかったことは、何一つ実現できていない。
サラリーマンが続かなくて、農業を始めたのだから、農業を止めようと考えたことはない。いくら低収入でも、もう他にできると思える職業がなかった。
今、特に役立っていると思うのは「7年間の大阪暮らし」。いわゆる、大都会に対する変な劣等感とか憧れのようなものが全く無いのは、大阪暮らしのおかげ。
かといって、自分の郷土を「素晴らしい故郷」とも思わない。逆にあまり好きな場所ではない。
しかし、「自分には、動かない故郷がある」というのは、本当にありがたいことだと思っている。
好き嫌いを超越した絶対的な故郷(立脚点)があるから、この場所を基点にして、敢然と自己主張ができる。この絶対的な場所があるから、一人でも結構、戦えると思う。
今自分がつきあっている友人の多くは、農業を目指して都会から移り住んで来られた人たちである。
彼らに故郷はない。
故郷を求めているのかも知れない。
故郷などと大上段に考えないのかも知れない。
現実は、長年住み続けていれば、いつの間にかその場所が、故郷と言える場所になるのだろう。
ここ45年、日本人の多くは故郷を喪失してきたと思う。都会、それは故郷とは言えない。単なる砂上の楼閣。
故郷とは、山や川、田畑がイメージできる場所だと思う。
夢遊病者のように行き来して、夢遊病者のようにすれ違い、夢遊病者のように交わる、それが都会。
田舎も、現実的な問題に日々翻弄されて、ゆっくりと田畑に心を遊ばせる時間はない。
今日もまた、駆け足で写した。
故郷のない人から見ると、うらやましい場所かも知れない。日々何も思わずにそれを享受している自分・・・。
でも本当は心から、生まれ故郷の里山に感謝しているのだろう。そうでないと、毎日、飽きもせずに、写し続けれない。


当地にも山桜が咲き、ツツジが満開になった。たった5分でも腰を下ろせばよいのに、また急ぎ足で降りた。



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