夕方、大晦日と正月用品の買い物に行った。買った品は、
(1)豆もち1キロ・・・・・1000円
(2)ぶり切身・・・・・・・・1218円
(3)年越しそば4袋・・・・232円
(4)寿かまぼこ・・・・・・・・298円
(5)かき揚げ4枚・・・・・・550円
(6)焼き穴子・・・・・・・・・756円
現在、田舎でも、お餅を家で作る人が何軒あるだろうか。集落42軒の内、多くても3軒ほどだと思う。稲を作っている家は現在10軒である。
今朝から急に寒くなった。だからあわてて次の事をした。
(1)サトイモの畝に籾殻を追加した。
(2)残っていた紫イモを麻袋に入れ、籾殻を入れた。
(3)トリ小屋に籾殻を入れた。
サトイモやサツマイモは6~7度以下が続くと腐敗する。トリ小屋は雨漏りがして床がかなり湿っていたので籾殻を入れて水分調整をした。保温にもなる。
元旦にアップするための、ある作物を今日デジカメで撮ったが、1枚もうまく写っていなかった。明日やり直し。
1月1日から朝日新聞を購入することにした。山陽新聞、日本農業新聞に加えてこれで3紙。全部読めるだろうか。ブログが朝日新聞を手招きした。新聞以外の定期購読誌は以下の2誌だけである。
土と健康(日本有機農業研究会発行)年間6000円
園芸新知識(タキイ種苗)年間1980円
現代農業(農文協)1冊800円(年間9600円)にしようか、朝日新聞にしようかちょっと迷ったが、朝日新聞にした。インターネットで新聞を読むという人もいるが、インターネットがそこまで使いこなせない。インターネットで物を買うこともうまくできない。インターネットが使えるのはブログだけ。
今まで山陽新聞だけだったから年間36000円ほどですんでいたが、3紙となると10万円。いや~高い。とりあえず半年間は購入してみよう。
ブログの毎日の更新は結構金額がかさむ。
(1)デジカメ代、デジカメの付属品代
(2)パソコン教室代
(3)農業新聞、朝日新聞
(4)しばしば出歩くようになりガソリン代、昼飯代
(5)そして時間
有機農業技術を評価する指標の在り方を探るため、有機農業学会が、技術の全国調査を始めたらしい。
稲作や果樹には有機農業の技術的なものがあるのかも知れないが、野菜に関しては有機農業に技術などあまりないと思う。自分の場合は有機農業に関する技術的なものはほとんでゼロ。技術が進歩しないタイプかも知れない。スタートして5~6年は進歩したように思うが、それ以降は止まっている。
有機農業に対する自分の方法や考えを列挙してみた。
(1)規模を大きくしない。一人なら40アールくらいまで
(2)一つの種類をたくさん作らない
(3)できるだけ多種類作る
(4)旬に徹底的に忠実な作付をする
(5)できればハウスを利用しない
(6)できれば黒マルチを利用しない
(7)他所から肥料を持ち込まない(堆肥類を含む)
(8)肥料を購入しない(化学肥料)
(9)肥料は、地域の材料を使って自分で作る
(10)大型機械を使わない(購入しない)
(11)水をどこから調達するかよく考える
(12)いずれかの動物を少数飼う
(13)少数の動物飼育はエサが自給できる範囲の数にとどめる
(14)果樹や花も作って、いろんな生態の昆虫や生き物が集まるようにしておく
(15)木を見るより森を見るような見方をする
(16)地域にあるものを使い、できるだけ購入しない。
稲ワラ、麦ワラ、すくも(籾殻)、焼きすくも(クン炭)、落ち葉、土手草、山草、田んぼの草、自家製の鶏糞、ヤギ糞、ウサギ糞、及び、米ぬか
(17)堆肥、土着菌を使ったボカシ、液肥
(18)輪作をきちんとする
(19)イネ科、アブラナ科、マメ科、セリ科、シソ科、ウリ科、ナス科など、バランスよく作る
(20)稲ワラや麦ワラがもらえなければ、少量を自分で作る
農薬に関しては、アブラナ科野菜には必要最低限の農薬は仕方がないように思う。他の野菜に関しては、病気や害虫が発生しても、今の所、放任できる限度内である。

(今日の夕飯)
カレイ
焼きそば
ロケットの胡麻和え
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田んぼのすぐ上に池があり、池の北側の山の中腹に10アールほどの畑がある。右の画像でそれがよくわかると思います。今から42年ほど前まで、この畑で「葉タバコ」を作っていた。水の便のいい田んぼは稲を作付するので、葉タバコはこんな山の斜面に作っていた。もちろんこんな畑は、1世代前の人が、トウグワ1本で開墾した畑である。
こんな開墾畑が現在、使い物にならないのは、トラクターが使えないことに加え、異常気象で雨の降り方がおかしくなったからである。
葉タバコを止めてからは、画像のようになったが、日雇いに出るようになってからも、父は1年に1回、草だけは刈っていたようである。だから自分も同じように冬の農閑期に草だけは刈っている。
刈った草は下の田んぼに下ろし、ナンキン等の敷き藁に利用している。刈っておけば、3月末~4月中旬にワラビがたくさん生える。


山の中腹と言っても、池の土手から30メートルも歩けば、この畑にたどりつく。この30メートルの区間は、名づけて「哲学の小道」。たまにしか歩かないが、45年ほど前にすぐにタイムスリップできる道である。今日は「画像の森林セラピー」を目的にアップした。


その雑木林の中にシイタケの原木を少し置いている。夕飯の「水炊き」によく出てくるのは、このシイタケです。
毎日、山のそばの田んぼで農作業をしているので、自分の場合、森林はあまりセラピーにはならない。逆に、週末に大都会の繁華街を歩いたり、高層ホテルの一室に宿泊したりして、文化のギャップを全身で感じることがセラピーになると思う。つまり、大都会の空間と、雑木林の空間を行ったり来たりできることが最大のセラピーになる。
絶えず、田んぼや山の中だったり、
絶えず、大都会の一室だったり、
絶えず、グルメだったり、
絶えず、粗食だったりすることが、ストレスになる。

左は土手の上から写した田んぼ風景。土手の上は一つのデジカメポイントになっている。今日その土手に上がったら、土手の一画が、かなり掘り返されていた。明らかにイノシシの仕業である。イノシシの密度が高くなったら、自分は農業を続けられなくなるかも知れない。イノシシを防御するような作業(電柵とか囲い)は極めて不得意である。
(昨日の夕飯)
ハクサイの水炊き・・・鍋に水を入れて鶏肉少々とシイタケを入れ、沸騰したらハクサイを入れ、ハクサイが煮えてきたらシュンギクを入れて出来上がり。10分もかからないのでよく作る。
いつもはユズ酢醤油で食べるが、昨日は「青しそドレッシング」。このドレッシングは安くておいしい。これとコンビの「中華ごまドレッシング」もあり、我が家の定番です。
数日前に漬けたビール漬けをちょっと食べてみた。少し味が薄い。ダイコンから水が出て、漬物石の中ほどまで上がってきたので、2日後に水をかなり捨てた。少し乾かしたダイコンを使った方がよかったかも知れない。
右のブロッコリーはホウレンソウと日替わりのようになっています。
(今日の夕飯)
すき焼き・・・ハクサイ、ダイコン、ネギ、フ、アゲ、糸コンニャク、牛肉少々。
牡蠣フライ・・・近くに住む姉にもらった。
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山陽新聞の今年の連載小説は、石田衣良さんの「シューカツ」である。また、「私の就職活動記」として、今年4月に入社された人の話が時々新聞に出ている。
この国では、22~23才の時の就職先の決定で一生が決まるみたいな風潮がある。
就職とは、そんなに大事なものか・・・。
60才の定年まで同じ会社に勤め続けるのか・・・。
しかしよく考えてみれば、日本で生きていくには、そういう選択しかないような・・・。
30年余り前の自分の新卒の就職の頃も、今と同じようだった・・・。
状況はほとんど変わっていないように見える。
学生時代の友人たちは、たいていの人が新卒で入った会社に行き続けている。自分の20代、30代の頃は高度成長の時代だったので、退職しても、次が比較的早く見つかった。もちろん正社員扱いである。今は、新卒で入った会社を一旦退職すると、次に探そうとしても、正社員の口がなかなか見つからないようである。
多分ほとんどの会社は、新入社員の5割が残ってくれれば十分なのだと思う。半分ほどは3~5年ほどの内に退職するのを見越して採用しているのだろう。だから企業は退職されても痛くも痒くもない。困るのは退職した本人だけである。今度は新卒で入る時より、はるかに狭い門を突破しないと、自分の希望する会社には入れない。多分、新卒で入った会社を退職したら、それ以上の会社にはもう入れないだろう。世は「転職時代」を告げているが、大多数の人は、そんな言葉にだまされないで、さばりついてでも、同じ会社に勤め続けないと生活が成り立たなくなると思う。転職云々は、「一部の経営者層」や「できる人」だけの話だと思う。
自分は転職を繰り返して、転げ落ちるような人生を歩んでしまったが、30代の半ばに農業がひらめいた。これは農家の2世だったからひらめいたとも言える。都市生活者の子供だったら、農業がひらめくことはなかっただろう。
当時すでに田舎でも農業をしている現役世代は皆無だった。けげんそうな目つきで、遠巻きに見られているような気がして、いい気がしなかった。地域の人も、そして自分も、その状況に「慣れる」のに数ヶ月を費やした。
とにかく、田舎人の自分には農業という逃げ場があった。都会人にはそれがない。企業という組織に、例え不向きであろうとも、もぐりこまなければ凡人には生きていくすべがない。
田舎でも、一昔前なら成り立っていた大工さんとか左官さんとか小さな個人商店とかが、成り立たなくなった。個人事業がなくなり、田舎でも総サラリーマン化している。今はもう、田舎でも都会でもサラリーマンという組織人として生きていくしかない。向き不向きなど関係なく、組織の歯車の一つとして生きていかざるをえない。選択肢の少ない、息苦しい時代である。
ああ、やはり農業が逃げ場になる必要がある。この逃げ場があれば、中高年の自殺もかなり防げる。なぜ、農業が逃げ場にならないのか。なぜ、農業で自給自足できなくなってしまったのか。
理由は、
(1)いくらでも外国から安い農産物が入ってくる。
(2)輸入が途絶えたら、国内産の勝負になるが、野菜の価格は庶民の懐に最も影響するので、低価格に据え置くために、政府はあらゆる手立てを取ってくる。
(3)異常気象等で、一部の野菜が高騰すれば、その時こそ、農家の懐が潤いそうに思えるがそうはならない。2本足の害獣に狙われてしまうだろう。田んぼはセキュリティのきかない空間である。
(4)安い中国産の輸入が途絶えたら、待ってましたと国内の企業が新規参入してくるだろう。しかし残念ながら儲けはかなり低いので、賢い企業は農業に参入してこない。
(5)最低でも60日間もかかるという収穫までの時間効率の悪さと、その間、その設備は他に転用できないという設備効率の悪さに、第2次、第3次産業のような利潤は産み出さないとすぐに悟らされる。
結局農業は、小さな薄利を求めて、個人がする仕事であり、個人が十分に企業と戦える産業(企業が始めても儲からない)だと思う。
農業は、多くの資本主義難民の受け皿になる必要がある。ただ、田舎の人は「農業では食べれない」ということを骨の髄まで感じている。自分もそれは感じていたが、ここまでカネにならないとは想像できなかった。
消費者に直接届ける斬新な農業・・・
少々外観が悪くて、不揃いでも、市場出荷ではないから出荷できる・・・
値段も自分で決めれる・・・
しかし、
スーパー価格よりそんなに高くは設定できなかった・・・
顧客は長くは買い続けてくれない。家族構成も5~10年ほどの間に変化してしまう。考えてみれば、ワンパック野菜を月に2回、もしくは月に1回、3年以上買い続けてくれるということ自体が奇跡的である・・・
ワンパックは少しずつ少しずつ出荷していく形態だから、田んぼに長期間置いているうちに、病気が発生したり、強い霜で傷んだり、天候の状態で「トウ立ち」したり、過熟気味になったり、味が落ちてきたり、外観が次第にわるくなってきたり・・・という、この形態特有の出荷ロスが出る。市場出荷方式より逆に多いかもしれないと思ったりする。
春夏野菜では、次々に成る果菜類や、次々にわき芽が伸びる葉菜類が主体なので、その時に収穫適期がきていれば、送付ワンパック数にかかわらず、全部収穫する必要がある。顧客数から逆算して定植本数を決めていても、成り始め、最盛期、成り終わりでは、収穫量がかなり違ってくる。最盛期には×2倍入れることもある。が、×3倍は入れることはできない。
それでもこの農業形態を維持してきたのは、他の農業形態は、自分にはとてもできそうに思えなかった(自信がなかった)からである。ある程度のめどというか、多少の可能性のようなものが見えれば、とにかく経済を最優先にした農業形態に変更したと思う。
どんな農業形態であれ、農業でも最低限生きていける(最低限の生活ができる)という状況を、18年農業をしてきた自分が提示できなければと思うが、農業に未来を見出せていない。それでも、疲れ果てた人にとって、農業しか逃げ場はないと思う。
(今日の夕飯)
シチュー・・・ニンジン、カブ、ジャガイモ、ホウレンソウ、ブロッコリー、鶏肉少々
みりん干し
ホウレンソウのおひたし
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農業という仕事で、1ヶ月、差引15万円の収入になるなら、300万人ほど新規就農が期待できると思うが、1ヶ月、差引5万円稼ぐのも難しいから、現役世代は農業をすることができない。
ホームレスの人やニートやフリーターの人に「農業という逃げ場」があれば、どんなにいいだろうと思う。
しかし、現代の人間は、田舎でも都会でも「土に触れることさえできない状態である。 都会では土も見えない 。田舎では土は見えるが、土に触れる仕事では生活ができない。
例えば自分がしているような、1人でする小規模なワンパック宅配を考えてみよう。
(1)農作業もあるので、毎日は出荷できない。月、水、金と週3回出荷している人が多い。
(2)1回の出荷につき、7~8パックが労力的に限度である。9パックはしんどい。
(3)ワンパックは3000~3200円が世間相場だと思う。家族構成も2~3人が主体だろうから、野菜だけで3200円を超えるワンパックは送りづらい。
(4)1週間に平均20パック送付すると、1ヶ月では80パック。
(5)80パック×3200円=256000円。
(6)冬から春にかけての2ヶ月は野菜が切れるので、年間では、256000円×10ヶ月=256万円。これは総売上である。
(7)ワンパックの送料が運賃と箱代で800円とすると、年間では、80パック×10ヶ月×800円=64万円。
(8)送料以外の経費が、少なく見積もっても年間に60~70万はかかる。
(9)だから、256万円-64万円-70万円=122万円である。
(10)つまり、手取り122万円にするには、1ヶ月、80パック送る必要がある。
(11)ボクが常々、100万の攻防をしているという意味がわかると思います。
(12)農業仲間に話すと、100万も稼げたら上出来と言う。
10アール(1反)あたりの水稲所得は、3万円ほどらしい。これだと、1ヘクタール作っても30万円。10ヘクタールでも300万円の所得にしかならない。安すぎる。
それでも稲作を続けているのは、
(1)稲作でもしなかったら、他にすることがない。
(2)農機具がまだ新しく、今止めるともったいない。
(3)稲を作付せずに遊ばせておくと草が生える。草防止に何回も耕運するのも手間である。
(4)長くやってきたから、なかば習慣的に続けている。
(5)年金も入るし、別に儲からなくてもよい。赤字さえ出なければ。
(6)多分、いくら入って、いくら出ていったか、稲作の損得計算を細かくしていない。だから、得しているのか損しているのかよくわからない。
(7)減価償却費という「からくり」で、購入時の大きな出費のない年は、儲かっているように「錯覚」する。
(8)単純に稲作りが好き。米くらいは自給したい。


有機農業を自認しているが、この黒マルチだけ、反自然的である。かなりの作物に黒マルチを使っている。
(1)無マルチにくらべて10項目以上のメリットがある。
(2)自分の場合は、メタン菌液肥とセットになっている。
(3)右の画像のように、草や、稲ワラや、麦ワラや、土手草や、山草等を黒マルチ代わりに敷くのは、労力的に大変。
(4)トウモロコシを原料にした「土に戻るマルチ」は、現在ではまだ、普通マルチの4倍ほどの価格である。
(5)原油が高騰し、原油が原料の黒マルチも高騰しているが、従来の2倍くらいまでなら、まだメリットの方が多い。
(6)黒マルチを使った方が、自分の身体が楽で、作物の出来もかなりよく、後作の草の生える量が少ない。
この農閑期にも、産業廃棄物業者に黒マルチを有料で引き取ってもらうので、黒マルチがその後、どういう経過をたどるのか、よく聞いてこよう。まだ30代前半と思える、親切でていねいな業者だから、具体的に教えてくれると思う。
黒マルチの使用を減らすには、唯一「作付面積の縮小」であるが、将来、自給用の野菜だけを作るようになったら、この黒マルチの使用を止めるだろうか。止めれないような気がする。
農業は環境によいこともしているが、環境に悪いこともかなりしているので、相殺されて、プラスマイナス、ゼロである。
(今日の夕飯)
野菜炒め・・・キャベツ、ニンジン、ホウレンソウ、豚肉少々
クリームコロッケ・・・市販の惣菜を買った
ホウレンソウのおひたし
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朝から2時半頃までずっと、農業新聞を読んでいた
ニワトリにエサをやりに行かなければならない。最近はエサの時間が不規則で、ニワトリが怒っているだろう。
田んぼに行く前に、昨日仕込んだダイコンのビール漬けの状態を見た。水がすでに漬物石の上まであがってきていた。漬物石を出して、天地返しするようにかき混ぜてまた漬物石を戻した。
田んぼに着くと、物置小屋に置いてあるコゴメを鍋に2杯ほど与えた。昨日は朝9時半頃に与えたので、今日はそれより5時間も遅い。食べきれずにころがっていたサツマイモのクズもきれいに無くなっていた。



卵を10個産んでいた。年末の贈答品に助かる。水を入れ替え、カブのクズや病気のキャベツを収穫してトリ小屋にばらまく。
田んぼに出る頃、今日の更新の題名は「冬の一日」にしようと思ったので、それに見合った田んぼ写真をデジカメで50枚ほど写した。


年が明ける頃には、シュンギクは寒さで傷んでくるので、左の画像のネギに比重がかかってくる。
今年はダイコンがよくできた。右の画像のように、ハクサイとカブはかなり虫害を受けているが、ハクサイは何枚も外葉を取り除き出荷している。カブは葉をつけないので、これも何とか出荷できている。


ロケットは、イタリアンパセリとキャベツをコンビにして「生食サラダ用」として2月末まで出荷する。
ホウレンソウは青ホウレンソウと赤ホウレンソウ。赤色は主に業務用に出荷している。
右のニンジンも状態がよい。他の野菜が少なくなれば、×2倍出荷をする。
帰る前に今日の夕飯をイメージしながらブロッコリーだけ収穫した。
たいして何もしていないのに、早1時間近く時間が経過して、時刻は3時半をまわっている。
長靴にはきかえて、門先の簡易水道で、よごれていたコンテナ(黄色の野菜収穫容器)を洗った。
台所の洗い物をしてから、夕飯のサトイモの皮をむいた。大きいのは出荷にまわし、家に持ち帰るのは小さなクズ芋だから、皮むきにかなり時間がかかった。
シイタケ(自給用に少しある)を刻み、鰯団子を入れ、醤油、砂糖、酒、みりん、ダシを目分量で入れて火にかける。沸騰したら弱火にして15分ほどで煮える。
その後、ブロッコリーを湯がして、ハムを焼いた。
(今日の夕飯)
サトイモの煮物
ブロッコリー
ハム
今日は家人は遅いので一人食べた。子供はサトイモを嫌って食べないので、マルミさんが帰ってから、別に何か作るだろう。
夕食後、いつものようにインスタントコーヒーを作り、パソコンの前に座ると、長い夜の始まり。
正月が近くなったが、正月に備えて準備することは、取り立ててはない。
数日前、ホームセンターに行った時に980円のお飾りを1個買ってきた。31日に玄関にこれを取り付ければ迎春準備完了。
今日もまた1日が過ぎ去ろうとしている。
秋冬作
(1)ハクサイ (200~250円)
(2)キャベツ (150円)
(3)ダイコン (2本で250円)
(4)カブ (150~200円)
(5)ニンジン (1キロで250円)
(6)サトイモ (1キロで400円)
(7)ネギ(ネギとシュンギクで250円)
(8)シュンギク
(9)ホウレンソウ(550グラムほどで250円)
(10)秋ジャガイモ(毎年、あまりよくない)
(11)レタス→ミズナ(150円)
(12)サツマイモ→ヤーコン・山芋(300円)
(13)ブロッコリー(2個で200円、わき芽も200円)
(13)ロケット・イタリアンパセリ(合わせて300円)
送料は運賃と箱代で800円負担してもらっている。
内容物2400円と送料800円の合計で3200円(上限)。
ワンパック3000~3200円。
春夏作、秋冬作ともに120サイズの箱で送っている。
箱はダンボール会社に250枚単位で注文している。
120サイズは1枚120円。
100サイズは1枚92円(数年に1度注文)。
運賃は送る数が多くなれば段階的に安くなる。
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メリークリスマス、といっても何もない。昨晩、ケーキとフライドチキンを1日早く食べているのでそれで終わり。
「今日は上の画像」といっても、自分は酒類を飲まない。「ダイコンのビール漬け」を作るために買ってきた。農業新聞に作り方が出ていたのでそれを見て作った。
ダイコン 5キロ(5~6本)
塩 1カップ
酢 1カップ
砂糖 1キロ
ビール 500ミリリットル
ダイコンを3等分ほどに輪切りにして、それを縦半分に割り、漬物樽に入れ、上記の調味料を入れてかき混ぜて、7キロほどの重しを載せると4~5日で食べれるようになると書いてあった。簡単そうだったので作る気になった。下の画像がそれ。
ビールは飲まないので値段がわからない。このキリン一番絞り500ミリリットルは1本が256円だった。食べ終えたらまた作ろうと思い2本買った。買う前に店員さんに、ビール漬けを作りたいんですが、どんなビールがよいかと尋ねたら、ビールにしてくださいね、ビールだったら何でもよいと思いますと言われた。発泡酒ではいけないという意味だった。
酒好きな人はこんなビールを毎日1本ほど飲んでいるのだろうと思う。農業者は酒を飲まない。毎日、酒が飲めるほど稼げないと思う。自分が付き合っている農業者は誰も皆、酒もタバコもやらない。それでも自分のように365日、全く口にしない者は少ないかも知れない。父親も全く酒類は口にしなかったし、体質に合わないのかも知れない。我が家は親子ともに女の方が酒をたしなむ。
タバコはヘビースモーカーだったが、農業を始める2年前に肺炎がきっかけで運良く止めれた。その当時でも1ヶ月1万円ほどかかっていたので、タバコ代が節約できるようになっていたことは農業をする上で大助かりだった。
晩に酒を飲む習慣があったら、ちょっとブログは書けないと思う。 逆に甘い物が好きで、この悪癖も困る。それを少しセーブする意味で、シーズンには下の画像のものをよく作る。
ふかし芋。サツマイモが掘れるようになる9月中旬頃から年内いっぱいの3ヵ月半ほど、台所のテーブルの上にはたいていこれが置いてある。3~4日かけて食べるが、なくなったらすぐにまたふかしておく。これを食べると少し甘いもの(アンパン)が控えれるし、ブログの合い間の9時~9時半頃に食べるふかし芋は腹にもたれなくてよい。この時間帯に甘いものを食べると胃にこたえる。
ふかし芋には、たいてい細い芋を使うが、残り少なくなって、細い芋がなく、太い芋を半分に切ってふかした。ふかし芋を毎日たらふく食べれることは、ささやかな、「農家であることのぜいたく」だと思う。
漬物のような農産加工品がたらふく食べれることも、「農家であることのぜいたく」である。
梅漬け
らっきょ漬け
ダイコンの漬物
ハクサイの漬物
カブの酢漬け
他にユズ茶
果樹では
柿・・・10月中旬~12月上旬
キーウイ・・・11月中旬~2月下旬
ハッサク・・・1月下旬~3月中旬
スイカ・・・7月上旬~8月上旬
その他、イチジク、スモモ等、カラスと競争になりながら少し口に入る。
(今日の夕飯)
お寿司・・・近くに住む姉にもらった
ホウレンソウのおひたし
ハム
お歳暮でもらったハムが毎年この時期には登場する。手抜き料理にとても便利。それと、毎年12月になると頻度多く登場するのが、ホウレンソウのおひたしとブロッコリーの湯通し。これも手抜き料理に最適なので、3月頃まで2~3日おきに食べ続ける。ブロッコリーは下の画像のように、中心の大きい蕾を収穫すると、今度は次々に小さな蕾のわき芽が伸長して、このわき芽は3月のお彼岸頃まで収穫し続けることができる。
ホウレンソウのおひたしとブロッコリーの湯通しが毎日のように食べれることも、ささやかな「農家であることのぜいたく」と思う。ささやかどころか、何事にも代えがたい、ぜいたくである。
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限界集落への支援反対・・・世の中の仕組みが変わり、自給自足的な生活がまわっていくようにしなければ、支援しても早晩、限界集落は消滅する。
自分が考える支援は、ライフラインに関する支援である。ライフライン以外の支援はあまり意味がない。
(1)電気代の支援(無料化)
(2)上下水道の支援(無料化)
(3)灯油代の支援(無料化)
(4)NHK受信料の支援(無料化)
(5)ガス代の支援(無料化)
そして、特に大事なのは、
(1)固定資産税の支援(無料化)
(2)国民年金保険料と国民健康保険料の支援(無料化)
ライフラインが大都市も限界集落も全く同一であるということが限界集落の生じる原因である。ライフラインの支援、つまり自給自足ができる支援が最も求められる。
都会のホームレスの人が限界集落で自給自足できるような支援がぜひ必要と思う。
他の支援ならいくら支援しても意味がない。早いか遅いかの違いだけで、限界集落は消滅の運命にある。それが高度資本主義の現実である。単なる延命措置(無意味な支援)には反対である。
「食と農を考える」というトークショウが頻繁に開催されているが、食と農は国内の農業という狭い範囲で捉えるのではなく、地球全体の中での食と農という捉え方をしないと、問題は何ら浮かび上がってこない。地球資本主義という立場で考えれば、
(1)国産より輸入品が安ければいくらでも輸入品が入ってくる。
(2)農作物は、国の施策の面からは、物価の最もベースになるものだから、原油価格の高騰で日用品のあらゆる価格が上昇しても、食料だけはできるだけ価格を抑えておきたい。だから、あらゆる措置が取られるはずである。
(3)いつでも輸入品が入ってくる状態の時は問題ないが、輸入が難しくなったり、国産品が不足したりすると、安全どころの話ではなくなる。
(4)自給率アップといっても、サラリーマン収入と農業収入では桁違いに収入が違う。農業者は国内の生産者とだけ競争しているのではなく、地球規模で、他国の農業者とも競争しているわけである。国内の競争に勝っても、国際的な競争力で負ければ、やっぱり負けたことになる。
こういう論点で考えると、今後も農業には経済的に未来がない。企業が農業をせざるを得ない時代になると思う。しかし、その企業もかなり生産性を上げないと、中国野菜等に勝ち目はない。農業は、企業もしり込みしてしまう、地球競争の世界である。近未来には、国家間の奪い合いが生じて、国内では盗みが横行するだろう。
シーラカンスの解剖が新聞に出ていた。シーラカンスと言えば、亡きA先生を思い出す。ISDNからADSLへの電話回線の変更と、DELLのノートパソコン(XP)をたった9万円で買ってくださったことが、現在のブログライフの幕開けになった。
初めて買ったパソコン(ウインドウズME)に5年間ほどしがみついていた自分を「パソコンのシーラカンス」と言って、がらりとパソコン環境を変えてくれた。1年8ヶ月前の4月のことである。初期設定はすべてA先生がしてくれた。
「困った時のグーグル頼み」という言葉をしばしば発せられていたのを思い出しては、グーグルで検索している。今このノートパソコンは毎晩4~5時間フル回転してくれている。
鳥害から柑橘類を防ぐ簡易防鳥網のことが農業新聞に出ていたが、カラスは柑橘類にも悪さをするのだろうか。今の所、当地ではユズ、キンカン、ハッサクには全く被害はない。柑橘類は食べないと思って、この秋、温州みかんを5本植えた。カラスが狙う果樹はできるだけ植えないようにしている。
地球温暖化により異常気象が続発すると言われている。大雨、干ばつ、台風、大雪、梅雨に雨が降らない、秋雨前線が雨をもたらさない等の気象により被害を受けるのは農家である。こういう異常気象の影響を最小限にとどめるには、
(1)旬のものを旬に作る
(2)特定の種類のものだけを大規模に作らない
(3)多量の水が必要な作物は回避する
(4)ハウスは持たない方が無難・・・超大型台風
(5)重油をたいて加温・・・効果がない場合もある
(6)産地のような畑潅施設がない場合・・・井戸も考慮する
(7)少量多種類にして危険分散をはかる
(8)災害に強い作物を主体にする。強いのは
イ ハーブ全般
ロ エンサイ、ツルムラサキ、青シソの春夏系葉野菜
ハ ネギ、シュンギク、ホウレンソウの秋冬系葉野菜
ニ サツマイモ
ホ エンドウ類・・・作付の時期が被害の少ない時期
ヘ タマネギ、ジャガイモ・・・被害の少ない時期
カードなしのクリスマス
環境問題に配慮し、紙のクリスマスカード送付は廃止します・・・英環境、食糧、農村省は、昨年から、可能であれば紙の郵送に代えて、電子メールなどの利用を呼びかけている。
日本でもそのうち、ハガキの年賀状からメールの年賀状になるかも知れない。
(今日の夕飯)
今日は1日早いクリスマスだった。
フライドチキン・・・モスバーガーで買ってきた
シチューとケーキ・・・これは子供が作った
サラダ
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今日は朝から雨脚の強い雨が降っている。こんな雨はいつ以来だろう。9月、10月、11月、12月とこの4ヶ月間、こんな雨量の多い雨は降っていない。時すでに遅しという気もするが、この雨でダイコン、ニンジン、キャベツ、ホウレンソウはまだ大きくなるだろう。秋冬野菜はこれで十分に湿り気は足りた。これ以上の雨はいらない。これ以上過湿になると今度は病気が出る。
果樹にもとてもいい雨だった。この秋はいろんな果樹や花木を20本ほど植えたので、この雨で活着したはずである。
昼過ぎにニワトリにエサをやりにいったら、トリ小屋の中に大きな水溜りが二つできていた。トタン屋根が老朽化して雨漏りがしている。春の農作業が忙しくなる前に大工さんに頼んでトタンを新しくする必要がある。
雨の中、ニワトリにやる青菜を刈りながら、30羽だから雨でもこうやって草を与えることができると思った。
現在の農業は専門的に特化されているので、多種類作ったり、ヤギ1頭とか、牛1頭とか、ニワトリ30羽を片手間に飼う人は少ない。分業化、専門化、大規模化、機械化が資本主義の大前提だからである。しかしこういうシステムが地球温暖化や環境破壊をもたらしているのだから、システムを変えていく必要がある。
農業が癒しになるのは、適度の面積で、何か動物がいて、少量多種類の野菜や果樹を、できるだけ農薬や化学肥料や各種化学資材を使わないで作る農業と思う。地球環境にもこういう農業が理想であるが、「経済と反比例」する。
ニワトリでも牛でも、エサの大半が海外からの輸入物というのも、かなり不自然である。大量の燃料を使って輸入しても、まだ国産物より圧倒的に廉価であるという現実。こういう現実も、輸入飼料の高騰という事態に遭遇するまで、全く省みられることがなかった。
一昔前は、エサが自給できる範囲内で牛やニワトリを飼っていた。牛だと1頭、ニワトリだと20~30羽ほどである。経済的な採算は合わなくても、本来のこういう飼い方に戻していく必要があるのではなかろうか。
旬のものを旬に作ればハウスもいらない。まあハウスは仕方がないとしても、ボイラで重油をたいてハウス内を加温するのは、やりすぎだと思う。原油の高騰でこういう農法は、先行きが見えないことがはっきりしたと思う。
農業は環境によい産業ではなく、ここ40年ほど、環境に最も負荷を与え続けてきた産業ではないかと思う。
農業現場から出る産業廃棄物、間接的な二酸化炭素排出、農薬、化学肥料、除草剤の多投による河川の汚染等・・・環境にいいどころか、現在も環境を破壊し続けている産業だと思う。
この農閑期にはいろいろとすることがあるのに、ブログを優先していると、どうもおろそかになる。しかし何歳になっても自分が夢中になれることがあるのはありがたい。心の病も気の病も更年期障害も、夢中になれることがあれば忘れれる。
ミカンの新品種育種の2人(農業新聞より)
現在70才の小原幸晴さん・・・30年前、「宮川早生」の細い枝にたった1個、ほかのとは違う、濃い赤色の果実を見つけた。食べてみると印象的に甘かった。小原さんは観察を始め、翌年には少し太くなった枝に3個の実がなった。この枝を別の「宮川早生」に接ぎ木して、10年ほどかけて少しずつ増やしていった。
濃い赤色のミカンが日の目を見たのは十数年前。県農業試験場やJAが注目し、1993年に、発見した小原さんの名を冠し「小原紅早生」と命名され、品種登録された。
現在、栽培面積は30ヘクタールほど。今では香川県を代表する特産ミカンに成長。
松山市の苗木生産者、重松明さん(69才)が育種を始めたのは19年前、かんきつ50種類の種をまき、翌年には5本の苗を選び出し、温州ミカンに高接ぎしたが、着果するまでには10年かかった。「なかなか実がつかず、途中で断念しかけた」と打ち明ける。
それでもポスト伊予カン育成の夢を捨て切れなかった重松さんは辛抱強く栽培を続け、高接ぎから10年後の2000年、ようやく着果した。「あきらめないで良かった」と笑顔を見せる。5本の高接ぎから最終的に1系統に絞り込み、05年10月に農水省の品種登録に出願。翌年7月には出願公表された。今年12月中旬には現地調査を受け、審査結果を待っている。
70才と69才、2人とも長い歳月をかけて成功に導いている。何でも10~20年とこつこつ続けないと結果はついてこないようである。しかし、そういうがんばろうと思う対象に人はなかなか出会えない。自分も今頃になって「ブログ」という、そんな対象に出会った。
(今日の夕飯)
冬野菜のサラダ・・・カブと輪切りでないニンジンは生です。特にニンジンは生で食べた時に味の違いがよくわかる。
コロッケ・・・市販の惣菜
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ハーブは難しいというイメージがあったが、野菜よりはるかに簡単だった。そして必要なハーブはたった12種類だった。多くのハーブの本は、多種類のハーブを列挙して、わざとわかりづらくしている。
ハーブティ用ハーブ 6種類
料理用ハーブ 6種類
ハーブを作り始めたのは8年目に入ってからだった。野菜の個人客の出入りが激しく、野菜以外に何か手を広げなければと思い、イベント収入や、ドラムカン炭焼き、百姓塾、ハーブに手を広げた。
収入につながったのは結局ハーブだけだった。
イベント・・・広告を入れたが、あまり人が来なかった。
ドラムカン炭焼き・・・苦手作業が多く、長く続かなかった。
百姓塾・・・これで稼ごうと思い、トータルで10万円ほど広告を出したが、生徒はほとんど集まらなかった。
ハーブも趣味では続かないと思い、どこか売り先はないかと考え続けたが、イタリア料理店かフランス料理店しか思い浮かばなかった。そして電話営業を思いついた。神戸、大阪の職業別電話帳から、イタリア料理店に電話をかけまくった。
今はイタリア料理店からは、ちょっと引き気味。理由は、
(1)よく閉店する
(2)継続して買い続けてくれない
これからハーブを売ろうとする人へ
(1)営業に遅すぎるということは一切ない。安くて鮮度がよければ、すぐに変わってくれる。
(2)とにかく、1本の電話を入れなければ何も始まらない。
(3)取引が始まってからも、なかなか先方からは注文の電話をもらえない。2週間に1度くらいのペースで定期的に電話を入れ、注文をもらう。
(4)個人客はこちら都合の野菜を送れるが、業務用の場合は注文を受けた品を送る。ここが個人客と業務用の決定的違い
(5)送り状、納品書、振込用紙記入、この事務処理に結構時間がかかる。
(6)職業別電話帳でもよいし、インターネットの料理、飲食店ブログ等からでも、各ジャンル別にいくらでも探せる。
(7)口コミの紹介も期待できる。個人客より業務用の方が横のつながりは広い。
ハーブティ用ハーブ


左からレモンバーム、レモンバーベナ、レモングラス。これらは春夏作のハーブなので、霜とともに出荷は終わる。
レモンバームは寒さには強いので、このまま越冬。春先に枯れた枝を刈り取る。
レモンバーベナは、株元に籾殻を敷いて少し防寒している。春先に枯れた枝を株元から切り捨てる。
レモングラスは画像のようにして防寒している。青々とした部分が残っていれば越冬成功。当地ではレモングラスの冬越しは難しい。

左の画像はスペアミントとブラックミント。
右の画像は、レモンタイム、コモンタイム、セイジ。
ミント類、タイム類、セイジは、ハーブティと料理、兼用である。
料理用ハーブ


左から、ローズマリー、イタリアンパセリ、スイートバジル。
このローズマリーは植えてから10年近くになる。ただ、両側は他所の田んぼであり、田んぼの境になる「畦」もなく、どちらの方も除草剤を使われるので主に冬だけ出荷している。他に3箇所、ローズマリーを植えているのでそれを春~秋出荷している。
イタリアンパセリは周年収穫ができるが、植え場所によっては「青枯れ病」が多発する。
スイートバジルは春夏作のハーブなので、初霜の到来とともに終わる。枯れてもバジルはきれい。


左からロケット、ディル、チャービル。
ロケットはホウレンソウとそっくり。出荷する時、間違えないように注意する。耐寒性もホウレンソウなみ。
ディルはニンジンの葉に似ている。秋冬作のハーブであるが、大寒の頃には寒さで茶枯れして出荷しづらくなる。
チャービルも秋冬作のハーブであるが、今年は失敗。グルメのパセリと呼ばれている。寒さには強く、大寒でも傷んだりしない。ディルとチャービルは直播がよい。そして混み合った所を間引いてそれを定植する。
その他のハーブ


左からジャーマンカモミール、ルバーブ、ラベンダー。
カモミールはタマネギとのコンパニオンプランツなので、タマネギの畝間に植えるが、これは植えたのではなく自生。前年カモミールを植えていた場所には、こぼれ種から大量に生えてくるので、それを定植すればよい。
ルバーブはジャム専用のハーブ。5月の1ヶ月間だけ出荷しているが、秋が深くなるとまた元気になるので、11月中旬~12月上旬にも出荷できる。業務用の注文はないので個人用に少しだけ作っている。
ラベンダーは個人用のワンパックに、6月の花期にサービス品として入れている。
(今日の夕飯)
ヒラ
ホウレンソウのおひたし・・・昨日の残り
味噌汁・・・朝の残り+卵
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定年帰農で60才から農業をスタートする場合、とても新鮮な気持ちになると思う。ただ、残り何年元気に農業をできるかは人それぞれである。平均寿命等から考えて12~13年であり、長くて15年ほどではなかろうか。 田舎移住は、残りの年数を計算してのことになると思う。
自分の場合はいつも、人の最後尾を付いていくような人生だったが、農業に転身してしばらくしてから、やっと人並みに安定した職業につけたような気がした。
60才になった時、23年の農業経験が積めれていることは、現在の世の中では、一つの大きな財産だと思う。
農業は確かにカネにはならないが、自分自身を誇り高く保つには最適の職業である。一流企業の取締役という肩書きよりも、現在の農業という職業に気高い自負を感じている。土の大地を踏みしめてきた自信だろうか。
経済面から自分は農業を否定的に捉えているが、最低限の生活が成り立つなら、これほど自分自身の独立と尊厳を保てる職業はないと思う。
農業新聞に「わたしと食」というコーナーがあり、ご飯の味の違いについて書いていたが、自分はご飯の味の違いがほとんどわからない。11月末に農家民宿へ行った時にも、経営者が、このご飯は「コシヒカリ」と話されたが、毎日家でたべている「ヒノヒカリ」と、味の違いがほとんどわからなかった。非農家の人だったら、いろんな種類の米を食べているだろうから、味の違いがわかるのも知れない。その点、野菜は味の違いがわかりやすいと思う。たまに食べる他所の野菜のおいしさにびっくりすることもある。サツマイモやニンジンなどの根菜類は味の違いが出やすく、果菜類や葉物類は味の違いがわかりづらいように思う。そして、ハウス物より露地物の方が味はよいし、旬にできたものは、旬をわざとずらして作った物(値がよいから)より味がよい。ただ、ほとんどの消費者は、今何が旬の野菜であるか知らないと思う。
野菜の味は、農薬を使ったか使わなかったかは関係なく、肥料と土質と気候風土の3つで味が決まってくるように思う。味に最も大きなウエートを占めるのが「肥料」であり、その次が土質や気候風土と思う。
野菜によっては雑草化するほど強い作物もある。「キクイモ」がその一つである。数年作ったが、こぶんこぶんしていて、出荷もしずらく、料理もしずらい。そして高木になり、台風で倒れやすい。果樹の根元などに芋を投げていたら、そこに根付くこともある。土手などにも雑草化したキクイモを見かけることがある。
現在は5~6株だけ、絶やさないように(場合によってはすぐに増やせるように)作り続けている。名の通りの菊の花が咲くので、秋のお彼岸の墓花にもよい。1メートルほどになったら中心の枝を半分に切り戻して低くする。すぐにわき芽が伸びてくるが、わき芽も低く切り戻す。台風の前などにも、烈風で倒れない高さに切り戻す。
料理法も味も「ヤーコン」に似ている。しかし、ヤーコンの方が外観がよいので出荷しやすい。逆にヤーコンよりキクイモの方が過湿や乾燥に強くて作りやすい。ヤーコンは過湿にかなり弱く、乾燥にも弱く、強い直射日光や高温にも弱いように思う。
師走になって、高病原性鳥インフルエンザの発生事例が、世界で急激に増えてきたと農業新聞に出ていた。自分は鳥インフルエンザの発生原因は、
(1)エサ
(2)買い方のシステム(小さな檻の中で前後にも動けない状態)
の2つに原因があると思っている。渡り鳥などに原因があるとは決して思っていない。渡り鳥に原因があるなら、渡り鳥が大量に死んでいる現場に何度も出くわすはずである。
毎日青菜をたっぷり食べ、太陽の光にあたって、動き回れるスペースがあれば、少々の病原菌には耐性があると思う。
ニワトリでも牛でも現代は飼育現場が人間の目に触れることがほとんどなくなった。それくらい閉鎖的な空間で大規模に飼われている。これではそのなかの一羽(一頭)が病気にでもかかれば、あっという間に広がる。だから余計に病原菌や衛生面に敏感になり、各種抗生物質を多用するという悪循環に陥りやすい。大量飼育、密飼いという資本主義的飼い方のシステムに最大の原因がある。
近在で発生しても、我が家のニワトリにうつることはないと思うし、自分の鶏舎が発生源になるとは、全く考えていない。
ニワトリはますます自然環境から遠ざけられつつある。野鳥との接触の危険性があるので、屋根のない放し飼いは封じ込められようとしている。
(今日の夕飯)
ホウレンソウのおひたし
お歳暮でもらったハムとブロッコリー
目玉焼き
家人が忘年会等で帰りが遅い。一人早く食べた。
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一昔前の自給自足システムが資本主義によって破壊されてから、農業で生活をすることが難しくなった。農業は「儲ける」というより、百種類の仕事(百姓)をして自給するという生き方が本来だから、「農業で儲ける必要性」が出てくると、農業がストレスになる場合も多い。
農業を見て、
(1)よくああいう仕事をやるなあと、半ばあきれ気味に見ている人
(2)ああいう仕事を自分もしてみたいと、願望としてみている人
二通りあると思う。しかし昔と違って、農業に転身することは相当のエネルギーがいるようになった。これは都会出身者でも農家の跡取りでも同じである。企業も容易には参入できない、かなり危険な産業である。
(1)地球的規模での気象異変
(2)地球温暖化による病害虫の増加
(3)資本主義は弱肉強食の世界だから、中国野菜より安く作れなければ、企業は農業に新規参入できない。
大規模農業で国内の農家は簡単に凌駕できても、中国の農家に単価で負けまいと思ったら並大抵のことではない。農作物は地球的規模で回転しているから、国内の農家に勝てても、国外の農家に勝てなければ、企業は農業に参入できないという仕組みである。
日本の個人農家が生き残るには、野菜でも米でも果樹でも「顧客との直販」に活路を見出していく場合だろう。
農業は負の要素だけでなく、風景セラピー、地下足袋から伝わってくる大地のセラピー、ハーブセラピー、ニワトリセラピーなどいろんなセラピーの恩恵を受けるので、経済だけでは比較できない職業である。
本(小冊子)だったら、80冊で8万円ほどかかるが、自費出版で80冊さばくのは大変である。よくさばけても60冊ほどだと思う。
ブログもパソコン代やデジカメ代やパソコン教室等で、平均すると毎年小冊子を出すくらい費用がかかるが、ブログの方が人の目に触れる機会は圧倒的に多い。
自分の場合、商業出版の完全な挫折が、ブログに対してわらをもつかむような気持ちになった。ブログの存在を1年早く知ってもいけなかったし、1年遅く知ってもいけなかった。運命的なタイミングだった。
小冊子にしていた時も、2000字ほどの短文を50項目ほど寄せ集めるという方法だったので、元々、本よりもブログ的だった。
去年の8月末、当地に始めてイノシシが出てから、サツマイモは採算が合わなくなった。
(1)電柵を動かす手間、電柵を張る手間
(2)電柵の周囲の草刈に2倍手間がかかるようになった
(3)電柵に草や芋ずるが伸びていないか、しばしばチェックする手間
(4)黒マルチを張る手間、黒マルチをはがす手間
(5)収穫にも時間がかかる
(6)野ネズミの被害が多い
(7)クズ芋もかなり出る。
(8)出荷時の選別に手間取る
(9)年内に出荷を終えないと、年が明けると寒さで腐敗が多くなる
(10)挿し木なので直射日光に弱く、水やりしてすぐに黒い寒冷紗をかぶせる手間。
イノシシは電柵を張るという自分の苦手なところを突付いてくる。電柵を張る必要があるのは今の所、サツマイモだけであるが、これが、ナンキン、ジャガイモ、ニンジンにまで被害が広がったら、農業を続ける気持ちが後退していくかも知れない。当地はまだイノシシの密度が低い。
(今日の夕飯)
ハクサイの水炊き・・・シイタケ、豚肉、鰯団子、シュンギク
ユズ酢醤油で食べた
最近、自分が作ることが多い。水炊きは簡単で便利。
昨日の画像をうっかり消してしまったが、昨日はダイコンの煮物だった。これも簡単なのでよく作る。材料は、シイタケ、鰯団子、平天。これにダイコンを入れて火をつけ、醤油、砂糖、酒、みりん、ダシを適量加えて、沸騰したら弱火にして15分ほど煮ると出来上がり。たいてい翌朝、翌昼も食べる。
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今日、起業しました。1円もかけずに。
起業の発想は田んぼで生じた。いつものように独り言をぶつぶつ言いながら農作業をしつつ、今日のブログの更新のことを考えていた。今日は「森林セラピー基地」について書く予定だった。ここ数日、農業新聞に森林セラピーのことが取り上げられていて、これなら、自分の田んぼと山で十分できるのではなかろうかと考えていたら突然「森林セラピーの起業」を思いついた。そしてすぐに、森林セラピーもよいが、自分の18年の経験とノウハウを生かして「田んぼセラピー(田舎へのパスポート)」を起業することにした。
田んぼセラピーの主な項目は
(1)岡山県での新規就農相談 有機農業、不耕起栽培
(2)定年後の田舎移住 投資はせず借地借家での移住
(3)現役世代の、借地借家での山村移住、就農相談
(4)田舎での自給自足の方法、年収120万以下で生活している人を紹介
(5)自分のネットワークの中で、希望する農業形態の農業者を紹介
(6)田んぼの散策(野菜、ハーブ、ニワトリ)
時間 午後1時~4時頃までの3時間
定員 1日1人もしくは1家族、1グループのみ
金額 5000円
実施日 月、水、金以外の日
その他 七輪で作るハーブティ、ゆで卵
メールでのお問い合わせをお待ちしております。
アクセス
山陽自動車道の備前インターで下りて→260号線→岡山ブルーライン(無料)へ。ブルーライン邑久インターから当地まで15分(備前インターから当地までは40分)
田んぼから歩いて10分の所に、「美しい森」の公共宿泊施設(素泊まり1泊2000円)
当地から車で25分で牛窓へ。ペンション、前島の民宿、旅館、ホテル等多数有り(1泊2食付8000~12000円)
今までもこういう起業はしばしば考えていたが、営業広告をどうするかがネックだった。そしてブログを広告塔にすることを思いついた。それにはブログの「更新力」と「集票力(ランキング順位)」がカギとなる。
野菜やハーブという物ではなく、18年の経験とノウハウを生かしたい。これは自分のオンリーワンであり、誰も真似をすることができない。1円の投資もない簡易起業ではあるが、流した汗と日々の努力を情報という価値にして提示したい。
自分はもう人生の最終章に入ろうとしている。70才までの残り15年間が自分のラストステージである。ボランティアではなくビジネスとして、きちんとした「起業」にするつもりである。
田んぼの風にふかれながら、あぜ岸に座っていっしょに語り合いませんか。
都会には逃げ場がない
田舎にも逃げ場はないが、何とかなるかもしれない。
それには、よい出会いをする必要がある。
自分がその橋渡しになれればと思う。
自分も農業に救われた一人である。
都会のあなたには、家なし、田んぼなし、農具なし、先生なしであるが、その状態からスタートしている人も多い。
都会には未来は見えない。
田舎にも未来は見えないが、都会に比べると、まだ何とかなるかも知れない。
農業に依存しない田舎暮らしも考慮の余地がある。
いろんな田舎暮らしをしている人を足で訪ねて、自分で話を聞くことが田舎への一歩になると思う。
今回、ブログで始めての営業を試みた。今後も時々・・・。
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自分は果樹のような「気の長い作物」は、あまり向かない。1年後もしくは2年後を見越して、枝をどのように伸ばしていくかとか、この枝は将来こっちの方向に伸ばそうとかいう悠長な遠大な農作業をする果樹農家は、そういう農作業をすることによって「先を見通すように」なり、段々と頭がよくなっていくような気がする。そういう点では、野菜は2~6ヶ月でくるくる変わるので、行き当たりばったりの農作業でもまわっていく。
つまり果樹は、 1年後、2年後、3年後を見越した作業が多い。野菜にはそんな農作業はない。長くて半年後である。
果樹をやっている人を見ると、いつも「ようやるなあ」と感心する。それは自分にはとてもできそうにない作物だからである。果樹は
(1)初期投資の金額が比較的大きい。
(2)苗木を植えてから成り始めるまで、2~3年待たなければならない。
(3)野菜と違って、技術系の人の仕事だと思う。
(4)棚作りとか、雨避けのビニール張りとか、誘引作業等、かなり器用さも要求されると思う。
(5)1年に1度だけの収穫であり、野菜のように1つ失敗しても他の野菜があるというわけではないので、1年1作、必ず成功に導く必要がある。
50代前半の人が脱サラして果樹を始めるとすると、70才まで元気に働けると仮定しても15回(15年)ほどしか収穫できない。そして果樹も
(1)カラスやタヌキ、イノシシ、シカ、サルの被害が大きい
(2)場合によっては台風でその年の収穫が激減することもある
(3)水をどうするか、水の問題が大きい。果樹産地ではたいてい「畑潅水設備」が整っているようだが、最近の異常気象のもとでは、果樹のような「単作」は、影響が大きいのではなかろうか。
(4)果樹でも大規模に少量多品種栽培、減農薬でされている人を知っているが、野菜の少量多品種栽培、無農薬より、数段難しいのではなかろうか。
(5)軌道にのれば、農繁期と農閑期が稲作と同じような形で取れるので、野菜のハウス栽培のように1年中忙しいということはない。
(6)東北のリンゴ農家では顧客への「直販」だけですべてのリンゴをさばいている人もおられるようである。果樹のような嗜好品は野菜のワンパックと比較して、案外、直販の顧客がインターネット等で見つけやすいような気がする。野菜のように、特定の野菜の量が多いとか少ないとか、家族構成が変化して食べきれないとかの問題は果樹のワンパックでは少ないように思う。
(7)ブドウならブドウだけに集中すれば、野菜に比べて技術の上達が早いと思う。
(8)一代で終わるなら、果樹は大きな投資になる。最近では、高齢の果樹農家の施設をまるごと引き継いで「賃借」のような形で新規就農されている人もおられる。
(9)植えた幼木が成り始める2年後、もしくは3年後までの期間が、ある意味、勝負になると言われる。生活をいかに維持していくか。
近くの集落にブドウを始めた人がだんだんおられるが、真似をしたくても、自分は果樹のような作物は到底無理。一口に農業といっても、いろんな形態の農業やいろんな作物がある。誰もがその中の自分にできそうな小さな一点でがんばっているのだと思う。
ただ、農具や施設に合計で300万円以上の投資をするのは、かなり勇気がいると思う。いったん投資すると、引き返せなくなる。
過去にいい投資を見たことがない。
(1)稲作に投資しても、米価の低迷。
(2)47年前、豚が大ブームになり、集落の人がこぞって豚小屋を立て、豚を飼い始めたが、豚は6~7年の内に集落から全く姿を消した。後には投資した豚小屋だけが残った。
(3)葉タバコに投資して、葉タバコの乾燥庫(建築)だけが残った。
(4)大型台風で何度も倒壊しているハウス 。
(5)水に関わる投資は金額が張る。
(6)ハウスのビニール、ポリ、マルチ等、原油価格高騰による農業資材の高騰。廃棄処分料もばかにならない。
(7)動物飼育なら、飼料の自給ができる範囲内で。
その他、 2本足の害獣も頻繁に出没。農機具の盗難、作物の盗難が毎年のように新聞に出る。
どんな農業形態を選択するにしても、生活ができるような収入をあげることは至難だと思う。
7月の真夏日でもこんな状態で寝て、12月の冬至が近くなっても同じような寝方をしている。15度ほどの温度差があると思うが、ニワトリは寒さには強い。大寒の頃には、この止まり木には止まらず、入り口の左隅で、重なり合って団子状態で寝る。
(昨日の夕飯)
すき焼き
すき焼きの煮汁で煮たシュンギク
(今日の夕飯)
お歳暮でもらったハム
ブロッコリー
ホウレンソウのおひたし
味噌汁・・・朝の残り
ラッキョ
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「火は人の心を癒す」。この言葉を読んだ時、一瞬、衝撃を感じた。それはずばりそうだったから。
「火は危険」とか「怖い」というイメージがあるが、実はこれほど人の心を癒すものはない。火を見ていると、だんだんと火に引き込まれるような錯覚を覚えたり、じいっと見続けたりすることがあるが、それが「癒し」だとは気付かなかった。実際にこの言葉を読んでから、自分の中で漠然と感じていたものが、はっきり、ああ、これは癒しだったんだと気付いた。
それからというもの、火をみるたびにいつも「火は人の心を癒す」という言葉を思い出す。火はなぜこうも人間の心を癒すのだろう。もちろん、人の心を癒す火は、木や竹や草の自然の火だけである。ガスの火などに癒されることはない。
この言葉を発した人は炭人だった。炭を焼く時には長時間ぶっ通しで火を焚く。その火を見ながら、炭人は絶えず心を洗われていたのだろう。
縄文の時代には、洞窟の中で暖をとりながら、魚や動物を焼いたり燻製にしたりしながら食べていた。火は縄文の時代から、人間の心を癒し続けてきた。
ボクが子供の頃には、家の門先でよく焚き火をしていた。童謡にもあるように、焚き火の時期は真冬である。落ち葉で焚きつけをして木を燃やす。竹は節の所でパンパンと破裂音がするので、焚き火の時にはあまり使われなかった。
45年ほど前にはまだストーブなどなかったから、寒い朝、焚き火を始めると、近所の人があたりにきた。つまり、近所の焚き火にあたりに行ったり来たりしていた。
47年ほど前まではまだプロパンガスも田舎の家庭には普及していなかったので、各家に「クド」があって、クドで、ご飯を炊いたり、おかずを煮たりしていた。風呂も五右衛門風呂をクドで焚いていた。近所には木の風呂もあった。木の風呂を焚いて、木が燃えたりしないのだろうかと疑問に思ったが、それは54才の今でも回答をみつけていない。
我が家は30年ほど前までは五右衛門風呂だった。その後ホーローになったが、15年ほど前までクドで下から焚いていた。つまり、父が元気だった頃までは、風呂焚きをしていた。田舎ではまだ風呂焚きをしている家がある。
クドの火を燃やすのは、子供でもできる仕事である。田舎育ちで55才以上の人だったら、家にクドがあり、「割り木をくべたり」しながら、ご飯焚きや風呂焚きの手伝いをした経験が記憶に残っていると思う。
今、火を焚くことがめっきり少なくなった。 それまでは各家で焼いていた家庭ごみも焼却禁止になった。焼却禁止になってすでに10年が来る。ただ、木とか竹とか草のようなものは焼いている。
自分の場合も、家庭ごみを焼くことはないが、竹や木などは使っていない田んぼの一画で焼いている。野菜でも、春夏作の青シソ、ナスビ、ピーマン、オクラの4種類とハーブのスイートバジルは、半年ほどの間に「木」になるので焼いて片付ける。
その他に自分の場合は、大量の「濡れた新聞紙」が出る。野菜を収穫する時にコンテナの底に新聞紙を敷き、収穫後、ジョロで打ち水をするので新聞紙が濡れる。また野菜は全て新聞紙で包むので、どうしても廃棄新聞紙が多く出る。濡れていたりするので家庭の焼却ゴミとしては出しづらく、この新聞紙だけは、木や竹を熱源として、月に2回ほどの割合で燃やしている。
上図はその画像である。新聞紙が見えないのは、燃やしてすんで終わり頃だからである。風のない朝方か夕方に燃やす。
新聞紙を燃やしている時は、嫌なものであるが、それが終わって木や竹だけになると、こういう自然素材の火は気持ちがやわらぐ。
木や竹を燃やすのは快感である。確かに癒される。何で火はこうも人の心を癒すのだろう。それは縄文の時代からのDNAのなせる業であるかも知れない。人は何千年の昔から、燃える火に癒されてきた。
たとえばキャンプファイヤーの火に引き込まれるような気持ちになったことはないだろうか。
今、都会では、草木を焼く火を見ることもなくなっている。火を見ても怖がったり、危険を感じるだけである。しかし、火は本当は、人の心を癒す。
都会では木や竹を燃やす機会には恵まれない。田舎でも焚き火などすでにしなくなったし、クドはないし、風呂焚きをする家も少ない。今でもよく火を焚いているのは炭人であるが、その炭人はもう限りなく少なくなっている。
あなたの心に火をつけるのは誰
火は人類1万年の歴史
火はあなたのDNAを呼び覚ます
スピリチュアルや宗教には決して癒されない
自然に帰れ・・・ 自然に帰ろう・・・
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こんな環境でやっています。ゆず茶とコーヒーで一息。
最近、「日本農業新聞」にはまっている。ブログのネタにと思い購読を始めたが、ブログネタを存分に提供してくれる。新聞だから専門的なことは少なく、現在の農業を取り巻く状況がわかりやすく書いてある。農協(JA)が発行している新聞である。
結構、隅々まで読み、広告まで目を通している。今日のトップページは「農家子弟 掘り起こし、就農者確保へ3ヵ年運動(JAグループ茨城)」だった。
政治家でも、地盤、看板を引き継いだ2世は圧倒的に有利である。農業も同じである。農家の後継ぎなら、家つき、田んぼつき、農具つき、先生(親)つきという、まさに「4拍子」そろっている。都会からくる新規就農者は、
(1)家なし
(2)田んぼなし
(3)農具なし
(4)先生なし
からスタートしている人がほとんどである。元々の農家の跡取りは農業をしなくなったので、自分の農業仲間の大半は都会から岡山にやってきた新規就農者である。自分より数段「農業の能力」が高い。農業ならできると思って始めたのか、それとも、やっているうちに農業技術を高めていったのか定かでないが、都会から農業をするためにやってくるような人は、高学歴で、なんでもやってのける器用な人が多い。
自分の場合は上記の4項目はもちろん揃い踏みだったので、農業をしようと思えばいつでもスタートできる状態だった。
ただ、農家の子弟に一般に言えることは「農業では食えない」ということが、子供の頃から身体にしみこんでいる。親も否定的、集落でも専業農家はなく、みんな勤めに出ている。そんな状況を子供の頃から見ていると、農業では食えないということは常識以前の話なのである。
だから、農業を始めるのは「サラリーマン社会で勤まらなかった人」、「サラリーマン社会からの完全な落ちこぼれ」、「働く場所がよくよくない人」と相場が決まっている。自分の場合も完璧なまでの挫折がなかったら、農業など思いつかなかったと思う。
完璧なまでの挫折を感じても、都市生活者だったら、農業は夢想だにできなかっただろう。そういう意味では自分には逃げ場があった。都市生活者なら、その先に待っているのは「カスバ」である。
農業は自分の能力でもできるだろうと感じたが、
稲作・・・機械が苦手、大型機械を買うカネもない。
果樹・・・苦手作業がたくさん出てくる。
ニワトリ・・・小屋が自分で建てれない。小屋を大工さんに頼んで40羽くらい飼おう。
ハウス野菜・・・ハウスが自分で建てれそうにない。カネもない。
数種類を大規模に・・・自信がない、できそうにない。
ワンパック宅配・・・この農業形態を本で見つけた時、始めて、自分にもできそうに思えた。単なる家庭菜園の延長みたいな農業形態だったから。
環境とか安全に対する高い意識からではなく、ワンパックを顧客に直接売るためには、「野菜の安全性が求められる」という、受動的理由から有機農業を始めた。
新聞によると、実家の農業を継ぐ意志のある
(1)新規学卒
(2)Uターン
(3)定年帰農
の3者に絞り込む。経営者として一人立ちするまでを3つのステージに分け、JAがそれぞれの段階に応じて、きめ細かく支援するのが特徴。
(1)第1ステージ・・・就農を決意するまでの「願望期」・・・相談会や週末栽培講習会を開き、就農を働き掛ける。
(2)第2ステージ・・・実際に就農するまでの「準備期」・・・訪問巡回したり、長期研修の受け入れ農家を紹介したりする。
(3)第3ステージ・・・実際に就農した「農業経営初期」・・・農機リースや融資など個別支援を徹底する。
JA茨城県中央会の○○会長は、「産地を守るには、新規就農対策が欠かせない。JAの統一運動と位置づけ、市町村や農業改良普及センターとも連携して取り組む」と強調する。
今年度末までに主力品目の生産部会に加入する60才以上を対象にアンケートを行う。後継者の 有無や就農希望の状況をつかみ、運動の数値目標のベースとなる支援対象リストを整理する。市町村や農業委員会、普及センターなどと一体で就農希望者の掘り起こしから就農後の経営支援まで「攻めの姿勢」で当たる。
なんか、すご~い。暴力団の勧誘のよう・・・こわもて。JAがんばれ。
(今日の夕飯)
かわはぎ
ホウレンソウのおひたし
湯豆腐とシュンギク・・・昨日の残り
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我が家では牛乳は飲まないし、料理に使ったりもしないので、ほとんど買わない。
卵も、ニワトリの入れ替えの時に半年間ほど切れるが、その間あまり買わない。家のニワトリが産んだ卵は食べるが、買った卵は食べたくない。
自分がニワトリを飼っているので、市販の卵がどんな卵か想像がつく。「表示の偽装」とかが、新聞紙上をにぎわせているが、良い卵は市場に出回らない。良い卵は生産者から直に顧客に売られる。表示の偽装など大同小異で、内容にあまり変わりはないと思う。卸やスーパーを通せば、素性はわからなくなる。生産者から直接買うか、自分で生産するしかない。
売るほど飼育するのは大変である。青菜(雑草、野菜くず)がやれる量は、おのずから限界がある。毎日与えるには、50羽を超えると難しくなるのではなかろうか。30羽なら雨の日でも与えることができる。ニワトリの卵は前日に食べた物(エサの大半は輸入品)が、糞、あるいは卵として表現される。人間のう○こと同じである。
有機の表示などあってもなくても、市販の卵にそんなに差はない。牛乳も卵も「食べない」ことが身体のためである。牛乳や卵から栄養素を取っていたのは一昔前の話。今はそれらを口にすることによって逆に「毒素」を口に入れることにつながっている可能性もある。
栄養を取るという考え方よりも、身体に入れないことの方が大切と思う。
産官学連携し、環境にやさしい病虫害防除セミナー
防除法は「シンプルに攻める」、ただそれだけだと思う。
(1)特定の野菜だけを、多量に作らない
(2)多種類作ると、単作より、病害虫は少ないと思う
(3)多種類作ると、それぞれの作物に益虫、害虫がやってくる。益虫と害虫に戦ってもらう
(4)旬に徹底的に忠実な作付をする
(5)連作をしない。
(7)風通しと日当たりに留意する・・・ハウス作物は病虫害に弱いと思う
(8)病害虫の多い作物は、それぞれの田んぼで、数年の内にわかってくるので、そういう作物の作付は必要最低限に留める。
しかし、そんな農業形態はビジネスとして成り立たない。
新規就農情報
高知県
高知県を通る439号線の沿線沿い5町村で作る439(よさく)有機協議会が本格的に動き始めた。地元に開校した有機の学校「土佐自然塾」の卒業生らを中心に据え、国道沿線を有機農業の先進地にする考え。・・・→今年度は、自然塾の初年度卒業生6人が国道沿線で就農している。塾には2期生11人が研修しており、卒業生を中心に、有機の里作りを進めていく考えだ・・・→現在は各県にいろんな支援制度があるので、どういう研修制度が自分に最も適しているか、1年ほどかけてよく調べるとよい。
行政(農業改良普及所等)、市町村役場や農協、図書館、日本農業新聞、日本有機農業研究会 インターネット等
有機農業は作ることよりも、販路の開拓が難しい。販路が安定していれば安心して農作業に励める。個性にもよるが、単独の販路より、グループで売ることができればより安定すると思う。
島根県
就農チャレンジ科・・・→島根県出雲市などが手掛ける出雲市アグリビジネススクールは9日、市内で2007年度の就農チャレンジ科開講式を開いた。果樹栽培を学ぶ3講座に36人が入校し、新たな挑戦を始めた。同科は、新たに就農を目指す人を対象にした講座で、品目ごとにブドウ9人、柿10人、イチジク17人が入校した。兵庫県からIターンして入校した○○さんは・・・。
農業新聞に出ていた記事を紹介するくらいしかできません。具体的なことはインターネットで検索したり、電話で問い合わせてみて下さい。
黒マルチ
「買い物のマイバッグ運動」を目にする度に、自分が田んぼで多用している「黒マルチ」に意識が行く。旬に忠実に、ハウスを持たず、シンプルに攻めているのに、黒マルチだけ止めれない。自分を納得付けるわけではないが、農業新聞にも次のような記事が載っていた。
『イチゴの苗が余っているのなら学級園に植えてほしいとの依頼を受け、夫婦で行ってきました。2畳ほどの畑に肥料をいれ、畝を立て、苗を植え、潅水チューブも入れてマルチを掛け、全ての工程を全員で体験しました。 肥料がどういう働きをするのか、なぜマルチを掛けるのか、などを子供たちに説明するのに、わたしも夫も四苦八苦でした・・・。』
豪州の大干ばつ
農業新聞に2回に分けて大きく取り上げられていた。干ばつは地球温暖化による構造的なものではなく、15年周期で変動する乾燥期間にぶつかっているだけという期待を込めた見方もあるようである。
水の量によって作付が決まると思う。例えば、大量の水が必要なサトイモは現在は150株ほどしか植えていない。田んぼの畦岸の細い水路から、稲のように水を引くことができた時には、現在の3倍ほどのサトイモを作付していたこともある。現在は田んぼの一角に掘った井戸水しか使っていないので、水量にはおのずから限界がある。
稲作の水も現在はカネがいる時代である。田んぼのすぐ上にある池は、渇水で田んぼの水が足らなくなった時には、県下三大河川の一つである吉井川から水をポンプアップする設備ができているので、それが稼動した時には、稲作農家は水代がかかる。
サトイモには多量の水が必要であるが、夏野菜は全般にどの作物にもかなりの水が必要である。
キュウリ、ナスビ、ピーマン、オクラ
ニガウリ、ヤーコン、ミョウガ
エンサイ、ツルムラサキ、青シソ
ハーブでは
スイートバジル イタリアンパセリ
果樹では
キーウイ
自分の場合は井戸水の水量だけで十分に足りている。水量よりも「水やりの手間」が取れるかどうかの方が問題である。
作付面積がしれているので、水の心配はさほどしていないが、定期的に雨が降ってくれれば、水やりがまぬがれるので、時間的には大いに助かる。
夏野菜の水やりよりも、ここ数年は秋雨前線の停滞がなく、9月、10月に雨が少ない。秋冬野菜に最も水が必要な時期に雨が降らないので、この時期の水やりの方が大変である。
これから農業を始める場合には、地球温暖化による干ばつを考慮に入れて、水をどこから調達するかよく調べておく必要がある。
(今日の夕飯)
サトイモの煮物・・・前夜の残り
豆ご飯・・・・・・・・・・前夜の残り
ホウレンソウ・・・・・前夜の残り
湯豆腐・シュンギク・・・ドレッシングで食べた
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農業新聞に「鳥獣害対策」の出ない日がない。それくらい農作物はカラスや、イノシシ、シカの被害を受けている。そういうことが常に頭にあるので、山の中でしばしば、「ここは鳥獣保護区域になっています」などの標識を見ると、無性に腹が立つ。
鳥、獣は狩猟しなければ、いくらでも増える。地球温暖化が原因と思える異常気象で、ただでさえ農作物が作りづらくなっているのに、丹精込めた野菜が収穫直前にこれらの害獣にやられてしまうなら、ますます農業は割に合わなくなる。誰のための、何のための「鳥獣保護区域」なのか、全くもって意味がわからない。
先日の農業新聞に「モンキードッグ」という、猿を追い払うための訓練を受けた犬が出ていたが、育成費用は1匹あたり20万円近くかかるらしい。猿害対策は防護柵だけでは限界がある。猿が出ても大地にしがみついて農業を続けなければならないのだろうか。そんな食料難の時代が近い将来くるような気もする。
飼料が高騰している。畜産の生産費に閉める飼料費の割合は40~60%と高く、飼料費の高騰が経営の悪化につながっている・・・それは、そういう経営のやり方に問題がある。動物飼育は自給できる飼料の範囲内で考えるべきだ。自給できる飼料は、ニワトリで30羽くらい、牛なら1頭だと思う。45年ほど前まではこういう飼い方だった。
普通に考えてみて、海外から安価な飼料を大量に購入して動物をたくさん飼うという方法は極めて不自然であるが、それを不自然と思わせないくらい安価な飼料が海外から輸入できていたので、ビジネス的にはそういう飼い方が近代的であるとか効率的であるとか言われた。
しかし飼料の高騰が新聞紙上をにぎわすようになるにつれて、海外飼料を購入して大規模に飼うというやり方が経営的に成り立たなくなった。それなら、本来の「地域循環」である、地域で取れたものをエサにして、そのエサがやれる範囲内の頭数を飼うというやり方に変えていく必要がある。そんな「ままごと」みたいなことをしていたら「飯が食えん」と思っても、それが本来の正しい飼い方であり、現在の経営方法が誤っている。
45年前には
ニワトリ・・・肉の供給、卵の供給、糞の供給という3拍子だった
ウシ・・・田んぼの耕運、肥育して売るもしくは乳牛の乳を売る、糞の供給という3拍子だった
そしてエサは
ニワトリ・・・買ったエサ、ヌカ、コゴメ、くず野菜、草
牛・・・草
飼料の高騰、輸入の減少のような状況では、規模を縮小して身の丈の畜産にせざるをえないのではなかろうか。規模拡大という資本主義的路線は完全に行き詰まりである。
縮小は、後退や敗退ではない。斬新な前進である。そういう経営方法で最低限の生活がまわっていかないのは、そんな社会システムや経済システムが誤っている。変えることができないなら地球温暖化も阻止できない。
今後は、
エネルギーと食料の間の、農作物の奪い合い
工業と農業の間の、水の奪い合い
が始まるらしい。
医療制度の崩壊も深刻らしい。その原因として、医師総数そのものが先進諸国の中で圧倒的に少ない現実が指摘されているが、岡山大学医学部の定員は120人。県下の新規就農者数は毎年120人前後で推移している。つまり、医者と農業者がほとんど同じ人数である。医者の定員は確かに少ないかも知れない。しかし、農業者の数も幾何学的な数字である。医食同源と言われるが、農業者の数がこれでは、食べ物の状況も寒々しいものがある。これでも食料が足りているのは、海外から大量の農作物が輸入されているからである。
普通に農業をして、農業でも何とか最低限の生活が維持できるなら、こうも農業者の数が減らないはずである。この状況をおかしいと思わないくらい国民感覚が麻痺している。こうまで農業者が減っているのは極めて異常な状態である。それくらい農業を職業にすると「食べて」いけれない。
(今日の夕飯)
ハクサイの水炊き・・・昨日の残り
ホウレンソウのおひたし・・・初物
サケ
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初冬の田んぼ

同じ画面でも、お墓の前から写すのと、お墓の後から写すのでは、少しイメージが違ってくる。一人で農業をしているが、田んぼの上からたくさんの人に見られているようで、にぎやかに感じるのはこのお墓のせい。
(昨日の夕飯)
ギョウザ・・・スーパーで買った惣菜
焼きそば・・・スーパーで買った惣菜
ハクサイのコンソメスープ・・・これだけ作った
(今日の夕飯)
ハクサイの水炊き・・・ハクサイ、シュンギク、ネギ、シイタケ、豚肉 ゆず酢醤油で食べた
老いの兆候
(1)独り言の声が大きくなる。
(2)しつこくなる。同じことを繰り返してしまう。
(3)気分が外へ向かわずに、内へ内へと向かう。
自分はその対策として
(1)ふりかえらずに、とにかく前へ前へと歩を進める。
(2)出歩く。
(3)攻撃的になるようにする。
デジカメの良い点
(1)本体以外は無料である。パソコンで見る限り現像の必要がない。
(2)コンパクトなサイズで軽い。
(3)薄くてポケットに入る。
(4)値段があまり高くない。
(5)「自動(オート)」機能があるので、技術がなくてもきれいに写る。
風景や日帰り取材が2度楽しめる。つまり、パソコンに取り込んでスライドショウで見ると、今日の出来事をもう一度楽しめる。
写す時には写すものを注視するので、それを繰り返しているうちに、対象(被写体)の微妙な変化に気付くようになる。
ブログの良い点
(1)ランキングに登録すれば、それが励みになる。
(2)行の空間を自由に使えて、制約もない。
(3)画像が入る
(4)字がへたでもブログはきれいな活字になる。
(5)下書きや訂正や追加が楽。下書きの用紙が紛失したりもしない。
(6)単なる日記と違い、不特定多数の人の目に触れるので、続けているうちに作文力が知らん間にアップする。
(7)死んでもブログが残る。残るようなブログにしたい。
(8)ネタを求めて出歩くようになり、活動的になる。
(9)ブログに注意が向き、雑念の生じる余地が少なくなる。
後15年、後15年と、頭の中で繰り返し唱えている。70才までに15年という意味である。70才くらいまでは元気に精神活動をしたい。
牛窓町、ドライブコース
(1)ブルーラインの邑久インターを下りてすぐの場所に竹久夢二の生家(入館料500円)→生家で散策マップをもらい→車で5分の旧明徳小学校へ(桜の頃は特にきれい。展望台から千町平野が一望できる)→静円寺へ(歴史の重みを感じる荘厳な寺)
(2)オリーブ園へ(牛窓が一望に見渡せる)
(3)前島へ(民宿が8軒もある。おふくろの家という民宿が有名である)。1泊2食付で8000~10000円らしい。車のドライブにはもってこい。展望台と大阪城築城残石はぜひとも。レンタサイクルは4時間が500円。
(4)牛窓海水浴場へ(歩いてすぐの牛窓神社へも)
(5)もしくは西脇海水浴場へ(その手前にペンション村がある。喫茶もしている。もちろん泊まることも可能。8000~10000円。8軒のペンションがあるが、以前、野菜をお届けしていたペンションが5軒あるので、どこがいいとかは言えない。それぞれホームページがあると思うので、ご自身でお選び下さい。
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ブログを始めてから、1日がとても忙しくなった。ブログに時間を取られて、他のしなければならない用事にまで食い込むようになった。もっとバランスよく時間を配分しなければ。
他の人のブログを見る時間もなかなか取れない。見ていると自分のブログが前に進まない。朝から、今日のブログの更新のことを考えている。
「日本農業新聞」はJA(農協)の新聞であるが、今の農業のおかれている現況がよくわかり、とても参考になる。
自分は地元の農業協同組合に加入しているが、
(1)農協に野菜を出荷したことがない
(2)農協から営農指導を受けたことがない
(3)農協の資材をほとんど買っていない。
ワンパック宅配という、顧客へ直に送る農業形態をスタート時に選択したので、他へ野菜を売る予備はなかった。農協に出荷していないのに、農協から営農指導だけ受けるというわけにはいかなかった。農業資材は農協より民間の方が安いような気がした。
別に農協が嫌いというわけではなかったが、こういう理由から疎遠だった。自分が農協に加入したわけではなく、親が加入していたので、わざわざ脱退する必要もなかろうと続けている。
ただ、ライフラインの自動落ちの一部が農協預金からであり、時々打ち込みに行っていた。その時の待ち時間にはたいてい日本農業新聞を手に取っていた。参考になる記事もあるなあと思いながら、購入するという所まではいかなかった。年間で3万円ほどかかるので、定期購読の決断には、ブログネタという強力な動機付けが必要だった。
農村再生
農村集落は今や「格差社会」から「貧困社会」になり始めているらしい。中山間地域の耕作放棄増加に危機感を募らすJA役員が、「市場原理主義の眼のみで見ないで、そこにすむ人の生活を多方面から見た施策がほしい」と話す。今の農村の共通した願いを代弁したものだと思う。
村で安心して暮らせることへの希求は、生存権にかかわる。さらに、村があってこそ、農地と森が維持でき、国土の荒廃を防げる。この当たり前のことを肝に据え、農村再生に真剣に取り組むべきだ。(日本農業新聞、論説より)
市場原理主義は弱肉強食、環境より経済優先は当然である。それを止めるには、資本主義という政治経済制度自体を見直す必要がある。この政治経済制度と共存しながら、農村再生や国土の荒廃を防ぐ手段があるだろうか。
農業用水の削減警戒(アジア・太平洋 水サミット)
干ばつや開発で河川の水量が不足しがちな現在、水の最大需要者である農業と、環境の利害がぶつかり合う場面が増えている。畑作を中心とした欧米には「安価な水を大量に使うのは、農業に対する隠れた補助金であり、貴重な水を浪費している」と批判する声が根強い。
食料需給が逼迫する中で、水をめぐる奪い合いは激しさを増すだろう。水田農業が果たす多面的な役割を分かりやすく説明していく努力が欠かせない。(日本農業新聞より)
研究者的態度、芸術家的態度
自分は農業本体の技術的追求には熱心ではないが、農業をめぐる情勢には注意をむけるようになった。言うなれば、農業本体は「木」で農業をめぐる情勢は「森」。
旬のものを旬に少量作って、環境変化(気象変動)の被害の影響を最小限にとどめ、農業技術を高めて2倍収穫するよりも、少し手を加えるだけで作物が本来もっている他力本願で1倍収穫できたらよいというのが、農業にたいする自分の態度である。研究者的態度でなく芸術家的態度。
食農教育
教えるよりも、人生で行き詰った時「だめでも農業があるさ」という逃げ場を、国や農協には用意して欲しいと思う。農業でも最低限の生活が営めることが、農業再生のキーワードである。
野菜は、作っているうちに野菜自身が作り方を教えてくれる。ニワトリを飼えばニワトリ自身が飼い方を教えてくれる。そして野菜や卵の安全性とはいかなるものか、続けているうちに知らん間に理解できてくる。農業はこうやって身体で覚えていくものであり、参考書や学校で学ぶものではないように思う。
ハンセン病の島 瀬戸内市邑久町虫明 国立療養所邑久光明園
らい予防法による国の強制隔離政策の違憲性を問うた岡山地裁の瀬戸内ハンセン病訴訟で原告団長を務めた中山秋夫氏が4日死去した。87才。静岡県出身。
ハンセン病を理由に1939年、邑久光明園に強制収用され、失明や手足の麻痺など後遺症を患った。国の隔離政策は違憲として提訴した熊本地裁の原告団に参加。99年の瀬戸内訴訟の提訴とともに、同訴訟原告団長となり、法廷闘争をリード。
詩人としても数多くの作品を残した。隔離政策の象徴とも言われる療養所内の火葬場を取り上げ、「死んで骨になっても故郷へ戻れない」と詠んだ作品「責め」は瀬戸内訴訟の訴状冒頭で引用された。(12月5日山陽新聞)
同じ瀬戸内市にある「長島」が、ハンセン病の人を隔離した「孤島」であると知ったのは、中学生になってからだった。小学校の時の道徳の時間に、先生が顔をこわばらせて、ちらっと、島と病気のことを話されたように思うが、後にも先にも、小学校でその話を聞いたのはそれ1回の気憶しかない。怖い病気にかかった人が連れて行かれる島であると母が話していたのも気億に残っている。
高校生の頃には新聞でその病気や島のことは理解できるようになっていた。
まさに「タブーの島」だった。20年ほど前、1度行ったことがある。美しい島だった。後にも先にもこの1回しか渡ったことがない。本土の目と鼻の先にあるのに、橋ができたのはそんなに古くない。それくらい隔離政策が徹底していたのだ。
数週間前、長島の紅葉をデジカメで取ろうと橋を渡ったら、橋の向こう岸にまだ「守衛」がいて入らせてくれない。あれ~、まだ隔離されているのかなあと思い、守衛さんと押し問答になったが、らちがあかない。
この島で亡くなった人のお墓にお参りしたり、居住者の絵や詩集や本が置かれている資料室にも行ってみたいが、もちろん、その場所にもいけない。これでは居住者に会うことも話を聞かせてもらうこともできない。まだ隔離された島である。
(今日の夕飯)
豚肉の生姜焼き
ダイコンの煮物
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今日スーパーで豚肉を買うのに、米国産にしようか、国産にしようか迷った。たいてい米国産を買うが、今日の米国産はあまり色がよくなかった。
安い方の米国産を買う理由は、エサの大半は輸入物であるし、飼い方の現場を見たら、国産はあまり買いたくなくなるのではなかろうか。米国産も同じような飼い方をしているのかも知れないが、エサも飼い方も同じなら、安い方の米国産を買う。あなたはいつもどちらを、どのような理由で選択されていますか。
スーパーの買い物にマイバッグを持参されますか・・・自分は週に2回ほど出荷の帰りに買い物をするが、マイバッグは持参していない。レジ袋は1袋8グラムほどで、日本チェーンストア協会は現在の13%台のレジ袋辞退率を2010年度末までに30%を目指す。毎月5日は「ノー・レジ袋の日」らしい。
こういう記事を読むと、いつも自分が使っている黒マルチと比較してしまう。自分は毎年70キロほどの黒マルチを中心とした各種資材(透明のポリ、ブルーシート等のポリ類)を産業廃棄物処理業者に持参しているが、処分量は1キロ、50円ほどなので、毎年3500円ほどの廃棄処分量がかかっている。
農業は環境によいことをしていると言われるが、
(1)ビニールや各種ポリ類の大量使用
(2)農薬の使用
(3)化学肥料の使用
(4)除草剤の使用
(5)土壌消毒剤の使用
(6)遺伝子組み換え作物
のことなど考えたら、環境によいどころか、かえって環境を破壊していることの方が多いのではなかろうか。しかし、これらを否定していたら、世界の大多数の人は「飢えて」しまう。
「経済」や「食料の供給」を無視した環境問題は考えられない。「大量生産のために大量の化学資材を投入する」という悪循環は断つ必要があるが、「過渡期」をどう越えていくかが難しい。
今日の新聞に、経済協力開発機構(OECD)の学習到達度調査で、数学的応用力、科学的応用力、読解力の全分野で日本の高校生は順位後退と書いてあった。
自分はもう中学校で習った「因数分解」など忘れてしまった。特に、数学、理科、英語はすでに白紙の状態。自分の人生に数学や理科などが必要であったのか疑問に思う。そんなものは知らなくても生きて行けるし、役に立ったとは思はない。農業にも必要と思わない。
大体自分は、中学校の時、なぜ勉強する必要があるのか、その疑問が取り付いて、勉強する気がなくなり、勉強しなければならない理由を担任の先生に聞きにいったことがある。
結局、勉強はあまりしなかった。特に、数学とか物理、化学という科目が苦手だった。なのに工業高校の機械科へ進学。普通科へ行って受験勉強をしたくないという気持ちが強かった。しかし、高校3年になって、どうしても働く気が起こらず(就職する気になれず)、それには大学へ行くしかなかった。一浪して大阪の私大の商学部へ進学した。入るとまた勉強する気が起きず、結局4年間、ほとんど勉強もせず、だらだらと過ごしてしまった。卒業する時、今度は働かないわけにはいかず、一般企業に勤め始めたが、続かず、その時、組織では勤まらないと感じて、個人でできる資格試験を目指し始めた。10年ほど、入退社と資格試験の悪循環を繰り返し、30代前半の頃「資格試験の難しさ」と「カネ切れ」で、その方向もあきらめざるをえなくなった。その後、工員をしていた時、突然、農業がひらめいて転身した。37才が目前だった。
農業収入は超低空飛行を続けているが、マルミさんが奥様でなく外様なので、我が家の生活はまわっている。
数学など九九がわかれば、それで足りるような気がするし、物理や化学が人生に必要と思ったこともない。本を読んだりすることは比較的好きだったので、勉強はしなかったが国語や社会は人並みにはできた。あめんぼ通信が続いたのは、月に1度の必要性が「作文の訓練」となり、それが長年の間に習慣になり、苦にならなくなり、いつの間にか楽しみも出てきた。13年目の末に1冊の小冊子にし、その後毎年1冊の小冊子にして十数社の出版社に送っていたが、共同出版(半額負担)を勧められることが多かった。半額負担の金額はたいていの出版社が100万円ほど提示してきた。「内容がすばらしい」とか「世に問うべきだ」などと甘言を弄されると、うぶな作文の初心者はすぐにその気になってしまう。いろんな甘言にも思いとどまることができたのは、自分にカネがなかったから。もしその時、自由になる100万ほどが手元にあれば、躊躇なく投資していたと思う。手元になかったことが幸いして甘言にのらなかった。
商業出版を目指した4冊目がどこもボツになった頃、ブログという存在を知った。始め、どこにブログが載っているのかわからなかったが、グーグルで「ブログとは」と検索しているうちに「ブログランキング」が出てきて、初めてブログランキング上位のブログを読み、自分もブログをしようと思った。
人生は捨てたもんじゃないし、どう転ぶかわからないと、最近は思っている。挫折を繰り返したから農業に出会った。挫折しなかったら、農業などしていない。今は、結果的によかったかなと思う。農業ルポライターという夢を追い続けて、まるで少年のように夢中になれているから。
夢は実現しないかも知れないが、あきらめたら、その時点で終わる。2年後かも知れないし、5年後かも知れないし、10年後かも知れない・・・。

(今日の夕飯)
ダイコンの煮物・・・自分が作った。鰯団子とシイタケ
ブロッコリー
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自分の農業で唯一、環境に配慮できていないことは「黒マルチ」を使っていることである。他の事は簡単だったのに、これだけが極めて難しい。
(1)農薬・・・アブラナ科野菜以外は、なしでもすませれる。
(2)化学肥料・・・有機質肥料だけで作れるが、年齢が高くなるにつれて重労働となる。
(3)ビニールハウス・・・旬のものを旬に作るならハウスはいらない。ただ「育苗用のハウス」だけは、あると便利かもしれない。
(4)機械・・・小規模ならいらないが、自分の場合、乗用トラクタ、管理機(ミニトラクタ)、草刈機、エンジンポンプは必須なので持っている。
なぜ黒マルチが手放せないかと言うと
(1)敷けば、草が生えない
(2)黒マルチをしておけば、次の作物の時、黒マルチをはいで、液肥を施し、ヨツメでちょっと耕すくらいで、ほとんど不耕起で蒔いたり植えたりできる。
(3)前作に黒マルチをしておけば、次作で草の生える量が格段に少ない
(4)11月のようにほとんど雨が降らなくても、水分の蒸発を防ぐので保水力がある。
(5)自分の場合、肥料は液肥(メタン菌液肥)なので、黒マルチをしなければ、雨で流亡しやすい。
(6)黒マルチをしておけば、葉裏に泥はねがないので、病気発生が少なく、出荷時に洗う必要がない。
黒マルチの効用は他にもいろいろあり、これが手放せない理由である。
黒マルチはハウスのビニール等に比べると、ごく薄い素材であり、重量的には少ない。小学校の農業学習の一環としての「サツマイモ植え」には、たいていこの黒マルチが使われているように思う。
サツマイモを植える前に、なぜこの黒マルチを使う必要があるか、子供たちに徹底的に議論してもらうのもよい。農業学習+環境学習になる。
農薬でも化学肥料でも、完璧に使わないとなると、肉体的にも精神的にも多少の無理が生じるように思う。その2点だけに余り完璧性を求めてはいけないと思う。
自分はその2点より高い位置付けとして、
(1)どんな水を使っているか
(2)その田んぼは過去(以前の持ち主)にどういう使われ方をしていたか
(3)果たして他所から持ち込んだ「鶏糞」や「牛糞」や「堆肥」が安全か。有機質肥料の地域内自給ができているか。
(4)市販の鶏糞はほとんどケージ飼いの鶏糞だろうから、各種抗菌剤、防虫剤、抗生物質の混入、そして飼料の大半は輸入物と考えられる。
(5)直接的に農作物の安全性に負荷を与えていなくても、ビニールや黒マルチ等の化学資材を使って、間接的に環境に負荷を与えていないかどうか。
安全とは単純なものではなく、全てが複合的にからみあったものであり、絶対的なものではなく、相対的なものと認識している。
「有機認証(JAS)」にはもちろん、ビニールや黒マルチ等の使用の有無など組み込まれていない。
岡山市の県立高松農業高校の生徒が、飼料を工夫することで、ニワトリのふん尿の悪臭を軽減できることを実証した。ハエを効率よく取る粘着シートの張り方も研究し、農高内の鶏舎のハエ発生を抑えることに成功した。生徒らは「畜産農家も実用してみてほしい」と呼びかけている(日本農業新聞より)・・・乳酸菌入り微生物製剤を飼料に混合することを書いていた。
そんなことをしなくても
(1)菜食主義に育てる
(2)真冬でも四面オール開放の金網鶏舎にする
(3)羽数を30羽くらいまでにする
この3つを徹底すれば、糞はほとんど臭わないし、ハエなど真夏でも見たことはない。
ただし、
(1)菜食主義にすると、タマゴを産む量はかなり減るし、糞の肥料効果もかなり劣る。
(2)大寒の頃だけ、ニワトリの寝場所(小屋の一箇所のコーナーの地べたに重なりあって寝る)近くの金網に、丈の長い土手草の束を置いて防寒している。
(3)1世代前の人は「ニワトリ=臭い」という先入観があったようだが、それは卵を産ますために濃厚飼料をバンバン与えていたからだと思う。
この農業高校では、ニワトリ1100羽、ブタ40頭を飼育しているようだが、どういう飼い方をしているのか知らないが、1100羽も飼えば、到底青菜などやれる羽数ではないので、糞は臭うだろうしハエも来る。
何のための1100羽なのだろう。30羽の方がはるかに勉強になる。それと、農業高校のやり方では、微生物資材を購入という新たな出費が加わる。安易にそういう費用のかかる資材に頼ってはいけない。農業ではできるだけ、自給飼料、自給肥料、自給資材(稲ワラ、麦ワラ、黒マルチ)が望ましい。
「ハエ」がくるのは、「メタン菌液肥」の樽の周辺。これは臭うので真夏には銀バエや便所バチがよく来る。メタンガスが発生するので、50リットル容器も500リットル容器も、ふたはちょっとしか閉めていないので、ふたの隙間から入るのか、液肥の中でよくハエが死んでいる。「とんで灯(液肥)に入る夏の虫」。

(今日の夕飯)
ハクサイの水炊き・・・トーフ、シイタケ、シュンギク、豚肉
ブロッコリー・・・マヨネーズで食べた
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先日の農家民宿の経営者は、兵庫県の会社を定年2年前の57才で退職し、その後中国5県で、民宿に適した物件を探されたらしい。グラフ岡山という小冊子を見て、この民宿を知った。
スタート年齢が遅いのに、よく思い切った投資をされたと思うが、多分、息子さん夫婦が反対せず、自分たちができなくなっても、息子さん夫婦が後をするのでは・・・と考えられたのではなかろうか。息子さん夫婦もこちらに来られて、現在は、ある料理店の厨房に勤められているらしい。
営業はしていなくて、お客様の口コミかリピーター客がほとんどと言われる。
農業でも同じであるが、新しいことを始めて、すぐに形になり、顧客もそこそこできて、民宿の形が次第にできあがっていくという、まさに理想的な展開であるが、このように、ごく短期間で「形にできる」のが、能力であり、適性であるように思う。
(1)トイレはもちろん水洗便所。
(2)1日、1グループ(1家族)だけ受け入れられているので、他のグループや家族と一緒にならず、自分はそれがよかった。
(3)他の民宿をあまり経験していないので比較できないが、料理がおいしかった。
(4)一昔前の隠居部屋に泊まったが、中はハイカラだった。40年ほど大都会で暮らされていたのだから、当然といえば当然である。
立地は深い山中で、中の調度品は都会風というのが、いいと思う。深い山中、築140年ほどの母屋に、中の調度品も田舎田舎していたら、それはちょっと、という気がする。しかし、「囲炉裏」や「クド」は残されていた。
「ドラムカン方式の炭焼き」など見ていると、1~2回、焼いているのを見せてもらったり、窯作りを手伝ってもらってできあがると、後はすいすいと自分で焼く人を何人も見てきた。それが、自分の場合はどうしてもできず、2年経過しても、うまく焼くことができなかった。3年目が経過する頃、いつのまにか止めてしまっていた。
つまり、得意でないことや、あまり適性がないことは、なかなか軌道にのらない。
自分の場合、農業をスタートする前に、唯一できそうに思えたのがワンパック宅配だった。やはりこれは簡単だった。
(1)家庭菜園の延長のようなものである
(2)市場や農協に出荷しないのだから、長さや重さや外観は問われない
(3)旬のものを旬にだけ作ればよい
(4)外観を問われないのだから、たいていの野菜は農薬なしでもできるだろう
(5)肥料は堆肥を作ったり、牛糞や鶏糞を買えば、化学肥料はほとんどいらないだろう
(6)多種類作るのは楽しい
(7)不得意な作物はあっても、たくさん作る必要がないから作れる
(8)30~40軒ほどの顧客なら、引き売りしながら顧客を探せばすぐに見つかるだろう
(9)スタートした当時は父が健在で、自給野菜は作っていたので、たいていの野菜の作り方は知っていた。それで十分だった。
ワンパック宅配は、顧客が不安定であり、仮に顧客が安定していても、多種類作って多種類収穫することは煩雑さも多く、8年~12年目の頃、他の農業形態をしばしば模索した。
しかし、
数種類を広い面積で・・・機械もいるし、農薬も必要になる。売り先をどうするか
ハウス・・・・・・・・・自分で建てれそうにないし、カネもない
稲作・・・・・・・・・・機械を使うのが極端に下手
果樹・・・・・・・・・・棚が必要だったり誘引作業があると無理
結局、他にできそうな農業形態がなかった。
できるかも知れないと思っても、
(1)100万ほどの投資が必要になる場合・・・借金してまでできない
(2)果樹のように、成り始めるまでに2~3年かかる場合・・・待てない
(3)年齢的な問題・・・65才まで残り何年か、頭の中によく出てくる
(4)できるかどうか半信半疑になった時・・・たいていうまくいかない
(5)全て時間が解決してくれる・・・農業の場合、1年もしくは2年で「形にならなければ」、カネが続かなくなるので、現実問題としてそれ以上続けれない。
農業形態を変えていく人は、並行してすすめながら、2年ほどの内に切り替えている。変更に時間がかかっていない。
自分の場合、農業の適性はあったが、農業の能力が少なかったと思う。能力があれば、もっとカネになる農業形態に切り替えていたはずである。変更できていたら、あめんぼ通信(その月のお届け日と、その月にお届けできる野菜だけは最小限伝える必要があった)は必要でなくなるので、続いていなかったかも知れない。
野菜だけ、稲作だけ、果樹だけ・・・ではネタ不足になるかも知れない。野菜、ハーブ、ニワトリと有畜小農複合自給でやっていると、ネタには事欠かない。
理屈をこねくりまわしてみても、心をもてはからってみても、結果こそ、厳しい(悲しい)現実である。
資本主義下での農業は、がんばれば、がんばるだけ損をする職業であり、規模を拡大すればするほど忙しさが増え、負債も増大する。そして機械に投資すればするほど機械貧乏になり、止めるに止めれない自転車操業となり、最後は事故か病気でダウンする。
何かそんな筋書きが見えて、無理してもたいした収入になるわけでなし、病気にでもなったら、その何倍もカネがかかると思ったら、いい加減でとどめておこうと思う。
病気をしないように
農業はほどほどにして
しかし最低限の自分のノルマ(ライフラインと社会保険料の支払い)だけは稼いで
そのためにはジリ貧でなく平行線をたどるように営業も少しはして
農業を楽しみながら
ブログには多大な時間を費やせるように
これらをバランスよくやっていく必要がある。
(今日の夕飯)
お好み焼き
レタス
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