あめんぼ通信

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

農家民宿 (2)

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 猫の額のような田んぼとは、画像のような田んぼを言う。この田んぼも、この秋きちんと稲穂が収穫された形跡があった。


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 北庄の棚田を12枚の画像にアップした。一番下の左は棚田交流館である。この北庄の棚田は面積では日本一らしい。看板にそう書いている。





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 この高い一本杉がある場所は、昔の一里塚(峠)のような場所だった。この地点から幾重にも道が分かれていた。
(1)津山方面へ
(2)建部町方面へ
(3)大併和西の棚田へ
(4)北庄の棚田へ
(5)上籾の棚田へ
と、まさに5方面へ分岐する地点だった。古い一本杉の意味がわかった。すぐそばに神社があった。左右の格子戸?の中に、右の画像のような人が鎮座していた。木造だった。ひょっとして鎌倉時代?。
 この後、1泊2日の最終コースである大併和西の棚田へ。
 


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 大併和西の棚田を10枚の画像にアップした。今まで見てきた棚田では、最も手入れが行き届いていて、休耕田はないようだった。県下で最も有名な棚田だけある。
 確か、この棚田には補助金が出ている。補助金が出ないと、ここまで管理できないと思う。
 この棚田は、見学コースの矢印の標識が道の分かれ道には必ずあって、道に迷うことなく、車で30分ほどでゆっくり一巡できるようになっていた。


 
 別に棚田が好きというわけではない。気分転換に家を出るには
(1)友人や知人の田んぼをみせてもらう
(2)ふら〜っと、知らない田舎をドライブする
(3)近場の観光名所、旧跡を訪ねてドライブする
(4)紅葉名所、棚田、農村型リゾートを訪ねてドライブする
 
 どこまでも農業用軽四で行く。車はこれしか持っていない。たいてい1人で行く。1人で行かないと、いきあたりばったりに方向変換できないから。
 出かける目的の半分はブログ取材なので、デジカメを持っていく。家に帰ってパソコンに取り込み、スライドショーを見ると、二度楽しめる。
 田んぼ訪問記でも何でも、ブログは画像が簡単に載せれるので、書籍に比べてカラフルで、内容をより詳細に伝えることができる。書籍よりかなり優れた媒体である。
 ただ、最近、ガソリン代が高過ぎる。


 
 昨日の農家民宿・・・
ご主人は熊本県の田舎出身で、定年後は田舎に住みたいと思っていたらしい。そして奥さんは料理が好きで、神戸で友人たちと料理店をしていたと言われる。田舎暮らしと料理がドッキングして農家民宿。


 ご主人の田舎はここより、もっと田舎だったと聞いた。ここも、たいそう不便な、深い山の中であるが。


 築140年ほどの母屋と築83年ほどの隠居部屋、そして、屋敷周りの1ヘクタールほどの田畑を購入して移って来られた。そして、民宿用にかなり家の中を改造、模様替えしているわけだから、退職金の大半を投資されたのではなかろうか。
 それでも、毎月確実に年金が入ってくる・・・。
 農業では、
(1)ボーナスなし
(2)定期収入なし
(3)退職金なし
(4)年金は厚生年金の3分の1〜4分の1

 まさにトリプルパンチにワンパンチ+。でもこれは自己責任。


 自分だったら、こんなに投資して民宿など始めずに、貯金にまわし、毎月の年金の範囲内で趣味ワールドの世界で生きると思うが、そんな金額、手にすることはないだろうから未知との遭遇。


 1日1家族(1グループ)しか受け入れていないという、ていねいな接待をされている。平日はお客が少ないだろうと思った自分の考えは杞憂だった。年中無休。生活と民宿と農作業がまさにごっちゃになった生活で、それを楽しんでおられるようだった。


 田舎風景が好きならお薦めです。1泊2食付き5500円。
民宿名・・・園田ファーム
住所・・・・・久米南町 上籾 359
☎・・・・・・・0867−28−4808



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(昨日の夕飯)
トリ雑炊・・・鶏肉少々
2日前の煮豆
湯でたキャベツ
 



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(今日の夕飯)
サワラ
ハクサイの水炊き・・・ユズ酢醤油で食べた
目玉焼き
ブロッコリー
 


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農家民宿 (1)

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 昨晩は久米南町、上籾の農家民宿「園田ファーム」に泊まっていた。楽しみにしていた初めての農家民宿だった。
 
 泊まった部屋は左の画像の部屋。これは一昔前によく見かけた「隠居部屋」で、昭和の初期に建てられたらしい、風情のある隠居部屋だった。外は「雨戸」になっていて、廊下があり、廊下の内側に障子がある。
 夏はいいが、冬はすきま風が入るのではと思ったが、すきま風は感じなかった。ただ、昨晩は風が強かったのか、雨戸ががたごと音がしていた。
 昭和20年代、30年代に建てられた田舎の家には、どこにもこんな雨戸と、雨戸を収納する、雨戸の数だけの出っ張り(上の画像の右隅)があった。

(1)定年2年前に退職して、西は山口県から、広島県、島根県、鳥取県、岡山県と、農家民宿ができそうな物件を探して歩かれたらしい。
(2)この物件が気に入って、民宿を開いてすでに5年。60代半ばのご夫婦である。
(3)1泊2食付5500円という驚異的安さ。


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 本宅を前から写すのを忘れた。三方からの画像があるので、農家民宿の大体はわかってもらえると思います。
 
 本宅(母屋)の右隣に、白壁の「蔵」がある。今は白壁はかなり崩れ落ちているが、こういう蔵がある家はたいてい、一昔前の「庄屋」である。
 
 蔵の前には見事な庭があった。随分昔にできた庭のようだった。なお、本宅は明治4年頃に建てられていて、築140年ほどになるらしい。黒い大黒柱と梁に年月の重みを感じた。
 
 庭を隔てて「隠居部屋」がある。つまり、蔵と隠居部屋の間に庭がある。
 
 そして、庭の間を小川が流れている。下の右の画像の石積みの間の長方形の形をした個所から水が流れ落ちる。
 
 つまり小川は「庭」の中を通り、「母屋と隠居部屋の間」を急勾配に落下して、下に流れている。
 
 家は、かなり急峻な段々畑の一角に建てられているので、家の後ろも前も、かなり高い石垣が組んである。
 
 水の出口を長方形に高くしているのは、多分「鉄砲水」が流れてきた場合に、狭く小さい出口では、水がさばけなくなるので、画像のような長方形の大きな出口にしているのだろう。
 
 上の画像の右の、網で囲っているのが家庭菜園である。家庭菜園で取りたての野菜を料理に使うというのも「売り」の一つである。



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 夕食は母屋の囲炉裏端でいただいた。昔この場所に囲炉裏があったらしいが、現在の囲炉裏は大工さんに頼んで作り直したものらしい。
 
 右の画像のような、なつかしい「クド」も撤去せずに、使われている。
 
 囲炉裏の画像が不鮮明で申し訳ない。ここで「鍋料理」と「刺身や天ぷらの和食」をいただいたが、画像が残っていない。



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 朝はこんなご馳走だった。
 風呂はどこの家庭にもあるような普通の風呂だったが、これで1泊2食付5500円は安いと思った。


 自分の収入では7500円というのは、一つの壁。これより高ければ、あまり行く気にならないと思う。5500円なら、度々来れるような気がする。


 この地区には有名な棚田が3箇所かたまってある。
(1)上籾の棚田
(2)北庄の棚田
(3)大併和西の棚田

  家からこの農家民宿まで1時間45〜2時間ほどかかるので、日帰りではちょっときつい。3箇所の棚田をゆっくり見てまわろうと思ったら、どこか泊まれる拠点がいる。




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何も捨てるものがないくらい身軽

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(今日の夕飯)
 近くに住む姉にもらった「大豆の煮豆」を食べる予定だったが、今日は親戚の葬儀に参列してお膳を頂いたので、それを食べた。

 
 前々日の朝は手伝いに、昨晩は通夜に、今日は葬儀だった。3日目の今日は少々疲れた。
 お客さんとして葬儀に参列する場合は、せいぜい2時間余りだが、当事者の親戚として出席する場合、葬儀で始めて出会う親戚も多いので緊張する。酒は飲まないので、相手に酒を注ぐタイミングもわからない。同じように農業をしている人が多いのであるが、会話はさほどはずまない。こういう席での立ち居振る舞いは苦手であるが、こういう席に出ることが年に数回はある。自分の場合のきちんとした格好というのは葬儀の参列で礼服を着る時だけである。
 

 自分には野良着が最もリラックスできる格好である。10日〜2週間ほど着替えることもない。今の時期は汗をかくこともないし、暑ければ上着を1枚脱ぐ。土は油と違って「汚い」ことはないので、4〜5日で洗ったりしない。そんなことをしていたら、洗濯をしてくれる人の負担が増えるだけなので、野良着は半月に1度ほどしか洗濯にまわさない。夏は汗びっしょりになるが、すぐにそれを天日乾燥すれば3〜4時間ほどでまた着れる。だから2枚の作業着を交互に着て、夏も10日に1度ほどしか洗い物にまわさない。
 
 
 以前は洗っていた軍手も、最近は洗う手間もばかばかしくなるくらい安い軍手が出回っているし、多分1回洗うとだめになる素材と思うので、軍手は使い捨て。10足が200円。


 
 田んぼにいれば、忙しくても、遊んでいるようなものなので、またたく間に時間は過ぎていく。

政治のことを考えるわけでもなく
生活のことを考えるわけでもなく
明日の希望や明日の絶望を意識することもなく
近所の人の目顔を気にするでもなく
朝最初に出会った時に、最小限の「おはようございます」の挨拶をする程度である
大体、田んぼの行き帰りに出会う人はたいてい1人だけ。4〜5日に1度出会う人が4人ほどという少なさなので、人と会話をすることも少ない
会話をすることはなくても、頭の中は「にぎやか」で騒々しいくらいである

大都会の群集の中で一人を感じる孤独
大都会のネオンに感じるきらびやかな孤独
大都会の狭い一室でもんもんとした孤独
誰もいない大自然の中は、逆に、雑踏のにぎやかさである

何の地位がいるだろうか
何の肩書きやステイタスがいるだろうか
ただ、必要最低限のカネは必要である
必要最低限の生活をするために、人はいったいどれほどの金額がいるだろう
年間100万という人もいるだろう
年間200万という人もいるだろう
家屋の改修などの大きな出費を除けば、自分の場合は、月に3〜4回のドライブや田んぼ訪問に費やす「時間的余裕」と「昼飯代で500円」もあればよい
通常なら、とっくに農業界から淘汰されているだろうが、大きな出費はマルミさんに押し付けて、自分はライフラインの支払いと、自分自身に関する支払いだけを追っかけていればよい

何にもない
何にもない
何も捨てるものがないぐらい身軽になりつつあるが、まだ、ろくでもないものがいっぱい身について離れない

ぼう〜っとする時間をもっと持ちたい。
ぼう〜っとするには、日常という時間から脱出する必要がある
吉井川水系という狭い区域を中心に
ふら〜っと行って、ぼう〜っとして、缶コーヒーでも飲みながら
天と地と流れる雲と流れる川とそこにたたずむ草木を楽しんで
現在、過去、未来を感じていたい。ただそれだけが今の希望。

何というゲージュツ空間
ゲージュツを導き出してくれたのは農業
ブログが与えてくれたゲージュツカツドウ



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今後の農業の予想

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(今日の夕飯)
サケ
ダイコンの煮物
味噌汁・・・朝の残り



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 今はこの「かきレタス(下葉から順次収穫)」と、ロケットと、イタリアンパセリを「生食サラダセット」として入れている。



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 レタスがある間は、画像のホウレンソウを送らない。レタスが終わってからホウレンソウを送っている。
(1)箱のスペース的に、レタスが入るとホウレンソウを入れるスペースがない。
(2)12月に入ると、霜でレタスが傷んで送れなくなる。逆に、霜にあたればあたるほどおいしくなるのがホウレンソウであり、レタスのスペースにホウレンソウが入る。



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 アブラナ科野菜は、アブラナ科四天王(ダイコン、カブ、ハクサイ、キャベツ)にブロッコリーを加えた5種類だけ作っている。
 カブとハクサイは害虫(ダイコンサルハムシ)の餌食になっているが、ダイコン、キャベツ、ブロッコリーはそれほどでもない。


 ハクサイの外葉はぼろぼろでも、かなり外葉を捨てれば、中の方は大丈夫なので送ることができる。

ハクサイ・・・・・・・・・・・・・・200〜250円
キャベツ・・・・・・・・・・・・・・100〜150円
ブロッコリ・・・・・・・・・・・・・100〜150円
ダイコン(2本)・・・・・・・・・250円
カブ・・・・・・・・・・・・・・・・・・150〜200円
ニンジン・・・・・・・・・・・・・・200〜250円
サトイモ(1キロ)・・・・・・・・400円
ネギ・シュンギク・・・・・・・・250〜300円
レタス→ホウレンソウ・・・・200〜250円
サツマイモ→ヤーコン・・・・300円

タマネギ(1キロ)・・・・・・・・250円
ジャガイモ(1キロ)・・・・・・・200円

ミント・セイジ(ハーブティ)→ユズ(ユズ茶)
ロケット(生食、炒め物、おひたし)
イタリアンパセリ(生食、収穫期間は1年中)


 
 自分の農業人生のカウントダウンが始まろうとしている。すでに始まっているかも知れない。そういう時期からブログを始めれたことは、よかったと思う。


 農業のカウントダウンだけでなく、人生のカウントダウンも始まろうとしている。70才までの後15年ほどが「精神活動」できる期間だと思っている。

 
 このまま、自分の人生は農業で終わる。何の肩書きも、地位も役職とも縁のない人生だったが、農業が職業であるということは、時として、豊かな気持ちになれる。


 現役世代の人は、ますます「職業としての農業」を選択できなくなると思う。農業は今、定年帰農者と、50代からの早期定年退職者だけのものになりつつある。つまり、農業を生活の糧とする必要のない人だけが、農業をできる時代である。そんな人たちが「農業は素晴らしい」、「農業には未来がある」と言っている。


 現実問題として、ほとんどの現役世代の人にとって、職業として農業を選択することは難しいし、異常気象の続発、害獣の増大によって、農作物はますます作りづらくなる。個人よりも法人(企業)が農業を支えていく時代になり、個人農はますます競争力で劣るようになる。
 
 
 個人農が生き残る道は、直接顧客に届けるワンパック宅配のような方法であり、規模的にも「小規模の農業」を展開していくことが、環境面からも経済面からも理にかなった農業形態だと思う。ほとんど食べていけない農業形態であるが、他の農業形態ではもっと経済的に厳しくなるように思う。


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夕飯の画像

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 11月に入っても少雨が続いている。9月、10月、11月と雨量がきわめて少ない。もう待てなくなって今日の午後、エンジンポンプを稼動させた。水やりをしたのは、ロケットとホウレンソウ、それに、1週間前に定植したタマネギである。



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 ソラマメやエンドウ類には、ジョロで水遣りをした。エンドウ類が発芽した。
 左のごく薄い毛布のような資材の下にはレタスが育っている。この資材のメリットは
(1)霜害を防ぐ
(2)少々種蒔きが遅れても取り戻せる
(3)鳥避けになるし、害虫も防ぐ
(4)雨は通るし、強い風も防いでくれる
(5)耐用年数が長く3〜4年は使える


 黒マルチも露地に比べて10項目以上のメリットがあるが、この不織布もかなり重宝な資材である。




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 寒暖の差が少ないせいなのか、モミジが少ないせいなのか、温暖地であるせいなのか、吉井川水系の紅葉には「赤色」が少ない。その中でこの「うるし」の木はきれいな赤色になる。ただ、「うるし」の木はそんなに多くないし、低木である。
 山の中で、触ってはいけない木がこの「うるし」である。ウルシの木に触ると痒くなる。ウルシに触れた顔や首まわり、手足にはぶつぶつができて、医者の薬をもらっても、直るまでに1週間ほどかかる。




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 サトイモの畝にすくも(もみがら)をかぶせて霜よけをした。これだけでは少ないので、もっと厚めにかぶせる。


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 すくも(もみがら)はトリ小屋に入れるのも重宝である。糞の水分とすくもが適当に交じり合って、鶏糞を取り出す時に扱いやすい。
 寒くなると、止まり木の上ではなく、入り口の扉の左側のコーナーで重なりあって寝るので、その場所には多めにすくもを置いておくと保温にもなる。
 ただ、エサ箱は設置していないので、コゴメを振りまく場所には、すくもはたくさんばらまかない。



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 (今日の夕飯)
サトイモの煮物・・・昨日の残り
ハクサイの水炊き
キャベツの三杯酢
うずら豆・・・市販の豆を圧力鍋で煮る


 最近はほとんどマルミさんが夕飯を作っています。目玉焼きとかレタスが出てきたら自分が用意したものです。
 好物のサトイモの煮物は自分が作ることが多いが、最近忙しくてしていない。サトイモは皮をむくのが面倒くさい。
 


 夕飯の画像を写すのに、いつも15枚ほど撮っているが、7〜8割方「ぼやけて」いる。パソコン先生に聞いたら、
(1)半押し機能を使って写す
(2)チューリップ(花)は使わない
(3)フラッシュをたいて写す
(4)照明を消してフラッシュで写してみる
(5)わきを閉めるとぶれない
(6)ズームはWにしておく

 教えてもらったことを実践したら「ぼやけ」が半分以下になった。

 
 随時、パソコンの指導を受けながら、ブログを進めている。困った時に、痒い所に手が届くような指導があればとても助かる。そんなパソコン先生に出会えることは難しい。しかし、そんな先生に出会いたいと、新聞や公民館ニュース等の情報に注意しておれば、いつか、出会えるものである。
 たとえば、自分がブログをしたいと思った時、ネタがいくら豊富でも、ブログを使いこなせなかったら、ブログの更新にやたらと時間がかかってしまう。
 キーボードの入力は「フォームポジション(10本の指)での入力」の基本をパソコン教室等で教えてもらい、毎日30分〜1時間、400字ほどの短文をスピードを上げて入力する練習をすれば早くなる。


 自分の場合、ボールペンで下書き、ワープロ(パソコン)で清書というパターンから13年間も抜け出せなかった。
 いきなりパソコン入力に切り替えることができたのは、ブログを始めてからである。下書き→清書では間拍子にあわず、必要に迫られて、いつのまにか「いきなりパソコン入力」に変わっていた。13年間の慣習を打破するには、大きな環境の変化が必要だった。
 下書きなしで、キーボードに向かっていきなり打つというのは、ブログをするためには最低限の能力と言える。


 慣れるまでは、頭に浮かんでくる言葉のスピードと、入力スピードのアンバランスで、かなり「ぎくしゃく」したが、これも1ヶ月ほどの間に気にならなくなった。


 今は、キーボードを打つことは、ボールペンを持つことと、あまり差がなくなった。ただ、入力スピードは、頭に言葉が浮かんでくるペースと均衡するようになるので、結局、自分流のスピードであり、早くない。


 今はボールペンで作文をすることはほとんどない。10本の指でカチャカチャ入力していると、もう作家気分。



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宇垣一成、中河与一

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  近くの出身でも、よく知らない人もいる。「竹久夢二」は全国区の有名人だから名前くらいは知っているが、今日訪問した宇垣一成という人は、新聞で紹介されるまで、その業績を全く知らなかった。
 竹久夢二は瀬戸内市出身で我が家から15分ほどの所に生家がある。
 宇垣一成は、市町村合併で岡山市になったが、同じく我が家から15分ほどの瀬戸町に生家がある。で、宇垣一成は何をした人かというと、陸軍大臣になった人であり、朝鮮総督になり、近衛文麿内閣の外務大臣になった人である。戦後、公職追放されたが、1953年の参院選全国区で51万票のトップ当選を果たして、国民の人気を裏付けた。


 新聞に「先人の風景」として取り上げられなかったら、生家を訪れることもなかったと思う。新聞を見て初めてその業績を知った。


 宇垣は明治元年(1868年)の生まれで、昭和31年(1956年)、87才で死去。


 家から15分といっても、吉井川にかかっている備前大橋を渡ってすぐ右折し、土手沿いに進むというこの道は数年に1度ほどしか走らない、あまり縁のない道である。だから、たまに通るくらいで、道沿いに「宇垣一成生家」と書いた看板を見るたびに、何をした人かなあと思う程度だった。


 新聞を見て、そんな有名人なら、近くだから行って見ようと思い、今日夕方行って来た。


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 末っ子の5男として生まれたらしい。長兄84才、次兄77才、3兄96才、4兄87才、本人87才と、5人が5人とも、当時としては格段の長生きをされている。長寿の遺伝子を授かっている家系なのだろう。長寿というのは、家系の遺伝子の働きも多いようである。そういう兄弟姉妹が自分の近くの集落にもおられる。ただし、現在は昔と違って食べ物や環境が劣化しているので、長寿の遺伝子があっても、病気等で早く死ぬ場合も多いようである。


 何の変哲もない、のどかな田舎であるが、時として、こういう立身出世を遂げた人がいる。青雲の志を抱き、田舎教師という仕事に別れを告げて10代の末に上京。


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 左の画像は、生家前から写した。生家の周りはブドウの産地のようである。正面に山陽新幹線が見えるが、その下に吉井川。吉井川まで直線で1キロほどである。
 真ん中の画像は、少し離れた道から写した。
 右の画像は、幹線道路から写した。

 なお、最初の画像の屋根を見ていただくと、屋根の変遷の歴史がわかる。左から、瓦屋根、トタン屋根、ワラ屋根。
 この家はすでに築150年を超えているらしく、右の画像のワラ屋根の時代に、宇垣一成は生まれたようである。今年は宇垣が生まれて139年。




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 宇垣一成生家の看板があってから100メートルほど行くと、同じく道路ぎわに、今度は「中河与一文学碑」という看板がある。中河与一、ご存知ですか。ボクはこの人の「天の夕顔」という本を読んだことがあり、名前は知っていた。それでも、たまにこの道を通るたびに、何でこんな場所に中河与一の文学碑があるんだろうと思うだけで、素通りしていた。


 今日、宇垣一成の生家を見に行った帰りに、この先に中河与一の文学碑もあるはずだから行ってみようと思いたった。

 
 記念碑の短歌は漢字が難しくて読めなかったが、歌っている意味は何となく理解できた。

 
 中河与一は香川県生まれであるが、幼少の頃は病弱で、6才の時、母の里である当地に転居し、大内小学校に学んだ。この素晴らしい山紫水明の地は、健康の保持増進と豊かな詩情を育むにふさわしい絶好の場であったであろうと、記念碑のそばの説明書きに書いてあった。

 
 中河与一は1897年に生まれ、1994年に97才で亡くなったが、宇垣一成の29年後に生まれて、同じ大内小学校に通っている。


 青雲の志を抱いた宇垣も、豊かな詩情を育んだ中河も、吉井川の土手下にある小学校で学んだわけだが、同じ風景を見て、同じ野山や小川で遊んでも、誰もが大志や詩情に恵まれるわけではないので、やはり、周囲の環境や、親や兄弟の影響や、本人の努力が大きかったのだろう。
 ともあれ、この二人は、吉井川の河川敷で遊び、豊かな自然に囲まれた幼少年時代を過ごしたのである。
 今もなお、あまり開発の手が入らず、宇垣や中河の時代と、そんなに変わっていないように思えた。
 




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 (今日の夕飯)
カワハギ
サトイモの煮物
味噌汁・・・朝の残り




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なぜ、企業は農業を始めないのか

東京市場の10月の輸入動向

(品目)  (産地)   (価格 )              (入荷量)

ニンジン  中国    キロ 80円    107トン

サトイモ  中国    キロ114円     93トン

タマネギ  中国    キロ 58円    265トン

 

 輸入野菜が無茶苦茶に安い。自分の場合は、

ニンジン  キロ  250円

サトイモ  キロ  400円

タマネギ  キロ  250円

 という単価である。これでも安い単価設定と思っているが、中国野菜に比べて、ニンジンは3倍強、サトイモも3倍強、タマネギに至っては4倍強である。

 輸入野菜がこんなに安ければ、業務用(料理店)の野菜が輸入物(特に中国野菜)に流れるのは当然である。

 

 
地球温暖化の抑制は有機物の施用と不耕起栽培
 
 堆肥などの有機物を施用し、耕起回数を減らすなどの管理を行えば、炭素を土壌に蓄えることで、二酸化炭素の大気中への放出を抑え、地球温暖化の抑制に貢献できる可能性があるという。炭素を多く含む土壌は保肥力が高いため、農家にとってもメリットがある。

自分の場合の有機物の施用は、

稲ワラ・・・5アール分ほどもらっている。

籾殻(すくも)・・・軽四に山盛り4杯ほどもらっている。

焼きすくも・・・上記籾殻を使用。

山の斜面の草(かや等)・・・10アール分ほど

少量の落ち葉

トリ小屋の鶏糞

メタン菌液肥(かなりの量の米ぬか)

 つまり、有機物を他から持ち込まない(稲ワラ、籾殻、ヌカは地域の産物)ようにしている。地域内循環が大切だと思う。

 

 耕運はあまりしない。ごちゃごちゃ作っているので耕運がしにくい。1枚の田んぼが全部片付いたら、耕運している。

 


森林セラピー
 
 森が持つ癒しの力を利用して、心と身体を健康な状態に回復させようという森林セラピー。

 雑木林の中でぼう〜っとするのもいいが、

(1)足が大地にフィットする地下足袋を履いて、あぜ道や山の中を歩くと、もっと効果があると思う。つまり、地下足袋は素足のような感覚になる。

(2)、手を使って、土に触る。

(3)少し汗をかく・・・落ち葉集めなど(一箇所に集めて堆肥に)


こういう場所が、

(1)自宅からあまり遠くない場所で

(2)カネをほとんど使わない方法で

(3)簡単に、週に1回ほど短時間にできる方法で

 あれば森林セラピーというより、人間回復セラピーと思うが、現実問題として都会にはこういう場所はない。フィットネスクラブは、身体のリフレッシュにはなっても、精神のリフレッシュにはならない。

 何で日本はこんなにも極端に、農の風景や、農の現場や、身近な郊外で散策できる里山がなくなってしまったのだろう。大都会にこそ「農の風景」が必要なのに、コンクリートとアスファルトの空間になって、土も見えない。

 それでも現在50才以上の人なら、子供の頃の原風景として、野山や田畑をイメージできる人も多いから、心身を野山や田畑に遊ばせることもできるが、そんな経験のない都会育ちの50才以下の人たちにとって、自然の中に自分の肉体と精神を遊ばせる「方法」や「意味」がわからないのではなかろうか。

 

なぜ、企業は農業を始めないのか

 それは儲からないからである。

 ニワトリのように10万〜100万羽養鶏という「管理システム」に簡単に取り込めるなら、大手企業もとっくに、稲作や野菜をそういう「管理システム」に取り込んでいたはずである。

 企業は、農業がほとんど利潤を生み出さないことを知っている。

 それは時間回転率と設備回転率の悪さに起因する。

 地球的規模で輸入ができるなら、安い輸入物を買い付けて、国産との差額の「利ざや」で儲けた方が、企業が作るより、はるかに儲かることを知っている。

 農産物輸出国の人口増加や、地球温暖化による異常気象で、農産物ができなくなって輸入が難しくなれば、必然的に国内の自給率を高める必要が出てくるが、その時にも、企業は農業参入に二の足を踏むだろう。第2次製品や商品と異なり、第1次産品は極めて薄利で利潤を生み出さない。


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 11月の末頃になると、太陽の昇ってくる位置が、夏とは随分違てくる。そのため、軽四をこの位置に移動させて「仕分け」をする。それでも11時を過ぎると、軽四の後尾まで太陽があたりだす。

 最近は、朝8時頃から収穫をスタートしている。朝8時にはまだ、田んぼの半分は日陰であり、太陽があたり出すまで「葉物」は弱い霜でも多少「萎えて」いるので、太陽があたり始めてから収穫をしている。
 葉物は収穫後、ジョロでさっと打ち水をして、日陰に置く。葉物(ハーブもすべて葉物である)の収穫と仕分けが終わってから、ダイコン、カブ、ニンジン、サトイモの根菜類の収穫と仕分けをする。



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(今日の夕飯)
お寿司
ダイコンの煮物
ししゃも


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ふら〜っと紅葉見学

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 今日はふら〜っと紅葉見学に出かけた。いくあては決めていなかった。車を走らせていたら、いつもの棚田の方に向かっていた。

 今日はその近くにある「和気美しい森」に行った。そこから天神山に登った。その稜線一帯は、県史跡「天神山城址」に指定されている。1533年ごろ、戦国武将・浦上宗景が築城。


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 その天神山から見下ろした眼下の眺めは素晴らしかった。左の画像はとうとうと流れる、岡山三大河川の一つ、吉井川。右に目をやれば、雄大な田土の棚田。
 紅葉真っ盛りだった。今週を逃すと、盛りが過ぎてしまうと思い、農作業を投げ出して出てきた。
 和気美しい森から歩いて30分ほどの距離だったが、かなり急勾配だった。15年後、70才になったら、この山はちょっと登れないだろうと思うほどの山道だった。


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 「和気美しい森」の中に、炭焼きの「本窯」がある。ここで時々炭焼きのイベントがあり、その指導員は近くで炭焼きをしている人だと聞いていたので、事務所でその指導員の電話番号を教えてもらい、麓の集落の人だと聞いたので、さっそく家に伺って、この冬に自分の炭焼きをされる時にデジカメで撮らせて欲しいとお願いした。

 このあたりでも、本窯で炭を焼かれている人はすでに数人になっているらしく、年齢も75才〜80才と聞いていたので、1年のことが言えないと思い、本窯の窯出し、窯入れをぜひブログに載せたいと思った。家から40分ほどの距離だから、いつでも来れる。



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 それからまた足を伸ばした。
 電話連絡もせずに農業者を突然訪ねたら、相手にとても迷惑がかかるのはわかっていたが、知らん間に車がそっちにむかっていた。美作市のUさんの田んぼである。農業高校を出てすぐに農業を始められて現在66才の方である。

(1)最初は観光イチゴ園として有名になった。

(2)田舎の親戚ツアーを始めて、都会から観光バスでツアー客が訪ねてくるようになった。もう10年以上も前のことである。

(3)阪急百貨店に、個人名の売り場を持っていた。

(4)一流フランス料理店で自分の野菜を使ったディナーと有機農業のトークを数年間続けた。

(5)最近は家庭菜園と土作りの講師や各種講演活動をされている。そして現在も、50アールの畑作と30アールの稲作もされる現役農業者である。畑作だけでも自分より20アールも作付面積が広い。


 農業高校の同級生で、農業をしたのは自分一人で、他の人は全て農業以外の職業についたと言われる。農業高校を出ても誰も農業をしない「走りの時代」だったのだろう。
 Uさんを訪ねて思うことは、年々若く見えて、全く、年を感じさせない人である。虫歯も1本もなく全て揃っているらしい。自分より一回り年上だが、Uさんの方が確実に長生きするだろう・・・そう思える人である。



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(今日の夕飯)
サンマ
柿なます
味噌汁・・・朝の残り




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父さんのいる冬を(68歳の出稼ぎ)

 米60万とキュウリ70万を合わせ、農業収入は130万。半年間の出稼ぎ収入100万と、夫婦の年金100万を加えても、年収は330万がやっと。そこから、営農経費50万、保険掛け金40万と家族3人分の生活費140万を使えば、ほとんど手元に残らない。「ここでは、なんぼ頑張っても食っていけない。逆に手間のかかる田んぼや山はない方が楽。この家も田も、おれの代で消えるしかねえんだ」。

 米価2万円台の頃は景気もよく、出稼ぎ収入は月40万を越えた。息子2人の学費も出せた。それが今、「子供がいなくても生活が苦しい」・・・出稼ぎの朝、○○さんは神棚と仏壇に手を合わせ祈った「どうか父さん、けがのないように。神様、仏様。家族を守ってください」。
 そして、願う「一度でいい。健康なうちに父さんと一冬、過ごしてみたい」。空を見上げ涙をふいた。(日本農業新聞より)

 
 東北の雪国では、いつ頃から「出稼ぎ」に出るようになったのだろうか。よく知らないが、昭和30年代に入ってからではなかろうか。昭和20年代はまだ「出稼ぎ」の歴史はないように思う。それでも、新聞に出ていたこの人は出稼ぎ歴が50年を越すと書いてあった。すでに昭和20年代の半ば頃から、「出稼ぎ」の歴史は始まったのかも知れない。それは戦後の復興が始まった頃と時期を同じくする。

 戦前の自給自足の時代には生活ができたのに、戦後、資本主義の勃興とともに「出稼ぎ」をしないと生活ができなくなった。それは最低限の文化的生活という言葉に名を借りた、資本主義の家庭内乱入である。

近所にプロパンガスを買った

近所に洗濯機を買った

近所に扇風機を買った

近所に炊飯器を買った

近所にテレビを買った

近所にトラクターを買った

近所に冷蔵庫を買った

 これらは、ボクがまだ小学生だった昭和35年から昭和40年にかけての6年間に、我が集落に怒涛のように押し寄せた出来事だった。これでもか、これでもかという、新たな家庭電化製品の登場だった。買わなければ最低限の文化的生活ができなくなった。

 買っても買っても次から次に買わざるをえないものが登場してくる。めまぐるしく登場してくる。農業収入だけでは買えないものばかりだった。買う必要のない時代には「自給自足」ができたが、買わざるをえなくなると、その時点で「自給自足的生活」は壊れる。このようにして資本主義の発達とともに自給自足的生活は破壊されていった。
 これらが買い揃った現在、果たして60年前より、文化的生活ができているだろうか。花鳥風月を愛でる精神的余裕があるだろうか。やっと買い揃えたと思ったら、次々に耐用年数の終わりがきて、また一から買い直しの必要に迫られる。これを死ぬまで繰り返す。そして買い直しのサイクルが最近は3〜4年間に短縮されている。パソコンやデジカメなど最たる例である。ああもう切りがない。永遠の自転車操業。このようにして人は資本主義のしもべとなる。とにかく、生きることにも、死に行く時にもカネがかかりすぎる。しかし人はもう、そのシステムの中に取り込まれてしまい、脱出することすら不可能になっている。

パソコン・・・欠かせない

デジカメ・・・欠かせない

車・・・・・・欠かせない

家・・・・・・築56年がくるので、次から次に修理箇所が出てくる。ぐらぐらしていた母屋の座板をやりかえ、台所の座板をやりかえ、応接間の座板をやりかえ、今また屋根瓦の吹き替えを迫られている。もうや〜めた。先送り、先送り。半端でない200万ほどのカネが必要である。
 その前に下水道の稼動。トイレの改修、下水道の各戸負担金で100万ほどの出費が緊急に迫られている。その上、ライフラインに下水道料金が加わってくる。もういい加減にしてくれ。際限がない。働いても、働いても、我が暮らし楽にならず。

 こうやって人生が終わっていくんだろう。最低限の文化的生活を追い続けて、追いかけっこしながら。


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(今日の夕飯)
親子どんぶり・・・昨日の残りがあった
味噌汁・・・・・・・・朝の残りに卵を入れた
サラダ・・・・・・・・・いつものレタスに生ハム2枚

 


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資本主義経済と農業

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(今日の夕飯)
親子どんぶり・・・タマネギ、ハクサイ、シュンギク、鶏肉
水炊き・・・昨日の残りにハクサイとシュンギクを追加。



20〜30羽養鶏が10万〜100万羽養鶏になったのが高度資本主義社会

小さな個人農が淘汰されていくのが高度資本主義社会

小さな行政区域が合併されて大きな行政区域になるのが高度資本主義社会

振込手数料は70円だったのが、民営化されて倍近い120円になるのが高度資本主義社会

2001年に1006あった市町村立病院は2005年までに982まで減少した。多くは統廃合、民営化、診療所への格下げなどで消えていった。それが高度資本主義社会。


 つまり、高度資本主義とは、地域も合併、企業も合併、ニワトリも合併(大規模化)・・・小さいままでは生き残れない社会である。

 そして、病院も半減、人間数も半減すると言われている。すなわち、高度資本主義社会は、人間や人間性や環境を破壊する経済制度である。


 資本主義経済制度の中で、農業で生き残るには、規模拡大や設備投資をしないこと。できるだけ小規模にとどめることだと思う。

拡大すれば、負債が増えるだけ

拡大すれば、忙しさが増えるだけ


 農業がビジネスにならないのは「自己責任」ではなく、「資本主義経済における農業」というように、高い見地から見るべきだと思う。

 資本主義システム下で、農業が発展している国などあるだろうか。小農は駆逐されて、大型化(法人化)されていくだけである。



 「有畜・小農・複合・自給」の農業形態。これこそ、資本主義と戦える農業形態である。これは、差し引き100万円以下の収入にしかならないが、こういう農業形態にしていかないと、地球温暖化も、環境問題も解決することはないだろう。

 

 ・・・1992年度に29人だった岡山県の新規就農者は、増加傾向が続いて2002年度に100人を突破。以降110人前後で推移している(山陽新聞より)・・・。健康の基本である食に携わる人の数が、こんな幾何学的な数字だから、医者をいくら増やしても追いつかない。

  

 65才以上の高齢者が集落人口の半数を超えている村を限界集落と呼ぶが、「財政援助」や「複眼的な視点で再生」と言われても、短期的には功を奏しても、抜本的には無理である。どんな援助や視点も消滅を先送りするだけである。資本主義という経済システムが限界集落の発生を促したのだから、それを止めるには、経済システムそのものを見直す必要がある。
 
 戦前のような自給自足の経済圏に戻すことはすでに不可能であるが、1人1人が、

小さな生活

小さな行動範囲

小さな生き方

小さな農業

小さな食生活

小さな環境保全活動

小さな財布

で生きる必要があると思う。

しかし、

 組織人と比較して圧倒的に収入の少ない農業者は、1円でも多くの収入を望む。少しでも身体的に楽ができて、少しでも収入アップにつながるなら、環境よりも経済を優先せざるをえない。それは資本主義社会に生きる農業者の宿命だと思う。

 資本主義社会に否定的な見解を並べ立てたが、マルクス主義者ではない。スターリン、毛沢東、ベルリンの壁が崩壊する前の東欧諸国など、あまりよいイメージがない。しかしこのまま資本主義経済が続くなら、人の心はますます荒廃する。




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小作料を頂いた

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(今日の夕飯)
水炊き・・・ハクサイ、シュンギク、トーフ、豚肉、鰯団子



  昨日、本年度の小作料として、米を4俵(30キロ入り8袋)もらった。本当にありがたい。最近は、田んぼを借りても小作料は無料という時代になりつつある。田んぼを誰かが借りてくれて、作ってくれるのはとても助かる。作ってくれなければ草ぼうぼうになってしまう。

  我が家は全部で9反(90アール)ほどの田んぼがあるが、そのうちの7反(70アール)は委託して近所の農家(親戚)に米を作ってもらっている。70アールの田んぼはあちこちに点在していて、湿地もあり、畑作には適さない田んぼが多い。残りの20アールが、今現在野菜を作っている一帯である。ここには小さな猫の額ほどの田んぼが14枚集まっていて、合計で2反(20アール)ほどの面積である。その田んぼに隣接する、道を隔てた4枚(22アール)は借地している。田んぼが一箇所にまとまっていると、農作業や収穫の時に、いちいち移動する必要がないので、とても便利である。

 つまり、70アールは委託して、22アールは借地しているというわけである。だから逆に借地料も支払っている。10アールあたり5500円なので年間に12000円ほど支払っている。

我が家は4人家族で、年間に1人1俵(60キロ)食べるので、4俵(240キロ)もらえると、ちょうど1年間分になる。かえすがえす、ありがたい。そして、クン炭にする籾殻ももらっている。籾殻は、クン炭だけでなく、トリ小屋の下敷きにもよい。しかし、作ってくれている人は70才を超えているので、いつまで元気に作り続けてくれるかわからない。作ってもらえなくなったら、他に作ってくれる人はいないので、年に3〜4回、耕運だけして草ぼうぼうにしないように管理するぐらいである。それ以上の管理はできない。

義父も77才でまだ元気に米作りと家庭菜園をしている。






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 今日はうっすら初霜だった。左から、エンサイ、ヤーコン、サトイモ。霜にあたると湯をかけられたようになる。

 エンサイ・・・最近はずっとニワトリのエサにしていた。今期のエンサイは今日で終了。

 ヤーコン・・・後1〜2回、霜にあたると、葉が枯れたようになるので、根元から切り倒し、そのまま畝の上において、土中のヤーコンの寒さ避けにする。

 サトイモ・・・水不足で、2株で1キロほどしか入っていない。井戸ができる以前には、水路からサトイモ畑に水を引かせてもらっていたので、背丈ほどに茎葉が大きくなり、収量も多かったが、井戸水だけになってからは、サトイモに十分水がやれないようになった。サトイモは水が「肥」。





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 今日のニワトリ。毎日、お役目ご苦労様。




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 井戸はこの位置にある。9年目の秋にできたこの井戸は、今、振り返って見ても大きな出来事だった。
 
 池の水は6月15日に「ヒ抜き」されて、稲に水が必要な9月20日頃まで、田んぼのそばの細い水路を流れるが、それ以外の時期は流れない。池の水だけに依存していた時は、この3ヶ月以外に水が必要な時は、どこからか水を持ってくる必要があった。そして、池の水は稲が優先されるので、自由に水が使える環境でもなかった。
 
 井戸がいるなあと考え始めたのは8年目に入った頃からである。井戸水が出るかどうかもわからなかった。何人かに相談して、とにかく、ためし掘りをしてみないことには、出るかどうかわからないと言われて、相談した人の知り合いの土建業者にユンボで掘ってみてもらうことにした。
 
 水が出そうに思えた候補地を4箇所用意した。

(1)お墓のすぐ下の田んぼ・・・排水が悪く、いつもじめじめしていた箇所があった。

(2)トリ小屋のすぐ下のあたり・・・昔、井戸があったらしいので。

(3)柿の木のすぐ上の田んぼ・・・水が出そうな気がした。

(4)井戸がある田んぼ・・・ここらあたりに井戸ができたらいいなあと話すと、掘ってみないとわからないと言われた。


 最も可能性があるように見えた(2)を最初に掘ってもらったが、掘り進んでから、ここは出ないと言われた。次に可能性がありそうな(3)を掘ってもらうつもりだったが、その場所に行くまでに作物が植わっていたので、とりあえず先に(4)を掘ってみようという話になった。そして、掘り進むうちに、水が少しずつ出ている地下の水の道が見つかった。それは地上から150センチほど下の所だったように思う。
 ここは井戸になると、その業者が言った。少しずつしか出ていなくても、1日たまればかなりの量になると言われた。
 4メートルほど掘って(ユンボが届く範囲まで)、土管を入れてくれた。金額は27万円だった。


 こんな所に井戸があったらいいなあと思った場所に、たまたま地下の水の道があった。井戸ができてから「10月の少雨」が毎年続くようになり、計り知れないほど、井戸の恩恵を受けるようになった。メタン菌液肥を導入できたのも、この井戸のおかげである。ハーブのスイートバジルの苗作りや定植時の水も、池の水が流れていない4月、5月だったので、大いに助かった。スイートバジルを大量に作り始めたのは、井戸が完成した翌年の春からである。


 井戸の完成は農業人生の大きな出来事だった。今からちょうど9年前であり、今までの農業人生の中間点の時期だった。


 後11年、65才の頃までワンパック宅配をするなら、井戸の利用は20年間ということになる。1年間の利用料は、27万÷20年=13500円ということになる。井戸の上に台風で吹き飛んだ小屋(10万円)があったので、それも計算に入れるなら、37万÷20年=18500円ということになる。その他、エンジンポンプ代(3台目)とホース代、ガソリン代もかかってくるので、「水代」は安い金額ではない。


 産地では「畑潅」というのが整備されていて、確か10アール当たり、年間7000円ほどと聞いている。これを自分の田んぼに当てはめて考えれば、7000円×4(40アール)=28000円。


 どちらが安くつくかは一概に言えないし、産地でなければ畑潅設備はない。


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不思議、発見

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(今日の夕飯)
栗おこわ・・・今日は家人は留守。近くに住む姉にもらった
野菜炒め・・・昨日の残り
サンマ・・・・・・これも残っていたので、レンジでチンした
ダイコンおろし・・・いつものパターン


 
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 不思議発見!。収穫期に入っても、左のニンジンは地上に飛び出してくることはないが、真ん中のダイコンと右のカブは地上にかなり飛び出してくる。ダイコンは通常半分くらい飛び出すが、画像のは3分の2ほど地上に飛び出している。
 カブに至っては、大半が飛び出しているように見える。しっぽのような根が地下に埋まっているだけである。
 


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 1週間前の日曜日に種を蒔いたレタスが発芽した。3種類蒔いている。
(1)かきチシャ・・・下葉から順次収穫するレタス。
(2)コスレタス・・・炒め用レタス。生食もおいしい。
(3)丸レタス・・・・・普通のレタス

 10月中旬頃に蒔いて、11月中下旬に定植して冬を越させるより、11月10日前後に蒔いて、苗床で冬越しをして、3月上中旬に定植している。収穫が多少遅れるだけで、この方が活着はいいと思う。


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 タマネギの定植が終わった。数えたら1535本(内、早生品種245本)植えていた。苗床から苗を抜きつつ植えたが、昨日4時間半、今日2時間、合計6時間半ほどかかった。これくらいの本数なら、足腰にあまり負担はかからないが、この倍の3000本となると、ちょっとうんざりする。
 
 黒い寒冷紗の中には春キャベツを100本ほど定植してあり、寒冷紗の向こうに、ラッキョ、ニンニク、ワケギを植えている。つまり、収穫期が同じ物は同じ場所へまとめた方が後作に便利である。




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 物置から脚立を持ち出して、手が届かなくて残っていたユズを、最後の1個まで収穫した。残さず収穫をすることが、果樹へのお礼だと思う。

 

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 画像はブロッコリーである。ブロッコリーはカリフラワーに比べて、作る利点が多い。

(1)中心の1個を収穫すると、その後、3月下旬頃まで「わき芽」が収穫できる。カリフラワーはわき芽が出ない。
(2)大型野菜の多い秋冬野菜で箱がいっぱいになる時、カリフラワーは大き過ぎて入らないが、ブロッコリーなら入る。
(3)2月末に大部分の秋冬野菜が終わり、3月中旬頃の野菜が少ない時期に、ブロッコリーのわき芽は、貴重な自給野菜になる。

 アブラナ科野菜は虫害が多いので、アブラナ科四天王(ハクサイ、キャベツ、ダイコン、カブ)しか作らないと、しばしば書いているが、このブロッコリーだけは例外として20〜30本を毎年定植している。



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 画像はソラマメの苗である。中心部の太い根の周囲に、丸い小さなつぶつぶがついているが、これが根粒菌です。マメ科作物はこの根粒菌の働きで空気中の窒素を利用できるので、肥料が少なくてすむ。マメ科作物は
(1)エンドウ、スナップエンドウ、グリンピース
(2)ソラマメ
(3)インゲン
 を作っているが、ソラマメとインゲンには普通の野菜と同じくらいの肥料(メタン菌液肥)を与えている。エンドウ類にはほとんど与えない。

 エダマメはワンパックに入れづらいので作っていない。自給用にも作っていない。ラッキョとワケギの例外が2点あるだけで、出荷がない自給用だけの野菜を作ったりはしない。


 
 何か最近、ブログの更新をする時に、自分のブログになかなか入れなかったり、不安定になったり、重かったり(表示にやたら時間がかかったり)が多い。せっかく書いたことが消えてしまったり・・・。


 今日は風の強い寒い1日だった。先日は初霜の予感が完璧にはずれ、逆に暖かい朝だった。もうそろそろ、うっすら初霜が降りる頃。


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野菜の旬、紅葉の旬

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(今日の夕飯)
野菜炒め
ししゃも
ダイコンおろし




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 ソラマメにかぶせていた枯れ草を今日夕方取り除いた。
隣の列はスナックエンドウである。エンドウ類を2列並べると、畝幅が150センチあっても、間に入れなくなるので、ソラマメとスナックエンドウ、ソラマメとグリンピースというように交互にしている。
 
 ソラマメは他にも植えたので、数えたら合計で65本定植していた。定植本数は「暗記」しておくと、何かと役に立つ。メモ書きを見ればわかるのは、あまり役に立たない。

 ソラマメは30本も定植すれば十分だったが、冬越し5月収穫の田んぼの一部が空いていたので植えた。
 なぜあまり植えたくないかというと、収穫期に必ず病気がきて、収量が極端に少ないから。


 他に、収穫期に必ず病気が発生して、収量が半減する作物としてタマネギとナンキンがある。
 
 ジャガイモは収穫期に必ず害虫が発生して、これも収量が半減する。
 
 タマネギ、ジャガイモ、ナンキンは必須野菜だから、作らざるをえないが、ばかばかしくなるので、必要最低限に減らしている。




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 タマネギは1本1本定植するが、タマネギのように多量に定植する作物も、前年の定植本数(もしくは定植面積)を暗記しておく。5条植え×80通り=400本、というように、簡単に数は数えれる。
 今日からタマネギの定植を始めた。明日午前中には終わる予定。



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 野菜にも旬があるが、紅葉にも旬がある。旬の時期は短い。その短い期間に、全てを燃焼させているように見えるから、旬の時期は美しい。
 毎年、タマネギの定植の旬と、紅葉の旬が重なって、タマネギの旬を優先していたが、タマネギの定植は多かった時の半分ほどになっているので、少し余裕ができるようになった。

 
紅葉の旬の期間に、今年は見学できそうである。「道は近きにあり、かえってこれを遠きに求む」という漱石の「門」に出てくる有名な言葉があるが、田んぼ周辺の紅葉の美しさはわからず、他の地域の紅葉ばかりが美しく見える。



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 イチジクは9月の始め頃から収穫期に入ったと思うが、いまだに収穫できている。収穫が始まって2ヶ月半ほどになる。カラスと競争になりながらも、少しは口に入れることができている。
 
 果樹はキーウイとかハッサク、ユズのように、収穫期に一度に収穫してしまう果樹が多いが、イチジクは収穫期間が長い。野菜に例えれば、イチジクはエンサイやツルムラサキのようは葉野菜型。キーウイやハッサクやユズは、ダイコンやカブやハクサイのような一括収穫型。
 どちらが経済的であるかは、一概に言えない。


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他人事→身に迫る危険

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(今日の夕飯)
目玉焼き
うどん
カリフラワー・・・・・もらいもの。ユズ酢醤油。
ダイコンなます・・・昨日の残り
サラダ・・・・・・・・・・いつものパターンに生ハム2枚


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 ニームという薬木の寒さ避けをした。棒を2本打ち、籾殻を入れる袋をすっぽりかぶせた。



 今日も紅葉の画像です。昨日はお墓から見た画像でしたが、今日は、池の土手からみた画像を中心にしました。


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 糞を見てニワトリの体調を知り、卵の数を見て、エサの量を考える。
 菜っ葉ばかりをやっているからといって、水っぽい糞ではない。固くもなく、軟らか過ぎもしない、健康な人間のう○こと同じくらいの固さがベスト。
 卵の数は、現在は3割の9個を最多個数と考えている。これ以上産むことはほとんどない。6〜8個産んでいれば、エサは十分に足りていると考える。4個以下だとコゴメが少ないと考え、与えるコゴメの量を増やす。
 卵を産み出してから3年目の秋なので、この時期1〜2ヶ月、卵を産まない期間があるだろうと思っているが、まだ今の所コンスタントに産んでいる。


 鳥インフルエンザは、定年帰農者の楽しみとしての20〜30羽養鶏の道を閉ざしてしまったように思う。そして、イノシシやシカは定年帰農者の楽しみとしての野菜作りを困難なものにするだろう。


 18年前、農業をスタートする時、当地にイノシシが出るとは想像もしなかった。

 9年ほど前、国道2号線のすぐ北までイノシシが進出しているのを知った。それでも、国道2号線はなかなか渡れないだろうと思った。
 国道2号線の南3キロの所で農業をしている自分は「他人事」と考え、あまり気に留めなかった。


 5年ほど前、隣村のサツマイモがイノシシの被害にあっているのを聞いた。身に迫る危険を初めて感じた。

 そして去年の9月、当地に初のイノシシ被害が出た。自分のサツマイモと30メートル離れた場所で作っていた家庭菜園のサツマイモが一晩で全滅したのを知った翌日、かかりつけの農機具店で電柵を買った。


 しかし、当地ではまだイノシシの密度は低い。今日、ニンジンを収穫しながら、イノシシはニンジンも好むので、ニンジンにも電柵が必要になる時期が来るかも知れないと思った。ニンジンの他に、
ジャガイモ
ナンキン
 ああ、もう考えないことにしよう。こんなものもやられるようになったら、出荷は止めて自給野菜だけにしよう・・・。時給800円のアルバイト先があれば、収入的にはそちらの方が現在の収入より多い。


 現役帰農を目指す人は、だまされて(情報不足で)農業の世界に入らないように・・・。現役世代の農業は牧歌的にも癒しにもならない。カネの切れ目が農業の切れ目。



ハーブティからユズ茶へ

 送料負担の軽減の意味で、何らかのサービス品を入れているのはワンパック宅配をしている人の共通項だが、サービス品としてハーブティ用ハーブはとても便利である。5月、6月、7月、8月、9月、10月と、摘んでも摘んでも、摘めば摘むほどわき芽が伸長して、それだけ収穫量が増える。そして、あまり出回っていないので喜ばれると思う。
 そのハーブティ用ハーブも11月に入る頃には成長がかなりゆっくりになる。
レモンバーム・・・出荷しずらくなる
レモンバーベナ・・・出荷しずらくなる
レモングラス・・・そろそろ終わり
タイム類(レモンタイム)・・・常緑草だが伸びが少なくなる。
ミント類・・・伸びが少なくなる
セイジ・・・伸びが少なくなる

 現在、自分がサービス品として入れているハーブは、アップルミントとセイジの2種類だけ。それも今月中で終わり、12月は入れることができなくなる。
 ハーブティがおいしいのは、夏場より冬場だから、ちょっと惜しいが仕方がない。
 その時に、ハーブティ用ハーブに変わってサービス品として重宝なのが「ユズ」である。ユズはユズ茶以外にも、鍋料理とか酢の物に入れるとおいしいし、部屋に飾りとして置いても長持ちがする。虫食いは多くても、ワンパックの顧客なら外観はあまり問題にならない。
 早めにユズの木を1本植えよう。



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花くらべ

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(今日の夕飯)
シチュー
ダイコンなます
ひじき

 10枚も写したのに、画像が全てぼやけていた。





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 今日夕方、家から30分ほどの、閑谷学校の「かいの木」のライトアップに出かけたが、これもうまく写せなかった。


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 ステージでは、地元の公民館グループの花笠踊りも披露された。



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 昨日、ソラマメを定植した。ポット育苗では鉢(土)がついているが、地床育苗では鉢(土)がついていないので、定植後は今の時期でも太陽光線でしおれてしまうので、枯れ草をかぶせて、4〜5日、日陰にしてやると早く活着する。



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 墓の上から写した、田んぼ周辺の紅葉。



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 昨日は「花くらべ」の日だった。意味がよくわからなかったので、クーグルで検索したが、それらしき回答が出てこなかった。
 この時期、花といえば菊ぐらいしかない。どの墓にも菊がたくさん飾られている。


 

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 ニンニクが発芽した。右のワケギも発芽した。これらと同一日に植えたラッキョがまだ発芽していない。ラッキョは保存中に種が少し虫にやられたようだった。しかし、ラッキョはきわめてたくましい作物なので、遅れても発芽してくると思う。仮に失敗しても、ラッキョ漬けも梅漬けも2年分を作っているので、食べる分には事欠かない。




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 高温が続いて、ロケットが大きくなりすぎる。霜にあたらないと、風味も弱い。
 
 左隅の方に黒い寒冷紗が見えるが、今日、春キャベツを100本ほど定植した。4月の桜が咲く頃から収穫できる極早生品種と、5月連休明け頃から収穫できる中早生品種の2種類。
 
 8月15日蒔きの秋冬作はポット育苗だが、10月3〜5日蒔きの春キャベツは地床育苗にしている。理由は10月3〜5日蒔きは無防備でも比較的よい苗が上がる(できる)からである。
 
 地床育苗だと鉢(土)が根につかないので、ソラマメ同様、今の時期でも太陽光線から日陰にするために、黒い寒冷紗を4〜5日かぶせておく。



 
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 果樹の収穫は農家であることの喜び。残りのユズとキーウイを今日一括収穫した。ユズは今日まであまり収穫はしておらず、キーウイは1ケースほどすでに収穫を終えているので、ユズは1本の木で2ケース、キーウイは2本の木で3ケース収穫できたことになる。

 単位面積あたりの収量は、ユズはキーウイより何倍も多い。

 ユズ・・・虫害が多い。
 キーウイ・・・雄木がいるし、棚が必要。



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