
(今日の夕飯)
近くに住む姉にもらった「大豆の煮豆」を食べる予定だったが、今日は親戚の葬儀に参列してお膳を頂いたので、それを食べた。
前々日の朝は手伝いに、昨晩は通夜に、今日は葬儀だった。3日目の今日は少々疲れた。
お客さんとして葬儀に参列する場合は、せいぜい2時間余りだが、当事者の親戚として出席する場合、葬儀で始めて出会う親戚も多いので緊張する。酒は飲まないので、相手に酒を注ぐタイミングもわからない。同じように農業をしている人が多いのであるが、会話はさほどはずまない。こういう席での立ち居振る舞いは苦手であるが、こういう席に出ることが年に数回はある。自分の場合のきちんとした格好というのは葬儀の参列で礼服を着る時だけである。
自分には野良着が最もリラックスできる格好である。10日~2週間ほど着替えることもない。今の時期は汗をかくこともないし、暑ければ上着を1枚脱ぐ。土は油と違って「汚い」ことはないので、4~5日で洗ったりしない。そんなことをしていたら、洗濯をしてくれる人の負担が増えるだけなので、野良着は半月に1度ほどしか洗濯にまわさない。夏は汗びっしょりになるが、すぐにそれを天日乾燥すれば3~4時間ほどでまた着れる。だから2枚の作業着を交互に着て、夏も10日に1度ほどしか洗い物にまわさない。
以前は洗っていた軍手も、最近は洗う手間もばかばかしくなるくらい安い軍手が出回っているし、多分1回洗うとだめになる素材と思うので、軍手は使い捨て。10足が200円。
田んぼにいれば、忙しくても、遊んでいるようなものなので、またたく間に時間は過ぎていく。
政治のことを考えるわけでもなく
生活のことを考えるわけでもなく
明日の希望や明日の絶望を意識することもなく
近所の人の目顔を気にするでもなく
朝最初に出会った時に、最小限の「おはようございます」の挨拶をする程度である
大体、田んぼの行き帰りに出会う人はたいてい1人だけ。4~5日に1度出会う人が4人ほどという少なさなので、人と会話をすることも少ない
会話をすることはなくても、頭の中は「にぎやか」で騒々しいくらいである
大都会の群集の中で一人を感じる孤独
大都会のネオンに感じるきらびやかな孤独
大都会の狭い一室でもんもんとした孤独
誰もいない大自然の中は、逆に、雑踏のにぎやかさである
何の地位がいるだろうか
何の肩書きやステイタスがいるだろうか
ただ、必要最低限のカネは必要である
必要最低限の生活をするために、人はいったいどれほどの金額がいるだろう
年間100万という人もいるだろう
年間200万という人もいるだろう
家屋の改修などの大きな出費を除けば、自分の場合は、月に3~4回のドライブや田んぼ訪問に費やす「時間的余裕」と「昼飯代で500円」もあればよい
通常なら、とっくに農業界から淘汰されているだろうが、大きな出費はマルミさんに押し付けて、自分はライフラインの支払いと、自分自身に関する支払いだけを追っかけていればよい
何にもない
何にもない
何も捨てるものがないぐらい身軽になりつつあるが、まだ、ろくでもないものがいっぱい身について離れない
ぼう~っとする時間をもっと持ちたい。
ぼう~っとするには、日常という時間から脱出する必要がある
吉井川水系という狭い区域を中心に
ふら~っと行って、ぼう~っとして、缶コーヒーでも飲みながら
天と地と流れる雲と流れる川とそこにたたずむ草木を楽しんで
現在、過去、未来を感じていたい。ただそれだけが今の希望。
何というゲージュツ空間
ゲージュツを導き出してくれたのは農業
ブログが与えてくれたゲージュツカツドウ
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11月に入っても少雨が続いている。9月、10月、11月と雨量がきわめて少ない。もう待てなくなって今日の午後、エンジンポンプを稼動させた。水やりをしたのは、ロケットとホウレンソウ、それに、1週間前に定植したタマネギである。

ソラマメやエンドウ類には、ジョロで水遣りをした。エンドウ類が発芽した。
左のごく薄い毛布のような資材の下にはレタスが育っている。この資材のメリットは
(1)霜害を防ぐ
(2)少々種蒔きが遅れても取り戻せる
(3)鳥避けになるし、害虫も防ぐ
(4)雨は通るし、強い風も防いでくれる
(5)耐用年数が長く3~4年は使える
黒マルチも露地に比べて10項目以上のメリットがあるが、この不織布もかなり重宝な資材である。

寒暖の差が少ないせいなのか、モミジが少ないせいなのか、温暖地であるせいなのか、吉井川水系の紅葉には「赤色」が少ない。その中でこの「うるし」の木はきれいな赤色になる。ただ、「うるし」の木はそんなに多くないし、低木である。
山の中で、触ってはいけない木がこの「うるし」である。ウルシの木に触ると痒くなる。ウルシに触れた顔や首まわり、手足にはぶつぶつができて、医者の薬をもらっても、直るまでに1週間ほどかかる。

サトイモの畝にすくも(もみがら)をかぶせて霜よけをした。これだけでは少ないので、もっと厚めにかぶせる。

すくも(もみがら)はトリ小屋に入れるのも重宝である。糞の水分とすくもが適当に交じり合って、鶏糞を取り出す時に扱いやすい。
寒くなると、止まり木の上ではなく、入り口の扉の左側のコーナーで重なりあって寝るので、その場所には多めにすくもを置いておくと保温にもなる。
ただ、エサ箱は設置していないので、コゴメを振りまく場所には、すくもはたくさんばらまかない。

(今日の夕飯)
サトイモの煮物・・・昨日の残り
ハクサイの水炊き
キャベツの三杯酢
うずら豆・・・市販の豆を圧力鍋で煮る
最近はほとんどマルミさんが夕飯を作っています。目玉焼きとかレタスが出てきたら自分が用意したものです。
好物のサトイモの煮物は自分が作ることが多いが、最近忙しくてしていない。サトイモは皮をむくのが面倒くさい。
夕飯の画像を写すのに、いつも15枚ほど撮っているが、7~8割方「ぼやけて」いる。パソコン先生に聞いたら、
(1)半押し機能を使って写す
(2)チューリップ(花)は使わない
(3)フラッシュをたいて写す
(4)照明を消してフラッシュで写してみる
(5)わきを閉めるとぶれない
(6)ズームはWにしておく
教えてもらったことを実践したら「ぼやけ」が半分以下になった。
随時、パソコンの指導を受けながら、ブログを進めている。困った時に、痒い所に手が届くような指導があればとても助かる。そんなパソコン先生に出会えることは難しい。しかし、そんな先生に出会いたいと、新聞や公民館ニュース等の情報に注意しておれば、いつか、出会えるものである。
たとえば、自分がブログをしたいと思った時、ネタがいくら豊富でも、ブログを使いこなせなかったら、ブログの更新にやたらと時間がかかってしまう。
キーボードの入力は「フォームポジション(10本の指)での入力」の基本をパソコン教室等で教えてもらい、毎日30分~1時間、400字ほどの短文をスピードを上げて入力する練習をすれば早くなる。
自分の場合、ボールペンで下書き、ワープロ(パソコン)で清書というパターンから13年間も抜け出せなかった。
いきなりパソコン入力に切り替えることができたのは、ブログを始めてからである。下書き→清書では間拍子にあわず、必要に迫られて、いつのまにか「いきなりパソコン入力」に変わっていた。13年間の慣習を打破するには、大きな環境の変化が必要だった。
下書きなしで、キーボードに向かっていきなり打つというのは、ブログをするためには最低限の能力と言える。
慣れるまでは、頭に浮かんでくる言葉のスピードと、入力スピードのアンバランスで、かなり「ぎくしゃく」したが、これも1ヶ月ほどの間に気にならなくなった。
今は、キーボードを打つことは、ボールペンを持つことと、あまり差がなくなった。ただ、入力スピードは、頭に言葉が浮かんでくるペースと均衡するようになるので、結局、自分流のスピードであり、早くない。
今はボールペンで作文をすることはほとんどない。10本の指でカチャカチャ入力していると、もう作家気分。
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近くの出身でも、よく知らない人もいる。「竹久夢二」は全国区の有名人だから名前くらいは知っているが、今日訪問した宇垣一成という人は、新聞で紹介されるまで、その業績を全く知らなかった。
竹久夢二は瀬戸内市出身で我が家から15分ほどの所に生家がある。
宇垣一成は、市町村合併で岡山市になったが、同じく我が家から15分ほどの瀬戸町に生家がある。で、宇垣一成は何をした人かというと、陸軍大臣になった人であり、朝鮮総督になり、近衛文麿内閣の外務大臣になった人である。戦後、公職追放されたが、1953年の参院選全国区で51万票のトップ当選を果たして、国民の人気を裏付けた。
新聞に「先人の風景」として取り上げられなかったら、生家を訪れることもなかったと思う。新聞を見て初めてその業績を知った。
宇垣は明治元年(1868年)の生まれで、昭和31年(1956年)、87才で死去。
家から15分といっても、吉井川にかかっている備前大橋を渡ってすぐ右折し、土手沿いに進むというこの道は数年に1度ほどしか走らない、あまり縁のない道である。だから、たまに通るくらいで、道沿いに「宇垣一成生家」と書いた看板を見るたびに、何をした人かなあと思う程度だった。
新聞を見て、そんな有名人なら、近くだから行って見ようと思い、今日夕方行って来た。

末っ子の5男として生まれたらしい。長兄84才、次兄77才、3兄96才、4兄87才、本人87才と、5人が5人とも、当時としては格段の長生きをされている。長寿の遺伝子を授かっている家系なのだろう。長寿というのは、家系の遺伝子の働きも多いようである。そういう兄弟姉妹が自分の近くの集落にもおられる。ただし、現在は昔と違って食べ物や環境が劣化しているので、長寿の遺伝子があっても、病気等で早く死ぬ場合も多いようである。
何の変哲もない、のどかな田舎であるが、時として、こういう立身出世を遂げた人がいる。青雲の志を抱き、田舎教師という仕事に別れを告げて10代の末に上京。

左の画像は、生家前から写した。生家の周りはブドウの産地のようである。正面に山陽新幹線が見えるが、その下に吉井川。吉井川まで直線で1キロほどである。
真ん中の画像は、少し離れた道から写した。
右の画像は、幹線道路から写した。
なお、最初の画像の屋根を見ていただくと、屋根の変遷の歴史がわかる。左から、瓦屋根、トタン屋根、ワラ屋根。
この家はすでに築150年を超えているらしく、右の画像のワラ屋根の時代に、宇垣一成は生まれたようである。今年は宇垣が生まれて139年。

宇垣一成生家の看板があってから100メートルほど行くと、同じく道路ぎわに、今度は「中河与一文学碑」という看板がある。中河与一、ご存知ですか。ボクはこの人の「天の夕顔」という本を読んだことがあり、名前は知っていた。それでも、たまにこの道を通るたびに、何でこんな場所に中河与一の文学碑があるんだろうと思うだけで、素通りしていた。
今日、宇垣一成の生家を見に行った帰りに、この先に中河与一の文学碑もあるはずだから行ってみようと思いたった。
記念碑の短歌は漢字が難しくて読めなかったが、歌っている意味は何となく理解できた。
中河与一は香川県生まれであるが、幼少の頃は病弱で、6才の時、母の里である当地に転居し、大内小学校に学んだ。この素晴らしい山紫水明の地は、健康の保持増進と豊かな詩情を育むにふさわしい絶好の場であったであろうと、記念碑のそばの説明書きに書いてあった。
中河与一は1897年に生まれ、1994年に97才で亡くなったが、宇垣一成の29年後に生まれて、同じ大内小学校に通っている。
青雲の志を抱いた宇垣も、豊かな詩情を育んだ中河も、吉井川の土手下にある小学校で学んだわけだが、同じ風景を見て、同じ野山や小川で遊んでも、誰もが大志や詩情に恵まれるわけではないので、やはり、周囲の環境や、親や兄弟の影響や、本人の努力が大きかったのだろう。
ともあれ、この二人は、吉井川の河川敷で遊び、豊かな自然に囲まれた幼少年時代を過ごしたのである。
今もなお、あまり開発の手が入らず、宇垣や中河の時代と、そんなに変わっていないように思えた。

(今日の夕飯)
カワハギ
サトイモの煮物
味噌汁・・・朝の残り
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東京市場の10月の輸入動向
(品目) (産地) (価格 ) (入荷量)
ニンジン 中国 キロ 80円 107トン
サトイモ 中国 キロ114円 93トン
タマネギ 中国 キロ 58円 265トン
輸入野菜が無茶苦茶に安い。自分の場合は、
ニンジン キロ 250円
サトイモ キロ 400円
タマネギ キロ 250円
という単価である。これでも安い単価設定と思っているが、中国野菜に比べて、ニンジンは3倍強、サトイモも3倍強、タマネギに至っては4倍強である。
輸入野菜がこんなに安ければ、業務用(料理店)の野菜が輸入物(特に中国野菜)に流れるのは当然である。
地球温暖化の抑制は有機物の施用と不耕起栽培
堆肥などの有機物を施用し、耕起回数を減らすなどの管理を行えば、炭素を土壌に蓄えることで、二酸化炭素の大気中への放出を抑え、地球温暖化の抑制に貢献できる可能性があるという。炭素を多く含む土壌は保肥力が高いため、農家にとってもメリットがある。
自分の場合の有機物の施用は、
稲ワラ・・・5アール分ほどもらっている。
籾殻(すくも)・・・軽四に山盛り4杯ほどもらっている。
焼きすくも・・・上記籾殻を使用。
山の斜面の草(かや等)・・・10アール分ほど
少量の落ち葉
トリ小屋の鶏糞
メタン菌液肥(かなりの量の米ぬか)
つまり、有機物を他から持ち込まない(稲ワラ、籾殻、ヌカは地域の産物)ようにしている。地域内循環が大切だと思う。
耕運はあまりしない。ごちゃごちゃ作っているので耕運がしにくい。1枚の田んぼが全部片付いたら、耕運している。
森林セラピー
森が持つ癒しの力を利用して、心と身体を健康な状態に回復させようという森林セラピー。
雑木林の中でぼう~っとするのもいいが、
(1)足が大地にフィットする地下足袋を履いて、あぜ道や山の中を歩くと、もっと効果があると思う。つまり、地下足袋は素足のような感覚になる。
(2)、手を使って、土に触る。
(3)少し汗をかく・・・落ち葉集めなど(一箇所に集めて堆肥に)
こういう場所が、
(1)自宅からあまり遠くない場所で
(2)カネをほとんど使わない方法で
(3)簡単に、週に1回ほど短時間にできる方法で
あれば森林セラピーというより、人間回復セラピーと思うが、現実問題として都会にはこういう場所はない。フィットネスクラブは、身体のリフレッシュにはなっても、精神のリフレッシュにはならない。
何で日本はこんなにも極端に、農の風景や、農の現場や、身近な郊外で散策できる里山がなくなってしまったのだろう。大都会にこそ「農の風景」が必要なのに、コンクリートとアスファルトの空間になって、土も見えない。
それでも現在50才以上の人なら、子供の頃の原風景として、野山や田畑をイメージできる人も多いから、心身を野山や田畑に遊ばせることもできるが、そんな経験のない都会育ちの50才以下の人たちにとって、自然の中に自分の肉体と精神を遊ばせる「方法」や「意味」がわからないのではなかろうか。
なぜ、企業は農業を始めないのか
それは儲からないからである。
ニワトリのように10万~100万羽養鶏という「管理システム」に簡単に取り込めるなら、大手企業もとっくに、稲作や野菜をそういう「管理システム」に取り込んでいたはずである。
企業は、農業がほとんど利潤を生み出さないことを知っている。
それは時間回転率と設備回転率の悪さに起因する。
地球的規模で輸入ができるなら、安い輸入物を買い付けて、国産との差額の「利ざや」で儲けた方が、企業が作るより、はるかに儲かることを知っている。
農産物輸出国の人口増加や、地球温暖化による異常気象で、農産物ができなくなって輸入が難しくなれば、必然的に国内の自給率を高める必要が出てくるが、その時にも、企業は農業参入に二の足を踏むだろう。第2次製品や商品と異なり、第1次産品は極めて薄利で利潤を生み出さない。

11月の末頃になると、太陽の昇ってくる位置が、夏とは随分違てくる。そのため、軽四をこの位置に移動させて「仕分け」をする。それでも11時を過ぎると、軽四の後尾まで太陽があたりだす。
最近は、朝8時頃から収穫をスタートしている。朝8時にはまだ、田んぼの半分は日陰であり、太陽があたり出すまで「葉物」は弱い霜でも多少「萎えて」いるので、太陽があたり始めてから収穫をしている。
葉物は収穫後、ジョロでさっと打ち水をして、日陰に置く。葉物(ハーブもすべて葉物である)の収穫と仕分けが終わってから、ダイコン、カブ、ニンジン、サトイモの根菜類の収穫と仕分けをする。

(今日の夕飯)
お寿司
ダイコンの煮物
ししゃも
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米60万とキュウリ70万を合わせ、農業収入は130万。半年間の出稼ぎ収入100万と、夫婦の年金100万を加えても、年収は330万がやっと。そこから、営農経費50万、保険掛け金40万と家族3人分の生活費140万を使えば、ほとんど手元に残らない。「ここでは、なんぼ頑張っても食っていけない。逆に手間のかかる田んぼや山はない方が楽。この家も田も、おれの代で消えるしかねえんだ」。
米価2万円台の頃は景気もよく、出稼ぎ収入は月40万を越えた。息子2人の学費も出せた。それが今、「子供がいなくても生活が苦しい」・・・出稼ぎの朝、○○さんは神棚と仏壇に手を合わせ祈った「どうか父さん、けがのないように。神様、仏様。家族を守ってください」。
そして、願う「一度でいい。健康なうちに父さんと一冬、過ごしてみたい」。空を見上げ涙をふいた。(日本農業新聞より)
東北の雪国では、いつ頃から「出稼ぎ」に出るようになったのだろうか。よく知らないが、昭和30年代に入ってからではなかろうか。昭和20年代はまだ「出稼ぎ」の歴史はないように思う。それでも、新聞に出ていたこの人は出稼ぎ歴が50年を越すと書いてあった。すでに昭和20年代の半ば頃から、「出稼ぎ」の歴史は始まったのかも知れない。それは戦後の復興が始まった頃と時期を同じくする。
戦前の自給自足の時代には生活ができたのに、戦後、資本主義の勃興とともに「出稼ぎ」をしないと生活ができなくなった。それは最低限の文化的生活という言葉に名を借りた、資本主義の家庭内乱入である。
近所にプロパンガスを買った
近所に洗濯機を買った
近所に扇風機を買った
近所に炊飯器を買った
近所にテレビを買った
近所にトラクターを買った
近所に冷蔵庫を買った
これらは、ボクがまだ小学生だった昭和35年から昭和40年にかけての6年間に、我が集落に怒涛のように押し寄せた出来事だった。これでもか、これでもかという、新たな家庭電化製品の登場だった。買わなければ最低限の文化的生活ができなくなった。
買っても買っても次から次に買わざるをえないものが登場してくる。めまぐるしく登場してくる。農業収入だけでは買えないものばかりだった。買う必要のない時代には「自給自足」ができたが、買わざるをえなくなると、その時点で「自給自足的生活」は壊れる。このようにして資本主義の発達とともに自給自足的生活は破壊されていった。
これらが買い揃った現在、果たして60年前より、文化的生活ができているだろうか。花鳥風月を愛でる精神的余裕があるだろうか。やっと買い揃えたと思ったら、次々に耐用年数の終わりがきて、また一から買い直しの必要に迫られる。これを死ぬまで繰り返す。そして買い直しのサイクルが最近は3~4年間に短縮されている。パソコンやデジカメなど最たる例である。ああもう切りがない。永遠の自転車操業。このようにして人は資本主義のしもべとなる。とにかく、生きることにも、死に行く時にもカネがかかりすぎる。しかし人はもう、そのシステムの中に取り込まれてしまい、脱出することすら不可能になっている。
パソコン・・・欠かせない
デジカメ・・・欠かせない
車・・・・・・欠かせない
家・・・・・・築56年がくるので、次から次に修理箇所が出てくる。ぐらぐらしていた母屋の座板をやりかえ、台所の座板をやりかえ、応接間の座板をやりかえ、今また屋根瓦の吹き替えを迫られている。もうや~めた。先送り、先送り。半端でない200万ほどのカネが必要である。
その前に下水道の稼動。トイレの改修、下水道の各戸負担金で100万ほどの出費が緊急に迫られている。その上、ライフラインに下水道料金が加わってくる。もういい加減にしてくれ。際限がない。働いても、働いても、我が暮らし楽にならず。
こうやって人生が終わっていくんだろう。最低限の文化的生活を追い続けて、追いかけっこしながら。

(今日の夕飯)
親子どんぶり・・・昨日の残りがあった
味噌汁・・・・・・・・朝の残りに卵を入れた
サラダ・・・・・・・・・いつものレタスに生ハム2枚
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(今日の夕飯)
親子どんぶり・・・タマネギ、ハクサイ、シュンギク、鶏肉
水炊き・・・昨日の残りにハクサイとシュンギクを追加。
20~30羽養鶏が10万~100万羽養鶏になったのが高度資本主義社会
小さな個人農が淘汰されていくのが高度資本主義社会
小さな行政区域が合併されて大きな行政区域になるのが高度資本主義社会
振込手数料は70円だったのが、民営化されて倍近い120円になるのが高度資本主義社会
2001年に1006あった市町村立病院は2005年までに982まで減少した。多くは統廃合、民営化、診療所への格下げなどで消えていった。それが高度資本主義社会。
つまり、高度資本主義とは、地域も合併、企業も合併、ニワトリも合併(大規模化)・・・小さいままでは生き残れない社会である。
そして、病院も半減、人間数も半減すると言われている。すなわち、高度資本主義社会は、人間や人間性や環境を破壊する経済制度である。
資本主義経済制度の中で、農業で生き残るには、規模拡大や設備投資をしないこと。できるだけ小規模にとどめることだと思う。
拡大すれば、負債が増えるだけ
拡大すれば、忙しさが増えるだけ
農業がビジネスにならないのは「自己責任」ではなく、「資本主義経済における農業」というように、高い見地から見るべきだと思う。
資本主義システム下で、農業が発展している国などあるだろうか。小農は駆逐されて、大型化(法人化)されていくだけである。
「有畜・小農・複合・自給」の農業形態。これこそ、資本主義と戦える農業形態である。これは、差し引き100万円以下の収入にしかならないが、こういう農業形態にしていかないと、地球温暖化も、環境問題も解決することはないだろう。
・・・1992年度に29人だった岡山県の新規就農者は、増加傾向が続いて2002年度に100人を突破。以降110人前後で推移している(山陽新聞より)・・・。健康の基本である食に携わる人の数が、こんな幾何学的な数字だから、医者をいくら増やしても追いつかない。
65才以上の高齢者が集落人口の半数を超えている村を限界集落と呼ぶが、「財政援助」や「複眼的な視点で再生」と言われても、短期的には功を奏しても、抜本的には無理である。どんな援助や視点も消滅を先送りするだけである。資本主義という経済システムが限界集落の発生を促したのだから、それを止めるには、経済システムそのものを見直す必要がある。
戦前のような自給自足の経済圏に戻すことはすでに不可能であるが、1人1人が、
小さな生活
小さな行動範囲
小さな生き方
小さな農業
小さな食生活
小さな環境保全活動
小さな財布
で生きる必要があると思う。
しかし、
組織人と比較して圧倒的に収入の少ない農業者は、1円でも多くの収入を望む。少しでも身体的に楽ができて、少しでも収入アップにつながるなら、環境よりも経済を優先せざるをえない。それは資本主義社会に生きる農業者の宿命だと思う。
資本主義社会に否定的な見解を並べ立てたが、マルクス主義者ではない。スターリン、毛沢東、ベルリンの壁が崩壊する前の東欧諸国など、あまりよいイメージがない。しかしこのまま資本主義経済が続くなら、人の心はますます荒廃する。
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(今日の夕飯)
水炊き・・・ハクサイ、シュンギク、トーフ、豚肉、鰯団子
昨日、本年度の小作料として、米を4俵(30キロ入り8袋)もらった。本当にありがたい。最近は、田んぼを借りても小作料は無料という時代になりつつある。田んぼを誰かが借りてくれて、作ってくれるのはとても助かる。作ってくれなければ草ぼうぼうになってしまう。
我が家は全部で9反(90アール)ほどの田んぼがあるが、そのうちの7反(70アール)は委託して近所の農家(親戚)に米を作ってもらっている。70アールの田んぼはあちこちに点在していて、湿地もあり、畑作には適さない田んぼが多い。残りの20アールが、今現在野菜を作っている一帯である。ここには小さな猫の額ほどの田んぼが14枚集まっていて、合計で2反(20アール)ほどの面積である。その田んぼに隣接する、道を隔てた4枚(22アール)は借地している。田んぼが一箇所にまとまっていると、農作業や収穫の時に、いちいち移動する必要がないので、とても便利である。
つまり、70アールは委託して、22アールは借地しているというわけである。だから逆に借地料も支払っている。10アールあたり5500円なので年間に12000円ほど支払っている。
我が家は4人家族で、年間に1人1俵(60キロ)食べるので、4俵(240キロ)もらえると、ちょうど1年間分になる。かえすがえす、ありがたい。そして、クン炭にする籾殻ももらっている。籾殻は、クン炭だけでなく、トリ小屋の下敷きにもよい。しかし、作ってくれている人は70才を超えているので、いつまで元気に作り続けてくれるかわからない。作ってもらえなくなったら、他に作ってくれる人はいないので、年に3~4回、耕運だけして草ぼうぼうにしないように管理するぐらいである。それ以上の管理はできない。
義父も77才でまだ元気に米作りと家庭菜園をしている。

今日はうっすら初霜だった。左から、エンサイ、ヤーコン、サトイモ。霜にあたると湯をかけられたようになる。
エンサイ・・・最近はずっとニワトリのエサにしていた。今期のエンサイは今日で終了。
ヤーコン・・・後1~2回、霜にあたると、葉が枯れたようになるので、根元から切り倒し、そのまま畝の上において、土中のヤーコンの寒さ避けにする。
サトイモ・・・水不足で、2株で1キロほどしか入っていない。井戸ができる以前には、水路からサトイモ畑に水を引かせてもらっていたので、背丈ほどに茎葉が大きくなり、収量も多かったが、井戸水だけになってからは、サトイモに十分水がやれないようになった。サトイモは水が「肥」。

今日のニワトリ。毎日、お役目ご苦労様。

井戸はこの位置にある。9年目の秋にできたこの井戸は、今、振り返って見ても大きな出来事だった。
池の水は6月15日に「ヒ抜き」されて、稲に水が必要な9月20日頃まで、田んぼのそばの細い水路を流れるが、それ以外の時期は流れない。池の水だけに依存していた時は、この3ヶ月以外に水が必要な時は、どこからか水を持ってくる必要があった。そして、池の水は稲が優先されるので、自由に水が使える環境でもなかった。
井戸がいるなあと考え始めたのは8年目に入った頃からである。井戸水が出るかどうかもわからなかった。何人かに相談して、とにかく、ためし掘りをしてみないことには、出るかどうかわからないと言われて、相談した人の知り合いの土建業者にユンボで掘ってみてもらうことにした。
水が出そうに思えた候補地を4箇所用意した。
(1)お墓のすぐ下の田んぼ・・・排水が悪く、いつもじめじめしていた箇所があった。
(2)トリ小屋のすぐ下のあたり・・・昔、井戸があったらしいので。
(3)柿の木のすぐ上の田んぼ・・・水が出そうな気がした。
(4)井戸がある田んぼ・・・ここらあたりに井戸ができたらいいなあと話すと、掘ってみないとわからないと言われた。
最も可能性があるように見えた(2)を最初に掘ってもらったが、掘り進んでから、ここは出ないと言われた。次に可能性がありそうな(3)を掘ってもらうつもりだったが、その場所に行くまでに作物が植わっていたので、とりあえず先に(4)を掘ってみようという話になった。そして、掘り進むうちに、水が少しずつ出ている地下の水の道が見つかった。それは地上から150センチほど下の所だったように思う。
ここは井戸になると、その業者が言った。少しずつしか出ていなくても、1日たまればかなりの量になると言われた。
4メートルほど掘って(ユンボが届く範囲まで)、土管を入れてくれた。金額は27万円だった。
こんな所に井戸があったらいいなあと思った場所に、たまたま地下の水の道があった。井戸ができてから「10月の少雨」が毎年続くようになり、計り知れないほど、井戸の恩恵を受けるようになった。メタン菌液肥を導入できたのも、この井戸のおかげである。ハーブのスイートバジルの苗作りや定植時の水も、池の水が流れていない4月、5月だったので、大いに助かった。スイートバジルを大量に作り始めたのは、井戸が完成した翌年の春からである。
井戸の完成は農業人生の大きな出来事だった。今からちょうど9年前であり、今までの農業人生の中間点の時期だった。
後11年、65才の頃までワンパック宅配をするなら、井戸の利用は20年間ということになる。1年間の利用料は、27万÷20年=13500円ということになる。井戸の上に台風で吹き飛んだ小屋(10万円)があったので、それも計算に入れるなら、37万÷20年=18500円ということになる。その他、エンジンポンプ代(3台目)とホース代、ガソリン代もかかってくるので、「水代」は安い金額ではない。
産地では「畑潅」というのが整備されていて、確か10アール当たり、年間7000円ほどと聞いている。これを自分の田んぼに当てはめて考えれば、7000円×4(40アール)=28000円。
どちらが安くつくかは一概に言えないし、産地でなければ畑潅設備はない。
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(今日の夕飯)
野菜炒め
ししゃも
ダイコンおろし

ソラマメにかぶせていた枯れ草を今日夕方取り除いた。
隣の列はスナックエンドウである。エンドウ類を2列並べると、畝幅が150センチあっても、間に入れなくなるので、ソラマメとスナックエンドウ、ソラマメとグリンピースというように交互にしている。
ソラマメは他にも植えたので、数えたら合計で65本定植していた。定植本数は「暗記」しておくと、何かと役に立つ。メモ書きを見ればわかるのは、あまり役に立たない。
ソラマメは30本も定植すれば十分だったが、冬越し5月収穫の田んぼの一部が空いていたので植えた。
なぜあまり植えたくないかというと、収穫期に必ず病気がきて、収量が極端に少ないから。
他に、収穫期に必ず病気が発生して、収量が半減する作物としてタマネギとナンキンがある。
ジャガイモは収穫期に必ず害虫が発生して、これも収量が半減する。
タマネギ、ジャガイモ、ナンキンは必須野菜だから、作らざるをえないが、ばかばかしくなるので、必要最低限に減らしている。

タマネギは1本1本定植するが、タマネギのように多量に定植する作物も、前年の定植本数(もしくは定植面積)を暗記しておく。5条植え×80通り=400本、というように、簡単に数は数えれる。
今日からタマネギの定植を始めた。明日午前中には終わる予定。

野菜にも旬があるが、紅葉にも旬がある。旬の時期は短い。その短い期間に、全てを燃焼させているように見えるから、旬の時期は美しい。
毎年、タマネギの定植の旬と、紅葉の旬が重なって、タマネギの旬を優先していたが、タマネギの定植は多かった時の半分ほどになっているので、少し余裕ができるようになった。
紅葉の旬の期間に、今年は見学できそうである。「道は近きにあり、かえってこれを遠きに求む」という漱石の「門」に出てくる有名な言葉があるが、田んぼ周辺の紅葉の美しさはわからず、他の地域の紅葉ばかりが美しく見える。

イチジクは9月の始め頃から収穫期に入ったと思うが、いまだに収穫できている。収穫が始まって2ヶ月半ほどになる。カラスと競争になりながらも、少しは口に入れることができている。
果樹はキーウイとかハッサク、ユズのように、収穫期に一度に収穫してしまう果樹が多いが、イチジクは収穫期間が長い。野菜に例えれば、イチジクはエンサイやツルムラサキのようは葉野菜型。キーウイやハッサクやユズは、ダイコンやカブやハクサイのような一括収穫型。
どちらが経済的であるかは、一概に言えない。
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(今日の夕飯)
タチウオ
うどんの煮物
ダイコンおろし
サラダ・・・レタス、ロケット、イタリアンパセリ



同じ瀬戸内市にある牛窓町に行ってきた。牛窓町はハクサイとキャベツの大産地であり、見渡す限りのハクサイやキャベツである。こういう産地の農業が日本の農業を支えているのだと思う。それに比べれば、有機農業など大河の一滴である。有機農業でいったい何人の胃袋が満たされるだろうか。そんなことをしていたら大多数の人が飢えてしまう。大規模に生産する人がいるから、大多数の人の口が満たされる。
有機農業を大きな大河の流れにしていくには、世の中のシステムがキューバのようになる必要がある。
日本農業新聞を取り始めて1ヶ月がくるが、今の日本の農業の現実がわかってとても参考になる。以下、最近の記事から・・・。
世界の食料逼迫
途上国の人口増やバイオマス燃料需要との競合などで、今後生産が拡大しなければ、食料需給は逼迫する。世界的なバイオマス燃料の需要増で、今後2~3年間は原料となるトウモロコシの需給が逼迫すると見通した。一方、供給面では、食糧増産にブレーキがかかると指摘。異常気象が頻発していることも理由に挙げた。
三井物産がブラジルで農業生産に参入
海外との食料の争奪戦が激しくなる中、生産拠点を自ら整え、日本をはじめ、中国、欧州などに安定供給するのが狙い。三井物産は2010年度までに、穀物、乳製品、水産物など食料資源を確保するために800億円投資する考え。
中国産野菜の輸入増加
10月の統計によると、タマネギの輸入量は2万トンと平年並みに迫り、ネギ、ニンジンも前月を大幅に上回った。9月の輸入急減がうそのような勢い。外食や惣菜企業が、市場での国産仕入れから輸入に徐々に切り替えている。「安全性に不安がないわけではないが、売上高の伸び悩みで、原料調達コストの削減が至上命令」というから、背に腹は代えられぬ措置なのだろう。
産地廃棄
野菜価格低迷による産地廃棄(野菜を出荷せずに、そのまま田んぼにすきこむ)を軽減するため農水省は13日、野菜需給調整協議会を東京都内で開いた。秋冬野菜の出荷本格化を前に、生産、流通、小売、消費者の各団体代表が集まり、昨年の産地廃棄を繰り返さないよう重量野菜の需要拡大に取り組むことを確認した。昨年は、11,12月にダイコン、ハクサイ、キャベツが相次ぎ産地廃棄した。暖冬のため豊作も、鍋物需要は減り価格が低迷したため。
農業の足腰を強く
大田経済財政担当相は「農業の魅力を発揮できるかどうかは日本全体にとっても大事なことだ。農業の足腰をいかに強くしていくか、一緒に考えたい」と述べた。
資本主義という経済システムの中で「農業」を考えると、中国を含む世界の大規模農業に日本が価格の面で太刀打ちできるはずがない。20~30羽の農家の庭先養鶏が10~100万羽単位の大規模企業養鶏に移行したように、日本の農業も三井物産のような企業が手掛けていくようになるのだろう。
資本主義というシステムの下では、いくらでも海外から安い農作物が入ってくる。「足腰を強くする・・・」などという考え方がそもそも誤り。元々農業は資本主義の餌食であり、生かさず殺さずで上手に利用されている。
資本主義の下での農業は、安全性より経済性が上位にあるのは当然のことである。
農業の足腰を強くするには、農業を資本主義の枠外に置くことである。工業や商業と同じ資本主義の土俵で農業を捉えるなら、時間回転率(最短でも60日かかる)や設備回転率(その間、他の作物に流用できない)で格段に劣っているのは明らかで勝負にならない。
農業は、個人個人が趣味や楽しみでするものであるなら、環境や安全が必然的に重視されるようになる。ドイツでは市民農園が進んでいて、都市生活者も週末は都市郊外の田舎で家庭菜園にいそしむことが多いらしい。
資本主義はすべてを「分業」という考え方であるが、食べ物の生産に関しては他人任せでなく「自分で作る」という方向に、考え方を変えていかないと、作物を資本主義の「商品」として捉える限り、いつまでたっても作物の安全性は期待できないし、環境もますます悪化する。
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(今日の夕飯)
カブの柿なます・・・昨日の残り
味噌汁・・・朝の残り
エビ天・・・出荷の帰りに市販の惣菜を買った
サラダ・・・いつものパターンに生ハム2枚

今週中の定植予定3種類。左から、ソラマメ、タマネギ、春キャベツ。

ホウレンソウの現在。初霜が降りる頃(11月23日頃)から出荷できるように、第1回目の種蒔きは9月27~28日にしている。

今年初めて蒔いた、下葉から順次かいで(もいで)いく、チマサンチュというレタス。長く収穫できるので気に入っている。赤葉と青葉がある。

当集落の夕暮れ。左右とも同じ場所から写した。

隣村では、今、ブドウ農家がだんだんと増えている。皆さん、自分と同年齢以上の高齢で始められている。100~300万ほどの初期投資が必要と思うが、そういう金額は右から左の人ばかりである。稲作の農具への投資に比べたら、コンバイン一台分ほどだから、はるかに安い。
出荷できるようになるまでに・・・3年ほど。
70才までに・・・10~13回ほどしか収穫できない。
さすがに、30代、40代の人はいない。当地の人は、農業は定年5~7年前、あるいは定年後に始めるものと考えているようである。

隣のダイコンに比べ、カブの葉はすでにボロボロ。しかしすでに中カブほどの大きさになっている。とにかく今年は「カブという形」になってくれたことがうれしい。播種時に農薬(オルトラン粒剤)を使っていなかったら、今年も壊滅していたかも知れない。

大きくなってみると、混み合って見えるニンジンであるが、5~6割ほどしか成長(発芽)していない。
マルミさんがうちのニンジンはおいしいと言って、時々、生でかじったりしている。砂地のニンジンのように、すらっと外観のよいのは少ないが、味は普通土質~粘土質の方がおいしいのかも知れない。他のニンジンと食べ比べするわけではないので、詳しくはわからないが、「赤土」のニンジンはとてもおいしかった。
土質だけでなく、味は「肥料」で大きく変わってくると思う。窒素分の少ない米ぬか主体のメタン菌液肥に切り替えてから、味が随分よくなったと思う。
一般に有機農業者は安全性にはこだわっても、味にこだわる余裕のない人が多い。一口に有機質肥料といっても、どんな肥料を使うかで大きく味が違ってくると思う。
ほとんど「無肥料栽培」に近い農法の人もいるが、無肥料の野菜はどんな味がするのだろう。そして含まれる栄養素は・・・?。
多肥栽培
普通栽培
無肥料栽培
鶏糞主体の肥料
米ぬか主体の肥料
牛糞堆肥主体の肥料
その他肥料(ぼかし、堆肥)
栄養素は
日持ちは
味は
安全性は

城山の紅葉がぼつぼつ始まった。モミジが少ないのか、当地の紅葉は黄色や土色が多く、それほどきれいでない。
まだ紅葉見学に出かけていない。毎年この時期は、秋冬作の最後の天王山である「タマネギの植え付け」があって、出かける機会を毎年逸していたが、今は1200~1400本ほどに減少しているので、少し余裕がある。
ブログの更新
少なくとも半日は身体をよく動かす。
やっていて楽しいから続けている。しかし、苦痛も半分。
ブログのことを考えていると、他の雑念を忘れさせてくれる。
忙しすぎると書けない。
ブログを日々更新するには、農業新聞を読んだり、田んぼ訪問をさせてもらったりの自己啓発が必要になる。
日々の小さな努力目標(毎日更新)をブログが与えてくれている。
自分に最も適した言葉の表現手段はブログだと、ブログを始めてから思った。
夜だけでなく昼時に、納品書や送り状を書いたり、新聞を読んだりしながら、並行して30~60分ほど今日の更新を組み立てる。
ネタを翌日に繰り越さない。翌日の朝は空っぽにしておく。
画像はぶつぶつ独り言をいいながら(言葉を添えながら)写す。
40アールの田んぼを、暗記してもらえるくらい写しまくる。
今日は風の強い1日だった。こんな日の翌朝に、うっすら、初霜が降りることがある。当地の初霜は毎年、勤労感謝の日前後であるが、それより1週間~10日ほど早く、初霜らしき状態の朝がある。
気候の大変化で、それまで地球上に栄えていた恐竜が滅んだように、初霜の朝、春夏野菜の多くがフィナーレとなる。
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(今日の夕飯)
サンマ
ダイコンおろし
カブの柿なます・・・カブ、ニンジン、アゲ、柿

青シソを片付けて、その後にレタスを蒔いた。丸レタス2種類、炒めるレタス、かきチシャ。種は秋口(8月盆明け)に使った残りを利用した。

久しぶりに液肥を利用した。タゴに水を入れ、5倍ほどに薄めてレタスの育苗床に蒔いた。朝、施すと、夕方には乾いている。
30~35アールの作付で、500リットル容器2つで間に合っている。使う時期は4月、5月、及び8月中旬~9月末頃が多いが、夏場は出来上がりが早いので足らなくなることはない。4月、5月に少し足らないのでトリ小屋の鶏糞を利用する。
気温が下がってくると、メタン菌は深い眠りについて、冬眠状態のようになる。11月以降は液肥を使うことはあまりない。

これは土を細かくする農具である。上から地表をたたくように振り下ろすと、土のころころが細かくなる。育苗床の整地等に、ごくたまに使う農具である。この農具は壊れたりすることはなく、子供の頃から我が家にあった。

種を蒔いたら、画像のような「フルイ」を利用して、細かい土を種にかぶせる。種が隠れる程度の土の量でよい。その上から焼きすくも(クン炭)をふり、ジョロでたっぷり散水して完了。

今日は風が強く、クン炭が飛びそうだったので、クン炭の上から、薄い毛布のようなべた掛け資材をかぶせた。

このタゴの紐の結び方、わかりますか。紐結びだけは、10回同じことを教えてもらっても、全く覚えれないので、今はもうあきらめている。タゴはよく壊れるが、タゴに関しては常時見本があるので、それを見ながら新しいタゴに紐を結びつける。
仕事が一段落したら、出歩こうと思っているが、その一段落がなかなか終わらない。やればやるほど、次から次にする仕事が出てくる。つくづく、農業はきりのない仕事だと思う。
ただ、出荷がなければ、農作業は格段に進む。ワンパック宅配方式では、全農作業のほぼ半分近くが、収穫、仕分け、納品書・送り状書き、箱詰め、宅急便まで持参という「出荷関連作業」である。雨の日もあるので、出荷関連以外の農作業時間は、平均して週に3日間ほどしか取れない。
30~35アールの面積を週に3日間ほどの農作業で終わらせようというのだから、やっぱり忙しい。農業は投下労働効率が経済的に悪すぎるが、自分が選択した職業だから、全て自己責任。
県は10日、県内での新規就農者確保を狙いに、大阪市内のホテルで相談会を開き、大阪、京都府、滋賀県など近畿圏在住者を中心に32組40人が参加した・・・。
元々の農家がほとんど農業をしなくなった(職業として成り立たなくなった)時代に、農業の原風景の全くない都市生活者が、農業を職業にするのは、本当に厳しいと思う。趣味や癒しのための農業は牧歌的であるが、生活のための農業は日々闘争である。
農業は1代限りで終わるなら、投資した多くが回収できずに終わる。2代目が続いて初めて元が取れる。大工さんも、たくさんの道具に投資する必要があるが、農業ほど元手はかからないと思う。農業は個人事業にしては、投資がかなり巨額になる職業である。
大工さんも農業も、蓄積したノウハウを、誰に伝えることもなく、その人1代で終わらせてしまっているのが、今の日本社会の実情である。もったいない・・・もったいないけれど、どうすることもできない。
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昨晩の残りが多かったので、今日はこれですませた。

それだけではちょっと物足りなかったが、マルミさんが実家から奈良漬、黒豆の煮物、豆御飯、おくもじ(ミズナの漬物)をもらってきたので、それを食べた。やっぱり、義母の手作りの漬物は一味違う。
「おくもじ」とは、ミズナの漬物のことを言うが、これは岡山弁なのかなあ?。自分は現在、ミズナは作っていないが、子供の頃にはよく食べた懐かしい味である。
ボクが子供の頃には「鯨」が日常的によく売られていて、母はしばしば鯨とミズナの煮物をしていた。

台所のテーブルにはいつもこれがある。定番です。でも、あんぱん類も・・・。


今日、町の中央公民館で開かれている「菊花展」に行った。どの菊も見事。下段の真ん中の「故郷の家」という菊は、多分子供の頃に日常的に目にしていた光景を表現されたのだろう。

圧巻はこの菊だった。何とこれ、1本の菊。中心を早めに止めて(摘心して)、それから子枝を四方に伸ばし、子枝から孫枝を伸ばし、孫枝に咲かせているようだった。



朝、8時頃に撮った。


陽光を浴びるニワトリ。ニワトリにとって、最も大切なものは
(1)空気(酸素)
(2)太陽
(3)水
(4)食事
(5)青菜(雑草、野菜クズ)
である。1日のうち半日は太陽光線が鶏舎内に差し込むことが望ましい。そして、厳寒期でも四面オール開放の金網鶏舎で空気の流通をよくしておく。水は簡易水道の山水を持参している。画像に見える鍋(4リットルほど)の水を1日1回入れ替える。32羽で、1日3~4リットル飲む。
現在、日本で飼われている99.9%のニワトリは、(2)と(5)はない。(1)はどうなんだろう。空気の流通はかなり悪いような気がする。そして、ケージでほとんど身動きできない状態で飼われているわけだから、各種抗生物質や抗菌剤、防臭剤、防虫剤が欠かせないと思う。こういう状態で飼われているのだから、病気にもかかりやすい。抵抗力もなく、1羽が病気にかかると、他の大多数に感染する。
大規模・収容所システム養鶏・・・危機対応が困難
少羽数・地べた飼い・・・抵抗力が非常に強い。危険分散型。21世紀のシステムである。
秋冬作・・・その日の出荷に必要な量だけ収穫したらよい。
春夏作・・・その日の出荷に必要なくても、収穫適期に達していれば、全て収穫しておかないと、次が成らない(果菜類)し、次のわき芽の伸長(葉菜類)が遅れる。
秋冬作・・・寒い戸外で、4ヶ月間、そのままの状態を保つ。
春夏作・・・4ヶ月間、連続して成る(わき芽が伸長する)。
秋冬作・・・実際には、1月、2月には霜で野菜が傷み、2~3割は出荷できなくなるロスが生じる。
春夏作・・・その日の出荷軒数によっては、足らなかったり、2~3割は出荷できないロスが生じる。
秋冬作・・・サトイモ、カブ、ネギ、ロケット等、収穫、仕分けに手間がかかる。
春夏作・・・ナスビ、ピーマン、ツルムラサキ、スイートバジル等、収穫、仕分けが早くできる。
秋冬作・・・霜が溶け出す頃から収穫開始
春夏作・・・露が下りている間に収穫を終える
春夏作で稼がないと、秋冬作では稼げないという言葉を耳にするが、ワンパックでも1月、2月の送付数は11月、12月に比べてかなり減る。春夏作は5月を除き、比較的コンスタント。
秋冬作 春夏作
ハクサイ250円 タマネギ250円
キャベツ150円 ジャガイモ200円
ダイコン250円 キュウリ200円
カブ 150円 ナスビ250円
ニンジン250円 ピーマン200円
サトイモ400円 オクラ 150円
ネギ 150円 ナンキン250円
シュンギク150円 ニガウリ150円
ホウレンソウ250円 トウガン400円
サツマイモ300円 エンサイ150円
ブロッコリー100円 ツルムラサキ200円
送料800円 送料800円
合計3200円 合計3200円
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(今日の夕飯)
ダイコンとニンジンの煮物
インゲンの味噌和え
レタスとイタリアンパセリのかか和え
「人は10年、家は20年、国は30年」という言葉を聞いたことがある。それくらいの年数が経過しないと変わらないという意味だと思う。ただ、何もしなかったら、10年経過しても何ら変わらない。
この言葉は年数に少し誤りがあるように思う。「人は20年、家は25~30年、国は50年」、それくらいの歳月が経過しないと、こつこつ努力をしても、状況はあまり変わらないように思う。
その20年が近くなるが、自分の状況は以前とあまり変わっていない。しかし、家族や集落の周囲の状況が変わった。
物作りとか工作とか、ちょっとした大工仕事とかの右脳?がほとんど機能してくれないので、自分の農業展開も大きく制約を受けてきたように思う。今頃時々考えるのは観光農園のこと。
(1)ドラムカンで焼く簡易な炭焼き
(2)鑑賞炭(草木の、お花炭)
(3)箸や竹トンボ、水鉄砲などの竹細工
(4)ヤギが1頭
(5)ミツバチ
すでに、
(6)ハーブ・・・ハーブティ、ハーブ園
(7)ニワトリ・・・ゆで卵
(8)少量であるが果樹
(9)簡易トイレは、何回もイベントをしていたので設置済み
はあるので、(1)~(5)ができれば、観光農園ができたと思う。(6)~(9)だけでは、観光農園としてはちょっと弱い。
観光農園をするなら、他に2つの利点がある。それは、
(1)田んぼの上に持ち山があり、ワラビ狩り、タケノコ掘り(昨春はイノシシにほとんどやられたが今春はやられなかった)、落ち葉かきも楽しめる。
(2)池の東の山(田んぼから歩いて10分ほどの所)に、県下10箇所にある「美しい森施設」の宿泊施設(素泊まり)があり、安価で宿泊できる。
土曜、日曜の開園。9時~正午、あるいは1時~4時。午前の部、午後の部とも2家族に限定。1家族5千円(野菜のおみやげがつくと7千円)。
5千円で農の風景を売る観光農園・・・こんなことを夢想することが時々ある。見せる農園としてはかなりいい線をいっていると思うが、どこか、極めて弱い点がある。それは、
(1)頭で構築したことは、まず実現が難しい。
(2)進めながら、態勢を整えていくという態度が大切。
(3)農業歴が8~12年経過するまでにできなかったことは、その後、何年経過してもできない。
(4)特に大切なことは、一般的な観光農園ではなく、自分独特のものが1~2項目必要。
(5)入園料の多寡ではなく、相手に与えるインパクト。癒し系農園。
友人や知人の田んぼ訪問に行かせてもらった時、ここだったら観光農園ができるのではと思ったりすることもあるが、やはり、人それぞれ、好き嫌いや、目的の違いや、能力の有無や興味の有無など、いろんな問題を抱えていて、自分がそうだったように、思うようにはいかないのだろう。
とにかく、個人事業である農業の現場では、自分の能力が絶えず露出してしまうので、自分の能力との戦いでもある。能力がないと、農業形態の変更はできないし、能力のある人ほど、農業形態の変更をしてきている。
ただ、最初から農業をビジネスと考えず、生活=農業という自給自足的志向の人もいる。そういう方たちには農業形態の変更などという概念は最初からない。
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(今日の夕飯)
シイタケ・・・・・・・・昨日の残り、焼いて酢醤油
ダイコンおろし・・・まだ煮物は欲しくない
市販の惣菜・・・・・エビカツ、チキンの照焼き少々
サラダ・・・・・・・・・・レタス、ロケット、イタリアンパセリ
11月20日、岡山駅前にビックカメラがオープンする。中古パソコン、パソコン関連商品の買い取り、修理受付、カメラ教室や写真展・・・ちょっと楽しみにしている。デジカメの使い方を教えてもらいたいのと、デジカメをワンランク、グレードアップしたいと思っている。
ブログを始める3ヶ月前の4月に、生まれて初めて「カメラ」なるものを買った。それまでカメラや写真には全く興味がなかった。それが、ブログの必要に迫られて、デジカメで田んぼや野菜の写真を撮っているうちに、いつのまにか手離せなくなった。
画像より言葉の方が好きであるが、農業を伝える手段として、画像は欠かせないと今は思っている。
(1)言葉はモノクロであるが画像はカラーなので、ブログに入れた時にきれいである。
(2)疲れている時、画像は言葉に比べて簡単である。
(3)画像に美を求めるのではなく、情報の伝達と考える。
(4)自分で撮ったものと思えないくらいきれいに写っていることもある。
(5)同じ物を4~6枚とって、その中から1枚選べれるのがよい。
(6)パソコンに取り込んで、スライドショウでもう一度見るのが今は楽しみ。
デジカメは日進月歩で新しい機能も次々と加わり、高級一眼レフ(何のことかよくわからないが)に匹敵する高画質のデジカメが4~6万で出回っているらしい。今持っているデジカメの2倍ほどの価格であるが、これはブログへの投資。
昨日の新聞に、ロン・ティボー国際音楽コンクールのピアノ部門で優勝した田村響さんの優勝インタビューが出ていた。「(賞を獲得することより)自分が目指している音楽を奏でることに集中した」と言い切る。まだ20歳。自分も、目指している百姓道を奏でることに集中しよう・・・。
近くの集落に、5軒ほどのブドウ農家がある。その集落の自分より2才年下の人が、今度ブドウ作りを始めるらしい。まだサラリーマンをしているが、定年を見越して、今から準備しておくらしい。ブドウは成り始めるまでに3~4年かかるので、早めに苗木だけは植えようということだろう。
(1)どのくらいの規模にされるのか知らないが、最近のブドウはハウス栽培なので、初期投資にハウスと苗木代で100~150万円ほど必要ではないだろうか。
(2)やれると言う自信があるのだろう。やれる自信がなければスタートはしないと思う。その集落にはすでに5軒ほどの先進農家があるので、その方たちに教えてもらうこともできるし、労力面や収入面の大方の予想もすでに話を聞いてわかっているのだろう。そして、まるでお手本のように、55才で早期退職してブドウを始めた人が同じ集落にいる。
もし自分の集落に、このようなブドウ農家があったとするなら、農業形態の変更をしばしば考えていた農業歴10~12年目の頃に、ひょっとして、ブドウの専業農家にトライしていたかも知れない。
(1)ハウスを建てること
(2)ブドウの木を剪定したり誘引したりすること
(3)ブドウの房の調整や袋がけをすること
(4)収穫、出荷作業をすること
これらは、それぞれ異なる能力だから、(1)を業者に依頼すれば、(2)、(3)、(4)は自分にも何とかやれそうである。しかし、初期投資に100~150万ほどかかるとすれば、借金してまではできない。仮に初期投資の元手があったとしても、かなり悩む決断になるだろう。年齢的にも10~15年(10~15回)しか収穫できないだろうから、1年間の平均投資額は10万円ということになる。
我が家は昔、葉タバコ栽培をしていたが、集落内に10軒ほど、同じ葉タバコ農家があった。競争になる反面、励みにもなったのではなかろうか。それが理由に、止めたのは1~2年の内に同時に止めてしまった。やはり1軒や2軒だけになって、がんばり続けるのはえらかったのだろう。


今日のご馳走はエンサイ、ツルムラサキ、インゲン。片付けながらトリ小屋に持って行くが、同時に与えると、インゲンの葉から食べ始める。その次にエンサイ。ツルムラサキは他に食べる青菜がないと食べる。
ツルムラサキは肉厚の葉で鉄分が多いので、こういうのをたっぷり与えると、卵の殻が固くなるように思う。数日前、カブトムシの幼虫の画像をアップした時に、堆肥を入れた袋は「カキガラ飼料」の袋だったが、あれはニワトリをたくさん飼っている友人にもらった袋であり、自分のニワトリには、カキガラを買って与えることはない。青菜(雑草、野菜クズ)の中に含まれている成分だけで、十分、卵の殻は固くなる。2ヶ月ほど全くカキガラを与えないこともある(手元になかった場合)が、卵の殻が割れやすいことはない。ただ、与えると卵の殻がとたんに固くなるのがわかる。
1週間ほど前、町内の人がコゴメを持ってきてくれた。今日も集落の人がコゴメを持ってきてくれた。彼らは、ニワトリがコゴメを好むことをよく知っている。昔、ニワトリを飼っていた人たちだからである。コゴメを頂くととても助かる。自分の養鶏は稲作農家があって成り立つ。
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(今日の献立)
白和え・・・今日も、近くの姉がくれた(トーフ、コンニャク、ニンジン、ホウレンソウ)。
シューマイ・・・市販のを蒸す。
サトイモの煮物・・・これはマルミさんが作った。
他にレタス。

ハーブティ。昨日に引き続いてセイジとアップルミント。

自分はこれ。コーヒーとゆず茶を両方いっしょに作って、その都度、飲みたい方を飲む。よくのどが渇く。

ここ1週間、1日7~9個産んでいる。稲作農家である義父がくれた、この秋収穫のコゴメがおいしいのか、産卵率がよい。
ニワトリは、不思議に一箇所の巣箱に集中して卵を産む。今日は、一番左の巣箱だけに7個産んでいた。多分、タマゴを産んでいる箱でまた産もうとする習性があるのだと思う。
トリ小屋に入っても、全く臭くない。植物性のエサしかやっていないのだから、糞もほとんど臭わない。動物性タンパク(魚粉等)や植物性タンパク(大豆かす、トウモロコシ等)を与えていないので肥料効果もかなり劣る。

左は水を飲んでいるニワトリ。水を口に入れると、いったん、口ばしを天井に向ける。こうしないと水が体内に入っていかないのだろう。

ダイコンを初収穫し、葉はニワトリにやった。
ネズミの食害がひどいサツマイモもトリ小屋にころがしておく。普通の芋はよく食べるが、ムラサキ芋は他に食べる物がなくならないと食べない。ムラサキ芋はあまり甘くない。
ボクが子供の頃には家の軒先で20羽ほど飼っていた。時々、祖父がニワトリの料理をしていた。ニワトリが肉になる工程がおもしろくて、じいっとそれを見ていた。その当時は牛肉や豚肉は高価で、肉と言えば自家飼育のニワトリの肉だった。母はたいていそれをすき焼きにしていた。肉もそんなに固くなかったので、卵を産み出してから1年内くらいのニワトリだったのだろう。ヒヨコから卵を産み出すまでに半年かかるので、1年半未満のニワトリをつぶしていたのだと思う。
当時は「鳥買いさん」がいて、定期的に家々をまわっては、ニワトリの売買の交渉をしていた。鳥買いさんは、卵をよく産んでいるニワトリ、あまり産んでいないニワトリ、そして、ヒヨコから何年を経過したニワトリであるか、素早く見抜いた。それができないと鳥買いはできない。海千山千の百姓の口は信じず、肛門や足の色などをみて、何年生のニワトリか判断したのだと思う。
鳥買いさんが定期的に巡回していたので、ニワトリの回転も早く、今の自分のようにヒヨコで買って4~5年も飼うということはなかった。早く回転させれば、タマゴもよく産むし、肉も柔らかい。
肉と卵を供給してくれるニワトリは、その昔、自給自足の要だった。
我が家が何年ニワトリを飼っていたのか知らない。ボクが中学生の頃には、集落からほとんどニワトリが消えていた。
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こんな画像を出してもいいのかなあ?。別にマルミさんもだめだとは言っていないようだったから。
人様にお見せできるような夕飯のおかずではないが・・・。
(今日の献立)
アジの塩焼き・・・焼いたのを購入。
芋サラダ・・・近くに嫁いでいる姉がくれた。
紅白ナマス・・・これはマルミさんが作った。材料は旬のカブとニンジン、それにアゲ。
他に常備品のレタスがあったが、自分は上の3品ですませた。
アップルミントとセイジの残りがあったので、今日もヤカンを沸騰させてハーブティを作った。昨日作ったハーブティはポットに入れておいたら、珍しかったのか昼にはもうなくなっていた。
今は、さっき作ったハーブティを飲みながらブログを打っている。コーヒーがメインだが、コーヒーばかりも飲めないので、合い間にユズ茶。ハーブティはたまたま。
ハーブの出荷の残りは田んぼに捨てて帰るが、昨日は野菜と一緒に持って帰っていた。それをマルミさんが湯のみに入れて湯を注いでいたので、湯を注いだだけでは、色も風味もあまり出ないから、一手間かければ(ヤカンを沸騰させて、火を止め、ハーブを適量入れて5分ほど蒸らす)おいしいのにと、実演して見せた。
ハーブがたくさんあれば、がばっとヤカンに入れ、箸でちょっと混ぜれば、ものの20秒ほどで、濃い色が出て風味も出る。
この時期になってもまだ「水筒」がいる。ペットボトルに簡易水道(山水)の水を入れて持っていく。つまり生水を飲んでいる。水道の生水はちょっと飲めないが、山水(やまみず)なら、清水なので、生でも構わないと思って入る。ただ、雨の後はちょっと濁っている。
毎日だから、かなりの生水を飲んでいることになる。ハーブを作り始めた頃には、前日の夜にヤカンでハーブティを作り、翌朝、冷めたのをジョウゴでペットボトルに入れて、それを田んぼに持参していたが、次第に面倒くさくなり、いつの間にか止めてしまった。
ハーブを作り始めた頃は、ハーブティが珍しく、いろんなハーブを組み合わせて飲んでいたが、それは一時のことだった。
山水に関しては、家のすぐそばの山の中腹に水源がある。こんな低い山に、こんな水源が見つかったのは、昔、この山の持ち主が炭焼きをしていた時に、見つけたらしい。今は集落の10軒ほどが、この山水の恩恵を受けている。
もちろん上水道もあるが、この山水の簡易水道は、我が家では門先にあり、野菜の収穫後にジョロでする打ち水は、この山水を利用している。それと、ニワトリの飲み水もここから持参している。16リットル入り容器に入れていくので、ジョロでの打ち水も、ニワトリの飲み水も両方賄える。
新潟でおきたような大地震が発生したら、上水道も、簡易水道も井戸水もどれも使えなくなるのかも知れないが、どれか一つでも使えれば大いに助かる。
トイレも、イベント用に買った簡易トイレが田んぼにあるので、いざという時にはいつでも使える。
炊き出し用の鍋(ニワトリにサツマイモ等を煮て与えるために買ったが、あまり利用していない)もあるので、それも使える。燃やす枯れ木や枯れ竹はそばにいくらでもあるし、煮る材料も田んぼにたくさんある。
困るのは「電気」。
とにかく簡易水道(山水)は、農家にはとてもありがたいものである。
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メタボリックになり、葬儀の時の礼服のズボンがかなりきつくなっている。背広を着ることは数年に1回しかないが、礼服を着ることは年に4~6回ある。農業だから身体をよく動かしているといっても、動かす箇所がほとんど同じなので、これは運動というより、「使い傷み」に属する。
農業は運動とは全く異なる。だから、酒を全く飲まなくても、大食したり、甘いものを食べ過ぎたり、食べてすぐ横になったりを繰り返していると、メタボリックになる。とにかく、腹回りの贅肉を落とさなければ5万ほどの余分の出費が・・・。
昼寝は1時間ほどしているが、寝るのが遅いので、朝起きるのがつらい。それでも、10月下旬になると夏時間からは開放され、朝7時頃から収穫を始めても、葉物でもそんなにしなびたりはしない。朝1時間ゆっくり起きだせるのは、夜型の自分には助かる。
果樹の苗木の購入や植え付けで、ここ2~3日忙しかったが、果樹の植え付けにも「適期(旬)」があり、苗木が出回りだすのは、
(1)10月中下旬~11月上中旬(初霜が降りる10日ほど前)
(2)2月下旬~3月中下旬(春の芽が動き出す前)
であり、この時期に植えると、その後の活着もいいようである。
瞬間的に頭の中をよぎったものを、忘れないうちにすぐにメモ紙に書き、夜、100~200字ほど肉付けする。そんな断片を3~4個集めて、できれば画像も添えてインターネット上に公開するのがブログ。
「本」は線にする必要があるが、「ブログ」は点。線が得意か点が得意が、あるいは線に適性があるか点に適性があるか、要するに個性の問題である。
ブログのエッセイ部門でもプロの作家が見受けられるが、線では太刀打ちできなくても点では負けれない。線と点は全く違った能力だと思う。

今日(10月31日)、ニンニク、ラッキョ、ワケギの3種類を植えた。10月20日頃に植える予定だったが10日ほど遅れた。ニンニクは130片ほど植えた。ラッキョとワケギは自給用なので少量。
種は毎年このようなネットに入れて、収穫後、涼しい日陰に吊り下げておく。

ハーブのディルは、ニンジンの葉によく似ている。ディルとチャービルは春夏作はすぐトウ立ちするので、秋冬作だけ作っている。ロケットほどではないが、少量でも必ず注文がもらえるハーブである。
ディルとチャービル(3回ずらし蒔きしたのに全て失敗)は、移植には強くないので、できれば直播がよい。混み合った所だけを抜いて(間引いて)定植したらよい。

極早生品種のキャベツがもうすぐ出荷できる。今年はなかなか寒くならず、蝶がキャベツの上を乱舞している。蝶の幼虫であるアオムシの被害を考えると、ゆっくり巻く晩生品種より、早く巻く早生品種の方がよいが、圃場での耐霜性や保存性を考えると晩生品種の方がよい。
今年のサトイモも水不足で、芋がかなり小粒である。小粒でも、さっと茹でて皮をむいて冷凍しておけば無駄にならないらしいが、この一手間をなかなかかけることができない。確か、サトイモはニワトリも食べない。サトイモをやらなくても、サツマイモのクズがたくさん出るし、サツマイモが終わるとヤーコンのクズがたくさん出る。
妻が作った夕飯のおかずをデジカメで撮っておけば、将来子供がそれを見て、今頃の季節はどんな物を食べていたのか、参考にするかもしれない。
デジカメで撮るのは構わないが、ブログにアップするには、かなり年代物のテーブルを隠すためのテーブルクロスを敷く必要があるだろうし、お皿はばらばらでなく、ある程度統一したお皿でないとみっともないし・・・料理より先にテーブルの古さや器が気になる。
ごく質素な夕飯のおかずであるが、時々ブログに載せることも考えて、ちょっと器類を考えて見よう・・・。
亡くなった人の遺灰を海や山に返す「自然葬」を、市民運動として取り組んでいる「葬送の自由をすすめる会」の集いが、10月中旬、岡山市で開かれたらしい。
自分だったらどこに散骨してもらいたいか、ちょっと考えてみた。もちろん、海や川ではなく、山か畑。長年お世話になったお礼に骨粉(よい燐酸肥料)として田んぼにばらまいてもらってもよいが、それではちょっと味気ない。何か記念樹のような果樹でもあれば、その根元でもよいが、取り立てて記念樹もない。
自然葬は本人よりも、葬送をする人に負担がかかる。喪主が、周囲の人の意見や親戚や兄弟の意向よりも死者の意向を最優先する勇気をどこまで持続できるかによるだろう。
遺灰を海や山へまくのは違法という見方もあったが、最近の見解では、葬送のため節度を持って行う限り問題はないらしい。25年ほど前までは当集落でも土葬だったが、土葬する場所と、掘る手間がなくなり、簡便法の火葬になった。葬送の自由は、喪主がいわゆる「常識」とどう戦えるかだと思う。