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あめんぼ通信

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

12種類のハーブの現在

 リンクさせてもらっている「38歳からの百姓志願」の藤田さんも、藤田さんがリンクしている「くらぶち日記」の方も、どちらの方も就農2年目であるが、二人とも技術力がすごい。ブログの画像をみればその農業者の大体のことは伝わってくる。自分は18年目であるが、2年目の彼らの技術力には到底及ばない。というか、自分には今からでも真似ができない。


 人は誰でも自分がイメージできた農業しか、田んぼに表現できないのではないかと思う。そして、その人の農業人生のほとんどが、スタート時点の2~4年のうちに表現されてしまうと思う。


 自分の場合もスタート時点の2~4年の間に、現在やっていることの8割ほどは田んぼに出尽くしていた。逆に言えば、その状態から、技術的にはほとんど進歩していないと言える。


 スタートする前から、毎年いろんな方の田んぼを見せてもらってきたが、真似をする能力が自分に備わっていなかった。真似はできなかったが、転身した農業には心を洗われるような気がして、夢中になってやってきた。スタート時点の2~3年の我流が、自分の農業技術の大半だったように思う。悲しいくらい、あれから進歩していない。


 それぞれの農業人生が大きくても小さくても、稼げても稼げなくても、それぞれの農業をしていくしか、仕方がないのではなかろうか。 




 ハーブは12種類だけ作れば、注文の95%は賄えると思う。12種類でも、野菜と両方なので、なかなか手がまわらず、いつもハーブが草山になる。黒マルチをしていても、通路の草がハーブに覆いかぶさってくる。


ハーブティ用ハーブ3種類


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 レモンバーム・・・12株ほどしか作っていない。いくらでも伸びる。伸びすぎたら、根元から刈り取って捨てれば、夏場なら1ヶ月ほどで再生する。収穫期5月上旬~11月中旬


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 レモンバーベナ・・・11月上旬か、3月春分の日頃に株分けするか、6月に挿し木をして増やす。毎年、株を更新した方が状態がよい。収穫期5月下旬~11月中旬


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 レモングラス・・・4月に40株ほどに株分けしたのに、活着したのは、たった4株。レモングラスは高温性なので、5月末頃に株分けした方がよかったかも知れない。収穫期6月中旬~11月中旬。当地では株の冬越しが難しい。


 個人の顧客には、ハーブティ用ハーブを2~3種類入れてあげると喜ばれる。雑草みたいなものなので、各6~8株作っておけば春、夏、秋と収穫が連続的に続くので、とても重宝。


ハーブティ用、料理用、兼用ハーブ3種類


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 コモンタイム・・・タイムは、コモンタイムとレモンタイムの2種類作っている。タイムも毎年株分けして更新した方がいいと思う。状態が悪くなったら、根元から切り戻しておけば、1~2ヶ月ほどでまたフレッシュな状態で収穫できる。常緑草であり、収穫期間は1年中であるが、冬期間はあまり伸びない。




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 左からスペアミント、ブラックミント、アップルミント・・・スペアミントの注文が最も多く、これがメイン。アップルミントは捨てていたのが畔岸で根付き、以後畔岸で育てている。葉が大きくなったら商品価値がないので、定期的に草刈機で根元から刈り飛ばしておけば、1ヶ月ほどでまた収穫できるサイズになる。常緑草であるが、霜に弱いので、冬期間は薄い毛布のようなべた掛け資材で覆う。



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 セイジ・・・少ししか作っていないのに、ハーブ全般に手が回らず、セイジも草山である。


料理用ハーブ6種類


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 スイートバジル・・・時に害虫に食害されるが、収穫して捨てれば、すぐにまた、きれいなバジルが収穫できる。収穫期は11月上中旬頃まで。



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 ローズマリー・・・これも草に覆われている。この場所のローズマリーはかなり大株。4箇所に15本ほどずつ植えている。左は近所の田んぼ。


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 イタリアンパセリ・・・春は5月上旬頃に定植しているが、春作に病気等が多かった場合は秋にもう一度定植している。これは、仮植していた春の苗の残りを定植した。



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 ロケット・・・秋冬作でしか作っていない。ロケットは地床育苗。地床で問題ないものはすべて地床で苗作りをし、地床よりポット育苗の方がいいものはポット育苗にしている。



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 ディル・・・秋冬作でしか作っていない。育苗→定植にすると、どうも移植に弱い。できれば直蒔きして育てた方がよいと思う。これは2回めの育苗。1回めの定植は高温で2割ほどしか育っていない。


 チャービル・・・秋冬作でしか作っていない。画像がないのは、育苗で失敗したから。順次3回まいたが、全て失敗。チャービルはどうも発芽が難しい。市販にはあまり売ってなく、タキイの通信販売では届くまでに期間がかかり、もう時期的に蒔き直しは無理。結構注文の多いハーブだが、仕方がない。



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顔の見える関係

  一世代前、三種の神器といえば、

(1)テレビ
(2)掃除機
(3)洗濯機

 現在は

(1)電話
(2)パソコン
(3)デジカメ

と思う。

 
 一昔前の三種の神器は、誰でも簡単に使いこなせたが、現在の三種の神器は、なかなか使いこなせない。使える人の方が少ないのではないかと思う。

 
 電話・・・最近の電話は何でこんなに複雑なんだろう。年齢の高い人は、電話をしたり、受けたりの機能以外は使えないと思う。自分も使えない。携帯は必要に迫られていないので持っていない。

 
 パソコン・・・不定期でパソコン教室へ通いながら、ブログをしている。一度教えてもらっても、使わなかったらすぐに忘れる。差し迫って使わない機能をいくら覚えても無意味。つまり、体系的な学習をしたり、基礎的な勉強をしたり、周辺を固めてから目的のことをし始めても、ほとんど役に立たないと思う。必要な時に必要なことだけ教えてもらう方法がよい。電話で聞けたり、わからない操作方法だけをマンツーマンで教えてもらえるような先生を一人見つけておく必要がある。

 
 デジカメ・・・完全に食わず嫌いだった。今はちょっと「はまって」いる。言葉で書くとわかりづらいが、画像を見ると一目瞭然のようなことも多い。農業を伝える伝達手段としては特に優れている。現像代もかからず、本体のメカの代金だけである。パソコンに取り込んでスライドショーを見るのが楽しみである。今年の農閑期には、デジカメの使い方をマスターしたい。

 

 エンジンポンプのかかりが悪かったので、力任せに始動グリップの紐を何回も引っ張っていたら、指に怪我をした。機械や道具は超不得意なので、できるだけ持たないようにしている。しかし、野菜作りにはどうしても必要な機械が4種類だけある。

(1)草刈機・・・・・・・・・ほとんど故障しない。

(2)管理機(ミニトラクタ)・・ほとんど故障しない。

(3)エンジンポンプ・・・・・ほとんど故障しない。

(4)乗用トラクタ・・・・・・ほとんど故障しない。

 だから使うことができている。乗りっぱなし、使いっぱなしの4種類である。恥ずかしながら、管理機、エンジンポンプ、乗用トラクタの「オイル交換」も人任せ・・・。エンジンポンプのオイル交換を忘れて、一度、パーにしたことがある。
 今日のエンジンポンプのかかりが悪かった原因はプラグとキャブレターにあったようだ。かかりつけの農機具店の人にそう言われた。

 
 しかし自分の農業形態では、器用、不器用は、さほど大きなウエートを占めない。そんなことより、独自の販路を開拓したり、顧客に続けてもらう能力の方がはるかに大きなウエートを占める。

 
 父は稲刈りの後、毎年、コンバインを定期的に修理に出していた。確か修理代は3~4万円ほどかかっていたように思う。当時の我が家の米代の半年分くらいは買える金額だった。毎年修理に出す必要があるのなら、米など作らなければよいのにと思った。父が作れなくなると即、稲作は委託した。

 

 37才直前から農業を始めたが、始める前に、ワンパック宅配という農業形態だけは決めていた。顧客に直接届けるワンパック宅配では、有機農業が必要であると思ったが、完全無農薬とか、完全無化学肥料にはこだわらなかった。あまり完全にしようとすると、かえって安全でなくなると思った。必要最低限は使わざるをえないだろうと思った。

 
 ただ、顧客に直接届ける場合は、外観やサイズはあまり問題にされないだろうから、農薬は使わなくても、ある程度のものはできるだろうと感じていた。

 
 完全無農薬とか完全無化学肥料にはこだわらなかったが、「顔の見える関係」以外は、出荷することはないだろうと感じた。だから、農協出荷は一度もなく、市場出荷も一度もなく、道の駅や朝市にも一度も出荷していない。厳密にいえば朝市には何度か出したが、それは対面販売の朝市だったので、自分で手渡した野菜であり、「顔の見える関係」である。

 
 自分はこの「顔の見える関係」ということに特にこだわった。顔が見える関係なら、必要最低限の農薬は理解してもらえるだろうと思った。使用理由は「あめんぼ通信」に具体的に書いて渡した。

 
 農薬はアブラナ科野菜だけしか使ったことはない。そのアブラナ科野菜も、完全無農薬でできた年も多い。
外観やサイズが問題にされないなら、作る上ではとても楽である。
 出荷にワンクッションおくと、有機野菜でも必ず、外観やサイズが要求される。

 
 ワンパック宅配の大きな欠点は、顧客が続いてくれないということである。通算すれば、地元の顧客は100軒を越えているが、現在は地元の顧客はたった1軒である。「1%の率」という現実を、これからワンパックを始めようとする人は覚えておいてください。これは自分のワンパック野菜のレベルの低さではなく、顧客の事情によるものと思う。
それは、ワンパック宅配をしている人がほとんど「顧客が続いてくれない」という現実に遭遇しているからである。
 3年以上、5年も10年も続けて欲しいと願うのは生産者の身勝手であり、普通は3年も続けてもらえれば、大いに感謝する立場にある。ただこうなると、常時、営業の臨戦体勢が必要であり、たった一人の顧客を獲得するのも至難であると気付くだろう。
 業務用の顧客の方が見つけやすく、総じて長続きしてくれる。

 
 無農薬、無化学肥料にはこだわらなかったが、「顔の見える関係」にはずっとこだわっている。自分の丹精込めて作った野菜は、知らない第三者に食べて欲しくない。


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インターネット百姓塾

 「インターネット百姓塾」ができるだろうか。今日はそのことを意識しながら、画像とその説明文を書いてみた。未経験者でも理解してもらえるだろうか。
 
 
 技術的なことはやはり、現場の土の上で学ばないと、理解できないだろうか。
 
 
 自分の農業は家庭菜園型であり、規模的にも、作付は30アールほどと小さい。少量多種類であり、少羽数のニワトリ、12種類のハーブ、ドラムカン炭焼きも多少は説明できる。だから百姓塾向きの農業形態ではある。

 
 肥料に関しては、メタン菌液肥は臭うので、これ以外の肥料を説明する必要がありそうである。たとえば「ヌカボカシ」のような肥料。一度作ったヌカボカシを種菌にして、何年も何十年も繰り返し作れるものが望ましい。メタン菌液肥はその点が理想的である。

 
 
農業をしていない人に農業の疑似体験をしてもらえるようなインターネット百姓塾。


 インターネット上には、数多くの農業ブログがある。その多くは、趣味や、定年帰農者のブログである。その中から、自分にとって最もわかりやすい農業ブログを見つけるのが、疑似体験には最短距離かもしれない。


 まず自分が他の農業ブログから学ぶ必要がありそうである。



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 今日、ホウレンソウの種を蒔いた。144穴の発砲スチロールの連結ポット(穴直径3センチ)に蒔いている。

普通のホウレンソウ→2ケース→ネーキッド種子4粒蒔き
サラダホウレンソウ(赤茎)→2ケース→普通種子5粒蒔き

 ホウレンソウは普通、直播であるが、何年やっても、直播して間引きという方法が上手にできなかったので、ポット育苗して定植という方法に変更した。

第1回目→9月27日(木曜日)→4ケース
第2回目→10月2日(火曜日)→4ケース
第3回目→10月4日(木曜日)→4ケース

 普通のホウレンソウを6ケース、赤茎ホウレンソウを6ケース蒔く。合計12ケース×144穴=1728株。1箇所2~3本立ちとして、大株にする。この方が出荷が楽である。
 イタリア料理店は、赤茎の注文が多い。

 ポット育苗→定植という方法は、12ケースが限度である。これ以上になると、移植栽培は手間がかかりすぎる。



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 ロケットの4回目を今日蒔いた。これで種蒔きは完了。

第1回目→9月11日
第2回目→9月14日
第3回目→9月23日
第4回目→9月27日

4日おきに、9月14日、18日、22日、26日に蒔く予定だったが、ちょっと前後した。


 9月15日以降の種蒔きは、1日の種蒔きの遅れが、収穫で3~4日の遅れとなる。
 
 早すぎると、収穫適期幅が短く、遅すぎると、大きくなるのが遅い。だから1~2日のことが微妙。



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 秋ジャガイモの定植をした。秋ジャガイモは、「仮伏せ」をして芽出しをして定植という段取りにしないと、春のように直接伏せると、高温で種芋が腐ってしまう。
 
 秋作の収量は春作の半分、手間は3倍ほど。だから、自給用程度しか作らない。秋作も決まって病気が発生する。



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 昨日、載せていなかったハヤトウリ。つる性だから、下部は草に覆われても、まあ大丈夫。



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 「いじめ(突付き)」を怖がって、朝、エサを持って入っても、止まり木から下りてこなかった3羽が、最近は、いつ入っても、全部入り口に集まってくる。やっと元の群に復帰してくれたようだ。2ヶ月余りかかったような気がする。
 
 ヒヨコからまだ1羽も死んでいないのが、少し自慢である。2年と4ヶ月が過ぎた。残りのニワトリ人生は2年と8ヶ月である。ヒヨコで導入してから5年間飼うことにしている。



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背水の陣

 配られてきた「農協だより」をみていたら、ブドウ農家の画像が目に付いた。ボクはブドウのような作物は大の苦手である。農業をしているのだから、農業全般のことをそつなくこなすだろうというのは大間違いで、自分の場合は、あれもできない、これもできそうにないという思いが強い。
 農業スタート時には、果樹農家など想像することもなかった。義兄のような大規模栽培も、とてもじゃないが自分には無理だと思った。ハウスで花を考えたこともあるが、見学させてもらって即あきらめた。

 
 多くの農業ジャンルの内で、ワンパック宅配しか自分はできない。多分、他の農業者も、現在している農業形態しかできないのだと思う。30~40種類ほどの農業形態があるとすれば、誰でも、そのうちの3~4種類の農業形態しかやってのけることはできないだろう。だから、途中から農業形態の変更ができる人は、農業人としてはかなり優秀な人である。自分が見てきた範囲において、それができた人は現在、安定した農業を営んでいる。
 
 
 有機農業に特別のこだわりがあったり、不耕起栽培に特別の執着があったり、環境問題から、特別の農法でしか栽培しない人もいたりと、農業者も千差万別である。

 
 自分は、経済的に儲かる農法を第一義と考える。しかしそれらの農法が自分には難しすぎるから、現在の(当初からの)農業形態を続けている。


 自分の農業収入では、配偶者に定期収入がなかったら、農業を続けることはできなかっただろうと思う。


 背水の陣があれば、収入アップにつながる農業形態に変更できただろうか・・・。

(1)農業形態の変更にはかなりの投資がいる。その元手がないとできない。

(2)投資のために借り入れすると払えなくなる恐れがある。

(3)成功するかどうかは、未知数である。

(4)軌道に載るまでの2年間ほどの生活費の予備も必要である。

(5)仮に不成功に終わった場合、簡単に元の農業形態に戻れるだろうか。もう戻れないと思う。

(6)農業は商工業の起業と同じである。農業形態の変更も一つの起業である。


 自分の職業生活はすでにカウントダウンが始まろうとしているので、現在の農業形態を続けていくだけである。稼げる金額もしれている。だからよく、ホームレスの人を想像する。彼らにはもうホームレスの状態をキープするしか生きる方法がない。そんな社会である。そして50代半ばの自分も、現在をキープするしかない。60代半ばからは農業収入程度の年金(厚生年金も10年ほど入っているし、国民年金もずっと払っている)は多分もらえるだろう・・・。



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 9月24日の夕方から深夜にかけて降った雨は、とてもありがたい雨だった。その雨で、彼岸花が一気に伸びた。
 雨の後、夜が随分涼しくなり、それまで窓を開けて寝ていたのに、昨晩は窓を閉めて寝ても、毛布1枚では寒いくらいだった。



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 黒マルチは、土に適度な湿り気があるうちにする必要がある。火曜日の午前中に8列(17メートル×8列)、黒マルチをした。ホウレンソウとロケットの定植予定地である。



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 液肥も、土に適度な湿り気がある時にした方がよい。土が乾きすぎている時は、液肥が濃すぎて、あたることがある。左はハクサイ、右はキャベツ。



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 左はダイコン、右はカブ。アブラナ科四天王(ハクサイ、キャベツ、ダイコン、カブ)は同時進行にした方が作業がやりやすい。これにも同時に液肥を施した。




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 土が湿っている間に、ニンジンにも液肥を施した。ニンジンは畝幅が狭いので、ニンジンとニンジンの株間に施すとき、水で2倍ほどに薄め、施す量も少しにした。液肥が直接、根に触れると枯れ死する。葉が伸びている先まで根はきているらしいので、液肥を施す場所は、作物の葉より外側にする。


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 端境期の10月のワンパックの一角を埋めてくれるのが、画像のレタスと、上記画像のニンジンの右にあるツルナシインゲン、それにハヤトウリの3種類である。ハヤトウリは液肥があたり、6本の内、2本しか育っていない。草に覆われて、あまりにみっともないので、画像にアップしていない。



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 今日のご馳走はエンサイ。夕方、フゴに一杯の青菜を投げ込んでおいても、翌朝には青菜はほとんど残っていない。サツマイモを掘り始めてからは、芋ヅルを投げ入れておくが、かなり大量でも、よく平らげている。

 ボクとの決闘で怪我をした足の出血が止まってから、またしてもオンドリが凶暴になってきた。向かってきた時はやっぱり「蹴り」が出てしまう。その蹴りも、一瞬、タイミングをはずす時間差攻撃の蹴りを入れるが、何と、オンドリも時間差の蹴りで応戦してくる。闘鶏の本能があるので手ごわい。
 
 応戦後は殺気だっているのがよくわかる。やたらとメンドリに、のっかったり(交尾したり)、遠吠え(コッケコッコー)の鳴き声を発する。

 ただ、また怪我をされると自分が落ち込むので、できるだけオンドリを刺激しないように、エサやり、水代え、集卵をしている。




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圃場整備、広域農道、畑潅

 昨日の夕方から深夜にかけて、思いもしなかったいい雨が降った。今朝、田んぼに着いて、田んぼの中を歩いた時、かなりの雨量だったのがわかった。それでも、ぬかるむようなことはなく、クワも使えた。


 さっそくニンジンの間引きをした。間引き作業は「雨後」にすると、すっと抜ける。間引きをする作業は、自分の農業では下記の3種類しかない。

(1)ニンジン→今月中にもう一度間引いて、ニンジンに関する作業は終了。

(2)ダイコン→20センチ間隔で3粒ずつ蒔いているので、今日は1本だけ間引いた。来月頭にもう一度間引いて1本立ちにして、ダイコンに関する作業は完了。

(3)カブ→混み合った所を逐次間引いている。10月中旬頃から小カブの出荷を始める。

 間引きが終わってから、除草をかねて、作物に土寄せをして、株間にメタン菌液肥を施した。後は作物の様子をみながら、土寄せを1~2回して収穫を待つのみ。

 
 害虫さえこなければ、秋冬作に手間はさほどかからない。

(1)ハクサイ

(2)キャベツ

(3)ダイコン

(4)カブ

(5)ニンジン→発芽が難しいだけ。害虫はこない。

(6)サトイモ→春夏作であるが、出荷は秋冬作

(7)ネギ(葉物)

(8)シュンギク(葉物)

(9)ホウレンソウ(葉物)

(10)秋ジャガイモ(自給用)

(11)レタス(11月末まで)→ブロッコリー(12月~)

(12)サツマイモ(12月末まで)→ヤーコン(1月~)

(13)ロケット(生食、おひたし、炒め物で食べるハーブ)

 
 
秋冬作は、9月、10月の2ヶ月間だけ農作業があり、11月から収穫期に入る。

 

 夕飯を食べるとパソコンの前に座る。昼間に、思考の断片のメモ書きが何も残せなかった時は、うん、うん、うなるしかない。うなっても、キーボードの10本の手はあまり動いてくれない。


 ブログをスタートした頃、キーボードの入力スピードと、頭に浮かんでくる言葉のスピードとのアンバランスに、なかなか慣れることができなかったが、ボールペンで下書きして、それをブログに清書するという二十手間はどうしてもできず、いきなりキーボードに向かって打つという習慣ができた。
 この習慣ができてからは、なぜもっと早くこのやり方に変更できなかったんだろうと思った。15年ほど前、ワープロ教室へ通って10本の指で打つ(フォームポジションで打つ)早打ちの練習を何度もしていたので、その時に「キーボードに向かって直接打つ」という習慣付けができていれば、もっとたくさんの作文が書けていたと思うが、その習慣ができず、15年も、ボールペンで下書き→ワープロ又はパソコンで清書入力という二十手間を繰り返してしまった。

 
 毎日更新するようになって1年が過ぎ、作文のストックもほとんど出してしまった。これからが正念場であるが、2日に1日ほどの充電期間も必要かなあと思い始めた。ブログを入力していると、他のブログを見たり、農業関連の雑誌を読んだりする時間がほとんどとれない。少しはこれらの勉強時間にあてて、知識を増やしていかないと、自分の中身が枯渇してしまう。
 
 
 
 現役世代が農業を始めるのは、地域ではほとんど見られない。田舎育ちの人は、農業では食べれないのをよく知っているから、倒産やリストラに遭遇しても、農業という選択肢はほとんど考えず、何らかの賃仕事をされているようである。農業はますます定年帰農者だけのものになりつつある。



 この国には、農業のビジョンが何もなかった。

(1)圃場整備(小さな田んぼをまとめて大きくする)

(2)広域農道

(3)畑潅(畑に水道のような水を引く設備)

 これら3つの整備事業で儲けたのは、いったい誰だろう。土建業者だけである。以前のこの国は「土建国家」と呼ばれたくらい、田中角栄の時代の日本列島改造論で土建業が全盛となった。

 田舎はそれと反比例するように寂れ、人口の流出は続いた。

圃場整備では農家に借金だけが残り・・・

広域農道を利用する車は、ごく少なく・・・

畑潅を利用する人は減り続け、何十億という事業は、その回収もできず・・・

 
 これらに変わって、下水道が狙われていたが、それも地方財政の逼迫で中途半端事業に終わりそうである。

 
 有機農業も掛け声だけは何十年も続いているが、いっこうに面積は増えない。

(1)重労働

(2)害虫や病気により収量半減の危険性も高い

(3)値段がそれに比較して高くない

(4)小規模の有機農業は可能でも大規模の有機農業は可能だろうか

(5)0.1%の農家が、99.9%の非農家の食糧を賄うには、化学肥料、農薬、大型機械、大型設備を駆使した大規模農業こそが、この国のいわゆる「自給率」を支えているのではなかろうか。

(6)有機農家がこの国の自給率に貢献しているなど、全く考えれらない。

(7)有機農業は非効率、非採算、非能率。経済を無視した安全性や環境問題では広がらない。

(8)有機農業の肥料はほとんど畜産糞→飼料はほとんど輸入品→輸入飼料に有機基準などない→畜産糞の利用が有機農業といえるだろうか。



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動物愛護団体

 電柵に新しいバッテリーをつけて、また電流が流れるようになってからは、イノシシに入られていない。漏電したら意味がないので、草が伸びていないか電柵の周囲は定期的に確認している。こんなことにも一手間かかる。

 
 イノシシが狙うのは、当地では今の所サツマイモだけだから、サツマイモ畑を電柵で囲うだけでよいが、ちょっと県北に行くと、稲はもちろんのこと、

(1)ジャガイモ
(2)ナンキン
(3)ニンジン
も囲う必要がある。もちろん、自分の田んぼでもこれらの作物に油断はできないが、こういうことは苦手作業なので、サツマイモ以外は放任している。1度、被害にあえばせざるをえないだろうが、こんなことが年々増えていくと、農業をすることがむなしくなる。


 当地ではまだ、

(1)サルの被害は出ていない→はぐれサルを見た人は、集落にすでに何人もいるが、野菜の被害はまだ聞いていない。

(2)シカの被害も少ない→キュウリ、サツマイモの葉をやられたことがあるだけである。

(3)タヌキ→野菜や苗床をよく踏み付けて歩いているが、イノシシのように、土の上でころげまわったり、掘り返したりしないので、さほど被害はない。というか、タヌキの好物はすでに作付を中止している。つまり、イチゴ、マクワウリ、トウモロコシは止め、自給用のスイカとトマトだけは全体を防御ネットで囲んで作っている。

(4)カラス→タヌキと同じ作物に被害があり、他に果樹も被害がある。

(5)イノシシ→今の所、サツマイモだけである。今年、エンサイを掘り起こされていたが、被害は一部だった。

 
 自分のように害獣防御がとても負担に感じる農業者は、農業の継続は年々厳しくなっていく。


 以下、2004年、10月の通信です。

 近年、市街地まで進出してきて、とどまる事を知らない害獣の被害・・・。米、野菜、果樹で経済活動をする我々農家にとって、防御はかなりの時間と手間とカネがかかる。だから「駆除」してもらう必要がある。それなのに、

(1)捕まえたイノシシを山奥に逃がしたり・・・

(2)ため池に落ちたシカを、わざわざ県の職員が出動して、救出作戦を展開して、それを人里離れた山中に放すという税金の無駄遣いをしたり・・・

(3)民間非営利団体(NPO)の、日本ツキノワグマ研究所(広島県)が広島県庁を訪れ、捕獲したクマを山奥に返す「奥山放獣」を進めるなど、必要以上の駆除を行わないよう求めた・・・


 立場を異にすると、これだけの見解の相違が出てくる。我々農家の立場とは正反対の行動をとられてしまう。イノシシ、シカ、タヌキ、サル、クマ、カラス・・・これらが数多く出没する山村では、野生動物との戦いに、かなりのエネルギーを消耗してしまう。こうなると農家の技術力や販売力以前の問題で農業が維持できなくなる。自分のように、害獣防御の柵を作るような仕事を特に苦手とする不器用な人間にとっては、山村で農業をすることはできない。地方都市近郊だから、まだ自分は農業ができている。 

 
 先日、イギリス議会で「キツネ狩り禁止」の法案が通過した時に、農家と機動隊が衝突して流血騒ぎになったのをテレビが大々的に報道していたが、立場が変わると、野生動物に対する認識がまるで異なる。

 
 日々、大量のウシやブタやニワトリが「肉」として、大量に処刑されているのに、なぜ、クマやサルやイノシシやシカが保護されなければならないのか・・・。農業はますます「少数派」になっているから、多数決になれば、いわゆる「動物愛護団体」等には負けてしまう。でも動物愛護団体の人が、ウシやブタやニワトリの肉を食べていないかと言えば、それは考えられない。
 「家畜」は平気で殺しても、「野生動物」は殺してはいけないと使い分けして考えているのだろうか。とにかく、農業の現場を知らないから、平気で反対する。

 
 野生動物が「肉に見えた」のは、2000年以上の人類の歴史であり、わけのわからない「動物愛護団体」等の出現の歴史はまだ40年ほど・・・。

 
 環境省はツキノワグマを「絶滅の恐れのある地域個体群」に指定しているという。廃村や人里付近に生息し果樹や残飯などをエサにする集落依存型であるという。

 
 イノシシやシカ、サル、タヌキ、カラスも同じく集落依存型である。これらはツキノワグマと違って、加速度的に増え続けている。




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タマネギの種蒔き

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 池の土手のススキ。ススキは秋の風物。


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 同じく、秋の彼岸の風物である彼岸花はまだ、ちらほらしか咲いていない。この場所は、あまり日当たりのよくない涼しい場所。咲かずに終わることはないはずだから、今年の暑さは記録的。だんだんと身体にこたえだした。



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 野に咲く花。野菊とムラサキツユクサ。水不足であまり元気がない。





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 野菜のキクイモの花。この芋は雑草のようにはびこり、野草化する。芋はでこぼこしていて、出荷はしずらい。ニワトリのエサにでもと思っている。黄色の小菊のような花がきれいである。今日は彼岸であり、他に花がなかったので、この花を切ってお墓に供えた。




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 タマネギ(早生1袋、中晩生2袋)と、ロケットの3回目を蒔いた。あまり暑いので,タマネギは2日ほど遅らそうと思ったが、今日蒔いた。クワとヨツメで畝の表面をならし、その後、板切れなどを使って、畝の表面をより水平にする。種を蒔いたら、ジブ(フルイ)を使って、細かい土で覆土する。その後、たっぷりクン炭(焼きスクモ)をかけて、夕立にたたかれるのを防止したり、日除けにする。
 タマネギは55日間育苗して、11月中旬に1本1本定植する。




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 サツマイモを掘り始めたが、早生品種のベニアズマは毎年どうも外観がよくない。逆にムラサキ芋は外観がよい。
 味の方は、当地の土質がサツマイモに向かないのか、あまりおいしくない。田んぼで作る芋だから、山や丘陵地のような場所で作るサツマイモに比べて、どうしても味が劣る。肥料は、ナタネカスの少ないメタン菌液肥(窒素分が多いと、ツルばかり茂るツルボケを起こす)を少量施しているだけである。
 晩生品種の高系14号という品種は、ムラサキ芋のように外観がよく、味の方も、土質にかかわらずおいしいので、1ヶ月出荷が遅れても、来年はベニアズマを止めて、普通種は高系14号だけでもいいかなと思う。


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 今年は暑いので、今の時期でもオクラがすぐに大きくなる。ただ、水分不足で、茎や葉が伸びない。


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 左がカブ、中央がダイコン。右の画像の畔岸にあるホースを使って、2日に1度、エンジンポンプで井戸水を散水している。


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インターネット販売


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 午前中、私用で日生(ひなせ)に行った。日生は海の町である。岡山ブルーラインという道ができてから、日生が随分近くなった。家から25分ほどで行ける。
 上の画像は岡山ブルーラインの片上大橋から写した日生の海である。片上大橋を渡ると、瀬戸内市から備前市、日生町になる。
 日生は牡蠣(カキ)で有名である。画像は牡蠣イカダ。


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 日生は小さな漁村である。左の船に乗ると、鹿久居島、頭島、大多府島という、日生諸島の島に渡れる。子供が小学生だった頃は、夏休みに1泊2日で頭島の民宿に泊まり海水浴に行っていた。そして、ボクが子供の頃には、集落で行く子供の海水浴があり、ずっと大多府島に行っていた。だから、日生諸島は思い出の多い海である。


 
 アブラナ科野菜の害虫、ダイコンサルハムシの被害を免れたと思ったら、モグラの被害にあい、そして今は、モグラよりも、降らない雨に気をもんでいる。次から次に諸事情に遭遇する今年の秋である。


 
 トウモロコシがバイオ燃料に利用されだしてから、ニワトリの飼料の価格が高騰しているらしい。最近はずっと買っていないから、価格の変動がわからないが、買わなくてすむのは、3人の方から「コゴメ」をもらっているからである。73才、76才、82才の方の稲作の籾摺り後のコゴメである。いつまでもらえるだろう、というか、いつまで稲作を続けられるだろう。


 
 ワンパック宅配は10~12種類をセットにして、顧客に直接届ける方法であるが、1種類でも失敗すると、セットがとても組みづらい。例えば、春夏作においては、
タマネギ、ジャガイモ、キュウリ、ナスビ、ピーマン、オクラ、ナンキン、ニガウリ、トウガン、エンサイ、ツルムラサキ、青シソ。

 この内、タマネギ、ジャガイモは必ず入れたいし、キュウリも必需品である。エンサイやツルムラサキは、箱の上部の「ぐすぐす」をなくして、箱をきちんといっぱいにするには、もってこいの葉物であるし、ナスビのない8月(更新中のため)には、その代用としてトウガンが活躍してくれる。失敗しても余りこたえないと思えそうなのが、オクラとニガウリであるが、やはりどちらも失敗はできない一品である。
 
 特定の作物を失敗すると、ある野菜を×2倍にして対応しているが、タマネギやジャガイモやナンキンを×2倍にはしづらい。葉物は根菜に比べて日持ちがしないので、エンサイやツルムラサキを×2倍はちょっと考えられない。×2倍でも許容範囲なのは、キュウリ、ナスビ、オクラの3種類だけである。実際に自分は、この3種類しか×2倍を入れないことにしている。
 
 でもやはり、失敗しないにこしたことはない。失敗は他の野菜に負担がかかることになる。送る箱を一杯にしようと思えば、箱の中で収まる位置が、それぞれの野菜で決まっている。箱がぐすぐすでは、箱の中で野菜がでんぐり返るし、届いた時の見た目が悪い。

 
つまり、ワンパック宅配というセット野菜でも、たった1品目も失敗はできないのである。しかし、12~14種類を作るのだから、どうしても注意が散漫になってしまう。これがスペシャリスト型の1作物だけなら、エネルギーも注意も、身も心も、その1作物に集中できるが、多種類作ると、どうしてもそれができない。個々の作物の技術力が上がっていかないのも、こういう点にありそうな気がする。
 
 スペシャリスト型でも、かなり大量のその作物すべてを「直販」で売りぬいている人が、稲作農家や果樹の専業農家に多い。今はインターネット販売ができるので、スペシャリスト型で全て「直販」で売りぬけるなら、1セット、10~12種類が必要なワンパック宅配より、はるかに、作る上でのメリットは大きい。
 要は「売る力」であり、稲作農家や果樹農家の「インターネットを利用した直販」には、めざましいものがあるらしい。セット野菜はこの点が弱いと思う。


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秋なのに・・・

秋が来ても、雨が降らない

秋が来ても、涼しくならない

秋が来ても、彼岸花が数本しか見えない

秋が来ても、毎日30度を超えている

秋が来ても、汗びっしょりになる

「暑さ寒さも彼岸まで」なのに、毎晩暑くて寝苦しい



雨が降ってくれたら、身体が楽になるのに

雨が降ってくれたら、野菜が喜ぶのに

雨が降ってくれたら、毎日の水やりから開放されるのに



秋雨前線はどうしたのだろう

このまま9月に雨が降らなかったら秋冬野菜はどうなるのだろう

春夏野菜は半分投げ気味に、水は秋冬野菜にまわしている

 

こんな時、池の水を自分の田んぼがある方向に引かせてもらうと、田んぼのあぜ岸の細い水路を水が走る。その水をせき止めて、

ナスビやピーマンの畑にざぶざぶ入れたい

スイートバジルの畑にざぶざぶ入れたい

サトイモやオクラの畑にざぶざぶ入れたい

エンサイやツルムラサキ、青シソの畑にざぶざぶ入れたい



でも、それはできない。

10年ほど前、そのことでいろいろあったから・・・

そのことが井戸につながった・・・

そして、井戸のおかげで液肥にめぐりあえた・・・

すべてに伏線があり、すべて複合的な関係にある・・・



井戸の水をやればいいのだが、こんなに暑い日々が続くと、作物の上から少々散水したくらいでは効果が少ない。

そして、井戸の水は、ホースを持って、あっちへちょろちょろ、こっちへちょろちょろ移動する必要がある。そして毎夕2時間もそのことに時間が取られて、他の農作業ができない。



井戸の水は

エンジンポンプが必要であり

エンジンポンプにはガソリンが必要であり

エンジンポンプにはホースが必要であり

それにかかりっきりになる2時間の時間が必要になる。

それでも、水路から引き入れる水に比べたら、ほんの微々たる量。

 

野菜産地にある「畑潅」はこんな時、大いに助かると思う。

蛇口をひねれば水道のように水が出る。

その水道の先に穴の開いた畑潅チューブをつければ、水が畑全面に散水される仕組みである。

野菜産地のこのような畑潅設備は、10アールにつき、確か7~8千円ほど。

その年に使っても使わなくても7~8千円ほど。

たとえば、40アールの面積であれば、40アール×7千円=2万8千円を毎年払い続けることになる。

しかし、この金額は高くない。



自分の場合は、平成10年の9月に井戸を掘った。

井戸代・・・・・・276000円

井戸の小屋代・・・100000円(数年前の台風で吹き飛んだ)

合計で376000円。

今は平成19年。65才まで後10年現役を続けるとすると平成29年。

平成29年-平成10年=19年。

つまり井戸を19年利用することになる。1年あたりで割ると

376000円÷19年=2万円ほどになる。

畑潅の2万8千円より少し安く思えるが、エンジンポンプ、ホース、ガソリン代、2時間の手間代を考慮すると、どちらが安いかわからない。

 

稲にとって水は命だが、野菜にとっても命。

近くに川があれば、水をポンプアップできるかも知れない。しかし、池の水は野菜には使えないと思っておいた方がよい。野菜に使うには、池の水の管理人に了解を得る必要がある。稲作の人は池の水を利用するために水代を払っている。了解が得られれば、畑作の人も池の水代を払って利用できるだろう。



ここで自分が大きな誤解をしていたことがある。

それは、10アールの稲作に使う水より、10アールの畑作に使う水の方が多いという点に関してである。

一見、稲作の方がはるかに水を多く使っているように見える。稲作は、畦岸の細い水路から水を引き入れるが、引き入れた水をまた他の田んぼに回しているのであるから、水は使っていないことになる。そして、一度湛えた水は地の底に抜けていったりせずに、大部分はその状態を保つ。

野菜の場合は、1週間に1度、畦岸の細い水路から水を引き入れるだけであっても、他の田んぼに水をまわしたりしない。そして、引き入れた水は一晩で、畑の地の底に抜けていく。

つまり、稲作は水をたたえているが、畑作は水を使うというわけである。


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足で書く

 作文は頭でなく足で書くと言われる。パソコンの前に座るのは夜だけで、日中は田んぼで足をよく動かしているが、40アールほどの狭い範囲内の歩行である。毎日、同じようなことの繰り返しなので、さほど変化があるわけではない。やはり、出かけないことには新鮮な感動に出会えない。

(1)出かけること→自分の場合は田んぼ見学
(2)農業関連の本や農業新聞に目を通すこと→全然していない。
(3)農作業とは違った身体の動かし方をして、身体の疲労をとる。つまり、背筋を伸ばすような運動をすること→毎日、猫背の運動はたるほどしている。
(4)たまには、ぼう~っとする半日を確保すること→性格なのか、貧乏性なのか、これができない。

 上記のようなことを習慣的に取り入れていかないと、ブログが老化してしまうような気がする。
 秋冬作の植え付けをする9月、10月は、週に半日の自由時間がなかなか取れないが、11月になるのを楽しみに、毎日の農作業に精を出している。



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 オンドリの足から出ていた血が止まった。普通ならすぐに止まるが、赤いものを見るとメンドリが突付くので、なかなか出血が止まらなかった。メンドリが突付くのを怖がって、この10日間ほどは、エサ以外の時は、止まり木に止まっていた。止まり木に止まっても、足の出血が目に入ると、止まり木のメンドリが突付きに行く。だから、止まり木の上で、足が見えないような止まり方(寝る時の止まり方)をしていた。

 その成果が出たのか、やっとオンドリの足の血が止まった。そうしたらまた急に元気付いて、ボクを攻撃対象にし始めた。右図のように、足を動かさなくても、地下足袋や作業ズボンを強く突付く。メンドリと違って、明らかに攻撃的に突付く。でもここでまた蹴飛ばすと、このオンドリはどうも怪我が多いので、タイミングを見てオンドリの目線をはずした。目線に沿った動き方をすると、確実に飛び掛かってくる。
 
 それでも、オンドリの足の出血が止まってやれやれである。痛々しいほど弱気なそぶりを見せていたから。



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 足音の地響きでわかるのか、トリ小屋まで15メートルほどのところに来ると、入り口に集まってきているのが、ざわめきでわかる。
 午後6時18分。デジカメを持って入ると全部のニワトリが入り口に集まってきた。でも、エサでないのがわかると、すぐにまた止まり木に上がり始めた。6時18分はもう薄暗い。梯子も置いているが、ほとんど梯子を利用することはなく、地面から1メートルほどの止まり木に飛び上がる。一羽は巣箱の上に、一羽は巣箱の中に寝ているが、他は止まり木に止まっている。

 いじめられていた3羽の内、巣箱の中で寝ている一羽はまだ群の中に復帰できないが、他の2羽は群に復帰しつつある。朝のエサやりの時は、3羽とも地面に下りてくるようになった。3羽だけ別途、他のメンドリからガードしながら巣箱の上や止まり木でエサを与えていたが、この5~7分が面倒になり、止めてしまったら、いつのまにか、3羽とも地面に下りてくるようになった。生きるためには、とにかく食わねばならない。
 
 いじめられた時、かわいそうなので、通常は隔離するようであるが、隔離すると、群に戻す時にすんなり復帰できるのだろうか。
 




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 インゲンの花が咲いた。右側のニンジンと同じ日に蒔いたが、インゲンはすでにこんな大きさである。今日やっと時間が取れて、インゲンを追い越そうとしていた草を抜いた。




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 竹の棒で混ぜる手間は1~2分だし、液肥の進行具合を見るのも楽しみで、、朝、夕、2回混ぜている。日曜日に仕込んでまだ4日目であるが、もう使えそうである。お彼岸が近いのにこの暑さだから、メタン菌もよく動いているのだろう。
 
 今は、肥料作りが楽しみになっている。作付面積が30アール余りあるので、担ぐのが大変であるが、10年後、自給用の家庭菜園だけになることを今から楽しみにしている。家庭菜園なら5アールもいらないから、現在の6分の1以下の面積で足りる。そして、農作業の半分を占める出荷作業がないのだから、1日、1~2時間の農作業だけで十分である。

 家庭菜園だけになると、下記、5作物を止めるかもしれない。

(1)ハヤトウリ
(2)ニガウリ
(3)トウガン
(4)ヤーコン
(5)5月収穫のコマツナとソラマメ
 
 しかし(2)~(4)はいずれも思い出深い作物であり、少量を作り続けるような気もする。(1)と(5)は止めるだろう。
 
 ハーブはハーブティ用ハーブの6種類だけを少量ずつ作るようになるだろう。
 
 家庭菜園になって、逆に現在より作物数が増えることはありえない。



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 画像はレタス2品種。左の畝にはアブラナ科野菜を植えているが、今年はまだ害虫のダイコンサルハムシがきていない。あまりに高温すぎるせいだろうか。
 害虫の被害はまだないが、地中をモグラが走り回って、これに弱っている。


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熊の出没

(2004年、10月の通信です) 

 最近のテレビで、全国各地の「熊の出没」が何度も取り上げられている。柿の木に登って食べている様子や、トリ小屋の金網が破られてニワトリが被害にあった様子や、人間も襲われるので、子供はランドセルに鈴をつけて登下校している様子等が映し出されていた。山の中に食べ物がなくなっているのだろう。
 10月の山の中には、マツタケやシメジなどのキノコ類、アケビ、山ナスビ、山ブドウなどの食べ物がいっぱいあったが、今、山は荒れ放題で、マツタケなどは全く生えなくなったし、山ナスビや山ブドウなどもほとんど見かけなくなった。これらの低木は、少しは「木漏れ日」があたらないと、育たない。

 
 一世代前の父母の世代には、稲秋が終わると、皆、競争で山に入り、地肌を「なめるくらい」、山をきれいにしていたと、生前、父が何度か話していた。
 
 
 ボクがまだ小学校にあがる前の頃、祖母に連れられて、遠方の山の下刈りに行き、飯ごう炊飯で、樹木の「赤ハシ」を利用して昼ごはんを食べた記憶がうっすらと残っている。「風呂焚き」や「クド」の炊きつけに、落ち葉や松がさ、焚き木などが、大量に必要だったので、冬期間の間に、1年分の落ち葉や焚き木などを確保する必要があった。まだプロパンガスが無かった時代である。

 
 昔建てられた田舎家では、軒下などに、「落ち葉や焚き木置き場」が設けられていた。我が家にもあり、現在はタマネギの吊るし場にしている。山の地面の落ち葉を熊手でかき集めて、きれいにきれいにしていたので、太陽光線の木漏れ日が、地肌にまで届いた。そこは、キノコのような菌類の絶好の繁殖場となった。そして、大木は、炭焼きや割り木(焚きつけ用)のために適度に伐採されていたので、山ナスビ(今のブルーベリーのような実)などの低木には、まことに好条件となった。

 
 現在、10月といえども、山に入る人は田舎でも皆無となった。もちろん自分も用がないので入らない。入ろうにも「ごそ」になっていて入れない。田んぼのすぐ傍らの低山は、45年ほど前には、たくさんマツタケが生えたので、10月の20日前後には、学校から帰ると、よくマツタケ引きに行った記憶がある。今は山は荒れ放題なので、マツタケなど生えない。

 
 山に分け入ると急に、原始のDNAを呼びさまされるような「わくわく感」と「恐怖感」にとらわれたことを、45年後の今でも思い出すことができる。それまで2000年以上の年月に渡って、山は「命の源」だった。それが、たった45年ほどの間に不必要になった。これは「文明の進歩」と考えられているが、実は、人間が自然(山の中)から切り離されて「文明からの疎外」を感じるようになった原点であると思う。そして、2000年以上の昔から、タヌキやクマやイノシシは、その「聖なる山」の中で、十二分に食べ物を見つけることができた。だから、里(人里)にまで、出てくる必要もなかった。
 落ち葉かきや下草刈り、高木の適度な伐採などで、山を大事に大事に「育てて」きたことが、結局、タヌキやイノシシ、クマやシカのエサ(菌類、低木の果樹、山栗、山芋、どんぐり等)の供給に役立ち、人間と野生動物が2000年以上にわたって共存してきたのである。しかし、たった45年ほどの間の「文明の急激な変化」により、山の生態系は崩れ、これらの野生動物も食べ物を求めて、人里に進出するようになった。人里には、柿の木や野菜畑があり稲が実っている。そして次の世代は、「証城寺」のタヌキや、「七つの子」のカラスような詩的な感情ではなく、「害獣」として見るようになった。
 
 
 今、山村では、これらの野生動物たちの大規模な進出により悲鳴をあげている。水がきれいで風光明媚な、農業に適した山村は、農業に不適切な地となり、車や人通りの多い都市近郊の田んぼでないと、野菜や米や果樹が作りづらくなっている。しかし、都市近郊では、価格が高騰すると2本足の害獣がしばしば出没するので、ここでも防御がむずかしくなっている。


 
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この国のレールから外れた時


 学校を卒業した年に偶然、あるいはたまたま入った職場に、定年まで勤め続けることが人生の成功者・・・そんなパック旅行のような人生しか、この国では生きる道がないのだろうか。自分がその路線にすんなり乗れなかった「ひがみ」かも知れないが、何かつまらなすぎる人生である。でもそうした選択をしないと、この国ではとにかく生きづらい。

 
 農業は自由な生き方であるが、経済的には底辺の生活を強いられるので、結局、自由な時間が持てない。つまり、サラリーマンなら、週に1回、もしくは2回の定期的な休みがあるが、農業者は7日間の内、7日間働いている人が多く、自由な生き方であるが自由な時間がない。
 自分が選択した生き方だから、休みが取れなくても、そんなにストレスにはならないが、60才を過ぎてからもこの状態を続けざるをえないとしたら、かなりしんどい。

 
 学校を卒業した年に入った会社に行き続けるというのが、経済的には安定するが、誰もがそういうコースに安住できるわけではない。そして、そういうコースから外れた人が、とても生きづらいのが、今の日本である。つまり、卒業後初めて勤めた会社に失敗しても、27~28才くらいまでなら、もう1回だけ敗者復活戦があるが、30才を過ぎるとほとんどなさそうである。30才を過ぎて、日本的なパック旅行的人生にうまくはまることが出来なかった場合、いったいどういう生き方をすればいいのだろうか。いわゆる日本的システムの「蚊帳の外」みたいな人生になると思う。この人たちの人生に、農業が前途洋洋と控えているなら、何と望ましいことだろう。この人たちを救えるのは農業だと思うが、今、農業はあまりにも殺伐とした状況である。

 
 30代の半ば、絶望的な状況の時、自分は農業をイメージできたが、それは我が家が元々農家であり、土地も農具も先生(父)も揃っていたからイメージできたのである。そんな背景がない人には農業など思い浮かばない。しかし、農業の他にどんな職業が、こういう人たちを受け入れてくれるだろう。
 

 現在はレールに乗れている人も、いつ何時レールから外れるかわからない。とても生きづらい世の中になっている。何でこんな風に、世の中は悪く悪くなるのだろう。農業にも全く未来を感じないが、この国にも未来を感じない。農業という、ある意味、理想的な職業についている自分でさえ、こういう心境になるのだから、若い20代、30代の人は、底知れない絶望感の中で生きているのではなかろうか。

 
 「レールから外れても農業があるさ」と言えるような手本を示したいが、自分自身がアップアップしているのだからどうすることもできない。




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田んぼのあぜで、今朝初めて、彼岸花を見つけた。昨日は目に入らなかったので、一晩で20センチほど伸びたのだと思う。今日は18日だから、例年より6日ほど遅れている。それだけ世間が暑いのだろう。今日も、盛夏のような1日だった。



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 ダイコンにまだ害虫がきていない。今日でちょうど1週間経過。第1関門は突破。蒔き直しにはならなかった。


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 今日、ハクサイを定植した。予備苗としてもらっていた義兄の苗を定植した。自分が育てている苗もあるが、まだ少し小さいので、それを予備苗にした。


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 ロケットはきれいに発芽した。ロケットの育苗期間は大体1ヶ月であり、10月7日頃の定植予定である。


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 今日初めて、サツマイモを掘った。左がベニアズマ、右がムラサキ芋である。外観が悪いし、野ネズミに食われている箇所もある。サツマイモは地上からはイノシシやシカが、地下からは野ネズミが狙う。堀り上げや選別にも時間がかかり、採算の悪い作物であるが、ワンパックには必須である。


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 左は管理機(ミニトラクター)、右は鍬である。鍬代わりになってくれるのが、管理機である。農業をスタートした年に買ったが、故障のほとんどない農具である。今日は畝上げをしたので、耕運爪のかわりに、畝上げ器をつけている。



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新しい「農」のかたち

 若い時代・・・もう戻りたくないなあ。結構、厳しい人生だったから。
 今は、平凡な日々を送っている。大半は家と田んぼの往復である。そんなに稼いでいないが、すでに家族4人が働いているので、自分の収入がアルバイト収入程度でも我が家の生活はまわっていく。農業収入は誰もそんなもんじゃないかなと思う。手取り(純売上)150万以上を稼がないと生活がまわっていかないのなら、農業への転身は考えない方がいいと思う。

 
 普通にこつこつと農業をやって、できた野菜を青空市や道の駅、朝市に出荷して、それで手取りが150万ほどになるなら、現役世代の農業人口はすぐに現在の10倍ほどに増える。手取りが100万にもならないから、農業をしたくても誰も農業を選択できないのである。

 
 ブログランキングの「転職・キャリア」のランキング第1位は、『新しい「農」のかたち』というブログであり、ブログの紹介に、『「農」の魅力って何? 「農」の可能性って何? 新しい「農」のかたちをみんなで追及していきましょう。』と書かれている。

 

自分が考える農業の魅力は

(1)毎日、土の上を歩くことができる。

(2)空や雲を時おり眺めながら、お天道様の下で働く仕事である。

(3)小鳥のさえずりや、山里の四季の変化を楽しむことができる。

(4)人の目顔を気にする必要がない

(5)誰に責任転嫁することもできない独立自営業の仕事である。

 

 自分が考える農業の可能性は

(1)資本主義が発達すればするほど、農業は割りの合わない仕事になる・・・集落の50年の農業をみてくれば、一目瞭然である。

(2)「資本主義と農業経済」のような本の中で、農業は高度資本主義のもとでは、ほとんど利潤を得る(生み出す)ことができない産業であることを、理路整然と説明している本があると思う・・・自分が読んでいないだけ。

(3)ここ50年のニワトリの歴史、ここ50年の人間の歴史、を見れば、今後の農業の推移も大方予想ができると思う。つまり、

 ニワトリ・・・20~30羽の庭先養鶏が、地面から離されて、身動きできないケージで何十万羽単位で飼われるようになった。

 人間・・・田んぼの地面から離されて、組織の一員として企業に勤めないと生活ができなくなった。

 今後の農業・・・大きく二極化される。一つは、趣味や癒しのための定年帰農型農業と、企業が進出した企業農業である。そして現役世代の農業も、定年帰農型農業か、大型投資スペシャリスト型の企業類似的農業に二極化されていくと思う。

 

 自分が考える、新しい「農」のかたちは

 都市生活者に直接お届けするワンパック宅配は、17年前の当時としては、とても斬新な農業形態に思えた。これこそ、新しい「農」のかたちと思った。しかしこのワンパック宅配は、

(1)10年程の間に家族構成が変化して、10年を超えて続けてもらうのは難しい。

(2)新たな顧客の獲得が難しい。

(3)家族構成が少なくなり、ハクサイ1個、ナンキン1個、タマネギ1キロ、ジャガイモ1キロ、サトイモ1キロといった、生産者としては最低限の単位が、消費者からみると、その半分にしてほしいという要望も出る。小さくすればするほど、生産者は仕分けが多くなり、送る箱のサイズもイメージできなくなる。

(4)当初に決めた野菜の単価は十年一日のごとく、アップは難しい。自分の場合はすべて17年前の価格から全く変わっていない。

(5)完全無農薬でもいいが、それを消費者が理解してくれて、失敗して送ることができなくても(特にアブラナ科野菜)、現物代金を頂けるシステムでないと、それは固守できない。

(6)生産者から見れば安すぎる。消費者から見れば、送料も負担しているし高過ぎるというふうに、お互いの間に溝ができやすい。このギャップをどうするか。

(7)ワンパック宅配の生産者から考えると、野菜単価は、通常のスーパー価格の2倍くらいでないと、なかなか採算は合わない。

(8)だから、ワンパック宅配を選択する生産者が増えない。ワンパック宅配を始めても、いつの間にか農業形態がスペシャリスト型に変わっている。

 

 現役世代の農業にとって、経済を抜きにした安全や環境は考えられない。まず生活が成り立っての、安全や環境なのである。安全や環境を求めるなら、生産者のリスクを消費者が保障する必要がある。でもそれをしようとすると、生産者と消費者の「緩やかな関係」が保たれず、ミクシイ的な排他的(簡単に出たり入ったり覗いたりできない関係)な、ある種のステイタス的な関係になってしまいそうである。

(注)ミクシイのことはよく知らず、グーグルで検索したら、完全招待制のネットワークのように書かれていたので、排他的と解釈しました・・・→間違った解釈かも知れません。

 

 結局のところ、日本の農業は、企業が支えるようになると思う。個人農では支えきれないくらいすでに衰退している。 
 現役世代の農業は、高度資本主義の下では、ますます経済的に成り立たなくなり、趣味や癒しのためにする定年帰農型の農業がとっくに個人農の主体になっている。


 新しい「農」のかたち・・・18年目の自分にも全く見えてこない。


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液肥を担ぐ

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 このヘビは全然怖くない。近づくと逃げる。怖いのはハミ(マムシ)だが、当地にはあまりハミはいない。


 
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 ダイコンにもカブにも、ダイコンサルハムシはまだきていない。朝、夕、確認している。


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 ニンジンはまだ、こんなにか細い。19日で種蒔き後1ヶ月がくる。初期成育はゆっくりだが、ここから急に大きくなる。今月中に2~3回間引いて、追肥の液肥を1回施すと、ニンジンに関する世話は完了。11月上旬から出荷。



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 今日は、右の画像の田んぼに16荷、担いだ。16荷(1荷は18リットルほど×2=36リットル)も担ぐとさすがにえらい。でも、昼から待望の雨が降り始め、心地よい雨音を聞きながら、4時過ぎまで昼寝をした。
 直、施肥量は、150センチ幅、16~17メートルの長さの畝に2荷を基準にしている。


 肥料は難しい問題である。自分の場合も、仕込みはごく簡単であるが、施す時がかなり重労働である。1回に4荷ほどだったら楽しく担げるが、それ以上になるとかなりしんどい。


 近所の家庭菜園の人は100パーセント、化成肥料を使っている。化成肥料は軽いので、施す時が、とにかく楽なのである。年がいくと、重い物を持ち運んだり、重労働になることは敬遠する。液肥を担ぐなどは論外である。有機質肥料なども重いので使わない。


 加えて、近所の家庭菜園の人は100パーセント、除草剤を使っている。黒マルチを張る重労働を思えば、除草剤の方がはるかに簡単だと思っている。黒マルチを使っているのはサツマイモくらいである。


 加えて、近所の家庭菜園の人は100パーセント、農薬を使っている。当集落で、農薬を使わない家庭菜園をしている人を、たったの一人も知らない。「家庭菜園だから安全志向だろう」というのは一面的な見方である。何を安全と感じるかは、実に個人差が大きい。年配の方は特に、農薬を使われる方が多いように思う。


  
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 途中で、右の画像のようにタゴが壊れた。この部分がよく壊れて、2年に1度はタゴを買っている。1荷で36リットル(18リットル×2)ほど担ぐのだから、この部分の強度をもう少し増して欲しいと思うが、何の補強もはいっていない。



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 液肥タンクが半分になるまで使ったら、ヌカとナタネカスを4対1、もしくは5対1くらいの割合で補充して、その後、井戸水をポンプアップして8分目ほどまで入れる。



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 上の画像のように8分目ほどでとどめるのは、ヌカが上にはみ出てくるからである。多分、メタンガスが発生して、ヌカを押し上げているのだと思う。よく混ぜて完了。


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言葉は排泄物

 草取りをしていると、言葉が次々と浮かんでは消えていく。水やりをしていても、言葉が次々と浮かんでは消えていく。

 
 言葉は瞬時に頭の中を通り過ぎて、跡形もなく消えていく。頭に浮かんだ、そんな言葉の断片を残すには、すぐに軽四に走り、忘れないうちにメモ書きしておく。そんなメモ書きがたくさん残せた日には、ブログもスムーズに進む。

 
 今日のこの時に、頭に浮かんできた言葉は明日はもう浮かぶかどうかわからない。そんな言葉の一つ一つを自分が生きた証として残したい。こんな時、ブログは最も優れた記録装置だと思う。ブログは城。言葉と画像によって作り上げた城。本などには収まりきらない、圧倒的な大きな空間。本が地球なら、ブログは宇宙。

 
 朝起きた時から、ブログのことを考えている。自分には何もないから、ただ、言葉だけを残したい。17年前には、たった400字の作文を書くのにも、かなり時間がかかったのに、ワンパック宅配の必要性に迫られて、月に1回、お届け日と、その月にお届けできる野菜と、田んぼの様子などを書いているうちに、いつのまにか、書くことがそんなに負担にならなくなり、いつのまにか、書くことが少し楽しみになっていった。そして今、何よりも、誰よりも、自分にとって大切なものはブログ。

 
 言葉は土から生まれてくる。土と対峙しているから生まれてくる。地下足袋で土の上を歩いているから生まれてくる。快適なオフィスや、高層住宅の一室からは、乾いた言葉しか生み出せない。

 
 年齢も関係ない。50代には50代の言葉がある。富も名誉も地位も、言葉を生み出してはくれない。言葉はいつも、激しく自分と対峙している時に生まれてくる。でも、貧しすぎても言葉は残せない。言葉を残す記録装置も買えないし、言葉を残す時間もないくらい働き続けているうちに、身も心もひからびてしまう。


 小鳥のさえずりに耳を傾けているわけではない。

 空の雲をゆっくりながめたりすることもあまりない。

 あぜ道の草花に気を止めることもあまりない。

 カエルやコオロギやバッタに注意を向けることもない。

 それどころか、急いでいて、ふみつけることもある。



 言葉は体内から出てくる。頭からはあまり出てこない。汗とも違う。まるで排泄物のようなものである。

 
 自分には古典も漢文の素養もない。古今東西の著名な本もそんなに読んでいるわけではない。学生時代に一般の人より多く読んだかも知れない程度である。働き出してからは、1冊の本を読む余裕も持てなかった。だから、使いこなせる単語量が少ない。でもいまさらどうすることもできない。自分が知っている言葉で書き続けるだけである。落ち込んだら、これは文学書ではない、訪問者さんに役立ちそうな情報を「箇条書きにすればいいんだ」という原点に戻る。

 

 昨夜から今日日中にかけて、強い熱風が吹いた。暑いだけならまだしも、風が強いと余計に乾いて、作物にはかなりストレスになる。その被害を最小限にとどめるのが「長年の経験」だと思う。

 昨日蒔いたロケット、ディル、チャービル、シュンギクにかぶせたクン炭が、風で吹き飛ばされていたので、日避けに、下図のようなものをかぶせた。左は黒い寒冷紗、足らなかった部分はヌカ袋をハサミで切って広げて利用した。右はムシロを利用した。

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 ダイコンやカブの蒔きなおしは、大きなロスである。

(1)時期的にかなり遅れる。つまり、ダイコンやカブの種蒔きの1週間の遅れは、収穫で1ヶ月余りの遅れにつながる。

(2)新たに種を買う必要がある。忙しい時間をぬって買いに行く必要がある。

(3)蒔き直しとは、田んぼを変えることである。同じ田んぼの中には、蒔き直しはできない。

(4)蒔き直しのことも視野に入れて、前もってダイコンやカブの蒔き直しの場所を確保しておく必要がある。これも二重手間である。耕運だけでなく畝立てもしておく必要がり、肥料も散布しておく必要がある。

(5)失敗するまでに費やした水やりの時間も無駄になる。

(6)新たに種を蒔く時間や、新たに水やりをする時間も必要になってくる。

(7)蒔き直したからと言って、成功する保障はどこにもない。


 こうみてくると、蒔き直しは致命的になることが多い。最初の1回で成功させる必要がある。数年作ってみて、何回も害虫による被害を受けるのであれば、あまり完全無農薬にこだわらない方がよい。
 
 
 秋冬作のワンパック宅配において、ダイコン、カブ、ハクサイ、キャベツのアブラナ科四天王の内、どれか一つでも送ることができないなら、それは大いに困る。2つも送れなければ、それは顧客が続けてくれない原因にもなる。3つ以上失敗したなら、その年の秋冬のワンパックは送れない。

 
 害虫が来ているのに、見て見ぬふりをしたり、来てるなあ、来てるなあで、ただ傍観していたり、やられた、仕方がない・・・、そんなことを繰り返してはいけない。2~3年などすぐ経過してしまう。その時点の技術力で防御できないなら、農薬の力も借りる必要がある。その農薬も

(1)特定の害虫に効果のない農薬を使っても意味がない

(2)規定量よりごく少ない使用量なら、使っても効果がないと思える

(3)使い方を誤ると効果がない場合もある

 顧客に直接送るワンパックなら、その間の事情を書いてワンパックに同封するなら理解はしてもらえるはずである。農薬を使う必要があるのはアブラナ科野菜だけ(くらい)であるから。



 独立自営業の場合、当人の実力が端的に現れる。

(1)面積が30アールしか作れないのも実力

(2)モグラを捕まえることができないのも実力

(3)高畝(畝立てを高くする)にできないのも実力

(4)紐結びがうまくできないのも実力

(5)草刈機の刃がとげないのも実力

(6)支柱がうまく立てれないのも実力

(7)電柵がうまく張れないのも実力

(8)カラスの防御がうまくできないのも実力

 自分の身体が動いてくれる範囲が実力である。


 

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年回り

 過ぎ去ってから、大事な年回りだったんだなあと気付くことがある。自分の場合のそれは、
(1)学校を卒業して就職する頃
(2)30代の半ば頃
(3)40代の末頃
 
の3地点である。

 
 (1)の学校を卒業して初めて就職する時の就職先は、よっぽど腰をすえてかかる必要があると思う。自分の場合はその段階ですでに落伍していた。

 
 (2)は、卒業して15年、第2の人生が始まると言われる時期であるが、フリーターさん、転職を繰り返している人、現在無職の人にとって、最も大事だと思えるのが、この年回りである。(1)の人生に失敗していても、(2)がうまくスタートできれば、十分に取り戻せる。でも(2)のスタートは、実際は(1)の延長線上にあるので、(1)の生き方が(2)の選択に大変重要な意味を持つと思う。

 
 (3)は、最後の転身ができる時である。サラリーマンでは(2)が最後の転身であり、(3)はありえないと思う。だから(3)があるのは、独立自営業の人である。30代の半ばからまた15年ほどが経過した年齢である。農業者の場合には、農業形態の変更ができる最後の年回りである。40代の末に切り替えることができれば、65才頃まで15年残っている。
 
 
 自分のように50代の半ばに突入すると、泣いてもわめいても、まもなく職業人生のカウントダウンが始まってしまう。カウントダウンが始まると、現在おかれた状況にしがみついて、職業人生を全うするしかない。

 
 50代に入ってからの、あめんぼ通信に費やした膨大なエネルギーと時間を考えると、もしこれを専門作物の方に費やしていたなら、また人生が変わっていたかもしれないと思う。ただし、専門作物を持つなら、

(1)新たな投資にいくらくらいかかるか

(2)台風の被害のない専門作物

(3)水をどう調達するかの問題

(4)売り先をどうするかの問題

(5)農薬がどれくらい必要になるか

(6)技術力が備わるかどうか

という、いろいろな問題が浮上してくる。


 葉タバコ栽培をみてきて・・・→乾燥場という建物の負債だけが残った。


 豚を見てきて・・・疾風のごとく集落にやってきて、たった5年ほどの間に疾風のごとく去っていった。後には豚小屋という負債だけが残った。今、我が家では軽四の車庫になっている。


 麦をみてきて・・・数年前に補助金が出なくなってから、誰も麦を作らなくなった。


 そして現在の稲作をみて・・・あまりに安すぎる。


 専門作物を持つには、(1)~(6)のようないろんな問題をクリアする必要があり、子供の頃から集落の農業を見てきていたので、40代の末頃、自分の中で専門作物のイメージが全くわいてこなかった。



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実りの秋。当地の稲刈りは10月上中旬頃から始まる。




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 9月11日(火)に蒔いたダイコンが今日9月14日(金)に芽吹いた。



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 同じく9月11日に蒔いたカブも今日芽吹いた。ダイコンにもカブにも、ダイコンサルハムシはまだ見えない。密度が高い時は、発芽と同時にやられてしまうが、害虫が見えない理由は、

(1)農薬(オルトラン粒剤)が効いているのかも知れない。

(2)暑さが一段落ついてからの15日以降に出てくる場合が多い。

(3)とにかく、18日(火)までが、第一関門。この4日間をしのいでくれれば、「蒔きなおし」はしなくてすむ。というか、20日以降の蒔きなおしは、時期的に遅すぎる。



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 シュンギクの2回目、チャービル(ハーブ)の2回目を蒔いた。どちらもこれが最後である。育苗して定植。
 
 チャービルは「グルメのパセリ」と呼ばれる。イタリアンパセリより、葉も香りもより繊細な感じ。
 
 ディルとチャービルは春夏作は作りづらいので、秋冬作だけ作っている。




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 ダイコン、カブと同じ日に蒔いたロケットも芽吹いた。ハーブは作っていない人も、このロケットだけは作っている人が多い。
 理由は、
(1)炒め物
(2)おひたし
(3)生食
 という3拍子揃った調理法ができるからである。特に、レタスやキャベツと合わせた生食がお勧め。ごま風味の葉物で、外観はホウレンソウそっくりである。耐寒性もきわめて強い。



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 ブロッコリーをどこに定植するか迷った。というのは、秋冬野菜は2月末に片付けて耕運するが、このブロッコリーだけは、わき芽が次々に伸びて、3月のお彼岸頃まで食べれるから、2月末に片付けてしまうのはもったいない。加えて、3月下旬は、1年で最も野菜の少ない時期であり、ブロッコリーは貴重な自給用の一品になる。
 定植に適当な場所がなく、結局、キャベツの隣に定植した。苗の時は、キャベツとブロッコリーはそっくりである。




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 レタス2品種。コスレタス(外葉は炒め用、中心部は生食)とチマサンチュ(葉をもいで利用するチシャ)。
 
 レタス、ホウレンソウ、ロケット、シュンギク等に、この黒マルチを利用すると、泥はねがないので、出荷の時に洗う必要がない。これも黒マルチの大きなメリットである。
 
 なお、黒マルチに定植する時は、定植後に、透光率の低い黒の寒冷紗を1週間かぶせて、苗がなえないようにする。10月末の定植でも、寒冷紗は必須である。


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 来週からサツマイモを出荷する予定である。イノシシにやられませんように・・・。



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 6時45分のニワトリ。夜分におじゃましました。なお、1月の大寒の頃には、この止まり木ではなく、入り口の左の隅のコーナーで重なり合って寝る。
 もうかなり暗いが、この時間帯まで田んぼで農作業をしている。暗くても、水やりくらいはできる。


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8~17年目の記録

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 8月19日に蒔いたニンジンの現在。生育率は40%ほどである。今年の気象状況からして、40%でも仕方がないと思う。


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 ニンジンと同じ日に蒔いたインゲンであるが、雑草がインゲンの背丈にせまりつつある。これを見て、ニンジンの草取り(草削り)をどれくらいしたか、わかってもらえると思う。




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 青シソの花。シソは花もいい香りがするので、花も葉も使える。ワンパックには必ず入れているが、こんなのが案外喜ばれると思う。




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 22本定植したピーマンの内、現在は8本しか残っていない。ここ2週間ほどで「青枯れ病」が多発して14本も枯れた。同じナス科でも、ナスビに青枯れ病は出ない。病気が発生しなければ11月中旬頃まで収穫できる。


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 この田んぼはナンキン跡地。すでに一部、液肥を施している。一雨が降り、土が湿ってから、黒マルチをする。ホウレンソウ、ロケットの定植予定地である。


 ロッククライミング(岩盤をよじ登ること)をする場合、両手、両足のうち1本はぶらぶらさせておいて、いつも動かせる状態にしておかないと、前へは進めないらしい。この例えでいうと、自分の場合は両手、両足に余身がなく、次なる一歩がなかなか出せない。そんな余裕のない農業をしている。農業をする前のサラリーマン時代もほとんど精神的な余裕のない生活を送っていたから、ずうっと余裕のない生活が続いている。精神的にも、経済的にも、時間的にも。

 
 何回も転職を繰り返したから、就職先を選ぶ難しさもわかる。入ってみないとわからない面も多い。そして、入ってしまったら、すぐにはなかなか止めれない。中途から使ってくれるような企業にいい企業はあまりない。しかし、多くは妥協せざるをえない。文句を言っていたら使ってくれる所がない。そんな時、何か独立してできる仕事はないかなあと考えるが、手に職も、資格もない人間に、独立してできるような仕事はない。その時自分は農業を選択したが、17年前より現在の方がますます、農業の選択が難しくなっていると思う。
 
 

 17年間やってきたが、現在の自分の状況も甘くない。しかしもうそんなに若くないので、現状をキープしながら続けるしかない。がんばる方向がちょっと違ったかもしれない。でも自分がそのような選択をしてきたのだから仕方がない。

8年目・・・・・ハーブの導入、ドラムカン炭焼き体験
8年目末・・・百姓塾の立ち上げと看板作り、新聞社売り込み

9年目・・・・・秋に井戸が完成
9年目末・・・百姓塾の営業

10年目・・・・バジルの最盛期に電話営業
10年目末・・ドラムカン炭焼きに費やす

11年目末・・パソコン習得に費やす

12年目末・・家の改修

13年目末・・13年分のあめんぼ通信を1冊の小冊子にした
以後、冬の農閑期は毎年一冊の小冊子作りになった。

16年目末・・小冊子作りが挫折

17年目・・・・4月にノートパソコン購入、7月にブログ開設
ブログを始めてしばらくたってから、ブログは自分に向いていると思った。




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ネットカフェ難民・農業難民

 夕暮れの1時間~1時間半は、1日の内で最も能率の上がる時間帯である。5時がまわると日が沈んで急に涼しくなる。

液肥を混ぜたり

ニワトリの水を入れ換えて、雑草を与え、タマゴを集めて

2種類のレタスを定植し、

昨日蒔いたダイコンとカブに水やりをして

昨日蒔いた、ロケットとチャービルの育苗床に水やりをして

昨日植えたキャベツに水やりをして

2~3分デジカメで写したり

ネギを定植したり

した。今日は5時前に出荷が終わってからの1時間半ほどの作業だったが、これだけのことができた。

 
 9月12~14日頃は、季節が音を立てて変わり始める・・・そんな時期なのに、今日はまるで真夏日だった。明日からは、曇り、雨のマークが出ているが、期待していいのだろうか。


 長年農業をしていると、その時期、その時期の農作業が頭に入っているので、シミュレーションができる。シミュレーションができるようになったのは、農業歴が一回り(12年)経過した頃だった。


 定年後から本格的に農業を始める人は多いが、その人たちより20年早く農業を始めたということが、今の自分の自信になっているし、貴重な経験をさせてもらったと思っている。

 
 
 では逆に、一介の銀行マンとして、定年まで勤め上げたとして、定年後の人生にどんな展開があるだろうか。

旅行三昧の日々を過ごすだろうか

趣味に没頭した日々を過ごすだろうか

ボランティア活動を中心にした日々を過ごすだろうか

楽しみの家庭菜園を中心にした日々を過ごすだろうか


 定年後のそういう人生は自分には似合わないような気がする。一定の組織に「はまらず」、独立自営業をずっとしてきたからこそ、今後も自分らしく生きれると思う。


 農業を始めてからこっち、周囲の田んぼで毎日のように見かけた人が、一人亡くなり、また一人亡くなりして、多くの人を見送ってきた。その人たちの家庭菜園をずっと見てこれたし、定年後は、こういう生き方をするんだなあということも参考になった。自分より20才以上年上の人がほとんどであるが、彼らの世代ももう農業を本業としてはいなかった。ただ、休日には必ずといっていいほど農業をしていた。働きながら、稲作と家庭菜園の両方の農業を続けてきたのが、現在70~80才の方である。

 
 ここ4~5年の間に定年を迎えた人も近くに何人かおられるが、彼らの世代も、サラリーマンをしながら休日には農業をしてきた世代である。だから、定年後も今までの延長みたいな感じで農業をしている。高度成長で日本がまだいい時代だったのだと思う。
 

 今の現役世代のサラリーマンは、田舎でも農業掛け持ちはほとんど見かけない。多分、時代が世知辛くなり、休日でもサラリーマン関連の勉強をしたり、あるいはぐったりしているのだろう。自分も36才の時まで農業は全く手伝わなかった。そんな時間的余裕もなかった。両方やっていたらまた違った展開があったかも知れないが、全く農業をしてこなかったので、農業がとても新鮮に感じたし、太陽があまりにもまぶしかった。

 
 銀行マンを40年して、定年後、旅行や趣味三昧の日々を送る、もう一人の自分がいるとするなら、経済的に厳しくても、農業とブログをやっている、もう一人の自分の方がいい。

 
 サラリーマンをしていて、勤めていた会社が倒産したら、困るだろうなあと思う。特定の組織に属していない状態というのは、経済的には試練である。新聞などでよく「ネットカフェ難民」という言葉が出てくるが、正しくは「資本主義難民」である。その状態は、今後の資本主義社会では飛躍的に増えるだろうし、「明日は我が身」であると思うが、ある日突然そういう状況になるということを誰もあまり信じたくないのだろう。 

 
 農業者も資本主義難民である。ネットカフェ難民と農業難民・・・何かよく似ている。共産主義難民や国を追われた難民は、新しい国や地域でまた生きがいを見出すことも可能だと思うが、我ら資本主義難民は、立場や境遇のあまりに違う人たちと同居している状態である。見解の相違や意識のずれは甚だしくなり、お互いにお互いの立場が理解できないような状態になりやすい。自分自身もすでに、境遇の違う人とは、同じ時間や場所を共有したくなくなっている・・・。


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ダイコンの種蒔き

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 今日、ダイコンの種を蒔いた。13日の木曜日に蒔く予定だったが2日早くした。
 
 1回でぴしゃっと成功させたいが、ダイコンサルハムシという害虫がくるので、どうなるかわからない。
 
 すでに畝立てをして液肥を施してあるので、鍬で浅く蒔き溝を作り、種を落とすだけである。左側の1列にカブを、右側の1列にダイコンを蒔き、右の画像の「トンボ」で土を薄くかぶせて鎮圧する。この「トンボ」という農具は、1年に1回、カブとダイコンを蒔く時だけに利用する農具である。多分、祖父の代から使っていた農具だと思う。

 種を蒔いた後、今年は、蒔き溝に「オルトラン粒剤」という農薬を使った。去年使った「フォース粒剤」は、ダイコンサルハムシに全く効かなかった気がしたので、今年は変えてみた。結果は1週間過ぎてみないとわからない。害虫の被害が大きければ、18日の火曜日に蒔き直しである。蒔き直しのことも考えて、2日早く蒔いた。

 オルトラン粒剤を振って、トンボで土を戻してから、その上にクン炭を厚めにかぶせる。クン炭をかぶせるのは、日避けと、強い夕立避けである。その後、井戸水をポンプアップして散水した。
 



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 あぜ際の1列にはキャベツを定植した。極早生品種を60本、早生品種を140本、合計200本ほど定植した。今年は久しぶりにいい苗ができた。毎年、育苗の段階で害虫にやられることが多かったので、今年は、苗にかぶせる寒冷紗の網を変えてみた。そうしたら、ほとんど被害がなかった。なお、植え次苗(補充苗)として半分の200本ほどを残しておく。キャベツも、定植後、株元にオルトラン粒剤を少しずつばら蒔いた。




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 ロケットの第1回めと、チャービルを蒔いた。これらは、キャベツのようなポット育苗でなく、地床育苗である。
 
 真ん中の画像のクワを使って少し畝を高くして、ヨツメで水平にならす。その後、フルイの下の木切れで、育苗床をもっと細かい土で水平になるようにしてから種を蒔く。

 ロケットは、ハーブの中では数少ない「アブラナ科」に属するため、野菜のアブラナ科と同じ害虫(ダイコンサルハムシ)がくる。同じくオルトラン粒剤を振ってから、真ん中の画像のフルイを使って、細かい土を蒔き床に落とす。育苗床に種を蒔いた時は、必ずこのフルイを使って種に土をかけている。その後、クン炭を厚めにかぶせて散水する。


 秋のアブラナ科野菜には虫害が多い。当地では特にダイコンサルハムシにやられる。下記の6種類だけは農薬を使うようにしている。
(1)ダイコン
(2)カブ
(3)キャベツ
(4)ハクサイ
(5)ブロッコリー
(6)ロケット(ハーブ)→育苗時のみ。定植後は使わない。

 アブラナ科は、この6種類にしぼり、できるだけ作付けを少なくしている。たくさん作ると、ダイコンサルハムシを大量に繁殖させてしまう。6種類の中ではロケットの被害は少ないが、育苗時にやられると致命的となる。


 出荷農家で、このアブラナ科野菜を完全無農薬で作っている人をあまり知らない。2~3年被害がなくても、ある年、急に発生する。一度発生すると、その周囲の田んぼに被害が広がり、常駐して、毎年この時期に発生してくる。防ぐには、

(1)周囲に家庭菜園のない、稲作に囲まれたような田んぼに作る。

(2)秋に何度も繁殖を繰り返すので、初期に「おびき出し作戦」をして、湯をかけて殺す。「おびき出し作戦」とは、定植や種蒔き予定地に、3~4日前に、アブラナ科野菜の葉を5メートルに1箇所ほど置いておくと、ダイコンサルハムシがそれに群がってくるので、その段階で集殺して、繁殖初期に徹底してたたく。


 (1)の人も(2)の人も身近に知っているが、どちらの方も技術力が極めて高い。これができれば、アブラナ科野菜でも、完全無農薬でできる。何回かトライしたが、自分には難しすぎた。



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 今日のごちそうは、一部腐りかけたナンキンとエンサイ。
 


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森田療法、「あるがまま」

もう随分昔、精神科医の森田博士が開発した「森田療法」のことを説明した本を読んだことがあるが、それによると、「あるがまま」の対極に位置する言葉として「はからい」をあげ、「はからい」とは、どうしようもないことを予測してみたり、見当をつけたり、もくろんだりすることらしい。


 森田療法は、わからないことをあれこれ考えて悩んだり、おかしくなったりするよりも、まず不安を抱いたまま行動するーこれが実践によって裏付けられた森田理論(療法)のエッセンスだと書いている。


 自分はこの「はからい」をよくする。もうすんでしまったことだから、どうしようもないことなのに、ああでもない、こうでもないとか、ああしておけばよかった、ああすることもできたのでないかと考えたりする。

 
 自分がまたそれに「囚われだした」のは、最近あった二つの事柄が原因である。

 一つはサラリーマンをしている同級生が、サラリーマンをしながら稲作と、ハウス4棟で花作りをしているということ。

 もう一つは、自分より8才ほど年上の方が、数年前からイチジクを作り始めて、少しずつ規模を拡大しているということ。


 つまり自分も、ワンパック宅配と並行して、何か専門作物を一つ持って、それを続けておけばよかった・・・という後悔の念である。
 ワンパック宅配だけでもかなり忙しかったので、それと並行して専門作物を持つことは「寝る間も削って」ということになるが、サラリーマンをしながらやっている人は、現にそれをやってのけている。
 自分の新しい運命を切り開いていくような人は、たいてい「並行処理」をしている。一つだけをしていたのでは、その一つが頭打ちになったり、先の展望が見えなくなったとき、自分の「変わりしろ」がない。並行処理を続けていれば、ある日突然のごとく、どちらか一つに切り替えて、それを伸ばすこともできる。
 頭で考えるのではなく、とにかく、何か専門作物を一つもって、それを続けておけば、十数年の後に、もしかして、新たな展開でもあったのではないかと思う。時間は何とでもなるし、それを1日の中に組み込んでしまえば、できたのではないかと思う。

 
 自分の場合、「特定の専門作物を持つことは苦手」という先入観があまりに強すぎた。イチジクを例に取ると、イチジクには7つのステージがあり、そのうちの3つほどはあまり苦にならない、もしくは得意なステージもあるはずなのに、そのうちの1つに対して、あまりに苦手意識が高く、イチジクはだめと考えてしまった。つまりイチジクには、

第1ステージ・・・イチジクを植える場所を確保する。水をどうするか考えて場所を決める。

第2ステージ・・・当初の面積をどれくらいにするか、苗木が何本必要か、金額はどれくらいになるか。

第3ステージ・・・植えた後の肥料、冬の作業である枝の剪定、誘引など。

第4ステージ・・・イチジク全体を暴風ネット(兼防鳥ネット)で囲う。

第5ステージ・・・イチジクの病害虫防除作業

第6ステージ・・・イチジクの収穫作業

第7ステージ・・・イチジクの仕分け出荷作業

 
 イチジクは植えつけて2年後には生り始めるし、防除作業はさほど多くないし、ハウスのビニールのように、風で破れたり、短期間に産業廃棄物になることもない。高所作業もないし、難しい剪定や誘引作業もなさそうである。つまり、第4ステージ以外は、苦手な作業はあまり出てこない。それなのに、この第4ステージの苦手意識を過大に捉えすぎたきらいがある。どんな専門作物でも、このように7つほどのステージは出てくるし、1つや2つの苦手項目は出てくる。その部分は他人に依頼してもよいし、大きな金額でないならカネで解決できる部分である。とにかく2つの誤りをとても後悔している。

(1)ワンパックと専門作物は並行処理できないと考えてしまったこと→並行処理できないなら、次なるステップは何も生じない。

(2)7つのステージの内のたった1つの苦手なステージに囚われ過ぎたこと。

 

 いいわけがましいが、野菜の専門作物に関しては、考えないこともなかった。もう5年以上前のことであるが、ワンパックと並行して専門作物を持とうと考えた。その時、専門作物としてイメージできた作物は下記の5つだけだった。

(1)エンサイ
(2)ツルムラサキ
(3)青シソ
(4)シュンギク
(5)不結球レタス

その他の作物は何か不得意な作業が出てきたり、病害虫が多かったりして、専門作物にできるとは思えなかった。上記5つなら、専門作物にすることも可能だったが、販路が思いつかなかった。農協出荷や市場出荷は全く考えなかった。

 
 その時に果樹は想像しなかった。イチジクが俄然、自分の中で浮上してきたのは、出荷の往復で毎日目にすることと、最近よく新聞で取り上げられているからである。イチジク以外の果樹はとても想像できない。多種類の果樹を植えているが、1~3本から増やそうと思ったことはない。

 

 しかし冒頭に書いたように、もう、どうあがいても、どうはからってみても、専門作物は持てない。今からでは、人生の時間切れである。
 資格試験でも、学生の間に取るとか、その後の3年間猶予をとって25才までに取れなければ、ずるずると続けない方がよい。20代後半~30代前半の「資格試験崩れ」は、その先の進路が難しすぎる。つまり、資格試験でも時間切れがある。大学浪人でも1年が限度だと思う。何でもだが、「旬の年齢」とか「旬の時期」があるから、それを逃すとより難しくなる。

 
 そして自分の場合、50才までに何か一つ専門作物を持ち、ワンパック宅配と並行処理をしてくればよかったという後悔があるが、並行処理してきたものが一つだけあり、それは「あめんぼ通信」である。農業歴と同じ18年目に入っているがまだ何の進展もない。

 
 専門作物だから、農協出荷であるとか、市場出荷と単純に考えなくても、かなり大規模なトマト専門農家やイチゴ専門農家が「直接販売」だけで売りぬいているのを時々見ると、それぞれの農家の生き抜く才能のすごさを感じる。

 
 並行処理をしてきていれば、専門作物を持つということに対して「あきらめ」や「自分なりの納得」もできたであろうし、農業志願者に「専門作物に関しての経験を伝える」こともできたであろうが、やることができなかった(やってこなかった)ために、具体的に説明することもできない。

 
 いろんな人の田んぼ訪問に行かせてもらっているが、いわゆるスペシャリスト型(専門作物型)農家への訪問はほとんどない。自分にない能力で農業展開をされている方の農業を見ても、ただ、感心したり、感嘆するだけで、農業志願者の参考になるようなことが書けない。

 
 定年後に始める方も結構いるのだから、54才などまだまだ若いし、後10年、運がよければ15年はできるかもしれないが、3~4アールの規模でも、イチジクの場合30~50万ほどの初期投資金額が必要だろうし、元が取れるかどうか、儲かるかどうかは、やってみて年月が経過してみないとわからない。

 
 そして、この30~50万という金額は、農外収入があるならまだしも、長年、農業だけをしてきた者にとって、新たな投資などの余裕のカネはほとんどなくなっているのが現実ではなかろうか。

 
 自分は農家の子弟であり、脱サラして17年あまり農業をしてきているが、トマトやイチゴやブドウの専門農家になるなどは、絶対に無理。全く適性はない。これに対して、農業の原風景もない非農家の都市出身者が、ほんの2~3年で形にしていくのを見ると、スペシャリスト型農業は、家庭菜園型農業と違って、同じ農業でありながら、少し異質の才能ではないかと思う。

 
 上記のサラリーマン掛け持ちの同級生の場合、本から入ったタイプではない。7才の頃から知っているからそう思うのだが、「作りながら」、まず「作ってみて」、その後どうするか考えていくタイプだと思う。自分のように、考えて、調べて、訪ねて話を聞かせてもらってスタートをかけるのではなく、思いつくと同時にもう種を蒔いている、もしくは苗を買ってきて植えたという進行をさせるタイプである。自分とは進め方がまるで違う。農業はこのように「現場で学んでいく」という同級生のようなタイプの方がより早く形になると思う。

 
 とにかく、「自分の農業の形」ができる前に、いくら他人の田んぼ訪問をしても、ほとんど無意味だと思う。自分の農業の形ができてから、他人の農業を見学させてもらうのは参考になることもあるが、よい面を真似をして取り込もうと思っても、とても難しいことが多い。つまり、他人にとってはそれが得意なのであり、他人の得意と自分の得意は全く違うので、数多く見学させてもらっても、自分の農業になかなか生かせれない。試行錯誤しながら、田んぼとの往復の中で、自分で自分の農業を形づくるしかない。他人の田んぼ見学で時間をつぶすより、結局、その方が近道だと思う。そんなに出歩かなくても、毎日田んぼに出ておれば、回答はおのずと野菜や果樹や、動物を飼うなら動物自身が教えてくれる。本でもないし、先生でもないし、他人でもない。
 
 土のキャンバスに表現できる物は、自分以上でもないし、自分以下でもない。

 
 以上、ぐたぐたと書いた。専門作物を持つことができなかった「あるがまま」を受け入れようとせず、自分の心の「はからい」をブログに書いて、心の整理をしようとしているのかもしれない。でもまだ、整理できない・・・。


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棚田の秋 (2)

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 1週間が過ぎてまた、棚田を写しに行ってきた。コースは先週の日曜日と同じである。ここ奥塩田の秋は早い。すでに半分ほど刈り取りが終わっていた。絵になるような棚田である。 



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 上山神社から見た、上山の千枚田。しかし、稲が育
っているのは、そのうちの2割もない。
(1)勾配が急
(2)1枚1枚の田んぼの面積が小さい
(3)とても辺鄙な場所にある
 
 崩れ行く日本の棚田。



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 ここは佐伯町、南山形の棚田。黄金色の稲穂が、所々波打っている。風で倒れたのかなと思っていたら、イノシシが侵入して倒しているらしい。電柵やトタンでほとんどの田んぼが囲われているが、少しでも、柵の甘い箇所があると侵入する。
 
 9月お彼岸過ぎ頃から刈り始めるらしい。




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 佐伯町 田土の広大で雄大な棚田を13枚の画像でアップしてみた。夕方5時頃、棚田の頂上付近から麓へ下りてくる途中で順次写した。標高差はどれくらいだろう。300メートルはあるように思う。広い大きな谷のような場所に広がっている棚田である。
 
 
 岡山市内へのぎりぎり通勤圏(車で片道1時間半)であるせいか、田舎田舎していない。サラリーマン時代に稼いだ収入で、稲作の農具を買い揃えたのだろう。年齢的に次の買い替えはないだろう。この棚田が維持されるのも、後5~7年くらいか。7割近くはまだ作付されているように見える。
 

 田土の棚田は、一本の太い幹線道路から、道沿いに順次頂上付近まで棚田が広がっているので、とても写しやすい。今の時期は棚田撮影の愛好家が頻繁に訪れているようである。


 棚田を支えているのは、65才~75才の戦前生まれの人たちだろう。団塊の世代以下の人は、サラリーマン収入をつぎ込んでまでは稲作はしないと思う。団塊の世代を境に、田舎在住の人も大半がサラリーマンをするようになった。というよりは、団塊の世代以降、田舎の次男、三男だけでなく、長男も都会に出て働くようになった。だから田舎では、子供の姿が見えなくなり、老夫婦だけの家が多い。


 都会に出た団塊の世代の長男は、果たして、田舎に戻り、親の後を引き継いで、稲作をするという選択をするだろうか。



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果樹いろいろ

 両親とも忙しすぎたのか、植えていた果樹はカキの木だけだった。だから、他の果樹はすべて自分が農業を始めてから植えたものである。多種類の果樹を1~2本ずつ、多くて3本植えているが、口に入る果樹といえば、カキ、キーウイ、キンカン、ユズ、ハッサクの5種類だけであり、他の果樹は、なかなか大きくならなかったり、実がついてもカラスに食べられて、自分の口には、ほんの少ししか入らない。ワンパック宅配だから、野菜に限らず果樹も送ることはできるが、片手間で作っても果樹はいいのができない。やはり、きちんとした剪定や摘果をして、害虫の予防をして、カラスの防御をしないと、送るほど収穫できない。

 
 農業を始めて17年も経過しているのに、いまだにお粗末な果樹しかできていない。


 果樹に適性のある人は60代でスタートしても、5年ほどでかなりの出荷をしている人がいるし、定年になってから、出荷用果樹を始めようとする人もいる。果樹は初期投資(苗木代、施設)は大きいが、野菜のように年中忙しいということはなく、案外取り組みやすい作物であるらしい。


 自分は農業をする上で、苦手意識に陥る作業が多い。第1次産業は嫌いではないし、工業や商業に比べたら、はるかに第1次産業に適性があると思うが、実際にやってみて、「器用さ」を要求される作業も数多く出てくる。そんな場合はもちろんパスする。
 現在の農作業はほとんど苦にならない作業ばかりであり、不得意な作業も出てくるが、それは少量であり、長年のワンパターンにより、あまり苦にならなくなっている。

 
 スタート時点で農業形態を選択する時に、自分に向いている、あるいは向いていない農業形態は、漠然とではあっても、大体わかるものである。自分の場合、

稲作→機械操作は苦手。

果樹→剪定、誘引、害獣防御等で、不得意がたくさん出てくると思った。

畜産→口のある生き物はたくさんは飼えないと思った。

施設栽培→初期投資の大きなものは借金してまで選択はできなかった。

野菜の専門作物→どうも自分には不向きな気がした。

大規模→できそうに思えなかった。

 
 残ったのは少量多品目栽培のワンパック宅配だけだった。スタート前に色々模索していた時に、こんな農業形態があることを始めて知ったが、瞬間的に「これだっ」と思った。


 岡山ニューファーマーズの募集は、主に、トマトかピオーネ(ぶどう)を専門作物として選び、スペシャリストを目指す方向であるが、その方向にさほど苦手意識がないなら、ワンパック宅配形態より早く軌道にのると思うし、経営(売り先や売上)が安定すると思うし、メリハリがあって休日も多く取れるような気がする。現在は初期投資も大きくなく、すでにできあがった施設を借り受けて(高齢の引退者の施設を引き継いで)始めるという形もあるようである。
 
 とにかく、一口に農業といっても、農業形態は多種だから、その中で一つくらいは自分に適した形態があるものである。


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 口に入る果樹は少ないが、植える場所はいくらでもあるので、多種類の果樹を植えている。画像は、お墓のすぐ下の田んぼであるが、ここは排水が悪く、野菜を作ってもよいのができないので、8年ほど前から果樹を植え始めた。




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 ブラックベリー。3本植えているが、雨に弱く、ほとんど口に入らない。植えているだけ・・・。




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 スモモ。2品種植えているが、一昨年から生り始めた。それでも家に持ち帰るほどは収穫できない。田んぼで少し口に入る程度である。カラスが突付く。


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 ミカン。誤って、草刈機ではねたが、根は生きていて、また生えてきたが、なかなか大きくならない。




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 イチジク。カラスと競争になって、たいてい負ける。




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 ビワ。実がついていたのに、大きくならなかった。ビワは袋掛けが必要らしい。袋掛けしても、食べれるようになればカラスにやられる。




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 サクランボ。2本植えているが、まだ花も咲かない。




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 フェイジョア。去年は少し食べれたが、今年は1個も成っていない。



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 ザクロ。まだ花が咲かない。


 


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 ラズベリー。今年の春に買ったばかり。




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 小梅と大梅。今年はどちらもよく生った。



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 梅の隣に植えているハッサク。これは毎年結構よく生る。



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 ハッサクの隣に植えているデコポン。害虫に毎年のように葉を食べられて、大きくならない。




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 イチジクは墓下のイチジクと合わせて、合計3本植えている。口に入れようと思えばカラスの防御をする必要がある。




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 カリン。2年前にもらったのが、かなり大きくなった。今年始めて花が咲いたが、実はつかなかった。



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 カリンのそばのユスラウメ。今年、ほんの少し実がついた。




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 キンカン。これは毎年よく生る。右側にあるのがユズ。これも毎年よく生る。



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 ユズは2年前に植えたのが2本あって、合計3本。



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 カキの老木。田んぼに植えてあったのはカキの木だけだった。


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 キーウイ。毎年のように台風の被害を受けているが、それでも毎年たくさん生る。


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楽しく液肥を担ぐ

 昨日の瀬戸内市は34度もあった。今日もそんな暑さだったが、夕方、20分ほど夕立があった。たった20分でも、ざあっと降ったので、ホースで水やりするより何倍もの雨量である。これでまた夕方2時間の水やりが3日ほど助かった。


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 昨日、イタリアンパセリを定植した。ポット育苗でない地床育苗の場合は、根に土がついていないので、定植後は、このように黒い寒冷紗で覆っておかないと、すぐに枯れて(ひなえて)しまう。1週間ほどこうしておく。



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 昨日蒔いたシュンギク。今日は朝から風が強く、日差しが強かったので、蒔いた後のクン炭(焼きすくも)の上から寒冷紗をかぶせた。
 その向こうは、9月28日に仮植えした秋ジャガイモ。10日過ぎたが、まだ芽は出ていない。




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 レタスの地床育苗。。定植は来週後半の予定である。苗は大きい方が植え傷みが少ない。定植後は、イタリアンパセリのように黒い寒冷紗をかぶせて日除けをする。




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 9月に収穫期がやってくるのは、サツマイモとサトイモである。ナンキンとトウガンの在庫も9月で終わり、キュウリとオクラも9月末頃には終わるので、ワンパックの貴重な2種類である。



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 収穫後、すぐにこの場所で野菜とハーブの「仕分け」ができて、とても便利である。物置のそばの竹藪が陰をしてくれるので10時半頃まで太陽光線が当たらない。そして、この竹藪の上の山が陰をして、朝、6時を回ってもまだ田んぼの8割が日陰である。これも、とてもありがたい。太陽が早く当たれば、朝露(あさつゆ)はすぐに溶けるので、収穫も忙しいが、日陰の時間帯が長いと、盛夏でも、そんなにばたばたして収穫する必要がない。逆に冬は、太陽の上ってくる位置が違うので、早くから太陽光線が当たり、朝霜(あさしも)を溶かしてくれる。




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 夕暮れに液肥を担いだ。メタン菌液肥と出会ってから、農業が楽しくなった。


肥料を外から持ち込まない


肥料は自分で作る


肥料にカネを使わない


肥料作りが重労働では続かない


肥料散布が重労働では続かない


メタン菌液肥は半分使ったら、ヌカとナタネカスを補充するだけで、半永久的に使える


メタン菌の種菌の液は、液肥を作っている人にもらって、最初に1回入れるだけである。


野菜の味の多くは「土質」で決まると思うが、「肥料」のウエートも大きいのでは・・・。


メタン菌液肥の原材料は、国産のヌカが主体であり、ナタネカスを少々加える。ヌカが5に対してナタネカス1くらいの割合。


動物性の肥料は、トリ小屋の鶏糞だけであり、ほとんどは植物性の肥料(メタン菌液肥とクン炭)である。


30アールの作付→メタン菌液肥が楽しく担げる限度面積→これくらいの作付量なら2時間~2時間半ですべて収穫できる→毎日の水やりも、これくらいの作付なら、そんなに手間はかからない→井戸水も1日2時間ほどは使えるので、ちょうどよい→30アールほどの田んぼから出る「くず野菜」は30羽ほどのニワトリがきれいに平らげてくれる。つまり、これらはすべて「複合的」に絡み合っている。このうちどれか一つでも限度を超えるものがあると、そこで循環が滞ってしまう。


メタン菌の最適活躍温度は35度。夏場なら、仕込みをして1週間ほどで使える。


11月~翌年3月お彼岸頃までは、メタン菌は活躍しない。


春夏作では、半熟くらいで使わないと間に合わないが、秋冬作では、早めに畝立てをして、液肥を施した後、一雨待つか、あるいは井戸水を散水してから黒マルチをする。10月中下旬の定植(ホウレンソウ、ロケット)でも、9月上旬に黒マルチをしておく。


8月中旬~9月中旬に液肥をどんどん作って施しておかないと、10月に入ると、出来上がりが遅くなる。


肥料は仕込んだら、後は寝て待つ。


水が常時近くにないと使えない。


とても臭いので、住宅地の近くで使ってはいけない。


液肥は雨で流亡しやすいので、黒マルチとのセットと考えた方がよい。


早くあなたの最適肥料を見つけてほしい。


他人の最もいい肥料が、あなたにも最もいい肥料であることは少ない。


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農業形態の変更について

 以下は、今から3年前、2004年9月に書いたものです。 

 農業形態の変更について、項目を列挙して、心の整理をしてみた。

(1)14年間の間にできなかったことが、今頃になって、果たして切り替えれるだろうか。切り替えるなら、遅くても就農後10年くらいまでに、切り替わっていなければならない。できなかったのが自分の能力であり、できなかったという現実を受け入れていくしかない。


(2)今までの顧客、そしてあめんぼ通信も、農業形態を変更すると、生かせれない可能性が高い。


(3)農業形態の変更は、考えて計画してというのではなく「知らん間に変わっていた・・・」という様でないと、現実には難しいと思う。


(4)専門作物として考えた場合、野菜では、エンサイ、ツルムラサキ、青シソ、シュンギク、不結球レタスの5種類しかない。他の作物は、何らかの不得意があり、たくさん作る自信がない。


(5)今まで、農業形態を変更して収入アップをしたいと考えたことはしばしばあるが、農業規模を拡大しようと思ったことは1度もない。


(6)新しい技術のマスターには2~3年という歳月がどうしてもかかる。ハーブでもそれくらいかかった。


(7)今までの農業形態を続ければ、少ない額であっても、稼げる金額が見通せる。その枠内で今まで生活できたのだから、今後もできる。仮に新しいことが始められたとしても、現役でがんばれるのは、後10年ほどである。それなら、今まで14年やってきたことを継続した方が、肉体的、経済的リスクが小さい。


(8)新たな設備投資(ハウス等)や、機械の導入のいらない農業形態の変更など、はたして可能だろうか。


(9)農業を考え始めた頃から、自分は大規模単作には向かないと思った。自分の場合、最も作付面積の広い「ロケット」でも、たった2アールほどである。そして30~35アールという作付けを自分の限界と感じている。義兄は、農業高校を出て18の時から農業をしているが、その7倍の2ヘクタール以上の面積を、夫婦2人と父親(高齢なので半手間くらい)でやっている。その内、ハウスだけでも、直線に換算して500メートルを超えている。なぜこれだけの面積がやれるのか(稲作でも2ヘクタールという面積はかなり大きいのに)不思議である。機械を駆使しているが、それにしても規模が大きい。しかし、その地域では、義兄の規模がそれほど大きいと思えないくらい、他の農家の規模も大きい。農家とは、こういうのを言うのだろうか。でも、その地域に農業後継者はほとんどいない。もちろん、2人の息子もサラリーマンをしている。


(10)どんな農業形態を新たに選択しても、2~3年の内に「形にできなければ」失敗である。失敗したからと言って、元の農業形態に戻れるほど農業は甘くない。


(11)読み書きも満足にできない、一回りほど年上の人を知っているが、こと、機械や道具の修理に関しては、地域の人から一目も二目もおかれていて、機械や道具の調子を見てあげている。「何で、それがわかるんだろう」と思い、聞いてみたことがある。その方が言うには、農機具店の人が修理している現場に出くわすと、じいっと立ち止まって、ずっと見続けるらしい。そんなことを繰り返しているうちに、自分で直せるようになったと言われる。でもその方、その機械を使う野菜や米作りは、とても見劣りする。農具の修理なんかに比べて、はるかに身近に日々見ていると思うが、それでも野菜がまともに作れていない。


(12)農家の跡取りではなく非農家出身なのに、たった3~4年のうちに、ビジネスラインに到達していると思える人を何人か見てきた。誰もが、そういう人のまねが出来るわけではない。
 自分の得意な形でしか、カネにすることはできない。自分の土俵で最大限の努力を続けること。それが○○円にしかならなかったとしても、その範囲内で生活がまわらないなら、農業の継続は無理である。


(13)現実はすでに、好むと好まざるにかかわらず、カネになるならないにかかわらず、現在やっている農業形態を続けざるをえない年令である。40代なら、まだよそ見が可能かも知れないが・・・。


 
 ふりかえってみれば、農業形態の変更、あるいは副収入を切実に模索した時期がある。それは8年目のスタートの頃である。

 
 農業をスタートした3年間は無我夢中、4年めに入った年は、父の入退院の繰り返しで、すべて1人で農業をすることになった。4年めの末に父の死、その3ヵ月後に祖母の死と続いた。5年め、6年めは早く軌道にのせよう(めいっぱい、顧客を確保しようと努力した時期)と必死だった。7年めに、集落の実行長の役がまわってきて、その年は、その役の仕事に大分時間を取られた。その役が終わった翌年、肩の荷が下りて、随分、時間の余裕を感じることができた。そのほっとした気分の時、以前から気にかかっていた「ハーブ」の苗を初めて植えた。友人や知人、方々に頼んで、ハーブに詳しい人を紹介してもらい、実際に教えてもらい、図書館で本も読んだりしながら、2~3年で、作ることに関しては大体わかるようになった。職業別電話帳からイタリア料理店に電話をかけまくり、少しずつ顧客を増やしていった。現在は、1ヶ月の発送パック数に占める割合は、60パックがイタリア料理店で、20パックが個人の家庭なので、結果的に見て、個人用から業務用中心(ハーブ中心)へと、農業形態の変更をしてきたと言える。変更してきたというよりも、個人客が減っていたので、新しい売り先が必要だった。自分の場合も、8年目に入った頃から2~3年のうちに、売り先の変化があったわけだ。それほど収入アップには結びつかなかったから「ステップアップ」という認識はないが、その後、個人客は増えなかった(営業方法が思いつかなかった)ので、もしあの時、ハーブに手を出し、そしてハーブも売りたいと強く思わなかったら、農業の継続自体が危機に陥っていたと思う。

 
 「楽しく新しいことをやれる」かどうかがポイントになると思う。自分の場合は、始めて育てるハーブの生育姿や香りや花に感動して、もっと種類をふやそう、もっと詳しくなろうと思った。そして、趣味では続かない、カネにしないと続かないだろうと思った。

 
 ハーブを使ってくれるのは、フランス料理店かイタリア料理店、それしか思いつかなかった。

 
 絶えず収入アップの努力を試みてきた。それは、規模拡大であるとか、専門作物集中主義であるとか、ハウス集約作物であるとかの、農作物本体の「技術指向」ではなくて、百姓塾の塾生募集の営業活動であったり、ドラムカン炭焼き等のイベント収入であったり、貸し農園であったり、家庭菜園ヘルパーであったり、ハーブの導入であったり、エディブルフラワー(食用花)の試作であったりした。ハーブしかカネにつながっていないが・・・。

 
 自分の興味があるものに、とにかく手をつけて見る。やっているうちに、これはおもしろいかも知れないとか、続けることが苦にならなかったりするものが出てくる。それを何とかしてカネにつなげる努力をする。

  

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オンドリの足の傷

 17年前、農業をスタートした頃の37才と、16年後、70才になる期間は、どちらも同じくらいの期間であるが、ちょっと前に農業をスタートしたような気がするので、70才がくるのもあっという間なんだろう。
 両親の寿命を足して2で割ると70才の寿命であり、70才以上の自分はあまりイメージできない。70才以上になると「ボケ」との戦い、自分の身の回りのことが自分で処理できるかどうかの戦いのような気もする。

 
 農業に定年はないといっても、出荷農業は65才くらいまでしか、体力的に持たないのではなかろうか。あまり無理して寝たきりにでもなれば、その方が困る。定年のない職業でも、やはり60~65才くらいまでが現役でいられる最後の年齢だろう。

 
 70才まで後15年しかないという、時間の短さであるが、長過ぎても、ちょっとしんどいかなあという気がする。

 
 
農業は社会の枠外で生きるような職業である。この仕事はやはり、現役世代がする仕事ではなく、定年後に楽しみでする仕事であるかも知れない。ただ、普通にサラリーマンを定年まで続けていたら、何か書きたいような衝動も、ネタも生じなかったと思う。

 
 自分のやりたいことをやってきたのだから、カネにならなくても、肉体的にハードでも、これは仕方がない。


 現在はますます、個人でする仕事(自営業)が成り立たなくなっている。特定の組織に所属して歯車の一つとして生きていくしか、選択肢がなくなってきている。歯車の一つとしてうまく納まればよいが、フリーターから抜け出せないような人は、農業者と同じく、社会の枠外で生きていかざるをえないだろう。高齢のフリーター(高齢の農業者)になった時に、この社会の仕組みがどんなものであるか、より痛切にわからされる。でもやっぱり、一介のフリーター(農業者)として生きる方が自分らしくてよかったと思う。

 
 フリーターの一番困ることは、カネにならないことである。そのため、組織人が定年を迎えても働き続けなければならないという現実に直面する。

 
 54才とは1日1日が貴重な1日である。その貴重な1日の大半を、田んぼの肉体労働で終えている。これでいいのだと思っているが、人生のちょっと先輩として、後に続くフリーターの人に、何かいいアドバイスはないかなあと探しても、いい言葉は思い浮かばない。

 
 いつも、いっぱいいっぱいの1日を過ごしていて、余裕のようなものは何もない。



今月の農作業

 
明日(9月6日)、シュンギク(株張り品種)を蒔く予定である。レタスのように地床育苗して定植する。

 
 来週はいよいよアブラナ科野菜の登場である。

キャベツ、ブロッコリーの定植→9月11日~9月13日

ダイコン、カブの種蒔き→9月13日~9月15日

ハクサイの定植→9月18日~9月20日

 

 9月22日にタマネギの種を蒔く。5月収穫のタマネギをこの時期に蒔くというのは、農業をスタートした頃には驚きだった。

 
 9月27日に第1回目のホウレンソウの種を発砲スチロールの連結ポットに蒔く。

 
 なお、ダイコンとカブの種蒔きの日にロケット(ハーブ)の第1回目、シュンギクの第2回目の種を蒔く。




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 オンドリの足を隣のメンドリの足と比較して見てもらうと、オンドリの足は少し黒くなっています。これは血の跡であり、ボクが蹴っ飛ばした時にできた傷です。普通はすぐ止まるのですが、この傷ができた箇所をメンドリが突付くので、今回はなかなか血が止まらず、オンドリはメンドリを恐れて、朝の食事以外は止まり木から下りてこなくなった。
 
 
 赤い血のように見慣れないものは、ニワトリは突付く習性があり、メンドリがよく突付いていた。だからなかなか血が止まらず、それが痛々しくて、オンドリの足を見るのが、しばらくの間、苦痛だった。最近やっと、あまり血が出なくなった。これは、オンドリがずっと止まり木に逃れているおかげである。

 
 この間オンドリは、闘鶏の本能をすっかり忘れて、ボクが近づいても、向かってくるような姿勢は全く見せなかった。やはり足の傷がかなりこたえているのだろう。

 
 いじめられていた3羽のメンドリも、元の群に復活のきざしが少し見えてきた。他のメンドリからガードしながら、別途、巣箱の上や、手に持ってエサを与えるのが、だんだんと面倒になり、巣箱の上にエサを少々置くだけにしていたら、いつの間にか、地面に下りてくるようになっていた。朝のエサやりの時は下りてくるが、その他の時間帯は巣箱の中で過ごしているようなので、復活にはまだ時間がかかりそうである。

 
 多くのアクシデントを乗り越えながら、まだヒヨコ時代から1羽も死んでいない。

 今日のご馳走は、ナスビの外観不良分と伸び過ぎたツルムラサキ。どちらもよく食べる。

 

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貧困襲来

 新聞に「貧困襲来(山吹書店刊)」という本の書評が載っていた。それによると、「五重の排除」が貧困を決定付けるらしい。

(1)教育課程(学校教育システム)→学歴がないと就職試験のチャンスもない。


(2)企業福祉(正規雇用システム)→正規雇用が少なくなっている。企業の雇用システムの変化。


(3)家族福祉(家族による支え合い)→家族それぞれが低収入。


(4)公的福祉(生活保護など)→住所不定では生活保護が受けられない。


(5)自分自身からの排除→そんな自分自身を否定。


 著者の湯浅誠さんによると、アパートを借りられないから、ネットカフェに割高の料金を払わざるを得ない。金がないゆえに、日々、金を使わないと生活が成立しない構造があると指摘する。


 
 これを田舎の現実から、自分なりに考えてみた。


(1)電話代、電気代は自給できない。


(2)ガス代、灯油代は薪で代用できるが、時間に換算するとかえって高くつく。


(3)上水道代は地域によっては、簡易水道(山水)が利用できる場合もある。下水道のない地域を選ぶ。


(4)国民年金、国民健康保険、これはネック。金額が過大。


(5)車両関係費、集落の冠婚葬祭費、これは必需品。


 都会のネットカフェ難民が、田舎で自給自足できるような選択が果たして可能だろうか。


 そして、実際にどちらが住みやすいだろうか。


(1)田舎へ行けば行くほど物価が高くなる。


(2)家は低家賃で、田畑は無料で貸してもらえるが、誰か仲介者がいないと貸してもらえない。素性のはっきりしない人には貸したがらない。


(3)米は作れない。田舎へ行っても、米は買う必要がある。


(4)野菜を作ろうとすれば、結局、3倍ほど高くついてしまう。


(5)野菜を作っても、収穫期になると、イノシシ、シカ、カラス、サルにやられてしまうだろう(奥地の場合)。


(6)野菜は少なくとも2ヶ月は待たないとできない。


(7)野菜はストックできない。すぐに腐る。


(8)バイトするにも遠い。


(9)田舎よりまだ都会の方が住みやすいと考えられないだろうか。


(10)貧困からの脱出は可能か・・・。


(11)反撃ののろしはどうやってあげたらいいのか・・・。


 
 農業資材の高騰、3項目 


(1)畜産用の配合飼料が高騰しているらしい。ここ半年ほどニワトリのエサは買っていないので、どのくらい高騰しているのかわからないが、コゴメがなくなったら、また買わざるを得ない。それでも、11月になればまた新しいコゴメをもらえるし、これからはサツマイモのくずもたくさん出る。

 
配合飼料の価格は、主原料のトウモロコシが、米国でガソリンに混ぜるバイオエタノールの原料として需要が高まっているため上昇。1年前に比べ約3割上昇しているらしい。


(2)今日、農業資材店にナタネカスと黒マルチを買いにいったら、ナタネカスは何と3割も上昇していた。いつも700円で買っていたのに、今日は900円だった。高くても買わざるをえない。メタン菌液肥の窒素分の補給には、ナタネカスしか思い浮かばないからである。ナタネカスは100%輸入物だから、今後、もっと高くなるかもしれない。でも、年間に5~6袋購入するだけなので、高くなっても、金額的には知れている。


(3)原油の値上がりと共に、黒マルチのようなポリの資材もかなり高騰している。黒マルチも買わずにすますことはできない。


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農業の疑似体験

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 今年も神楽がやってきた。当集落では、ボクが子供の頃から9月2日と決まっている。
 午前中は、各家をまわって、家内安全、火の用心の御払いをしてくれて、その後少し、舞をみせてくれる。午後からは、集落の公会堂で、本格的な舞がある。ボクが子供の頃には、4~5つのテントの店(キャンデー、綿菓子、スルメ、おもちゃ)も並んで、楽しみにしていた。
 最近は公会堂へ見に行くことはないが、午前中は家にいて、来られるのを待つ。どこの家でも、お礼を少し包んで玄関先においておく。
 国重要無形民族文化財 伊勢大神楽講社 山本勘太夫 
 三重県 員弁郡 東員町 笹尾西


 

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 キャベツ、ブロッコリー(8月14日蒔き)とハクサイ(8月28日蒔き)は、家の門先で育苗をする。田んぼより害虫が少ないからである。ただ、飛んでくる害虫も多いので、害虫避けと日避けに、白い寒冷紗は必須である。


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 レタス、ハーブ類、シュンギクは田んぼで育苗をする。アブラナ科と違って、これらに害虫はこない。ただし、この時期にはコオロギが出没して何でも食べるので、コオロギ避けと日避けに、白い寒冷紗をかぶせておく必要がある。

 
育苗の左隣はニンジンであるが、ニンジンのように直に蒔くのは、ダイコン、カブ、インゲンくらいで、その他多くは、育苗して定植する。

 ポット育苗→(春のナンキン、キュウリ、エンサイ、ツルムラサキ、オクラ、ニガウリ)

 
稲の苗箱に種蒔き→ポット鉢上げ→(スイートバジル、イタリアンパセリ)

 
これは自分がそうしているだけで、それぞれ自分にやりやすい方法でしたらよい。ホウレンソウは通常は直蒔きだが、自分は、上の画像の発砲スチロールの連結ポットで育苗→定植にしている。


 今朝、野菜の収穫中にふとみたらイチジクが熟している。今日はまだカラスが来ていないようだった。腹も減っていたので、がつがつ口に入れた。そうしたら、口の中や口の周りがかゆくなった。イチジクを食べるとこういうことがよくある。
 本を見たら「イチジクは果実を切ったり、傷をつけたりすると、白い乳液を出すが、この液の中にはフイシンというたんぱく質を分解する酵素が含まれている。収穫の際、この液が指につくとおかされて傷むようになったり、未熟果を食べると口の周りや唇が痒くなったりするのはこの作用によるもので、注意したい」と書いてあった。
 カラスに負けまいと、まだあまり熟していない実をたくさん口に入れたせいだろう。


 今、外は雨脚の強い雨が降っている。この時期の雨は、一雨ごとに残暑が遠のいていく。そして、こんな強い夕立が1時間も降ってくれれば、3~4日また、水やりをしなくてすむ。そうすれば、夕方の2時間、水やり以外の仕事ができる。


 アメショッス(猫ブログ)の銀ちゃん、ラムちゃんを見ていると、猫を飼わなくても、猫を飼っているような疑似体験が楽しめるが、野菜作りもそんな風な疑似体験ができたらいいのにと思う。多分、野菜農家を異次元の世界に住んでいる人みたいに思っている人も多いと思う。
 プランターに花を咲かせるのでさえ、次のようなステップを踏む必要がある。

(1)土が身近にないので、土を買ってくる必要がある。

(2)土だけでなく、肥料も買ってくる必要がある。

(3)水やりの世話もかかってくる。

 このような理由で、都会のサラリーマンは、趣味で週末に農業をすることは極めて大変であるし、田舎のサラリーマンでも、週末に趣味で家庭菜園をすることは大変なのか、誰もしていない。田舎でも定年後に始めるパターンがほとんどである。
 
 
 スペシャリスト型の農業ではなく、自分のような家庭菜園型の農業には、取り立てて「技術」と呼べるようなものはないが、それでも、自分でやってみないことには、本を読んだり、学校で学んだり、インターネットで見たりしても、実際の農業はわからない。
 
 このようにして、農業が現実の世界からますます遠い世界のものになっている。あなた作る人、私食べる人、のような分業体制が固まってしまっている。
 
 欧米諸国では、週末には田舎で家庭菜園を楽しむ人が多いと聞くが、なぜ日本では、このような生活環境(住環境)が身近にならないのだろうか。ストレスの多くは土が吸収してくれると思うが、その土が身近に全くないというのが、今の日本の現実である。
 
 猫が飼えない人が猫ブログで疑似体験して楽しめるように、自分のブログで農業の疑似体験をしてもらえるようになるのが理想である。


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棚田の秋

 昼からふら~っと、佐伯町、田土の棚田を写しに行った。家から45分で行ける。田土の棚田はかなり広大な面積の棚田である。麓から徐々に徐々に山の頂上に上がっていく。


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 田土の棚田から30分ほどで奥塩田の棚田へ行ける。奥塩田の棚田はきれいだが、田土に比べると、かなり小面積である。


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 奥塩田からの帰り道で、来たコースと違ったコースを通ったら、道沿いに大きな標識があった。読んでみたら、ここは英田町、上山の棚田らしい。確かに棚田であるが、すでに標識に書いているような棚田の面影はなく、棚田の8割以上が、草に覆われていた。標識のそばのベンチに腰掛けていたおばさんは、この地域の人らしく、今から50年ほど前(おばさんがこの地域に嫁いできた当時)は、あの山の頂上まで棚田があったと残念そうに説明してくれた。標識のそばに大きなお宮があり、お宮の境内の中に、画像のような演芸場があり、一昔前はとてもにぎやかだったらしい。遠い昔を思い出すようにして話してくれた。

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 佐伯町 延原。ここも帰り道で通った。黄金の稲穂。

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 佐伯町、田土の棚田を、今度は頂上から麓へおりる道すがら、写しながら下った。棚田は季節の変化と共に、四季折々の顔を見せるのだろう。頂上付近の棚田はすでに草に覆われている田んぼが多かった。ほとんどの田んぼは、画像に見られるような大きな石を組み合わせてできていた。こんな大きな石をどこから持ってきたのだろう。
 たった1枚の田んぼを作るにも、大きな石垣を組む必要があった、いにしえの人たちのエネルギーはいかほどのものだったろう。

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サラリーマンをしながら農業も

 1週間ほど前にスーパーで偶然会った小学校の同級生が、ハウスで花を作っているというので、見せてもらいに行った。

 作付規模

ハウス4棟→スターチス、トルコキキョウ等
露地のキク→10アール
稲作→130アール

 
 稲作は、働き出してからずっと土日百姓をしてきたが、露地のキクを作り始めたのは42才の時で、その後、ハウスを徐々に増やしていったようだ。だから、花歴は12年である。

 
 この規模を、サラリーマンをしながら並行してやっているらしい。小学校時代の面影はもうどこにも見えなかった。何十年も会わなかった間に、見違えるようにたくましくなっていた。


 要は、やり方だ・・・、目標設定が低すぎる・・・、と言われた。

 
 農作業は夜間と、土曜、日曜である。奥さんが収穫や配達(多くは、小売店への直接販売)はしてくれるらしいが、植え付けの時など、作業が集中する時はアルバイトも頼んでいるらしい。


 サラリーマンをしながら、土日百姓で、稲作をしているというのは、田舎ではそれほど珍しくないが、稲作の他に、ハウス4棟と露地のキクを10アールほど作っているのだから、いったいいつ寝るんだろうと思う。


 自分はハウスはなく、野菜とハーブで合計30アールほど作付しているだけだから、規模的にも自分よりかなり大きい。


 こういう事実を目の当たりにすると、自分のやり方のどこが劣っているんだろうと、考えさせられる。


 2~3ヶ月に1度、話を聞かせてと、お願いして帰った。


 こういう人を見ると、自分の甘さが際立つ。並行処理するのは、要はやり方なんだと言われて、その言葉が今も頭の中でぐるぐるまわっている。


 能力差というものはどんな世界でもあるが、自分の場合、稼ぎの少ない現状で安住してしまったのは、自分と入れ違いに配偶者が定職についたので、自分の稼ぎが少なくても、我が家の生活がまわっていったという現実にあったかも知れない。


 稼ぎが少ないからといって、またサラリーマンに戻るという選択肢は頭の中に思い浮かばなかった。ただ、農閑期にアルバイトをする必要があるなあということは、しばしば考えた。しかし、実際には、そのほうに身体は動かなかった。


 自分がハウスを持てなかった原因は、

ハウスだと雨水は入らないので、水をどう工面するか→当時はまだ井戸はなかった。


台風で倒壊したハウスを何度も目にしてきた。


ハウスのビニールの2~3年おきの張替えが、一人でできるだろうかと思った。


ビニール代がとても高くつく気がした→現在は処分料もかなり高い。


ハウスだと、特定作物の連作→病害虫が出やすいと考えた→逆に雨にあたらないので病気は少ないらしい→どちらも一理あり正解は半分半分?→ただハウスだと、タヌキ、シカ、カラスなどの害獣は入らない。


ハウスで作る特定作物の販路はどう探せばよいか→ワンパックのように直販する自信が持てなかった。


ハウスが自分で建てれない。


借金してまで建てたくない。


農業を始めて7年間ほどは無我夢中でやってきた。8年目に入ってやっと一息ついた頃、ワンパックの顧客は長くは続かないということを実感して、ワンパックだけの農業形態では早晩行き詰ると思った。その時に試行錯誤しながらいろんなことに手を出したが、そのうちハーブに夢中になり、ハーブの顧客ができてからは、またその状態に安住してしまった。10年目の頃である。つまり、8~10年目の頃に、自分の関心はハウスに向かずハーブに向かった。
 13年目の末にあめんぼ通信を1冊の小冊子にしてからは、今度は毎年の小冊子の完成のことばかりに気持ちが向き、肝心の農業の販路拡大の熱意が衰えた。


 小冊子はその後ブログに変わったが、今頃また、こんな稼ぎでは自分の老後がままならないと考え始め、農業本体への傾斜を強めている。



ワンパックは農業をスタートして5ヶ月後には数軒の顧客ができた。


ニワトリも農業をスタートした1年後から飼い続けている。


ドラムカン炭焼きはハーブと同時期にスタートしたが、形にならなかった。苦手作業が多かったように思う。


ハーブは作り始めた翌年には顧客ができた。職業別電話帳からの電話営業である。


作文はワンパックの顧客ができた月から、月に1回のミニコミ(あめんぼ通信)を出し続けてきた。


つまり、形になるものは、ほとんど労せずして形になり、形にならないものは、何年費やしても形になっていない。
 


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ニンジンの現在

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 8月19日の日曜日に蒔いたニンジンの今の様子。草は全く生えていなかったのに、たった12日経過しただけで、早くも草がこれだけ伸びた。クン炭(焼きすくも)の列がニンジンだが、よーいドンでスタートしても、草の成長スピードの方が早い。近日中に、ニンジンの近くは手で、少し離れた所は三角鍬で、草削りする必要がある。
 草はタイミングよく処置しないと、後手になると、4倍も5倍も時間がかかる。


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 ニンジンの隣の白い寒冷紗が少し長くなったが、それは、レタス2種類とディル(ハーブ)を蒔きなおしたからである。高温で発芽率が悪かったので、すぐに蒔きなおした。
 
 寒冷紗の手前の方に、昨日、義兄にもらった早生キャベツとブロッコリーを置いている。自分の苗はうまく成長してくれるかどうかわからないので、予備苗としてもらった。

 義兄はすでに、キャベツを1ヘクタール(100アール)植えている。まだこれから晩生品種を30アールほど植える予定らしい。
 義兄から見ると、ボクがやっているのは「ままごと」らしい。自分の場合は、0.5アール(200本ほど)しか定植しないので、130アール÷0.5アール=260倍の面積の定植である。義兄の場合は特別に多い方だと思うが、キャベツやハクサイの産地では、少なくとも50~70アールは植えているらしいので、それでもやはり、自分の100倍の面積の定植である。どこの産地でもすでに農業者は高齢化(産地でも若い後継者はほとんどいない)して、平均年齢は65~70才くらいらしいが、それでもこの規模を平然とこなしている。


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 サツマイモが収穫期になった。例年9月10日頃から掘り始めるが、今年は水不足だったので、ちょっと遅らせて9月中旬以降にしようと思う。電柵をしているのに、バッテリーが切れて電柵が働かずイノシシに入られたが、被害は最小限で収まり、その後は入られていない。
 3分の2は業務用のムラサキ芋である。


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 左の列のサトイモの半分ほどが、かなり日焼けしているが、これは品種の違いによる。品種によってこれだけ、水の要求量が異なる。つまり、青青としている方は、水不足に強かったわけである。来年はこの品種に統一するつもり。




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 この田んぼは、ダイコン、カブの種蒔き、ハクサイ、キャベツの定植予定地である。10日ほど前にすでに液肥を施している。いい雨が降ったので液肥が適度に薄まった。雨が降らない場合や、急ぐ場合は、エンジンポンプで散水をしてから蒔いたり定植したりする。ただ、この田んぼは去年、ダイコンサルハムシという害虫によって、ダイコンとカブが発芽後数日で全滅したので、今年は、どういう農薬をどう使うか思案中。




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 左がツルムラサキ、右がエンサイ。なぜこの2種類は、虫がよりつかないのだろう。草山になった田んぼを耕運すると、蜂の巣をつついたように飛び出してくるバッタやコオロギも見向きもしない。
どこがおいしくないんだろう
どこが嫌いなんだろう
 害虫忌避作物と言える。アブラナ科野菜にこの2種類のエキスを少し注入してもらいたい。

 ワンパックを送る場合でも、この2種類は、箱の上部をちょうどうまく埋めてくれる。この2種類の他に、青シソとハーブティ用ハーブ3種類が、箱の上部の隙間を埋めてくれる。つまり、箱の底に、トウガン、ナンキン、タマネギ、ジャガイモ。その上に、キュウリ、ナスビ、ピーマン、オクラ、ニガウリ。その上に、ツルムラサキ、エンサイ、青シソ、ハーブティ用ハーブ3種類である。

 
5月連休に種を蒔くと、6下旬から収穫が始まり、7月、8月、9月、10月、そして、11月の壁を越えて、「葉つきダイコン」、「葉つきカブ」にバトンリレーするまで、ワンパックを支え続けてくれる。
 摘んでも摘んでも、摘めば摘むほど、わき芽が伸びて、それだけ収穫量も増える。栄養価も高く、まさに、全国のワンパック農業者を支え続けているであろう驚嘆的野菜。



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 ナスビの花とナスビ。今、最も役立っている野菜。


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 ピーマンの花。同じナス科でも、ピーマンはナスビに比べて「根張り」が浅い。今年の暑さがこたえたのか、すでに6本が青枯病にやられて、残るは16本。ナスビは44本定植した全てが元気。




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プロフィール

水田祐助

Author:水田祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在55才、農業歴19年目。農業形態は野菜とハーブのワンパック宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ30羽。25年ほど農業とは無縁だったが、ボクが子供の頃は、家は葉タバコ農家だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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