今日、稲穂がすでに出ていることに気付いた。毎日、その田んぼの傍らを通っているのに気が付かなかった。当地では、稲刈りが始まるのは10月の中頃からだが、県北の棚田ではすでに稲刈りが始まったようで、数日前の新聞にコンバインで収穫している様子が大きく載っていた。
午前中、雨が降ったり止んだりした。強い雨脚の時間帯もあり、野菜が久々に一息ついたようだ。
「農!黄金のスモールビジネス」という本の広告が、山陽新聞によく出ている。農業のことをよく知らない人は、こういう語感に弱いのかなあと思う。
農業は、頭で考えることと、実際に体感することは大きく異なると思う。実際に身体を動かしてみないとわからないことが多い。
農業においては、その人にはできても、当人にはできないということが、かなり多いと思う。農業のスタート前であっても、それまでの人生経験から、真似る(同じようにやる)ことができるかどうか、大体は判断がつくと思う。ブドウを専門作物として選択する人は、ぶどう棚を見て、修理や補強くらいは自分にもできると思っただろうし、トマトを専門作物として選択する人は、トマトハウスを見て、これくらいは教えてもらえば自分でできると判断したのだろうと思う。
自分の場合は長年農業をしているので、田んぼ見学をさせてもらっても、これは自分にできそうか、できそうでないかはすぐに判断がつく。簡単そうに見えても、いざ自分の田んぼで同じことを真似ようとしても、身体が思うように動いてくれない。そういう時、相手には簡単であっても、自分には難しいということを悟らされる。
ワンパック形態しかできないなと思う方へ
個人の顧客を探すには、友人や知人に紹介を依頼したり、野菜のいろんなイベントに出かけてワンパックのチラシを配ったり、リビング新聞等に広告を入れたりする。
自分の場合は、最初は近くの団地を「軽四で引き売り」しながら、買ってくれたお客さんにチラシを渡して、野菜会員募集の営業をした。
業務用の場合は、職業別電話帳を見て電話をかけまくったり、インターネットのグーグルで検索したり、ブログランキングの料理飲食店ブログ等を見て電話をしてみるのもよい。
ワンパックの平均価格は、送料込みで3000~3200円くらいが妥当と思う。
ワンパックのケースは250枚単位で作ってもらっている。1ロット、200枚でも作ってくれる。
春夏作も秋冬作も120サイズのダンボール箱を利用している。1枚が120円であり、250枚作ってもらうと31500円(消費税込み)である。
月4回も買ってはもらえない。月2回をベースに、月1回、年6回、年3回と、いろんな宅配パターンを持った方がよいと思う。
ワンパック宅配の場合、1月、2月、3月の農閑期は、月の内半分は休みが取れる。計算上は45日間。これだけ休みがあれば何かにトライできる。パソコンの習得でもよいし、ドラムカン炭焼きでもよいし、都会へ出かける営業でもよいし、自分の場合、ブログを始める前の数年間は、農閑期にあめんぼ通信を1冊の小冊子にしていた。
農繁期に休みがとれなくても、農閑期を楽しみにがんばることができる。
自分が出来なかったことを勧めるのは心苦しいが、ワンパック宅配と並行して、何か一つ専門作物が持てないか、ぜひ模索してみてください。ワンパック宅配と専門作物とでは、まるで違った能力ですが、これを並行処理することが、将来の展望を開く道だと思います。サラリーマンをしながら出荷野菜を作っている人を2人ほど知っています。
専門作物を並行して考える場合、できれば投資金額は50万以内くらいで、自己資金の枠内での投資に限定した方がいいと思います。実際にやってみないとわからない未知の物に、あまり多きな投資は無謀です。
昔から、百姓は生かさず殺さずと言われてきた。今後もいい時代は期待できないだろう。
(1)2本足、4本足の害獣の出没
(2)輸入の増加、輸入できない作物への企業の参入
(3)天候の異変
顧客を獲得する時は、できれば一気に増やしたい。そうすれば、どれくらい作付したらよいかとか、どれだけ時間がかかるかわかる。
ワンパックの場合、より多種類の野菜をごちゃごちゃと作りがちだが、だからこそ、ワンパックに必要な野菜だけを早くから絞り込み、それに集中して、失敗したらすぐに蒔きなおしたりの処置をする。
ワンパック宅配は、多種類作って、それを詰め合わせて送るわけだが、多種類だからといって1種類も失敗はできない。将棋の駒みたいに、それぞれの役割は決まっているので、その時期、その時期の物が1種類でも欠けると、ワンパックが組みづらい。
ワンパックに何を入れるかは暗記項目である。そうしないと、箱がぐすぐすである、あるいは、箱が一杯でもう入らないという問題にしばしば直面する。
野菜を作る時に
(1)ソウメンナンキンよりトウガンの方が病気が少ないし、料理範囲が広い。
(2)ヤーコンと山芋は、どちらか自分にとって作りやすい方を選ぶ。
(3)ミズナを作っても、秋冬野菜はボリュームの大きい野菜が多いので箱に入らない。
(4)レタス、キャベツ、ハクサイの3種類を同時に入れることはちょっと難しい。その場合、レタスは結球レタスの方が不結球レタスより場所を取るし、キャベツは小さな早生の丸玉か、通常のサイズかというふうに品種で使い分けると、うまく3種類を入れることができる。
(5)カリフラワーよりブロッコリーの方が喜ばれると思う。ブロッコリーはわき芽が収穫できるのでカリフラワーより有利。加えてカリフラワーは大型で箱に入りづらい。
(6)無農薬で作りづらいのは、アブラナ科野菜と、タマネギ、ジャガイモ、ナンキンの4種類(自分の田んぼの場合)であるが、タマネギ、ジャガイモ、ナンキンの3種類は、致命的被害はなく、収量が落ちるだけである。
(7)トマト、トウモロコシ、エダマメの3種類を入れることは、難易度が高い。
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田んぼのすぐ上にある「ため池」で、小学校を卒業するまで、夏休みには泳いでいた。今はもう、その面影すらない。3度も池の改修工事が行われた。たった45年ほど前のことなのに、あまりに変わってしまった。世の中も、このため池のように変わっていったのだろう。
江戸時代に生まれていたら、世の中は、生まれてから死ぬまで、あまり変化はなかっただろう。
義務教育というものはなかった。
平均寿命は40才くらいだったのだろう。
電気はなかったから、夜が明けたら起きて、日が沈んだら寝る用意をしたんだろう。
貨幣はほとんど流通せず、多くは物々交換だった。
だから、お金を出して買うということはなかった。お金は「流通の手段」ではなく、物と物の交換、もしくは手伝ったり、手伝われたりが「流通の手段」だった。
家も手作りの簡素なものだった。家人や親戚や地域の人の応援を受けて作った藁小屋だったのだろう。
とにかく、食べ物を確保する必要があった。
食べ物は米のように長く保存できても2年だった。
天日乾燥をしたり、魚を燻製にしたりしても、長くて1年ほどしか保存できなかった。
漬物も半年ほどしか保存できなかった。
店などはなかったので、自分や家族が食べる物を用意することが、1日の大半の仕事だった。
でも、その仕事は意外と楽しい仕事だった。
江戸時代でも、天候不順で米のできない年はあった。
そんな時は、前年の備蓄を少しずつ食いつぶしながら、日々をしのいだ。しかし、そんなにひもじい思いをすることはなかった。
里の物は不作でも、山の物、川の物が、何らかの恵みをもたらしてくれた。
山に行けば、
春はタケノコ、ワラビ、イタドリ、その他の山菜
夏はあまりなかったが、
秋になると、山栗、山ぶどう、山芋、マツタケやシメジ
冬には、鳥やシカやウサギの猟をして、肉類にありつけた。
川には春夏秋冬、川魚がいなくなることはなかった。コイ、フナ、ナマズ、ドジョウ、川エビ、川ガニ、シジミ。特に、梅雨の雨とともに、下流から上流へと上ってくるウナギなどはご馳走だった。
里の幸、山の幸、川の幸。腹はふくれなかったかも知れないが、自然はいつも、生きていくための最小限の食べ物は提供してくれたのだった。
生まれて死ぬまで
変わらぬ里の風景
変わらぬ山の風景
変わらぬ川の風景
死んだら魂は、
里や山や川に戻って行く
自然の中で生きて、自然の中へ還っていく
未来永劫
変わらぬ風景
変わらぬ家族
変わらぬ地域社会
今、我々は、変わり続ける社会の中で生きている。変わらないのは、
22才で行く会社が決まり、
60才まで勤め続けなければ、生活ができない。
22才で失敗したら、チャンスは35才までしかない。
35才までに正社員になれなければ、
もうほとんど絶望的。
そんな社会を生きている。
よそ見をせず、疑問を持たず、野心を持たず、
60才まで、属している組織にしがみついていくしか、
生きていく手段がなくなった社会。
固まってしまった社会を生きるには、
固まった生き方しかできない。
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今日、宅急便営業所からの帰り道で、イチジクを専門的に作られているHさんに出会った。数分、立ち話をさせてもらった。その後、自分なりにイチジクに関する以下の項目について考えてみた。
(1)イチジクは、暴風、カラス、タヌキ避けに、全面を暴風ネットで覆う。
(2)暴風ネットで覆うためのパイプ支柱とネット代金は、通常のハウス価格の3分の1くらいでできるらしい・・・25万円くらいか?
(3)ハウスのようなビニールは使わないので、これに関する費用はゼロ。暴風ネットは、耐用年数が10年以上あるのではなかろうか。
(4)10アールあたり、何本の苗木が必要で、いくらかかるのだろうか。
(5)7月中旬~10月末頃までが収穫期らしい。10アールあたり、どれくらいの概算売上になるのだろうか。
(6)Hさんの集落にはイチジクの組合があり、7軒ほどがイチジク栽培をされているらしい。
(7)組合があると、定期的な講習会や見学会があると思う。そういう点では、1人でするより心強い。
(8)イチジクの剪定や冬場の処置など、詳しいことは組合が教えてくれるだろう。
(9)イチジクもかなり大量の水を必要とする。元々は田んぼであるし、川が近くに有るから、水には困らないらしい。
(10)イチジクの木の寿命は何年くらいなのだろう。一度植えたら30年くらいは持つのではなかろうか。30年持てば、ほぼ一代である。
(11)果樹は一度植えたら、後は、野菜のように何度も耕転する必要のない不耕起栽培である。冬に堆肥や落ち葉を大量に敷き詰めたり、草押さえに稲ワラなどを全面に敷いているようである。
(12)イチジクは、モモやブドウに比べて、農薬散布回数はかなり少なくてすむらしい。
(13)・・・たら、もし・・・、ではないが、もう10年若い44才で、そして、5アールあたりの暴風ネットと、ネットを支えるパイプ支柱と、作ってもらう人件費の合計が30万円以下ほどですむなら、ワンパック宅配と並行して、イチジクのような専門作物も考えてみる価値が十分あったような気がする。54才の今では、後何年、農業が出来るかを考えると、新しいことには挑戦しづらい。
(14)イチジクの起承転結で、自分の得意とする箇所があるだろうか考えてみたら、得意と思えたのは、単純作業の収穫だけだった。「単純なやつ」と思わないで下さい。全農作業のほぼ半分は収穫、仕分け、出荷作業であり、「手早に収穫する」というのは、大切な農業適性の一つである。
(15)ハウスのビニールのように、1~2年に一度張り替えという手間もなく、暴風ネットはビニールのように破れたりする心配はないので、トリ小屋の建物のように、一度設置すれば、後はもう暴風ネットに関しては何も手間がかかることはないと思う。
(16)仮に今44才であるとしても、イチジクに対する諸々の投資(暴風ネット、設置人件費、苗木代、その他)の合計金額が30~40万円ほどかかるとすると、やっぱり自分はこれだけの投資には勇気がなかったと思う。あまり冒険しない性格である。そして、それだけの投資をしても、確実に成功する(儲かる)という保証はない。
(17)以前、農業を全く知らない人から、「ある程度は投資しないと、ビジネスにはならない」と言われた。有機農業は、他の農業ジャンルに比較したら、投資金額はごく少ない方だと思う。それでも、軽四74万、物置とトリ小屋41万、井戸27万、管理機9万、エンジンポンプとホース8万、草刈機6万、乗用トラクタ(父が購入していた)、そして電気柵8万・・・これだけで173万の投資になっている。農業を始めると、次から次へといろんな必要経費が出てくるから、下手に手を出すと持ち出しだけで終わる。何もしないほうがよっぽど得。
(18)投資するなら、自己資金の範囲内でとどめておいた方がよい。借りると農業収入では返済できない。結局自分には、ちょっと冒険をする30~40万の手持ちがなかった。
(19)集落内で何軒か作っているというのは、競争になる反面、教えてもらったり、相談したりと、助かる面も多いと思う。45年前の「葉タバコ」に関しては、集落内の生産者の競争ばかりが、子供心に目に映り、あまりいい思い出はない。でも集落内に同業者がいるというのは励みになったのか、集落内の生産者のほとんどが葉タバコ栽培を止めたのは、1~2年の間の同時期だったように思う。
(20)果樹をするなら、やはり、次の代がイメージできた方がいいのではないかと思う。その人の一代限りなら、果樹に投資するのは、投資金額が大きすぎるような気がする。
(21)台風、長雨、少雨、高温障害、低温障害など、最近はおかしな気候が目立つ。特定の種類を専門的に作ると、豊作の年と不作の年がはっきり分かれてしまうのではなかろうか。
(22)新しいことを試みたいために、今までしていたことと並行して進めるというのは、肉体的にも精神的にもきついが、並行して進めるのは2~3年の間と思う。2~3年の間に見えてくるというか、気持ちの踏ん切りがつくと思う。農業の世界で華麗に農業形態を変えていった人は、この並行処理がうまかった人である。
農業形態を変えれるほどの人は、農業の世界でもエリートである。凡人は変更する能力がない。
(23)野菜の不耕起栽培をするなら、果樹の不耕起栽培の方がはるかに報われると思う。果樹は元々、何十年という期間、不耕起栽培である。不耕起栽培というのは20~30年というスパンで考えるものだと思う。2ヶ月~長くて8ヶ月ほどで回転する野菜の不耕起栽培は、少し無理があるような気がする。
(24)ニューファーマーズの人は多分こういう農業への入り方をするのだと思う。作物がイチジクとすると、
○イチジクの営農組合もしくはイチジク団地ができている産地の高齢化が進み、後継者もいないため、産地を維持するため(畑潅設備や集荷場等の、行政や農協からの補助金でできた莫大な投資を短期間に無駄にしないため)に都会へ就農希望者の募集をかける→補助金もあり。
○すでに産地化されている地域へ入るのだから、指導体制はきちんとできている。要は、就農希望者がそれをやってのけれるかどうか、問題はただそれだけだと思う。
○最近は、初期に大きな投資をすることなく、例えば、イチジクの田んぼを管理する賃借料を支払って就農するパターンも多いようである。これだと、イチジクの苗木を買う必要もなく、幼木から成木になるまでの期間を待つ必要もなく、水の問題を考えることもなく、イチジクの木の管理方法さえわかり、それがさほど苦手でなければ、2~3年の内に、一人前のイチジク生産者になれる。レールを敷く能力はいらない。レールの上をうまく走る能力があればよい。レールを敷く能力と、レールの上を走る能力は、かなり違った能力だと思う。
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左が昨日、右が今日の液肥。今日の方がより盛り上がっている。水は8分目までしか入れていないが、メタンガスが出ているのか、ヌカを押し上げている。
これ以上だとこぼれだすので、今日はヌカを少し取り除いた。

ニンジンの水やりが毎日欠かせない。発芽して今日で3日目。ニンジンは針のような芽をだして、最初は糸のように細い。あの太いニンジンになるとは想像も出来ないような発芽初期のニンジン。今後はぐんぐん大きくなり、9月のお彼岸時分に最終間引きをして、11月3日頃には出荷できる大きさになる。

左がキュウリ、右がニガウリ。水が足りないと、キュウリはすぐに曲がり、尻細になる。

ホースの先にこんなジョロをつけて水やりをしているが、可能なら、稲のように水路から水を引き込んで、畝間に一晩、水をたたえるくらいたっぷり潅水した方がよい。

草に覆われて見えないが、柿の木のすぐ傍らに細い水路があり、水が流れている。だから柿の木が水不足になることはない。逆にキーウイは、物置の前(液肥の隣)にあるので、2日に1度は水やりをしている。
今日は満月に近いお月様だった。お月様だけを見ると、もう秋の気配だが、昼間はまだ猛暑。3時半頃まで田んぼに出る気がしないが、夜が早くなったので、3時半がまわると野良着に着替えて田んぼに行く用意をする。
5時から7時までの2時間は水やりの時間である。5時はまだ、照りつけるような西日だが、日が落ちると涼しくなり、7時はもうかなり薄暗くなる。2時間、エンジンポンプを回し続けても、井戸水が切れないことがありがたい。水は
(1)ため池のみず
(2)川の水
(3)田んぼのそばの細い水路を走る水
(4)井戸水
自分の田んぼは、川からは遠く離れているので川の水をポンプアップすることはできない。ため池の水も、稲を作っていないので、もらいづらい。田んぼのそばの細い水路を走る水は、ため池の水である。その水路も、稲に水が必要な6月15日~9月20日頃の3ヶ月間ほどしか水は流れない。9年目の秋に井戸を作ってからは、井戸水しか使っていない。
水代はかなり高くついている。理由は
(1)井戸代→276000円
(2)井戸の小屋代→100000円(3年前の10月の台風23号で吹き飛んだ)
井戸に関しては合計で376000円支出している。今年の秋で10回使ったことになる。現役で出荷農業をがんばれるのは後10年ほどだろうから、使うとしてもトータルで20年しか使えないことになる。376000÷20年=18800円。つまり、年間で水代として、18800円かかっていることになる。小さい金額ではない。
野菜や果樹の産地では通常「畑潅」という設備ができていて、コックをひねれば水が出るようになっている。その場合、使っても使わなくても1反(10アール)につき7000円ほどかかるらしいので、自分の田んぼに当てはめて考えると7000円×3反(30アール)=21000円なので、井戸も畑潅もあまり金額的には大差ないと言える。 あなたの一票が、農業ルポライターへの
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8月下旬のワンパック
タマネギ・・・・・250円→5月末収穫の在庫品
ジャガイモ・・・・200円→6月中旬収穫の在庫品
キュウリ・・・・・100円→少ししか収穫できなかった
ナスビ・・・・・・・500円→多く収穫できたから×2倍出し
ピーマン・・・・・200円
オクラ・・・・・・・150円→多く収穫できれば×2倍出し
ナンキン・・・・・250円→7月下旬収穫の在庫品
トウガン・・・・・300円→8月中旬収穫の在庫品
ニガウリ・・・・・100円→少ししか収穫できなかった
エンサイ・・・・150円→確実に計算できる葉野菜
ツルムラサキ・200円→確実に計算できる葉野菜
サービス品→青シソ、ニンニク、ハーブティ用3種類
合計2400円、送料800円、総合計3200円
上記の品目をちょっと見てもらったらわかるように、7月、8月、9月のワンパックは、キュウリ、ナスビ、ピーマン、オクラの4種類さえ失敗しなければ、ワンパックを組むのは案外簡単である。ナスビは7月下旬~8月下旬の1ヶ月休ませれば害虫は問題ないし、他の3種類はたいてい失敗しない。
でもこれを、月、水、金と常時7パック送り続けるのは簡単ではない。タマネギ、ジャガイモ、ナンキン、トウガンの在庫野菜もたくさんかかえておく必要がある。
7パック×月、水、金の3回=1週間に約20パック
20パック×4週=1月間に80パック
80パック×10ヶ月間送付=800パック
ワンパックの平均価格を3000円とすると、その内の野菜代は
3000円-800円(送料)=2200円。
800パック×2200円=176万円(年間の野菜総売上金額)
176万円-70万(年間総経費)=106万円。
しかし手取り100万の大台に乗せようとすると、かなり至難である。理由は、
(1)ワンパックの始まる5月と、ワンパックの終わる翌年2月は、どちらの月も、野菜の種類がそろわない。必然的にワンパックの価格が下がる。もしくは、送るパック数を少なくして対処する。
(2)5月、2月以外の月でも、特定の野菜に失敗すれば、その分、ワンパックの価格は下がる。他の野菜を×2倍で対応するにも限度があるし、他の野菜に負担がかかる。
(3)その年の途中で顧客との取引が終われば、その分、送付パック数は少なくなる。
対応策は、ワンパック価格の上限を3200円と考えると、
(1)野菜の単価をすべて、少しずつ値上げする。そして、ワンパックの価格は上げずに、種類を少し減らす。
(2)ワンパックの野菜の平均単価を2200円でなく2400円に常時もっていくようにする。
(3)送るワンパックの数を1回平均7パックでなく、1回平均8パックにする。
その他、ワンパック野菜の問題点として、
(1)キュウリ、ナスビ、ピーマン、オクラの4作物に関しては、その日の出荷軒数にかかわらず、収穫適期に達していれば全て収穫する必要がある。つまり収穫ロスがでやすい。
(2)例えばレタスなど、少し不結球の時から出し始め、少し過熟気味になっても、出荷せざるを得ない。
(3)タマネギに関しては、保存中にかなりの腐敗球が出る。
(4)ナンキンも保存中に何割か腐敗する。
(5)7月には出荷できたニンジンが、8月は高温障害が出て出荷できなくなる。
(6)12月には出荷できたハクサイやシュンギクが、霜で傷んで、1月中旬を過ぎると出荷できなくなることがある。
(7)10月はおいしいサトイモだったのに、いらぬ水分を吸ったり、寒さにあたったりして、1月頃には、かなり味が落ちる。
(8)緑がきれいだったネギが、年が明けて大寒を過ぎる頃になると、寒さで茶枯れした部分が多くなる。出荷の時にその部分を取り除く手間がかなりかかってくるようになる。
(9)年が明けると、ダイコンとカブは寒さ避けに、土中に埋め戻すという一手間がかかるし、カブは埋め戻すと二次成長を始めることがある。
市場出荷においても、寸法、重量、外観という高いハードルをクリアする必要があり、規格外品(ロス)がたくさん出るだろうが、ワンパックでもかなりロスが出てしまう。
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ニンジンを蒔いて5日目の今朝、黒い寒冷紗を取り除いた。何とか発芽してくれた。ただ、この暑さなので「立ち枯れ」が出ないかちょっと心配。

秋ナスの成り始めの頃は、勢いがあまっているのか、左の画像のようなナスビがかなりある。2週間もすれば、こういう変形ナスビはほとんど出なくなる。
右の画像のように、葉が茂らずに、実がよく見えるような樹が理想である。メタン菌液肥は米ヌカが主体なので、そんなに「葉勝ち」にはならない。

キャベツとブロッコリーの種を蒔いてちょうど10日目。白い寒冷紗をかぶせて、虫避けと日避けをしている。去年までは、薄い黒い寒冷紗だったが、今年から白い寒冷紗にした。
寒冷紗をしていても、どこから虫が入ってくるのか、ここ数年、虫害が多い。多分、水やりの時とか、すそや破れた箇所などの少しの隙間から害虫が入ってくるのかもしれない。今年は今の所大丈夫だが、まだどうなるかわからない。

それぞれ、ヌカ1袋半、ナタネカス5キロほどを仕込んで3日目の画像である。上部に厚いヌカの層ができている。多分、メタン菌がメタンガスを発生させてヌカを上に押し上げているのだと思う。注意点は、
(1)9割仕込むと、ヌカが上にふきでてしまうことがある。水の量を8分目くらいにしておくと、ふきでてしまうことはない。
(2)上のようなことがあるので、蓋をかたくしめないように。
一昔前は、ヌカはとても貴重なものだったので、出回ることはなかったが、45年後、ヌカは廃棄物のような存在になった。純国産のこんな有益なものを使わない手はない。無料で手に入るので、これを大いに肥料として活用することである。しかし、生ヌカでは害があるので、このように液肥にすると効果的である。
理論や理屈ではなく、実際に使ってみて、とても効果的なので、勧めている。

大好きな青シソ。トーフやソーメンの薬味に大活躍してくれる。収穫し続けないと、すぐに葉が固くなる。収穫すればするほど、わき芽が伸びる。新しいわき芽は、葉がしわくない。
9月は、葉シソから花シソに移り変わる季節である。もちろん花シソもきれいで、風味があり、ワンパックに入れると喜ばれる。
24日付山陽新聞より「企業の農業参入セミナー」
「農業分野への参入を希望する企業を対象にした、岡山県主催のセミナーが市内のホテルで開かれた。三菱総合研究所の主任研究員が講演し、利益を上げるには、有機栽培を始め、山菜のタラノメのように一般の農家が手掛けない作物を選ぶことが必要とアドバイスした。農業機械を購入するための低利融資制度の説明や個別相談もあった。
セミナーは国の構造改革特区が始まった2003年に2回実施。2005年9月の改正農業経営基盤強化促進法施行で、企業の農業参入規制が緩和されて以降、県に手続きや参入事例などの問い合わせが増えているのを受け、あらためて企画した。」
個人営農はすでに壊滅的であるから、農業分野に企業も参入してもらわないと、日本の自給率はもっと下がる。
ただ、企業としては、
(1)イノシシやシカが荒らすことのない「施設型の農業」をするだろう。
(2)盗難防止のセキュリティのできる農業しかしないだろう。
(3)広い面積は確保できないので、必然的に作付品目は限られてくるだろう。
(4)輸入ができにくい品目に限られるだろう。
農業分野に参入しても、下記の理由で利益はごく少ないだろう。
(1)たとえば「コマツナ」や「ホウレンソウ」のように、収穫までの期間がごく短い野菜でも、50~60日もかかる。その間、施設は他の事に流用できず、そのことだけにしか利用できない。
こんな時間回転率ではたして企業利益が生じるだろうか。
(2)「コマツナ」の施設は「ホウレンソウ」の施設に転用できても、「キュウリ」の施設には転用できないと思う。儲かる作物は一定ではない。多くの企業がコマツナに殺到した場合、どう対応するか。
つまり、企業が参入しても、農業は甘い世界ではないと思う。そして、春夏作のナンキンとかサツマイモ、秋冬作のハクサイとかキャベツのように、作る上で大面積が必要な野菜は、どう考えても企業が参入してくるとは考えられず、個人営農も、勝負できる品目は限られてくるかもしれないが、十分に生き残れる。
いろんな農業分野に補助金をばらまくのではなく、逆に「国営農業」として、国が農業に参入し、全国一律「年収180万で受け入れ」みたいな形で、100万人のフリーターの働き口を作ってあげることはできないだろうか。
「資本主義」と「農業」の関係はどうなんだろう。企業は、多くの個人営業の仕事を奪って、個人営業を成り立たなくしてしまったが、最後の砦というべき「農業」ではどうだろう。
(1)時間回転率のあまりの悪さ
(2)2本足や4本足の害獣からのセキュリティの問題
(3)農業施設の運用と効率、転用の問題
はたして企業は、農業をも、うまく資本主義に取り込むことができるでしょうか・・・これは見ものである。
種に関しては、国内の大手2社(タキイ種苗、サカタのタネ)が独占的である。野菜もそのようにできるなら、企業が農業で大儲けするだろう。
ニワトリに関しては、資本主義的飼い方(大規模、大羽数)が、鳥インフルエンザの発生を促したと自分は考えている。そして資本主義的飼い方は、たった一つから発生しただろう、ごく小さな微生物に対して何の方策もとることができない。
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野菜を作る上で最も大切なことは、旬のものを旬に作ることだと思う。旬に忠実にしていれば、あまり害虫はこないし、とにかく作りやすいし、収量も多い。旬のものだけ作っても、ワンパックに入れる品数は十分揃う。
野菜の種類は多いように見えて、意外と少ない。
春夏野菜・・・・15種類
秋冬野菜・・・・10種類
冬越野菜・・・・ 4種類
主な野菜は、たった29種類である。
春夏野菜
(1類)タマネギ・ジャガイモ
(2類)キュウリ・ナスビ・ピーマン、オクラ
(3類)ナンキン・ニガウリ・トウガン
サトイモ・サツマイモ・ヤーコン
(4類)エンサイ・ツルムラサキ・青シソ
秋冬野菜
(1類)ニンジン
(2類)ハクサイ・キャベツ・ダイコン・カブ・ブロッコリ
(3類)ネギ・シュンギク・ホウレンソウ
(4類)レタス
冬越野菜
エンドウ類・(タマネギ)・春キャベツ・春レタス
地域によってかなり違うと思うが、当地では、秋冬野菜は8月のお盆明けからスタートする。秋の野菜作りは以外と簡単である。ニンジンは発芽さえすれば成功だし、2類のアブラナ科野菜は、もし害虫がこなければ、ほとんど手間がかからないし、3類、4類は失敗したことがない。
秋冬野菜はナスビやピーマンのように次々と成ったり、エンサイやツルムラサキのように次々とわき芽が伸びる野菜ではなく、1回収穫すると終わる野菜なので、広い面積がいるが、寒さに向かう秋は草があまり生えない。
エンドウ類は代表的な冬越し野菜であるが、タマネギも冬越し野菜である。冬越し野菜は4月中旬頃から取れ始め、5月から本格的な収穫が始まる。
春夏野菜の内、オクラ、ニガウリ、トウガン、ヤーコン、エンサイ、ツルムラサキ、青シソの7種類は特殊と思われるかも知れない。これらを除くと、春夏野菜はたった8種類であり、現に家庭菜園では8種類だけを作っている人も多い。
春夏野菜の内、サトイモ、サツマイモ、ヤーコンの3種類は、春に植えつけるが、収穫は秋になってからであり、春夏野菜としてだけでなく、秋冬野菜としても出荷をする。
秋冬野菜は2月末で終わり、冬越野菜は主に5月に入ってから収穫なので、3月と4月は野菜の大きな端境期である。せいぜい自給用くらいしか、野菜は確保できない。
秋冬野菜が収穫期に入るのは11月に入ってからであり、11月、12月、1月、2月の4ヶ月間が秋冬野菜の出荷である。
秋冬野菜は霜に2~3回あたった12月上中旬頃から最もおいしくなるが、年を越して毎日のように霜にあたりだすと、逆に傷み始める。
冬越野菜の出荷は5月である。5月は野菜の種類がそろわないので、ワンパックに苦労する。豆類×3倍、レタス、キャベツ×2倍、ハーブ類を多めに入れたワンパックである。
春夏野菜の出荷は、6月、7月、8月、9月、10月の5ヶ月間である。冬越野菜が終わり春夏野菜はまだ生育途上である6月上旬も種類が揃わない。ジャガイモを早堀りしながら、タマネギは×2倍、春に蒔いたコマツナとレタス、冬越しのキャベツ、収穫末期の豆類を入れたワンパックである。
7月は豊富。8月はナスビがないだけ。9月はサツマイモが収穫できるし、秋ナスもあるし、種類は豊富。10月は春夏野菜がそろそろ終わりに近づき、野菜の種類が少なくなる時期である。サツマイモとサトイモを主体に、端境期をフォローしてくれる3種類(インゲン、レタス、ハヤトウリ)を入れる。
インゲンを春夏野菜にも秋冬野菜にも加えなかったのは、収穫期が2週間(ツルあり品種は1ヶ月)ほどと短いからである。
忙しいのは5月~10月の6ヶ月間である。11月に入るとやれやれと思う。11月中旬のタマネギの定植が多いと大変だが、自分は1500本ほどしか植えていない。12月、1月、2月の3ヶ月間は出荷だけで農作業はほとんどない。3月から農作業がぼつぼつ始まるが、3月、4月は出荷がない。
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夕食が終わると、習慣的にパソコンの前に座る。書くことも多分「習慣的作業」なのだと思う。3度の食事をするみたいに書きたいと思う。食事は1回たりとも飛ばすことはないし、作文もそんな風になりたい。
今の社会は独立してできる仕事が少ない。現在70才くらいの人では、「大工さん、左官さん」などの独立自営業の人が、集落にも3人おられるが、60才以下の世代では誰もいない。もちろん農業者など全くいない。
60才以下の世代では、元々の農家であり、田んぼも畑もあり、教えてくれる親がいても、子供は農業をしない(親も反対する)時代であるから、都会の非農家出身の人が農業を始めることは極めて難しいと思う。
サラリーマン社会での挫折、病気等の身体的事情、本人の哲学的思想などの理由により、都市の非農家出身の若い世代の人が田舎暮らしを始めているのを時々見かけるが、その人たちにも2通りあって、
(1)特定作物の専業農家をめざそうとしている人
(2)農法や環境にこだわり、自給自足が中心の人
(1)の場合、ハウス設備等にかなりの元手がかかるだろうし、本人に適性があるかどうか、成功するかどうかは未知数である。
(2)の場合、永遠にアルバイトの必要性がありそうに思う。
30代前半というのは、人生の職業の進路に関して、最も悩み多き年代ではなかろうか。
30代前半までに、きちんとした勤務先に勤めていない場合、この国ではもう、正社員になれるチャンスはかなり少ないらしい。
20年余り前、自分が30代前半の時でも、事務職で正社員になれるような会社はごく小規模であり、自分の希望する内容とは程遠い内容だった。この国では、新卒の時にしか、希望する会社には入れないし、運良く入れたら後は前だけを向いて、よそ見をせずにレールの上を走り続けるしかないのである。しかし、組織の中でうまくやっていける人は、そうたくさんはいないし、人並みに組織の階段を上がっていける人も多くはないと思う。。
新卒で入った会社に定年まで行き続ける人はいったい何割くらいなのだろう。半分くらいだろうか。新卒で入った会社でうまくいかなかった人も、30~35才くらいまでに、何とか希望通りの次の会社で正社員になれた場合はよいが、それもうまくいかなかった人は、どういう人生を歩んだらいいのだろう。
自分は30代前半の頃まで、なにをやっても、どうもうまくいかなかった。努力もしたつもりだったが、学生時代の4年間に何もしなかった冷え切った鉄を力任せに打ち続ける、空回りの努力だった。未来が見えなくなった時、農業がひらめいた。
農業を選んだことに後悔はしていないが、経済生活は超低空飛行が続くことになった。多分、特に優秀な農業者を除いて、後に続く農業者は自分と似たり寄ったりの道を歩むことになるだろう。18年目の農業に未だ活路が見出せないとは情けない。しかし、54才の自分に今更何ができるだろう。農業に転身した時から、もう他への転身は考えられなかった。こんな時いつも思い起こす言葉は、「生涯を通して、決意した自分に絶望的に賭けるのだ。変節してはならない」という岡本太郎さんの言葉である。今まで17年間やってきたことを続けるしかない。
発達した資本主義の下では、農業をしても、いいことにはならない。それはここ45年の農業の歴史が教えている。そしてこの傾向はますます顕著になっていくだろう。農業は、
(1)やってのけれる特別の才能のある人の世界である。
(2)いくらでも輸入で対応できる。
(3)輸入が途絶えることになれば、その時こそビジネスチャンスなので、企業が新規参入してくる。
(4)値がよければ、盗まれ続けるだろう。米しかり、サクランボしかり、ブドウしかり。
(5)害獣が加速度的に増えており、ますます防御に手間隙がかかるようになる。
体力の衰えも少し自覚しながら、何とか現状をキープしながら、70万ほどの年金ライフへつないでいこうとしている。自業自得、身から出たさび・・・。
まだ30代、40代の若い農業者であるあなたに、ボクの現況から、何か学んで欲しいと思う。人生が引き算になる50代からは、なかなか新しいことはできない。できるのだったら、40代末頃までにできているはずである。
都会に住む30代前半の、正社員ではないあなたに、農業という新しい道への選択肢を提示できればよいのだが、現在の自分は農業に展望が見出せないでいる。でも、しゃにむに農業にしがみついている。他の世界はもっと絶望的に見えるから。
大多数の人間は今、土のある生活から、完全に切り離されている。多分それは生涯にわたって土から切り離された生活である。しかし自分は、土に根ざした生活ができていて、かろうじてそれが自分自身の拠り所になってくれている。
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農業に必要な経費を、過去3年間の総勘定元帳を見ながら、平均値を書き出してみた。
ガソリン代・・・・年間6万円ほど。自分が持っている車は農業用軽四のみ。田んぼ見学、田んぼの往復、宅急便営業所の往復。
農具消耗品費・・・・年間5万円ほど。収穫ハサミ、カマ、麻ヒモ、育苗用土、黒マルチ、黒マルチ処分料、地下足袋、防鳥ネット、トラクターの軽油等。
事務消耗品、通信、雑費・・・・年間9万円ほど。パソコンインク、コピー用紙、カットバン、目薬、メールビン(宅急便)、パソコン指導料、ガムテープ、切手代、納品書、ポリ袋代、各種封筒、インターネット料金。
作業用衣料費・・・・年間1万円ほど。軍手、軍足、作業ズボン、作業ポロシャツ。
田んぼ見学費・・・・年間4万円ほど。
種苗費・・・・年間5万円ほど。タキイ種苗、ナント種苗、サカタの種、ジャガイモの種芋代、苗代。
肥料費・・・・年間5千円ほど。ナタネカス、米ぬか(もらいにいけば無料、急ぐ場合は買う。買うと1袋100円)。
飼料費・・・・年間5千円ほど。コゴメがきれた場合に購入。
農薬費・・・・年平均千円。アブラナ科野菜に使う農薬を買う年もある。
修繕費・・・・年平均1万円。農機具店支払い。
月刊誌・・・・年間6千円。有機農業研究会(土と健康)
車検料・・・・2年に1度。年平均6万円。
自動車保険・・・・1万8千円。
乗用トラクタ、軽四の税金・・・・5600円。
借地料・・・・1万2千円(22アール)。田んぼの半分は借地である。
飛び地を合計すると、私有地は90アールほどあるが、畑作に適した土地は少なく、早朝収穫時に、軽四での移動時間はとれない。
減価償却費・・・・年間8万2千円ほど。内訳(物置とトリ小屋12000円、井戸8000円、軽四車庫波板取替9000円、パソコン一式22000円、軽四31000円)。
電話代・・・・年間7万円ほど。イタリア料理店への電話代。IP電話にしたので、今年から少し安くなるはず。
振込手数料・・・・年間2万3千円ほど。郵便局の振込料は当方負担。この金額が以外と大きい。近いうちに、先方負担にしてもらおうと思う。
合計すると597600円であるが、年平均で60~70万かかると、頭に入れている。農業者それぞれ、どんな必要経費がかかるか違ってくると思うが、農業生産物を売ろうと思えば、案外と経費がかかる。
なお、ケース代(ダンボール代)とクロネコ運賃(送料)は、先方負担なので、ここには計上しなかった。地域フリー、120サイズで800円負担してもらっているが、3品ほどサービス品を入れるので、実質先方負担送料は300円ほど。これくらいにしないと、買ってはもらえない。
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ナスビに水やりをしている。毎日はできなくても、1日おきくらいにした方がいい。夕方たっぷり水やりをしたと思っても、翌日の夕方にはもうからからである。
ナスビは毎年44本定植している。ナスビの一生を追ってみた。
(1)ここは前年の秋冬作でロケット(ハーブ)を植えていた。
(2)ロケットの畝をそのまま、ナスビに利用することにした。
(3)3月中下旬、ロケットにしていた黒マルチをはがして、メタン菌液肥とクン炭(焼きすくも)を施す。肥料はこれだけ。トリ小屋の鶏糞を少々使うこともある。
(4)井戸水をポンプアップして、液肥を10倍ほどに薄める。
(5)翌日、あまり乾かないうちに、かまぼこ型の畝(中央を高くする)にして、すぐにまた黒マルチを敷く。
(6)これでナスビの定植準備は完了。
(7)毎年、4月上旬頃、義兄がナスビの苗をくれる。44本だけ定植する。すでに6~7年、この本数を定植している。
(8)市販の苗を購入すれば、44本×60円=2640円。ナスビのように定植までの育苗期間が長い作物は、種からスタートすると手間がかかりすぎる。種代は70粒で525円(品種、黒陽)もかかるし、育苗は50~60日間もかかる。
(9)定植後、たっぷり水やりをして、場合によっては、遅霜避けに、ごく薄い毛布のような資材をべた掛けすることもある。
(10)活着後、ある程度大きくなったら、風で倒れないように、簡易な支柱を1本(自分の場合は120センチのポール支柱)して、ナスビを支柱に結ぶ。
(11)これでしばらくは放任。
(12)ナスビに1番花が咲いたら、一番花のすぐ下のわき芽を2本残して、その下のわき芽は取り除く。
(13)もらう苗は市販のよりかなり大きいので、6月上中旬には成り始める。
(14)44本で、収穫時間は最盛期で10分ほど。月、水、金と収穫。
(15)茎葉が茂って、倒れそうになったら、もう1本の支柱をして十字にする。
(16)7月20日が過ぎる頃には、ニジュウヤホシテントウ(テントウムシダマシ)という害虫が大発生するので、茎を3分の1ほど切り戻し、葉は全部落とす。この剪定に44本で1時間ほどかかる。
(17)35日ほど経過すれば、秋ナスが成り始める。今年は7月23日更新→8月20日にはもう収穫できたので、1ヶ月もかからなかった。
(18)秋ナスには、自分の田んぼでは、全く害虫がこない。
(19)例年、お盆の前頃から、水やり作業が加わる。1日おきにナスビに要する水やり作業は10分ほどである。
(20)害虫はこないが、9月は台風が来る。簡易支柱にしておいて、早く倒れた方が被害が少ない。
(21)台風後、すぐに起こすが、44本なので、1時間もかからない。
(22)元肥だけで、例年、追肥はしていない。それでもよく成る(ナスビの専業農家がどれだけ成らしているのかよく知らない)。
(23)ナスビの株間に、11月10日頃、エンドウ類の種を蒔くので、蒔く前日に鋸でナスビを切り倒す。つまり11月9日がナスビの最終収穫日。
(24)夏ナスビの収穫は6月上中旬~7月20日頃までの40日間。
(25)秋ナスビの収穫は8月末~11月9日の75日間。合わせて4ヶ月足らずがナスビの収穫期間となる。
(26)44本のナスビの内、40本は最後まで生き残る。定植直後にネキリムシの被害で1~3本やられる年もあるが、台風でやられることは少ない。しかし、台風後は傷ができて、1週間ほど出荷しずらい場合もある。

昨日蒔いたニンジン等に、寒冷紗の上から今日も水やりをした。

夕暮れの集落。

暑いのに、ニワトリはくっついて寝る。

いじめられている3羽は、巣箱の中で寝るが、今日は3羽がすべて一つの巣箱で寝ようとしている。暑かろうと思い、2羽を巣箱の上に出してやったが、すぐにまた、同じ巣箱の中に入った。
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山陽新聞には、作家の高村薫さんの「現論(現代を論じる)」がよく出てくる。この女性作家の論考には、いつも納得させられる。尊敬しているが、まだ一冊の本も読んでいない(読む時間がとれない)。
今日の新聞の「団塊世代の生き方」という現論に
「国民年金の受給者層は60を過ぎても働かざるを得ず、悠々自適とは生涯縁がないと思われる」・・・自分のことを言われているような気がした。わずかな金額(年間67万ほど)の国民年金が支給されるだろう65才くらいまで働き続ける必要があるなら、
(1)楽しく農業を続けれるように、今以上に工夫する。
(2)無理をしない農業で稼げる金額を見通す。
「この国は老いにお金がかかる社会であり、将来的にこの傾向がさらに進む現実から目をそらすことはできない。安定した老いは大部分、老いる者自身の責任である」・・・老いに対する準備資金はゼロ。元気で、ある日突然バタンキューと逝かせてもらえるように運命に祈ろう。
「自身の社会的役割を縮小すると同時に、生活全体のサイズをも少しずつ縮小し、物理的にも身軽になってゆくべきである」・・・農業を始めてから、身辺を限りなく身軽にしてきた。そうしないと農業を継続できなかったから。酒、タバコ、ギャンブル、旅行などは一切なし。田んぼに出ることが、自分自身の遊びであり、癒しになるような農業をしてきたつもり。最近、ガソリン代がバカ高いが、ふら~っと出かけるドライブや、田んぼ訪問が楽しみ。それだけ。

今日(19日)、ニンジンの種を蒔いた。週末は雨のマークだったが雨が降らず、来週も全部晴れのマークだったので、今日蒔くことにした。
ニンジンの他に、ツルナシインゲン、レタス4種類、ディル(ハーブ)を蒔いた。

上の画像の管理機で再度きちんと畝上げをした後、2条にがんぎ(蒔きみぞ)を切り、種を蒔く。ニンジンは光好性種子のため、種を蒔いた後は土はかぶせず、片足を蒔き床に置き、よく鎮圧(土と密着させる)して歩く。
インゲンは、かまぼこ型に畝上げをして、その真ん中にがんぎ(蒔きみぞ)を切り、50センチ間隔ほどに、種を3粒ずつ落とす。インゲンは種に土をかぶせる。

種を蒔いた後、クン炭(焼きすくも)をたっぷりふる。目的は、強い日差し避けと、湿度を保つためと、強い雨にたたかれないようにするためである。

ニンジンの右側に、育苗床として、レタス4種類とディル(ハーブ)を蒔いた。つまり、育苗して定植する野菜である。ニンジンよりちょっと広めの畝立てをして種を蒔いた後、画像のフルイを使って、育苗床に細かい土を落とす。フルイを使うのは、育苗床に種を蒔いた後、土をかぶせる時だけである。その後、クン炭をふるのは、ニンジンと同じである。
秋ジャガイモの仮植え(芽出し)は、あまりに高温なので4~5日遅らせることにした。

ニンジンの左のツルナシインゲンには、クン炭の上からまた、すくも(もみがら)をふったが、すくも(もみがら)をふったのは無意味だった。 その後、エンジンポンプで井戸水をポンプアップし、50メートルホースの先に取り付けたジョロで、たっぷりと湿らせた。

その後、黒い寒冷紗をべた掛けした。あまりに暑いし、寒冷紗をかぶせておけば、湿り気が長く保持できると思った。稲ワラがあれば稲ワラでよい。
育苗床には、白い寒冷紗をトンネル状にしてかぶせた。高温なので、レタスの種蒔きを少し遅らそうかと思ったが、毎年、ニンジンと同じ日に蒔いているので、今回もそうした。
ニンジンは5日間で発芽するので24日(金曜日)には発芽するはずである。インゲンとレタス類は何日で発芽するか、記憶に残っていない。発芽したら、黒い寒冷紗はすぐに取り除き、白い寒冷紗はそのままにしておく。
過去17回の経験を総動員して18回目に生かす。でも技術的には4~5年で、自分の場合は頭打ちだったので、後はワンパターンの繰り返しになった。まあ、微妙に毎年少しずつ蓄積はあっただろう。
ずらし蒔きはしない。最適期に、どんぴしゃ1回で成功させる。そうしないと、種代が2倍、手間が2倍、面積が2倍、時期がずれると、余分な手間、収量も違ってくる。
ずらし蒔きは春夏作のキュウリ(4回)、秋冬作のシュンギク(2回)、ホウレンソウ(3回)、ロケット(4回)のみ。

ニンジンと道を隔てた田んぼの畝上げをした。キャベツ、ハクサイの定植、ダイコン、カブの種蒔き用地であるが、早く液肥を散布して、次の仕込みをしておかないと、秋冬作は液肥の使用が9月に集中する。高温時に仕込んでおくと、出来上がりが早い。
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メガネをとっかえひっかえしている。パソコンをする時はパソコン用メガネ、それ以外は遠方がよく見えるメガネ、つまり老眼と近眼を合わせた遠近両用メガネ。
ブログを始めてから、メガネ一つでは間に合わなくなった。4月にパソコン用メガネを買うまで、8ヶ月もよく我慢したと思う。パソコン用メガネはパソコンにピントを合わせてあるので、かなり見やすい。それでも最初はパソコン用メガネを長時間かけていると目が痛くなったり、疲れたりした。しかし、こういうものは慣れるしかないんだと思って、かけ続けているうちに、あまり抵抗がなくなった。とっかえひっかえにも慣れたが、めがねの購入頻度が増した。4月6日にパソコン用メガネを52000円で購入したが、年内、もしくは来年の夏頃までには従来の遠近両用メガネもすでに寿命がきているから、新しく購入した方がよいと言われた。メガネは3~4年サイクルで購入しているが、1つならまだしも、2つになったので、維持費も結構かかりだす。
江戸時代には士農工商という封建的差別制度があった。確かに差別はあったのだろうが、格差はほとんどなかったと思う。武士と農民がごっちゃに集落内で住居を構えているということはなかったはずだから、日々、差別を意識する状況に見舞われることはなかったと思う。
現代は差別はないが、同じ集落内で、収入格差が顕著になった。皆が農業をしている時代には、収入格差は2倍もなかったはずだが、集落の皆がサラリーマンをしている現代では、勤務先によって収入に大きな格差が出る。そしてその収入は往々にして勤務先によって給与額が想像できる格差である。3倍、4倍の差が歴然と誰にでもわかる「ガラス張りの差」である。格差は差別以上に精神的ダメージを当人や家族に植え付けるのではなかろうか。
現代は身分差別制度に代わって、給与格差制度が確立されている。まあこれは、能力差、勤勉差、努力の差という資本主義精神から考えると当然なのかもしれないが、凡人にとって資本主義精神はかなり厳しい精神である。自分は資本主義の世界から途中下車してしまったので、比較の対象にもならないが、格差は差別以上に人間の心をすさんだものにする。
資本主義の枠外の世界、つまり自給自足主義の世界で生きたいと思っても、ライフラインや各種税金(自動車税、住民税、固定資産税)、社会保険料という3つの鎖が自給自足主義の足にからまって離れない。
3時前に起きて田んぼに行く用意をして、3時過ぎには田んぼについて、いざ始めようとしたが、まだ暑すぎる。日陰に腰を下ろしてぼう~っとしていたが、3時半がまわってまた動き始めた。仕事があまりはかどらない。4時半頃から日課の水やりをした。結局、水やり以外の農作業は、午後は1時間ほどしかできない。
秋風がまだ吹かない。お盆を過ぎる頃には、田んぼを横切る風に秋の気配を感じるのに、今年はまだそんな気配がない。9月10日を過ぎれば彼岸花が芽を出し始めるはずだから、後20日間ほどであるが、地下ではすでに季節の変化を始めているのだろうか。
マラソン選手は、ゴールしたらアンパンかケーキを食べようと、食べている姿を思い浮かべながら苦しい地点を走り続けるらしいが、農業者も、やがて来る秋を心待ちにしながら、今日の暑さをしのぐ。秋のイメージは、
1994年、秋
夏と秋の間にドアがあるなら、9月14日がそのドアになる。ボクはこの日にダイコンの種を蒔くことに決めている。日中は残暑のきびしい時もあるが、日が落ちるとめっきり涼しくなり、窓を開けて寝ても、夜中に目が覚めて窓を閉める。コーヒーもアイスに変わってホットにしたくなる・・・。
1997年、秋
秋雨前線がもたらしてくれる雨を待って、種を蒔き、秋雨前線の雨と共に、日1日と成長する秋冬野菜。梅雨のような激しさはなく、しとしとと、しとしとと降ってくれるはずである。秋雨前線というより秋雨戦線と言った方が適切なくらい、農家はその動向に注意を払い、一喜一憂しながら、種蒔きや定植の段取りを考える。
2000年、秋
梅雨前線のおかげで、稲作農家が成り立つなら、秋雨前線のおかげで、畑作農家は成り立つ。畑作農家にとって、この「秋雨前線」はそれほど重要な意味を持つ。
秋雨前線は一雨ごとに、暑気を振り払い、乾いた大地をしっとりと湿らせてくれる。9月12日、9月13日、9月14日の、この3日間のうち、どの日かで、ダイコンの種を蒔く。これより早いと害虫の被害が大きすぎるし、これより遅いと、収穫が遅れる。ダイコンの種を大地に落とした時、夏の扉が閉まり、秋の扉が開く。毎年同じことの繰り返しだけれど、ダイコンの種を蒔く時、今年も秋が来たんだなと思う。
秋雨前線はまだ来ない。早くても9月10日頃である。ダイコンやカブの種蒔き、キャベツやハクサイの定植は、秋雨前線がやってきてからであるが、それより20日間も早く、残暑で土がからからに乾いている8月のお盆明けに、ニンジンの種を蒔かなければならないことに、ニンジンの難しさがある。
秋冬作のニンジンの種蒔きの最適期は8月18日~8月22日の5日間ほどである。発芽さえうまくいけば、成長期が秋雨前線に寄り添うような形となり、水やりの手間がかからず、途中休みせず、すくすくと大きくなってくれる。
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毎日がとても暑い。野菜の水やりが大変であるが、農業を始めた頃は、野菜にこんなに水が必要とは思わなかった。4年目の秋にエンジンポンプを購入し、9年目の秋に井戸を作った。水に関しては周囲との揉め事の種になりやすいので注意した方がよい。
長年の経験で、
(1)早朝2時間半で収穫できる範囲の作付量
(2)1日おきに水がやれる範囲(作物を半分に分けて毎日水やりをしている)の作付量
というのは、大体わかっているので時間が足らないということはないが、水やりをしなくてすむなら、他の農作業がはかどるので、その分、身体が休まる。
昨年、自分の田んぼにイノシシが出現したことは、一つの衝撃だった。その時に始めて、イノシシの出る地域で農業をしている人の苦労がわかった。それまでは見聞きしていただけで、実際に体感したことはなかったので、同じ痛みとして共感はできなかった。そして、電柵などを設置することが、かなり苦手な自分には、農業の継続がまた一段と厳しくなったのを感じた。子供は農業をする気は全くないが、この時に、自分の中で実感として、次の代が農業をするには、現在より数段手間のかかるものになるだろうと思った。
50代半ばというのは厳しい年齢である。現状をキープするしかない自分というものを感じる。農業はきちんとこなす必要があるし、ブログも続けて、第一線を退くまでつなげたいし、差し迫った健康にも留意する必要がある。つまり、
(1)仕事
(2)ライフワーク(ブログ)
(3)健康
の3つをバランスよく続けていかないと60代が充実しない。自分の場合、どうしても(3)がおろそかになる。田んぼで動いているから、多少は動いていると思われるかもしれませんが、農作業の動きは、たいてい同じような動作が多いので、かえって、特定の場所を酷使してしまうことになる。
アルバイト収入くらいにしかならなくても、だから余計に、(1)の比重が大きくなるが、そのために(3)を害したら、結局その方の支出の方が、軽く(1)を上回ってしまう。でも、どうしても(3)のための時間が捻出しづらい。
62才で亡くなられた山尾三省さんは、屋久島に移住された25年間におびただしい量の著作を残し、60才で亡くなられたパソコンの先生は、東京から帰られてからの、たった7年間で、地域のコミュニティーのボランティア活動や、パソコン関連のビジネス、NPO活動に多くの実績を残された。それに比べて自分はどうだろう。彼らとそんなに年が離れているわけではない。わずか6~7才である。なのに、何にも残っていない。だからブログを残したい。
自分の野菜やハーブは市場では相手にされない。市場で相手にしてもらうには、寸法、重量、外観、一定量の箱数と4拍子揃ったものが要求される。農業者の誰もがこのような野菜が作れるわけではない。それぞれ得手、不得手もある。
自分の農業は、イタリア料理店と個人の家庭に送るワンパック宅配である。これなら寸法、重量、外観、一定量は考慮する必要がない。ただ、顧客に長く続けてもらうことは難しい。個人の場合は家族構成の変化等から、イタリア料理店の場合は店を閉めたりすることも多い。減った分の顧客が安定的に補充できるようになれば、このワンパックもいいと思う。ただ、1回につき送れるワンパック数は、1人では7パックほどである。8パックとなると、かなり忙しくなる。7パックと8パック、たった1パック違うだけであるが、1パックの差は大きい。
数年前まではコンスタントに1回平均7パックほどを送ることができていたが、最近はそれより少ない。今はインターネットにイタリア料理店やフランス料理店がたくさん出ているので、電話営業ができるし、個人の家庭には、以前購入してもらったことのある顧客に、時々、案内状のハガキでも送れば、随時コースで、何人かの注文は頂けると思う。ただ、もうあまり若くない。上述した、仕事、ライフワーク、健康を1日の中に取り込もうと思ったら、1回につき7パックを送ることは、少々しんどくなってきた。しかし最も重要なのは仕事なので、今以上に顧客が減るようなことになれば、上記の営業もしようと思う。
(1)仕事、(2)ライフワーク(ブログ)、(3)健康、どれも極めてあまくない。
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山尾三省さんは、屋久島で晴耕雨読の農業をしながら、62才で胃ガンで亡くなった。名前を知っているだけで、実際に詩や随筆は読んだことはない。自分も、自給自足型の農業ができたらいいなあと思うが、生活費がいるのでそれはできない。多分、三省さんには、最低限の生活は維持できる印税が定期的に入っていたのだと思う。三省さんのような才能のない人が、はたして、屋久島で自給自足的な生活を継続できるだろうか・・・。
たくさん子供をもうけた人であるが、育てる自信もあったのだろう。屋久島へ移る前はまだ無名で、屋久島へ移住してから著作が売れ始めたのか・・・そのあたりはよく知らない。ただ、大都会出身で、大学も東京だから、両方の世界を知っていた人なのだろう。グーグルで検索したら、
1938年 東京生まれ
1977年 屋久島へ移住
2001年 胃ガンで死亡、62才。
屋久島での生活は四半世紀(24年間)。
今日(8月15日)は終戦記念日。戦争の歴史観はいつ頃から作られるのだろう。中学、高校時代、あるいは10代の後半、もしくは20代の前半頃だろうか。案外、中学、高校時代のように思う。
自分の歴史観は、
(1)日本は被害者でなく加害者。
(2)戦争責任が国内でまだきちんと明確にされていない。
(3)国家に殺された戦死。
(4)戦争に突入していった時、それを抑止することができなかった日本的システムとはいったいなんだろう。
自分が考える日本的システムが顕著に現れるのが、
(1)子供の学校のクラスでのいじめ→自分に関係なければ無関心であったり、逆にそれを面白がったり。
(2)地域に何かの事業や施設が誘致される時、集落の公会堂で賛否をとる場合の、すでに完了していた根回し、地域の実力者の一声、居丈高に実力者の声に賛同する人、反対する人への裏からの圧力、そういうことが平気でまかり通る日本的民主主義。戦争を抑止する勢力が押さえ込まれたのは、こういう公会堂的賛否決定風土にある。
(3)企業内の日本的組織、公務員の硬直化した組織
(4)中高年の自殺
(5)現在の雇用差別。そのうちに、正社員は2割で、残りの8割は、契約社員やパート社員でよいというスーパーマーケットのような企業組織が展開されていくように思う。能力のない自己責任、努力しなかった自己責任、だろうか。
あ、しまった、寝過ごした、と思い、起き上がって歩き始めたら、今は昼寝をしていたんだ、今日の出荷分の収穫と仕分けはすでに終わっているんだと気付いて安堵する。昼寝から目覚めた時に、朝と間違えて、何度かこういう思いをする。深夜5時間、昼寝2時間と、1日2回寝ているので、こういうことが起きるのだと思う。
雨の続く日は晴れの日を思い、晴れの続く日は雨を思う。もうちょっとすれば涼しくなると思い、それを心待ちにしている。お盆が過ぎたら、夜の風が多少はひんやりしてくるはずだと期待している。
遊んでいて井戸の中にチャプンと落ちたカエルのような存在が自分である。。深い井戸の中で、のたうちまわっているが、もう井戸から這い上がることはできない。井戸の中で人生が終わろうとしている。それなら、井戸の中でせいいっぱい自分の楽しみや喜びを見出した方がよい。
夜、ブログをねっちゃら、ねっちゃら考えていると、知らん間に時間は過ぎていくが、言葉はそんなにたくさんは生み出せない。ブログに時間を取られだしてから、ますます部屋が片付かなくなった。ただ、長年の習性か、農作業には身体が即座に反応してくれるので、そんなに滞ることはない。
ハーブは軽~い。野菜は重~い。重量的には実際そうであるが、ここでの軽い、重いは、作る上でのことである。
ハーブは放っておいてもできるが、野菜は作り上げるという感じが強い。同じ150円という価格なら、ハーブの方がかなり楽である。つまり野菜は、葉が充実してから、花が咲き、それから実になるというプロセスであるが、ハーブは、葉の段階で収穫できるから、それだけ簡単なのだと思う。
(1)病害虫が少ない。
(2)台風の被害が少ない。
(3)スイートバジル以外は、水の要求量が少ない。
(4)種代が野菜に比べてかなり少ない。
(5)作る手間があまりかからない。
(6)肥料をあまり必要としない。
ハーブで難しいのは販路を獲得することだけである。野菜でも、エンサイ、ツルムラサキ、青シソ、シュンギク等の葉野菜は、ハーブと同じくらい簡単である。
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発泡スチロールの144穴の連結ポットに、キャベツとブロッコリーを蒔いた。キャベツ5ケース、ブロッコリー1ケースである。必要量はこの半分だが、種が中途半端に残っても仕方がないので、全部蒔いた。たっぷり水をしてから3段ずつ重ねて、家に持ち帰り、納屋の日陰に置いておくと、2日後の16日には芽吹く。

30度を超える今の時期なら、仕込んでから1週間ほどで使えるようになる。この液肥の肥料効果は高い。この液肥とクン炭を元肥に入れるだけで、追肥はほとんどしない。
半分使ったら、ヌカ5に対して、ナタネカス1の割合で補充するだけで、後は繰り返しである。ほとんど費用のかからない肥料が、半永久的に使えるというのが大きな利点である。
あまりに土が乾いているので、今日、始めて水やりをした。昨日から水やり、水やりと気分を高めて、夕方の2時間半ほどを水やりの時間として予定に組み入れ、体調をベストにして、他の事はせずに身体を休めて、とにかく、水やりを今日の最優先事項にした。そうしないと、まだいいか、まだいいかといった調子で後手後手になってしまうから。実際はすでに、かなり後手になっており、これ以上水やりを遅らせると、干上がってしまいそうだった。
8月の昼間は戸外労働には不向きな時間帯である。時刻は午後3時半。田んぼに着いたものの、水やりにはまだちょっと早い。かといって、この暑さで、他の農作業はする気がしない。物置の日陰に腰を下ろして、今日のブログの更新を考えたりした。
「ハウス」という設備投資はしなかったが、
(1)農業用軽四
(2)物置
(3)トリ小屋
(4)井戸
の4項目だけは、自分の農業に必須だった。稲作の機械のような大きな投資はなくても、案外と元手はかかるものである。
資金を借りたら農業収入では払えないから、自己資金の中でする必要がある。
農業用軽四はすでに2台目で74万。物置とトリ小屋で41万円。井戸27万円。台風で飛ばされたが、井戸の上に小屋があり10万円だった。これだけで150万ほどの投資になっている。何もせずに寝ていた方がいいと言われるのは、ある意味、その通りである。農業従事年数によっては、元が取れない。
管理機やエンジンポンプ、草刈機は10万円以下で買えても、乗用トラクタは、中古でも20~30万はするだろう。
こう見てくると、へたに農業を始めると、赤字になる危険性もある。
そして、農業をすることは環境破壊でもある。自分の場合もそうである。除草剤、化学肥料は全く使わず、農薬もほとんど使わず、ハウスに使うビニールやポリもほとんど使わないが、土を覆う黒マルチを多用しているので、この産業廃棄物が出る。
自分の場合は肥料が液肥なので、雨による流亡を防ぐため、黒マルチと液肥はセットのようになっている。
家庭菜園で自給用を少し作るならともかく、農作物を売ろうとすれば、大なり小なり、環境破壊を伴う資材を使うようになってしまう。
農業をすることは環境保全と言われているが、環境破壊につながることの方が多いような気がする。
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ワンパック宅配は大きくは稼げない。小さくてもコンスタントに稼ぎ続けることである。そのためには、個人客でも業務用客でも、ファンになってもらうことである。
野菜を作ることは「農業の前半の領域」であり、野菜を売ることが「農業の後半の領域」である。前半の領域である野菜を作ることに、あまりこだわらない方がいいと思う。こだわるのなら、後半の領域である野菜を売ることにこだわった方がよい。そして、野菜を売ることの方が、作ることより、はるかに難しい。理由は、作ることは自分1人の考え(判断)だが、売ることは、相手の考え(判断)をクリアする必要があるからである。クリアできないと買ってもらえない。自分の独善と偏見は、相手が生じた時に修正を迫られる。
農作物をカネにしたいなら、前半のステージにあまりエネルギーを注がず、後半のステージにエネルギーを注ぐことである。時間的にも、「営業の電話、収穫、仕分け→送付」という一連の作業に、野菜を作ることと等量の時間がかかる。
秋蒔きの種が届いた。
(タキイ種苗)
ダイコン・・・・・・・・・・・1575円
カブ・・・・・・・・・・・・・・1134円
ニンジン・・・・・・・・・・・1417円
タマネギ・・・・・・・・・・・3465円
ブロッコリー・・・・・・・・525円
キャベツ・・・・・・・・・・・2625円
レタス・・・・・・・・・・・・・524円
ハクサイ・・・・・・・・・・・1050円
シュンギク・・・・・・・・・・262円
ホウレンソウ・・・・・・・・1175円
エンドウ・・・・・・・・・・・・609円
スナップエンドウ・・・・・577円
グリンピース・・・・・・・・・640円
ツルナシインゲン・・・・・262円
ディル(ハーブ)・・・・・・・420円
チャービル(ハーブ)・・・840円
友の会割引1割・・・・・△1721円
差引振込金額・・・・・・・・15379円
(サカタのタネ)
ロケット・・・・・・・・・・・・・・2100円
合計で17000円ほどかかった。毎年これくらいかかる。種が高過ぎる。
今日、農業資材店で、黒マルチ2本(3560円)と、育苗の土(1660円)を買った。合計で5220円。こんな資材も意外と高くつく。収穫ハサミや使い捨ての鎌もよく買う。
土は、キャベツ、ブロッコリー、ハクサイ、ホウレンソウの4種類の育苗に使うが、クン炭(焼きすくも)を同量混ぜて、2倍に増量する。
明日(8月14日)、キャベツとブロッコリーを連結ポットに蒔いて、秋冬作のスタートを切る。
秋冬作はアブラナ科四天王(ハクサイ、キャベツ、ダイコン、カブ)さえ成功させれば、他の作物はまず失敗しない。
ハクサイ250円、キャベツ150円、ダイコン2本250円、カブ200円、4種類合計で850円。秋冬ワンパックの3分の1はこれで決まり。
他のアブラナ科野菜をごちゃごちゃ作らない。作っても箱に入るスペースがない。
自分はブロッコリーを加えて5種類しか、アブラナ科野菜は作らない。
秋冬のワンパックはこの他に、ネギ、シュンギク、ホウレンソウと、春夏作で作っているサトイモ、サツマイモ、ヤーコンで10種類。他に、レタス、ニンジンが入って12種類。他にハーブティ用ハーブが入って、合計で14~15種類。
秋冬作は、アブラナ科四天王を成功させることに尽きる。
しかし、秋のアブラナ科野菜には害虫が多い。自分にとっての最大の害虫はダイコンサルハムシ。
今日、農業資材店に行った時にダイコンサルハムシに効く農薬のことを聞いたが、去年と同じことを言われた。
去年、フォース粒剤3キロ(2380円)を9月12日に購入しているが、店員さんに聞いたら、使用法をみながら、この量で大体8アールほどに使うと言われる。
去年、全く効果がなかったのは、使用量が少なすぎたのかも知れない。ただ、規定量を使うと、かなりの投入になる。
まだ1ヶ月近くあるので、他の農業資材店でも、ダイコンサルハムシに効く農薬がないかどうか確認する必要がある。
とにかく、この害虫を防除しなければ、今年も去年と同じことになる。
今日のニワトリ

ボクがトリ小屋に入ると、まるで威嚇するように、コッケコッコーと鳴く。鳴く時は全身を使って声を出す。

同じく、まるで強さを見せつけるように、交尾が頻繁になる。

いじめられている3羽のメンドリが、元の群になかなか復帰できない。地べたに下りると、他のメンドリに突付かれる。32羽のクラスで3羽が徹底的にいじめられている。オンドリは傍観。先生である自分も、なすすべがない。とても残酷で凶暴なニワトリ社会。なぜ、こういうことが起きるのだろう。

3羽がいつも抱え込んでいるので、夕方には忘れず集卵。

この画像だと折れたケンがよくわかる。なお、メンドリには、このケンはない。

今日のご馳走は一部腐敗したナンキンとニンジン。8月に入るとニンジンは腐敗が多くなるので出荷していない。
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土はいつも自分の身近な所にあった。
でも、土に触れることはなかった。
土に親しむのは60才になってからだと思っていた。
若い時代はきちんとした所に勤めるものだと思った。
でも、どこの会社に入っても長続きしなかった。
社会に出て、自分はサラリーマンという組織はあまりむいていないから、
何か資格を取って将来は独立した仕事がしたいと思った。
でも独立して食えるような仕事は資格試験が難しい。
30才を過ぎて、資格試験もあきらめなければならない年齢になった。
仕方なく、またサラリーマンに戻った。
でもやはりサラリーマンはしたくないという思いがつのった。
そんな時に突然ひらめいたのが農業だった。
農業も土も、いつも自分の身近にあったが、
農業では食えないとという先入観があまりに強かった。
そして、農業がひらめいた時にも、はたして農業で食えるだろうかと自問自答した。
はっきり食えないと認識したが、それでも農業をしようと思った。
アルバイト収入くらいにしかならなくても、何とかなると思った。
多分自分のことだから、生活がまわらないとわかっても、農業を始めていただろう。
いつも前後の見境もなく、会社をやめたりしていたから。
自問自答していた頃、配偶者が職業についた。
農業をすると決めたのに、
今回の転身に関してだけは2年間も準備期間をもったのに、
なぜか、土に触れることが怖かった。
なぜか、すぐには土に触れたくなかった。
いざスタートしようとすると、
自分がとても落ちこぼれてしまったように感じた。
自分はもっとしかるべき立場にいてもいいのにと思った。
農業を始めることは、とても奇異に見えた時代だった。
もちろん今でもそうである。
現役世代の人が農業を始めると、集落の人は、どうかしたんだろうかと思う。
田舎の人は、農業では食えないと言うことを、
すでに何十年もの間にわたって体感している。
だから、その食えない農業を始めたのを見ると、
頭がどうかしたんじゃないだろうかと想像したりする。
サラリーマンが勤まらなかったのだと想像する。
どうせ、農業を始めても長くは続かないと想像する。
そして、うさんくさそうな目で遠巻きにながめる。
面と向かって、農業を始めた理由を聞いたりしないが、
けげんそうな目で見られていることを感じる。
こういうこともなんとなくわかって、
田んぼに出るのがちょっと気が引けたのだと思う。
でもすでに無職である。
サラリーマンはもうできない。
背中を押されるような気がしたが、それでも田んぼに出る気がしない。
数ヶ月前に農業研修を依頼した方には、まだ教える立場にないからといって断られていた。
ちょっと遠かったが、現代農業という雑誌で知っていた、御津郡 建部町へ研修に行かせてもらった。
家から片道50キロあり、週に何回かしか行けなかった。
優柔不断な日々が1ヶ月半ほど続いた後、家の田んぼに出始めた。
2月末に会社を辞めて3月からスタートしたが、スタートしてからの2ヶ月間ほどが、最も危機的な状況だった。
2~3ヶ月の間に、集落の人の目も、あまり気にならなくなった。
というか、
自分も、集落の人も、「その状況に慣れてきた」のだと思う。
その状況を受け入れたのではなく、その状況に慣れてきた。
4ヵ月後の7月2日に軽四を買ってからは、農業にのめりこむようになった。
その頃から地域の人の目は気にならなくなった。
あれから17年と6ヶ月ほどが経過した。
あっという間だったように思うが、
スタートした4年後、父と祖母が亡くなった。
毎日のように田んぼで見かけた集落の人もかなり亡くなった。
短くはない歳月だったのかも知れない。
土は自分自身を癒してくれるものだった。
十数年のサラリーマン生活で疲れはてた自分に、安らぎを与えてくれるものだった。
毎日、土と接するようになると、すぐに慣れてきて、癒し効果も薄れてくる。
土の効果よりも、煩わしい人間関係から開放された効果の方が大きかった。
1年もすると、土にあまり感動を覚えなくなった。
慣れると何でもそうなのだろう。
でも、土や野菜が嫌いになったことはない。
自分の収入がアルバイト収入くらいでも、我が家の生活はまわっていった。
本当なら、とっくに農業からのリタイアを迫られていただろうが、配偶者の定期収入のおかげで、農業界から淘汰されることはなかった。
それがいいことだったのか、悪いことだったのか、それは知らない。
自分にはいいことだった。
ホームレスの人は、当人の努力うんぬんに関わらず、いったんホームレスの状態になると、その状況を変えることは困難であると思う。
サラリーマンも、その世界でどうしても続けれない人もいる。その場合、カネになるならないに関わらず、選択した独立自営業である仕事を続けざるをえないではないか。
ホームレスの人がホームレスの状況を脱却できないことと同じく、自分も農業の世界から脱却できなかった。
それは甘えの構造であったかも知れない。
それは楽しい世界だったからかも知れない。
でも自分自身、それなりにベストを尽くし続けてきたことは確かである。
べストを尽くし続けてきたが、自分は農業をカネにする能力が少し足らなかった。
そしていつの間にか歳月が経過して、いつの間にか自分も若くなくなった。
今まで農業を続けれる環境にあったことはありがたいことである。
今後も細々と続けていくだろう。
現在の状況下で、今後も、自分なりにベストを尽くしていくしかない。
あまりよそ見はしない。同年齢の他の人を見ても仕方がないから見ない。
土は確かに、人の心を癒してくれる一面はある。
でもそれは、経済的なバックボーンがあってのことである。
若い人に農業を勧めることはできない。
農業で生活できるとも思えない。
農業に未来を感じることもできない。
45年前まで土の上で生かされていたニワトリは、資本主義の発達で、土から離され、ケージに閉じ込められたまま生涯を終える。
45年前まで土の上で生かされていた人間も、資本主義の発達で、土から離され、まるでケージのような組織に閉じ込められて、現役世代を終える。
ケージは、鳥インフルエンザの発生を促した。
組織は、格差と差別の発生を促した。
大規模、効率、採算という高度資本主義システムの中で生きるニワトリと人間。ニワトリがこのシステムから開放されないのに、人間だけがこのシステムから開放されるわけがない。
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農家の長男でありながら、36才の年まで、ピーマンがどういう格好をして成っているのか、ナスビがどういう格好をして成っているのか、まるで知らなかった。現在の世の中の99.9%の人は、36才の年までの自分と同じ背景であると思う。つまり、農業を全く知らない人たちだと思う。
今、自分のブログを訪問してくださっている人は、現在、もしくは子供の時(多くは団塊の世代以前の方)に農業が身近にあって、同じ背景でもって読んでくださっているのだろうか。
例えば昨日書いた、ナスビの定植44本についての「5項目の好循環」は、農業の背景のない人に理解してもらえるだろうか・・・。いつのまにか自分も、自分が知らなかった時代のことを忘れて、相手も当然これくらいは理解できると思って話を進めている。
農業にどっぷりつかってしまうと、農業のことをまったく知らない99.9%の人のことを忘れて書いてしまう。でも、知った以上、知らなかった時代に、頭の中を戻すことはできない。つまり、36才以前の頭で農業を書くことはできない。
今の自分にできることは、世の中の99.9%の人は、「農業の背景の全くない人たち」であるという事実を、常に忘れないことくらいである。そういう人たちが訪問してくださっても理解できるような農業ブログになった時、もっとアクセス数が増えるのだろう。
農業エッセイは純粋なエッセイではないと思われている人も多いと思う。でも第一次産業というカテゴリーがないので、このエッセイにしている。「アウトドア全般」というカテゴリーはあるが、何かイメージが違いすぎる。「地域情報」というカテゴリーも農業のイメージとは違う。社会、経済の「転職・キャリア」とか「起業・独立」には農業を入れるべきではない。ほとんどビジネスとして成り立たなくなっている農業をそういうジャンルに入れることは不適切である。
純粋なエッセイでないというのは、農業描写になったり農業講座になったりすることが多いからだろうが、自分の思いを書くより、描写を書いた方が、自分の書きたいことが伝わるように思う。
農繁期(5月~10月)には、週に1回、半日の休みがなかなか取れない。半日休みを取ると、かなりしわ寄せがくる。週に3日ほどしか農作業ができない(残りの3日は収穫、出荷作業)のに、半日休みをとろうと言うのだから、しわ寄せが来ても当然といえるかも知れない。しかし自分の農業は、
(1)人に比べて、作付面積は決して広くない。
(2)人に比べて、そんなに手が遅いとも思わない。
(3)人に比べて、手間のかかる方法を選択していることもない。
結局、週に3日しか農作業時間が取れないという農業形態に問題があるのかもしれない。
写真には全く興味がなかったのに、画像を入れるようになると、知らん間に画像に依存してしまう。
画像がなくて言葉だけの時は、純粋に言葉だけを紡ぎだす必要がある。横になったり(寝転んだり)、パソコンに向かったり、又、横になったり、パソコンに向かったりしながら、言葉を編み出す作業をする。
1日の大半の時間は、ブログのことを考えている。農作業をしている時もたいていブログのことを考えている。
日中は生産労働、経済労働と考えているので、落ち着いてパソコンに向かえるのは夜の時間帯だけである。ただ、その日の更新の主な内容は、日中の生産労働の時間に見つけ出し、忘れないように、その都度メモ書きしているので。夜の時間帯はそれに肉付けをする作業だけである。
11時頃からは、何回か読み直したり、表示のレイアウト(行と行の空間など、見た目と読みやすさ)をチェックするので、11時頃までに書けた量で、その日の更新量が決まる。
新聞の4コマ漫画を30年にわたって、ほとんど休まず連載し続けた人のことが、以前の新聞に出ていたが、やはり朝から晩まで、4コマ漫画のことばっかりを考え続けていたらしい。4コマ漫画は、「ユーモア」とか「オチ」とか「風刺」、「わかりやすさ」、「短略化」等が、要求されると思うので、ブログよりはるかに難しいと思う。
クーラーが入ると、クーラーがなかった時はどうやって過ごしていたのかなあと思う。そして、いったんクーラーが入ると、クーラーのない生活が考えられないようになる。テレビもそうだったんだろうなあと思う。
風呂場にシャワーがつくと、シャワーのない時はどういう生活をしていたんだろうと思う。シャワーがつくと、夏場にはシャワーだけですますこともある。
携帯電話も多分そうなんだろうなあ。自分は携帯電話は持っていない。
ブログを始めていなかった1年前までは、長い夜の4時間を、いったい何をして過ごしていたのだろうと思う。テレビはほとんど見ていなかったが。
経済的余裕と時間的余裕のある定年退職者は、今後何をしたらよいのか「目的のなさ」に迷い、現役の人は、10年ほど前から、定年後、何をするか考えておかなければならないのに、日々の仕事や専門の勉強に追われて、時間的余裕がない。日本的雇用の劣悪さが、定年の人にも現役の人にも悪循環をもたらしている。もちろん、日本的雇用から外れた独立自営業である農業者も、経済的余裕のなさで、サラリーマンが定年を迎えた後も働き続ける必要があり、こちらも悪循環から脱却できない。
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栗、早くも秋の気配。もうじきお盆が来る。お盆には墓参りに人が来るので、家まわりの草取りをしておく必要がある。暑い時期であるし、門(かど)の草を抜くのも結構大変である。
お盆だからといって、別にどこへ行く予定もない。出かけるどころか、お盆は13日(月曜日)、15日(水曜日)と出荷がある。お盆だからといって野菜は休んでくれないので、収穫適期の野菜はきちんと収穫する必要がある。農業人は、正月はゆっくりできても、お盆は休めない。そして、14日(火曜日)には、キャベツとブロッコリーの種を連結ポットに蒔いて、秋冬野菜のスタートを切る。
自分は秋冬作の方が春夏作よりかなり好きである。9月、10月と2ヶ月間は忙しいが、その後に、長い農閑期が控えているという気分的なものが、秋冬作を楽しいものにしてくれる。春夏作は、出荷のない5月連休明け頃までに、主だった農作業は終わるので、出荷と並行になることは少ないが、秋冬作は出荷と並行作業である。
主な農作業は
8月→ニンジンの種蒔き
9月→アブラナ科四天王の種蒔きと定植
10月→ホウレンソウとロケットの定植
くらいである。
だから、忙しい思いをするのは、10月末までであり、11月の紅葉の季節からの各地訪問を楽しみに、この時期を乗り切る。

今日、久しぶりに液肥を仕込んだ。この1ヶ月はあまり液肥を使うこともなかったので、1日1回、竹の棒でかき混ぜることもせず、放っておいた。でも、8月15日~9月15日の1ヶ月間は、液肥を使う頻度が急激に増えるので、遅ればせながら、今日また仕込んだ。液肥は7分目ほど残っていたが、これにヌカを各1袋補充して攪拌した。小さい方の容器は攪拌だけした。仕込んでから、今日は画像のようにツルムラサキを入れた。効果のほどはわからないが、ツルムラサキの天恵緑汁を液肥に取り込みたいからである。いつもなら雑草を入れるが、今日はツルムラサキが大量にあったからツルムラサキを入れた。
この液肥はヌカが5~6に対してナタネカスを1くらいの割合で投入して、水を補充し、1日1回攪拌しているだけなのに、肥料効果が高い。少し施しただけでも、作物の根元の近くに施すと、濃すぎて枯れるほどである。だから、作物が小さい時に、まだ根が伸びていない先に施しておく。水で薄めてから散布するよりこの方が楽である。黒マルチをする場合は、元肥にこの液肥とクン炭を使うだけだが、長く肥効が持続してくれる。
自分は液肥がとても気に入っているが、他人の方法が当人にとっても、よい方法であることは少ない。
(1)井戸があるので、いつでも水が調達できる。
(2)施した時にかなり臭うが、誰にも迷惑がかかる場所ではない。
(3)作付面積は30アールほどが限界。それを超えると、液肥を施す時に担ぐのがえらい。
早く自分に最も適したやり方を見つけることである。最も適した方法は、頭で考えても見つからない。身体を動かしてみて、よく身体が動いてくれたら、その方法が自分に向いている。
(1)勉強のよくできる人の勉強法は、そうでない人には全く役に立たない。
(2)肥料にカネをかけている肥料は、肥料にカネを使いたくない人には何の役にも立たない。
(3)その人だから作れているような肥料は、その人以外の人には導入しづらい。
(4)真似ができそうか、真似ができそうにないか、30年も生きてきたらわかると思う。
(5)農業は、能力が顕著に出てしまう世界であるから、いわゆる「できる人」とか「よく稼いでいる人」とかの方法を教えてもらっても、役にたたない場合が多い。
(6)自分にもできそうな農業形態、自分流の肥料を早く見つけることである。1~1年半が過ぎても形にならないなら、そのやり方は向いていない。

7月23日に枝を更新したナスビが、早、こんなに大きくなった。すでに花が咲いているので、8月27日頃には出荷できると思う。
秋ナスの成り始めは、まさにピッカピかである。勢いあまって三つ又や四つ又のナスビになることも多い。ただ、台風シーズンなので、台風がいつ来るかが問題。
自分の場合は下記5項目が好循環に回転している。ただし、これは44本だから可能なことであり、定植本数が55本を超えると、この好循環は崩れると思う。
(1)44本だから、枝の剪定(葉も全部落とす)も1時間ほどで終わる。
(2)どうせ枝の剪定をするのだから、簡易な支柱を1本(120センチのポール支柱)もしくは2本支えにするだけでよい。
(3)簡易支柱だから、台風ですぐに倒れる。
(4)倒れることによって、台風をまともに受けず、ほとんどのナスビが生き残る。
(5)44本だから、台風後、起こすのも簡単。
自分の農業には、やたらと草刈が出てくる。道沿いの田んぼから、池の土手へ上がる竹やぶ沿いの道は、ほとんど自分しか通らないので、草刈は自分でする必要があるし、田んぼは多少の段々畑になっているので、水平面だけでなく「のり面」の草刈もする必要がある。
農業をスタートしてから5年ほど悪戦苦闘していた「草刈機の刃研ぎ」も、残り野菜との物々交換で研いでもらうようになってから、随分と楽になった。
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今日、とんでもないことをやってしまった。朝、いつものようにエサを持って入ったら、オンドリが向かってきたので、右足で蹴ったら、また向かってきた。そして、ちょっとの間、オンドリと右足で決闘をしてしまった。その場はそれでおさまった。しかし、1時間ほどして、青菜を持ってはいると、オンドリのケン(攻撃する時に使う足のちょっと上についているツノのようなもの)から、血が出ているのを見た。でも、その時はまだそれほど気に留めなかった。
夕方6時前に、集卵に入った時、それは衝撃にかわった。オンドリのケンが取れかかっていた。そして、そこから出血が続いていた。朝方はさほど気にならなかった出血だったが、ケンが取れかかっているという事態の重さに気付いて愕然とした。気持ちが見る見る落ちこんで、取り返しのつかないことをしたことを思い知らされた。
まさか、死んだりすることはないだろう、まさか・・・。
相手はニワトリなのに、むきになった自分がバカだった。しまった・・・と思った時はすでに遅い。どうしよう・・・。とにかく、明日もう1日様子をみよう。そう思っている今も、オンドリの取れかかったケンの部分から血が流れている。その血をメンドリが数羽、離れずに突付いている。痛かろうに。すべて自分が原因。
メンドリは取れかかったケンや血に興味を示し続けて、入れ替わり立ち代り、突付き続けている。それを見るのがしのびなくて、集卵が終わると、すぐにトリ小屋から離れた。でも、帰り際に気になってのぞいてみたら、まだ数羽のメンドリがその部分を突付いている。そして自分は、取れかかってぶらぶらしているケンと血を見て、また気分が滅入りこんだ。自分が原因。
今までの自分の態度が悪かった。向かってくるオンドリをしばしば足蹴にしていた。相手はニワトリなのに。本能的な闘鶏本能から、向かってきていただけなのに、かわすことができなかった。その都度、対等の立場で戦ってしまった。
でも、今までは、こういう深刻な事態にはならなかった。これ以前のオンドリもこういう事態になったことはない。始めて。でも痛恨の失敗。
無事、傷がなおってくれたら、今度こそ和解しよう。2度とこういうことがないように、自分から考えて避けよう。避けようと思えば今までも避けれたのに。
おもしろがって、ピーマンやオクラやスイカをオンドリに向かって命中遊びをしていたのも、罪な話だった。こんりんざい、こういうことはやめよう。
結果の重大さを見て気付かされた罪と罰。
傷が回復してほしい。まさか、まさか、死んだりはしないはず。
深い意識もなく遊び半分に攻撃を仕掛けていたのは自分の方だったかもしれない。相手はニワトリなのに、むきになって、対等になって、闘鶏を仕掛けてしまった。
相手は命をかけての攻撃だったのだ。懇親の力を込めて突き出したたケンの片方が、ボクの足に蹴っ飛ばされた。ケンが完全に折れたのは自分の全責任。後悔先に立たず。
無事に回復してくれたら、今までの行為を反省して、2度とこういうことがないようにしよう。回復してくれるはず。
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ちょっと前に農業を始めたように思うが、15年くらいあっという間に過ぎてしまう。こうやって残りの15年も過ぎていくのだろう・・・その時70才。
画像があると、画像の説明だけで、その日のブログのスペースがかなり埋まってくれるが、言葉だけだと、目をつぶって、じいっと静かに、気持ちを落ちつける作業をしないと、言葉が出てこない。ただ、画像を入れると、ブログに載せる画像の選択やファイルのアップロードで40分~1時間くらいはかかってしまうので、時間的には言葉だけの更新の方が早い。
ブログの日々の更新作業は、できれば3時間内で終わらせるようにしたいと思うが、なかなか3時間で終わらない。途中休憩をはさむと4時間ほどかかってしまう。自分の途中休憩は、風呂に入ったり、時々は食後の洗い物をしたり、営業の電話を入れたり、事務処理だったりする。途中休憩をはさんでも3時間ほどで終わらせるようにしないと、翌日の農作業に差しつかえる(昼寝が長くなってしまう)。
時々、新聞のアルバイトニュースを見る。見ても、たいていは45~50才くらいまでという年齢制限があるから、アルバイトも使ってもらえない。
30才を過ぎても、きちんとした職場に勤めることができていなかったら、現在の社会では生き辛いだろうなあと思う。そして、30才を過ぎていたら、特別の能力でもない限り、きちんとした職場に勤めるチャンスも与えてもらえないのでなかろうか。とにかくこの国は、新卒の年に船に乗り遅れたら、次の船の便はもうない。そして、現在きちんとした船に乗っている人は、他の船に乗り換えようなどとよそ見をすることなく、その船に乗ったことが運命とあきらめて乗り続けないと、1度降りると、もう次の船はないように思う。
固まってしまった社会を生きることは、なぜこうも、やり直しがきかないのだろうか。でもこれは今に始まったことではなく、30年前にもすでにこのようだった。
50代という年齢は、現在の仕事にしがみついて続けていくしかない年代である。よい会社へいっている人も、そうでない人も、高い給与でも低い給与でも、農業でも同じである。止めると、次に働ける場所などない。
自分より2年ほど早く農業を始めた仲間が、17年間農業をした後、57才の時、大阪へ帰られた。「まだ今なら、何とかなると思うし、まだ今なら元気だから働ける」と決断されての離農だった。
自分もその17年が過ぎた。そして、何ら農業に展望を見出せてはいないが、「離農」という重い決断は躊躇する。一人でなく夫婦で農業をされていたから、二人とも、その意向で一致したのだろう。大阪へ帰るとすぐに二人とも職を見つけて働かれ始めた。去年こちらに来られた時に話していたら、今の仕事の方が農業よりかなり楽だと話されていた。
主がおられた時には、忙しくてなかなか遊びに行くことはできなかったが、今頃になって、その仲間が住んでいた、現在は空き家である家を訪ねることがある。今後の自分のテーマにしたいと思っている「山村の農業」「山村の春夏秋冬」「過疎に生きる人々」を訪ねて出歩くようになったからである。主がいない家の前でじいっとその家を見ながら、この地でその後もずっと年を重ねていくことは、難しかったのだろうか・・・、山深い谷間の集落を「終の棲家」にすることはできなかったのだろうか・・・と思う。
今、山陽新聞の連載小説は「シューカツ」という、石田衣良・作の就職活動の話である。この連載が始まった時、この連載を読む人は大学3年生の、それもごく一部の優秀な生徒くらいで、そんな少ない読者層しかいないのに、よく山陽新聞が取り上げるなあと思った。そして、第三者の目から見て、やはりこの就職活動というのは、昔も今も、極めて日本的な「奇異」なことに見える。
連載小説とは別に、今日の新聞に「私の就職活動記」が載っていた。「戦闘服で売り込み」という題だった。
「よっしゃーっ!!」。携帯を切った瞬間、思わず声がでた。岡山市内の美容院の椅子の上。美容師は拍手し、隣の客は何事かとこちらを向く。
予定の面接をすべて終え、シューカツ(就職活動)用の黒髪をもとの茶色にカラーリングしている最中の「内定通知」だった。
大学4年の昨年5月末、この着信で私の「シューカツ」は幕を閉じた。就職活動を始めたのは大学3年の秋。臨戦態勢を整えたのが大学3年の2月・・・。
そしてシューカツQ&Aに、「就職前の準備としては、自己分析、企業研究、就活グッズ(スーツ・靴・鞄など)の準備、SPIなどの試験勉強、履歴書の用意などが挙げられます。一般的に大学3年の10月から大学4年の5、6月くらいまでが就活時期と言えます。10月頃から、就職サイトが一般公開され、年末年始から合同会社説明会が開催されます。2月から5月の間に選考や面接に行きます・・・」こんな記事が載っていた。
これを読んで、なにかおかしい、どこかおかしいと思った。こういう就職活動で、本人の人生が決まってしまい、受かった就職先のレールを60才まで上手に走った人が安定した経済生活を送ることができる。就職後3年以内に止めるであろう3割余りの人を見越して企業は採用し、実際はその計算の元で合格者を決めている。
やはり人生は、よそ見をせず、これくらい計算高く進めないと、安定した生活は保障されないのかも知れない。自分のような者は卒業と同時に脱落者である。でも、自分と同じくらいの年齢層の人は、多くの人が、大なり小なりこのようなレールの上を走り続けている。あっちへきょろきょろ、こっちへふらふらした自分のような人生行路を取った人も少ないだろう。
固まってしまった社会を生きることは、このような就職活動をして、合格した企業が敷いてくれたレールの上を逸脱しないように運転することなのだと思う。
そして現在の日本社会では、レールから外れた人も外れなかった人も、大都市も過疎の山村も、全く同じシステム(例えば年金システムとか保険システム)の中に組み込まれ、全国一律のライフラインというシステムの中でしか生きることができない。これが格差の生じる原因であり、レールをドロップアウトした人が生き辛い源はここにあると思う。
山深い山村を車で走っていて思うことは、資本主義とは、山村や農業を切り捨てて成り立つのだという事実である。
45年前、庭先の土の上で遊んでいたニワトリは、土から離され、ケージという狭い檻の中でしか生きることができなくなった。
45年前、土の上で生活していた独立自営農民は、地下足袋を脱がされ、企業戦士に変身を余儀なくされた。
ニワトリと人間はそっくりの歴史を歩んでいる。土から離された時、ニワトリも人間も激しい疎外感を受ける。でもいつしか慣れさせられる。
土の上で生きてきた人類3000年のDNAを、魂の奥深くに閉じ込めざるをえなくなった時、「人間疎外」という概念が始めて発生した。それは「土から離された疎外感」だった。
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享年60才。Aさんの突然の訃報だった。Aさんは自分のような石頭でなく、頭の柔らかい人だった。そして次のような経歴だった。
NPO瀬戸内理事長
フロムシードットコム株式会社 代表取締役
おさふね街づくり株式会社 代表取締役
この他、地域のふれあいプラザで
パソコン教室
詩吟
折り紙づくり
の3つの教室で、ボランティアの講師をされていた。
スポーツにも秀でていて、昨年度の瀬戸内市のテニスの試合で、若い人を抑えて2位の成績だったらしい。
神戸の大学を卒業後、NECに入社。コンピュータを作る仕事に長年携わって来られた。病弱な父親が地元で一人暮らしをされているのを心配して、53才の時NECを早期退職。
Aさんの華々しい活躍は、地元に帰られてからの、たった7年間の間に成し遂げられたものである。自身の知識をボランティアを通して、地元に還元し続けた人だった。
Aさんのことを、人は「宇宙人」と呼んでいた。自分もその宇宙人ぶりを何度か目にした。
(1)パソコンの合間に詩吟を聞かせてくれたり、オリジナルの折り紙を披露してくれた。
(2)東京の孫とスカイプ(無料のパソコン電話)で話しているところを見せてくれた。そのお孫さんはまだ4才。
集落は違うが、同じ地域の人であり、Aさんのことも、Aさんがふれあいプラザで無料のパソコン教室を開かれていることも知っていた。
自分が始めてAさんを訪問したのは去年の3月のことである。そしてパソコン教室へ通わせてもらうようになったが、10月には、他のパソコン指導者に教えてもらうようになったので、半年ほどの出会いで終わった。
パソコン教室は子供から70才過ぎの高齢者まで年齢層が広かった。マンツーマンで教えてもらえるが、他の人のマンツーマンもあるので、自分があまり必要としていないパソコン学習もあった。そしてブログを始めた7月からは、時間の余裕がなくなり、自分にとって必要なパソコン機能だけをピンポイントで教えてもらう方がいいと思うようになった。
それでも、3月にAさんとの出会いがなければ、ブログを7月に開設することはできなかったと思う。出版社に送る原稿を横書きから縦書きに変更して打ち出してもらうためにAさんを訪問した。その時に、DELLのノートパソコンなら7万円ほどで買えるからと、ウインドウズXPを勧めてくれた。それまで自分は平成12年12月に買ったウインドウズMEを5年余り使っていた。その頃、頻繁にパソコントラブルが発生して、もう買い替え時かなあと思っていた。そして次に買うならノートパソコンを買いたいと思っていたが、15万もの余裕はなかった。その時に7万円で買えると教えてもらったので、すぐにインターネットで購入してもらうことにした。4年間の無料保障とか、その他のサービスを加えると9万円ほどになったが、それでもノートパソコンがこの価格なら安いと思った。その数日後、プリンターとデジカメは市内の電気店で購入したが、この3点を合計しても15万もかからなかった。自分の収入からいって、この15万はきつかったが、4冊目の自費出版(80冊で8万円ほど)は止めて、パソコン代にまわすことにした。
今は、この時に買ったノートパソコンとデジカメが毎日フル回転してくれている。
このノートパソコンの他にAさんが勧めてくれたのが、ISDNの電話回線をADSLの電話回線に変更することと、IP電話への加入の2点だった。ADSLに変更することによって、パソコンの画像が数倍早く表示されるようになり、IP電話によって、県外通話も市内通話料金でできるようになった。
そして、このノートパソコンは、キーボードの背が低く、今までのに比べて、入力するのがとても楽に感じた。パソコン機能はほとんど理解できなかったが、15年ほど前に、あめんぼ通信を「手書き」から「ワープロ入力」にするために、ワープロ教室へ通い、そこで、10本の指で打つ「フォームポジション」での早打ちの練習があったので、入力に関してだけは、そんなに低レベルではなかった。
とにかく、Aさんのおかげで、パソコン環境を劇的に変える(ノートパソコン、ADSL回線)ことができた。
教室でAさんはしばしば、「困った時の神頼み」ではなく「困った時のグーグル頼み」という言葉をよく使われた。
そのグーグルで、「ブログとは」と検索したのは5月頃だった。だから、その年の5月頃までは、ブログという言葉は知っていても、どこにそのブログが載っているのか皆目わからなかった。その検索で「ブログランキング」というのを知り、すぐに「はまって」しまった。
無料のブログサービスはたくさんあるが、FC2は2度目のブログである。最初のブログは、うまく立ち上げることができなかったが、FC2ブログは画面の指示通りに簡単に進むことができて、自分のレベルでも、ブログを立ち上げることができた。
1ヶ月ほどもたもたしたが、いつの間にか毎日更新するようになっていた。もたもたした原因は、ボールペンで下書きして清書にパソコンで入力していたからだった。下書き→清書では時間がかかって仕方がなく、これもいつの間にか、下書き無しのいきなりパソコン入力になった。この変化が毎日更新できるようになった原動力である。
始めて画像を入れることができたのは10月9日である。この画像の挿入方法は、次の指導者である高校生に教えてもらった。Aさんには、並々ならぬお世話を受けたが、ボクのわからないことがAさんに理解してもらえず、Aさんの説明がどうもよく理解できなかった。これは自分の頭の固さに起因しているのかも知れない。Aさんの説明をすぐに理解できる人と、なかなか理解できない人と二通りあるようだった。
Aさんはいろんな肩書きがあり、パソコン教室の生徒も多く、何回もマンツーマンで教えてもらえる時間はなかった。Aさんのあいている時間、自分の都合がつく時間はなかなか一致せず、有料でもマンツーマンで個人指導を受けた方がいいと考えるようになった。その時に新聞で見つけたのが高校生だった。
Aさんと出会い、指導を受けた期間は半年ほどだったが、Aさんほど多芸で、マルチ人間である人を他に知らない。冒頭に書いた「宇宙人」と言われるくらい何にでも秀でた人だった。ボクの頭が石ならトーフかコンニャクのような人だった。
テニスは大学選手権に出た人と対等に戦えるほどの腕前だったらしいが、テニスをされているのを見たことはない。自分がしばしば見せてもらったのは、パソコン指導の合間の、オリジナルな折り紙である。まさに圧巻の手さばきと早さと出来栄えの折り紙だった。こういう頭の持ち主だからコンピュータを作る仕事ができたんだなあと思った。
多芸なAさんの才能に近づくには、ブログを続けることだと思った。ブログは、5%のブログ(パソコン)を操作する能力と、95%の鬱屈した自分自身の中に抱え込んだネタだと思う。そして95%の鬱屈したネタは、表街道を歩いてきた人にはなかなか手にすることができないものだと思う。一つでもAさんのレベルに近づくには、それぞれの人が抱え込んでいる、オンリーワンの95%の部分を何らかの形で表現し続ける努力ではないかと思っている。
いつものテニスが終わった後、自分の車に乗ろうとした時の突然の心臓麻痺。急な訃報でしたが、形式に全くとらわれない今日の葬儀はとてもかっこよかったですよ。そして息子さんの挨拶は、今日の参列者の多くの人の記憶に残るほど素晴らしいものでした。
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ナンキンの煮物と、豚肉とピーマンの炒め物が今日の夕食だった。仕事から帰って30分ほどで作ると、プールへ行くといって出て行った。週に1回、マルミさんは最近プールに行っている。
今日は出荷の帰りにコロッケを買ってきていたし、自分の定番であるトマト、キュウリの塩もみ、トーフ、ゆで卵があるので、別段、他におかずがいるわけではないが、やはりマルミさんの料理は一日の長がある。「一人暮らし」になった時のために、少しは料理も覚えておいた方がいいが、思うだけで前に進まない。
昨晩はかなり激しい風が吹いた。キュウリはやられてしまったかなあと思ったが、2番蒔き、3番蒔きとも、何とか持ちこたえてくれたようだ。他の作物はほとんど被害を受けなかった。
多分、農業者はすでに、年に数回の大型台風は自分の農業に組み込んでいると思う。その時々の台風のコースや台風の大きさに一喜一憂するような農業形態はとっていない。自分の場合も、台風の被害に遭いやすい作物は、必要最低限の本数に減らしている。
台風の被害を受けやすい作物は、ナスビ、ピーマン、キュウリの3種類だけである。ナスビは現在、枝の更新中であるし、ピーマンとキュウリは定植本数が少ない。だから、昨日くらいの台風では、そんなに精神的ダメージは受けない。有形無形の被害はあらゆる作物が受けているはずであるが、そんなことをいっていたら農業はできない。
ただ、台風の来る時期によっては、かなりの痛手を受けることがある。秋冬野菜の種蒔きや定植を終えた9月下旬~10月上旬にやってくる台風は、ほとんどの秋冬野菜が成長途上であるだけに、7月、8月の台風より、被害は大きくなる。
明日は午前中と午後の2回、葬儀がある。一人はいろいろとお世話になった方であり、一人は集落の方なので、どちらも出ないわけにはいかない。葬儀は集落に住んでいると、年に1~3回はある。1軒の家に1人出席すればよいが、自分の集落では、戸数割で、上組、下組があり、属している組の場合は葬儀だけでなく通夜にも出席する必要がある。これは慣例である。 親戚の葬儀、通夜、法事などを入れると、年平均で5回ほどある。個人を偲ぶと言う意味合いであるが、多くは義務感からである。年がいくとこういう出席がどうしても多くなる。
7月24日~8月26日の間、岡山県立美術館でピカソ展が開かれている。ピカソの絵よりもピカソを紹介した新聞記事の方に興味があった。
「・・・私はむしろ生涯を通して何万点と描き続けられた無名の作品の蓄積の方に興味がわく。確かにそれらは無名であってタイトルさえもたない。しかし、制作年月日だけははっきりと記述されている。こうした日々の記録は従来の仰々しい額縁を持ったタブロー意識とは対立する物で・・・
なぜそれほど膨大な量の作品を残したのか? それらは作品というよりも彼の日常のアクションの痕跡だったように私には見える。それらはすべて、ピカソの私生活の断片である・・・」
ピカソは日記のように膨大な作品群を残したらしい。まるで現代版ブログ。
自分は、新聞でピカソの絵を見ても、チンプンカンプンで全く理解できない。
我が家の周辺にカラスが居ついている。小鳥の声で目覚めるならいいが、カラスの甲高い声で起こされることがある。ここ45年ほどの間に個体数が爆発的に増えた。異様な集団である。あの童謡に出てくるカラスのイメージはとっくに消えている。マルミさんがその声に驚いて、「カラスは人間を襲ってくることはないわなあ」と言うので、ニワトリほどの大きさになったら、襲ってくるかも知れんと話した。
そして農業を始めた17年前には想像もしなかったイノシシという害獣の出現。この周辺では、まだ稲の被害は出ていないが、県南を除いて、すでに稲を作るにも囲いがいる時代である。
自業自得であるが、若いときにもっと「手に職をつける方向」でがんばっておけばよかったなあと思う。自分の場合、がんばるにはがんばったが、かなり鉄が冷えてから(つまり学校を出て働き出してから)始めたので、時間が取れない、会社をやめるとカネが続かないという悪循環を繰り返してしまった。手に職をつけて独立という形を理想に思ったが、学校を出てからではすでに遅すぎる。同じ独立自営業でも、農業は手に職にはならない。農業は生活である。
今は大工さんも自営業が成り立たない時代らしく、いまだ成り立っているのは理美容店くらいではなかろうか。
子供はどういう職業生活を送るのだろう。次女は介護の仕事、長女は学習塾の講師の仕事をしているが、どういう職業意識を持っているのか知らない。自分は何をやっても続かなかったので、一箇所に何十年も勤め続けるということは、自分に似ていると無理だと思う。
今の時代は固まってしまった時代なので、自由に職業を変えたり、職場を変えたりすることは困難な時代である。こんな閉塞した社会で、若い人は自分自身をどうやって保持していくのだろう。
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ストーリー的には野菜作りは簡単である。
(1)苗を買う。あるいは種を蒔く。
(2)植える場所、種を蒔く場所の畝上げをする。理由は
イ.雨が降ったときの排水をよくするため
ロ.誤って踏みつけないため
(3)数日前までに肥料を施しておく(元肥だけで十分)。
イ.化成肥料
ロ.鶏糞、牛糞等の動物糞もしくは堆肥類
(4)植える、または種を蒔いて水をする。
(5)収穫までに最短野菜でも60日ほどかかる。
イ.乾いたら水をする。草が伸びたら草をとる
ロ.時々見回る。病害虫をチェック
(6)収穫
たったこれだけの起承転結だが、60日も待つ必要がある。書物や先生ではわからない。無茶苦茶でも自分で体感しないと覚えれない。
でも都会には土がない。わざわざ遠方まで出かけないと土がないなら、そこまでするエネルギーは誰も少ない。
田舎では土がすぐそばにあるのだから、いつでも作れそうだが、
休みの日くらいゆっくりしたい
あんまり興味がない
野菜など作る暇はない。職業知識を磨く必要がある
いつ植えて、いつ蒔くかなど、勉強するのが面倒くさい
誰も教えてくれる人がいない
一通りのことを覚えるのに数年かかりそう
現役世代がやる職業ではない
賢い人のする仕事ではない
定年になってから始める
イノシシやシカ、サルまで出てくるのに、野菜など作れない
買った方が安いし楽だ
こうして、稲も野菜も専門的に作る人だけが作り、家庭菜園もだんだんとする人が少なくなる。
やったことのない人が、
農業は牧歌的とか、農業は素晴らしいとか、農業で起業とか言う。
やったことのない人が、
農薬や化学肥料を否定する。
やったことのない人が、
黒マルチや除草剤を否定する。
やったことのない人が、
野菜の安全性を口にする。
農業をしている大多数の人は、農業を否定的にとらえる。それが証拠に、後継者のいる農家をほとんど(全く)知らない。
49歳の死
酪農に夢を抱いた。
酪農の大きな施設を建てた。
まだ若かった、30代の前半だった。
だから、少しずつ規模を拡大していった。
それでも、何とか家族経営でまわる規模にとどめた。
順調な30代だった。
40代は最も充実した10年間だった。
施設の負債も大半払い終えた。
ああ、やれやれだ。ふう~っとため息をついて、
タバコに火をつけた時、急にめまいがして
目の前が真っ暗になった。そのまま牛舎に横たわった。
家族が見つけた時にはすでに息が途切れていた。
脂の乗り切った40代だから、
才能があり、身体も強健な人だったから、
人並みはずれたこともやってのけれる人だったから、
少し無理もしたかもしれない。
ああ、ほんの少し、ゆっくりと作業をして欲しかった。
残されたのは、まだそんなに大きくない子供と奥さん。
そして年老いた両親。
奥さんに酪農を一人で回していく力はない。
年老いた両親は後を追うように亡くなった。
残された奥さんは子供を連れて実家に帰った。
そして外へ働きに出るようになった。
世話をする人も、牛もいなくなった牛舎に、
都会から来た一人の青年が住むようになった。
ボクは尋ねた。
この牛舎はまだそんなに古くないのに、どうされたんですか。
そうしたら、49歳の時に亡くなられたと聞かされた。
詳しいことは聞かなかった。多分青年も知らないのだろう。
後のことは自分の創作である。
人生で最も厳しい坂は50才前後の坂のように思う。40才前後の坂はまだ人生が本格的に始まったばかりの坂であり、60才前後の坂は妥協の坂であるかもしれない。50才前後が一番えらかったと、高齢者が話しているのを聞いたことがある。
50才前後の農業者は最も動ける時期である。体力も気力も充実した時期である。日曜も祭日もなく働いてもそれほど苦にならない。自分もそうだった。
だからこそ、もう少しゆっくりしてほしかった。
何もしない1日をたまには設けてほしかった。
あの暑い1日、照りつける太陽の日差しに、
急にくらくらっとして、目の前が一瞬真っ暗になった時、
それまでの人生が走馬灯のように数秒間、脳裏を横切り、
これでよかったんだと思った。
ただ、自分が先に去ってしまうことを侘びながら・・・。
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今日は書くことが、取り立てて思い浮かばないなあという日もある。でも夕食が終わると半ば習慣的にパソコンの前に座る。好きなブログを2~3つ見てから、自分のブログに向かう。各ジャンルの上位ブログの人はたいてい毎日のように更新している。
自分も、何も思い浮かばなくても、何か書こうと思う。その時に思い浮かべることは3度の食事のこと。食事は欠かすことはない。あっさりした物が食べたい日もあるし、ソーメンが食べたいこともある。作文もそんな感じである。
出荷の行き帰りに道路から見えるイチジク。イチジク全体を網で囲い、2本の太い幹を左右に伸ばし、それから出る枝を整然と上に伸ばしている。このような整枝というか誘引ができないと、出荷できるような果樹は作れない。
自分はどうしても、このような作り方ができない。果樹でも野菜でも何でもだが、きちんとしたものを大量に出荷しようと思えば、ある程度は生産作物をしぼり、きちんとした肥料構成、最低限の農薬、草管理、水管理、整枝、誘引、支柱、摘果などを行う必要がある。自分は農業の分野でこれができない。だからスペシャリスト的な専門作物が持てない。性格的なものかもしれないが、明らかにこういう能力に欠けている。農業の分野で自分が稼げる領域は少ない。その少ない稼げる領域が「ワンパック宅配」だった。収入になるならないにかかわらず、他の農業分野に進出できる能力がないなら、現在のワンパックを続けざるをえない。
農業に年齢はあまり関係ないようである。定年後に始めても、できる人は2~3年のうちに、特定の農作物のスペシャリストになっている。こういう人から比べると、自分の農業はあきれるくらいの「放任栽培」である。放任でもそれなりにできるのが野菜である。作物への対処法が、自分はこういう接し方しかできなかった。


止まり木に止まったニワトリを見るのもかわいい。飛びかかってくるオンドリも、夜は目が見えなくなるから、近づいても何もしない。くっつくと暑そうだが、こうやってくっついて寝るのが防御本能なのかも知れない。真冬になると、この止まり木から降りて、入り口の左の隅で、だんご状態になって寝る。冬はそうやって寒さから身を守る。冬だからといって、鶏舎を防寒することはなく、春夏秋冬、全く同じ仕様である。ただ、ニワトリは冬の寒さより夏の暑さに弱いようである。人間なら夏は氷のような物が欲しいが、ニワトリも夏は、スイカ、キュウリ、トウガンのような水っぽいものを好む。トウガンはニワトリのためにも作っている。 今の時期だと7時10分頃から止まり木に上がり始め、7時25分頃には、全部上がる。この状態で、夜が白々と明ける頃までの9時間を過ごす。
2日間も家は空けずらいが、ニワトリの世話を負担に感じたことはほとんどない。30羽ほどなら、ほとんど手間はかからない。1日1回水を入れ替え、コゴメを鶏舎内にばらまき、野菜くずや雑草を投げ込んで、卵を回収するだけだから。
カキガラのようなものはあえてやらなくても、青菜から鉄分をとるのか、卵の殻は十分固い。
ニワトリの最大の長所は、畑から出たくず野菜を全て平らげてくれることである。自分の場合は、たいていの野菜は出荷してしまうし、出荷しずらかった野菜は食べ量にまわすので、それほどくず野菜は出ないが、ジャガイモのくずとか、未熟ナンキンとか、ナスビの虫食いとか、ダイコンやカブ、ハクサイやキャベツの外観不良分など、一定量は出てくる。それらを田んぼにころがしておくのではなく、ニワトリに食べて頂く。放任栽培といえども、自分なりに丹精を込めて育てた野菜だから、どんな些細な野菜でも無駄にしたくない。
45年ほど前までは、家の軒先のような場所で10~20羽が飼われていて、卵と肉を供給していた。分業とか効率とか大量生産とかの資本主義の論理が人間の生活様式を変えてしまったが、
う○こ→産業廃棄物
便利なポリ、ビニール、黒マルチの大量生産→産業廃棄物
という、従来の(45年前の)、最後は土に戻していくという循環のサイクルを壊してしまったのも、科学文明である。そして、45年前までは、最も神聖で、美しい大地だったのに、45年後の現在は、不潔で汚い物になっている。除草剤や農薬や化学肥料で荒れた土地、抗生物質や抗菌剤を大量に使用した密飼いの動物糞の捨て場が、現在の大地である。田んぼはこのようなゴミ捨て場ではないし、化学資材を多投する場所ではない。大地を通してリサイクルするという考えが必要であるが、それは現在の文明と「対立」するものである。
人間の死体でさえ産業廃棄物扱いである。45年前までは、多くは土葬だった。人間は死ぬと大地に戻り、その大地からまた新しい命が芽生えてくるという輪廻(循環)の思想だったが、現在は火葬なので、大地に戻ることはなく、人間の魂は帰る場所を失って空中をさまよい、お骨というガラクタだけが残る。こんなガラクタを収めるために200~300万もする先祖墓なるものも必要とされる。
先祖墓を立てない「個人の自由」もない。集落の45軒のうち44軒までが先祖墓を立てているのに、たった1軒、それは個人の自由だからといって、更地に木の棒などを立てて供養するのも、なみなみならぬ勇気とエネルギーと自身の哲学がいると思う。たいていはそんなことに戦うことに疲れ果てて、あるいは元からそんなことなど頭に浮かべることなく、先祖墓が立てられるのである。我が家は父が立てていた。だから助かった。立ててなかったら、父の残したほんの少しの財産の中から先祖墓を立てざるえなかっただろう。
とにかく、大多数が右を向いている時に、自分1人左を向くのは大変なエネルギーがいる。環境問題でもそうだと思う。そして自分の場合、経済の前では環境意識など吹っ飛んで、目先の生活に追われてしまう。
夕方、田んぼから帰る時に、電柵の出力を確認して帰った。昨晩また、近所のサツマイモ畑にイノシシが侵入し全滅した。
去年イノシシにやられた3軒は、今年からは家の近くで作るようになったが、去年被害を免れた1軒だけが近くで作っていて被害にあった。2日ほど前に、イノシシに入られたと話していたが、柵をするのは誰でも、とても面倒なものである。やられてから、もう1日早く囲いをしておけばよかったと思う。
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