
Tさんの窯がある道路から、遠方に、廃校になった三保小学校が見える。その小学校を借りて住んでいるのは、家具作家のKさん。新聞によると、1994年に移住されているので、すでに13年めの47才。家具作家として生活は十分に成り立っているらしかった。
こういう場所で生活していくには、現役世代では、なにか「特殊技能」が必要と思う。
この校舎は1955年の建築で100人余りの児童が学んでいたが、真っ先に少子化の波をかぶり、たった13年後の1968年には廃校になったらしい。随分辺鄙な場所に感じたが、50年ほど前には100人もの小学生が行き来していたのだと思うと、時代のすさまじいばかりの変化を感じた。

Kさんのことを知っておられたので、同じく新聞に出ていたオカリナ作家で奏者のTKさんのことを尋ねると、その人のことも知っていて、ここから15分ほどだからと案内してくれた。
ため池のほとりに立つ、別荘のような家だった。TKさんは定年後に、ここの土地家屋を購入して移住された。ご主人はオカリナ、奥さんは庭園と家庭菜園を趣味にされているようで、池のほとりに絵になるような庭と菜園があった。定年帰農型の移住であり、長らく会社勤めをされていて、経済的には安定されている。

帰りはまだ明るかったので、「田土」という棚田を見て回った。こんな近くに、こんな棚田があることを知って、何かうれしかった。棚田というと、かなり奥地というイメージがあったが、案外近かった。



昼からふら〜っとドライブに出た。訪れた先は県中部の三保高原。三保高原は、岡山三大河川の一つである吉井川水系にある。岡山県には中心部を旭川、兵庫県よりを吉井川、広島県よりを高梁川が流れている。吉井川は自分の地元の水系であり、町内の端を流れている。
三保高原は家から1時間ほどでいける。新聞に「天空の高原に生きる」と題して、都会から移り住まわれた3人の方が紹介されており、近いうちに訪ねてみようと思っていた。
上の画像は、その三保高原に登る途中で写した吉井川である。確かに、かなり登ってはいるが、天空と言うほどではない。
最初に訪ねた方は留守だった。電話もせずに飛び込みで訪問したのだから、おられなくても仕方がない。後の2人の方は、新聞の地図では皆目、場所がわからない。
せっかく来たのだからと、周辺をドライブしているうちに、この近くで炭焼きをされているTさんを訪ねてみようと思った。Tさんを始めて訪ねたのは8年ほど前のことであり、「炭焼き名人」として新聞に紹介されていた記事を見て訪問させてもらった。もうかなり以前のことであり、場所も忘れてしまっていた。すでに70代後半の方であるし、元気にしておられるか、炭焼きをまだされているかも定かでなかったが、途中で道を聞いた人が、まだ炭を焼かれていると教えてくれた。
自分のことなどもう忘れられていると思ったが、すぐに思い出してもらえた。そして、今焼いている場所の炭窯を見せてあげると言ってくれた。

最初に案内してもらったのは、イノシシの捕獲用の檻。この檻で今年の冬には7頭のイノシシを捕まえたらしい。檻は12万ほどの価格と言われる。かなり頑丈で大型の檻である。

これが、今焼いている場所の炭焼き窯。8年前からすでに5回ほど場所を移り(5基の炭焼き窯をつくっているという意味)、この窯は最近作られたらしい。
8年前の時は深い谷底のような場所に窯が設置してあったが、この窯も、道路から見下ろすような場所にあった。この窯を作るには、この窯まで行く道も作る必要がある。ユンボで簡単に作れると話される。70代後半の方であり、かなり急峻な場所であるのに、どこにそんなパワーがひそんでいるのだろう。見かけはきゃしゃな人なのに。下の画像が切り開いた道である。道路から炭窯まで100メートル以上ある。
炭焼き名人として新聞に載るくらいだから、窯作りはお手の物なのかも知れない。昔、子供の頃に父親の焼くのをよく手伝い、炭焼き窯の作り方は自然に覚えたらしい。それでも、若い時は家を離れて会社勤めをされていたので、30年ほどのブランクはあったそうである。子供の頃に身体で覚えたことは終生忘れないのかも知れない。

「能力のない者は第一次産業から去れ」、イノシシにそう言われているような気がした。昨晩、サツマイモ畑にイノシシが入った。

電柵のバッテリーが切れていて、早く設置しようしようと思いながら、1日延ばし1日延ばしにしていたら、今朝の結果になった。頭の中が真っ白のパニック状態に陥った。家に帰り、農機具店に電話をしてすぐに来てもらった。今日が日曜日でなくてよかった。





いじめられニワトリが3羽に増えた。巣箱に入っている3羽がそうである。この巣箱の中か、止まり木、もしくは巣箱の上で1日の大半を過ごしている。下(地面)に降りると、他のニワトリに頭の周辺を突付かれる。凶暴な同類を怖がって、エサやりに入っても、降りてこないことが多い。巣箱の上の端と端にコゴメを置いて、2羽はその上で食べさせ、一羽は止まり木の上で、手にエサ入れの容器を持って食べさせている。未熟ナンキンも1個、巣箱の上において、いつでも食べれるようにしている。水はいつ飲んでいるのだろうか。一羽は、他のニワトリがエサに夢中になっている時に、ドサクサにまぎれて下に降りて水を飲んでいるが、他の2羽はいつ飲んでいるのかわからない。もちろん3羽ともタマゴは産んでいない。いじめられだすと、エサを食べる量はかなり減るし、青菜も食べるチャンスがほとんどないし、水もいつ飲んでいるのかわからないくらいだから、タマゴなど産めない。
何でニワトリは同類に対してこんなに凶暴なのだろう。オンドリ同士は必ず決闘をするし、メンドリは群から外れたニワトリを徹底して突付く。止まり木に飛び上がって逃げる体力を失なったら、地面で突付き殺される。

1日中巣箱に退避して、他のニワトリが産んだタマゴを腹の下に入れて温めている。今回は1羽がたまたま空いている部屋に入ったが、ニワトリはニワトリが入っている巣箱に入りたがるので、他のニワトリのじゃまにはならないし、巣箱の中では突付かれないようである。

青菜は毎日欠かさず、かなりの量を与えている。タマゴの栄養価は、青菜をたらふく食べているかどうかだと思う。
99.9%はケージ飼いのニワトリであり、青菜を知らずに生涯を終える。もちろん太陽も知らない。だれもがそんなタマゴを食べている。
トリ小屋の前に「オオタデ」という花を植えている。こぼれ種でいくらでも生えてくるので、それを定植している。1ヶ月以上にわたって花が楽しめる。
トリ小屋の下の田んぼにはお盆にお墓に供える花と言われている「ミソハギ」を植えている。
ツルムラサキには害虫も病気もほとんどこない。他に
ピーマン
オクラ
ハヤトウリ
レタス
ニガウリ
サトイモ
ヤーコン
サツマイモ
エンサイ
青シソ
インゲン
ニンジン
ニンニク
ミョウガ
シュンギク
ホウレンソウ
も、害虫や病気で困ったことはない。
困るのは、
ジャガイモ
タマネギ
ナンキン
アブラナ科野菜
であり、
ナスビは害虫が大発生しても、秋ナスが成り始める頃には、害虫の影も形もなくなるので、別に困っていない。

ナンキンの田んぼの半分は遊ばせていたが、その部分にこんな雑草が生い茂った。ナンキンを定植した4月末頃にはまだ更地同然だったので、3ヶ月で麦ほどの背丈になった。雑草というより、よい「緑肥」である。
しょっちゅう見かける雑草なのに、この雑草の名前を知らない。
ワンパックの将来性




当地もやっと梅雨明けしたようだ。
出荷の日に宅急便の営業所へ行く時に通る道。その道路から見た当地。山すその田んぼは減反が多いが、このあたりは圃場整備されて1区画が大きく、正方形や長方形で機械を扱う場合に便利なので、ほとんどの田が作付されている。
長雨の過湿により、ナンキンが弱ったので、今日の出荷が終わった後に大半を収穫した。収穫期の条件が悪かったので、今年のナンキンは9月上旬頃までしか保存できないだろう。それまでに出荷してしまわないと、ニワトリ行きが多くなる。8月中旬にはトウガンが出荷できるし、9月10日頃からサツマイモが出荷できるので、その頃まで保存できたらよい。

うっそうと茂ったミョウガの茎葉の足元に、ミョウガの子が顔を出している。小面積でもかなりたくさん収穫できる。

梅雨明けしたらオクラの季節。これから8月のお盆くらいまでが最盛期である。1日おきに収穫するならいいが、土曜、日曜と2日あくと、大きくなりすぎることもある。8月上旬には、別途、日曜日の朝にオクラだけ収穫することもある。月曜日発送の火曜日着だから、収穫後2日間経過することになるが、オクラは、比較的日持ちがよい。

エンサイ。この後すぐにジョロで打ち水をして仕分けし、新聞紙で包んだ。
ツルムラサキ。エンサイと同様の処置をした。

月桂樹。イタリア料理店から時々注文が入る。1本植えておくと便利である。家庭でも結構使われるらしいが、我が家では月桂樹を使うような料理をしたことがない。
葉を鼻に近づけると、甘いいい香りがする。月桂樹のそばを通ったくらいでは、甘い香りはしない。

スイートバジルは画像のような収穫である。茎から収穫をするのではなく、葉先を収穫する。とても面倒に見えるが、1株からかなり収穫できるし、慣れると、以外に早く収穫できる。黄色のケース8分目くらいまでの収穫に15分もかからない。

(1)今日の出荷の収穫と仕分けが終わった後、ナスビの枝の更新をした。
(2)枝は半分ほどに切り戻し、葉は全部落として丸坊主にする。
(3)葉を全部落とすことがポイント。全部落とさないと、害虫のニジュウヤホシテントウ(テントウムシダマシ)が居座ってしまう。食べ量に3本ほど更新しないで残すのも同じ理由でだめ。
(4)44本で、11時から12時までちょうど1時間かかった。枝の切り戻しの時間はかからないが、葉を落とすことに時間がかかる。
(5)枝の切り戻しは7月22日〜26日の間にしている。適期幅は短い。22日より早く更新すると、新しい新芽がやられることがあるし、26日より遅くなると、次に成り始める(これを秋ナスという)のが遅れてしまう。
(6)35日〜40日経過すると成り始めるので、早ければ8月28日頃、遅くても9月3日には秋ナスが収穫できる。
(7)夏ナスビの期間は1ヵ月半ほどであり、秋ナスビの期間は2ヶ月ちょっと(11月9日にナスビの足元にエンドウ類の種を落とすので、ナスビの木の根元をノコで切る)で、合計3ヵ月半ほどである。ピーマンは連続して5ヶ月収穫が続く。
この場所はニガウリを植えていた場所であるが、どういうわけかニガウリが大きくならず、草におおわれてしまった。代わって大きくなったのが、雑草化しているアピオス。この芋はおいしいが、大きい芋が入らない。アピオスのそばを通るだけで、いい香りがする。
これも雑草化しているコンニャク芋。この畦岸で毎年大きくなる。そんなにこの場所が好きなら、ずっとここにいたらよい。きちんとした場所に植えなおすと、どこに植えなおしても、なぜか、コンニャク芋はうまく育ってくれない。




最近、スズメをよく目にする。あまり気に留めていなかっただけかも知れないが、気にしてスズメを見出すと、やはり多い。
自分が子供の頃は、スズメは稲穂やムシロで天日乾燥をしているモミを食べる害鳥だった。でも今の自分にはスズメは害鳥ではない。カラスと違って野菜を狙うことは全くないから。青菜も食べているだろうが、野菜の青菜は食べない。
害鳥ではないが、一概に益鳥とも言えない。益鳥に近い普通の鳥といえる。野菜につく多くの害虫を食べてくれていると思うが、カマキリやクモのような益虫も食べているだろう。
このように自分の置かれている状況によって、鳥類に対する評価が変わってくる。
動物愛護の活動をされている方も、もし農業を始めると、動物に対する考え方が変わってくると思う。
ニワトリを絞めて肉にすることは、45年前までは日常茶飯のことであった。今は、生きているニワトリを見る機会は全くなく、肉としてスーパーに並んでいるのを見るだけである。起承転結の結の部分だけしか見る機会がないから、相手の立場と同じ土俵に立って考えることができなくなっている。消費者や料理人も同じである。野菜の起承転結の結の部分しか見る機会がない。
たくさんの農作業の中では、気の進まない農作業というのが出てくる。そういう農作業はきまって、追い込まれないとできない。田んぼの傍らの水路の泥上げもその一つであり、害獣の防御ネットを張る作業もその一つであり、春先のエンドウ類の支柱を立てるのもその一つであり、潅水(日照りが続いた時の水遣り)もその一つである。これらの農作業はかなり追い込まれないと、一歩前に進んでくれない。農作業とは違うが、家の門(かど)の草取りもそうである。気が進まなくても、放っておくわけにいかない農作業であるから、さっさと済ませればいいのに、身体が動いてくれない。
パソコン環境をがらっと変えてから、パソコンがぐんと身近な存在になった。
(1)ウインドウズMEがウインドウズXPになった。
(2)デスクトップがノートパソコンになった。この変化だけで、自分でもびっくりするくらいパソコンが身近になった。やはりデスクトップは自分には重々しい。
(3)ISDNがADSLの電話回線になり、画像の表示が格段に速くなった。
(4)ウイルスソフトをソースネックストに変えてから、立ち上がりに時間がかからず、随分と軽くなった。
(5)入力のキーボードが、以前はおもちゃみたいで、入力の都度かちゃかちゃ音がしていたが、今のは、キーボードの背が低く(キーボードの背が低いと、入力する時に、ものすごく楽だということが身にしみてわかった)とても打ちやすい。
(6)今まではボールペンで書いて、清書にパソコンを使っていたが、毎日、ブログの更新をするためには、そんな悠長なことをやっていたら間に合わず、それが、いきなりパソコン入力の引き金になった。食わず嫌いと思い込みがひどかっただけで、いきなりパソコン入力を始めて1週間も過ぎると、何でボールペンで下書きのような手間なことをやっていたのだろうと、愕然とした。しかし、いきなりパソコン入力ができるようになったのは、キーボードが打ちやすくなったことが、大きな一因だろう。
ブログを始めてからは、ブログに必要なパソコン機能だけを覚えればよいと思うようになった。他のパソコン機能はほとんど使えない。
水飲み百姓、田吾作、ドン百姓、昔から蔑視的な言葉が随分使われてきたが、今農業をしている人たちは、誇り高き農業者たちである。「経済力」と関係なくプライドが高い。高慢と独善であるが、それぞれが「哲学する農夫」なんだと思う。組織で生きていたら、こういう意識はちょっと持てない。
今日は、早朝6時50分から、集落の土手の草刈があったので、その後は田んぼに出ずに、パソコンの前に座った。夜4時間するより、昼間に2時間座り、夜2時間と半分に分けて4時間にした方がキーボードの手がよく動いてくれる。でもそうすると、昼寝時間がなくなる。

青シソには、ほとんど害虫が来ないし病気もない。しかし、2人の方から、青シソは野菜の中では害虫が多い野菜ではないですかと聞かれたことがある。テレビででも放映されたのだろうか。なぜそんな、全く誤った情報が流れるのか不思議である。
ハーブの多くも「シソ科」であり、害虫はほとんど来ない。

巣箱の中の2羽が、なかなか元の仲間の中に復帰してくれない。すでに1ヶ月が過ぎる。そしてまた新たな一羽がいじめの対象になりつつある。
結局、同じトリ小屋の中で、他のニワトリからガードしながら、別途に2羽だけ、手に持った容器でエサをやっているが、この5〜10分間が無駄である。のんびりした農業などやっていないし、この5〜10分があれば、デジカメで20〜30枚くらいは簡単に写せるのに・・・。
ニワトリは本当に残酷で、学習能力も全くないバカ鳥で、まるで人間社会のように、特定のニワトリに激しい「突付き」を加える。牛や豚、猫や犬のような利口さはゼロである。「癒し」にはならない。
表口から出るタマゴ、裏口から出る糞(肥料)、田んぼのくず野菜と家から出る多少の食べ残りのリサイクルという「3つの経済性」がなかったら、ニワトリは飼えない。

ピーマンはナスビのように休ませる必要もなく、11月上旬頃まで、5ヶ月間もコンスタントに、休みなく成り続ける。元肥だけで追肥をしなくても成り続けるが、これでお盆前後に追肥でもすれば、もっと成るだろう。

ナスビは無残な状態。虫食いがひどくても、ないよりましと思い、単価をつけずに入れる。






昨日、Hさんからの帰りに治部邸に行った。同じ久米南町にあり、Hさん方から4キロほどの距離である。
治部邸は江戸時代の豪農の屋敷である。現在は、農村型リゾート施設として整備されている。

その標識の上に、見上げるような大木があった。何の木かわからない。

立派な土塀である。多分、江戸時代頃に作られた土塀なのだろう。

井戸。「滑車」と「つるべ(水を汲み上げるバケツ)」があった。30年ほど前まで、何百年もの期間にわたって、使い続けてこられた井戸なのだろう。川は近くには見当たらなかったので、生活用水の全ては、この井戸水だったのだと思う。風呂、炊事場、厠。
昔の人はどうやって、水の出る場所(井戸)を見つけたのだろう。井戸を見つけてから家を建てたのだと思う。

池の中に河童さんがいた。この池は、庭園の造作の一つとして作られた池なのか、それとも防火用水だったのか・・・多分両方の用途なのだろう。

庭の一角にこんな物が置いてあった。一帯のエネルギーを集めるような置物だった。酒樽か醤油樽をひっくり返して、その上に傘のようなものが置いてあった。中は座禅でもするような部屋になっていた。

治部邸のある集落は、ブドウの産地だった。ブドウは画像のような「雨避けのポリ」と「棚」が必要である。そして、ほとんどがこのような「山の斜面」に作られている。
ブドウは重労働だろうなあと、見て感じる。
(1)雨避けのポリ
(2)棚
(3)山の斜面(傾斜地)
(4)除草剤と農薬散布
雨避けのポリは毎年、もしくは2年に1度は張替えをするようである。台風等による棚の修復も必要である。傾斜地なので、収穫作業や草刈作業も大変である。市場出荷なら、かなり頻繁な農薬散布が必要ではなかろうか。
4項目のどれ一つとっても楽ではない。多分、この集落のブドウ農家の平均年齢は70才ほどになっているのではなかろうか。若い後継者がいるのだろうか。このあたりのブドウ棚はかなり昔に立てられているように見えたから、すでにブドウ棚への投資は終わっているだろうが、現在では、10アール(1反)の棚の設置は、業者に依頼すると100万ほどかかるらしい。ブドウも「新規参入」には大きな投資が必要である。
ブドウ農家も、ほとんど後継者はいないようで、今は家族の後継者ではなく、都会からの新規就農希望者が、このようなブドウ畑をそのまま引き継いで、賃借料を支払ってするケースが段々増えているようである。こういう形で就農するなら、ブドウ棚を作る能力に全く欠けていても、ブドウの剪定作業や手早に収穫したりする能力にたけていれば、ブドウ農家になれると思う。
(1)ブドウ棚への投資
(2)稲作の機械への投資
(3)ハウス設備への投資
古くは
(1)葉タバコの乾燥場という建物への投資
(2)豚を飼うための豚小屋への投資
農家は決して投資をすべきではないと思う。一代限りの農業なら、投資すると元は取れない。借金だけが残る。農業収入で支払えるなどとゆめゆめ思わないで下さい。
葉タバコのよかった時代は20年、豚のよかった時代はたった5年。農政に振り回されて、葉タバコも豚もあっという間に見捨てられていった。後には、乾燥場と豚小屋という建物だけが残った。

ここの地域は赤土だった。土質が自分の所とは全く違う。赤土の田畑でできる野菜やブドウや米は、また違った味がするのかもしれない。

ブドウ畑が続いていた。

山深い集落である。今年の夏はこんな山村や棚田を訪ねてみようと思う。



久米南町のとある集落。ここが葉タバコの産地であるということは、ここに入植している友人から聞いて知っていた。
車で走っていても、葉タバコを目にする機会はほとんどない。だから、葉タバコの生育のピークである今頃の時期に、葉タバコを見に行きたいと思っていた。
ああ、これが葉たばこ。思いで深い作物である。見渡す限りの葉タバコ。

タバコを吸う人でも、そのタバコがどんな物からできているか、あまり知らないと思います。これがタバコになる葉、つまり「葉たばこ」です。かなり大きい葉っぱです。

葉タバコのわき芽。真ん中の太い幹の葉の付け根から、画像のような強いわき芽が出てくる。これを「かぐ(取り除く)」のも大事な仕事である。葉タバコは「ナス科」である。ナス科には、
(1)ナスビ
(2)ピーマン
(3)トマト
(4)ジャガイモ
があるが、ナス科はジャガイモ以外は、わき芽をかぐ作業がある。

もう一つ、今回の訪問の目的の一つが、「住宅用太陽光発電システム」の撮影である。これを取り付けたと聞いていたので、購入した理由を聞かせてもらった。
このシステムは、太陽光で発電して、家で使わなかった発電は電力会社に買い取ってもらうというシステムである。
アメリカのゴア前副大統領の「不都合な真実」という本を読んで、自分にできるエネルギーの自給はないかと考えて、このシステムの購入に至ったらしい。

Hさんは環境問題に関心を持っておられる。これもトイレの排泄物を堆肥化するシステム。おがくずを利用されるらしいが、具体的な説明をうっかり聞き忘れた。次回にご紹介させて頂きます。

趣味で弾くピアノとギター。最近のピアノの練習曲は、ショパンの「英雄ポロネイズ」と言われる。今日は、ビートルズの「レットイットビー」、「イエスタディー」「インマイライフ」の3曲を、ピアノと歌声で聞かせてもらった。もちろん英語の歌詞。年齢は2歳違うだけで、ビートルズ世代であるが、自分は音楽はさっぱり。ビートルズの名前と、有名な「レットイットビー」と「イエスタディー」の歌の題名と出足を知っているくらいである。
ギターは学生時代から弾いていたが、ピアノはこの地に入植してから始められたらしい。
農業をするために30代前半に、この久米南町に入植されてすでに20年余りになる。しかし数年で農業には見切りを付け、学習塾の先生を始めた。学生時代にすでに学習塾を開いていたので、昔取った杵柄である。この時点で、「農業に依存しない田舎暮らし」への転身を計ったわけであるが、この決断が早かったので、今の暮らしがあるのだと思う。2年ほどで、生活ができるだけの収入を農業で稼ぐのは無理と判断された。
現在は、週に5日間、午後5時〜9時頃の4時間、数人の仲間と学習塾をされている。こういう生活スタイルをすでに20年間ほど続けられている。こういった特技のある人は強いなあと思う。これだけの労働時間でも、農業者の2倍ほどの年収になるんだろうと思う。
奥さんは早くに病気で亡くなられ、娘さんはすでに結婚され、今は長男さんと二人暮しであるが、昼間は森林浴をしたりピアノを弾いたりされているらしい。森林浴といっても、出かける必要がなく、家の周りは雑木林なので、家の軒先で木漏れ日の森林浴ができるのである。ここで椅子に座って、瞑想などされるらしい。瞑想によって霊性を高めたいと言われる。今日は2匹の「銀ちゃんラムちゃん?」が森林浴をしていた。右の画像は音楽ルームの前の庭である。

深い山あいの1軒家であり、真夜中でも遠慮なくピアノが弾けるという環境である。理想的と思える「農業に依存しない田舎暮らし」であるが、農業との決別、奥さんが早くに亡くなられてからは子供さんの世話、かなり不便な過疎の山村暮らしという、幾多の坂を越えられての現在である。

夕方、学習塾に行かれる前に、家の近くの散歩道を一緒に歩いた。葉タバコのそばの道を歩きながら、Hさんが理想とされていた田舎暮らしが今、実現しているのだと思った。

今日、4回目のキュウリの種を蒔いた。春の種蒔きは、成り始めるまでに65日ほどかかるが、今の時期の種蒔きは、成り始めるまでに45日しかかからない。春夏作のずらし蒔きはキュウリだけ。

3日前にサツマイモの畝間の草取りをしておいてよかった。画像のような状態になったので、もう畝間に入れない。タッチの差で草取りを終わらすことができた。

ナンキンは長雨による過湿でやられてしまったが、ナンキンの40日後に蒔いたトウガンは、過湿の害を免れた。生育ステージが異なると、一方がだめになっても一方は生き残ることがある。だからこういう蒔き方をしている。

「水肥え」と言われるほど水を好むサトイモは、梅雨の期間に急激に大きくなった。

ナスビは実も葉もボロボロになっている。今日のナスビは単価を付けずに入れた。

今年の梅雨は長雨が続いたので、スイートバジルがほとんど出荷できなかった。新しい葉を出させるために、傷んだスイートバジルの葉を散髪(剪定)した。
画像を入れると、言葉よりも、画像に依存してしまう。画像の説明のための数行を入れるだけで完成する。
ブログの更新パターンは色々持っていた方が楽である。その日の体調や気分によって、パターンが選択できる。自分の場合、
(1)言葉だけにする。
(2)画像のアップとその説明を主体にする。
(3)田んぼ訪問記事
(4)ブログを始める前に書いていたあめんぼ通信から、コピーアンドペーストでブログに移動させる。
等の更新パターンがある。
3度の食事をするようにブログを書きたいと思う。遅くとも午後8時までには、ホームコタツのノートパソコンの前に座るようにしている。いつのまにか、午前0時の更新というリズムができていた。
思考の断片でいいと思っている。思考の断片は、田んぼで農作業中に出てくることが多い。畑を横切る一陣の風のように、一行の言葉が頭に浮かんだら軽四まで走り、忘れないうちにメモ書きしておく。そのメモ書きに少し肉付けをしながらブログに書く。
今日は思考の断片というテーマなので支離滅裂です。大体、自分の頭は「もぐらたたき」みたいな言葉の出方しかしてくれないので、日替わりメニューしか書けない。連続物や長い作文は、頭の中の糸がもつれてしまう。
35才までは人生とはいわない。人生が始まるのは35才から。
40代とはレールの上をひたすら走る時代
50代とは絶望を生きる時代
60代とはあきらめを生きる時代
70代とは忘却を生きる時代
毎日、ブログの更新をするようになった8月20日が満1周年と思っている。後1ヶ月で1周年が来る。ブログの順位に一喜一憂せずに、とにかく3年は続けようと思う。書き続けていると「枯渇してしまう」ように感じたこともあるが、それは逆だった。井戸水のように、使えば使うほど(書けば書くほど)、出てくる水の量(言葉の量)は多くなるということに気付いた。
同じ事柄を書いても、書き方や見方は刻々と変わるので、「過去の重複記事」のように思われても、多少は大目に見てもらえるかなと思っている。でも「くどく」なっても訪問者さんに失礼になるので、このパターンで書き続けることは3年くらいまでにしようと思う。その後のことはまだ見えてこない・・・。
書いている内容のレベルはともかく、書く量でプロに引けをとらないようにしないと、プロのルポライターにはなれないと思う。プロは元アマチュア。
まだブログが夢に出てこないから、午前0時のブロガーとは言えない。でもそういう風に覚えられるようになりたい。
「土」は今日も思考の断片を与えてくれた。時々奇声を発しながら、ぶつぶつ独り言を言いながら、瞬間的に頭の中をよぎった一行の言葉をメモして、今日もまたブロ