なんとか17年間続いてきた自分の農業の総括をしなければならないと思っている。農業を止めるための総括ではない。止めることはできない。ただの少しでも収入になる道は確保しておく必要がある。
農業に定年はないが、出荷農業は、がんばれても65才くらいまでではなかろうか。自給農業なら、75~80才くらいでも、身体が動けばできる。
出荷農業が65才くらいまでだと考えると、後10年ほどしかない。自分の場合はもう、今後の10年に新しい農業展開はありえない。今までやってきたワンパターンを繰り返すだけだろう。自分の農業はすでに「自分のレベルでは」完成域なのである。重複をおそれずに、今後2年ほどで、今までやってきた全てのことをブログで公開しようと思う。でも2年以上はできないと思う。それ以上続けると、ブログの訪問者さんに失礼な重複になる。
大切なことは「期限付きでがんばる」ことだと思う。ブログを続かそうと思ったら、その時に脱皮する必要がある。数年後は、田んぼ訪問(他人の農業を書かせて頂く)一本にしぼるつもりである。週に2回を「田んぼ訪問の日」にあてて、ブログの更新頻度を週に2~3回にして続けるようになるだろう。
今は週に1回を「田んぼ訪問の日」にあてている。
農業は1年のある特定の時期に、1回しか経験できない。もう1度経験しようと思えばまた12ヶ月待つ必要がある。その時に、
(1)天候が問題だったのか
(2)自分のやり方のどこが誤っていたのか
よく把握しておく必要がある。これが把握できていないと、経験が翌年に生かされない。
(1)1回で学習すること
(2)1回で懲りること
(3)同じ誤りを何度も繰り返さないこと。
自分の場合は1回で学習できず、3~4回同じ失敗を繰り返して、始めて懲りると言うパターンだった。1回で懲りずに同じ誤りをしつこいほど繰り返してしまった。こういうタイプは農業の進展がとても遅れる。
性格的なことをのけても、農業で一通りのことを覚えるのは時間がかかる。3年、4年とかかってしまう。特にワンパック宅配の場合は、多種類なのでなおのことである。そして顧客を獲得するための営業活動も並行してする必要がある。
多種類というのも性根が入らなかった原因であるかもしれない。たとえば、トマトとかピオーネの一作物だけだったら、それが失敗すれば全てパーになるから、どうしても集中せざるを得なくなり、その時の状態を丹念に記録に取ると言うことも当然考えられるが、自分の場合は、1種類失敗しても・・・他にたくさんと言う、甘い考えが常にあったのだと思う。スペシャリスト型の人が失敗しない原因はこういう所にあるのかも知れない。
自分は特定作物のスペシャリストの道がどうもフィットせず、多種類作る方を選択したが、多種類作っても、十種競技みたいに、それぞれの作物のスペシャリストになる必要がある。1作物も失敗はできない。
6月は1年中で最も忙しい月である。目先の農作業に追い立てられて、秋冬作のことまで頭がまわらないのが現実だが、8月のお盆過ぎから始まる秋冬作の第1弾の準備は今頃からする必要がある。自分の場合は、8月のお盆明けに、ニンジン、インゲンの種蒔き、レタス類の種蒔き、ディル、チャービルの種蒔き、秋ジャガイモの仮植(自給用)、ネギの定植等に、1枚の田んぼを早めに耕して準備しておく必要がある。後45日しかない。2週間おきに2~3回耕運する。
一群から外れてしまった2羽のメンドリを手放そうと思う。ヒヨコからまだ1羽も死んでいないので残念であるが、群れの中に戻れそうな気配がない。1羽の方は、こうなってすでに何週間にもなるし、このまま怯えるままにしておくのもかわいそうである。
1日の大半は巣箱の中にいるようだが、朝、エサやりに入ると、1度は地面に降りてくる。しかし夕方は降りてこない。今日、また様子をみようと、夕方にもコゴメを少しばら蒔いたが、画像の2羽は降りてこなかった。
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今日のワンパック
タマネギ 300円
ジャガイモ 200円
キュウリ 2単位 400円
ナスビ 2単位 500円
ピーマン 200円
レタス 100円
エンサイ 150円
インゲン 300円
ニンジン 150円
サービス品(青シソ、ニンニク、ハーブティ3種類)
送料 800円
合計 3100円
今週になってやっと野菜の種類が揃いだした。種類が少ないと、ワンパックを組む時に困る。
このところの雨で、やっとキュウリがよく成りだしたのと、インゲン、エンサイの収穫が始まったことで、今日のワンパックは比較的楽だった。
たくさん収穫できれば、上記のように2単位になる場合もある。3単位にはしないようにしている。
都会の顧客にワンパック野菜として送る場合、3200円前後というのが適当ではないかと思う。月2回で6400円である。
多種類作っているから、1種類くらい失敗しても構わないというわけにはいかない。全部成功させないと、他の野菜に負担がかかってしまう。
7月~9月の3ヶ月間の基本的12種類
1類 タマネギ ジャガイモ (在庫物)
2類 キュウリ ナスビ ピーマン オクラ (成り物)
3類 ナンキン トウガン ニガウリ (ウリ類)
4類 エンサイ ツルムラサキ 青シソ (葉物)

仲間から外れてしまった1羽のメンドリが、なかなか元の仲間の中に復帰できない。1日の大半を巣箱の中で過ごしているようだ。巣箱の中が唯一安全な場所なのである。
朝、エサやりに入った時は、一度は下(地面)に降りてくる。生きていくにはとにかく「少しでも食べなければならない」から。でもすぐに、他のメンドリに頭を突付かれて、結局、たいしてエサを口に入れることなく、止まり木に上がってしまう。
だから、エサを床にばらまいた後、少しだけ碗に残し、この一羽のメンドリの口元に持っていってやる。3~4分も時間はとれないが、2分ほどだったら、その間だけ待つことはできる。
朝1回しかエサはやらないが、コゴメを床にばらまくと、たった5分ほどの間に競って食べてしまう。後は青菜だけだから、残りの23時間と55分は、コゴメはない状態である。これで腹がすかないのかなあと思われるかも知れません。自分も、これだけでいいのだろうかと思ったりもするが、3割の産卵率(1日9個)があれば、あえて、これ以上のエサはやらないようにしている。ヒヨコを導入してから丸5年間飼うわけだから、産卵率を5割にしたら、母体が5年も持たないような気がする。2割5分、1日7個くらいがちょうどいい産卵率ではないかと思う。
ビタミンや各種ミネラルは、全て、旬の雑草や野菜くずから吸収しているのだろうと思う。もらったコゴメがたくさんあるので、エサは久しく購入していない。
31羽のメンドリ(購入時、おまけが1羽入っていた)の内、いじめられているのは1羽だけだったが、もう1羽が瀬戸際の状態である。
いじめられだすと、極度に他のニワトリを恐れる。エサをやりに入っても、一度は降りてくるが、すぐに止まり木に上がってしまう。これが重症になると、決闘で負けたオンドリのように、いくら腹が減っていても、怖がって、床(地面)に降りることもできなくなる。
どうしてこうなるのかなあと考えても原因は思い浮かばない。長年飼っていると、半年に1羽くらいはこういうニワトリが出てくる。仲間の中に復帰できることもあるが、復帰できない場合は死んでいく。ある日突然死んでいることもあるが、よってたかって突付かれて、残酷な死に方をする場合もある。残酷なクラスの、自分は先生である。何か人間社会の縮図のようでもある。学校のクラスでそういう経験をすると、実社会に出て、サラリーマンという組織に入っても、うまく渡っていくのは難しいのではなかろうか。でも、生きていく手段として現在は組織人(サラリーマン)として生きるしか他に生きる場所がない。農業も含めて独立自営業など、夢の世界である。
45年前だったら、こういうニワトリはすぐに「肉」になった。肉はとても高価だったので、庶民の口にはなかなか入らなかった。だから、飼っているニワトリをつぶして(絞めて)食べるしか肉にはありつけなかったのである。
45年前の人は、ニワトリが肉にも見えたのだと思う。自分はどうしてもニワトリが肉には見えない。だから、仲間から外れた1羽のメンドリをどうするか、自分の中でまだ決着がついていない。
(1)1羽だけ隔離するのは、エサ、水、青菜がとても面倒。
(2)隔離するにしても、いつまで隔離するのか。
(3)このまま、いじめられるままに放っておくか。
(4)仲間に戻るのを待つか、死ぬのを待つか。
(5)隔離しないなら、2分間ほど、このニワトリだけのためにエサやりの時間を費やす必要がある。
本当に学校のクラスによく似ているなあと思う。どうしていいのかわからない。
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ニワトリは45年前、ほとんどの農家の庭先で15~20羽ほどが、ちょろちょろしていた。それが45年後は、ニワトリ工場のような場所で、地面から離され、ケージという身動きできない狭い牢獄で飼われるようになった。
人間もニワトリもこの45年ほどの間に土から離されてしまった。大部分のニワトリはもう土の上には戻れない。大部分の人間ももう土の上には戻れない。
「土着性」という根源的欲望から切り離された人間は、どこに拠り所を求めて生きていくのだろう。

昨日、赤くなりかけたスモモを10個ほど収穫した。木がまだ余り大きくないし、害虫の予防も、きちんとした剪定も、何もしない放任栽培だから、少ししか成らない。
季節のものは、ほんの少し口に入ればよい。でも口に入れようと思ったらカラスに負けないようにする必要がある。だからまだ青い、ちょっと色づいたくらいで収穫してしまう。1日のことでカラスにやられる。スイカやトマトは比較的防御しやすいが、大きな果樹は防御がしにくい。それでもスモモは酸っぱいせいか、カラスの好物ではない。ちょっとかじっては落としている。

一昨日、ナスビとピーマンは「小低木」と書いたが、「仕立て方」によっては背が高くなる。自分の場合は、
(1)風で倒れやすいから、高くしない。
(2)剪定技術の細かいことは知らず、盆栽仕立てに、丸っこく仕立てる。こうすると風で倒れにくい。
(3)上記のように剪定するので、120センチのポール支柱1本を支えにして、紐で結んでおけばよい。背を高く仕立てると、支柱が難しくなる。
(4)もう少し茂ってくれば、もう1本のポール支柱を十字にして支えにし、紐で結ぶ。
(5)こんな支柱だから、台風がくると比較的簡単に倒れてしまう。
(6)しかし、倒れることによって、突っ立っていることより、傷みが少なく、台風が過ぎ去った後に起こしてやれば、また元通りに復帰してくれる。
(7)ナスビ44本、ピーマン22本という本数だから、起こすにも手間がかからない。
(8)つまり、全ては複合的につながっている。
簡易な支柱→台風ですぐに倒れる→倒れるから致命的被害を逃れる→本数が少ないからすぐに起こせる
(9)ナスビは7月下旬に半分に切り戻し、葉は全部落として害虫対策をするので、自分の場合、剪定の技術など覚えてもあまり意味がない。
(10)ナスビとピーマンは基本的な剪定だけはするが、その後は盆栽仕立てにする。
最初の基本的剪定はどんな本にも出ている。つまり、
ナスビ→一番花のついた中心枝と、そのすぐ下のわき芽2本を残し、それから下のわき芽は全て取り除く。
ピーマン→一番花がついた箇所で、きれいに3本に枝分かれするので、一番花より下のわき芽は全て取り除く。
ナスビ、ピーマン、トマト、ジャガイモの4作物は「ナス科」です。ナス科野菜は3年ほどの輪作が必要です。覚えやすい4種類ですから暗記しましょう。

池の下から、多少の段々畑になっています。圃場整備された長方形や正方形の整然とした田んぼより、猫の額ほどの、曲がりくねった、小さい田んぼは、輪作には便利であり、また違った味わいがあります。
小さい田んぼは乗用トラクタでは耕運しづらいので、こういう田んぼこそ「不耕起栽培」がいいのですが、当方の田んぼの場合、不耕起栽培にすると、畦岸から、強い笹の根が侵入してくるので、畦岸の畝は、1年に1度は耕起して、笹の根を取り除く必要がある。

クチナシの花も6月の花である。渡哲也の歌で始めてこの花の名前を知ったが、名前を知らなかっただけで、この花は子供の頃からよく見かけていた。「風車の花」と思っていた。
いい香りのする花なのに、花の名前がよくない。「クチナシ」とはどこから由来したのだろう。
朝、田んぼに着くと、これといった仕事をしなくても、すぐに30分ほど過ぎてしまう。
(1)ニワトリのエサやり、水換え、集卵、青菜の投げ込み
(2)苗物の水遣り、挿し木の水遣り
(3)苗物やサツマイモのポリの開閉
(4)液肥の撹拌
(5)定植物の見回り、植え次、水遣り
これに最近はデジカメ撮影が20分ほど加わっている。日々の変化は少なくても2~3日に1度は写している。うまく写ったのをピックアップして、1枚の画像からイメージを膨らませて書いているが、説明が行き届かなくても画像があると伝わるような気がする。
ちょっとここで、春夏作と秋冬作の違いを書いておきます。
春夏作は、ナスビやピーマンのように次々と成る果菜類や、青シソやツルムラサキのように、次々とわき芽が伸びてくる葉野菜が主体であり、収穫期に達していれば、出荷のいかんにかかわらず、全て収穫しておく必要があります。放っておくと、植物体に負担がかかり、次の成りや伸びが悪くなります。だから、定植本数を誤ると、育成ロス、収穫ロス、出荷ロスにつながります。
秋冬作は、次々と成ったり、次々と伸びる葉野菜は少なく、ハクサイやキャベツ、ニンジン、サトイモ、ホウレンソウ、ネギのように一度収穫するとそれで終わりの野菜がほとんどです。秋冬作は戸外が冷蔵庫のようなものなので、収穫せずに田んぼに放置しておいても、あまり劣化せず、11月から2月下旬頃まで4ヶ月間にわたって、必要な時に必要量を収穫すればよいわけです。そのため、春夏作のように収穫適期の物を全て収穫する必要はないので、収穫ロス、出荷ロスは春夏作に比べれば少ないです。
農薬や肥料に関して自分が理想としていることは、大半は無農薬で作り、無農薬が難しいもの(アブラナ科野菜)は適度に農薬を使う。そして大半は有機質肥料(ヌカ、稲ワラ、籾殻、麦藁、土手や山の草、落ち葉、自分の所で飼っている動物糞)を使い、多少は化学肥料も使うという農法です。
これを名づけて「中途半端農法」です。でも中途半端に見えて、実はこの方がはるかに環境保全的であり、自分の身体にも楽です。
「完全無農薬」とか「完全無化学肥料」というのは、矛盾や無理が生じてくると思います。安全とは、農薬と化学肥料の二つだけで一面的に見る(考える)のではなく、
(1)水の問題
(2)田んぼの周囲の環境の問題
(3)動物糞を使うなら、飼料の問題
(4)ナタネカスの安全性の問題
(5)ポリやハウスのビニール、黒マルチの使用の問題
等がトータルで論じられる必要がある。
「完全」を筆頭に付けると、何か、肉体的にしんどい物を感じるし、完全ほど矛盾の多いものはないと思います。
「中庸の精神」、野菜や稲作や果樹の全てにこのような考え方が浸透して欲しいと思うが、こういう考え方は、最も受け入れられないのが現実です。
稲作においては、減農薬、最低限の除草剤や化学肥料というのは、一定の位置を確保しているようです。
無農薬とか無化学肥料で作っていれば、何かよいことをしているようなイメージがあるが、それは単なる個人の趣味だと思っています。趣味でなければ「顧客を得るためのレッテル」です。自分もそうです。
大多数の人類が飢えないようにするためには、大規模、大量生産にはつきものの、農薬や化学肥料は必要だと思います。
中途半端農法が「最も大切な方向」だと思う、自分のような考え方は、ほとんど支持を得ることができません。
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6月7日の続きです。
トマトを作る場合、自分でハウスくらい立てれないと、トマトは作れない。ブドウを作る場合、自分でブドウ棚が作れないとブドウを選択することはできない。ニワトリを飼う場合、自分でトリ小屋が建てれないと、ニワトリは増やせない。だから、同じ農業をするにしても、自分には何ができるか、何ができないか、どういうことがしたいかを、はっきりと見極める必要がある。
農業をスタートする前には、自分の適性とか能力とか興味とかが、はっきりと認識できないかもしれないが、準備段階で、いろんな形態の農業者を訪問したり、図書館で本を読んだり、農協や行政の担当者に相談したりして、準備段階の1~2年の内に、自分の進む方向を決める必要がある。
自分が転身したいと思った職業なら、何か一つくらいは、できそうに思える農業形態があるはずである。
農業の世界は能力差の大きい、もしくは、能力のはっきり現れてしまう世界だから、他人の真似をしようとしても、とてもできない。参考にする程度である。
早く、自分にもできそうなことを見つけて、その方向で努力できるように持っていくことである。
大規模にやろうと、自給自足型でやろうと、スペシャリスト型をめざそうと、少量多種類をめざそうと、人それぞれの個性であり、そういう面では他の農業者との比較は生じない。農業満足度と稼いでいる金額は違った観点のものである。
都会から農業をめざして、田舎に移住してくる人は、30代の方が多いから、その年になれば、自分の得意、不得意、できると思えること、できそうにないことが、すでにわかっている年齢である。
他人の田んぼを訪問して、2時間ほど、話を聞いたり、圃場を案内してもらえば、自分にできそうかどうかくらいは、大体はわかると思う。何か違う世界のように感じたら、その農業形態はあなたには向いていないと思う。いろんな農業形態があるから、数箇所の圃場見学くらいで結論づけてしまわなくてもよい。
自分が付き合っている農業人は、農業だけでは食べていけてない人がほとんどである。自分がそうだから、そういう人に共感を覚えるのかも知れない。というか、自分にはできそうもないことをされていると、あまり参考にならないので、見せてもらっても、仕方がないなあと言う気持ちが先に立つ。
農業研修を受けようとする場合、自分が目指している方向や規模が同じ農場で研修を受けることが特に大切である。
八塔寺のNさんのことは、自分がまた農業をスタートする前、週末には図書館通いをして、いろんな農業書を読んでいた時に「百姓になるための手引き」と言う本で知った。
20代の半ばで農業を始めているので、スタートが、人より10年早い。大阪の能勢町で「通い農業」をしている時に、入植地として、この八塔寺を選んだらしい。32歳の時に当地に入植して、すでに20年が過ぎている。干拓地などの広大な農地に入植するのではなく、人が放棄した廃村を入植地に選んだ。
入植した時すでに、大阪で6~7年ほどの農業歴があったので、農業のシミュレーションがかなりできたのではなかろうか。
自分で試行錯誤しながら進めて、わからない所は、その都度、誰かれとなく教えてもらいながら、後は自分で努力して、農業力を伸ばしていったのだと思う。

(1)画像はNさんの稲田である。訪問した時にはすでに田植えが終わっていた。3箇所ともかなり離れた場所にあり、画像のように全て、トタンや電柵や網で、シカやイノシシの防御をしている。電柵等の設置は苦にならないらしい。
現在、山村に入植するには、害獣防御力が不可欠である。これが苦手な人は、第1の関所が通過できない。

(2)ハウスを立てるのがうまい。一昨年からトマトは止めているが、トマトをしていた時には、この育苗ハウスとは別に4棟のハウスがあった。そして、ハウスの設置場所をしばしば変えていた。

(3)簡単な機械の修理ができる。

(4)4棟のトリ小屋をほとんど自分だけの力で建てた。

(5)稲作と野菜は、異なる能力が要求されると思うが、どちらもハイレベルでこなしている。
稲作1ヘクタール、ピーマン1200本、キュウリ1400本の定植。キュウリの後作にモロッコインゲン。秋冬作はホウレンソウ。そしてニワトリ1700羽。これを夫婦2人でやっている。同業者ならわかる桁違いの能力である。しかし世間は広い。Nさんのような能力を持った人が、有機農業の世界にも、ニューファーマーズの世界にも、稲作の世界にも、一般の市場出荷の世界にも、見受けられる。
人口の少ない農業の世界でもこれだけの開きがある。ただし、案ずるには及ばない。人は人である。どんな農業形態であっても、きちんとした自分の農業世界を形づくれた人が、自分の農業を貫徹できる。
Nさんは有機JASの認証を早くから取り、ビオマーケット(ポラン)に、タマゴと野菜を出荷している。
6年ほど前までは、自分と同じワンパック宅配もしていた。並行して、タマゴとトマトとキュウリとインゲンとピーマンとホウレンソウの専門作物をビオマーケットに出荷していた。
始めてこの地を訪問した19年前には小さなトリ小屋にニワトリが40羽ほどいただけだった。
変身を繰り返していった人である。
自分は17年前と、ほとんど変わっていない。変えようと何度も試みたが、変えることができなかった。でも、ワンパックという農業形態を選択することによって副次的に生じた産物(通信)が、その後、ブログに進展し、そのブログが、自分の農業をオンリーワンの形にしてくれようとしている。
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6月に入った頃から、オンドリの様子がちょっと変わってきた。オンドリ同士は激しく決闘をしたが、ボクに対してはどちらもやさしいオンドリだった。ところが、3月21日の決闘で、立場が180度逆転し、結局、負けたオンドリを追い出すことにつながり、ハーレムを築いてからは、何か、微妙に以前とは違ってきたなあと感じていた。それでも2ヶ月が過ぎた5月下旬頃までは、様子に大きな違いはなかった。でも、こころなしか、自分に向かってきていることは感じていた。だから、油断してはいけないと思い始めていた。
小さい時から「エサやりのつど羽にさわる」と言うスキンシップをとり、2羽のオンドリには、強い方にも弱い方にもわけへだてなく接してきたが、1羽になってから、少し変わってきたようだ。とうとう昨日、初めての決闘になってしまった。足を突付かれて、それが痛かったので、ちょっと蹴っ飛ばしたら、羽を逆立てて向かってきた。ここでもう一回蹴っ飛ばしたらいけないと、足を棒のようにして動かさなかったら、オンドリの方も怒りが納まったらしく、離れていった。
「蹴っ飛ばす、怒らす、蹴っ飛ばす、怒らすの悪循環」をオンドリが覚えてしまったらいけないと思い、努めて、オンドリの矛先が自分の足に向かないようにした。
でも、始めてオンドリを蹴っ飛ばしてしまった、その前に、何回も「伏線」があった。ここ1週間ほど、デジカメを持ってトリ小屋に入ると、それが気に入らないらしく、いつの間にか自分の足元に近づいて突付くのである。メンドリに突付かれても全然痛くないし、メンドリは攻撃的に突付くのではなく、食べれる物かどうか突付いて確認するという感じであるのに対して、オンドリは、明らかに強く突付くのである。少々痛いのはいいが、農作業ズボンが破れたのではないかと思えるくらい突付くのである。そんなことが何回か続いて、とうとう「蹴っ飛ばし」が出てしまったのである。
相手はニワトリなのに、本気で怒っても仕方がない。先代、先先代のニワトリのように、オンドリと敵対的になってはいけないと思った。今回はヒヨコ時代から「スキンシップ作戦」をして、それが功を奏したかに見えたのに、今になって、それを覆すようなことをしてはいけないと、少しまた冷静になった。
自分は冷静になったのに、オンドリが、強気になったと言うか、トリ小屋にボクが入ることに排他的になってきた。エサを持ってはいる時は、そんなそぶりは全くないのに、エサでなくデジカメの時には、表す態度が何か違うのである。
オンドリの様子が急に変わったのではなく、少しずつ変わってきた。自分にもそれがわかったから、油断はできないと感じていた。だから、
(1)オンドリが向かってくる方向に歩を進めない。
(2)オンドリと同じ目線で足を動かさない。
(3)むやみに羽に触れない。
以前はスキンシップのつもりで、羽にしばしばさわっていたが、決闘で勝ってからは、触れられるのを嫌うようなそぶりを見せていた。そして、尻尾をつかんだりすると、向かってくるような仕草を見せ始めた。こういうことが積み重なって、油断するとやられると意識し始めていた。決闘で勝つ以前の負けていた時は、ボクに頼るような仕草をたびたび見せていたのに、大きな変化である。決闘で、それまでの立場が逆転したことが、変化をもたらしたようだ。
勝ってしばらくは、交尾活動がすさまじかったのも印象的だった。いままではゆずっていたが、これからは全部俺がというように誇示しているように見えた。勝って数日は「荒ぶるオンドリ」といった風情でとても殺気立って興奮して見えた。負けたオンドリは、その後一度も鶏舎の地面に降り立つことはなかった。エサを持って入っても巣箱の上から降りようとしなかった。地面に下りるのは、巣箱の上に勝ったニワトリが上がってきた時だった。その時はすぐに止まり木に逃げ、追われると今度は地面に下りて逃げ、また追われると、止まり木に飛び上がるという状態だった。
それまで1年3ヶ月ほど負けていた怨念でもあるかのように、執拗に攻め立てるのだった。
最初の決闘はメンドリがタマゴを産み始めた頃であり、その決闘で優劣の勝負がついてからは、3月21日の新たな決闘まで、順位は変わっていなかったのである。
3月21日の決闘が突然生じたのではなく、これも伏線があった。その前に何回か、小さな「小競り合い」をしていたのである。それはトサカについた血でわかっていた。小さな小競り合いでも、トリ小屋にはいると、なんとなくざわついていて、殺気だった雰囲気が自分にもわかるのである。2度目の優劣がついた3月21日の決闘は、それはすさまじい光景だった。闘鶏とはこういうのを言うんだろうと思った。トリ小屋がとてもざわついて、いつも以上に殺気だっているのがわかった。そして、どちらのオンドリも血みどろだったが、強い方のオンドリが今回の決闘で負けたというのは、巣箱の上を見てすぐにわかった。とても怯えていた。ボクがトリ小屋に入ると、すがるような視線をおくってきた。盛者必衰。
負けたオンドリを和気町のNさんに引き取ってもらったのは4月11日だった。5月末にこのオンドリが亡くなったという電話をもらった。ヒヨコから満2年の誕生日を過ぎた頃だった。決闘で負けた時、こういう形で死を迎える運命だったと言えるかも知れない。
女性が集卵する場合、棒を持って入ると言うくらいだから、オンドリの凶暴性がわかると思う。ただ、自分は今後、必要以上に刺激しないようにするつもりでいる。デジカメで写す時は、オンドリの動向に絶えず注意を払いながらになるだろう。かといって、メンドリだけにするつもりはない。それではつまらなすぎる。
今回の2羽のオンドリはいろんなことを教えてくれた。ブログをしていなかったら、自分の記憶の中だけでとどまり、年月の経過とともに記憶は風化してしまったかもしれない。でもブログがそれを形に残してくれた。

土曜日(16日)にまた、お金光様の先生の田んぼを見せてもらった。第2回目です。
田んぼの傍らに植えているクリの木の花が満開だった。クリになるとは思えないような、薄い黄色の派手な花である。

先生の田んぼは耕さず、畝立てもせず、草は野菜の周囲の草をちょっと刈る程度で、草との共生栽培である。
画像は草の中のサニーレタス。結構、いいサニーレタスが育っていた。

草の中のニンジン。草との共生栽培は、ニンジンは困難だと思う。間引きも困難。いずれ、草にまかれる運命?。

トマト。敷き藁をしている。トマトは案外、草の中でも平気である。去年は、草むらの中で、ミニトマトが鈴なりだった。

草の中のナスビ。ナスビ畑に行く時は肥タゴを担いで行けというくらい「肥食いの野菜」だから、肥料が少ないと、たくさん成らないと思う。肥料は、時々、ヌカや草木灰をふりまくだけである。

左はニンジンの花。ニンジンは「セリ科」の野菜である。セリ科の花は画像のような花が咲くものが多い。
右は、ゴボウの花が咲くちょっと前の状態。こんな巨木になる。

キャベツ。アブラナ科野菜は、どういう農法でも虫害が多い。

コマツナ。これは明らかに肥料切れ。黄色っぽくなっている。

別の畑のダイコン。これはよくできている。春のダイコンはダイコンおろしくらいで、料理方は少ない。

別の畑のキャベツ。この畑のキャベツも虫害が多い。

草の中のカンピョウ。

軒下につるしているタマネギ。草に埋もれていたが、普通のタマネギができている。

近くの田んぼの花菖蒲。これは近所の人の田んぼ。花菖蒲の季節は今の時期の3週間ほどだけであり、1年の内の大半は、人目をひくこともない。
先生がいつ頃から、こういう農法に切り替えられたのか、お聞きするのを忘れた。若いときは葉タバコ栽培もされていたので、その時は、普通の栽培だったのだろうと思う。
化学肥料や農薬の使用が闊歩していた時代に、ずっとそれに疑念を抱いていたから、ある日、こういう農法に切り替えられたのだと思う。
ちょっと見ると、まるで手を入れていないように見えるが、野菜の周りの草刈にしろ、敷き藁にしろ、通常栽培よりも、こういう農法の方が手間がかかるように思う。
かけた労働に見合うだけの収量は、かなり少ないのではなかろうか。それでも、自給用だからこれでいいのかも知れない。
肥料はほとんどヌカだけというのは、自分とさほど変わらない。ただ、生ヌカを降るのはあまり効果がないのでなかろうか。液肥にするとか、もう一手間加えた方が肥料効果が出ると思う。
出荷するとなると、やはり畝立てをして、整然と並べて、ある程度の量を作った方が何かと便利である。
80歳が過ぎた今はあまりボクの田んぼには来られなくなったが、5年ほど前までは自転車で時々見学に来られていた。自転車でも10分とかからない距離である。
まだ稲も作っておられる。父が亡くなって稲作を止めた時、コンバインをどうしようかと思って、最初に声をかけたのが先生だった。もう10年以上前のことだし、コンバインはその時すでにかなり古かったので、とっくに処分されているのだろう。
今は、田植えも稲刈りもどちらも人に委託して、途中の管理だけを自分でされている。管理といっても水まわりだけで、肥料も農薬も除草剤も使わない稲作である。
今まで畑は時々みせてもらうことがあっても、稲の田んぼは見せてもらうことはなかった。今年は要チェックにしようと思う。まさか草山では・・・。
先生はしばしば、もみすり後の「コゴメ」を、ニワトリのエサにくださる。これが大いに助かっている。今年はいろんな人からコゴメをたくさんもらったので、ここ数ヶ月、市販の飼料は買わず、エサはコゴメと青菜だけである。
いろんな農法の人がおられるし、自分の周囲には、個性的な農法をされている方も多いので、先生の農法も、そのうちの一つと思っている。でも、出荷とか、ビジネスとして考えると、
(1)ある程度はマニュアルがあって
(2)一定量以上の収量が上がって
(3)農作業や収穫の手間があまりかからない方法
でないと、人があまり真似をしようと思わないし、参考にならない。いくら環境にいい農法であっても、それが全くビジネスにならないような農法なら、それは個人の趣味と言える。
自分の場合は、第一線を退いて、自給用だけを作るようになったとしても、多分、今現在している農法を踏襲していくと思う。そう考えると、農法はそれぞれの個人の性格的なものが大きいかも知れない。
人によっては、現在はビジネス路線に沿った農法を選択しているが、一線を退いたら、それとは逆の農法を選択しようと考えているかも知れない。
いろんな人の農法を提示することに意義があると思っている。どう思われるかは、訪問者さんそれぞれだと思います。
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今日は午前中の半日をかけて、田んぼの「かたづけ」をした。黒マルチは団子の状態で、畦岸のあちこちに放置され、黒マルチの風押さえに使っていた竹や瓦もあちこちにころがっている。ポリのトンネルに使った支柱や、苗物を入れていた苗箱やポット、保温用のべた掛け資材、透明のポリ、こんな資材が乱雑に散らばっている。これ以上放っておくと、草むらの中に埋没してしまい、探し出すのに余計に手間がかかり、草刈の時にも困る。
どこにでも放置しておくと、その場所で固定化してしまう。
草取り(草抜き)でも、害獣防御でも、かたづけでも、今日の日を逃したら、とんどもないことになるという、ぎりぎりの瀬戸際まで、身体が動いてくれない。
春夏作を作付していない田んぼの一角で、サトイモとトーガンが芽を出しているのを見つけた。サトイモは植えたわけではなく、トーガンは種を蒔いたわけではない。去年の冬に「くず芋」や「腐れ」の捨て場にしていた場所だった。春に2回ほど乗用トラクタで耕運したのに、それでも、この2種類が育っていた。実際に植えたサトイモや、蒔いたトーガンと同じくらいの大きさである。
作物の力はこれくらい強いのに、きちんと植えつけたり、ポットに種を蒔いたりすると、逆に、欠株が出たり、芽がでなかったりする。こういうことはよくあるので、どうしてだろうと思う。特によい例が「青シソ」である。まだ農業を始めてまもない頃、青シソの種を買って蒔いたことがあるが、全く芽が出てくれなかった。結局その年は近所で苗をもらって植えたが、その時に、青シソはこぼれ種でこんなに密集して生えるのに、なぜ苗箱に蒔いた時に発芽しなかったんだろうと思った。今でもその理由はよくわかっていない。

画像はコンニャク芋である。コンニャクという作物は農業を始めてから長い間、よく知らなかった。コンニャクはコンニャク芋からできるということも、農業を始めてから知った。
そのコンニャク芋であるが、これも上記と同じく、きちんと一定の場所に定植をすると、どうもうまくできない。3年ほどトライしてから、コンニャク芋は作ることをやめた。それなのに、かなり以前に作っていた場所に芽が出ているのを見つけた。コンニャク芋は小指の先ほどの芋があれば芽が出る。
右の画像は、畦草の中に生えたコンニャク芋である。作る事を止めた時に畦岸に放っておいたら、そこで根付いて、毎年出てくる。畦草の中でも根付くのに、きちんとした場所に植えると、うまく育ってくれない。
種のことでもう一つ。その年で使いきれなかった種を「冷凍」しておけば、翌年以降にいつでもまた使えるらしい。こういうことは種の袋には何も書いていない。
最近は種袋の表示に、約何粒の種が入っているか表示しているが、この表示がなされるようになってまだ10年にもならない。つまり、それまでは随分と不親切だったわけである。一度買って蒔けば、どれくらい入っているかわかるが、始めての時はとてもわかりづらかった。何ミリリットルとか表示されていても、わかるはずはなく、何粒と表示されて始めて初心者にもわかる。こんなことが、たった10年前まで表示されていなかったのに、何の疑問も持たなかった。表示されるようになってから、何で今頃になって表示したんだろうと思った。多分、大手種苗会社のどちらかが、表示するようになったので、それに追随したのであろう。種に関しては種苗会社のなすがままで、農業者はそれに対して「されるがまま」である。

花菖蒲を写そうと近づいたら、どちらの花の中にも昆虫がいた。こんなこともあるんだなあと、ちょっと感動した。草むらの中にはよくいるが、こんな花にさばっているのはあまり見かけない。一つはバッタ(正式なバッタの名称は知らない)であるが、もう一つの昆虫の名前がわからない。マツムシ?
この時期のタケノコ(ハチク)の伸びる勢いがすごい。この2週間で3メートル近く伸びている。5月の末に、伸びたハチクを手斧で倒して歩いたのに、早、自分の背丈以上になったハチクが20本ほどあったので、また今日、倒して歩いた。今の時期に倒しておかないと、すぐに硬くなり、鋸を使わないと倒せなくなると余計に手間がかかる。硬くなる前に倒しておけば、そのまま腐る。
今はまだ自分が農業をしているから、他所(道や墓)に侵入してきたタケノコはこうして倒してまわれるが、自分がしなくなったらどうなるだろう。多分、道を隔てて、田んぼにまで竹が侵入してくるのに3年はかからないだろう。
子供は農業はしない。農業では生活ができないのだから、農業という選択はできない。子供も一定の年齢がくれば、食べ糧の野菜くらいは作ろうと思うかもしれないし、そうでないかもしれない。農業は自分で切実にしたいと思わない限りできない。
野菜作りと花作りに熱心な近所のおばさんから、昨日、花をもらった。グラジオラス、カスミソウ、スターチス、ノコギリソウ、キンギョソウの5種類だった。せっかくだからお墓に供えることにした。お墓の真下で毎日農業をしていても、お墓に上がることは少ない。
自分はあまり、拝んだり、願い事をしたり、先祖の供養をしたりということをしない。お盆や正月やお彼岸には、儀礼的にお墓の草取りをしたり花を供えておく。これは先祖の供養というより、まわりのお墓へ参拝に来られた人に対する体裁である。
これは、ご先祖を供養しないということではなく、あまり儀礼的なことにこだわらないだけのことである。でも、葬儀を家族内だけの小さな密葬で済ませることも、墓石を置かない(作らない)自由も、自由な墓石を選択する自由も、まるでないのが実情である。ゆりかごから墓場まで、この国では、墓石と言えども、なかなか自由な選択がままならない。
夕方、アジサイを写そうと思ったらしおれていた。雨(水分)が少ないせいかもしれない。だから朝方に写した。
毎日、軽四を止めている傍らに、こんな野の花が咲いている。よく目立つ花である。田の草花ガイドという小冊子を見たが、載っていなかったので、名前がわからない。あなたの一票が、農業ルポライターへの
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昨日、池のヒが抜かれたばかりなのに、早、水をたたえた田んぼ。

水路をせき止めて、このような形で水が田んぼに入る。

今まさに、水が入ろうとしている田んぼ。

6月16日、午後7時。

我が集落。

今の時代の苗代(なわしろ)。

苗代に、畦岸の細い水路から水が入っている。
里の夕暮れ。
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まだちょっと早いような気がしますが、今日は秋冬作の種の注文と種蒔きについてです。
大手2社、タキイ種苗(株)と、(株)サカタのタネの通信販売のカタログ(2007年、夏秋、特集号)はすでに届いていると思います。
農業を始めるまでは、種苗会社のことなど何も知らなかったが、地域の人が、タキイの通信販売を進めてくれて、以後、種は通信販売で買うようになった。
値段的にはホームセンターや種苗店で売られている種の値段とさほど変わらないと思うが、品種がきちんと表示されている。
秋冬作
(1)ハクサイ
(2)キャベツ
(3)ダイコン
(4)カブ
(5)ニンジン
(6)サトイモ
(7)ネギ
(8)シュンギク
(9)ホウレンソウ
(10)秋ジャガイモ
(11)レタス→ブロッコリー
(12)サツマイモ→ヤーコン
この12種類は暗記しておくと便利です。ハーブも12種類、春夏作も12種類、秋冬作も12種類です。
これ以上作っても120サイズの箱に入りきりません。基本的な野菜をもれなく入れることが必要と思います。
秋冬野菜は8月15日のお盆からスタートをします。
8月15日→キャベツ・ブロッコリーの種蒔き
8月17日~19日→ニンジンの種蒔き
8月17日~19日→レタス3種類の種蒔き
8月17日~19日→つるなしインゲンの種蒔き
8月17日~19日→秋ジャガイモの仮植(芽出し)
8月28日→ハクサイの種蒔き
9月7日→シュンギクの種蒔き(9月14日に2回目)
ネギの定植
9月13日→ダイコン・カブの種蒔き
9月21日→タマネギの種蒔き
9月26日→ホウレンソウの種蒔き(育苗して定植)
10月1日に2回目、10月4日に3回目
10月3日→春キャベツ2種類の種蒔き
10月19日→ソラマメの種蒔き
10月中下旬→ニンニク・ラッキョ・ワケギの植え付け
11月10日→エンドウ・スナップエンドウ・グリンピース
の種蒔き
→レタス3種類の種蒔き(苗で冬越し)
経験のない方はちょっとわかりずらいので、違った角度から説明します。
8月15日から秋冬作の幕が開く。キャベツ、ブロッコリーから育苗開始。この月は、お盆明けに蒔くニンジンに失敗しないこと。ニンジンと同時に上述のものを蒔く。
9月は9月12日~9月18日のキャベツ、ブロッコリー、ハクサイの定植と9月13日前後のダイコン、カブの種蒔きにつきる。この5種類のアブラナ科野菜を1回で成功させること。
10月はホウレンソウとシュンギクの定植
11月は中旬にタマネギ、春キャベツ、ソラマメの定植
自分の場合、ハクサイ250円、キャベツ150円、ダイコン2本で250円、カブ4個で200円であり、合計850円になる。ワンパックは2400円+送料800円≒3200円だから、この4種類で価格の3分の1以上になる。金額的にもボリューム的にも、失敗すれば、秋冬作のワンパックが組めない。これらのアブラナ科野菜には農薬使用もやむをえないと思う。
アブラナ科野菜
ハクサイ キャベツ ダイコン カブ ブロッコリー
カリフラワー ミズナ ナバナ ベニナバナ コマツナ
チンゲンサイ タカナ カラシナ タアサイ
これらは全てアブラナ科野菜です。
自分が特に困っている害虫は「ダイコンサルハムシ」である。多くの有機農業者を悩ませている悪名高き害虫である。
この害虫がいったん発生したら、9月中旬以降、毎年出てくる。
アブラナ科という「エサ」がなければ、生きていけないから、アブラナ科野菜の作付を1~2年休んで、遠方の田んぼに作る。
田んぼを2枚や3枚隔てたくらいでは、意味がない。200メートルほどぞろぞろ歩いて移動するらしい。田んぼと田んぼの間に川があっても移動するらしい。
畑を水田に戻しても、この害虫には意味がない。越冬するのは畦岸や、山際。
遠方の田んぼに移しても、近くに家庭菜園の田んぼがあれば意味がない。まわりが稲作であるのが理想。
田んぼを1箇所だけ遠方にすると、収穫、出荷の時にとても不便である。
散布して効果のない農薬は何回使っても無意味。
弱い農薬を3回使うよりも強い農薬を1回だけ使った方がよい。
前もって農薬を購入して準備しておかないと、対応できない。
発生してから使ったのでは遅すぎる。前もって、見越して使わないと勝負にならない。
どの農薬を使ったらいいのか、友人、知人、農協の資材店、ホームセンター等の資材店、農業改良普及所の指導員等を総動員して、前もって教えてもらっておくこと。
毎年、農薬を購入する必要はない。有効期限などないと思う。有機農業者なら、1度買えば、20年ほど使えると思う。
去年の秋が始まる前に農業資材店で買っていた農薬は、全く効果がなかった。蒔き直したのに、カブは全滅。ダイコンは通常の4分の1ほどの大きさにしかならなかった。ハクサイはレース状になった。
今年はどうしようか思案中。今からいろんな人に尋ねておく必要がある。泥縄式では無意味。
アブラナ科野菜に最初から農薬を使ったわけではない。スタート時の数年間は、まだ田んぼが珍しかったせいか、タマネギ、ジャガイモ、ナンキンを含め、どの野菜にも病気も害虫もほとんどこなかった。
アブラナ科野菜以外には農薬を使ったことはないが、そのアブラナ科野菜も、スタート時の4年間ほど、田んぼを遠方に移した2年間、いつもの田んぼに戻した4年間ほどは無農薬でも作れたので、通算で7年(7回)ほど使ったことになる。
アブラナ科以外の(5)ニンジン (6)サトイモ (7)ネギ (8)シュンギク (9)ホウレンソウ (11)レタス (12)サツマイモ→ヤーコンは、大量に作らないなら、病気にも害虫にも縁はないと思う。

10%の塩漬けにしていたラッキョウを、今日の午後、出荷の合間に酢に漬けた。これで完了。3ヶ月ほどしたら食べれる。
(1)塩漬けしていたラッキョウを何回か水洗いして、ザルに取る。
(2)沸騰した湯をさっとまわしかける(こうすると、歯ごたえがよくなるらしい)。
(3)2瓶で、米酢(900ミリリットル)が3本いった。砂糖は適量。
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今日は朝からしとしと雨。どうやら梅雨入りしたようである。明日6月15日は、池の「ヒ抜き」の日である。稲に水が必要な3ヶ月間だけ、池の水が落とされ、後の9ヶ月間は、池のヒは閉められている。
ボクが子供の頃までは、池の水は「命」だったと思う。二つの池と、一つのダムで、3集落の水田の水が賄われていた。
今、池の水はあまりきれいではない。14歳の頃、池の上流に牧場が誘致されたために、何ヘクタールもの山が切り開かれてしまい、山の保水力もなくなった。
なぜこの集落が牧場誘致を了解したのか、信じられない。多分、時の権力者と組んだ、牧場を誘致したかった人たちが、前もって根回しをして、結局、カネも絡んで、集落の公会堂で反対できないような「雰囲気作り」がなされたのだろう。40年前の公会堂での集会の様子が目に見えるような気がする。
「反対できないような雰囲気作り」とか「根回し」というのは、大きいところでは国、小さいところでは集落内まで、やって出ることは同じなのである。
でも多数の流れに対して反対するのは、本当に難しいと言うことを40代の頃から感じた。
(1)集落推薦などがある選挙の場合。
(2)最近では、下水道の集落への誘致が議題になった時。
牧場がつぶれて、そのまま放置された後、竹下登が首相だった当時の「ふるさと創生1億円事業」とかで、県内10箇所に「美しい森施設」が整備されたが、その10箇所の一つに当牧場跡地が選ばれたのである。
現在、池の水が足らなくなった時は、岡山県下三大河川の一つの吉井川から、池にポンプアップする設備ができている。いつ頃この設備ができたのか聞いていないが、牧場がつぶれる前後のことだったのではないかと思う。
池の水がきれいでないというのは、こういう理由からです。ボクが小学校の時は、この池でずっと泳いでいた。透き通った水だった。上流には何もなかったから。
自分は稲作をしていない。だから直接、池の水の恩恵を受けることはないが、農業歴9年目の秋に「井戸」を掘るまでは、野菜に池の水を使わせてもらっていた。
明日は池の「ヒ抜き」。自分が子供の頃は、この日は一つの大きな節目の日だった。田んぼのそばの細い水路に、いっせいに水が走り出し、池に近い田んぼから順番に水が張られていく。田んぼという田んぼは全て稲が作られていた。現在は違う。荒れた田んぼ(休耕田)が目立つ。山際の小さくて曲がりくねった田んぼから先に放置されていく。
自分は稲を作らなくても、田んぼのそばの細い水路を水が走り、何枚か下の田んぼでは稲を作られている。だから、落ち葉や枯れ草で細い水路がふさがれることのないよう、溝掃除をした。ヒ抜きの前日になってあわててしたわけである。まず、溝の周囲の草を刈り、その草を熊手で溝から離し、溝の泥上げをする。小さな水路でも「三面コンクリート」になっているから、泥上げはすぐに終わる。
現在、池のヒ抜きを「神聖な日」と考える集落の人は何人いるだろう。稲作農家の人だけかもしれない。その稲作農家も5軒に1軒になった。集落の2割である。
池のヒ抜きの日(6月15日、午前8時)には、池の土手で拝み、お神酒が出て、菓子が出る。現在、自分は池の土手にあがっていない。稲作農家の何軒かの人が上がられている。
自分は稲作に向いていない。稲作の機械の扱いが苦手だったので、父ができなくなると同時に手放した。コンバインや田植え機や乾燥機を処分すると、何かほっとした気分になった。農業歴5~6年の頃である。
今日の農作業
小雨の中、昼からツルムラサキの3回目の定植をした。これで合計86本になった。1ヶ月ほど遅れたが、予定の本数は定植できた。4回目を蒔いたのが発芽してきたので、予備苗になる。
強い雨でない限り、雨天でも定植作業ができる。露地だと土がねばついて植えれないかもしれないが、黒マルチをしているので天候に関係なく植えれるし、水遣りをしなくてすむ。その後、サツマイモの寒冷紗と稲ワラを取り除き、挿し木の植え穴に雨を入れた。
昨日かなり強風が吹いたが、倒れたオクラやスイートバジルを起こしながら、手で土寄せをした。黒マルチの下は乾いているので、雨でも土寄せができる。黒マルチをしていると、強い雨で地表がたたかれることもないし、泥はねがないので葉物野菜を洗う必要もない。産業廃棄物であるが、自分の農業をぎりぎりの所でささえてくれているのは、まさに「黒マルチの恩恵」である。
鳥インフルエンザ

定年帰農者の楽しみとしての15~20羽養鶏の道を閉ざしてしまったかに見える、2004年、1月、山口県で発生した日本で始めての「鳥インフルエンザ」。
以前にも、ニワトリの怖い病気としてニューカッスル病というのがあった。
団塊の世代の方は、15~20羽を庭先や軒下で飼っていた、飼い方の原風景が残っている。現在の10万~100万羽単位の飼い方は誤っていると感じるのも団塊の世代の方だと思う。
では何で、こんな飼い方が支配的になってしまったのだろう。大規模、効率、採算、エサや採卵のコンピュータ管理という高度資本主義システムが、ニワトリを個人養鶏から企業養鶏へと変化させてしまったのである。
もう、個人の手には取り戻せないのだろうか。
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天気が明日から崩れる予報だったので、今日3時過ぎから5時半頃までジャガイモを収穫した。あんまり入っていない。いったい、種芋の何倍になったのだろう。通常、種芋の12倍~14倍と言われるが、今日の収穫は8倍ほど。
種芋のM寸は二つ割、L寸は四つ割りだから、計算上、M寸のジャガイモが平均4個収穫できれば8倍ということになる。
種芋は16キロだから、16キロ×8倍=128キロほどしか収穫できなかった計算である。まだ残り3分の1ほど収穫していないが、これを見越しての計算である。自分の場合は、毎年こんなもんである。
品種は早生品種のキタアカリ。芋が暴れていなくて、掘りやすい。しかし、秋冬作で使うと、かなり「えぐい」芋になる場合がある。どうしてか原因がわからない。春夏作でも多少「えぐみ」が有るような気がする。
親指ほどのジャガイモも全部拾った。拾っておかないと、後作にジャガイモの芽が出てくるし、ニワトリの好物なので、出荷できそうにないサイズは全てニワトリ行きである。
ジャガイモを掘っていたら、今日はしばしばムカデを見かけた。ムカデは、益虫、普通の虫、それとも害虫なのだろうか。田んぼでは多分、益虫のような気がする。
トリ小屋の入り口の扉を開けると、梅雨時分にはムカデが落ちてくる時がある。ニワトリはムカデも好物で、下に落ちると間髪をいれず口ばしにつかみ、他のニワトリに奪われないようにと走り出す。それを追いかけて他のニワトリも走り出すので、鶏舎が運動会になる。

残りのジャガイモはこんな状態である。アップしたくないほどひどい。それでも案外と芋は入っている。

3日前に新たに仕込んだばかりであり、1日1回混ぜる。後は「果報は寝て待て」である。
30アールの作付=30羽のニワトリ=500リットル容器2つというのが、自分には理想的な「循環」になっている。
ヌカ4に対してナタネカス1の割合で投入するのがよいらしいが、自分の場合はヌカ5~6に対してナタネカス1ほどである。
ジャガイモがイノシシやシカにやられなくてよかった。5月上旬頃には、ジャガイモの畝がしばしば掘られていたので、ちょっと心配だったが大丈夫だった。
サツマイモ→秋冬作のニンジン→春ジャガイモ→ナンキン→サツマイモと、電柵を次々に移動させることを、当初は予定していたが、動かすことが負担になり、結局、電柵は動かせなかった。
昨日、農業形態の変更のことを書いたが、これは本当に難しいと思う。
たとえば、30代のフリーターにとって、フリーターという状態から脱出して正社員になるのはかなり難しいと思う。
たとえば、ホームレスの状態になった人が、ホームレスの状態から脱出するのは、本当に難しいと思う。
昔はホームレスの人の収入は、ダンボール集めか、空き缶集めが、ちょっとした収入になったらしいが、そういう仕事以外は、収入の道が閉ざされていただろう。仕事がない、仕事につかせてもらえないのだから、ホームレスの常態からの脱出は難しい。
自分も立場は同じである。17年も農業をやってきて、もっと収入になる農業形態に切り替えることができなかったのだから、もう切り替えることはできない。あとは、
(1)現状をキープできるか
(2)ジリ貧となるか
のどちらかである。
50代とは、あきらめてしまうには、ちょっとまだ早い、最後のあがき見たいな年齢である。
新しいことにトライすることはちょっとしんどい。今までやってきたことなら、習慣になっているので、まだ身体も十分動く。
だから、自分の場合、細々とでも、今まで17年間繰り返してきたワンパック宅配を続けていかざるをえないのである。
収入が少なくても、その状態を切り替える能力がないなら、フリーターという現在の状態に甘んじて、細々とでも稼いで、その収入の枠内で生活するしかない。ホームレスの人も同様である。自分も同様である。
自分はどういうわけか、よくホームレスの人を想像したり、頭にイメージしたりする。彼らは、その状態からの脱出が不可能になっているのである。自分も、現在の農業形態からの脱出は、能力的、身体的、年齢的に不可能になっているのである。
ワンパックの現状維持でさえ、うかうかはできない。でも17年も続けてきたのだから、そんなに無理をすることなく続けれそうである。あめんぼ通信も月に1回、16年続いてきた。17年目から、ブログのあめんぼ通信になり、今度は月に1回ではなく、毎日1回になったが、これも16年・・・これは単なる願望。当面は3年続ける事が目標である。
ブログがカネになろうがなるまいが、この表現手段しかできないのだから、これを続けるしかない。農業形態がワンパック宅配しかできなかったのと同じである。
ただ、農業を伝える表現手段としては、書籍より、ブログの方がかなり優れていると思う。それは、言葉だけでなく、画像をふんだんに使えるからである。
農業はパソコンと同じく、起承転結という体系的には学べない。ピンポイントで、必要な部分だけを覚えていくものだと思う。
書籍とブログの言葉の表現レベルは比較できない。単一作物スペシャリスト型と、少量多種類ワンパック宅配型は土俵を異にするのと同じである。
カネになる→書籍(起承転結)、単一作物スペシャリスト型
カネにならない→ブログ(国士無双)、少量多種類ワンパック宅配型
不得意でない方を続けるしかない。
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「今や農業は、技術的にも体力的にも、やれるものがやっていくしかない」・・・これは岡山県北で、養鶏と稲作(半分は合鴨農法)をされているMさんという方が書かれていた言葉である。
どんな職業の世界でも、これは当然と言えば当然であるが、農業の世界でも、技術力、体力、営業力、資本力という、3拍子どころか4拍子くらいそろっていないと、ビジネスにすることはできない。
自分は1拍子もない。だから本来ならすでに農業界から淘汰されていたはずであるが、配偶者に定期収入があるので、自分の農業収入がアルバイト代くらいにしかならなくても、農業を続けることができている。
しかし、アルバイト代くらい稼げるなら、農業の世界では良く稼いでいる方だと思う。農業を始めても、アルバイト代ほどにもならない人が半分以上ではないかと思う。
ところが、農業の世界は不思議で、よく稼いでいると見えた人が、突然、農業からリタイアしたり、あまり稼いでいないだろうと見える人が、しぶとく農業を続けている場合もある。
農業への入り方は、大きく分けて、農業をビジネスと考えて入る人と、自給自足的生活を中心に考え、あえて農産物を収入源とはせず、必要最低限の生活費は農業以外のことで稼ぐという人と二通りある。
定年帰農者が始める場合はたいてい後者の自給自足的生活を主体においた農業であるが、現役帰農(脱サラ帰農)者でも、農業志願者の半分は後者の自給自足的生活を主体にした農業を考えるようである。
自分の場合は、最初は農業をビジネスと考えてスタートしたが、10年ほどの間に、農業を遂行していく能力が自分はかなり欠けていると思うようになった。
農業がビジネスとして成り立っている人の農業は、あまり他人には参考にならない。そういう人は、その農業形態を成り立たせるための特定の能力が秀でているから、その農業が成り立っている場合がほとんどなので、他人が真似をしようとしても、なかなか難しいのである。つまりその人に特化された農業なので、後継者の子供でもなかなか同じようにすることは難しいと思う。だから他人が真似をすることはもっと難しい。そういう特殊技能は、あまり一般的でないので、それをマニュアル化して、多くの人の参考に処すると言うわけにはいかない。
誰でもできないようなことを、やってのけれる人だけが、農業をビジネスとして成り立たせることができる。
脱サラ農業を考えている人は、そういった農業より、自給自足型の農業をめざした方がいいのではないかと思う。自給自足型だったら、売る必要がないのだから、農業能力がない人でも、好きな農業をすることができるし、農業をする上でリスクが少ない。
農業が好きであること(農業が向いているのではないかと思うこと)と、農業の能力があることとは違うと思う。「好きこそ物の上手なり」と言う言葉があるが、単なる土いじりや家庭菜園をすることが好きなことと、農業で収入を得ることとは、大きな違いがあると思う。
農業をビジネスと考えて新規参入(農で起業)しても、必ずしも皆が皆、成功するわけではない。農業が継続できる(成功する)人は、そのうちの25%ほどではないかと思う。つまり、確立は4人に1人。あなたがその4人の内の1人になれれば問題はないが、4人に1人から漏れた場合にはどうなるか・・・脱落感と借金だけが残る。
岡山ニューファーマーズに応募してくる非農家出身の都市生活者の多くは、「我こそは農で起業」と、勇んで応募してくるのかもしれませんが、その制度を利用した先輩たちの何割が現在も農業を続けていると思いますか。
行政担当者はこの点の情報をきちんと公開して、ニューファーマーズの応募者に提示する必要(義務)があると思うが、この点の追跡調査は公開されていないようである。
(1)2年間で360万円の補助金が下りるわけだから、どの農業形態を選択した人の何人が、何年後も、農業を継続中であるという、きちんとしたデータを公表すべきだと思う。なぜ非公開なのか。
(2)ニューファーマーズに応募した人の何割が脱落して、その原因は何だったのかを、きちんと追跡調査をして、今後の志望者の人が役立つような指針を作成すべきと思う。
(3)補助金と借金が「両建て」では無意味である。つまり、2年間で360万円の補助金は出ても、施設の建設等の投資のために、たとえば500万ほどの借入金が必要だとしたら、それは結局「ヒモ付きの補助金」であり、立ち行かなくなった時、借入金のために身動きできなくなる。
施設建設のない農業、つまり元手のあまりかからない農業を指導すべきだと思うが、ニューファーマーズの方に勧める農業は、大型設備投資型の農業である。
ニューファーマーズ制度を利用しない方がいいといっているのではない。果たして、その農業形態がやってのけれるかどうかということである。いったん入ってしまうと後戻りができないし、途中からの農業形態の変更も難しいのではないだろうか。
自分の能力のなさを棚上げして述べるが、、ビジネス型農業より自給自足型農業の方が、方向としては誤りがない選択だと思う。
ビジネス型農業は前述の
(1)技術力
(2)体力→現在の農業ではあまり必要ないと思う。
(3)営業力
(4)資本力
が必要なので、万人向きではなく、エリート向きである。
そして、これからの農業者には、
(5)害獣防御力
(6)農業形態変更力
が求められると思う。(5)に関しては電柵などの設置が負担にならない人。(6)に関しては、一つの農業形態が立ち行かなくなった時、もしくは変更を意識した時に、切り替えへの対応ができる人。
自分がやっているようなワンパック形態も薦めない。
(1)顧客が安定しない。5~10年ほどで家族構成が変化するので、継続して購入してもらうことは難しい。絶えず「営業の臨戦態勢」をとる必要がある。
(2)ワンパックのキャッチフレーズを無農薬、無化学肥料にするなら、作る上での「不安定さ」や「重労働化」の危険性もある。
(3)収穫、作付、輪作、事務処理で、煩雑な場面が多く出てくる。自分は多種多様の方が単一大規模型より身体が楽だと思うが、収穫ロスが出やすい。
(4)ワンパック形態を長く続けている人は少ない。
人に薦めれなくても、自分がやってきたことの集大成を今後数年間でするつもりでいる。「農業で中途半端に稼ぐ方法。でもたった100万稼ぐにもワンパック形態では涙ぐましい努力が必要・・・それでもあなたはしたいですか」・・・でも馬鹿にしないでください。農業志願者の半数の人は、たった100万と言えども稼げはしないでしょうから。
今日のニワトリ

久々、満室御礼

産み終えてすぐのポーズ



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日本で飼われている99.9%のニワトリは、土から隔離されたケージ飼いであり、生涯、太陽の光を浴びることはない。もちろん青菜を食べることはない。しかし、ニワトリは青菜が大好きである。昨夕、フゴ一杯の草を投げ込んでおいたのに、今朝はもう青菜のかけらも見えない。
いつものように、コゴメを床にばらまくが、1羽のメンドリがいじめられていて、エサをやりに入ると一度は地面(鶏舎の床)に下りてきて、コゴメを食べ始めるが、すぐに他のメンドリにトサカのあたりを突付かれ、怖がって止まり木に飛び上がると、右の画像のように巣箱の中に入ってしまう。
だいぶ腹が減っているだろうが、どうすることもできない。こんな状態になってすでに2週間以上が経過している。死ぬかも知れない。一昔前だったら、こんな状態のニワトリは料理されて、その晩のおいしいすき焼きになっただろうが、自分は料理して食べるという発想はない。料理は手間がかかるし、ヒヨコからすでに2年が経過しているので、かなり「しわい」と思う。買った鶏肉の方がおいしいし、世知辛い世の中で、ニワトリをつぶして料理するなどの手間隙はかけれない。
このニワトリは、1日の多くの時間をこうやって巣箱の中で過ごしている。雑草を持って入ると、すぐに床(鶏舎の地面)に下りては来るが、同時に他のニワトリに追い回され、青菜を食べることもできず、止まり木に飛び上がって逃げる。巣箱は一番安全な場所であり、他のニワトリが産んだ卵を腹にかかえて、いつまでも、じいっとしている。
どこか別の場所に隔離してやればいいのだが、隔離するには入れ物がいるし、1羽だけのために、水とエサと青菜を別に用意する必要がある。これはかなり手間になるし、元に戻した時に、仲間の中にスムーズに復帰できるだろうかという、一番大きな問題がある。すでに、こうなったことが、このニワトリの運命であり、死への序章かも知れない。何も死を望んでいるわけではない。まだ1羽も死んでいない最長不倒距離を更新しているのだから、できればこの先もずっと生きていて欲しいと思うが、こういう事態が起こっては、自分はどうすることもできない。つまり助ける手段がない。推移を見守るだけである。最後のひと時は、大自然の山の中に放してやってもよいが、多分、1日~1週間の間に害獣のエサになってしまうだろう。
この状態は、クラスの中でいじめを把握しておきながら、じっと手をこまねいて推移を見守るしかない「先生」みたいな存在だろうか。
小さなトリ小屋の中で生じた過酷な事実に対して、自分はどうすることもできない。ニワトリは、何かのきっかけで仲間からはずれてしまった一羽のニワトリに対して、どうしてこうも残酷なのだろう。注意していると、オンドリまで加担している。
どうすることもできない。推移を見守るだけ。元の仲間の中に復帰して欲しいと願うが、死で終わるか、復帰できるか、定かでない。そして自分は、16年ほどの間に、復帰できずに死で終わったニワトリを何羽も見てきた。
同じようにニワトリを飼っている友人はどう思うだろう。隔離してやればいいのにと思うだろうか。それとも、こういう事態はしばしばあることだから仕方がないことと思うだろうか。
クラスの先生だったらどうするだろう。
(1)また面倒なことが起こった。こんな生徒などいなかったらよいのに。
(2)何とかしなくては・・・。とりあえずこの生徒には学校を休むように薦め、今後の対処は校長先生に相談してみよう。あの校長、頼りないしなあ・・・。全部自分に責任がかかってくるなあ・・・。
(3)加害者の生徒を何とか指導する必要があるが、あいつはワルだから、注意したくらいでは前進しない。親に言ってもよいが、あの親ではなあ・・・。
外観だけ見ると、このニワトリが他のニワトリと違っている点はない。ただ、いじめ(頭つつき)が始まってからは、たいそうびくびくして、全く、落ち着きがない。そして、突付かれていないのに逃げ回るから、余計に追い回される。
まさに人間社会の縮図みたいな様相が、狭い鶏舎の中で繰り広げられる。
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Nさんの田んぼ訪問(3)は後日にさせて頂きます。今日はラッキョウを収穫したので、ラッキョウ漬けについて書きます。
真ん中の画像は5月31日にした梅漬けの現在(赤シソが大きくなるまでこの状態で待つ)です。
梅漬けとラッキョウ漬けがあれば、ちょっとした「おかず」に困らない。特に昼食に助かる。こんなに梅漬けとラッキョウ漬けが好きなのは、我が家が昔から豊かな食生活と豊かな農産加工品を食べてきたからではない。逆に、両親とも忙しく働かざるを得ない経済状況だったので、梅漬けやラッキョウ漬けを作る暇はなかったと思う。作っているのを見たことはない。母は早く亡くなったので、父は晩年に自分でラッキョウ漬けを少し作っていたが、父の作ったラッキョウ漬けは、ちょっと食べる気がしなかった。あまり衛生的でないような気がして。
我が家には梅の木はなく、梅の木(大梅1本、小梅1本)を植えたのは、農業を始めてかなり経ってからだった。ラッキョウを植えたのはそれよりもっと遅かった。だから、梅漬けの歴史もラッキョウ漬けの歴史もそんなに長いわけではない。10年ちょっとである。歴史は浅いが、今はもう、日々の食卓に自家製の梅漬けとラッキョウ漬けのない生活は考えられなくなった。年がいったからではない。農業を始めたことが、梅漬けとラッキョウ漬けの楽しみを自分にもたらしてくれた。
今日、ラッキョウを収穫した。ラッキョウは40株植えていた。この秋にまた植えつける80個(1株に2個植え付けだから、2×40=80)のラッキョウを種として残し、その他をラッキョウ漬けにした。
ラッキョウは、収穫後に、根と茎を取り除くが、この作業に1時間ちょっとかかった。種を除くと、40株で3.8キロほどしか収穫できなかった。よく水洗いして泥を取り除く。目方の10%ほどの塩(3.8キロ×10%=380グラム)をまぶす。画像は塩を入れた状態である。この後、満遍なくラッキョウに塩をまぶしてから、10日間ほど、この状態(塩漬け)のままにしておく。本によってラッキョウ漬けの方法は多少違うようである。
この量だと、海苔のビン2ビンで納まる。植える時は毎年、きちんと数を数えて植え付ける習慣をつけると、多すぎたり少なすぎたりしない。根や茎を切ったり、海苔のビンを用意したり、酢も買ってくる必要があるので、多すぎても困る。
ラッキョは1株(2個植え)で、収穫期の6月には14個ほどに増えるので、約7倍になる。10月末頃に植えつけて6月上中旬に収穫するが、収穫期にも、自分の植えているラッキョウは花は咲かない。
植える時は、タマネギ、ソラマメ、春キャベツの隣に、ラッキョウ、ニンニク、ワケギを合わせて植える。植える時期ではなく、収穫期が同じ物を同じ場所に植えると、後作の時、同時に片付けることができる。
さっき風呂から出て、夜食に梅漬けとラッキョウ漬けで御飯を半膳ほど食べた。あれば好物の「あんぱん」を食べるが、今日はなかった。
梅漬けは妻や子供の弁当に毎日、ラッキョウ漬けはカレーの時などにテーブルに出る。そして自分は日々の食卓に供している。農業がもたらしてくれた至福の農産加工品。作る余裕がなかった両親の分まで食べようと思う。
ハーブも含めて多種類作っていると言っても、他の農業者に比べて、合計作付面積はかなり少ないのに、6月の今の時期は、忙しくて、なかなか手が回りきらない。目の前の物が片付かなくて、定植が終わった苗箱やポット(鉢)が、田んぼの一角にころがっている。
6月は草との戦いの月でもある。祖母がまだ元気だった13年前までは、家のかど周りの草は取ってくれていた。父、祖母が相次いで亡くなってからは、それが全部自分にかかってきた。田舎の門(かど)は広い。それは、45年ほど前まで、脱穀した稲の天日乾燥のために「むしろ」の上にモミを広げて、それを門(かど)に並べていたからである。
ある時から、家の門周りだけは「除草剤」を使うようになった。しかし除草剤を使うようになってから、門周りに「海に生えるこんぶ」みたいな、ある種の菌がはびこりだし、それが気持ち悪くて、昨年からまた除草剤を止め、手取りするようになった。今日は3時頃から5時頃まで2時間ほどかけて、門周りの草抜きをした。誰かが来られた時、あまりにみっともないほど草が生えていたので、午後からの農作業を急遽予定変更して、門周りの草抜きにあてた。
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歌の歌詞がなかなか覚えれない。あまり覚える気がないのと、あまり興味もないのだろう。そのなかで、一つだけよく口をついて出てくる歌がある。
人は誰も人生に夢破れ 人は誰も故郷を振り返る
帰っておいでよと 振り返っても
そこにはただ風が吹いているだけ
「はしだのりひことシューベルツ」というグループの歌で「風」という題名である。歌はきちんと歌えず、順序も歌詞も定かでなく、このフレーズだけがいつも口をついて出てくる。もうずいぶん昔の歌だと思うが、いつも出足は「人は誰も人生に夢破れ・・・」である。
サラリーマンという第一の人生に挫折したから、第2の人生を考えざるをえなくなった。普通に第一の人生が送れていたら、第二の人生など考えることもなかったと思う。
今は、第一の人生に挫折してよかったなあと思う。結構充実した日々を送れているから。
去年の夏、ブログに出会ってから、無我夢中で続けてきたが、最近になって、これは、「自分がとてもがんばれる領域だなあ」と感じている。
そうしたら、今日の新聞で高校生が同じようなことを言っていた。スポーツ欄に出ていた高校生であるが、その高校生は「片腕のサウスポー」としてソフトテニスの県春季高校選手権で、個人2位となったらしい。片腕で、左手にラケットを持ち、ラケットを持ったままの左手でボールを上げ、カットサーブで巧みに変化を付けて相手をほんろう。後衛として軽快に左右に動き回り、抜群のボディーバランスから強烈なストロークでポイントを奪った・・・。
生まれた時から右腕はない。「みんなが思っているほど大変なことではないですよ」とさらりと話す。
備前中1年でソフトテニス部に入り、すぐに魅力に取りつかれた。「それまではなにもスポーツはしていなかったが、競技を通じて、一生懸命頑張るということを知った」・・・。
この高校生の話した言葉を読んで、自分も今、この高校生と同じような、頑張れる対象があるなと思った。試験などのように短期間頑張るのとはちょっと違って、「頑張りしろがあり、どこまで到達できるかみたいな対象」である。
ひょっとして今の自分は、この高校生と同じような頭の中をしているかもしれないと思った。この高校生は18歳でこの思考レベルであり、自分は54歳になって始めて、頑張れる対象を見つけたような感じであるが。でも年齢は関係ない。時の過ぎるのを忘れて夢中になれる何かがあるのは、どんな他愛ないことでも、ありがたいことである。
この高校生、新聞の画像は、とてもかっこよかった。
野菜農家にとって、6月という月は1年で最も忙しいのではなかろうか。5月末のタマネギの一括収穫が終わると、サツマイモの順次定植(挿し木)、合間合間の草刈、ナンキン等の敷き藁、トマトやスイカの害獣防御、ナスビやピーマンの芽かぎ、ジャガイモの一括収穫、サトイモの土寄せ、敷き藁・・・。
野菜だけでも忙しいのに、並行して、この時期に稲(田植え)をする人もいる。野菜と稲は、かなり違った能力を要求されると思うが、両方できる人もいる。
たいていの農業者は、農業形態の中でも比較的自分に向いていそうな、ごく小さな一点に集中して、それを経済の柱にしていると思う。農業者はどんな農業形態でもできるのではなくて、逆に、好き嫌いや向き不向きのたくさん出てくる世界ではないだろうか。自分の場合はそうである。唯一、ワンパック宅配しかできそうにない。
都会から田舎に来て、「稲を作る」と、地元の人から早く信用されると思う。野菜を作ることに比べて稲は、それだけ「重い」。野菜は遊び半分に作れても、稲は遊び半分では作れない。だから、定年帰農者は野菜は作っても、稲を始める人は少ない。小面積でも稲は、「手植え」、「手刈り」だとかなり時間がかかるし、脱穀をどうするかという問題もある。
午後7時15分のニワトリ。

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下記の表は、5月13日(作付本数のシミュレーション)でも提示しましたが、今日の説明でも必要なので提示します。結構役に立つ表だと思うので、できれば暗記して下さい。春夏野菜はこれでほとんど網羅しているはずです。
春夏作
1類 タマネギ
ジャガイモ
2類 エンドウ・・・・・・→ キュウリ・・・・・→ハヤトウリ
スナップエンドウ→ ナスビ
グリンピース・・・→ ピーマン
ソラマメ・・・・・・・→ オクラ
3類 レタス・・・・・・・・→ ナンキン・・・・・→サトイモ
キャベツ・・・・・・→ニガウリ・・・・・・・→サツマイモ
→トウガン・・・・・・・→ヤーコン
4類 コマツナ・・・・・→エンサイ・・・・・・・→ダイコン葉
ホウレンソウ・・→ツルムラサキ・・・→カブ葉
チンゲンサイ・・→モロヘイヤ
春ダイコン・・・・→ニラ、青シソ
その他 インゲン、ニンジン
ニンニク、ミョウガ
スイカ、トマト(自給用)
6月上旬は、冬を越して5月に収穫期に入る野菜が終わりに近づき、キュウリ、ナスビ、ピーマン等の夏野菜は6月中下旬にならないと、本格的には成り始めない「野菜の端境期」である。だから、昨日の出荷は野菜の種類が少なくて、ちょっと困った。出荷したワンパック野菜は、
タマネギ 2単位×250円=500円
ジャガイモ 1単位 200円
コマツナ 1単位 100円
グリンピース 1単位 350円
エンドウ 1単位 150円
レタス 3種類 300円
梅 1.5キロ 700円
ハーブティ用ハーブ(サービス品)
セイジ・レモンバーベナ・スペアミント・レモンタイムの4種類
送料 800円
合計 3100円
梅は迷ったが、入れることにした。
6月は梅雨入りと、池の脾抜き(6月15日)と、田植えの月である。そして、アジサイと花菖蒲の月でもある。
今年はどんな梅雨になるだろうか。去年の梅雨は雨季と乾期の両極端の梅雨だった。晴れ間のない雨季の2週間の中ほどから、スイートバジルの葉が黒ずんで出荷できなくなったので、その記憶が残っている。とにかく「普通の梅雨」であって欲しいと思う。過激な梅雨だと、それが夏中、尾を引いて、盛夏に雨が降り過ぎたり、2ヶ月近く雨らしい雨が降らなかったりする。
ボクが子供の頃の田植えはまだ「手植え」だったが、今は田植機でする田植えである。稲作は田植えから脱穀まで、全て機械なので、「土と親しむ」というより「機械を使う」という感じである。機械を使う農業はあまり好きではない。
池の脾が抜かれると、田んぼのそばの細い水路をいっせいに水が走り始める。梅雨の雨と共に川も増水し、コイやフナやナマズやモツ(ハエ)やウナギが川下から川上めざして上ってきたのは昔の話。今は川に魚などいない。川は「用水路」ではなく「排水路」になっている。
子供の頃は、田んぼのそばの細い水路から田んぼに入ってきたフナを捕まえたり、メダカやオタマジャクシを捕まえる楽しみもあったが、今の田植えにはそんな牧歌的な風景はない。
川魚を釣るのも梅雨の中頃から梅雨の終わり頃にかけてだった。近所の親戚のおばあさんに連れられて、池の上のダムに釣りに行く事が度々だった。
隣の家には、ミミズのいる堆肥の山が家の門先にあったので、そのミミズを掘り出して、缶詰の空き缶に入れて持っていく。蜂の巣の子や、アザミの中の虫でも、モツ(ハエ)がよく釣れた。でもその頃から不器用だったのだろう・・・テグスと釣り針が結べなかった。近所の親戚のおばあさんは「それぐれえ、自分で結びょうがな」と言って、結んでくれなかった。我慢比べになって、最後には結んでくれるのだった。釣りは小学校のその頃を最後に行ったことがない。
その頃の小学校には農繁期の田植え休みと言うのが1~2日あった。田植えは子供でも大いに役に立つということを、その頃の小学校の先生は知っていたのだろう。
一家総出で、苗代(なわしろ)の苗を抜いて一定量を束にして、田植えをする田んぼの畦岸から投げる。投げ方が悪かったり、束の結び方が悪かったりすると、空中、あるいは田んぼに落ちた瞬間にばらけてしまう。
親戚同士、手伝ったり手伝われたりしていた。田植えの時分にはよくパン屋さんがパンを売りに来ていた。1個5円とか10円だった。アイスクリームと同じ値段だった。米との物々交換で買うのをしばしば目にした。
稲作農家が忙しいのは5月中旬~11月中旬頃の半年間である。自分の農業も稲作農家に近づきつつある。稲作農家のようなやり方にしたいと思う。つまり、表の5月~10月末の半年間が忙しく、裏の11月~翌年4月末は、比較的リラックスできるようにしたい。ハウスはないし、旬に、より忠実であるように、そういうやり方に持っていくこともできる。
11月・・・中旬にタマネギの定植とキャベツ、ソラマメの定植が少々あるのみ。
12月・・・月、水、金の出荷のみ。急ぎの農作業はない。
1月・・・・月、水、金の出荷のみ。急ぎの農作業はない。
2月・・・・1月中下旬を境に業務用の注文が減るし、大霜で野菜やハーブが傷む。2月の出荷は休んでもよい。
3月・・・・出荷はない。中旬からぼちぼち農作業が始まる。
4月・・・・出荷はない。農作業が本格的に始まるが、出荷がないので休みは取れる。
つまり、5月~10月末の半年間が忙しいだけにしたい。

夕暮れの池の土手

池の土手から見た夕暮れの田んぼ。

アジサイの花が色づいてきた。
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ブログを始めてから、夜間のこそこそ用があまりできなくなった。郵便物に目を通したり、農協便りや市の広報に目を通したり、種苗会社の月刊誌を見たりするのも、ぱらぱらとめくる程度になった。ちょっとした片づけや整理整頓もできない。それでもなんとなく1日が過ぎていく。ブログに3時間はかかっているので、ブログをしていない1年前までは、夜の3時間を何に費やしていたのだろうと思う。
ブログは毎日の習慣になると、そんなに負担ではない。ただ、朝起きると、今日は何の記事にしようかなあと、常に考える。思いついたら、主題だけすぐにメモ書きしておく。1主題で5~6行しか書けなくても、それが10主題集まれば、50~60行になるという風に考えている。
2~3日に1度の更新よりも、慣れると毎日更新の方が、生活のリズムができる。
2日分、3日分と、早め早めに「書きだめ」しておくことは、自分の場合は不得意なので、田んぼにいる時はずっと、今日のネタ(更新)のことばかりを考えている。
ブログは自分にとって、楽しみ、負担、習慣、生きがい、懸命に生きた証を残したい、できればカネにしたい、そんな気持ちがごちゃ混ぜになったものである。
疲れていたら、1枚の画像と、1主題5~6行でいいから毎日更新しようと思う。
17年の農業歴があるので、少しは農業を高い位置から見れるかなと思っている。高い位置とは、山にたとえて、山の麓を麓でみるのではなく、山の7合目、8合目あたりから麓を見る感覚である。
「農業の技術的な要素」も時々書いているが、農業をしたことがない人にも、理解してもらえるだろうかという気持ちで書いている。やっぱり農業は、土の上で身体を動かさないと覚えれないように思う。机上でいくら学習しても、かえって遠回りになると思う。そういう意味では、農民になるには、学校で農業をいくら学んでも役には立たないように思う。
自分は大規模単作や、特定作物のスペシャリストには全く能力がない。これは、学校を出る出ない以前の問題で、農業をスタートする前までに形作られた、自分の性格、能力が関係していると思う。
昨日また、田んぼ訪問(ブログ取材)をさせてほしいと電話を入れた。いくら忙しくても、週に1回は田んぼ訪問に出かけようと思う。「足でかせぐ」という言葉を聞いたことがあるが、作文は、手や頭をいくら使っても書けない。足を動かさないと書けないように思う。
足をしっかり動かしながら、寝ても覚めても立ち居につけても、ブログのネタのことを考え続けながら、思いついた主題を忘れないうちにメモ書きしておいて、後で、その主題に関して5~6行書けたらよい。時々は長く書けることもあるが、一つの主題に対して5~6行でよいと思うと、随分気が楽である。長ったらしい作文を読んでも、記憶に残る言葉はせいぜい1~2行であるらしい。
自分の場合はしょっちゅう、頭がプッツンするので、長い思考の持続に耐えれない。でもこれは単なる「個性」だと思う。大規模単作に向いている人もいるし、少量多品種に向いている人もいるし、果樹に向いている人もいるし、動物飼育に向いている人もいる。人それぞれだと思う。目先の経済に目が向きがちだが、結局、自分の比較的得意と思える方法でしか、長くは続かないと思う。
農業を始めてからこっち、農業関係の雑誌は時々読むことがあっても、他の一般書を読む時間も、読みたいという気持ちも湧かなかった。その数少ない読書の内、新聞の書評欄で読んだ一冊をふと買う気になった。清水良典「自分づくりの文章術」である。「ちくま新書」の700円の本であるが、作文を書き続けることを勇気づけてくれた本だった。その中に書かれていた
(1)作文は「思い」ではなく「描写」でいいんだと言うこと。
(2)作文は断片やメモの状態で構わない。いわゆる「断章」と呼ばれる形式である。古今の有名な著作には、膨大なメモ書きの形式も多い。
(3)いわゆる完成した作文は、形式的な統一性や論旨の整合性を獲得するのと引き換えに、たくさんあったアイデアの可能性を削ってしまった結果でもある。
作文に行き詰まったら、これらの言葉を思い出している。特に(3)の一冊の本と言う形にまとめようとしたら、自分の場合は「固まって」しまう。
作文にも、「ブログ型」が得意な人、「一冊の本型」が得意な人、「長編」が得意な人、「短編」が得意な人、「断片」が得意な人、色々だと思う。早く自分の得意な型を知る必要がある。
その形式がカネになろうがなるまいが、社会的に認められようが認められまいが、それが「オンリーワンの自分の形式」なら、それを続けるしかない。

出荷する野菜の種類がそろわなかったので、ジャガイモを初掘りしてみた。3株で2キロ入っていた。今の時期でこれくらい入っていれば例年通りの収穫ができそうである。一括収穫は、雨模様や田んぼの乾き具合を見て、6月12日~6月16日の間を予定。

今日、スイートバジルも初収穫をした。今年は「ネキリムシ」の被害が大きく、かなり植え直ししたので生育がでこぼこ。

今日産んでくれた卵は4個。31羽で4個だから、1割ちょっとの産卵率である。まあ、これくらいをコンスタントに産んでくれたらよい。エサは、もらったコゴメと野菜くずと雑草で、エサ代はかかっていないから。
3月、4月、5月と、1日10個以上(3割)産んでいたので、ちょっと産み疲れが来ているのかも知れない。ニワトリが生涯で産む個数は決まっている(真偽は不明)らしいので、時々産んでくれたらよい。
義父、隣村の金光様(金光教)の先生、集落内の親戚の稲作農家から、コゴメをもらっている。しかし、3人とも70代の半ばを越えている。いつまで稲作が続けれるかわからない。自分の養鶏はまさに稲作農家の後ろ盾があって成り立っているので、彼らが引退したら、飼える羽数は多くても10羽以内になるだろう。

好物の豆類を投げ入れた。エンドウ、グリンピース、スナップエンドウは、片付ける時に、鶏舎内に運ぶ。まだ豆は硬くなっていないので食べれる。植物性タンパクの補給にもよい。
エンドウ、グリンピース、スナップエンドウは、今年は早々と病気がきた。いつもは、もう1週間ほど伸びてくれていたが、今年はもう終わった。
あなたの一票が、農業ルポライターへの
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