
今日(5月30日)夕方、第1回目のサツマイモの苗の挿し木をした。農業を始める前、サツマイモは「挿し木」ということを、はっきり認識していなかった。それくらい、農業とは縁遠い生活をしていた。だから、農業が新鮮だったと言えるかもしれない。
植えてから、それぞれの品種の挿し木本数を数えたら、ムラサキ芋182本、ベニアズマ61本、オレンジ芋19本、高系14号8本、合計で270本だった。今年は後200本ほどしか植える予定はないので、第1回目で、半数以上を終わらすことができた。
植えている最中に雨が降ってきたので、画像は明日アップします。挿し木をして終わりではなく、その上から黒い寒冷紗を1週間ほどかぶせておきます。挿し木苗は「根がない」ので、なんらかの「日除け」をすることは必須です。黒い寒冷紗のとどかない部分は、代わりに稲ワラを1週間かぶせておきます。
温床でなく冷床でも、当地では5月末頃までに、第1回目の挿し木苗を切り取ることができます。なお、苗を切り取る前の3日間は、日中はポリを全開にして、葉を太陽光線にたっぷりあてて、「こわらせて」おきます。こうすることによって、挿し木苗がしゃんとします。夜間だけ、ポリをかぶせます。

ムラサキ芋以外は発芽が遅かったという生育のばらつきも、第1回目を切り取ることによって、生育のばらつきが一定になります。たった14個の種芋でも、今日だけでムラサキ芋の苗は182本切り取れた。

画像はキュウリの第2回目の苗と、イタリアンパセリの苗3ケースです。順番にやっと3ケース発芽した。最初の4ケースほどは失敗したが、市販の購入苗を少し定植していたのが、すでに出荷できるくらいの大きさになったので、しばらくはこれで対応します。
イタリアンパセリの3ケースの内、一番大きな苗は、2~3日内に、5センチポットに「鉢上げ」する予定です。
キュウリの苗が少ないように見えますが、キュウリは12~14本を1カ月おきに4回蒔いて定植するので、その合計本数では、ナスビの定植本数(44本)より多くなります。

昨日の道中で見た、田植え後や、家庭菜園の害獣防御のための囲い。イノシシやシカなどの害獣は、山の落ち葉かきや、下草刈りなどの手入れをよくしていた時代には、里にまで進出せず、奥山にとどまっていた。
「クド」がプロパンガスに変わってから、落ち葉かきや下草刈りが不必要になった。それ以降、山の生態系が変わってしまい、それまで生えていたきのこ類や、山ナスビや山ブドウなどの低木の果樹が、育たなくなった。そして、食べる物がなくなった害獣は、里へと進出を開始した。
稲作や家庭菜園において、害獣の防御が必要になってくると、作物を作るという技術的な問題以前に、まず、どうやって害獣から作物を守るかということに、かなりのエネルギーを吸い取られてしまう。
農業は、害獣一つ取り上げてみても、多くの人にとって、家庭菜園でさえ「ままならない」状態に追い込まれている。農業を希望する人は、現役帰農、定年帰農にかかわらず、この現実をよくよく考えて、農業に転身してください。


これも昨日の道中、車を止めて写した。アザミの花の蜜を、夢中になって吸っていた大きな蝶。10センチほどに近づいても逃げなかった。15枚ほど撮ったが、その内5枚があまりぼやけずに取れていたのでアップした。
今まで64MBのピクチャーカードを1枚しか持っていなかった。自分の田んぼだけ写すのであれば、64枚も取れれば十分なので予備のピクチャーカードは必要なかったが、田んぼ訪問で写させてもらうには、64枚では少なすぎる。行きがけに電機店で512MBというのを買ったら、206枚ほど写せる表示が出た。これだけあれば、蝶を15枚写しても足りる。昨日の田んぼ訪問で写した枚数は合計70枚だった。
1年前の4月に、生まれて始めてカメラを購入。そのカメラがデジカメだった。「写真なんかとって、どうするんだろう」と、購入するまでは思っていたが、ブログの必要に迫られて毎日写すようになってから心境が変化した。伝達手段として、作文と画像は「両輪」であり、農業を伝えるには、「ブログ」は「本」よりかなり優れた媒体だと思う。
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先週の金曜日の山陽新聞に、詩集を出されたKさん(37歳)という方が、顔写真と共に大きく紹介されていた。遠くないので、近いうちに訪問させてもらおうと思う。新聞によるとKさんは、
(1)27歳の時、結婚を機に職場を退職。「百姓こそ人間本来の姿」と悟り、岡山県美作市で自然に囲まれた生活をスタート。
(2)その後、赤穂市福浦でも暮らし、農業だけでなく、貝堀りと魚釣りも生業としてきた。
(3)今春、「周囲の雰囲気が気に入った」と、備前市内でも最も辺境な集落に引っ越して来られた。
晴耕雨読の生活でつづってきた詩がたまり、71編を選んで詩集を編むことにした。タイトルにも選んだ「おきなぐさ」は、大地に根を張る野草の力強さを語りかける。Kさんは、「自分の思っていること、考えていることを箇条書きにしていたら、詩のような形になった。大勢に読んでほしい」と話している。「おきなぐさ」は、120ページ、1500円。問い合わせは、近代文芸社、03-3942-0869
新聞を読んでいたら、Kさんに関する、小さな物語が書きたくなった。Kさんは結婚退職後の10年間に、3度住所を変えられている。
捜し求める「安住の地」に巡り合うのは、捜し求めることが目的であり、巡り合うことは難しいように思う。過ぎ去ってから「長く住んだ場所」が結果的に、本人にとっての安住の地ではなかろうか。
生まれ育った都会を離れて、田舎へ移り住む人にとって、自分にぴったりの田舎に、最初からめぐり合えることは少ないと思う。Kさんのように何回か移住地を変更して、やっと自分の落ち着ける場所が見つかるのではなかろうか。
自分の農業仲間にも、当地が2回目の入植地という方がだんだんおられるので、その土地の水や空気が、自分に合うかどうかは、やはり数年住んでみないとわからないのだろう。
自分はもともとの田舎育ちであり、自分の住所地について、深く思いをめぐらしたことがない。故郷は好きな場所ではないが、嫌いな場所でもない。とにかくこの地は「動くことのできない場所」であり、ここを動くと、自分が自分でなくなる。
7年暮らした大阪では、浮遊状態だった。いつも浮き草のような感じだった。仮の宿という意識がずっとあった。いつか近い内に、自分の生まれ故郷へ帰るだろうと思った。
大阪の職場でも岡山の職場でも、サラリーマンの時もずっと浮遊状態だった。何回職場を変わっても、自分のいる場所ではないような気がした。職場に居場所が作れなくても、生まれ故郷の家という「絶対の居場所」があった。だから、住む場所については、自分は考えたことがない。思考の中断ではなく、これは自分の中での「絶対神」なんだと思う。
都会から移り住んできて田舎の住所地を何回か変わっている人を見ると、早く「安住の地」が見つかればいいなと思う。安住の地を追い求めても、ある程度の年齢がくれば、もうその場所を動けなくなる。安住の地を追い求める余力がなくなる。仕方がない、もうこれくらいでと妥協点を探す。もう若くはないんだと悟らされた時、その地が、いやがおうにも「安住の地」と決まる。誰も皆、そのようにして決まるのではなかろうか。
自分が親しく付き合っている人は、都会から田舎へ移り住まれた人であり、田舎から田舎へと移り住まれた人である。彼らから見たら、ボクの立場がものすごく恵まれているように見えるのだろうか。それとも彼らは、ボクのように、「土地に対して絶対神的なもの」を持たず、「心」を中心に考えているのかも知れない。
自分の場合は、「心」より、「動かない土地」である。配偶者や子供や親や兄弟との別離はあっても、土地との別離はない。土地との別離が生じるのは、自分がこの世界から消滅する時である。つまり自分にとって、生まれ育った故郷の地こそが、自分の生きていく柱である。
不確かな自分、職場に居場所が確保できなかった自分、それでも生きていかなければならない。そのためのよりどころは、「さまよえる心」ではなく「動くことのない土地」である。
よりどころとするところは、人それぞれ違う。でも、自分が訪ねてみたいと思うのは、何回か田舎を移り住んで当地に来られた人である。その人たちに共感することが最も多いから。
明日、訪ねてみようと思う。「農業を主体としない(農業に依存しない)田舎暮らし」を選択されているようだ。17年の農業経験から、農業を主体としない田舎暮らしの方が良いのではないかと思う。あくせく農業をしても、「100万にはなかなかならない世界」である。同じ100万を稼ぐなら、農業以外の稼ぎ方があるのではなかろうか。農業は、できれば「食べ量」くらいにとどめて置いた方がよい。
移住地での新しい出発。でも、あなたはまだ37歳。ボクが農業を始めた年である。
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シリーズで送る、定年帰農、Iさんの美しすぎる菜園と花壇

前回の訪問から2週間が経過している。Iさん方は、いつ伺っても、家まわりがとてもきれいである。花木の配置が上手なのだと思う。花木にくわしいから、どこにどういう花や花木をセッティングしたらよいか、わかるのだろう。
田舎なので、我が家にもかなり広い庭があり、いくらでも花や花木が植えれるスペースはあるが、農業を始めてからこっち、庭の様子にあまり変化がない。もらったりして植えるのはよく植えるが、雑然としていて全然見栄えがしない。その状態が改善されていかない。好きなのにセンスがないと思う。

玄関先の水槽にはメダカが泳いでいた。

果樹や花木の挿し木が2~3ケースいつも置いてある。
害虫が多いからと、カリンに袋掛けがしてあった。しかし、強風でかなり飛ばされたらしい。

ブルーベリーがたくさんの実をつけていた。

コーヒーを頂いた台所には、たくさんの果実酒が置かれていた。家の外も家の中も、どうしてこんなにきれいに整うのだろう。自分が深夜、ブログをしている私室はとても乱雑で、ちょっと人には見られたくない。きちんとしているように見えるらしいのに、全然、部屋が片付かないし殺風景である。

家の北側にある菜園も、整然と決まっている。広く取ってある真ん中の通路を歩けば、左右に多種多様の野菜が育っている。右の画像では、ゴボウと、エダマメ、ツル有りインゲンが前回見せてもらった時より、かなり大きくなっている。

これは家からちょっと離れた所にある菜園で、左がアワで、右がキビである。どちらも食用にされるらしい。そういえば、自分がまだ子供の頃、確か「寒の餅」とか言って、キビ餅(アワ餅?)を搗いて、それを薄く切り「おへぎ」にして、火鉢だったか、練炭火鉢だったかで、焼いてパリパリにして食べていた記憶がある。田舎育ちで50代半ば以上の方なら「おへぎ」のことが記憶にありませんか。
だから45年ほど前には、我が家でもキビかアワを作っていたのだと思う。どのようにして脱穀したのか、成長した姿がどのような草姿だったのかは、全く記憶にないが、キビ餅、「おへぎ」という言葉だけは鮮明に記憶に残っている。ちょっと黄色っぽい色だった。「寒の餅」という言葉が記憶に残っているくらいだから、1月か2月のことだったのだろう。「おへぎ」は薄く切って、ムシロに並べて屋根裏部屋(乾燥した葉タバコの葉よりをしていた部屋)に1枚1枚並べて干していた。
Iさんは、米に入れて炊いて見ると言われる。その昔、雑穀を食べるのは貧乏人の象徴だったようだが、今は高級イメージである。

ナンキンのツルがかなり伸びていた。自分の畑のナンキンよりかなり大きい。右は、ナンキンに敷くエンバク。春蒔きのエンバクは秋蒔きほど背が高くならない。ナンキンの隣には、すでに掘って食べ始めていると言われるジャガイモ。
長時間の農作業はせずに、ちょこちょこ見回って、そのつど気付いた農作業を手際よく進めるのだろう。農作業を先手先手と進めて、草もまだ小さいうちに取ると、時間は短縮できる。農作業が後手後手になり、草も「土を動かして削る」ではなく「草を抜く」という状態になると、時間は2倍どころか4倍かかる。
次回は、夏野菜の収穫が始まる、あるいは最盛期に入る7月上中旬に見せて頂こうと思う。菜園の様子が変化するのは、冬越しの野菜が終わる5月、春夏野菜が最盛期に入る7月、秋冬野菜の種蒔きや定植が一段落つく9月中下旬、秋冬野菜が成長点に達する11月下旬~12月上旬。
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(2004年、春)
今年初めて、生分解性マルチ(地中の微生物が分解するマルチで、デンプンやトウモロコシを原料として作られている、土に戻るマルチのことを言う)を買った。0.02ミリ 150幅、200メートルで7400円也。通常の黒マルチはこのサイズが2000円ほどなので、何と3.7倍の価格である。
廃棄処分料と、はがす手間を考えると、2倍くらいの価格差で収まるなら、すべて、土に戻るマルチに切り換えたいと思うが、3.7倍となると、ちょっと考えざるをえない。しかし、農業仲間が、土に戻るマルチを試用してみると言うので、自分もそうすることにした。有機農業者は、除草剤は使わない。かといって、敷き藁にすると、手間がかかり過ぎる。
とりあえず、スイートバジルとサツマイモに使ってみた。マルチを敷く(土を覆う)段階では、生分解性マルチもポリマルチも、手間はほとんどいっしょだった。しかし、定植する段になると、生分解性マルチは、ていねいに破らないと破れが広がる。ポリマルチの方は少々乱雑に扱っても、破れは広がらない。その分ちょっと神経を使った。今後、どのような分解を始めて行くのか、少し楽しみでもある。説明書には、①展張後のフィルムは、天候、地温、水分、微生物の活動が原因となり、場所により分解速度が異なることがあります・・・。②一度開封したフィルムは開封後、生分解を始めますので使い切ってください・・・。と書いてあった。
自分のように、少量多品目、ごちゃごちゃ作りだと、200メートルを一度に使い切るというのは難しい。今回はスイートバジルに50メートルほど使い、サツマイモに80メートルほど使う予定なので、残りの70メートルほどは、新聞紙で二重に包み、冷暗所に秋まで置いて見ることにした。
2月末には秋冬作を片づけて、春夏作の準備のために田んぼを耕す。その時、田んぼの黒マルチも片づけて、納屋に保管しておく。引き取り指定日に購入先へ持って行き、引き取り料(廃棄処分料)を支払う。黒マルチだけでなく、透明のポリや、ブルーシート(ワラなどの雨除けのテント)なども引き取ってもらったので、合計で4231円。引き取り単価は、キロ50円なので、約80キロあった計算になる。以前は、キロ35円だったので、廃棄処分料は年々上がっている。農の現場から出る大量の産業廃棄物を、自分は毎年、こんなに出し続けている。安全な農作物を作っているという表のキャッチフレーズとは逆に、裏では、環境を破壊する資材を大量に使い捨てにしているという矛盾・・・。
ハウスに使った後の、大量の廃ビニール(透光率が悪くなるので、通常1~2年で新品と交換する)。各種トンネルに使うビニールやポリ。除草目的や水分保持のために、作物を植える畝を覆う黒マルチ。保温や霜よけ、鳥除けに使う、べた掛けの、ごく薄い毛布のような資材。堆肥やワラ、農機具などの雨除けのブルーシート。農の現場から出続けている、これらの大量の産業廃棄物に対して、まだ何らの規制があるわけではない。声高に論じられることもない。安全な野菜を食べるために、農薬や化学肥料は直接関係してくるが、ビニールや黒マルチは直接には関係ない。しかし「有機認証」には、農薬、化学肥料、除草剤だけでなく、農業資材(ハウスのビニールや黒マルチ)の使用の有無を加える必要があると思う。
5月21日に写した「野の花」の画像です。真ん中はクローバですが、左右の草花の名前は知りません。
今日は早朝から強い雨だったので、出荷は見合わせた。野菜には久しぶりのいい雨である。雨でも、田んぼに行けば、することはいくらでもある。はたから見ると雨の日の農作業は大変に思うかもしれないが、やっている本人はそんなことはない。合羽を着て、結構楽しく農作業をしたり、田んぼを見回ったりする。
スイートバジルの「植え次」をした。今年はネキリムシが多く、定植苗の3分の1ほどが被害にあった。雨天だから、水遣りをしなくてすむ。
サツマイモのポリを開けて雨水にあてた。4月9日に種芋を伏せてから、初めての水遣りである。冷床(苗床)のサツマイモに水はいらないが、かなり葉が伸びたので水を与えることにした。
生き物(ニワトリ)がいるので、雨でも1度は田んぼに行く必要がある。コゴメをやり、水を入れ替え、草も与える必要がある。雨だからといって、草をパスするわけにはいかない。逆に言えば、たった30羽だから、少しでも草を刈って与えることができる。羽数が多かったら、草など毎日はやれないと思う。大体、ケージ飼いのニワトリは草は全く食べていない。草を食べているニワトリの卵など、市場には0.01%も出回ってはいない。
昨日定植したエンサイやオクラを見回った。オクラはまだ少し小さかったが、今日の雨を期待して植えた。雨脚が強かったので、どうかなと思ったが、根元が洗われているようなことはなかった。
2日前に仕込んだメタン菌液肥を竹の棒で混ぜた。メタン菌液肥はタゴで担ぐので、施す時は結構重労働だが、仕込むのは、ヌカとナタネカスと水を補充するだけだから、10分もかからない。
(1)肥料にカネをかけない。
(2)肥料に手間をかけない。
(3)肥料作りが重労働では続かない。
(4)肥料を他所から持ち込まない。田んぼは鶏糞や牛糞の「ゴミ捨て場」ではない。市販の鶏糞類には、ケージの鶏に使ったいろんな抗生物質や化学薬品の混入が考えられる。
セイジやタイムの花を摘んだ。花はすでに盛りを過ぎているし、花を長く咲かせておくと、株が弱る。もともと「葉」を出荷するのであり、花茎を摘めば、また新しい茎葉が伸びてくる。雨の日でも、こんな農作業はできる。
少量多品種なので、5分、10分で終わる小刻みな農作業が数多くある。ここが大規模単作と大いに異なる点であり、一定の動作を長時間する必要がないので、身体のふしぶしが痛くなったり、飽きたりすることもなく、楽しく、次から次の農作業へ移れる。
どちらかと言うと自閉的なので、週に1度は攻撃的に外に出かけたいと思う。雨の日より雨の翌日の方が、できる農作業が少ない。
どんな田んぼでも、どんな家庭菜園でも、他人の田んぼを見せてもらうことはとても役に立つ。その人の人生や人生観が田んぼに現れている。
ある人が送ってくれたミニコミを読んでいたら、イノシシの捕獲のことが出ていた。イノシシの密度が高い山間地で農業をすることは、本当に大変だと思う。自分のように電柵を張ったりする作業が特に苦手な者にとって、山間地での農業は無理である。たいていの人は、農業技術云々の前に、イノシシやシカとの攻防で疲れ果ててしまうのではなかろうか。山間地で農業をするには、害獣の入れないハウスで施設栽培をするか、害獣を捕まえたり、電柵設置等がそれほど負担にならない人でないと難しいと思う。
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(2003年、春)
価格が2倍くらいで収まり、本当にうないこんでもかまわない素材なら、「土に戻るマルチ」を、半分は、導入したいと思うようになった。今まで使用してきた黒マルチは、
(1)敷いた黒マルチをはがす手間。
(2)はがした黒マルチを、とりあえず、団子状態で田んぼのあぜなどに置いておくと、そのとりあえずが、5ヶ所~7ヶ所もできて、自然な場所なのに、不自然なものがいっぱい散らばっているという、美観の問題。
(3)団子状態の黒マルチを、一定量ずつきちんと紐でしばり、軽四に積んで産業廃棄物処理業者に持って行く(有料)ことの、一連の煩雑さ。
(4)最も自然に近い職業なのに、黒マルチというポリの産業廃棄物を多量に出しているという、多少の自責の念。
以上のことなど考慮して、今まで2千円で買っていたものが4千円ほどで買えるなら、「土に戻るマルチ」を選択したくなった。このことを○○さんに話すと、即座に、黒マルチを1回使っただけで、すぐに廃棄処分に出すのではなく、1年に3回、3年使えば9回使ったことになる。それくらい、ていねいに取り扱えば、十分もとは取れるし、環境に悪いといっても、1回で使い捨てにすることを考えれば、9分の1ですむと言われた。現に、ホウレンソウで年に3回同じマルチを使い、それを3年使われている。
一度使用済みのマルチをまた利用することは、多少伸びたり、一部破れたりしている箇所もあるし、はがす時に、ていねいにはがさないと、次回使いづらくなる。自分の場合、1度使用済みのマルチは、どうも、うまく張ることができない。マルチひとつとってみても、人それぞれに、かなりの個人差や考え方の相違がある。

画像はハーブのセイジである。セイジは花がきれいなので、この時期は、花もサービス品として入れている。花を送るのは、この他に、ラベンダーとニゲラ(黒種草)の2種類である。どちらもドライフラワーとして楽しめる。特にニゲラは、花後の風船玉のようなものが、ドライフラワーとして有名である。ニゲラはこぼれ種で雑草のように生えてくるが、カモミールとそっくりなので、同じ場所に種を落とさせない方がよい。

画像はコモンタイムである。タイムは、ハーブティ用にはレモンタイムを、料理用にはコモンタイムを出荷している。1ヶ月ほど前に株分けしたばかりなのに、早くも活着して花が咲いている。
1株で20倍以上に株分けできるし、10ヶ月間ほど連続して収穫できる。
個人客用のワンパックでも、タイムとミントの2種類だけでも作れば、10ヶ月間にわたって、ハーブティ用ハーブが送れる。
ハーブティは麦茶パックで麦茶を作るのと同じである。やかんの湯が沸騰したら火を止め、2種類のハーブを一つまみずつ入れ、10分ほどできれいな草色がつくとできあがり。ハーブは取り出して捨てる。これからの時期は、麦茶がわりに冷やして飲む。

青シソは、こぼれ種で生えたのをきちんとした場所に定植する。青シソは個人客に送るワンパックには必須である。青シソ→花シソ→穂シソと6月中旬~9月中旬の3ヶ月間送れる。見かけによらず、日持ちがする和製ハーブである。
春夏作でも、秋冬作でも、葉物野菜は、収穫後はさっとジョロで打ち水をして日陰に置いておく。青シソの仕分けは目分量で、ごそっと新聞紙に包んで完了。市販されているような10枚が100円のような青シソとは格段に差をつけれる。
画像はレモンバーベナである。早くも、こんなに大きくなっている。40センチほどに伸びたら、下の20センチほどを残して、どんどん収穫する。収穫すればするほど、わき芽が伸びて、収穫量もそれだけ増える。しかし、このハーブは「木質化」するのに、見かけによらず、保存がきかない。顧客に届いた時、すでに黒ずんでいる場合があるようである。だから、送るのは少量ずつにしている。レモンの香りの特に強いハーブで、ハーブティにするとおいしい。
このハーブは、種はないので、最初は市販の苗を買うしかない。増やすのは株分けか挿し木である。大量に増やす場合は挿し木である。
挿し木の方法
(1)種蒔きで発芽に失敗した鉢(5センチポット)に挿し木をしている。
(2)5月中旬~6月中旬が挿し木の適期である。
(3)今年伸びた新芽や新枝を朝方に取り、先っぽの弱々しい部分は切り捨てる。
(4)水分の蒸散を防ぐため、葉は、ハサミで半分ほど切り詰める。
(5)1ポットに3本ほど挿し木をする。1本成功してくれればよい。
(6)毎日1回は水遣りをし(根がないのだから)、2週間ほど、日陰で管理する。
(7)2~3週間で発根してくる(ポットの底を確認)ので、2~3日、太陽光線にたっぷりあてて、葉をしゃんとさせてから定植する。

今日、オクラを100ポット、2箇所に分けて定植した。3回目を蒔きなおしているが、2回目のが何とか定植できた。例年より1週間遅れだけですんだ。畝幅150センチ、株間20~25センチほど、1箇所2~4本立ち。
エンサイも今日定植した。エンサイ、ツルムラサキ、オクラの中では、発芽はエンサイが最も簡単で早い。6月中下旬~11月上旬頃までの、ホウレンソウができない期間に、ホウレンソウ代わりになる優れものである。おひたしだけでなく炒め物にもよい。家庭菜園ではあまり見かけない。多分、この重宝な葉野菜を知らないのだと思う。

ナスビとピーマンが、植えたときの状態から、あまり進展していない。雨が降らないことと、肥料の液肥が未熟だったかも知れない。4月は液肥の利用が多いので、液肥利用の回転が速くなり、未熟でも使わざるをえない。4月はまだ温度が低いので、メタン菌があまり動かない。メタン菌が最も活発なのは35度の時である。
ナスビやピーマンのような長丁場の作物でも、ほとんど追肥はしないが、状況を見て、マルチをはがして追肥する必要がありそうである。

画像はヤーコンである。ヤーコンは毎年作付けが減って、今年は100株ほどである。夏の高温に弱いし、過湿にも、過乾燥にも弱い。収穫や選別にかなり手間がかかるので、1キロ、400円以上で売り抜く「営業力のある人」でないと、採算が悪い。
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ボクの画像には、しばしば黒色のポリで地表を覆っている画像が出てきます。これは黒マルチと呼ばれています。主な目的は、雑草を生えなくするためですが、他に15項目以上のメリットが黒マルチにはあると思っています。しかしこれは、農業現場から出る多大な産業廃棄物です。
家庭菜園では、この黒マルチを利用している人は少ないようである。黒マルチは、慣れるまでは、うまく敷けないので、マルチ敷きは、かえって重労働と錯覚しているのかもしれない。そのかわり、しばしば「除草剤」という農薬を使っている。自分から見れば、除草剤を水で薄めて、散布機で何回も散布(効果は50日ほど)することの方が手間のように思うが、これは見解の相違かも知れない。
草防止は、4つの点から考える必要がある。
(1)黒マルチをして、草防止をする。
(2)敷き藁(稲ワラ、麦ワラ)をして、草防止をする。
(3)除草剤(農薬)を使用して、草防止をする。
(4)こまめに草取りをする。
その他、草との共生栽培(草生栽培)をしている、著名な有機農業家もおられるが、今の所、まねをしたいとは思わない。
除草剤がいつ頃から一般に利用されだしたのか、正確には知らないが、すでに35~40年くらいになると思う。稲作の場合、「田草とり」の厳しい労苦から「解放」されたのは、まさに除草剤のおかげである。
黒マルチは、直接的には健康に被害を及ぼさない。廃棄処分に出すことによって、焼却場でダイオキシンを発生させ、間接的に被害を及ぼす。環境問題からは否定的に扱われようと、利用が止めれそうにない。むしろ、黒マルチ利用作物が増えている。黒マルチを利用していないのは、「ウリ科野菜」と「アブラナ科野菜」くらいである。ウリ科野菜は、地を這ってツルが伸びていくという野菜なので、ツルの巻きひげがつかまえるもの、たとえば、草とか藁が必要で、ナンキン、キュウリ、スイカ、トウガンは敷き藁を利用している。
黒マルチのことをよく知らない都市生活者でも、新聞やテレビ等で、子供の農業体験の一環としての「サツマイモの苗植え」を見たことがありませんか。ちょっと注意してみれば、サツマイモの苗を植える場所は、ほとんど「黒マルチが敷いてある」ということに気づくでしょう。子供なら当然、
(1)なぜ黒マルチをするの・・・
(2)何か気味が悪い・・・
(3)自然なものではない、自然に還るものではない・・・
と、直感的に感じると思う。元気で好奇心旺盛な子供なら、その理由を質問するだろう。付き添いの父兄や先生は、その疑問に的確に答える必要がある。それが、環境問題にも、農業問題にも深く関係しているのだということを。
(1)黒マルチをしないと、サツマイモが草に覆われて、芋が入らないことがある。
(2)2週間に1度、草取りをしに、サツマイモ畑に来てあげなければならない。
(3)黒マルチは、使用後、産業廃棄物処理場へまわり、ダイオキシン発生源となるということも。
有機農業者の中には、この黒マルチを否定して、敷き藁(稲ワラ、麦わら)しか使わない人もいる。とても尊敬するが、今はまだ、見習えそうにない。敷き藁より、黒マルチを利用した方が、自分の身体にとても楽であり、多くのメリットがあるという現実を前にすると、自分は黒マルチを選択してしまう。
黒マルチを選択するにしても、除草剤を選択するにしても、大同小異であり、まさに、農業をすること自体、「環境に負荷を与える」ことにつながる。
肉体的にも精神的にも、農業は甘い職業ではないが、他に稼ぐ手段がない以上、続けていかざるをえない。その、ぎりぎりのところで、しっかりと現在の自分の農業をささえてくれるのは、まさに「黒マルチの恩恵」だと思う。他の人は、それを「化学肥料や農薬」と言うかも知れないし、「除草剤」と考える人もいるだろうし、その両方と考える人もいるだろう。農業者1人1人、千差万別である。他の農業者がどんな農法を選択しようと、自分はそれを否定する立場にはない。自分の場合も、否定されてもどうしようもないから。
自分は常々、環境に悪いものは、生産の段階(出口)で止めてしまわないと、いったん流通しだしてから、利用するのを止めようと、いくら声高に叫んでも無理だと思っていたが、黒マルチを多用するようになってからは、そんなことを思わなくなった。
最近は、黒マルチを取り除かなくても、「土に戻るマルチ」が開発されているが、コストの面で、まだ一般的ではないようである。
農業をスタートした頃、黒マルチに覚えた「違和感」や「不自然な感情」は今はない。変われば変わるものである。
本当の意味での有機農業は、農薬、化学肥料、除草剤を使わないのはもちろんのこと、この黒マルチをやめて、昔ながらの敷き藁(稲ワラ、麦ワラ)を利用すべきと思う。そして、人糞、動物糞、野菜くず、台所から出る調理くず、食べ残し、合成洗剤を使っていない台所排水、洗濯排水、風呂の排水等は、師である○○さんが考案されたようなバイオガス(メタンガス)発生装置に投入して、ガスを自給自足し、その廃液(とても重宝な有機質肥料)は田畑に戻していくことが、本来の環境保全型農業(循環型農業)だと思う。
自分はそこまでできないから、肥料に関しては、その廃液を200リットルほどもらってきて、ヌカ4(もしくは5)に対してなたねかす1の割合(ヌカ2袋、ナタネカス5キロほど)で500リットル容器に投入して、水をタンク一杯になるまで投入し、1日1回混ぜる。タンク半分使ったら、ヌカとナタネカスをまた補充して、それを繰り返している。

ナンキンは黒マルチでなく、稲ワラを利用している。今日、稲ワラを敷いた。

スイカには小さい草が密集して生えていたので、抜かずに、その上から黒マルチで覆い、黒マルチの上に稲ワラを敷いた。

タマネギは黒マルチをして定植している。数日前に、残りの早生タマネギは一括収穫し、軒下につるした。

中晩生タマネギを収穫する頃、カモミールも終わりに近づく。今年も中晩生品種には画像のように病気がきたが、例年に比べると、病気発生がかなり遅い。今週の土曜、日曜には一括収穫をする予定である。例年なら、今頃はタマネギから目をそらして通るくらい無残な状態になっている。

ジャガイモの肥料が少し足らなかったかも知れない。6月12~13日頃のゴール地点に、ばてばてになりながら飛び込もうとしている。でも、病気も害虫の発生もまだ少ない。

ジャガイモは「キタアカリ」という早生品種なので、梅雨入り前に堀りあげることができる。この品種は花があまり咲かないような気がする。画像はジャガイモの花である。

ジャガイモの葉を食害する、ニジュウヤホシテントウという害虫。別名、テントウムシダマシとも呼ばれる。美しいテントウムシ(ナナホシテントウ)は益虫だが、画像の汚いテントウムシ(ニジュウヤホシテントウ)は害虫である。
この害虫は、この時期のジャガイモにはまだそれほど目立たないが、7月中旬頃には、ナスビ(ジャガイモと同じナス科)にまぶれついて、7月下旬頃には、ナスビの葉も実もぼろぼろになる。だから茎を半分に切り戻し、葉は全部落として、8月の1ヶ月間休ませる。

前年、スイートバジルを植えていた畝の黒マルチは春までそのままにしておいて、4月に、無肥料で、トマトとキュウリを植えておいた。それらがかなり大きくなってから、黒マルチの両サイドを取り除き、メタン菌液肥を施した。雨が降りそうにないので、井戸水をポンプアップしてホースで水遣りをした。

これも前年、スイートバジルを植えていた場所である。春まで黒マルチはそのままにしておいて、4月中旬に、黒マルチの中央部分を株間30センチくらいで破りながら、サトイモを伏せておいた。そのサトイモの芽が出揃ったので、黒マルチを取り除き、肩に液肥を施して、潅水をかねて液肥を薄めた。
左の列の半分は、もう一度黒マルチをして、明日エンサイを定植するつもりである。

夕方の田んぼ

ちょっとの間に、ミョウガがこんなに大きくなった。1ヵ月後の6月末には1メートルほどの背丈になり、薄暗い株元に、スーパーで売っているようなミョウガが顔をのぞけてくる。

今日のニワトリ
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一つのことを形にするには、ある程度のスピードがいるように思う。
ドラムカン炭焼きには、かなり時間を費やしたのに、結局、焼いた回数は4年間で十数回だった。炭焼きのいろんなイベントに出かけたり、多くの人の見学にも行かせてもらったのに、あまり役に立たなかった。方法論や手段ばっかりを追っかけるといった感じで、「とにかく何度も何度も焼く」ということができなかった。炭焼きの工程に不得意な何かがあったからである。
ニワトリに関しては早かった。まだトリ小屋ができていない3月上旬にヒヨコを姫路まで買いに行き、家の軒下で買い始めた。トリ小屋ができたのは2ヵ月後の5月である。その時すでに、ハトくらいの大きさになっていた。しかし、記念すべき第1回目導入のニワトリは、その2週間後に、トリ小屋の地下から害獣(多分タヌキ)に侵入されて、一晩で全滅した。
野菜の引き売りに出るのも早かった。とにかく、野菜をいくら作っても、売れなければ意味がないので、野菜ができ始めるとすぐに引き売りに出て、7月には数軒の「野菜会員」が獲得できた。
今だから言えるが、資格試験も、期限を区切って、3年もしくは5年内に取れなければ、きっぱりあきらめる勇気が必要だと思う。だらだらと執着して長く続けると、周囲の家族にもかなりの負担になる。20代である資格試験をめざしてがんばっても、結局取れなければ、資格試験崩れの30代は悲劇が襲う。たとえよいことでも、だらだらと続けてはいけないと思う。すべて期限付きでやる必要があると思う。
ブログも最初は何度もとらぶった。FC2ブログは3回目だったと思う。前の2回は書いたブログをインターネットで見ることができなかった。FC2はそれができたんだと思う。画面の指示に従って、ツバメの表紙を選んで、とにかく最後まで自分一人の力でブログを立ち上げる最終工程まで終わらせることができた。ただ、開始して1週間ほどで続かなくなった。3週間ほどのブランクの後、また始めることができた。
書きたいことがあっても、ブログの操作方法がよくわからないという壁にぶつかった。スタートして2ヶ月間ほどは、得意、不得意にかかわらず難しいと思う。この間をどう乗り切れるかが、軌道にのるかどうかのポイントになると思う。
形にするには、年齢もかなり係ってくる。52才になるまでは、農業形態の変更について、しょっちゅう考え続けていたのに、52才という年齢になるやいなや、もう、今までやってきたことを続けようと思った。変更できるんだったら、すでに今までに変更できている必要がある。それができなかったのだから、もう期限切れである。仮に新しい農業形態に変更できたとしても、それが何年続けれるだろう。それなら、慣れ親しんだ今までの形態を踏襲した方が、肉体的にも、精神的にも、経済的にもリスクが小さい。
ハーブも職業別電話帳から電話営業を始めるのは早かった。とにかく、1本の電話を入れなければ何も始まらないと思った。電話営業しながら、どういったハーブをどれくらい使うのかを学習することができた。「ロケット(ルコラ)」を知ったのは、電話営業からである。名前だけは本で知っていたが、このハーブをそんなに大量に使うとは、電話営業を始めるまで知らなかった。
ワンパックも形にするのは早かった。これは簡単だった。野菜の種類がそろわなければ、単価を下げればすむことだった。
県外へ送るようになってからは、タマネギやサツマイモ等、ワンパックに必須と思える野菜が失敗した時は、友人からまわしてもらって(買って)入れた。
渦中にいる時は、そのことしか目に入らないが、何年か経過すると、あれはもっと早く切り上げるべきだったなあと思うことが度々ある。遠慮や優柔不断は禁物だと思う。
とにかく、「形にするスピードが遅い」のは「形にならない」と覚えておいた方がいいと思う。
炭焼きなんかでも、1回教えてもらっただけで、他にイベント参加や見学など全くしなくても、その1回だけで要領をつかみ、後は自分で試行錯誤しながら進めれる人でないと、炭焼きは軌道にのらない。
あまり多く見学していると、自分に迷いが生じたりして、意志が薄弱になる可能性もある。また、時間をかけすぎると、その間に、自分や周囲の状況が変化してしまい、形にできなくなってしまう。
当人が形にしようとしていることが、当人にむいているかいないか、他人の方が的確に見える場合がある。一つのことに「長居」をしないで、ある一定の期間がんばってみて、それでだめだったら、次の形態を探すという回転を早くした方がよいと思う。
(1)期限付きでがんばる
(2)一つのことに執着しない(自分のこと)
(3)方法論や手段を何度考えても、いくら周辺を固めても、何年費やしても、形にすることはできない。とにかく1円でもカネにするとか、がんばれる「リズム」に1日でも早く入り込むことだと思う。
(4)それしかないように思えても、あきらめなければならないこともある。自分に絶望した時に、新しい何かの違った生き方(がんばりどころ)が見えてくるように思う(自分のこと)

サツマイモの冷床の現在の様子である。ムラサキ芋は、今週末には第1回めの挿し木ができそうである。しかし、右の画像のように、ベニアズマ、オレンジ芋、高系14号は、芽の出が遅く、やっと芽が出揃った状態であり、第1回めの挿し木は6月上旬になりそうである。生育にこんなにアンバランスができるとは思わなかった。

エンサイだけは5月9日に蒔いた第1回で成功してくれた。近日中に定植予定である。

オクラは5月9日に蒔いた第2回目のが、何とか成功した。しかし苗の予備(植え次苗)がこれでは足らないので、第3回目をすでに蒔きなおしている。

イタリアンパセリは、何度も何度も失敗して、やっと1ケースだけ芽が出た。これはもう少し大きくなってから、ポットに鉢上げする予定である。
キュウリは4回ずらし蒔きをするが、第2回目を蒔いた。
ツルムラサキは、今年はどうもうまくいかない。第3回目も失敗したかもしれない。明日第4回目を蒔くつもりである。これは自分の主要野菜なので、成功するまで蒔く必要がある。仕方がない。何度失敗したら気が済むのだろう。田んぼの中の懲りない面々の一人だと思う。
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(2004年、1月の通信)
収穫作業や仕分作業などをしていると、しばしば、手に土(泥)がつく。そのつど、ジョロの水で洗い流し、ティッシュで拭く。タオルで拭けばいいのだろうが、ティッシュの方がきれいだし、習慣になっている。
軍手は使い捨てにしている。もう4~5年前から、12足で190円(多分中国製か)の安い軍手が出回るようになってから、以前のように、こまめに洗っては、また使うということがなくなった。特に今の時期は、家のかど先にある、山の湧き水を引いた簡易水道の水で軍手を洗うと、手が切れるように冷たい。2~3足でひんぱんに洗えばそんなことはないのだろうが、自分の場合、10足以上たまってから、1度にたくさん洗うので、なおさらである。でも考えてみれば、冷たい思いをして、時間をかけて洗い、それを天日に乾してという一連の作業に30分かかったとして、12足で、たった190円の軍手を使い捨てにするのと、はたして経済的にどちらに軍配が上がるだろうか。
カマも使い捨てにしている。1本900円足らずのカマを、年に3本ほど使い捨てにしている。去年の5月、敷き藁用のエンバクを手刈りしようと思い、切れ味のよいカマを買おうと思い、店に行ったら安売りしていたので、4本で1000円ほどのカマを買った。いざエンバクを刈り始めると、新品なのに、全く切れ味が悪くて、頭にきた。「安物買いのゼニ失い」とはこのことだと、自分に腹がたった。結局、ほとんど使わずに御用済みとなった。いくら安いと言っても、こんな切れ味の悪いカマなど、何の役にも立たないのに、なぜ作って売るんだろう。
昔、自分がまだ子供の頃、稲刈りの前には、祖父が4~5本のカマを「砥石」で砥いでいたのを何度も目にしていたが、果たして現在、砥石で研ぐことに耐える、りっぱなカマなど、出回っているのだろうか。多分、業者は使い捨てを念頭に生産しているのではなかろうか。耐久性のある、切れ味のよいカマを生産して、それを何度も砥いで使われては、業者は困るのである。
後日、だまされたと思うことにして、1本1600円ほどのカマを買ったら、とてもよく切れて、切れ味のよさが長続きしている。4本で1000円のカマは、見た感じ、とてもよく切れそうだったのに、全く切れず、1本1600円のカマは、果たしてこのカマで切れるだろうかと思えるくらい見栄えが悪かったのに・・・不思議である。結局、貧乏人は、安物を何回も買うハメになってゼニを失い、カネ持ちは、高いのを買って、それを長持ちさせる。「悪循環」は、いつの世にも、貧乏人だけにつきまとう。
野菜を包む新聞紙は、定期的に新聞店にもらいに行って、新品を使っている。読んだ後の新聞紙は、多少ともよごれているだろうから、新品の新聞紙を使うことは、顧客に対する礼儀である。
収穫する時の黄色の容器(コンテナ)も、容器の底には、そのつど、新品の新聞紙を使う。だから、出荷の日は新聞紙のゴミがかなり出る。
6年ほど前から、家庭ゴミの焼却は禁止となり、町指定のゴミ袋を購入し、それにゴミを入れて、指定のゴミ置き場に持っていくようになった。家庭ゴミはすべてそうしているが、野菜の収穫時に出る新聞紙(ジョロで野菜に打ち水をするので、水にぬれている)と、手を拭いたあとのティッシュは、使わない田んぼの一角で、竹や木を熱源にして燃やしている。
使い捨ての軍手は、町指定のゴミ袋に入れて、ゴミ置き場に出す。使わなくなったカマは、10数本、納屋の一角に置いている。
環境問題から言えば、軍手を使い捨てにしたり、カマを使い捨てにする事は、また第三者(ゴミ焼却場の方たち)の手を煩わすことになる。加えて、水にぬれた、かなりの量の新聞紙を、定期的に焼却する作業も、環境に何らかの負荷を与えると思うと心苦しい。竹や木だけだったら、よい「カリ肥料」となるので、田畑に還元するが、新聞紙やティッシュを燃やした焼却灰は、肥料袋に入れて持ち帰り、家のそばの使わなくなった田んぼに入れる。
台所のテーブルの上を拭く時、テーブル布巾を使うか、ティッシュにするか、迷うことがありませんか。ティッシュだったら、その後、町指定のゴミ袋に入れて、焼却場へと回る。布巾だったら、洗う時、水道代がかかるし、下水道が引かれていれば、下水道代もかかる。ティッシュを使うのと、布巾を使って上水道代と下水道代を支払うのと、どちらが経済的に得だろうか。環境面から言ったら、どちらに軍配が上がるだろうか。
(1)ぬれた手をティッシュで拭くか、タオルで拭くか
(2)よごれたテーブルをティッシュで拭くか、布巾で拭くか
(3)軍手を使い捨てにするか、こまめに洗って何回も使うか
あなただったら、どちらを選択されますか。今の世の中は、ゴミがたくさん出るような仕組みになっている。
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岡山で農業しませんか
新規就農者の確保へ岡山県は17日、大阪市内の新聞6社を訪れ、農業体験研修生募集の協力を呼び掛けた。6月2日には同市内のホテルで希望者対象の相談会を開く。
県職員ら5人のキャンペーン隊が訪問。「近畿圏からの就農者は多い。農業に関心のある人はぜひ参加してほしい」と話した。
研修生は、岡山県内で就農の意欲がある、農家出身でない55歳未満の人が対象。ブドウ、千両ナスなど、希望する専門農家に約1ヶ月間泊り込み、農作業や生活を体験する。体験後は、就農に向けた2年間の実務研修(月、約15万円支給)もできる。
募集期間は6月1日~6月30日。問い合わせは、県農業経営課(086-226-7420)
今日の新聞に上記の記事が載っていた。毎年、何十人かが、この制度を利用して、体験研修や、実務研修に入られるらしい。この記事を読んでどう思われますか。農業希望者にとって、とても有意義な支援制度と思われますか。それとも、また、だまされる人が増えると思われますか。
今は農家の長男や次男でも農業をしない時代だが、こんなことまでして、農業希望者を募集する必要があるのだろうか。
この制度には「1ヶ月間の泊り込みの体験研修」というのがあるから、自分がその農業をできると思うかできないと思うかは、その1ヶ月間で判断できるのではなかろうか。
ただ、体験研修に入るには、その時点で、前職を止めておく必要があると思う。だから、体験研修の段階で向いていないと感じると、その後どうするかという問題が出てくる。
自分の場合、突然、農業が頭にひらめいたのは、今から19年前の5月の連休のことだった。農家の跡取りなのに、農業が全く頭に浮かばなかったのは、当地が、いわゆる「野菜産地」ではなく、地域にも、農業で生活している人が、現役世代では皆無の状態だったからである。
6集落で250軒ほどある農村地帯であるが、すでに19年前にそういう状態だった。だから、農業を始めるということは、社会的落伍者、もしくは脱落者のようなイメージもあった。自分が農業を始めて17年が過ぎたが、この間に現役世代で農業を始めた人は、たった1人だけである。
250軒もある農村地帯で、自分以外では17年間に1人、この数字をあなたはどう思われますか。「それくらい、農業は食えない職業なんだ」と、この数字から思いませんか。
17年前、けげんそうに、遠巻きに眺めていた集落の人も、今では、「ようやるなあ・・・」という言い方に変わってきている。しかし、農業収入では絶対に生活はできないということも、集落の人は良く知っていて、我が家が、配偶者の収入でまわっているというくらいは、ボクに面と向かって言うことはなくても、暗黙の了解みたいな感じで、集落の人は知っている。
大体、ちょっと、田んぼを見れば、年配の田舎の人なら「どれくらい稼いでいるか」くらいはわかるだろう。
ただ、今はサラリーマンは厳しい時代だから、農業をして、一代が通せるなら、農業をしたいと思っている現役世代の人は多いと思う。
自分は前後の見境もなく、ただ、サラリーマンをこれ以上続けたくない・・・という理由で農業に転身した。それまで「ことわざ」くらい転職を繰り返していたので、何か独立してできる仕事はないかと、絶えず、頭の片隅においていたような気がする。リンゴの木の下で、ぼう~っとしていた時、落ちてきたリンゴを見て万有引力の法則を発見したニュートンのような・・・そんな形容がぴったりの、5月の連休でぼう~っとしていた時、ふと目に入った「農協便り」をぱらぱらとめくっていた時に、稲妻が頭を走った、唐突な「農業のひらめき」だった。
30代の半ばというのは、第1の人生での「自分の位置」見たいなものが見えてくる年代だと思う。だから、この時期から第2の人生を歩み始める人もかなりいるのだろう。その時に、何らかのきっかけで「農業」をイメージしたなら、第1の人生での経験を総動員しながら、自分にできるだろうか、うまくいくだろうか、考え続けてみてください。1~2年くらいは、情報収集の期間(就農準備期間)を持った方が良いように思います。しかし、2年以上の準備期間を持つと逆に長すぎるように思います。少なくとも1年、長くて2年の準備期間だと思います。
その農業形態が自分にできるかどうかは、何も体験研修までしなくても、その農業形態をしている人の圃場を見学させてもらって、1時間ほど田んぼの周りを歩きまわって考え続ければ、自分の適性、能力、興味、資本、健康、家族状況などから判断できると思います。
自分の場合は
(1)ハウスで花栽培(農協便りに出ていた)
(2)農業改良普及所の所長に連れられて、先進農家を見学
(3)自分にはできそうにない
(4)でも、農業があきらめられない
(5)それからしばらくして、図書館で調べることを思いついた
(6)数十冊の農業関係の本を読んだ
(7)貯金が底をついていたので、とにかく1年間は現在の仕事を続けて貯蓄に励む必要があった。
(8)1年後、配偶者に定職が見つかったので、それが農業への転身の後押しとなった。
(9)配偶者が職場に慣れるまで、もう1年間待とうと思った。自分も同時に動いてはいけないような気がした。
農業形態は20種類以上あると思うので、一つの農業形態は無理でも、他の農業形態ならできる可能性があります。この時に「情報」が必要になってくると思います。上記の新聞情報も一つの情報ですが、リンク集にある「日本有機農業研究会」も一つの大きな情報源です。
どういう農業形態なら自分にできるか、どういう農業形態が自分に向いているかをよく見極める必要があると思います。
上記のような補助金が出ても、「設備投資の必要な農業」は危険です。往々にして、補助金が出るような農業は、ハウス設備等に自己資金がかなりかかる、あるいは、その資金を借り入れるという場合も出てきそうです。補助金に返金の義務はなくても、借入金は返す必要があります。設備投資は自己資金内でとどめた方が良いように思います。
1世代前、農業に夢を抱いて、日本各地の干拓地へ入植した人たちの現在はどうでしょうか・・・。
「農業がしたい」のか、「田舎暮らしがしたい」のか、本当はどちらなのか、もっと考えて見ることも必要です。
田舎暮らしがしたいのなら、「農業に依存しない田舎暮らし」も選択肢の一つと思います。
農業を選択するにしても、従来の近代化路線や、従来の有機農業路線を歩むか、逆に、徹底した自給自足路線を歩むか、いろんな選択肢があるような気がします。
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以下、2年前に書いた作文です。
去年は「農業形態の変更について」、ああでもない、こうでもないと自問自答していたのに、農業形態の変更は自分には難しいと結論づけるやいなや、今年はそれに替わってアルバイトを主体にして自給野菜だけを作った方がカネになるのではなかろうかと、時々考えたりする。15年間も農業を続けてきて、まだ経済的展望が開けていないとは情けない。でも考えてみると、この方にもすでに退路はなかった。アルバイトにも定年があるとすると60才まで後8年しか働けないことになる。細々とでも長く農業を続けて稼いだ方がアルバイトを主体にするより経済的に有利であるかも知れない。しかし、こういう考え方は自分がすでに50代に入って先がそんなに長くないから考えることであり、40代だとやはり目先の利益を追い求めて、カネになる方を選択せざるをえないのではなかろうか。
出荷用はとりあえず中断して自給用だけ作るにしても、種代とか手間を考えると、自給用だけ作るのは逆に出費の方がかなり多くなってしまう。
農業はたった1年でも離れると「勘」が鈍る。そして、経験年数が長くなればなるほど、最小の労力で最大の効果をあげることができるようになる。40代前半の元気盛りより、50代前半の今の方が種類もかなり多いのにまわしていけるのは、農作業の段取りのよさと、その場で判断できる反応の早さにあると思う。
とにかく細々とでも、60才あるいは65才を超えてもいくばくかの収入になるだろうと思えることは独立自営業の一つの強みである。しかし、国民年金でもらえる金額は厚生年金をかなり下回るので、国民年金だけではライフラインの支出も賄えない。退職金もないし、農業をしていたのでは貯金などまず無理である。体力が衰えたら、ワンパック宅配という形だけではなく、貸し農園、観光農園、百姓塾のような形で稼ぐ道も摸索したいが、今現実にそれができていないのだから、年が行くとなおさら難しいだろう。
農業はワンパターンや惰性に流されて日々を送れるほど甘い職業ではない。農業者は「農業からのリタイア」という現実といつも隣合わせである。技術的なこと、販路のこと、農業形態の変更等を日々頭に置いて精進しないと、いつ「農業の中断」に見舞われるかも知れない。
現役世代に牧歌的な農業はない。微々たる金額を稼ぎ出すために、今自分にできる最大限のエネルギーを注がなければ1ヶ月、10万にもならない。四六時中、野菜やハーブや営業のことばかりを考えてきた。農休日らしい農休日など、取った記憶がない。多分、他の農業者も同じだろう。でもそういう状況を苦痛に思ったことはない。
上司は永遠に上司であり続け、同僚や後輩に気兼ねし、過剰適応にしばしば迫られながら、組織の一員として40年間も同一の企業に勤め続けるというのは、やはり自分には不可能な生き方の一つだったと思える。確かに経済は人生の98%のウエートを占めると思うが、残りの2%が空虚であると、いつまでたっても満たされない。
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最近は日が暮れるのが遅くなった。ということは、農作業時間が長くなることにつながる。でも夕方5時半頃には切り上げる。これ以上田んぼにいると、夜のブログにさしつかえる。夜遅くまでブログをやっているが、朝は6時半頃には目覚める。その反動が昼間に来る。昼食を食べて、メールやブログを15分ほど見て、そのまま横になると、目が覚めた時には2時を回っている。だから、昼寝で夜の睡眠時間を補っている。
昼間からブログはできない。たまにすることもあるが、たいていは夜間である。夜間が一番落ちつくし、いらいらせずに、時間をゆっくりかけることができる。
夜間の3時間ほどをブログにとられると、それまで夜間にしていた、ちょっとした雑用ができないので、多少は昼間の農作業に差し支える。でも、作付けは減らしてはいない。ここ5年ほど、作付け品目も作付面積も、ほぼ一定である。
10年前の44才の時と現在とでは、作付面積はあまり変わらないが、作付け品目はかなり増えている。10年前からハーブを導入したわけだから、よりこまごまとした農業になり、手数が多く必要になっているが、逆に農作業時間は減っている。つまり、農業においては、「経験」という力は偉大なので、農作業の要領や、勘所がわかってきて、体力が落ちてきているにもかかわらず、より広い面積や、より品目数の多い作物が、より短時間でできるようになる。だから、農業においては、50代に入っても、何ら30代、40代の時と変わらない。
ただし、展開できる農業規模には個人差がかなりある。自分の場合は、農業が頭にひらめいた時、すぐに現在の場所を想像した。そして、隣接する2反は多分「借地」できるだろうと思った。合計4反と言うのが、自分が想像した農業だった。物置や、トリ小屋、果樹などを植えている場所があるので、正味の作付けは3反余りである。面積の拡大は1度もイメージしたことはない。他の農業者は、同じような農業形態でも、1ヘクタール規模の人がいたりする。これは個人差というものだからどうしようもない。
ニワトリもイメージできた羽数は40羽ほどだった。これも、300羽~1500羽ほど飼っている友人が何人もいるので、個人差が大きい。ゆっくりした農業をしているわけではなく、体力的にも、能力的にも、あまりゆとりのない農業をしている。
自分の面積、自分の羽数の壁はなかなか越えれない。
人と比較しても始まらない。早く「自分の得意な農作業だけで手が一杯」「3~4時間があっと言う間に過ぎていく」「田んぼにいる時間が楽しい」そんな農業形態にもっていくことである。副次的にそれがビジネスになれば儲け物であり、あまりビジネスラインに乗らなくても、「それが自分の農業」なら、それをやるしか仕方がない。それで生活が成り立たないなら、農業を続けることはできない。
5月2日に蒔いたツルムラサキ、オクラ等の育苗に失敗して、5月9日に蒔きなおしたのに、その発芽がまたおかしい。明日もう1日様子を見て、5月17日に再再度の蒔きなおしになるかも知れない。こうなると、収穫の始まりが確実に2週間ほど遅れる。でも、自分の主要野菜なので、無しではすませれない。遅れても、とにかく成功させる必要がある。
5月9日は冷床での育苗だったが、5月10日、5月11日、5月12日、5月13日の4日間の、発芽に最も高温が必要な時期に、昼夜とも低温だった。特に夜間はストーブをつけるような寒さだったのが、発芽不良の原因である。
育苗さえうまくいけば、定植後は放っておける場合が多いのに、「ここというポイント」で微妙な慢心があったかも知れない。
蒔きなおしは、ポットの土入れから始まるので、半日はかかる。

画像はナスビである。ナスビがどういうふうな格好で成っているのか、35才の時まで、全く知らなかった。興味もなかった。農家出身でも、田舎在住でも、サラリーマンをしていたらそんなものである。若い人なら、田舎在住でもたいていの人が、ナスビがどういう風な格好で成っているか、知らないと思う。
知る必要もないし、知ったからと言って1円の得にもならないが、こういう人たち(35才までの自分)を相手にして、どうわかりやすく説明できるかがポイントだと思う。でも農業は、本やブログでは学べない。実際に田んぼで身体を動かして、身体で覚えるものであり、頭で覚えることはできない。それでも、ブログで伝えたい。
(1)ナスビは植物というより、定植して2ヶ月ほどで「樹木」のようになる強靭な野菜である。
(2)その樹木にぶら下がったような格好で、次から次に成る。6月中下旬~7月末頃までの1ヵ月半と、9月上旬~11月上旬までの2ヶ月、合わせて3ヵ月半の間、次々になる。
(3)7月中下旬頃から「テントウムシダマシ」という害虫が大発生するので、7月下旬には、樹木を半分に切り戻し、葉は全部落として、この攻撃から逃がれる。そうすると、35日が経過した9月上旬にはまた、ぴっかぴかの秋ナスが収穫できるようになる。
(4)得な作物かというと、そうではない。収穫できる期間、収穫の手間、台風に強い弱い、水の要求量の大小、肥料の要求量、害虫の多少、いろんな問題が絡んでくるので、他の作物とは比較はできない。ナスビを専門作物としている人は「ナスビが儲かるからではなく、ナスビを作るのが得意な人」と考えた方がよい。
そのナスビであるが、1本のナスビの木から、ナスビの生涯でいったいどれくらいのナスビが取れるだろうか。50本取れると思う人、100本取れると思う人、200本取れると思う人、いろいろである。
他の農業者はいったいどれくらい取っているだろうか・・・それをほとんどの農業者は知らないと思う。自分の収量と比較することはできないのである。
自分も他の農業者がいったいどれくらいのナスビを1本の木から収穫できているのか知らない。あまり知りたいとも思わない。
ナスビを作り始めた5年後くらいから、自分の収穫量はあまり変わらないような気がする。これくらいの収量なんだという、自分の中での漠然としたイメージがあって、それで満足している。満足しないのだったら、
(1)肥料を多投すればよいし
(2)水分管理をきちんとやればよいし
(3)害虫には農薬を使えばよいし
(4)茎葉の整枝や剪定の管理を研究すればよい
自分は上記4項目のどれもしていない。つまり
(1)肥料はメタン菌液肥を元肥に施して完了。状況がおかしいと思わない限り「追肥」はしない。
(2)一番花がついた主枝と、一番花のすぐ下の葉の根元からでるわき芽と、そのすぐ下の葉の根元から出るわき芽を伸ばして、合計3本仕立てにする。
(3)7月下旬に切り戻して、35日~40日ほど休ませる。
(4)台風シーズンには「盆栽仕立て」にして、風で倒れにくくする。
(5)茎葉が茂ってきても、画像のような支柱を2本十文字にして支えにするだけの簡易な支柱である。
(6)だから台風の時にはすぐ倒れるが、倒れた方が被害が少ない。
そんな作り方である。
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他の農業者が日頃、頭の中で何を考えているのか知らないが、自分の場合は、しょっちゅう、春夏秋冬の野菜のシミュレーションをしている。ブログの更新にも時間がかかるので、なおの事しばしばシミュレーションをして、どの野菜に時間を取られているか、どの野菜が減らせるか、農作業をしていても、運転をしていても、いつもシミュレーションをしている。何をシミュレーションしているかというと「作付本数」である。
春夏作
1類 タマネギ
ジャガイモ
2類 エンドウ・・・・・・→ キュウリ・・・・・→ハヤトウリ
スナップエンドウ→ ナスビ
グリンピース・・・→ ピーマン
ソラマメ・・・・・・・→ オクラ
3類 レタス・・・・・・・・→ ナンキン・・・・・→サトイモ
キャベツ・・・・・・→ニガウリ・・・・・・・→サツマイモ
→トウガン・・・・・・・→ヤーコン
4類 コマツナ・・・・・→エンサイ・・・・・・・→ダイコン葉
ホウレンソウ・・→ツルムラサキ・・・→カブ葉
チンゲンサイ・・→モロヘイヤ
春ダイコン・・・・→ニラ、青シソ
その他 インゲン、ニンジン
ニンニク、ミョウガ
スイカ、トマト(自給用)
秋冬作
1. ハクサイ
2. キャベツ
3. ダイコン
4. カブ
5. ニンジン
6. サトイモ
7. ネギ
8. シュンギク
9. ホウレンソウ
10.秋ジャガイモ
11.レタス・・・・・・・・→ブロッコリー
12.サツマイモ・・・→ヤーコン
その他 ワケギ、ラッキョ(自給用)
ハーブ
1類 レモンバーム (春夏作)
レモンバーベナ (春夏作)
レモングラス (春夏作)
2類 タイム類(レモンタイム、コモンタイム) (1年中)
ミント類(スペアミント、ブラックミント、アップルミント)(1年中)
セイジ (1年中)
3類 ローズマリー (1年中)
スイートバジル (春夏作)
イタリアンパセリ (1年中)
4類 ロケット (秋冬作)
ディル (秋冬作)
チャービル (秋冬作)
その他 ルバーブ(ジャムにする)
チャイブ (極細ネギ)
ハーブの作付量(畝幅はすべて150センチ)
レモンバーム 14株
レモンバーベナ 30株
レモングラス 24株
タイム類 合計で12メートルほど
ミント類 合計で20メートルほど
セイジ 16メートル(青枯病がなければ4メートル)
ローズマリー 60~70株
スイートバジル 400本
イタリアンパセリ 200本(青枯病がなければ100本)
ロケット 16メートル×5倍(自分は定植)
ディル 8メートル
チャービル 14メートル
春夏作の作付量
タマネギ 約1500個定植
ジャガイモ 種芋は16キロ
エンドウ 15メートル
スナップエンドウ 15メートル
グリンピース 15メートル
ソラマメ 約25本
キュウリ 各12~14本×4回
ナスビ 44本
ピーマン 22本
オクラ 90~100ポット(3~4本立ち)
ハヤトウリ 1~2個
レタス 100~120本
キャベツ 100~120本
ナンキン 22~25本
ニガウリ 5~7本
トウガン 8~10本
サトイモ 150個
サツマイモ 450~500本
ヤーコン 100個
コマツナ 少々
エンサイ 80ポット(1~2本立ち)
ツルムラサキ 70~80ポット(1~2本立ち)
青シソ 24本
秋冬作の作付量
秋冬作は数字は示さなかった。言葉で説明します。
秋冬作はアブラナ科四天王(ハクサイ、キャベツ、ダイコン、カブ)をどうするかにつきる。この4種類は特に虫害が多い。この4種類を無農薬で作るのはきわめて難しいと思う。自分はこの4種類とブロッコリーだけには農薬を使う。しかし、害虫に効かない農薬は何回使っても無意味。ダイコンサルハムシに効く農薬をよく知らない。
ネギは16メートル×2列、株張りシュンギクは16メートル(畝幅150センチ)×1列、ニンジンは16メートル×2列。
ホウレンソウは16メートル×4倍。この内半分は赤ホウレンソウ。ホウレンソウもロケット同様、定植にしている。
自分の場合はすでに個人客は10軒ほどなので、アブラナ科四天王の占める比重は小さい。この内、業務用で注文が入るのはカブだけである。
ホウレンソウとロケットは、液肥を使うことが少ない7月中旬~8月中旬の間に散布して黒マルチを張っておく。これができていれば、定植にかかる時間は知れている。
野菜を作ったことがない人には、「作付本数」など書いても、よくわからないと思われますが、自分にとって「作付本数」は、農業の中で最も大切な暗記事項である。
(1)ワンパック宅配の場合、全農作業の半分近くが、収穫、仕分け、納品書等記入、箱詰め、宅急便営業所往復という一連の出荷作業に取られる。これは、この農業形態の最大の欠点かもしれない。
(2)作付本数の誤りは、生産労働ロス、収穫ロス、出荷ロスにつながるので、各作物ごとに、何十何本まで細かく暗記している。暗記していないと、翌年の作付量に生かせれない。シミュレーションはそのためである。
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シリーズで送る、定年帰農、Iさんの美しすぎる菜園と花壇
Iさんは2年前に定年されてから、テニスをしたり、ボランティアをしたり、週1日ほど頼まれてアルバイトに出かけたり、家庭菜園をしたりと、悠々自適の日々を送られている。今のニワトリを導入する前に飼っていたニワトリを淘汰するのを手伝ってくれたのもIさんである。
Iさんは農業高校を出られて、30代の頃から家庭菜園を始められていたので、定年帰農といっても、すでに完成した「一つの型」のようなものを持たれている。
農業を始めてからの自分は、いわゆる専業農家よりも、家庭菜園の人から多くを学ばせてもらった。専業農家のレベルはかなり高いし、真似をしようにも真似が到底できないような農業をしている場合が多かったので、見せてもらってもあまり参考にならなかった。その点、家庭菜園の人とは「同じ農業形態」みたいな意識がずっとあった。

ごぼうを作られている。自分は、ごぼうの種を蒔いたことがない。ごぼうは掘るのが大変というイメージが今でもあり、作る気がしない。もちろん、我が家の食卓にごぼうが出るのは、よそからもらった時だけである。

タマネギに病気など来たことがないと言われる。ストチューを生育期にはよく使われるらしい。Iさんから以前に教えてもらったことがあるが、あまり使っていない。面積が家庭菜園の人に比べればちょっと広いので、半端でない時間がかかってしまう。でもストチューは作物を活性化させるそうである。酢、木酢液、焼酎を少しずつ(量は適当)ジョロにいれ、それを水で薄めて作物に散布するだけである。

トウモロコシが好物で、ずらし蒔きで3回ほど蒔かれるらしい。これも自分は作っていない作物である。ずっと以前には作っていたが、タヌキやカラスが狙うのでばかばかしくなって止めた。

台所から出る生ゴミは、黄色のコンポストに入れ、ヌカと籾殻(水分調整)を時々混ぜながら堆肥化しているらしい。その隣にある枠には、草や果樹を剪定した雑枝を入れて、これも堆肥化している。

山芋も作られている。自分も過去に4年ほど山芋にトライしたことがあるが、どうも難しく、現在は作っていない。3~4回作ってみて、商品価値になりそうでなければ、自分の場合は作る事を止める。

キャベツに虫避けのネットを被せていた。

ブルーの大きな葱坊主のような花が咲くギガンジュームという花があった。その奥にジャンボニンニク、その右にソラマメ。

Iさんが得意のブルーベリー。自分はこのブルーベリーという果樹を3回ほど植えたことがあるが、3回とも枯らして、今は植えていない。Iさんは毎年30本ほどのブルーベリーを挿し木にして友人たちにあげているらしい。ブルーベリー以外にも、花や果樹をたくさん挿し木にしている。今日、ジンチョウゲの挿し木苗をもらって帰った。

菜園の一角にある花壇。モミジやアジサイ、リキュウバイという花木、ショカッサイという花や、ミョウガやフキにいたるまで、多種の果樹、花木、花、野菜、山野草が整然と配置されている。3週間ほど前には、ショカッサイという花が満開だった。それは美しすぎる花壇と菜園だった。

細長い3アールほどの田んぼであるが、その真ん中にゆったりとした通路をとり、その両側に画像のような畝立てをしている。不耕起栽培ではないが、畝の位置は決まっていて動かさない。だから、畝と畝の間の通路も一定である。草は一本も生えていない。ご夫婦で、早朝2時間、夕方2時間ほどの農作業をされるらしい。画像は手前から、ナスビ、ニンジン、タマネギ。

田んぼの管理を頼まれて、今年から、自宅横の菜園からちょっと離れた所にある田んぼにも色々と作付けをされていた。画像はナンキン。ナンキンの隣には敷き藁用のエンバクが育っていた。敷き藁が必要な作物は、その必要なだけの麦藁(エンバク)を同時に作るという発想がすごい。

アワ

キビ
ソルゴー
アワ、キビ、ソルゴはーは何の目的で作られているのか、聞き忘れた。次回に聞いておきます。

エダマメも3回、ずらし蒔きをされている。一番左の黒いザルのようなものを伏せているのは、鳥避けらしい。エダマメも自分は作っていない。出荷がしずらいから。もちろん自給用にも作っていない。忙しいから。

ピーナッツも作られている。これもIさんの得意作物である。自分は作ったことがない。上記の理由で・・・。

これは、台所から出るコンポスト生ごみや、菜園の草や果樹の剪定の雑枝を入れるような外枠を作らず、地中に穴を掘り、ここに草などを入れて堆肥化している。「地上温床」、「地下温床」みたいに、「地上外枠堆肥化」、「地下穴掘り堆肥化」とでも名付けたらどうだろう。
定年後まだ2年と言っても、全国を転勤しながら30代から家庭菜園をずっと続けておられるので、花も野菜も果樹にもくわしい。シリーズで紹介させてもらおうと思う。次回は3週間後くらいに。
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すでに家族4人全員が働いているが、4人の中では自分の収入が断トツに少ない。今の農業のおかれている状況が象徴されるような事例である。子供が働き出したら、でも大分違うんじゃない・・・と思われるかも知れませんが、自分の支出が減るわけではない。今まで、子供に関する費用は全て妻が支出していて、ボクは、野菜以外の食費とライフラインの支出を追っかけていただけだから。
現代のライフラインシステムは、自然に対して敵対的、もしくは自然を拒絶するシステムである。たとえば人糞尿は50年前は貴重な肥料だったが、50年後の現在はあべこべになり、産業廃棄物である。このコペルニクス的価値観の転回が、個々人の費用負担となり重くのしかかる。そしてこのライフラインシステムは50年前まではほぼ永久的であったのに、現在のライフラインシステムは「耐用年数」という新たな無駄ガネを背負う。そして、このシステムに依存する限り、何十年かおきに必ず負担を迫られる支出である。それは、システムの使用料に転嫁され、知らず知らずの間にベースアップしていくのである。とにかく、現代のライフラインシステムの元で生活していくには、一にも二にもカネが必要である。人はいつまでも若くはない。いつか、働きたくても高齢で使ってもらえない時代が誰でもやってくる。その時でも、生きるための最低限の生活費(食費とライフラインの支出)が決して減る事はない。
電話代(自分は携帯は持っていない)、電気代、新聞代、NHK受信料、プロパンガス代、灯油代(冬季のストーブ)、上水道代、下水道代(数年後)、国民健康保険料、国民年金保険料、生命保険料(月に2千円の掛け捨て)、火災保険料(年間4万円ほど)、固定資産税(年間5万円ほど)、車両関連費(農業用軽四のみ。経費で落ちる)、冠婚葬祭費・・・
たった50年前までは、支払っていたライフラインは電気代だけだった。文明とは進歩とは、このように、固定的な支出が雪だるま式に増え続けていく社会のこと。50年前まで、農業で自給自足できていたのは、これらライフラインの支出がほとんどなかったことによる。
大都会、神戸の大震災でも、山国、新潟の大震災でも、同じくライフラインの復旧が取り上げられた。これはつまり、大都会でも山国でも社会システムが全く同じであり、単に住んでいる場所が違うというだけである。
雪の積もる北国の山村では、その環境に即した社会システム(ライフライン)であった方が復旧が早いと思えるが、時代がすでにそれを許していない。全国津々浦々まで同一という時代である。50年前には、上水道はなく川の谷水か山の湧き水を利用し、もちろん下水道はない。人糞はタゴで担いで田んぼの野菜の大切な肥料になっていた。プロパンガスなどなく、台所に、「クド」や「風呂の焚き口」があった時代である。。つまり、システムの導入にほとんどカネのかからない、自然に即したライフラインが稼動していた50年前までなら、もう少し早く元の生活に戻れたかも知れない。
彼らのおじいさん、おばあさんの時代には、雪国の雪国に適した生活システムの中で、ゆったりした時間が保たれていたはずである。そして仮に、80年前に今回と同じような大地震に遭遇しても、「寝る場所」さえ確保できれば、何とか、翌日から以前と同じような生活ができたと思える。そして、「炭焼き小屋」のような、移動式の簡単な作りが、どこぞかしこぞにあったと思うから、夜露はしのげただろう。現代という時代は、「家のシステム」もバカ高い。掘っ立て小屋に住めるなら、自然災害の負担は軽い。
山国で生きてきた人は、山国を脱出したりしない。風景や草木までもが、自分のアイデンティティそのものだと思うから、いつかまた帰ってくると誓う。そして、年老いた人たちは、自分たちがまだ幼かった頃の生活様式を思い起こしながら、できうるならば、あの時代に帰りたい・・・と涙したのかも知れない。「日本中どこにいても同じライフラインや家というシステム」の中に組み込まれ、それから脱出して生きていく「術」を現代人はなくしてしまった。
現代のライフラインシステムを、「快適」とか「衛生的」と思っている人も多いのかも知れない。しかし、このシステムは本当に近代的であり、文明の象徴であり、50年前のシステムよりすぐれているだろうか。誰もが、もう一度疑ってみる必要があると思う。今回の山国での大震災で、このことを改めて考えさせられた人も多いのではなかろうか。
近い将来の人間は、現代のライフラインシステムを「反自然的」とか「エネルギーの浪費」と考えて取り壊し、新たなライフラインシステムを構築していくかも知れない。自分は、現在のライフラインシステムは「ファシズム」だと思う。なぜなら、このシステムには他に選択肢がないのだから。例えば、下水道を例にとると、ひとつの集落内に、単独合併浄化槽利用の人がいてもよいし、自分で田畑に施す人がいてもよいし、汲み取りを衛生業者に依頼するいる人がいてもよいし、メタンガス発生装置を作り、ガスと肥料(メタン菌液肥)を自給するというシステムを利用する人がいてもよい。しかし下水道が集落にくると、下水道以外のすべてのシステムが否定され、下水道に統一の道を歩まされる。
現役世代の人がサラリーマン社会をドロップアウトして田舎へ移住して生活したいなら、
(1)集落の崩壊が始まっている過疎の山村を選択して
(2)イノシシやシカなどの害獣の出没で、野菜がきわめて作りづらくても、なんとか、過疎の山村を選択して
(3)サラリーマンを止めることは、現代社会とは違ったシステムの中に自分を置いたことになる。ライフラインからの脱却を試み、「農業に依存しない田舎暮らし(野菜は売らずに、自給度を高めるためだけの農業)」を模索できる場所は、過疎の山村にしかないように思う。
(新潟で大地震があった時に書いた作文ですが、今回、少し書き足しました)
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地下温床の熱が出過ぎて、発芽に失敗した。種を蒔いた3日後の5月5日におかしいと気付いたが、蒔きなおしたのは今日(5月9日)だった。オクラ5ケース、ツルムラサキ2ケース半、エンサイ2ケース半、トウガン15ポット。
もう温床でなく冷床でも十分発芽する気温になっているので、昨日定植したスイートバジルの後にこれらのケースを並べた。

地下温床はオクラが少し発芽しただけだった。電熱温床でも毎年失敗を繰り返していたが、また失敗した。3月末の温床なら少々発熱しても夜間の外気温が低いから、熱の出過ぎは少ないが、4月末の温床だと、熱が出過ぎると「種が煮えて」しまう。水分が少ない場合は「種が乾燥して」発芽しなくなる。

サツマイモの冷床も、ムラサキ芋はよいが、ベニアズマ、オレンジ芋、高系14号の発芽がまだ少ししか始まっていない。ちょっと心配。

画像は左からニンニク、ラッキョ、ワケギである。収穫期の関係で、この3種類は、タマネギの隣の畝に植えることにしている。ニンニクは5月末、ラッキョは6月中旬、ワケギは3月下旬~4月上旬が収穫期であり、収穫期にはそれぞれ少量を種として保存する。根茎をミカンネットなどに入れて、涼しい日陰に吊り下げておく。

スイートバジルの半分はトリ小屋の下の田んぼに植えた。

危険分散のため、残りの半分は、その下の田んぼの、ナスビやピーマンを植えている畝の隣に植えた。
手前の稲ワラを置いているのは、青シソである。こぼれ種から芽生えているのを、きちんとここに定植しなおした。バジルのようなポット苗である場合は「日避け」はいらないが、根に土がついていない場合は、活着するまで稲ワラ等を置いて「日避け」をする。

バジルの隣に、ツルナシインゲンが発芽している。雨にたたかれるのを防ぐために、稲ワラや籾殻を畝の上に置くが、稲ワラを押し上げて発芽してくる。その後この稲ワラは敷き藁として、雨による泥はね防止や草押さえの役割をする。

トリ小屋の下の田んぼのバジルは昨日定植したばかりなのに、早くも今日、ネキリムシのような害虫に40本近くやられた。鉢(ポット)の予備苗も30本ほどあったが、それだけでは足らず、画像のような鉢上げする前の小苗を定植した。ナスビの田んぼのバジルは被害がほとんどなかった。危険分散をしておいた成果である。

バジルは大事な作物なので、2弾、3弾の危険分散をしている。画像は、前年レモングラスを植えていた場所であるが、レモングラスは全て冬越しに失敗したので、その株間に、鉢上げとは別に、ここにも直に定植をしておいた。

(1)かなり臭うので、住居の近くで使うと迷惑がかかる。
(2)耕作地は3反くらいまで。それ以上になると担ぐのがえらい。
(3)他人の最も良い方法が、自分にも良い方法であることは少ない。

ナンキンがすくすく育っている。定植後、5月中旬頃まで、このような保温資材で覆うと「中休み」せずに大きくなる。

画像はエンジンポンプである。草山になっているが、ポンプのそばに井戸がある。井戸水をポンプアップして、画像のようなステンレスの容器に水をためておく。ジョロで、苗物の水やりに使っている。水がいつでもすぐ近くにあって使えるということは、とても便利である。井戸ができたのは、9年目の秋であるから、できてまだ10年にもならない。肥料が「液肥」になったのは、井戸ができてからであるから、まだ5年ほどである。
野菜にこんなに水が必要とは思わなかった。しかし、切実に井戸が必要と感じたのは、水のことで一悶着あってからである。水の問題では、周囲と軋轢がおきやすいので、よく心に留めておいて下さい。

今年は少雨のおかげで、まだタマネギにあまり病気がきていない。例年、今頃の時期には、タマネギを見ると気分が落ち込んでいたが、今年は見るのが楽しい。収量も多分2倍ほどになると思う。
病気が毎年必ず発生していたので、早生品種500本、中晩生品種を1000本、合わせて1500本ほどしか定植していない。病気がきても「仕方がない」ですませれるのは「1500本」ほどが限度である。
雨が少ないので、カモミールもガーデンレタスも元気である。

ハーブのチャイブ(シブレット)である。極細ネギであるが、ネギ類は先枯れが出るし、あまりよいチャイブができないし、仕分けに手間取るので、ほとんど出荷はしていない。ハーブのコレクションの一つくらいの感覚である。

画像はジャガイモである。肥料不足なのか、ちょっと葉色が薄い。でも今頃から液肥を追肥したりはしない。ジャガイモは収穫までの期間が短いので「元肥」だけである。
ジャガイモも、収穫が間近になってから、一気に病気が蔓延することが多い。病気がきても、まあ自分なりに満足できる収量はある。病気が来なかったら、いったいどれくらいの収量になるのだろう。

春蒔きのレタスの定植である。先ほどの青シソと同じように、ポット苗でなく、根に土がついていない苗を定植する場合は、定植後に、画像のような稲ワラを被せておく。乱暴なようだが、このような「日避け」をしないと、5月の太陽光線でも枯れる。黒マルチをして定植する場合は必須である。5日間ほどこのままにして、後は様子を見て稲ワラを取り除く。
定植本数が多い場合は、稲ワラでなく、黒い寒冷紗で日避けをする。

画像はハヤトウリであるが、定植した6個が全て育っている。ハヤトウリは冬越しの時に腐らせてしまうことが多かったが、去年は、1個1個新聞紙で包み、ポリ袋に入れて台所の冷蔵庫の上に保管しておいたら、1個も腐らず、3月下旬に確認した時にはすでに、芽がかなり伸びていた。

ニワトリには朝1回しかエサを与えない。夕方は草だけ与えるが、コゴメもくれると思って、足元にまぶれついてくる。
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ニワトリは同じ部屋に入りたがる傾向がある。
このニワトリは、すでに2羽が入っている、一番右の部屋に入ろうとしている。
押し合いへし合いしながら、3羽入っていることもあるが、今回は3羽目が入ってきたことで、1羽が遠慮して出ようとしている。
左の部屋にまた3羽目が入ろうとしている。だから、同じ部屋に集中してタマゴがある。中よりの2つの部屋には、タマゴがないことが多い。一番左と一番右の部屋が好まれているようである。
株式会社の農業経営
「ビジネスチャンスがあると認識した時点で、株式会社が怒涛のように、農業に参入してくる」と思っていたが、次のような理由から、農業への参入は難しいのではなかろうか。
(理由1)
野菜の水耕栽培なら、小さな面積でできるので、設備投資も可能だが、水耕栽培は、葉物などの軟弱野菜に限られる。ほとんどの野菜作りは広大な面積を必要とする。
(理由2)
時間回転率と設備回転率が極端に悪い。たとえば、キュウリは、種を蒔いてから収穫までに、約60日(2ヶ月)もかかる。工業製品で、出来上がるまでに60日もかかるものがあるだろうか。その間、設備はそのままの状態(寝た状態)で、他に転用できないから、設備の回転効率が極端に悪い。つまり、時間回転率と設備回転率があまりに悪すぎる。これでは利潤を生み出さない。
上記2点から、企業が農業分野に新規参入しても、経営が成り立たないと思う。
この点が、ニワトリと異なる。ニワトリは見事に大規模経営の餌食となった。これぞ資本主義のお手本のようなシステムと思われていた。鳥インフルエンザが発生するまでは・・・。鳥インフルエンザは、資本主義システム(大規模システム)の「誤り」の警鐘である。
では、個人営農に未来はあるだろうか。
(1) 以前、米が不作だった年に、全国各地で「米泥棒」が頻発したことがある。農業は田んぼにカネをばらまいているようなものであり、ほとんど「盗難対策」のできない産業である。ここの所が、第2次、第3次産業と比べた時に全く劣る。
農家は、不作で米価が多少値上がりしたからといって、喜ぶどころではなく、マスコミで報道されると「模倣犯」も多発するので、どうやって盗難から守ろうか、納屋や物置に鍵を付けたり、開き戸を鍵の閉まるシャッターにしたりと、新たに余分の経費をかけて盗難対策をせざるをえない。
野菜でも同様である。特定の野菜が高騰した場合、県道沿いの道べりの野菜は、絶えず盗難の危険にさらされる。
結局のところ、農家にとって良い時代は、「米や野菜が有り余っている現在」であり、野菜の流通が少なくなって値段が高騰したら、盗難に会う危険性が飛躍的に高まる。
(2)地球の温暖化、異常気象の多発、台風の大型化
(3)田畑を荒らすイノシシやシカの加速度的増加。
将来、大飢饉に遭遇した時(そして輸入も困難になった時)、農作物など、育つより先に奪われてしまうが、時を同じくして、株式会社も滅んでいく。
それでも結局の所、農業は、独立自営農民が、小さな利益(薄利)を得るためにする行為だと思う。そして農民は、半分は小さな利益を追うが、残りの半分は、農業が、カネには換算できない、自分自身を癒してくれる職業であることも知っている。
しかし、農業への転身は、趣味、健康、癒しのためにする「定年帰農」しか、選択の余地がないように思う。現役帰農は、あまりに厳しい。
5月連休明けの今日からまた出荷が始まった。久しぶりの出荷なので、ちょっと緊張した。出荷の日は5時半頃に起きるが、まだスイートバジルの出荷が始まらないので、今日は6時半に起きた。出荷の日は、朝食は食べずに田んぼに行く。野菜はできるだけ早朝に収穫しないと、その後の日持ちが違う。
今日は、地元の顧客にお願いをすることがあった。ちょっと言い出しづらかったが、仕方がない。「今後は配達ではなく宅配便で送らせて欲しい・・・」と。
地元の顧客はすでに2軒しかなかったが、その内の1軒から、宅配を中止したいというメールを頂いていた。どちらの方も同じ団地であり、15年間に渡って、月に2回、ほとんど休まず購入してもらっていた。でも1軒の方は2人の子供さんが親元を離れ、夫婦2人暮らしとなり、ご主人が趣味で野菜作りを始められていたにもかかわらず購入してくれていたので、止められるのは致し方なかった。今まで15年間も購入し続けてくれた2軒だから、たとえ1軒になっても、持っていかせてもらえばよいのだが、自分の気持ちがそういう方向に向いてくれなかった。
止めたいというメールを頂いてから、ああ、15年も購入してくれていたんだと、改めて思い直した。
この団地を軽四で「引き売り」していた光景が、まだ思いだせるくらいの時間の経過なのに、あれからすでに15年が経過している。あの時はまだ30代だったのだ。
引き売りでは通常、買ってくれても1~3品のお客が多いのに、1軒の顧客は、選びもせずに6品以上買ってくれた。そして、1度の出会いですぐに「野菜会員」に入ることを承諾してくれた。今回止められた顧客は、その方が紹介してくれたご近所の人であり、すでに他の自然食品店の野菜を定期購入されていたのを止めて自分の野菜会員に入ってくれた方だった。
この団地は1000軒近い大団地だった。引き売りしていても、前回の引き売りで買ってくれた顧客の家がすぐには覚えれなかった。結局この団地を3ヶ月ほど引き売りして、十数軒の野菜会員を新たに獲得することができた。その十数軒を第1,3週のグループと第2,4週のグループに分けて、毎週1度はこの団地に配達に来るようになったが、1年後くらいには半分になり、その後は2週間に1度だけ来るようになった。そしてもうかなり前から、この2軒だけになっていた。大きな団地であるし、新しくこの団地に入られたり、個々の家庭の状況も刻々と変わるだろうから、2年に1度くらいはまた、引き売りを繰り返してもよかったような気もする。しかし、そういう気持ちが起きなかった。
自分の場合、引き売りは相当のエネルギーがいった。1軒、1軒、玄関先のチャイムに向かって「野菜はいられませんか」と声をかけてまわったが、玄関に出てくれる人は少なかった。体力的、精神的に2時間ほどが引き売りの限度だった。よく売れても7千円ほどだった。たいていは5千円ほどしか売れなかったように記憶している。朝収穫して、仕分けをして、昼食をとり、昼から売りに歩いたが、終わって家に帰れば3~4時頃になる。その後また田んぼに出る元気はなかった。だから、1日仕事であり、それで5~7千円では、採算に合わない。3軒の顧客に配達すれば7千円ほどになるから、この方が時間的にはるかに短時間であるし、収穫、出荷ロスも出ない。引き売りの時は、売れ残りもかなりあったから、収穫、出荷ロスも大きかった。
引き売りはスタート時点の丸2年ほどしかしなかった。その2年間に、30軒余りの野菜会員を獲得することができた。家の近くの団地からまわり、だんだんと距離を延ばし、ここの団地は我が家から最も遠い団地だった。最も遠いといっても20~25分ほどだから知れている。家の近くにこのような大団地が点在していたということは、スタート時に野菜会員を獲得するには、かなり有利だった。
スタート時に野菜会員を獲得するには、引き売りしながら顧客を見つけるくらいしか方法はないものである。「引き売り」は3日すれば慣れる。野菜を作っても売れなければどうしようもないから、どうしても野菜会員を獲得する必要があった。
とにかく自分は、農協や市場が相手にしてくれるような、寸法や重量や外観という規格の定まった野菜を一定の箱数出すということに自信がなかったし、自分の農業のイメージに合わなかった。特定の個人にしか売りたくないということが、自分の中での大前提だった。
町内の団地にも顧客があったし、隣町の団地にも顧客があったし、お隣の備前市にもかなりの顧客があった。でもいつの間にか終わっていた。しかし、それぞれの団地や地域に顧客ができたのは、その時期、その時期に、自分をバックアップしてくれた「特定の顧客」とめぐりあえて、その方たちが紹介してくれたおかげである。そして2~3年の周期で、特定のそういう顧客とめぐり合うことができた。今は会員でなく、行き来することはなくなっていても、とてもありがたい存在だった。
十数年の歳月の間に、気がついてみたら、地元の顧客は2軒だけになっていた。ここ4年ほどは、この2軒だけが配達で、後は全て宅配になっていた。
何か、永遠に続くように思っていた。多分、こういうきっかけでもなければ、今までの15年間をふりかえることもなかっただろう。
不思議と残念な気持ちがおきない。ただ、感謝の気持ちだけである。でも、この宅配中止の申し出のメールで、自分の中の長い静寂が突然崩れだし、「配達はやめて宅配だけにしよう」という気持ちが始めて目覚めた。このことで、ご近所同士のお二人のどちらにも、迷惑をかけてしまったような気がする・・・。
今後Kさんには、1回につき送料800円というご負担と、当日3時~4時の配達ではなく、翌日午前中の宅配ということになった。15年もワンパックを購入し続けてくれた顧客だし、家から20分ちょっとの距離だから、これまで通り配達させてもらえばよいのだが、自分の中の気持ちがいかんともしがたかった。
自分もこの先いつまで、ワンパックを続けているだろう。いつか終わりがくる。それは自分で打ち出さないといけないかもしれないし、他力かもしれないし、周囲の状況によるかもしれない。
やめられた方にも、引き続いて購入してくださる方にも、どちらの方にも、15年間の感謝の気持ちを作文にしようと思った。
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450本ほどのスイートバジルを苗箱から「鉢上げ」して、1日1回の水やりと、その日の天候によって、ポリの裾を少し開けたり、また閉めたりしながら育苗していると、45年ほど前の「葉タバコの育苗」を思い出す。これの6~8倍くらいの数の育苗だったと思う。
葉タバコという換金作物を、両親と祖父母は「よう作ったなあ」と思う。えらかっただろう。自分もやるようになって初めて、農業のえらさがわかる。
もう少し、ゆっくりした農業はできなかったのだろうか。あれでは、農業の楽しみなどなく、重労働なだけだ。そんな葉タバコ作りだった。
なぜもっと楽しい農業ができなかったのだろう。それは、その頃からすでに、家庭経済が資本主義経済に巻き込まれてしまい、とにかく、農作物をカネにしなければ、生活ができなかったのだ。
農業はカネにならず、まもなく葉タバコを止め、両親とも日雇いの仕事に出るようになった。
人間であることの究極の癒しは、大地を耕すことではなかろうか。現代人の悲劇は、あまりにも土から離された生活をせざるをえない・・・ということにある。
人類は、19世紀末頃までは、「万人直耕」の時代だった。20世紀に入ってから急激に、「分業化」「専門化」が始まり、それと並行するように、人々は、土から離れた職業を仕事として選択するようになった。そして、稼いだカネで、必要な衣食住を買うという社会システムができあがった。イギリスで始まった産業革命が自給自足主義⇒資本主義という社会システムへの移行を促した。そのシステム(分業化、専門化)に取りこまれた人間は、やがて、食料の自給ができなくなっていく。もちろん、自分で作って自給するより、他の仕事で手っ取り早く稼いで、それを食料の購入にあてた方がはるかに経済的なメリットにもなった。現在は、田舎でも自給できるものは100%ないということを、都会の人も覚えておいて下さい。
現在という時代は、生きていくための最低限の費用があまりに高すぎる。
(1) ①電話代 ②電気代 ③新聞代 ④NHK受信料
(2) ①ガス代 ②灯油代 ③上水道代 ④下水道代(数年後)
(3) ①国民健康保険料 ②国民年金保険料 ③生命保険料 ④火災保険料
(4) ①固定資産税 ②車両関係費 ③冠婚葬祭費 ④最低限の家庭電化製品
上記4類型4項目は、「自給したり」「支払いを拒否したり」「物々交換したり」することはできず、金銭での支払いをせまられる。今から、たった50年ほど前、これらを支払う必要があっただろうか。必要があったのは、電気代と冠婚葬祭費だけである。これら4類型4項目の支払いのためだけでも、年間に約100万も稼がなければならない。
自分の中で、いらないと思えるものを、ひとつ、またひとつと捨て去っていくことは、「ダイエット」する感覚と同じである。そして、ぎりぎりのところまでダイエットして、最後に残ったのが、上記4類型4項目だった。これ以上ダイエットできないところまできたら、ここからは戦いである。
(1)働き過ぎになることを控え
(2)あまりに努力し続けて、身体がこわれるのを防ぎ
(3)辛苦刻苦してまで、自分を何者かに仕立て上げる(つまり手に職を持つ)ことから自分を解放してあげる
そして、できれば、組織に属さなくても生きていける道を模索する。芸術家や特別の才能や資格を持った一部の人たちだけが、組織に属さなくても食っていけると考える必要はない。普通に農業をしているのに、
(1)食っていけない・・・
(2)生活していけない・・・
(3)生きていけない・・・
というのは、「社会のシステム」が誤っている。
4類型4項目の内、電気代と冠婚葬祭費しかカネを払う必要がなかった、たった50年前に生きた人たちの方が、
(1)肉体的にも楽で
(2)精神的にも豊かで
(3)時間的にもゆとりがあった
と思える。
戦争があり、はやり病があった、近世以前の封建主義的な時代であっても、自給自足が成り立っていたことは、視点を代えて考察すれば、「現代人より、とても豊か」だったと言える。
リストラや倒産により、これ以上ダイエットできない4類型4項目が、払えない状態になった時、どうすればよいか。今の社会システムでは、他に選択の余地は一切なく、家族離散、ホームレス、窃盗、自殺 のような状態に追い込まれる。50年前のように、「カネがなくても生活がまわっていく自給自足システム」が、根底から破壊されている。カネがすべての世の中になっている。これが資本主義だと思う。こそ泥、ひったくり、窃盗、恐喝、悪質な訪問販売などが、絶えず横行する。消費税はますますアップするであろうが、「買った方が自給するよりはるかに安くつく」ので、買わざるをえないシステムの中に我々は生存している。
今、自給自足を取り戻せるような社会システムを新たに構築していかなければ、人間は一生、資本(カネ)の奴隷となってしまう。自給自足主義は、資本主義とは共存できないシステムである。
一見、自由な民主主義と思える資本主義でも、子供が進路を決める場合、ほとんど選択肢がない。途中リタイアは許されず、学校を卒業した年に受験して、偶然あるいはたまたま受かった職場に、いやがおうなく、定年まで勤めるという構図である。よそ見をせず、努力、忍耐、与えられた職場(仕事)を天職もしくは運命と考え、その枠内で「道を追求する」ことしか、生きていく手段がない。あまり疑問を持たなかった人間が、ピラミッドの上へ上へとあがっていく。そんな社会で生きていかざるをえない2人の娘には厳しい時代である。かといって、家庭にとどまって奥様業をしていられる時代ではない。
資本主義の次の段階として、古くて新しい自給自足型システムの社会が構築されていかなければ、次の世代の子供たちに、未来は見えない。そんなに稼がなくても生きていける社会の構築である。
5月連休明けから出荷をスタートするが、5月はまだ野菜がそろわない。
1類→タマネギ、ジャガイモ(6月から出荷)
2類→エンドウ
スナックエンドウ
グリンピース(5月中旬から出荷)
ソラマメ(どうも自分はソラマメがうまく作れない)
3類→春レタス
春キャベツ
4類→コマツナ、ホウレンソウ、春大根、チンゲンサイ
ハーブティ用ハーブ→タイム類、ミント類、セイジ、レモンバーム
上記のようなものしか、5月は出荷ができない。だから、タマネギは葉付きで、×2倍出荷。
エンドウとスナックエンドウは収穫できた分をその日の出荷軒数で割り振る。
春レタスは2個入り、春キャベツは1個入り。
ホウレンソウ、春大根、チンゲンサイの3種類は、もう随分前から作るのを止めている。収穫適期幅が短すぎるから。もう一つの理由は、レタス、キャベツ、コマツナの3種類があれば、それ以上葉物は入れない方がよいと思って。
ハーブティ用ハーブはサービス品として入れている。
イタリア料理店は、スイートバジルができはじめる5月末頃でないと出荷が始まらない。それまでは、月曜日と金曜日の週2回の出荷にしている。6月以降は月、水、金の週3回出荷。
毎年、5月のスタートはこんなワンパックである。野菜だけだと6種類しかなくて、ハーブを入れてやっと9種類ほどになる。葉付きのタマネギ(箱詰めがちょっと難儀だが、この時期のタマネギの葉はとてもおいしい)と、レタス2個で、箱のスペースは埋まる。
毎年、5月だけ出荷しているニラ、チャイブ(極細ネギ)、ルバーブの3種類が、今年は出来が良くない。
個人客へ送るワンパックの場合は、6月中旬頃まで、野菜の種類がそろわない。
野菜の種類がやっと揃ってくるのは6月中旬以降である。その頃にはジャガイモの一括収穫が終わっているので、×2倍の出荷。この頃には、ピーマンとナスビが成り始めているし、キュウリも出荷できる。ニンジンとインゲンも出荷が始まる。
野菜の個人客に長く続けてもらうのは難しいのではなかろうか。10年という歳月が経過すると、8才だった子供も18才となり、進学や就職で家を離れる可能性もある。ワンパック宅配の場合、家族構成の変化は、継続購入のハードルとなりやすい。
業務用の出荷は家族構成は関係ない。しかし閉店が多いので、その時にワンパックの購入は止まる。
業務用の場合、ていねいなワンパックを送り続けていれば、従業員さんが独立したり、他店に移られた時にまた紹介してくれる可能性が高い。
個人客の場合、顧客と電話で会話する機会はまず生じないが、業務用の場合、注文という形で、電話で話をする機会が多い。これが意外と励みになる。電話の声だけで料理店の名前がわかるし、すでに今頃の時期から、「バジルができだしたら連絡をして」という電話を5軒以上からもらっている。
ワンパックの販路の安定性ということを考えると、一般的には個人客の方と思いがちだが、業務用の顧客の方がはるかに安定していると思う。業務用の場合、閉店も多いが、閉店分くらいは他からの紹介でまた補充できる。ここが個人客へのワンパックと決定的に違う所だと思う。個人客のワンパックの場合、なかなか欠員の補充はできない。
自分の17年の経験からして、個人客だけのワンパックでは、早晩「行き詰まり」が来ると思う。ハーブでも野菜でも、何とか業務用の販路を探す努力をした方がよいと思う。営業に関して、早い遅いは全く関係ない。安くて鮮度がよければ、いつでも代わってくれる。それこそ資本主義精神である。
安全性や農法にこだわっても、それを経済に結びつけることは難しい。
今日のニワトリ
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4月9日にサツマイモを「冷床」に伏せて、5月1日に芽が出たので、発芽までに22日間かかっている。例年ほとんど変わらない。誤差は1~2日である。
苗が切り取れるのは、5月25日頃だろうから、芽が出てからの成長スピードは速い。
まだ、水を与える必要はない。かなり大きくなってから水を与えればよい。
芽が出たら、日中高温になる時には換気が必要だが、発芽が出揃うまでは、密閉状態でよいと思う。
ムラサキ芋(14個)、高系14号(14個)、オレンジ芋(8個)、ベニアズマ(10個)の合計で、種芋は46個であるが、これだけで、800本ほどの苗が5月25日~6月25日頃の間に切り取れる。7個で1キロほどだから、種芋合計は7キロほど。
問題は、種芋として残す芋が腐らずに冬越しできるかどうかだと思う。自分の場合は、近所の家の「芋穴(蔵)」に、種芋だけ置かせてもらっている。
県北のちょっと寒い所では、10日ほど早めて3月末に、昨日書いたような簡易な地下温床を作れば、5月中旬頃に、第1回目の苗が切り取れるはずである。

今朝のニワトリ。エサに夢中の時は、入り口を開けていても、外に出ない。

昨晩、温床にヌートリアがまた進入したようだ。ネズミ捕り用のひっつきもちに、くっきり足跡がついているのに、平気で歩いている。温床の中の湿度と水滴で、ひっつきもちの効果が薄れていた。作戦で勝ったのに、勝負で負けた感じ。どうしようかと考えていたら、タイミングよく懇意な団塊の世代の大工さんが来られた。

さっそく、上の画像のようなチャンを仕掛けてもらった。単純な仕掛けなのだが、どうやってセットするのか、自分にはわからなかった(考えようともしなかった)が、この大工さんは、ちょっといらって(さわって)いるうちにすぐに、わかったと言ってセットしてくれた。
道のそばの細い水路から、田んぼの方へ水を引き入れるこの土管を通って、温床に入ってくるという「獣道」はつかんでいたので、後はうまく仕掛けに引っかかってくれるかどうかである。仕掛けの上に草を置いて、仕掛けに気付かれないようにした。今度こそ作戦でも勝負でも勝ちたい。明日か明後日に、勝利の雁首をアップできるかどうか・・・お楽しみに。

バジルの定植は日曜日か来週火曜日を予定。

藤の花にやってくる大きなミツバチ。今日は午前中、その藤の下で、ポットの土入れ作業だったが、騒々しいくらい、ぶんぶんいっていた。この時期は藤の花ぐらいしか、山に花が見当たらないから、藤に集まってくるのだろう。でも、藤の花に集まってくるのは、毎年、この種のミツバチだけである。ミツバチにも花の好き好きがあるのだろうか。エンドウでみかけるのは他の種類のミツバチである。
あまり人間を恐れないので、かなり接近して、30枚以上写したのに、ほとんどの画像がぶれていた。
オクラ、ツルムラサキ、ニガウリ、トウガンの種蒔き

今日、上記の種を蒔いた。白いどんぶりに入っているのがツルムラサキ、緑の容器に入っているのがオクラ、赤い容器に入っているのがニガウリ。これらは一晩水につけて吸水させる必要がある。トウガンは吸水させる必要はなし。
温床のスペースが広くないので、エンサイは後日、冷床で蒔くことにした(エンサイも一晩吸水が必要)。

山の腐葉土をポットの8~9分目まで入れる。ニガウリとトウガンは一回り大きいポットにした。
オクラ→4ケース半
ツルムラサキ→3ケース半
ニガウリとトウガン→2種類で1ケース
合計で、稲の苗箱9ケース

腐葉土をポットの8~9分目まで入れて終わったら、腐葉土をかたづけて、今度は、市販の土とクン炭(焼きすくも)を半々くらいの割合で混ぜる(自分は市販の土4、クン炭6くらいの割合で混合している)。市販の土でなく、田んぼ土を利用している人もいるし、山の腐葉土が集めやすければ、腐葉土をフルイにかけて、それを使ってもよい。
ポットの上部1センチほどは、細かい土の方が、種が蒔きやすい。その下は粗い腐葉土でかまわない。

ポットにすれすれまで、上記の細かい土を入れたら、手でちょっと鎮圧する。

鎮圧したところに蒔いて、またポットすれすれまで土を入れて種をかくす(覆土は種がかくれる程度でよい)。自分の場合は、保温目的とジョロの水でたたかれないように、その上からまたクン炭だけを少しふっている。

たっぷり水をした後、温床に並べる。ポリで覆って完了。
種が大きいので、スイートバジルのように苗箱に「ばら蒔き」して、またポットに鉢上げという手順はいらず、ポットで大きくしてそのまま定植をする。種蒔き後、16~17日で定植時期がくる。
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