あめんぼ通信

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

Tさんの田んぼを訪問

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 昨日は「自然農、学びの会」が終わった後、そこから10分ほどの、「円城ふるさと村」近くに入植されているTさんを5人で訪ねた。

 
 Tさんがこの地に入植されてすでに8年になるらしい。この地に来られる前の4年間は、昨日の学びの会を主催されたOさんと共に、東備地域におられたので、2回ほど田んぼ見学に行かせてもらったことがある。すでに、現在の「萌芽」が当時の田んぼで見えていたように思う。
 
 農業経験年数がまだ短い時から、農業者としてのセンスが見て取れた。生産→販売がすでに形になっていたように思う。これだけは、農家出身、非農家出身はあまり関係がないように思う。
 
 TさんもOさんも、自然農法家だが、スタンスはかなり異なる。一口に自然農法といっても、個人個人
千差万別である。


 
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 育苗ハウス。Tさんの畑は、赤土の畑もあるし、普通の田んぼ土のような畑もある。



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 雑木林の中には、たくさんのシイタケの原木が置いてあった。この地ではいろんな「山菜」にも恵まれているようである。
 竹の子、ワラビ、フキ、山ウド(シシウド)、コシアブラ



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 Tさんの住居。もちろん借地借家であるが、隣接する家がなく、屋敷周りに1ヘクタールほどの田畑が広がっている。朝起きると、家の玄関先から、眼下に野菜の顔が一望できるというのは農業者の喜びだと思う。あまり出歩いていないと言われたが、田畑で農作業をすることの方が、出歩くより、本人にとって充実した楽しい時間なのだろう。



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 ネギがかなり大きな間隔で植えてあった。あまり肥料を入れない場合は、光合成を高める意味で、株間や畝幅を大きく開けると聞いたことがある。

 一般に自然農法の場合は、肥料を入れないとか肥料を持ち込まないと言われる。持ち込んでも「ヌカ」ぐらいのようである。以下はTさんのことを書いたのではない。Tさんはすでに、規模的にも、技術的にも、経済的にも、自分よりかなり先を行っている。これは田んぼを見ればすぐにわかる。


自然農法について

 肥料が少ないと、栄養不良になり、病気や害虫に対して抵抗力も弱まりはしないだろうか。しわくなったり、早く「トウ」が立つことも考えられる。
 稲ワラや麦わら、雑草、土手草などを、畝に敷きつめていく、山の落ち葉→腐葉土になるような考え方であるが、そのためには、最低でも20年くらいの期間はかかるように思う。10年くらいでは、なかなか効果が表面化しないのではなかろうか。


 自然農、不耕起、肥料を持ち込まないというのは、多分、50年ほど前までのごく一般的農法であり、だから、復古趣味、回帰農法と自分は考える。
 
 山の斜面の田んぼは、たいてい等高線状に畝立てがしてあり、畝を崩すということはあまりしない。サツマイモ等を作って、一時的に畝を崩すようになっても、すぐに元通りにしていたように思う。そして、そういう山の斜面のような畑では、下から肥料を持ち上げるのも大変なので、山の落ち葉をかき集めて一箇所に集め、1年ほど風雨にさらし、それを肥料代わりに、畝に敷き詰める方法が最も簡単で効率的であったと思う。


 平地では逆に、山の落ち葉を下に下ろすのはちょっと大変である。今は昔と違ってヌカが無料で手に入るのだから、ヌカくらいは利用したらよいと思う。自画自賛するわけではないが、ヌカもそのままを振りまくのではなく、味噌のように寝かせて、微生物の働きで、熟成させるのが良いと思う。「水に溶いて寝かす」この一手間によって、肥料効果が出てくるように思う。


 ニンジンでもサツマイモでも、収穫物は、毎年何トンも持ち出しているわけだから、持ち込まなかったら、持ち出す一方になり、まさに収奪であり、土地はますますやせてしまう。持ち込まないのだったら、せいぜい自給用くらいにとどめて、収穫物を持ち出さないようにする必要がありはしないだろうか。

 
 でもボクの浅学な一般論よりも、自然農法の方は、それなりの方法で、その人なりに、満足と思える収量をあげておられるのだろう。その収量で不満足だったら、現在の農法にとどまらないと思う。
 


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 ここの地区は「百姓王国」と名付けられている。修学旅行にくるくらいだから、全国的な知名度もあるのだろう。だから、「畑潅水設備」が備わっている産地である。Tさんは百姓王国のメンバーに入っているわけではなく、顧客との直販だから、農協にもさほど係りがあるわけではない。こういう野菜産地にいると、やりづらい面もありそうに思えるが、そういうことはほとんどないらしい。



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 とても愛想のよいわんちゃんだった。


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 玄関先は趣味ワールド。隣はオーディオルーム。音痴な自分は、何の音楽が流れているのか全くわからなかった。ご夫婦のどちらのセンスなのか、おしゃれな飾り物がたくさん置かれていた。


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自然農 学びの会 おかやま

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 昨日の夜からパソコンに不具合があって、パソコンの仮設住宅のような場所で、今日の更新をしている。今はブログが自分の一番大切なものである。

 
 今日は、「自然農学びの会」に、家から片道60キロほどの吉備中央町へ行ってきた。自分は自然農をやっているのではなく、自然農をしている若い方から、誘いの声かけをしてもらっていた。初めての場所だったので、1週間ほど前からちょっと楽しみにしていた。それが昨晩のパソコンの不具合で、今朝はパソコンの修復を優先し、午後から吉備中央町へ出発という強行軍だった。

 
 パソコンの方は、個人指導を受けているパソコン通の高校生(この春、大学1年生になり下宿されたので、今後はたまにしかスーパーレッスンを受けれそうにない)に、すぐさまメールを入れて、5月の連休でこちらに帰られていたので、さっそく対応をお願いした。パソコンならわからないことがない18才だが、今回だけはすぐに解決というわけにいかず、数日間待機になった。でもこの高校生と出会えたから、画像の挿入と毎日の更新ができている。とても勇気づけてくれるサポーターである。

 
 今朝は6時半に起きて、ニワトリにエサをやり、スイートバジル等の苗物に水をやり、暑くなりそうだったので、苗床のポリは全開にした。早朝の水はまだ冷たいので、苗物が凍えそうだったが、地苗でなくポット苗なので、1日1回は水をする必要がある。その後朝食を取り、午前中はパソコンの指導を受け、昼から出発した.

 
 0さんは、知らない人ではなく、我が家からそれほど遠くない場所に4年ほどおられたので、面識はあったが、新しく移られた土地へお伺いするのは始めてだった。素敵な奥さんと2人で不耕起の野菜栽培や、古代米(緑米、黒米)等の稲作をされている。2人の出会いも自然農の会だったらしい。まだ30代の方である。

 
 作られている規模や野菜の様子から、どれくらいの収入になるんだろうかなあと、すぐに経済が頭をよぎる自分であるが、平凡に農業ができて、なんとか、日々の生活がまわっていくなら、それだけでよいし、季節の変化に身をまかせ、風や草木の香りを感じることができるだけで十分なのだと思う。そんなやさしさが身体全体からにじみ出ているような二人だった。50人ほどの参加者の前で、参加者の一人と共に即興で歌われた歌に、日々の暮らし方を感じることができた。


 初めての場所では、村の田舎道や田んぼのあぜ道を歩いたり、育っている野菜を見たりしながら、思いをめぐらすことが楽しい。ちょっと歩き回ってみると、その地域の過ぎ去った過去が40年、50年くらいはさかのぼって、うっすらと記憶によみがえってくる。そこが、自分の住んでいる所とかけ離れた場所であっても、畑や古い建物や周囲の風景を見ているだけで、まるで、過去に自分が住んでいた所のように、鮮明に記憶がよみがえってくるような錯覚が起きる。田舎には、どこの田舎にも共通の何かがあるのだろう。多分、江戸時代以前の何百年、何千年という悠久の年月の間、さほど文明が進歩することなく、人間が人間らしく生きていくことができた時代だったのだと思う。


 田んぼや畑の土の上で生きていくことが、なぜこんなに難しくなったのだろう。ニワトリもすでに99%のニワトリは、土の上で生きることができなくなっているが、人間も同じである。


 土の上に帰りたい、土の上で生活をしたいと考えても、もう許されない時代である。ニワトリが土の上に帰れなくなっているのに、人間が帰れるわけがない。どちらも同じ「資本主義」というシステム」の中にいる。
 どちらも同じ土の上にいたのは「自給自足主義」という過去の時代である。

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 Oさんの田んぼは不耕起なので、かなり深く、畝の溝を掘りあげている。


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 近くで見かけた地上温床。普通の温床は地下温床ではなく、このような地上温床である。上を簡易なポリで覆っている。


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 近くの菜園で見かけたチューリップ。



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 Oさんの畑からの遠景  


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 田んぼの真ん中あたりに人影がたくさん見えますが、今日の、自然農学びの会には50人ほどが参加されていた。自然農法の専業農家というのは少なくて、ほとんどが家庭菜園や自給用の稲作のようだった。


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農業形態と作文形態

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 毎日、お勤め、ご苦労様です。


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 まだ産まれませんか。


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 隣の部屋が空いてますよ。

 
 「農家なんだから、農業ならたいていのことは何でもできるんだろう」と思われるとしたら、そんなことはない。100種類の農業形態があるとしたら、誰でも、その内の5形態ほどしか、やってのけることはできないと思う。


 「農協だより」が月に1回配られてくるが、それに載っている農業者の経営規模や経営作物を見て、自分にもできるだろうと思えることは全くない。同じ農業の世界でも、全く違う職業の人に見える。


 自分が農業の世界に入るきっかけを与えてくれたのはまさに「農協だより」であり、今から19年前の5月の連休のことだった。家でぼうっとしていたら、農協だよりが目に留まり、それをぱらぱらとめくっていた時に、突然、「農業」という考えが頭をよぎった。そのひらめきが、とてもうれしかったことをいまだに覚えている。農業が身近にある人ほど、農業が職業として思い浮かばない。というよりも、地域に農業で生活している人など皆無だったから、農業=職業という意識がどうしても浮かばなかった。定年後に遊び半分でするものと思っていた。


 その時から、農業を始めるまでの2年間に、農業改良普及所へ相談したり、見学に行かせてもらったり、図書館で農業関係の本を読んだりしたが、その時に1冊の本に出会い、直感的に、「自分にはこの農業形態が最も合っている」と思った。そして、「この農業形態なら自分にもできるだろうと思った」。以後、他の農業形態を模索することは止めた。その1冊の本は「都市生活者のためのほどほどに食っていける百姓入門」という、長ったらしい題名の本で、まさしく「ワンパック宅配」のやり方を具体的に説明していた。その後、この類の本をたくさん読んだ。ワンパック宅配とは、多種類作ってそれをセットにして顧客に直接届けるという出荷形態だった。


 自分と同じ頃、あるいは自分より数年前にワンパック宅配を始めた人たちのほとんどが、現在はこの農業形態を止めて、他の農業形態に移っている。他の農業形態に移られた方はそれぞれ成功を収め、経済的にも安定している。


 自分の場合も、彼らと同じように、もっとカネになりそうな、他の農業形態を真剣に模索した時期があった。しかし、自分には他の農業形態に移る「能力」がなかった。だからワンパックを続けざるをえなかった。ワンパックを続けることは、ワンパックに毎月1回添付していた「あめんぼ通信」を続けることにつながった。
 農業形態の変更は挫折したが、ワンパックの副産物だった通信が、13年目の農閑期に1冊の小冊子になった。それが14年目の農閑期にもまた1冊の小冊子になった時、はっきり、自分の農業形態の変更は「農業作文」と意識した。この農業形態への変更は出来るかも知れないと直感して、日々の努力目標にしてきた。15年目の農閑期にも1冊の小冊子になった。16年目の農閑期に今年こそはと思い、17の出版社へそれまでの4冊分を1冊にまとめなおして郵送した。結果は17社すべてボツだった。かなり落ち込んでいた時にブログと出会い、またあめんぼ通信を続ける環境になった。


 最近になって、「ブログは自分に向いている」と感じるようになった。というのは、ブログは「続き物」より「日替わりメニュー」の方がよいと思えるから。
 自分は、原稿用紙換算で5〜6枚分の「1日で終わる作文」しか書けないので、これもブログ向きのような気がする。長々と、起承転結の筋道を目次立てして、昨日書いた作文を読み直し、今日またその続きを書くというようなことはとてもできない。集中力が途中でプッツンと切れてしまう。


 だから、日替わりメニューを50項目ほど寄せ集めて、それを1冊の小冊子にするという、まさにブログ的なやり方の本だった。それに自分の場合、1冊の本にしようとすると、どうも「かたまって」しまって、その中でもがいてしまう。削ったり、付け加えたり、新たに書き直したりしているうちに、頭の中が混線してきて、身動きができなくなるのを感じた。こういう事態になるということは、「1冊の本にまとめあげる」というのは、自分にはあまり向いていないなあと意識するようになった。


 1回読みきり、短文、日替わりメニュー、1冊の本を書くより5〜6枚を書くルポライター向きという自分の特性が段々と見えてくるようになった。


 つまり、ブログをわざと日替わりメニューにしているのではなく、「続き」や「連続」が書けないだけのことである。(1)、(2)と続いているように見えても、かなり日をあけて書いていて、それをくっつけているだけである。


 起承転結のある長文は書けそうにないが、1日完結の5〜6枚を書くなら夢中になれる。1日といっても、夜7時〜12時の間の3〜4時間である。


 十把一絡げに作文といっても、農業形態と同じように、それぞれ100種類ほどの書き方の違いがあるように思う。ブログはその100種類ほどの作文形態の中の1形式だと思う。今後は、1冊の本を読む人より、1つのブログを読む人の方が多くなると思う。ブログは無料だし、本より読みやすいし、画像がきれいだし、時々コメントを入れたりもらえたりすることもある。


 農業形態にしろ作文形態にしろ、自分に向いている形態は、比較的短期間に「形になり」、それを続けることができる。


 非農家出身の場合、どんな農業形態が自分に向いているか、直感が働かないかも知れないが、最初に選んだ農業形態に大きな投資をしなければ、途中からの農業形態の変更も可能である。そういう点で、補助金の出るような農業への入り方は、途中からの農業形態の変更が難しいと思う。



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ハーブの今

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 タマネギは見た目はまだ病気がきていないが、よく見ると、右の画像のように病気が来始めた。きまって4月中旬頃にきていたが、今年は雨が少なく、空中湿度が低かったせいか、例年より10日ほど病気発生が遅い。この10日間の違いは大きい。今年は例年よりタマネギの収量は多いはず。

 タマネギ、ジャガイモ、ナンキン→病気に困る

 アブラナ科野菜→虫害に困る


 自分の田んぼでは病気が必ず発生するタマネギは、早生品種1袋(20ミリリットル入り)と中晩生品種2袋しか種を蒔かない。まあ、これくらいなら病気がきても「放っておけるかなあ」という限度である。これ以上に種を蒔くなら、病気予防の農薬散布をしないとばかばかしい。


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 今日また液肥を担いだ。楽しく担いでいる。肥料に関しては幾度も変遷を重ねたが、液肥と出会えてから、肥料作りや肥料の散布が楽しくなった。でも、1度に担ぐのは6荷くらいである。

 18リットル×2タル=36リットル(1荷)。 自分が1回に担げる量は36リットルくらいである。6荷担いだとすると、36リットル×6=216リットル。これでタンクが大体半分ほどになる。

 使ったらすぐにヌカを1袋半ほど補充し、ナタネカスを3キロ(投入量はかなり適当)ほどと、タンク周辺の雑草を補充する。

 液肥は今、ほとんど未熟状態である。でも春夏作で使うのは5月中旬頃までだから、未熟だとかいっておれない。でもこれで十分満足できる収穫があるので、肥料としての役目は果たしてくれているのだろう。5月中旬〜7月末は余り使うことがない。


 大体、果たしてメタン菌がこのタンクの中に生存してくれているのかどうかもよくわからない。種菌にする原液をもらってきたのはすでに4年以上前のことであるし、それ以後は、ヌカ、ナタネカス、旬の雑草を適宜、加えては施し、加えては施ししているだけで、原液の補充はしていない。でも、結果は作物が出してくれる。今の所問題はない。

 ヌカやナタネカスを生のまま田畑に振りまくのではなく、いったん水に溶かして寝かす」という一手間が効果的なのだと思う。生ヌカも少々は使っている。


 施す量も150センチ幅で17メートルほどの長さの畝に、2荷(36リットル×2=72リットル)ほどである。そして雨を待つ。急ぐ時は、エンジンポンプで散水(10倍ほどに薄める)して、一晩乾かして翌朝に黒マルチをする。




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 サツマイモに肥料はあまりいらない。特に窒素肥料が多いと「つるボケ」するので注意。

 昔から、サツマイモを作ると「土地がやせる」と言われている。芋づるの茎を挿し木するだけで、あんな太い芋が入るのだから、当然と言えば当然である。

 クン炭(焼きすくも)、液肥(他の作物に施す3分の1ほど)、そして生のヌカを少々施して、サツマイモの施肥は完了。

 サツマイモの畝の通路には、草押さえに籾殻を振った。



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 スイートバジルの現在。
 イタリアンパセリはまた失敗して3回目を蒔いた。



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 多分、今日が最後のタンポポの画像。農作業の合間合間に、目に入ってくるタンポポに癒される。タンポポの盛りが過ぎるのを待って、今年初の「畦草刈り」を始める。


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 お隣の田んぼでは、畦草に除草剤を使われているので、春が来てもタンポポが咲かない。当方の田んぼの境界からタンポポが咲いている。タンポポを咲かせてあげてよ・・・。


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 いつの間にか新緑の季節になった。桜が咲いていた頃はまだ木々の新緑が目立たなかったのに。


ハーブの今

 
すでにレモンタイム、コモンタイム、スペアミント、アップルミント、レモンバーム、チャイブ、セイジは、4月上中旬頃から出荷可能だが、スイートバジルがないと注文がもらえない。スイートバジルとひっかけて、これらのハーブの注文がもらえる。スイートバジルのように4〜16単位の注文ではなく、せいぜい1〜2単位なので、バジルがないと送料が高くついてしまう。
 
 ミントなどは、葉が大きくなりすぎると商品価値がないので、時々刈って捨てるが、惜しくはない。いくらでも次から次へと伸びてくる。
 


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 レモンタイム・・・5月中旬頃からピンク色のきれいな花が咲く。常緑草だが、伸びるのは12月頃まで。摘んでも摘んでも伸びてくる。



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 スペアミント・・・これも雑草のようなもの。厳冬期以外はいくらでも伸びる。



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 レモンバーム・・・これも雑草のようなもの。初霜の頃まで出荷。



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 チャイブ(フランス語ではシブレット)。日本名は極細ネギ。5月に入ると、ブルーのネギ坊主が咲く。花がきれいなので花壇にもよい。普通のネギとは逆に、4月中旬〜11月中旬の春、夏、秋が収穫時期。霜にあたると枯れる。隣はニラ。ニラとシーズンが同じなのでニラの隣に植えている。



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 ルバーブは茎をジャムにする。葉は食べれない。フキのような茎を小口切りし、目方の半分の砂糖を入れ(水は入れない)、弱火で20〜30分ほど、ことこと煮ると、酸味のあるルバーブのジャムの出来上がり。株分けが簡単にできて増やせるが、
(1)青枯れが多い。
(2)過湿に弱く、高温にも弱い。かなりきゃしゃな作物。
(3)冬越しする時に枯れる場合もある。
 だから、なかなか増やせない。



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 左がステビア、右がレモンバーベナ。上記のチャイブとニラのように、似ているので、たいてい同じ場所に植えている。ステビアはほとんど注文が来ない。どちらも冬越しする時に、株元に籾殻をおいて保温する。一度枯れるが、4月中旬頃からまた新芽が出てくる。5月中下旬〜11月中旬頃まで収穫できる。




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 青シソは前年作付けした場所にいくらでも芽生えてくる。こぼれ種から発芽したのを、きちんとした場所に定植する。


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今月の熱き心くん

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 日本有機農業研究会が発行する「土と健康」誌の4・5月合併号に、建部町のWさんの手記が掲載された。シリーズの「今月の熱き心くん」のコーナーだった。


 田舎移住や有機農業をめざす人にとって、この雑誌は、かなり役に立つと思う。ずっと以前には、「自然食通信」や「百姓天国」という素晴らしい本があったが、現在は廃刊になり、残っているのは「土と健康」誌だけである。リンクにも載させてもらっています。


 以下、Wさんの掲載分を原文のまま紹介します。


投資せず収穫する「自然農」

化学物質過敏症になってから百姓始めて8年。岡山に来て1年。年収はかつての月収程度ですが、それでも全然貧しくない。楽に生活が回ってゆくから不思議です。
 
 陽が出たら野良へ行く。暮れたら帰る。薪風呂を焚き飯を作る。風呂に入り飯を喰う。暖まったら寝てしまう。冬の日常です。暖房使う暇がない。電気も昼間は使わない。水は山水。買い物は生協が巡回します。
 
 固定した出費は、農地込み家賃月3千円。部落費年3千円。電気代は冷蔵庫と炊飯器を毎日使って月1400円。ガスはボンベ買い取りで年3千円以内。汲取り年3千円程度。通信費はネットも含めて月3千円程度。軽トラは年間走行3千キロ程度で燃料3万円以内。任意保険料と税で約2万円。車検は自分で出すので、法定料金が3万数千円。整備しても5万以内。
 
 そして重要なのは自然農です。不耕起、無肥料、自家採取では、金のかけようがありません。投資もせずに収穫だけが発生します。ぜーんぶで、年間20万以内です。食物はほぼ自給、他に欲しい物を買っても、年に35万もあれば十分です。金が余らない程度に稼いでいます。

お金に依存しすぎない生き方

 農業は割りに合わない仕事だと言われます。でもそれはきっと、仕事のすべてをお金に換算しようとするからではないでしょうか。死から生を生む百姓ほど生産性の高い仕事はないはずです。それでも農作物が金にならないなら、僕は必要最小限しか「金に換えない」。真なる大根の価値を、自ら下げることはない。
 
 確かにお金無しでは生活できません。でも現代人は、あまりにもお金に頼りすぎていないか。当然のように金で済ませていたことも、やれば自分でできることがたくさんある。それを教えてくれたのが百姓でした。時間あたりの労賃が安いことも、チャレンジ精神の大きな味方です。ユーザー車検で3万浮くなら、3日かけても整備します。自分でできるようになることは、とても嬉しいことです。未知の領域への誘い。手間を惜しまず体験を得る。
 
 かつての僕は能率や効率に囚われ、時間とお金に追われて、自分の生活を失っていました。でも百姓となって8年、土と共に在るこの生活の先に、確かな未来が見え始めました。
 
 僕の先祖もずっとそうしてきた。その同じ道を今僕も歩いている。この道はきっと確かです。僕は、このまま生涯現役で「百姓」として生き続けていきたいと思います。最後にいいます。
 百姓は、古くて新しい職業だ。
 百姓万歳!百姓に勝るもの無し!


 なお、上記の掲載分については、他に転載したり、引用されたりする場合は、Wさんまでご一報をお願い致します。メールアドレスは下記の通りです。
go4nobu@aqua.plala.or.jp


 Wさんは「田舎暮らし」が上手な人だと思う。そして、農作物を売ってそれを生活の足しにするという農業依存型ではないので、全くあくせくしていない。ライフラインには費用をほとんどかけず、農業に投資をしていない。


 年間に35万円もあれば十分というWさんの記事を読んで、えー、うっそうー、ほんとーと大多数の人は思われると思います。でもこれがWさんの普通の暮らし方です。

 
 Wさんが書かれていないことで少し付け加えるなら、Wさんは、単に化学物質過敏症なだけで、他は全く健康体であるということです。歯も目もとてもよいし、その他に、内臓は全く健康そのもののようです。つまり、医療費は全くかかっていない。
 「小食」をされていて、確か、朝は青汁を一杯だけ、そして、去年は米が作れなかったので、サトイモやサツマイモ
が主食の夕飯だったようです。

 
 もう一つ、住まわれている地域がいいと思う。平均年齢が70歳を超えている集落であり、人家もまばらで、廃村とまではいかないが、過疎の山村である。

 
 もう一つ、Wさんは器用な人である。草刈機やチェーンソーの刃が研げたり、ちょっとした大工仕事、ちょっとした農具の修理もできる。「田舎暮らし適塾」があるなら、その講師ができそうな人である。

 
 もう一つ、学習塾のアルバイトができるというのも、農業に依存しない生き方をするうえで、Wさんの大きな武器であると思う。


 もしあなたが、大都会の小さな一室で、一人悶々とした日々を送っているなら、過疎の山村への逃避行も選択肢の一つとして考える価値はあると思います。大都会に留まり続けても、何の展望も見出せないような気がします。
 
 
 Wさんも書かれているように、農業に依存した田舎暮らしは、凡人には、はっきりいって「無理」です。がむしゃらに農業をやってきた農家の後継ぎの自分でも、農業収入は、年間手取りが100万にはならない世界です。凡人にはそんなもんです。そして、イノシシやシカの密度が加速度的に増えており、ますます農業環境は厳しくなっています。
 
 
 そのうえ、農業をしようとすれば「初期投資」がびっくりするほどかかります。ほとんど農業に投資してこなかったと思える自分でも、
(1)農業用軽四→62万(当初)

(2)物置6坪と鳥小屋4坪半→42万

(3)管理機→8万

(4)エンジンポンプとホース→7万

(5)草刈機(2台目)→6万

(6)井戸→27万

(7)乗用トラクタ→父が買っていた

 その他、農具消耗品と種苗費だけで、年平均10万円ほどかかります。
 
 Wさんも書かれているが、農業には「決して投資しない」ことがポイントのように思います。投資すると、回収ができなくなる恐れがあります。農業資金を借りるなど論外です。

 
 田舎にも展望はないかもしれません。でも、山の中で暮らしていれば、自分の中のもつれてしまった糸も少しずつほどけていくような気がします。
 
 
 「農業に依存しない田舎暮らし」を、自分も、Wさんから学ぼうと思う。

 

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ニワトリの淘汰 (2)

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 赤い血しぶきの予科練の・・・そんな軍歌の出だしが、ふと頭に浮かび、繰り返し、唱えるように歌っていた。自分の気持ちを鼓舞するためだったかも知れない。生きることは、他の生きている命を頂くこと。今日、最後まで生き残った21羽のニワトリの首をはねた。

 
 感傷に浸る気持ちなどなかった。自分が手にかけるか、殺すことを他人に依存するか、選択はふたつにひとつしかない。それなら、最後の最後まで、自分の手にかけて、できるなら安楽死できるようにしたいと思った。助っ人のIさんがいてくれたから、自分で手にかける踏ん切りがついた。


 これに先立って、1週間前に2羽のニワトリをつぶして肉にして食べていた。肉はかなりしわかったけれど、もう5年も飼っている「ひいおばあさんニワトリ」にしては、歯でなんとか噛み切れた。肉は食べれなくても料理のだしには十分使えると思った。でもIさんが、とてもしわくなっているので人にあげれる肉ではないと言われるし、ボクも、冷凍庫に肉を保存するにしても、2羽くらいがスペース的に限度と思えた。解体して肉にする手間ひまも考慮して、残りの21羽については、肉にせず、火葬か土葬にする事を決めた。


 1週間前の2羽は火葬にしていた。少し臭ったが、脂分が多いせいか、案外早くきれいに燃えた。翌朝、その木灰を畑に降ろうと思い、フゴに入れていると、足の骨がきれいな「お骨」になっていた。人間の「お骨」と何ら変わりなかった。

 
 案外、火葬が簡単だったので、今回の21羽も自分の心の中では「火葬」と決めていた。土葬だと「かなり深い穴を掘る」というエネルギーが余分にかかると思った。当日の朝は、新調の包丁をおろした。切れない包丁では安楽死できない。よく切れる包丁で、できるだけ手際よく、スパッとやらなくてはと思った。昨日の晩に寝床についてから、まず一番に、オンドリからつぶそうと決めていた。メンドリの1.3倍ほどの大きさだし、後にまわしてはいけないと感じていた。

 
 1週間前に2羽を料理した時に、Iさんからつぶし方の手ほどきを受けていたので、要領はわかっていた。Iさんからは、

(1)羽をはがいじめにしておくと、持ちやすいし、羽がばたつかない。

(2)首の頚動脈を切る時は、包丁の刃先をノコのように使うのではなく、包丁の根元の太い所から、バイオリンを弾くようにスパッと1回で切り落とすようにしないとニワトリが苦しむ。鳴き声ひとつ出さずに安楽死できるように包丁を使うようにと、何回か注意を受けた。

(3)ボクは、羽を「はがいじめ」にすることが、どうもうまくできず、自分のひざで、ニワトリを地面に押さえつけるようにする方法をとった。しかし、ニワトリがばたついて、いくらか返り血を浴びた。Iさんが、自分はスーツ姿で作業しても、服をよごすことなく放血できると言われる。実際、全部のニワトリを処分し終えた後でも、Iさんの野良着には血痕ひとつついていなかった。しかも、自分のように、片ひざか両ひざをを地面につけての姿勢ではなく、ずっと立ったままの作業姿勢だった。

 
 今回は土葬にした。というのはIさんが、火葬は風が出てくると危険だし、21羽もいるから手間がかかる、土葬の方が時間が短縮できると言われた。実際、深さ50センチ、直径80センチほどの穴が、2人で15分もかからずに掘れた。1羽つぶすごとに、その穴に入れた。1人10羽ずつ21羽のすべてのニワトリを処分して穴に入れ、掘り上げた土を戻し、その上に2枚のトタン板を置き、トタン板の上に5キロほどの石を10個以上置いて、タヌキが掘り返さないようにした。8時半頃からスタートして、すべての作業が完了したのは10時前だった。

 
 5年前の時は、一人で9羽をつぶした。あの時は、上手にニワトリを安楽死させることができず、断末魔の鳴き声を何度も出させるような絞め方だった。その鳴き声のせいか、鶏舎の中でニワトリが逃げ回って、つかまえるのにとても苦労したが、今回は、ほとんどのニワトリが断末魔の声を出さないくらい手際が良かったので、エサを少しずつ与えながら、エサを食べに寄ってきたニワトリを1羽ずつ、最後の1羽まで、ごく簡単につかまえることができた。

 
 夕方、からっぽになった鶏舎の中に入った。、激しい戦いの後の静寂な時間だけが時を刻んでいた。ひとしきり、その場に立ち尽くした後、巣箱に残っていた4個のタマゴを取り出した。昨日3時以降から、今朝亡くなる8時半頃までに産み落とされたタマゴである。

 
 殺戮の現場となったユズの木の根元には、乾いた血痕があちこちに見て取れた。つぶし始めるとすぐに、血の臭いをかぎつけたカラスが早くも集まってきて、甲高い鳴き声を出していたが、すでにそのあたりも静寂な空間に戻っていた。

 
 Iさんという助っ人のおかげで、また貴重な経験をすることができた。スーパーに並んだ肉からは、「生きている動物の姿」など想像すらできない。
1世代前には、1〜2ヶ月に1羽ほどをつぶして食べていた。それは楽しい仕事(遊び)であり、夕飯には久しぶりの肉にもありつけた。ニワトリを飼う本来のあり方は、最後は肉にして食べることが正しい飼い方である。土葬とか火葬という言葉が出ること自体、不自然な状態である。Iさんも、これは大量殺戮だ、これではエネルギーを浪費するだけだ、もっと飼い方を考えた方がよいと言われる。そして、トリ小屋を半分に仕切って15羽ずつ飼い、しばしば食べながら淘汰の回転を早めると、肉もおいしく食べれるし、タマゴも途切れないと言われる。以前はそういうふうに考えた時期もあり、物置を一部金網にして、いつでもニワトリが飼えるようにしていた。でも、田んぼに農閑期があるように、タマゴも半年間ほどない期間があるとありがたみがわかる。
 ヒヨコと成鶏の二手に分かれると、注意の度合いも半分になるし、家から出る多少の食べ残りをどちらに与えるか迷ってしまう。しかしビジネスなら、タマゴの途切れる期間が長いと顧客が離れる可能性もある。


 1世代前の廃鶏は高価な値段で買ってくれたが、今は逆に引き取り料がいる時代である。
 少羽数では送ってくれないし、中間にニワトリを扱う業者もいないので、自分のような30羽養鶏では、4〜5年と長く飼う方法しかない。


 
今は田んぼにニワトリがいない状態である。家から出る多少の食べ残りは残飯扱いになり、収穫したレタスやキャベツの外葉や出荷外品も田んぼにそのままの状態である。今までのように、ニワトリがきれいに片付けて(食べて)くれない。

 
 2世代前には、集落のほとんどの人が農業で自給自足的な生活を送っていたのに、今は誰も農業をしなく(できなく)なった。農業が「生活」だったのに、農業が「職業」になってから、地域の現役世代の人は農業をすることができなくなった。

 
 45年ほど前まで、家の軒先で飼われていた20〜30羽養鶏は昭和35年〜45年のたった10年ほどの間に、またたく間に姿を消してしまった。それはまさしく、一瞬の通り風のようだった。そして、資本主義概念である、大規模、効率、採算という経営により、ケージというごく小さい檻の中で、10万〜20万羽、もしくは100万羽単位で飼われるようになった。

 
 人間も時を同じくして地下足袋をぬぎ、企業組織の一員として働かざるをえないようになった。

 
 いずれの場合も「土」から離されてしまった。人間なら、定年帰農という形で土の上に帰れるチャンスもある。しかし、夢にまで見た大地も、イノシシやシカやカラスが支配する、とても荒廃した自然空間であるということにすぐに気付かされ、愕然とすることだろう。これが今の現実である。

 
 ニワトリも人間もすでに、土の上に復帰することが困難な時代である。土から離された状態は「自然な人間の姿」「自然なニワトリの姿」ではない。でも大多数の人(ニワトリ)はもう、土の上に戻れない。


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ニワトリの淘汰 (1)

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 以下は、今のニワトリ(ヒヨコ)を導入する前、それまで飼っていたニワトリのうち2羽を絞めた(つぶした)時に書いた作文であり、ちょうど2年前の今頃の季節でした。


 先日、Iさんが見えられた時に、ニワトリの淘汰のことを話すと、ニワトリをさばくのだったら手伝ってあげると言われた。応援してもらえるなら、23羽でも自分でつぶせると思った。とりあえず2羽だけつぶして食べてみようという話になった。

絞め方(つぶし方)といい料理の仕方といい、Iさんの手つきは鮮やかだった。農業高校で習ったと言っても、すでに40年以上も昔のことなのに。ただその間、ニワトリの処分を頼まれて、時々料理もされていたらしい。30年も前に特別に作ってもらったと言われる、左利き用の、りっぱなネーム入り出刃包丁も持参してくれた。包丁やナタなどに「左利き用」があることも始めて知った。

 左手で羽を強くにぎり、ニワトリの足を自分のひざで抑え、ニワトリが動けないようにしてから、右手でニワトリの口ばしを持って、左手の親指に預ける。つまり左手の4本の指で羽を、親指で口ばしをもち、のどを上に向ける。そして、やおら包丁を持ち、のどのすぐ下をすばやく切る。包丁を置いて、右手で両足をつかみ,逆さ釣りにして放血する。血がぼとぼとと落ち、1〜2分で放血が終わると動かなくなる。この間、羽と足をしっかりにぎり、ニワトリがばたつかないようにしておけば、返り血も浴びない。よく切れる包丁ですばやく深くのどの下を切ると、鳴き声ひとつたてない。ここでへたくそでは、ニワトリがかわいそうである。できるだけこの間の時間をかけずにすみやかにすることが、ニワトリに対しての最後の恩返しになる。Iさんの指導を受けながら同じようにやると、鳴き声ひとつたてず、放血もすみやかにできた。料理する段階で切り口を見比べると、Iさんのはきれいに水平に深く切れていたが、自分のは半分ほどしか切れてなく、切り口も浅かった。Iさんの方が、より短時間に、ほとんどニワトリを苦しませずに終えたのが見て取れた。

 放血後、近所で借りた炊き出し釜の熱湯(70度)に10〜15秒くぐらせる。これをすると、簡単に羽がむしり取れる。その後、小さな焚き火をして、その肉を4〜5回あぶると、外のうぶげも焼ける。それから料理にかかる。まるで、しばしば料理していると思えるくらい「さばき方」にくわしかった。それでも、最も最近にしたのは2年余り前だったと聞いた。よい肉だけ食べることにして、残りの骨とかハラワタとか、頭や首、足などは、焼くことにした。枯れた竹や雑木といっしょに焼いた。つまり、肉以外の部分を「火葬」にした。その火葬をしながら、今後のこともあるので、この次は、「火葬」がいいか「土葬」がいいかIさんに尋ねた。
 
 火葬は、案外簡単に燃え、跡形も残らなかった。土葬は簡単な穴を掘り、そこにニワトリを埋めて、その上にトタン板などを置き、重い石かブロックなどをのせて、タヌキが掘り返したり、カラスに悪さされないようにしておく。1年経過すれば土に戻る。でも、土葬より火葬の方が時間がかからないという話になった。とにかく、今日料理した2羽のニワトリをそれぞれ家に持ち帰って食べてみて、おいしく食べれたら残りのニワトリも料理し、しわくて食べれなかったら絞める(つぶす)と同時にそのまま「火葬」にしてしまおうという結論になった。

 Iさんは、ボクの問いかけに対して適切な案をいくつか示してくれた。そして、料理に水はいらないと言って、羽をむしる時に熱湯にくぐらせた以外は、全く水を用いなかった。うまく放血できたせいか、包丁にもマナイタにもそれほど血がつかなかった。そして、ニワトリの臓器の名称まで覚えていて説明してくれた。

 1羽のニワトリの腹の中から、完全なカラをつけたタマゴも出てきた。もし殺されなかったら、あと数十秒もしくは数分のうちに、このタマゴが体内から排出されただろうと思うと、一瞬悲しくなった。

 30羽という昔ながらの飼い方をしているから、とてもニワトリに愛着がわくし、いろんな事をニワトリが教えてくれる。40羽ではちょっと多い。10羽飼うのも30羽飼うのも、あまり手間は変わらない。

(1)30羽だから、毎日雑草が与えられる。
(2)30羽だから、1〜2日、放っておいて外泊もできる。
(3)30羽だから、ニワトリの調子がよくわかる。
(4)30羽だから、いつでも飼うことを止めることができる。
(5)30羽だから、場所も時間もとられない。
(6)30羽だから、エサの問題、飲み水の問題、販売の問題が、それほど問題にならない。
(7)30羽だから、自分で淘汰ができる。
(8)30羽だから、ほんのわずかな家の食べ残りでも、ニワトリにあげようと思う。
(9)30羽だから、ほんのわずかな田んぼのくず野菜でも、ニワトリに食べてもらおうと思う。
(10)30羽だから、あまりタマゴは産まなくて良い。家と田んぼの野菜くずのリサイクル鳥と考える。
(11)30羽だから、ニワトリを飼うことを楽しむことができる。
(12)30羽だから、ニワトリに関して、一つの物語を書くことができる。
 

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ファンになってもらう

 「岡山でハーブと野菜を作っている農家ですが、お宅のお店で、ハーブを使って頂けんでしょうか」、こんな電話をかけまくっていた3年間があるから、現在も農業を続けることができている。


 職業別電話帳を見て、スイートバジルの出盛りの時期に、イタリア料理店に電話を入れた。オーダーストップのかかる夜9時がまわって、9時半〜10時半頃にしていたので、農作業に差し支えることはなかった。


 継続的な顧客になってもらおうと思えば、安くて鮮度のよいものを送り続ける必要がある。気に入ってもらえたら、店を移ったり、独立されたりした時にまた購入してもらえる。ここ5年ほどは全く営業活動はしていない。顧客が減っても、減った分だけは、紹介のような形で補充できるような展開になってきた。だからここ数年は現状維持をキープできている。ポイントはやはり、自分のハーブや野菜の「ファン」になってもらうことだと思う。なかなかファンにはなってくれないが、いつのまにかファンになってくれていたりする。地道にていねいなワンパックを送り続けるしか、その方法はないように思う。


 イタリア料理店等で働く人の究極の思いは「独立した店を持ちたい」という意識だと思う。自分の店を持つということは、夢の実現でもある。でも現実はきびしくて、新規開店した店の半分ほどが、1年も経たないうちに閉店に追い込まれるらしい。


 取引してもらっていた店の従業員さんが独立開業したり、別の店に移ったりして、また注文の電話を頂けることは、とてもうれしいものである。今日もそんな電話があった。独立開業された場合は開業祝い、別の店に移られた場合は新しい店でのサンプルのような形で送らせてもらっている。


 このような「直接販売」は、何も有機農家の専売特許ではなく、慣行農法の農家でもたくさんしている。農法にかかわりなく、それぞれの農家が「自分の売り」を何か持っているのだと思う。たとえば、
(1)おいしい
(2)安い
(3)鮮度がよい
(4)種類が豊富
(5)旬でない時期でもハウス等を利用して種類がそろっている
(6)注文を入れると、たいていなんでもあり、即送ってくれる。他から取り寄せてでも、注文に対応してくれる。

 一般に慣行農家は有機農家に比べてかなり技術力が高いと思えるから、こんな慣行農家に対抗するには、「自分の売り」がどうしても必要である。「安全」というのは、業務用ではたいした売りにならないと思う。



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 今日は春雨がしとしと降る1日だったが、これくらいの雨だったら農作業はできる。数日前に買った雨合羽を着ての農作業だったが、この合羽が快適で、今までの合羽のイメージを覆してくれた。とても気に入ったので、昼食に帰った時、予備の一着を電話で注文した。


 クワが使えないほどの雨ではなかったので、サツマイモ予定地の黒マルチ張りをした。風がなかったので、黒マルチを張るには都合がよかった。黒マルチを張れば、後は、サツマイモの苗が切り取れるのを待つだけである。5月25日頃〜6月25日頃の1ヶ月間にわたって、芋づるが伸びたら切り、伸びたら切りして、順次挿し木をする。


 45年前、ボクが子供の頃には、黒マルチも草刈機もまだ出回ってはいなかった。ポリとかビニールという素材は普及していなかった。ルネッサンスや産業革命と同じく、これはまさに「農業革命」だったろう。草刈機は従来の鎌の10倍ほどの仕事量をこなしたし、ポリやビニールの登場により、「旬のものを旬に作る」という概念もなくなった。競って早く出したり、逆に遅く出したりも可能になった。


 農業を始めてまもなくの頃はまだ、何のために土の表面を隠すように黒色のポリで覆うのか、理由がわからなかった。そして、農場風景を損なうグロテスクな物に見えた。だから最初は、稲ワラや麦ワラを使っていた。3年目の頃に始めて黒マルチに手を出してからは、黒マルチの利用が年々増えていった。ただ、自分の場合、地面を覆う黒マルチには手を出したが、作物に屋根を作るビニールには手が出せなかった。それは、ハウスが自分で立てれなかったから。


今日の農作業のポイント

 雨でもクワが使えるかどうかは実際に田んぼでクワを使ってみないと判断できない。

 春夏野菜の作付けの輪作机上では決まらない。実際に田んぼに定植していきながら、その時の思いつきやひらめきや、ここしか他に植える場所がない、で決まっていく。前年に何を作ったくらいは大体思い出せるので、連作のよくない作物だけは注意する。

 コマツナの間引き作業も実際に間引いて見て、間引きがしずらければ、それは間引きの適期ではない。

 翌日の農作業の段取り段取りができるほど農作業に余裕はない。急ぐことから先にしていっても終わらないので、翌日回し、翌日回しになる。農作業にはいつも追い立てられている。でも他の農家の規模と比較してかなり小さい。

 ニワトリに与える草は毒草もあるかもしれないが、選別はニワトリにまかせる。

 

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 ジャガイモの田んぼは頻繁に通る道のそばなので、育っている様子が、見ようと思わなくても目に飛び込んでくる。3月のお彼岸前に種芋を伏せて1ヶ月後が、画像のような状況であるが、後1ヵ月後の5月20日頃には、畝間の土が見えないくらい葉が茂ってくる。



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 雨の夕暮れ。




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 水を飲んでいるニワトリ。ニワトリは水をよく飲む。毎朝、きれいな水に入れ替え、昼か夕方にもう1回入れ替える。
 


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今日のグルメ

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  今年は竹の子が不作らしい。それでも数日前に、竹の子を4本収穫できた。ニワトリに1本あげていた。そうしたら、今日の産卵率が5割アップだったので、また今日1本あげた。大好物なのか、がっついて食べる。やはり、旬の勢いのある作物は人間だけでなく、ニワトリにもおいしいのだろう。2本は近所の親戚にあげたので、我が家の口には入らなかった。



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 今日は、家人は出かけて留守。だから自分ひとりの夕飯である。昨日の残りの味噌汁と、昨日自分が作ったトーフと新タマネギの煮物も残っていたので、夕方少し収穫できたスナックエンドウを塩、胡椒で炒めて一品加えた。残り物ばかりだが・・・でもご馳走。スナックエンドウ以外は朝も昼も食べたが、やっぱり飽きずに夕飯でも食べた。昼は味噌汁にタマゴを1個落とした。トーフと新タマネギの煮物は自分の定番であり、これを作っておくと、昼のおかずに困らない。旬のスナックエンドウなど、誰もなかなか食べれない。
 
 レストラン・飲食店ブログの「生まれる前から不眠症」が大好きで毎日チェックしているが、確かにああいうのをグルメと言うのかもしれない。でもグルメは見るだけで疑似体験できて、それで腹が一杯になるという安上がりな自分である。旬の野菜を旬に食べるのが自分のグルメであるが、一度、自分のグルメを不眠症さんに食べて欲しいと思う。どう言われるだろう・・・あの人。ずっと以前に一度コメントをもらったことがある。



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 竹の子の下ごしらえをする余裕がない(だから食べれなかった)くらい、この3日間ほどの農作業は忙しかった。今日はスイートバジルの「鉢上げ」である。まず、山から取ってきた腐葉土をブルーシートに広げ、ポットの8分目くらいまで入れる。



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 稲の苗箱には32ポットしか並ばない。32ポット×14ケース=448本の鉢上げである。400本定植予定なので、残りは予備苗である。



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 ポットの8分目まで14ケース全て腐葉土が入ったら、今度は市販の土と
クン炭(焼きすくも)を1対1の割合でよく混合する。市販の土でなくても、腐葉土をフルイにかけ、細かい腐葉土だけにすれば、それをクン炭と1対1の割合で混合してもよい。

 腐葉土を山に取りに行って、それをまたフルイにかけるのは結構手間なので、急ぎの時は手っ取り早く市販の土を利用している。クン炭を混ぜるのは、2倍に増量させるためである。市販の土をそのまま使ったのでは高くついてしまう。



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 ポットの上部2分目ほどは、細かい土(もしくは細かい腐葉土)の方が、鉢上げする時に苗が扱い安い。





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 スイートバジルは芽立ちがよいので、苗がこれだけ残った。でも2ケースでは少ない。3ケース蒔いて、良い苗を鉢上げする。

 



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 448本の鉢上げが完了するまで、朝9時頃からスタートして、午後3時半頃までかかった。15〜17日後の5月連休明けにはもう、田んぼへ定植するようになるから、このポットで管理する期間は、たった2週間ほどである。たった2週間でもこの1工程をとばして、いきなり田んぼに定植はできない。



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 市販の土にも、腐葉土にも、余り肥料分はない。苗床のバジルが肥料切れ症状を起こしつつある。毎日水やりの時に苗を見ているわけだから、少しずつでも大きくなっているか、成長が止まったようになっているかは、直感で判断できる。だから、ポットへの鉢上げ、田んぼへの定植は、肥切れ症状が出ると急ぐ。

 画像の、酢、焼酎、木酢液の3種混合は「ストチュー」と呼ばれて、活性剤になるらしいが、苗の時はまだ使ったことがない。

 苗の肥切れ症状は急を要するので、市販の液肥(画像の白い容器)を500倍ほどに薄めて散布をすることが自分の場合は多い。



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 14ケース(448本)の鉢上げが完了。



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 ポリをかぶせて、すべて完了。


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  秋冬作では、画像の144穴の発泡スチロールの連結ポットを利用している。これを利用するのは、ハクサイ、キャベツ、ブロッコリーである。

 この連結ポットは小さいので、さらに細かい土が必要であり、腐葉土をフルイにかけたりせずに、市販の土を購入し、春夏作と同様、クン炭(焼きすくも)で2倍に増量させている。

 春夏作は苗が大きいので、発泡スチロールの連結ポットを使うわけにはいかない。

 春夏作でも、種が比較的大きいものは、鉢に直接、種を蒔いて、それを定植すればよいが、スイートバジルのように、種が小さいものは、「鉢上げ」というワンクッションをおく必要がある。

 


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ナンキン等の定植作業

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 今日、ナンキンを25本定植した。植えつぎ(欠株の補充苗)を5本残した。今の時期は「ウリバエ」が飛来してくるので、ウリバエの防除と保温のために、薄い毛布のような織布をトンネル状にしてかぶせた。



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 スイカを7本定植した。タマネギの隣に植えた。スイカは大きくなるまでは雨にあたらない方がいいので、上記の織布ではなくポリをかぶせた。



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 昨日購入したニガウリ5本は、紙のキャップを被せた。本数が少ない時はキャップが簡単。使い分けている。



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 キュウリ13本と昨日購入したトマト18本は、去年のバジルの跡地を利用して、マルチの真ん中を手で破りながら、キュウリは株間60センチ、トマトは株間40センチで定植した。液肥はまだ施していない。
 キュウリは1回に12〜14本定植。1ヶ月おきに4回蒔く。
  

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 サトイモは5日ほど前に、同じくバジルの跡地を利用して、マルチの真ん中を手で破りながら、株間30センチで種芋を伏せ、保温のために、その上からクン炭を振った。
 


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 昨日、トリ小屋の田んぼに、ハーブの、レモンタイム、コモンタイム、レモンバーム、ルバーブ(ジャム専用)を株分けした。
 
 去年ハーブを植えた田んぼは、今年の作付けには、別にじゃまにはならなかったので、今年は株分けをパスしようと思ったが、少し株分けをした。

 
手前に見える青々としているのはセイジ。セイジはここの土質が合っているのか、まだ青枯病が発生していない。どの田んぼに植えても、セイジは毎年8割ほど青枯病でやられていた。


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 ここにヤーコンの芽を100株ほど植えた。午後から半日陰になり、梅雨の長雨が続いても排水がいいので。
 黒マルチをすると、通路の草をちょっと抜く程度で、11月の収穫期まで放任栽培ができる。


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 上の画像は、15日に蒔いたネギの苗床です。レタスの苗床の隣が空いていたので、そこに蒔いた。種を蒔く場所は普通の畝でよいが、ちょっとていねいに水平にして、ごろごろした土の塊がないように「細かい土」にします。
 種を蒔いた後は、必ず「フルイ」を利用して、また細かい土を被せます。種が隠れる程度で十分です。その上に、クン炭(焼きすくも)か、籾殻を振って、雨にたたかれるのを防止します。クン炭は保温の役割もしてくれます。夏には、直射日光をさえぎって、適度の湿り気を保ってくれます。このように、蒔き床には、年間を通してクン炭(なければ籾殻)を常に利用しています。

 青い細い棒は、ポリのトンネルに利用する支柱ですが、これを鳥の脅しにしています。


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 上記のネギの苗床で説明した「土を細かくする農具」は、画像の右の農具です。これを土の上に打ち付ける(振り下ろす)と、ごろごろした土の塊も、くだかれて細かくなります。我が家に45年以上前からある農具で、ボクが子供の頃から目にしていた。とても頑丈で、鍬のように「ちびる」こともない。多分、今後50年経過しても壊れることなく使えるだろう。

 真ん中の農具は、草刈機で刈った草を寄せ集めたりする時に使います。

 左の農具は、3月末にコマツナを蒔いた時と、秋にダイコンとカブを蒔く時の、年に3回だけ使う「トンボ」という農具であり、種を蒔いた蒔き床に土を被せる農具です。これも45年以上前から我が家にある農具です。

 なお、ニンジンは土を被せません。ニンジンは好光性種子なので、蒔いた後、片足を蒔き床に置いて、よく鎮圧して歩きます。その後、クン炭(なければ、もみがら)かワラ(稲ワラか麦ワラ)を置いて、雨でたたかれるのを防ぎます。


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 数日前もこの画像をアップしたのですが、ちょっと、この山の格好が変わっていると思いませんか。丸っこい古墳のような、小さな山で、とても自然にできた山には見えません。古くから「城山」と呼ばれています。ずっと昔には、城があったらしい。
 この城山は、池の堤防をささえるような位置にある。逆に、城山がここにあったから、この城山の右と左に池の土手(堤防)が作れたのかもしれません。

 池の上の山の斜面の一部は、自分の持ち山ですが、この山は「寺山」と呼ばれています。ずっと昔には、寺があったらしい。


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ナスビ、ピーマンの定植

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 液肥を混ぜるのは1日に1回、2〜3分であるが、自分の場合、これがちょっと楽しみである。農業の楽しみは、はたから見ればなんでもないことにあったりする。
 
 タンクに浮かんでいるのは、「旬の雑草」である。タンポポ、スイバ、ヨモギ、クローバ、その他、名も知らぬ雑草を色々・・・。雑草から天恵緑汁を取り込めるのではと期待しているが、効果は疑問。

 材料はヌカが主体であり、年間に5袋ほどのナタネカスだけが有料である。今は春の植え付けの時期なので、この液肥をよく使う。まだ未熟の液肥をどんどん使っている。春夏作の液肥を最もよく使うのは4月〜5月中旬の1ヶ月半ほどであり、6月、7月はほとんど使うことがなくなる。8月に入ると今度は秋冬作の準備で使うようになる。だから、6月、7月には、果樹に施したり、秋冬作の黒マルチを早々と7月下旬頃から準備して、その元肥に使ったりしている。

 液肥と黒マルチは自分の場合、セットになっている。黒マルチをしておけば、草は生えないし、液肥が流亡しない。2ヶ月も前から、秋冬作の段取りもできる。でも、産業廃棄物である。



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 今年は小梅が鈴なりである。去年はほとんど成らなくて、梅の仕込みができなかったので、今年は2年間分の梅漬けをするつもりである。まだ収穫は40日ほど先なのに、この梅の木の下によく来ている。




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 今日、農業資材店で、
トマト18本×58円=1044円
ニガウリ5本×128円=640円
ラズベリー1本、1280円
 合計2964円だった。ラズベリーは余算だったが、知人がいて、ラズベリーの新品種を勧められたので、買ってしまった。

 トマトは自給用である。自分には、出荷は難しい。
(1)上からはカラスが、下からはタヌキが狙う。
(2)蛾がトマトの実を刺して、そこから腐敗する。
(3)雨に当たると病気が出やすい。
(4)葉が縮れたりする病気が多い。


 ニガウリは5月の連休に種を蒔く予定であるが、今、苗を買って植えておけば1ヶ月早く収穫できる。




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 4月2日に蒔いたナンキンが早こんなに大きくなった。ポットが大きくないので、明日か明後日には定植する必要がある。

 同じくスイートバジルも、後3〜4日のうちに、ポットに鉢上げする必要がある。その左の新聞紙で包んでいるのは、15日に蒔きなおしたイタリアンパセリである。直射日光がよくなかったかも知れないと思い、こうやっている。



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 昨日、小雨が降る中をナスビとピーマンの定植をした。もらった苗はすでに大きいので、簡易な支柱をしないと倒れる。右の画像は定植したピーマンの拡大画像である。ナスビ44本、ピーマン22本という定植本数を守った。出荷の日は、早朝2時間〜2時間15分ほどで収穫を終える必要があるので、1本の多い少ないが、10種類では合計10本の多い少ないになるので、これでは時間内に収穫が終わらない。




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 ハヤトウリが草に守られて元気に成長していた。6個植えているうちの2個大きくなってくれればよいが、6個(本)とも元気だった。収穫が始まるのは10月10日頃からであり、棚もいるのでちょっと面倒だが、10月下旬の端境期に、インゲン、レタス(極早生のガーデンレタス)と共に支えてくれる貴重な一品である。



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 エサを持ってトリ小屋に入ると、まぶれついてくる。とてもかわいい。
 右の画像はタマゴを産み落とそうとしている瞬間の画像です。このタマゴが食べたいから、鳥インフルエンザには負けれない。


 毎日、早生タマネギと春キャベツの「そればっかり食」であるが、今の時期のタマネギは、茎も葉も全て食べれて捨てる所がない。味噌汁に入れると甘くておいしい。トーフやアゲと煮るのもよい。
 
 春キャベツの半分はパカッと割れている。まるでザクロのようである。商品価値はゼロ。でも、パカッと割れるのが、おいしさの証であるような気がする。実際、割れていないキャベツより、割れているキャベツの方がおいしい。
 
 あと1週間もすれば、春レタスや、エンドウ、スナップエンドウが毎日のように食べれだす。農家であることの幸せ。


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ニワトリの導入記録

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平成3年3月6日・・・メス30、オス3、品種ゴトウ、姫路へ車で買いに行った。トリ小屋の地下からタヌキに侵入され、5月中旬、一晩で全滅。


平成3年8月2日・・・メス36、オス4、品種ゴトウ、姫路へ車で買いに行った。トリ小屋の周囲の基礎をブロックで固め直した。4年近く飼い、最後まで残った17羽は、引き取り料を支払い、業者に引き取ってもらった。


平成7年6月6日・・・メス32、オス3、品種シェーバー、宅急便で送ってもらう。コクシジウムという病気が翌年7月に発生して半数が死亡。生き残ったニワトリも産卵率が落ちたため、翌年春、近所の人に手伝ってもらい淘汰。


平成9年5月21日・・・メス20、オス1、品種シェーバー、宅急便で送ってもらう。導入羽数が少なすぎた。3年間飼い、10羽を切ったので、残りの9羽を自分で淘汰。


平成12年5月25日・・・メス30、オス2、品種シェーバー、宅急便で送ってもらう。5年間飼い、産卵率が落ちたので、Iさんに応援してもらい淘汰。


平成17年5月27日・・・メス30、オス2、品種ボリスブラウン、宅急便で入荷。


 
 以下は、今のニワトリ(ヒヨコ)を導入する前に書いた作文です。
(平成17年、4月)
 
今年は、導入して5年がくる老ニワトリを処分して、またヒヨコを入れようと思い、5年前の購入先に電話をすると、どうもつぶれたらしい。ニワトリをたくさん飼っている4人の友人に電話をしてやっと、その紹介の紹介という形で、少羽数でも送ってもらえる業者が見つかった。

 ニワトリを飼っている友人が皆が皆、ヒヨコから入れるわけではなく、採算や回転の面から、中ビナや大ビナから導入したり、尻ツツキを防ぐために、口ばしをデービークしたヒヨコを導入する場合も多いので、自分のもいっしょに注文してもらうことは、間違いも起こりやすいし、迷惑もかかる。少羽数でも、やはり自分で買うしかない。

 去年の鳥インフルエンザの影響もあるのか、ヒヨコ業者は、倒産したり、吸収合併されているようである。今回、少羽数でも送ってくれる業者が四国に見つかった。次回から100羽単位でと言われたが、次はまた4〜5年後のことなので、そんな先のことは考えられない。このように、30羽ほど飼うという飼い方が、「ヒヨコを導入する」という観点からだけ見ても、とても不便になっている。自分の場合は、ニワトリを飼っている友人がたくさんいて、多くの情報を持てたから、少羽数でも送ってもらえる先が見つかったが、情報量が少ないとヒヨコもなかなか手に入らない。45年ほど前なら、地域のほとんどの家の軒先で、20〜30羽ほどが、肉と卵が目的で飼われていたから、ヒヨコなどいつでも手に入ったはずである。45年前とは時代が一変している。ニワトリを飼っている家などほとんど見かけない。

 ヒヨコを導入するとなると、今まで飼っているニワトリをどうするかという問題も出てくる。まだ、メス22羽、オス1羽が残っている。23羽も一度に自分で絞める勇気はなく、引き取ってもらえる業者を教えてもらったので、今の所、そこへ持っていくことに予定している。
 1世代前の人が聞いたら、「何という、もったいないことをするんだ」と、お叱りを受けたことだろう。45年前、ニワトリはとてもごちそうであり、お祭りなどの特別の日しか口にすることはできなかった。つまり、それくらい高い値段で取引されていた。


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温床3パターンと冷床

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 平成16年3月8日に、画像の園芸マットと電子サーモを20664円で、近くの農業資材店で購入している。だから、この電熱温床を使用した期間は3年間だけである。2万円ほど無駄な投資になった。



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 今年は画像のように、地下に20センチほどの穴を掘り、その穴に踏み込み温床の材料(稲ワラ、米ヌカ、鶏糞、籾殻、笹やススキのような固めの草、落ち葉、メタン菌液肥少々、水)をサンドイッチ状に交互に入れて踏み込んだ地下温床を作った。


 以前は、地下温床ではなく、周囲をトタンなどで囲んだ地上温床で踏み込みをしていた。しかしこの方法は、踏み込み中に、トタンの支えにしているクエが傾いたりしてどうもうまくいかなかった。
 
 竹で枠を作っていた時は、竹と竹を結んだ紐が途中でほどけて、温床のやり直しになることが何回かあった。
 
 結局、温床の枠もろくろく作れないという「超不細工」が、平成16年3月の電熱温床購入につながった。


 (1)電熱温床

(2)地上温床

(3)地下温床

(4)冷床


(1)の電熱温床は、どういうわけか、発芽失敗が多かった。電子サーモもあるわけだから、温度が一定以上あがると自動的に切れるはずであるが。
 新しいものを使い始めると、最初は使い方や温度管理がうまくいかない。発芽しても、苗の大小のでこぼこが多かった。結局、電熱温床を使った3年間は蒔き直しばかりしていた。


(2)の地上温床は、外枠の竹を結んだ紐がほどけてしまうという悪戦苦闘だった。温床を作る時期が近づくと、気分が落ち込んだ。


(3)電熱温床の3年続きの失敗が、今年はどうしようという、新たな問題になった。どうしようと考えているうちに、かなり以前に田んぼ見学に行かせてもらった人が地下温床をしているのを思い出した。ひょっとして、これはうまくいくかもしれないと、そんな直感が働いた。

 穴を掘るのは簡単だった。150センチ幅の通常の畝を利用して、そこに縦60センチ、横30センチの稲の苗箱が8つ並べばよいのだから。30分ほどで掘れたと思う。
 何で農業のスタート時点からこれにしなかったのだろう。随分と回り道をしたように感じる。これは自分がずっと子供の時から「地上温床」しか見てこなかったし、最初に父に教えてもらったのが地上温床だったから、他の方法が想像できなかったのだろう。


(4)の冷床はサツマイモに関してである。農業歴4年目に切り替えた。父が元気だった3年間は父が温床を作ってくれていたが、自分1人になると、何回も教えてもらっていた、温床の外枠に編んでいく稲ワラが、もう編めなかった。その時、多分誰かに相談したんだろうと思うが、「サツマイモは熱をかけんでも、ちょっと時期を遅らせたら芽が出るぞ」と教えてもらったように思う。実際、温床でない冷床でも、苗が切り取れる時期は、3週間ほど遅いだけだった。そして、遅く苗を切り取って挿し木をした方が、苗の活着がよかった。だから収穫期は10日も違わなかった。




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上の画像はサツマイモの冷床である。150センチ幅の通常の畝に2条に鍬でガンギ(溝)を切り、サツマイモを置き、サツマイモが隠れるくらいに土をかぶせ、その上からクン炭をたっぷり振り、トンネル状にポリで完全密閉して完了。これで5月に入るまで状態を見る必要はない。


 自分が普通に器用だったら、多分(2)の地上温床を最初からずっと続けていただろう。でも地上温床がうまく作れなかったから、何か他の方法を模索せざるを得なかった。それが電熱温床につながり、その後の地下温床につながった。


 上記のように、サツマイモは早々と冷床に切り替えたが、他の苗物の温床は、ハーブを導入するまで、長く作らなかった。苗は義兄にもらったり市販の苗を買ったりしてすませていた。

 
 ハーブのスイートバジルで温床作りの必要に迫られた農業歴10年目の春からまた温床作りを始めたので、結局、温床作りに悪戦苦闘したのは5年ほどだった。自分は、苦手なことはすぐに投げ出してしまうのに、よく5年も続けれたと思う。でも5年が限界だったろう。


 器用、不器用はそれほど農業に影響はないと思う。今の自分はあまり困ってはいない。しかしそれは、無意識の内に、自分の苦手作業が出てきそうな農業方法(形態)は避けてきたからだと思う。ただ、農業には、やり方は一つではなく二つ、三つとあるように思う。


おまけ(田んぼの夕暮れ)


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色々米


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 いつもいつも、ありがとうございます。
黒い米粒、赤い米粒、緑の米粒、小さな米粒達。

 近代農業の多収技術とやらに一生懸命動いていた頃には、色付きのきれいな米粒があることも気付かず、見ても自分に受け入れられなかったものです。

 ある時から、これからの自分のできる農とは? 食とは? 考え、さまよい続けて、自問自答の稲作りの繰り返し。そんな時に、薬も化学肥料も使うことなく、豊かに実る稲達とめぐり合い、自分の中で「これだ」と直感、その色彩豊かな稲に心奪われたことは忘れません。

 銀シャリに追いやられてしまった、これらの米達。

 栽培するには、個性が強く、多くの欠点の持主。問題の多い、黒米、赤米、緑米なんです。

○ 茎が細く、長く、やわらかく、倒れるもの
○ 茎は太いが、穂は小さく、実入りが少ないもの
○ 穂は大きくて、実はたくさん付けるが、ポロポロ落ちるもの
○ 虫、草、病気に弱い稲たちもあり
 個々に育てるのには、手間のかかる大変な稲達ですが、種を蒔く時に、種モミを品種別におろすのでなく、品種と品種を混ぜ合わせて一緒にすることで、個々の欠点は、他の稲を支える為の長所と化し、共に豊かに育つ為の稲になることを知り、それぞれの力で素晴らしいハーモニーを一枚の田んぼで作り、にぎやかにおりなす景色、そして、美しい営みの色々米達です。私は、こんな色々米の田んぼが大好きです。

 人間の営みも、そんな風になれば平和なのに!

 食べる人がみんな健やかになればいいな。

 この中に入っているお米の品種は、

うるち米 ・コシヒカリ、イセヒカリ、農林48号、他15品種

もち米  ・マンゲツもち、アクネもち、他5品種

赤米   ・神丹穂、国司、他6品種

黒米   ・朝紫、おしのむらさき、他5品種

その他  ・香り米、しゃ香米、等。

 どうぞ皆様、楽しい食事を。合掌

上野長一




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 1月にWさんを訪ねた時に、野菜や、自家採取をしているいろんな野菜の品種のいくつか、それに上記の米も少し頂いて帰ったのに、忘れてしまっていた。

 その米粒の袋の中に、1通の手紙が入っていた。その手紙を今頃気付いて読んで、ブログで紹介したいと思った。それは、
「個々の欠点は、他の稲をささえる為の長所と化し、共に豊かに育つ為の稲になることを知り、それぞれの力で素晴らしいハーモニーを一枚の田んぼで作り、にぎやかにおりなす景色、そして、美しい営みの色々米達です。私は、こんな色々米の田んぼが大好きです」という一文に出会ったからだった。


 どこの人だろうとWさんに確認の電話を入れると、栃木県の人だった。以前Wさんが高知県におられた時、「現代農業」という雑誌の「お便りコーナー」に、高知県の在来種の種籾をもっていると書いたら、上野さんから手紙がきて、その在来種を送った時に、この色々米を送ってくれたらしい。その他、
(1)50代の人であるらしい
(2)米の専業農家で、田んぼは5ヘクタール〜10ヘクタールほど作っているらしい
(3)無農薬、無化学肥料で作っているらしい
(4)全部が全部「色々米」の作付けではなく、作付けの一部が「色々米」であるらしい
(5)現代農業に時々記事が載っているくらいだから、その方面ではちょっと名が知れた方であるらしい

 Wさんも直接の面識はないらしく、何かに書かれていた紹介記事らしかった。

 稲に対する知識が乏しくて恥ずかしいが、赤米、黒米等の有色米は「玄米」で食べるものらしい。「白米」にする、つまり「精米」をすると、表皮の赤色や黒色が取れて「白米」になってしまうらしい。ボクは芯まで、赤色、黒色、と思い込んでいた。ちょっとかじってみたら、中は白色だった。

 白米の中に有色米の「玄米」を少し入れるくらいなら、「玄米」が気にならないし、色がきれいだと言われる。有色米はそういう食べ方をするらしい。

 赤飯には、小豆の代わりに、赤米を少し加えてもよいらしい。


 日常、赤米や黒米や緑米を目にすることがないので、米といえば普通の玄米、白米しか想像できないが、出回ることのごく少ない少数種をあえて作り、きちんとこれらの固有種を守り、受け継いで作り続けている人が、稲作の世界にもいる。 


 野菜の世界でも、現代は「F1種(一代交配種)」が席巻しているが、固定種(在来種)を守り、引き継いで行こうとしている人たちが、有機農業研究会には数多くいる。身近にもWさんやNさんなどF1種でなく、あえて在来種の米や野菜にこだわって育てている人がいる。


 自分の場合、通信販売で購入する種代だけで、春夏作は1万円余り、秋冬作では1万5千円余りになり、毎年コンスタントに2万5千円〜3万円ほどになる。たったの3反百姓なのに、種代にこれだけかかっている。でも自分の種代は、農業者の中では最も少ない部類だと思う。


 簡単に種取りできたので、2年ほど、ハーブのロケットを種取