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あめんぼ通信

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

Tさんの田んぼを訪問

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 昨日は「自然農、学びの会」が終わった後、そこから10分ほどの、「円城ふるさと村」近くに入植されているTさんを5人で訪ねた。

 
 Tさんがこの地に入植されてすでに8年になるらしい。この地に来られる前の4年間は、昨日の学びの会を主催されたOさんと共に、東備地域におられたので、2回ほど田んぼ見学に行かせてもらったことがある。すでに、現在の「萌芽」が当時の田んぼで見えていたように思う。
 
 農業経験年数がまだ短い時から、農業者としてのセンスが見て取れた。生産→販売がすでに形になっていたように思う。これだけは、農家出身、非農家出身はあまり関係がないように思う。
 
 TさんもOさんも、自然農法家だが、スタンスはかなり異なる。一口に自然農法といっても、個人個人
千差万別である。


 
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 育苗ハウス。Tさんの畑は、赤土の畑もあるし、普通の田んぼ土のような畑もある。



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 雑木林の中には、たくさんのシイタケの原木が置いてあった。この地ではいろんな「山菜」にも恵まれているようである。
 竹の子、ワラビ、フキ、山ウド(シシウド)、コシアブラ



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 Tさんの住居。もちろん借地借家であるが、隣接する家がなく、屋敷周りに1ヘクタールほどの田畑が広がっている。朝起きると、家の玄関先から、眼下に野菜の顔が一望できるというのは農業者の喜びだと思う。あまり出歩いていないと言われたが、田畑で農作業をすることの方が、出歩くより、本人にとって充実した楽しい時間なのだろう。



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 ネギがかなり大きな間隔で植えてあった。あまり肥料を入れない場合は、光合成を高める意味で、株間や畝幅を大きく開けると聞いたことがある。

 一般に自然農法の場合は、肥料を入れないとか肥料を持ち込まないと言われる。持ち込んでも「ヌカ」ぐらいのようである。以下はTさんのことを書いたのではない。Tさんはすでに、規模的にも、技術的にも、経済的にも、自分よりかなり先を行っている。これは田んぼを見ればすぐにわかる。


自然農法について

 肥料が少ないと、栄養不良になり、病気や害虫に対して抵抗力も弱まりはしないだろうか。しわくなったり、早く「トウ」が立つことも考えられる。
 稲ワラや麦わら、雑草、土手草などを、畝に敷きつめていく、山の落ち葉→腐葉土になるような考え方であるが、そのためには、最低でも20年くらいの期間はかかるように思う。10年くらいでは、なかなか効果が表面化しないのではなかろうか。


 自然農、不耕起、肥料を持ち込まないというのは、多分、50年ほど前までのごく一般的農法であり、だから、復古趣味、回帰農法と自分は考える。
 
 山の斜面の田んぼは、たいてい等高線状に畝立てがしてあり、畝を崩すということはあまりしない。サツマイモ等を作って、一時的に畝を崩すようになっても、すぐに元通りにしていたように思う。そして、そういう山の斜面のような畑では、下から肥料を持ち上げるのも大変なので、山の落ち葉をかき集めて一箇所に集め、1年ほど風雨にさらし、それを肥料代わりに、畝に敷き詰める方法が最も簡単で効率的であったと思う。


 平地では逆に、山の落ち葉を下に下ろすのはちょっと大変である。今は昔と違ってヌカが無料で手に入るのだから、ヌカくらいは利用したらよいと思う。自画自賛するわけではないが、ヌカもそのままを振りまくのではなく、味噌のように寝かせて、微生物の働きで、熟成させるのが良いと思う。「水に溶いて寝かす」この一手間によって、肥料効果が出てくるように思う。


 ニンジンでもサツマイモでも、収穫物は、毎年何トンも持ち出しているわけだから、持ち込まなかったら、持ち出す一方になり、まさに収奪であり、土地はますますやせてしまう。持ち込まないのだったら、せいぜい自給用くらいにとどめて、収穫物を持ち出さないようにする必要がありはしないだろうか。

 
 でもボクの浅学な一般論よりも、自然農法の方は、それなりの方法で、その人なりに、満足と思える収量をあげておられるのだろう。その収量で不満足だったら、現在の農法にとどまらないと思う。
 


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 ここの地区は「百姓王国」と名付けられている。修学旅行にくるくらいだから、全国的な知名度もあるのだろう。だから、「畑潅水設備」が備わっている産地である。Tさんは百姓王国のメンバーに入っているわけではなく、顧客との直販だから、農協にもさほど係りがあるわけではない。こういう野菜産地にいると、やりづらい面もありそうに思えるが、そういうことはほとんどないらしい。



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 とても愛想のよいわんちゃんだった。


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 玄関先は趣味ワールド。隣はオーディオルーム。音痴な自分は、何の音楽が流れているのか全くわからなかった。ご夫婦のどちらのセンスなのか、おしゃれな飾り物がたくさん置かれていた。


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自然農 学びの会 おかやま

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 昨日の夜からパソコンに不具合があって、パソコンの仮設住宅のような場所で、今日の更新をしている。今はブログが自分の一番大切なものである。

 
 今日は、「自然農学びの会」に、家から片道60キロほどの吉備中央町へ行ってきた。自分は自然農をやっているのではなく、自然農をしている若い方から、誘いの声かけをしてもらっていた。初めての場所だったので、1週間ほど前からちょっと楽しみにしていた。それが昨晩のパソコンの不具合で、今朝はパソコンの修復を優先し、午後から吉備中央町へ出発という強行軍だった。

 
 パソコンの方は、個人指導を受けているパソコン通の高校生(この春、大学1年生になり下宿されたので、今後はたまにしかスーパーレッスンを受けれそうにない)に、すぐさまメールを入れて、5月の連休でこちらに帰られていたので、さっそく対応をお願いした。パソコンならわからないことがない18才だが、今回だけはすぐに解決というわけにいかず、数日間待機になった。でもこの高校生と出会えたから、画像の挿入と毎日の更新ができている。とても勇気づけてくれるサポーターである。

 
 今朝は6時半に起きて、ニワトリにエサをやり、スイートバジル等の苗物に水をやり、暑くなりそうだったので、苗床のポリは全開にした。早朝の水はまだ冷たいので、苗物が凍えそうだったが、地苗でなくポット苗なので、1日1回は水をする必要がある。その後朝食を取り、午前中はパソコンの指導を受け、昼から出発した.

 
 0さんは、知らない人ではなく、我が家からそれほど遠くない場所に4年ほどおられたので、面識はあったが、新しく移られた土地へお伺いするのは始めてだった。素敵な奥さんと2人で不耕起の野菜栽培や、古代米(緑米、黒米)等の稲作をされている。2人の出会いも自然農の会だったらしい。まだ30代の方である。

 
 作られている規模や野菜の様子から、どれくらいの収入になるんだろうかなあと、すぐに経済が頭をよぎる自分であるが、平凡に農業ができて、なんとか、日々の生活がまわっていくなら、それだけでよいし、季節の変化に身をまかせ、風や草木の香りを感じることができるだけで十分なのだと思う。そんなやさしさが身体全体からにじみ出ているような二人だった。50人ほどの参加者の前で、参加者の一人と共に即興で歌われた歌に、日々の暮らし方を感じることができた。


 初めての場所では、村の田舎道や田んぼのあぜ道を歩いたり、育っている野菜を見たりしながら、思いをめぐらすことが楽しい。ちょっと歩き回ってみると、その地域の過ぎ去った過去が40年、50年くらいはさかのぼって、うっすらと記憶によみがえってくる。そこが、自分の住んでいる所とかけ離れた場所であっても、畑や古い建物や周囲の風景を見ているだけで、まるで、過去に自分が住んでいた所のように、鮮明に記憶がよみがえってくるような錯覚が起きる。田舎には、どこの田舎にも共通の何かがあるのだろう。多分、江戸時代以前の何百年、何千年という悠久の年月の間、さほど文明が進歩することなく、人間が人間らしく生きていくことができた時代だったのだと思う。


 田んぼや畑の土の上で生きていくことが、なぜこんなに難しくなったのだろう。ニワトリもすでに99%のニワトリは、土の上で生きることができなくなっているが、人間も同じである。


 土の上に帰りたい、土の上で生活をしたいと考えても、もう許されない時代である。ニワトリが土の上に帰れなくなっているのに、人間が帰れるわけがない。どちらも同じ「資本主義」というシステム」の中にいる。
 どちらも同じ土の上にいたのは「自給自足主義」という過去の時代である。

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 Oさんの田んぼは不耕起なので、かなり深く、畝の溝を掘りあげている。


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 近くで見かけた地上温床。普通の温床は地下温床ではなく、このような地上温床である。上を簡易なポリで覆っている。


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 近くの菜園で見かけたチューリップ。



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 Oさんの畑からの遠景  


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 田んぼの真ん中あたりに人影がたくさん見えますが、今日の、自然農学びの会には50人ほどが参加されていた。自然農法の専業農家というのは少なくて、ほとんどが家庭菜園や自給用の稲作のようだった。


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農業形態と作文形態

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 毎日、お勤め、ご苦労様です。


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 まだ産まれませんか。


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 隣の部屋が空いてますよ。

 
 「農家なんだから、農業ならたいていのことは何でもできるんだろう」と思われるとしたら、そんなことはない。100種類の農業形態があるとしたら、誰でも、その内の5形態ほどしか、やってのけることはできないと思う。


 「農協だより」が月に1回配られてくるが、それに載っている農業者の経営規模や経営作物を見て、自分にもできるだろうと思えることは全くない。同じ農業の世界でも、全く違う職業の人に見える。


 自分が農業の世界に入るきっかけを与えてくれたのはまさに「農協だより」であり、今から19年前の5月の連休のことだった。家でぼうっとしていたら、農協だよりが目に留まり、それをぱらぱらとめくっていた時に、突然、「農業」という考えが頭をよぎった。そのひらめきが、とてもうれしかったことをいまだに覚えている。農業が身近にある人ほど、農業が職業として思い浮かばない。というよりも、地域に農業で生活している人など皆無だったから、農業=職業という意識がどうしても浮かばなかった。定年後に遊び半分でするものと思っていた。


 その時から、農業を始めるまでの2年間に、農業改良普及所へ相談したり、見学に行かせてもらったり、図書館で農業関係の本を読んだりしたが、その時に1冊の本に出会い、直感的に、「自分にはこの農業形態が最も合っている」と思った。そして、「この農業形態なら自分にもできるだろうと思った」。以後、他の農業形態を模索することは止めた。その1冊の本は「都市生活者のためのほどほどに食っていける百姓入門」という、長ったらしい題名の本で、まさしく「ワンパック宅配」のやり方を具体的に説明していた。その後、この類の本をたくさん読んだ。ワンパック宅配とは、多種類作ってそれをセットにして顧客に直接届けるという出荷形態だった。


 自分と同じ頃、あるいは自分より数年前にワンパック宅配を始めた人たちのほとんどが、現在はこの農業形態を止めて、他の農業形態に移っている。他の農業形態に移られた方はそれぞれ成功を収め、経済的にも安定している。


 自分の場合も、彼らと同じように、もっとカネになりそうな、他の農業形態を真剣に模索した時期があった。しかし、自分には他の農業形態に移る「能力」がなかった。だからワンパックを続けざるをえなかった。ワンパックを続けることは、ワンパックに毎月1回添付していた「あめんぼ通信」を続けることにつながった。
 農業形態の変更は挫折したが、ワンパックの副産物だった通信が、13年目の農閑期に1冊の小冊子になった。それが14年目の農閑期にもまた1冊の小冊子になった時、はっきり、自分の農業形態の変更は「農業作文」と意識した。この農業形態への変更は出来るかも知れないと直感して、日々の努力目標にしてきた。15年目の農閑期にも1冊の小冊子になった。16年目の農閑期に今年こそはと思い、17の出版社へそれまでの4冊分を1冊にまとめなおして郵送した。結果は17社すべてボツだった。かなり落ち込んでいた時にブログと出会い、またあめんぼ通信を続ける環境になった。


 最近になって、「ブログは自分に向いている」と感じるようになった。というのは、ブログは「続き物」より「日替わりメニュー」の方がよいと思えるから。
 自分は、原稿用紙換算で5~6枚分の「1日で終わる作文」しか書けないので、これもブログ向きのような気がする。長々と、起承転結の筋道を目次立てして、昨日書いた作文を読み直し、今日またその続きを書くというようなことはとてもできない。集中力が途中でプッツンと切れてしまう。


 だから、日替わりメニューを50項目ほど寄せ集めて、それを1冊の小冊子にするという、まさにブログ的なやり方の本だった。それに自分の場合、1冊の本にしようとすると、どうも「かたまって」しまって、その中でもがいてしまう。削ったり、付け加えたり、新たに書き直したりしているうちに、頭の中が混線してきて、身動きができなくなるのを感じた。こういう事態になるということは、「1冊の本にまとめあげる」というのは、自分にはあまり向いていないなあと意識するようになった。


 1回読みきり、短文、日替わりメニュー、1冊の本を書くより5~6枚を書くルポライター向きという自分の特性が段々と見えてくるようになった。


 つまり、ブログをわざと日替わりメニューにしているのではなく、「続き」や「連続」が書けないだけのことである。(1)、(2)と続いているように見えても、かなり日をあけて書いていて、それをくっつけているだけである。


 起承転結のある長文は書けそうにないが、1日完結の5~6枚を書くなら夢中になれる。1日といっても、夜7時~12時の間の3~4時間である。


 十把一絡げに作文といっても、農業形態と同じように、それぞれ100種類ほどの書き方の違いがあるように思う。ブログはその100種類ほどの作文形態の中の1形式だと思う。今後は、1冊の本を読む人より、1つのブログを読む人の方が多くなると思う。ブログは無料だし、本より読みやすいし、画像がきれいだし、時々コメントを入れたりもらえたりすることもある。


 農業形態にしろ作文形態にしろ、自分に向いている形態は、比較的短期間に「形になり」、それを続けることができる。


 非農家出身の場合、どんな農業形態が自分に向いているか、直感が働かないかも知れないが、最初に選んだ農業形態に大きな投資をしなければ、途中からの農業形態の変更も可能である。そういう点で、補助金の出るような農業への入り方は、途中からの農業形態の変更が難しいと思う。



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ハーブの今

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 タマネギは見た目はまだ病気がきていないが、よく見ると、右の画像のように病気が来始めた。きまって4月中旬頃にきていたが、今年は雨が少なく、空中湿度が低かったせいか、例年より10日ほど病気発生が遅い。この10日間の違いは大きい。今年は例年よりタマネギの収量は多いはず。

 タマネギ、ジャガイモ、ナンキン→病気に困る

 アブラナ科野菜→虫害に困る


 自分の田んぼでは病気が必ず発生するタマネギは、早生品種1袋(20ミリリットル入り)と中晩生品種2袋しか種を蒔かない。まあ、これくらいなら病気がきても「放っておけるかなあ」という限度である。これ以上に種を蒔くなら、病気予防の農薬散布をしないとばかばかしい。


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 今日また液肥を担いだ。楽しく担いでいる。肥料に関しては幾度も変遷を重ねたが、液肥と出会えてから、肥料作りや肥料の散布が楽しくなった。でも、1度に担ぐのは6荷くらいである。

 18リットル×2タル=36リットル(1荷)。 自分が1回に担げる量は36リットルくらいである。6荷担いだとすると、36リットル×6=216リットル。これでタンクが大体半分ほどになる。

 使ったらすぐにヌカを1袋半ほど補充し、ナタネカスを3キロ(投入量はかなり適当)ほどと、タンク周辺の雑草を補充する。

 液肥は今、ほとんど未熟状態である。でも春夏作で使うのは5月中旬頃までだから、未熟だとかいっておれない。でもこれで十分満足できる収穫があるので、肥料としての役目は果たしてくれているのだろう。5月中旬~7月末は余り使うことがない。


 大体、果たしてメタン菌がこのタンクの中に生存してくれているのかどうかもよくわからない。種菌にする原液をもらってきたのはすでに4年以上前のことであるし、それ以後は、ヌカ、ナタネカス、旬の雑草を適宜、加えては施し、加えては施ししているだけで、原液の補充はしていない。でも、結果は作物が出してくれる。今の所問題はない。

 ヌカやナタネカスを生のまま田畑に振りまくのではなく、いったん水に溶かして寝かす」という一手間が効果的なのだと思う。生ヌカも少々は使っている。


 施す量も150センチ幅で17メートルほどの長さの畝に、2荷(36リットル×2=72リットル)ほどである。そして雨を待つ。急ぐ時は、エンジンポンプで散水(10倍ほどに薄める)して、一晩乾かして翌朝に黒マルチをする。




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 サツマイモに肥料はあまりいらない。特に窒素肥料が多いと「つるボケ」するので注意。

 昔から、サツマイモを作ると「土地がやせる」と言われている。芋づるの茎を挿し木するだけで、あんな太い芋が入るのだから、当然と言えば当然である。

 クン炭(焼きすくも)、液肥(他の作物に施す3分の1ほど)、そして生のヌカを少々施して、サツマイモの施肥は完了。

 サツマイモの畝の通路には、草押さえに籾殻を振った。



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 スイートバジルの現在。
 イタリアンパセリはまた失敗して3回目を蒔いた。



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 多分、今日が最後のタンポポの画像。農作業の合間合間に、目に入ってくるタンポポに癒される。タンポポの盛りが過ぎるのを待って、今年初の「畦草刈り」を始める。


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 お隣の田んぼでは、畦草に除草剤を使われているので、春が来てもタンポポが咲かない。当方の田んぼの境界からタンポポが咲いている。タンポポを咲かせてあげてよ・・・。


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 いつの間にか新緑の季節になった。桜が咲いていた頃はまだ木々の新緑が目立たなかったのに。


ハーブの今

 
すでにレモンタイム、コモンタイム、スペアミント、アップルミント、レモンバーム、チャイブ、セイジは、4月上中旬頃から出荷可能だが、スイートバジルがないと注文がもらえない。スイートバジルとひっかけて、これらのハーブの注文がもらえる。スイートバジルのように4~16単位の注文ではなく、せいぜい1~2単位なので、バジルがないと送料が高くついてしまう。
 
 ミントなどは、葉が大きくなりすぎると商品価値がないので、時々刈って捨てるが、惜しくはない。いくらでも次から次へと伸びてくる。
 


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 レモンタイム・・・5月中旬頃からピンク色のきれいな花が咲く。常緑草だが、伸びるのは12月頃まで。摘んでも摘んでも伸びてくる。



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 スペアミント・・・これも雑草のようなもの。厳冬期以外はいくらでも伸びる。



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 レモンバーム・・・これも雑草のようなもの。初霜の頃まで出荷。



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 チャイブ(フランス語ではシブレット)。日本名は極細ネギ。5月に入ると、ブルーのネギ坊主が咲く。花がきれいなので花壇にもよい。普通のネギとは逆に、4月中旬~11月中旬の春、夏、秋が収穫時期。霜にあたると枯れる。隣はニラ。ニラとシーズンが同じなのでニラの隣に植えている。



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 ルバーブは茎をジャムにする。葉は食べれない。フキのような茎を小口切りし、目方の半分の砂糖を入れ(水は入れない)、弱火で20~30分ほど、ことこと煮ると、酸味のあるルバーブのジャムの出来上がり。株分けが簡単にできて増やせるが、
(1)青枯れが多い。
(2)過湿に弱く、高温にも弱い。かなりきゃしゃな作物。
(3)冬越しする時に枯れる場合もある。
 だから、なかなか増やせない。



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 左がステビア、右がレモンバーベナ。上記のチャイブとニラのように、似ているので、たいてい同じ場所に植えている。ステビアはほとんど注文が来ない。どちらも冬越しする時に、株元に籾殻をおいて保温する。一度枯れるが、4月中旬頃からまた新芽が出てくる。5月中下旬~11月中旬頃まで収穫できる。




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 青シソは前年作付けした場所にいくらでも芽生えてくる。こぼれ種から発芽したのを、きちんとした場所に定植する。


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今月の熱き心くん

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 日本有機農業研究会が発行する「土と健康」誌の4・5月合併号に、建部町のWさんの手記が掲載された。シリーズの「今月の熱き心くん」のコーナーだった。


 田舎移住や有機農業をめざす人にとって、この雑誌は、かなり役に立つと思う。ずっと以前には、「自然食通信」や「百姓天国」という素晴らしい本があったが、現在は廃刊になり、残っているのは「土と健康」誌だけである。リンクにも載させてもらっています。


 以下、Wさんの掲載分を原文のまま紹介します。


投資せず収穫する「自然農」

化学物質過敏症になってから百姓始めて8年。岡山に来て1年。年収はかつての月収程度ですが、それでも全然貧しくない。楽に生活が回ってゆくから不思議です。
 
 陽が出たら野良へ行く。暮れたら帰る。薪風呂を焚き飯を作る。風呂に入り飯を喰う。暖まったら寝てしまう。冬の日常です。暖房使う暇がない。電気も昼間は使わない。水は山水。買い物は生協が巡回します。
 
 固定した出費は、農地込み家賃月3千円。部落費年3千円。電気代は冷蔵庫と炊飯器を毎日使って月1400円。ガスはボンベ買い取りで年3千円以内。汲取り年3千円程度。通信費はネットも含めて月3千円程度。軽トラは年間走行3千キロ程度で燃料3万円以内。任意保険料と税で約2万円。車検は自分で出すので、法定料金が3万数千円。整備しても5万以内。
 
 そして重要なのは自然農です。不耕起、無肥料、自家採取では、金のかけようがありません。投資もせずに収穫だけが発生します。ぜーんぶで、年間20万以内です。食物はほぼ自給、他に欲しい物を買っても、年に35万もあれば十分です。金が余らない程度に稼いでいます。

お金に依存しすぎない生き方

 農業は割りに合わない仕事だと言われます。でもそれはきっと、仕事のすべてをお金に換算しようとするからではないでしょうか。死から生を生む百姓ほど生産性の高い仕事はないはずです。それでも農作物が金にならないなら、僕は必要最小限しか「金に換えない」。真なる大根の価値を、自ら下げることはない。
 
 確かにお金無しでは生活できません。でも現代人は、あまりにもお金に頼りすぎていないか。当然のように金で済ませていたことも、やれば自分でできることがたくさんある。それを教えてくれたのが百姓でした。時間あたりの労賃が安いことも、チャレンジ精神の大きな味方です。ユーザー車検で3万浮くなら、3日かけても整備します。自分でできるようになることは、とても嬉しいことです。未知の領域への誘い。手間を惜しまず体験を得る。
 
 かつての僕は能率や効率に囚われ、時間とお金に追われて、自分の生活を失っていました。でも百姓となって8年、土と共に在るこの生活の先に、確かな未来が見え始めました。
 
 僕の先祖もずっとそうしてきた。その同じ道を今僕も歩いている。この道はきっと確かです。僕は、このまま生涯現役で「百姓」として生き続けていきたいと思います。最後にいいます。
 百姓は、古くて新しい職業だ。
 百姓万歳!百姓に勝るもの無し!


 なお、上記の掲載分については、他に転載したり、引用されたりする場合は、Wさんまでご一報をお願い致します。メールアドレスは下記の通りです。
go4nobu@aqua.plala.or.jp


 Wさんは「田舎暮らし」が上手な人だと思う。そして、農作物を売ってそれを生活の足しにするという農業依存型ではないので、全くあくせくしていない。ライフラインには費用をほとんどかけず、農業に投資をしていない。


 年間に35万円もあれば十分というWさんの記事を読んで、えー、うっそうー、ほんとーと大多数の人は思われると思います。でもこれがWさんの普通の暮らし方です。

 
 Wさんが書かれていないことで少し付け加えるなら、Wさんは、単に化学物質過敏症なだけで、他は全く健康体であるということです。歯も目もとてもよいし、その他に、内臓は全く健康そのもののようです。つまり、医療費は全くかかっていない。
 「小食」をされていて、確か、朝は青汁を一杯だけ、そして、去年は米が作れなかったので、サトイモやサツマイモ
が主食の夕飯だったようです。

 
 もう一つ、住まわれている地域がいいと思う。平均年齢が70歳を超えている集落であり、人家もまばらで、廃村とまではいかないが、過疎の山村である。

 
 もう一つ、Wさんは器用な人である。草刈機やチェーンソーの刃が研げたり、ちょっとした大工仕事、ちょっとした農具の修理もできる。「田舎暮らし適塾」があるなら、その講師ができそうな人である。

 
 もう一つ、学習塾のアルバイトができるというのも、農業に依存しない生き方をするうえで、Wさんの大きな武器であると思う。


 もしあなたが、大都会の小さな一室で、一人悶々とした日々を送っているなら、過疎の山村への逃避行も選択肢の一つとして考える価値はあると思います。大都会に留まり続けても、何の展望も見出せないような気がします。
 
 
 Wさんも書かれているように、農業に依存した田舎暮らしは、凡人には、はっきりいって「無理」です。がむしゃらに農業をやってきた農家の後継ぎの自分でも、農業収入は、年間手取りが100万にはならない世界です。凡人にはそんなもんです。そして、イノシシやシカの密度が加速度的に増えており、ますます農業環境は厳しくなっています。
 
 
 そのうえ、農業をしようとすれば「初期投資」がびっくりするほどかかります。ほとんど農業に投資してこなかったと思える自分でも、
(1)農業用軽四→62万(当初)

(2)物置6坪と鳥小屋4坪半→42万

(3)管理機→8万

(4)エンジンポンプとホース→7万

(5)草刈機(2台目)→6万

(6)井戸→27万

(7)乗用トラクタ→父が買っていた

 その他、農具消耗品と種苗費だけで、年平均10万円ほどかかります。
 
 Wさんも書かれているが、農業には「決して投資しない」ことがポイントのように思います。投資すると、回収ができなくなる恐れがあります。農業資金を借りるなど論外です。

 
 田舎にも展望はないかもしれません。でも、山の中で暮らしていれば、自分の中のもつれてしまった糸も少しずつほどけていくような気がします。
 
 
 「農業に依存しない田舎暮らし」を、自分も、Wさんから学ぼうと思う。

 

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ニワトリの淘汰 (2)

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 赤い血しぶきの予科練の・・・そんな軍歌の出だしが、ふと頭に浮かび、繰り返し、唱えるように歌っていた。自分の気持ちを鼓舞するためだったかも知れない。生きることは、他の生きている命を頂くこと。今日、最後まで生き残った21羽のニワトリの首をはねた。

 
 感傷に浸る気持ちなどなかった。自分が手にかけるか、殺すことを他人に依存するか、選択はふたつにひとつしかない。それなら、最後の最後まで、自分の手にかけて、できるなら安楽死できるようにしたいと思った。助っ人のIさんがいてくれたから、自分で手にかける踏ん切りがついた。


 これに先立って、1週間前に2羽のニワトリをつぶして肉にして食べていた。肉はかなりしわかったけれど、もう5年も飼っている「ひいおばあさんニワトリ」にしては、歯でなんとか噛み切れた。肉は食べれなくても料理のだしには十分使えると思った。でもIさんが、とてもしわくなっているので人にあげれる肉ではないと言われるし、ボクも、冷凍庫に肉を保存するにしても、2羽くらいがスペース的に限度と思えた。解体して肉にする手間ひまも考慮して、残りの21羽については、肉にせず、火葬か土葬にする事を決めた。


 1週間前の2羽は火葬にしていた。少し臭ったが、脂分が多いせいか、案外早くきれいに燃えた。翌朝、その木灰を畑に降ろうと思い、フゴに入れていると、足の骨がきれいな「お骨」になっていた。人間の「お骨」と何ら変わりなかった。

 
 案外、火葬が簡単だったので、今回の21羽も自分の心の中では「火葬」と決めていた。土葬だと「かなり深い穴を掘る」というエネルギーが余分にかかると思った。当日の朝は、新調の包丁をおろした。切れない包丁では安楽死できない。よく切れる包丁で、できるだけ手際よく、スパッとやらなくてはと思った。昨日の晩に寝床についてから、まず一番に、オンドリからつぶそうと決めていた。メンドリの1.3倍ほどの大きさだし、後にまわしてはいけないと感じていた。

 
 1週間前に2羽を料理した時に、Iさんからつぶし方の手ほどきを受けていたので、要領はわかっていた。Iさんからは、

(1)羽をはがいじめにしておくと、持ちやすいし、羽がばたつかない。

(2)首の頚動脈を切る時は、包丁の刃先をノコのように使うのではなく、包丁の根元の太い所から、バイオリンを弾くようにスパッと1回で切り落とすようにしないとニワトリが苦しむ。鳴き声ひとつ出さずに安楽死できるように包丁を使うようにと、何回か注意を受けた。

(3)ボクは、羽を「はがいじめ」にすることが、どうもうまくできず、自分のひざで、ニワトリを地面に押さえつけるようにする方法をとった。しかし、ニワトリがばたついて、いくらか返り血を浴びた。Iさんが、自分はスーツ姿で作業しても、服をよごすことなく放血できると言われる。実際、全部のニワトリを処分し終えた後でも、Iさんの野良着には血痕ひとつついていなかった。しかも、自分のように、片ひざか両ひざをを地面につけての姿勢ではなく、ずっと立ったままの作業姿勢だった。

 
 今回は土葬にした。というのはIさんが、火葬は風が出てくると危険だし、21羽もいるから手間がかかる、土葬の方が時間が短縮できると言われた。実際、深さ50センチ、直径80センチほどの穴が、2人で15分もかからずに掘れた。1羽つぶすごとに、その穴に入れた。1人10羽ずつ21羽のすべてのニワトリを処分して穴に入れ、掘り上げた土を戻し、その上に2枚のトタン板を置き、トタン板の上に5キロほどの石を10個以上置いて、タヌキが掘り返さないようにした。8時半頃からスタートして、すべての作業が完了したのは10時前だった。

 
 5年前の時は、一人で9羽をつぶした。あの時は、上手にニワトリを安楽死させることができず、断末魔の鳴き声を何度も出させるような絞め方だった。その鳴き声のせいか、鶏舎の中でニワトリが逃げ回って、つかまえるのにとても苦労したが、今回は、ほとんどのニワトリが断末魔の声を出さないくらい手際が良かったので、エサを少しずつ与えながら、エサを食べに寄ってきたニワトリを1羽ずつ、最後の1羽まで、ごく簡単につかまえることができた。

 
 夕方、からっぽになった鶏舎の中に入った。、激しい戦いの後の静寂な時間だけが時を刻んでいた。ひとしきり、その場に立ち尽くした後、巣箱に残っていた4個のタマゴを取り出した。昨日3時以降から、今朝亡くなる8時半頃までに産み落とされたタマゴである。

 
 殺戮の現場となったユズの木の根元には、乾いた血痕があちこちに見て取れた。つぶし始めるとすぐに、血の臭いをかぎつけたカラスが早くも集まってきて、甲高い鳴き声を出していたが、すでにそのあたりも静寂な空間に戻っていた。

 
 Iさんという助っ人のおかげで、また貴重な経験をすることができた。スーパーに並んだ肉からは、「生きている動物の姿」など想像すらできない。
1世代前には、1~2ヶ月に1羽ほどをつぶして食べていた。それは楽しい仕事(遊び)であり、夕飯には久しぶりの肉にもありつけた。ニワトリを飼う本来のあり方は、最後は肉にして食べることが正しい飼い方である。土葬とか火葬という言葉が出ること自体、不自然な状態である。Iさんも、これは大量殺戮だ、これではエネルギーを浪費するだけだ、もっと飼い方を考えた方がよいと言われる。そして、トリ小屋を半分に仕切って15羽ずつ飼い、しばしば食べながら淘汰の回転を早めると、肉もおいしく食べれるし、タマゴも途切れないと言われる。以前はそういうふうに考えた時期もあり、物置を一部金網にして、いつでもニワトリが飼えるようにしていた。でも、田んぼに農閑期があるように、タマゴも半年間ほどない期間があるとありがたみがわかる。
 ヒヨコと成鶏の二手に分かれると、注意の度合いも半分になるし、家から出る多少の食べ残りをどちらに与えるか迷ってしまう。しかしビジネスなら、タマゴの途切れる期間が長いと顧客が離れる可能性もある。


 1世代前の廃鶏は高価な値段で買ってくれたが、今は逆に引き取り料がいる時代である。
 少羽数では送ってくれないし、中間にニワトリを扱う業者もいないので、自分のような30羽養鶏では、4~5年と長く飼う方法しかない。


 
今は田んぼにニワトリがいない状態である。家から出る多少の食べ残りは残飯扱いになり、収穫したレタスやキャベツの外葉や出荷外品も田んぼにそのままの状態である。今までのように、ニワトリがきれいに片付けて(食べて)くれない。

 
 2世代前には、集落のほとんどの人が農業で自給自足的な生活を送っていたのに、今は誰も農業をしなく(できなく)なった。農業が「生活」だったのに、農業が「職業」になってから、地域の現役世代の人は農業をすることができなくなった。

 
 45年ほど前まで、家の軒先で飼われていた20~30羽養鶏は昭和35年~45年のたった10年ほどの間に、またたく間に姿を消してしまった。それはまさしく、一瞬の通り風のようだった。そして、資本主義概念である、大規模、効率、採算という経営により、ケージというごく小さい檻の中で、10万~20万羽、もしくは100万羽単位で飼われるようになった。

 
 人間も時を同じくして地下足袋をぬぎ、企業組織の一員として働かざるをえないようになった。

 
 いずれの場合も「土」から離されてしまった。人間なら、定年帰農という形で土の上に帰れるチャンスもある。しかし、夢にまで見た大地も、イノシシやシカやカラスが支配する、とても荒廃した自然空間であるということにすぐに気付かされ、愕然とすることだろう。これが今の現実である。

 
 ニワトリも人間もすでに、土の上に復帰することが困難な時代である。土から離された状態は「自然な人間の姿」「自然なニワトリの姿」ではない。でも大多数の人(ニワトリ)はもう、土の上に戻れない。


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ニワトリの淘汰 (1)

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 以下は、今のニワトリ(ヒヨコ)を導入する前、それまで飼っていたニワトリのうち2羽を絞めた(つぶした)時に書いた作文であり、ちょうど2年前の今頃の季節でした。


 先日、Iさんが見えられた時に、ニワトリの淘汰のことを話すと、ニワトリをさばくのだったら手伝ってあげると言われた。応援してもらえるなら、23羽でも自分でつぶせると思った。とりあえず2羽だけつぶして食べてみようという話になった。

絞め方(つぶし方)といい料理の仕方といい、Iさんの手つきは鮮やかだった。農業高校で習ったと言っても、すでに40年以上も昔のことなのに。ただその間、ニワトリの処分を頼まれて、時々料理もされていたらしい。30年も前に特別に作ってもらったと言われる、左利き用の、りっぱなネーム入り出刃包丁も持参してくれた。包丁やナタなどに「左利き用」があることも始めて知った。

 左手で羽を強くにぎり、ニワトリの足を自分のひざで抑え、ニワトリが動けないようにしてから、右手でニワトリの口ばしを持って、左手の親指に預ける。つまり左手の4本の指で羽を、親指で口ばしをもち、のどを上に向ける。そして、やおら包丁を持ち、のどのすぐ下をすばやく切る。包丁を置いて、右手で両足をつかみ,逆さ釣りにして放血する。血がぼとぼとと落ち、1~2分で放血が終わると動かなくなる。この間、羽と足をしっかりにぎり、ニワトリがばたつかないようにしておけば、返り血も浴びない。よく切れる包丁ですばやく深くのどの下を切ると、鳴き声ひとつたてない。ここでへたくそでは、ニワトリがかわいそうである。できるだけこの間の時間をかけずにすみやかにすることが、ニワトリに対しての最後の恩返しになる。Iさんの指導を受けながら同じようにやると、鳴き声ひとつたてず、放血もすみやかにできた。料理する段階で切り口を見比べると、Iさんのはきれいに水平に深く切れていたが、自分のは半分ほどしか切れてなく、切り口も浅かった。Iさんの方が、より短時間に、ほとんどニワトリを苦しませずに終えたのが見て取れた。

 放血後、近所で借りた炊き出し釜の熱湯(70度)に10~15秒くぐらせる。これをすると、簡単に羽がむしり取れる。その後、小さな焚き火をして、その肉を4~5回あぶると、外のうぶげも焼ける。それから料理にかかる。まるで、しばしば料理していると思えるくらい「さばき方」にくわしかった。それでも、最も最近にしたのは2年余り前だったと聞いた。よい肉だけ食べることにして、残りの骨とかハラワタとか、頭や首、足などは、焼くことにした。枯れた竹や雑木といっしょに焼いた。つまり、肉以外の部分を「火葬」にした。その火葬をしながら、今後のこともあるので、この次は、「火葬」がいいか「土葬」がいいかIさんに尋ねた。
 
 火葬は、案外簡単に燃え、跡形も残らなかった。土葬は簡単な穴を掘り、そこにニワトリを埋めて、その上にトタン板などを置き、重い石かブロックなどをのせて、タヌキが掘り返したり、カラスに悪さされないようにしておく。1年経過すれば土に戻る。でも、土葬より火葬の方が時間がかからないという話になった。とにかく、今日料理した2羽のニワトリをそれぞれ家に持ち帰って食べてみて、おいしく食べれたら残りのニワトリも料理し、しわくて食べれなかったら絞める(つぶす)と同時にそのまま「火葬」にしてしまおうという結論になった。

 Iさんは、ボクの問いかけに対して適切な案をいくつか示してくれた。そして、料理に水はいらないと言って、羽をむしる時に熱湯にくぐらせた以外は、全く水を用いなかった。うまく放血できたせいか、包丁にもマナイタにもそれほど血がつかなかった。そして、ニワトリの臓器の名称まで覚えていて説明してくれた。

 1羽のニワトリの腹の中から、完全なカラをつけたタマゴも出てきた。もし殺されなかったら、あと数十秒もしくは数分のうちに、このタマゴが体内から排出されただろうと思うと、一瞬悲しくなった。

 30羽という昔ながらの飼い方をしているから、とてもニワトリに愛着がわくし、いろんな事をニワトリが教えてくれる。40羽ではちょっと多い。10羽飼うのも30羽飼うのも、あまり手間は変わらない。

(1)30羽だから、毎日雑草が与えられる。
(2)30羽だから、1~2日、放っておいて外泊もできる。
(3)30羽だから、ニワトリの調子がよくわかる。
(4)30羽だから、いつでも飼うことを止めることができる。
(5)30羽だから、場所も時間もとられない。
(6)30羽だから、エサの問題、飲み水の問題、販売の問題が、それほど問題にならない。
(7)30羽だから、自分で淘汰ができる。
(8)30羽だから、ほんのわずかな家の食べ残りでも、ニワトリにあげようと思う。
(9)30羽だから、ほんのわずかな田んぼのくず野菜でも、ニワトリに食べてもらおうと思う。
(10)30羽だから、あまりタマゴは産まなくて良い。家と田んぼの野菜くずのリサイクル鳥と考える。
(11)30羽だから、ニワトリを飼うことを楽しむことができる。
(12)30羽だから、ニワトリに関して、一つの物語を書くことができる。
 

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ファンになってもらう

 「岡山でハーブと野菜を作っている農家ですが、お宅のお店で、ハーブを使って頂けんでしょうか」、こんな電話をかけまくっていた3年間があるから、現在も農業を続けることができている。


 職業別電話帳を見て、スイートバジルの出盛りの時期に、イタリア料理店に電話を入れた。オーダーストップのかかる夜9時がまわって、9時半~10時半頃にしていたので、農作業に差し支えることはなかった。


 継続的な顧客になってもらおうと思えば、安くて鮮度のよいものを送り続ける必要がある。気に入ってもらえたら、店を移ったり、独立されたりした時にまた購入してもらえる。ここ5年ほどは全く営業活動はしていない。顧客が減っても、減った分だけは、紹介のような形で補充できるような展開になってきた。だからここ数年は現状維持をキープできている。ポイントはやはり、自分のハーブや野菜の「ファン」になってもらうことだと思う。なかなかファンにはなってくれないが、いつのまにかファンになってくれていたりする。地道にていねいなワンパックを送り続けるしか、その方法はないように思う。


 イタリア料理店等で働く人の究極の思いは「独立した店を持ちたい」という意識だと思う。自分の店を持つということは、夢の実現でもある。でも現実はきびしくて、新規開店した店の半分ほどが、1年も経たないうちに閉店に追い込まれるらしい。


 取引してもらっていた店の従業員さんが独立開業したり、別の店に移ったりして、また注文の電話を頂けることは、とてもうれしいものである。今日もそんな電話があった。独立開業された場合は開業祝い、別の店に移られた場合は新しい店でのサンプルのような形で送らせてもらっている。


 このような「直接販売」は、何も有機農家の専売特許ではなく、慣行農法の農家でもたくさんしている。農法にかかわりなく、それぞれの農家が「自分の売り」を何か持っているのだと思う。たとえば、
(1)おいしい
(2)安い
(3)鮮度がよい
(4)種類が豊富
(5)旬でない時期でもハウス等を利用して種類がそろっている
(6)注文を入れると、たいていなんでもあり、即送ってくれる。他から取り寄せてでも、注文に対応してくれる。

 一般に慣行農家は有機農家に比べてかなり技術力が高いと思えるから、こんな慣行農家に対抗するには、「自分の売り」がどうしても必要である。「安全」というのは、業務用ではたいした売りにならないと思う。



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 今日は春雨がしとしと降る1日だったが、これくらいの雨だったら農作業はできる。数日前に買った雨合羽を着ての農作業だったが、この合羽が快適で、今までの合羽のイメージを覆してくれた。とても気に入ったので、昼食に帰った時、予備の一着を電話で注文した。


 クワが使えないほどの雨ではなかったので、サツマイモ予定地の黒マルチ張りをした。風がなかったので、黒マルチを張るには都合がよかった。黒マルチを張れば、後は、サツマイモの苗が切り取れるのを待つだけである。5月25日頃~6月25日頃の1ヶ月間にわたって、芋づるが伸びたら切り、伸びたら切りして、順次挿し木をする。


 45年前、ボクが子供の頃には、黒マルチも草刈機もまだ出回ってはいなかった。ポリとかビニールという素材は普及していなかった。ルネッサンスや産業革命と同じく、これはまさに「農業革命」だったろう。草刈機は従来の鎌の10倍ほどの仕事量をこなしたし、ポリやビニールの登場により、「旬のものを旬に作る」という概念もなくなった。競って早く出したり、逆に遅く出したりも可能になった。


 農業を始めてまもなくの頃はまだ、何のために土の表面を隠すように黒色のポリで覆うのか、理由がわからなかった。そして、農場風景を損なうグロテスクな物に見えた。だから最初は、稲ワラや麦ワラを使っていた。3年目の頃に始めて黒マルチに手を出してからは、黒マルチの利用が年々増えていった。ただ、自分の場合、地面を覆う黒マルチには手を出したが、作物に屋根を作るビニールには手が出せなかった。それは、ハウスが自分で立てれなかったから。


今日の農作業のポイント

 雨でもクワが使えるかどうかは実際に田んぼでクワを使ってみないと判断できない。

 春夏野菜の作付けの輪作机上では決まらない。実際に田んぼに定植していきながら、その時の思いつきやひらめきや、ここしか他に植える場所がない、で決まっていく。前年に何を作ったくらいは大体思い出せるので、連作のよくない作物だけは注意する。

 コマツナの間引き作業も実際に間引いて見て、間引きがしずらければ、それは間引きの適期ではない。

 翌日の農作業の段取り段取りができるほど農作業に余裕はない。急ぐことから先にしていっても終わらないので、翌日回し、翌日回しになる。農作業にはいつも追い立てられている。でも他の農家の規模と比較してかなり小さい。

 ニワトリに与える草は毒草もあるかもしれないが、選別はニワトリにまかせる。

 

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 ジャガイモの田んぼは頻繁に通る道のそばなので、育っている様子が、見ようと思わなくても目に飛び込んでくる。3月のお彼岸前に種芋を伏せて1ヶ月後が、画像のような状況であるが、後1ヵ月後の5月20日頃には、畝間の土が見えないくらい葉が茂ってくる。



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 雨の夕暮れ。




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 水を飲んでいるニワトリ。ニワトリは水をよく飲む。毎朝、きれいな水に入れ替え、昼か夕方にもう1回入れ替える。
 


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今日のグルメ

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  今年は竹の子が不作らしい。それでも数日前に、竹の子を4本収穫できた。ニワトリに1本あげていた。そうしたら、今日の産卵率が5割アップだったので、また今日1本あげた。大好物なのか、がっついて食べる。やはり、旬の勢いのある作物は人間だけでなく、ニワトリにもおいしいのだろう。2本は近所の親戚にあげたので、我が家の口には入らなかった。



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 今日は、家人は出かけて留守。だから自分ひとりの夕飯である。昨日の残りの味噌汁と、昨日自分が作ったトーフと新タマネギの煮物も残っていたので、夕方少し収穫できたスナックエンドウを塩、胡椒で炒めて一品加えた。残り物ばかりだが・・・でもご馳走。スナックエンドウ以外は朝も昼も食べたが、やっぱり飽きずに夕飯でも食べた。昼は味噌汁にタマゴを1個落とした。トーフと新タマネギの煮物は自分の定番であり、これを作っておくと、昼のおかずに困らない。旬のスナックエンドウなど、誰もなかなか食べれない。
 
 レストラン・飲食店ブログの「生まれる前から不眠症」が大好きで毎日チェックしているが、確かにああいうのをグルメと言うのかもしれない。でもグルメは見るだけで疑似体験できて、それで腹が一杯になるという安上がりな自分である。旬の野菜を旬に食べるのが自分のグルメであるが、一度、自分のグルメを不眠症さんに食べて欲しいと思う。どう言われるだろう・・・あの人。ずっと以前に一度コメントをもらったことがある。



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 竹の子の下ごしらえをする余裕がない(だから食べれなかった)くらい、この3日間ほどの農作業は忙しかった。今日はスイートバジルの「鉢上げ」である。まず、山から取ってきた腐葉土をブルーシートに広げ、ポットの8分目くらいまで入れる。



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 稲の苗箱には32ポットしか並ばない。32ポット×14ケース=448本の鉢上げである。400本定植予定なので、残りは予備苗である。



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 ポットの8分目まで14ケース全て腐葉土が入ったら、今度は市販の土と
クン炭(焼きすくも)を1対1の割合でよく混合する。市販の土でなくても、腐葉土をフルイにかけ、細かい腐葉土だけにすれば、それをクン炭と1対1の割合で混合してもよい。

 腐葉土を山に取りに行って、それをまたフルイにかけるのは結構手間なので、急ぎの時は手っ取り早く市販の土を利用している。クン炭を混ぜるのは、2倍に増量させるためである。市販の土をそのまま使ったのでは高くついてしまう。



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 ポットの上部2分目ほどは、細かい土(もしくは細かい腐葉土)の方が、鉢上げする時に苗が扱い安い。





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 スイートバジルは芽立ちがよいので、苗がこれだけ残った。でも2ケースでは少ない。3ケース蒔いて、良い苗を鉢上げする。

 



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 448本の鉢上げが完了するまで、朝9時頃からスタートして、午後3時半頃までかかった。15~17日後の5月連休明けにはもう、田んぼへ定植するようになるから、このポットで管理する期間は、たった2週間ほどである。たった2週間でもこの1工程をとばして、いきなり田んぼに定植はできない。



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 市販の土にも、腐葉土にも、余り肥料分はない。苗床のバジルが肥料切れ症状を起こしつつある。毎日水やりの時に苗を見ているわけだから、少しずつでも大きくなっているか、成長が止まったようになっているかは、直感で判断できる。だから、ポットへの鉢上げ、田んぼへの定植は、肥切れ症状が出ると急ぐ。

 画像の、酢、焼酎、木酢液の3種混合は「ストチュー」と呼ばれて、活性剤になるらしいが、苗の時はまだ使ったことがない。

 苗の肥切れ症状は急を要するので、市販の液肥(画像の白い容器)を500倍ほどに薄めて散布をすることが自分の場合は多い。



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 14ケース(448本)の鉢上げが完了。



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 ポリをかぶせて、すべて完了。


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  秋冬作では、画像の144穴の発泡スチロールの連結ポットを利用している。これを利用するのは、ハクサイ、キャベツ、ブロッコリーである。

 この連結ポットは小さいので、さらに細かい土が必要であり、腐葉土をフルイにかけたりせずに、市販の土を購入し、春夏作と同様、クン炭(焼きすくも)で2倍に増量させている。

 春夏作は苗が大きいので、発泡スチロールの連結ポットを使うわけにはいかない。

 春夏作でも、種が比較的大きいものは、鉢に直接、種を蒔いて、それを定植すればよいが、スイートバジルのように、種が小さいものは、「鉢上げ」というワンクッションをおく必要がある。

 


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ナンキン等の定植作業

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 今日、ナンキンを25本定植した。植えつぎ(欠株の補充苗)を5本残した。今の時期は「ウリバエ」が飛来してくるので、ウリバエの防除と保温のために、薄い毛布のような織布をトンネル状にしてかぶせた。



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 スイカを7本定植した。タマネギの隣に植えた。スイカは大きくなるまでは雨にあたらない方がいいので、上記の織布ではなくポリをかぶせた。



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 昨日購入したニガウリ5本は、紙のキャップを被せた。本数が少ない時はキャップが簡単。使い分けている。



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 キュウリ13本と昨日購入したトマト18本は、去年のバジルの跡地を利用して、マルチの真ん中を手で破りながら、キュウリは株間60センチ、トマトは株間40センチで定植した。液肥はまだ施していない。
 キュウリは1回に12~14本定植。1ヶ月おきに4回蒔く。
  

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 サトイモは5日ほど前に、同じくバジルの跡地を利用して、マルチの真ん中を手で破りながら、株間30センチで種芋を伏せ、保温のために、その上からクン炭を振った。
 


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 昨日、トリ小屋の田んぼに、ハーブの、レモンタイム、コモンタイム、レモンバーム、ルバーブ(ジャム専用)を株分けした。
 
 去年ハーブを植えた田んぼは、今年の作付けには、別にじゃまにはならなかったので、今年は株分けをパスしようと思ったが、少し株分けをした。

 
手前に見える青々としているのはセイジ。セイジはここの土質が合っているのか、まだ青枯病が発生していない。どの田んぼに植えても、セイジは毎年8割ほど青枯病でやられていた。


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 ここにヤーコンの芽を100株ほど植えた。午後から半日陰になり、梅雨の長雨が続いても排水がいいので。
 黒マルチをすると、通路の草をちょっと抜く程度で、11月の収穫期まで放任栽培ができる。


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 上の画像は、15日に蒔いたネギの苗床です。レタスの苗床の隣が空いていたので、そこに蒔いた。種を蒔く場所は普通の畝でよいが、ちょっとていねいに水平にして、ごろごろした土の塊がないように「細かい土」にします。
 種を蒔いた後は、必ず「フルイ」を利用して、また細かい土を被せます。種が隠れる程度で十分です。その上に、クン炭(焼きすくも)か、籾殻を振って、雨にたたかれるのを防止します。クン炭は保温の役割もしてくれます。夏には、直射日光をさえぎって、適度の湿り気を保ってくれます。このように、蒔き床には、年間を通してクン炭(なければ籾殻)を常に利用しています。

 青い細い棒は、ポリのトンネルに利用する支柱ですが、これを鳥の脅しにしています。


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 上記のネギの苗床で説明した「土を細かくする農具」は、画像の右の農具です。これを土の上に打ち付ける(振り下ろす)と、ごろごろした土の塊も、くだかれて細かくなります。我が家に45年以上前からある農具で、ボクが子供の頃から目にしていた。とても頑丈で、鍬のように「ちびる」こともない。多分、今後50年経過しても壊れることなく使えるだろう。

 真ん中の農具は、草刈機で刈った草を寄せ集めたりする時に使います。

 左の農具は、3月末にコマツナを蒔いた時と、秋にダイコンとカブを蒔く時の、年に3回だけ使う「トンボ」という農具であり、種を蒔いた蒔き床に土を被せる農具です。これも45年以上前から我が家にある農具です。

 なお、ニンジンは土を被せません。ニンジンは好光性種子なので、蒔いた後、片足を蒔き床に置いて、よく鎮圧して歩きます。その後、クン炭(なければ、もみがら)かワラ(稲ワラか麦ワラ)を置いて、雨でたたかれるのを防ぎます。


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 数日前もこの画像をアップしたのですが、ちょっと、この山の格好が変わっていると思いませんか。丸っこい古墳のような、小さな山で、とても自然にできた山には見えません。古くから「城山」と呼ばれています。ずっと昔には、城があったらしい。
 この城山は、池の堤防をささえるような位置にある。逆に、城山がここにあったから、この城山の右と左に池の土手(堤防)が作れたのかもしれません。

 池の上の山の斜面の一部は、自分の持ち山ですが、この山は「寺山」と呼ばれています。ずっと昔には、寺があったらしい。


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ナスビ、ピーマンの定植

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 液肥を混ぜるのは1日に1回、2~3分であるが、自分の場合、これがちょっと楽しみである。農業の楽しみは、はたから見ればなんでもないことにあったりする。
 
 タンクに浮かんでいるのは、「旬の雑草」である。タンポポ、スイバ、ヨモギ、クローバ、その他、名も知らぬ雑草を色々・・・。雑草から天恵緑汁を取り込めるのではと期待しているが、効果は疑問。

 材料はヌカが主体であり、年間に5袋ほどのナタネカスだけが有料である。今は春の植え付けの時期なので、この液肥をよく使う。まだ未熟の液肥をどんどん使っている。春夏作の液肥を最もよく使うのは4月~5月中旬の1ヶ月半ほどであり、6月、7月はほとんど使うことがなくなる。8月に入ると今度は秋冬作の準備で使うようになる。だから、6月、7月には、果樹に施したり、秋冬作の黒マルチを早々と7月下旬頃から準備して、その元肥に使ったりしている。

 液肥と黒マルチは自分の場合、セットになっている。黒マルチをしておけば、草は生えないし、液肥が流亡しない。2ヶ月も前から、秋冬作の段取りもできる。でも、産業廃棄物である。



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 今年は小梅が鈴なりである。去年はほとんど成らなくて、梅の仕込みができなかったので、今年は2年間分の梅漬けをするつもりである。まだ収穫は40日ほど先なのに、この梅の木の下によく来ている。




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 今日、農業資材店で、
トマト18本×58円=1044円
ニガウリ5本×128円=640円
ラズベリー1本、1280円
 合計2964円だった。ラズベリーは余算だったが、知人がいて、ラズベリーの新品種を勧められたので、買ってしまった。

 トマトは自給用である。自分には、出荷は難しい。
(1)上からはカラスが、下からはタヌキが狙う。
(2)蛾がトマトの実を刺して、そこから腐敗する。
(3)雨に当たると病気が出やすい。
(4)葉が縮れたりする病気が多い。


 ニガウリは5月の連休に種を蒔く予定であるが、今、苗を買って植えておけば1ヶ月早く収穫できる。




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 4月2日に蒔いたナンキンが早こんなに大きくなった。ポットが大きくないので、明日か明後日には定植する必要がある。

 同じくスイートバジルも、後3~4日のうちに、ポットに鉢上げする必要がある。その左の新聞紙で包んでいるのは、15日に蒔きなおしたイタリアンパセリである。直射日光がよくなかったかも知れないと思い、こうやっている。



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 昨日、小雨が降る中をナスビとピーマンの定植をした。もらった苗はすでに大きいので、簡易な支柱をしないと倒れる。右の画像は定植したピーマンの拡大画像である。ナスビ44本、ピーマン22本という定植本数を守った。出荷の日は、早朝2時間~2時間15分ほどで収穫を終える必要があるので、1本の多い少ないが、10種類では合計10本の多い少ないになるので、これでは時間内に収穫が終わらない。




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 ハヤトウリが草に守られて元気に成長していた。6個植えているうちの2個大きくなってくれればよいが、6個(本)とも元気だった。収穫が始まるのは10月10日頃からであり、棚もいるのでちょっと面倒だが、10月下旬の端境期に、インゲン、レタス(極早生のガーデンレタス)と共に支えてくれる貴重な一品である。



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 エサを持ってトリ小屋に入ると、まぶれついてくる。とてもかわいい。
 右の画像はタマゴを産み落とそうとしている瞬間の画像です。このタマゴが食べたいから、鳥インフルエンザには負けれない。


 毎日、早生タマネギと春キャベツの「そればっかり食」であるが、今の時期のタマネギは、茎も葉も全て食べれて捨てる所がない。味噌汁に入れると甘くておいしい。トーフやアゲと煮るのもよい。
 
 春キャベツの半分はパカッと割れている。まるでザクロのようである。商品価値はゼロ。でも、パカッと割れるのが、おいしさの証であるような気がする。実際、割れていないキャベツより、割れているキャベツの方がおいしい。
 
 あと1週間もすれば、春レタスや、エンドウ、スナップエンドウが毎日のように食べれだす。農家であることの幸せ。


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ニワトリの導入記録

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平成3年3月6日・・・メス30、オス3、品種ゴトウ、姫路へ車で買いに行った。トリ小屋の地下からタヌキに侵入され、5月中旬、一晩で全滅。


平成3年8月2日・・・メス36、オス4、品種ゴトウ、姫路へ車で買いに行った。トリ小屋の周囲の基礎をブロックで固め直した。4年近く飼い、最後まで残った17羽は、引き取り料を支払い、業者に引き取ってもらった。


平成7年6月6日・・・メス32、オス3、品種シェーバー、宅急便で送ってもらう。コクシジウムという病気が翌年7月に発生して半数が死亡。生き残ったニワトリも産卵率が落ちたため、翌年春、近所の人に手伝ってもらい淘汰。


平成9年5月21日・・・メス20、オス1、品種シェーバー、宅急便で送ってもらう。導入羽数が少なすぎた。3年間飼い、10羽を切ったので、残りの9羽を自分で淘汰。


平成12年5月25日・・・メス30、オス2、品種シェーバー、宅急便で送ってもらう。5年間飼い、産卵率が落ちたので、Iさんに応援してもらい淘汰。


平成17年5月27日・・・メス30、オス2、品種ボリスブラウン、宅急便で入荷。


 
 以下は、今のニワトリ(ヒヨコ)を導入する前に書いた作文です。
(平成17年、4月)
 
今年は、導入して5年がくる老ニワトリを処分して、またヒヨコを入れようと思い、5年前の購入先に電話をすると、どうもつぶれたらしい。ニワトリをたくさん飼っている4人の友人に電話をしてやっと、その紹介の紹介という形で、少羽数でも送ってもらえる業者が見つかった。

 ニワトリを飼っている友人が皆が皆、ヒヨコから入れるわけではなく、採算や回転の面から、中ビナや大ビナから導入したり、尻ツツキを防ぐために、口ばしをデービークしたヒヨコを導入する場合も多いので、自分のもいっしょに注文してもらうことは、間違いも起こりやすいし、迷惑もかかる。少羽数でも、やはり自分で買うしかない。

 去年の鳥インフルエンザの影響もあるのか、ヒヨコ業者は、倒産したり、吸収合併されているようである。今回、少羽数でも送ってくれる業者が四国に見つかった。次回から100羽単位でと言われたが、次はまた4~5年後のことなので、そんな先のことは考えられない。このように、30羽ほど飼うという飼い方が、「ヒヨコを導入する」という観点からだけ見ても、とても不便になっている。自分の場合は、ニワトリを飼っている友人がたくさんいて、多くの情報を持てたから、少羽数でも送ってもらえる先が見つかったが、情報量が少ないとヒヨコもなかなか手に入らない。45年ほど前なら、地域のほとんどの家の軒先で、20~30羽ほどが、肉と卵が目的で飼われていたから、ヒヨコなどいつでも手に入ったはずである。45年前とは時代が一変している。ニワトリを飼っている家などほとんど見かけない。

 ヒヨコを導入するとなると、今まで飼っているニワトリをどうするかという問題も出てくる。まだ、メス22羽、オス1羽が残っている。23羽も一度に自分で絞める勇気はなく、引き取ってもらえる業者を教えてもらったので、今の所、そこへ持っていくことに予定している。
 1世代前の人が聞いたら、「何という、もったいないことをするんだ」と、お叱りを受けたことだろう。45年前、ニワトリはとてもごちそうであり、お祭りなどの特別の日しか口にすることはできなかった。つまり、それくらい高い値段で取引されていた。


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温床3パターンと冷床

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 平成16年3月8日に、画像の園芸マットと電子サーモを20664円で、近くの農業資材店で購入している。だから、この電熱温床を使用した期間は3年間だけである。2万円ほど無駄な投資になった。



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 今年は画像のように、地下に20センチほどの穴を掘り、その穴に踏み込み温床の材料(稲ワラ、米ヌカ、鶏糞、籾殻、笹やススキのような固めの草、落ち葉、メタン菌液肥少々、水)をサンドイッチ状に交互に入れて踏み込んだ地下温床を作った。


 以前は、地下温床ではなく、周囲をトタンなどで囲んだ地上温床で踏み込みをしていた。しかしこの方法は、踏み込み中に、トタンの支えにしているクエが傾いたりしてどうもうまくいかなかった。
 
 竹で枠を作っていた時は、竹と竹を結んだ紐が途中でほどけて、温床のやり直しになることが何回かあった。
 
 結局、温床の枠もろくろく作れないという「超不細工」が、平成16年3月の電熱温床購入につながった。


 (1)電熱温床

(2)地上温床

(3)地下温床

(4)冷床


(1)の電熱温床は、どういうわけか、発芽失敗が多かった。電子サーモもあるわけだから、温度が一定以上あがると自動的に切れるはずであるが。
 新しいものを使い始めると、最初は使い方や温度管理がうまくいかない。発芽しても、苗の大小のでこぼこが多かった。結局、電熱温床を使った3年間は蒔き直しばかりしていた。


(2)の地上温床は、外枠の竹を結んだ紐がほどけてしまうという悪戦苦闘だった。温床を作る時期が近づくと、気分が落ち込んだ。


(3)電熱温床の3年続きの失敗が、今年はどうしようという、新たな問題になった。どうしようと考えているうちに、かなり以前に田んぼ見学に行かせてもらった人が地下温床をしているのを思い出した。ひょっとして、これはうまくいくかもしれないと、そんな直感が働いた。

 穴を掘るのは簡単だった。150センチ幅の通常の畝を利用して、そこに縦60センチ、横30センチの稲の苗箱が8つ並べばよいのだから。30分ほどで掘れたと思う。
 何で農業のスタート時点からこれにしなかったのだろう。随分と回り道をしたように感じる。これは自分がずっと子供の時から「地上温床」しか見てこなかったし、最初に父に教えてもらったのが地上温床だったから、他の方法が想像できなかったのだろう。


(4)の冷床はサツマイモに関してである。農業歴4年目に切り替えた。父が元気だった3年間は父が温床を作ってくれていたが、自分1人になると、何回も教えてもらっていた、温床の外枠に編んでいく稲ワラが、もう編めなかった。その時、多分誰かに相談したんだろうと思うが、「サツマイモは熱をかけんでも、ちょっと時期を遅らせたら芽が出るぞ」と教えてもらったように思う。実際、温床でない冷床でも、苗が切り取れる時期は、3週間ほど遅いだけだった。そして、遅く苗を切り取って挿し木をした方が、苗の活着がよかった。だから収穫期は10日も違わなかった。




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上の画像はサツマイモの冷床である。150センチ幅の通常の畝に2条に鍬でガンギ(溝)を切り、サツマイモを置き、サツマイモが隠れるくらいに土をかぶせ、その上からクン炭をたっぷり振り、トンネル状にポリで完全密閉して完了。これで5月に入るまで状態を見る必要はない。


 自分が普通に器用だったら、多分(2)の地上温床を最初からずっと続けていただろう。でも地上温床がうまく作れなかったから、何か他の方法を模索せざるを得なかった。それが電熱温床につながり、その後の地下温床につながった。


 上記のように、サツマイモは早々と冷床に切り替えたが、他の苗物の温床は、ハーブを導入するまで、長く作らなかった。苗は義兄にもらったり市販の苗を買ったりしてすませていた。

 
 ハーブのスイートバジルで温床作りの必要に迫られた農業歴10年目の春からまた温床作りを始めたので、結局、温床作りに悪戦苦闘したのは5年ほどだった。自分は、苦手なことはすぐに投げ出してしまうのに、よく5年も続けれたと思う。でも5年が限界だったろう。


 器用、不器用はそれほど農業に影響はないと思う。今の自分はあまり困ってはいない。しかしそれは、無意識の内に、自分の苦手作業が出てきそうな農業方法(形態)は避けてきたからだと思う。ただ、農業には、やり方は一つではなく二つ、三つとあるように思う。


おまけ(田んぼの夕暮れ)


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色々米


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 いつもいつも、ありがとうございます。
黒い米粒、赤い米粒、緑の米粒、小さな米粒達。

 近代農業の多収技術とやらに一生懸命動いていた頃には、色付きのきれいな米粒があることも気付かず、見ても自分に受け入れられなかったものです。

 ある時から、これからの自分のできる農とは? 食とは? 考え、さまよい続けて、自問自答の稲作りの繰り返し。そんな時に、薬も化学肥料も使うことなく、豊かに実る稲達とめぐり合い、自分の中で「これだ」と直感、その色彩豊かな稲に心奪われたことは忘れません。

 銀シャリに追いやられてしまった、これらの米達。

 栽培するには、個性が強く、多くの欠点の持主。問題の多い、黒米、赤米、緑米なんです。

○ 茎が細く、長く、やわらかく、倒れるもの
○ 茎は太いが、穂は小さく、実入りが少ないもの
○ 穂は大きくて、実はたくさん付けるが、ポロポロ落ちるもの
○ 虫、草、病気に弱い稲たちもあり
 個々に育てるのには、手間のかかる大変な稲達ですが、種を蒔く時に、種モミを品種別におろすのでなく、品種と品種を混ぜ合わせて一緒にすることで、個々の欠点は、他の稲を支える為の長所と化し、共に豊かに育つ為の稲になることを知り、それぞれの力で素晴らしいハーモニーを一枚の田んぼで作り、にぎやかにおりなす景色、そして、美しい営みの色々米達です。私は、こんな色々米の田んぼが大好きです。

 人間の営みも、そんな風になれば平和なのに!

 食べる人がみんな健やかになればいいな。

 この中に入っているお米の品種は、

うるち米 ・コシヒカリ、イセヒカリ、農林48号、他15品種

もち米  ・マンゲツもち、アクネもち、他5品種

赤米   ・神丹穂、国司、他6品種

黒米   ・朝紫、おしのむらさき、他5品種

その他  ・香り米、しゃ香米、等。

 どうぞ皆様、楽しい食事を。合掌

上野長一




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 1月にWさんを訪ねた時に、野菜や、自家採取をしているいろんな野菜の品種のいくつか、それに上記の米も少し頂いて帰ったのに、忘れてしまっていた。

 その米粒の袋の中に、1通の手紙が入っていた。その手紙を今頃気付いて読んで、ブログで紹介したいと思った。それは、
「個々の欠点は、他の稲をささえる為の長所と化し、共に豊かに育つ為の稲になることを知り、それぞれの力で素晴らしいハーモニーを一枚の田んぼで作り、にぎやかにおりなす景色、そして、美しい営みの色々米達です。私は、こんな色々米の田んぼが大好きです」という一文に出会ったからだった。


 どこの人だろうとWさんに確認の電話を入れると、栃木県の人だった。以前Wさんが高知県におられた時、「現代農業」という雑誌の「お便りコーナー」に、高知県の在来種の種籾をもっていると書いたら、上野さんから手紙がきて、その在来種を送った時に、この色々米を送ってくれたらしい。その他、
(1)50代の人であるらしい
(2)米の専業農家で、田んぼは5ヘクタール~10ヘクタールほど作っているらしい
(3)無農薬、無化学肥料で作っているらしい
(4)全部が全部「色々米」の作付けではなく、作付けの一部が「色々米」であるらしい
(5)現代農業に時々記事が載っているくらいだから、その方面ではちょっと名が知れた方であるらしい

 Wさんも直接の面識はないらしく、何かに書かれていた紹介記事らしかった。

 稲に対する知識が乏しくて恥ずかしいが、赤米、黒米等の有色米は「玄米」で食べるものらしい。「白米」にする、つまり「精米」をすると、表皮の赤色や黒色が取れて「白米」になってしまうらしい。ボクは芯まで、赤色、黒色、と思い込んでいた。ちょっとかじってみたら、中は白色だった。

 白米の中に有色米の「玄米」を少し入れるくらいなら、「玄米」が気にならないし、色がきれいだと言われる。有色米はそういう食べ方をするらしい。

 赤飯には、小豆の代わりに、赤米を少し加えてもよいらしい。


 日常、赤米や黒米や緑米を目にすることがないので、米といえば普通の玄米、白米しか想像できないが、出回ることのごく少ない少数種をあえて作り、きちんとこれらの固有種を守り、受け継いで作り続けている人が、稲作の世界にもいる。 


 野菜の世界でも、現代は「F1種(一代交配種)」が席巻しているが、固定種(在来種)を守り、引き継いで行こうとしている人たちが、有機農業研究会には数多くいる。身近にもWさんやNさんなどF1種でなく、あえて在来種の米や野菜にこだわって育てている人がいる。


 自分の場合、通信販売で購入する種代だけで、春夏作は1万円余り、秋冬作では1万5千円余りになり、毎年コンスタントに2万5千円~3万円ほどになる。たったの3反百姓なのに、種代にこれだけかかっている。でも自分の種代は、農業者の中では最も少ない部類だと思う。


 簡単に種取りできたので、2年ほど、ハーブのロケットを種取りしていたことがある。田んぼに残ったロケットを、秋冬作を片付ける2月末に、じゃまにならない場所に定植しなおすと、3月中下旬頃から花が咲く。1ヶ月ほど白い清楚な花を楽しんだ後、5月末~6月上旬頃には、種が十分に実だるので、大きなゴミ袋の中で、ばっさばっさとゆすって種を落とす。ゴミや種のかすを取り除いてから、ビンや缶などに入れて、秋の蒔き時まで保存して、秋に蒔いても、よく発芽していた。しかし、購入しても1500円ほどだったので、場所取りや種取りや選別の手間ひまを天秤にかけて止めてしまった。


 これで今日の更新は終わりにしようと思ったが、ふと思いついて、グーグルで検索してみた。「上野長一 栃木県 稲作」・・・そうしたら一発でヒットした。やはりこの世界では有名な方のようだった。手紙に書かれていた「色々米」でなく「にぎやか米」と表示されていた。そしてこの検索を見ると、稲作世界の住人がずらずらとインターネットに名を連ねていた。第1次産業の農産物の売買もすでにインターネットの世界なんだと実感した。


 上野さんのすぐ下に、岡山県の有機稲作の世界では有名な「三船進太郎さん」の名前が載っていた。三船さんのコーナーに三船さんのメッセージがあり、「今や農業は技術的にも体力的にも、やれるものがやっていくしかない」と書かれていた。
 
 しかし、三船さんのような技術力は、誰もなかなか身につけることはできないし、やってのけれる人はきわめて少ないと思う。でも生産者米価がどんどん値下がりしている今日、生き残っていくのは、三船さんや上野さんのような方なんだろうと思う。世間の値下がりに関係なく、三船進太郎価格や上野長一価格で売り抜いていくだけの「資本主義精神」を持ち合わせた農家だけが、「淘汰」がますます加速度を増している第一次産業の世界で生き残っていくのだろう。


 義兄にしろ三船さんにしろ、自分は、技術的にも、規模的にも、投資金額的にも、全く真似ができない。だから、参考にならない。
 
 農業の世界は、それぞれのオンリーワンの世界だから、農業に何を求めるかは、一人一人全く異なる。負け惜しみのような気もするが、それぞれの農業世界は百花繚乱であり、それぞれのオンリーワンをめざせばよいのである。稼いでいる金額だけで比較はできない世界である。



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今日の農作業

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 今日、芽が出揃ったジャガイモの草取りをした。「草取り」というより「草削り」である。草は、生えてからよりも、土を定期的に動かして、草が根付かないようにした方が、手間がはるかに省ける。

 自分の場合は、ちょっと草が生えたくらいの時に、三角鍬で、畝上げをするような要領で、土を動かす。こうすれば、生えている草も削れるし、出かかった草も押さえることができる。



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 ジャガイモの田んぼの隅に、昨日もらったナスビやピーマンの苗を置いている。夜間だけ簡易なポリをかぶせて寒さ避けをする。
 ずっと温室育ちだったので、日中は戸外の空気にあてて、葉を「こわらせる」。定植してしまうと、簡易なポリをかぶせることは、面積的に面倒なので、4~5日はこういう状態で管理する。こうすれば、葉も戸外の気候に慣れてくるし、4~5日のことで、夜間の冷え込みも徐々にゆるやかになる。4月20日を過ぎれば、夜間のポリの覆いもなくてすむ。



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 トリ小屋の下の田んぼは、午後から多少日陰になるので、去年は、半日陰でも問題のないイタリアンパセリを植えていた。今年は、ヤーコンをこの田に植えた。ヤーコンは、過湿を嫌い、真夏の高温もよくないので、梅雨の長雨でも田んぼに水がたまらず、夏には午後から日陰になるこの田んぼに植えてみることにした。 
 すでに液肥を振り、ヌカも少々振ってある。今日、黒マルチをしてすぐに、ヤーコンの芽を100個ほど植えた。雨にたたかれるのを防ぐために、植え穴にクン炭(焼きすくも)を一掴みずつ置く。



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 画像はスナックエンドウと、エンドウである。去年、オクラやツルムラサキを植えていた畝であり、畝幅は150センチあるが、1列を開けている。これくらい開けていないと、最盛期にはおごるし、風で倒れやすく、畝間に入れなくなる。
 エンドウ、スナックエンドウが終わる6月頭に、この支柱を利用して、キュウリの2回目とニガウリを定植する。



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 春キャベツには、1月中下旬に、ヒヨドリ避けにネットをべた掛けしておく。その後、4月に入ると蝶が飛び出すので、蝶避けにもなる。秋冬作のキャベツにはネットは必要ないが、冬越しの春キャベツにはネットが不可欠である。10月3日頃に、極早生品種と中早生品種を蒔いて、11月15日頃に定植すると、4月5日頃から極早生品種が食べれて、それが終わる5月連休明け頃から中早生品種が6月上旬頃まで収穫できる。
 今は野菜が最も少ない時期なので、この春キャベツと、隣の早生タマネギの「そればっかり食」である。


 


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 サツマイモは連作予定である。すでに、クン炭、ヌカ、メタン菌液肥を施し済みである。雨に1~2回あててから、黒マルチをする予定である。黒マルチは農業現場から出る多大な産業廃棄物であるが、黒マルチをすると、サツマイモのツルを挿し木する2ヶ月以上も前から、「準備万端」にして待つことができる。仕事の空いている時にすればよいので、仕事の段取りもよい。
 一般に、草の防除は、
(1)除草剤を使う。
(2)敷き藁(稲ワラ、麦ワラ)を使う。
(3)黒マルチを使う。
(4)草が生える前に三角鍬で、土を動かす。
(5)草が生えてから草を抜く、あるいは草を刈る。
(6)草との草生栽培をする。


 去年サツマイモを植えていた一番右の列の半列は、昨日、サトイモの種芋を植えた。去年よりサツマイモを少し減らす予定である。
 サツマイモの隣の黒マルチをしている2列は、去年はスイートバジルを植えていた。そのスイートバジルの畝の黒マルチを40センチ間隔ほどで破りながら、サトイモの種芋を伏せた。
 黒マルチは、1作が終わってもすぐに片付けずに、2作め、3作目に有効利用できる。



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 今日はネギの種も蒔いた。竹2本が見える隣が空いていたので、ここをネギの育苗床にした。育苗といっても、普通に畝立てをした畝を利用して、そこに種をばら蒔いているだけである。ただ、育苗の時は、畝の表面を多少ていねいに水平にし、蒔いた後は、ジブ(フルイ)で振るった、細かい土をかぶせる。その後、クン炭(なければ籾殻)を振って、雨にたたかれないようにしてから、ジョロでたっぷり散水する。

 4月の種蒔きはこの後、4月25日前後に「ツルナシインゲン」を蒔いて完了。極早生のツルナシインゲンは53日で収穫できるので、6月20日頃にはもう収穫できる。





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野菜産地の農業 (2)

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  「苗床を片付けるから、苗を取りに来られ」と、牛窓町の姉から今朝電話があった。さっそくもらいに行った。日本のエーゲ海と呼ばれる瀬戸内市 牛窓町は、1年を通して温暖な気候に恵まれ、県下でも有数の野菜の大産地である。



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 その中でも、義兄の規模は大きい。お彼岸頃からすでに「シロウリ」を出荷している。画像のようなハウスが直線にして550メートルほどあり、現在はそれがシロウリで埋まっている。春夏作では、シロウリの他に、トウガン、ホームランメロン等を作っている。夏に訪れると、トウガンが納屋に山積みになっている。それはまさに壮観といった感じである。秋冬作では、キャベツ、ハクサイを各2ヘクタールほど作っている。面積はボクのざっと12倍の規模である。鍬など使うことはないらしい。
 両親がまだ健在だった頃、葉タバコの植付けの手伝いに行って帰ってから、「あそこの農業には、ようついていかん」と話していたが、ボクも、訪問するたびに、まさに度肝を抜かれるのである。この規模を夫婦2人でしている。最近はちょくちょく、サラリーマンをしている2人の息子が週末には手伝いに来るようだ。
 この地域では、義兄の規模がそんなに大きいと思えないくらい、他の農家もこれくらいの規模を作りまわしているらしい。それでも、この地域に、農業後継者はほとんどいないらしい。でも、定年後始めるパターンが多いらしく、定年後に始めても、親がやっていた規模を引き継いでやっていくらしい。
 すでに産地形成ができており、サラリーマンほどの収入にはならなくても、こういう地域なら、農業後継者が3軒に1軒、もしくは4軒に1軒くらいいても不思議ではない。でも、50才以下の農業後継者はほとんどいない。理由を考えれば、
(1)社会的な評価が低い職業である。
(2)いわゆる「道」を追求する仕事ではない。
(3)技術はすごいものがあると思うが、それがあまり高く評価されない。
(4)日曜、祭日がなく、雨の日が休みくらいで、肉体的にはかなりハードである。
(5)産地の農業は、農薬の散布はつきものなので、身体的には多少の害があるかも知れない。
(6)実際にしている親が農業に対して否定的な見解をすると、子供は後を継がない。
(7)勉強ができる子は大学へ行ってサラリーマンになり、勉強があまりできない子が農業をするという認識や風潮が1世代前の親の世代にはまだ残っている。親がそういう意識では、子供は農業をしない。
(8)農業をしている親が、農業に、夢や希望を見出せないなら、子供は後継者にならない。
(9)産地の農家は、実際に長年やってきたのだから、今後、日本の農業がどうなるか、確かな「嗅覚」のようなものも持ち合わせている。

 「農で起業」とか「農業に夢を語る」、「農業が癒し」なのは、机上で農業をしている人か、したくてもできない人か、農作物をカネにする必要のない定年帰農の人たちである。現役世代の人は、ビジネスとしての農業を最優先せざるをえない。




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 農業をスタートした年から、ナスビとピーマンとスイカの苗をもらっている。これくらいの大きさにしようと思ったら、1月末~2月上旬に種蒔きをしているのだろう。苗床の開閉、水やり、夜間の保温等、朝、晩の管理が大変だったろうと思う。
 右の画像のスイカは、毎年「接ぎ木苗」である。スイカの台木はナンキンである。自分は接ぎ木の技術を知らない。



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 ポットの大きさを比べるとよくわかるが、大きいポットは、もらったナスビの苗であり、小さいポットは、自分が蒔いたキュウリの苗である。普通、市販の苗を買う場合、ポットの大きさは、小さいぽっとくらいの大きさである。ポットが大きいと、「ポットに入れる土の確保」も大変である。前年の苗床の踏込温床に使った資材を1年間寝かせて(野ざらしにして)、それを翌年のポット土に使っているらしい。
 これくらいの大きさになるまでが、日数がかかるので、これくらいまではハウスで管理する。ここからの(定植してからの)成長スピードは早い。つまり、「一番花」がつくくらいまで、ハウス内の温床で管理する。

 自分は毎年、苗をもらい、その行為に甘えている。でも、姉夫婦もそんなに若くはないので、苗はいつまでももらえない。買えば、自分が蒔いている小さいポット苗くらいで、1ポット60円ほどである。ナスビ44本、ピーマン22本、スイカ7本、それに補充苗も各数本いるので、合計で80本買うとすると、4800円ほどになる。




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 これは自分の苗床である。穴を20センチほど掘って踏込みをして、簡易な「地下温床」をしている。温床が発熱せず失敗しても、単なるポリのトンネルの保温だけで発芽ができるくらい外気温が上がってきてから(つまり4月1日頃)種を蒔くので、あまり失敗はない。でもイタリアンパセリだけは毎年失敗している。毎年2~4回蒔いて、やっと芽が出る。泣き言を言うようだが、発芽するまでに10日間もかかる。
 真ん中の画像はスイートバジルで、右の画像はナンキンである。もらった苗くらいのポットを使うなら、稲の苗箱に6ポットしか置けない。
 こんな小さな温床でも、毎日の水やり、11時~3時頃は高温になるので、ポリのトンネルの裾を少し開け、夕方には、ポリの上からコモ(稲ワラで編んだ保温するもの)などをかけて、夜間の冷え込みに備える。苗には細心の注意が必要である。




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  花の生涯、花の主張。タンポポの見ごろも後1週間ほどだから、またアップした。4月10日~4月20日頃の、咲き誇る10日間が過ぎると次はまた1年後になるから。



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3種類の芋

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 4月10日の火曜日に新天地へ旅立ったオンドリがいなくなってから、トリ小屋へ入っても何か寂しい。メンドリだったら1羽いなくなっても変わらないが、オンドリは2羽しかいなかったし、その内の1羽がいなくなってから、その存在感の大きさに気づかされた。

 確かに、エサやりや水換えの手間は半分になったが、いつもの定位置にこのオンドリがいないということが、とても寂しい。今日は、旅立った日の午前中に見せた雄姿をアップします。


 今朝は、温床の状態を確認したり、液肥を混ぜたり、田んぼを見回ったりした後、池の上の山にワラビを取りに行った。竹の子も1本出ていた。「雨後の竹の子」と言われるくらいだから、雨が降ってくれないことには、竹の子も出ない。去年は、イノシシに全てやられてしまい、1本も収穫できなかったが、今年は今の所、イノシシが荒らしている気配はない。


 今日は、天気予報の雨を期待して、朝の一仕事を終わらせると半農半Xの日にした。農作業はまだそんなに急ぐ作業はない。大体、自分の全農作業の半分は「収穫、仕分け、出荷作業」なので、出荷がない今の時期は、週に3日だけ農作業をすれば足りることになる。
 
 
 1年の始まりのこの時期は、春夏秋冬の野菜やハーブを何回もシミュレーションすることが多い。何度も書いているが、自分の農業で最も大切にしていることは、定植本数(面積)を誤らないことである。これを誤ると、
(1)定植や中耕、除草、黒マルチを引くロス
(2)収穫時間ロス
(3)残渣の処分ロス
という風に、トリプルロスがかかってくるので、各作物ごとに、定植本数や、種芋を植え付ける個数は暗記している。暗記していると、その年に作付がいくら多かったか少なかったか頭にインプットできるので、翌年の作付本数を決める時に役立つ。
 この春、何度もシミュレーションしているうちに、減らさないと採算が悪すぎると考えたのが、
(1)サトイモ
(2)ヤーコン
(3)サツマイモ
の3種類の芋である。

(1)のサトイモに関してのネックは、夏場に多量の水を必要とする点、収穫と仕分けにかなり手間取ってしまう点、冬の防寒の手間、年が明ける頃から急速に味が劣化する点等から、可能な限り減らすことにした。キロ400円では、とても採算が合わない。でも、なかなか単価アップはできない。

(2)ヤーコンは、その年の天候に大きく影響される。特に梅雨時の過湿を嫌うし、真夏の高温にも弱い。そして、収穫をする時に、芋に傷がつきやすい。「サラダオトメ」という割れの少ない品種を作っているが、さほど外観がよくない。1株で、サツマイモほどの収量なら、あまり作る気がしなくなった。

(3)サツマイモは、肥料があまり要らず、黒マルチをすれば、手間もあまりかからないが、作付量が多いと、収穫が以外と重労働になる。イノシシが出始めてから、電柵の見回り等、余計な時間もかかっている。電柵を動かす一手間が負担で、今年は連作の予定だが、収量はどうだろう。


 ワンパックの性質上、上記の芋類は止めるわけにはいかないが、秋冬作のホウレンソウやロケット(ハーブであるが、炒め物、おひたし、生食と3拍子揃った野菜なので特にお勧め)、春夏作のツルムラサキやエンサイの方がはるかに採算がよい。


 今は夜の7時半、雨脚がかなり強くなっている。久しぶりのいい雨だ。一雨きてから、サトイモやヤーコンの植え付け、サツマイモのマルチ張りをする予定なので、明日からまた農作業のはずみがつく。

 
 風の噂では、自分と同年齢で、自分より7~8年遅く、40代の半ばで農業を始めた方が、かなり売上を伸ばし、多角的な農業経営を進めているらしい。スタート年齢にかかわらず、できる人はいるものである。それに引き換え、自分の農業を省みてどうだろう。スタートして3~4年は急速に進歩したが、その後はずっと進歩が止まっている。


 スタート時にイメージできた農業しか、自分はできなかった。農業にはいろんな形態があるから、どんな農業形態が自分に最も適しているか、何度も現地訪問をして、農業への入り口を誤らないことが大切である。
 農業は自給程度にして、農業以外の収入で日常の生活費を工面する田舎暮らしも選択肢の一つだと思う。農業で収入を得ることは、イノシシやシカ等の害獣がますます増えている現状から考えて、本当に厳しいと思う。
 

 


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資本主義難民

 35歳くらいの年齢で、きちんとした所に勤めていなくて、収入が200~250万ほどだったら、この先、どう生きていったらいいだろう。年齢的にも、希望する会社には、すでに入れない年齢である。
 
 
 誰もが企業組織で働くことに「向いて」いるわけではない。一人で独立した仕事の方に適性がある人も多い。でも、現代という時代は、農業者や大工さんを含めて個人事業がまるで成り立たない時代である。

 
 農業、特に有機農業系の人の多くは、資本主義というシステムのワク外の価値観で生きているので、収入よりも、自分の生き方とか生き様、人生観を重視する。だから、組織人がいくら稼いでいようが、関係ないし、興味もないのである。しかし、
資本主義というシステムの中で生きているのだから、人並みに稼ぐことができないならば、状況は徐々にきびしくなる。

 
 50才が過ぎて、さしたるたくわえもなく、働いても、働いても、あまり稼ぐことができなくなった人々は、この資本主義社会の片隅で、どう生きていったらよいのだろうか。

 
 かつて、古き良き時代の「逃亡者」、リチャードキンブル(デビッド・ジャンセン)は、ジェラード警部の執拗な追跡をのがれて、最後まで逃げ通せたが、現代の我々は、資本主義社会から逃亡することはできない。

 
 共産主義という社会システムからは、多くの共産主義難民が、船で、あるいは「ベルリンの壁」を乗り越えて脱出した。しかし、資本主義というシステムには、敵が見えない。だから、戦うべき、あるいは、逃げるべき対象がはっきりしない。つまり、「見えざる手」によって、自分たちは、がんじがらめにされている。

 
 働かなければ食べていけない。でも働きたくても働く場所がない。働いても働いても、稼ぎが多くない・・・。こんな資本主義難民は、どうすればよいのだろう。かつて、共産主義難民は、自由の女神、アメリカ合衆国をめざした。しかし、我ら、資本主義難民に逃げ場はない。
 
 
 努力が足りなかったわけではない。人並み以上に努力はしてきたのである。しかし、中年になって、気がついてみれば、自分がいつのまにか、稼げなくなっていたのである。いったん稼げなくなると、「稼げない」という悪循環が繰り返されるようになる。働けど働けど、わが暮らし楽にならず・・・、こういう悪循環のサイクルに取り込まれた資本主義難民は、一体、どう生活を組み立てていったらよいのだろう。

 
 資本主義というシステムは、「食」を自給しようとすると、あべこべに高くついてしまうという社会に変えてしまった。そして、もう一つの自給自足の柱であるライフラインを、全く自給自足できないように、封じ込めてしまったのである。まさに、自給自足の2本柱である「食の自給自足」と「ライフラインの自給自足」という手足がもぎとられたのである。この点で、50年前と比較して、時代は進歩したのではなく、生きづらさという観点から見ると、かなり後退している。

 
 
たった50年ほど前までは、世界中の多くの人たちが、独立した個人事業家(独立自営農民)だった。大多数の人が特定の組織に属して働くようになった歴史は、まだ、40~45年ほどである。組織(企業)は、上下関係や地位の差別を必然的に生じさせる。組織には組織の論理(正義や道徳より利益が優先される)があり、1人の人間の生死にかかわるようなことであっても、組織の論理が優先される。昔の軍隊のようなもの・・・と言えば言い過ぎだろうか。
 
 
 自分は今、農業が継続できる環境にあり、恵まれていると思う。30代半ば以降もサラリーマンという組織にとどまり続けていたら、組織人としての自分の能力のなさと、他の組織人との賃金の比較に終始する人生を続けているような気がする。

 
 現在の自分は、農業者として誇りを持っているし、収入の低さは日々の充実感がカバーしてくれている。

 
 一口に農業者といっても、その能力や目指す方向は千差万別である。一つ言えることは、十数年の農業生活の間に、知らず知らずの内に、当人の得意な(苦手でない)方向に、シフトしているものである。農業には数多くの土俵があるから、自分のがんばれる土俵を、とにかく見つけることである。自分の土俵が余り収入につながらない土俵であっても、それがあなたの土俵なら、その土俵で続けるしかない。あまりよそ見をしても仕方がない。よそ見をしすぎると、意志がぐらつくし、よそ見をしなければ、井の中の蛙に陥りやすい。とにかく「農業を続ける」ことが大切で、続けてさえいれば、自分のできそうな方向にいつの間にか舵取りしているし、今現在の農業形態や農業ライフが、つまるところ、現時点での最も得意な土俵と言える。


 自給自足主義が壊されて、歴史の次の進歩の段階として、資本主義というシステムが台頭した。その過程で、共産主義というシステムも台頭したが、自分の目指す道は、資本主義でもない、共産主義でもない、もとの自給自足主義である。

 
 歴史は繰り返すというが、戦争は繰り返しても、果たして自給自足の時代がまた繰り返して出現するだろうか。
 
 
 
自給自足のビジョンが自分にあるわけではない。そういう生き方や暮らし方をされている、あるいは始められた方を、日帰りできる範囲で、10人ほど知っているので、その方たちを紹介させて頂く過程で何かが見えてくると思う。

 

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ロッククライミング

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 4月9日に写した温床の画像である。4月11日にナンキンは発芽が出揃った。30ポットに1粒ずつ蒔いたが、100%の発芽率だった。キュウリは失敗したら苗を買えばよいが、ナンキンは品種にこだわりがあり、失敗すればまた通信販売で購入だから、ぐんと遅くなってしまう。
 右はスイートバジルの発芽の画像である。これは、苗箱(稲の育苗箱)にばら蒔きして、3週間後の22日頃に、ポットに鉢上げをする。苗箱3ケースで450ポットほど鉢上げして、その内400ポットを定植する予定である。
 イタリアンパセリはまだ発芽していない。キュウリの発芽は8割ほどだった。


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 ニンジンとコマツナは2条に「すじ蒔き(じか蒔き)」をして、レタス2種類とコマツナは「育苗」している。コマツナは「すじ蒔き(じか蒔き)」と「育苗」の両建てである。
 すじ蒔きは真ん中の画像であり、育苗は右の画像であり、その両方が左の画像である。
 育苗といっても、すじ蒔きと同じ畝を利用する簡便なやり方である。
作物には
(1)ニンジンやダイコンのように、すじ蒔き(じか蒔き)をするもの。
(2)レタスやタマネギのように育苗するもの。
(3)同じ育苗でも、ナンキンやスイートバジルのように温床を作って育苗するもの→春夏作
(4)ハクサイやキャベツのように100穴以上の連結ポットで、日よけをして育苗するもの→秋冬作
 等の4パターンがある。コマツナを「すじ蒔き」と「育苗」にしたのは、まず、すじ蒔きの所を間引きをしながら逐次出荷していき、それが終わったら、育苗→定植したものを出荷するという段取りである。コマツナ(ベンリナ)は、小株取り、中株取り、大株取りの随時取りの品種を蒔いている。


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 今年は3月中旬頃から、雨らしい雨が降っていないので、タマネギにまだ病気がきていない。タマネギは4月中旬頃には決まって、「ベト病」が発生していたが、今年は空中湿度が低いので、この病気は今の所、免れている。



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 画像は、エンドウと一緒に蒔いて、3月中下旬に定植したレタス3種類である。レタスは、害虫も病気もほとんどこない。
 
 5月の野菜とハーブは、
1類→早生タマネギ(葉つき)
2類→エンドウ、グリンピース、スナックエンドウ、ソラマメ
3類→春キャベツ、レタス
4類→コマツナ、ニラ、フキ
ハーブ類→タイム類、ミント類、セイジ、レモンバーム、ルバーブ(ルバーブはジャム専用)、チャイブ(極細ネギ)




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 タンポポは今が盛りである。

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 柿の芽が息吹いた。


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 エンドウの背が高くなったが、収穫できるのは今月末頃から。


 昨日、Nさんが、元自衛隊員のロッククライミングの話を持ち出して、ロッククライミングは、両手、両足の4肢をバランスよく使って、岩を登るが、その時に、4肢のうちのどれか一つは常に「遊ばせて」おかないと、次に進めない。つまり、4肢に力が入り過ぎてしまうと、そこで立ち往生してしまうと話された。つまり、登っていくためには、4肢のうちのどれか一つを動かす必要があり、その時に遊び(余裕)がないと、次の一歩が踏み出せないらしい。
 だから最近は、どんなに忙しくても週に1日は、何もしない日を設けていると言われる。それを聞いて、自分のことを振り返ってみた。農閑期なのに、なにか、家のごそごそ用をしたり、農作業をしたり、同業者を訪ねたり、ちょっとでも時間に余裕があればパソコンに向かったりで、ほとんど余裕のない生活を送っている。1日、何もしないで、ぼう~っとすることがない。でもそういう時間を編み出していかないと、心身がひからびてしまう。
 
 週に1日、何もしない日を設けるにはどうしたらいいだろうと、春夏秋冬の野菜を何度もシミュレーションしてみる。何度シミュレーションしてみても、これ以上作付本数は減らせない。そして農業はやればきりがない仕事である。誰に命令されるわけでもなく、農作業自体は案外楽しいから、日曜祭日もなく(雨の日は田んぼに出れないから休み。その日はたまった事務仕事をする)田んぼに出ても、そんなにストレスにはならない。振り返ってみれば、そんな生活をもう十年以上も続けている。
 
 晴天の真昼間に、白昼堂々、あえて、何もしない、ぼう~っとした1日を作る必要がある。家にいたのでは何か農業関連のことをしてしまうから、何もしないでおこうと思えば、とにかく家を一歩出る必要がある。

 家にいたら、農作業も、家のごそごそ用も、少々の炊事や後片付けも、ブログや事務仕事も、なにもかにもが「いっしょくた」になってしまう。


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新天地へ!さらば、愛しのオンドリ

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 今日、和気町のNさんのトリ小屋へ連れて行った。話し込んでいて暗くなり、ニワトリたちはすでに、止まり木に上がり、寝る体勢になっていた。でも、トリ小屋に入らせてもらった。真っ暗でもフラッシュをたいたら、きれいに撮れていた。安物でも、今時のデジカメは高性能である。

 2羽のメンドリと仲良く止まり木に止まっていたのが、とてもうれしかった。今日は、子供を他所へやった親のような気持ちになった。この光景を見て、安心して帰ることができた。


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 1羽のメンドリはこんな所に寝ていた。




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 Nさんのトリ小屋はパレットでできている。天井にはワラを敷いている。



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 今は大豆くずや米くずのようなエサが切れているので、この1ヶ月ほどは「草」だけしかやっていないと言われる。それでもタマゴを産んでいるらしく、「食べ比べて見て」と言って2個のタマゴをもらった。これぞまさしく「菜食主義」のニワトリ。糞も全く臭わなかった。昔から、「彼岸の草タマゴ」と言われるくらい、この時期には草だけでも産むらしい。草だけでも、抱いた時の感じでは、うちのニワトリより太っているように思えたし、羽も一段ときれいだった。 お彼岸頃までは、あまりタマゴを産んでいなかったと聞いたので、母体への負担が少なかったのだろう。
 この時期は身を削ってでも産もうとするらしい。


 入れて最初は、珍しがってか、メンドリが突付いていたが、それもすぐに納まり、すんなりと仲間に入れてもらえたようだ。でもそれには理由もある。ヒヨコの時に、一緒に宅急便で送られてきた「竹馬の友」だったのだから。


 決闘で負けてから今日までの21日間は、一度も鳴き声を聞いていなかったのに、きょうは、何回も何回も鳴き声を聞いた。これは勝利の雄たけびではないはず。うれしさの雄たけびであり、新天地へ移れた感謝の雄たけびであったかもしれない。本当にうれしかったのだろう。何度も何度も、今までの21日分の鳴き声を聞かせてくれた。このオンドリの方が、もともと鳴き声がきれいで、羽装もきれいだった。3月20日の決闘で敗れたはしたが、それまで1年半近く、ボクのトリ小屋で君臨していたのである。

 
 オンドリが鳴き始めるのと、オンドリの決闘と、メンドリの初産の3つは、時期がほとんど同時であるが、「最初の決闘」で、今回負けたオンドリが勝ったのは不思議だった。というのは、このオンドリは初期成育が遅れて、当初4ヶ月ほどまでは、メンドリよりもまだ小さく、2ヶ月目頃までは、めだって小さかったので、死なずに生きてくれるだろうかと心配していた。最初の決闘前までは、今回勝ったニワトリの方が体格的にまさっていたので、大きい方が勝つだろうと思っていたので、結果を見てちょっと驚いていたのである。


 3月20日の決闘で負けてからは、メンドリからも見放されたような感じで、「凋落の一途」だったので、新天地はよほどうれしかったのだろう。鳴き声がそれを物語っていた。

 
 このオンドリを「手離そう」と、初めて意識したのは4月6日の金曜日であり、今日は4月10日の火曜日であるから、まだ4日である。このオンドリに対する「自分の感傷」ではなく、このオンドリが「生き延びるために」と思ったら、次の行動に早く移れた。
 考えて見れば、これが見納めではなく、Nさん方へ遊びに来た時はいつでも見れるのだから。


 2坪(畳4畳分)ほどのスペースだが、メンドリが3羽しかいないので、とても広々と感じる。ボクのトリ小屋は4坪半で33羽である。


おまけ
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 お友達のウコッケイさんも隣にいるし。


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サツマイモの冷床

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 今日(4月9日)、サツマイモの種芋を伏せた。温床を作って伏せるのではなくて、毎年、冷床に伏せている。それでも、5月末には第1回めの苗が切り取れる。

 4~5日前に、ツルムラサキの跡地の黒マルチを5メートルほど取り除き、クワで少し耕してから、液肥を1タゴ施し、水で5~6倍に薄めておいた。




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 近所の芋穴に保管してもらっていたサツマイモを、春分の日の頃もらってきて、家においていた。




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 冬中、保管してもらっていたのは、画像の4種類の芋である。
(1)ムラサキ芋→加工用(イタリア料理店用)
(2)オレンジ芋→加工用(イタリア料理店用)
(3)ベニアズマ→早生品種、早出し用
(4)高系14号→晩生品種、ふかし芋用




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 2列のがんぎをきる




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 種芋を伏せる。手前から、
(1)ムラサキ芋→7個×2列=14個

(2)高系14号→7個×2列=14個
(3)オレンジ芋→4個×2列=8個
(4)ベニアズマ→5個×2列=10個

 たったこれだけの種芋で、5月27日~6月27日の1ヶ月間に600~700本の苗が切り取れる。

 苗を切り取る時に混同しないように、竹の棒で画像のように目印をつけておく。苗を見てすぐに品種がわかるようになるまでは、茎葉が似ている種芋は離して植えるとよい。


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 種芋が隠れるくらいに、土を戻す(かぶせる)。水はやらない。4~5日前に、液肥と水をしているので、土に適度の湿り気がある。芋を伏せてから水をやると芋が腐る。次に水をやるのは、苗が出揃って、5センチほどに伸びた5月10日頃である。




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 その上から、クン炭(焼きすくも)をたっぷりとかける。なければ、(すくも)でもよい。その後、モグラ避けに、木酢液を1リットルほどクン炭の周囲に振った。




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 トンネル状に、ポリ(透光率の良い新品を使う)を被せて、密閉して完了。この状態で、5月1日までの20日間は見ることもない。
 5月に入ったら、芋から芽が出始めるので、芽が出始めたら、日中、高温になる時は少し換気(ポリの裾を少し開ける)をする。
 サツマイモは特に高温を好むので、換気と言っても、ほんの少しである。

 芋を伏せてから20日間ほどで芽が出始めて、芽が出てから25日ほどで第1回目の苗が切り取れる。つまり、温床でなくて冷床でも、芋を伏せてから45日ほどで、苗が切り取れ、その後は、10日おきに3回ほど切り取れる。6月25日頃を最終挿し木にしている。
 去年の挿し木実績は、
(1)ムラサキ芋→約300本(業務用)
(2)オレンジ芋→約70本(業務用)
(3)ベニアズマ→約80本
(4)高系14号→約150本


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黒マルチを片付ける

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 4月8日、日曜日。池の土手の風景です。




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 去年の2月に植菌したシイタケだが、今日初めて、少し収穫できた。焼いて青シソドレッシングで食べた。


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 池の土手から、池の上の山(葉タバコ、跡地)へ上がる道です。距離にして30メートルほどですが、名づけて「哲学の小道」。


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 葉タバコ跡地は8アールほどある。ワラビが生えていた。どちらもワラビの画像です。


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 山桜は散り、葉桜になっていた。葉タバコ跡地の頂上から眺めた池の画像です。




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 昨日、オンドリの「引き取り手」のことを書いたら、さっそくNさんから連絡があった。近いうちにNさんのトリ小屋に「ムコ殿」としてもらわれていくだろう。
 
 実際に手放すことを意識したら、急に愛着がわいてきた。「さらば、愛しのオンドリ」。
 
 群れの中に戻れないなら、このトリ小屋で飼い続けるのはかわいそうである。Nさんのトリ小屋にはメンドリが数羽いるだけであり、一緒に買って分けたのだから、生まれ日も同じである。今度は何も怯えることはない。メンドリさんに歓迎されるだろう。自分の所にいたら、後3年ほどしか生きれないが、Nさんにもらわれていったら、もっと長く生きるチャンスもある。
 
 ヒヨコを導入して2年近くになるが、まだ1羽も死んでいないので、この「奇跡」の最長不倒距離を更新し続けたかったが、3月20日の決闘は、自分でも思いもしなかったアクシデントだった。


 手放すことを決意したら、とても惜しくなったが、このオンドリの幸せのためには仕方がない。新天地でまた以前のような元気を取り戻すだろう。
 
 今回導入した2羽のオンドリに関しては、ヒヨコの時から「スキンシップ作戦」をしてきたので、自分には、どちらもやさしいオンドリだったが、オンドリ同士はやはり野生の血が騒いだのだろう。


 決闘に負けてから、まだ一度も泣き声を聞いていない。勝った方のオンドリは、「勝利の雄たけび」みたいに、以前にましてよく鳴いている。


 自分のトリ小屋にいるのは、長くても後1~2週間だと思うと、記念の画像を残したくなり、今日もまた何枚も画像を撮った。


 3月31日に蒔いたコマツナは発芽したが、一緒に蒔いたニンジンはまだ発芽していない。秋冬作の8月お盆明けに蒔くニンジンは、蒔いて5日目の朝には発芽するが、春夏作のニンジンは、その倍の10日ほどかかる。しかし、ここでのニンジンは、お盆明けに蒔くニンジンのように、水分不足で発芽が悪いという失敗はない。


 温床の温度(土曜日、曇天だった)
地中→朝(23度)、昼(25度)、夕方(27度)
空中→朝(14度)、昼(21度)、夕方(21度)

 温床の温度(日曜日、晴天だった)
地中→朝(22度)、昼(25度)、夕方(28度)
空中→朝(16度)、昼(40度)、夕方(21度)

 空中温度が35度を超えたら、ポリの裾を少し開けて換気をする。育苗床の水分がたっぷりあれば、空中温度が40度くらいになっても「種が煮える」ことはないようである。発芽適温は、種によっても異なるが25度~30度である。


 今日、田んぼの黒マルチを片付けて軽四に乗せた。明日は産業廃棄物処理業者に持参するつもりである。最も自然に近い農業という職業なのに、最も反自然的な産業廃棄物を、自分は毎年大量に「田んぼから」出し続けている。毎年4月の今頃の時期に、1年分の黒マルチを有料で引き取ってもらうのであるが、気分が滅入る。でも黒マルチを使わない農業をしようと思えば、自分の農業収入は今より2~4割減り、労力は2~4割増えてしまうだろう。
 
 黒マルチを減らそうと思えば、今以上の「規模縮小」しかない。第一線から退いて自給用の家庭菜園だけになっても、「黒マルチの恩恵」からは容易に脱出できないように思う。これでも有機農業・・・。直接的に農薬や化学肥料を使わなければ、間接的にいくら産業廃棄物を出し続けても、規制はないのが、現在の「有機認証」である。


 そして、環境よりも、常に自分の経済を優先している自分がいる。生活のため、生きていくため。


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第三の道

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 左の画像はイタドリです。このあたりでは方言で「セイセンゴ」と呼んでいる。子供の頃にはよく山へ取りに行った。
 真ん中の画像は、花後のウメです。収穫まで後50日ほどです。

 
 ボクは友人、知人の田んぼ訪問をした時、トリ小屋やハウスや露地野菜のまわりを、行ったり来たりしながら、ニワトリや野菜をしばらく見続ける。そうすれば、農場主がいなくても、説明してもらわなくても、見えてくるものがある。

(1)その農場主の考え方、生き方。

(2)農の現場における能力もしくは適性。

(3)稼いでいる金額。

(4)自分はどれをまねることができるか。

(5)その農場主の将来性。

 なども何となくわかるような気がしてくる。自分も農業歴が17年を経過したから、やっとこれらのことが、少しずつ見えてきたのだろうが、まだ農業をスタートする前のあなただったら・・・、めざす農業形態が決まったら、その農業形態をしている先達の3~4人の田んぼを見学させてもらう。話を聞かせてもらうのもよいし、案内してもらうのもよいが、もし、先方に迷惑がかからないなら、少しの間でもよいから、あなた一人で田んぼやトリ小屋や果樹園を見せてもらうとよい。心の中を真っ白にして、その田んぼやトリ小屋や果樹園の前に立つと、果たしてこれが自分にできるだろうか、興味を持ち続けることができるだろうか、自分に向いているだろうかなどが、スタートラインのあなたにも多少は見えてくるのでは・・・と思う。それがピンとこなかったら、他の農業形態を模索して見る必要がある。あなたの過去を総動員しながら、これから始まるかも知れない「農業」の未来を透視するくらい見続けて、考え続けて、あたりを歩き回って見てください。

 
 自分の場合、農業がひらめいた時には、有機農業とか、消費者との提携という農業形態があることすら知らず、ハウスでの施設園芸を考えていた。農業改良普及所の所長に連れられて近くの農家を案内してもらったが、そのハウスの中に入って見せてもらった時、どう考えても自分にそれと同じようなことができるとは思えなかった。自分にできるかどうかくらいは、その現場で1時間ほど案内してもらっているうちにわかると思う。

 
 
自分は農業に適性はあるが、農業に関する能力は少ない。自分の土俵は、露地野菜のみで、たった「30~40アール」のサイズでしかなく、ニワトリは30羽ほどだった。
 
 自分から見れば、とんでもない広さの土俵を切り盛りできる人もいる。でも人は人である。自分の土俵が小さいと言って卑下したりしない。17年という歳月は農業の分野で他の誰にも負けないものが一つくらいはできてくるものである。

 
 都会出身の非農家の人が、農業に参入する方法としては、ニューファーマーズ系と有機農業系の二通りある。

 ニューファーマーズ系は、行政や農協から資本援助や農業指導を受けながら専門作物を持ちスペシャリストをめざす方向である。
 
現時点では成功しているかに見える人もいる。彼らが都会的なセンスを農業に持ち込んだからでもなく、インターネットなどを駆使して斬新な売り方を始めたからでもなく、彼らの持っていた能力が農業技術を蓄積する際に発揮されたからである。

 有機農業系は行政や農協から直接支援を受けることはない。どちらがいいかは、本人の適性や能力、好みの問題だと思う。

 とにかく、最初の一歩で、ニューファーマーズ系にするか、有機農業系にするかを間違えないで下さい。それぞれの先達を3~4人は訪問して見ることをお勧めします。

 ニューファーマーズ系でもない、有機農業系でもない、第三の道・・・つまり、最低限の収入は農業以外のことで稼ぎ、自給自足的な農業と田舎暮らしをする定年帰農系をしている現役世代の方もかなりおられます。第三の道は、有機農業系から転じてされる方が多いように思います。



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今日の農作業、今日の買い物

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 左の画像はフキ、真ん中の画像はフキとシシウド(山ウド)。


 温床の温度であるが、

地中→朝25度→昼29度→夕方32度

空中→朝18度→昼41度→夕方29度

 これを見てわかるように、地中温度はあまり差がないのに、空中温度は朝と昼とでは20度ほど異なる。なお、昼の空中温度はポリが密閉状態の温度である。ジョロでたっぷり散水した後、昼からはポリの裾をちょっと空けて、空中温度を下げることにした。

 
 今日液肥を担いでいたら、タゴの底がちょっと漏れているのがわかった。18リットル×2を年に100荷くらいは担ぐので、タゴにかなり負担がかかっているのかもしれないが、タゴは1年もしくは2年に1個のペースで壊れる。タゴは2個で3000円ほどである。さっそく今日買ってきたが、タゴにどんな結び方をすれば、紐がほどけないか、ちょっとわからなかった。「紐結び」は、何回教えてもらっても覚えれない。今日も、古い方のタゴの結びを少しゆるくして、紐がどういう風に結ばれているか参考にしながら、20分ほどかけてやっと、新しいタゴに紐が結べた。

 メタン菌液肥の導入には、次の3点に注意してください。

(1)かなり臭うので、住宅の近くでは使えない。

(2)液肥の散布は、作付面積が30~32アールくらいが限度と思う。それ以上の作付けだと、担ぐのがえらい。

(3)他人の最も良いやり方が、あなたにも最も良いやり方であるということは、少ない。

 

 タゴを買ったホームセンターに、良い苗が入っていたので、イタリアンパセリの苗を12ポット購入した。1ポットに4~5本苗立ちしていたので、それを1本ずつに分解すれば、50本余り定植できる。1ポットは100円もしなかったので、12ポットで1200円ほどである。自分のイタリアンパセリはまだ温床に種を蒔いたばかりであり、これと同じくらいの大きさになるには、これから50日ほど待つ必要があり、市販の苗も購入しておけば、50日ほど早く出荷ができる。

 苗は30本を基準にして、それ以下の定植だったら、種からスタートするより市販の苗を購入した方がかなり安くつく。自分の場合は、トマト、ピーマンは市販の苗を購入している。

 
 温床に入った犯人は「ヌートリア」だった。ヌートリアが温床のそばの細い水路を走っているのを見た。今、この水路に水はないが、雨による水溜りなどもあり湿気ている。ヌートリアは水辺を好む害獣であり、野菜も好物であるし、蛇などもエサにする雑食である。

 
 昨日、スイートバジルが発芽して、今日はだいぶ出揃った。まだ、ナンキン、キュウリ、イタリアンパセリは発芽していない。3月31日、4月1日、4月2日あたりに種を蒔くということは、たとえ温床がうまくいかなくて発熱がなくても、ポリをトンネル状にして被せて密閉しておけば、多少日数はかかるが、発芽してくる。つまり、温床がうまく発熱しなくて冷床になっても、発芽できる時期になって種を蒔いている。

 
 立場が逆転したオンドリが、なかなか群れの中に戻れない。地面に下りると、勝ったオンドリに追い回されて、すぐにまた止まり木に飛び上がる。今月中もずっとこの状態が続けば、このオンドリの「引き取り手」を探そうと思う。というのも、このオンドリ1羽のために、エサや水の入れ替えに、かなり時間がかかるようになってしまったからである。エサは別途、巣箱の上にコゴメを置いているが、このコゴメを狙って、数羽のメンドリがこの巣箱の上にあがってくるようになった。床(地面)にもばらまいているのに、目を離すと、巣箱の上に上がってくる。だから、オンドリがしっかり食べるまで、最近は見張りをして、上がってきたメンドリは手で下に払い落としている。つまり、「見張り」に時間がかかるようになった。4月はまだいいが、5月の連休明けから出荷が始まるので、いつまでもこういうことはやっておれない。

 
 4月に入ると、年末まで、週に1度の「農休日」がほとんど取れない。もう若くないのだから、週に1日は完全休養日にしようと思うが、これが取れない。おそらく、1月、2月、3月を除いて、農休日が取れている(取っている)農業者など皆無ではなかろうか。農業はやればきりがない仕事だし、会社のように、一歩会社から外に出れば、一応、会社のことからは離れられる「境界」のようなものもないので、自分で強い意志をもって、休もうとしなければ休めない。雨の日は、たまった事務仕事や、郵便局、ホームセンター、スーパーで買い物をしたりで、やっぱり休めない。頭の中で週に1度の農休日をはじきだしても、現実にその当日になると、やっぱり田んぼに出ている。春夏秋冬の野菜とハーブを何回も何回もシミュレーションしてみるが、すでにこれ以上は減らせないくらいに絞り込んだ作付本数である。でもまだ繰り返しシミュレーションして、減らせるものは減らさないと農休日は取れない。ただ農業の場合、ナスビなど30本植えるのも50本植えるのも手間はさほど変わらないし、ハクサイなど200本植えるのも250本植えるのも手間はほとんど変わらないという側面がある。その作物を作るのを止めてしまえば確かに短縮できるが、本数を減らすくらいでは、時間短縮につながらない面も多い。

 でも現状を打破しようと思えば、週に1度の農休日を設けて、新しい何かの取り組みをスタートする必要がある。忙しい忙しいで農作業にいそしんでいれば、後退はしないかもしれないが、現状のままである。

 
 とにかく自分の行動は安易に習慣になってしまう。悪循環の習慣は、1年、3年、5年、10年と知らん間に続いてしまう。好循環の習慣はなかなか習慣になってくれない。でも一つ好循環の習慣がついたと思うのが、下書きなしの直接入力である。ノートパソコンを購入するまでは、ボールペンで下書きをして清書する時にパソコンで入力していた。ノートパソコンはそれまでのデスクトップのパソコンに比べて、持ち運びが便利で、ホームコタツの机の上でもコンパクトに納まり、特に気に入っていることは、キーボードの高さが低くて、とても打ちやすいという点である。ブログを開設してからは、下書き→清書では、日々の更新が間に合わず、いきなりキーボード入力が、いつのまにか習慣になった。この「いきなりキーボード入力」が習慣づいてから、パソコンに向かうことや、作文を打つことがとても楽しくなった。「快楽」とまではいかないが、夜3~4時間の「ブログな時間」がまたたく間に過ぎていく。まるでパチンコをしているみたいに。



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う○こ論考

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 動物の糞と人間の糞では、動物の糞は、さほどきたない物と思えないのに、人間の糞は、とてもきたない、不潔なものと思えてしまう。しかし、安全性という観点から考えてみれば、人間の糞の方がはるかに安全である。というのは、動物が食べる物は、安全かどうか、動物自身で吟味できないが、人間が食べる場合は、国産であるか、輸入物であるか、あるいは、安全性はどうかなど、考慮に入れると思う。だから、人間の糞の方がはるかに安全だと考えるゆえんである。

 現在、人間の糞は、田畑の肥料として、ほとんど使われなくなった。使われているのは、鶏の糞、牛の糞が主体である。人間の糞が、田畑のとてもよい肥料として使われていたのは、45年ほど前までの時代である。もっと以前、江戸時代には、武士や商人の「う○こ」を、百姓が物々交換(米や野菜)で、買っていたそうである。武士のう○こは高く、商人のう○こは、それより安かったらしい。というのは、武士は魚や豆類を商人より多く食べ、動物性タンパクや植物性タンパクのより多いう○ことなり、施した場合の肥料効果が、武士のう○この方が高いということによるらしい。

 江戸時代~昭和30年代前半にかけては、う○こは「循環」というリサイクルの要だった。人間の体内という化学工場で排泄物となったものが、物々交換で百姓に買い取られ、野菜や米に施され、できた野菜や米を食べて、また排泄物となる。

 現在、人間の排泄物は「循環」を拒否されて、化学処理され、化学処理された後の残滓(肥料として売られているが、こんなものは田んぼに使えない。田んぼはゴミ捨て場ではない)が産業廃棄物になるという構図である。このシステムの線上にある限り、永遠に「う○こ」は、環境問題をより悪化させる方向に進む。

 

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 下水道を通して、化学処理され、固形物は産業廃棄物、害は無くなったとされる水分は、川を通して海に流れ込むというのが下水道というシステムである。飛行機が長年の飛行により金属疲労を起こすように、下水道というシステムは、21世紀の後半世紀には、見直しを迫られるシステムではないかと自分は思っている。

 現在の状況下においては、大都市には人口が密集しているし、農家人口は激減しているので、人間の排泄物を「田畑の循環」のシステムに戻すことは、実際問題として不可能である。田舎においても最近は、集落の半数以上の家が合併浄化槽になっているし、そうでない家は業者に汲み取りを依頼しているので、いくら家庭菜園だといっても、田畑に自分の家の人糞(下肥)を施すことは皆無となった。自分の場合も田畑に施してはいない。

(1)誰もしなくなったので「世間体」も少しは考慮している。

(2)野菜会員やイタリア料理店が、そのことに拒絶反応を示す可能性が高い。

(3)何よりも、汲み取りして、それをこぼさないように田畑まで持っていき、その容器を洗って元通りにしておくという一連の作業に、手間と時間がかかり過ぎる。2ヶ月に1度ほど業者に電話で依頼すれば、2000円ほどで足りる。

 以上の3つの理由により、自分も田畑に循環させてはいない。数年後、自分の集落にも下水道が整備されるので、田畑に循環させる(戻す)ということ自体が不可能(水洗便所になるわけだから)になる。いったん下水道というシステムに組み込まれてしまうと、そのシステムに対して反対や疑問をいだく余地は一寸もなくなってしまう。

 下水道というシステムの稼動は、大都市では設備効率はよいかも知れないが、田舎では人家がまばらなので、下水道効率は極めて悪い。半額は国の負担(税金)らしいが、半額は自己負担である。下水道というシステムは、都市部だけではなく、田舎の過疎地をもまきこんだ全国的網羅事業だということである。ついにここにおいても、完全に、都市と田舎の区別がなくなった。

 下水道は、環境問題やシステム問題を考える時、とてもよい素材である。現世代のいろいろな問題が、下水道に凝縮されている。

(1)人間の排泄物を下水道を通して化学処理した後の、産業廃棄物問題。

(2)下水道に群がる利権集団。道路が一段落し、公共事業も減り、残るは下水道のみ・・・。またしても道路を掘り起こしている。なぜ田舎では、どこまで行っても「工事中」が多いのだろう。この国はいつのまにやら土木建設業国家となってしまったが、土木建設業に代わる新たな萌芽が、まだ見えて来ない。

(3)いったん、この下水道というシステムに組み込まれてしまうと、「う○こ」を処理する選択の自由がなくなってしまう。地域や集落単位の事業なので、1人入らないというわけにはいかない。

(4)下水道が水を浄化するとは自分は思っていない。家庭排水だけが悪いのでなく、田畑にまかれる農薬、化学肥料、除草剤等のかかわる水質汚染の問題が大きいと思う。魚もホタルも戻れない。



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 「構造改革特区」を導入するなら、下水道にも導入してみるべきである。メタンガス発生装置専用特区村・・・のような。

 地方公共団体によって、受ける権利や負担する義務は、それぞれ違った方がいいと思う。全国一律という考え方は、ファシズム(集団主義)につながる。下水道に関しても全国一律、過疎地まで・・・というのは、不自然に感じる。田舎では、田舎らしいシステム(メタンガス発生装置等)が稼動される方が、環境保全にも、税金の節約にもなる。

都市部の生活に疲れたら、田舎の「自給自足特区村」へ入って、カネを使わなくても生きていける、もう1つの生き方があると考えることができれば、人生がもっと豊かになると思いませんか・・・。

数年後、自分の集落に下水道が整備された時、トイレの改装資金がいくらかかるか、毎月の費用はどれくらい余計にかかり出すか、何が快適になるか、水をどれくらい大事にする(節約する)ようになるか、自分自身における変化を、書き残していきたいと思う。

(補足)メタンガス発生装置

 風呂の排水、残飯、う○こ等を、メタンガス発生装置(セメント、あるいはビニールで作った簡易なシステム)に入れ、ヌカも定期的に補充して、その装置から出るガス(メタンガス、つまり「へ」のようなガス)で、台所などで使うガスを自給する、その廃液は効果の高い有機質肥料となる。全国の先進農家の間で、増えつつあるシステムである。50年以上も昔、雑誌「家の光」でも紹介されていたらしい。このシステムが広がらなかったのは、プロパンガスの方が圧倒的に便利だったからだろう。今また、エネルギー問題からメタンガス発生装置が脚光を浴びている。

 自分はガスは利用していないが、その廃液をもらってきて、500リットルタンク2個に100リットルずつ入れ、それぞれヌカ3~4袋(50キロほど)とナタネカス10キロほどを投入して、水をいっぱいまで入れる。メタン菌の活躍で、夏場なら1週間ほどで、燐酸肥料分の多い液肥ができる。自分の場合は年間で4トンくらい利用している。



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野菜が最も少ない4月

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 4月の1ヶ月間は1年で最も野菜の少ない時期であるが、この時期、特にありがたいのは、新タマネギと春キャベツとワケギである。新タマネギ(まだピンポン玉くらいの大きさ)は、葉も食べれるので、ざく切りして、アゲやトウフと煮る。味噌汁にも欠かせない。
 
 
あまり手のこんだ料理はできないが、マルミさんが帰宅する前に自分が時々作っておく一品がある。

(1)ブロッコリーの湯通し

(2)葉タマネギとアゲ、トーフの煮物

(3)ワケギの酢味噌

(4)目玉焼きか、ゆで卵


 自分がよく作る秋から冬にかけての一品は


(1)サトイモの煮物

(2)ダイコンの煮物

(3)ハクサイの煮物

(4)ネギとトーフの煮物

(5)ホウレンソウのおひたし

(6)秋冬レタス、そのまま

(7)サツマイモのふかし芋


 春から秋にかけての一品は


(1)スナップエンドウの炒め物

(2)新タマネギの炒め物

(3)エンドウの煮物

(4)コマツナの煮物

(5)グリンピースの豆ご飯

(6)春レタス、そのまま

(7)ウメ漬け、ラッキョ漬け

(8)ナスビの鉄板焼き、ナスビの煮物

(9)ピーマンを蒸してドレッシングで食べる

(10)ナンキンの煮物

(11)エンサイのおひたし

(12)ツルムラサキのおひたし

(13)キュウリの塩もみ

(14)トーフの冷奴、薬味は青シソかミョウガ

(15)オクラの湯通し

(16)ニガウリの炒め物

(17)トウガンの煮物

(18)インゲンの煮物

(19)ハヤトウリの湯通し

(20)カブの酢の物

(21)ヤーコンの炒め物

(21)各種野菜炒め


 その季節、その季節で、自分が食べたいものを一品用意しておけば、後の一品は、マルミさんが帰ってから作る。帰りが遅い時は、しばしば市販のできたものを買ってくるので、ボクが作った、旬のシンプルな一品が生きる。シンプル過ぎて、そっけないが、料理の腕はこの17年間、ほとんど進歩しなかった。


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地中温度と空中温度

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 立場が逆転してしまったオンドリは、左の画像のようなポーズで、じいっとしていることが多い。ちょっと食欲も落ち、以前より明らかにやせている。決闘で負けて、明日で2週間になるから、もうほとぼりが冷めてもよさそうだが、勝った方のオンドリが執念深い。負けたオンドリが床に下りるとすぐに追い回す。
 止まり木に上がると、巣箱の上のオンドリを見つけて、その定位置さえ脅かそうとする。その時は、負けた方のオンドリはすぐに反応して、下(床)に逃げるが、勝った方のオンドリが止まり木から下に降りてくると、今度は逆に、すぐに止まり木に飛び上がる。今回のオンドリは、自分にはどちらもやさしいのに、オンドリどうしが仲が悪すぎる。


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 勝ってからは、このオンドリがいかにも強そうに見えてきた。いや、勝ったことをはっきり意識しているようだ。威圧感も出てきた。




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 昨日、近所の大工さんに少し液肥をあげたので、すぐに今日、液肥を仕込んだ。いくらかでも使ったら、すぐに次を仕込んでおき、後は寝て待つだけである。今日はヌカを1袋だけ投入した。ナタネカスは投入しなかった。通常はヌカ5に対してナタネカス1くらいの割合で投入するが、ナタネカスはほとんど輸入物なので、使用量をできるだけ少なくするようにしている。ヌカも、ナタネカスほど比率は高くないが、窒素分が結構含まれている。
 
 ヌカの多い少ないは、毎日1回、竹の棒で混ぜる時に、様子を見ながら、薄いと思えば随時投入している。濃すぎると混ぜにくいし、担ぐ時に重い。

 井戸が20メートルほど下にあるので、水はいつでもポンプアップできる。
(1)水がいつでもすぐに調達できなければ、液肥作りは無理。
(2)道を隔てた左右の田んぼのちょうど真ん中あたりに液肥タンクを設置しているので、最も遠い場所でも60~70メートル担ぐだけである。
(3)いつも軽四を止めている物置のそばに液肥タンクを置いているので、1日1回混ぜる(進行具合を確認する)のに、とても便利であるし、忘れることもない。
(4)ヌカは、購入している農機具店のコイン精米機のヌカが無料でもらえる。昨日は30袋ほどもらってきた。
(5)仕込んだ時に、液肥タンク周辺の、スギナ、ヨモギ、タンポポ、クローバ、スイバなど、虫が嫌う(食べない)雑草も、適量(液肥が混ぜにくくならない量)を投入している→効果のほどは不明


 肥料はこの液肥とクン炭(焼きすくも)だけである。これで十分野菜はできている。トリ小屋の鶏糞もあるが、これは1年に1~2回、主に冬の農閑期に、果樹の根元に施すために使っている。

 だから液肥は何回転もさせている。使ったらすぐに仕込み、使ったらすぐに仕込みして、後は1日1回、1分ほど混ぜるだけで、寝て待つわけである。自分の場合は
(1)7月、8月は仕込んで1週間で使っている
(2)6月、9月は仕込んで10日ほどで使っている
(3)4月、5月、10月は仕込んで2週間ほどで使っている

 上記はいずれも、種菌としてタンクの半分は残す。種菌をたくさん残した方が次の出来上がりが早い。


 自分の場合は、元肥に入れるので、植え付けまでに1週間ほどの期間をあけ、薄めたりせずに原液のまま使う。追肥の場合も、作物の中心部から離して原液のまま使っている。肩に担ぐわけだから、薄めると何回も担ぐ必要があり面倒である。薄める必要があると思ったら、原液を施した後、エンジンポンプで散水して薄める。


 液肥なので雨によって流亡してしまうので、液肥の使用は、黒マルチとセットみたいな所がある。黒マルチは、ハウスのビニールと共に、農業現場から出る多大な産業廃棄物であるが・・・。

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 右の画像は温床である。夕方にはムシロなどを被せて、夜間の冷え込みに備える。朝、太陽があたり始めたら取り除く。
 
 今日昼間の温床の地温は35度ほどあった。35度を超えるようになったら、トンネルのすそを少し開ける。温床に種を蒔くと、温度管理があるので、よく晴れた日は外出ができない。雨の日や曇天の日は密閉したまま放っておけるので、日中の外出も可能である。


 自分はまだ、ポリのトンネルの中の温床の「地温」と「空中温度」のどちらが高温になるのか、どれくらい温度に開きがあるのかよく理解できていない。近日中にはこれを確認しておきます。


 以前、義兄に「空中温度」はどうやって測ればええんじゃろうかと聞いた時、「温度計を逆にして地中にさしておけばええんじゃがな」と言われて、自分の知恵のなさに唖然としたことがある。それまで自分は、温度計をどうやって吊り下げようかと、ひとしきりそのことを考えていたから。


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雨水を利用する小設備

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  近所の団塊の世代の大工さんが、今年から、自給用の野菜を作りたいと言われて、肥料のことを聞かれたので、「メタン菌液肥」のことを話していたら、先日、田んぼに来られて、液肥の「種菌」を少し分けてもらえんかと言われる。40リットルほどの種菌を持って田んぼに同行すると、すでに画像のような「雨水を利用する小設備と、メタン菌液肥の容器が設置してあった。


 さすが大工さんだけあって、このような大工仕事と、創意工夫は朝飯前らしい。野菜ができるより先に、このような小道具ができてしまう人である。


 トタン板で作った屋根をジョウゴにして「トイ」で受け、受けた雨水を廃物利用の「屋根の上に置く天日でわかす風呂の水の容器」に送るようにしている。この容器は200リットル入りで、2つ設置してあったから、合計で400リットルほど雨水が利用できる。


 なるほどなあと思いながら、何でこんな知恵が簡単に働いて、すぐにそれを形にできるんだろうと感心した。



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 二つの容器をこんなホースとつなぎで一つにして、真ん中の画像のように、水の蛇口は容器よりちょっと高い位置に引っ掛けている。その蛇口を容器の水面より下にすれば水が出てくる仕組みである。その全体像は右の画像である。



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 液肥タンクは、これまた廃物利用の「便漕」である。この便漕は地下に20センチほど埋めてあり、400リットルほど入るらしい。メタン菌は35度の時に最も活動的になると話していたら、早くも、便漕の蓋をガラスに変えていた。こんなことも、あっという間にできてしまう人である。


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 実演して見せてあげると言われて、画像のような「発電機」と「モーター」を動かして見せてくれたのが右の画像である。手で混ぜるのが面倒なので、こうやれば簡単に混ざると言われる。便漕は400リットルくらいだし、竹の棒で混ぜても1分もかからないので、はるかに竹の棒で混ぜた方が簡単だと思ったが、大工さんはこの方法がいいと言われる。これわかりますか。つまり、便漕からポンプアップしてまた便漕に戻して混ぜている。


 田んぼに施す時は、この道具で、画像のトップカーにまた別の300リットル容器を載せて、それにポンプアップ(この時、水で10倍に薄める)して、トップカーで田んぼの中を移動しながら作物に肥料を与えると言われる。このあたりから、自分の頭がだんだん混線してきて、この大工さんの思考についていけなくなった。もう科学者・・・。



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 さっきのホースの中を洗うと言って、今度は水の入ったタンクから、メタン菌容器に水を送り込む実演をして見せてくれた。


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 トップカーには、こんなユニークな屋根がしてあった。


 まだ野菜はこれからなのに、この準備のよさ。というか、野菜を作るよりはるかに、こういうことをする方が得意な人である。こういうことに関して、同じ土俵で勝負したら、先生と生徒以上の差がついてしまう。現に途中から、この仕組みを理解するのに、何度も繰り返し同じ説明をしてもらったから。

 今日のブログに載せたいのですが、インターネットを見られるんですかと聞くと、そんなことをするより、酒を飲んで寝とった方がええと言われた。
 ブログは自分の土俵。今80位ほどに順位が落ちているけれど、勝負はまだまだこれから。先は長い。

  


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 昨日、和気町のNさんに「木酢液」をもらいに行った。モグラに暴れられては困るので、もう少し温床に入れておこうと思った。上の画像は、Nさんの物置小屋兼炭焼き小屋である。田んぼは不耕起栽培。Nさんは今、農具の試作に没頭中。


 でも今朝、苗箱の上を歩いていたのは、外部からの進入者だった。瓦やレンガが跳ね除けられていた。多分、タヌキかヌートリアの仕業だと思う。まだ発芽は始まっていないので、苗箱の表面を手で平らにし、周囲に木酢液を1リットルほど補充散布し、外部からの侵入の防御を堅くした。


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ナンキン等の種蒔き

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 今朝、田んぼに着いて、温床の中に手を入れてみると、発熱が始まっていた。発熱までに丸2日ほどかかった。さっそく、種蒔きの準備を始めた。用意したものは、
(1)ジョロ
(2)稲の育苗箱
(3)育苗ポット
(4)クン炭(焼きすくも)
(5)山の落ち葉の下の腐葉土
(6)市販の育苗土→1袋、50ℓ、1600円ほど

(7)ブルーシート
(8)レーキ→混ぜる道具

 時間に余裕があれば、市販の土は買わずに、川砂や山土、もしくは腐葉土を「フルイ」にかけて、それを利用するのがよい。



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 うっかり、画像を撮り忘れたが、まず一番に、市販の土とクン炭を1対1の割合でよく混和する。手で混ぜたり、画像のレーキを使ったり、ブルーシートを動かしたりして、混ぜる。5分もかからない。市販の土とクン炭が1対1と書いたが、厳密に量っているわけではなく、多分、クン炭の方がかなり多めである。市販の土は高いので、クン炭を使って、2倍以上に増量させるのである。

 よく混ざったら、端の方に移動させ、その隣に腐葉土を袋から出す。



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 上の画像のように、腐葉土をポットの8分目くらいまで入れる。



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 腐葉土を8分目くらいまで入れたら、その上に、市販の土とクン炭を混和したものを、ポットすれすれまで入れる。手で鎮圧するとポットの9分目くらいになるので、そこに、1粒ずつ種を蒔く。ナンキンは少し大きめのポットに15粒×2ケース、キュウリは、ナンキンに利用したのより少し小さめのポットに17粒蒔いた。



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 蒔いた後、ポットすれすれまで、市販の土とクン炭の混和したもを入れる(種がかくれるくらい)。これで完了だが、自分の場合は、この上からまた少しクン炭をふっておく。保温にもなるし、ジョロの水でポットの表面がたたかれるのを防ぐ。



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 今度はスイートバジル3ケースとイタリアンパセリ2ケースの種蒔きの準備である。稲の育苗箱すれすれに、市販の土とクン炭を混和したものを入れる。下の画像のような棒で育苗箱の上をなでると水平になる。



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 5ケース用意できたら、その上から種をばらまき、ごく薄く覆土をして、上記と同じようにクン炭をふる。スイートバジルとイタリアンパセリは、発芽して20日ほど経過してから、ナンキンやキュウリのように「ポットに鉢上げをする」。なぜこうするかと言うと、種がごく小さいからである。



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 上の画像は種蒔きが完了した画像である。この上からたっぷりと、ジョロで潅水する。




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 上の育苗箱を、画像のように、温床に並べる。


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 並べてから、はたと考えた。今朝、この温床を見た時、モグラがかなり走った様子がうかがえたからである。モグラをこれ以上暴れさせないためにはどうしたらよいか、ちょっと悩んだ。近くで農作業をしていた年配の方に尋ねると、ワラか棒に廃油をつけて、土中に埋めておけば、その臭いを嫌がってモグラが来ないと言われる。
(1)廃油
(2)ネズミ取りの「ひっつきもち」を温床の上におく→でも、モグラは土中にいて、温床の上には出てこないので、温床の上にこれを置いても効果はないかも・・・。
(3)モグラ取り器を設置
(4)チャン(仕掛け)もあるが、使い方がわからない。
(5)廃油を取りに家に帰った時、木酢液が目に入った。あ!、これだと思った。

 結局、並べた育苗箱のまわりから、一升瓶の木酢液を半分ほどまわしかけた。もぐら取り器は、下の画像のように設置したが、こんな設置の仕方でいいのだろうか。農業者として失格。廃油と「ひっつきもち」とチャン(仕掛け)は使わなかった。

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 上の画像のように、育苗箱のまわりに、瓦とかレンガとか、金属の棒などを「重し」に置いたのは、今朝、モグラがワラをかなり持ち上げていたから。



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 ポリを新品のものに変え、左側は土で押さえ、右側は、水遣りや温度管理で開け閉めするので、瓦やレンガで押さえた。密閉すると、またたく間に水蒸気でくもり、中の育苗箱が見えなくなった。


 夕方には、ムシロかコモのようなものを被せて夜間の冷え込みに備える。朝、太陽があたり始めたら取り除く。


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暗記が特に大切

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  昨日、仕込み(踏み込み)をした温床であるが、今日の午後、温床に手を入れてみると、まだほとんど発熱を始めていないようだった。これでは種は蒔けない。発熱するまで1~2日遅らせることにした。
 
温床の前方には今日、ニンジンとコマツナを蒔いた。その左の畝の端に、ガーデンレタス、丸レタス(育苗して定植)を蒔いた。



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 負けたオンドリの定位置になりつつある、巣箱の上の場所。今日で11日目の朝だが、まだ怖がっている。地面に下りるとすぐに勝った方のオンドリに追い回される。1日の大半をこの場所で過ごしているようである。だから、水とコゴメと青菜をこの場所に少し置くようにしている。今朝もエサやりに入ると、一度は下りてきたが、すぐに追い回されて、ボクの腕を「止まり木」がわりにして逃れた。

 

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 エンドウの花が咲いた。



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 画像は早生タマネギである。まだほとんど病気はきていない。毎年今の時期までは見事な出来栄えであるが、2週間後の4月中旬頃から、計ったように「ベト病」という病気が発生してくる。それでも、早生品種は5月連休明け頃から収穫期に入るので、それほど致命的ではないが、中晩生品種の収穫期は5月末なので、その頃には無残な姿になってしまう。多分、今年も・・・。



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  池の上の山にツツジと山桜が咲いた。ツツジはすでに満開、山桜は開花したばかりである。


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 ウメの花は散り、花の後に小さなウメの実がついた。60日後の5月末にはウメの収穫期を迎える。ウメは花がない時期に花が楽しめて、花の後の実が、これまた大いに役立つ。去年は1月、2月が厳寒だったせいか、あまり花も咲かず、実も全く収穫できなかったので、今年は2年間分のウメ漬けを作る予定である。
 桜の花期は短くてはかないのに、梅の花期は長く楽しませてくれて、梅干のおみやげまでくれる。




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 今年初めて、ビワが実をつけた。花がいつ咲いたのか、記憶が定かでない。
 ビワの収穫期は梅雨時分だが、袋掛けしても、ビワはカラスの餌食になってしまうだろう。




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 画像はキーウイであるが、この棚は作ってもらった。こういう作業はとても不得意である。キーウイは棚だけでなく剪定の仕方もよくわかっていない。伸びすぎた枝を適当に切り戻したり、他の枝に巻きついた枝を切り落としたりしているだけである。それでも食べ量くらいは成るので困っていない。きちんとした剪定が必要な果樹のような作物はどうも不向きである。いろんな果樹を1~2本植えているが、放任していても収穫できるものでないと、自分の口には入らない。


種蒔き日の暗記


 歌の歌詞が暗記できていない歌手はいないが、種蒔き日を暗記できていない農業者は多い。「メモ書きを見たらわかる」ではなく、自分の覚えやすい方法で必ず暗記しておく必要がある。自分の場合は、


3月15日~3月31日
(1)春ジャガイモ(種芋は16キロ購入)
(2)キャベツ(今は蒔いていない。秋蒔春取りのみ)
(3)レタス→3月31日蒔き
(4)ニンジン→3月31日蒔き
(5)菜っ葉→3月31日蒔き(コマツナだけ蒔く)


4月1日~4月15日
(1)ナンキン→30ポット種蒔き(25本ほど定植)
(2)キュウリ→16ポット種蒔き(12~14本定植)
(3)サツマイモ→4月8日頃、冷床に種芋を伏せる
(4)サトイモ→4月15日(種芋150個)
(5)ヤーコン→4月15日(種芽150個)


4月15日~4月30日
(1)トウモロコシ(長らく蒔いていない)
(2)ネギ→4月15日
(3)インゲン→4月23日
(4)ハヤトウリ→4月23日
(5)トマト→18本ほど苗を購入(出荷はしていない)


5月1日~5月15日
(1)エンサイ→80ポット定植(1~2本立ち)
(2)ツルムラサキ→70~80ポット定植(2本立ち)
(3)オクラ→100ポット定植(3~4本立ち)
(4)トウガン→9ポット定植
(5)ニガウリ→8~10ポット定植


その他
(1)ナスビ→44ポット定植(苗をもらう)
(2)ピーマン→22ポット定植(苗を購入)
(3)スイカ→7ポット定植(苗をもらう)


 春蒔きは15日ごと、5項目ごと、合計23作物を上記の本数で完全暗記している。「暗記しておく」ことが特に大切。
 早く、あなたの覚えやすい方法で種蒔き日、定植本数を完全暗記して下さい。
(1)ごちゃごちゃと多種類は作らない
(2)必要最低限のものは作る
(3)宅配ケースに入れる内容物をイメージしながら作る。
(4)リタイアして自給用だけ作るようになっても、作り続けるだろうと思うものを作る。


ハーブの春夏作は、
(1)スイートバジル→4月1日種蒔き(400本定植)
(2)イタリアンパセリ→4月1日種蒔き(200~220本定植)


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プロフィール

水田祐助

Author:水田祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在55才、農業歴19年目。農業形態は野菜とハーブのワンパック宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ30羽。25年ほど農業とは無縁だったが、ボクが子供の頃は、家は葉タバコ農家だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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