あめんぼ通信

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

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温床作り

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 今日(3月30日)、温床作りをした。4月1日、4月2日が雨の予報なので、今日することにした。
 昨年まので電熱温床は止めて踏み込み温床に変えた。理由は電熱温床が毎年、どうもうまくいかなかったから。
 その踏み込み温床も、竹で枠組みをして、地上に作る温床でなく、穴を掘って、地下に作る温床に変えた。理由は、地上に作る温床では、竹の枠組みを結んだ紐が、踏み込み中にほどけてしまうという失態の可能性が高いからである。農業者として失格。恥ずかしながら、実はこの毎年の失敗が電熱温床の導入につながっていた。
 縦1メートル、横3メートル、深さ30センチほどの穴を掘った。


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 用意した材料は、
(1)ヌカ1袋
(2)トリ小屋の鶏糞→フゴに一杯
(3)すくも(もみがら)→フゴに4杯
(4)土手の草(かや)→4束
(5)稲ワラ→2束
(6)落ち葉(緑の大袋)→3杯
(7)液肥をタゴに5杯→メタン菌液肥を10倍ほどに薄めたもの(自分の場合は液肥があるから液肥を利用しているが、通常は水である)

 これらを交互に穴に入れながら、時々、液肥をかけながら、よく踏み込みをする。



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 右の画像は「かいば切り(けえば切り)」という、長い草やワラを短く切る道具である。1年に1回、温床作りの時だけに活躍する。
 ボクが子供の頃から家にあった農具であり、牛のエサの稲ワラなどを短く切る時に利用していた。漢字で「飼い葉切り」と書くのかもしれない。


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 踏み込み完了。最後に稲ワラを置いて、その上に稲の育苗箱を置いたら10ケース並んだ。8ケースでよかったのに、2ケース分、踏み込み温床が大きかった。10時過ぎから始めて、1時頃まで3時間かかった。保温用のポリを被せて、ひとまず昼食に帰った。
 今回の温床作りは、穴を掘るのに30分ほどかかっている。上記の7つの材料は、終わってみればこれだけの量を使っていたという数字である。途中で、落ち葉や土手草(乾燥した、かや)を何回か取りにいったり、水を井戸から「つるべ」で汲み上げたりした。
 温床は
(1)天気がよくて風のない暖かい日が温床作りに適する。
(2)材料は手元にあるものでよい。種類は多い方がよいと思うが、なければヌカと草(かやのような草)、ワラでもできる。
(3)穴が大きければ、それだけ材料もたくさんいるし、時間もかかるが、小さすぎると発熱が少ないと思うし、長持ち(2~3週間ほど発熱が持続する)しない。
(4)踏み込みを始めたら、途中で昼食をはさんだりせずに、最後まで終わらせる。ポリ等を被せるのは、発熱を促す、もしくは発熱を外に逃がさないようにするためである。


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 昼からトンネル支柱をして、ポリをかぶせ、その上から、ムシロや厚手のポリをかぶせて保温した。24時間経過した明日の午後には発熱が始まると思います。温度計も必要です。


 明日の午後から種を蒔き、このトンネルの中に並べます。
(1)ナンキン30粒(25本定植予定)→2ケース
(2)キュウリ16粒(12~14本定植予定)→1ケース
(3)スイートバジル(育苗箱に土を入れてばら蒔き)→3ケース
(4)イタリアンパセリ(育苗箱に土を入れてばら蒔き)→2ケース


 育苗ケースを並べたら、日中は透明のポリだけにして、夕方、家に帰る時に、ムシロや厚手のポリを被せて夜間の冷え込みを防ぎ、翌朝太陽があたりだしたらまた透明のポリだけにします。 スイートバジルは蒔いた3日後の朝には発芽しますが、イタリアンパセリは発芽までに10日かかります。


 今日は昼から、ナンキンやキュウリを蒔くポットに入れる腐葉土を池の上の山に取りに行った。明日は、土の配合や、種蒔きの様子をアップします。


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昇進

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 桜の開花は、ちょっと浮き浮きした気分になる。立ち止まってめでる余裕はなくても、備前市へ抜ける林道沿いの桜がちらほら咲き始めるのを見ると、春だなあと思う。


 2人の娘も働き始めたが、今後どのような進路を選択していくのか、それは知らない。子供の職業に関して自分は建設的な意見など何も思い浮かばない。ボクは親の言うことなど何一つ聞かなかったし、あまりに職業を転々として、親に心配をかけすぎて、早死にさせたような気がする。だからボクは、子供がいかに転々としようと、それに惑わされずに「自分は自分」に徹しようと思う。

 
 ボクは家族よりも、常に自分自身を最優先に投資してきたし、今後もそうするだろう。農業こそ自分に投資した最も大きな投資である。逆にマルミさんは、ボクや子供に最大限の投資をし続けてきた人である。自分を犠牲にして働き続けたとは思わないが、自分が職場を辞めると、たちどころに我家の経済がまわらなくなるということはわかっていただろう。子供が働き出したのだから、今度は自分に投資したらと話すが、自分の何に投資したらよいのか試行錯誤しているようである。

 
 桜の季節は新しい旅立ちの季節である。そして桜は、またたく間に散ってしまう。人間も桜みたいである。いい時期は短い。桜の下を足早に軽四で走り過ぎる時、風に運ばれてきたほのかな香りに、ふっと気持ちがやわらいでアクセルを弱めても、止まることなくまたアクセルを踏み、先を急いでしまう。



昇進

 
 サラリーマンを辞めて農業を始めてからは、同業者と付き合うことが多くなり、いつのまにか、サラリーマンの友人たちとは疎遠になっていた。年収も違うし、話題もいつしか違ってくる。いやおうなく「年収の格差」とか「地位の格差」などを意識させられる場面に出くわしても、つとめて気にしないようにしてきた。つい最近、自分より一つ年上である義兄の弟が、地方銀行の取締役に昇進し、自分と同一年令である妻の兄が、建設会社の総務部長に昇進した。同じサラリーマンをしていたら、絶えず、年収とか職場での役職とかを比較してしまうが、自分はすでに、そういう競争社会から降りて(下車して)しまっているので比較すべもない。すでに年収に関しては天と地ほどの差がついてしまっている。でもそれは、経済的側面からの一方的見解であり、彼らから見ると、一介の農夫であるボクの自由人としての立場が「羨望」として見えているかも知れない。

 
 自分は今、農業という現場でやっと自分自身が保てれてきたので、現在の境遇にそんなに不足を感じてはいない。すでに家族4人が働いているので、自分の稼ぎが少ないからといって、生活に事欠くようなことはない。でも経済を「どんぶり勘定」にはしていない。それぞれが稼いだものは、それぞれのものである。生活必需品などは折半で出す。ライフラインの支払いはボクの役割である。家の修理等、金額の大きいものはマルミさんがスポンサーになることが多い。そのたびにマルミさんが「この家は蜘蛛の巣までぜ~んぶあんたのものなのに・・・」と言うが、ない袖はふれない。

 
 ボクがサラリーマンを下車して、野に下った時から、ボクと同世代の他のサラリーマンの給料など知りたくなくなったと言う。
 自分は今回の、義兄の弟と、妻の兄の昇進は年令から考えてもスピード出世と思った。卒業後30年という歳月が経過すると、それぞれの人生に大きな開きが出てくる。彼らは卒業後初めて勤めた会社に行き続けている。自分には何かが足りなかったのだろう。組織の中に自分の居場所を見つけることができなかった。
 
 
 人生の選択はその人自身が決めるものであり、経済的側面や地位で人格が決定されるものではないと自分では思っても、配偶者や子供や親は、また違った判断をするものである。

 

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レジスタンス

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 現役世代の人が、サラリーマンを早々とリタイアして、田舎暮らしを始めることは、そんなに不可能でもない。でもそれには条件がありそうな気がする。

 一般的に考えて、年間に

(1)100万ほどで生活できていた人

(2)100~150万ほどで生活できていた人

(3)150~180万ほどで生活できていた人

(4)200万ほどで生活できていた人

(5)200万以上かかっっていた人

 (2)くらいまでの人は、うまくいけば田舎暮らしができる才能のある人である。(3)以上、生活費がかかっている人は田舎暮らしの適性がないと言えるかもしれない。

 サラリーマンをドロップアウトして、田舎暮らしをしたいと考えるなら、やはり2年間ほどの準備期間がいるように思います。2年間ぐらいは、苦しくても現在の生活を維持しながら、休日等を利用して、自分に合った田舎探しを始めます。この期間には、かなり頻繁に田舎の現地訪問をこなす必要があるので、かなり出費も多くなると思います。何でもですが、初期投資は案外大きな金額になると思います。探し方は、

(1)日本有機農業研究会が発行している有機農業者マップ等から探す。

(2)各県でも、環境保護団体等が有機農業者マップ等を作成している可能性があるので、県立図書館等に電話してみる。

 有機農業系にしたのは、その方が初期投資(ハウス設備等)が少なくてすむと考えるからです。

 田舎暮らしや農業への入りかたは、

(1)有機農業系をめざすか

(2)ニューファーマーズ系をめざすか

(3)田舎暮らしを目的にして、生活費は農業以外のことで稼ぐか

 蓄えの少ない人は(3)の方法から入るのがよいと思う。(2)の場合、行政や農協の支援を受けることが可能ですが、従来型のスペシャリスト志向の農業なので、できる人とできない人、向く人と向かない人があるので、危険性が高い。(1)は、あまり収入にならないし、今はイノシシ、シカ、サルなどの害獣の被害が拡大しているので、農作物が作りづらい。

 (3)のように、自給用の小さな家庭菜園を作りながら、年間90万以内くらいで生活できるような、「田舎暮らし名人」になるコースなら、可能性が残されていると思う。

 あなたが知らないだけで、(3)の生活をしている「田舎暮らし名人」は案外おられます。ただ、そういう生活ができるようになるにはやはり3~7年の歳月はかかると思うので、何でもですが、一朝一夕にはいきません。そして、家族がいる場合には、お互いの価値観にずれが生じてくると、田舎暮らしも難しくなります。

 都会だと、害獣の出没の状況がわからないので、このことを安易に考えがちですが、害獣のために農作物がとても作りづらくなっているので、「農業を主体に」というハードルは相当高くなっていることを覚えておいてください。

 自分の場合はだんだんと

(1)農業ばっかりの、あくせくした生活は、徐々に減らしたい

(2)池の土手で、小鳥の鳴き声や、風の音や、雲の移り変わりを眺めながら、もう少し、ゆっくりした時間を持ちたい

(3)がんばっても、そんなに収入に結びつかないので、そんなにがんばらず、しかも、収入の落ち込みを最小限にできる方法を模索中。

(4)人生も期限付きだから、農業も期限付きと考える。すでに18年目だし、農業における新展開は自分にはもう期待できない。できるのだったら、10年目くらいにできているはずである。ここ2~3年が自分の農業の集大成の時期だと思っている。だらだらと続けてはいけない。

(5)農業ルポライター・農の風景写真集、山村写真集などに関心があるが、取材費や移動費が準備できていないので、今後のことは未定。

 

 大都会の片隅でもんもんとした生活を続けているのなら、新しい一歩を踏み出してみるのもよいと思います。サラリーマンに希望が持てず、山村暮らしも、夢と現実は大違いの世界だとは思いますが、都会より山村なら、まだ何とかなるのではないでしょうか。

山村なら、家賃は1軒家で月間1万円以内が世間相場だと思います。もしそれ以上要求されるなら他を探しましょう。土地は、今はほとんど無料で貸してもらえます。土地を管理してくれて、逆に感謝されるでしょう。

2年ほどかけて「人づて」を探して山村訪問を繰り返してみてください。いつの日か、よい出会いが、あなたにも必ずあります。

(1)奥深い山村→害獣は多いが、集落が崩壊しかかっているので、意外と歓迎される可能性がある。

(2)ほどほどの山村→奥深い山村に住みたくない人向き。しかし、集落人口が多いなら、他から入ってきた人に排他的と考えた方がよい。

(3)市街地に近い田舎→集落が機能しているので排他的な傾向も強い。集落内での冠婚葬祭費もかかってくる。市街地に近い田舎が希望なら、町営住宅のような「よせ集まりの世帯」を探すことをお勧めする。


レジスタンス

 職業としての選択肢が、サラリーマンしかないのが、今のこの国の現状である。50年ほど前までは、自給自足的な「水のみ百姓」であっても、独立した自由人であった。それが、資本主義の発達とともに、そのような生活は奪われ、会社や組織の歯車のひとつとして、「組織に隷属」「組織に服従」「組織に忠節」を求められ、工員であるなら、「機械に歩調を合わせ」、「ラインの流れにのり」、「作業のほんの一部分だけに一日中携わり」、やがて、モダンタイムス(35年ほど前に見た映画)のチャップリンのように、「人間疎外」を受け続けるのである。それでも、いったん組織から逸脱すると、凡人には食っていく手段がむずかしい。その時に、それらの人をすべて「農業が受け入れてくれる」なら、すばらしいことである。「ダメだったら農業があるさ」「農業でも何とか食っていける」という逃げ場がいつも用意されていると、中高年の経済的理由からの自殺もかなり減らせると思う。

 農業にも二つの入り方がある。一つはビジネスとしての農業、もう一つは、定年帰農型に似た農業である。ビジネスとしての農業は、凡人にはむずかしい。われわれ凡人がめざすのは、定年帰農型をもう少し肉付けした農業である。そして、資本主義というシステム(買わざるをえない社会、買った方が安くつく社会、必ず耐用年数があるから、永遠に買い続ける社会)の中で、資本主義と相いれない自給自足主義(買わない生活、小さな生活)をめざすのだから、まさにレジスタンスである。

 人間は土から生まれては来ないが、最後は土に還って行くものである。土から離れすぎると、離されすぎると、精神に不調を来たす。



今日のニワトリ

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 勝った方のオンドリの交尾が盛んである。立場が入れ替わって8日目の朝であるが、権力の座から引きずりおろされた方は、まだびびっている。今朝も、エサを持って入ると止まり木から下りてきたが、すぐに追っかけられて、中腰のボクの肩にハイジャンプして逃れた。定位置になった巣箱の上に青菜を少し置いてやったが、これもメンドリに食べられている。


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河内のドン百姓


 次の作文は、「ナニワ金融道」の青木雄二が亡くなって1週間後くらいに書いた作文である。亡くなられたのは2003年だから、もうすぐ4年が来る。青木は1945年生まれ、自分は1953年生まれだから8才しか違わない。生きておられたら現在62才である。同じ大阪の空気を吸っていた時代もあったのだと青木の年譜を見て思った。その後、「ゼニの人間学」、「ゼニの幸福論」という著作を読んだ。


河内のドン百姓

 「ナニワ金融道」の青木雄二が亡くなったと新聞に出ていた。享年58才。なんと彼は岡山県出身で、新聞によると、岡山中北部の久米南中→津山工を卒業後、神戸市の私鉄や久米南町役場に勤務した後、大阪府でキャバレーのボーイやパチンコ店員など、三十数種類の職を転々とした。26才の時、漫画雑誌の懸賞で、佳作になったが、デビューは45才と遅咲き。1990年から7年間、金融業界の舞台裏を描いた「ナニワ金融道」を週刊誌に連載。バブル期の金と欲望にまみれた世界を描いた。

 「ナニワ金融道」はシリーズ化され、発行部数の総計が1350万部というベストセラーとなり、第16回講談社漫画賞を受賞。テレビドラマにもなった。連載終了後は、漫画家廃業を宣言。「ゼニの人間学」「ゼニの幸福論」などの著作や講演で、資本主義を鋭く批判してきた。

 その翌日の新聞で「青木雄二を悼む」で、宮崎学のコラムが出ていた。

『・・・カネに苦労した経験が私といい勝負なら、屈託のなさも同じようなところがあり、お互いに共感を覚えたものである。そんなことを語った初めての共著「土壇場の経済学」で、青木さんは、日本社会の現状を「今後は庶民の間で、資本主義の論理である弱肉強食が進む」と断じ、「難儀な時代ではあるが、前向きに明るく、元気で生きていこうやないか」と語ったのが印象に残っている。すべて彼は予期していたのだった。

さらに大ベストセラーとなった「ナニワ金融道」でも、マチ金やヤミ金の社会問題化をすでに指摘しており「時代」を見抜く感性にあらためて敬服している。

 また青木さんは「組織に属さないマルクス主義者」を貫き、独特の主張を持っていた。日本のマルキストが組織に属することで、マルキストたらなくなった皮肉な状況と異なり、純粋に主義を貫いた人間である。そのことで、いろいろな圧力をかけられたとも聞いているが、全く動じることがなかった点にも頭が下がる思いである。

 ところで、生前の青木さんの口癖は、「日本の国民のダメなところは、何でもすぐに神様に祈ることや。無神論でいかないとあきまへんで」だった。この点についても、私は全く同感である。どんなに苦しくとも、「神様、助けて下さい」とだけは言うまい。そんな気持ちをもう一度深くかみしめている。今、私は気心の知れた同い年の友を失って残念な気持ちでいっぱいであるとともに、自らの見識を貫いた態度を少しでも見習いたいと考えている。

 くだんの共著は、今秋にも上辞の予定だが、こんな形で友の最後を飾れたことは、身に余る光栄である。それにしても、また「神に祈る」ことを拒否した友が逝ってしまった。心から哀悼の意を表したい。』

 

 ボクは漫画は読んだことはないが、スマップの中井が主演してテレビドラマになったのを見た。今でも場面が思い出せるくらいおもしろかった。貸したカネ返せよ・・・と言う歌声がまだ耳に残っている。もうずいぶん前のような気がするが。

 キャバレーのボーイやパチンコ店員など、ずっと裏街道を歩いてきて、40代半ばで漫画家デビューして、それまでの何十年間かの裏街道の経験が、作品に生きたというわけだろう。ボクはずっと表参道を歩いてきて、36才の時に裏街道の「農業」を選択したので、まるであべこべ。「ナニワ金融道」の向こうを張って、自分も、「河内のドン百姓」・・・じゃなくて「カワチの百姓道」で一山当てたい。

 
 これからの日本の資本主義は、社会的弱者にとって、ますます生きづらい社会になると思う。田舎でも自給自足できるものが、100%なくなった。買うよりも自分で作る方がかなり安くつく場合には、自給自足も考えられるが、買った方がはるかに安くつく場合は、自分で農作物などを作ることを自給自足とは言わない。個人的な趣味、あるいは金持ちのアウトドアスポーツと考えるべきである。

 
 すでに家庭電化製品も「買わない自由」という選択肢はなくて、最低限の生活のためにも、「買わざるをえない」というのが現実である。「資本主義」によって「自給自足主義」は滅ぼされ、「買わざるをえない」あるいは「買った方がはるかに安くつく」という状況に追い込まれた。資本主義は、発展すればするほど、それまで自給自足主義で成り立っていた地域や集落共同体の経済システムを、都市に近いところから順番に破壊していった。
 東南アジアやアフリカなどの低開発国でも、同様な形によって、地域固有の伝統や風習、そして自給自足のシステムが壊され、それぞれ、どこの国でも、全国一律で地域特性なしの状況が出現していく。


 東南アジアなどの後進資本主義諸国の間で、ストリートチュルドレンがどんどん増えていくのは、先進資本主義諸国が、輸出(圧倒的安価な輸出)によって、自給自足主義の社会システムを、かたっぱしから、駆逐していることに起因する。

 
 自給自足できなくなった人々(資本主義のシステムに取り込まれた地域やそこに住む人たち)は、資本主義のシステムである、第2次、第3次産業の職業に従事せざるをえない。その世界は常に、使う人と使われる人、上司と部下の関係に二極化された社会である。自給自足主義の社会では見られなかった、新たな「階層社会」が生まれている。つまり、社会的な身分や位置が、長期に渡って、固定化される危険性が高いと思える。そして、立場の弱い側は、その立場から、なかなか脱出できない「悪循環」に陥る。

 
 ソ連や東欧の社会システムが崩壊した時、資本主義の方が、より自由で優れたシステムのように見えた時期もある。しかし、次の世代の子供たちのために、今度は資本主義が崩壊する番である。崩壊しなければ、社会の中で敗れ去った人たち(失業者や貧困層)の住む世界がない。都市のスラム街から、田舎へ移ろうにも、田舎でもすでに自給できるものがない。

 
 たった50年ほどの間に、日本の津々浦々の田舎で成り立っていた、ライフラインと食の「自給自足主義」という社会システムが、「資本主義」によって駆逐されたのだ。

 
 犯罪や自殺の幾何学的増加、子供たちに残る負の遺産、自然環境の限りない悪化・・・これが「資本主義」の近未来の姿である。20才と18才の2人の娘は、このすさまじい社会を無事に生き抜いて行くことができるだろうか。ボクが生きてきた時代より、数段生きづらい時代を生きていくことになるだろう・・・。

 
 都市のホームレスやスラム街、あまり蓄えを持たない小額の年金受給者である高齢者の、唯一の逃げ場と思える「田舎で自給自足しながら、買わない生活をする」という選択肢が、発達した資本主義のもとでは不可能になっている。もちろん、従来からの田舎人も「自給自足という逃げ場がなくなっている」ために、何においても「カネ」が必要である。結局、どこに住んでも、必要なだけのカネを稼げなくなった弱者に活路はない。

 
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コルホーズ、ソフホーズ

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 今日は決闘で負けて6日目の朝である。まだとても怯えている。今まで1年以上の間、追い回す立場だったという貫禄は全くない。ニワトリは決闘で負けるとこうなってしまうのだろうか。

 元気を取り戻すまで、巣箱の上にエサと水を置いている。画像のようにメンドリが食べに来ると、手で払い落とす。

 今朝は、エサを持ってトリ小屋に入ると止まり木から下りてきたので、もう大丈夫かなと思ったら、勝ったオンドリにすぐに見つけられて、追い回されだした。でも腹がすいていたのか、勝ったオンドリの目を盗んでは遠巻きにしてコゴメをついばんでいたが、すぐにまた追い回される。これを繰り返しているうちに、また止まり木から下りなくなった。今まで1年以上の間、追い回されていた怨念でもあるのか、勝った方が「深追い」をする。立場が逆転する前までは、そんなに深追いはされていなかったのに。
 
 あまりびくつかないようになるまで
、もうちょっと時間がかかりそうである。



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 タンポポがちらほら咲き始めた。桜はまだつぼみだが、今日、海沿いの道を走っていたら、桜が咲き始めていた。同じ瀬戸内市でも、海沿いは暖かいのだろう。


(2003年9月)

 
旧ソビエト連邦では、「コルホーズ」とか「ソフホーズ」と呼ばれる、国営の集団農場が営まれていた。これらの農場では、農業生産性がきわめて悪かったらしい。


(1)   いくら生産性をあげても、個人の利益にはつながらないという社会制度的な理由。

(2)   細分化された「分業」が進み過ぎていたこと。

(3)   過度に機械化を推し進めたこと。

 の3点が、その大きな理由ではなかろうか。

 コルホーズとかソフホーズと言えば、もう40年ほど前に中学校の社会で習った言葉で、当時としては、画期的な「農業経営」とみなされていたが、農業生産性は全く上がらなかったと、何かの本で読んだことがある。今ごろになってまた、その話を思い出し、自分の独善と偏見で、その理由を考えたのが、上記3点である。特に、(2)の理由が、労働生産性を著しく低下させたと思う。つまり、細分化された分業とは

(1)   耕したり、肥料を施す人

(2)   種を蒔いたり、植えたり、水をやったりする人

(3)   草取りや中耕をする人

(4)   収穫する人

(5)   仕分けや出荷作業をする人

(6)   納品書や各種事務処理をする人

(7)   配送する人

 というふうに、農作業が、ごく細分化されて、1人の人が同じことばかり、繰り返すようなシステムだったと思える。これは一見、とても効率のよさそうなシステムに見えるが、一つの作業を3~4時間ぶっ通しでやることは、かえって非能率ではなかろうか。一つの野菜の成長過程から収穫までの全体像を把握できず、自分が単なる歯車の一つであり、いつでも、誰にでも、とって変えられる存在となり、現在の資本主義社会の企業組織と同じようなやり方が、農業現場に取り入れられたため、労働意欲を見失っていったのだろう。

 (3)の過度に機械化も、やる気をなくさせる原因である。足を地につけた農業こそ、全身で喜びを受ける。機械に乗ってする農業は、確かに効率はよいのだろうが、そのスピードや効率から、人間疎外を受ける要因となる。農業は、第2次、第3次産業のように、採算やスピードや効率だけを追い求めるものではなく、内面の深い欲求(土に帰依したいという人間の遺伝子)を満たそうとする行為でもある。

 とにかく、過度の分業や過度の機械化は、農業現場に携わる人の労働意欲を喪失させる結果となった。これでは生産性はあがらないのは当然である。

 農業は、土地を私的に所有した独立自営農民が、農作業の起承転結にすべてかかわり、機械にあまり依存しないことが、結局のところ効率的であり、生産性も上がるように思う。

 旧ソ連のコルホーズやソフホーズは、それ以前の社会制度下の独立自営農民のやる気を著しくそいだと言えるが、今世紀に入って、「キューバ」が脚光を浴びている。

 キューバは、自由の女神、アメリカ合衆国に、多くの共産主義難民を送り出し、ケネディ大統領の時代の、あの「キューバ危機」を乗り越え、ソ連の崩壊、東欧の崩壊、に直面しながらも、政治体制を維持し、今また、その農業システムが注目を集めている。


 
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ハーブの現在の状況

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 画像はレモンバームです。青い葉がかなり出てきました。冬季以外は株分けでいくらでも増やせます。


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 画像はレモンバーベナです。まだ枯れた状態です。株元から新芽が出てくるのは、4月中旬頃です。株分けも可能ですが、木質化していて、うまく分割できず、5月末頃~6月中旬の「挿し木」がお勧めです。


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 レモングラスはまだポリの下です。高温性なので、4月中頃に株分けの予定です。冬越しが難しく、冬越しができている株は1割ほどだと思います。
 


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 画像はレモンタイムです。もう1種類、コモンタイムもあります。レモンタイムは主にハーブティ用、コモンタイムは主に料理用です。どちらも株分けが簡単です。


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 画像は畦岸のアップルミントです。ミントは他に、スペアミントとブラックミント(クールミント)を作っています。スペアミントの注文が一番多いです。耕転すれば根絶できますが、不耕起の場所に植えると根絶できないほど、はびこるので注意。


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 画像は2枚ともコモンセイジ(一般的なセイジ)です。セイジはかなり耐寒性があり、茎葉は伸びませんが、常緑で冬越ししました。株分けもできますが、たくさん増やすなら挿し木です。


ハーブティ用ハーブ

(1)レモンバーム(2)レモンバーベナ(3)レモングラス
(1)タイム類   (2)ミント類     (3)セイジ


料理用ハーブ


(1)タイム類   (2)ミント類 (3)セイジ
(1)ローズマリー(2)バジル  (3)イタリアンパセリ
(1)ロケット   (2)ディル   (3)チャービル

 上記12種類でハーブの9割はカバーできるはずです。職業別電話帳からイタリア料理店等に電話を入れて見ることです。20軒に電話して1軒でも継続的に買ってくれるようになれば成功です。1軒1軒積み上げていくしかないと思います。それが15軒を超えるくらいになれば「口コミの紹介」が期待できるようになります。営業には先手も後手もありません。安くて鮮度がよければすぐあなたに「鞍替え」してくれます。市販品と、価格や鮮度で十分に戦える分野です。
 とにかく、1本の電話を入れなければ、何も始まらない。



その他のハーブ


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 画像は、チャイブ(シブレット)とニラです。冬季以外はどちらも株分けが簡単です。4メートルほど1列ずつ左がチャイブで右の列がニラです。これだけの作付けで出荷は十分足りています。チャイブは5月にブルーのぼん天のような花が咲きます。花も食べれてサラダに散らすときれいです。いわゆる極細ネギです。




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 画像はルバーブです。フキのような茎をジャムにします。まだ野菜のそろわない5月にとても重宝します。5月~6月梅雨入りの頃までが収穫期です。夏場は弱っていますが、晩秋にまた収穫できます。小口切りして鍋に入れ、水は加えず、ルバーブの目方の半分の砂糖を加え、弱火で20分ほど、ことこと煮ると、酸味のある、おいしいルバーブのジャムの出来上がり。
11月上旬か、3月中下旬に株分けが簡単にできますが、夏の間に枯れてしまうことも多く、冬越しもちょっと難しいです。




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 画像はステビアです。まだ枯れた状態です。4月中頃に株元から新芽が出てきます。砂糖の300倍の甘さと言われるハーブですが、イタリア料理店からの注文はほとんどなく、ハーブティにしても、いまいちですが、根絶やしにしたくないので、作り続けています。株分けも簡単ですが、挿し木でいくらでも増やせます。草姿がレモンバーベナに似ています。



  
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 画像は2枚ともジャーマンカモミールです。一度、種が落ちるとはびこって、5月に小菊のような花が無数に咲いて、タマネギ畑(タマネギの通路に毎年植えています)が花畑になりますが、「タマネギの病害を防ぐ」というのは疑問です。
 カモミールは花をハーブティにしますが、花期が短く、あまりメリットはありません。


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 画像はロケット(ルッコラ)です。ハーブには珍しい「アブラナ科」です。アブラナ科は春に「トウ立ち」して花が咲きます。
 春はアブラナ科は作らないようにしています。あるのは、冬越しの春キャベツと、4月に蒔くコマツナの2種類だけです。
 春にたくさんアブラナ科を作ると、秋に害虫が多くなるような気がします。秋冬作でも、アブラナ科はハクサイ、キャベツ、ダイコン、カブのアブラナ科四天王の他には、ブロッコリーを少し蒔くだけです。
 アブラナ科野菜をごちゃごちゃと多く作っても、害虫のエサになるだけです。ロケットはアブラナ科の中では被害が最も少ないです。ゴマ風味を害虫(ダイコンサルハムシ)が嫌うようです。



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今日のオンドリ

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 液肥を施したジャガイモの畝に、大きな足跡が幾つかついている。多分、シカだと思う。この田んぼだけでなく他の田んぼにも多くの足跡がついている。シカは、サツマイモの葉を食べたり、キュウリを食べたりする年もある。この害獣もイノシシと同じく農業者を悩ませる害獣である。イノシシよりシカによる被害の方が大きいと話す農業者もいる。シカは少々の高さの防御なら飛び越える。


 建部町のWさんがまだ高知県におられた頃、次のようなメールをもらったことがある。

 「4月末よりイノシシの来襲に遭い、毎日のように襲撃を受けて困っています。畑は完全に全滅しました。予算の範囲で考えられる限りの対策を重ねましたが、すべて突破されました。魚網に加え、畦並での目隠し、最後は畑横に軽トラを止めて寝て、3時に目覚ましをかけて起きるという生活をしましたが駄目でした。作物はあきらめましたが、これ以上、畝を壊されると不耕起栽培自体が崩壊するので対策に追われています。また、新たな作付けも全くできません。自給を基本とする生活自体が崩壊しかかっています。現在、圃場内に箱檻を仕掛けています。ヤーコンも全滅しました。その他にも貴重な種子を全て失ってしまいました。ここは厳しい所です。それでも百姓、辞めるつもりはありません。」

 
 自分の地域程度の害獣の被害でがたがた言っていたら、山間地では農業はできない。害獣の被害の受けにくい農業形態にするか、電柵などの防御装置を設置することがあまり負担にならない人でないと、山間地では農業ができない。
 害獣の被害の受けにくい農業形態とは、ハウス内で作る作物である。ハウスを破ってまでは侵入しないからである。

 
 都会から田舎へ入植して農業を始めようとする人の大きなネックになる一つが「害獣の出没」である。ここの所は、自分で体感してみないとわからない経験であるから、特に慎重な判断が求められる。


 

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 画像はタマネギである。まだ病気は全く発生していない。この調子で5月末の収穫期までいってくれればよいが、タマネギは決まって4月中旬頃に、ばたばたと病気が発生してくる。2週間ほどの間に瞬く間に病気が蔓延する。多分「べト病」という病気である。画像に取りたくないくらい無残な状態になる。だから、タマネギはあまり作りたくない。手をこまねいていないで、「ダイセン」とか「ダコニール」等の殺菌剤を散布すれば、被害は最小限に抑えられるという人もいるが、まだ使ったことはない。秋冬作の「アブラナ科野菜」以外は、使わないことにしている。他にナンキンの「ウドンコ病」にも使いたいが、これも使ったことはない。一度、圃場に発生し始めると、毎年のように発生する。これを繰り返しているうちに、タマネギを多く作りたくなくなった。
 作物の安全性は1~2回の農薬散布ではなく、
(1)肥料は何を使っているか
(2)水はどうか
(3)当人が作り始める前、その田んぼはどういう作り方をされていたか
 などのトータルな見地から、相対的に判断されるべきであると自分は考えるが、いちいち自分の考えを述べるのも辟易とするものがあるし、安全性に関する考えは個人個人千差万別で、何を安全と思うかの基準もそれぞれである。



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 画像はグリンピースである。今はまだこれくらいの高さである。エンドウ、スナップエンドウ、グリンピースを同じ日に蒔いたが、グリンピースはあまり傷んでいない。スナップエンドウは、エンドウやグリンピースに比べて、初期成育が早く、暖冬で中途半端に大きくなってしまい、霜による傷みがかなり出ている。
 これら3種類は毎年、ナスビ、オクラ、ツルムラサキの後作にしているので、それらの株間に種を落とすだけである。前作に黒マルチをしているので、肥料を施すのも面倒で、たいてい無肥料であるが、マメ科だからそんなに肥料はいらない。


 


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 決闘で敗れて、今日が4日目の朝であるが、エサを持って入ると今日は下りてきた。でもすぐに、勝ったオンドリに追い回されて、止まり木に飛び上がった。だからいつも通り、コゴメを巣箱の上に少しばらまき、巣箱の上に別容器で水を置いた。
 
 決闘に敗れた「サル」の世界に似ている。力関係が1日にして、こんなに劇的に変わったのを見るのは、16年間飼ってきて初めての経験である。トリ小屋の「ざわつき」がまだ納まっていない。
 
 勝ったほうのオンドリは、勝ち誇ったように、今まで見たこともないくらいの頻度で交尾を繰り返していた。負けた方のオンドリは、ここ4日間で随分とやせた。でも自分にはどうすることもできない。状況を見守るだけである。そして負けたほうのオンドリは今まで見せた事もない姿をボクの前にさらけ出している。何かすがるような目つきをしてくる。そして、コゴメを手のひらにのせて口元に持っていくと、がっついて食べる。このオンドリのこういう姿を見るのは初めてである。



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スタート時の農業イメージ

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 春の最初の花が咲いた。トリ小屋の東にある白いのは「こごめ花」、黄色いのは花の名を忘れた。右の2枚は「スモモの花」。
 
 立場が逆転してしまったオンドリは、今朝、エサを持ってトリ小屋に入ると、止まり木から一応、下りてはきたが、すぐに、勝った方のオンドリに追い立てられて、また止まり木に飛びあがって逃げた。メンドリはこういうことがたまにあり、4~5日でまた群れの中に戻っているので、オンドリもそうであってくれるとよいが・・・。
 
 
巣箱の上に、また少しコゴメをばらまき、水を飲んでいないようだったので、違う容器に水を入れて、口元に近づけてやると、ほんとによく飲んだ。


 お彼岸が過ぎて暖かくなったが、本格的な春のスタートは桜が咲くまで待つ。早くスタートしても発芽適温に達していないので、失敗することが多いし、余計な手間がかかるし、生育スピードも遅い。

 
 農業にはいろんな農業形態があるが、自分の場合は、スタート前にイメージできた農業から、現在もあまりかけ離れた農業をしていない。

(1)面積は4反(40アール)が限界だろう・・・最大規模でも35アールほどしか作付けできなかった。


(2)専門作物のイメージがわかなかった・・・結局、専門作物が自分には持てなかった。


(3)ハウスは建てれないかもしれない・・・ハウスは持たなかった。


(4)よく稼げても手取り200万ほどだろう・・・その半分も稼げていない。


(5)ニワトリは40羽から増えることはないだろう・・・最大36羽しか導入しなかった。


(6)2人で農業をすることは全く考えなかった・・・2人で農業をしたら生活ができないだろうと思った。今もそう思う。2人でする人は、主となる方の農業能力が極めて高い。


(7)農業知識ゼロで、都会から田舎へ入植してきて、3~4年で形にする人も結構いるが、その人たちは、どんな風に農業をイメージしたのだろうか。


(8)農業では生活できないというのが、田舎の人の常識であるが、都会の人はそれをどう思っているのだろうか。


(9)定年を迎えた団塊の世代の人に、この国の農業を支えてもらおうという考えもあるようだが、60歳からまだ、もう一踏ん張りできるだろうか。自給用なら70歳を超えても作れると思うが、出荷をするなら65歳くらいが限界のような気がする。自分は65歳以上の出荷農業は全くイメージできないので、することはない。70歳以上の命もあまりイメージできないので、70歳以上の人生があるなら、それは付録だから、せいぜい花鳥風月を楽しむ程度が関の山である。


(10)自分の人生も農業も後16年ほどしかイメージできていない。だからカウントダウンのような農業していくだろう。いくら元気な団塊の世代の人でも、ビジネス活動はせいぜい残り10年ではないだろうか。彼らに、いったい農業の何を期待するというのだろう。


(11)農業をスタートしてからずっと「規模拡大路線」をめざしてきた。しかし、作付規模も顧客もあまり増やせなかった。マルミさんが定職についていなかったら、我が家の生活はまわらず、もっと早いうちに、農業からのリタイアを迫られていたはずである。


(12)今も全く農業の手を抜いているわけではないが、どんなにがむしゃらに農業をがんばったところで、あまりカネにはならないから、少しは希望の持てることに時間を投資していこうと思う。


(13)両親とも死ぬ間際まで働き尽くめで亡くなった。もうちょっと違った生き方ができなかったのだろうか。自分も同じような生き方をしてきている。何もしないことは悪徳ではなく、何もしない1~2ヶ月を持つことが大切だと思うが、それがなかなか難しい。


(14)昭和30年代の中頃まで、東北農民は「冬の出稼ぎ」をする必要がなかった。自給自足的な生活ができていたのである。でも昭和30年代の中頃から、冬の長い東北農民は、農作業のできない冬の間の3~4ヶ月、都会に出稼ぎに行くようになった。文明の進歩は、、各種税金、社会保険料、電気代、電話代、水代等のライフラインの「強制化」をもたらす。一人「蚊帳の外」にいることはできない。まさに中央集権的なシステムである。日本中の隅から隅まで、この包囲網に囲まれて、それから逸脱した生活はできなくなっている。だから、生きるために一定ラインのカネがかかり、文明の進歩と比例するように、必要最低限の固定的支出が雪ダルマ式に膨らんでいく。これに振り回されてしまったのが、両親であり、そして自分である。


(15)農業を始めてからは、地位とか、名誉とか、稼ぎとか、そんな世界とは別次元の世界で生きてきた。農業を始めた時に、そんな世界から「下車」している。でもこれは幸運だった。普通なら定年後に始めるのに、彼らより20年も早くスタートすることができたのだから。


(16)農業をしている若い世代の人に伝えれることがあるとすれば、

ア、あまりがむしゃらに農業だけに取り組まないこと。


イ、1~2ヶ月の農閑期のある農業をすること。


ウ、規模拡大路線はできれば避けること。


エ、金銭的な面で、農業以外の仕事の人と競わないこと。


オ、忙しすぎる農業をしていると、他の産業に比較しての農業のメリットが生きてこない。


カ、農業だけしていたのでは何の展望も開けない。


キ、収入を1円アップすることより、1円節約する方を選択した方がメリットが大きいと思う。


ク、農業の利点を生かそうと思えば、規模拡大路線より、自給自足路線の方が賢明だと思う。


ケ、常にいつでも「退けれる」農業を自分はしたい。立つ鳥跡を濁さずのごとく、何の形跡(設備投資)も残らない農業をしていきたい。


コ、言葉で農業を積み上げるのではなく、できるだけ早く土の上に下りて、やりながら考えた方がよいと思う。言葉が優先した頭でっかちの農業を田んぼに持ち込んでも役に立たない。


サ、書物から入るより現場から入った方がいいように思う。有機農業系(有機農業者マップ等)でもニューファーマーズ系(各県の指導機関)でも、今は多くの研修できる場所がある。


シ、農業はパソコンと同じく体系的に学べない。農業で必要とされる知識は少ない。肥料、時期、水遣りの加減、温度、収穫期など、自分で体感しながら一つ一つ覚えていくしかない。ブドウならブドウのことだけ、トマトならトマトのことだけ、ワンパックなら広く浅く知っておればそれでよい。


ス、初心忘るべからず、でも、離農へのシミュレーションも忘れずに。


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ホテル 祖谷温泉

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 20日の朝から21日の朝にかけて、オンドリの激しい決闘があったようだ。両方のオンドリの返り血と、トリ小屋の中のざわついた雰囲気がそれを物語っていた。形勢が完全に逆転していた。それはまさに180度の転回だった。上の3枚の画像は、それまで、遠慮したり、逃げたりしていた、羽の白っぽい方のニワトリであり、下の画像は、20日の朝まで追いかけたり、怯えさせたりしていた強い方のニワトリである。21日の朝、強かった方のニワトリは、逆に怯えてしまって、エサをやりにトリ小屋に入っても、巣箱の上から下りてこようとしなかった。ここまで怯えるとは、かなり強烈な捨て身の反撃を食らったのだろう。エサを少し、巣箱の上においてやった。

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 その日は旅行だったので、大急ぎでデジカメで写した。

 ホテル 祖谷温泉
 


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 農閑期を利用して、何年ぶりかで1泊2日の旅行に出た。初めての四国旅行である。四国は瀬戸大橋ができてからは随分身近になったのに、今まで一度も行く機会がなかった。今回、スポンサーのマルミさんの提案で四国旅行をすることになった。四国のどこに行こうかということになり、すぐに徳島県の祖谷温泉に決まった。距離的にも遠くないし、有名な温泉地だし、昔、小学校の社会の教科書で習った「祖谷」という地名にはずっとあこがれのようなものがあった。

 旅行誌の「るるぶ」を見て、「祖谷渓の断崖に立つ一軒宿。露天風呂は170メートル下の谷底にある。全長250メートルのケーブルカーで移動・・・」を読んですぐにホテル祖谷温泉にした。そして、祖谷をめぐるボンネットバスがあるのを知り、それも予約した。これのメインスポットは、吉野川の観光遊覧船と、祖谷のかずら橋である。

 祖谷峡谷の吉野川を下る30分の船旅はちょっと迫力があった。上の画像がそうである。ここ何日も天気がよく、水が青く澄んでいた。その右の画像は、山肌を走る土讃線。


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 上の画像はかずら橋。実際に渡るのであるが、高所恐怖症の人は止めておいたほうがいいかも。自分はかなりびびった。でも、子供や、かなり年配の人が案外平気で渡っていた。右の画像は滝。那智の滝ほどのスケールではないが、かずら橋のすぐ傍らにあったこの滝も見上げるような高さから落下していた。


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 左は祖谷の深い峡谷。右は遠くに見えるホテル祖谷温泉。


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 左は宿から170メートル下の谷底の露天風呂へ下るケーブルカー。真ん中の画像はその案内。右の画像は宿から見た峡谷。



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 温泉の帰り道、宿の運転手さんが車を止めて見せてくれた、険しい山の頂上付近の尾根の雪景色。右の画像は、送ってくれた大歩危駅の構内からみた山々の集落。


 近くて遠かった初の四国旅行だったが、このホテル祖谷温泉の、ケーブルカーで下る谷底の露天風呂はお勧め。食事もおいしく、特に朝食は豪華だった。年に1回くらい、こんな旅行をしたい。以下料金明細、2人で

 JR切符代      14360円

 観光バス代     10400円

 ホテル祖谷温泉  36000円


合計で6万円ほどの出費。


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田んぼの枚数と面積

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 道から左側の田んぼは借地です。右の2枚の画像はどちらも一番下の田んぼです。5アールあります。


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 3枚とも下から2番目の田んぼで、8アールあります。左側の3分の1ほどにハーブを、真ん中あたりに、タマネギや春キャベツを、右の3分の1ほどに、ヤーコンとサトイモがありました。



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 2枚とも下から3番目の田んぼです。左の方にサツマイモを、右の方にスイートバジルを植えていました。4アール。




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 下から4番目の田んぼです。左の方にニンジンを植え、右の方にダイコンやカブを植えていましたが、ここのダイコンとカブは、害虫(ダイコンサルハムシ)で全滅でした。4アール。



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 下から5番目の田んぼで墓のすぐ下の田んぼです。この田んぼは当方所有地です。排水が悪く、野菜はいいのができないので、左の1列にはハーブのローズマリーを植え、他は果樹を何種類か植えています。手前の方で竹や枯れ木といっしょに「新聞紙」を焼いています。収穫容器の底に新聞紙を敷くので、大量の「ぬれ新聞紙」が出て、資源ゴミに出すわけにいかず、2週間に1度ほど焼いています。新聞紙を焼いた焼却灰は田んぼに入れず、家の近くの使わない田んぼに入れています。3アール。

 

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 道の右側は池の下まで全部で13枚の田んぼがあり、全て当方所有地です。画像はその一番下の田んぼで井戸がある田んぼです。ここはハーブの永年草だけを植えています。小さい三角の田んぼで2分の1アール。



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 下から2番目の田んぼでクン炭を作った田んぼです。写し方が悪く、広く見えますが2アールです。



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 下から3番目の田んぼで、ジャガイモを植えています。広く見えますが、これも2アールほどです。


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 下から4番目の田んぼで、物置のある田んぼです。ここにはエンドウ類を植えています。物置の敷地面積も入れて3アールです。


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 下から5番目の田んぼで、冬にロケットとホウレンソウを植えていました。3アール。
   



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 下から6番目の田んぼでトリ小屋の下の田んぼです。広く写っていますが、1アール半。



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 下から7番目でトリ小屋のある田んぼです。トリ小屋の敷地も入れて2アール半ほどです。端にハーブのセイジを植えています。セイジはここの土質を好むようです。




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 どちらもトリ小屋の上の田んぼの画像です。小さな田んぼが3枚有り、8番目、9番目、10番目の田んぼで、合計2アールもありません。


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 柿の木のある田んぼです。梅雨の大雨で浸かるので、遊休地にしています。猫の額ほどの広さですが、ボクが子供の頃には稲を植えていました。


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 とちらも柿の木の上の田んぼの画像です。月桂樹やユズ、キンカン等の果樹を植えています。ここも猫の額ほどの広さで、そばに細い水路が走っています。稲に水が必要な6月15日~9月20日の間は、池の脾がぬかれるので、水量が多いですが、今の時期は少しです。左の画像の右隅は、生ゴミ捨て場(置き場)になっています。タマネギやジャガイモやニンジンの皮やタマゴの殻や八朔の皮やお茶の出がらしや、ネギの根やダイコンの皮など、ニワトリにやらない生ゴミの捨て場(置き場)にしています。


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 生ゴミ置き場の上の田んぼであり、トリ小屋の右下の田んぼです。半日陰なので、半日陰でも育つイタリアンパセリ等を植えています。1アール。


 借地と所有地を併せて42~43アールほどありますが、実際に作付けしているのは正味32~33アールほどです。自分には、これくらいの面積が限界です。ハーブはほとんど場所を取りません。


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4月、5月の種蒔き

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4月2日・・・ナンキン、キュウリの種蒔き(電熱温床を止めて踏込温床の予定)


4月2日・・・スイートバジル、イタリアンパセリの種蒔き(踏込温床の予定)


4月2日・・・コマツナ、ニンジンの種蒔き


4月7日・・・サツマイモの冷床(冷床でも5月27日頃には苗が切れる)


4月10日頃・・・義兄がナスビ44本、スイカ7本の苗をくれる。10日ほどポリのトンネルの中で管理して4月20日過ぎに定植。


4月13日・・・コマツナ2回目、ネギ、レタスの種蒔き


4月13日・・・サトイモの種芋、ヤーコンの芽の植付け


4月15日・・・ピーマン22本、トマト18本の市販の苗を購入し、10日ほどポリのトンネルの中で管理して4月下旬に定植。


4月23日・・・ツルナシインゲンの種蒔き



(5月) 

5月2日・・・エンサイ、ツルムラサキ、オクラの種蒔き


5月7日・・・トウガン、ニガウリの種蒔き





満員御礼
春だからといって、そんなに産まなくていい。後3年産んでもらいたいから、4日に1個ほど産んでくれたらいい。


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営農誌の精鋭たち

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 近くのクボタの農機具店で農具を買ったり、修理を頼んだりしている関係か、時々、クボタ営農情報誌(中四国版)が送られてくる。農具を買っているといっても、持っている農具は、乗用トラクタ、管理機、草刈機、エンジンポンプのたった4 種類である。乗用トラクタは父が買っていたもので、購入してすでに20年を超えている。もう買うつもりはない。壊れたら買わざるをえないかもしれないが、中古品で15万~20万というのが、自分の気持ちの中で出せる限度である。管理機は9万、草刈機は6万、エンジンポンプはホースと合わせて7万ほどである。これらは自分の農業で最低限必要な農具だった。これ以上の農具を必要と思ったことはない。

 クボタの営農情報誌だから、主に機械が紹介されている。大型機械を駆使した稲作農家や畑作農家が、カラフルな写真に紹介されている。ここに登場している人たちは、農業の才能に恵まれた大規模機械化農業の精鋭たちである。今後の農業は、大規模機械化農業やハウス設備のある高度集約型農業の一群と、ほとんど機械に頼らない、そして何の設備も持たない家庭菜園型の一群の二極化がより顕著になっていくだろう。

 経済的観点から見れば、どちらがいいとも言えない。前者は農機具という大きな投資を伴うために、かなりのリスクを背負うことになる。

(1)   200万の機械を買えば、20年使えるとして、1年で10万の経費がかかることになる。機械を動かすには油代が別途かかってくる。故障すれば修理代もかかってくる。使用後は定期的に修理に出す必要もあり、毎年のように修理代がかかってくる。

(2)   高価な機械を購入すると、その機械を利用しない農業形態への変更がむずかしくなる。つまり、特定の機械を買うと、逆に生産品目が特化され、作物の自由変更ができなくなる。

(3)   大型機械だと、その置き場所という新たなスペース(倉庫など)の建設が必要になる。

(4)   特定の作物に一度機械を導入すると、永遠にその機械が手離せなくなる。そして機械には耐用年数があるので、何回も買い替えが必要になる。

(5)   事故や怪我の心配、そのための保険なども必要かも知れない。高価な農具だと、毎年税金もかかってくる。

(6)   廃棄する時に何万円もの廃棄料金がかかってくる。下取りしてもらうためには、購入回転を早くしなければ、下取り価値がない。

(7)   新たな機械の導入が、他の補助機械の必要を促し、機械が機械を呼び込むという悪循環に陥る可能性がある。

(8)   機械を駆使するつもりが、いつのまにか機械に使われてしまうことになりはしないだろうか。つまり、作物の変更も農業形態の変更も農業からのリタイアも機械の都合が優先される。中途からの心境の変化は許されない。自転車のようにこぎ続ける必要がある。

(9)   生産物もそうだが、高価な大型機械のセキュリティの問題も発生してくる。大型だから運べない、家の傍においているから大丈夫などと、のん気ではおれない。

 数年後に病気等によって、その機械を使えなくなる可能性もある。後継者がいるならともかく、大きな投資をすべきではない。その機械を利用する事によってあげれる農業収入をあてにして、その機械を買っている場合には借金という負債だけが残る。農業は個人事業であるから、大きな投資は危険極まりない冒険と思う。


 していないようで、自分も農業にかなり投資をしてしまった。でも農業者としては、これくらいは最低限の投資である。

農業用軽四・・・昨年5月に買い替えをした。74万円。


物置、トリ小屋・・・41万


井戸・・・27万(3年前の台風で吹き飛んだが、井戸に小さな小屋をしてあった。10万円)


草刈機・・・買い替えして2台目。6万円。


管理機・・・9万円。


エンジンポンプとホース・・・合計で7万ほどだったが、エンジンポンプのオイル交換を忘れて2回もエンジンポンプをパーにして、これが3つめ。だから、プラス10万円の大チョンボ。


 全部で184万円の投資になっている

 
 パソコンも今の農業者には必須と思う。平成12年12月に買ったデスクトップのパソコンは、パソコンとプリンターで20万。平成18年4月に買ったノートパソコンとプリンターとデジカメは、無線ランの設置費用等も合わせて合計で16万。


 あなたが、どれくらい稼げるか、その作物を作り始めて(その農業形態を始めて)2~3年経過してみないとわからない。


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歴史の藻屑

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 春の農作業の第2弾は、エンドウ類と同一日に蒔いた、冬越しレタス苗の定植。

 右が定植した画像である。タマネギの隣を、レタス用にあけておいたので、そこに定植した。まだ夜は冷えるので、べた掛け資材をかぶせて保温した。


春第1弾・・・ジャガイモの芋伏せ(3月中旬)

春第2弾・・・冬越しレタス苗の定植(3月彼岸前)

春第3弾・・・ハーブの株分け(3月彼岸前)

 3月の農作業はこれだけ。後は4月に入ってから。


 レタス苗は3種類蒔いていた。普通レタス、コスレタス(不結球の炒め用レタス)、ガーデンレタス(サニーレタス系)の3種類である。5月連休明けには、ガーデンレタスから収穫できる。

 レタスは4月上旬にもう1度蒔くが、これは6月上旬取りである。キャベツは春には蒔かず、10月上旬に極早生、中早生の2種類を蒔いて、11月中下旬に定植する。
 1月中下旬に、ヒヨドリと蝶の防御にネットを被せる。これで4月中旬~5月末の間、キャベツが途切れない。


 ハーブの株分けを予定していたが、去年植えた場所が、あまりじゃまにならない場所だったので、今年は、タイム類とミント類を一部株分けするだけにして、残りは、前年の場所で今年も生育させることにした。株分け予定のハーブは全て永年草なので、じゃまにならない場所なら、3年くらいは、株を更新(若返らせる)しなくてもよい。



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 池の上にある10アールほどの「葉タバコ跡地」の山の斜面は、2月に草刈をしていたが、その草を結束して、下の田んぼにおろす作業を、暇な日に1~2時間ずつしている。

 こんな所によく「葉タバコ」を作っていたなあと感心するが、自分も子供の頃に、池から水を汲んできて、葉タバコに植付け水をするのを手伝った記憶があるから、そんなに昔の話ではない。

 山の斜面のちょうど中ほどに、2つの大きな芋穴があった。ちょっとわかりづらいが、右の画像がそうである。穴の上に小さな雨よけの藁小屋があった。
 葉タバコとサツマイモを交互に植えていたようである。葉タバコは「ナス科」なので、3年ほどの輪作が必要だった。

 「田んぼ土」ではなく、山の斜面のような「山土」の場所に植えたサツマイモは、栗以上においしい。

 にぎやかだったあの頃。たった45年ほどの間に、命は歴史の藻屑となり、今、この山の斜面に上って来るのは自分一人。山は放棄され、田畑は荒れ、集落の人の心も、この国の現状のように荒んでいく。そして多分、後20年ほどの間に自分も歴史の藻屑となるだろう。



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山の上がり口に置いているシイタケのほだ木。1年前に植菌したので、この春にはシイタケが出るはずであり、1つ生えていたがそれもない。この場所ではタヌキの餌食になるのかもしれない。


今日のニワトリ


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 左はメンドリ、右はオンドリ。足は3本と思い込んでいたが、画像で見ると4本。オンドリは1本余計(多分、闘鶏の時に使う)にあるから5本。
 オンドリの鶏冠の先の黒いのは、決闘の時に流血して乾いたものである。くちばしの下の鶏冠にもかなり血がついている。



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液肥の全貌

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 4ヶ月ぶりにまた、液肥を使う季節がやってきた。春のスタート野菜のジャガイモに今日、液肥を6荷、施した。最近このブログを訪問くださった方は、あのブルーシートの下に何があるんだろうと思われたかも知れませんが、これが全貌です。500リットル入りの黄色のタンクが2つと、50リットリ入りの青色のタンクが8つ眠っていました。眠っていたという意味は、11月上旬に、タマネギの定植予定地にこの液肥を散布して以後は、ブルーシートをかぶせたまま4ヶ月ほど、混ぜることも、見ることもしませんでした。メタン菌液肥は、冬はほとんど活動を停止しているからです。


 液肥の使用もジャガイモがスタートです。3月14日に伏せたジャガイモの畝の上から「ひしゃく」で施す。まだ芽も根も出ていないので、原液を施しても枯れたりしない。


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 左の画像のタゴで肩に担ぎます。肩に担いだのを「一荷」といい、タゴ2杯分です。18リットル×2=36リットルほどを一回に担いでいます。右の画像は柄杓です。4種類の柄杓を使い分けています。最も大きいのは黄色のタンクからタゴに入れる時。2番目に大きいのは液肥を田んぼに施す時。3番目のは50リットルタンクからタゴに入れる時、一番小さいのは、手を洗ったりする時に使います。




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 真ん中の画像のように、目的地まで肩に担いで運びます。右の画像は、一番大きな柄杓を4つも壊した画像です。何でこんなにもろくできているんだろうと来られた人に尋ねたら、柄杓は「混ぜるものではなく汲むものだ」と言われた。そういえば、500リットルタンクを柄杓で混ぜることもある。それにしても脆すぎる。5回めの購入の時は、ポリのではなくブリキ(柄杓の画像参照)にした。


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 6荷(36リットル×6=216リットル使用)担いだので、タンク内が5分の3ほどに減った。使ったらすぐに仕込む。米ぬかを1袋と、ナタネカスを4キロほどと、周辺の雑草をタンクに入れ、下の画像の井戸水をポンプアップした。

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 下の左の画像から、井戸のある位置がわかると思います。液肥タンクと井戸の距離は25メートルほどです。道を隔てた左側の田んぼ4枚は全て借地であり、右側の田んぼは13枚あり、全て当方の田んぼです。その13枚の田んぼは、池下から多少の段々畑になっていて、一番下の田んぼに井戸を掘り当てることができました。深さは4メートルもありませんが、上の左の画像のエンジンポンプで毎日1時間は使えるので十分です。


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 ジャガイモは液肥タンクのすぐ下の田んぼだったので、担ぐのは楽でした。一番遠い田んぼまで担いでも、80メートルほどです。液肥タンクは、左右の田んぼのちょうど真ん中あたりの位置においています。というか、ここしか置く場所が考えられなかった。500リットルタンクは軽いので、空になれば楽々と軽四に乗せることができます。場所もそんなに取りません。

       
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 下の画像は液肥を混ぜる3種類の竹の棒です。3つのうちの左は竹の棒そのままですが、真ん中と右のは竹の先に細工がしてあります。援農にきてくださっていたIさんが作ってくれたものです。自分はこういうことは全く「思いつきもしない」が、Iさんは、ボクが液肥タンクを混ぜているのを見て、すぐにこの細工を思いつかれたようです。創意工夫のとても豊かな人でした。でも真ん中と右の二つは、しばらくして使わなくなりました。というのは、液肥タンクには周辺の雑草を入れる(天恵緑汁を取り込む意味で。効果のほどは?)ので、竹の先に細工が施してあると、それに雑草が引っかかって、混ぜづらくなったからです。Iさんには申し訳なく思っています。

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 次に、肥料に対する自分の考えを書いてみます。


(1)肥料にカネをかけると採算はとれない。


(2)肥料を他所から持ち込まない。


(3)肥料作りが重労働では続かない。


(4)他人のやっている方法があなたに役立つことは少ない。あくまで参考程度に。


 メタン菌液肥は


(1)施すと臭うので、住宅の近くでは使えない。


(2)水がいつでも簡単に利用できる場所でないと無理。


(3)仕込むのはごく簡単であり、「果報は寝て待て」であるが、施す時に担ぐので、これが重労働。でもトータルで考えた場合、自分には液肥が一番合っている。


(4)ヌカは無料で手に入るし、ナタネカスは平成17年後実績で6袋、平成18年度実績で4袋しか購入していない。1袋は700円であるから、それぞれ、4200円と2800円である。つまり、肥料代はそれだけしかかかっていない。


(5)500リットル容器は14000円ほどであり、50リットル容器は食品会社でもらったものである。


(6)作付面積は35アールほどであるが、500リットル容器2つ(50リットル容器8つは予備)あれば十分である。自分の場合は他に、トリ小屋の鶏糞と、クン炭(焼きすくも)を利用しているだけである。


(7)作付面積が35アールを超えれば、メタン菌液肥を使うことは困難と思う。そんなに担げない。30~35アールが「楽しく担ぐ」限度と思う。多種類作付けだから、1度に担ぐ量はそんなに多くない。


(8)使ったらすぐに仕込む。種菌としてタンクの半分は残すと、次の出来上がりが早い。メタン菌は35度の時、最も活動的になるので、盛夏では1週間ほどでできあがる。


(9)タンクの半分を使ったら、ヌカを1袋半(20キロ)ほどと、ナタネカスを4キロ(5分の1袋)ほど補充して、1日1回攪拌(1~2分)する。攪拌は3~4日に1回でもよいが、頻繁にすれば出来上がりも早い。攪拌するときに臭いをかいだり、進行具合を確認したりするのは、自分の楽しみの一つである。混ぜていて、うすいと感じたらヌカを補充する。雑草も入れているので、ヌカを入れすぎると、どろどろして混ぜにくくなる。


(10)種菌は、自然界にいくらでもあり、人糞(屁)や「どぶ」などにいるらしい。各県の畜産センターなどでは、家畜糞尿を利用した「畜産バイオマス」の研究をしているので、そこに行けばもらえると思います。つまり、メタンガス発生装置でガスを取った残りの廃液です。自分は、メタンガス発生装置を作ってガスを利用している方から7~8年ほど前に廃液を50リットル×4杯ほどもらい、それ以後は種菌を補充したことはありません。


(11)仕込みが出来上がったかどうかは、混ぜた時の状態と、臭いと、仕込んでからの日数で、適当に判断しています。結果は逐次、作物が教えてくれます。


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忍び寄るイノシシの恐怖


自分は若い人に農業を勧めたりはしない。逆に「農業は止めておいた方がいい」という理由を伝えるためにブログを書いている。もし、農業を賛美しているように取られるなら、それは自分の本意ではないし、そのように誤解して受け取られているとしたら、反省します。


 次の記事は2年半ほど前のあめんぼ通信(ワンパックの顧客に毎月1回送付)に書いた作文である。この時はまだ、当地にイノシシは進出していなかった。去年の8月末に、当地に初めてイノシシが出現した。

 
 農業は止めておいた方がいいという理由の大きな一つは、イノシシやシカやサルなどの害獣の、奥山から里山への進出である。これらの害獣が日夜あばれている地域では、害獣の防御柵を取り付ける必要がある。そのための設置費用と費やす労力のことを考えたら、若い世代の農業への転進は「無理」なのではないかとさえ思う。
 
 
 ニワトリを飼うのなら、5つの能力が必要であり、そのうちの1つである「トリ小屋を自分で建てる」という能力が欠けていたら、他の4つに適性があっても、ニワトリはたくさんは飼えないと思うが、これと同じ理由が野菜にも当てはまる。つまり、イノシシやシカなどから野菜を守るための防御柵(多くは電柵)を設置したり、動かしたり、また新たに設置したりという設備造作が「不得意な人」は、害獣の出没する地域で農業をするのは不可能ではないかと思う。たとえ野菜作りの他の4つの能力に長じていたとしても。


 去年の8月末にイノシシが初めて現れてからも、自分は農業を続けている。81000円ほど電柵設置費用がかかった。その後、「草刈の不便さ」、「定期的な見回り」、という余計な労力もかかり始めた。
 その電柵をニンジンに移そうと思ったが、負担に感じて、とうとうしなかったが、運良くニンジンはやられなかった。そしてこの春、また電柵を移すことが負担になり、サツマイモの「連作」を考えている。
 不得意なことや弱点を突っつかれているような気がするが、まだ、はぐれイノシシであり、イノシシの密度は低いので救われている。

 
 今までは対岸の火事だったのに、火の粉が自分の方にも飛び火して初めて、同じ立場に立った。自分で体感して初めて、イノシシの密度の高い地域で農業をしている人の苦労が、少しわかり始めた。


(2004年11月)

 Kさんは今年、500本余り植えていたサツマイモ畑がイノシシにやられて全滅した。ダイコン畑やニンジン畑にも入られ大きな被害。ゴボウ畑も4分の1くらい荒らされた。周囲をトタンや鉄柵で囲んでいるのに、この被害である。もっと頑丈にしないと、と話されていたが、自分はイノシシの出るような所で農業をする自信はない。囲いや鉄柵などの設備造作は、自分の特に苦手な分野であるし、費用も10万円以上かかるだろうし、「その後の乗用トラクタでの耕運時の不便さ」、「草刈の不便さ」、「田んぼに出たり入ったりする時の不便さ」などを考えたら、農業からの撤退を余儀なくされるかもしれない。イノシシはまさに、自分にとっては「生命線」の害獣である。国道2号線のすぐ北側の、お隣の備前市では、すでにイノシシの被害が頻発している。国道2号線の南3キロに位置する当地はまだ、イノシシの進攻をまぬがれている。忍び寄る恐怖・・・。

 
 Kさんの集落では、すでに、家庭菜園もだんだん作らなくなってきていると言われる。丹精こめて作っても、イノシシにやられ続けると、だんだんあほらしくなってくるらしい。すでに「檻の中」で野菜や果樹を作っている状態である。その檻もかなり頑丈なものにしないと壊される。

 
 熊は人間を襲うが、イノシシは人間を襲っては来ないので、熊のように報道はされないが、イノシシの密度は、すでに限界を超えている。イノシシの防御に費やさざるを得ない農業者のエネルギーは、全農業労働の何割を占めるだろう。「技術力」とか「営業力」以前に「防御力」が、現在の農業者には要求される。自分は、カラスやタヌキが狙う5作物(①スイカ ②キンウリ ③トウモロコシ ④トマト ⑤イチゴ)の内、スイカとトマト以外の作物は、作るのを止めてからすでに5~6年以上になる。トマトは作ったり、作らなかったりで、防御以前に病気が発生して終わったり、防御の手間ひまが取れずに、結局投げ出してしまったこともある。スイカだけは毎年6~7本定植して、厳重な囲いをしている。スイカにかかる全農作業の内、約半分が「防御」に費やす時間である。


 自分が第一線から退くのが早いか、それとも当地にイノシシが進攻してくるのが早いかカウントダウンするような気持ちになっている。早くきた場合、イノシシとは戦えないと思う。そのことも意識しながら農業をしている。

 

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クン炭びより (4)

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 3月1日に焼いた2回めの「クン炭」がアップできていなかったので、2週間遅れたが、今日アップします。クン炭は1年に、たった2回の農作業なので、1回目の画像と似ている場面も多いが、自分の記録として残しておきたかった。

 すくも(もみがら)を焼く光景が好きである。一昔前の田舎の風物詩だった。45年ほど前には、稲の苗代(なわしろ)にこのクン炭を大量に使っていた。

(1)保温目的

(2)発芽するまでに苗床が強い雨にたたかれるのを防止するため

(3)肥料分の補充(カリ肥料)


 2回目のクン炭は、1回目より1時間スタートが送れて11時頃から始めたが、終わった時間はあまり変わらなかった。変わらなかったというより、夕方4時頃には終わるように「すくもの量」を調整した。焼くすくもの量が多ければ、それだけ時間がかかる。2つ同時にスタートして同時に終わりそうになっても、もう一つの方に、すくもを足してやれば、時間を10~20分と遅らせることができるので、消火作業が重なることはない。


 クン炭を焼く煙突等は、ホームセンターに行けば「クン燃器」として1500円ほどで売っている。買わなくても、18リットル缶に、適当に空気穴を開けて、缶の中心部に煙突の空気穴を開けて煙突を置けば、それで焼ける。


 すくも(もみがら)が焼ける時間は、

(1)その日の天候状態により違うが、風のない、途中から雨が降ったりしない日を選ぶ。

(2)すくもの湿り具合によっても、焼き上がりの時間は異なる。

(3)焼くすくもの量によっても、焼き上がりの時間は異なる。


 近所に親戚の稲作農家がいて、稲を作ってくれるだけでもありがたいのに、小作料として食べ量の米をもらい、その上、すくもはいくらでももらえる。こんなありがたい状態はない。でも、もう73才なので、いつまで現役でがんばれるかわからない。
 
 稲を作ってもらえなくなったら、委託している70アールの田んぼの管理がまた自分にかかってくるが、それらの田んぼは湿地なので野菜には適さない。草が伸び放題になって隣まわりの田んぼの迷惑にならない程度に、年に2~3回は耕運する必要があるだろう。

 
すくもは、農協のライスセンターまでもらいに行く必要が出てくるだろう。これだけのクン炭を焼こうと思ったら、すくもを運ぶだけでも半日作業になる。


 今は、クン炭作りの風景など、田舎でもほとんど見なくなった。どうぞ、クン炭風景をお楽しみ下さい。


 
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ジャガイモの植え付け

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  春の農作業のスタートは「ジャガイモの植え付け」から始まります。

(1)午前中に、管理機でジャガイモ予定地の畝上げをしました。管理機(ミニトラクタ)の後ろについているのが「畝上器具」です。小さいですが、これで十分畝上げができます。

(2)昼から、ジャガイモを四つ切りにしました。L寸は四つ切り、M寸、S寸は三つまたは二つ切りにします。前日に切り、一晩、切り口を乾かした方がいいようです。

(3)25センチ間隔くらいに、畝の中央に置いていきます。




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(1)置いたジャガイモの上からクン炭(焼きすくも)を振りました。

(2)手でジャガイモに土をかぶせた後、三角鍬で、また少し畝上げをしました。


以上でジャガイモの植え付けは完了です。自分の場合は

(1)品種はキタアカリ。早生品種であり、行きつけの店にこの品種をたくさん置いているから。

(2)種芋は16キロ購入。これくらいだと、収穫が1日で軽く終わる。

(3)早生品種は、梅雨入り前の6月12日頃に掘れるので、長梅雨の影響を受けない。

(4)植え付けから収穫まで、ジャガイモは3ヶ月かからないので、追肥では遅く、元肥で効かす。自分の場合は、元肥ゼロ(クン炭のみ少々)でスタートして、3月中にメタン菌液肥を、畝の肩に1~2回施して、施肥は完了。画像は、その時にまたアップします。


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通信販売で種を注文

 今頃になって、春夏作の種の注文をした。農閑期だからゆっくりしていたのではなく、夜の時間がほとんどブログでつぶれているので、今まで夜の時間帯にしていたことができなくなり、何か、後手後手になっている。カタログは年末には来るので、1月に注文することもできたはずなのに。

 とにかく、4月1日には、春夏作の種蒔きをスタートするので、それまでには届いてくれる必要がある。今日はすでに3月13日。種は、タキイ種苗、サカタのタネ、ナント種苗の3社から通信販売で購入している。失敗した時は、近くのホームセンターに買いに行く。

 タキイのカタログを見ながら、カタログに出ている順に、

トマト・・・買わない。ハウスがないとよいのができない。食べ量に16本ほど苗を買う。カラスやタヌキが狙うので網をする必要があり、めんどうくさい。

オクラ・・・100ポット定植(1箇所3~4本立ち)。1000粒(2940円)購入。

ナスビ・・・例年、義兄が苗をくれる。44本定植、品種は「黒陽」。

ピーマン・・・友人にもらうか、もしくは購入。22本定植。カラーピーマンは作っていない。

キュウリ・・・今年の品種は「北進」。25粒(525円)×2=1050円。1回目は苗を購入し2回目は5月20日に蒔き、3回目は6月20日に蒔き、4回目は7月20日に蒔く。それぞれ16粒(ポット)ほど蒔く。

トウガン・・・1袋(262円)

ニガウリ・・・1袋(262円)

スイカ・・・7本、義兄に苗をもらう。トウモロコシやマクワウリはカラスやタヌキが狙うので作らない。スイカだけ厳重な囲いを作る。

ツルナシインゲン・・・品種、初みどり2号、1袋(262円)。エダマメは作らない。理由は出荷しずらいから。

ネギ・・・1袋(262円)

ニンジン・・・1袋(262円)×2=524円

コマツナ・・・春夏作で蒔く「アブラナ科野菜」はコマツナだけで、種が残っている。春大根、キャベツ、カブは作らない。「アブラナ科野菜」は春夏作では、できるだけ作らないようにしている。秋冬作で害虫が多くなるような気がするから。

ホウレンソウ・・・春は作らない。すぐに「トウ立ち」して収穫期が短すぎるから。

レタス・・・冬を小苗で越し、お彼岸に定植する苗が3種類あるので、春蒔きは早生の結球品種を1袋(262円)だけ蒔く。6月上旬取り。

青シソ・・・こぼれ種から自生したのを定植する。

ツルムラサキ・・・1dl(1260円)。業務用の注文が多い。80ポット定植。

エンサイ・・・1dl(787円)。業務用の注文が多い。80ポット定植。

ディル・・・1袋(210円)

チャービル・・・1袋(210円)

スイートバジル・・・1袋(210円)×3=630円

イタリアンパセリ・・・1袋(210円)×3=630円

 以上の合計で9551円。友の会員割引額が1割で、9551円-955円=8596円。

サカタのタネで2~3種類買うこともあるが、例年、タキイ種苗が主である。別にタキイ種苗を勧めているわけではない。他に種苗会社がほとんどないからそうしている。

 ナンキンだけは、ナント種苗の「鈴成り錦2号」を買う。10粒(367円)×3袋=1101円。平均果重が800グラムというサイズが気に入っている。ナンキンは毎年ウドンコ病が発生して困っていたが、この品種は病気が発生してもよく成ってくれる。

 春夏作の種代の合計は、8596円+1101円=9697円だった。送料はかからない。

 秋冬作は、種代の合計が15000円は超えるので、春夏作より5000円ほど多くかかる。これだと年間で25000円ほどですみそうだが、実際は毎年45000円ほどかかっているので、20000円ほど多い。多い理由は、

(1)春夏作のジャガイモの種芋代が、毎年16キロ購入で3500円ほど。

(2)トマト苗、ピーマン苗、キュウリの第1回目定植の苗、等の苗代が毎年5000円ほど。

(3)果樹の苗も毎年2本ほど購入して2000円ほど。

(4)秋冬作のダイコン、カブ等に失敗した場合は種をまた購入。春夏作でも種を再度購入することがあり、この金額が案外高くつき3000~4000円かかることもある。

(5)秋冬作のロケットの種はナント種苗で購入し、2700円ほど。

 その他にもちょこちょこ、苗やハーブの種を買ったりして、年間平均で45000円ほどかかっている。種苗会社はぼろ儲けのような気がする。この金額を多いと思われるか少ないと思われるか、それはわからない。建部町のWさんは、ほとんどの種を自家採取しているが、これに要する手間と時間と保存の処置など考えたら、自分には真似ができない。

 家庭菜園でも、年間の苗代と種代の合計は、少なくとも1万円は超えると言う。作るとかえって損をするというのは、種代だけから考えても一目瞭然である。
 家庭菜園は金持ちのアウトドアスポーツになり、貧乏人は家庭菜園さえできなくなりつつある。今後は集落内格差が表面化していくだろう。それでも、集落内の冠婚葬祭では、対等の対応を迫られる。
  
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確定申告

 今日、確定申告をした。農業にはどんな経費がかかると思われますか。自分の場合、経費は細かく分けるようにしています。手間がかかるように見えますが、慣れると、これの方がはるかに記入が早く、年度比較も簡単です。25の経費項目に分類しています。

(1)コピー代・・・あめんぼ通信のコピー。以前はずっと年間1万円を越えていた。

(2)ガソリン代・・・平成17年が60033円、平成18年が56926円。

(3)農具消耗品費・・・黒マルチ、ポット育苗の土代、ヒモ類

(4)事務消耗品、通信、雑費・・・切手、パソコンインク代、ガムテープ等

(5)作業用衣料費・・・地下足袋、軍手、作業ズボン、作業シャツ

(6)研修費(田んぼ訪問費)・・・田んぼ訪問の手土産

(7)種、苗代・・・年間45000円はかかる。

(8)肥料費・・・自分の場合は液肥に使うナタネカスを年間5~6袋のみ。ヌカは無料で手に入る。

(9)飼料費・・・自家飼料だけではタマゴをあまり産んでくれない。購入飼料も多少は必要。

(10)ヒヨコ代・・・4年もしくは5年に1度導入(5月25日頃導入)。

(11)農薬費・・・秋の「アブラナ科野菜」には必要と思う。

(12)修繕費(農機具店支払い)・・・不器用なので農機具はできるだけ買わないようにしている。

(13)月刊誌、本代

(14)箱代・・・120サイズが1枚120円、100サイズが1枚92円。発注はいつも250枚である。

(15)クロネコ運賃・・・値段は交渉次第と思う。箱代と運賃は先方負担。売上は箱代と運賃を含めた総額表示にしている。

(16)車検料(車の車検)

(17)保険料(車の任意保険)

(18)租税公課(車の税金)

(19)借地料・・・自分は10アールにつき5000円支払っているが、山間地ではほとんど無料と思う。

(20)減価償却費・・・減価償却費が年間10万円を超える農業は、自分はしたくない。

(21)広告宣伝費・・・イベントやワンパックの顧客募集で、年間1万円ほど使っていたことがある。

(22)仕入れ・・・今はないが、以前、タマネギとサツマイモを友人から買ったことがある。

(23)振込み手数料・・・17年度も18年度も2万円を越えている。5月から先方負担にしてもらおうと思っている

(24)貸倒損失・・・払ってもらえないことも、ごくたまにある。

(25)電話代・・・IP電話にしてから減らすことができている。

 

 売上-経費-65万(青色申告特別控除額)-65万(社会保険料控除、生命・損害保険料控除、基礎控除の合計の概算)=( ? )の10%が税額。つまり、売上-経費が130万を超えないと税金はかからない。自分は農業を始めてからこっち、税金を納めたことがない。だいたい、現役世代の専業農家など、男女合わせて12000人ほどの町内で、10軒ほどしか知らない。

 

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今は冬越し野菜が少々あるだけ

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 今の時期は何も野菜がない。あるのは、左の画像の冬越しのエンドウ類と、右の画像のタマネギと春キャベツだけである。

 
エンドウ類は15メートルを1列ずつだから、3種類で3列。キャベツは網をかぶせているのがそうで120本ほど。タマネギは1500本足らずしか定植していない。タマネギは必ず病気が発生し始めたので、自分の場合は、これくらいの定植本数が限度である。



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 キャベツの隣に植えているのが、左の画像から順に、ワケギ、ニンニク、ラッキョの3種類である。ワケギとラッキョは自給用で、ニンニクは個人客に送付のつど1個を入れている。
 
 タマネギ用地の畝立てをして黒マルチを張るのは10月下旬頃なので、10月末に、ワケギ、ニンニク、ラッキョを植える。収穫時期の関係で、キャベツ、タマネギ、ワケギ、ニンニク、ラッキョの5種類は同じ場所に植えることにしている。

 


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 左の画像はお墓のすぐ下の田んぼですが、湿気るので、野菜を作るのは止めて、あぜ際にローズマリーを植え、他はカラスが狙わない果樹を植えています。端っこの方にある白い置物は「簡易トイレ」です。イベント等をする時に女性用に購入しましたが、何年もイベントをしていないので、すでに5年以上、誰も使っていません。ちょっと田んぼ風景を害するような気もするが・・・。

 
真ん中の画像は井戸を掘っている、多少の段々畑の一番下に位置する田んぼです。道を隔ててある田んぼは、墓下の田んぼを除いて、すべて借地(22アール)です。
 井戸のある田んぼには、ローズマリーとラベンダーを中心としたハーブを植えています。

 右の画像は食用菊と二ゲラ(黒種草)です。食用菊は出荷がしずらいので出荷はしていない。絶やすのが惜しくて、単なる観賞用に毎年少しだけ作っている。二ゲラ(黒種草)はドライフラワーにするとほほえましい素材なので、花の「おまけ」として、ラベンダーと二ゲラの2品を作っている。




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 おまけ、「にわとり、ペット」

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ニワトリ三昧

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 どちらも、オンドリが「コッケコッコー」と鳴いている時の画像です。結構、力んで鳴いているようです。右の画像はメンドリも鳴いています。メンドリはオンドリのような美声ではなくて、「コーコッコー」と、あまり響かない声で鳴きます。



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 巣箱に入ってタマゴを産もうとしているニワトリの正面顔と横顔。


 

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 メンドリの足とオンドリの足。足に違いがあるのがわかりますか。よく見ると、オンドリには、足のようなものが1本、余算についているのがわかります。この先のとがった「剣」のようなものは、多分、「闘鶏」の時に使うのだと思います。オンドリは口ばしと足で戦います。戦っている時の画像を撮るチャンスに出会うことはまずないですが、ニワトリを飼い出して十数年の間には、目の前で「闘鶏」を見たことは何度もあります。



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 巣箱の上に上がっているニワトリ。ニワトリは高いところが好きかというと、そうでもありません。地べたで「砂浴び(土浴び)」のようなことも好きです。

 

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 仲良く米くずを食べています。普通はエサ箱を置いていませんが、数日前に、たくさん、すくも(もみがら)を入れたので、食べやすいようにと、稲の苗箱をエサ箱がわりに入れたのですが、エサ箱は要らないと思います。

 真ん中の画像は朝陽を浴びている様子です。右の画像は、口ばしがきれいに撮れたのでアップしました。普通、メンドリもオンドリも生まれるとすぐに、口ばしが「デービーク」されます。デービークとは、口ばしの先の鋭い部分を落とすことです。「突付き」をするからですが、「青菜」が足りていれば、決して「突付き」はしません。生まれた時のままの「口ばし」こそ、ニワトリの命です。




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 朝、エサを持ってトリ小屋に入る時は、注意しないと入り口の扉とブロックの間にニワトリの足を挟んでしまうくらい、メンドリはまぶれついてくるので、外に逃げ出さないように足で追い払いながら素早く入ります。オンドリは遠巻きにしていて、我先にということはありません。

 コゴメなどを、上からふりまくと、一心に拾い出して、その時は入り口の扉を全開にしても、食べ終わるまでは、外に飛び出すことはありません。でも、目を離すことはできません。

 メンドリと違ってオンドリは近寄ってくるということは、ほとんどないはずなのに、今回導入したオンドリの、羽が白っぽい方は近寄ってきます。ヒヨコ時代にスキンシップをよく取るようにした、ボクの作戦勝ちです。どちらも優しいオンドリで、前回までに導入したオンドリのように、飛び掛ってきたことはまだ1度もありません。



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春はゆっくり、ゆっくり

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 今日、急に思い出して、冷蔵庫の上に置いていたハヤトウリを取り出してみた。そうすると、画像のような状態になっていた。こんなに芽が出ていると、このまま元通りにしておくわけにはいかなかったので、さっそく、田んぼに持っていって植えた。植えるにはまだ1ヶ月ほど早かったので、定植した周囲にたっぷりクン炭(焼きすくも)を置いて保温し、霜よけに、紙のキャップをかぶせた。

 2本育ってくれれば十分だが、6個全部植えた。最終的に2本(個)残ってくれれば良い。ハヤトウリは

(1)かなりおごるので、場所を取り

(2)1メートルほどの高さでよいから棚が必要であり

(3)忘れた頃に成り始めるので、じゃまにならない場所に植える


 1本(個)で、100個ほど成るが、成り始めるのは10月に入ってからであり、当地では10月10日頃から成り始め、初霜の頃まで、約1ヶ月余り収穫できる。酒かす漬けにすると、歯ざわりがよい(はもろい)。
 ハヤトウリは、定植して半年以上経過してから成り始めるので、それまでに草に覆われてしまったり、過湿や過乾にやられることがある。

 市販されているのはあまり見ないが、ワンパック農家の間では、かなり貴重な果菜である。というのは、野菜の端境期である10月が収穫期だからである。10月は春夏野菜が終わりに近づき、秋冬野菜はまだ生育途上なので、野菜の種類がそろいづらい。この時期に、
(1)レタス類

(2)インゲン(秋は台風が来るのでツルナシ品種がよい)

(3)ハヤトウリ
の3種類が収穫期に入るのでとても助かる。それともう一つ、ハヤトウリの大きな利点は、収穫後あまり劣化せずに、かなり長期間保存できるので、急いで出荷する必要がないことである。漬物にするにも、成り初めから、成り終わりまで保存しておいて、収穫が終わってから、まとめて漬ければよい。


 昨年は1個1個新聞紙に包んで、ポリ袋に入れ、納屋に保存しておいたら、全て腐った。だから今年は、台所の冷蔵庫の上に保存しておいた。今年の冬は、昨年の冬とうってかわって暖冬だったからかも知れないが、こんなに早く芽が出て大きくなっているとは思わなかった。買えば、1ポット(個)が500円ほどするので、できれば、うまく越冬させて買わずにすませたい。今年は7個の内6個も芽が出ていたので上出来。例年ならまだこの時期は、芽が少し出始めたくらいの状態なのに、今年は根もかなり出ているし、芽がかなり伸びている。驚いたことに、新聞紙を突き破って、芽が外に出ていた。そして、全く水分はないはずなのに、新聞紙はどれも「びしょぬれ」だった。多分、ハヤトウリ自体が持っていた水分と栄養分で、芽がここまで伸びたのだろう。同じ場所から根もかなり伸びだしているのを見るのは初めての経験だった。
 根は、土と水と栄養分を求めて、何もない新聞紙の中で、さまよい続けたのだろう。さすがに、芽のように、新聞紙を突き抜けてはいなかった。
 芽も根も生き生きしていた。でもすでにこの状態だから、早く土の中に埋めてやる必要があった。今日からは暗闇の空間をさまようことなく、水分と栄養分を求めて、地中広くさまよってくれたらよい。今回は、ハヤトウリの神秘的なたくましさに触れることができてラッキーだった。



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 春はゆっくり、ゆっくりスタートをする。これは自分に対して言っている。今回、ハヤトウリは早く定植せざるをえなかったが、3月の農作業は、中旬のジャガイモの植え付けと、中下旬に予定しているハーブ類の株分け、そして、小苗で冬越ししたレタスの定植だけである。後は4月になってからスタートする。世間はいくら暖かくなろうとも、いくら騒がしくなろうとも、とにかく「桜が咲くまで待とう」。つまり

(1)早いと、寒さで芽が出なかったり、出た芽が霜で傷んだりして、やり直しになることが多い。種代が高くつく。

(2)2週間早蒔きしても、春夏作の収穫に達する時期は、4~5日しか変わらない。

(3)保温したり、寒さ避けをしたりと、手間ばかりかかり、そして、成長スピードも遅い。


 左の画像は、まだ夢の中の「サトイモ」や「ヤーコンの芽」である。これらを定植するのは4月中旬頃でよい。

 真ん中の画像は、物置の北側の日陰になる場所に植えているミョウガ。永年草だから、ずっとこの場所である。根が込み合っているように感じたら、数年に1度、根を掘り起こして間引いている。


 ウリ科(ナンキン、キュウリ)の育苗は4月に入ってからがよいし、エンサイ、ツルムラサキ、オクラの育苗は5月に入ってからがよいし、ハーブのスイートバジルとイタリアンパセリの育苗も4月に入ってからスタートする。ただ問題なのは、ナスビとピーマンの2種類であるが、仮に合計100本の苗を購入しても、1本58円として5800円ほど。
 ボクがナスビとピーマンの育苗をしたのは、農業をスタートした最初の2年間だけ。サツマイモの「温床」を作ったのも、最初の3~4年間だけで、その後は「冷床」でしている。冷床でも、5月末には第1回目の苗が切り取れるので、温床と比較して20日ほど遅れるだけであり、5月末にはかなり地温も上昇しているので、苗の活着もよく、10~14日ほどは追いつくので、結局、収穫期の遅れは、せいぜい1週間ほどである。


 早くスタートすると、手間が多くかかるし、失敗する確率が数段高くなるし、失敗すると種代が高くついてしまうし、手間はダブルになる。
 春のスタートはゆっくり、ゆっくり・・・。




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エンドウの支柱

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 今日やっと、エンドウ、グリンピース、スナックエンドウの支柱が完成した。17回目の支柱立てであるが、なんかお粗末。不得意なことは1年に1回、17回やっても上手にならない。完成してみれば、どうということはないのに、後まわし、後まわしになり、もうこれ以上遅らせない時期になって、やっと立て始める。終わってみれば、そんなに手間がかかっているわけではないのに、なかなか取り掛かることができない。


 作付け量は、エンドウ、グリンピース、スナックエンドウを、1列ずつ15メートルの長さしか蒔かないので、たいした量ではない。でも支柱立ては得意でないので、これ以上蒔く気はないが、これ以上減らすこともできない。今年は、オクラの足元にスナックエンドウを、ツルムラサキの足元にエンドウを、ナスビの足元にグリンピースを蒔いた。エンドウ類は「マメ科」なので、肥料はやらない。それでも必要なだけは十分成ってくれる。肥料をやればもっとよく成るだろうが、黒マルチをはぐって液肥(メタン菌液肥)を施すのはちょっと手間なのでしていない。


 左の画像をみてもらえばわかるが、1列、間をあけている。黒マルチをしている畝幅は150センチあるが、エンドウ類は茂るので、1列、間をあけないと、通路が通りづらくなる。


 毎年、オクラ、ナスビ、ピーマン、ツルムラサキ、エンサイのどれかの畝の後作に、その足元に11月8日頃が過ぎてから蒔くようにしている。


 なぜ上記の5作物の後作に蒔くかというと、オクラは10月10日頃、ナスビは11月10日頃、ピーマン、ツルムラサキ、エンサイは11月20日頃に収穫期が終わるので、タイミング的にエンドウ類がその後作にしやすいからである。そしてこれらは全て黒マルチをしているので草は生えない。だから、不耕起、無肥料、草取り無しであり、種を蒔けば、後の作業は支柱を立てることと、収穫作業だけである。


 それなら、かなり採算がいいのではないかと思われたら、それはノーです。収穫期間が、エンドウとスナックエンドウは3~4週間であり、グリンピースは、さやをふくらませてから収穫するので、収穫期間が2~3週間と短い。たった3列でも、収穫にかなり手間取る。


エンドウ類の後作に、キュウリ2回目(5月20日蒔き)、キュウリ3回目(6月20日蒔き)、キュウリ4回目(7月20日蒔き)、ニガウリ(5月10日蒔き)を定植する。これらには、黒マルチをめくって液肥を施す。


インゲンに関しては、春作も秋作も「ツルナシ品種」を蒔くので支柱はしない。エンドウ類に関しては、支柱はなくても、倒れながらでもよく成る。


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  夕方1~2分の間に、交尾の画像が3枚も撮れたのでアップしました。交尾の時にオンドリは、メンドリのとさかのすぐ上の頭の羽を口で捕まえて、メンドリが動かないようにしてから、左の画像のように、大きく羽をふるわせ、4~5秒の間の交尾をします。終わってオンドリが離れると、メンドリは、羽をぶるぶるっと震わせて、背中についた土かゴミを振り払うような仕草をして終わります。メンドリ31羽に対して、オンドリ2羽でも、95%を超える有精卵比率と思います。


 今日、羽が白っぽい方のオンドリの口ばしから下の「のど」のあたりに、べっとりと赤い血がついていた。昨日か今朝、決闘(闘鶏)をしたらしい。でも時々だから気にしない。死ぬんではないかと思えるくらい血のりがついていることもあるが、死ぬことはない。すでに決着はついていて、羽の白っぽい方のオンドリがたいてい遠慮したり逃げたりしているが、何かの拍子に決闘になったのだろう。でも弱い方のオンドリをかばったりしない。どちらにも平等に接している。


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  夕暮れの画像がきれいだったのでアップしました。手前の緑の濃いのはローズマリーです。ローズマリーは、少しずつ4箇所に分けて植えています。別に深い理由はなく分けています。

 ドラムカン窯二つは作者が違います。左は、寝かせたドラムカン窯の一方をまるまるくり抜いて、それを、ドラムカン窯を密閉する時の「ふた」にしています。右の窯は、寝かせたドラムカン窯の背中の部分を四角にくり抜いています。竹などの材料を投入する場合、左の窯の方は、ドラムカンの長さに切ればいいですが、右の画像ではドラムカン背部を四角にくりぬいているので、投入する材料も、ドラムカンの半分の長さに切らないと入らないと言う不便さがあります。しかし、窯を密閉して、消す時には、右の画像の方が、密閉は簡単でしかも密閉度が高いので、まず失敗はありませんが、左の画像の窯の場合、材料の投入口を、「土を練る」などして密閉しないと、隙間ができて空気が入りやすく、密閉する時に難があります。一長一短ですが、右の画像の窯の方がよい炭が焼けるようです。


 左の画像の炭窯は、趣味で竹炭を焼いていた、お隣の備前市のHさんに作ってもらい、右の画像は和気町のNさんが作ってくれました。鑑賞炭用のドラムカンの半割りは、農機具店で作ってもらいました。農機具店のだけが有料です。


 せっかく作ってもらったのに、トータルで10数回焼いただけで終わってしまいました。このドラムカン窯は、このまま放置しておいても仕方がないので、取り除こうかと思っています。


 和気町のNさんや備前市のKさんのように、日々の生活の中で炭をしばしば使われる人は、頻繁に焼いている。
 こんなご時世だから、炭の火や、炭の香りや、七輪を使うことや、囲炉裏で、とても癒されているのだと思います。


 炭を生活の中で使うことを楽しみ、焼く工程を楽しみ、炭の出来上がりを作品として楽しまれているようです。自分はその3つの工程のどれも楽しむことができなかった。


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Wさんを訪問

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 今日は、まだ30代前半の若いDさんを案内して、建部町のWさんを訪問した。上の画像は、その道沿いにある炭焼き小屋と炭焼き窯である。前回は通り過ぎたが、今日はデジカメで撮った。とてもいい雰囲気の炭焼き場だったから。



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 Dさんの田舎暮らしはすでに7~8年になるが、まだ、どういう形の田舎暮らしにするか、方針が固まっていないらしかった。でも、農業がいまだに軌道にのっていないのなら、農業を主体にしない(農業収入を経済の柱にしない)田舎暮らしの方が、向いていると思う。そういう点で、Wさんのような田舎暮らしが参考になるのではないかと思った。


 Wさんは常々、50万あれば田舎暮らしが十分にまわっていくと話されているし、めざしている農法がDさんも同じような方向なので参考になると思った。
 
 左の画像は不耕起で植えているソラマメであり、枯れて立っているのは春夏作のオクラの木である。農法は、
(1)肥料は他所から持ち込まない。持ち込まないというより、肥料は入れない。
(2)残渣は持ち出さない。つまり、その場所でオクラの木などは畝に敷く。
(3)一度畝を作ると、それを崩さずに、草との早生栽培をする。

真ん中の画像は不耕起のエンドウである。




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 左の画像も不耕起のソラマメであるが、別の田んぼであり、不耕起の状態がよくわかるのでアップした。真ん中の画像は同じく不耕起の麦で、右の画像は不耕起のターサイである。


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 左の画像は不耕起栽培の田んぼを上から写した。急峻な場所にあることがわかると思う。真ん中の画像は、17年前に研修を受けたMさん方の門先から写した画像である。Wさんの借家よりもう一段高い場所にあり、はるかかなたに遠方の風景が見える。右の画像は、近くに咲いていたネコヤナギ。


 Wさんがこの地に移り住まわれて、3月15日でちょうど1年が来る。来るたびに、Wさんがこの地に「はまって」きているように見える。本当にこの人は「田舎暮らし」が得意な人だと思う。農業をがむしゃらにやっているのでなく、あくせく農業をしているのでもない。楽しくやっている様子が話しぶりからよくわかる。それでいて、生活はとても豊かそうに見える。3月から学習塾の講師のアルバイト先も決まり、週2日ほどはアルバイトに出かける生活になるが、残りの5日間で、不耕起栽培の農業も軌道に乗せようとしている。もちろん、Wさんの生活スタイルなら、農業収入に頼らなくても、週2日ほどのアルバイト収入だけで、楽に貯金ができるような生活である。いまだに中学レベルの学習なら教えれるという学力の高さが、Wさんの生活を今後もささえていくだろう。

 
 誰でも、Wさんのような特技があるわけではない。もちろん自分にもない。Dさんもそんな特技はないようである。でも何らかの形で、60~80万を稼ぐ必要がある。それが稼げたら、何も農業を主体にしなくても、1人なら田舎暮らしはまわっていく。Wさん方を何回か訪問しているうちに、なぜ50万円ほどで生活がまわっていくのか理解できていくだろう。こういうことは活字で読んだだけでは半信半疑に思うだけなので、、実際にその人の生活ぶりを定期的に拝見することで理解するしかないだろう。でもWさんの場合、このうちの15万円は奈良の川口さんの所へ2ヶ月に1度通う交通費用と宿泊費用だから、正味年間35万円の生活をしているのである。1例をあげれば、去年は移ってきたばかりで米が作れなかったので、米を口にせず、ずっとサトイモやサツマイモを主食にしているといった具合である。その他には、暖房器具は使っていない。寒ければ着込む。風呂上りにすぐに寝る。風呂は薪で沸かす。水は山から引いているので無料。携帯電話はない。電気代、電話代、プロパンガスに係る費用が極めて安い。車のガソリン代は年間3~4万かかるようである。


生活していくための費用が少なければ、稼ぐ金額もそれだけ少なくてすむ。支出の好循環が収入の好循環を生み、ひいては生活の好循環を生む。生活のパイをできるだけ小さくするというのは田舎暮らしの一つのポイントである。


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雨上がりの風景

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  トリ小屋を3方向から写してみた。昨日の昼前の雨上がりの画像である。雨上がりの風景はしっとりとしている。
 
 就農1年後に、この4坪半のトリ小屋(物置6坪と合せて41万円)を大工さんに建ててもらう時、どの田んぼにしようか、とても迷った。ドラムカン窯が設置してある、この上の田んぼ(畑)にしようかとも考えたが、毎日のエサやりには、少しでも近い方がいいと思い、この場所にした。

 小屋の形は、中島正さんの著作「自然卵養鶏」を参考にして、四面オール開放鶏舎の片屋根にした。今でも、トリ小屋には、この場所が一番よかったと思う。増やそうと思えば、4坪半のトリ小屋が、この田んぼに2つ、上の田んぼに2つくらい増やせるが、スタート時にイメージできた羽数から増やしていない。スタート時にイメージしたことは、

(1)ニワトリは40羽くらいまで

(2)田んぼの面積は自家所有地20アール、借地22アールほどで合計42アール。これが作付けの限度だろうと思った

(3)家族をまきこまず、ずっと1人でするだろうと思った

(4)多分、ハウスは持たず、路地野菜だけになるだろうと思った

(5)稲作は作る気がしなかった。父が病気入院した年に、近所の親戚に稲作は委託した(70アール委託)

(6)果樹はイメージできなかった。柿ぐらいしかできると思えなかった。


 スタート時にイメージできた規模、イメージできた農業、から何ら脱皮できていない。



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 池の向こう岸のほとりに、東京出身の備前焼作家の家があり、登り窯が見える。年齢が近いこの方と話している時に「10年がんばれば陽が当たり始める」と、何回か言われたが、自分の農業は逆に、10年目は危機的な状況だった。個人客は減り、職業別電話帳から、イタリア料理店に電話をかけまくっていた時期だった。17年が経過した現在も、農業には何ら活路を見出せていない。


 真ん中の画像は同じく池の土手から写した田んぼである。見える田んぼはすべて自分の耕作地である。これだけで34アールほであり、山の陰になって見えないが、この他に8アールほどある。


 右の画像は山すそに掘っている「サツマイモの芋穴」である。父はここに、サツマイモの食べ量と種芋を冬期間中保存していたようだが、自分は使っていない。露天なので雨が少し入るのと、野ネズミに食われる恐れがある。自分の場合は、種芋だけは、近所の納屋の芋穴に入れさせてもらい、他は12月20日頃までに、全部の出荷を終えるようにしている。


    
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 左の画像は、トリ小屋の南下の田んぼのイタリアンパセリです。この田んぼは半日陰になるので、半日陰でも影響のないイタリアンパセリを植えています。その下の青々としている木は、月桂樹、ユズ、キンカンです。真ん中の画像は右の画像の地点から写したものです。雨上がりの風景がきれいです。


 雨が上がるまで、小雨の中を、田んぼのあぜ道や池の土手をぐるぐる歩き回りながら、春夏作の定植場所や定植本数や種蒔きの時期などをシミュレーションした。


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形にできなかったこと

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 この画像は、今まで写してこなかった。池の土手下の2本の梅の木ばかり写して、そのすぐ下の田んぼにあった「ドラムカン窯2基」は1枚も写さなかった。というのは、ドラムカン窯2基が、草に埋もれて見え隠れしていた状態だったので、ちょっと写したくなかった。右の画像は、イベントの時に、マツボックリやツバキの鑑賞炭を作る時に使った半割りのドラムカンである。

 一時期、ドラムカン窯で焼く竹炭に夢中になっていた時期があった。でもそれは長くは続かなかった。2~3年、合計で10回ほど焼いただけですぐに放置してしまった。


 理由はいろいろあり、


(1)あまり得意でない作業が多く出てきた


(2)売ることができなかった


(3)炭を自分の生活の中で使うことができなかった


(4)材料を準備して焼く時に時間がかかりすぎて、採算が合わないと思った。


 でも一番大きな理由は(1)の理由であり、続かなかった理由の95%をそれが占める。


 竹を切ったり割ったりするのが、どうも上手にならず、一人でやっていると、なんでこんなことをしているんだろう・・・、こんなことをやっていていいのだろうか・・・と考えるともう続かなかった。


 最初の頃にしようと思ったのは、炭焼きがとても面白そうに感じたからである。今からちょうど9年前、美星町で1泊2日の炭焼きイベントがあるから行ってみないかと声をかけられたのが始まりだった。その時にもらったパンフレットに「かんたん、焼けたん、もう焼けたん」というキャッチフレーズが太字で書かれていて、面白いキャッチフレーズだなあと思って、どうしても行きたいと思った。


 その頃がちょうど「ドラムカン方式の炭焼きの出始めの頃」だったように思う。それまで、ドラムカン方式の炭焼きがあるというのは知っていたが、実際に焼いている人は知らなかった。


 
 その炭焼きイベントの1ヶ月ほど前、農業歴が丸8年になった3月に「あめんぼ百姓塾」という看板を、道沿いにある軽四の車庫に掲げたが、その百姓塾の4本柱の一つは「ドラムカン炭焼き」だったので、一通りの知識だけはどうしても必要だった。他の3本柱は説明できると思った。つまり、「野菜」、「ハーブ」、「ニワトリ」である。


 
 このうち「ハーブ」は1年前に始めたばかりだったが、なんとかなるのではないかと思った。だから、百姓塾の看板上、問題になるのは「炭焼き」だけだった。覚えながら、並行していけばいいと思った。


 
 でも、その炭焼きは結局、上記のような理由で、形になってはくれなかった。そして、百姓塾の塾生も、かなり広告も出したが、数人しか来られなかったし、来られだしても1~2ヶ月で来られなくなった。だから、炭焼きを教えるということは、数回しかなかった。炭焼きイベントも何回かしたが、それっきりになった。


 
 農業歴が8~10年の頃、自分の農業に大きな転機が訪れていたが、結局「百姓塾」をビジネスにすることはできなかったし、他の展開もできなかった。しかし、8年目に入った時に始めたハーブのおかげで多くのイタリア料理店の顧客を得ることができ、イタリア料理店が個人客に代わって、ワンパックを支えてくれるようになった。


 
 8~10年目の頃に、作物をしぼって専門作物のようなものを4~5種類持ち、それを多めに作付することも考えられたし、あるいは、ハウスを1~2棟持ち、集約栽培をすることも考えられたはずであるが、自分はこの二つの方向のどちらにも、目が向かなかった。つまり、より深めたり、より専門性を高めたりする方向が得意ではなかったからだと思う。それまでに7年も農業をやってきているのだから、自分に何が得意で、何だったらできるくらいは、わかってきているはずである。


 自分が向いた先は、


(1)ハーブであったり


(2)百姓塾であったり


(3)ドラムカン炭焼きであったり


(4)アルバイトを探すことであったり


(5)イベント収入であったり


(6)家庭菜園、花壇ヘルパーであったり


(7)パソコン習得願望であったり


(8)いつか本を出版したい願望であったり


 した。


 どんな場合でも、「形にすること」は簡単ではない。でも「形になりそうなもの」は自分でなんとなくわかる。1~2年は無理でも3年後には形になっているだろうという、ある種の予感のようなものがある。ハーブの時がそうだった。


 
 百姓塾に関しては、パンフレットをこしらえて、一冬の農閑期を「ビラ配り作戦(団地のポスト投函)」に費やしたが、これは需要がなかった。


 
 ドラムカン炭焼きは瞬く間に熱が冷めた。ドラムカン炭焼きには、竹引き鋸、炭焼きイベントの参加費、炭焼き窯の煙突代くらいで、そんなに投資しなかったから、身一つ引けばそれですんだ。


 
 農業も同じである。市場出荷であっても、ワンパック宅配であっても、果樹などの直販であっても、2~3年のうちに「形にできなければ」、その後、何年費やしても形になりにくい。そのあたりの引き時を誤り、ただずるずると続けても、いいことにはならない。自分で期限を定めても定めなくても、2年ほどのうちに「形にできる」、もしくは「形にできる予感」がなければ、、その農業形態は「あなたには、あまり向いていない」と言える。他の農業形態、あるいは、農業を主体にしない田舎暮らしに方向変換することが、早晩せまられる。


 
 自分は、炭焼きを何回焼いても、何年費やしても形にならなかったが、形になる人は、一度見せてもらっただけで、たった一冬で、炭焼きの勘所を自分で体感してしまうのである。形にできる人はそれくらいのスピードがある。


 
 形にできる人が優秀だとか、できない人が劣っているとかいうのではない。人にはそれぞれ、まだ気づいていないオンリーワンが、一つくらいはあるものだから、できれば早くそれに気づいて、その方向にシフトできた方が、本人にも本人の家族にもやすらぎになる。それがカネにつながれば、それにこしたことはないが、カネに結びつかない場合も多い。それでも仕方がないと思う。その方向にしか適性が見出せないのだから。


 
 自分は、広く、浅く、少量、多品種しか作ることができなかった。そして、農業本体であまり稼ぐことができなかったので、農業に付随する何かで稼ごうと、そればっかりを考え続けていた時期もある。


 
 「自分には、何のとりえもない」と40代の末頃までずっと思っていたが、必要に迫られて続けていたあめんぼ通信が、13年目の農閑期に初めて1冊の小冊子になった頃から、徐々にオンリーワンらしくなっていった。




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ハーブの株分け

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 ハーブの現在の状況です。画像に自分の影が写ってしまい申し訳ありません。左から、レモンバーム、レモンバーベナ、レモングラスです。今は冬枯れの状態ですが、3月15日~3月20頃の間に「株分け」して植え替えます。どれも永年草なので、植え替えなくてもよいのですが、自分の場合、じゃまになるので植え替えています。じゃまにならない場所に植えていても、3年に1度くらいは、株分けして植え替えた方が、株が若返って、よいハーブが収穫できます。


 レモンバーム、レモンバーベナ、レモングラスの3種類は有名なハーブティ用ハーブであり、収穫期間が6ヶ月以上も続く、とても「お得な」ハーブですから、作らないと損をします。摘めば摘むほど、わき芽が伸びて、収穫量もそれだけ増えるので、面積も、畳2畳分くらいしか作っていません。それで十分間に合うからです。


 ハーブの株分けは、11月20日~3月10日の冬期間以外はいつでも株分け可能です。冬期間の株分けは、低温なので根付かないことが多いです。


 レモンバームは、1株を5~8つに分割して植えていますが、こぼれ種から、小さな苗がたくさん生えていれば、それを植えることもあります。どちらでも同じです。


 レモンバーベナは、「木」のようになっているので、うまく分割できないことが多く、自分は「挿し木」で増やしています。5センチポットに3~4本挿し木をしておけば1~2本は成功します。


 レモングラスは、初霜が降りる前に、ポリを2重にして、レモングラスの上から、べた掛けしておくと、どうにか冬越し可能です。しかし、寒さが厳しい冬は枯れてしまうこともあります。今年は暖冬だったので、先日、ポリをはぐってみたら、1株で5~6本くらいは越冬してくれたようです。レモングラスは稲の株にそっくりです。レモングラスの株分けは1ヵ月後の4月中旬にします。高温を好むので、株分け後も1ヶ月半ほどは、ポリを「トンネル状」にしてかぶせて保温してやります。


 収穫期は、
レモンバーム・・・5月上旬~11月下旬
レモンバーベナ・・・5月下旬~11月下旬
レモングラス・・・6月中旬~11月下旬



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  左の画像はジャーマンカモミールです。リンゴの香りのハーブティですが、収穫期間が1ヶ月ほどと短いし、花は夕方には閉じて、朝、太陽があたり始めるとまた開くのですが、収穫は花びらが閉じている早朝であり、閉じた花びらの中に、小さな蜂のような虫が入っていることがしばしばある。花のハーブティであり、出荷もちょっと手間なので、あまり出荷をしていない。

 ジャーマンカモミールは花が咲いた後もしばらくそのままにしておくと、こぼれ種が落ちて雑草化する。左の画像は去年、タマネギを植えていた場所ですが、カモミールがいっぱい生えている。ブルーの小さな花が咲いている分ではなくて、その周辺に生えている、ちょっと緑の濃い分がカモミールです。タマネギのコンパニオンプランツ(タマネギの病害虫を防ぐと言われている)として有名なので、毎年、タマネギの間の通路に3メートル間隔ほどで、11月末頃に、こぼれ種から発芽しているのを定植しているが、効果はほとんどないようである。タマネギは毎年計ったように病気がくる。でも「おまじない」のつもりと、花がきれいなので花見のためと、今年もタマネギの後地に種を落とさせるために植えている。なお、カモミールは麦と同じく「冬期間は踏みつけてもかまわない」ので、通路に植えている。
 
 タマネギの隣にはキャベツを植えていて、ヒヨドリ避けにネットをかぶせている。しかし、今年もヒヨドリは来訪しなかった。3月末ごろにはチョウチョが飛び始めるので、その防御のために、引き続きネットをかぶせておく。キャベツの隣には「ニンニク」を植えているが、キャベツの青虫(チョウチョの幼虫)を防ぐと言われるコンパニオンプランツのニンニクは何の役にも立っていない。

 

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  先日、クン炭を焼いた下の田んぼには井戸があるが、井戸の周辺に、ハーブのローズマリーとラベンダーを植えている。これも永年草であるが、この2種は株分けはしない。ローズマリーは需要が多く、この他にも50本ほど植えている。ラベンダーは、6月中下旬頃、サービス品としてワンパックに入れている。ドライフラワーにしてもよい。ラベンダーの収穫適期幅は2週間ほどと短く、収穫期が梅雨時なので、雨にたたられることも多い。



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     左からタイム、ミント、セイジである。3種類とも永年草である。自分の場合は、じゃまになるので、植え替えをしている。じゃまにならない場所に植えていても、3年に1度くらいは株分けして、株を新しくした方がよい。なお、セイジは株分けがしづらいので、自分の場合は「挿し木」で増やしている。
 
 タイムは2種類(レモンタイム、コモンタイム)、ミントは3種類(スペアミント、ブラックミント、アップルミント)を植えている。

 セイジは土質を選ぶし、立ち枯れ(青枯れ)が多いので、ちょっと作りづらい。現在はトリ小屋がある田んぼの端っこに植えている。画像ではちょっとわかりづらいが、黒マルチをして植えているのがセイジです。


レモンバーム、レモンバーベナ、レモングラス・・・ハーブティ用

タイム類、ミント類、セイジ・・兼用

ローズマリー、イタリアンパセリ、バジル・・・料理用(バジルは春夏作、ローズマリーとイタリアンパセリは、ほぼ周年収穫)

ロケット、ディル、チャービル・・・料理用(秋冬作)

イタリアンパセリ、バジル、ロケット、ディル、チャービルは1年草なので、種を蒔きます。




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田舎暮らし「塾」

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  苦手な作業というか、あまり得意でない作業は、どうしても後まわし、後まわしになる。左の画像はエンドウであるが、もう支柱をしなければならない次期なのに、支柱が立てれない。毎年こういった調子である。作付量も知れていて、エンドウ、スナップエンドウ、グリンピースの3種類を15メートルずつ3列しかないのだから、そんなに、よだつ(めんどうくさがる)ことはないのに、前に進んでくれない。支柱作物はどうも好きになれない。

 インゲンは「つるあり品種」は止めて、「つるなし品種」にしている。だから支柱はいらない。

 キュウリ、ニガウリは、このエンドウ類の後作に、その支柱を利用して定植するので、第1回目のキュウリ以外は、エンドウ類の支柱がそのまま使える。


 いのしし避けの電柵も、動かしたり、新たに設置しなおすことは、とても負担に感じている。サツマイモは連作が可能であるので、昨年の場所に連作しようかなと考えている。そうすれば、電柵を動かす必要もない。


 右の画像のように、乗用トラクタでの耕運も得意でない。オイル交換も自分でできないし、耕運ツメの交換も自分でできない。でも、どちらも4年~5年に1度くらいだから、購入先の農機具店に依頼する。
 自分のような農業者ばかりだったら、農機具店さんは儲かるだろうなあ・・・。しかし、自分のような農業者は少数であり、農業者には器用な人が多い。それが理由に、トリ小屋を大工さんに建ててもらったという人は、友人、知人の中では1人もいない。仲間の応援を受けたりして、それぞれみんな自分で建てている。大工さんが建てたような立派なものでなくても、害獣が侵入しないように、台風ですぐに倒れてしまわないように建てることができれば、格好や外観などはどうでもよいのである。大工さんが建てたものよりかえって、手作り感が出て、画像にした時に、より牧歌的に見えるような気がする。


 とにかく自分は、創意工夫とか図画工作とかはまるで不得意なので、田んぼの風景がとても平面的である。ちょっとした遊び心で、竹などを利用して立体的な構築物を作ったりする発想は全くない。いうなれば、のっぺらぼうな、あまり凹凸のない田んぼ風景である


 もし「田舎暮らし塾」のようなものがあるとすれば、簡易なトリ小屋の作り方、薪での風呂の沸かし方、山水(簡易水道)の引き方、チェーンソーの使い方、チェーンソーの刃の研ぎ方、草刈機の刃の研ぎ方、トラクタ類(乗用または歩行)の簡単な整備の仕方、草刈機の簡単な整備の仕方、鎌の研ぎ方、鋸の選び方、管理機(ミニトラクタ)やエンジンポンプのオイル交換、簡単な整備の仕方、簡易なドラム缶炭焼き窯の作り方、簡易な支柱の立て方、害獣避けの電柵の買い方、張り方、キーウイなどの棚がいる果樹の簡単な棚の作り方、野菜の水をどこから確保するか、確保できない場合の簡易井戸の見つけ方、業者の依頼の仕方、ニワトリのさばき方(解体の仕方)、ヤギの飼い方、ヤギ小屋の作り方、などを教えてくれる機関のようなものがあると役立つ。


 なくて七癖というが、得意不得意には、かなり頻繁にでくわす。自分は、トリ小屋を建てることはとてもできないが、飼い方は、1~2冊の本を読んだくらいで、誰に教えてもらわなくてもわかった。ニワトリを飼うという起承転結のうち、起が得意な人、転が得意な人、それぞれであり、たった一つの工程のなかでも、かなり得意不得意が出てくる。農業の場合は「分業」はないから、たいていは、その工程のすべてを自分でやる必要がある。

起・・・ニワトリ小屋を建てる
承・・・ニワトリを育てて飼い続ける
転・・・ニワトリが産んだ卵を売る
結・・・淘汰(解体)


 同じ農業人でも、単一作物を大規模に作ることが得意な人、自分のように、特定の作物を一定量を超えて作付けすることのとても不得手な人、6~7年の間に農業形態を大きく変えたり、1~2年見ない間に田んぼ風景が大きく様変わりしている人、自分のように4~5年までは進歩するが、その後はずっと平行線をたどる人、3年が過ぎても、市場出荷でもワンパックでも、どちらも形にできない人、5年後も15年後も収入金額があまり変わらない人、収入金額のゼロを一つ多くするくらい稼ぎをアップする人・・・農業者も千差万別である。


 10年という歳月が経過する間に、それぞれの得意と思える方向に、無意識にシフトしているようである。


 毎年、同じことを繰り返しているのに、全然進歩しない農作業が自分には多い。1年に1度、特定の時期にしか回ってこない農作業が多いので、繰り返し反復練習もできない。
 
 
 結構得意でない農作業が多いのに、作物を育てることは全般に好きである。売ることはあまり上手でない。

 農業の現場で稼げるだろう金額も、4~5年の内に見えてくる。その金額で生活できないなら、農業形態を変更するしかない。元の(サラリーマンの)社会に復帰することは難しい。


 デジカメを使うようになって気づいたことがある。写真は、写す人の技術はあまりいらないような気がしてきた。写す際の不手際は、デジカメの「オート機能」が修正してくれるようだし、10枚の内1~2枚使えたらよいと思って写しまくればよいし、カメラは、写す人の技術じゃなくて、写したい対象への愛情があるかないかで、見てくれる人に訴えることができるかどうかが決まると誰かがブログに書いていたが、そういえば自分も、ニワトリの画像を撮るのが好きで、繰り返し繰り返し、ワンパターンの画像を飽きもせず、写しまくっている。これって愛情・・・。


 1年前、パソコンにつなぐことができるデジカメは、いずれ必要になるだろうと感じて、ノートパソコン、プリンター、デジカメは3点セットという意識で買った。それまでカメラなるものを購入したことがなく、自分で写した写真など皆無に近かったが、ブログの更新でデジカメを頻繁に使うようになってから、自分の中で、画像(写真)に対するイメージが変わってきた。写真なんか撮ってどうするんだろうという感覚だったのに、言葉と同じように残せるものであり、言葉の説明を補足する意味でも画像は有用だし、読むより手間がかからないし、ペットブログのように言葉より鮮明に記憶に残ることもあるし・・・。


 今、先行する言葉の走者に対して、デジカメ画像の走者が、その後ろ姿をかすかに視野に捉える事ができるようになった。



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春のスタートは遅らせろ

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  トラクタで耕運しただけの、何も植わっていない田んぼをアップしても、何の意味もないが、3月、4月という時期は、野菜が1年中で最も少ない時期である。だから、野菜をアップしようにも、野菜がない。あるのは、エンドウ類、春キャベツ、タマネギくらいで、自分の場合は、個人客は少ないので、作付け量も少ない。ハーブ類の多くは、今、冬枯れの状態である。
 
 田んぼを耕運したのは、春夏作に備えてである。春の最初の農作業はジャガイモの植え付けから始まる。後は急ぎの農作業はない。春夏作はできるだけゆっくりスタートすることにしている。早くスタートをすればするだけ、農閑期が短くなる。ジャガイモをのけたら、自分のスタートは4月1日である。これより早く春夏作のスタートはかけない。スタートすると「電熱温床」をセットするので、簡易なトンネルポリの開閉や温度管理で、半日以上出れなくなる。だから3月にスタートをかけたくない。とても儲かるのなら、3月にスタートをかけてもよいが、はりきってがんばっても、たいしたカネになるわけでなし、あくせくしたくない。大体、ワンパックの場合は少なくとも8種類は揃わないと送りづらいので、特定の作物だけを早くスタートさせても、あまり意味がない。


 5月連休明けから出荷のスタートだから、その頃に8種類がそろえばよい。3月、4月と全く出荷がないのは、ほっとする2ヶ月である。自分の場合、農作業のほぼ半分は収穫出荷作業だから、出荷がなければ、その時間を他のことにまわせる。一般的な市場出荷の場合には、収穫出荷作業は、全農作業の何割くらいを占めるのだろうか・・・。


 たった33羽(メン30、オン2、導入時のおまけメン1)だが、3月は青菜に事欠く。草は4月にならないと伸びてこないし、冬越しの野菜は、2月末には、春夏作に備えてかたづけるので、ニワトリに与える青菜が少ない。でも「草場」のような場所を何箇所か残して、その草を与えている。


 今、食べている野菜は、ホウレンソウ キャベツ、ニンジン、ネギ、ダイコン、サトイモ、ブロッコリー、ジャガイモ。1年で最も野菜の少ない時期でも、食べ量くらいなら、これだけある。



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  2月末に、1日1時間ほどずつ3日ほどかけて、山の斜面の草刈をした。ここはボクが子供の頃に葉タバコを作っていた畑であり、かなり急勾配である。別に目的があるわけではないが、農閑期のこの時期に草刈だけはしている。父や祖父が開墾した畑であるが、45年前、よくこんなところで葉タバコを作っていたと思う。日本全国には、こういう形で放棄された山の斜面の畑がいっぱいあると思う。



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  山の斜面の畑の一番上から見下ろした池の画像である。45年前は、高い木や竹に邪魔されることなく池が見渡せたが、今はもう昔の景観はない。ここ50年ほどの間に、なぜこうも、山や田畑が見放されていったのだろう。農業が生活であり、農業が生きるすべてであり、山に抱かれて、田畑に育てられ、はぐくまれてきたが、資本主義というシステムは、農業を100種類の中の1種類の職業として位置づけ、他の99種類の職業と、金銭的な多寡で競わせた。そして農業は自給自足的な作物から換金作物へと移行せざるをえなくなった。その時から、農業は生活ではなく、ビジネスの一つとして位置づけられるようになった。
 
 農業は、技術が高尚な技能として評価されることもなく、他の職業に比べて、社会的な評価も低く、農業以外の職業に従事することが名誉や尊敬を受けることとなった。
 
 でも時代は今、根底から変わろうとしている。山や田畑や川や海をないがしろにしてきた代償を、これからの世代が背負わされようとしている。資本主義(企業や組織の論理)が、環境や個人の尊厳を、限りなく踏みにじってきたということを、人々は今、気づき始めている。


 出世とか名誉とか地位とか稼ぎなどから超越した自己を持ち、企業や資本の論理から逸脱して、ただ、大地の上で、土を耕し、土に触れて、土に抱かれて生きていこうとしている若い人を少しずつ見かけるようになった。それは従来の大規模、単一、専門作物、多額の投資ではなく、60~70年前まで見られた、「農業が生活」「自然の中で生きる」「多くを望まず多くを持たず」という生活である。


 そんな「小さな自給自足暮らし」のマニュアル作りができたらいいなと思う。いや作るつもりでいる。そういう生活をしている方を何人か知っているので、意思の疎通が図れれば、継続的に、徹底的にリポートしたい。


(春の農作業)
3月中旬・・・ジャガイモ植え付け
4月1日・・・レタス、ニンジン、コマツナ、チンゲンサイの種蒔き
4月2日・・・ナンキン、キュウリの種蒔き(ポット育苗)
4月7日・・・サツマイモ冷床(冷床でも5月末には苗が切れる)
4月15日・・・サトイモ、ヤーコンの植え付け、ネギの種蒔き
4月23日・・・ツルナシインゲンの種蒔き、ハヤトウリの植え付け
5月2日・・・エンサイ、ツルムラサキ、オクラの種蒔き
5月10日・・・トウガン、ニガウリの種蒔き
 ナスビ44本、ピーマン22本、スイカ7本、トマト18本に関しては、苗を買うか、苗をもらう。これくらいの本数なら、種からスタートすると、何倍も高くつくし、何倍も時間をとられる。


 春のモットーは、「スタートはできるだけ遅らせろ」。「あくせくして企業の論理に合わせるな」。「農閑期のない農業をするな」。「農業だけしていては何の展望も開けない」。「いくら忙しくても半農半XのXを磨け」。「カネは必要、でも農閑期は絶対に必要、2ヶ月は出荷を休め」。


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クン炭びより (3)

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 今年は暖かいので、すでにタンポポが、ちらほら咲いている。タンポポの時期はまだ1ヶ月半後の4月中旬である。今年の2月はまるで4月上旬のような日々が多かった。暖かすぎておかしい。
土手下の梅の花も満開である。
 右の画像は、至近距離から撮らせてくれた、やさしいオンドリ。


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  交尾の画像は、なかなかシャッターチャンスに恵まれないのに、今回は上手に取れた。左の画像がそうである。

 最近は卵をよく産む。15個の産卵だから5割である。3月は野鳥も産卵の季節である。5年飼うのだから、産卵は控えめで推移しないと、メンドリに負担がかかる。エサは最近少なめにしているが。
 よそのニワトリを見る機会が多いので比較できるが、うちのニワトリは羽がいつもきれいである。「羽換え」も1年に1度、秋から冬にかけてするはずであるが、あまり羽が抜けない。植物繊維が十二分に足りているからだと思う。
 ケージ飼いのニワトリは、青菜は1片も食べさせてもらえない。ニワトリは、牛やヤギやウサギと違って、本来は草食動物ではないから、青菜はやらなくても濃厚飼料だけで卵は産む。


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  1年に1回、農閑期のこの時期に、トリ小屋の前だし(糞出し)をする。33羽でも1年間蓄積すると、かなりの量になる。左の画像では10袋ほど袋詰めにしているが、すでにこの3倍ほどは取り出している。真ん中の画像のように果樹の根元や、トリ小屋の東に植えている、マンサクやアジサイ、イチジクの根元等にふっておく。初夏~秋は、鶏糞を使わなくても、メタン菌液肥がいくらでもある。


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 二晩経過した今朝、クン炭を袋に入れた。一山で4袋、二山合計で8袋のクン炭ができた。そして、今日(3月1日)またクン炭を焼いた。



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プロフィール

Author:水田祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在55才、農業歴19年目。農業形態は野菜とハーブのワンパック宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ30羽。25年ほど農業とは無縁だったが、ボクが子供の頃は、家は葉タバコ農家だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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