あめんぼ通信

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

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土葬と火葬

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 田んぼのすぐ上にお墓があるが、平生はなかなか上がれない。お盆前、正月前、春と秋のお彼岸くらいである。当集落でも、山すそに墓地にする余分のスペースはなくなっている。土葬は25年ほど前で終わった。墓地にするスペースがいくらあったとしても、土葬の場合は、「埋め穴を掘る」という作業に、集落の人の手間をとるし、それはかなり重労働であるし、山すそは岩盤もかたく、掘っていて怪我でもされたら大変である。どこの田舎でも25年ほど前を境に、土葬から火葬に移ったのではなかろうか。土葬から火葬に変わっただけで、日本人の死生観まで変えてしまった。単なる変化ではなく、それまでの人間の深層意識を覆す歴史的大転換になった。
 土葬にすると魂は土に還っていくと思う。火葬にすると、魂は還る場所がなく、空中を浮遊するような気がする。火葬しか知らない人は、こういう感覚は思いもつかないだろうし、火葬というのは、至って常識であり、疑問を挟む余地はないかも知れない。自分の場合、祖父は土葬であり、その2年後に亡くなった母は火葬だった。25年ほど前のことであり、集落がちょうど土葬から火葬に変わる頃に亡くなったので、こういう形になった。土葬というのは、まだ生きているような死体であるが、火葬では骨になってしまったのを見てしまうわけだから、実はとても残酷なことである。でも現代人はすでに火葬を当然のこととして、それ以上の思考を進めない。祖父の土葬のときはそうでもなかったが、母の火葬の時は衝撃だった。その後の父や祖母の時はすでに火葬を当然と思ったのか、そうでもなかった。
 
 つい50年ほど前までは、日本人は何千年にもわたって「土葬」をしてきた。つまり、土をかぶせて、土に戻してきたのである。土着信仰とは、死せる魂は土に戻り、やがてまた、土から新たな命が芽生えてくると信じて祈ったのである。現在の日本人はすでに、生きている時から「土」に拒否され、死んでからも「土」に拒否されているのである。生きている時も死んでからも「土」から離されてしまった人間の魂はいったいどこへ行くのだろう。宇宙のゴミになるのだろうか。塵となって空気中を浮遊するのだろうか。まるで土に戻らない産業廃棄物のポリみたいである。土に還る(戻る)から、土からの再生(芽生え)を信じたのに、土に還らなくなったら、魂の再生(輪廻転生)を考えることができない。


 やがては人の命は土に戻ると考えていた50年前の人は、帰依するところや、拠り所は「土」だった。美しい土、豊かな土、自分をはぐくんでくれた土、恵みの大地。でも今その大地は、化学物質で汚染され、産業廃棄物のような土になり、再生不可能のようなアスファルトで覆われてきている。美しい土に触れて湧き出る喜びを感じるのは、それは60才になり、やっと大地の上に帰ることが許され、初めてダイコンの種を土の上に落とした時かも知れない。自分の場合はどうだったんだろう。初心を忘れてはいけないはずなのに・・・。初めて地下足袋を履いたとき、なにかこそばゆいような、自分には似合わないような、土からの跳ね返りがあるような、素足でいるような、何か土に笑われているような、でもそんなことにとらわれる余裕はなかったのだ。職業として農業を始めたのだから、とにかく形あるものを生産しなければならないのだ。


 今は死ぬと葬式費用が60~90万ほどかかり、先祖墓を立てるとなると200~300万の値段がかかるらしい。前の代が墓を立ててくれていればよいが、自分の代で先祖墓を立てるとなると大変である。

 
自分は名刺に「土に還る日まで一介の百姓でありたい」と書いているので、死んだら土に還ると思っているが、火葬では、土に還るというイメージがどうしてもわかない。死んだら「無」だから、野菜へのご恩返しに、骨粉(とてもよいリン酸肥料)として田んぼにばらまいて・・・と子供に頼んでおいても、そんな勇気は持ち合わせないだろうし、ボクの依頼など考慮することなく、自分たちの体面や親戚への体裁や世間への申し開きや、仏に対する恐怖心等から、社会的な常識をあまり逸脱しないような方法しか選択しないだろう。


本来が土着性なのに、土から離された生活を余儀なくされたために生じた「浮遊する自我(アイデンティティ)」と、火葬に変わったために土に還れなくなった「浮遊する死せる魂」は同一のものである。


これでは「輪廻」や「転生」という概念も人間の心に宿らなくなる。中には巨大宗教集団に入れ込む人もいる。でもそういう宗教を信心しても現世の自我(アイデンティティ)は開放されないし、まして来世の魂などあると信じること自体が、土の上の生活から離されたゆえの「煩悩」である。死んだら土に戻っていく。そして土からまた新たな命が芽吹いてくる。昔の人の土着信仰はこうだった。ただひたすら祈り、ただひたすら念じるだけだった。信仰的には昔の人の方がはるかに高い位置にいる。万物の神は土に宿す



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プロフィール

水田祐助

Author:水田祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在55才、農業歴19年目。農業形態は野菜とハーブのワンパック宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ30羽。25年ほど農業とは無縁だったが、ボクが子供の頃は、家は葉タバコ農家だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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