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あめんぼ通信

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

赤磐市のYさんを訪問

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 今日は、赤磐市のYさんを訪問させてもらった。昨晩電話で、ブログの取材をさせてほしいとお願いしておいた。さっそく玄関先で出迎えてくれたのがこのワンちゃん。ワンちゃんの後ろに見えるのが2匹のガチョウ。真ん中の画像はウサギ。ワンちゃんの隣にウサギ小屋がある。右の画像はトリ小屋の近くにつながれているワンちゃん。
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 ハウスの下にヤギさんの小屋がある。真ん中は猫が収容されている小屋。ニワトリのエサを食べたり悪さするからと、わざわざ猫を収容する小屋をこしらえている。この中に8匹がいる。ボクが行くと、天井近くの寝床から出てこなかったが、Yさんが行くと、入り口の近くにすぐに8匹が集まってくると言われる。避妊手術も施されている。右の画像は黒色と白色のウコッケイ。つまり、犬3匹、ガチョウ2羽、ウサギ1匹、ヤギ1頭、猫8匹、ウコッケイ12羽、それに下の画像のトリ小屋にニワトリが400羽ほどいる。まるで動物園のように生き物が多い。ニワトリだけでも世話が大変なのに、こんな多種類を飼えばもっと大変だろうし、エサ代も嵩むように思うが、単なる採算や効率を越えるものがあるのだろう。この点はちょっと自分にはよく理解できない。
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 30~60羽ほど収容できる画像のようなトリ小屋が大小8つほどある。これぐらいのトリ小屋なら自分で作れるからと言われて、何回も指導を受けたのに、結局自分の場合は身体が動いてくれなかった。トリ小屋周辺に広がる野菜畑は下の画像である。
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 右の画像の場所にはニワトリが放されていたが、鳥インフルエンザ問題が騒がれ出してからは、家畜保険所からの通達で、野鳥との接触を避けるという意味で放し飼いはしないようにと言われたらしい。
 雲の会7人のうち、農業をビジネスとすることができたのは結局、八塔寺のNさんと、赤磐市のYさんの2人だけである。自分はビジネスラインに到達していない。農業への投下労働はYさんやNさんと比較して遜色はないと思うが、何かが足らなかったのだろう。
 Yさんの特筆すべき点は「営業力」がすぐれていることである。タマゴや野菜以外に、自分が作っていない米とか果樹とかは、知り合いの農家から直に仕入れて売っている。野菜作りの方はほとんど奥さんが主体でしておられる。各種加工品もかなり出荷されているようである。奥さんはパンやケーキも焼き、漬物加工も手がけている。もち米を購入してお餅も加工品として売っている。宅急便で送ることはなく、地元の特定の固定客や、岡山市内で時間と場所を定めて店開きをする特定市、その他、青空市などにも出荷している。春先には野菜や花の苗もかなり作って売っている。つまり、タマゴと野菜以外にもいろんな引き出しを持って、それらも合わせて手広く売り抜くという営業力は、「単なる農家」の域を飛び越えている。自分で作って、自分で加工や仕入れもして、全て自力で売りさばくという、1次産業、2次産業、3次産業合わせて6次産業化をしている。作ることよりも売ることの方が難しいというのが農業者の共通認識だと思う。
 Yさんは県(国かも知れない)のパイロットファーム事業で、ここ赤磐市に20年ほど前に土地を購入して入植された。20年ほど前に相前後して農業をするために都会から田舎へ来られた人の多くは、土地を購入して入ってこられた方が多い。この支払いに多くの入植者が負担を感じられている。10年ほど前に岡山県が取り組み始めた「岡山ニューファーマーズ支援制度」は、当初の2年間は月に15万円の就農支援金が出る制度である。その後の土地や家屋の用件はどうなっているのかよく知らないが、土地や家屋を購入して入るという方法は極力避けるようにした方がいいと思う。これは定年帰農者にも言えることである。買うとしばられる、持てば縛られる、買えば動きづらくなる、支払いが負担になる、自分の気持が年数の経過と共に変化する、自分のまわりの状況もいつの間にか変わっている、土地は資産と考えていた物がいつの間にか負債(例えば道沿いの田んぼなどは、作る作物がなくて荒かしていると通行の迷惑になるため、定期的に草刈もしくは耕運をする必要がある。自分でできなければ人に依頼せざるをえない)になる場合もある。今田舎では、土地を負債と認識し始めた人が多くなっている。


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パン屋さん、そして県境の村

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 八塔寺ふるさと村へ上がる前の麓の集落に、ちょっと名の知れたパン屋さんがある。画像左の「カントリーキッチン木立」である。先日の土曜日にNさん方へ行く前に立ち寄って見た。文字通り、山の中のパン屋さんである。こんな所で売れるんだろうかと思うのは素人考えかも知れない。まさに逆転の発想そのままの立地場所である。11時ごろに立ち寄ったが、すでに10人ほどが外のテラスでパンを食べながら、コーヒーやハーブティを飲んでいた。パンを買えば、セルフのコーヒーやハーブティは無料で飲める。パンはこだわりの素材を使っているようだが、味の方は自分にはよくわからない。こんな山の中のテラスで、周りの紅葉を見ながら食べる焼きたてパンやコーヒーは実際の味以上においしいと感じるものである。


 このパン屋さんはかなり強気な商売をしている。土曜日、日曜日は10時~5時まで営業をしているが、月、水、金は休業(祝日の場合は営業)である。そのうえ「ここまでパンを買いに来てくださるお客さんを大事にしたい」ということで、委託販売や通信販売はしていないらしい。う~ん、あくまでも強気。自分もこんな強気なワンパック野菜にしてみたいものである。やっぱりお客が結構入ってくるんだと思う。お客の入りが悪ければ、委託販売はしなくても、通信販売くらいはしようと思うに違いない。このパン屋さんの商魂を自分なりに分析してみれば、


(1)こんな深い山の中でも売れると確信して始めたこと。


(2)手作りでログハウスの建物を立て、真ん中の画像のようなテラスも3つほどあり、テラスの前は広々とした空間(駐車場)。ほとんど手作りというのがポイント。


(3)営業方針がまだ今のところ「ぶれていない」ように見える。


(4)15年ほど前にこの地を買い、手作りでぼつぼつとログハウス等を立て、実際にパンを焼き始めたのは5~6年前から。まだ50代前半くらいとお見受けしたから、やはり30代の半ばからスタートをかけているようである。


(5)こういう商売は、有機農業と違って、かなりの元手がいると思う。パンが実際に売れてカネになるようになるまでには、建物から始まって相当の歳月を費やしている。多分、週末を利用して、カントリーライフを楽しみながら、その過程をも楽しみながら歩を進めたのであろう。


(6)今でも楽しみの一環としてパンを焼いている様子が、休日の多さなどからうかがえる。


(7)定年後にスタートしているわけではないから、パンが売れる売れないは死活問題になると思う。その日に焼くパンの種類と個数の判断はどうされているのだろうか。


(8)野菜と違って原材料は仕入れていると思うので、売れ残った場合はどうするのだろううか。


 あまりこのパン屋さんの売上に貢献することはないだろうが、八塔寺に来る時は時々「突撃」して見よう。そして、お客さんが少なかったら、ちょっとお話も聞かせて頂こう。


 右の画像は、ここからまた10分ほど車を走らせた所にある兵庫県境の備前市である。我が家からお隣の備前市へ行くには5分もかからないのに、同じ備前市でも兵庫県境にあるこの村まではノンストップでも45分ほどかかる。八塔寺のNさん方に来ていた郵便配達さんが、この村で炭を焼いているKさんという60過ぎの方を紹介してくれたので、自分も竹炭を焼いていた頃(鋸を扱うのが苦手だし、窯の密閉の時に少し器用さも必要なので、長くは続かなかった)に何回かおじゃましていた。土曜日にNさん方から帰るときまだ日暮れには時間があったので、突然だったけれどKさんの炭焼き小屋を訪問した。炭焼き小屋のすぐ上の山で、チェーンソーで木を切り倒していた。もうそんなに若くないのにとても元気な人である。始めて伺った時にKさんの話がおもしろかったので、その後も八塔寺まで来た時には、たまに寄らせてもらっていた。焼いた炭を売るための営業パンフフレットに「○○ちゃんの竹炭」と名打っておられた。年配の方なのに自分のことを○○ちゃんと名打った、そのキャッチフレーズがずっと頭に残った。本窯ではなくドラム缶窯だったが、これくらいの年配の方は子供の頃に祖父母の炭焼きを手伝った経験があるようで、「にわか炭焼人」にはない力量がある。現在も現役である。帰る際に、夕暮れ前の集落の写真を撮らせてもらった。炭焼き小屋から見た集落であるが、絵になるような光景である。この村でも、若い人は出て行ってもうほとんどいないらしい。逆に、定年後にこの集落にやってきた元都市住民が2家族いると言われるので、どうやってこの集落を探し出したのか、そして田舎暮らしの現在をリポートさせてもらいたいなあと思っている。こちらもいずれ「突撃」予定。



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疑似体験

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 料理飲食店ブログを見ると、今日もご馳走を食べた気分になる。実際に食べなくてもちょっとした満腹感がある。


 ペットブログを見ると自分が飼っているような疑似体験ができる。だから実際に飼う必要もない。ペットは飼うものではなくブログで見て楽しむものかもしれない。その方が、エサもやらなくてよいし、散歩も連れていかなくてよいし、毛が抜けて毎日掃除に明け暮れることもないし、自由に外泊もできるし、いいことづくめのような気がする。画像がとても鮮明で上手なブログが多いので、見るだけでほのぼのする。つまりよいところだけ楽しんで、表に出てこない排泄物の処理とかの世話もしなくてよい。だいたい、いくら癒しだといっても、貧乏人にはエサ代が買えないし、散歩などの時間も捻出できないのが普通である。だから、ブログを見て楽しむだけでよいのである。良いとこ取りをしよう・・・。猫ブログや犬ブログの30~40位くらいの順位とエッセー部門の1位の訪問者数が同じくらいだから、みなさん、現実は飼う事が難しくても、見るだけで十分楽しめて癒しになっているのだろう。


 農業もペットブログと同じで、実際にする事は控えて、ブログで農業を楽しんだ方がよいと思う。いずれ「癒し系農業ブログ」がランキングの上位に進出してくるだろう。でもこのブログランキングには、農業、林業、水産業の第1次産業のカテゴリーがない。ボクも自分のブログをどこのカテゴリーに入れたらいいか迷った。


 ペットブログを見て実際に飼っているみたいに楽しめるのだから、農業ブログで実際に家庭菜園をしているみたいに楽しんでいってほしいと思うが、自分のブログはまだその領域には達していない。作物が育っている姿、作物の花、作物の収穫期の様子等を見て、まるで自分が家庭菜園をしているみたいに1人でも感じてくれるなら、このブログの存在意義もある。
 子供の時に農業の「原風景」という背景を持たない都会育ちの人たちに、農業 をどう説明するかというのも課題である。今は牛も豚もニワトリも田舎の人々の前からも姿を消してしまったので、田舎の子供もそういう動物を見ることは全くなくなった。学校で飼育していたら学校で見るくらいである。野菜もほとんど見ることはない。子供の通学路から見えるような場所に野菜はあまり植わっていない。
 昔の子供が農業を手伝ったのは主に稲作だった。稲を手で植えたり、鎌で刈ったりしていた45年ほど前までは、子供も1人の大きな労力だった。保存のきく主食の米と違い、あまり保存ができない、比較的「旬」の期間が短い野菜は量的にそんなに多くは作らなかったので、手伝ってもらう必要がほとんどなかった。今の子供の農業体験は、サツマイモの植え付けと収穫(芋ほり)くらいなものである。


 例えばニワトリであるが、45年ほど前の集落では、どこの家の軒先にも10~20羽ほどのニワトリが飼われていた。もちろん我が家にもいた。だからニワトリの飼い方は本来どういうものかは本など読まなくても大体は想像できた。農業の原風景が記憶に残っているのは、昭和32~昭和33年くらいまでに生まれた世代と言えるかもしれない。
 人間の口にする食べ物の生産現場がますます見えにくくなってきている。今はパソコンが進化しているから、生産者履歴くらいは、わけなく生産物に添付することができると思うが、それをしないのは、国民の前にそれを提示すると問題なことがあるからだろう。
 
現代人の多くは、キャベツならキャベツ、あるいはタマゴ、あるいは肉として、起承転結の結の部分だけしか見ることができない。分業という概念が限りなく浸透しているので、食料品などは、スーパーで並んでいる姿しか想像できない。ピーマンがどういうふうな恰好をして成っているのか99%の人は知らない。例えば鶏肉では、起の部分でタマゴから雛(ヒヨコ)を孵す人がいて、承の部分でそのヒヨコが大きくなるまで育てる人がいて、転の部分で、大きくなったトリを殺して肉にする人がいて、結の部分でそれがスーパーに並ぶという工程であるが、結の部分だけ見せられるので、起承転の部分にかかわっている人たちを想像することもない。
 すでに40年ほど前からニワトリは、大量生産や効率や採算の見地から、自由放牧とは対極の、雑菌のない集中治療室的な管理棟の中の、身動きできない小さいケージという檻の中に閉じ込められてその生涯を終えるのである。太陽にあたることも許されないし、太陽をたっぷり浴びた青菜を食べることもない。だからひ弱になって、ちょっとした雑菌の浸入に対しても抵抗力がなくすぐに感染してしまう。そして、鳥インフルエンザの発生から後は集中治療室的傾向がますます強固になった。


 現代では、ニワトリも人間も土からますます離れていき、ますます離されている。今、団塊の世代の多くの人は、40年間も切り離されていた「土の上での生活」に回帰しようとしている。土は人間の心を癒すということを知っている。子供の頃に踏みしめたであろう、あの大地の上で晩年のひと時を送ろうとしている。始めて地下足袋を履いた時、何かくすぐったいような、何か恥ずかしいような、何か未知のものであるような土の感触をゆっくりゆっくり確かめながら、土の上に腰をおろして、土の上で横になって、土の上で寝転んで空を見上げて、やっと土の上に帰ることができた感慨にひたる。


 今日は土の上で遊ぶ「ニワトリ癒し」の画像をお届けします。



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タイムトンネル(その2)

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 六良右衛門さん、おはようございます。六良右衛門さんの時代には、封建的な身分制度や、過大な年貢に苦しめられることもあったでしょうが、現代の子供の「学校内いじめ」や大人の「会社内いじめ」のように、当事者に致命的ダメージや激しいストレスを与えるものではなかったと思います。大飢饉で、今日の食べ物に困ることもあったでしょうが、自然の山河は、「山の幸」、「里の幸」、「川や池の幸」の何がしかの食糧を見出すことを妨げなかったと思います。現代のホームレスの人ほど、状況は陰惨ではなかったと思います。六良右衛門さんもびっくりなさるでしょうが、現代の人たちは、すでに土の上で生活をしていないのです。土から切り離された所で生活をしているのです。それは一見、文化的生活に見えますが、人間の魂は土から離れすぎると、いろんな煩悩に囚われるようになります。「土着性」とか「魂は土から生まれて土にに還る」というのが本来の人間性だと思います。でも土から離れないと生活ができなくなったために、大多数の人は仕方なく土から離れて生きています。土から離されて組織の中(ニワトリの場合も土から離されてケージに閉じ込められた)に身を置いて、とにかくカネを稼ぎ続けなければ生きていけないのです。
 六良右衛門さんの時代は、夜がしらじらと明けてくる頃に起き出し、夕闇に包まれる頃に寝に付くという自然に即した生活だったので、(1)電気代という対価を払わされることもなく、落ち葉や焚き木を利用して「クド」で煮炊きやご飯炊きをするので、(2)ガス代という対価を支払う必要もなかった。水道は普及していなかったが、現代のように合成洗剤もなく、農薬、化学肥料、除草剤で、川の水が汚されることもなく、飲み水に十分利用できた。場合によっては、ちょっと沸かせば利用できた。だから(3)水道代という対価を支払う必要もなかった。人糞は、堆肥に立てたり、「野つぼ」に一定期間ため置きしてから、田んぼに施して、完全にリサイクルしていた。だから(4)下水道代という対価を支払う必要もなかった。野菜と物々交換してまで人糞(下肥)を手に入れようとした時代・・・。とても有用だったものが、20世紀のたった50年ほどの歳月の間に産業廃棄物扱いされるようになり、今度は逆にカネを支払わなければならなくなったというコペルニクス的転回。人間の思想や価値観も多分こんな、うすっぺらなものであり、時代とともに変遷してしまうのだろう。(5)電話は今でこそ、生活する上で必需品だが、「誰もが持っていない社会」では、それも必要なかった。高額な電話の引落明細書が送られることもない。(6)新聞もなかったので、購入する必要もなかった。安い金額のように感じるが、年間に換算すると36000円を超える。(7)医者など近くにいなかったので、病気になれば、運を天に任せて、回復を待つだけだった。高額な医療費を支払わされることもなく、自然治癒力を信じて、祈り続けた。(8)車はなかったので、維持管理費や買い替えのことを考える必要もなかった。(9)テレビ、洗濯機、冷蔵庫、クーラー等の各種電化製品はなかったので、購入の必要もなく、買い替えの必要もなかった。(10)教育費に無駄な投資をする必要もなかった。教育とはいったい、誰のための、何のための教育なんだろう。(11)住む家に関しても当時はまだ「分業」という考え方そのものがなかったので、自分や家族や一族の手間がかけれる範囲内の、雨風がしのげればよいという簡素なものだった。現代はそうではない。住宅ローンの支払いなどあると、一生、それによって縛られる可能性もある。
 
これらの支払いのために、現代人はカネを稼ぎ続けなければならない。これはもはや「個人の選択」という段階をはるかに超えている。好むと好まざるにかかわらず、一つのシステムの中に組み込まれて、もはやそれから脱出することすら不可能な状況である。
 
現在の状況下で、「農業をする」ということは、1人、異次元の世界に迷い込んだようなものである。高度資本主義社会では、農業は、経済的にとても不利な職業である。江戸時代のような、本来の「自給自足的生活」が取り戻せない限り、農業の世界に新規参入したり、農業を継続することは、困難をきわめるだろう。すでに農業は、年金の後ろ盾のある「定年帰農者だけのもの」になりつつある。


現代の社会システムの元では、ひたすらに、技術や技能を自分の身体に覚えこませて手に職をつけるか、高い専門知識をもつべく日夜辛苦刻苦するか、難しい資格試験をパスするなど、自分を「何者かに仕立て上げなければならない」。そうできなかった人は、会社組織の中で、絶えず「リストラ」の危険にさらされてしまうだろう。


 「何者かに仕立て上げる」という、過激な努力や忍耐を自分に課するのではなく、自然の中で、農業を営み、多くを望まず、多くを持たずという「小さな生活」も、強制的各種社会保険料の徴収や各種税金の徴収、各種ライフラインの固定的支出等によってとても困難になった。六良右衛門さんの時代より、自由の裁量ははるかに少なくなっている。
 この生きづらい時代をどうやって生き抜いていったらよいのだろう・・・・


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タイムトンネル(その1)

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 八塔寺のNさんは、すでに20年余り前に廃村になっていた集落の土地と建物を買って入植したわけだから、その集落はとても辺鄙な場所にある。そうでなかったら、1980年代の前半に廃村になったりはしない。Nさんが入植する前の、この集落の最後の頃には全部で5軒ほどの民家があったらしい。この一帯で何百年も、炭焼きをしたり、米を作ったり、そばの川や池で魚を捕ったり、鳥や鹿などの野生動物の狩りをしたりしながら、地域内での自給自足的な生活を続けてきたのであろう。1920年代の頃までは自転車もなく、人々は「徒歩」でどこまでも出かけていた時代だから、せいぜい、半径5~10キロの範囲内がそれぞれの生活圏だったはずである。
 Nさんの田んぼのそばには、誰も訪れることのなくなった「お墓」が20墓ほどある。左の画像がそうです。古き良き時代(土の上で生きれた時代。都会人はすでに土を目にする機会すらない。土から引き離された場所で生きるしかないのである。まるでケージ飼いのニワトリと同じ。)に、この地で自給自足をしながら生涯を終えた幸せな人たちだったんだろうなあと思いながら、墓の前を通り過ぎる。ふと墓石に刻まれた名前を見た。定右エ門と書かれていた。定右エ門さんがこの地に生きていたんだ。時代は文政○○年と書かれていた。そのそばには嘉永○○年という墓もあった。文政とか嘉永という時代がいつの時代かよくわからなかったので、ブログを打つ前にグーグルで検索してみた。文政は1804年~1830年で、嘉永は1850年代の前半だった。
 その墓とは100メートルほど離れた場所にまた別の、石でできた石塔があった。この石塔は当地を訪問するといつも気にかかっていた石塔であるが、元和と書かれた時代を見て、いつの時代だろう、随分昔のことだろうなあと思いながら、いつもはそれで終わっていた。でも今回は違った。ブログに載せるためにデジカメを持参していた(ブログを始めてからは、出かける時は、必ずデジカメを持っていくようになった)ので、家に帰ってからもう一度パソコンの画面で、その石塔をまじまじと見ることになった。グーグルで「元和時代とは」で検索すると、何と石塔の元和3年は1617年のことだった。今から300年も前にこの地で生活をしていた「大地六良右衛門」さん。雑木林の中の大地六良右衛門さんに声をかけながら、ボクはこれからどう生きていったらよいのだろう、あなたの生きていた時代にご案内して下さいとお願いして目を閉じた・・・。
 ある朝ボクは目覚めたら、江戸時代初期の、水飲み百姓になっていた。朝がしらじらと明けてくる頃に起き出して、薄暗くなるまでには夕飯をすませ、寝る準備をする。晩秋の今時分は、朝6時過ぎに起き出して、夜の6時頃には寝床に入る。


 干ばつや水害、台風などの自然災害で、主食の米は不作でも、川に行けば、魚がうじゃうじゃいて、いくらでも捕まえることができる。コイ、フナ、ドジョウ、ウナギ、ナマズ、川ガニ、川エビ、シジミ・・・常駐のものもいれば、梅雨の雨とともに、下流からのぼってくる特定の時期だけの魚も捕れるので、ありがたい。


 山に行けば、主に秋だけだが、アケビや山ナスビ、山ブドウなどの木の実や、マツタケ、シメジ、その他のキノコ類もたくさん採れる。たくさん採れたら、魚は煙であぶって燻製にして保存し、キノコ類は天日で乾燥すれば、かなりの期間、保存できる。


 冬は、山から取ってきて、家の近くに埋めていたヤマイモや、塩漬けにしていた、菜っ葉を食べたり、鹿などの野生動物の狩をする。山ハトやモズ、キジなどの鳥類も貴重なタンパク源になる。たくさん捕れれば、これらも燻製にして保存する。狩をするのは冬だけである。冬はこれらの野生動物に脂がのっていておいしい。  


 ひたすら、春が来るのを待ちわびる。春になれば、いち早く、ワラビや木の芽が成長してくる。竹の子も出る。タンポポやイタドリなどの野草も食べれる。


 初夏から晩秋にかけては、主食である米作りに追われる。まだこの時期、「サツマイモ」は渡来していなかった。江戸時代初期に沖縄に伝来し、全国的に広まったのは、江戸後期の大飢饉の時だったらしい。だから、米作りの失敗はできない。1年分、もしくは2年分の自分や家族の「食い扶持」だけは、確保しなければならない。前年に取っておいた種モミを蒔いて、苗を作り、水を張った田んぼに50センチ四角に2~3本植えする。今のように「除草剤」はなかったので、暑い土用にする「田草とり」もかなり身体にこたえる。田んぼの畔に生える草も、今なら草刈機があるから、ものの5分ですむが、その当時は「カマ」だったので、その10倍、50分くらいかかる。でも急ぐ必要がない。急いで済ませて他の用事をすることもなく、急いで済ませて、他の稼ぎ仕事に時間をまわすことも必要なかった。カネで買わなければならなかったり、カネで支払わなければならないものもなかった。車を買う必要もなく、各種電化製品を買う必要もなく、そして、医療費を支払うことも、教育費を支払うことも、家のローンを支払うことも、水道代や電話代などのライフラインの支払いもなく、税金(年貢)もカネではなく物納(米)だった。だから、生活するうえで、カネがかからなかった。必要なものは、主に「物々交換」だった。主食の米をたくさん作って保存しても、ネズミに食われるし、湿気たりもするので、せいぜい1年、長くても2年も保存はきかないし、その他の保存食品もせいぜい半年~1年が保存限度だったので、休むまもなく働いて、たくさん保存したり、休むまもなく働いて、カネを稼ぐ必要もない。


 田んぼのあぜ際は、水がもれないように、泥であぜを作り(あぜぬり)、そのあぜに、あぜ豆(今でいう大豆)を蒔いた。豆類は、大切な植物タンパク源だった。稲と大豆は共生作物で、とても相性がよい。その生育を補足しあう。稲は豆科のチッソを好み、あぜ豆は大量の水分を好む。そして、あぜ豆は、9月中下旬には、茹でて枝豆として食べれるし、11月末頃に実だってからは、大豆として、長期保存ができる。


 11月、稲は実りの季節を迎える。カマで刈り、それを束して、細長い木や竹の棒に「ハザガケ」しておく。こうしておけば、雨が降り続いても、腐らない。今のように、コンバインも、一昔前のように脱穀機もない時代だったので、稲穂を、稲の茎からはずす作業が大変だった。「足踏み脱穀機」のような道具があり、それを利用したが、作業はなかなか、はかどらなかった。脱穀したモミを、稲ワラで編んだムシロの上に広げて干して乾燥させて、モミの状態で保存する。ネズミに食われたり、湿気にあわないように、高ウネ式の、モミ保存用の蔵も必要だった。モミからモミ殻をはずす作業、その後、玄米を白米にする作業も、現在のように「もみすり機」も「精米機」も無い時代だったので、とても時間のかかる手作業だった。ごはん炊きも、今のように炊飯器はなかったので、「クド」に薪をくべて炊く。始め、ちょろちょろ、中、ぱっぱ・・・おいしく炊くにはコツがあったようである。


 米を洗うのも、洗濯をするのも、風呂の水も、もっぱら、川の水や井戸水を利用した。住む家も、シンプルで簡素に、麦ワラなどを使ったワラ屋根であり、今のように業者に依頼するのではなく、家族や近親者だけで作った手作りの家だった。当時はまだ「分業」などという考え方はなくて、百種類の仕事(だから百姓と言われたらしい)を、すべて、自分や家族の力だけで終わらせるという「自己完結型」だった。だから、「責任転嫁」や「責任の所在が明らかでない」ということはなく、すべての責任も結果も自分に帰するのだった。全体を想像しながら、個の仕事をこなし、個の仕事をこなしながら、全体の仕事も見渡せるので、自分は単なる歯車の一つであり、いてもいなくても影響がないという疎外感を受けることもなく、現代にたとえるなら、大企業のサラリーマンではなく、零細企業の社長や個人店主であった。自分の力の及ばないこと、たとえば「自然災害」に対しては、ただひたすら回復を祈り、ただひたすら待つという姿勢だったろう。浅学な現代人など及びもつかない、深遠な「応じる心」で対処していただろう・・・。空間を飛び越えてかかってくる突然の電話に、静寂な時間と、沈思黙考の空間を破られることもなく、時間は永遠の時を刻むかのように、さらさらとさらさらと流れていくのだった。

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雲の会

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 Tさん家族が17年間住まわれていた山あいの小さな集落。でも2年前、農業を止めて元の都会に帰られた。そのTさんが八塔寺のNさん方に遊びに来られたので、ボクも会いにいった。元気そうないい顔をされていた。元の都会暮らしにも慣れて、また生活が落ち着かれたようだった。農業を止めるという重い決断を下すまでには、随分と悩まれたと思うが、まだ元気で働けるうちに決断をした方がよいということで、55才の決断だった。うまい具合に府営住宅も見つかり、Tさんはアルバイトで奥さんは正規雇用で働かれているらしい。3人のお子さんもそれぞれ独立されて、今は夫婦二人の身の回りのことだけしておればよいと言われる。週休2日制だし、農業をしていた頃より収入もいいし、身体も楽だと言われる。賃金労働は働いた分は必ず現金として手に入るが、農業の場合は、台風がきたり、害獣にやられたりして、手をかけても、現金として入ってこないことが多い。背に腹はかえられないし、60才まで数年を残して早く決断をしたことがよかったと言われる。同じワンパック宅配をしていたので、あまりカネにはならないこともわかる。自分も来春で17年が来る。Tさんが農業を止める決断をされた時に、「明日はわが身」と思ったが、自分はTさんのようにはいかず、ねっちゃら、ねっちゃら考えては、ずるずると月日を経過させてしまうだろう。サラリーマンをしていた時は、あっさりとすぐに止めていたが、農業はそうはいかない。自分の場合は、農業にさほど投資はしてきていない。物置とトリ小屋で41万、井戸27万、管理機9万、草刈機6万、エンジンポンプとホース7万、軽四62万(16年乗って今年買い換えた74万)、これだけである。乗用トラクタは父が買っていたものである。農業ではこれくらいの投資なら最低限の部類である。だから自分も農業を止めて、時間給800円のアルバイトに切り替えようと思えば、年齢的にまだできないことはない。そして、短期的に見ればアルバイトの方が確かに収入は多いと思う。でもボクはTさんのような決断はできない。優柔不断に農業を続けるだろう。Tさんはボクよりかなり技術力が上だったが、販路が安定しなかったようである。販路が安定しないというのはワンパック宅配の宿命である。最後の方はポランに出荷していたが、ポランは無農薬野菜を扱うのに、外観の基準が市場野菜なみでハードルが高い。これでは「ハネ」の野菜が多く出てしまう。
 20年ほど前に、都会から有機農業をするために岡山県の東備地域に入植した人たちの間で、情報交換やお互いに励ましあう場として「雲の会」というのができ、ボクは地元の出身だったが、誘われて参加させてもらうようになった。月に1回、お互いの入植地の中ほどにある喫茶店に集まってわいわい話すのであるが、当初は自分を入れて7人だった。でもそのうち4人がすでにリタイアしている。まだ農業を続けているのは自分を入れて3人しかいない。20年ほどの間に4人が農業から離れて行った・・・。自分の場合はマルミさんの定期収入のおかげで農業が成り立っているわけだから、どちらかと言えば、農業からリタイアせざるをえなかった4人の方に近い。だから実質的に農業が継続できているのは7人のうち2人である。Tさんは都会に戻られたが、他の3人はその後も岡山に留まりがんばっておられる。1人は腰を痛めて現在は療養中であり、1人は木工の方に生活の主体を移され、もう1人は塾講師として新たな人生を歩み出された。1年に1度は遊びに行かせてもらっているので、可能なら、近況をブログでまた書かせて頂こうと思
う。


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晩秋をあなたに

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 今日は田んぼの周囲の晩秋の風景をお届け致します。


 ブログを始めるまでは、カメラや写真に全く興味がなくて、カメラもなかったし、もちろん写真など撮ったことはなかった。でもブログを始めるとどうしても写真がいるように感じた。言葉だけではやっぱり殺風景すぎる。「ブログ=写真つき日記」のように思う。


 ノートパソコンがブログの存在を教えてくれて、デジカメが写真の楽しさを教えてくれた。そしてプリンターはインク代がとても高くつくことを教えてくれた。


 今まではデスクトップのパソコンだったので、何か、パソコンの前に座るという仰々しい感じがしていたが、今回買ったノートパソコンはまるで電卓みたいに、ホームコタツの机の上にある。とてもコンパクトでおもちゃのよう、そしてボールペン代わり。場所もとらないから、前へやったり手元へ持ってきたり、どうにでも動かせる。持って出歩くことも容易である。ああこのノートパソコンは、とても自分の手と身体に馴染んでくれる。だから、ちょっと時間があればインターネットにつなぐようになった。5月にはまだブログという言葉を知っていただけで、どこにそんなブログが載っているのかわからなかった。だからグーグルで「ブログとは」、「ブログを読みたい」で検索した。その時初めて、自分の前にブログの扉が開いた。そして「ブログランキング」というのがあることを知った。自分もブログをしようと思って始めたが、どうも操作が今ひとつよくわからなかった。今のFC2ブログは3回目である。FC2ブログになってから操作がやっとわかり始めた。前の2回が踏み台になってくれた。でも最初はこのブログも3日坊主で終わっていた。なのになぜか1ヶ月後にまた始めた。確かこの1ヶ月のブランクの時に「富士丸な日々」と「生まれる前から不眠症」の二つのブログに出会い、また始めたいという気持ちが湧いてきた。


 デジカメも最初、写真の撮り方がわからなかった。何しろカメラなど自分の人生で手にすることは数えるほどしかなかったから。でも使用説明書を読んだらこれは簡単だった。とにかくうまいもへったくれもなく、ブログに載せようという思いで何回か撮ったが、今度はブログへの載せ方がよくわからず、結局10月8日までは言葉だけだった。同じことを何回も繰り返し教えてもらい、やっと画像を載せることができるようになったのは10月9日からだった。


 とにかくブログへ載せなければという、それだけの理由で田んぼの画像を撮り続けたが、なぜかブログに載せると風景がきれいに見えた。あれ~、こんなにうちの田んぼの周囲の風景はきれいだったかなあと自問自答するようになった。デジカメで撮ってパソコンに取り込み、スライドショーを見て、どの画像をピックアップするか決めるのであるが、「風景を二度見る」とか「風景をもう一度確認する」みたいな作業だなあと思った。このような作業を日々繰り返すようになってから40日ほど経過したが、最近、写真に対して、自分の中でちょっとした変化が起きている。昼間撮った写真を家に帰って夜にまた「風景を二度見る」「風景をもう一度確認する」をしているうちに、自分の中で先ほどのような疑問が生じてきたのである。つまり「うちの田んぼの周囲の風景はこんなにきれいだったかなあ」という疑問である。いや、これは写真に撮ったから、実際はそんなにきれいでないのにきれいに見えるんだと思い始めた。写真にはそんな作用がある。これでは見る人が「写真にだまされる」。そんなにきれいな風景ではないのに写真にするときれいに見える。これは錯覚である。なにかおかしいのでないだろうか。どこがおかしいのだろう。ボクの田んぼの周囲はそれほど風光明媚な所ではありません。もしあなたが、この写真を見て「いい所だなあ~」と思われたら、それは錯覚ですと言いたい。それとも、自分がずっとこの風景を見慣れてしまっていて、鈍感になってしまっているのだろうか。よそから来て始めて見た人が「なんとここはよい景色だろう・・・」と思っても、その景色を見慣れた人にとっては、何の感慨もわかないということは大いに考えられるが。
 写真という自分にとって始めての「新たな物」を取り入れたせいで、最近風景を見る目も変わってきているような気がする。


 これからもパソコンに入れる画像を取り続けるだろうが、自分の今まで気づかなかった、知らなかったことの「未知との遭遇」を写真がさせてくれている。


 まだよくわからないが、①写真を撮る技術とか、②写真機自体の性能とか、③アングルを向けるその人の感性、などからも写真は違ってくるのだろうか。


 以上、カメラ超初心者が気づいた「写真の不思議」です。


 昨日の続きの「種苗」のことですが、以前同じような内容を書いていました。以前書いたのに忘れていました。いつも前だけを見てブログに向かっていたために、こんな欠点が露呈してしまいました。この農閑期には、最初から読み直して、内容別に分けたり、題名だけの目次を作ったりの作業をするつもりです。


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種苗費の年度比較

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 左の画像はユズである。無農薬で作るとユズは虫害が多い。画像を拡大して見て頂ければわかると思いますが、ほとんどのユズにこんな虫食い跡がある。個人の顧客には2~3個ずつ入れて送っていますが、外観のよいのが少ない。柿やキーウイは送りづらいが、ユズは1本植えておくとワンパックにしばらく入れることができる。


 真ん中の画像はキーウイである。ユズもキーウイも21日の火曜日に全て収穫した。キーウイは確かオーストラリアが原産地で、日本に渡来してからまだ歴史が浅いように思う。
 野菜を作ってもあまりよいのができない「日陰になる時間が長い田んぼ」「耕土の浅い田んぼ」「排水の悪い田んぼ」「小さすぎて不便な田んぼ」「井戸から遠く水やりの不便な田んぼ」には、少しずつ果樹を植えていった。枯れてしまった果樹も多いが、4~5年経過してから実を付けてくれる果樹もある。カラスが食べない果樹を中心に1~2本ずつ植えて、今では5アールほどが果樹地になっている。キーウイは欲しいなあと思いながらなかなか植えることができなかった。理由は、この果樹はブドウのように「棚」がいるので、不器用な自分にはちょっとハードルの高い果樹だった。だからすぐには植えれなかったが、農業歴5年が過ぎて、少し気持ちに余裕ができた頃、自分で作ったのではなく、人に依頼して作ってもらった。○○円だった。ニワトリ小屋と同じく、1度作ってもらったら長年(生涯)持つだろうと思った。林檎や桃や梨や葡萄のように、必ず農薬のお世話になり、必ずカラスが収穫期には狙ってくる果樹と違い、キーウイは無農薬放任栽培ができるし、カラスも食べない。キーウイはすぐには食べれなくて、20~30個ずつポリ袋に入れて、その中に林檎を一つ入れて2週間ほど置いておくと、柔らかくなり、食べることができる。


 右の画像のトリ小屋ですが、ボクは「エサ箱」を置いていません。トリ小屋の地面の上に適当にばら撒いています。トリ小屋の周囲だけはブロックで囲っています(そうしないとタヌキが地面を掘って襲います)が、トリ小屋の中は土です。ニワトリがした糞と土とエサと青菜が適当に入り混じった床です。別にエサ箱は必要ないと思います。トリ小屋の床は1年に1回農閑期に総入れ替え(まえだし)をするだけで、農繁期は忙しいのでしないですが、鶏糞が必要になった時にだけ取り出します。でも自分の飼っているニワトリの糞は「肥料効果が少ない」と思っています。菜食主義で育てているため、濃厚飼料の多いニワトリの鶏糞には多く含まれているといわれる窒素分がほとんどないのではと思います。だから糞があまり臭くないです。


  種は京都の「タキイ種苗」と横浜の「サカタのタネ」と奈良の「ナント種苗」の3社から送ってもらっている。農業をスタートするまで、これらの種苗会社のことは、その存在すら知らなかった。農業を始めてから近くの人に、種は通信販売で購入すると便利であると勧められ、主にタキイ種苗の通信販売を利用している。他にサカタのタネやナント種苗でも買う。種は春夏作より秋冬作の方が2倍ほど高くつく。ちょっと総勘定元帳で過去の種苗費を確認してみた。平成17年(46548円)、平成16年(50091円)、平成15年(37494円)、平成14年(69167円)、平成13年(44932円)平成12年(53396円)、平成11年(45823円)。平成14年度は果樹苗を20000円ほど買っているので他の年度よりかなり高くなっているが、平均すると毎年45000円ほどの種苗費がかかっている。こうして年度別に拾い出してみると、結構かかっているのがわかる。小さな家庭菜園でもたいてい1万円は越えるらしい。自給用の家庭菜園では作るより買った方がはるかに安くつくというのは種苗費だけを見ても一目瞭然である。


 去年1年間の種苗費46548円の内訳は、2月8日ナント種苗2510円、2月8日タキイ種苗6107円、2月20日ジャガイモ種代16キロ3550円、2月23日ユズ苗木2本1960円、3月1日サカタのタネ3788円、4月19日ピーマン苗25本とトマト苗10本で2030円、4月19日ベニアズマの苗260円、4月23日ハヤトウリ苗2本で996円、5月2日ナスタチウム花苗296円、5月25日ニガウリ苗294円、5月31日ニガウリ苗とイタリアンパセリの種543円、6月2日ナント種苗2670円、7月25日イタリアンパセリ種2袋566円、7月29日キュウリ苗754円、7月29日タキイ種苗16554円、8月6日インゲンの種他632円、8月30日サカタのタネ1380円、11月11日レタス種378円、11月22日ミカン苗木1280円。種苗費の続きの説明はまた明日にさせて頂きます。


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物置とトリ小屋の金額

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 今日、出荷から帰って夕方ブログランキングを覗いたら、未知の順位「30位」になっていた。一つでも順位を上げようと、気になってしようがないのに、何か、初めてのプレッシャーを感じた。30位くらいでプレッシャーなど感じてはいけないのに。トップ10に突入したら、プレッシャーという重圧がかかってくるのかも・・・。年内にトップ10入りしたい。

 左の画像は物置です。物置の前にいつも軽四を止めています。この物置は6坪あり、真ん中の画像のトリ小屋は4坪半あります。1坪は畳2畳分です。この物置とトリ小屋は農業を始めた1年後の平成3年の5月に建てました。近所の親戚の大工さんに建ててもらったのですが、合計で41万円かかりました。農業を始めてから、近いうちに物置とトリ小屋を建てようと思ったのですが、どこに建てようか大いに迷いました。建物は一度建てると、簡単に動かすことも壊すこともできないし、カネもかかるので、失敗はできません。広さもどれくらいの広さがよいのか迷いました。
 まず、トリ小屋ですが、自分でトリ小屋が建てれないようでは、ニワトリは増やせないと思った。農業を始める前に、中島正さんの有名な著作「自然卵養鶏」という本を読んでいたので、どういうトリ小屋にしたらよいか、頭に大体はイメージできていた。40羽飼おうと思い、1坪に10羽までと書いていたので、4坪と思っていたが、4坪という建物の形状はなくて4坪半になった。
 物置の方はトリ小屋以上にどれくらいの大きさがよいか迷ったが、物置に入れるものは何と何だろうかと紙に書いているうちに、管理機と草刈機以外にはこれといったものが思い浮かばなかった。大は小を兼ねると言っても、そんなに大きな物置もいらないと思った。物置を建てた田んぼのその後の使い方等も考えて「6坪」に決めた。トリ小屋も物置も申し分のない面積であったと今でも思う。農業歴1年目にしては、よくこんなに的確な判断ができたなあと思うが、自分の農業にかける思いがそうさせたのだと思う。


  建てる場所の設定は面積以上に迷った。トリ小屋はこの画像より、もう一つ上の田んぼに建てようか、それともこの場所にしようか、大いに迷った。というのは、今トリ小屋が建っている田んぼは正方形をしていて、田んぼの使い勝手がよいと思い、トリ小屋にするのはもったいないような気がした。しかし、エサやりには近い方がよいと思いこの場所にした。


 物置の場所がまた問題だった。今物置が建っている田んぼは、田んぼとしてはかなり「よい田」だった。だから物置につぶすのは惜しいと思った。しかし物置は、しばしば出入りする場所になるだろうから、軽四を止める場所の近くにする必要があった。田んぼとしては他の田んぼより「よい田」だったが、どう考えてもこの場所より他に物置が建てれそうな候補地はなかった。


 田んぼの美観のことも考えて、トリ小屋と物置は、同じような形状にしてもらうつもりだった。中島正さんの著作のトリ小屋の記述で「丸太ん柱に、四面オール開放の金網鶏舎、屋根は片屋根」というのが頭にあって、物置はトリ小屋と同じような形にしてもらった。物置も半分ほどは金網にしてある。実は、タマゴが切れないように、物置を半分使ってニワトリがいつでも飼えるようにしておいた。結局、物置では1度もニワトリは飼わなかった。飼い出してから思ったのだが、タマゴのない期間があった方が、タマゴのありがたみがわかってよいと思った。ヒヨコからタマゴを産み始めるまでに約半年かかるが、その間はタマゴが切れる。ボクはすでにニワトリを5回転(つまり今のニワトリは5回目の導入である)しているが、ヒヨコがタマゴを産み始める半年間の間、ほとんど市販のタマゴは買わなかった。市販のタマゴはちょっと食べる気がしなかった。マルミさんは弁当のおかずにいると言って、時々買っていたが、ボクは一度も買ったことがない。


 このトリ小屋と物置で41万円かかったが、この金額が安いのか高いのか自分にはわからない。ただ、これくらいの建物でも、自分で建てれないなら、人に建ててもらうしかない。ニワトリを飼うなら、トリ小屋は自分で建てないと採算は取れないのである。だから自分はニワトリを増やすことはできなかった。ニワトリを飼っている人で、トリ小屋を建ててもらったという人は、自分のまわりでは1人もいない。自分は鋸、釘、針金を扱うことが大の苦手である。 思うに、ニワトリ小屋を建てることはニワトリを飼うという起承転結の1割に過ぎない。残りの9割は、小屋を建てることとはまた違った能力や感性が必要である。しかし、ニワトリを飼うなら、残りの9割にたけていても、1割が苦手なら、ニワトリは増やせない。


 右の画像は、今年初めてイノシシが出て、急きょ、農機具店に依頼して電柵を設置してもらった。おかげで、600本のサツマイモ(約3アール)は被害を免れた。親しい友人に、「電柵も自分で設置できんの・・・」と言われた。サツマイモは全て掘り上げたから、この電柵を今度は1日も早くニンジンにまわさなければならないのだが、この作業がちょっと負担になり、伸ばし伸ばしになっている。苦手なことはどうしても後回し後回しになる。今週中といわず明日中には移さなければ・・・。イノシシの密度の濃い地域だったら、間違いなく自分は農業からのリタイアを迫られる。野菜やハーブを作る9割の能力や感性にすぐれていても、電柵で囲うという1割の能力が劣っていたら、野菜やハーブは作れない。トリ小屋と同じ理由である。オンリーワンもこの点になると弱い。


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ワンパック宅配の問題点

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 ニワトリが大好きです。30羽だからかわいいのだろう。これより多くなってもよくないし、これより少なすぎてもいけない。
 鳥インフルエンザは自分には関係ないです。四面オール開放の金網鶏舎、真冬でも朝8時過ぎには太陽の光が鶏舎内に差し込む。ふんだんに与えている野菜クズや雑草。メンドリの負担にならないように少食主義。問題があるとしたら唯一「少量の購入エサ」である。
 もし自分の飼っているニワトリが鳥インフルエンザの発生源になるとしたら、日本全国、どのような飼い方をしているニワトリも、より大きな危機に直面するだろう。自分のニワトリは他のどんなニワトリよりも抵抗力があると思う。ほとんどのニワトリは命である「口ばし」をデービークされているが、自分のニワトリは生まれた時の口ばしなので、硬いナンキンでも突付いて食べる。ヒヨコで購入して1年と半年がくるが、まだ1羽も死んでいない。青菜がたっぷりなので、羽がとてもきれいである。


 昨日、営業のことを書いたが、ワンパック宅配は顧客を獲得することがむずかしい。やっとの思いで獲得した顧客も長続きはしてくれません。でも考えて見れば、小学校3年生だった子供も10年たてば高校を卒業する年になります。10年という歳月は家族構成の変化をもたらします。家族が3~4人の時はワンパックを購入してくれても、家族が1~2人になると、同じように買ってくれるかどうか微妙です。だから、ワンパック宅配の場合は、永遠に営業の臨戦態勢をとり続けておく必要があります。一時期、顧客がいっぱいになっても、1年も経過しないうちに減ってきます。まあ、顧客がいっぱいになるという「うれしい悲鳴」は、たかだか50軒の顧客が目標だとしても、はっきり言って難しいです。


 ワンパック宅配は、野菜を作る上で無農薬という不安定を背負い、売る上でも顧客がいつも不安定という現実を背負うことになります。だからワンパック宅配を始めても、誰も長続きしないのです。ボクは岡山県下でワンパック宅配をしている人を10人も知りません。多分、現役世代でワンパック宅配をしている人は県下で20人もいないでしょう。農業を始める現役世代は岡山県では年間に100~150人ほどですから、ワンパックを始める人が今後ともそんなに増えることはないでしょう。ボクは16年ほどワンパック宅配だけをやってきましたが、この農業形態には否定的です。途中で必死に、この農業形態からの脱却を試みましたが、自分には能力的な壁がどうしても破れませんでした。ボクの農業人生は後10年ほどだと思うので、今の農業形態を続けていかざるをえません。なぜこの農業形態に否定的かというと、子供でもできる算数計算からです。農業を一人ですると、1回の出荷で8軒ほどしか送ることができません。1回に10軒送るのはちょっと肉体的にきついです。8軒とすると、月、水、金と週に3回送るとすると、1週間に24パック送る計算になります。月間では24×4週=96パック。つまり、月間で約100パック送れる計算になります。ワンパックの平均価格が送料込みで3200円とすると、3200円の中での自分の取り分は、送料とケース代合わせて800円(顧客負担だが立替払い)を引くと2400円。そのうち、野菜を作るための種代等の経費が3分の1かかる(少なく見積もって)とすると800円。2400円-800円=1600円。つまり、自分の正味取り分は1600円×100パック=16万円。3月、4月は野菜が最も少ない時期だから送れないとすると、年間10ヶ月の発送で、16万円×10ヶ月=160万円にしかならない。でもこの計算は、顧客が安定していて、1週間に24~25パックを安定的に送れるという仮定のもとでの計算です。160万円×8掛け=128万円。つまりワンパック宅配では、どんなにがんばってみたところで120~130万の世界なのです。この数字を頭に叩き込んでおいて欲しいのです。だからワンパック宅配では食べていけないのです。だからワンパック宅配を始めた人が、この農業形態からの脱出を試みるのです。「言い事は米櫃(とびつ)から」という言葉を昔の農家の人はよく使いましたが、言い争いは収入が少なくなった時に生じます。


 我が家の収入はあべこべです。ボクがパート収入、マルミさんが世帯主収入(たいした金額ではありませんが)といったところです。農業形態の変更ができなかったのは、この点に「甘えの構造」があったのかも知れません。マルミさんが定職を持っていなかったら、農業界からとっくに「淘汰」されていたはずです。


 ボクは野菜をそんなに安く売っているわけではありません。つい最近送ったワンパック3200円から送料800円を差し引いた2400円の内訳は、ピーマン350g(200円)、里芋1キロ(400円)、トウ立ちしたレタス2個(250円)、イタリアンパセリ100グラムとユズ2個(150円)、ニンジン1キロ(250円)、ネギ1株(100円)、シュンギク2株(200円)、サツマイモ普通種1キロ(300円)、サツマイモ紫種1キロ(300円)、ホウレンソウ450g(250円)、他にサービス品として小粒ジャガイモ少々とハーブティ用ハーブ2種類。以上の合計で2400円。


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大阪営業

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  ワンパック宅配の場合、野菜を作ることと同じくらい、野菜を売ることが難しい。業務用の場合は職業別電話帳などから、電話をかけまくることもできるが、野菜の個人客の場合、営業方法がなかなか思いつかない。口コミで紹介してもらえるのが一番ありがたいが、口コミで紹介してくれるような顧客に出会うことはそれほど多くない。次に紹介する方法は「労多くして功少なし」であるが、ボクは1度だけ、大阪へ営業に出かけた。もう11年ほど前のことである。


大阪営業(1996年1月)


 1月下旬、大阪へ1泊2日の営業の旅に出た。めざすところは、東大阪市の布施である。布施を選んだのは、学校を出て最初に就職した会社がここにあり、比較的、地理に明るいという理由による。長船発7時52分の赤穂線に乗り、播州赤穂着8時40分、赤穂で新快速に乗り換え、相生着9時5分、姫路着9時25分、明石着9時52分、大阪着10時29分、2時間半で大阪に着く。外まわり環状線に乗り、鶴橋で降り、そこから近鉄線に乗り換えると今里の次が布施である。17年ぶりにまた布施駅前に立った。なつかしさがいっぱいになって、商店街をずんずん歩いていった。映画館、パチンコ店、喫茶店、寿司店・・・17年前とあまり変わらない布施がそこにあった。もう変わってしまっているかも知れないと思ったのに、当時とあんまり変わっていないことに、ついついうれしくなって、きょろきょろしながら歩いた。歩いて歩いて千日前線の新深江から今里の方まで歩き続けた。商店街が3キロ以上、どこまでもどこまでも続いている。

 東大阪市は、中小企業や個人商店の多い、労働者の街である。煙突から出る煙で、いつもくすんだような空がたれこめている。布施は近鉄奈良線と近鉄大阪線が合流する東大阪市随一の都市である。布施で営業パンフレットを、ポスティング方式(無差別にポストに入れていく方法)で、700枚ほど配って歩く計画だったが、懐かしくなって、昼食を食べるのも忘れて歩き回ったために、左足が引きつってきた。左肩にパンフレットを入れたショルダーバッグをかけていて、それがかなり重たかったため、足にこたえたようである。ちょっと休まないとこれ以上歩けなくなって、昼を食べに中華店に入った。すでに1時が近くなっていた。その後、当時住んでいたアパートを訪ねた。アパートは永和駅前にあった。ボクが住んでいた当時はオンボロのアパートだったのに、近代的なマンションに建て変わっていた。近くの人に尋ねると、7~8年ほど前、そのアパートは焼失し、その後、現在のマンションが建てられたらしい。さすがに古かったので、昔のままで残っているとは思わなかったが・・・。すぐそばに、行きつけの喫茶店があり、入った。17年前のマスターが、まだそこにいた。内装は変わっていたが、マスターの顔は昔とほとんど変わっていないように思えた。ボクのことなんか全く気づかなかったが、17年ほど前にそのアパートに住んでいて、コーヒーを飲みによく来ていたと話すと、かすかに思い出してくれたようだった。もう30年近くここで営業していると聞き、はやりすたりの激しいと思える喫茶店経営が、こんなに長く続けられているのは、マスターの人徳と思えた。出がけに、営業パンフレットを50部、置かせてもらった。

 時間はもう3時近くなり、それまでにポスト投函はまだ100枚にもなっていなかったので、いつまでも感傷にひたっていてはいけないと思い、投函を急ぐことにした。かたっぱしからポストに入れていったが、その日は全部で200枚も配れなかった。パンフレットを入れたショルダーバックを肩にかけ、6キロ以上歩いたので、しまいには左足と胴体のつけねが痛くなり、左足を引きずるようにして、宿泊予定の布施駅前のホテルに向かった。ホテルで夕食をとる気はなかったので、布施駅の近鉄百貨店で、ばら寿司とパンと、マクドナルドのチーズバーガーを買って、ホテルにチェックインした。ホテルマンが、ばら寿司とパンとチーズバーガーの入ったそれぞれの小袋を一瞬、じろっと見た。部屋に入ってから、普通はホテルで夕食を取るものかなと思ったが、高い気がして、ホテルで夕食をとる気にはなれなかった。

 ちょっと、うとうとしてから、ネオン輝く夜の布施に出た。布施は、昼間は比較的モダンな顔を見せるが、夜の闇が降りると、あまり、がらのよくない喧騒の街に変わる。今日も一杯ひっかけて帰ろうと、労働者が夜の街に繰り出してくる。一歩裏通りに入ると、客引きの男女が黄色い声を出し、労働者の稼ぎの一部をせしめようと、てぐすねを引く。夜の闇に毒を吐いてきたら、また明日も元気に働ける・・・そんな労働者を包み込んでくれるような布施の夜。

 翌朝はホテルの朝食を取った。昨日の左足が一段と痛く、もう営業には歩けないと思ったが、以前勤めていた会社をどうしても見たかったので、痛い方の足を引きずってポスティングしながら、会社のある渋川町まで3キロほど歩いた。2年前に倒産したことは、昔の同僚から聞いていた。看板は傾き、自転車は横転して、枯れ草は伸び放題で、無造作に散らばったパレットや容器類をみて、そこに23才から2年間勤めた自分を探して、しばらくの間、門の前で時間をタイムスリップした。

 帰りはもうどうにも歩けなくなって、近くの停留所から、布施駅前行きの近鉄バスに乗った。持ってきたパンフレット700枚のうち、まだ400枚以上残っていたが、もう営業する気になれなかった。大阪在住の昔の同僚に電話して、布施駅前で待ち合わせ、営業パンフレット200枚を渡し、美容院(ボクが勤めていたのは化粧品メーカーで、彼はそこが倒産するまで、ずっと営業の第一線にいた。倒産後、他の化粧品メーカーに移り、引き続き営業畑を歩いて、美容院をまわっている)に置いてもらえるよう頼んだ。予定を2時間早めて布施を後にした。昔住んでいたアパートと、往来した商店街と、勤めていた会社を見て、自分探しの旅にもなった。あのころと、ちっとも変わることのできない自分が、17年を飛び越えて、同じ布施にいた。

 外部から隔絶された高層ホテルの一室で、ぼんやり窓の外の風景を見ながら、たまには、自分の心身をこんな大都会の空間に置いてみようと思った。

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倉敷のMさんを訪問

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 今日は倉敷のMさんを訪問した。2日連続の外出である。ちょっと疲れているんだと思う。無性に同じ農業仲間を訪問したくなった。この土日は天気予報で雨だったので、数日前に電話を入れておいた。雨で、家の中でぼう~っとしたり、パソコンをするのだけは避けようと思った。たまには日常から脱出した行動をしないと、心身が退化してしまう。1年に1回訪問するだけだが、いつもMさんからはパワーをもらえる。
 Mさんは、稲作を10ヘクタールとニワトリを300羽~400羽ほど飼っている。そのかたわら、もう10年間も「倉敷オンブズマンの会長」をしている。オンブズマンを10年も続けているという行動力には、本当に頭が下がる。新しい人が誰も加わって応援してくれないし、Mさん以外の8人は60才を越えていて、誰からも圧力のかからない立場の人らしい。サラリーマンだとオンブズマンにはなってもらえないという。
 ニワトリはあまり収入にはならないし、稲作も10ヘクタール作って、大卒の初任給ほどにしかならないと言われる。稲作を全然知らない人にとっては「10ヘクタール」という規模がどれくらいの規模かちょっと想像ができないかもしれませんが、生産者米価の値下がりで、稲作農家は壊滅的な打撃を受けていると思う。でもMさんは続けるだろう。誰もしなくなった地域の田んぼを一手に引き受けて稲作をしている。地域の人がタマゴを買いに来てくれるし、タマゴがあまった時には地域の人に無料であげると言われる。そして、家庭菜園をしている人で鶏糞が欲しいと言われる人にはいくらでも無料であげている。そうしたら農繁期などに地域の人が手伝いに来てくれるらしい。そんなよい関係が地域の人との間でできあがっている。これはMさんの人格のなせるわざである。稲作をしている人の誰もがMさんと同じようにできるわけではない。むしろ例外であろう。そして、秋のお月見や、年末の餅つきに地域の人を招待するらしい。人がなかなかできないことをしている。


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 Mさんも器用な人である。このログハウスはMさんの手作りである。以前、デザイン関係の仕事をされていたらしいが、ログハウスの隣の資材置き場のトタン板にも何やらペンキの絵がある。右の画像のログハウスの入り口には、「唯農塾」という看板がある。唯農という意味を今までに何回か聞いたことがあるのに思い出せない。ログハウスの斜め前が鶏舎である。これもMさんの手作りである。1列目の真ん中の画像にも、溶接して作ったと言われるニワトリやらロバなどの動物が、ニワトリのフェンスの上に置かれている。遊び心いっぱいの人である。乗用トラクタやコンバイン等を収納する倉庫も自分で作っているし、コンバイン等の簡単な修理ならできると言われる。世の中には才能豊かな人もいるものである。これらのことが全く不得意でも、ボクは自分を卑下したりしない。得意不得意は人それぞれの「個性」だと思うからである。いくら才能豊かでも、その才能はその人にだけ役立つものであり、他人に役立つことは全くない。だから他人の才能をうらやんだり、嫉妬してみたりしたところで、時間の無駄である。それよりもオンリーワンだけをめざした方がよいし、「一念自身をみるにしかず」という言葉を実践した方がよいのである。ボクはMさんをとても尊敬し、話を聞かせてもらい、いつも限りないパワーをもらっているが、それはMさんが「倉敷オンブズマン」の会長として絶えず戦い続けているからである。だから1年に1回はMさんに会いたいと思う。気分の沈んでいる時は特に・・・。毎日8時過ぎに寝て午前2時過ぎに起きて、早朝の3時間ほど、オンブズマン関係の書類を読んだり書き物をするという壮絶な生き様である。
 Mさんもあまり「金儲け」が得意ではない。それよりも「金儲け」にあまりこだわっていない。前職の方がはるかに収入はよいだろうが、それをあっさりとふって農業に転身している。農業に転身した年齢も農業キャリアも自分と全く同じである。今は廃刊になったが「百姓天国」という雑誌で知った。Mさんも長らく「松島遊楽園だより」というミニコミを出していた。始めて訪問した時はまだ、このログハウスは基礎の丸太が2~3本並べられていただけだった。

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 左の画面の前方に見えるのは川崎医療福祉大である。倉敷市街地に近いが、鶏舎の前方には、真ん中の画像のように田んぼが広がっている。右の画像はMさんの家庭菜園である。


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 左は乗用トラクタ、真ん中はコンバインと乾燥が終わったモミを保存する収納庫。収納庫はMさんが作ったらしい。見上げるような構築物である。出荷まじかの米袋。こんなにがんばっても大卒の初任給ほどにもならないとしたら、あなたはこの国の農業をどう思われますか。

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八塔寺のNさんの田んぼ

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 今日は、お隣の備前市、吉永町、八塔寺のNさんの家に遊びに行った。我が家から33キロある。Nさんは大阪出身で、26才の時、脱サラ農業を志し、以前は大阪の能勢町で通い農業をしていたが、33才の時、この地を購入して入植した。この地は当時すでに廃村になっていた。Nさんを始めて知ったのはボクがまだ農業をスタートする前、どんな農業形態がいいだろうかと、いろいろ試行錯誤しながら、休日には図書館へ通って、農業関係の本を借りてきて読んでいたが、その時に「百姓になるための手引き」という本にNさんが載っていた。近々岡山に入植予定と書かれていたので、さっそく訪ねて行った。農業を始める1年半ほど前の夏のことである。廃村になった村というだけあって、行けども行けども人家の気配がなく、もう引き返そうかと思ったちょうどその時、夏草でむせかえるような密林の向こうの木々の谷間に見え隠れしている、かすかな藁屋根を見つけた。そうしてもう少し車を進めてちょっと開けた場所に来た時に見えた風景は、自分が子供の頃に目にした「農の原風景」そのままだった。大都会からこんなひなびた寒村に農業をするために来ているということに感動を覚えた。
 自分も農業を始めて、時々訪ねるようになった。上の画像はそのNさんの家に行く道すがらにある、有名な「八塔寺川ダム」と、ダムの管理棟である。ボクはいつもここで、コンビニで買った缶コーヒーとアンパンを食べながら、しばしの間、詩人になったような気分で八塔寺ダム河畔の風景を楽しむ。



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 Nさんの家に行くには、この八塔寺川ダムを越えてからしばらく行った後、幹線道路から山道に入るのであるが、その山道の風景がまたすばらしいので画像アップした。片側が絶壁のつづら折りの山道に注意しながら運転をする。今は舗装されたが、長らくでこぼこ道だった。その時は、よくこんな道を片道5キロも行き来するもんだと思った。子供を送り迎えしていた奥さんにも感心した。家に着くまでには池を二つ越える必要があった。  


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 当時の藁屋根が18年経過した今も静かにたたずんでいる。でもすでに雨漏りがしているので、屋根のてっぺんに波トタンを置いて雨よけをしている。現在Nさんはこの藁屋根を資材置き場に使っている。「八塔寺ふるさと村」は黒澤監督映画「黒い雨」のロケ地になってことでも有名であるが、ロケ地に選ばれた理由は、当時のままの「藁屋根」が八塔寺ふるさと村のシンボルだからである。
 真ん中の画像はNさんの家の全景である。ちょっと背の高い建物は葉タバコの乾燥庫である。この一帯でもその昔「葉タバコ」が栽培されていた様子がこの乾燥庫でわかる。今Nさんはタマゴ置き場にしている。右の画像は家の前の田んぼである。育苗ハウスの後ろに藁屋根の一部が見える。
  


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 鶏舎の前の果樹園に時々放して遊ばせてあげている。牧歌的な風景である。こんな風景を見ると気持ちがなごむ。

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 Nさん手作りの鶏舎棟とハウスである。ほとんど誰の手も借りず、奥さんと二人でこの鶏舎棟とハウスを立てた。すごい。Nさんは根っからの「大阪シティーボーイ」なのに、なんでこんなことまでできるんだろう。自分と同じ年であるが、自分よりスタートが10年早い。鶏舎やハウスを取り囲んでいる山々の紅葉がとてもきれい。そういえば、いつもこの時期に遊びに来ている。3キロ四方に民家はなく、山の中の1軒家である。



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 鶏舎の前の、ピーマンを植えている田んぼ。数週間前の初霜(うちより大分寒い)でピーマンは枯れている。真ん中の画像はいつも飛び掛って出迎えてくれる、人懐っこいワンちゃん。でも今日はよそ行きのセーターなので、あまり歓迎してくれなくてよい。右の画像はこれも人懐っこいニャンコ2匹。栄養が満ち足りているのかデブ猫。
 タマゴも野菜もポラン(ビオマーケット)という無農薬野菜を扱う流通業者に出荷している。ニワトリも野菜もその技術力のすごさと規模の大きさの真似ができない。なんでこんなにできるのだろう。でも作文では負けないからよい。オンリーワンの農業をめざそう。
 
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土の上のアイデンティティ

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 月、水、金と出荷している。ワンパック宅配をしている人は、週に3回の出荷が多いようである。週に2回というのは、1回の出荷軒数が多くなるので、1人では難しいと思う。それと夏場には少なくとも1日おきに収穫しないと、キュウリやオクラなどが大きくなり過ぎる。
 今日は出荷だった。曇天だったので朝食をすませて7時半頃に田んぼに出た。よく晴れていたら、7時には田んぼに出るつもりだった。


 田んぼは1箇所にかたまってあるので、収穫時に軽四で移動をしなくてもよいというのはとても便利である。収穫時に移動を伴うなら、全ての野菜を「朝取り」というのは難しい。そして、農作業時にも移動をしなくてもいいので助かる。


 前日の晩に業務用の顧客の注文を書いた紙を合計して、イタリアンパセリ8単位、ロケット6単位、スペアミント4単位というふうに収穫品目と収穫単位数を書いておく。 紙に書くのはほとんど時間はかからない。たとえば、当日の個人客が3軒なら、ニンジン3単位、サトイモ3単位、ネギ3単位、シュンギク3単位というふうに書くが、収穫の時もそれが頭に入っているので、きちんとその単位数を収穫でき、収穫が少なかったり、多かったりのロスは慣れると少なくなる。多ければ食べ量にまわす。外観があまりに悪ければニワトリ行きとなる。サービス品として入れる分は、別途収穫する場合も多い。個人客のワンパックの内容は同一である。家族構成の多い少ないで野菜の品目や量を変えるのは煩雑すぎる。しかし、月に1回、月に2回というのは随時に選択してもらっている。業務用のハーブも当日の必要単位数を頭に入れて収穫するが、ハーブは余ると使い道がないので、全てサービス品として入れる。でもそんなに多かったり少なかったりの収穫の不手際は少ない。


 葉物はできるだけ早い時間帯で収穫した方がいいので、たいてい小走りになる。画像の黄色のコンテナに1品目もしくは2品目を収穫するとすぐに、物置と竹やぶとの間の日陰に置いておく。野菜とハーブで少なくとも15品目は収穫するので、1品目に10分かかったとしても150分=2時間半。ハーブは秋冬作でも「摘み取り系」が多いので、作る時間はかからないが、収穫の時に時間がかかる。野菜でも、サトイモやネギに時間がかかる。その後、画像のように軽四の上で品目別に仕分けをする。目方を量らずに1束いくらというのもあるし、ハーブは軽すぎて量り辛いものは目分量で仕分けをする。その日の出荷軒数にもよるが、1時間では終わらないことが多い。収穫と仕分けで合計3時間半。その後、散らかった新聞紙を片付けて、ニワトリにエサをやると午前中は終わり。本当は早起き鳥のニワさんに、朝一番にエサをあげる方がいいが、出荷の日はこの5分がまわせない。昼飯を食べた後、ブログランキングで順位を確認したり、「富士丸な日々」や「生まれる前から不眠症」「同業者のブログ」等を見ながら、納品書を書いたり送り状を書いたり振込用紙を書いたりする。これに約1時間はかかる。箱詰めの前に在庫のサツマイモの目方を量る。在庫品の仕分けは案外時間がかかる。ヤーコンの仕分けが加わると、サツマイモ以上に手間がかかってしまう。箱詰めは1時間では終わらない。特に業務用は内容物は異なるので、納品書と現物の不一致だけはしないように集中してする。品目と品目単位数を入れ間違うと、他の顧客の分が足らなくなる。クロネコの営業所の往復で22~23分かかる。昼からの作業に最短でも2時間半はかかる。たいてい3時間ほどかかる。最近は5時を回ると薄暗くなるので、出荷の後は田んぼには行けなかった。


 出荷に時間がかかり過ぎと思うが、これ以上短縮はできない。農作業ができるのは月、水、金以外の週4日間であるが、平均すると月に4~6回(週に1回)は雨の日や雨後で農作業ができないことがあるので、実質、週に3日間しか農作業ができない。もちろん農休日などは計算に入れていない。農業者は冬場の農閑期以外は1日丸々は休めないものである。 


 週に3日間の農作業で30~35アールほどの作付を切り回すのだから、結構ハードである。昇給もないしボーナスもないし、野菜やハーブの単価は一度設定するとなかなか上げれないものだし、病害虫にやられて全滅という事態も作物によってはありうる。有機野菜のワンパックは割りの合わない商売だと思う。


 すでに、田舎の現役世代は誰も農業をしなくなった。今、現役世代で農業を始めるのは「農業の原風景を持たない都会の人」なのである。「岡山ニューファーマーズ」等の支援制度の援助を受けて農業を始めた都会の人を何人か知っているが、続いている人は、自分からみて「いろんな面でかなり能力の高い人」である。もちろん「岡山ニューファーマーズ」の厳しい選抜の目を潜り抜けてきた人たちだから、初対面で話したり、田んぼを見せてもらっても、とにかく、やってのけれる人なのである。農業以外の仕事に従事しても必ず頭角を現すだろうと思えるような人が「岡山ニューファーマーズ」には多い。誰でもがこんな選び抜かれた人と同じようにできるわけではない。大多数の凡人には「農業への転身」はあまりに厳しすぎるのではなかろうか。「定年帰農」は「現役帰農」とは全く違う。定年帰農は趣味の世界であり現役帰農はビジネスの世界である。自給自足的な農業というのもありえない。今は大都会でも過疎地でも、ライフラインや各種社会保険料の負担は、全国津々浦々同一のシステム下にある。諸物価は田舎の方が高いので、生活費自体、田舎の方が高くつく。農業がいいと思うのは農業を全く知らない人や農業をやったことがない人だけ。「無知の涙」を流さないことを願う。農作物をカネにする必要のない「定年帰農」の場合でも、(1)風光明媚な田舎のほとんどの地域でイノシシやシカ、場所によってはサルが出没して、農作物を作るには囲いが必要であること。(2)田舎の人間関係は複雑で、何世代も前からそこに住んでいる「土着民」なので、人間関係が一度壊れると修復が難しい。(3)集落の出仕事や冠婚葬祭の付き合いが多い。崩壊しかかった過疎地の集落ならよいが、まだ集落が機能している地域ならこれらの付き合いから免れない。(4)産業廃棄物処理場等は過疎地へ過疎地へと回されるので、実際の所は住んでみないと環境がいいか悪いかわからない。水や空気が自分に合うかどうかも定かではない。買うと動けなくなるので、借地借家でスタートした方がいいと思う。田舎では今、放棄田や空き家が加速度的に増えている。
 
自分のアイデンティティの崩壊をぎりぎりの所で止めてくれた農業だから、あなたにも農業を勧めたい。でも「自給自足」という経済システムがすでに40年も前に壊れているので、田舎に居場所を求めても、生活をどうしていくかという問題に現役世代の人は必ず直面する。農業を稼ぐ手段にするのはあまりに厳しすぎる。人間の魂は「宗教に帰依した時」ではなく「土に帰依した時」に安らぎを得ると思うが、99%の人間はすでに99%のニワトリと同じように、土の上に自分のアイデンティティを形成することが許されなくなっている。


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麦蒔き予定地の耕運

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 左の画像はオクラを鋸で切り倒し、その足元にエンドウを蒔いている画像です。蒔いた後、雨にたたかれないようにするためと、寒さ避けに焼きすくも(クン炭)を降っておきます。まだ発芽していません。オクラは株間50センチで、1箇所3~4本仕立てにしています。画像は4本仕立てです。オクラは密植が可能です。エンドウには肥料は与えず、3月上旬にキュウリネットの支柱をしたら終わりです。オクラの畝に1列15メートル→スナップエンドウ。ツルムラサキの畝に1列15メートル→エンドウ。ナスビの畝に1列15メートル→グリンピース。畝幅はどれも150センチですが、例えばオクラの畝を2列使うと、繁った時に、畝と畝の間に入れなくなるので、多少不便でも、列を変えています。
 真ん中の画像は冬越しのレタスの育苗床です。ここは畦ぎわで、インゲンが植わっていた場所ですが、その後をちょっとクワとヨツメでならしてから、3種類のレタスを蒔きました。これも蒔いた後、雨にたたかれるのを防ぐためと寒さ避けにクン炭を降っておきます。鳥類につつかれたくないので、青い支柱を「おどし」にしています。
 右の画像はロケットです。ハクサイやダイコンと同じ田んぼですが、ほとんどダイコンサルハムシにやられていません。2株で400gほどに成ったら出荷を始めています。水曜日から出しています。定植後1ヶ月ほどで出荷できる大きさになります。


 今日は左から2番目の箱に10個産んでいた。他の3つの箱には全く産んでいなかった。これは順番にニワトリがその箱に入っていったのではなく、1羽が産んでいる最中に、無理やり同じ巣箱に入っていく。両隣の巣箱は空いているのだから、そちらで産めばよいのに、同じ巣箱へ入るから、押し合いへしあいするようになる。2羽も入ると狭いのに・・・。
 オンドリがやさしいと何度も書いているが、これはヒヨコ時代にボクがよく触るようにしたからである。つまりスキンシップが大事と思い、エサをやりに入った時、5~6秒、2羽のオンドリに触れるようにしていた。そうしたら大きくなってからも、全く攻撃的な姿勢をボクに対して見せない。もちろんボクも、ニワトリの目の高さと同じ所で、自分の足がニワトリに向かっていくような形になることは極力さけている。やはり油断すると「闘鶏」の本能が出てくると思う。オンドリどうしは決闘があり、勝ち負けがついており、1羽の方が常に遠慮するか逃げている。
 今日、田んぼのあいている箇所を耕運した。3アールほど、敷き藁用とニワトリのエサ用に麦を蒔く予定である。ニワトリの「草刈場」として、2アールほど耕運しないで残した。例年なら、ハクサイやキャベツの外葉、ダイコンやカブの葉が出荷のつど大量に出るので、「草刈場」など残しておく必要はないが、今年のアブラナ科野菜は出来が悪い。ニワトリには特に青菜(繊維質のもの)が大切である。本当は素性のわからない「購入エサ」はやりたくないが、購入エサもある程度やらないとタマゴを産んでくれないので、与えている。つまり青菜は素性のわからない購入エサの「解毒作用」として大量に与えている。食べたエサが翌日にはウンコとタマゴで表現される。循環してタマゴを通して自分の胃袋に入ってくるので、エサには特に注意が肝心である。どんなエサでも与えていると、たった2日間ほどのサイクルで自分にとばっちりが来る。
 
春一番の農作業は、自分の場合は「春ジャガイモ」の植え付けであり、それは3月15日~3月17日頃である。春ジャガイモの植え付け予定地を春になってから決めるのは遅すぎる。今頃の時期に春ジャガイモの予定地だけは決めて、そこには麦を蒔かないようにする。

 ボクの画像ではよく「黒マルチ」が出てきます。黒マルチは農業現場から出る多大な産業廃棄物ですが、これに対する規制はまだないようです。有機認証でも「黒マルチの使用」は何ら問われないようです。しかし、農薬や化学肥料が直接的に農産物を汚染するものなら、黒マルチは間接的に環境を汚染するものです。
  ボクは毎年産業廃棄物処理業者に有料で引き取ってもらっています。毎年「70キロ」ほどの廃棄黒マルチが出て、3500円(キロ50円)ほど支払っています。土に戻るマルチを使ったこともありますが、それは通常のマルチの4倍の価格であり、1回で止めました。スタートして3年間ほどは「黒マルチ」ではなく「敷き藁」だったのですが、一度黒マルチを利用すると、その魔力に勝てなくなりました。農の現場ではこの黒マルチの他に、ハウスに利用する塩化ビニール、霜よけや保温のための各種被覆資材が産業廃棄物になります。黒マルチは通常1年、ハウスの塩化ビニールは通常1~3年で新しい物と交換されます。かなりの回転です。
 スーパーの買い物で入れるポリ袋が環境問題でよく取り上げられていますが、農の現場のこれらの資材が取り上げられることはあまりありません。農の現場がどうなっているか、ほとんど誰もが無関心のようです。


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作物の力はすごい

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 左からハクサイ、キャベツ、ダイコンの現在の状況である。どれも虫に食われてぼろぼろである。ハクサイとダイコンは、ダイコンサルハムシという害虫の仕業であり、キャベツはヨトウムシかアオムシの仕業である。ダイコンサルハムシが最も好むカブは、蒔き直した2回目もやられて、完全に壊滅した。  

 ぼろぼろになっているハクサイであるが、それでも必死に巻こうとしている。多分巻くはずである。キャベツもぼろぼろになっているが、これも巻きは小さくても出荷できるくらいに巻くはずである。ダイコンは1回目の間引きはしたが、2回目の間引きはできなかった。間引きをするとなくなってしまうような気がした。まだ出荷できるかどうかは微妙な状態である。出荷できたとしても、かなり小さいダイコンである。
 ダイコンサルハムシという害虫は、カブ、ダイコン、ハクサイほどにはキャベツを好まない。でも、それらがなければキャベツにやってくる。キャベツにはダイコンサルハムシよりアオムシやヨトウムシの方が難敵である。
 ホウレンソウやシュンギクには全く虫がつかないのに、この違いはいったいなんだろう。
 ダイコンサルハムシは「アブラナ科」という野菜や雑草の「エサ」がなければ生きていけないので、他の野菜や人間に害を与えるものではありません。野菜に紛れ込んでワンパックに入っていても、嫌がったり、驚いたりしないで下さい。これはある意味、自然なことですから。
 同じアブラナ科でも、ロケットをダイコンサルハムシがあまり好まないので、これは大いに助かっている。自分にとっては秋冬作の稼ぎ頭の作物だから。カブの壊滅、ダイコンの危機的状況に遭遇しても、このロケットが、気分の落ち込みを最小限にとどめれくれている。支えてくれるのは2000本のロケット。生食よし、おひたしよし、炒め物よしの料理のレパートリーの広さに加えて、耐寒性もホウレンソウ並。成長スピードもコマツナ並。取ろうと思えば種取りも簡単。家庭菜園ならこぼれ種からでもたくさん芽生える。春先の花もきれいで食べることができる。サラダに散らすとゴマ風味がとてもさわやか。3月上旬に花壇やプランターに植え替えて観賞用としても利用できる。種取りは6月上旬(梅雨入り前)。絶賛のハーブ野菜である。


 45年ほど前、ボクがまだ子供だった頃には、どこの家でも、軒先のような場所にニワトリを10~20羽ほど飼っていた。そのニワトリが突然のごとく姿を消したのは、昭和30年代の末頃から、昭和40年代初め頃の、たった2~3年の間のことだった。ニワトリと時を同じくして、牛や豚も姿を消していった。その頃、我が家では「葉タバコ」を作るのを止めた。そして地域からも葉タバコを作っている風景が消えていった。その頃から、動物を飼ったり、農業をすること自体が全く割りに合わなくなったのだろう。でも地域のほとんどの家で家庭菜園だけは続けられている。自分で作った野菜を食べるという楽しみと、半ば習慣的なもの、それと定年になるとすることがなくなるので、余計に家庭菜園にいそしむ時間が長くなるようである。買った方がはるかに安くついても、田舎の人は自家菜園で作るのである。それなら、またニワトリを10~20羽ほど飼ってもよさそうに思うが、定年になっても、ニワトリを飼い始める人はいない。犬を飼うより手間は取られないと思うが・・・。鳥インフルエンザの問題も大きく影響しているかもしれない。その他に、口のある生き物はちょっと負担に感じるのかも知れない。鶏糞が臭いという先入観もあるのかも知れない。鶏糞が臭いのはエサによるのであり、ボクのように「主に菜食主義」のニワトリに育てると、鶏糞はそれほど臭わない。一昔前は、ニワトリのタマゴが結構いいカネになっていたので、タマゴをばんばん産ますために、購入した濃厚飼料をたくさん与えていた。濃厚飼料は、魚粉、ダイズかす、トウモロコシクズのような動物性タンパクや植物性タンパクが多く入っていて、それがタマゴをよく産む原因だった。でもニワトリに動物性タンパクをたくさん与えると糞が臭い(肥料効果も高いが)。一昔前は、戦前に子供をたくさん産んだように、ニワトリに対しても、産めよ増やせよの時代だった。だから、ニワトリの身体に負担になるくらいまで産まそうとした。でもそんなに欲張らずに3分の1くらい産んでくれたらいいという気持ちになれば、ニワトリは雑草や野菜クズ中心の放任飼育でも、食べ量くらいは産んでくれる。買ったエサは3割くらいにして、後は、家から出る食事の食べ残り、稲作をしているなら、もみすり後のコゴメ、精米後のヌカ、家庭菜園から出る野菜くず、雑草で飼育できる。稲作をしていないなら、誰かにコゴメを売って頂くのもよい。10~15羽くらいなら、購入エサは月に1袋(1300円ほど)もあれば足りる。ボクは32羽で3~4週間に1度くらいのペースで買っている。
 タマゴを2週間に1度ワンパック購入するとしても、ワンパックが200円とすると、月間で400円ほどですむので、飼うとやはりその3倍くらいの値段がかかってしまうが、でも自分で育てたニワトリのタマゴは格別の味がする。今定年を迎えようとしている人は、ニワトリは日常茶飯の空気見たいな存在として身近にいたと思うので、飼おうという気持ちにさえなればすぐにでも飼えると思うが・・・。いくら定年になったからといっても、やはりトリ小屋の問題もあったり、生き物だから野菜のようには放っておけないという意識になるかもしれない。その点野菜は、2~3日の外泊も問題ないし、かなり高くついても、作る楽しみや食べる楽しみの方が大きいのだろう。でも稲作を始める人はいない。一昨年まで、裏作に麦を作ると奨励金が支払われていたらしいが、それがなくなって、麦もほとんど見かけなくなった。稲作は機械のことを算用に入れると、持ち出しの方がはるかに多いので、誰も稲作は始めない。次第細りの状態である。70才以上の年齢の人には、「先祖代々受け継いだ土地を荒らしたくない」という気持ちが強いようだが、それより若い年齢の人はすでに「背に腹はかえられない」という意識になっている。


 ニワトリは、昭和30年代末までの20~30羽養鶏が、40年後には10万~100万羽養鶏に飼育方法が変化した。

 野菜は、出荷する農家が毎年減り続け、大規模に展開もしくはハウスで集約栽培、あるいは専門作物に特化されて、小さな個人農や、それほど技術力を蓄積できなかった中規模農家は農業自体からリタイアをしている。つまり、出荷農家と家庭菜園というふうに二極化されてきた。出荷農家は、技術力、営業力、資本力の三拍子そろった人だけが、輸入野菜との競争に生き残るが、これからも数的には減り続けるだろう。最終的には大規模養鶏と同じように、ある段階で法人化されて、手厚く補助されるようになるだろう。有機農家のワンパックなど「もぐらたたき」のようなものである。資本主義精神という大儀にたたきのめされて、挫折するワンパック農家が次々に出ても、雨後のタケノコのようにやりたい人もたくさん出てくるだろう。でも市場に出回る野菜の大勢には、ほとんど何の影響も与えない。市場からは無視された存在である。インターネット等を通じて、闇のルート(直販)で取引は活発化するが、市場価格の2倍の価格で売り抜く「貴族野菜」でなければ、いずれ資本主義精神に蹴散らされてしまうだろう。ワンパック野菜は市場価格と争うような野菜にしてはだめなのである。作り方が全然違うのだから。でもどうやったらいいのか自分にはわからない。

 稲作は10年後がどうなっているか、自分には見当がつかない。生産者価格が1俵(60キロ)12000円ほどでは、あまりに安すぎる。

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タマネギの定植

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 昨日はお墓の「花くらべ」だったらしい。昨日、今日とお墓に来られる人が多い。ボクはお墓のすぐ下の田んぼで農作業をしているのに、めったにお墓に上がらないが、今日は夕方ちょっと上がって見た。どのお墓にもいっぱい菊の花が飾られている。よく見たら、花がないのは、我が家の墓くらいだった。でも飾る花がない。我が家にも庭先に手入れの行き届かない花壇があることはあるが、カンナとかフヨウとかセイジなど、あまり切花には向かない花が植わっている。家にお年寄りがいる家では、わざわざこの時期のために「花くらべ」用の花を作っている。自分も野菜の隣にちょっと植えておけばよいのだが、その一手間がかけれない。明日は誰かに花をもらってきて花を供えよう。別に形式にはこだわらないが、ほとんどの墓に花が飾られているのに我が家だけ飾っていないというのもどうも・・・。それに、お墓のすぐ下にいるのにお墓に上がっていないと思われるのもちょっと・・・。


 今日は12日の続きでタマネギを定植した。ここ5年ほど1500本ほどしか定植していない。今は個人の野菜会員が減っているので、これだけ定植すれば十分である。以前は少なくともこの2倍の3000本を定植していた。タマネギの定植本数は簡単に数えることができる。ボクは6条植えなので、何列植えたか数えれば、ものの1~2分で定植本数が計算できる。タマネギの定植本数くらいは暗記しておいた方がよい。いくら定植してよいかわからなかったら、逆算してもすぐに定植本数がだせる。つまり、5個で1キロ(1個が200g)とすると、通常ワンパックに入れるのは1キロだから、自分の場合は1ヶ月20キロで足りる。毎年収穫期に病気がきていて、9月末頃までしか保存できないので、その頃までに出荷してしまう。5~9月で5ヶ月間の出荷だが、5月は野菜が少ないので、早生品種を葉つきで×2倍出すので、正味6ヶ月と計算すると120キロ必要になる。1キロが5個とすると、120キロ×5個=600個あれば計算上は足りる。1000本(個)植えて7割ほど収穫できたとすると700個である。だから計算上は1000本(個)植えれば足りる。でも食べ量もいるし、業務用の注文も少しはあるし、3袋(早生1袋、中晩生2袋)蒔けばかなりの苗が取れるので、1500本ほど定植している。しかし早くも苗の時に病気がきている。画像を見ていただければわかると思う。


 タマネギはここ10年以上にわたって、苗の時から病気が発生している。苗の時にたまたま病気をまぬがれても、収穫期には必ず病気が発生している。収穫期に病気が発生していなかったら、タマネギは12月末、もしくは年明けくらいまで長期保存が可能な作物であるが、収穫期に病気が発生していると、8月のお盆明け頃から腐れが多発してくる。
 慣行農法のタマネギ農家と比較して、有機農法のワンパックでは、トリプルロスがかかってくる。この点を考えだすと、タマネギをたくさん定植することがばかばかしくなる。


(1)有機農法では収穫期に病気が発生していることが多く、長期保存できない。


(2)慣行農法の多くは、切り球で一括出荷できるが、ワンパック宅配では、いったん軒下等に吊り下げて、少しずつ、少しずつ出荷する形態である。吊り下げる手間が大変である。


(3)吊り下げている間にまた2~4割が劣化する。その選別の手間がかなりかかりだす。


  通常、プロのタマネギ農家は機械で定植、5~6回の農薬散布、機械で収穫、一括出荷もしくは倉庫で適温貯蔵。作り方や保存方法がまるで違う。市価の3倍くらいで売らないと採算が取れない。タマネギのような作物は、作付を少なくすれば少なくするだけ採算が合う。でもタマネギはワンパックの必須野菜なので、会員が多ければ多いだけその必要個数を定植する必要がある。


 もしあなたが、3~4年タマネギを作ってみて、苗の時、あるいは収穫期に毎年病気がくるようであれば、「傍観者的態度」ではなく、きちんと顧客に報告することを前提に、数回の農薬使用をした方がいいと思う。キュウリ、ナスビ、ピーマン、オクラように、毎日あるいは1日おきに収穫する果菜類や、エンサイ、ツルムラサキのように、毎日、あるいは1日おきに収穫する葉菜類と違って、タマネギやジャガイモは収穫期に一括収穫をして長期保存する野菜である。いうなれば、野菜というより果樹に似た収穫方法の野菜であり、果樹と同じように1年に1回しか(ジャガイモは2期作できるが秋冬作の収量は少ない)収穫できないものであるから、果樹のような発想で、必要最低限の農薬を使用した方がよいと思う。ボクのように10年以上にわたって「今年も病気がきてしまった・・・」で済ませてはいけない。こういう態度だったことを反省している。顧客は農薬を使ったからといってあなたを非難したりしない。それよりも、タマネギがワンパックに長く入り続けることを望んでいる。


(1)タマネギによくないと聞いたことがあるので鶏糞は使っていない。メタン菌液肥とクン炭(焼きすくも)だけ使っている。


(2)平野部ではタマネギの病気が多いようである。山の上で空気が乾燥するような場所や高原地帯では病気が少ないようである。


(3)農薬を利用するなら、半年以上前から準備して、どういう農薬を使うか、いつ使うか、何回使うか早々と決めておいた方がいいと思う。1ヶ月前くらいには準備できていないと、農の現場では役に立たない。


(4)毎年のように、病気がきたり、虫害が発生する作物が3~4年の間にわかってくる。それは地域によっても違うし、使う肥料によっても発生の有り様が違ってくると思うが、農薬の助けがあった方がいい作物も1~2割は生じると思う。


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銀色の太陽

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 早朝の気温が下がりだす今頃の季節から、太陽が銀色に輝き始める。10月はまだそんなことはなかったのに、「うっすら初霜」があった頃から、早朝の太陽がまぶしいくらいの銀色になる。
 今日からパッチ(ももひき)をはいた。一度はくと、パッチが離せなくなる。今日は出荷の日だったが、起きたのは7時前だった。すぐに野良着に着替え、コンテナ(収穫容器)や水入れの容器を軽四に積み田んぼに行った。今の時期はまだ8時からではスタートが遅い。今年はダイコンとカブを失敗しているので気分が重い。この冬はこの気分をずっと引きずりながら過ごすようになるだろう。今日の出荷品目は、ピーマン200円、サトイモ350円、コスレタス2個で200円、イタリアンパセリとユズ2個で100円、ニンジン250円、ネギ100円、シュンギク2株で200円、ムラサキ芋300円、普通種300円、ヤーコン200円、ホウレンソウ200円、送料800円で合計3200円。サービス品として小粒ジャガイモと、スペアミントとレモングラスのハーブティ用ハーブをつけた。ピーマンは350g、サトイモは1キロ400円だが、今日のは虫食いが多かったので350円にした。コスレタス(主に炒めて食べる品種)はトウ立ちしている。通常は1個150円で出すが、トウ立ちしてかなり日がたっている(でも十分食べれる)ので2個で200円にした。ニンジンは1キロ。ネギ(やぐらネギ)1株100円。シュンギク1株100円。株張りが大きければ1株150円。ムラサキ芋は菓子用の芋で甘くない。サツマイモはどの品種も1キロ300円。ヤーコンは通常は1キロ300円だが、今日は少なめ。ホウレンソウは1単位250円で出すが、今日はまだ小さかったので少なめ。長年同じことを繰り返しているので、何を入れたら箱がきちんといっぱいになって収まるか判断できる。今日のワンパックはコスレタス2個がかなりのスペースをとった。個人のワンパックは3000円~3200円で納まるような品目構成を考える。納品書を書いてトータルしたら、春夏作も秋冬作もほとんどこの金額の範囲で納まる。ハーブティ用ハーブまで入れると今日のワンパックは15種類になる。たいてい13~15種類は入れている。


 今日もタマゴを9個産んでいた。巣箱は4つあるのに、その中の一つに9個全部あった。つまりニワトリは、すでにタマゴが産み落とされている巣箱に入って産む習性がある。そして昨日の画像の4つの連続した巣箱の一番右(一番外側)で産んでいる確立がきわめて高い。一番右の巣箱を気に入っているのだろう。


 今、いじめられているニワトリが一羽いる。エサをやりにトリ小屋へ入っても、止まり木から降りてこないことがあるので、すぐに識別できる。放任しておくと、通常1ヶ月ほどの間にまた仲間に戻ることもあるが、殺されてしまうこともある。この境目はどこにあるのだろうと思うがよく理解できない。ニワトリのいじめは凄惨で「突付き殺す」という形容がぴったりの残酷さである。1羽がいじめられだすと、よってたかって全部のメンドリがその1羽を突付き出す。オンドリがそれに加わったのは今まで1度も見たことはないが、決して助けたりはしない。われ関せずの立場である。なぜ1羽だけが突然にいじめられだすのか、それも全くわからない。ニワトリも学校の「クラス」と同じで逃げ場がない。どのニワトリも助けない。傍観ならまだよいが、よってたかって突付き殺す。通常よく問題になる「尻つつき」ではなく、自分のトリ小屋では「頭つつき」で突付き殺される。若鶏なので、まだこれが原因で1羽も死んでいないが、今後は出てくる可能性がある。


いじめられているニワトリはすぐに見分けがつく(クラスの担任でも見分けがつくと思う。わからないなら視線が生徒にむいていないのでは)ので隔離してやればよいのだが、また元の仲間の中に戻る可能性も高いので、その判断が難しい。


 今日、出荷の帰り道、道路ぎわの田んぼで、乗用トラクタで稲後の田んぼを耕運しているのを見たが、その1メートル後を白色のサギがついて歩いていた。トラクタの運転者が後ろをふりむいても全く動じずに、トラクタが掘り起こした土の中の小動物を狙っている。多分、カエルとかを狙っているのだと思うが、この鳥も、トラクタの後ろについていけば、好物の小動物が地中から出てくるということをよく学習している。トラクタにあまりにも接近していて、ちょっとほほえましい光景だった。自分の田んぼでも、乗用トラクタで耕運を始めると決まって、1~2羽のカラスが舞い降りてきて、耕運されて掘り起こされた土の中の獲物をしきりに狙っている。これも、カエルやミミズやヨトウムシのような小動物を狙っている。うちの田んぼには白いサギは来ないが、カラスは常駐していて、これらの小動物の他に①スイカ ②キンウリ(マクワウリ) ③トウモロコシ ④トマト ⑤イチゴの5作物を狙う。防御がめんどうになり、キンウリ、トウモロコシ、イチゴは7~8年ほど前に作ることを止めてしまった。スイカとトマトだけは自給用を少し作っている。しかし今年は、7月にシカ、8月末にイノシシが田んぼに出没した。シカやイノシシに比べたら、カラスやタヌキなどたいしたことはないなと思った。農業をスタートした時には想像もしなかった動物が当地にも出始めた。これらの害獣防御のために、余計な手間と余分な支出をせまられた。こういうことを繰り返しているうちに、だんだんと農業をすることが「むなしく」なってしまうのだろう。40年前には考えられなかった、カラスやタヌキやシカやイノシシによる田んぼの作物への攻撃。40年前とは何かが変わってしまったのだろう。害獣の進出も、自然環境の悪化も、人心の荒廃も、とどまる気配がない。 


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出稼ぎ

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 毎年この時期になると、1月、2月、3月の農閑期が楽しみになる。忙し過ぎると、肉体にも精神にもよくない。ぼう~っとした時間がどうしても必要である。数少ない野菜を出荷するために、とても手間がかかったり、とても寒かったりするよりは、何にもしないで、カネを使わない生活をこころがけた方がよい。1年中あくせくしていたら、まさに商工業の「おもうつぼ」である。冬のある時期、何もしないで、ぼう~っとしていたら明日へのエネルギーや明日への叡智が湧いてくる。農業と関係のない時間が持てるのは、冬場の1~3ヶ月くらいなものである。性格的にぼう~っとできないなら、農業本体以外のことで忙しくするならそれはそれで仕方がない。


 多くの農業者は、冬は比較的のんびりと日々を過ごしているのではなかろうか。そうでないと農繁期の4月~12月の間に息切れがするように思う。東北農民は今でも、冬の農閑期に大都会に「出稼ぎ」に行っているのだろうか。出稼ぎ中におきた悲劇や、出稼ぎの悲哀を綴った詩集や出稼ぎの現実を書いた冊子がたくさんある。一昔前はまだ農業者が多かったから「出稼ぎ」も考えられただろうが、今は中小の農業者は農業自体をを止めてしまい、一部の農家はより大型化したり、より専門的に特化したりして、農閑期でも出稼ぎに出る必要のない農業形態にしているのだろう。出稼ぎ中の悲劇は以前には、新聞紙上をよくにぎわせていた。そこに、どうすることもできない現実があった。東北農民も資本主義の術中にはまってしまい、カネが必要だったのである。つまり、自給自足的な生活が根底から切り崩されていた。すでに30~40年ほど前から、大都会でも田舎の過疎地でも生活システム(ライフライン)は、全国一律であり、どこに住んでも必要最低限の費用は同じになっているのである。なのに、いまだに、田舎で自給自足的な生活とか、カネを使わない生活ということが、大手を振っている。今は田舎でも方言は全く使わないし(使っているのはテレビだけ)、昔のような手刈りの稲作ではないので、助けたり助けてもらったりという相互扶助のようなことも廃れている。田舎でもすでに「総サラリーマン化」しているので、ただ単に住んでいる場所が違うだけで、その他のことは何ら大都会と変わらない。阪神大震災でも中越大地震でも、全く同じ言葉「ライフラインの復旧」が使われた。もう30年も前から、この国のシステムは全国津々浦々まで「同一様式」なのである。それなのに、都会の人は、田舎へ行けば生活様式が何か違うように錯覚している。そして物が安いように錯覚している。でもこれはあべこべで、ダイコン1本やハクサイ1個の値段は、田舎のスーパーより大都会のスーパーの方が1割方安いらしい。もちろんティッシュやトイレットペーパー等の日用品も田舎のスーパーより大都会のスーパーの方が1割方安いらしい。加えて、田舎では車が必需品であり、田舎の集落に入り込むと「冠婚葬祭」に付き合わされて「冠婚葬祭費」も必要経費になる。明らかに、都会暮らしより、田舎暮らしの方が高くつく。野菜を作って食べることは買うことよりも数倍高くつくのである。団塊の世代の田舎移住は「趣味ワールド」だから、地域に変化や刺激を与えることは少ないだろう。そして、60代、70代はまだ田舎暮らしをエンジョイできたとしても、80代に入れば、田舎暮らしは「何をするにも不便」と感じるようになるかもしれない。パラダイスや桃源郷が田舎にあるでしょうか。田舎に移住すれば、思っても見なかった現実や、思っても見なかった人間関係のしがらみや、思っても見なかった自然環境の劣悪さに直面する可能性もあります。でも多くは、カネさえあれば解決できる事なのかも知れません・・・。団塊の世代は兄弟が多い。次男、三男の彼らは田舎には自分の居場所がなく、都会に働く場所と住む場所を築いてきた。そして今、定年を迎えてまた自分の晩年の居場所をどこにするか考え始めた。多くの団塊の世代の出身は田舎だから、元の田舎か、その近くに、もしくは配偶者の田舎に晩年の終の棲家を求めてみようとした。でも、変わり果てた40年後の故郷の大地に立った時、あなたの胸中に去来するのはどういう思いでしょうか。自分も一時期、大都会で過ごしていた。でも大都会に自分の居場所を築くことができず、故郷に逆戻りした。故郷に帰ってまた何ヶ所か会社勤めをしたが、会社には自分の居場所を作ることができなかった。失意の中で、突然ひらめいた農業に転身してから、自分の居場所は田んぼだったのかなあと感じた。

 高度成長という日本の一時代を背負い、かなりの役職につき、最後は肩書きを失って、一介の自由人となってまた故郷の大地に立ったあなたと、年齢は少し下ですが、同じ立場に立ったと思います。ただあなたには、退職金や年金で今後の生活のバックボーンが保障されていますが、ボクの場合は、払った分くらいしかもらえない可能性が高くなった国民年金だけなので、楽しみの農業ではなくカネにする農業を長く続けていくしかありません。

 ○○様

昨日の雨はかえすがえすもありがたい雨だった。今日は朝一番に春キャベツの定植をした。120本植えた。極早生品種を60本、中早生品種を60本である。極早生品種は4月15日~5月15日頃が収穫期であり、中早生品種は5月15日~6月15日頃が収穫期である。この2品種で、春の2ヶ月がまかなえるので、春にはキャベツの種を蒔かない。同じ日に同じ場所に定植して、2ヶ月間に渡って収穫をするので、黒マルチをして植えるとその間、草が生えないので楽である。

 春には春ダイコンもチンゲンサイもホウレンソウも蒔かない。蒔くのは、野菜ではコマツナとレタスだけである。春は5月の連休明けから出荷を始める。5月の野菜は、(1)葉つき早生タマネギ (2)エンドウ (3)スナップエンドウ (4)グリンピース (5)ソラマメ (6)春キャベツ (7)春レタス (8)コマツナ (9)ネギ (10)ルバーブ 他に(11)ハーブティ用ハーブ2種類

 コマツナは2週間ほどずらして2回蒔く。定植して、小株取り、中株取り、大株取りの随時取り品種を蒔いている(サカタのタネの味美菜)。春先のネギはハーブのチャイブ(極細ネギ)を出荷している。ルバーブは食用大黄ともいい、ハーブに属する。ジャム専用である。この時期はまだ野菜の種類が少ないので重宝している。10月~11月上旬に株分けしていくらでも増やせる。ただし、夏の間に枯れてしまうことが多い。
 春のダイコンはダイコンおろしくらいしか使い道がないし、チンゲンサイはコマツナと利用法が重なるし、春のホウレンソウはすぐにトウ立ちするので、これら3種類は今は作っていない。豆類はいくら入れても喜ばれるので、×2倍、×3倍でも問題ない。

 春キャベツの定植の後、早生タマネギの定植をした。苗の段階で早くも病気(多分ベト病)がきている。(1)タマネギ (2)ジャガイモ (3)ナンキン この3種類は自分の田んぼでは必ず病気が発生する。秋のアブラナ科野菜の虫害も困るが、主要野菜であり、長期保存もきくこの3種類の病気発生には本当に困っている。収穫期に病気が来ていると、長く保存ができない。今後の要検討野菜である。必ず病気が来るので、なんか投げやりとなり、最近では早生500本、中晩生1000本ほどしか定植していない。

 昼から少しヤーコンを掘った。今年は草にまかれてしまったので収量が少ない。ヤーコンの芽は来春植えるので、堀り上げた穴に埋め戻しておく。野ネズミに注意。

 来春のサツマイモの芽だし用の種芋を近所の家の「芋穴」にいっしょに保管させてもらう。7度以下が続くと腐敗するので、保存場所に注意する必要がある。

 先日蒔いた、春レタスの発芽が悪かったので、今日また蒔いた。

 今後の11月の農作業は、

(1)タマネギの中晩生品種の定植→今週中

(2)田んぼを耕運して麦蒔きの準備。2アールは敷き藁用のエンバク、1アールはニワトリのエサ用の小麦。月末までには蒔きたい。

(3)稲藁5アール分をもらってきて物置に保存。これも月末までに終わらせたい。

(4)サトイモとヤーコンの防寒。ハーブのステビア、レモングラス、レモンバーベナ、ルバーブの4種類の防寒。

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待望の雨

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 深夜、日付の変わる頃から、雷を伴った雨が降り始めた。ありがたい雨だった。朝起きた時もまだ雨が降っていた。11時頃には止んだが、これだけ降ってくれれば、もう水遣りはしなくてすむ。この時期に一雨くれば3週間くらいは湿り気が保たれるし、その後は朝霜が降り出すので、水分は朝霜の水分くらいで足りる。今日の雨はそれくらい貴重な雨だった。午後から、ニワトリのエサやりと、雨上がりの風景を撮りに行った。


 カメラには全く無知で、初めて買ったカメラが、富士フィルムのFinepixF460というデジカメだった。値段は23500円だった。その時いっしょに買ったエプソンのプリンターは17000円だった。プリンターの方がかなり安いが、プリンターはカラーインクがすぐになくなり、カラーインク代だけで、あっという間にプリンター本体の値段を越える。何でこんなにインク代が高いのだろう。それにしばしば目詰まりが起きて、ノズルチェックやノズルクリーニングの繰り返しが必要になる。


 デジカメは高いのか安いのかわからない。ただ、パソコンやプリンターやデジカメを買うのなら、市内の○○電機と人が言うので、少し遠方だが足を伸ばして買いにいった。カメラの初心者ですが、どんなデジカメを買ったらいいですかと店員さんに質問すると、このデジカメを勧めてくれた。今はこのデジカメが気に入っている。64枚ほど写すと「空き容量がありません」の表示が出るので、1回につき64枚しか写せないが、64枚を写すのに30分くらいかかり、時間的にもそれくらいがちょうどよい。そしてデジカメの付属品のカードリーダーをパソコンにつなぐと、自動的に64枚の画像がパソコンに取り込まれる。その後すぐに画像活用メニューの「スライドショー」を見て、ぼやけた画像を削除する。「手ぶれ」や「ニワトリの動く画像」で毎回6~7枚ほどの、ぼやけた画像がある。印刷しようと思えば画像活用メニューの「ホームプリント」から画像枚数も選択できて簡単に印刷できる。


 カメラのことを全く知らなくても写せるし、被写体とかアングルとかに惑わされずに、単純に写すだけ。64枚写すのに30分もかけないし、忙しい時は15分ほどでさっさと写す。時間をかけたらいいのが写せるとかは関係ないように思う。カメラに無知で一眼レフとかよく知らないが、パソコンと同じく「グレードアップ」をそのうち迫られるのだろうか・・・。


 こんな雨上がりの日は農作業もできないし、かといって、パソコンの前に長く座っていると目がかすんでくるので、自分の場合は続けて4時間ほどが限度である。能率も上がらないし、頭が痛くなる。そういう意味では、農作業というアウトドアスポーツとデスクワークのパソコンはとても相性がよい。どちらも程よい時間内にとどめると、どちらにも相乗効果をもたらす。ボクがまがりなりにも作文を16年間続けることができているのは、ワープロ→パソコンという文明の利器のおかげである。一昔前の文筆業者は、筆とか万年筆で書いていたのだろう・・・。自分の場合はワンパック野菜の宅配という農業形態上の必要に迫られて、毎月、原稿用紙換算で12枚ほど書いていたが、この3月まではボールペンで下書きしてパソコンで清書していた。それが、7月にブログを始めて、その後毎日更新をするようになると、いちいちボールペンで下書きしてという悠長な時間がなくなった。それでやむなく、いきなりパソコンに向かって入力しだすと、10日ほどで、このやり方の方が楽になった。今では、何でボールペンで下書きのような二重手間なことをしていたのだろうと思う。いきなりパソコンに向かって入力すると、下書きの紙がどこにいったかわからないという問題は発生しないし、訂正をする場合もとても簡単にできる。あきらかに「食わず嫌い」だった。ブログというきっかけが、「ボールペンで下書き」→「いきなりパソコン入力」という変化を促した。でも誰でもそうなるとは限らない。一つの条件がクリアできていなかったら、チャンス(変化の時)がやってきていても、それに飛び乗れない。自分のあめんぼ通信は、手書き(3年)、ワープロ(8年)、デスクトップパソコン(5年)、ノートパソコン(4ヶ月)という積み重ねがあって始めて、「いきなりパソコン入力」ができるようになった。ワープロを買った時にワープロ教室へ通い、10本の指(フォームポジション)での「早打ち」の練習を何度もしてもらった基礎があったから、下書きを清書する時のパソコン入力もある程度のスピードで入力できていた。そういう下地があったからこそ、ブログというきっかけが到来した時に、「いきなりパソコン入力」方式に乗り換えれたのだと思う。いきなりに見えても「伏線」があるのである。世の中、一朝一夕には行かない。自分のような凡人には千里の山も一歩から進めるしかない。
 昨日の続きはまた日を改めて書かせて頂きます。自分に取ってちょっと重たいテーマだったので今日は書けなかった。

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田んぼは、ゴミ捨て場ではない

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 あまり変化のない平凡な1日の方が、案外いい作文が書けるというが、そうだろうか。今7時半だから9時半頃までの2時間で何か書こう。


 今日は雨の予報だったが、またしても雨は降ってくれなかったので、夕方、水遣りをした。明日も雨マークだが、明日は多少とも降ってくれるだろうか。


 稲秋が終わって、義父や知人に「コゴメ」をもらって、毎日与えるようになってから、ニワトリが産むタマゴの数が増えた。1日3個ほどしか産んでいなかったのに10個ほどに跳ね上がった。ムラサキ芋のクズも毎日与えているので、糞がムラサキ色である。今年はダイコンとカブを失敗してしまい、雨不足でハクサイとキャベツも遅れているので、いつも今頃の時期には大量に与えている、これらの野菜の外葉がない。すでに草もあまり伸びなくなったので、トリ小屋周辺の草も刈れない。だから、ツルムラサキを少しずつ与えている。以前ツルムラサキをやった時に食べなかったような記憶があったので、その後やらなかったが、青菜がなかったので、またツルムラサキを投げ込んでおいたら、よく食べている。肉厚で鉄分が多く高栄養価のツルムラサキのような葉を食べてくれたら、タマゴも高品質になるような気がする。ヒヨコを導入して11月末で1年半が来るが、まだ1羽も死んでいない。去年の11月と今年の8月の2回、トリ小屋の外に逃げ出したが、2回とも奇跡的に捕まえることができたので、まだ購入時の羽数がそのまま健在である。


 うっすら初霜が降りた日の夕方、残っていた柿を「はさみ棒」で取った。「はさみ棒」とは、6メートルほどの竹の先を少し割り、そこに十字に15センチほどの長さの小指ほどの太さの木をはさげて紐で結んだものである。手の届かない柿が成っている枝をこれにはさんで、ねじるようにして枝を折って柿を取るのにこの竹の棒を使う。「はさみ棒」というよりも「はさん棒」と言う。「はさん棒」の方が言いやすいからだろう。近所の柿の木の柿が収穫されずに、そのまま放置されている。忙し過ぎてちぎる間もないのか、もしくは、大人も子供も最近はあまり柿を食べないのかも知れない。霜に何回かあたると熟し柿になり、そのうちカラスやヒヨドリのエサになってしまう。自分は、多くの虫害や台風など、幾多の試練を乗り越えて赤く色づいた少数の柿は、どんなに忙しくても、全部収穫して(10個くらいはどうしても残るが)最後の1個まで食べてあげようと思う。


 ブログに1日3時間ほど費やしている。指のつめをきちんとつんでキーボードに向かう。つめが伸びていると打ちにくい。入力スピードは速くはならないが、購入して7ヶ月になるノートパソコンのキーボードには慣れてきた。ブログをやっていなかった時は、夜、何をしていたんだろうと思うが、はっきりと思い出せない。送られてきた農業雑誌を読んだり、パソコンの習得にあてたり、ワンパックに添付する毎月のあめんぼ通信の原稿をボールペンで下書きしたりしていたと思う。これらの夜の時間の3時間がブログにまわった。
 農業だけしていたのでは、けっして何の展望も開けない。長い夜の時間はテレビをのほほんと見たりせずに、将来のために、何か自己啓発の時間に当てる必要がある。習慣になると、テレビを見ないこともあまり苦痛ではなくなる。自分はサラリーマンをしていた時、14年間の悪循環を繰り返していたが、環境をがらりと変えることで、一つの悪循環から脱却できて、好循環という日常を手に入れることができたように思う。好循環に持っていくには、1年や2年では難しい。何か一つ、タバコを止めるとか、テレビを見ないようにするとか、夜1時間は専門外の勉強をするとか、自分に少しは負荷を与えて、幾つになっても努力をするという習慣付けが、好循環のめぐりになると思う。好循環のめぐりになったからといっても、以前と同じく、全くカネには縁がない。好循環とは、旅行をしなくても、ストレス解消に何かをしなくても、日がな1日、田んぼという空間で、楽しく、充実した1日を送れるようになることだと自分は思っている。つまりカネを使わずに充実した1日にする工夫である。何年かかけて、そういう風な自分に持っていった。特定の組織に属さず、誰の目顔を気にする必要もなく、自分の作った野菜を食べて、毎日、柿やふかし芋やユズ茶を楽しんで、晴耕雨読ならぬ、昼間は農作業、夜はブログという、半農半作文の日々が過ごせているのに、これ以上何を望むというのか。でも必要最低限のぎりぎりのカネが農業では稼げない。だから農業だけしていたのでは何の展望も開けないということがますます自分の中で明白になってきた。ブログで稼ぎたいと思っているが、稼げる保証はない。4冊目の原稿がボツになってから、ブログに変えてみようと思った。今まで自分のしてきた農業をブログで整理してみようと思う。多分、ブログが燃え尽きる時(ブログが書けなくなった時)、自分の農業も終わるだろう。しかしブログ城が炎上する時、自分の中に次のステージが用意されていると思う。用意されているようにするつもりでいる。


 時刻は9時30分をまわった。今日は2時間で終えるつもりだったが、今日真っ先に書くつもりだったことがまだ書けていない。もうちょっと書こう。


 田んぼは「ゴミ捨て場」ではない。どこでどのようにして作られたのかわからない市販の鶏糞などを田んぼに持ち込むのは危険である。特にケージ飼いの鶏糞には、抗生物質とか、各種の消毒剤とか殺菌剤が混じっていると思う。肥料は自分で作る必要がある。でも堆肥を自分で作るのはかなりの重労働であるし、堆肥の材料集めにやたらと時間がかかる。早く「自分の肥料」をマスターすることが肝心である。自分にとっての一番楽な方法で、時間をかけず、カネもほとんどかけず、そして効果的な肥料を編み出すことである。他人がいくら推奨する肥料でも、あなたにその肥料が合うことは少ない。肥料は、自分で試行錯誤しながら、自分の肥料を作るしかないと思う。ボクの肥料の変遷は、牛糞を利用しての堆肥作り→市販の鶏糞の購入→地域の酪農家から2トン車1杯7000円で牛糞堆肥の購入→友人の鶏糞をもらうようになった→メタン菌液肥というように、この16年半で幾多の変遷を繰り返してきた。メタン菌液肥にしてから、やっと肥料はこれだなと感じた。ただしメタン菌液肥はかなり臭うので住宅の近くでは使えないし、作る時は簡単でも施す時に担ぐのでこれが重労働であるし、水の便がよくないと液肥の性質上無理である。でも自分は今までのどんな肥料よりも液肥を気に入っている。(1)原料となるヌカは無料で手に入るし、ナタネカスは年間で7袋購入しても5千円ほどである。(2)500リットル容器は1万4千円ほどして2つで2万8千ほどかかるが、作付規模が3反ほどならこれだけで十分である。液肥は作るのは簡単で、1日1回、2~3分混ぜるだけ(混ぜなくてもよい。少し出来上がるのが遅いだけ)である。後は寝て待てばよいのである。11月~翌年3月はメタン菌は休眠。36度の時、最もメタン菌が活発になる。
 田んぼは「ゴミ焼き場」でもない。つい6~7年前までは、地域の人は、各家で焼却場を持ち、そこで自宅から出るゴミを焼いていた・・・続きは明日にします。今10時半である。これだけの作文を考え考え入力するのに、7時半から始めてちょうど3時間かかった。こんなことに3時間も費やすなんて、他人から見たら無駄な時間と思えるかもしれない。でも自分はこんなことに3時間を費やした。充実した時間だった。


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野菜産地の農業

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 同じ瀬戸内市にあるが、ここは、県下でも有数のハクサイとキャベツの大産地である牛窓町である。義兄はこの牛窓町で、4ヘクタールほどのハクサイとキャベツを作っている。9月にハクサイの苗をもらっていたので、苗箱を返しにいったついでに、この地区の田んぼをぐるっと一巡してみた。見渡す風景が、自分の田んぼとは随分違うが、いわゆる産地は、どこでもこのような風景である。水も「畑灌」が通っていて、コックをひねるだけで、いつでも水遣りができる。だから「雨が降らない」など、関係なくて、天候にあまり左右されずに、予定した次期にきちんと収穫期になる。


 周囲がこのような大規模系の農業をしている隣で、こまごまと有機農業というわけにはいかないので、自分もこういう地域に住んでいたら、有機農業という発想は思い浮かばなかっただろう。第1の人生に挫折して、30代後半からの第2の人生に何を選ぶか、もしくは第2の人生の職業として何がイメージできるかは、人それぞれの生い立ちや、それまでに培われてきた個性や、周囲の環境や、現在の状況によって異なるが、自分の場合には、先の展望が全く見渡せなくなっていた時に、突然、農業が頭にイメージされた。そしてそれとほとんど同時にイメージしたのは、山ぎわにあった、猫の額ほどの田んぼが14枚で合わせて20アール(2反)ほどの、多少の段々畑の現在の耕作地である。きちんとした長方形や正方形ではなくて、いろんな形をした田んぼである。この田んぼがあったから、突然、農業が頭に浮かんだ時、農業ができると思った。他に70アール(7反)ほど、点在して田んぼがあるが、この70アールの田んぼは、どこも畑作には適さないと思った。この内10アールだけは、畑作ができないことはなかったが、道路に面しているし、農作業や収穫の時に「田んぼを移動する」というイメージは全く浮かばなかった。そして、農業をスタートしてから、道を隔てた20アールほどを借地できたので、農作業でも収穫でも軽四で移動する必要はない。だから当日朝収穫、当日出荷が可能になっている。


 農業をする上で「山ぎわ」というのは、何かと都合がよい。ニワトリを飼うにもよいし、日陰になる場所ができるので、収穫後の仕分けにもとても便利である。そして行き止まりなので、誰のじゃまも入らないし、無農薬でも、お隣の田んぼに迷惑にならない。


 無農薬で作っていると、隣の田んぼで農薬や除草剤を多用されるのはいやなものである。逆に彼らの立場からすると、隣の畑が農薬を使わないから、害虫がはびこって、うちの田んぼまで侵入してくる・・・ということになる。お互いに相手に対して否定的になるが、隣の田んぼと隣接している田んぼが少ないと、このように、お互いに迷惑にならない。画像のような野菜産地で、有機農業というのはちょっと考えられない。その地域で生活していると、イメージできる農業は大規模系のこのような農業だと思う。ただ、この地域でもすでに現役世代が農業を始めるというのはごく少なくて、定年後に始めるというパターンであるらしい。定年後でも、このような地域では周囲にいっぱい手本があるので、数年でかなりの売上になる人もいるらしい。大体、このような地域の人は、働きながら、休日に親の手伝いをしている場合も多いので、定年後といっても、経験のある定年であるから、家庭菜園規模では終わらないようである。


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うっすら初霜

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 昨日、強風が吹き荒れたと思ったら、今朝はうっすら「初霜」だった。ずっと暖かい日が続いていたのに、1日で季節が急変した。できれば、ゆっくり、ゆっくり寒くなってほしかった。初霜が遅ければ遅いだけ、春夏野菜が長く出荷できる。うっすら初霜でも、初霜に変わりはない。今日の初霜で、左から(1)ヤーコン、(2)スイートバジル、(3)エンサイの3種類の葉が、画像のように黒ずんだ。スイートバジルとエンサイは今日で終わりである。ヤーコンも初霜で葉が黒ずむと、これ以上はもう太らない。これから収穫期である。


 今日くらいの霜ではやられなかった春夏野菜は、(1)ナスビ、(2)ピーマン、(3)ツルムラサキの3種類である。ハヤトウリは今年は草におおわれてしまったので、30個ほど収穫してから、3日ほど前に片付けたので、今日くらいの霜でどうだったか結果を確認できない。


 秋冬野菜でも(1)レタス、(2)秋ジャガイモ、は霜に弱い。でも、今日くらいの霜ではどちらもやられなかった。


 春夏系のハーブのうち、レモンバーム、レモンバーベナ、レモングラスのハーブティ用ハーブは、今日くらいの霜には負けなかった。強い霜が降りた朝に終わる。


 強い霜が降りるのは、当地では大体、勤労感謝の日前後である。ただ、今日のような「うっすら初霜」は11月10日前後にやってくる。だから、時期的にはすでに「うっすら初霜」が来てもおかしくない時期であったが、今までがあまりに暖かだったので、突然の霜にちょっとあわてた。昨日は強風が吹き荒れたが、まさか今朝、初霜が降りるとは思わなかった。秋冬系ハーブのメインであるロケットにバトンリレーするまで、春夏系ハーブのメインであるスイートバジルにがんばってほしかったが、バトンを渡す寸前で力尽きた。


 今日生き延びた春夏野菜や春夏ハーブも、近々やってくる本番の初霜で終わる。長くても寿命は後2週間ほどである。


 秋冬野菜や秋冬ハーブは、初霜に2~3回あたってからが、やわらかくなり、風味が出て、甘くなる。霜に2~3回あたるとは、当地では12月5日頃である。つまり、初霜が降りたからといって、これから先毎日のように霜が降りるのではなくて、また暖かい日がしばらく続いたりする。毎日のように霜が降り出すのは、当地では12月10日頃を過ぎてからである。11月中の霜は、当地では2~3回、多くても4回ほどである。


 「うっすら初霜」は遅い方がよいが、「本番の初霜」は早くても遅くても困る。例年通り勤労感謝の日前後にやってきて欲しい。というのは、本番の初霜の日をめやすにして、秋冬野菜の種蒔きの日を決めているから。


 11月3日の文化の日を過ぎる頃から、やっと「早朝出荷」から開放される。夜更かし型で、朝早く起きるのが苦手な自分には、いい季節になったが、寒すぎるのも、それはそれでまた苦手である。10月末には6時の目覚ましで起きていたが、最近は6時10分の目覚ましで起きている。少しずつ目覚ましの時間が遅くなり、6時20分、6時30分となり、やがて7時となる。それでも朝食を食べてから収穫ができるようになるのは、12月に入ってからである。11月の出荷の日は、「霜の朝」以外は、遅くても7時頃までには田んぼに行く。


 「うっすら初霜」など、一般の人にとっては、今朝は寒いなあと感じる程度ですが、農家にとっては、自然環境の激変を目の当たりにする日です。


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簡易トイレ

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 今日は風の強い一日だった。昨日までとうってかわって肌寒く、夕方、ストーブを出した。出したと言っても、実はとろいていない(しまっていない)ので、ストーブをちょっと動かして100円ライターで火をつけた。灯油も去年からのがそのまま。言い訳になるが、なぜか片付かない。まあ自分の私室だからいいか・・・。深夜までブログを打つので、寒いと打てない。


 あまり風が強かったので、昼からは田んぼに出ずに、たまっていた郵便物を開いたり、ごっちゃ混ぜになっていた書類を整理したりした。ちょっと人に見られたくない乱雑さである。あんまり乱雑になると、必要な書類がどこにいったかわからなくなるので、今日は午後からの半日を机のまわりの整理にあてた。通常は雨の日の仕事にしているが、雨が全く降ってくれない。机といっても、ホームコタツが机なので、座り机である。一昔前のホームコタツを2つ並べ、一つにはボールペン代わりのノートパソコンと電気スタンドを置き、もう一つの方にプリンターを置いている。プリンターは結構、場所をとる。


 左の画像は、サツマイモを掘った後である。今年初めてイノシシが出て、間一髪の差で電気柵を設置したが、効果があったのか、イノシシには入られなかった。ただ電柵の支柱が3本ほど倒されていたことがあったので、多分、タヌキかシカかイノシシが触れたのだろう。今日の午前中に、残っていた最後のサツマイモを全部掘り上げた。7月に、シカに葉をかなり食べられたので、食べられた箇所の収量は去年の半分もなかった。でもイノシシにやられなかったので良しとしよう。


 真ん中の画像は、道を隔てて左側の田んぼの一番下の田んぼから写した画像である。田んぼの真ん中がちょうど道であり、道の左側の田んぼの4枚は借地で22アールあり、道の右側の田んぼは全て自分の田んぼであり、池じりまで多少の段々畑になっており、13枚で20アールほどある。合計で40アールちょっとあるが、物置、トリ小屋、井戸、遊休地、果樹を植えている箇所等もあるので、正味の野菜の作付は30アールほどである。道の左側、つまり借地の田んぼの上の山すそに、集落の墓がある。いつも1人で農作業をしているのに、にぎやかに感じるのは、墓に眠る古の集落の人にいつも見られているように感じるからである。手前の画像はレタスである。炒めて食べる品種で「コスレタス」というレタスであるが、収穫適期が進んで過熟気味となり、トウが立ち始めている。少々トウが立っていても出荷をする。少し未熟な時から出し始め、最後はかなり過熟気味でも出荷する。ワンパック宅配では、その作物の最適期に収穫できる作物はそんなに多くない。トウ立ちを少し遅らせる意味で、トウの先を鎌で切り落としておく。コスレタスは生でも食べれるが、主に炒めて食べる品種なので、少々トウ立ちしても出荷ができる。市場出荷なら出せないが、顧客に直接のワンパックなら、ちょっと単価を落とすくらいで出せれる。


 右の画像の田んぼの端に立っている「白いもの」は簡易トイレである。顧客拡大をめざしてイベントなどを企画していた頃に、女性用のトイレがいると思って、中古の簡易トイレを買った。トイレしかも中古となると、あまりきれいに思えなかった。だから何らかの理屈付けが必要だった。地域の衛生業者に紹介してもらって、市内の簡易トイレ販売店へ行った時、説明してくださった店員さんが、この簡易トイレは、阪神大震災に出動したトイレであると言われ、その一言で即買うことに決めた。外観もよかったし、こんな由緒あるトイレはなかなか手に入らないと思った。中古だから4万円ほどだったが、新品の簡易トイレはどれも10万円以上する。トイレに対して出せる金額は自分の中で、高くても5万までだった。買った当初はこれが自慢で、利用客があるたびに、阪神大震災(当地でも震度4の激しい揺れだった)に出動したトイレであると吹聴していた。でも購入後、この簡易トイレの活躍する機会はほとんどなかった。イベントをしても顧客の拡大にはつながらなかったし、イベントで稼げる収入は全く少なかったので、5~6回のイベントをしただけに終わった。ここ4年間は簡易トイレの利用客は1人もいない。一昨年の10月の大型台風で倒れたが、一人で起こせた。このトイレは小型で軽い。画像では目だって見えるが、そんなに周囲の風景をそこなっているとは思はない。多分、今後このトイレが活躍することは少ないだろう。しかし、阪神大震災で大活躍して、その余生をボクの田んぼで過ごしていると思うと、粗末にする気にはなれない。



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作物と水

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 左の画像は池の土手です。土手の下に、四角いコンクリートが見えますが、池のヒを抜くと、このコンクリートの中の土管に水が流れてきます。通常は向かって右側に流れていきますが、左側に流そうと思えば、右側に流れる所に「分木(ぶんぎ)」をして水をせき止めると左側に流れます。そして、トリ小屋がある方の山のねきの水路を通り、物置があるそばの水路を通り、一昨日アップした左の画像の水路に流れます。しかし、自分は稲を作っていないので、自分の田んぼの方に水が流れるように、「分木」をすることができません。エンジンポンプを買う前は、雨が降らなくて困った時には、1週間に1度、2時間ほど、自分の田んぼの方へ水がくるように「分木」して、田んぼに水を引かせてもらっていました。エンジンポンプを買ってからは、分木をしたりせずに、右側へ流れている水を真ん中の画像の所でタゴに受け、そこにエンジンポンプを置いて、100メートルホースでポンプアップしていました。でもこの水路を水が流れるのは稲に水が必要な6月15日~9月20日頃までの3ヶ月間だけです。他の時期には、ちょろちょろ水しか流れていないので、エンジンポンプを使うことができません。9年目の秋に井戸を作ってからエンジンポンプがいつでも使えるようになりました。17年目の現在は、「液肥」や「10月のロケットの定植」や「9月、10月に雨が降らない年が多い」という3つの理由から、井戸はなくてはならないものになっています。田んぼのそばに大きな川が流れていたり、池の水が自由に使えたりするのなら問題はありませんが、そうでない場合、野菜の水はどこから調達するか、よく考える、もしくは地域の誰かに聞いてみることが必要だと思います。でも農業初心者には水のことまでは頭が回らないのが普通です。自分の場合も、稲が渇水の時(もちろん野菜も渇水)に水当番の人と口論になって始めて、水問題にいきあたり、それが1年後の井戸(水が出る場所を見つけた)につながった。


(4)作物と水(あめんぼ通信NO52、1994年10月)

 
梅雨の雨は野菜にとっては、それほど大事ではない。逆に過湿が続いて根腐れを起こしたりする場合がある。しかし、稲作は梅雨がなかったら作れない。梅雨の雨をダムや池にたっぷりたたえて(たくわえて)、夏中、その水を使う。
 
秋冬野菜にとって、特に恩恵を受けるのが秋雨前線である。夏の間に乾ききった大地を、台風の雨、あるいはこの秋雨前線がしっとりと湿らせてくれる。例年9月中旬は、秋雨前線の第1回目の雨が降り、どんよりしたぐずついた天気の日が多い。なのに今年は秋雨前線が停滞してくれなかった。ほんの夕立程度の雨が3回、1~2時間降っただけだった。5月末から、6月、7月、8月、9月と何と4ヶ月余り、雨らしい雨が降っていない。土がパサパサに乾いている。今まで失敗したことのない作物を次々に失敗して始めて、この秋雨前線が秋冬野菜にとっていかに重要であるかを知った。梅雨に雨が降らなくても、夏に台風の雨や夕立がなくても、秋口にはこの秋雨前線が必ず雨を降らせてくれるんだといういう過信があったようだ。いつもどうりに植えて、いつもどうりに蒔いて、始めて失敗して、大地はもう乾ききっているのだと再認識した。これから蒔き直すダイコンとカブの畝間に水路から水を引き込ませてもらうことにした。かつえた大地は一気に水を飲み干していく。6月中旬~7月中旬頃の梅雨前線がもたらしてくれる雨は誰でも知っているが、9月14日~9月末頃の秋雨前線がもたらしてくれる雨の恩恵を今年初めて知った。秋雨前線がきてくれるから秋冬野菜を作ることができる。作物と水との関係について、自然がその一端を始めて自分に教えてくれた意義深い年になりそうである。


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エンジンポンプ

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 画像の井戸の周辺の草刈がなかなかできない。アップするのがちょっと恥ずかしいくらい、草がぼうぼうであるが、農作業も一段落ついたので、11月中には鎌で草刈をするつもりである。物を置いていると草刈機が使えないので、こんな風にすぐ草に覆われる。


 今日はレタスの種を蒔いた。収穫期に達したレタスは霜に弱いが、小苗の時は寒さには強い。だから小苗で冬越しさせると、春に早く収穫できる。苗床で冬を越し、3月上旬に定植予定である。丸レタスとガーデンレタス(サニーレタス系)の2種類を蒔いた。この後7日か9日にエンドウ、グリンピース、スナップエンドウの3種類を蒔き、中旬に左の画像の黒マルチをしている所に、タマネギ、春キャベツ、ソラマメの3種類を定植(すでに3列の黒マルチの一部にワケギ、ニンニク、ラッキョを定植済み)し、下旬に3アールほど、ニワトリのエサ用と敷き藁用に麦を蒔いて終わり。5アールほど稲藁が頂ける予定なので、麦をたくさん蒔く必要はない。


 農業を始めてから11月という月が大好きになった。主な農作業は今月中で終わるし、畦草はあまり伸びなくなるし、周囲の広葉樹が色づくし、長い農閑期に向かうし、まだそんなに寒くないし、晩秋という響きもいい。農繁期にはなかなか出かけることができないので、下旬には紅葉見物方々、日頃ご無沙汰している友人の田んぼ見学に出かけようかなと思う。12月は忘年会やクリスマスのシーズンでイタリア料理店からの注文が1年で最も多く、また出かけることができなくなる。1月、2月、3月の農閑期はブログ中心の日々を送る予定である。パソコンの使い方にも精通したい。それと大阪への一泊二日の小旅行を予定。毎年大阪への小旅行を計画しながら、なぜか毎年計画倒れに終わっている。たまには、土のない大都会の高層ホテルの一室で朝を迎えたい。そして、若い時に住んでいた周辺をぶらぶら歩きたい。


(3)エンジンポンプ(あめんぼ通信NO52、1994年10月)


 夏と秋の間にドアがあるなら、9月14日がそのドアになる。ボクはこの日にダイコンの種を蒔くことに決めている。日中は残暑のきびしい時もあるが、日が落ちるとめっきり涼しくなり、窓を開けて寝ても、夜中に目が覚めて窓を閉める。コーヒーもアイスに代わってホットにしたくなる。毎年9月14日前後に秋雨前線が最初の雨をもたらしてくれる。一雨ごとに暑さが去っていき、雨模様を見ながら種蒔きの段取りやキャベツ、ハクサイの定植の日取りを決めるのに、今年は雨が降らない。猛暑で少雨の年は、秋口に大雨が降ることが多いと聞いているのに・・・。9月16日金曜日、鳥取、福岡、琵琶湖周辺がどしゃぶりとテレビが映し出しているが、岡山県南はさっぱり。近所の老農が、わしゃあ75年ほど生きとるが、こんな年は初めてじゃとか、わっちがここへ嫁いできてから、こねん降らん年はなかったなど、田んぼでの立ち話はいつもきまって雨が降らんなあ・・・という話になる。でもみんな家庭菜園なので、降らん降らんというだけで顔は笑っている。そういえば去年は雨ばっかりで夏がなく、こんな年は50年に1度あるかないかじゃと会えば話していたので、2年続けて50年に1度の天候に見舞われたことになる。9月中旬は秋冬野菜のゴールデンウイークで、キャベツ、ブロッコリー、ハクサイの定植、ダイコン、カブ、シュンギクの種蒔き、レタスの定植と続く。この時に雨が降れば「ジョロで灌水」の手間が省ける。だから雨をねらって蒔いたり、定植したりする。今年はタゴに水をくんでジョロで灌水するのが、夕方の1時間余り、毎日の日課となっている。4日も5日もタゴを担ぐ日が続くとさすがに身体にこたえる。降らない雨に堪忍袋の緒が切れて、「エンジンポンプ」を買うことにした。この4年半、手作業のジョロで灌水、あとは「雨を待つ」パターンで十分通してこれたのに、待てども待てども降らない雨に、自分の身体と相談して、8万円ほどの出費を覚悟することにした。管理機(小型トラクター)や草刈機のように、しょっちゅう必要なものではないと思えたが、2度にわたるニンジンの発芽不良に続いて、ダイコンの発芽不良、この二つの作物の失敗が、ポンプを買おうという動機の直接の引き金になった。ニンジンは発芽がそろえば、95%成功したも同然で、あとは2回のまびきと除草をかねての簡単な中耕だけですくすくと育つのに・・・。3度目の蒔き直しは時期的に遅く、この冬、ニンジンはお届けできません。ダイコンの発芽不良については、5日後ただちに蒔き直した。今年は散々だと思いながら、蒔き直しのできる期間であるものは次々に蒔き直しをした。寒さに向かう秋は、1日の種蒔きの遅れが、収穫で4~5日の遅れにつながる。かといって、2日早蒔きすると、たった2日の差で害虫にやられてしまうことがある。お彼岸をピークに昆虫(害虫)たちは、子孫を残すために、あるいは越冬準備のために、猛烈な食欲を示す。そのため、ぎりぎりまで種蒔きや定植を遅らせることにしている。近所の人がダイコンやカブの種蒔きを終わって、双葉がのぞいた頃にボクは蒔き始めるので、失敗した場合の蒔き直しは、ほとんど猶予がない。双葉が出そろうまでに4日ほどかかるので、失敗を確認できるのは早くても4~5日目だから、蒔き直しの猶予は1~2日しかない。そして、この5~7日の種蒔きの遅れは、いくら肥料を多めに施しても、先行の野菜に追いつけない・・・。


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深夜の水泥棒

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 田んぼのそばには全て画像のような細い水路が走っています。真ん中の画像も、右の画像もちょっと草の陰になっていますが、左の画像と同じ水路が走っています。もし田んぼに稲を作れば、この細い水路に6月15日~9月20日頃の3ヶ月間は水が走りますが、ボクは稲は作っていないので、この水路に水が流れることはありません。雨が降り続いた時だけ、山からの落ち水がこの細い水路を走ります。左の画像の道の左側前方の田んぼでは、近所の人が稲を作っているので、その水路には6月15日~9月20日頃の3ヶ月間は水が走るので、そこからエンジンポンプでポンプアップして100メートルホースで散水していました。現在は井戸があるので、年中いつでも井戸からポンプアップして散水することができます。井戸がまだなかった時は、6月15日~9月20日以外の時に水が必要になった時は、池からポンプアップするしかなかったのですが、池からポンプアップしようとすると、ホースが100メートルでは足らないし、池の水は集落の水なので、池の水を勝手に自分の都合でポンプアップというのはできません。井戸ができたのは、9年目に入った年の秋だったので、この9年間は、6月15日~9月20日以外の時に水が必要になった時は、集落の近くを走っている川まで行って、タゴで水を汲んでくる必要があった。スタートして4年半後にエンジンポンプを買ったが、その後、井戸ができるまでの4年間は6月15日~9月20日の間しかエンジンポンプを使うことができなかった。使おうにも原資となる水が近くになかったから。それでも、まがりなりにも野菜ができていたということは、9月、10月の気候が今ほど過激でなかったと言える。ここ5~6年は、秋に秋雨前線の活動が弱く、秋冬野菜にとって重要な9月、10月にほとんど雨が降らなかったり、逆に田んぼが水浸しになるくらい秋の長雨が続いたり、台風による雨しか期待できなかったり、逆に連続台風で1週間おきに大雨が降ったりと、計算できないような異常気象の秋が続いているように思う。今年も、9月、10月の雨量がかなり少ない。


 家庭菜園の規模なら、タゴで水を汲んできて施すこともできるが、出荷するくらい規模が大きくなると、どこから水を調達するか、前もって考えておく必要がある。田んぼを借りるにしても、その借りた田んぼはどこから水を調達できるか考えておく必要がある。農業をスタートする前には、野菜にこんなに水が必要とはわからなかったし、まして、水の調達のことを考えるなど及びもつかなかった。若気の未熟さで、水のことで集落の水番の人と口論になってから、水をどうするか考え始めたというお粗末さだった。自分の場合は9年目に井戸を掘り当てることができたから、やっとその時点で水問題から開放されたが、井戸を掘り当てることができなかったら、10年目以降の農業がどうなっていたかわからない。


(1)井戸のおかげで500リットルタンク2つの液肥の水が、年中、必要な時にポンプアップすることができるようになった。液肥作りは井戸がなかったら(水が簡単に調達できなかったら)成り立たない。


(2)年目に入った年からハーブを作り始め、年目以降に本格的になったが、ハーブのロケットの定植は10月が本番なので、その植え付け水に、かなりの水が必要であり、結局井戸ができていなかったら、ロケットの定植がうまくできなかったと思う。


(3)ここ年、10月に雨が少なく、井戸水をポンプアップして散水する年が多かった。


 


(2)深夜の水泥棒(あめんぼ通信NO51、1994月)


 野菜も稲ほどではないが、水が必要である。夜の時がまわってから懐中電灯を持って田んぼへ行くのが、今年の夏はもう回目である。サトイモの田に水が入ったのを確認してから、池のヒのすぐ下の用水路の「分木(ぶんぎ)」をはずす。こうすると自分の田畑の方へ流れる水はストップする。これはひとえに水番のAさんが「このへんじゃあ誰も百姓で生活しとる者はおらんのじゃから遠慮せずに水を使われえ」と言ってくれたからである。この地域では小集落が5つあり230軒ほどあるが、現役世代で農業をしているのは、自分を入れて人である。農業はもうそれくらい見放されている。


 早朝に水を引くと日中の暑さですぐに干上がってしまうが、夕方、日が落ちてから水を引くと、翌朝まで湿り気が保たれる。池から落ちる水の水量(水の勢い)が多い日は時間ほどで枚の田(サトイモ以外に、ナスビ、ピーマン、オクラ等の田に入れる)に水を引き込むことができるが、水量が少ないと時間ほどかかるので、夜の時頃、田んぼに確認に行く。このところ地域のあちこちで水争いが起きていると耳にしていたので、ボクも「深夜の水泥棒」かもと自認しながら、でも、たっぷりと水が頂けたのをサトイモといっしょになって喜んで、満足感にひたりながら家路についた。


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我田引水

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 雨が降ってくれない。10月の雨は10月20日頃に降った1回だけだった。作物は水分がないと大きくならない。根から吸う肥料分も水分がないと吸えない。昨日、今日と、夕方1時間~1時間半ほど、エンジンポンプで水遣りをした。
 エンジンポンプは、丸4年と半年が過ぎた秋に購入したが、それまでは、タゴに水をくんできて、ジョロでやっていた。6月15日~9月20日頃までの3ヶ月間は、田んぼのそばの細い水路を水が走っているが、他の時期は田んぼのそばの細い水路に水は走っていない。つまり、稲に水が必要なこの3ヶ月間だけ、池の水門が開かれて、田んぼに水が引けるようになっている。スタート時の4年半ほどの間、よくこんなやり方で野菜が育ったなあと思う。今にして思えば、当時は現在のように気象が極端ではなく、適度に雨が降ってくれていたんだと思う。スタートした頃に比べて、現在の農業条件は格段にきびしくなっている。一つは気象状況が普通でなくなってきていること。もう一つは当地でも今年初めて「イノシシ」が出て、数軒の家庭菜園のサツマイモが一晩で全滅したこと。
 今日から4日間で、エンジンポンプを購入するに至った経緯を書きます。画像は井戸からポンプアップしていますが、井戸ができたのは、エンジンポンプを購入してから、また4年の歳月が過ぎていた。つまり井戸ができるまでの4年間は、田んぼのそばの細い水路からポンプアップして水遣りをしていた。でもその水路は6月15日~9月20日頃までしか水が走っていない。だからこれ以外の時期に水不足をきたすと、どこからも水を引くことができなかった。それが、4年後の井戸につながった。井戸の経緯はまた後日書きます。これから書こうとしているのは、スタートして4年半後の、エンジンポンプを購入するに至った経緯です。今日から4日間に分けて書きます。
(1)我田引水・・・あめんぼ通信NO50(1994年、8月)
(2)深夜の水泥棒・・・あめんぼ通信NO51(1994年、9月)
(3)エンジンポンプ・・・あめんぼ通信NO52(1994年、10月)
(4)作物と水・・・あめんぼ通信NO52(1994年、10月)

(1)我田引水
 
稲は作っていないので、実質上は田んぼに水は引けないのであるが、自分は生活をかけて野菜作りをしているので、そこのところを理解してもらい、水当番の人に頼んで、水を引かせてもらっている。それでも7月はまだよかったが、例の台風による雨も焼け石に水程度でさほど効果がなく、8月に入り水事情はますますきびしくなっている。こうなるとやはり「稲が優先」ということになる。例年なら8月のお盆が過ぎる頃まで雨は期待できないので、水当番の人の苦労もわかるが、ボクは1週間に1度2時間ほど、稲の方へ流れる水路に「分木」して、逆方向の自分の田んぼへ水が流れるようにさせてもらっている。水を特に必要とするのはサトイモ。畝間が常時湿っているぐらい水を必要とするらしい。他に、キュウリ、ナスビ、ピーマン、オクラの果菜類もよく成らすためには多量の水分を必要とする。これらの野菜は、作付の段階で一つの田んぼにまとめて植えるようにする。こうすれば水路から水を引きやすい。他にエンサイ、ツルムラサキの葉菜類も水がないと伸長しない。サトイモの田に1時間、キュウリとオクラの田に30分、ナスビ、ピーマン、エンサイ、ツルムラサキの田に30分、合計2時間、水を引かせてもらう。美しい水は命・・・。



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オクラの後作にエンドウ

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 今日はちょっと疲れているので、画像の更新と、その説明だけにさせて頂きます。疲れている原因は、ブログの更新でここ2週間ほどずっと午前0時をまわっていたことと、最近、雨が降らなくて、身体を休める時間がなかった。雨は強制的に身体を休ませてくれるので。
 左の画像は、オクラをノコで切り倒した画像です。オクラは10月頃にはすでに「木」になっているので、ノコが必要です。太い幹は直径が3センチほどあり、切ると木屑が出ます。例年なら10月10日頃で収穫が終わるのですが、今年は暖かく、10月27日まで収穫しました。オクラの株と株の間にエンドウかグリンピースを11月7日か11月9日に蒔く予定です。11月6日より早く蒔くと、冬を越すまでに大きくなり過ぎて、霜害が出ます。冬越し野菜は中途半端な大きさで冬を越させないように、蒔く時期の選定が大切です。黒マルチに穴を開けて蒔くので、露地蒔きより、2~3日は遅らせて蒔きます。オクラの後はエンドウかグリンピースを蒔くことに決めています。種を蒔くだけで、後は蒔き穴の草をちょっと取るくらいで、マメ科なので肥料はほとんど与えず、3月上中旬にキュウリネットを張るだけで、後は収穫をするだけです。エンドウはインゲンと違って横に広がるので、キュウリネットだけではどうしても倒れやすくなるので、キュウリネットの支柱と支柱の間に紐を渡して、エンドウが横に倒れないようにします。50センチくらいの高さと1メートルくらいの高さの2回、紐を渡します。収穫に手間がかかるので、収穫期までは手間をかけたくない作物です。


 真ん中の画像は、手前がロケット、後方はホウレンソウです。どちらも黒マルチをして定植しています。たいていの人はロケットやホウレンソウは直播して間引きですが、ボクは育苗→定植という方法にしています。直播→間引きという方法はどうも不得意です。黒マルチは農業現場から出る多大な「産業廃棄物」ですが、自分は手放すことができません。スタートして3年間ほどは、この黒マルチに何か違和感があって使わなかったのですが、いったん使い始めてからは、無しではすまなくなってしまいました。変われば変わるものです。黒マルチを使わなかったら、右の画像のヤーコンのように、草にまかれてしまいました。タイミングよく草取りができれば問題はないのですが、月、水、金と出荷があり、ここという時に、ぴしゃっと土を動かして、草を生えなくする、もしくは生えたばかりの草を根こそぎにすることができず、後手に回りだしたり、後手に回りだしたときに長雨にたたられたりすると、この画像のようになり、途中で草取り(草刈)を放棄してしまいました。つまり投げ出してしまった状態です。ヤーコンは背の高い作物なので、画像では草より勝って見えるのも一部ありますが、多くは草にまかれてしまいました。


 自分の場合、液肥→雨で流亡しやすい→黒マルチをすれば雨で流亡しない。1ヶ月前から定植予定地を畝立てして黒マルチを張っておけば草も生えないし、作業が平均化できて、とてもやりやすい。


農薬や化学肥料は直接に土壌や河川を汚染するが、黒マルチは廃棄物処分場(焼却場)で、間接的に環境を汚染する。でも自分は、黒マルチの恩恵を手放せそうにない


 


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11月の野菜とハーブ

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 ダイコンとカブの失敗が身体にこたえている。ダイコンとカブのそばを通りたくない。見たくもない。多種類作っていると言っても、ひとつひとつの野菜は将棋の駒のような存在であり、どれが欠けても他の野菜に負担がかかる。アブラナ科野菜は害虫が多いから、アブラナ科四天王(ハクサイ、キャベツ、ダイコン、カブ)に絞って、精神をそれに集中させているのに、ダイコンとカブを失敗してしまった。これでは農薬を使った意味がない。どちらも蒔き直ししたのに、その2回目もやられた。農薬を使うのなら、少なくとも規定量の3分の1~半分くらいは使わないと、全く効果がないということを、痛感させられた。去年までの3年間が無農薬でできたので、この害虫(ダイコンサルハムシ)に対する気の緩みがあった。この16年間、この害虫だけには何度も痛い目にあってきているのに、懲りていない。自分も田んぼの中の懲りない面々の1人であることを思い知らされた。


 今日は11月1日。例年ならもうホームコタツを出している頃だが、今年は暖かい日が続いている。


11月の野菜は


①ジャガイモ・・・在庫が残り少なくなったが、11月末頃まで出荷予定。


②ピーマン・・・今年はよく成り続けている。急に寒くならなければ11月中旬頃まで出荷できそう。


③サトイモ・・・1株掘っても1キロくらいしか入っていない。1キロ=400円で出荷しているが、作るのがばかばかしいくらい採算が合わない。でも11月の必須野菜。


④サツマイモ・・・ムラサキ芋、オレンジ芋、ベニアズマ(普通種、早生品種)、高系14号(普通種、晩生品種)の4品種を作っている。自分の作るムラサキ芋は全く甘くないが、4種類の中では最も多収で、掘りやすく、外観もよい。ほとんど業務用に出荷している。ふかし芋にしておいしいのは高系14号(有機農研幹事である千葉の林重孝さんから8年ほど前に送ってもらった)であり、外観もよいし掘りやすいが、晩生品種なのがちょっと残念。自分の田んぼではベニアズマより高系14号の方が土質が合う。普通種はベニアズマ1に対して高系14号3の比率で作っている。オレンジ芋は外観がよくないが少しだけ作り続けている。


⑤エンサイ・・・まだ出荷している。炒め物、おひたし、どちらの料理法にも合う。


⑥ツルムラサキ・・・茎は硬くなっているので、葉を出荷している。葉を収穫するのはちょっと面倒だが、10月下旬~11月上旬の端境期の貴重な野菜。


⑦レタス・・・例年なら初霜の頃(勤労感謝の日前後)まであるが、今年は暖かく,成長が促進されてもうじき終わる。


⑧ヤーコン・・・黒マルチをしていなかったので、途中で草にまかれてしまい、投げ出してしまった。でも11月の1ヶ月くらいは出荷できそうである。


⑨ハクサイ・・・出荷は11月の末頃から。初霜が降りてからでないとおいしくない。


⑩キャベツ・・・定植が少し遅れた。例年なら11月の頭から出荷しているが、今年は11月中下旬からになりそうである。


⑪ダイコン・・・ダイコンサルハムシにより大きな被害。出荷できるかどうか未定。できても12月中旬頃から少々。


⑫カブ・・・蒔き直しの2回目もダイコンサルハムシにより壊滅。


⑬ニンジン・・・11月3日の金曜日から出荷予定。


⑭ネギ・・・11月3日の金曜日から出荷予定。


⑮シュンギク・・・11月中下旬から出荷予定にしていたが、今年は暖かく、成長が促進されて、すでに収穫期に入った。11月8日頃から出荷予定。


⑯ホウレンソウ・・・11月中下旬から出荷予定。霜にあたらないとおいしくない。


 


11月のハーブは


①レモンバーム、②レモンバーベナ、③レモングラス・・・初霜の頃まで出せる。


④タイム類、⑤ミント類、⑥セイジ・・・5月から引き続いて来年2月末頃まで出荷可能。3月と4月は宅配をしていないが、10ヶ月間出荷が続く。


⑦スイートバジル・・・例年なら10月末で出荷は終わるが、今年は暖かいのでまだ出荷ができている。もうじき終わり。


⑧イタリアンパセリ・・・6月頃から翌年2月末頃まで9ヶ月間に渡って出荷できる。


⑨ローズマリー・・・1年中出荷可能。


⑩ディル・・・11月~1月上旬頃まで出荷可能。寒さに弱い。


⑪チャービル・・・11月中旬~2月末まで出荷。


⑫ロケット・・・11月中旬~2月末まで出荷。


 ハーブはこの12種類だけで、ハーブ全体の90%をカバーできる。この12種類を丸暗記して下さい。業務用ではなく、個人の家庭に送る場合でも、6種類のハーブティ用ハーブだけは作ることをお勧めします。作る手間はほとんどかからず、収穫の手間だけです。面積も1種類あたり、畳2畳分ほどずつ作れば、40軒(月2回発送)ほどの顧客にほぼ1年中、ハーブティ用ハーブの出荷が可能です。作らねば損です。


 ①~⑥までの6種類がハーブティ用ハーブで⑦~⑫までの6種類が料理用ハーブである。この内、④タイム類、⑤ミント類、⑥セイジの3種類は、ハーブティ用と料理用の兼用であり、ほぼ1年中出荷できる。


 料理用ハーブ6種類の内、⑦スイートバジルは春夏系のハーブであり、⑧イタリアンパセリと⑨ローズマリーはほぼ1年中出荷できる。⑩ディル、⑪チャービル、⑫ロケットは秋冬系のハーブである。


 料理用ハーブの内、イタリアンパセリとロケットは個人の家庭でも重宝なハーブである。イタリアンパセリはキャベツやレタスとサラダに、ロケットもキャベツやレタスとサラダで生食で食べる。ロケットは炒めても、おひたしでもおいしい。つまりロケットは、ア、生食、イ、炒め物、ウ、おひたしの3拍子そろった驚きのハーブであり野菜でもある。ロケットはハーブの中では珍しい「アブラナ科」に属するが、アブラナ科の中では最も害虫の被害が少ない。耐寒性もホウレンソウと同じくらい強い。


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プロフィール

水田祐助

Author:水田祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在55才、農業歴19年目。農業形態は野菜とハーブのワンパック宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ30羽。25年ほど農業とは無縁だったが、ボクが子供の頃は、家は葉タバコ農家だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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