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あめんぼ通信

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

ワンパック宅配の問題点

 ワンパック宅配の欠点は在庫野菜にもある。市場出荷の場合は、その作物が一番よい状態の時に一括出荷することができるが、ワンパック宅配の場合は、少しずつ、少しずつしか出荷できない。
 春夏作の在庫野菜は、(1)タマネギ (2)ジャガイモ (3)ナンキン (4)トウガン の4種類である。
 
在庫野菜は保管している間に劣化したり、腐ったりする。状態が良い時に一括出荷してしまえれば、こんなことは起こらないのにワンパックの致命的欠陥である。(1)のタマネギは、タマネギを吊るす手間、出荷のつど選別する手間、2~3割ほどは劣化して出荷できなくなる、のトリプルロスがかかってくる。(2)のジャガイモに関しては別段問題はない。(3)のナンキンは自分の場合は9月中旬以降は劣化が多くなるので上旬までに出荷を終わらせる。(4)のトウガンも別に問題はない。


 秋冬作の出荷野菜はほとんど全部が在庫野菜である。だから出荷ロスが極めて多くなる。つまり、秋冬野菜は12月上旬にピークを迎えると、冷蔵庫のような戸外で、2月末までそのまま放置されて、出荷されるのを待つわけだから、その間に、(1)寒さで凍害が出たり、(2)雨による不必要な水分を吸って味が落ちたり、(3)田んぼに放置されている間に病気が発生したりする。


 例えばハクサイは強い寒さに弱いので、年が明けると残りのハクサイを全て収穫して一箇所に集め、上から藁や寒冷紗をかぶせておく。それでもかなり劣化するので、2~3割多めに作付をしておく必要がある。


 例えばサトイモは10月、11月の2ヶ月はとてもおいしいのに、12月以降は寒さや、いらぬ水分を吸収して味が徐々に落ちていく。


 例えばネギは12月いっぱいはとても状態がよいのに、年が明けると寒さののために先枯れ(先が黄色になる)が多く出て、緑の部分が減るし、先枯れ部分を除く手間が大分増える。


 例えばダイコンは収穫期には上半分が土中から飛び出してくる(これは不思議)ので、飛び出した部分が小寒に入る頃には凍害で傷む。そのため残り全部を引き抜いて、ヨコに寝かせて、2センチほど土をかぶせて外気に触れないようにする。個人客が多い場合はこれが大変であるし、出荷のつどまた少しずつ掘り出し、出荷で残ったらまた埋め戻すと言う、これもトリプルロス。


 例えばレタスは12月下旬頃には寒さで腐ってくる。だから、出荷軒数から逆算して何本定植するかを決めないと、出荷ロスが大きい。


 例えば、シュンギクもレタスと同じく寒さに弱く、年明け頃には茶色っぽくなるので、薄い毛布のような素材でシュンギクを覆う。寒さにあたらないとおいしくならないのに、強い寒さには弱いという、なんとも小難しい野菜である。収穫適期幅が1ヶ月ほどしかない。


 寒さでも傷まないのはキャベツとニンジンとホウレンソウくらいである。カブは寒さ避けに土中に埋めておくと、2月が暖かい年は2次成長を始めて、出荷しずらくなる。


 サツマイモは7度以下が続くと腐敗してくるので、12月20日頃までに出荷を終える。ヤーコンは外観がよくない。その分、多めに入れたりするので採算が悪い。ヤーコンよりサツマイモの方がはるかにお得。


 市場出荷では、個々の野菜の長さや重さ、外観の基準がきびしく、はねられる野菜がかなり出ると思うが、ワンパック宅配も、少しずつしか送れないという出荷上の欠点が克服不可能なので、多くの出荷ロスが出る。


 もう一つ、市場出荷にない欠点がワンパックにある。それは、ワンパックの場合、その作物の一番よい状態の時に送れることは多くないということである。例えばレタスを例に考えると、まだ巻きが弱いうちから出荷を始めて、ピークを過ぎて、少々過塾気味でも出荷せざるをえなくなるという点である。これを「ずらし蒔き」して対応するのは考えられない。ずらし蒔きすると、このロスが2倍になる。ずらし蒔きが可能なほど、個々の作物の種蒔きの最適期幅は長くはないのである。家庭菜園ではずらし蒔きはまずしない。ずらし蒔きはやはり反自然的であるから、多少ずれただけでも害虫や病気も多くなるだろうし、手間も多目にかかると思う。ずらし蒔きをせざるを得ない作物もあるが、それは自分の場合、春夏作のキュウリ(4月1日、5月15日、6月15日、7月15日)と秋冬作のホウレンソウ(9月28日、10月2日、10月5日)、シュンギク(9月7日、9月12日)の3種類だけである。


 ワンパック宅配方式は、生産者から直接に消費者や料理店に送るという意味で、従来の市場出荷にはない斬新な、未来を先取りしたような出荷形態と目されているが、上記のような欠点を内包しているため、始めてもなかなか続かないのではなかろうか。つまり、単価的に見て、市場出荷方式に対抗できない。無農薬野菜の生産者も無農薬野菜の専門作物に特化されていく傾向がある。


 

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野菜の単価

 今日は野菜の単価の話・・・ハクサイ1個250円、キャベツ1個150円、ニンジン1キロ250円、サトイモ1キロ400円・・・


 ワンパック宅配をしている人が、野菜の単価を決める場合、何を基準にして単価をきめているだろうか。ボクの場合は近くのスーパーの店頭の野菜価格。でもこの野菜価格は結構上がり下がりする。いつもチェックするわけにもいかない。以前はスーパーに行った時はたいてい野菜価格をチェックしていたが、安すぎてばかばかしくなることもよくあった。今はスーパーへ行ってもいちいち注意しては野菜の単価を見ない。


 野菜の単価を決める場合、その人のトータルの人生観とか、野菜に対する考え方とか、野菜に対する自分の見方とか評価、自分としてはこれくらいの価格で売りたいという意識などが、いろいろ交錯する。たとえば、自分の場合は、キャベツ1個を150円で売っているが、これを200円で売る人は「力がある」と思うし、これを100円でしか売れないと思う人は農業には向いていない。これを250円で売り続けれる人がいたらボクは尊敬する。農業の現場で生き抜く人は、キャベツ1個を少なくとも200円で当然のごとく売る人である。


 自分はこの点が弱い。キャベツ1個を150円でしか売る力がない。本当は、害虫の多いこのキャベツを150円の価格でしか売れないようない人は、農業の現場に長くとどまれない人である。市販のキャベツとは全然違うのだから最低でも200円以上で売り抜く人でありたいと思う。


 いったん野菜の単価を決めると、途中からはなかなか単価を上げることは難しい。単価を下げる人、そんな人はいないだろうが、そんなバカは農業を止めたほうがよい。市販の野菜とは全然作り方が違うのだから、本当はスーパー価格の2~3倍ぐらいで売らないと採算は全く取れない。顧客は、農家から直接買うのだから安くなるはずと想像しがちだが、少量多品種を作るという作るうえでと出荷するうえでの非能率が考慮されていない。ラディッシュボーヤとかの大手の無農薬野菜のワンパックを手がける会社は、それざれの野菜に、特定の契約先農家を持っていて、その農家が、無農薬野菜の大規模経営をしている。規模が大きくても無農薬でできるのかは疑問だが、そういう無農薬野菜を寄せ集めたワンパックというわけです。


 ワンパックの顧客が続けてくれないと、野菜の単価が高いのだろうかとか、野菜の品数が少ないのだろうかとか、食べ切れないのだろうかとか、味が悪いのだろうかとか、量が多すぎるのだろうかとか、いろいろ考え始める。実際はそうではなく、単に、レベルの低い顧客しか相手にしていない場合が多い。そんな人はもともと有機野菜を食べる人に値しない。そんな人しか顧客に持つことができない自分の「営業力」を反省した方がよい。


 顧客が続いてくれないと、自分の中で悪循環の考えが生じやすいので、野菜を作る技術的側面と、野菜を売る営業的側面は半分半分と考えて、常に並行して進める必要がある。


 農業者はたいてい技術的側面にはたゆまない情熱を注ぐのに、こと営業面(売ること)に関しては弱い。農業を志す人は元々営業系の人は少ないから、最初から営業力のある人は少ない。つまり、農業で生き残っていくのは、営業力がないのを知りつつ、我流で、なりふりかまわず、農業生命をかけて、直接の顧客を捕まえようと努力する人である。農業を夫婦でしている人は、どちらかに営業力があればよいが、一人でしている場合は、自分が技術マンそして営業マンになる必要がある。技術力と営業力は異なる能力なので、技術系の人が多い農業者は、最初から営業努力をあまりしない人もいる。ボクも営業はどうもうまくないし苦手である。お人よし過ぎると思う。「強気な商売」を常にめざしているが、強気になれない原因が顧客の不安定にあった。


 とにかく、売ることは他人に依存してはだめである。自分で売らなければならない。これは鉄則です。


 ボクがどんな営業方法をとったか、具体的にうまく説明できませんが、とにかく無茶苦茶な我流の営業で、「下手な鉄砲も数うちゃあたる」というやり方です。どんなに顧客の出入りが激しかろうが、また新たに獲得すればよい。自分の16年の経験から言えば、野菜の個人客は6年以上続けてくれるのは5%ほどだと認識しておいてください。だから多分、10年ぐらいは常時、営業をし続ける必要があると思います。ボクは12年ほどやっていました。今やっと顧客数が安定してきています。でも相変わらず、出入りは激しいのですが、減った分くらいは口コミの紹介で十分補えるようになったという状況です。これはイタリア料理店の口コミのことです。


 「野菜の個人客は続かない」ということを自分なりに経験して、イタリア料理店に出荷を始めてからは、個人客の営業をしなくなった。多分、ブログが有名になれば野菜の個人客の注文もあると思っている。一元の客でも一元の飛び込み客が多ければ、それは固定客とも言えます。


 何か自分の顧客には読んで欲しくない情報を並べ立てていますが、それは「30代後半の脱サラ農業志願者の役に立ちたい」と言うこのブログの目的からです。


 農業をスタートして3~4年内には、自分が目標とする顧客数の80%は確保する必要があります。3~4年で技術力も大体のめどがたってきます。4年目あたりで稼いだ金額が、あなたが農業の世界で稼げる金額の7~8割だと思います。だから、技術的側面も営業的側面も3~4年目あたりが分岐点のような気がします。それよりぐずぐずしてしまうと、貯金もそこをついてしまいます。3~4年で形にすることができなければ、農業の世界から淘汰される可能性もあります。技術力(作る力)、営業力(売る力)、資本力(3~4年の生活費、貯金)の3拍子がそろわないと、3~4年で農業からおさらばです。


 自分の目標とする顧客数を3~4年のうちに確保してしまわないと、どれくらい作付してよいかの作付量(面積)も頭の中に把握できません。あべこべのようですが、技術力より顧客数の方が先だと思います。顧客数が増えていかないと、最も大切な「単価の設定」の時に弱気になってしまいます。次に掲げるのが強気になれなかったボクの設定価格です。これより下回った価格は禁物です。


ハクサイ1個 250円
キャベツ1個 早生小型100円 その他150円
ダイコン 2本で250円→1本だけにして150円とすべき
カブ 目方を忘れた 大3個で150円(小は5~6個)
ニンジン1キロ250円(最盛期の価格。出始めは500gが150円ほど)
サトイモ1キロ400円
ネギ 150円(目方を記憶していない)
シュンギク 2株で150円→1株100円とすべき
ホウレンソウ 250円(450グラム)
秋ジャガイモ(あまり出荷できていないが1キロ200円)
レタス1個 150
ブロッコリー 100円


 ボクは単価積み上げ(合計)方式ですが、ワンパックいくらと、ワンパックの値段を一定にしている人もいます。この方が事務処理は随分楽だと思います。ただこの方式は特定の野菜を失敗した場合にワンパックが組みづらくなるような気がします。


 単価積み上げ方式と言っても、自分の場合、ワンパックの上限価格を3300円にしています。下限も2800円を下回ることはありません。3100円か3200円の場合がほとんどです。


 春夏作の単価はまた次の機会にご報告します。


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アブラナ科四天王の虫害

 さっき、またしても3時間ほど打っていた今日のブログが、突然画面が切り替わり、消えてしまった。ショック、残念、無念。パソコン先生に電話したが、入力中に、特定のキーボードに触れた場合、元に戻る場合と元に戻らない場合があると言われた。今日のは戻ってくれなかった。下書き、保存、下書き、保存のクリックを何度も押して、入力データを逐次保存しながら入力を続ければよかった・・・。わかっているのに、入力に夢中になっているとよく忘れる。その日の入力データが消えてしまったのはこれで3回目である。でも落ち込んではいられない。とにかく少しでも今日の更新を入れておこう。まだ11時だから、後1時間打てる。


 秋冬作のアブラナ科四天王は、毎年、ダイコンサルハムシとの戦いである。密度が低い年もあるが、今年のように密度が高い年もある。農薬を使ったにもかかわらず、ダイコンとカブは発芽後3日ほどで壊滅状態になった。かなり離れた場所にすぐに蒔き直した。すばやく対応できたのは、作付面積が小さいことと、他の作物に予定して黒マルチを張っていた畝を急遽ダイコンとカブ用に切り替えたからである。2回目は1回目より少し多めに農薬を使った。離れた場所に蒔き直したにもかかわらず、2回目も被害が出ている。でも壊滅的ではない。何とか出荷までこぎつけれるだろう。個人の家庭に送るワンパックの場合、この四天王だけはどうしても成功させたいと思う。ハクサイとキャベツは予備苗を用意しているので、比較的簡単に対応できる。とにかく、種蒔き後、あるいは定植後3週間が過ぎる10月4日~10月7日頃までに致命的な被害を受けなければ、それ以降は成長に加速がつくので、少々の害虫には負けない。


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やさしいオンドリ

 ニワトリのエサは、ムラサキ芋のくず、トウガンの外観不良分、虫食いで早々と熟した柿などを、今は与えている。雑草も毎日たくさん与えている。時々、ストレス防止に雑草化したニラを与える。腐りかけたタマネギもニワトリ行きである。もちろん、ナスビやピーマン、キュウリの外観不良分で、サービス品にも入れづらい分は即ニワトリ行きになる


 芋のくず、腐りかけたもの、ひどい変形野菜なども、手塩にかけたものだから、どんなひとかけらも無駄にしたくない。そんな時、ニワトリは大切なリサイクル鳥である。


 トリ小屋までまだ30メートルもあるのに、毎朝ボクの姿を見つけると、飛べないニワトリなのに、止まり木から羽をばたつかせながら、まるで飛んでいるように地面に舞い降りる。そして、トリ小屋の入り口付近で、ほとんどのニワトリが「ぐるぐるまわり」をしながらボクを迎えてくれる。入り口から外に逃げないように、入り口付近のニワトリを足で払いのけながら、急いで入り口の扉を閉める。買ったエサと、もらった精米くずを半分ほどずつやり、水を入れ替え、トリ小屋周辺の雑草を鎌で刈ってトリ小屋に入れる。その後、タマゴを巣箱から回収する。タマゴを地面に産み落としていることはめったにない。タマゴを産み始めの頃の若鶏の時や、エサやりに入ったために、あわてて巣箱から飛び降りて、巣箱の外に産み落とすこともあるが、そういうことはめったにない。巣箱は連結して4つ並んでいるが、4つの箱に均等に産み落としているのではなくて、1つの箱に集中して産んでいることが多い。つまり、ニワトリは他のニワトリが産んでいる箱の中で産むことが多い。


 ニワトリは、命である「くちばし」を生まれると同時にデービーク(多分熱い鉄ゴテのようなものをくちばしの先にあてて、くちばしの先を切り取る)されるのが、大半のニワトリの宿命であるが、そんなことをしなくても、我が家のニワトリは他のニワトリの尻突付きなどは全くしない。雑草をたらふく与えているので、植物繊維が十二分に足りているからだろうと思う。また今回のオンドリは、ヒヨコの時にしばしば羽にさわったり、手でつかんだりのスキンシップをしていたので、オンドリなのにとても柔和で、ボクに対しては全く攻撃的な姿勢をとらない。でも、強い方のニワトリは弱い方のニワトリには、しょっちゅう攻撃を仕掛けている。弱い方のニワトリは常に一定の間隔を取った場所でエサを食べる。何かの拍子で急接近しても、すぐに離れる。これだけはボクにはどうすることもできない。オンドリの図体はメンドリの1.3倍くらいあるが、エサはメンドリほど食べないと聞いていたが、そんなことはないと思う。メンドリと同じくらいは食べている。もちろん見返りなしのただ食いである。いや、有精卵という見返りがある。農作業をしている田んぼの一角に30羽ほどのニワトリがいるというのは、とてもいい形である。ただし、2泊以上の外泊はできない。この16年間、2泊も外泊したのは、和歌山県 東牟婁郡 那智勝浦町の色川集落を訪ねた1回きりである。家人にはエサやりは頼めれない。オンドリがいなければ頼めるかもしれないが、メンドリだけでも怖がってトリ小屋に入れないだろう。やはり慣れないと、あの鋭いくちばしを見ると、びびるかも知れない。エサやりに入ると、足元にまぶれついて、われ先にと、手に持っているエサ容器に飛びついてくるから、初めてエサやりに入るとこれが怖いかもしれない。ボクも子供の頃はニワトリのくちばしが怖かったので、軒先のトリ小屋の中には入れなかった。


 農業はせめて手取りが150万になれば、今の10倍くらいに農業人口は増えると思うが、手取り100万にするのも至難である。これでは、現役世代の人は農業に参入できない。フリーターやニートやホームレスの人たちに、農業という逃げ場があればよいのにと思う。でも現在の社会ではサラリーマンになるしか生きていくための選択肢がない。自分の時代もそうだった。そして30年後の子供の就職でも、同じように、サラリーマン的生き方しか選択肢がない。そしてボクは、子供に新しい生き方を提示することもできない。農業には絶望を感じるだけで、未来を感じることはできない。ではなぜ、あんた、農業を続けているのと問われれば、すでに53才であり、働く場所といったらアルバイトくらいしかない。時給800円のアルバイトに行った方が収入的には今の農業収入よりいいが、それをやると、自分が惨めになる。うつ病にでもなりそうな気がする。現在の農業を続けていれば、何とか自分らしさを保持できる。 


 何か「毒を食らわば皿まで」のような意識で農業をしている。でもサラリーマンよりはるかに豊かな世界だと思っている。しかし自分のやってきたことを人に勧めることができない。生活ができないから。自分の場合はマルミさんの定期収入があったから、農業を続けることができたと言える。実際はもっと早く農業界から淘汰されてしかるべきだったかも知れない。でも補助金漬け農業(配偶者がスポンサー)で生き延びてきた。農業をカネにするだけの技術力を身につけることができなかった。この世界における能力不足である。でも自分の経験を無駄にすることもできない。誰もあまりすることのできない経験を積み重ねてきたから、この経験を必要とする人にきちんとした形で伝えようと思う。ブログはとてもよい伝達道具である。


 泣いても笑っても自分はすでに人生の最終章に入りかかっているので、人生の総括もせまられている。何も人に自慢できるようなものはない。でも人からとてもうらやましがられている。


 ○○様


 10月は野菜の端境期なので、ワンパックに入れる野菜の品数が不足してきます。1類(タマネギ、ジャガイモ)、2類(キュウリ、秋ナス、ピーマン、オクラ)、3類(ナンキン、ニガウリ、トウガン→サツマイモ、サトイモ)、4類(エンサイ、ツルムラサキ、青シソ)のうち、1類のタマネギは収穫時に病気がきていると、9月頃から腐れが多くなります。ボクの場合はタマネギはたいてい9月で終わってしまいます。ジャガイモは10月末頃まで出荷できるくらいの量を作っています。


 2類のキュウリは9月のお彼岸頃で終わりです。台風が来ればそれより早く終わってしまいます。秋ナスも台風に遭遇すると、とたんに外観が悪くなります。そして、10月に入ると、大きくなるスピードが鈍り、多少硬くなりますが、10月いっぱいは出荷します。ピーマンは11月上旬頃までは出荷できますが、これも大きくなるスピードが鈍ります。オクラは10月10日頃で終わりですが、台風がその前にやってくると、それ以後、オクラの表面にぶつぶつが生じて、これも外観が悪くなります。


 3類のナンキンは収穫時にウドンコ病が必ず発生しているので、9月10日頃で在庫がなくなるように出荷してしまいます。それ以降はナンキンに腐れが発生してくる。ニガウリは9月いっぱいくらいで終わりです。9月はトウガンが重宝です。トウガンは同じウリ科でも、ナンキンより病気に強く、ナンキンより日持ちがします。冬瓜と書いてトウガンと読みますが、実際、冬まで持つようです。ただし、ダイコンやキャベツができだすと、入れるスペースがなくなるので、長くても10月いっぱいで在庫が終わるように作付本数を決めています。トウガンは余り大きくならないうちに収穫します。随時取りなので、箱に入れるのにちょうどよいくらいのサイズで収穫しています。9月に入るとサツマイモの早生品種が収穫できます。9月のお彼岸を過ぎる頃から野菜の品数や量が減ってくるので、サツマイモを×2倍とか×3倍で対応しています。サツマイモは普通種(早生と晩生)、ムラサキ芋、オレンジ芋の4種類を作っています。ふかし芋にできるおいしい品種なら、×3倍でも何ら問題ないと思います。サトイモも9月のお彼岸を過ぎたら出荷を始めます。サトイモは子芋を食べる品種ですが、9月、10月だったら、親芋も十分食べれるので、親芋もサービス品としてつけて出します。


 4類のエンサイ、ツルムラサキは春夏野菜が終わりに近づき、秋冬野菜はまだ生育途上である端境期の10月のワンパックを支えてくれる、きわめて重要な葉野菜です。自分が嫌いな野菜なら出せませんが、自分が好きな野菜は相手にも通じて、毎回入れ続けてもよいと思います。実際、6月の梅雨入り頃から10月中下旬の4ヶ月間は、ホウレンソウやレタス、アブラナ科の菜っ葉の出荷は露地では難しい。大体、夏場に葉物というのはエンサイ、ツルムラサキ、青シソくらいしか考えられない。モロヘイヤは葉物を3種類も出せないし、あまり好きでないので今は作っていない。青シソも花穂シソが9月いっぱいくらいで終わる。早くレタスができないかなあと待たれる今日この頃である。しかし、早くても10月15日頃になる。


 その他、10月中旬頃から出荷できる野菜として、ネギ、インゲン、ハヤトウリがある。特にこの時期のインゲンは重宝である。


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ポリマルチ・土に戻るマルチ

 農業現場では、農薬や化学肥料のように、作物を直接汚染したり、雨によって地下水を汚染したり、川へ流れ込んだりして、川の生態系を壊すものと、黒マルチやハウスの塩化ビニールのように、産業廃棄物となって、間接的に環境に負荷を与えるものの、二通りある。直接的か間接的かだけの違いで、あまり違わない。


 ボクが子供の頃には、田植え後の梅雨の時分には、おびただしい量の魚が川面を埋め尽くし、顔をそむけたくなるような光景が毎年繰り返されていた。子供心にも、きつい農薬が田植え後の田んぼに撒かれて、梅雨の雨とともに、それが川に流れ込み、魚が死んだんだということが、うすうすわかった。他に考えようがなかったし、子供は何でも、不思議なことや、おかしなことには疑問をもつものだから、他の子供ももちろん同じように思っただろう。当時は多分、ものすごいきつい農薬が使われていたんだろう。あの当時の農薬と比較して、今はどんな農薬が使われているのかよくは知らない。すでにとっくの昔に魚はいなくなってしまったから、どんな農薬が使われようと、川に変化を見つけることはできない。


 今から40年ほど前、川の上流にある山の斜面が牧場に切り開かれた為に、それを境に、川の生態系も激変してしまい、魚は全くいなくなった。もちろん、乱舞していた蛍も姿を消した。


 牧場が誘致されるにあたっては、集落の公会堂でかんかんがくがくの議論がなされただろうが、反対者の意見など踏み潰されてしまっただろう。大体、ゴルフ場等でもなんでも、誘致に当たっては前もって、集落の声高の者、地域出身の議員等に、「根回し」しておき、賛成者が事前に打ち合わせして、準備万端整えてから、集落の公会堂で誘致の話を持ち出すのだから、もうその時はかなり話が進んでいて、集落の会合なんかは事後承認をもらうようなものである。これでは、反対しようにもすでに事は決着がついている。


 学校のクラスでも集落の公会堂でも、同じ社会の構図である。いじめがあっても、大多数の人は見て見ぬふりをするし、自分に関わりがなければ、火事は大きい方がおもしろいみたいな傍観者の態度を取る。いたずらに、いじめに会っている人の味方をしようものなら、今度は自分に火の粉が飛んでくる。そんな正義感のある奴も少ない。大多数の人は、クラスや公会堂での、その場の空気にながされて、反対意見を言うなどの余算のエネルギーなど使おうとはしない。事なかれ主義が一番賢い選択だから。そういう人に限って、だからわしは反対しとったんじゃ、あんな所に牧場ができたりしたら、川がこんなことになるのはわかっとったんじゃ・・・と、現実の結果がそうなってから言いはじめる。もう今言ってもどうしようもないのに。それなら、なぜあの時、公会堂の集会で堂々と発言しなかったのか。発言する勇気もなかったのに。


 実際、クラスや公会堂で、声高な人や、暴力的な人、地域の議員などには、なかなか反対意見など言えないのものである。反論することはかなりエネルギーがいるし、一朝一夕にはいかないものである。例えば、選挙で集落推薦があったりした場合、その人の乗った選挙カーが家の前を1日3~4往復しても、1度も手を振ったりしない・・・などは相当難しいものである。確かに若い時は難しい。しかし経験を積み、常に自分が戦う姿勢を常日頃から持ち続けていれば、ある年齢になった時、それができるようになる。


 川が突然変わったのは、牧場のために山が切り開かれてからである。小学校の間泳いでいた池も泳げなくなった。上流から水が流れていたのに、水量がぐんと減った。我が家のすぐそばにある防火用水(掘り池)には、梅雨時分には、フナやナマズが釣れたし、学校の運動靴を洗ったり、隣の家の人が洗濯に来ていたりしていたのに、以後、洗えなくなった。


 ボクが中学生の頃、この集落の生態系も大きく変わってしまったような気がする。田植え後の農薬による魚の大量死、腐った臭い、川の上流の開発、稲作が手刈りから機械への移行、ダムや池、川の改修、高度成長による乱開発・・・。人心も急激に変わっていっただろう。


 時は流れて20年、中学生だった自分は30代半ばにさしかかっていた。幾度となく転職を繰り返した後、35の春、突然、頭に農業がひらめいた。最初はハウスで花を作るつもりだったが、2年間の試行錯誤の過程で、「百姓になるための手引き」、「都市生活者のためのほどほどに食っていける百姓入門」、「自然食通信(雑誌)」「土と健康(有機農研の会誌)」等に導かれて有機農業を始めた。37が目前だった。


 スタートしてからの3年間は完全無農薬だった。それまでずっと稲を作っていて、畑作はめずらしかったせいか、野菜がよくできた。害虫が少なく病気もなく、無農薬は簡単だった。今でも無農薬で簡単にできる野菜の方が多い。難しいのは自分の場合は4種類(アブラナ科野菜、ジャガイモ、タマネギ、ナンキン)である。化学肥料はスタート時から時々使っていた。肥料全体の1~2割ほどは使っていた。化学肥料を使わなくなったのは、鶏糞から液肥に切り替えてからである。


 黒マルチもスタートして3年間ほどは全く使っていなかった。何かグロテスクに感じたし、自然に還らないものは使いたくなかった。しかし、黒マルチはいったん使い始めると年々使う量が増える。とても便利であるし、肉体的にも楽だから。


 黒マルチは0.02ミリあるいは0.03ミリの黒色のポリの素材である。定植のための畝立てをした後、このポリで土の表面を覆う。最大の欠点は使用後は自然に還らず、産業廃棄物になるという点である。


逆に長所は次のごとくである。


(1)黒色のポリで覆うので草が全く生えない。


(2)雨水が入らないので肥料が流亡しない。


(3)雨は植え穴からしか入らないが、地中の水分も蒸発しないので、保水力はこの方がかなり高い。


(4)黒マルチをすることによって地温が上がるので、10日ほど早く収穫が始まり、10日ほど遅くまで収穫ができる。つまり、前後で20日ほど収穫期間が長くなる。


(5)雨による泥はねがないので、収穫物の葉に泥がつかず、収穫後、洗う必要がない。


(6)雨による泥はねがないので、病気の発生が少なく、多少の虫除けにもなっている。


(7)雨にたたかれないので、マルチの下の土はやわらかく、、後作が不耕起でできる。


(8)1年、黒マルチをしておけば、草の種が落ちないので、翌年の草の生える量が大分少ない。


(9)植え付けが1ヶ月後でも、手の空いた時にいつでも黒マルチをして準備しておける。黒マルチをしないで露地の場合、2週間も早く準備すれば、雨にたたかれて土の表面が固くなるし、草も生えるので、もう一度畝立てのやり直しになることが多い。


10)液肥の場合、雨で流亡しやすいので、液肥と黒マルチはセットみたいに自分は考えている。


(11)黒マルチをしていると、かなりの雨量があった場合でも、作物の植え穴からしか雨が入らないので、翌日にはサツマイモ等が掘れる。


(12)ハーブなどの葉物は、泥はねがあると洗わざるをえなくなる。ハーブのほとんどは黒マルチなしでは考えられない。


(13)黒マルチをしていると、露地に比べて、作物の収量が15~25%ほど上がる。


(14)敷き藁より安価で、敷き藁ほど敷く手間がかからず、敷き藁より除草は完璧で、敷き藁より作物のできがよい。


(15)地温が上がるので、少々定植が遅れても、露地物に追いつく。


 黒マルチは毎年、購入した農業資材店か、産業廃棄物処理業者に有料で引き取ってもらっている。キロ単価はどちらも50円であり、毎年70キロほど廃棄黒マルチが出る。処分料金は3500円ほどである。


 土に戻るマルチ、つまり生分解性マルチ(トウモロコシ等が原料)も使ったことがあるが、ポリの黒マルチの4倍ほどの価格であり、破れやすく、1年で使うことをやめた。


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簡易水道、上水道

  ペットブログを見ていたら、すぐ30分ほど過ぎてしまう。自分もそんな面白いブログにしなくては・・・。


 出荷の日はどうしても4時頃までは出荷作業がかかってしまう。全農作業のほぼ半分近くが収穫、仕分け、出荷作業になってしまうというのは、やはり、ワンパック宅配形態の大きな欠点だと思う。他の農業形態の場合、収穫、仕分け、出荷作業が、全農作業の何割を占めるのか、具体的に聞いたことはないが、ワンパックほどはかからないのでなかろうか。


 ワンパックの場合、収穫に2時間半、仕分けに1時間半、納品書、送り状、振込み用紙記入、売上帳に記入の事務処理で45分~50分、箱詰め前に在庫のジャガイモ、タマネギ、サツマイモの仕分けに15分~20分、箱詰めに1時間~1時間10分、宅急便営業所への往復で30分。


 つまり、午前中の収穫と仕分けで4時間、午後からの作業に約3時間ほどかかり、合計で7時間。う~ん、こんなに時間をかけてはいけない。でもかかってしまう。在庫品の仕分けは案外と時間がかかる。タマネギは収穫時の5月末に一括出荷できるなら、今の半分の価格でも、そうした方が採算がよいように思う。タマネギは、収穫後のつるす手間、出荷時の選別の手間、保存中の劣化と、トリプルロスが発生する。ジャガイモは簡単だが、サツマイモは選別に手間取る。


 農作業の時間が1週間に3日(出荷は月、水、金の3日間)ほどしか取れないから、どうしても農作業が滞り、後手後手にまわってしまう。計算上は週4日取れるが、雨の日とか、大雨の翌日とか、集落の葬儀や出仕事や家の用事等で、平均すると週に1日は何もできない日があるので、実質上は3日ほどしかできない。


 今日は出荷が終わった後、夕方1時間ほど水やりをした。台風の雨以後は晴天が続いてよく乾いている。台風はまるで交通事故のようなものだ。どちらも一瞬のことであるが、後々まで、大きな後遺症を残してしまう。台風以後、穏やかな秋晴れが続いている。1時~3時頃はまだ真夏日のような暑さである。台風を境に急に外観が悪くなったナスビやオクラを見るたびに、あの台風は一体何だったのだろうと・・・繰り返し自問する。自問してもどうしようもないことであるが。


 水やりしたのは、ハクサイ、キャベツ、ダイコン、カブのアブラナ科四天王とレタス類である。ここで適度な水分を補給して、どんどん大きくなってくれないと、小さい時にダイコンサルハムシにやられると痛手が大きい。ダイコンとカブは蒔き直した分である。第1回めのダイコンとカブは見るも無残に壊滅した。蒔き直しは相当に手間取るし、同じ場所に蒔き直しすることはできないので、かなり離れた場所に蒔き直しする必要がある。4枚重ねの畑の一番上の畑で害虫が発生したので、一番下の畑に蒔き直しした。今はまだ大丈夫であるが、2回目は失敗はできない。友人から買ってでも入れないと、こんなメイン野菜が入らないワンパックなど考えられない。でも買うことは実質不可能である。誰も余るほど作ってはいないから。


 昨日、田舎でも自給自足できるものは何一つないと書いたが、一つだけできそうなものがある。それは「水」である。上水道はもちろんあるのだが、我が家には「山水」を引いた「簡易水道」というのがある。この簡易水道は門先にあって、ジョロで野菜に打ち水をする水や、ニワトリの水は、この水を使っている。その他、雨の日の出荷で、泥だらけになったニンジン等を洗ったり、収穫容器を洗ったり、ペットボトルに入れて、飲み水として田んぼに持参している。本当にありがたい山水である。これを見つけた人に感謝しなければならない。今から80年ほど前にこの簡易水道が作られたらしい・・・。


 この簡易水道の水源地は、我が家のすぐ東にある低い山の中にある。我が家から歩いて300メートルくらいの所にあり、20メートルほど登った所にある。とてもおいしい水である。上水道の水は飲み水には利用できないが、この山水は水筒がわりのペットボトルに入れて田んぼにもって行く。毎日、夏は2リットル、今でも1リットルくらいは田んぼで飲んでいる。以前は夜、やかんでハーブティを作って、それを朝ペットボトルに入れて持っていっていたが、面倒くさくなって今はハーブティは作っていない。


 この水源地の発見者は、この山の持ち主で、80年ほど前に炭焼きをしていた頃に見つけたらしい。戦前は、このあたりの山でもよく炭焼きをしていたらしい。今でも、この水源地のすぐそばに、炭焼き窯の後が残っている。古老の話によると、雨が降らず晴天続きでも、水がちょびちょびとひっきりなしにしみ出ている箇所があり、そこが結局、水源地だったわけである。どんなに雨が降らなくても、この80年ほどまだ一度も枯れたことがない水源であるらしい。集落の13軒ほどがこの恩恵を今でも受けている。ボクが子供の頃には、この山の地続きで、北に500メートルほど行った所にも水源地があり、集落の上の方の10数軒がこっちの水源地を利用していたが、こっちの方は山の一部が開発されて、水源地としての機能を果たさなくなり、今は使われなくなっている。この二つの水源地から離れた所にある家は、個々の家で井戸を掘っていたらしい。


 この水源地が今も利用できているというのは、農業をしている自分にとっては、とてもありがたいことである。1年に1度、水源地の管理料して1000円払うだけである。そして、1年に1度、この水源地を利用している13軒ほどで水源地の掃除をしている。たったそれだけで、1年中この水が利用できている。今湧き出ている水は500年~1000年ほど前の水だろうと、水に詳しい人が言っていたが、どういう意味なのか、こういうことは自分にはよくわからない。


 この山水(簡易水道)を利用しているのは、他にお風呂である。お風呂は、上水道も簡易水道もどちらでも利用できるようにしている。ただ、簡易水道は雨の日はちょっと濁る。以前は洗濯にもこの簡易水道を利用していたが、今は上水道にしている。


 山水(簡易水道)と上水道の二つあるというのは、大きな財産だと思う。特に農業には、なくてはならない水である。毎朝16リットルの水入れ容器をいっぱいにして田んぼに持参し、一部はジョロに入れて、収穫後の野菜の打ち水に利用し、一部はニワトリの飲み水にしている。野菜の打ち水には、上水道の水より簡易水道の水の方が鮮度保持に効果があるような気がする。


 今、月間の上水道代金は平均して4500円もかかっている。年間にすれば54000円である。高すぎる。


 余りにライフラインが高すぎる。


(1)電話代(2)電気代(3)新聞代(4)NHK受信料


(1)ガス代(2)灯油代(3)上水道代(4)下水道代→2年後


(1)国民健康保険料(介護保険料を含む)(2)国民年金保険料


(1)火災保険料(2)生命保険料


(1)固定資産税→50400円(築55年の家屋と9反の田畑)


(1)車両関連費→税金、車検、任意保険、ガソリンの4点セット


(1)消費税→食料品にかけるな!


(1)汲み取り料(便所)→2年後は下水道代


 すでにライフラインの選択の余地などない。そしてこれらの支払い金額は、知らず知らずのうちにアップを続けているのである。


 この他に、生きるための最低限の文化的生活を維持しようとすれば、テレビ クーラー、パソコン、冷蔵庫、洗濯機・・・買い替えが死ぬまで続く。


 身分制度は固定されていたが、自給自足という経済の自由があった封建時代と、身分制度は表面上は消えたが、自給自足という選択の余地がなく、固定的な支出を強制されるという経済の束縛がある資本主義時代と、いったいどちらの自由度が高いでしょうか。


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生活費は田舎の方が高くつく

 お彼岸なので、彼岸花を折って、田んぼの上のお墓に上がり、ご先祖様に生けた。お団子でなく、野の花一輪、これがよい。


 ニンジンの間引き作業をしながら、今日は何を書こうかなあと、思いをめぐらす。その日のブログのテーマは農作業をしながら考えておく。1日8時間ほどの肉体労働があるから、作文の言葉が出てくる。


 今、田舎では自給自足できるものが、何一つなくなった。そして田舎では車が必需品であり、集落の冠婚葬祭費がかかる。つまり、都会暮らしより、田舎暮らしの方が絶対にカネが多くかかる。しかし、賃金は田舎の方が低い。そして、食料品等の生活必需品も田舎へ行けば行くほど高くなる。野菜も、都会より田舎のスーパーの方が高い。まさに、あべこべなのに、あたかも、田舎の方が生活物資が安く、暮らしやすいみたいなマスコミの風潮がある。


 田舎の、人のよい、おじいちゃん、おばあちゃん・・・そんな人もほとんどいません。都会の人と全く同じです。田舎も都会もライフラインという生活システムがすでに全く同一なので、考え方も暮らし方も都会と全く同じになってしまうのです。


 会社や組織では自分の居場所がなかなか作れなくても、田舎の集落では自分の居場所はすぐに確保できます。ただし、都会や他の地域からの新住民である場合、当地のように、まだ集落が集落として機能している、あまり過疎でない田舎の場合、それ相応の年数が経過しないと難しいようです。


 田舎では家は新築されて、代が変わっても、昔からあるその場所に家も人も住んでいます。だから見慣れた光景です。田んぼに出てくる人も大体決まっているので、いつもの挨拶程度です。田舎では家も人も、あまり代わり映えがしないので、いったん気まずい関係になると、その修復が難しいです。もっと気まずい関係になると、次の代まで尾を引く懸念さえあります。だから人間関係は都会ほど安易ではありません。都会の住人のように、話さなかったらいい、会わなかったらいいで済ますことができず、同じ道を通れば、いやでも顔をあわすことになります。だから、田舎の人は外観とは裏腹に単純ではなく、それぞれの家で案外複雑な近所周りとの関係になってしまいます。簡単では終わらないというのが、田舎の欠点であり長所です。


 子供の頃から集落の風景はそんなに変わっていない。だから、周囲の風景に対する自分の居場所を安定的に確保できます。都会のように10年をサイクルに周囲の風景が一変してしまえば、自分の心象風景さえ根こそぎに壊れてしまいます。これでは自我を保持することが危うくなります。


 家庭菜園をしているのは、70才過ぎの人たちです。60才以下で家庭菜園をしている人は一人もいません。定年を迎えると、家庭菜園を始める人も、中にはいます。


 稲作はすでに崩壊寸前です。4人家族で、1人が1年間に1俵(60キロ)食べるとすると、1俵が今は1万2千円くらいですから、5万円も出せば、1年間の米代になります。作ると、よく取れても10アールで8俵です。つまり8俵×1万2千円=9万6千円にしかなりません。すなわち、1ヘクタール(100アール)作っても、96万円にしかなりません。自分の人件費はゼロで計算しても、機械の減価償却費、肥料代等を差し引くと、一体いくらの黒字が出るでしょうか。黒字ではなく赤字ではないでしょうか。


 車が自分で運転できる間は田舎暮らしも可能と思いますが、80才を過ぎて、反射神経が鈍くなった時、運転はちょっと危ないような気がします。しかし、車が運転できないと、田舎では身動きできません。成人は1人に1台の時代です。


 田舎ではカネがかからないように錯覚するのは、パチンコ屋とか喫茶店とか飲食店等のカネを使う場所がまわりにないからだと想像できます。都会の人は身近にそういう店が存在しているというだけで、使わなくても、カネがかかると錯覚してしまうのです。


 田舎の人は山や田んぼの風景が毎日、目に飛び込んできます。都会では、アスファルト道路とかビルディングとか看板とか、商店街とか密集した住宅とかネオンとかが毎日、目に飛び込んできます。人間はちょっと前までは、山や川のそばで生活していたので、都会の風景は、それ自体がストレスになります。都会の風景がストレスではなく情熱と感じるのは、30才くらいまでと思います。中年を過ぎると、都会の風景自体がストレスになり、カネを使うことによってしかそのストレスを放出する手段が亡くなっていくのではないかと思われます。


 バテバテになって60才を迎えた団塊の世代は、15の春、集団就職列車と名づけられた夜汽車で大都会での一歩を踏み出しました。あの時は大手を広げて迎えてくれた大都会でした。そして迎えた60の春、「田舎へ帰りたい」と心の奥深くからの叫び声を聞いた。田舎へ帰って、小鳥の鳴き声や川のせせらぎの音を聞きながら、晩年は百姓をして過ごそうと思った。やっと自由な自分の時間が戻ってきたから。


 あなたの田舎は元の昔のままの田舎だったでしょうか


 心地よく迎え入れてくれた田舎だったでしょうか


 時々思いだしていたあの当時の田舎だったでしょうか


 たどりついた田舎ぐらしの第一歩はどんなだったでしょうか



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できすぎる人

 どんな世界でも、自分から見て「できすぎる人」がいる。義兄もその一人である。年齢は自分より3才年上の57才であるが、農業高校を出て18才の時から農業をしているので、すでに農業歴が40年である。シロウリ、トウガン、ハクサイ、キャベツを専門作物にしている。瀬戸内市の牛窓町は県下でも有数の、野菜の大産地であるが、その中でも義兄の規模は大きい。


 ハクサイとキャベツの苗は育苗中に失敗することが多い。今年はハクサイの苗が育苗中に大雨にたたかれて失敗した。細心の注意をしているつもりだが育苗はむずかしい。失敗した時は義兄に苗をもらう。こういう所にも自分の甘さがあるのかも知れない。その苗であるが、自分はハクサイもキャベツも1ケース半(約200本)しか植えないのに、義兄はそれぞれ800ケースほど植える。軽く500倍を超えている。種を蒔くのも、植えるのも機械であるが、ハウスの中に育苗ケースが並んでいる光景は壮観でもある。定植場所を見ても、気の遠くなるような広さである。しかし、ばたばたしている風には全く見えない。


 でも、こういう人は農業の世界に案外存在する。自分の身近でも何人か知っている。自分にはできそうにないことを平然と悠然とやってのけるのである。非農家出身で、農業経験はもちろん、全く農業とは関係のない世界から農業に転身した人の中にもこういう人がいる。新規就農してまだ3~4年しか経過していないのに、野菜の作付面積がボクの3倍、そして稲作も80アールほど、そしてニワトリも200羽ほど飼っているという具合で、「何で、そんなに、こなせるん・・・」と思ってしまう。夫婦2人でしているといっても、まだ子供は小さいから、配偶者の手間は半手間ぐらいのはずなのに、相当な作付量をやってのけている。


 こういう「できすぎる人」とは、どうしても疎遠になってしまう。とてもじゃないけど参考にはできない。話を聞いていてもスケールが大き過ぎてついていけない。自分の場合は、自分よりちょっとレベルが上の人とか、自分よりもっと規模が小さい人とか、家庭菜園の人から、多くのことを学ばせてもらった。そういう人の言われることは耳にどんどん入ってくる。規模が違いすぎると、とても参考にはならないのである。だから行かなくなる。


 たまにそういう農の現場に遭遇すると、ただ、唖然とするだけで、多分、生きている世界も、考えている事も、自分とは平行線をたどるんだろうなあ・・・と思う。


 非農家出身の新規就農者でも、5~6年のうちに脚光を浴びる(マスコミなんかに取り上げられる)ような人は、上記のような「できすぎる人」である。そういう人ができたからと言って、自分もできるなどと決して思わないで下さい。


 ここからが本論であるが、そういう人の成功事例に決してだまされるなということである。新規就農の成功事例で取り上げられる人はこういう人が多い。こういう人は、他の世界でも同じようにやりこなす人なのである。たまたまそれが農業だったというだけのこと。だから、そういう人を参考にしては「決していけない」ということを言いたかった。


 いきなり農業の現場に飛び込む人はいないから、まず最初に、何ヶ所か現地見学もするだろうが、その時に、自分の心の中を透明にして、じいっと考え続けて(見続けて)、それが自分にぴったりこなかったら、あるいはピンとこなかったら、それは多分自分に向いていないんじゃないかと思う。漠然としかつかめなかったら、あるいは、釈然としなかったら、もうちょっといろいろ、その分野のことを調べたり、もっと他の場所も見学した方がよいと思う。


 各県のニューファーマーズ支援制度に応募して、行政や農協の支援を受けてスタートする新規就農者は、選ばれて、狭き門を突破した人なので、それなりに貯金もあり、能力も認められたからなのだろうが、最終的に、農業をうまく軌道にのせることができるかどうかは、選んだ行政側の人にも本人自身にもわからないのである。


 これとは別に、行政や農協の支援などを特に受けることはない有機農業系の人は、大きな失敗もない代わりに、大きな成功もない。農業への入り方も目指す方向も異なる。有機農業系の人はビジネスとして農業を捉えるというよりも、生き方として農業を捉えている人が多いように思う。前者は職業としての農業なのに、後者は自給自足的な生き方が根底にあるように思う。現在の世の中は自給自足ができないシステムなので、有機農業的生き方はとても険しい。


 「できすぎる人」は、有機農業系は選択しないようである。最初は選択していても、いつの間にか専門作物系に転換している。


○○様


 がんばっておられる様子がブログからよくわかります。就農1年めなのに、稲も作っているんですね。


 画像の生姜がとてもおいしそうでした。ボクは生姜は作ったことがありません。生姜と似ているわけではありませんが、ミョウガ、ニンニク、青シソ、ラッキョは作っています。こういう個性的な野菜はワンパックのアクセントになります。特に青シソとラッキョ(ラッキョは自給用のみ)は自分の好物です。


 ダイコンの「ずらし蒔き」は大変だと思います。研修先でもずらし蒔きをされていたのでしょうか。秋冬作のアブラナ科野菜は1日でも遅い方がそれだけ害虫の被害が少ないように思います。ダイコンの種蒔きの最適期幅は3~4日間しかないと思います。それより早く種を蒔くと害虫が多いし、それより遅いと収穫期がかなり遅れます。早蒔きして害虫が発生すると、ずらし蒔きした後作に次々に害虫が移動してくると思います。


 早蒔きするなら、最適期より1週間ほど前が限度と思います。そして、その時に「捨て作り」と考えて5倍くらい厚蒔きにして、その年の害虫の発生状況を確認(おびき出し作戦)し、集まってきた害虫(飛んでくる虫はどうしようもありませんが)を、湯をかけて殺したり(大きなハガマなどで湯を沸かす)、火炎放射器(あるいは枯れ草などをその上で燃やす)などで焼き殺して、初期の密度の低い状態の時にやっつけるとよいらしいです。手取り(手で取ること)は大変だと思います。(1)最適期より1週間ほど前に (2)捨て作りで (3)厚蒔き、もしくはアブラナ科野菜を誰かにもらって、おびき出し作戦をして(4)湯あるいは火でやっつける という方法は効果があるようです。


 害虫は秋に何回も何回も繁殖を繰り返すようなので、いったん被害が出てそれを放置しておくと、後作だけではなく、その周辺で越冬して翌年も同じ場所で被害を出すようです。


 秋冬作の野菜でずらし蒔きするのは、自分の場合はホウレンソウとシュンギクだけです。寒くなっても成長が旺盛で、成長のピークが過ぎてしまい、収穫適期幅が短いので、ずらし蒔きしていますが、他の作物は、その作物の最適期の最後の日に1回だけ蒔くようにしています。1日でも遅い方が害虫が少なくなるだろうし、秋冬野菜は霜に何回かあたらないとおいしくならないし、収穫期が厳寒期に入るので、成長もごくゆっくりになり、2~3ヶ月、田んぼに置いておける。


 レタスやキャベツやハクサイは、早生品種と晩生品種を同一日に蒔いて(1回で終わるから)収穫期をずらすようにしています。一般に、晩生品種の方がおいしく、田んぼに長くおいておけますが、逆に害虫は早生品種の方が免れることが多いです。レタスは虫が来ないので関係ないですが、ハクサイの早生品種は一気に結球してくるので、中に虫が入り込んでいくことは少ないが、晩生品種は結球がゆっくりなので、その間に中心部の方まで害虫が入り込む危険性があります。


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農業形態の変更を目指した日々

 農業者といっても、ピンからキリまでいる。同じ農業なんだから、他の農業もできるんじゃないかと思われるなら大間違いで、誰でも、今現在、自分がしている農業形態以外の農業は難しいと思う。 


 ボクは農業をスタートする前、有機農業とか、ワンパック宅配という農業形態があることさえ知らなかった。農業改良普及所の所長に連れられて、近くの先進農家の花のハウスを見せてもらったことがある。案内されてハウスの中に入ってすぐに、こういう農業は自分には向かないなあとすぐに感じた。すでに35才だったので、どんなことならできて、どんなことはできないかぐらいは、かなりわかる年齢だった。所長さんが、これからは野菜より花がいいと言われたが、ハウスが自分の力では立てれそうになかった。


 稲作は機械が苦手だったので、ハナから眼中にはなかった。父の病気入院の年に即、稲作は手放した。ボクの農業と父の稲作はちょうど3年間かさなったが、手伝いもしなかった。苗を運ぶのを手伝っただけだった。


 農業を始めたらニワトリは飼うつもりだった。自分を有機農業に導いた1冊の本「都市生活者のためのほどほどに食っていける百姓入門」という長ったらしい題名の本を読んでから、ぜひニワトリを飼おうと思った。子供の頃、家でも30羽ほどのニワトリを飼っていた。でもいろんな農業者のトリ小屋を見せてもらってから、自分には30~40羽ほどしか飼えないと思った。トリ小屋を自分で立てることができないなら、ニワトリは30~40羽までしか飼えない。


 大規模にニンジンを作っている人の田んぼを見せてもらった時は、自分にはこれは真似ができないと思った。


 とにかく、努力したらできるかも知れないと思えることと、これはいくら努力しても自分にはできないだろうということは、田んぼや畑や構造物を見せてもらっている間の1時間ほどの間にわかるのである。ボクが現在している農業形態は、農業形態の中でもごくごく一部の100分の1くらいのエリアでしかない農業である。つまり残りの99%の部分の農業は、自分に何らかのきわめて苦手な部分があって、そういう農業形態は真似ができないというか、できるとは思えない。趣味で農業をやっているわけではないので、もっと儲かる農業形態を自分がやりこなす能力さえあれば、すぐにでも変わりたいし、それができたなら、とっくにその農業形態に変わっていただろう。変える力(能力)がなかったから、16年もワンパターンのワンパック宅配をしているのである。安全とか環境、そんなものより、自分の生活(収入)を優先して考える。どんな農業者でも、農業の全分野のごく狭い自分の得意と思える部分の農業をしているのである。


 農業形態の変更ができなかったのは、自分に危機意識が足らなかったのか、意識下に甘えの構造があったのかも知れない。というのは、ボクが農業をスタートする1年前から、マルミさんが、奥様ではなく外様として働き始めたので、自分の収入が少ないために我が家の生活がまわっていかなくなるということはなかったから。でも経済を「どんぶり勘定」にしているわけではない。それぞれが稼いだ収入はそれぞれのものである。1代前も我が家はそうだった。


 「言いごとはトビツ(米ビツ)から」という昔からよく使われている言葉があるが、我が家の場合、特定の出費をどちらが出すかという問題がしばしば浮上した。


 だからボクも、16年もの間、安穏としてワンパックだけに安住してきたわけではない。内面では「我が闘争」を繰り返していたのである。それは「農業形態の変更」を試みる闘争である。


 同じワンパック宅配からスタートした友人の何人かが、6~8年め頃を境に、1~2年ほどの間に農業形態を大きく転回させて、経済的に安定していったのを見てきた。それができなくて、結局農業を止めていった友人もいる。


 自分の農業に大きな転機が訪れたのは8年目に入った年である。それまでの7年間は無我夢中で、とにかく野菜を失敗せずに作ることと、顧客の獲得のことだけを考え続けていた。農業に関する適性はあると思ったが、農業に関する能力が少ないということを痛切に悟らされた7年間でもあった。だからもう必死だった。しかし、作ることをいくらがんばってみても、顧客が比例して増えることはない。顧客を獲得することはまたそのための努力が必要だった。自分の野菜は農協とか市場では相手にされなかった(寸法、重量、外観などの規格が問われる為)ので、とにかく直接誰かに売るしかなかった。恥も外聞もなくというか、もうそんなことを言っておれる状態でもなかった。団地を引き売りしたり、朝市に出かけたり、美容院にパンフレットをおかせてもらったり、リビング新聞に広告を入れたり、新聞やテレビの取材を受けたり、雑誌に載せてもらったり、親戚や友人にワンパック購入の紹介を依頼したり、自分でパンフレットを持ってポスティング方式で大阪営業に出かけたりした。とにかく顧客を一定数まで増やさなければ、せっかく作っても無意味になってしまう。しかし、顧客は増えたり減ったりで一定せず、農業収入もほとんどアップしていかなかった。かといって、何か専門作物を持って農協出荷(市場出荷)という形態への移項は、どうしても身体が動いてくれなかった、というか作れる自信がなかった。


 8年めに入り、野菜が一応自分なりに失敗しないようにできるようになった時、それまでずっと気にかかっていたハーブを始めて植えた。自分は特定の専門作物を持って、それを深めることは向いていない。より広げて行こうと思った。大風呂敷に広げた。同じ年にドラム缶炭焼きを始め、年が明けると、自分の農業レベルも省みず「あめんぼ百姓塾」を立ち上げた。農業本体ではなく、農業塾で学習塾みたいに稼げないかと思った。自分でもまれに見るよい案だと思ったので、地元の新聞社に電話を入れて、取り上げてもらえないかとお願いすると、おもしろい企画であるからと、新聞にでかでかと取り上げてくれた。今もその新聞を保存している。でも反響は少なかった。5~6人から電話があっただけで、実際に農業塾へ入りたいという希望者は一人もいなかった。同じく農業塾関連で「田んぼで遊ぼ」というイベント企画を5千円ほどの広告代を出して、何回か広告に入れたが、小さな子供連れで来られて、田んぼを走り回られて困った。ドラム缶炭焼きや七輪で沸かすハーブティやゆで卵のイベントなども何回かしたが、顧客獲得には結びつかなかった。時間給1500円ほどの「家庭菜園ヘルパー」なども考えたが、頭の中の構想だけで終わった。一冬、「あめんぼ百姓塾、塾生募集」のパンフレットを持って団地を営業したり、公民館講座の開設をお願いしたりしたが、塾生は2~3人しか集まらなかった。


 農業本体では稼げないと自覚してから、結構いろいろと手を広げて、あの手この手で収入アップの道を模索してきた。結局どれもカネにならず、ハーブだけがカネにつながった。もし8年めに入った時、ハーブに手を出していなかったら、現在、ワンパック宅配の継続は危機的状況にあるだろう。なぜなら、個人客はすでに10軒ほどに減っているから。ハーブを導入してからは個人客を増やす営業努力をしなかったというのも個人客が減った原因であるが、8年もやってきて、個人客の数が安定しないということは、自分の野菜パックに問題があるか、もしくは、個人客はそこまで有機野菜に熱意を感じていないということである。そうでないなら、家族構成が1人や2人減ったくらいでワンパックを止めたりしないだろう。


 イタリア料理店に電話営業を始めたのは翌年のバジルの季節だった。とにかく、何らかの形でカネにしないと、趣味ではハーブが続かなくなると思った。ハーブを使ってくれそうなのはフランス料理店かイタリア料理店、それしか思いつかなかった。でも不思議なことに「電話営業をする」という方法に1年ほど気づかなかった。近くの電報電話局へ行って職業別電話帳をコピーさせてもらって持ち帰り、電話営業を始めた。「もしもし、岡山で野菜とハーブを作っている農家ですが、お宅のお店でハーブを使って頂くわけにはいきませんか」こんな電話をかけまくった。


 イタリア料理店は個人客よりもっと出入りが激しいが、横のつながりもあり、ワンパックが気に入ってもらえれば、口コミの紹介もかなりある。


 今、何とかワンパックを継続できるだけの、個人とイタリア料理店の顧客はキープできている。ここ4年間は全く営業活動をしていない。でも必要に迫られたら、いつでも営業活動をして数軒は増やすことができると思っている。


 13年が過ぎた冬の農閑期に、今まで書き続けたあめんぼ通信を1冊の本にしようと思いついた。それを出版社に送った。それからは毎年、1冊の本になるくらいの原稿を出版社に送り、ボツになったら小冊子にして自費出版を続けてきた。今年は勝負をかけて15社の出版社に送った。でも全てボツだった。しばらくへこんで書く気になれなかった。4冊めは小冊子にしなかった。毎年お世話になっていた方から、今回は小冊子にしないで、その分のお金を出版社の編集者に直接渡して依頼する方法もあると聞いたが、そういうふうにはならなかった。4冊目の原稿の打ち出しの過程で新しいパソコンの導入にせまられ、小冊子代がノートパソコンに代わった。


 もうワンパックだけの収入では先が見えている。どんなにかしなければならない。そうだ、夢の印税暮らしに賭けようと1冊目を小冊子にしてから思った。それからは農業本体以外の時間は作文に費やすようになった。でも全然甘くはなかった。出版社に原稿を送る方式は4冊めでひとまず退散することにした。新しいノートパソコンはよく自分の手に馴染んでくれている。毎日開いているうちにブログに出会った。そして、新しい挑戦の場をブログと決めた。いつの日かブログで稼ぐ。


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選択肢がサラリーマンしかない

 ボクの田んぼは集落の墓の下に広がっている。集落の墓は、低い山の麓にある。多分、山の麓を少し削って平らにして、そこを集落の墓にしたのだろう。


 たくさんの墓が見下ろしている、その下で農作業をしている。もうじきお彼岸なので、ちょこちょこ、お墓掃除やお墓参りに来られる。お墓に通じる道と自分の田んぼに通じる道は、途中までは同じだが、途中から分かれる。田んぼからでも、今誰が、お墓に来られたくらいは大体わかる。親しい人だと、お墓の上から「がんばっとるかあー」と声をかけてくる。


 お墓のすぐ下なのに、めったにお墓には上がらない。お盆とか、春と秋のお彼岸、正月前くらいである。お墓に上がっても、手を合わせたり、話しかけたり、拝んだりはしない。墓の周りに生えている草を抜く程度である。別に先祖を敬っていないということでもないが、なんとなく、手を合わせたりはしないだけである。手を合わせて幸せがやってくるとも思えないし、心の中で先祖を大切に思っていればそれでいいという意識もある。今自分が元気で農業をしていれば、両親も喜んでいるだろう、それ以上は何も望んでいないだろうくらいの感覚である。


 でもボクはもう若くはない。後20年も経過すれば73才なので、これはひょっとして生きていないかも知れないと想像したりする。それが近くなって、泣き叫んだり、わめいたり、おのれの不運を嘆き悲しんだり、とんでもなく取り乱したりしないように・・・日頃から・・・やっぱりこれは無理だ。ボクのことだから、とてつもなく取り乱すだろう。


 今まで自分が稼いできた生涯賃金は本当に少ないと実感する。サラリーマンの時は幾度となく転職したし、農業に転身してからはますますカネに縁がなくなったし。しかし、仮に他の人生があったとして、自分にイメージできるのは、地方銀行の支店の次長止まりの人生だったような気がする。これもひいき目に考えての、単なる想像であるが。それなら、今の農業をしている自分の方が、同じ人生としてはよかったかなと思う。しかし、サラリーマンとして、普通にやっていけたら、農業をしようなどとは決して思いつかなかっただろう。でも、サラリーマンを40年もやっていたら、ブログのねたになるような「種菌」を自分の中に蓄積することはできなかったと思う。


 日本人の97%の人が、それを選択するしか生きていく術がない「サラリーマン」という選択。誰も彼もが組織人に向いているわけではないのに、組織人としてのサラリーマンしか選択できない時代である。自分が生きてきた時代もそうだったが、この社会自体がすでに「固まって」しまって、自由な選択というか、生き方の自由がますます狭くなっている。好むと好まざるにかかわらず、向く向かないにかかわらず、サラリーマンという生き方しか選択できなくなってきている。サラリーマンからドロップアウトすると、生活に事欠いてしまうように、外堀が埋められている。 


 農業がその人たちを受け入れる受け皿になれたらよいのに、野菜を売ってカネにすることは難しい。2世代前のように自給自足的な生活ができるなら、農業現場で、300万人の新規雇用(新しい生き方)ができるのに、高度資本主義は、食の自給自足とライフラインの自給自足をできなくした(自給するとかえって高くつくようにした)。


 いったい、子供にどんな生き方を勧めることができるだろう。普通の子供は、学校を卒業する年に、たまたま受かったサラリーマン組織の中で、よそ見をせず、疑問を持たず、その組織の中で生きがいや自分の居場所を見出し、定年まで行き続けなければ、生活(収入)の道を閉ざされてしまうだろう。


 ○○様


 うっかり言い忘れていたのですが、タマネギは9月21日~9月23日の間に蒔いた方がいいと思います。55日育苗して、11月15日頃、定植します。ボクはタマネギと同時に、タマネギの隣に、春キャベツとソラマメを定植します。


 春キャベツは10月3日前後に育苗床(田んぼの畝)にばら撒きすると11月15日頃には適当な大きさなり、ソラマメは10月19日頃、5センチ間隔ほどに種を埋めておけば、11月15日頃、適当な定植苗になります。


 春キャベツは極早生品種(4月上旬から収穫期に入る。自給用のみ)と、中生品種(5月上中旬から収穫期に入る)を同時に蒔いておけば、春に種を蒔く必要がありません。タキイ種苗のまわし者ではないですが、極早生品種は春ひかり7号を蒔き、中生品種は秋蒔き中早生2号を蒔いています。特に後者は収穫適期幅が1ヶ月余りと長いのがよいです。6月の梅雨入り後の中下旬まで収穫できます。


 ホウレンソウは9月28日に第1回目を10月2日に第2回目を10月5日に第3回目を、144穴の連結ポットに4粒ほどづつ落として、間引かずに、そのまま定植します。そして大株にします。合計で9ケース蒔いています。


ばら撒き・・・種代が3倍かかる。間引き作業が手間取る。発芽率が悪い。


定植・・・種代が3分の1、間引き作業はないが、定植に2ケースで1時間ほどかかる。収穫と仕分けが楽(ボクの場合は黒マルチなので洗う必要もない)。


 ニンニク、ワケギ、ラッキョは3種類同じ場所に10月中旬~10月末頃に植えています。チャイブ(極細ネギ、多年草)、ニラ、ルバーブ(ジャム専用)の3種類も同じ場所に11月上旬~11月中旬に植え替えをしています。この6種類は植え時に幅があるので、少々遅れても問題ないと思います。


 春のレタスも10月末頃と11月6日頃の2回蒔いて(どちらがよいか自分で確認できたら、翌年からは1回)、小苗で冬を越させて、3月上旬に定植すると、春の出荷が早くできます。


 キャベツでもレタスでもエンドウでもソラマメでも中途半端な大きさで冬を越させると、強い霜で傷みやすいです。


 当地の初霜は例年、勤労感謝の日前後であり、毎日のように霜が降り出すのは12月10日頃からです。秋冬野菜は霜に2~3回あたってからがおいしくなるので、12月5日頃に、秋冬野菜のピークが来るように、種蒔きの日取りを決めています。


 ロケットは今月末まで種蒔きができるのでお勧めです。(1)炒め物(2)おひたし(3)生食と3パターンで食べれるのがいいです。特に生食がグッド。外観はホウレンソウとそっくりで、ホウレンソウくらいの間隔で定植してもよいし、ばら撒きして、そのまま収穫してもよいです。やりやすい方でされたらよいと思います。ホウレンソウと同じくらい耐寒性があり、春先の花も「ゴマ風味」でとてもおいしいです。種取りも簡単で、こぼれ種からもよく発芽してきます。興味と手間が取れれば種取りも・・・。


 以上、もし参考になることがあればご利用下さい。その他、疑問点等ございましたら、あなたのブログに書いて頂ければ、それを見て、自分のやっていることを書かせて頂きます。



                                    

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夕食のおかず

 ホームコタツを二つ並べていて、一方にはノートパソコンがたいてい開いた状態である。もう一つのホームコタツにはプリンターが置いてある。ノートパソコンはそんなに大きなものではないので、ちょっと前に押せば、残りのホームコタツのスペースで事務仕事はできる。納品書を書いたり、送り状を書いたりしている。


 今はノートパソコンがボールペン代わりになってくれている。今日がそんなに刺激的な日ではなくても、何か書くことは出てくる。


 9月は日々の疲れが残ることが多い。田んぼにいるか、昼寝をしているか、パソコンに向かっているかである。最近の昼寝は2時間くらい。パソコンにも夜3時間ほど向かっている。休息日や農休日はない。5月から12月までの8ヶ月間は、雨の日も休息日になることはなく、滞った事務仕事をする。1月から4月末までの4ヶ月間に、自分に取る気があれば、40日間ほどの自由な日があるので、その農閑期を楽しみにして他の月を過ごしている。


 パソコンに向かうと、やたらと時間を食う。1円にもならない非生産的労働だが、夜の時間帯だから、時間は何に費やしてもよい。


 今日の出荷は4時半頃終わった。6時頃までの1時間半ほど農作業ができるが、今日はもう出る気がしなかった。夕方、家にいる時は夕飯の2~3品を作っておく。今日作ったのは、オクラの湯通し、エンサイの湯通し、ニガウリと干しエビを炒めてタマゴをまわしかける。あまりに素っ気ないと思わないで下さい。マルミさんが仕事から帰ってもう一品作るか、何か市販の一品を買ってくれば、それでテーブルの上はにぎやかになる。他に常備品として、手作りの梅干とラッキョがあるのでもうそれで十分。タマゴもあるので、困ったときは目玉焼き。そのタマゴであるが、さっきニガウリを炒めていた時、溶いたタマゴのお椀に、炒め中のニガウリを戻し、お椀にタマゴの「ひとしづく」も残らないようにさらえた。これは亡くなった母がしていた「とてもつましい動作」と思っているが、他の人がこれを見るとどう思うかはわからない。すでに45年ほど前の子供の頃のことなのに鮮明に思い出せる。いつの間にか自分が同じことをしている。我が家は一番人数の多いときで7人だった。6人の時もある。5人の時も長い。今は4人である。4人分ぐらいだったら、料理を作ってもたかが知れている。夕飯を時々作るようになってから、5人以上、特に6人、7人の時は、母はえらかった(重労働だった)だろうなあと思う。4人までと、5人以上では、夕食の準備に対する心の持ちようが全然違ってくるように思う。一時代前のことなので、父は包丁を握ることなど全くなかったし。


 もうすぐ秋のお彼岸である。お墓掃除もしなければならないし、家周りの草取りもしておかなければならない。普通の日は、家の門先の草1本抜けない。忙しい。


 9月は種蒔きや定植をした野菜の中耕、除草、間引き作業があるし、10月のロケットの定植のための「地ごしらえ(耕運、畝立て、液肥担ぎ、黒マルチ張り)」があるしで、農作業は息つく暇がない。急いでいる時は、あぜ道の彼岸花がじゃまになる。


 

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台風後の復旧作業

 昨日は出荷で農作業ができなかったので、今日が台風の後片付けである。まずピーマンとナスビから起こし始めた。今回の台風はあまり強くなかったのか、あるいは、台風の前にした、盆栽仕立ての剪定が功を奏したのか、ピーマンが4分の1ほどしか倒れていない。ピーマンはナスビに比べて「根張り」が浅く、倒れやすいのに被害が少ない。ナスビもあまり倒れていなかった。今回の台風ではナスビもピーマンも1本の被害もなく、持ち直してくれるだろう。11月10日頃まで成るはずだから、こんな時期にダウンしてもらったら困る。マラソンで言えば30キロ地点も来ていない。秋ナスが成り始めてからまだ3週間である。


 ピーマンもナスビも、太さ18ミリ、長さ1メートル20センチほどの市販のポール支柱を、1本か2本、地中に差し込んで、支えにしているだけである。ピーマンは太い枝とポール支柱を紐で結んでいるが、ナスビは結んでもいない。強風が吹くとすぐに倒れるような、こんな簡易な方法の方が台風にはかえってよい。早く倒れた方が傷みが少ない。実際は作物の根は強いので、少々の風では倒れない。ただし、この方法は、ナスビとピーマンを合わせて80本くらいまでの定植(ボクはナスビ44本、ピーマン22本)の場合である。それ以上の本数になるとやはり、起こす時にめんどうになる。


 キュウリの支柱は完全に横倒しになり、ニガウリの支柱は半分倒れかかっていた。キュウリは起こせないのがわかった。でも、茎葉は生きている。その瞬間に頭にひらめいたのは、起こさずに、続きは「地這いキュウリ」として成らそうと思ったことだった。横倒しになっているが、根の部分は掘り起こされてなかったので、それぞれの根元に少し盛り土をして鎮圧した。ニガウリは何とか元通りに起こすことができた。


 オクラは株元を踏んづけて、起こしていった。収穫は10月10日頃で終わるので、倒れかかったまま放置しておいてもよいと思ったが、倒れ方がひどくなかったので起こした。


 この5作物の復旧作業に2時間もかからなかった。2時間以内で復旧作業が終わるくらいの作付範囲に留めておくと、復旧作業があまり負担にならない。


 その後、ハクサイ、キャベツ、ブロッコリー、レタスの定植苗の状況を見て周り、状態のよくないのは植え替えをした。


 ダイコンとカブはかなり害虫にやられている。農薬の散布量が明らかに少なかったようだ。面倒だが、午後から蒔き直しの決断をした。早めに昼食を取り、ホームセンターにダイコンとカブの種を買いに行った。2時半頃から蒔き始めて5時頃までかかった。


 ダイコンとカブの蒔き床は、他の作物の定植のために黒マルチを敷いて用意していた畝を使った。1列半ほど黒マルチをはがして、そこにダイコンとカブの種を蒔いた。黒マルチは農業現場から出る多大な産業廃棄物であるが、早々と、黒マルチをして準備しておいたから、それをダイコンとカブにまわすことができた。


 第1回めに蒔いた場所から、かなり離れた場所に2回目の蒔き直しをした。同じ場所に蒔き直しというのは、害虫が発生している場合はだめである。今日は9月19日だから、当地での最適期より5日ほど遅れたが、これくらいの遅れならまだ十分間に合う。しかし、9月25日ではもう遅すぎる。これでもう蒔き直しはできない。農薬は初回より気持ち多めにした。初回の量では全く効果がなかったから。


 今日はこれで家に帰った。ダイコンとカブの種蒔きはどうも疲れる。害虫のリスクが高いので、芽が出揃っても、その後2週間ほど経過してみないと、うまくいくかどうかわからない。


 でも今日は大仕事ができた。5作物の復旧と、定植苗の植え次、そして、ダイコンとカブの蒔き直し。全て、今日しかできない作業だった。明日はまた出荷でできないし、復旧も植え次も蒔き直しもこれ以上遅らせることはできない。


 


 

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長年の習性

 さっきまで2~3時間ほどかけて打った今日の更新記事が突然画面上から消えてしまった。誤って、違うキーボードに指が触れたため、突然画面が切り替わり、元に戻そうとして、また別のキーボードに触ったら、もう戻らなくなった。


 もう11時15分だから、今日はもう余り打てそうにない。ダイコンサルハムシと台風に襲われた、この2日間の腹立たしさをブログにぶつけていたのに消えてしまった。今日のことは今日しか書けないことも多いのに、ああ残念。でも12時頃まで少しでも、今日の更新記事を書こう。


 突然のイノシシの出現や、害虫の大発生、台風の襲来に、一人落ち込んでみても事態は何ら変わらない。事態を一人のこととして終わらせないためにも、誰かに伝えたい。


 今朝は出荷だった。とにかく今日の出荷は予定通り終わらせる必要がある。長年の習性か、気持ちは落ち込んでいても、身体は動いてくれる。昨日5種類の成り物(キュウリ、ナスビ、ピーマン、オクラ、ニガウリ)は収穫しているので、今日は残りの葉物を収穫すればよい。葉物はあまり台風の影響を受けていない。ハーブもほとんど大丈夫だ。とにかく台風の翌朝であろうと何であろうと、ワンパックという一つの形に持っていく必要がある。上記5種類は出荷の日の朝取りというわけにはいかなかったが、結果的に、前夜の烈風にさらされ続けるより日持ちもよいだろう。


 キュウリとニガウリの支柱は倒れ、オクラも半数ほど横倒しである。ナスビとピーマンは、今日はまだ風が強くて起こせなかった。明日朝一番に起こさなくては。


 明日はハクサイ、キャベツ、ブロッコリー、レタスの定植苗の傷み具合も見てまわり、植え次(欠株への補充もしくは植え替え)もする必要がある。ダイコンサルハムシによるダイコンとカブの被害の進み具合も確認して、蒔き直しが必要なら,すぐに手を打つ必要もある。


 落ち込んではいられない。とにかく明日中にしなければならないことも目白押しである。こんなに前むきになれる自分が不思議である。年の功かな。

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台風に備えて盆栽仕立て

 大ブレーク中の「富士丸な日々」の穴澤さん・・・。読者の圧倒的な支持を受ける理由が、動画を見ているとわかるような気がする。ペットを介した芸術家。このブログで、自分の気持ちを思いっきり高めて、自分のブログに向かう。


 昨日の台風情報を見て、今日は日曜日だったが、木にぶらさがっている「重たい野菜」は収穫することにした。野菜でも、オクラやナスビやピーマンは「木」のようになる。


 台風の直撃に備えて、キュウリ、ナスビ、ピーマン、オクラ、ニガウリの5種類の成り物(果菜類)は小さいものまで収穫することにした。惜しいけど仕方がない。重たいままでぶらさがっていては、台風で倒れて、その後起こす時に不便になる。


 キュウリは3回目のキュウリ(例年1ヶ月おきに4回ずらし蒔きをするが、今年は3回)が長く成り続けてくれたが、この台風で終わりになるだろう。


 ナスビとピーマンは比較的小さいのも収穫をしてから、「木」を盆栽のように丸く剪定した。長く徒長した枝は切り落とし、木の中心部分から離れすぎた小枝を切り、真ん丸くなるように、盆栽仕立てに切り戻すというのが、自分の台風に対する備えである。強い台風なら、盆栽仕立てにしても倒れてしまうのであるが、 盆栽仕立てにしておくと、起こす時に起こし安い。ナスビやピーマンには、簡単な支柱しかしていないので、台風が来ると、すぐに倒れてしまうが、早く倒れた方が木の傷みが少ないので、あえて、簡単な支柱しかしない。実は、少々の風では倒れないだけの支柱が、不器用で作れないだけのことなのだが、あまり困っていない。


 農業をスタートしてから数年は、頑丈な支柱を作れない自分に能力不足を感じた時期もあった。しかし、毎年必ず台風がやってきてすぐに倒れるのに、すぐに倒れるから逆に、凛として立ち尽くすナスビやピーマンより傷みが少なくて回復が早いということに気づいてから、不器用を逆手に取るというより、簡単な支柱にした方が実はいいのだということに、ある年に突然気づいた。その後はナスビとピーマンに対する苦手意識も吹き飛んだ。でもナスビは44本、ピーマンはその半分の22本しか定植しない。倒れた時に起こすには、これくらいの定植本数が適当だし、ナスビもピーマンも、他の野菜やハーブの中で位置づけて考えると、これくらいあれば十分である。自分は、数種類の作物をきちんと(整然と)、大量に作るというのは、つくづく苦手なんだと思う。でもそういう作り方が負担にならないなら、少品目大量生産にした方が、経済的には採算がよいと思う。身体的にはどちらが楽かわからないが。


 キュウリ、ナスビ、ピーマン、オクラ、ニガウリを収穫して、ナスビとピーマンを剪定すると、台風に対する備えは終了。その後、スイートバジルの伸び過ぎているのを切り戻した。スイートバジルは台風には強いが、できれば背が低い状態の方がより被害は少ないので、背の高いバジルは切り戻しておく。


 エンサイ、ツルムラサキ、青シソと、他のハーブ類は、台風の影響は少ない。こういう強い作物もあるからありがたい。


 タマネギ、ジャガイモ、ナンキン、トウガンは在庫野菜であるから台風は関係ない。


 サツマイモは台風の影響はほとんどないし、サトイモも大型台風でない限り比較的強い。


 逆に、かなり困るのは、種蒔きや定植をしたばかりの秋冬野菜が、強風や大雨で傷むことである。ポット育苗の定植物は、こういうことも見越して、半分ほどの予備苗を用意しているので、対応可能だが、ダイコン、カブ、ニンジンの直播の野菜や育苗床の直播の苗が被害を受けやすい。


 

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ダイコンサルハムシ

 ぞろぞろぞろ、ぞろぞろぞろ、、水を入れた液肥を担ぐタルの中にもダイコンサルハムシが何匹か浮いている。液肥にかぶせたブルーシートの上も何匹かぞろぞろはっている。今年は多い。ダイコンとカブに農薬を使っておいてよかった。


 今日は雨の予報だったが、雨はぱらぱらとしか降らなかった。明日は台風の直撃を受けそうだったので、キャベツやハクサイの定植は台風通過後にしようかと思ったが、半分は残して、半分はとりあえず植えておこうと判断した。キャベツ、ハクサイ、ブロッコリーの定植、干しネギの定植、秋ジャガイモの定植、レタスの欠株へ再定植。その後、ロケットの第2回めの種蒔きを育苗床にした。そして、ふと先日蒔いたマスタードグリーンや赤色カラシナの発芽状況を確認しようと目を近づけて、仰天、ダイコンサルハムシがうじゃうじゃ集まってきている。これはだめだと思い、すぐに、ダイコンとカブの発芽状況も確認した。農薬が全然効果を示していない。やっぱり量が少な過ぎたのだ。すぐに家に引き返し、農薬を持ってきて、カブとダイコンの上からまたぱらぱらと散布した。それからすぐに、全てのアブラナ科野菜の株元に同じように農薬を散布した。他のアブラナ科野菜とはハクサイとキャベツとブロッコリーの3種類である。アブラナ科野菜は害虫が多いので、ぎりぎりまで減らしているが、この5種類(ブロッコリーは少し)は削れない。


 しかし、アブラナ科はこの5種類だけでなく、ハーブにもアブラナ科に属するものがいくつかある。代表的なのが「ロケット」である。ロケットのほかに、セルバチカ(原種ロケット)、マスタードグリーン、赤色カラシナもアブラナ科である。ロケット以外のアブラナ科のハーブは止めてもいいのだが、注文もあるので、ほんの少しずつであるが作っている。アブラナ科のハーブはすべて育苗→定植という2段階だが、育苗は、ダイコンとカブの種蒔き日と同一日にしている。そして、定植は25日後の10月10日頃である。定植が遅いので、この時期になると、ダイコンサムハムシの勢いも弱まってはくるが、初期にダイコンやカブに大発生すると、その後、これらのハーブにぞろぞろと移動してくる。


 去年までの4年間のアブラナ科の無農薬が不思議なくらい、今年はダイコンサルハムシが多い。去年、生育途中からカブに発生して、その後カブの葉がレース(網)のようになるくらい増えたのに放置していたのが遠因かもしれない。気分が重い。

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宅配用の箱について

 県外の顧客だったら、宅配用のダンボールケースがいる。ボクが用意しているのは、


120サイズ→縦33 横58 高さ27 合計118(120サイズ)


100サイズ→縦33 横42 高さ24 合計 99(100サイズ)


 120サイズとは、縦、横、高さの長さの合計が120センチまでのことを言い、100サイズとは、縦、横、高さの長さの合計が100センチまでのことを言う。宅急便の運賃は通常、120サイズと100サイズでは、送料がかなり違ってくる(ボクの場合は、箱のサイズ、送る場所にかかわらず、全て一律の契約をしている)。


 120サイズと100サイズでは合計の長さで20センチしか変わらないが、実際にその箱を二つ並べてみると、大きさが大分違う。野菜のワンパックの場合、120サイズの箱だけ用意すればよいと思う。100サイズの箱を使うことは、春先の5月の、まだ野菜の種類がそろわない時期だけである。使用回数が少ない100サイズの箱は、その時期だけ、スーパー等でもらってきて(無料)それを使用してもいいと思う。自分の場合は、イタリア料理店には100サイズの箱で送る場合も月間に8枚平均あるので100サイズの箱も作っている。


120サイズ→1枚が120円(消費税が別途かかる)  


100サイズ→1枚が92円(消費税が別途かかる)


 近くのダンボール会社で、120サイズは250枚単位で発注している。これは3ヶ月分(1ヶ月約80枚)である。100サイズは200枚単位で発注している。2年間半ほどの在庫である。


 ダンボール会社の最低ロット数は200枚くらいなので、100サイズは2年間半の在庫をかかえることになる。


 120サイズは年に3回ほど発注している。ダンボールを注文する場合、だいたい3ヶ月分くらいの発送枚数を注文するのが良いと思う。自分の場合は250枚であるが、250枚でも結構、収納するための場所をとるものである。畳2畳分ほどの広さのスペースがいる(2段に重ねればその半分)。


 ダンボール会社によっては、最低ロット数が300枚くらいからの所もあるので、相談して見て下さい。多分、年間に2~3回は、ダンボール会社にダンボールを取りに行くことになると思うので、できれば、ダンボール会社は近くで探した方がよい。持ってきてもくれるが、その場合は、1枚あたりの単価が高い。


 自分の場合は、車で30分くらいの所に、ダンボール会社が2社あったが、一方のダンボール会社は最低ロット数が500枚からと言われたので、そこは止めた。もう一つのダンボール会社は対応がていねいで、最低250枚から可能と言ってくれた。その後、200枚でも可能にしてくれた。


 ダンボールを最初に作る場合、設定サイズの型(金型)がいるが、それが2~3万するらしい。ボクの場合は、別の会社が利用しているちょうど120サイズくらいの大きさの金型があったので、それを利用してもらったらよいと言ってくれた。だから別途に金型料金はかからなかった。100サイズも同様である。


 ダンボール会社と、ダンボール1枚の値段交渉をする場合、だいたい、ダンボールは1枚、どれくらいするものだと、頭に入れて望んだ方がよい。自分の場合は120サイズ→120円、100サイズ→92円という話になった時、他に比較できるものもなかったし、営業マンの対応がよかったので即答でお願いした。ただ、この価格は、いったん決めると、値下げ交渉は難しい。自分の場合はすでに15年ほどこの価格が一定である。年間にすれば、ダンボール会社と毎年9万円ほどの取引になるわけですから、最初の値段交渉を上手にやってください。


 ダンボールは横のサイドには空気穴、縦のサイドには、手で持ちやすい穴を開けてもらう必要があります。ダンボールの強度の問題も出てきますが、空気穴はできるだけ大きい方がいいと思います。自分の場合、120サイズでは、横に4センチ、10センチの楕円形の空気穴が二つずつ開いています。結構大きな空気穴ですが、野菜がその穴から飛び出すことはありません。手で持つ穴も3センチ、7センチの楕円形の穴が開いています。これくらいあると3本の指が十分に入るので持ちやすいです。一方、100サイズの方は、横に2センチ、6センチの楕円形の空気穴が二つずつ開いていますが、これでは小さすぎるのですが、金型がそうなっているらしく、仕方がありません。手で持つ穴も4センチ、2センチの楕円形では小さい。


 100サイズの方は空気穴が小さいのですが、120サイズの方はばっちりです。送るのはほとんど120サイズであり、縦、横、高さの寸法も、空気穴のサイズもとてもよいので、ぜひ参考にして頂きたいと思います。自分の場合は、たまたまこの金型がダンボール会社にあったので、それを利用させてもらいましたが、無い場合は、それに近い金型がダンボール会社にあれば、それを利用させてもらった方が得策であり、新たに作ると、金型代で2~3万はかかるらしいです。


 ボクの場合、月間に80パックほど送っているので、宅配便の会社との契約で、120サイズまでだったら、どんなサイズの箱で送ろうと、箱のサイズにかかわらず送料は一定です。


 11月、12月、1月、2月の4ヶ月間は、ハクサイとキャベツというボリューム野菜が入るし、ダイコンも大きいので、120サイズでもぎちぎちいっぱいになります。ここで注意したいのは、春夏作のエンサイやツルムラサキ、秋冬作のネギは細長いので、できれば、ダンボールの横の長さは55センチくらいはあった方がよいです。ボクの場合は58センチありますが、これぐらいあれば、ネギでも先をちょっと折るくらいで入ります。ダイコンは長いのは45センチを超える場合があるので、少なくとも45センチは必要です。エンサイとツルムラサキは50センチを超える場合もあるので、やはり横の長さは、55センチ~58センチあった方がよいと思います。


 5月はまだ野菜の種類が少なくて、箱の上部にかなり空間ができてしまうので、早生タマネギを「葉つき」で出します。葉つきだと空間がかなり埋まります。5月は春レタスと春キャベツでかなりのスペースになるので、100サイズでは入らない場合もあります。100サイズでは小さすぎ、120サイズでは大きすぎるという中途半端な場合には、レタス2個とかキャベツ2個は入れずらいので、タマネギを×2倍入れることによってうまくいっぱいに収めることもできます。5月の新タマネギなら、多く入れても問題はないと思います。


 7月からはナンキン、8月からはトウガンというボリューム野菜が入るので、夏場でも120サイズで、自分の場合はいっぱいになります。ここで有効活用したいのが、エンサイとツルムラサキという葉野菜です。スーパーにはあまり出回っていませんが、ワンパック野菜の必須野菜です。おいしさ、作り安さ(害虫がほとんど来ないという不思議さ)、高栄養価(案外、重要視されませんが)、そして収穫期間の長さ(6月下旬~初霜の頃まで)、まさに4拍子そろった野菜です。我が家でも6月末頃から、レタスのできる10月中下旬頃までの4ヶ月間、2~3日に1度は、どちらかの葉物が「ホウレンソウのようなおひたし」でテーブルに並びます。さっと茹でるだけで食べれるので、料理も簡単で、4拍子どころか、まさに5拍子そろった激賞野菜です。エンサイは炒め物にしてもおいしいのですが、茹でた時に、ホウレンソウのようには「めたらない(量が少なくならない)」のも大きなメリットです。6月の梅雨入り頃から10月の中旬頃まで、コマツナ類とか、ホウレンソウとかレタスのような葉物野菜は露地では作れない(雨避けのハウス等があればできないことはないが品質は落ちる)ので、エンサイとツルムラサキは、この時期のワンパックを支え続けてくれる特に重要な野菜である。どんな嵐にもびくともしないので、必ず計算できる野菜でもある。作らないのは無知。


 ボクの場合、エンサイとツルムラサキは、6月末頃からレタスのできる10月中下旬頃まで、両方とも必ずワンパックに入れている。この2種類の葉物を入れることによって、箱の上部が埋まり、120サイズの箱がきちんと空白なく収まる。箱の下部には、ジャガイモとかタマネギ、ナンキン、トウガン(更新の為、ナスビのない8月に威力を発揮する野菜である)、キュウリなどの重たい作物を入れるが、上部をエンサイ、ツルムラサキの他に、自分の場合は(1)青シソ (2)ハーブティ用ハーブ2種類(詳述予定)の葉物をサービス品として入れている。


 箱がいっぱいになるか、または、箱の上部がぐすぐすになるかは、ワンパック宅配を始めて1年経過すれば「勘」でわかるようになりますから、全くご心配なく。


 送るワンパック数が多くなると、スーパーで空き箱をもらってくるのは、案外手間取るし、箱のサイズが常時一定の大きさの箱でないと、上記の「勘」がつかめないと思えます。ボクが使っている120サイズの箱は縦、横、高さ、空気穴、手で持つ穴、ともに、ちょうど適当だと思うので参考にして下さい。

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草刈機

  昨日はかなり雨が降ったので、今日は田んぼがぬかるんで、農作業ができない。こんな時は草刈が仕事である。草刈機で畦草を刈る。畦草を刈っていると、コオロギやバッタがあわてふためきながら、飛び跳ねて逃げる。バッタは初夏には見るが、コオロギを目にするのは8月の中旬頃から10月末頃までである。コオロギは秋の虫なのだろう。この時期の野菜にかなりの悪さをする。


 草刈機は5~6万円の機械だが、この機械の威力はすごい。いったい、手で刈るカマの何十倍の仕事をしてくれているだろうか。50倍くらいの仕事をしてくれているように思う。ボクが小学校へ行っていた頃の45年ほど前は、まだ、この草刈機という機械は一般に普及していなかった。なぜなら、稲を、一家総出で、カマで刈っていた時代だったから。


 いつ頃から草刈機が集落に普及したのか、定かな記憶がない。でも、せいぜい40年ほどの歴史しかないだろう。始めてこの機械を使った農民は何を感じたのだろう。「とても便利」ただそれだけだっただろうか。確かに、草刈機によって、ハミ(マムシ)に手をかまれたりする危険性はなくなった。用心しいしい草を刈ることもなくなった。でも草刈機は一度エンジンをかけると止まれないし、草刈機のペースというものに従って作業をしなければならない。だから、草刈の途中で、害虫を退治してくれるカエルを草刈機の刃に引っ掛けて殺してしまうこともよくある。カマキリもよく引っ掛けてしまう。逆に、害虫のコオロギやバッタは案外逃げ足が速く、草刈機の刃にかかることは少ない。


 草食動物の牛には、毎朝、かなりの量の草を食べさせる必要があった。竹で編んだ大きな竹かごをチョウタ(一輪車)に乗せて、早朝の草をカマで刈ることが、1世代前の農家の仕事だった。ほとんどの家が、1頭の黒い役牛(農耕用、今のトラクタの変わりをした。その後、飼いかたが肉目的に変わった。ボクが子供の頃にはすでに肉目的に変わっていた。今は、集落や近在で牛を目にすることは全くなくなった)を飼っていたから、多分、草刈は競争になったと思う。というのは、自分の所有地の田んぼの畦草だけでは、牛1頭の胃袋は到底まかなえなかっただろうから。だから、池の土手草などの集落共同の所有地などは、朝、早いもの勝ちになったのではなかろうか。ちょっと遅くなると、もっと遠方に行かないと、刈る草がないというような場合もあったと思う。そして、その時代には、まだ草刈機が普及していなかった。草刈機が普及していったのは、まさに、集落から牛が消えていった時期と、時期を同じくしている。まさにそれは、草が貴重品だった時代から、草が「雑草」に成り下がった、歴史の大転換だった。コペルニクスも真っ青の大転換だった。ちょうど草刈機の出現と時を同じくして、当時のとても貴重品だった「人糞」がまさに「産業廃棄物」へとコペルニクス的転回をした時代でもあった。


 それと時を同じくして、農民の苦難の歴史が始まった。草刈機の出現は、農民の長時間労働からの解放のように、一見思えたが、それは、追いかけっこして、機械を次々に買わなければならない時代の始まりでもあった。儲けたカネのほとんどは、農業機械に投資せざるを得なくなった時代の始まりである。それはまさに、儲けたカネのほとんどを、洗濯機やテレビや冷蔵庫に投資せざるを得なくなった時代とも時を同じくする。


 確かに草刈機は、同じ時間内で、手で刈るカマの50倍の仕事をこなしたかもしれないが、その事によって失われていった、農業者の「精神世界」はいかほどのものだっただろう。青い空にも、田んぼを横切る風にも、小鳥の鳴き声にも、草の上で戯れる虫にも、畦に咲く草花にも、野山の移り変わる景色にも、ちょっとカマを持つ手を休めて見渡してみる余裕を草刈機は与えなくなった。草刈機は止まれない。ただスピードだけを追い求める機械である。その分、早く終われるから、後でゆっくりすればよいと考えることも可能だが、そういうふうにはなっていない。


 草刈機は、他の農業機械に比較すると、衝撃的な安さである。使う頻度も高く、その便利さといったら、これなくしては、農業は成り立たないという代物である。同じく必須のトラクターや軽四に比べても圧倒的に安い。


 草刈機は老若男女、誰でも使える農具である。カマで自分の手を怪我をすることはあっても、草刈機で怪我をすることはほとんどない。石にあたって、顔の方に飛んでくることもあるにはあるが、それもごく少ない。そして、草刈機は頑丈で、壊れたりすることはほとんどない。耐用年数は10年以上である。燃料費もしれている。ちょっと手間なのは、草刈機の刃を交換することくらいである。今は草刈機の刃も使い捨てが主流のようである。何回も研ぎなおして使うようなことは少ないらしい。


 配偶者が亡くなると、70才近い女性でも、必要にせまられて、草刈機を使い始める。それだけ誰でも使える機械ということだろう。草刈機は音が大きいし、けっこう振動もあるし、慣れるまでは、かなり疲れると思う農具であるが、そんなに危ないという農具ではない。。しかし、使い始めの頃はとても危険に感じる農具である。というのは、刃がとても高速な回転をしているので、ちょっと怖いのである。もちろん、回転している刃に触れたら、指などとんでしまう。


 ボクは道具が苦手だったので、農業を始めた頃、この草刈機を使うことが、けっこう負担だった。それに、当時は刃を研いで使っていたが、研ぐのがどうしてもうまくできなかった。刃を研ぐくらいのことは、農業者として最低限できなければならないことだと思ったが、うまくならないことはうまくならないものである。その後、草刈機の刃をセットして、刃を研ぐ道具も買ったが、結局それも使いこなせなかった。数年して刃を研ぐということは自分ではあきらめた。そして、近所の懇意な人にその道具を渡して、使った刃が7~8枚たまったら、まとめて研いでもらうようになった。もう10年以上になる。今でもそうしている。その方は野菜は作っていないので、お礼に、出荷で残った野菜を時々食べてもらっている。


 11月中旬頃から3月末頃までの冬期間は草は伸びないので、草刈機を使うことはほとんどないが、4月頃から11月頃までの8ヶ月間は、使う頻度が多い農具である。


 秋冬野菜の種蒔きや定植が始まる8月中下旬~9月中旬頃は、この草刈機が特に活躍する時である。畦草をきれいに刈っておかないと、ここを隠れ場にしているコオロギやバッタが、夜の間に田んぼに進入して、定植したばかりの若い茎葉を切ってしまう。


 9月中旬過ぎ、田んぼじゅうのあぜ草を刈り終えた頃、ちょうどその時期を待ってましたという風に、田んぼの畦道に彼岸花が頭をもたげてくる。9月のお彼岸に咲くから、彼岸花と呼ばれるこの花は、毎年、ダイコンの種を蒔き終わる頃に芽を出して、10月の体育の日の頃、気がつかないうちに路傍の草むらの谷間に沈んでいく。芽を出してから、色あせるまで、たった3週間ほどが命のこの花は、その短さがゆえに、鮮烈な印象を残して去る

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長丁場の作物と農薬

 出荷の日の朝が雨というのは、やっぱり気分が重い。でも要領はわかっているので、そんなに時間がかかって困るということはない。しかし、同じ出荷軒数でも、晴れに日に比べて、1時間は余計にかかる。晴れの日は、1品目収穫したら、そのつど、竹やぶの日陰にコンテナ(収穫容器)を並べていくが、雨の日はいちいち物置に入れる必要がある。収穫後に雨にあたると傷む。


 全て収穫が終わると、晴れの日は、続けてすぐに仕分け(1単位ごとに小分けする)をする。竹やぶと物置の間は午前中は10時頃まで日陰になるので、そこに軽四をおいて、その上で仕分けをする。


 雨の日は、全て収穫が終わると、家に帰り、軽四の車庫で仕分けをする。


 ナスビは7月中旬頃には、テントウムシダマシ(ニジュウヤホシテントウ)が、葉にも実にもまぶれついて、ナスビが虫食いだらけになり、多くは即、ニワトリ行きとなるが、7月25日頃に枝を強く切り戻し、太い幹だけにして、葉も全部落としておくと、35日過ぎた9月上旬には、ピッカピカのナスビ(秋ナスビ)が成り始める。これはまさに自然界の7不思議のように思える。いったい、あの害虫はどこに雲隠れしたのだろうかと思う。あの害虫を捕食する天敵もいないはずだから、どこかへ行ったのだろう。毎年計ったように、7月5日頃から食害が目立ち始め、たった2週間ほどの間に、見るも無残なナスビになるのに、9月には、この害虫を、ただの1匹も目にしない。


 スイートバジルにも今年初めて、梅雨の長雨の時に害虫が大発生(この害虫はなぜか、肉眼で一度も目にすることができなかった)したが、ナスビと同じように強剪定(バジルの場合は伸びが速いので、強剪定を2回ほど繰り返す)すると、3回目に出てきた新芽は元通りのきれいなバジルになった。


 ほとんど虫のつかないツルムラサキでも、9月の一時期、ヨトウムシが大発生する年がある。


 すぐに農薬を使うのではなく、収穫期間が半年ほど続く長丁場の作物は、強剪定をして、少し休ませて回復を待つという態度も大切である。ナスビに毎年来る害虫もスイートバジルに今年始めて来た害虫も、1ヶ月ほどの間に、なぜ突然いなくなるのかわからないが、ツルムラサキに何年かに1度あるヨトウムシの大発生の時は、田んぼじゅうのアマガエルが集まってきてヨトウムシ退治をしてくれているのではなかろうかと思えるくらい、アマガエルが集まってくれる。(1)カエル (2)クモ (3)テントウムシ(ナナホシテントウムシ) (4)カマキリ は、田んぼでしばしば見かける益虫のビッグ4である。


 昼頃はかなり雨足が強かった。出荷が終わった夕方、田んぼに行って見ると、やっぱり、昨日蒔いたダイコンとカブの畝間に、水がかなりたまっていた。一晩この状態はよくないので、水の道をこしらえ、下の田んぼに落ちるようにした。多少の段々畑なので下の田んぼに落ちる。下はサツマイモとスイートバジルなので、これも水がたまるとよくないが、今はダイコンとカブの方が大事である。


 昨日蒔いておいてよかったなあと思った。これでは、最初に予定していた明日には、種蒔きなどできそうにない。今年の梅雨は大雨そして曇天続きで平年の3割ほどの日照。8月は一転、雨がほとんど降らず最高気温が35度を超える亜熱帯気候が続いた。そして、先週の水曜日から始まった秋の長雨・・・。農業者泣かせである。気象状況が年々厳しくなっている。


 今年のような秋の天候では、まだ駆け出しの頃だったら、ダイコンとカブの種蒔きがうまくいったかどうかわからない。やはり長年の経験があったから、通常通りに種蒔きができたと思う。でも、一応種蒔きが終わったというだけで、10月10日の体育の日の頃になってみなければ、最終的に成功か不成功か判断はできない。


 ニワトリの水を入れ替え、液肥タンクを混ぜ、電柵を一回りして漏電がないか確認してから家路についた。


 今、雨は止んでいる。これ以上降り続くと、せっかく蒔いたダイコンとカブの発芽がうまくいくかどうか不安である。


 農薬に対する考え方は、個人差が大きい。 ボクの知る限りであは、集落内で、家庭菜園を無農薬でしている人は、たった一人もいない。逆に、しばしば農薬を使っているというのが現状である。そして、除草剤も集落のほとんど全部の人が使っている。除草剤とは別名枯葉剤である。ラウンドアップなんかに代表される。つまり、ラウンドアップ等を100倍~500倍ほどの水で薄めて、雑草に散布すると、雑草は根や葉からそれを吸い、枯死する。


 出荷をしていない家庭菜園であり、ほとんど全部が自分や家族の食べ量なのに、しばしば農薬や除草剤を使っているという現実をどう思われますか。多数決という民主主義から言えば、無農薬というのは、集落では圧倒的に少数派である。これは、良いとか悪いとかの問題ではない。使いたいならバンバン使ったらよいと思う。公に販売されているのだから。使うか、使わないかは、単なる個人の見解の相違と思っている。農薬が本当に悪いものなら、元から断たないと(出口を止める、つまり生産と販売の禁止)だめだと思う。

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液肥を担ぐ

 夜10時、外は今、かなり雨音のする雨が降っている。あまり降ってくれない方がいいんだがなあ・・・仕方がない。


 今日、9月12日、ダイコンとカブの種を蒔いた。9月14日の木曜日に蒔こうと思っていたが、天気予報では今日晩から雨の予報だったので、もし雨量が多かったら、木曜日に蒔けなくなると思い、段取りを2日早めて今日にした。


 でも、朝7時過ぎに田んぼに着いた時にはまだ、ダイコンの種蒔きをどうするか考え中だった。すでに小雨がぱらついていたが、土の乾き具合をみると、何とか種が蒔けそうだったので、これも2日早めて、マスタードグリーン、赤色カラシナ、ロケット、セルバチカ(原種ロケット)、チャービル2回目と、シュンギク2回目の6種類の種を蒔いた。これらは育苗床に蒔いた。育苗床といっても、ダイコンなどを蒔く畝と何らかわらないのであるが、狭い範囲に密に蒔いて、ある程度の大きさになったら、別の場所に適当な間隔をあけて植え直す場合に、その密に蒔いた場所を育苗床とボクは呼んでいる。ダイコンやカブのように、直に蒔いて、植え替え(別の場所に定植)をしない作物は、他にはニンジンとインゲンとエンドウ類の5種類しかない。つまり、直蒔きの野菜は意外と少ない。自分の場合は、コマツナ(春蒔きのみ)とホウレンソウも育苗して定植する作物である。


 ちょっと横道にそれたが、上記6種類のうち、シュンギク以外はハーブである。育苗床に蒔く場合も直蒔きの場合も、蒔いた後はクン炭(籾殻を焼いたもの、昔、稲の育苗によく使われていた)を地肌が見えなくなるくらい降りかけ、その上からジョロで水遣りをして完了である。くん炭を降るのは、強い雨で地表がたたかれる(発芽がきわめて悪くなる)のを防ぐことと、強い日差しで地表が乾くのを防ぐための2つの理由からである。


 6種類の種を蒔いた後、液肥を5荷ほど担いだ。ネギの定植予定地、秋ジャガイモの定植予定地、ハクサイの定植予定地、ロケットの2回目、3回目、4回目とタマネギと春キャベツの育苗予定地への液肥の施肥である。雨を見越して液肥を施しておくと、井戸水をポンプアップして液肥を10倍に薄める一手間が省ける。


 ダイコンやカブは1回だけ蒔けば11月~翌年2月の4ヶ月はゆっくりゆっくり成長して収穫期間(田んぼにおいておける期間)が長いが、ロケットやシュンギク、ホウレンソウのように、成長後の収穫適期幅が短いものは、4~5日おきにずらし蒔きして、順次定植をしておかないと、11月~翌年2月の4ヶ月間を継続して出荷し続けることができない。ずらし蒔きの作物も、最適期幅は長くない。ロケットは、9月14日、9月18日、9月22日、9月26日の4回に蒔き、シュンギクは9月7日と9月14日の2回に蒔き、ホウレンソウは9月28日、10月2日、10月5日の3回に蒔き、それぞれ定植をする。


 昼前に、先日、イチジクと干瓢の芯をくれたおばさんに、お礼のタマゴを持っていった。先日来られた時にも、ふと思い出して、農薬の散布の方法を聞いたが、今日、もう一度念入りに、農薬の散布方法を聞いた。自分の気持ちの中では、この前、農業資材店に行った時に聞いたダイコンサルハムシに効く農薬の話以来、今年はダイコンとカブに農薬を使うだろうということが、煮詰まってきていた。もっと分析してみると、すでに自分の潜在意識の中では、1ヶ月以上も前から、今年はダイコンサルハムシの予防のための農薬を使おうと決めていたようなのである。そうでなければ、農業資材店に行った時にふと思い出したり、おばさんがイチジクを持ってきてくれた時にふと思い出したりしないはずなのである。ずっとそのことが気にかかっていたから、そんな質問が口から出たのだと思う。


 昼食後1時間半ほど昼寝をした。ブログを始めてからは、寝るのは毎日、夜の12時をまわっているし、朝は出荷の日は5時過ぎ、出荷のない日は6時過ぎに起きるので、昼寝をしないと持たない。起きてすぐ、農業資材店に農薬を買いに走った。先日、念入りに聞いた農薬をすぐに買ってとんぼ返りしたのではなく、またなんだかんだと色々聞いてみた。店員さんがそんなに詳しく知っているはずはないのがわかっていながら。


 田んぼに着いたのは3時前だった。朝方の小雨は1時間ほどで止み、その後液肥を施している時に、空がちょっと明るくなり、今日日中は天気が持ちそうだったので、明日の天気予報を考えながら、今日は午後からダイコンとカブの種を蒔こうと決めた。


 ダイコンとカブの畝立てはニンジンを蒔いた数日後に終わらせていた。2週間あまり前である。畝の上の大きな草は午前中に抜いていたので、土の表面をヨツメでならした後、クワで浅いガンギ(蒔き道)を切り(作り)、ダイコンは20センチほどの間隔に3粒ずつ蒔いた。カブは種がダイコンよりかなり小さいので3粒ずつというわけにはいかず、すじにばら蒔きをした。その後、先ほど買った農薬を、その上からぱらぱらと落した。使用方法はおばさんに教えてもらった通りにした。この農薬は前もって土に混和しておくと、作物が根から吸って、その葉を食べたダイコンサルハムシが死ぬ、もしくは、ダイコンサルハムシはその葉を食べないという農薬である。水で薄めて農薬散布機で害虫の上(作物の上)に散布して、直接害虫を殺すという農薬ではない。


 おばさんが言われるには、前もって土と混和するやり方だと、この農薬の面積あたりの規程量を使う必要があるが、種を蒔いた場所だけにほんの少し落せば、規程量の10分の1も使わなくてすむという的確な助言だった。ボクは規程量の3~5%も使わなかったので、これでは少なすぎて果たして効果が現れるだろうか、今はそのことの方が心配である。失敗は許されないから。


 この農薬は購入する時に印鑑が要り、名前も書かされるので、きつい農薬と想像しがちだが、店員さんが話してくれたように、だから成分がきちんと分析されているし、すぐ手に取れる陳列棚の農薬より、かえって使用量が少なくてすむと教えてくれたことも、実際に自分が使ってみて納得した。もう7年以上前になるが、ディープテレックスという粉剤の農薬を、このダイコンサルハムシに使ったことがあるが、粉なので風で空気中に舞い、気持ち悪くて困った。もう使うまいと思い、以後は同じディープテレックスでも液剤(水で薄めて使う)を使った。これももう6年ほど前のことである。ダイコンサルハムシのあまりの激しさに、その後2年間は、今作っている田んぼとは逆方向にある、ずっと稲を作ってもらっていた田んぼを返してもらい、そこにアブラナ科野菜だけを移して作ったことがある。でも、水遣りや収穫時の移動が不便で困った。


 その後また、今の田んぼに戻したが、2年間、秋のアブラナ科野菜の作付けをしなかったことが功を奏したのか、ここ4年間は農薬の世話にならなくても、なんとかまわしてきた。しかし、ダイコンサルハムシが最も好むカブの収穫率は去年は3割以下に落ち込んでいた。それもかなり外観の悪いのも出荷しての3割である。


 種蒔き、農薬降り(素手でつまんだ。薄いポリの手袋も買ったが、量が的確に落せない)が終わると、トンボ(直径4センチほどの丸太でできた、蒔いた後、土を蒔いた上に戻す道具。トンボのようなT字形にできているからトンボという)で、蒔きみぞに土を戻しながら、鎮圧(田んぼが乾いている時は強く鎮圧)して完了。そして、強い雨にたたかれるのを防止するために、クン炭(焼きすくも)を降る。3時頃から始めて、終わったのは5時頃だった。


 その後すぐに、蒔きみぞと蒔きみぞの間に液肥を施した。ダイコンとカブに合計4荷施した。今日はすでに午前中に5荷担いでいたので、さすがにこれだけ担ぐと最後の方はえらかった。終わるとすぐにまた液肥を仕込んだ。ヌカを1袋と、ナタネカスを3キロほど、2つのタンクにそれぞれ入れて、井戸水をポンプアップして、8分目くらいまで水を入れ、竹の棒でかき混ぜて完了。メタン菌の活躍でタンクの上部にヌカの層ができて、ふたを押し開けるくらい膨張してくる。だから、ふたはきちんと閉めずにのせるだけにしておく。前回の液肥の説明の時、水をいっぱいまで入れると書いたが、それは誤りで8分目くらいにしてください。何日かして、あまり膨張しないようだったら、その時にまた水を足せばよい。


 今日、液肥を担いだのは、明日は雨の予報だったので、今日施しておけば、水で薄めることもなく、ダイコンにもすぐに肥料効果が出るだろうと思ったから。液肥は使った量にかかわらず、ヌカとナタネカス(4対1くらいの割合)を適当に補充して水を8分目ほどまで入れて、よくかき混ぜておく。液肥は1日早く仕込めば、それだけ早くできあがるので、使ったらすぐに元通りにしておく。メタン菌は35度の時、最も活躍するので、これからは1日ごとに温度が下がるので、1日でも早く仕込んだ方がよい。仕込めば、後は寝て待つだけである。液肥はどのような状態になったら完成というのか、いまだによく判断ができない。自分の場合は仕込んでからの日数で判断している。臭いではなかなか判断ができない。


 仕込んでからの日数といっても、種菌として液肥を半分残すか、それとも3分の1くらい残すか、それとも4分の3ほど残すかによって、出来上がりの日数も異なる。ボクの場合は、少なくとも種菌として液肥を半分(250リットル)は残すので、次の出来上がりが早い。液肥の失敗か成功かは作物の出来具合で判断するしかない。堆肥作りと違って、液肥作りに失敗はない(ごく少ない)と思う。きちんと一定量(自分の場合はサツマイモ等を除いて、150センチ幅で17メートルほどの畝に2荷施すことにしている)施したのに、キュウリの葉が薄い(黄色っぽい)と思えた時などは、液肥タンクにナタネカスを少し補充しておく。ヌカにはリン酸成分だけでなく、窒素分も少し含まれている。


 今から20~25年ほど前までは、今のように、ヌカが一般に出回ってはいなかった。農家では精米機を各家に持っていて、それで精米をしていた。今のようなコイン精米機をしばしば目にするようになったのは20年ほど前からである。それを契機に、ヌカが無料もしくはごく安価に出回るようになった。ならば液肥を利用しない手はない。一昔前までは、液肥の原料になるヌカが家から外に出なかった。野菜のぬか漬けに利用したり、残飯等を堆肥化する時に用いたり、肥料にしていた。だから、液肥に使えるようなヌカは残っていなかった。つまり、液肥という概念が生まれる素地は全くなかった。現在のように大量のヌカが無料もしくは安価で手に入るなら、ヌカが主体のメタン菌液肥をもっと利用する人が出てきてもよいように思う。でもこの液肥はかなり臭うので、住宅の近くでは使えないし、やはり「担ぐ」という行為が、負担に思えると使えない。また、液肥を担ぐという行為が継続してできるのは、作付面積が30アールくらいまでだと思う。それ以上の面積になると、自分でも担ごうとは思わない。


 ダイコンとカブの種蒔きが終わると、秋冬作の天王山が終わったような気がする。現在は野菜の個人客は10軒ほどしかないので、ダイコンとカブの占めるウエートは小さい。でもこんなにも、ダイコンとカブに力が入るのは、失敗する確立が高いという危機意識と、秋冬野菜のキングとしての認識からだろう。


 

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ダイコン

 ダイコンの種を蒔く時、今年も秋が来たんだなと思う農業者は多いのではなかろうか。ダイコンは、自分にとっても、特に思い入れが深い野菜である。


 ダイコンの種蒔きが近くなる頃、季節が変わり始めたことを感じる。たった2週間前の8月25日にはきびしい残暑が残り、、午後4時をまわらないと、ちょっと田んぼに出る気がしなかったのに、その2週間後の9月10日頃には、午後の時間帯もそれほど暑くない。昼食を食べてちょっと横になるとすぐに田んぼに出る。日の暮れるのもどんどん早くなって、ほんの少し前には7時頃まで農作業ができたのに、すでに7時は暗く、今は6時半頃までしか農作業ができない。


 農業をスタートしてからの16年間、、ダイコンは9月12日、9月13日、9月14日、9月15日の4日間のうちのいずれかの日に種を蒔いてきた。9月12日より早く種を蒔いたことはないし、9月15日より遅く蒔いたこともない(失敗して蒔き直したことは何回かある)。当地では、秋のダイコンを蒔く「絶好の日和」がこの4日間である。この4日間が雨にたたられたという記憶は1度もない。毎年運良く、この4日間のどの日かで蒔くことができている。ずらし蒔きをしたりはしない。ぴしゃっと1回だけ蒔けば、11月上旬には、小ぶりのダイコンを葉つきで出荷し始めて、2月には、土の中に横に寝かせたダイコンを掘り出して出荷する。ちょうど4ヶ月間出荷する。


 春のダイコンはすでに5年以上前から、作る事を止めている。出荷していた時期も長かったが、春のダイコンは食べたい気持ちがあまり起こらず、自分が食べる気持ちにならないものを顧客には送れないものである。春は煮て食べる季節ではないし、味噌汁には、新タマネギや春キャベツやエンドウの方がおいしいので、ダイコンをあまり使う気がしない。食べるとすれば、ダイコンおろしくらいである。それと、春のダイコンはすぐに「トウ立ち」を始めるので、収穫適期幅が、たった10日間ほどしかなく、作れなくなった。


 だから、ダイコンは1年に1回だけ、上記4日間の間に蒔く。でも今年はちょっと段取りがうまくいっていない。と言うのは、先週の9月6日の水曜日に、この時期としては珍しい「どしゃ降りの雨」があり、その後、曇天続きで、田んぼがよく乾いてくれない。でも、蒔けないこともないので、今年は9月14日の木曜日に蒔こうと思っている。明日の9月12日に蒔いてもよいが、害虫のことを考えると1日でも遅らせたい。しかし、9月16日の土曜日では、1~2日遅い気がする。明日からの天気予報と田んぼの乾き具合をみながら、いつ蒔くか、明日の朝、天気予報と田んぼを見てからまた考えよう。


 ダイコンとカブに関しては、失敗して「蒔きなおし」と言うのは、ちょっと考えられない。絶対に1回で成功させなければならないのである。なぜなら、


(1)種をまた大至急、ホームセンター等に買いに走らなければならない。通信販売では日数がかかる。予備の種を買っておくことなど、高いのでできない。


(2)これからまた、違う田んぼに畝立てしてなどという、悠長なことはできない。失敗することも考えて、2倍の畝立てをしておくということも、実際問題として、他の作物との関係もあるのでむずかしい。


(3)ダイコンもカブも3日目の朝には発芽するが、失敗かどうかは、あと3~4日待たなければ、はっきり確定できない。これは蒔きなおしする必要があると判断できるのは、種を蒔いてから1週間ほど過ぎてからである。蒔き直しの判断をした当日に種を買いに走り、他の作物予定地をダイコンの2度目の種蒔きに切り替え、もしくは、大至急他の田んぼに畝立てをしてという、めまぐるしい動きをしなければならない。


(4)そして、蒔き直しの場合は、後がないので、必ず農薬の助けを借りるようになる。それは必然的に多目の農薬になる。


(5)仮に、運良く、失敗を認識した当日に蒔き直しができたとしても、ダイコンの種蒔きの適期の日から1週間も遅れるということは、寒さに向かう秋は、収穫期が1ヶ月近く遅れてしまう。


 ダイコンの種蒔きの失敗は害虫による場合だけである。強い雨にたたかれての発芽不良は、種蒔き後、すくも(籾殻)か、焼きすくも(くん炭)をかけておけば容易に防げる。


 選びぬいた種蒔きの最適期に、どんぴしゃ1回で成功させるには、過去の経験を総動員しながらの、かなり緊張した1日になる。

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レタスの定植

 昨日、近所のおばさんが、イチジクと干瓢の芯をもってきてくれた。9月はイチジクの季節である。ボクもイチジクを2本植えているが、自分の口に入るくらいで、家に持ち帰って家族の口に入るほどは取れない。というのは、イチジクはカラスの好物なので、熟しておいしくなると、カラスが盗んでしまう。だからボクは、カラスに負けまいと、まだよく熟していなくても、口に入れてしまう。カラスに負けまいと思うと、1日おきに、イチジクの木を見回る必要がある。そんなに暇にしているわけではないが、イチジクの木はトリ小屋の東にあるので、トリにエサをやるついでに見回る。もう1本は、物置の近くに植えている。


 イチジクは蜂も好むので、イチジクの実を取る時は蜂に注意する必要がある。プロのイチジク農家は、ネットで、イチジクの木を全て囲んでいるが、蛾や害虫避けの他に蜂よけにもなるのだろう。


 イチジクの周囲に網を張れば、カラスは防げるので、そうすればよいのだが、その一手間がかけれないのと、カラスに一歩先んじて取ればよいと放任している。


 イチジクと干瓢の芯を持ってきてくれたおばさんはすでに80才を超えているが、家庭菜園に精を出し、残った野菜は夕市で売っている。一昔までは、家の軒先に干瓢を干しているのが、夏の朝の風物詩であり、小学校の頃の夏休みには、干瓢剥き機で、干瓢をむいたり、干瓢を干すのを家でもよく見ていた。干瓢は、お寿司か巻寿司にしか使わないから、一昔前には、春と秋のお祭りや、田植え後の「しろみて」や、稲秋後の骨休めや、子供の学校の行事の時などに、どこの家でもお寿司や巻寿司をしばしば作っていたのだろう。今のように外食などという機会はほとんどない時代だったから、それぞれの家で、「はれの日の大ごちそう」として、お寿司が位置づけられていたのだろう。そのなごりなのか、今でも近所で干瓢を作っている人が何人かいる。風に吹かれてゆらゆらしている干した干瓢をみるのは、なかなか風情がある。でも、こんな情景も後10年もしないうちに、目にすることはなくなるだろう。ボクも干瓢は作ったことはない。トウガンよりもう一回りも二回りも大きい。干瓢むき機でむけなくなった残りの芯の部分を煮て食べる。味はトウガンに似て淡白な味である。マルミさんは、実家のおばあさんがよく干瓢を煮て食べさせてくれた思い出の味であると言って、何日間かかけて一人食べている。


 夕方、レタスを定植した。


(1)レタスを定植したら、黒い寒冷紗で1週間ほど覆い、日除けをする。


(2)この時期は特にコオロギが多いので、あぜ岸(コオロギの隠れ場)の近くに定植するのは避けて、なるべく田んぼの真ん中あたりの畝に植えると、コオロギの害が少なくなる。


(3)失敗した場合のことを考えて、苗を全て植えてしまうのではなく、半分ほどは残す。うまくいった場合でも、植えつぎ(欠株に補充)苗は少しは残しておく必要がある。


 以上の3点は、自分が何回も失敗して、苦い思いをして、身体で覚えこんだ点である。農業は書物や指導者(先生)から学べることは少ない。自分で一つ一つ経験をかさねて、身体に覚えこんでいくしかない。「百姓に学問はいらん」と昔の人は言ったが、これは、農業は、耳や目や頭で覚えるものではなく、身体(手や足)で覚えるものだということを、そう表現したのである。


 レタスの定植に関するもろもろのことは、1年のうち9月10日前後の4~5日にしか経験することはできない。次に同じことを経験するには、また1年という歳月を待たなければならない。温度という気象条件が刻一刻と変化するので、2回も続けて経験することは不可能であり、次は1年後のまたこの時期にしか経験できない。農業は基本的に1年に1度しか経験できないから、時間がかかってしまう。大体は、春と秋の2回蒔ける二期作(レタスの場合は三期作)であるが、発芽条件や成長スピード、成長後の収穫適期幅などが異なるので、春は、春の1回だけ、秋は秋の1回だけしか、経験を積むことができない。つまり、年に1回の経験しかできない。その間に本など読んでも、かゆい所には手が届かない。その時期その時期の田んぼで経験をするしかない。


(1)高温期にはレタスの種は発芽が悪いが、当地では、8月20日を過ぎれば、露地にいきなり蒔いても発芽する。例年、8月のお盆明けの8月17日~8月22日頃までにニンジンを蒔くので、田んぼの都合上、ニンジンの隣に畝立てをして種を蒔く。種を蒔いたら、強い夕立や日除けのために、「もみがら」や「くん炭」をふっておく。そして、コオロギや日除けのために、ネットでトンネル状にして覆う。こんなことは、本では学べない。


(2)レタスはダイコンやカブやハクサイやキャベツができる11月以前の10月中下旬に食べれるようになるのがごちそうである。夏の間食べ続けたエンサイやツルムラサキに少々飽きがきているが、霜にあたらないとおいしくならないダイコン類や、ホウレンソウはまだ生育途上・・・そんな時に、ワンパックで存在感を高めるのがこのレタスである。レタスは霜にも弱いので、10月中下旬~11月中旬に出荷をするのが理想である。11月中旬以降、ハクサイやキャベツと重なりだすと、箱に入るスペースがなくなってしまう。つまりレタスは、春夏野菜と秋冬野菜の端境期を代表する野菜と言える。


(3)10月中下旬から収穫しようと思えば、どうしても8月20日~8月25日頃までに種を蒔く必要がある。これより早ければ発芽が悪いし、これより遅ければ、収穫期が11月上旬にずれてしまう。ボクは「丸レタス」「サニーレタス系」「コスレタス(半結球レタス、炒めたり生食)」の3種類を同時に蒔くが、それぞれ熟期が違うので、1週間~10日ほどずれて、順次収穫ができる。


(4)11月上旬に冬越しのレタスを蒔き、3月上旬に定植し、5月上中旬に収穫。レタスは小苗の時は寒さに強いが、霜よけと2月のヒヨドリ避けに簡易なべた掛け資材をかぶせる。


(5)4月上旬に簡易なポリのトンネル(保温)の中に種を蒔き、4月末に定植をして6月梅雨入り前に収穫。梅雨に入るとレタスは腐りやすい。


 農業は、とにかく自分で作りながら一つ一つ覚えていくしかない。書物などから学ぼうとしても、時間ばかり費やして役には立たない。まずスタートをかけて、その過程で近所の家庭菜園の人に聞いたり、知人や友人や親戚の人がいるなら電話で尋ねたり、近くなら教えてもらいにいったり、誰か知っている人を紹介してもらったりしながら、スタート時の1~2年(つまり1~2回)を誰かに実地指導を受けることができれば、後は自分で経験を積み重ねていくことができる。その場合は、自分の農業予定地のできるだけ近くで、そのような人(場所)を探した方がよい。気候や温度のこと、害獣のこと、水まわりのこと、人間関係でも、そうした方がより早く農業が形になると思う。


 ボクのように120本ほどしか定植しないなら、レタスには全く病気も害虫もこない。農業をスタートした年、レタスには全く害虫がこないと聞き、そして実際にそれを体験して、とても不思議に思った。アブラナ科(ダイコン、カブ、ハクサイ、キャベツ等)にはありとあらゆる害虫が大挙して押し寄せてくるのに、なぜレタスを虫が嫌うのか、いまだに不思議でならない。その他、葉物野菜では、(1)エンサイ (2)ツルムラサキ (3)青シソ (4)ホウレンソウ (5)シュンギク (6)ネギ にもほとんど虫がつかない。病気もほとんどない。作り安い野菜も数多い。でも大面積でつくるとそうではないようである。特定の一種類を大面積というのは、やはり、自然の摂理に反しているのだろう。


 作る上で困っている野菜は


(1)アブラナ科野菜・・・害虫が多い


(2)タマネギとジャガイモ・・・病気が必ず発生する


(3)ナンキン・・・病気が必ず発生する


 アブラナ科野菜は5種類しか作らなくなった。ダイコン、カブ、ハクサイ、キャベツのアブラナ科四天王と、ブロッコリーだけである。アブラナ科四天王は、秋冬野菜のワンパックに欠かせない。他にも、秋冬野菜のワンパックに欠かせないレタス、ホウレンソウ、ネギ、シュンギク、ニンジン、サトイモ、サツマイモがあるので、他のものはワンパックからはみ出てしまう。
 
ミズナ ナバナ コマツナ ターサイ タカナ コウサイタイ カリフラワー チンゲンサイ 等もすべてアブラナ科野菜であるが、これらのものをごちゃごちゃと多種類作ってもワンパックに入れるスペースがない。害虫を大量生産するようなものである。害虫の多い作物は品目と作付け面積を「ぎりぎりまで」しぼる。面積が少なければ、日々、害虫の発生状況を見回ることができるし、ネットなどで防御することも、そんなに手間ではない。


 春のアブラナ科は、冬越しの春キャベツとコマツナ(小、中、大株の随時取りができる品種)の2種類しか作らないので、面積がごく小さく、ネットで害虫を防ぐ。春のアブラナ科は、キャベツ以外はすぐに「トウ立ち」するので、ワンパック宅配では少ししか作れない。

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ブログを打つ前の「心の準備運動」

 ブログは、ブログの1行を書き始めるまでの「心の準備?」に結構時間がかかる。ここまでが自分の場合は気が重い。でも、不思議に書き始めるとのってきて、2時間くらいは打ち続ける。打ち続けると言っても、2時間で原稿用紙枚数に換算して5~6枚くらいしか、言葉が頭に浮かんでこない。


 ノートパソコンを買う前のデスクトップのパソコンの時は、ルーズリーフにボールペンで下書きして、それを何回か読み直して訂正してから、清書する時に、パソコンに入力していたが、ノートパソコンになってから、直に、パソコンに向かって打つようになった。そうしようと思ってそうしたのではなく、いつのまにか、下書きなしでパソコンで下書き、訂正をする習慣になった。ルーズリーフに下書きしていた時は、下書きの紙がどこにいったかわからなくなるということがよくあったが、今はそういうことはなくなった。いきなりパソコンに向かえるようになったのは、次の3つの要因があったと思う。


(1)デスクトップからノートパソコンになったおかげで、わざわざパソコンの机に座りに行く必要がなく、いつもの作業机(使わなくなったホームコタツ)の前で、単に、ノートパソコンを開くだけでよいので、よりパソコンが身近になった。


(2)打つスピードはなかなか早くならないが、13年ほど前にワープロを買った時にワープロ教室へ通い、10本の指で打つ「フォームポジションでの早打ちの練習」を数ヶ月間していたので、いわゆるパソコン初心者が陥る「キーボードの壁」というのはなかった。農業をスタートした5ヵ月後から「あめんぼ通信」を書き始めたが、手書きで3年間、ワープロで8年間、デスクトップのパソコンで5年間のあめんぼ通信の歴史があり、ワープロ、デスクトップを通じて13年間、月に1回は清書する時キーボードに向かい、フォームポジションで打っていた。その伏線があったから、ノートパソコンになって、よりパソコンが身近になった時、自然と、ボールペンの下書きなしでもパソコンに向かえるようになったのだと思う。一朝一夕にそうなれたわけではない。


(3)ブログをするようになってから、下書きをする暇がなくなった。つまり、ブログはできれば毎日、少なくとも2~3日に1度は更新しないと、読者が離れてしまう。だから、ボールペンで下書きというワンクッションが時間的に不可能になった。とにかくパソコンに向かっていきなり入力するようにしないとブログがスムーズに更新できない。だから、ブログをするようになってから、下書きなしでいきなりパソコン入力するということが確実に習慣になった。でも何日間か期間を置いて読み直し、また訂正するということが、ブログの性質上できなくなった。作文がちょっと乱暴になっているような気がする。農閑期には全部読み直して、修正を入れる時間を取りたい。


 ノートパソコンを買ってから始めて、ブログという言葉やブログランキングというのがあることを知った。3ヶ月ほど前には、ブログとホームページの区別がよくわからなかった。ブログとホームページは何がどう違うんだろうと思った。その後すぐに、ブログはHTMLなどの難しいことを知らなくても、誰にでもできるホームページの簡便法であり、ホームページにはないコメントや相互リンクなどの新機能があるということを知った。ボクも一応、業者に作ってもらったホームページを持っていたが、ブログのスタートと同時に、以前のホームページは捨てた。捨てたというより、実際にはもう何年も更新をしていなかったので、とっくに「死に体」のホームページだった。


  無茶苦茶でもいいから、とにかくスタートをかけよう。やりながら、ブログの機能をいろいろ覚えていったらよいと思った。7月22日にスタートして、7月23日、7月25日と続いたが、3日ほどで続かなくなった。次にまた始めたのは8月20日からであり、それ以後は毎日更新をしている。1ヶ月ほどのブランクの期間に、他の人のブログを読み始めた。ブログランキングから各ジャンル別の1位や2位のブログを読んだ。その時に二つのブログに出会い、そのおもしろさにはまってしまい、ずんずんと引き込まれるようにして、スタート時くらいまでさかのぼって読んだ。一つはペットブログの第一位「富士丸な日々」であり、もう一つは料理、飲食店ブログの第一位「生まれる前から不眠症」である。この二つのブログから、ブログとは何とおもしろいんだろうと思い、自分も真似をしたいと思った。ブログランキング上位のブログは読者の訪問の多いサイトだから、読者をひきつける何かがある。今でもこの二つのブログは毎日15~20分ほど費やして、コメントやコメント返しまで読んでいる。
 パソコンに向かってブログを打ち始めるまでの「心の準備運動」を、今もこの二つのブログがしてくれている。特に昨日(9月8日)更新の「富士丸な日々」の動画はすごかった。もう一つの「生まれる前から不眠症」も、その圧倒的な食欲に毎日唖然として読んでいる。不眠症さんのストレス解消法が、高級ホテルでの1泊2日のリラックスなので、それも楽しい。この二つを楽しんでから、おもむろに「重い腰を上げるような感じ」で、自分のブログに向かう。気分をハイにしてから、自分のブログに向かう・・・という感じだろうか。


 心の準備運動もなく、すうーっと、自分のブログに入っていきたいが、まだ「構え」がとれない。

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ワンパックの純売上金額

 希望を抱いてワンパック宅配をスタートしても、すぐに、個人客はなかなか継続して購入してくれないということがわかるだろう。家族構成を考えて見ても、今は多くても4人家族であり、3人家族も減り、シングルや2人家族が、日本の家族構成の半数以上を占める多数派にすでになっているのではなかろうか。こういう家族構成の所にワンパックを送っても「食べきれない」「残ってもったいない」というこ事態がいずれ生じてくる。そして、10年という歳月が経過するうちに、いつの間にか家族が一人減り、二人減りして、もうワンパックを送ってもらっても十分活用できない・・・という気持ちになりそうな気がする。
 お客が減れば、新規の顧客を開拓するための時間と経費が必要になる。顧客開拓のための「営業活動」は農業においても、し続けていかざるをえないと思う。 
 ボクの個人客はすでに10軒ほどしかない。スタート時は50軒を目標にスタートしたが、最大の顧客の時でも40軒には届かなかった。現在は、業務用のイタリア料理店の顧客が30軒ほどあるので、月間のワンパック送付数は80パックほどである。月間に80パック送ろうと思えば、週間では20パック送る必要がある。ワンパックをしている人は月、水、金の週3回の出荷が多い。まだ農業の経験のない人はこの点がわかりづらいかも知れませんが、キュウリでもナスビでもオクラでも2日に1度は収穫しないと大きく成り過ぎて作物に負担がかかってしまい、次々と成らなくなる。自分の場合も、土曜日、日曜日と2日間収穫をしないが、最盛期には、キュウリやオクラは大きく成りすぎる場合がある。逆に、11月、12月、1月、2月の4ヶ月間は、キュウリやナスビのような、次々と成る野菜はなくて、ハクサイやキャベツのように、1個収穫したらそれで終わる作物がほとんどである。そして、冷蔵庫のような戸外で、11月~翌年2月の4ヶ月間にわたって、少しずつ少しずつ出荷されるのをじっと待つ。


 先ほど書いた、週に20パック送ろうと思えば、月、水、金の出荷だから、1回の出荷で6軒もしくは7軒は送る必要がある。6軒、7軒、7軒で20パック。あるいは7軒、6軒、7軒でも20パック。注文の電話がコンスタントに入ってくるわけではない。しかし、1年もすれば、顧客によって注文パターンが読めてくるので、今日頃、この顧客から電話が入るのはずなのに、入らなかったりしたら、こちらから電話をして、注文がないかどうか伺う。春からパソコンを利用したIP電話にしたので、県外へ電話しても、3分間が8円ほどの市内通話料金でかけれる。

 とにかく、出荷の日には、最低6軒にはなるように、少ない時はこちらから電話する。でも今の自分には8軒が出荷の限度である。9軒になると、少し肉体的にしんどくなる。だから、1回の出荷で7~8軒というのが自分のベストである。1回の出荷でコンスタントに8パック送ることができれば、週に24パックで、月間では96パック。5週ある月もあるから、ほぼ100パックである。これが、1回につき6~7パックだったら、週に20パックで、月間に80パックほどにしかならない。ワンパック平均価格は個人用ででも業務用でも3000円~3200円(送料は先方負担。送料込みの総額表示)ほどである。年間で10ヶ月しか送付できない(2月末で秋冬野菜は終わり、冬越しの春野菜は5月にならないと出荷できない。そのため、3月、4月は野菜がほとんどない)。

 仮に限度いっぱいの月間100パック送ることができたとしても、年間10ヶ月で1000パック。ワンパック平均が3000円(送料は先方負担。送料込みの総額表示)とすると、1000パック×3000円=300万円。この金額は純売上額ではなく総売上額である。1パックで、送料800円、箱代120円、その他、種代、農具消耗品代、作業用衣料費、軽四に関するガソリン代、車検料、保険料、税金、他に電話代、事務用消耗品費、そして、減価償却費や振込み手数料(当方負担の場合)も、経費として認識しておく必要がある。

 300万円の総売上に占める経費の割合は、毎年少なくとも3分の1の100万円は越える。つまり純売上は200万以下である。急な、農具の修繕費の発生や、台風による減価償却資産の修理の発生、2年に1度の車検など、年によっては、総売上げに占める経費の割合が半分近くになる場合もある。この場合の純売上は150万ほどである。でもこれは限度いっぱいの月間100パックの計算だから、月間80パックとすると、その8割で、それぞれ、160万と、120万である。

 しかも現実には、台風や水害による出荷野菜の減少があるし、出荷がスタートする春先の5月と、出荷最後の翌年の2月は、送れるワンパック数がどうしても少なくなる。これも考慮に入れる必要がある。年間の「純売上」が100万円の攻防というのは、こういう意味からである。ボクの場合はマルミさんの定期収入のおかげで家計はまわっていったが、これから、ワンパックを始めようかと思っている、30代後半の脱サラ農業希望者の場合、ワンパック宅配農業形態は、経済的にきわめてきびしいと思う。

 有機野菜のワンパック宅配はビジネスとして成り立たないということを、このブログで「疑似体験」していって欲しいと思う。そして、それでも農業に転身したいなら、もっと、いろんな農業形態を選択肢に加える必要がある。田舎暮らしとか、自然の中での生活という癒しのイメージに安易にだまされやすいが、できれば定年まで待って、農業で稼がなくてもよい状態になってから、農業を始めた方がよいと思う。
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雨の日の買い物

 昨日の大雨で、今日は田んぼに行っても、草刈くらいで、他は仕事にならないと思ったので、朝から昨日の続きのブログを打った。


 11時頃から買い物に出た。家から4~5キロの場所、遠くても8キロも行けば、大体の用は済ませることができるのがありがたい。


 今日は、職人の店→ガソリンスタンド→ホームセンター→農業資材店→農協の順に一巡してきた。雨の日とか大雨の翌日は農作業ができないので、その時にまとめて用事をする。


 職人の店で軍手を買った。10束入りの軍手が200円という安さである。3つ買っても600円という安さである。いつの頃からか、ボクは軍手を使い捨てにするようになった。農業を始めてしばらくの間は、汚れた軍手がたまったら、洗って使っていた。確か10束入りで400円以上していたと思う。だから洗って使っていた。今はその半額以下なので、ちょっと洗う気がしない。洗うと、


(1)上水道の水ではなく、門先には、山から引いた湧き水の簡易水道があるので水代はかからないが、冬には、身を切るような冷たさがあり、室内の温水器の湯を使っていたから水代もかかる。


(2)洗剤は少しだが、洗う時間や干すのが手間がかかる。


 でも400円以上していた時は、洗った方が経済的かなと思って洗っていた。でも200円になってからは、上記2点も考慮しつつ、使い捨てを選択するようになった。つまり「ゴミ」になる回転が速くなった。


 軍手を買ってから、きょろきょろしていたら、作業ズボンが目に付いた。そういえば、作業ズボンもかなりくたびれていると思い、1本買うことにした。1680円だった。作業ズボンは年間に3本くらい買っている。使い傷みが激しいので、そんなに長くは持たない。でもちょっと前まで2000円近くしていたと思うのに、少し安くなっている。格差社会で低所得者層しか買わない作業ズボンだから安くなったのかも。


 それからセルフのガソリンスタンドへ行って軽四にガソリンを入れた。今日は1リットルが141円もしている。でも16年乗った軽四を廃車にして、新車を買ったばかりなので燃費がよい。1度満タンにすれば1ヶ月以上持つ。家から500メートルほどの田んぼの往復と、5キロほどの宅急便の営業所への往復くらいで、そんなに遠乗りはしないし、農作業とブログで忙しいので、最近はあまり出かけない。


 次にホームセンターに行った。注文をしていた、ダンボールを閉じるガムテープが入荷したという電話があったので、これを買いに行くのが今日出かけた主目的だった。ここのホームセンターはガムテープ(布テープ)の仕入先がしばしば変わる。あまり安いのを買うと、ガムテープがどうも使いづらい。同一仕入先の同一商品でも、仕入れ月によって仕入れ価格が異なるのか、もしくは、ホームセンター自体が売価をひんぱんに変えているのか、単価がよく変わる。30個入りの1ケース単位で買っているが、今回のガムテープは8100円だった。あれ、何か、かなり高いような気がすると思い、前年の総勘定元帳を開いて確認してみた。そうすると同じものを前年の8月に6210円で買っていた。前年に買ったときの価格をはっきり提示して、今回はどれくらいの価格なのか前もって尋ねておけばよかった。後の祭り。次回ガムテープを買う時はきちんと金額の確認をしてから買おう。


 次に農業資材店に行った。液肥に入れるナタネカスを買うつもりで入ったが、ふと思い出して、1週間後に蒔くダイコンとカブに来る害虫のダイコンサルハムシに効く農薬はないか尋ねてみた。すると店員さんが、フォース粒剤というのを進めてくれた。この農薬は買うのに印鑑が要るという。施錠された戸棚から出してみせてくれたので、施錠された場所に入っているし、印鑑もいるようなきつい薬なんですかと尋ねると、こちらで、いつでも手にとことのできる場所に陳列している農薬より、よく効くし、使用量を間違わなければ、かえって安全だと言われる。陳列しているのは、効果が少ないと量を多く使う可能性があり、かえってその方が余計に農薬を使うことになるという。そういうものなんかなあ、と妙に納得して、ひとまず保留にした。秋のアブラナ科野菜に関しては、この害虫を日々チェックしておく必要がある。秋冬作のアブラナ科野菜以外は農薬を使ったことは1度もないが、アブラナ科野菜だけは過去に、3~4回使ったことがある。


 最後に農協の資材店に行った。ニワトリのエサを1袋買った。20キロ入りで1360円である。メンドリが30羽もいて、まだ若鶏なのに、1日に2~4個しか産んでくれないので、配合飼料である購入エサを少し多めに与えようと思った。出所のわからない購入エサはできればやりたくないが、タマゴも欲しい。青菜(雑草)をたらふく与えて「解毒」もしくは「中和」しようというのが、自分流の飼いかたである。


 農薬でも購入エサの配合飼料でも、すべて否定してしまうと、無理が生じる。安全や環境も大切だが、経済もそれと同等に大切である。安全性とは絶対的なものではなく相対的なものであると、自分は考えている。


 

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雨の日のワンパック

 パソコンに向かうと、昼間の疲れがでるのか、よく睡魔に襲われる。今日もちょっと横になると、知らん間に寝入っていた。肌寒さを感じて目が覚めた。何か今日は寒い。昨日までは、短パン、半そで下着だったのに、目が覚めてから長ズボン、長袖シャツに着替えた。


 9月は、一雨ごとに涼しくなると言われるが、今日の日中に降った大雨で、昨晩までの蒸し暑さがふっとんで、一気に涼しくなった。今日はこの大雨の中での出荷だった。雨でも出荷は休んだりはしない。雨の日の収穫物は、晴天の日の収穫物に比べて、野菜の日持ちは半分ほどに劣るが、野菜は、雨であろうと、晴天であろうと、立ち止まって待ってはくれないので、収穫適期がきていれば、収穫をしてあげた方がよい。


 顧客の立場から言えば、雨の日は前後にずらした方が日持ちがよいかも知れないが、こうなると、いちいち先方に電話したり、1日おきに出荷をしているボクの段取りもくるってしまうので、よほどの大雨でもない限り、予定通り出荷する。


 野菜の日持ちに関しては、雨の当日の収穫物より、雨が降り続いた翌日の止み上がりの時の収穫物の方が日持ちが悪いので、一概に雨の日だけが収穫物の日持ちが悪いとも言えない。


 1年のうちに何日ほど雨が降るのか知らないが、出荷の日が雨にたたられるというのは、そんなにしばしばあるわけではない。逆に少ない方だと思う。当地は岡山県瀬戸内市にあり、気候は温暖で雨は比較的少ない。これはワンパック宅配にはありがたい状況である。


 雨の日の出荷と言っても、雨が1日中降るとは限らないし、時間帯によって雨の強弱もあるし、朝降っていなかったのに、9時、10時頃から降り出すこともあるし、いろいろである。


 今日は日中かなりの大雨が降った。まだ秋雨前線は来ていないのに、9月6日のこの時期にしてはまとまった雨だった。この雨でもう野菜の水やりからは開放されそうである。もう1週間もすればダイコンを蒔く時期なので、その頃には最高気温も30度を下回るようになるはずである。


 出荷の日の雨はいやなものである。手間も晴天の日に比べてかなり余計にかかってしまう。でも早朝はまだ降っていなかった。いつものように5時10分の目覚ましで起き、顔を洗う前5分ほど、台所の椅子に座って、ちょっとぼう~としてから、おもむろに動き始める。野良着に着がえると、もう出荷モードである。出荷の日の朝は収穫する前からすでに時間との競争である。


 朝一番の収穫はまず自分の気になっていた作物から収穫する。きょうはそれがキュウリだった。その後ナスビを収穫した。雨模様だったので、その後すぐにスイートバジルの収穫に移った。スイートバジルというハーブは雨にあてない方がよい。


 ちょっとここで、今日の注文単位数を書いておく。野菜だけでなくハーブもあるので、ハーブのことをほとんど知らない読者には馴染みのないハーブ名が出てきますが、ちょっと我慢して読み進めて下さい。スイートバジル35単位 スペアミント7単位 ブラックミント7単位 アップルミント4単位 ローズマリー6単位 イタリアンパセリ8単位 セイジ5単位 コモンタイム1単位 レモンバーム2単位 レモングラス2単位 ナスビ9単位 ピーマン4単位 オクラ6単位 ツルムラサキ7単位 以上の注文があった。注文はなかったが、その他、キュウリ 青シソ レモンバーベナも収穫した。今日はこの3種類をおまけ(サービス品)としてワンパックに入れるつもりである。その他、きちんと注文単位数だけの収穫はできないので、注文単位数より多く収穫したものは、これも全てサービス品にまわす。サービス品が多いように見えるかもしれないがそんなことはない。


 今日の出荷は7軒であるが、個人客は今日の発送にはない。今日は全て神戸、大阪、京都のイタリア料理店である。営業活動のことは今後詳述していくつもりだが、ほとんどが、職業別電話帳からの電話営業1本で「吊り上げた」顧客である。断られてもくじけずに電話をかけまくっていた一時期があるからこそ現在がある。1本釣りで吊り上げても、その後、継続して注文をもらうことは難しい。あなたのワンパック次第である。


 ハーブを始めて作りだしてからまだ9年、大阪方面にハーブを送り出してからまだ7年ほどである。個人客と違って、イタリア料理店という業務用の顧客だから注文をくれるのは不定期である。でも不思議なことに、1年も経過すれば、顧客の注文パターンや注文の作物が大体決まってくるので計算が立つようになる。


 横道にそれたので、ここで元に戻るが、スイートバジルは春夏作では最も重要なハーブ(秋冬作ではロケット)であり、注文単位も一番多い。それでも今日の35単位はいつもの日よりかなり多い。猛スピードでバジルの収穫をする。その後、スペアミント、ブラックミント等を大急ぎで収穫する。ハーブは全て「葉物」である。今日は曇天だから「ひなえる」ことはないが、晴天の日は、まだ朝露が残っている7時30分頃までには終わらせたい。晴天の日はこのように、ハーブを収穫してから、野菜の葉物3種類(青シソ、エンサイ、ツルムラサキ)を収穫して、最後に5種類の果菜類を収穫する。5種類とは、キュウリ、ナスビ、ピーマン、オクラ、ニガウリの5種類である。この5種類は、キュウリ5分、ナスビ7~8分、ピーマン7~8分、オクラ15分、ニガウリ2~3分くらいのスピードで収穫する。5種類で40分くらいかかるが、これ以上の時間はかけられない。青シソ、エンサイ、ツルムラサキの3種類で20分はかかる。野菜の合計8種類で1時間以内で終わらせたい。ハーブは合計で10種類ほどあり、どうしても1時間では終わらないからである。今の時期は、5時45分頃から収穫して、8時15分頃までの2時間半ほどが収穫時間である。晴天の日は8時30分をまわってからの収穫は収穫物の劣化につながる。ハーブは作るのは比較的簡単だが、すべて「摘み取り系の葉物」なので、収穫に時間がかかる。


 スイートバジルの収穫が終わる頃から雨が降り始め、終わると急に雨脚が強くなった。だから、その後は収穫のつど田んぼの物置に入れるという一手間が加わった。今日はいつもよりハーブの注文が多く、途中から雨が降り出したので手間取り、野菜も含めて全ての収穫が終わった時は9時をまわっていた。それから、ニワトリにエサをやり、水を入れ替え、雨が小降りになったのを見計らって、大急ぎで収穫箱を軽四に乗せ、散らかった新聞紙を片付け(収穫の時には箱の底に新しい新聞紙を敷く。散らかっているのは、前回の収穫時の新聞紙を新しいのと取り替えたため)て家に帰る。晴天の日なら、竹やぶの日陰に置いたその軽四の上ですぐに仕分け(1単位ずつに分ける)をするが、今日は雨なので、家の軽四の車庫で仕分けをする。朝食をとり10時頃から仕分けにかかった。ハーブは全て1単位が150円にしている。スイートバジルとローズマリーとイタリアンパセリの3種類は目方を量るが、レモンバーム、レモンバーベナ、レモングラス、タイム類、ミント類、セイジの6種類は目方を量らずに目分量で仕分けをする。軽すぎて量りづらいから。目分量でも慣れると量の多少は少なくなる。


 個人客に送る時は、仕分けの時に在庫野菜であるタマネギ、ジャガイモ、サツマイモの3種類の仕分けと、在庫のナンキンとトウガンのその日の出荷分を取り出す。タマネギは5月末に一括収穫して軒下に吊り下げている。ジャガイモは梅雨入り前(6月12日頃)に一括収穫してコンテナ(ホームセンター等で売っている黄色の箱)に積み上げて、納屋に保存している。ナンキンは7月末に片付ける時に残りを一括収穫したものであり、トウガンは適当な大きさ(宅配ケースに入る大きさ)で適宜収穫したものをいずれもコンテナに入れて納屋に積み上げている。サツマイモは昨日9月5日に初掘りしたものである。タマネギ、ジャガイモ、サツマイモの仕分けに案外と時間がかかってしまう。タマネギ、ジャガイモは生育末期に病気が発生することが多く、市価も安いので採算は取れない。有機野菜でも市価を無視した単価はつけづらい。


 今日は仕分けに2時間近くかかった。終わったのは12時前だった。その頃から土砂降りになった。まだ小降りだった9時頃までに収穫が終わっていてよかった。


 昼からちょっと横になり、その後、今気に入っている2つのブログをチェックしてから、納品書(品名と単価)と送り状(送付先の住所)を書き、郵便局の振込み用紙とミニコミ(あめんぼ通信、今は画像を中心にしている)と納品書をポリ袋に入れる。


 3時頃から、軽四の車庫で箱詰め作業をした。納品書と箱の中身が違うことのないように注意をする。箱詰めは自分のチェックが入る最後のステージなので、集中して行う。ダンボールをガムテープで閉じた時が完了であるが、相手先に届いた時のイメージを想像しながら最後の箱詰めをする。真夏でもクール宅配便は使わないので、箱詰めの段階で多少とも「ひなびた」ような状態であれば、先方に届いた時はもっと鮮度は落ちている。


(1)ガムテープを閉じたワンパックはできるだけ早く宅急便の営業所へ持っていく。宅急便の営業所はクーラーが聞いているから多少とも違う。


(2)大阪方面への高速は、夜間に走る便に乗せてもらうように依頼しておく。昼間走るより多少とも鮮度の持ちが違うと思う。


 ガムテープを閉じた時がワンパックの完了ではなく、先方がワンパックを開いた時がワンパックの送付の完了である。


 内容物と納品書が時々「不一致」を起こすようでは、あなたの集中力が足りない。これが年に何回かあるようでは、ワンパック宅配には向いていない。農作業中にカマや収穫ハサミで怪我を時々する人も少し農作業に向いていないのと同じである。


 内容物によっては箱のスペースの上部に空間ができてしまうということは、半年もすれば内容物の大きさと量が把握できるようになるので、少なくなる。ボクは100サイズと120サイズの箱を両方準備しているが、どちらの場合でも箱にいっぱいできちんと収まる。注文を受けた単位数と、収穫した単位数は、どうしても多少の残りが出るから、それをサービス品として、各箱に振り分ける。残っても仕方がないから、これは必然的にそうするようになる。サービス品を上手に使うことがワンパックを続けてもらうために大切である。


 出荷の帰りに近くのスーパーで食料品の買い物をする。野菜を作っているから、食料品代がかからないなどということはない。アゲ、トーフ、肉類、海苔、納豆、食パンや菓子パン類、ペットボトルの飲料水(ウーロン茶などよく買う)、今の時期はアイスも。農業をしているから自給自足なんて、昔の話。サラリーマン家庭とあまり変わらない。野菜だけは豊富にあるというだけのこと。でもウーロン茶など買わなくても・・・と思われるなら、ただただ、忙しいからと言わざるをえない。


 家に帰ったら5時が少しまわっていた。今日はもう田んぼへは行かんとこうと思ったが、電柵の漏電(芋ズルの葉が電柵に触れて漏電する)が気になったので、それだけを確認しに行ったが、ついでに、ニワトリの飲み水を新しいのと入れ替え、タンクの液肥を竹の棒で混ぜた。ついでに田んぼをさっと一巡して、大雨で田んぼがどうもなっていないか確認してまわった。4時半頃には雨もあがっていた。排水の悪い田んぼの畝間は水がたまっていたが、明日の朝までには引くだろうから、まあ問題はない。これだけ降ったから、今度はかなり土にしゅんで、もう、ナスピやピーマン、エンサイ、ツルムラサキ、スイートバジル等の春夏系の長期取りの野菜やハーブの水やりから開放されるだろうと思うと、ちょっと楽な気持ちになった。


 きょうはこれだけで家に帰った。マルミさんはまだ帰っていなかったので、さっそく夕食の準備に取り掛かった。まずキュウリの塩もみを作る。他にトーフを半切りして青シソをみじん切りにしてのせる。それからニガウリを切り、タマゴ1個を溶き、ニガウリを炒め、イカナゴを入れ、醤油で味付けし、溶きタマゴをまわしかけ、塩コショウをして完了。あと、スーパーで今日はコロッケを買ってきていたのでそれをテーブルに出した。そうしたらマルミさんもサバの煮付けの一品を買ってきていた。
 マルミさんの帰りが遅い時は、この他に、目玉焼きをしたり、ピーマンを蒸したり、オクラを湯通ししたり、ツルムラサキを湯通ししてホウレンソウ風にしておく。子供は嫌ってボクが作った料理?はあまり食べない。子供の分は別途、肉などを使ってマルミさんがもう一品作る。

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オンドリの決闘

 オンドリは凶暴である。いつ飛び掛って来られるかわからないので、前回のオンドリの場合は、エサやりや集卵の時、常にオンドリの動向を気にかけながら、トリ小屋に出たり入ったりしていた。たくさんニワトリを飼っている友人の奥さんは、棒を持ってトリ小屋に入ると言っていたから、どこのオンドリも凶暴なのは同じなのだろう。


 オンドリは「闘鶏」という見世物がある様に、他のオンドリと戦う習性があるようである。今回導入した32羽のニワトリのうち2羽のオンドリもやっっぱり決闘をした。負けた1羽のオンドリの頭(トサカのまわり)が血だらけだったので、これは死ぬかも知れないと思ったが、数日のうちに血は乾いた。そのようなことが2回あった。以後、弱い方のニワトリは、強い方のニワトリには近寄らず、必ず一定の距離を置いた場所でエサを食べたり、止まり木に止まったりしている。夢中になってエサを食べている時、たまに距離が接近している時もあるが、その時は弱い方のニワトリがそれに気づいて、すぐにその場所から離れるか、強い方のニワトリが、弱い方のニワトリのトサカを突付く。そんな時、弱い方のニワトリはすぐに逃げ出すので、強い方のニワトリは深追いはしない。もう自分の方が強いと認識しているからだろう。そして、この地位の逆転は最後(死ぬ、つまり淘汰する時)まで再逆転はありえない。ある日の決闘を最後に、その地位が固定してしまうのである。


 同じオンドリでも成長の早い遅いがある。ヒヨコから3ヶ月経過した時点ではまだ、メンドリの方が大きい。4ヶ月目に入った頃から、オンドリは大きくなり、半年経過すると、メンドリの1.2倍~1.3倍ほどになる。メンドリは羽の色がすべていっしょなので見分けがつかないが、オンドリの場合は2羽だし、羽の色にそれぞれ特色があるので、はっきり識別できる。今回導入したヒヨコのうち、1羽のオンドリはとても弱々しくて、全部のヒヨコの中でも目だって小さかったので、果たして生き延びてくれるだろうかと心配していた。小さい時の出遅れは、4ヶ月を経過しても響いて、メンドリの最も大きいのよりまだ小さい状態だった。もう一方のオンドリはヒヨコの時から大きくて強そうだった。それが、ヒヨコから半年を経過した頃にはいつの間にか身体の大きさが追いついた。


 初めてオンドリが「決闘」をしたのは7ヶ月目の終わり頃だった。実際に見たのでなく、トサカの周りにべったりとついた血で決闘をしたことがわかった。ニワトリの場合、メンドリの初産と、オンドリの初鳴き(コッケコッコウ~)と、オンドリの決闘は、ほぼ同じ時期に始まる。普通は6ヶ月を経過する頃に、それが訪れるのだが、成長過程でボクがよい食べ物を与えなかった、つまり、雑草とか野菜くず主体の粗食にしたために、初産等が丸1ヶ月遅れた。購入エサも全体のエサの3割ほどの割合で与え続けたが、少し足らなかったようだ。


 この決闘で勝ったのは、初期に出遅れた「ひ弱い方のオンドリ」だった。1回目の決闘で勝負が終わったわけではなく、何回めかの最後の決闘(上述した死ぬかも知れないと思ったほどの出血)も、このひ弱い方が制したようである。


 オンドリ同士は決闘をしたが、前回のオンドリのようにボクに飛び掛ってきたことはまだ1度もない。メンドリのように近寄ってくることはないが、それでも前回のに比べたら2羽ともとてもやさしい。それはボクが今までの経験を基にして対策を考えたからである。つまり、ヒヨコの時から、エサやりや水替えにトリ小屋に入った時には、努めて、2羽のオンドリの羽にさわる、つまりスキンシップをするように心がけたのである。それと、オンドリの目の高さに合わせて、向かっていくような膝から下の足の動きに注意した(オンドリの正面に歩を進めない)のである。闘鶏のような形になると、相手は本能でやはり向かってくると思った。この2点のことが功を奏したのか、今回のオンドリはボクに対して向かって(飛び掛って)こない。もちろん大きくなった今でも、継続してこの2点を心がけてするようにしている。メンドリと違って、オンドリはちょっと捕まえづらいが、エサを食べていて、注意がエサに向いている時に、さっと手を伸ばして捕まえては、膝の上に乗せて羽をなでてやる。それはほんの2~3秒のことであり、1週間~10日に1度くらいに減ったが、今もそうしている。だから、捕まえてもそんなにばたつかない。強い方のオンドリにも弱い方のオンドリにも平等にそうしている。


 子育てにも、小さい時のそんなスキンシップが大切だったと、今のオンドリを見て、はっと気づかされる。でもその頃は今以上に忙しかった。


 オンドリは「飯のただ食い」であるし、狭いトリ小屋で3羽も入れると1羽が死んでしまう。よく知らなかった2回目(15年前、最初に導入したニワトリはハトくらいの大きさの時にタヌキに入られて一晩で全滅)は、オンドリを4羽も入れたために、途中で2羽が死んだ。自分のトリ小屋では、オンドリは2羽が限度ということがわかった。数字的にも、オンドリはメンドリの羽数の15%までと言われているから、メンドリ30羽に対してオンドリ2羽だから、これがベストである。必ず1度は闘鶏をするので、30羽くらいだったら、オンドリは1羽でよいと思うが、ヒヨコ時代のごく初期に「圧死」などでたまに死ぬこともある(ヒヨコの時はかたまりあって寝るため)ので2羽にしている。


 ニワトリを飼う場合、メンドリ30羽、オンドリ2羽というのは、ベストの選択だと思う。これより多いと、飼い方が全然違ってくるように思うし、これより少ないのも、エサやりの手間、田んぼから出る野菜くずの量の問題、卵の数の問題、購入エサの日持ちの問題等から、自分には不適切だと思っている。自給エサだけでまわすなら5羽が適切だと思う。現にボクは去年ニワトリを淘汰して新しいヒヨコを導入した時、自分30羽+2羽、友人5羽+1羽、もう1人の友人5羽+1羽の合計、メンドリ40羽、オンドリ4羽を注文した。


 タマゴを売るのが目的なら、中途半端な羽数にしないで、自分にあった、きちんとした羽数を、エサや周囲の環境のことなどをよく考えて導入したらよいと思う。

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夕方の一作業

 出荷が終わった4時~4時半頃、今日はちょっとしんどいから、もう田んぼへは行かずにゆっくりしたい・・・と思っても、あれとあれとあれをしておいた方がよいなあと考え出すと、やっぱり身体が田んぼの方へ向かう。


(1)夕方にはニワトリの水容器が空っぽになっていることがある。暑い時期は朝と夕の2回、水を入れ替えたい。ついでに、カマでちょこちょこっと草を刈って投げ込んでおく。


(2)液肥を仕込んだばかりだし、今日は出荷で、朝混ぜることができなかったので、夕方には混ぜておきたい。


(3)家の台所の生ゴミ容器がいっぱいになっているので、田んぼの一角(使わない田んぼ)に捨てよう・・・生ゴミはずっと、使っていない田んぼの一角に捨てている・・・よく水洗いしているので洗剤は残っていない。腐ったりしているものもあるので、ニワトリにはやれない(ニワトリにやるのはテーブルの上の食べ残りだけ)し、使う田んぼには捨てれない。


(4)設置したばかりの電柵がきちんと機能しているか確認する。夜間だけ電気が通じるようにセットしている。田んぼから帰る前に、4アールほどの田んぼをさっと一回りして、雑草などが電柵に触れて漏電するようなことはないかチェックする・・・近くにイノシシが来ている今だけは念入りに。


(5)昨日施した液肥をエンジンポンプで散水して10倍ほどに薄める・・・夕方しておけば、適度に乾いて、明日の朝すぐに黒マルチが張れる。


  これらの作業は主に夕方の作業なので、ただの1時間でも田んぼに行って、その日にすべきことはきちんとその日にしておく必要がある。苗物の育苗のように、1日、水遣りを忘れたら致命的というようなことではないが、1日、パスすると微妙な影響が出たり、仕事の段取りが1日遅れることにもつながる。


 昨日の夕方は、ニンジンの蒔き直しをした。8月20日に蒔いたニンジンの発芽がどうもよくない。ここ数年、失敗したことはなく、どうしてだろうと考えたが、原因がよくわからない。ニンジンは病気や害虫は少なく、発芽がそろえば、90%成功したも同然なのであるが、この発芽をうまくすることが、秋冬作ではかなり難しい。ニンジンは他の秋冬野菜の先陣を切って、他の秋冬野菜よりも、約1ヶ月早く、8月のお盆明け頃に種まきをする必要がある。他の秋冬野菜より1ヶ月早いということが、難易度につながっている。つまり、8月のお盆明け頃はまだ、残暑がきびしく、雨もほとんど降らないので、田んぼがからからに乾いている状態のことが多い。夕立もあまり期待できないので、台風がもたらす雨を期待することも多い。今年も、8月18日の深夜から19日の早朝にかけて九州を通過した台風の雨の後、19日の午後には乗用トラクタで耕運し、20日の午後に畝立てして、その後すぐに種蒔きをするという段取りになった。


 これ以上、ニンジンの種蒔きは遅らせない方がよいという時期に種蒔きをするので、発芽が悪かった場合の蒔き直しとなると、生育がぐんと遅れる。それなら1回目の種蒔きを1週間~10日ほど早めればいいのではと思われるかも知れないが、早めると、雨が降らない時期なので手間が余計にかかってしまう。お盆明けにまくと、発芽の後の成長期がちょうど秋雨前線の到来に合致して、その雨に寄り添うように成長してくれるので、手間いらずであるし、その時期のニンジンが最もすくすくと成長する。

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肥料にカネを使わない

 今日は朝から液肥を担いだ。天秤棒を肩に渡して、タゴを担ぐのであるが、何年やっても、腰が入らず、へっぴり腰で、様にならない。なかなか農業が堂に入らず、お客さんのような農業である。


 1回につき8荷担ぐのが自分の限度である。担いで30メートルから50メートルほど歩く。液肥タンクは、道をはさんで、ちょうど田んぼの真ん中あたりにあるので、最も遠くへ担いでも、70メートルくらいである。歩く距離は短くても、かなり重い。1荷で35キロ(17キロ×2)ほど液肥を入れる。8荷だから、合計で280キロほど担ぐことになる。


 液肥を施したら、その日のうちに、あるいは2~3日うちにエンジンポンプで井戸水を散布して10倍ほどに薄める。水で薄めたら、あまり乾かないうちに黒マルチを張る。


 液肥の利用後はすぐに、ヌカ4、ナタネカス1くらいの割合でタンクに入れた後、井戸水をタンクがいっぱいになるまでポンプアップする。自分の場合は1回の利用で、液肥タンクの半分くらいまで使うので、ヌカを2袋とナタネカスを四分の1袋(5キロ)ほど、それぞれのタンクに補充する。


 タンクのまわりに生えている雑草も「天恵緑汁」を取り込む意味で適当にカマで刈ってタンクに入れる。これは効果があるのかないのかよくわからないがそうしている。あまり入れすぎると、1日、1回、混ぜる時に混ぜにくくなる。液肥を仕込んだ後、別に混ぜる必要もないらしいが、混ぜた方が液肥の出来上がりが早いようである。混ぜるのは竹の棒を利用するが、1日1回混ぜるのに3~4分の時間を要するだけである。混ぜる時に、仕込みの進み具合とか、においとか、ヌカが多すぎて混ぜにくいとか、ヌカが少なすぎて水っぽいとか、確認の意味もあって、1~2日に1回は混ぜるようにしている。どんな肥料作りでもそうだと思うが、肥料作りが楽しみにならないなら、その肥料はあなたにとって適切ではないような気がする。他の肥料(作り)を模索してみた方がよい。


 液肥を施したら、すぐ次を仕込んで、後は寝て待てばよいのである。堆肥のように失敗することはまずないし、仕込むのはごく簡単なので、施す時だけが、重労働である。堆肥の場合は作る時も施す時も両方とも重労働である。


 ボクは液肥が一番安上がりで、楽だと思っているが、これは人によりけりだから、何とも言えない。


 液肥は黒マルチとセットみたいな所がある。つまり、液肥は雨で流亡しやすいので、黒マルチをしておくと効果が長く保たれる。ボクはナスビやピーマンのような収穫の長い作物でも「追肥」はほとんどしない(黒マルチをはぐって施すのはとても面倒だから)が、肥料切れという症状はあまりない。肥料は液肥(150センチ幅で17メートルほどの畝に、2荷施すことを基準にしている)が9割を占める。残りの1割は焼きすくも(くん炭)である。


 トリ小屋の鶏糞は年に2回ほどしか持ち出さない。春先のジャガイモと、秋口のハクサイ、キャベツ、ダイコン、カブのアブラナ科四天王に使うと、量が知れているのでそれで終わる。


 肥料にはカネをかけないことが大切だと思う。肥料にカネをかけていたら採算などとれない。かといって、手間もかけない方がよい。肥料に関しては、実際に野菜に施した時に効果があり、自分の肉体にも負担にならないやりかたを、できるだけ早く見つけ出すことである。なんにおいてもそうですが、他人の最もよいやり方が、あなたにとっても、最もよいやり方であるということはまずありえない。


 

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小屋の外へ出たニワトリ

 今日、サツマイモを初掘りした。例年9月に入ったらサツマイモの出荷を始めるようにしている。


 今年は例年作っていた早生品種(品種名がわからない)を止めて、同じ早生品種のベニアズマに変えてみた。長らく作っていた早生品種はあまりおいしく思えなかったので、ベニアズマに変えたが、今日食べてみて、ベニアズマもあまりおいしいと思えなかった。ただ、ベニアズマという品種は苗が一般によく売られていて、早生で多収の品種として知られている。自家用ならともかく、出荷用なら、多収というのは、味がおいしいことより上位の選択肢である。少なくとも自分はそうである。一般にサツマイモは早生品種より晩生品種の方がおいしいが、9月の頭にサツマイモが食べれるという「早い」のも顧客にはごちそうだと思う。今年は、最初が長雨続き、その後渇水と、両極端な天気だったが、芋は結構大きなのが入っていた。でも、あまりに外観が悪く、4株掘ったのに、出荷できそうな芋は一つもなかった。畝の端っこ、つまり田んぼの端っこから掘るから、掘り進めばこんなに外観が悪いことはないと思う。少々の外観の悪いのは出荷するが、あまりにひどいと出荷はできない。本来なら即ニワトリ行きの芋だったが、初物だったので、持って帰って「ふかし芋」にして食べた。子供は要らないと言って食べないので、マルミさんに味見してもらったが、ふ~ん、いまいちという返事だった。


 農家であることの「ぜいたく」は、ふかし芋をこれから11月いっぱいくらいまで、毎日、たるほど食べれるという点である。でもこのブログの読者さんが、それほど、けなりがる(うらやましがる)ことでもない。食べてそんなにおいしいものでもないから。ただ、10月から掘り始める晩生品種(高系14号を作っている。有機農研幹事である千葉の林重孝さんから送ってもらった品種)はとてもおいしい。栗みたいとは言わないが、作付け場所の「土質」にかかわらず、おいしいと思う。他の品種や他の人が作った芋をほとんど食べたことがないので、これ以上は言えない。


 「ちょっと腹がへった」とか「口がさみしい」時に、台所のテーブルの上に毎日必ず「ふかし芋」があれば、それに手が出る。サツマイモのない時期は、それが「菓子パン」になる。サツマイモは菓子パンよりかなり安くつくし、自分の健康のためにもよい。とにかく、しょっちゅう間食をする悪癖があるので、サツマイモで腹をふくらませるようにしている。ふかし芋にしてから3日間は食べるが、4日目にまだ残っていれば、残りはニワトリ行きとなり、また新しいのをふかす。もちろん、ふかし芋にするのは、出荷できない「くず芋」か、特に外観の悪い芋だけである。


 これからはサツマイモの「くず」や「外観不良分」が、芋を掘るたびに出るので、ニワトリのエサに都合がよい。サツマイモのくずをニワトリにいくらやっても、タマゴを産むという生産には全然反映しないが、ボクといっしょで、腹はふくれるはずである。タマゴを産み過ぎても、そのタマゴの処分に困るので、メンドリが30羽で1日に4~5個産んでくれるペースが自分にはよいのである。


 今の時期はまだ暑いので、朝夕、水を新しいのと入れ替える。エサは、最近近所でもらった「精米くず」1キロほどと購入餌1キロほどをトリ小屋の地面にばらまく。他に、この時期の「大ごちそう」としてトウガンを1個投げ込んでおく。他に雑草やサツマイモの収穫後の芋ヅル。時々、ヌカもトリ小屋にばらまく。今の時期はこういうバランスのエサでメンドリ30羽とオンドリ2羽の合計32羽を育てている。生まれたばかりのヒヨコを宅急便で送ってもらってから1年と3ヶ月ほどになるが、まだ1羽も死んでいない。4年もしくは5年飼う予定である。


 トリインフルエンザはアウシュビッツよりもっとひどい身動きできないケージに閉じ込められた、抵抗性のないニワトリの病気と思っている。ケージのニワトリは太陽の光を1度も浴びることがなく青菜など全く食べさせてもらえないのだから。今、時代の最先端の養鶏法は50年前に逆戻りした30羽養鶏だと思っている。でも、タマゴを売ろうとしてはいけない。売ろうとすると自分の心に「矛盾」という隙間風が走る。


 1羽も死んでいないと書いたが、今までに大きな危機が2回あった。病気何かではない。エサをやるためにトリ小屋へ入った時に入り口の扉から外に飛び出して逃げられたことが2回ある。1回めは去年の11月で、その時は運良くその日に捕まえることができた。もう1回はつい最近のことである。トリ小屋の外に飛び出したニワトリは一瞬「きょとんとした状態」なので、その時にわっと飛びついて捕まえないと1度取り逃がすと、捕まえることがむずかしくなる。先日逃げ出したニワトリは何と二晩も山の中で過ごした。山には天敵のタヌキがうようよいるので、当日捕まえれなかった時には、もう今晩中にタヌキの餌食になるだろうとあきらめたが、翌日の朝、トリ小屋の近くでうろついているのを見つけた。あ、生きていたんだとうれしくなり、しばらく追い回したが、またしても捕まえることができず、結局その日も日が暮れてしまった。2日目の朝は、もう逃げたニワトリのことなど忘れて、死んだものとあきらめていたが、またしても翌朝、トリ小屋の近くの田んぼで見つけた。あれ~、まだ生きている・・・奇跡、今度こそ捕まえなくてはと、またしても追いかけた。今度はうまい具合に「行き止まり」のような段々畑の隅に逃げ込んだので、間一髪、ボクの身体が空を飛ぶのが早く、まるでレシーブするような体勢でニワトリに飛びついたのだった。捕まえれた時はほんとにうれしかった。タマゴを産んでくれているとか、逃げられたのが惜しいというのではなく、むざむざタヌキの餌食にならなくてすんだということがうれしかった。


 エサには全く困らなかっただろう。落ち葉の下にはいろんな虫がいるだろうし、青菜(草)もいくらでもあるし、池のすぐ下なので、池からの落ち水がにじみ出ている場所もあるので、飲み水にも事欠かない。帰趨本能のようなものが働いて、トリ小屋から遠くに行くことはなかったのだろう。


 結局、逃げたニワトリは2回とも捕まえることができたので、全部生きている。ニワトリの大きな死因に「ニワトリの中でのいじめ」があり、実はこれが最も大きな死因の一つである。何かのアクシデントで1羽のニワトリがつつかれだすと、よってたかって他のニワトリも同調して、同じ場所をつつき始める。ニワトリ世界のいじめは凄惨で、尻つつきなど、ハラワタが飛び出すくらいつついて殺すらしい。ボクのトリ小屋では青菜は足りているので、尻つつきというのは、ニワトリを飼い出してから15年間余り、1度も見たことはないが、逆に、頭つつき(口ばしとトサカの間)で死んでいったニワトリを何羽も見た。早めに隔離してやればよいのだが、そのタイミングがむずかしい。隔離すれば、水遣り、エサ遣りにそれだけ手間を取るわけだし、いじめが途中で止まる場合もしばしばある。

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初めてのイノシシ襲撃 ④

 何かあわただしい1週間だった。ちょうど1週間前の今日が、初めて集落の畑がイノシシに襲われた日だった。そのおばさんも、人生初めての経験でかなりショックだったのだろう。だから、会う人ごとに話したのだろう。ボクも人づてにイノシシの話を聞いた。


 その後、連日のごとく集落の畑のサツマイモが襲われて、3軒の家庭菜園が大きな被害にあった。みんなびっくりして、てんやわんやの騒ぎになったおかげで、ボクも水際の危機一髪のところでイノシシを阻止することができた。正確に言えば阻止できるかどうかはわからないが、とにかく今日、電気柵を取り付けることができた。


 今朝は、多少の段々畑の一番下の畑に大きな足跡がかなりついていた。なぜ運良く、下から三番目の3アールのサツマイモ畑が被害にあわなかったのか不思議であるが、前々日に荒らされたボクの畑に隣接している田んぼの持ち主が、その被害を受けたサツマイモを畑の片隅に寄せ集めておいてあったらしく、昨晩はそのえさが大量にあったので、それで満腹して、ボクの畑のサツマイモまで漁る必要がなかったのだろう。来ているコースから考えて、今日の深夜はボクの畑の順番になっているはず・・・。とにかく、電柵に鼻面を触れさせて「キャイ~ン」といわせなければならない。一度驚かせておかないと、この方角に来る事が癖になってしまう。仮にサツマイモは防げても、他の畑でころげまわられても、それも困るのだが、ターゲットになるのは、今の時期ではサツマイモだから、とにかく、電柵で防げるものと信じたい。


 今回のことで一つありがたかったのは、すでにボクの集落では現役世代の人が農業をすることは、とっくになくなってしまったが、現在70歳を少し超えたくらいの方が、家庭菜園に精を出しておられる。その方たちが騒ぎ立ててくれたのがうれしかった。10年後、彼らが引退して、田んぼに出ているのは自分一人になり、田畑が寂しい状態の時、イノシシに襲われて、一人静かに愕然とするよりは、今の状態の方がまだ救われるような気がしないでもない。


 いつか「百姓一揆」のような形で立ち上がらなければ、いずれこの国は、深夜はイノシシが支配する惑星になってしまう。いやすでにこの国の8割以上の地域は、深夜、イノシシに支配されている。そして農業者はますます追い詰められていく。ボクが現役を退く頃まで、この地域だけは、イノシシに遠慮してほしかった。次の世代のことなど知ったことじゃない。自分がぎりぎりの所で「農業継続の為の攻防」をしているので、他の人や地域や次の世代のことなど顧みる余裕などない。


 昨日注文していたのが、先ほど入荷したからと、午前10時に農機具店の方が来られた。さっそく2人で設置に取り掛かった。2人でというより、農機具店の方がされるのをじっと見ていただけだが。設置が完了して一通りの説明を聞いている時、正午の時報が聞こえてきたので、2時間ほどかかったことになる。具体的な請求書はまだきていないが、9万円近い金額がイノシシ防御の捨てガネになった。イノシシなど出てきたら、もう農業など止めると、誰彼となく広言していたが、実際に襲来されて、もう自分には農業を続けるしか、他に選択肢はない状態なのだと、あらためて痛感させられた。


 農機具店の方が設置されるのを見て、やっぱり、多少高くついても、農機具店で買ってよかったと思った。設置に案外時間がかかったことと、自分ですると、最後の最後の詰めの段階で、果たして電流をうまく通せるかどうか、その点が不安だった。


 アースとかバッテリーとか、テスターとか言われると、工業高校を出ているのに、まるでちんぷんかんぷんで、多分、とんでもない質問を何度もしたような気がする。でもこの農機具店の方には、管理機やエンジンポンプのオイル交換を頼んだりと、まるで農業者にはあるまじき不器用さを露呈していたので、ボクのレベルをよく知っているのだった。こんなレベルでもすでに8年も前に「あめんぼ百姓塾」を立ち上げている。ボクは農業への入り方も途中経過も、技術指向ではなく文学指向の農業をしてきた。農業をする上での致命的?弱点も持ち合わせているが、伝えたい技術的側面以外の農業も数多く身につけてきたと自負している。


 電気柵に関しては、今度は自分一人でも、移動させたり、新たに設置したりができると思う。でも、イノシシと電気柵は、自分の文学的農業を明らかに邪魔する存在である。でも、組織の中でいやな奴に慣れていかざるをえないように、イノシシにも慣れていかざるを得ないのだろう・・・生きていくために。 


 

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プロフィール

水田祐助

Author:水田祐助
岡山県瀬戸内市。36才で脱サラ、現在55才、農業歴19年目。農業形態は野菜とハーブのワンパック宅配。人員1人、規模4反。少量多品目生産、他にニワトリ30羽。25年ほど農業とは無縁だったが、ボクが子供の頃は、家は葉タバコ農家だった。
yuusuke325@mx91.tiki.ne.jp


セット野菜のワンパック宅配 みずた観光農園

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