あめんぼ通信

春夏秋冬の野菜やハーブの生育状況や出荷方法、そして、農業をしながら感じたことなどを書いていきたいと思います。

ワンパック宅配の問題点

 ワンパック宅配の欠点は在庫野菜にもある。市場出荷の場合は、その作物が一番よい状態の時に一括出荷することができるが、ワンパック宅配の場合は、少しずつ、少しずつしか出荷できない。
 春夏作の在庫野菜は、(1)タマネギ (2)ジャガイモ (3)ナンキン (4)トウガン の4種類である。
 
在庫野菜は保管している間に劣化したり、腐ったりする。状態が良い時に一括出荷してしまえれば、こんなことは起こらないのにワンパックの致命的欠陥である。(1)のタマネギは、タマネギを吊るす手間、出荷のつど選別する手間、2〜3割ほどは劣化して出荷できなくなる、のトリプルロスがかかってくる。(2)のジャガイモに関しては別段問題はない。(3)のナンキンは自分の場合は9月中旬以降は劣化が多くなるので上旬までに出荷を終わらせる。(4)のトウガンも別に問題はない。


 秋冬作の出荷野菜はほとんど全部が在庫野菜である。だから出荷ロスが極めて多くなる。つまり、秋冬野菜は12月上旬にピークを迎えると、冷蔵庫のような戸外で、2月末までそのまま放置されて、出荷されるのを待つわけだから、その間に、(1)寒さで凍害が出たり、(2)雨による不必要な水分を吸って味が落ちたり、(3)田んぼに放置されている間に病気が発生したりする。


 例えばハクサイは強い寒さに弱いので、年が明けると残りのハクサイを全て収穫して一箇所に集め、上から藁や寒冷紗をかぶせておく。それでもかなり劣化するので、2〜3割多めに作付をしておく必要がある。


 例えばサトイモは10月、11月の2ヶ月はとてもおいしいのに、12月以降は寒さや、いらぬ水分を吸収して味が徐々に落ちていく。


 例えばネギは12月いっぱいはとても状態がよいのに、年が明けると寒さののために先枯れ(先が黄色になる)が多く出て、緑の部分が減るし、先枯れ部分を除く手間が大分増える。


 例えばダイコンは収穫期には上半分が土中から飛び出してくる(これは不思議)ので、飛び出した部分が小寒に入る頃には凍害で傷む。そのため残り全部を引き抜いて、ヨコに寝かせて、2センチほど土をかぶせて外気に触れないようにする。個人客が多い場合はこれが大変であるし、出荷のつどまた少しずつ掘り出し、出荷で残ったらまた埋め戻すと言う、これもトリプルロス。


 例えばレタスは12月下旬頃には寒さで腐ってくる。だから、出荷軒数から逆算して何本定植するかを決めないと、出荷ロスが大きい。


 例えば、シュンギクもレタスと同じく寒さに弱く、年明け頃には茶色っぽくなるので、薄い毛布のような素材でシュンギクを覆う。寒さにあたらないとおいしくならないのに、強い寒さには弱いという、なんとも小難しい野菜である。収穫適期幅が1ヶ月ほどしかない。


 寒さでも傷まないのはキャベツとニンジンとホウレンソウくらいである。カブは寒さ避けに土中に埋めておくと、2月が暖かい年は2次成長を始めて、出荷しずらくなる。


 サツマイモは7度以下が続くと腐敗してくるので、12月20日頃までに出荷を終える。ヤーコンは外観がよくない。その分、多めに入れたりするので採算が悪い。ヤーコンよりサツマイモの方がはるかにお得。


 市場出荷では、個々の野菜の長さや重さ、外観の基準がきびしく、はねられる野菜がかなり出ると思うが、ワンパック宅配も、少しずつしか送れないという出荷上の欠点が克服不可能なので、多くの出荷ロスが出る。


 もう一つ、市場出荷にない欠点がワンパックにある。それは、ワンパックの場合、その作物の一番よい状態の時に送れることは多くないということである。例えばレタスを例に考えると、まだ巻きが弱いうちから出荷を始めて、ピークを過ぎて、少々過塾気味でも出荷せざるをえなくなるという点である。これを「ずらし蒔き」して対応するのは考えられない。ずらし蒔きすると、このロスが2倍になる。ずらし蒔きが可能なほど、個々の作物の種蒔きの最適期幅は長くはないのである。家庭菜園ではずらし蒔きはまずしない。ずらし蒔きはやはり反自然的であるから、多少ずれただけでも害虫や病気も多くなるだろうし、手間も多目にかかると思う。ずらし蒔きをせざるを得ない作物もあるが、それは自分の場合、春夏作のキュウリ(4月1日、5月15日、6月15日、7月15日)と秋冬作のホウレンソウ(9月28日、10月2日、10月5日)、シュンギク(9月7日、9月12日)の3種類だけである。


 ワンパック宅配方式は、生産者から直接に消費者や料理店に送るという意味で、従来の市場出荷にはない斬新な、未来を先取りしたような出荷形態と目されているが、上記のような欠点を内包しているため、始めてもなかなか続かないのではなかろうか。つまり、単価的に見て、市場出荷方式に対抗できない。無農薬野菜の生産者も無農薬野菜の専門作物に特化されていく傾向がある。


 

このページのトップへ

野菜の単価

 今日は野菜の単価の話・・・ハクサイ1個250円、キャベツ1個150円、ニンジン1キロ250円、サトイモ1キロ400円・・・


 ワンパック宅配をしている人が、野菜の単価を決める場合、何を基準にして単価をきめているだろうか。ボクの場合は近くのスーパーの店頭の野菜価格。でもこの野菜価格は結構上がり下がりする。いつもチェックするわけにもいかない。以前はスーパーに行った時はたいてい野菜価格をチェックしていたが、安すぎてばかばかしくなることもよくあった。今はスーパーへ行ってもいちいち注意しては野菜の単価を見ない。


 野菜の単価を決める場合、その人のトータルの人生観とか、野菜に対する考え方とか、野菜に対する自分の見方とか評価、自分としてはこれくらいの価格で売りたいという意識などが、いろいろ交錯する。たとえば、自分の場合は、キャベツ1個を150円で売っているが、これを200円で売る人は「力がある」と思うし、これを100円でしか売れないと思う人は農業には向いていない。これを250円で売り続けれる人がいたらボクは尊敬する。農業の現場で生き抜く人は、キャベツ1個を少なくとも200円で当然のごとく売る人である。


 自分はこの点が弱い。キャベツ1個を150円でしか売る力がない。本当は、害虫の多いこのキャベツを150円の価格でしか売れないようない人は、農業の現場に長くとどまれない人である。市販のキャベツとは全然違うのだから最低でも200円以上で売り抜く人でありたいと思う。


 いったん野菜の単価を決めると、途中からはなかなか単価を上げることは難しい。単価を下げる人、そんな人はいないだろうが、そんなバカは農業を止めたほうがよい。市販の野菜とは全然作り方が違うのだから、本当はスーパー価格の2〜3倍ぐらいで売らないと採算は全く取れない。顧客は、農家から直接買うのだから安くなるはずと想像しがちだが、少量多品種を作るという作るうえでと出荷するうえでの非能率が考慮されていない。ラディッシュボーヤとかの大手の無農薬野菜のワンパックを手がける会社は、それざれの野菜に、特定の契約先農家を持っていて、その農家が、無農薬野菜の大規模経営をしている。規模が大きくても無農薬でできるのかは疑問だが、そういう無農薬野菜を寄せ集めたワンパックというわけです。


 ワンパックの顧客が続けてくれないと、野菜の単価が高いのだろうかとか、野菜の品数が少ないのだろうかとか、食べ切れないのだろうかとか、味が悪いのだろうかとか、量が多すぎるのだろうかとか、いろいろ考え始める。実際はそうではなく、単に、レベルの低い顧客しか相手にしていない場合が多い。そんな人はもともと有機野菜を食べる人に値しない。そんな人しか顧客に持つことができない自分の「営業力」を反省した方がよい。


 顧客が続いてくれないと、自分の中で悪循環の考えが生じやすいので、野菜を作る技術的側面と、野菜を売る営業的側面は半分半分と考えて、常に並行して進める必要がある。


 農業者はたいてい技術的側面にはたゆまない情熱を注ぐのに、こと営業面(売ること)に関しては弱い。農業を志す人は元々営業系の人は少ないから、最初から営業力のある人は少ない。つまり、農業で生き残っていくのは、営業力がないのを知りつつ、我流で、なりふりかまわず、農業生命をかけて、直接の顧客を捕まえようと努力する人である。農業を夫婦でしている人は、どちらかに営業力があればよいが、一人でしている場合は、自分が技術マンそして営業マンになる必要がある。技術力と営業力は異なる能力なので、技術系の人が多い農業者は、最初から営業努力をあまりしない人もいる。ボクも営業はどうもうまくないし苦手である。お人よし過ぎると思う。「強気な商売」を常にめざしているが、強気になれない原因が顧客の不安定にあった。


 とにかく、売ることは他人に依存してはだめである。自分で売らなければならない。これは鉄則です。


 ボクがどんな営業方法をとったか、具体的にうまく説明できませんが、とにかく無茶苦茶な我流の営業で、「下手な鉄砲も数うちゃあたる」というやり方です。どんなに顧客の出入りが激しかろうが、また新たに獲得すればよい。自分の16年の経験から言えば、野菜の個人客は6年以上続けてくれるのは5%ほどだと認識しておいてください。だから多分、10年ぐらいは常時、営業をし続ける必要があると思います。ボクは12年ほどやっていました。今やっと顧客数が安定してきています。でも相変わらず、出入りは激しいのですが、減った分くらいは口コミの紹介で十分補えるようになったという状況です。これはイタリア料理店の口コミのことです。


 「野菜の個人客は続かない」ということを自分なりに経験して、イタリア料理店に出荷を始めてからは、個人客の営業をしなくなった。多分、ブログが有名になれば野菜の個人客の注文もあると思っている。一元の客でも一元の飛び込み客が多ければ、それは固定客とも言えます。


 何か自分の顧客には読んで欲しくない情報を並べ立てていますが、それは「30代後半の脱サラ農業志願者の役に立ちたい」と言うこのブログの目的からです。


 農業をスタートして3〜4年内には、自分が目標とする顧客数の80%は確保する必要があります。3〜4年で技術力も大体のめどがたってきます。4年目あたりで稼いだ金額が、あなたが農業の世界で稼げる金額の7〜8割だと思います。だから、技術的側面も営業的側面も3〜4年目あたりが分岐点のような気がします。それよりぐずぐずしてしまうと、貯金もそこをついてしまいます。3〜4年で形にすることができなければ、農業の世界から淘汰される可能性もあります。技術力(作る力)、営業力(売る力)、資本力(3〜4年の生活費、貯金)の3拍子がそろわないと、3〜4年で農業からおさらばです。


 自分の目標とする顧客数を3〜4年のうちに確保してしまわないと、どれくらい作付してよいかの作付量(面積)も頭の中に把握できません。あべこべのようですが、技術力より顧客数の方が先だと思います。顧客数が増えていかないと、最も大切な「単価の設定」の時に弱気になってしまいます。次に掲げるのが強気になれなかったボクの設定価格です。これより下回った価格は禁物です。


ハクサイ1個 250円
キャベツ1個 早生小型100円 その他150円
ダイコン 2本で250円→1本だけにして150円とすべき
カブ 目方を忘れた 大3個で150円(小は5〜6個)
ニンジン1キロ250円(最盛期の価格。出始めは500gが150円ほど)
サトイモ1キロ400円
ネギ 150円(目方を記憶していない)
シュンギク 2株で150円→1株100円とすべき
ホウレンソウ 250円(450グラム)
秋ジャガイモ(あまり出荷できていないが1キロ200円)
レタス1個 150
ブロッコリー 100円


 ボクは単価積み上げ(合計)方式ですが、ワンパックいくらと、ワンパックの値段を一定にしている人もいます。この方が事務処理は随分楽だと思います。ただこの方式は特定の野菜を失敗した場合にワンパックが組みづらくなるような気がします。


 単価積み上げ方式と言っても、自分の場合、ワンパックの上限価格を3300円にしています。下限も2800円を下回ることはありません。3100円か3200円の場合がほとんどです。


 春夏作の単価はまた次の機会にご報告します。


ブログランキング1位を目指して挑戦中!!! クリックお願いします!!!
このページのトップへ

アブラナ科四天王の虫害

 さっき、またしても3時間ほど打っていた今日のブログが、突然画面が切り替わり、消えてしまった。ショック、残念、無念。パソコン先生に電話したが、入力中に、特定のキーボードに触れた場合、元に戻る場合と元に戻らない場合があると言われた。今日のは戻ってくれなかった。下書き、保存、下書き、保存のクリックを何度も押して、入力データを逐次保存しながら入力を続ければよかった・・・。わかっているのに、入力に夢中になっているとよく忘れる。その日の入力データが消えてしまったのはこれで3回目である。でも落ち込んではいられない。とにかく少しでも今日の更新を入れておこう。まだ11時だから、後1時間打てる。


 秋冬作のアブラナ科四天王は、毎年、ダイコンサルハムシとの戦いである。密度が低い年もあるが、今年のように密度が高い年もある。農薬を使ったにもかかわらず、ダイコンとカブは発芽後3日ほどで壊滅状態になった。かなり離れた場所にすぐに蒔き直した。すばやく対応できたのは、作付面積が小さいことと、他の作物に予定して黒マルチを張っていた畝を急遽ダイコンとカブ用に切り替えたからである。2回目は1回目より少し多めに農薬を使った。離れた場所に蒔き直したにもかかわらず、2回目も被害が出ている。でも壊滅的ではない。何とか出荷までこぎつけれるだろう。個人の家庭に送るワンパックの場合、この四天王だけはどうしても成功させたいと思う。ハクサイとキャベツは予備苗を用意しているので、比較的簡単に対応できる。とにかく、種蒔き後、あるいは定植後3週間が過ぎる10月4日〜10月7日頃までに致命的な被害を受けなければ、それ以降は成長に加速がつくので、少々の害虫には負けない。


ブログランキング1位を目指して挑戦中!!! クリックお願いします!!!
このページのトップへ

やさしいオンドリ

 ニワトリのエサは、ムラサキ芋のくず、トウガンの外観不良分、虫食いで早々と熟した柿などを、今は与えている。雑草も毎日たくさん与えている。時々、ストレス防止に雑草化したニラを与える。腐りかけたタマネギもニワトリ行きである。もちろん、ナスビやピーマン、キュウリの外観不良分で、サービス品にも入れづらい分は即ニワトリ行きになる


 芋のくず、腐りかけたもの、ひどい変形野菜なども、手塩にかけたものだから、どんなひとかけらも無駄にしたくない。そんな時、ニワトリは大切なリサイクル鳥である。


 トリ小屋までまだ30メートルもあるのに、毎朝ボクの姿を見つけると、飛べないニワトリなのに、止まり木から羽をばたつかせながら、まるで飛んでいるように地面に舞い降りる。そして、トリ小屋の入り口付近で、ほとんどのニワトリが「ぐるぐるまわり」をしながらボクを迎えてくれる。入り口から外に逃げないように、入り口付近のニワトリを足で払いのけながら、急いで入り口の扉を閉める。買ったエサと、もらった精米くずを半分ほどずつやり、水を入れ替え、トリ小屋周辺の雑草を鎌で刈ってトリ小屋に入れる。その後、タマゴを巣箱から回収する。タマゴを地面に産み落としていることはめったにない。タマゴを産み始めの頃の若鶏の時や、エサやりに入ったために、あわてて巣箱から飛び降りて、巣箱の外に産み落とすこともあるが、そういうことはめったにない。巣箱は連結して4つ並んでいるが、4つの箱に均等に産み落としているのではなくて、1つの箱に集中して産んでいることが多い。つまり、ニワトリは他のニワトリが産んでいる箱の中で産むことが多い。


 ニワトリは、命である「くちばし」を生まれると同時にデービーク(多分熱い鉄ゴテのようなものをくちばしの先にあてて、くちばしの先を切り取る)されるのが、大半のニワトリの宿命であるが、そんなことをしなくても、我が家のニワトリは他のニワトリの尻突付きなどは全くしない。雑草をたらふく与えているので、植物繊維が十二分に足りているからだろうと思う。また今回のオンドリは、ヒヨコの時にしばしば羽にさわったり、手でつかんだりのスキンシップをしていたので、オンドリなのにとても柔和で、ボクに対しては全く攻撃的な姿勢をとらない。でも、強い方のニワトリは弱い方のニワトリには、しょっちゅう攻撃を仕掛けている。弱い方のニワトリは常に一定の間隔を取った場所でエサを食べる。何かの拍子で急接近しても、すぐに離れる。これだけはボクにはどうすることもできない。オンドリの図体はメンドリの1.3倍くらいあるが、エサはメンドリほど食べないと聞いていたが、そんなことはないと思う。メンドリと同じくらいは食べている。もちろん見返りなしのただ食いである。いや、有精卵という見返りがある。農作業をしている田んぼの一角に30羽ほどのニワトリがいるというのは、とてもいい形である。ただし、2泊以上の外泊はできない。この16年間、2泊も外泊したのは、和歌山県 東牟婁郡 那智勝浦町の色川集落を訪ねた1回きりである。家人にはエサやりは頼めれない。オンドリがいなければ頼めるかもしれないが、メンドリだけでも怖がってトリ小屋に入れないだろう。やはり慣れないと、あの鋭いくちばしを見ると、びびるかも知れない。エサやりに入ると、足元にまぶれついて、われ先にと、手に持っているエサ容器に飛びついてくるから、初めてエサやりに入るとこれが怖いかもしれない。ボクも子供の頃はニワトリのくちばしが怖かったので、軒先のトリ小屋の中には入れなかった。


 農業はせめて手取りが150万になれば、今の10倍くらいに農業人口は増えると思うが、手取り100万にするのも至難である。これでは、現役世代の人は農業に参入できない。フリーターやニートやホームレスの人たちに、農業という逃げ場があればよいのにと思う。でも現在の社会ではサラリーマンになるしか生きていくための選択肢がない。自分の時代もそうだった。そして30年後の子供の就職でも、同じように、サラリーマン的生き方しか選択肢がない。そしてボクは、子供に新しい生き方を提示することもできない。農業には絶望を感じるだけで、未来を感じることはできない。ではなぜ、あんた、農業を続けているのと問われれば、すでに53才であり、働く場所といったらアルバイトくらいしかない。時給800円のアルバイトに行った方が収入的には今の農業収入よりいいが、それをやると、自分が惨めになる。うつ病にでもなりそうな気がする。現在の農業を続けていれば、何とか自分らしさを保持できる。 


 何か「毒を食らわば皿まで」のような意識で農業をしている。でもサラリーマンよりはるかに豊かな世界だと思っている。しかし自分のやってきたことを人に勧めることができない。生活ができないから。自分の場合はマルミさんの定期収入があったから、農業を続けることができたと言える。実際はもっと早く農業界から淘汰されてしかるべきだったかも知れない。でも補助金漬け農業(配偶者がスポンサー)で生き延びてきた。農業をカネにするだけの技術力を身につけることができなかった。この世界における能力不足である。でも自分の経験を無駄にすることもできない。誰もあまりすることのできない経験を積み重ねてきたから、この経験を必要とする人にきちんとした形で伝えようと思う。ブログはとてもよい伝達道具である。


 泣いても笑っても自分はすでに人生の最終章に入りかかっているので、人生の総括もせまられている。何も人に自慢できるようなものはない。でも人からとてもうらやましがられている。


 ○○様


 10月は野菜の端境期なので、ワンパックに入れる野菜の品数が不足してきます。1類(タマネギ、ジャガイモ)、2類(キュウリ、秋ナス、ピーマン、オクラ)、3類(ナンキン、ニガウリ、トウガン→サツマイモ、サトイモ)、4類(エンサイ、ツルムラサキ、青シソ)のうち、1類のタマネギは収穫時に病気がきていると、9月頃から腐れが多くなります。ボクの場合はタマネギはたいてい9月で終わってしまいます。ジャガイモは10月末頃まで出荷できるくらいの量を作っています。


 2類のキュウリは9月のお彼岸頃で終わりです。台風が来ればそれより早く終わってしまいます。秋ナスも台風に遭遇すると、とたんに外観が悪くなります。そして、10月に入ると、大きくなるスピードが鈍り、多少硬くなりますが、10月いっぱいは出荷します。ピーマンは11月上旬頃までは出荷できますが、これも大きくなるスピードが鈍ります。オクラは10月10日頃で終わりですが、台風がその前にやってくると、それ以後、オクラの表面にぶつぶつが生じて、これも外観が悪くなります。


 3類のナンキンは収穫時にウドンコ病が必ず発生しているので、9月10日頃で在庫がなくなるように出荷してしまいます。それ以降はナンキンに腐れが発生してくる。ニガウリは9月いっぱいくらいで終わりです。9月はトウガンが重宝です。トウガンは同じウリ科でも、ナンキンより病気に強く、ナンキンより日持ちがします。冬瓜と書いてトウガンと読みますが、実際、冬まで持つようです。ただし、ダイコンやキャベツができだすと、入れるスペースがなくなるので、長くても10月いっぱいで在庫が終わるように作付本数を決めています。トウガンは余り大きくならないうちに収穫します。随時取りなので、箱に入れるのにちょうどよいくらいのサイズで収穫しています。9月に入るとサツマイモの早生品種が収穫できます。9月のお彼岸を過ぎる頃から野菜の品数や量が減ってくるので、サツマイモを×2倍とか×3倍で対応しています。サツマイモは普通種(早生と晩生)、ムラサキ芋、オレンジ芋の4種類を作っています。ふかし芋にできるおいしい品種なら、×3倍でも何ら問題ないと思います。サトイモも9月のお彼岸を過ぎたら出荷を始めます。サトイモは子芋を食べる品種ですが、9月、10月だったら、親芋も十分食べれるので、親芋もサービス品としてつけて出します。


 4類のエンサイ、ツルムラサキは春夏野菜が終わりに近づき、秋冬野菜はまだ生育途上である端境期の10月のワンパックを支えてくれる、きわめて重要な葉野菜です。自分が嫌いな野菜なら出せませんが、自分が好きな野菜は相手にも通じて、毎回入れ続けてもよいと思います。実際、6月の梅雨入り頃から10月中下旬の4ヶ月間は、ホウレンソウやレタス、アブラナ科の菜っ葉の出荷は露地では難しい。大体、夏場に葉物というのはエンサイ、ツルムラサキ、青シソくらいしか考えられない。モロヘイヤは葉物を3種類も出せないし、あまり好きでないので今は作っていない。青シソも花穂シソが9月いっぱいくらいで終わる。早くレタスができないかなあと待たれる今日この頃である。しかし、早くても10月15日頃になる。


 その他、10月中旬頃から出荷できる野菜として、ネギ、インゲン、ハヤトウリがある。特にこの時期のインゲンは重宝である。


ブログランキング1位を目指して挑戦中!!! クリックお願いします!!!
このページのトップへ

ポリマルチ・土に戻るマルチ

 農業現場では、農薬や化学肥料のように、作物を直接汚染したり、雨によって地下水を汚染したり、川へ流れ込んだりして、川の生態系を壊すものと、黒マルチやハウスの塩化ビニールのように、産業廃棄物となって、間接的に環境に負荷を与えるものの、二通りある。直接的か間接的かだけの違いで、あまり違わない。


 ボクが子供の頃には、田植え後の梅雨の時分には、おびただしい量の魚が川面を埋め尽くし、顔をそむけたくなるような光景が毎年繰り返されていた。子供心にも、きつい農薬が田植え後の田んぼに撒かれて、梅雨の雨とともに、それが川に流れ込み、魚が死んだんだということが、うすうすわかった。他に考えようがなかったし、子供は何でも、不思議なことや、おかしなことには疑問をもつものだから、他の子供ももちろん同じように思っただろう。当時は多分、ものすごいきつい農薬が使われていたんだろう。あの当時の農薬と比較して、今はどんな農薬が使われているのかよくは知らない。すでにとっくの昔に魚はいなくなってしまったから、どんな農薬が使われようと、川に変化を見つけることはできない。


 今から40年ほど前、川の上流にある山の斜面が牧場に切り開かれた為に、それを境に、川の生態系も激変してしまい、魚は全くいなくなった。もちろん、乱舞していた蛍も姿を消した。


 牧場が誘致されるにあたっては、集落の公会堂でかんかんがくがくの議論がなされただろうが、反対者の意見など踏み潰されてしまっただろう。大体、ゴルフ場等でもなんでも、誘致に当たっては前もって、集落の声高の者、地域出身の議員等に、「根回し」しておき、賛成者が事前に打ち合わせして、準備万端整えてから、集落の公会堂で誘致の話を持ち出すのだから、もうその時はかなり話が進んでいて、集落の会合なんかは事後承認をもらうようなものである。これでは、反対しようにもすでに事は決着がついている。


 学校のクラスでも集落の公会堂でも、同じ社会の構図である。いじめがあっても、大多数の人は見て見ぬふりをするし、自分に関わりがなければ、火事は大きい方がおもしろいみたいな傍観者の態度を取る。いたずらに、いじめに会っている人の味方をしようものなら、今度は自分に火の粉が飛んでくる。そんな正義感のある奴も少ない。大多数の人は、クラスや公会堂での、その場の空気にながされて、反対意見を言うなどの余算のエネルギーなど使おうとはしない。事なかれ主義が一番賢い選択だから。そういう人に限って、だからわしは反対しとったんじゃ、あんな所に牧場ができたりしたら、川がこんなことになるのはわかっとったんじゃ・・・と、現実の結果がそうなってから言いはじめる。もう今言ってもどうしようもないのに。それなら、なぜあの時、公会堂の集会で堂々と発言しなかったのか。発言する勇気もなかったのに。


 実際、クラスや公会堂で、声高な人や、暴力的な人、地域の議員などには、なかなか反対意見など言えないのものである。反論することはかなりエネルギーがいるし、一朝一夕にはいかないものである。例えば、選挙で集落推薦があったりした場合、その人の乗った選挙カーが家の前を1日3〜4往復しても、1度も手を振ったりしない・・・などは相当難しいものである。確かに若い時は難しい。しかし経験を積み、常に自分が戦う姿勢を常日頃から持ち続けていれば、ある年齢になった時、それができるようになる。


 川が突然変わったのは、牧場のために山が切り開かれてからである。小学校の間泳いでいた池も泳げなくなった。上流から水が流れていたのに、水量がぐんと減った。我が家のすぐそばにある防火用水(掘り池)には、梅雨時分には、フナやナマズが釣れたし、学校の運動靴を洗ったり、隣の家の人が洗濯に来ていたりしていたのに、以後、洗えなくなった。


 ボクが中学生の頃、この集落の生態系も大きく変わってしまったような気がする。田植え後の農薬による魚の大量死、腐った臭い、川の上流の開発、稲作が手刈りから機械への移行、ダムや池、川の改修、高度成長による乱開発・・・。人心も急激に変わっていっただろう。


 時は流れて20年、中学生だった自分は30代半ばにさしかかっていた。幾度となく転職を繰り返した後、35の春、突然、頭に農業がひらめいた。最初はハウスで花を作るつもりだったが、2年間の試行錯誤の過程で、「百姓になるための手引き」、「都市生活者のためのほどほどに食っていける百姓入門」、「自然食通信(雑誌)」「土と健康(有機農研の会誌)」等に導かれて有機農業を始めた。37が目前だった。


 スタートしてからの3年間は完全無農薬だった。それまでずっと稲を作っていて、畑作はめずらしかったせいか、野菜がよくできた。害虫が少なく病気もなく、無農薬は簡単だった。今でも無農薬で簡単にできる野菜の方が多い。難しいのは自分の場合は4種類(アブラナ科野菜、ジャガイモ、タマネギ、ナンキン)である。化学肥料はスタート時から時々使っていた。肥料全体の1〜2割ほどは使っていた。化学肥料を使わなくなったのは、鶏糞から液肥に切り替えてからである。


 黒マルチもスタートして3年間ほどは全く使っていなかった。何かグロテスクに感じたし、自然に還らないものは使いたくなかった。しかし、黒マルチはいったん使い始めると年々使う量が増える。とても便利であるし、肉体的にも楽だから。


 黒マルチは0.02ミリあるいは0.03ミリの黒色のポリの素材である。定植のための畝立てをした後、このポリで土の表面を覆う。最大の欠点は使用後は自然に還らず、産業廃棄物になるという点である。


逆に長所は次のごとくである。


(1)黒色のポリで覆うので草が全く生えない。


(2)雨水が入らないので肥料が流亡しない。


(3)雨は植え穴からしか入らないが、地中の水分も蒸発しないので、保水力はこの方がかなり高い。


(4)黒マルチをすることによって地温が上がるので、10日ほど早く収穫が始まり、10日ほど遅くまで収穫ができる。つまり、前後で20日ほど収穫期間が長くなる。


(5)雨による泥はねがないので、収穫物の葉に泥がつかず、収穫後、洗う必要がない。


(6)雨による泥はねがないので、病気の発生が少なく、多少の虫除けにもなっている。


(7)雨にたたかれないので、マルチの下の土はやわらかく、、後作が不耕起でできる。


(8)1年、黒マルチをしておけば、草の種が落ちないので、翌年の草の生える量が大分少ない。


(9)植え付けが1ヶ月後でも、手の空いた時にいつでも黒マルチをして準備しておける。黒マルチをしないで露地の場合、2週間も早く準備すれば、雨にたたかれて土の表面が固くなるし、草も生えるので、もう一度畝立てのやり直しになることが多い。


10)液肥の場合、雨で流亡しやすいので、液肥と黒マルチはセットみたいに自分は考えている。


(11)黒マルチをしていると、かなりの雨量があった場合でも、作物の植え穴からしか雨が入らないので、翌日にはサツマイモ等が掘れる。


(12)ハーブなどの葉物は、泥はねがあると洗わざるをえなくなる。ハーブのほとんどは黒マルチなしでは考えられない。


(13)黒マルチをしていると、露地に比べて、作物の収量が15〜25%ほど上がる。


(14)敷き藁より安価で、敷き藁ほど敷く手間がかからず、敷き藁より除草は完璧で、敷き藁より作物のできがよい。


(15)地温が上がるので、少々定植が遅れても、露地物に追いつく。


 黒マルチは毎年、購入した農業資材店か、産業廃棄物処理業者に有料で引き取ってもらっている。キロ単価はどちらも50円であり、毎年70キロほど廃棄黒マルチが出る。処分料金は3500円ほどである。


 土に戻るマルチ、つまり生分解性マルチ(トウモロコシ等が原料)も使ったことがあるが、ポリの黒マルチの4倍ほどの価格であり、破れやすく、1年で使うことをやめた。


ブログランキング1位を目指して挑戦中!!! クリックお願いします!!!

このページのトップへ

簡易水道、上水道

  ペットブログを見ていたら、すぐ30分ほど過ぎてしまう。自分もそんな面白いブログにしなくては・・・。


 出荷の日はどうしても4時頃までは出荷作業がかかってしまう。全農作業のほぼ半分近くが収穫、仕分け、出荷作業になってしまうというのは、やはり、ワンパック宅配形態の大きな欠点だと思う。他の農業形態の場合、収穫、仕分け、出荷作業が、全農作業の何割を占めるのか、具体的に聞いたことはないが、ワンパックほどはかからないのでなかろうか。


 ワンパックの場合、収穫に2時間半、仕分けに1時間半、納品書、送り状、振込み用紙記入、売上帳に記入の事務処理で45分〜50分、箱詰め前に在庫のジャガイモ、タマネギ、サツマイモの仕分けに15分〜20分、箱詰めに1時間〜1時間10分、宅急便営業所への往復で30分。


 つまり、午前中の収穫と仕分けで4時間、午後からの作業に約3時間ほどかかり、合計で7時間。う〜ん、こんなに時間をかけてはいけない。でもかかってしまう。在庫品の仕分けは案外と時間がかかる。タマネギは収穫時の5月末に一括出荷できるなら、今の半分の価格でも、そうした方が採算がよいように思う。タマネギは、収穫後のつるす手間、出荷時の選別の手間、保存中の劣化と、トリプルロスが発生する。ジャガイモは簡単だが、サツマイモは選別に手間取る。


 農作業の時間が1週間に3日(出荷は月、水、金の3日間)ほどしか取れないから、どうしても農作業が滞り、後手後手にまわってしまう。計算上は週4日取れるが、雨の日とか、大雨の翌日とか、集落の葬儀や出仕事や家の用事等で、平均すると週に1日は何もできない日があるので、実質上は3日ほどしかできない。


 今日は出荷が終わった後、夕方1時間ほど水やりをした。台風の雨以後は晴天が続いてよく乾いている。台風はまるで交通事故のようなものだ。どちらも一瞬のことであるが、後々まで、大きな後遺症を残してしまう。台風以後、穏やかな秋晴れが続いている。1時〜3時頃はまだ真夏日のような暑さである。台風を境に急に外観が悪くなったナスビやオクラを見るたびに、あの台風は一体何だったのだろうと・・・繰り返し自問する。自問してもどうしようもないことであるが。


 水やりしたのは、ハクサイ、キャベツ、ダイコン、カブのアブラナ科四天王とレタス類である。ここで適度な水分を補給して、どんどん大きくなってくれないと、小さい時にダイコンサルハムシにやられると痛手が大きい。ダイコンとカブは蒔き直した分である。第1回めのダイコンとカブは見るも無残に壊滅した。蒔き直しは相当に手間取るし、同じ場所に蒔き直しすることはできないので、かなり離れた場所に蒔き直しする必要がある。4枚重ねの畑の一番上の畑で害虫が発生したので、一番下の畑に蒔き直しした。今はまだ大丈夫であるが、2回目は失敗はできない。友人から買ってでも入れないと、こんなメイン野菜が入らないワンパックなど考えられない。でも買うことは実質不可能である。誰も余るほど作ってはいないから。


 昨日、田舎でも自給自足できるものは何一つないと書いたが、一つだけできそうなものがある。それは「水」である。上水道はもちろんあるのだが、我が家には「山水」を引いた「簡易水道」というのがある。この簡易水道は門先にあって、ジョロで野菜に打ち水をする水や、ニワトリの水は、この水を使っている。その他、雨の日の出荷で、泥だらけになったニンジン等を洗ったり、収穫容器を洗ったり、ペットボトルに入れて、飲み水として田んぼに持参している。本当にありがたい山水である。これを見つけた人に感謝しなければならない。今から80年ほど前にこの簡易水道が作られたらしい・・・。


 この簡易水道の水源地は、我が家のすぐ東にある低い山の中にある。我が家から歩いて300メートルくらいの所にあり、20メートルほど登った所にある。とてもおいしい水である。上水道の水は飲み水には利用できないが、この山水は水筒がわりのペットボトルに入れて田んぼにもって行く。毎日、夏は2リットル、今でも1リットルくらいは田んぼで飲んでいる。以前は夜、やかんでハーブティを作って、それを朝ペットボトルに入れて持っていっていたが、面倒くさくなって今はハーブティは作っていない。


 この水源地の発見者は、この山の持ち主で、80年ほど前に炭焼きをしていた頃に見つけたらしい。戦前は、このあたりの山でもよく炭焼きをしていたらしい。今でも、この水源地のすぐそばに、炭焼き窯の後が残っている。古老の話によると、雨が降らず晴天続きでも、水がちょびちょびとひっきりなしにしみ出ている箇所があり、そこが結局、水源地だったわけである。どんなに雨が降らなくても、この80年ほどまだ一度も枯れたことがない水源であるらしい。集落の13軒ほどがこの恩恵を今でも受けている。ボクが子供の頃には、この山の地続きで、北に500メートルほど行った所にも水源地があり、集落の上の方の10数軒がこっちの水源地を利用していたが、こっちの方は山の一部が開発されて、水源地としての機能を果たさなくなり、今は使われなくなっている。この二つの水源地から離れた所にある家は、個々の家で井戸を掘っていたらしい。


 この水源地が今も利用できているというのは、農業をしている自分にとっては、とてもありがたいことである。1年に1度、水源地の管理料して1000円払うだけである。そして、1年に1度、この水源地を利用している13軒ほどで水源地の掃除をしている。たったそれだけで、1年中この水が利用できている。今湧き出ている水は500年〜1000年ほど前の水だろうと、水に詳しい人が言っていたが、どういう意味なのか、こういうことは自分にはよくわからない。


 この山水(簡易水道)を利用しているのは、他にお風呂である。お風呂は、上水道も簡易水道もどちらでも利用できるようにしている。ただ、簡易水道は雨の日はちょっと濁る。以前は洗濯にもこの簡易水道を利用していたが、今は上水道にしている。


 山水(簡易水道)と上水道の二つあるというのは、大きな財産だと思う。特に農業には、なくてはならない水である。毎朝16リットルの水入れ容器をいっぱいにして田んぼに持参し、一部はジョロに入れて、収穫後の野菜の打ち水に利用し、一部はニワトリの飲み水にしている。野菜の打ち水には、上水道の水より簡易水道の水の方が鮮度保持に効果があるような気がする。


 今、月間の上水道代金は平均して4500円もかかっている。年間にすれば54000円である。高すぎる。


 余りにライフラインが高すぎる。


(1)電話代(2)電気代(3)新聞代(4)NHK受信料


(1)ガス代(2)灯油代(3)上水道代(4)下水道代→2年後


(1)国民健康保険料(介護保険料を含む)(2)国民年金保険料


(1)火災保険料(2)生命保険料


(1)固定資産税→50400円(築55年の家屋と9反の田畑)


(1)車両関連費→税金、車検、任意保険、ガソリンの4点セット


(1)消費税→食料品にかけるな!


(1)汲み取り料(便所)→2年後は下水道代


 すでにライフラインの選択の余地などない。そしてこれらの支払い金額は、知らず知らずのうちにアップを続けているのである。


 この他に、生きるための最低限の文化的生活を維持しようとすれば、テレビ クーラー、パソコン、冷蔵庫、洗濯機・・・買い替えが死ぬまで続く。


 身分制度は固定されていたが、自給自足という経済の自由があった封建時代と、身分制度は表面上は消えたが、自給自足という選択の余地がなく、固定的な支出を強制されるという経済の束縛がある資本主義時代と、いったいどちらの自由度が高いでしょうか。


ブログランキング1位を目指して挑戦中!!! クリックお願いします!!!

このページのトップへ

生活費は田舎の方が高くつく

 お彼岸なので、彼岸花を折って、田んぼの上のお墓に上がり、ご先祖様に生けた。お団子でなく、野の花一輪、これがよい。


 ニンジンの間引き作業をしながら、今日は何を書こうかなあと、思いをめぐらす。その日のブログのテーマは農作業をしながら考えておく。1日8時間ほどの肉体労働があるから、作文の言葉が出てくる。


 今、田舎では自給自足できるものが、何一つなくなった。そして田舎では車が必需品であり、集落の冠婚葬祭費がかかる。つまり、都会暮らしより、田舎暮らしの方が絶対にカネが多くかかる。しかし、賃金は田舎の方が低い。そして、食料品等の生活必需品も田舎へ行けば行くほど高くなる。野菜も、都会より田舎のスーパーの方が高い。まさに、あべこべなのに、あたかも、田舎の方が生活物資が安く、暮らしやすいみたいなマスコミの風潮がある。


 田舎の、人のよい、おじいちゃん、おばあちゃん・・・そんな人もほとんどいません。都会の人と全く同じです。田舎も都会もライフラインという生活システムがすでに全く同一なので、考え方も暮らし方も都会と全く同じになってしまうのです。


 会社や組織では自分の居場所がなかなか作れなくても、田舎の集落では自分の居場所はすぐに確保できます。ただし、都会や他の地域からの新住民である場合、当地のように、まだ集落が集落として機能している、あまり過疎でない田舎の場合、それ相応の年数が経過しないと難しいようです。


 田舎では家は新築されて、代が変わっても、昔からあるその場所に家も人も住んでいます。だから見慣れた光景です。田んぼに出てくる人も大体決まっているので、いつもの挨拶程度です。田舎では家も人も、あまり代わり映えがしないので、いったん気まずい関係になると、その修復が難しいです。もっと気まずい関係になると、次の代まで尾を引く懸念さえあります。だから人間関係は都会ほど安易ではありません。都会の住人のように、話さなかったらいい、会わなかったらいいで済ますことができず、同じ道を通れば、いやでも顔をあわすことになります。だから、田舎の人は外観とは裏腹に単純ではなく、それぞれの家で案外複雑な近所周りとの関係になってしまいます。簡単では終わらないというのが、田舎の欠点であり長所です。


 子供の頃から集落の風景はそんなに変わっていない。だから、周囲の風景に対する自分の居場所を安定的に確保できます。都会のように10年をサイクルに周囲の風景が一変してしまえば、自分の心象風景さえ根こそぎに壊れてしまいます。これでは自我を保持することが危うくなります。


 家庭菜園をしているのは、70才過ぎの人たちです。60才以下で家庭菜園をしている人は一人もいません。定年を迎えると、家庭菜園を始める人も、中にはいます。


 稲作はすでに崩壊寸前です。4人家族で、1人が1年間に1俵(60キロ)食べるとすると、1俵が今は1万2千円くらいですから、5万円も出せば、1年間の米代になります。作ると、よく取れても10アールで8俵です。つまり8俵×1万2千円=9万6千円にしかなりません。すなわち、1ヘクタール(100アール)作っても、96万円にしかなりません。自分の人件費はゼロで計算しても、機械の減価償却費、肥料代等を差し引くと、一体いくらの黒字が出るでしょうか。黒字ではなく赤字ではないでしょうか。


 車が自分で運転できる間は田舎暮らしも可能と思いますが、80才を過ぎて、反射神経が鈍くなった時、運転はちょっと危ないような気がします。しかし、車が運転できないと、田舎では身動きできません。成人は1人に1台の時代です。


 田舎ではカネがかからないように錯覚するのは、パチンコ屋とか喫茶店とか飲食店等のカネを使う場所がまわりにないからだと想像できます。都会の人は身近にそういう店が存在しているというだけで、使わなくても、カネがかかると錯覚してしまうのです。


 田舎の人は山や田んぼの風景が毎日、目に飛び込んできます。都会では、アスファルト道路とかビルディングとか看板とか、商店街とか密集した住宅とかネオンとかが毎日、目に飛び込んできます。人間はちょっと前までは、山や川のそばで生活していたので、都会の風景は、それ自体がストレスになります。都会の風景がストレスではなく情熱と感じるのは、30才くらいまでと思います。中年を過ぎると、都会の風景自体がストレスになり、カネを使うことによってしかそのストレスを放出する手段が亡くなっていくのではないかと思われます。


 バテバテになって60才を迎えた団塊の世代は、15の春、集団就職列車と名づけられた夜汽車で大都会での一歩を踏み出しました。あの時は大手を広げて迎えてくれた大都会でした。そして迎えた60の春、「田舎へ帰りたい」と心の奥深くからの叫び声を聞いた。田舎へ帰って、小鳥の鳴き声や川のせせらぎの音を聞きながら、晩年は百姓をして過ごそうと思った。やっと自由な自分の時間が戻ってきたから。


 あなたの田舎は元の昔のままの田舎だったでしょうか


 心地よく迎え入れてくれた田舎だったでしょうか


 時々思いだしていたあの当時の田舎だったでしょうか


 たどりついた田舎ぐらしの第一歩はどんなだったでしょうか



ブログランキング1位を目指して挑戦中!!! クリックお願いします!!!
このページのトップへ

できすぎる人

 どんな世界でも、自分から見て「できすぎる人」がいる。義兄もその一人である。年齢は自分より3才年上の57才であるが、農業高校を出て18才の時から農業をしているので、すでに農業歴が40年である。シロウリ、トウガン、ハクサイ、キャベツを専門作物にしている。瀬戸内市の牛窓町は県下でも有数の、野菜の大産地であるが、その中でも義兄の規模は大きい。


 ハクサイとキャベツの苗は育苗中に失敗することが多い。今年はハクサイの苗が育苗中に大雨にたたかれて失敗した。細心の注意をしているつもりだが育苗はむずかしい。失敗した時は義兄に苗をもらう。こういう所にも自分の甘さがあるのかも知れない。その苗であるが、自分はハクサイもキャベツも1ケース半(約200本)しか植えないのに、義兄はそれぞれ800ケースほど植える。軽く500倍を超えている。種を蒔くのも、植えるのも機械であるが、ハウスの中に育苗ケースが並んでいる光景は壮観でもある。定植場所を見ても、気の遠くなるような広さである。しかし、ばたばたしている風には全く見えない。


 でも、こういう人は農業の世界に案外存在する。自分の身近でも何人か知っている。自分にはできそうにないことを平然と悠然とやってのけるのである。非農家出身で、農業経験はもちろん、全く農業とは関係のない世界から農業に転身した人の中にもこういう人がいる。新規就農してまだ3〜4年しか経過していないのに、野菜の作付面積がボクの3倍、そして稲作も80アールほど、そしてニワトリも200羽ほど飼っているという具合で、「何で、そんなに、こなせるん・・・」と思ってしまう。夫婦2人でしているといっても、まだ子供は小さいから、配偶者の手間は半手間ぐらいのはずなのに、相当な作付量をやってのけている。


 こういう「できすぎる人」とは、どうしても疎遠になってしまう。とてもじゃないけど参考にはできない。話を聞いていてもスケールが大き過ぎてついていけない。自分の場合は、自分よりちょっとレベルが上の人とか、自分よりもっと規模が小さい人とか、家庭菜園の人から、多くのことを学ばせてもらった。そういう人の言われることは耳にどんどん入ってくる。規模が違いすぎると、とても参考にはならないのである。だから行かなくなる。


 たまにそういう農の現場に遭遇すると、ただ、唖然とするだけで、多分、生きている世界も、考えている事も、自分とは平行線をたどるんだろうなあ・・・と思う。


 非農家出身の新規就農者でも、5〜6年のうちに脚光を浴びる(マスコミなんかに取り上げられる)ような人は、上記のような「できすぎる人」である。そういう人ができたからと言って、自分もできるなどと決して思わないで下さい。


 ここからが本論であるが、そういう人の成功事例に決してだまされるなということである。新規就農の成功事例で取り上げられる人はこういう人が多い。こういう人は、他の世界でも同じようにやりこなす人なのである。たまたまそれが農業だったというだけのこと。だから、そういう人を参考にしては「決していけない」ということを言いたかった。


 いきなり農業の現場に飛び込む人はいないから、まず最初に、何ヶ所か現地見学もするだろうが、その時に、自分の心の中を透明にして、じいっと考え続けて(見続けて)、それが自分にぴったりこなかったら、あるいはピンとこなかったら、それは多分自分に向いていないんじゃないかと思う。漠然としかつかめなかったら、あるいは、釈然としなかったら、もうちょっといろいろ、その分野のことを調べたり、もっと他の場所も見学した方がよいと思う。


 各県のニューファーマーズ支援制度に応募して、行政や農協の支援を受けてスタートする新規就農者は、選ばれて、狭き門を突破した人なので、それなりに貯金もあり、能力も認められたからなのだろうが、最終的に、農業をうまく軌道にのせることができるかどうかは、選んだ行政側の人にも本人自身にもわからないのである。


 これとは別に、行政や農協の支援などを特に受けることはない有機農業系の人は、大きな失敗もない代わりに、大きな成功もない。農業への入り方も目指す方向も異なる。有機農業系の人はビジネスとして農業を捉えるというよりも、生き方として農業を捉えている人が多いように思う。前者は職業としての農業なのに、後者は自給自足的な生き方が根底にあるように思う。現在の世の中は自給自足ができないシステムなので、有機農業的生き方はとても険しい。


 「できすぎる人」は、有機農業系は選択しないようである。最初は選択していても、いつの間にか専門作物系に転換している。


○○様


 がんばっておられる様子がブログからよくわかります。就農1年めなのに、稲も作っているんですね。


 画像の生姜がとてもおいしそうでした。ボクは生姜は作ったことがありません。生姜と似ているわけではありませんが、ミョウガ、ニンニク、青シソ、ラッキョは作っています。こういう個性的な野菜はワンパックのアクセントになります。特に青シソとラッキョ(ラッキョは自給用のみ)は自分の好物です。


 ダイコンの「ずらし蒔き」は大変だと思います。研修先でもずらし蒔きをされていたのでしょうか。秋冬作のアブラナ科野菜は1日でも遅い方がそれだけ害虫の被害が少ないように思います。ダイコンの種蒔きの最適期幅は3〜4日間しかないと思います。それより早く種を蒔くと害虫が多いし、それより遅いと収穫期がかなり遅れます。早蒔きして害虫が発生すると、ずらし蒔きした後作に次々に害虫が移動してくると思います。


 早蒔きするなら、最適期より1週間ほど前が限度と思います。そして、その時に「捨て作り」と考えて5倍くらい厚蒔きにして、その年の害虫の発生状況を確認(おびき出し作戦)し、集まってきた害虫(飛んでくる虫はどうしようもありませんが)を、湯をかけて殺したり(大きなハガマなどで湯を沸かす)、火炎放射器(あるいは枯れ草などをその上で燃やす)などで焼き殺して、初期の密度の低い状態の時にやっつけるとよいらしいです。手取り(手で取ること)は大変だと思います。(1)最適期より1週間ほど前に (2)捨て作りで (3)厚蒔き、もしくはアブラナ科野菜を誰かにもらって、おびき出し作戦をして(4)湯あるいは火でやっつける という方法は効果があるようです。


 害虫は秋に何回も何回も繁殖を繰り返すようなので、いったん被害が出てそれを放置しておくと、後作だけではなく、その周辺で越冬して翌年も同じ場所で被害を出すようです。


 秋冬作の野菜でずらし蒔きするのは、自分の場合はホウレンソウとシュンギクだけです。寒くなっても成長が旺盛で、成長のピークが過ぎてしまい、収穫適期幅が短いので、ずらし蒔きしていますが、他の作物は、その作物の最適期の最後の日に1回だけ蒔くようにしています。1日でも遅い方が害虫が少なくなるだろうし、秋冬野菜は霜に何回かあたらないとおいしくならないし、収穫期が厳寒期に入るので、成長もごくゆっくりになり、2〜3ヶ月、田んぼに置いておける。


 レタスやキャベツやハクサイは、早生品種と晩生品種を同一日に蒔いて(1回で終わるから)収穫期をずらすようにしています。一般に、晩生品種の方がおいしく、田んぼに長くおいておけますが、逆に害虫は早生品種の方が免れることが多いです。レタスは虫が来ないので関係ないですが、ハクサイの早生品種は一気に結球してくるので、中に虫が入り込んでいくことは少ないが、晩生品種は結球がゆっくりなので、その間に中心部の方まで害虫が入り込む危険性があります。


ブログランキング1位を目指して挑戦中!!! クリックお願いします!!!
このページのトップへ

農業形態の変更を目指した日々

 農業者といっても、ピンからキリまでいる。同じ農業なんだから、他の農業もできるんじゃないかと思われるなら大間違いで、誰でも、今現在、自分がしている農業形態以外の農業は難しいと思う。 


 ボクは農業をスタートする前、有機農業とか、ワンパック宅配という農業形態があることさえ知らなかった。農業改良普及所の所長に連れられて、近くの先進農家の花のハウスを見せてもらったことがある。案内されてハウスの中に入ってすぐに、こういう農業は自分には向かないなあとすぐに感じた。すでに35才だったので、どんなことならできて、どんなことはできないかぐらいは、かなりわかる年齢だった。所長さんが、これからは野菜より花がいいと言われたが、ハウスが自分の力では立てれそうになかった。


 稲作は機械が苦手だったので、ハナから眼中にはなかった。父の病気入院の年に即、稲作は手放した。ボクの農業と父の稲作はちょうど3年間かさなったが、手伝いもしなかった。苗を運ぶのを手伝っただけだった。


 農業を始めたらニワトリは飼うつもりだった。自分を有機農業に導いた1冊の本「都市生活者のためのほどほどに食っていける百姓入門」という長ったらしい題名の本を読んでから、ぜひニワトリを飼おうと思った。子供の頃、家でも30羽ほどのニワトリを飼っていた。でもいろんな農業者のトリ小屋を見せてもらってから、自分には30〜40羽ほどしか飼えないと思った。トリ小屋を自分で立てることができないなら、ニワトリは30〜40羽までしか飼えない。


 大規模にニンジンを作っている人の田んぼを見せてもらった時は、自分にはこれは真似ができないと思った。


 とにかく、努力したらできるかも知れないと思えることと、これはいくら努力しても自分にはできないだろうということは、田んぼや畑や構造物を見せてもらっている間の1時間ほどの間にわかるのである。ボクが現在している農業形態は、農業形態の中でもごくごく一部の100分の1くらいのエリアでしかない農業である。つまり残りの99%の部分の農業は、自分に何らかのきわめて苦手な部分があって、そういう農業形態は真似ができないというか、できるとは思えない。趣味で農業をやっているわけではないので、もっと儲かる農業形態を自分がやりこなす能力さえあれば、すぐにでも変わりたいし、それができたなら、とっくにその農業形態に変わっていただろう。変える力(能力)がなかったから、16年もワンパターンのワンパック宅配をしているのである。安全とか環境、そんなものより、自分の生活(収入)を優先して考える。どんな農業者でも、農業の全分野のごく狭い自分の得意と思える部分の農業をしているのである。


 農業形態の変更ができなかったのは、自分に危機意識が足らなかったのか、意識下に甘えの構造があったのかも知れない。というのは、ボクが農業をスタートする1年前から、マルミさんが、奥様ではなく外様として働き始めたので、自分の収入が少ないために我が家の生活がまわっていかなくなるということはなかったから。でも経済を「どんぶり勘定」にしているわけではない。それぞれが稼いだ収入はそれぞれのものである。1代前も我が家はそうだった。


 「言いごとはトビツ(米ビツ)から」という昔からよく使われている言葉があるが、我が家の場合、特定の出費をどちらが出すかという問題がしばしば浮上した。


 だからボクも、16年もの間、安穏としてワンパックだけに安住してきたわけではない。内面では「我が闘争」を繰り返していたのである。それは「農業形態の変更」を試みる闘争である。


 同じワンパック宅配からスタートした友人の何人かが、6〜8年め頃を境に、1〜2年ほどの間に農業形態を大きく転回させて、経済的に安定していったのを見てきた。それができなくて、結局農業を止めていった友人もいる。


 自分の農業に大きな転機が訪れたのは8年目に入った年である。それまでの7年間は無我夢中で、とにかく野菜を失敗せずに作ることと、顧客の獲得のことだけを考え続けていた。農業に関する適性はあると思ったが、農業に関する能力が少ないということを痛切に悟らされた7年間でもあった。だからもう必死だった。しかし、作ることをいくらがんばってみても、顧客が比例して増えることはない。顧客を獲得することはまたそのための努力が必要だった。自分の野菜は農協とか市場では相手にされなかった(寸法、重量、外観などの規格が問われる為)ので、とにかく直接誰かに売るしかなかった。恥も外聞もなくというか、もうそんなことを言っておれる状態でもなかった。団地を引き売りしたり、朝市に出かけたり、美容院にパンフレットをおかせてもらったり、リビング新聞に広告を入れたり、新聞やテレビの取材を受けたり、雑誌に載せてもらったり、親戚や友人にワンパック購入の紹介を依頼したり、自分でパンフレットを持ってポスティング方式で大阪営業に出かけたりした。とにかく顧客を一定数まで増やさなければ、せっかく作っても無意味になってしまう。しかし、顧客は増えたり減ったりで一定せず、農業収入もほとんどアップしていかなかった。かといって、何か専門作物を持って農協出荷(市場出荷)という形態への移項は、どうしても身体が動いてくれなかった、というか作れる自信がなかった。


 8年めに入り、野菜が一応自分なりに失敗しないようにできるようになった時、それまでずっと気にかかっていたハーブを始めて植えた。自分は特定の専門作物を持って、それを深めることは向いていない。より広げて行こうと思った。大風呂敷に広げた。同じ年にドラム缶炭焼きを始め、年が明けると、自分の農業レベルも省みず「あめんぼ百姓塾」を立ち上げた。農業本体ではなく、農業塾で学習塾みたいに稼げないかと思った。自分でもまれに見るよい案だと思ったので、地元の新聞社に電話を入れて、取り上げてもらえないかとお願いすると、おもしろい企画であるからと、新聞にでかでかと取り上げてくれた。今もその新聞を保存している。でも反響は少なかった。5〜6人から電話があっただけで、実際に農業塾へ入りたいという希望者は一人もいなかった。同じく農業塾関連で「田んぼで遊ぼ」というイベント企画を5千円ほどの広告代を出して、何回か広告に入れたが、小さな子供連れで来られて、田んぼを走り回られて困った。ドラム缶炭焼きや七輪で沸かすハーブティやゆで卵のイベントなども何回かしたが、顧客獲得には結びつかなかった。時間給1500円ほどの「家庭菜園ヘルパー」なども考えたが、頭の中の構想だけで終わった。一冬、「あめんぼ百姓塾、塾生募集」のパンフレットを持って団地を営業したり、公民館講座の開設をお願いしたりしたが、塾生は2〜3人しか集まらなかった。


 農業本体では稼げないと自覚してから、結構いろいろと手を広げて、あの手この手で収入アップの道を模索してきた。結局どれもカネにならず、ハーブだけがカネにつながった。もし8年めに入った時、ハーブに手を出していなかったら、現在、ワンパック宅配の継続は危機的状況にあるだろう。なぜなら、個人客はすでに10軒ほどに減っているから。ハーブを導入してからは個人客を増やす営業努力をしなかったというのも個人客が減った原因であるが、8年もやってきて、個人客の数が安定しないということは、自分の野菜パックに問題があるか、もしくは、個人客はそこまで有機野菜に熱意を感じていないということである。そうでないなら、家族構成が1人や2人減ったくらいでワンパックを止めたりしないだろう。


 イタリア料理店に電話営業を始めたのは翌年のバジルの季節だった。とにかく、何らかの形でカネにしないと、趣味ではハーブが続かなくなると思った。ハーブを使ってくれそうなのはフランス料理店かイタリア料理店、それしか思いつかなかった。でも不思議なことに「電話営業をする」という方法に1年ほど気づかなかった。近くの電報電話局へ行って職業別電話帳をコピーさせてもらって持ち帰り、電話営業を始めた。「もしもし、岡山で野菜とハーブを作っている農家ですが、お宅のお店でハーブを使って頂くわけにはいきませんか」こんな電話をかけまくった。


 イタリア料理店は個人客よりもっと出入りが激しいが、横のつながりもあり、ワンパックが気に入ってもらえれば、口コミの紹介もかなりある。


 今、何とかワンパックを継続できるだけの、個人とイタリア料理店の顧客はキープできている。ここ4年間は全く営業活動をしていない。でも必要に迫られたら、いつでも営業活動をして数軒は増やすことができると思っている。


 13年が過ぎた冬の農閑期に、今まで書き続けたあめんぼ通信を1冊の本にしようと思いついた。それを出版社に送った。それからは毎年、1冊の本になるくらいの原稿を出版社に送り、ボツになったら小冊子にして自費出版を続けてきた。今年は勝負をかけて15社の出版社に送った。でも全てボツだった。しばらくへこんで書く気になれなかった。4冊めは小冊子にしなかった。毎年お世話になっていた方から、今回は小冊子にしないで、その分のお金を出版社の編集者に直接渡して依頼する方法もあると聞いたが、そういうふうにはならなかった。4冊目の原稿の打ち出しの過程で新しいパソコンの導入にせまられ、小冊子代がノートパソコンに代わった。


 もうワンパックだけの収入では先が見えている。どんなにかしなければならない。そうだ、夢の印税暮らしに賭けようと1冊目を小冊子にしてから思った。それからは農業本体以外の時間は作文に費やすようになった。でも全然甘くはなかった。出版社に原稿を送る方式は4冊めでひとまず退散することにした。新しいノートパソコンはよく自分の手に馴染んでくれている。毎日開いているうちにブログに出会った。そして、新しい挑戦の場をブログと決めた。いつの日かブログで稼ぐ。


ブログランキング1位を目指して挑戦中!!! クリックお願いします!!!

このページのトップへ

選択肢がサラリーマンしかない

 ボクの田んぼは集落の墓の下に広がっている。集落の墓は、低い山の麓にある。多分、山の麓を少し削って平らにして、そこを集落の墓にしたのだろう。


 たくさんの墓が見下ろしている、その下で農作業をしている。もうじきお彼岸なので、ちょこちょこ、お墓掃除やお墓参りに来られる。お墓に通じる道と自分の田んぼに通じる道は、途中までは同じだが、途中から分かれる。田んぼからでも、今誰が、お墓に来られたくらいは大体わかる。親しい人だと、お墓の上から「がんばっとるかあー」と声をかけてくる。


 お墓のすぐ下なのに、めったにお墓には上がらない。お盆とか、春と秋のお彼岸、正月前くらいである。お墓に上がっても、手を合わせたり、話しかけたり、拝んだりはしない。墓の周りに生えている草を抜く程度である。別に先祖を敬っていないということでもないが、なんとなく、手を合わせたりはしないだけである。手を合わせて幸せがやってくるとも思えないし、心の中で先祖を大切に思っていればそれでいいという意識もある。今自分が元気で農業をしていれば、両親も喜んでいるだろう、それ以上は何も望んでいないだろうくらいの感覚である。


 でもボクはもう若くはない。後20年も経過すれば73才なので、これはひょっとして生きていないかも知れないと想像したりする。それが近くなって、泣き叫んだり、わめいたり、おのれの不運を嘆き悲しんだり、とんでもなく取り乱したりしないように・・・日頃から・・・やっぱりこれは無理だ。ボクのことだから、とてつもなく取り乱すだろう。


 今まで自分が稼いできた生涯賃金は本当に少ないと実感する。サラリーマンの時は幾度となく転職したし、農業に転身してからはますますカネに縁がなくなったし。しかし、仮に他の人生があったとして、自分にイメージできるのは、地方銀行の支店の次長止まりの人生だったような気がする。これもひいき目に考えての、単なる想像であるが。それなら、今の農業をしている自分の方が、同じ人生としてはよかったかなと思う。しかし、サラリーマンとして、普通にやっていけたら、農業をしようなどとは決して思いつかなかっただろう。でも、サラリーマンを40年もやっていたら、ブログのねたになるような「種菌」を自分の中に蓄積することはできなかったと思う。


 日本人の97%の人が、それを選択するしか生きていく術がない「サラリーマン」という選択。誰も彼もが組織人に向いているわけではないのに、組織人としてのサラリーマンしか選択できない時代である。自分が生きてきた時代もそうだったが、この社会自体がすでに「固まって」しまって、自由な選択というか、生き方の自由がますます狭くなっている。好むと好まざるにかかわらず、向く向かないにかかわらず、サラリーマンという生き方しか選択できなくなってきている。サラリーマンからドロップアウトすると、生活に事欠いてしまうように、外堀が埋められている。 


 農業がその人たちを受け入れる受け皿になれたらよいのに、野菜を売ってカネにすることは難しい。2世代前のように自給自足的な生活ができるなら、農業現場で、300万人の新規雇用(新しい生き方)ができるのに、高度資本主義は、食の自給自足とライフラインの自給自足をできなくした(自給するとかえって高くつくようにした)。


 いったい、子供にどんな生き方を勧めることができるだろう。普通の子供は、学校を卒業する年に、たまたま受かったサラリーマン組織の中で、よそ見をせず、疑問を持たず、その組織の中で生きがいや自分の居場所を見出し、定年まで行き続けなければ、生活(収入)の道を閉ざされてしまうだろう。


 ○○様


 うっかり言い忘れていたのですが、タマネギは9月21日〜9月23日の間に蒔いた方がいいと思います。55日育苗して、11月15日頃、定植します。ボクはタマネギと同時に、タマネギの隣に、春キャベツとソラマメを定植します。


 春キャベツは10月3日前後に育苗床(田んぼの畝)にばら撒きすると11月15日頃には適当な大きさなり、ソラマメは10月19日頃、5センチ間隔ほどに種を埋めておけば、11月15日頃、適当な定植苗になります。


 春キャベツは極早生品種(4月上旬から収穫期に入る。自給用のみ)と、中生品種(5月上中旬から収穫期に入る)を同時に蒔いておけば、春に種を蒔く必要がありません。タキイ種苗のまわし者ではないですが、極早生品種は春ひかり7号を蒔き、中生品種は秋蒔き中早生2号を蒔いています。特に後者は収穫適期幅が1ヶ月余りと長いのがよいです。6月の梅雨入り後の中下旬まで収穫できます。


 ホウレンソウは9月28日に第1回目を10月2日に第2回目を10月5日に第3回目を、144穴の連結ポットに4粒ほどづつ落として、間引かずに、そのまま定植します。そして大株にします。合計で9ケース蒔いています。


ばら撒き・・・種代が3倍かかる。間引き作業が手間取る。発芽率が悪い。


定植・・・種代が3分の1、間引き作業はないが、定植に2ケースで1時間ほどかかる。収穫と仕分けが楽(ボクの場合は黒マルチなので洗う必要もない)。


 ニンニク、ワケギ、ラッキョは3種類同じ場所に10月中旬〜10月末頃に植えています。チャイブ(極細ネギ、多年草)、ニラ、ルバーブ(ジャム専用)の3種類も同じ場所に11月上旬〜11月中旬に植え替えをしています。この6種類は植え時に幅があるので、少々遅れても問題ないと思います。


 春のレタスも10月末頃と11月6日頃の2回蒔いて(どちらがよいか自分で確認できたら、翌年からは1回)、小苗で冬を越させて、3月上旬に定植すると、春の出荷が早くできます。


 キャベツでもレタスでもエンドウでもソラマメでも中途半端な大きさで冬を越させると、強い霜で傷みやすいです。


 当地の初霜は例年、勤労感謝の日前後であり、毎日のように霜が降り出すのは12月10日頃からです。秋冬野菜は霜に2〜3回あたってからがおいしくなるので、12月5日頃に、秋冬野菜のピークが来るように、種蒔きの日取りを決めています。


 ロケットは今月末まで種蒔きができるのでお勧めです。(1)炒め物(2)おひたし(3)生食と3パターンで食べれるのがいいです。特に生食がグッド。外観はホウレンソウとそっくりで、ホウレンソウくらいの間隔で定植してもよいし、ばら撒きして、そのまま収穫してもよいです。やりやすい方でされたらよいと思います。ホウレンソウと同じくらい耐寒性があり、春先の花も「ゴマ風味」でとてもおいしいです。種取りも簡単で、こぼれ種からもよく発芽してきます。興味と手間が取れれば種取りも・・・。


 以上、もし参考になることがあればご利用下さい。その他、疑問点等ございましたら、あなたのブログに書いて頂ければ、それを見て、自分のやっていることを書かせて頂きます。



                                    

このページのトップへ

夕食のおかず

 ホームコタツを二つ並べていて、一方にはノートパソコンがたいてい開いた状態である。もう一つのホームコタツにはプリンターが置いてある。ノートパソコンはそんなに大きなものではないので、ちょっと前に押せば、残りのホームコタツのスペースで事務仕事はできる。納品書を書いたり、送り状を書いたりしている。


 今はノートパソコンがボールペン代わりになってくれている。今日がそんなに刺激的な日ではなくても、何か書くことは出てくる。


 9月は日々の疲れが残ることが多い。田んぼにいるか、昼寝をしているか、パソコンに向かっているかである。最近の昼寝は2時間くらい。パソコンにも夜3時間ほど向かっている。休息日や農休日はない。5月から12月までの8ヶ月間は、雨の日も休息日になることはなく、滞った事務仕事をする。1月から4月末までの4ヶ月間に、自分に取る気があれば、40日間ほどの自由な日があるので、その農閑期を楽しみにして他の月を過ごしている。


 パソコンに向かうと、やたらと時間を食う。1円にもならない非生産的労働だが、夜の時間帯だから、時間は何に費やしてもよい。


 今日の出荷は4時半頃終わった。6時頃までの1時間半ほど農作業ができるが、今日はもう出る気がしなかった。夕方、家にいる時は夕飯の2〜3品を作っておく。今日作ったのは、オクラの湯通し、エンサイの湯通し、ニガウリと干しエビを炒めてタマゴをまわしかける。あまりに素っ気ないと思わないで下さい。マルミさんが仕事から帰ってもう一品作るか、何か市販の一品を買ってくれば、それでテーブルの上はにぎやかになる。他に常備品として、手作りの梅干とラッキョがあるのでもうそれで十分。タマゴもあるので、困ったときは目玉焼き。そのタマゴであるが、さっきニガウリを炒めていた時、溶いたタマゴのお椀に、炒め中のニガウリを戻し、お椀にタマゴの「ひとしづく」も残らないようにさらえた。これは亡くなった母がしていた「とてもつましい動作」と思っているが、他の人がこれを見るとどう思うかはわからない。すでに45年ほど前の子供の頃のことなのに鮮明に思い出せる。いつの間にか自分が同じことをしている。我が家は一番人数の多いときで7人だった。6人の時もある。5人の時も長い。今は4人である。4人分ぐらいだったら、料理を作ってもたかが知れている。夕飯を時々作るようになってから、5人以上、特に6人、7人の時は、母はえらかった(重労働だった)だろうなあと思う。4人までと、5人以上では、夕食の準備に対する心の持ちようが全然違ってくるように思う。一時代前のことなので、父は包丁を握ることなど全くなかったし。


 もうすぐ秋のお彼岸である。お墓掃除もしなければならないし、家周りの草取りもしておかなければならない。普通の日は、家の門先の草1本抜けない。忙しい。


 9月は種蒔きや定植をした野菜の中耕、除草、間引き作業があるし、10月のロケットの定植のための「地ごしらえ(耕運、畝立て、液肥担ぎ、黒マルチ張り)」があるしで、農作業は息つく暇がない。急いでいる時は、あぜ道の彼岸花がじゃまになる。


 

このページのトップへ

台風後の復旧作業

 昨日は出荷で農作業ができなかったので、今日が台風の後片付けである。まずピーマンとナスビから起こし始めた。今回の台風はあまり強くなかったのか、あるいは、台風の前にした、盆栽仕立ての剪定が功を奏したのか、ピーマンが4分の1ほどしか倒れていない。ピーマンはナスビに比べて「根張り」が浅く、倒れやすいのに被害が少ない。ナスビもあまり倒れていなかった。今回の台風ではナスビもピーマンも1本の被害もなく、持ち直してくれるだろう。11月10日頃まで成るはずだから、こんな時期にダウンしてもらったら困る。マラソンで言えば30キロ地点も来ていない。秋ナスが成り始めてからまだ3週間である。


 ピーマンもナスビも、太さ18ミリ、長さ1メートル20センチほどの市販のポール支柱を、1本か2本、地中に差し込んで、支えにしているだけである。ピーマンは太い枝とポール支柱を紐で結んでいるが、ナスビは結んでもいない。強風が吹くとすぐに倒れるような、こんな簡易な方法の方が台風にはかえってよい。早く倒れた方が傷みが少ない。実際は作物の根は強いので、少々の風では倒れない。ただし、この方法は、ナスビとピーマンを合わせて80本くらいまでの定植(ボクはナスビ44本、ピーマン22本)の場合である。それ以上の本数になるとやはり、起こす時にめんどうになる。


 キュウリの支柱は完全に横倒しになり、ニガウリの支柱は半分倒れかかっていた。キュウリは起こせないのがわかった。でも、茎葉は生きている。その瞬間に頭にひらめいたのは、起こさずに、続きは「地這いキュウリ」として成らそうと思ったことだった。横倒しになっているが、根の部分は掘り起こされてなかったので、それぞれの根元に少し盛り土をして鎮圧した。ニガウリは何とか元通りに起こすことができた。


 オクラは株元を踏んづけて、起こしていった。収穫は10月10日頃で終わるので、倒れかかったまま放置しておいてもよいと思ったが、倒れ方がひどくなかったので起こした。


 この5作物の復旧作業に2時間もかからなかった。2時間以内で復旧作業が終わるくらいの作付範囲に留めておくと、復旧作業があまり負担にならない。


 その後、ハクサイ、キャベツ、ブロッコリー、レタスの定植苗の状況を見て周り、状態のよくないのは植え替えをした。


 ダイコンとカブはかなり害虫にやられている。農薬の散布量が明らかに少なかったようだ。面倒だが、午後から蒔き直しの決断をした。早めに昼食を取り、ホームセンターにダイコンとカブの種を買いに行った。2時半頃から蒔き始めて5時頃までかかった。


 ダイコンとカブの蒔き床は、他の作物の定植のために黒マルチを敷いて用意していた畝を使った。1列半ほど黒マルチをはがして、そこにダイコンとカブの種を蒔いた。黒マルチは農業現場から出る多大な産業廃棄物であるが、早々と、黒マルチをして準備しておいたから、それをダイコンとカブにまわすことができた。


 第1回めに蒔いた場所から、かなり離れた場所に2回目の蒔き直しをした。同じ場所に蒔き直しというのは、害虫が発生している場合はだめである。今日は9月19日だから、当地での最適期より5日ほど遅れたが、これくらいの遅れならまだ十分間に合う。しかし、9月25日ではもう遅すぎる。これでもう蒔き直しはできない。農薬は初回より気持ち多めにした。初回の量では全く効果がなかったから。


 今日はこれで家に帰った。ダイコンとカブの種蒔きはどうも疲れる。害虫のリスクが高いので、芽が出揃っても、その後2週間ほど経過してみないと、うまくいくかどうかわからない。


 でも今日は大仕事ができた。5作物の復旧と、定植苗の植え次、そして、ダイコンとカブの蒔き直し。全て、今日しかできない作業だった。明日はまた出荷でできないし、復旧も植え次も蒔き直しもこれ以上遅らせることはできない。


 


 

このページのトップへ

長年の習性

 さっきまで2〜3時間ほどかけて打った今日の更新記事が突然画面上から消えてしまった。誤って、違うキーボードに指が触れたため、突然画面が切り替わり、元に戻そうとして、また別のキーボードに触ったら、もう戻らなくなった。


 もう11時15分だから、今日はもう余り打てそうにない。ダイコンサルハムシと台風に襲われた、この2日間の腹立たしさをブログにぶつけていたのに消えてしまった。今日のことは今日しか書けないことも多いのに、ああ残念。でも12時頃まで少しでも、今日の更新記事を書こう。


 突然のイノシシの出現や、害虫の大発生、台風の襲来に、一人落ち込んでみても事態は何ら変わらない。事態を一人のこととして終わらせないためにも、誰かに伝えたい。


 今朝は出荷だった。とにかく今日の出荷は予定通り終わらせる必要がある。長年の習性か、気持ちは落ち込んでいても、身体は動いてくれる。昨日5種類の成り物(キュウリ、ナスビ、ピーマン、オクラ、ニガウリ)は収穫しているので、今日は残りの葉物を収穫すればよい。葉物はあまり台風の影響を受けていない。ハーブもほとんど大丈夫だ。とにかく台風の翌朝であろうと何であろうと、ワンパックという一つの形に持っていく必要がある。上記5種類は出荷の日の朝取りというわけにはいかなかったが、結果的に、前夜の烈風にさらされ続けるより日持ちもよいだろう。


 キュウリとニガウリの支柱は倒れ、オクラも半数ほど横倒しである。ナスビとピーマンは、今日はまだ風が強くて起こせなかった。明日朝一番に起こさなくては。


 明日はハクサイ、キャベツ、ブロッコリー、レタスの定植苗の傷み具合も見てまわり、植え次(欠株への補充もしくは植え替え)もする必要がある。ダイコンサルハムシによるダイコンとカブの被害の進み具合も確認して、蒔き直しが必要なら,すぐに手を打つ必要もある。


 落ち込んではいられない。とにかく明日中にしなければならないことも目白押しである。こんなに前むきになれる自分が不思議である。年の功かな。

このページのトップへ

台風に備えて盆栽仕立て

 大ブレーク中の「富士丸な日々」の穴澤さん・・・。読者の圧倒的な支持を受ける理由が、動画を見ているとわかるような気がする。ペットを介した芸術家。このブログで、自分の気持ちを思いっきり高めて、自分のブログに向かう。


 昨日の台風情報を見て、今日は日曜日だったが、木にぶらさがっている「重たい野菜」は収穫することにした。野菜でも、オクラやナスビやピーマンは「木」のようになる。


 台風の直撃に備えて、キュウリ、ナスビ、ピーマン、オクラ、ニガウリの5種類の成り物(果菜類)は小さいものまで収穫することにした。惜しいけど仕方がない。重たいままでぶらさがっていては、台風で倒れて、その後起こす時に不便になる。


 キュウリは3回目のキュウリ(例年1ヶ月おきに4回ずらし蒔きをするが、今年は3回)が長く成り続けてくれたが、この台風で終わりになるだろう。


 ナスビとピーマンは比較的小さいのも収穫をしてから、「木」を盆栽のように丸く剪定した。長く徒長した枝は切り落とし、木の中心部分から離れすぎた小枝を切り、真ん丸くなるように、盆栽仕立てに切り戻すというのが、自分の台風に対する備えである。強い台風なら、盆栽仕立てにしても倒れてしまうのであるが、 盆栽仕立てにしておくと、起こす時に起こし安い。ナスビやピーマンには、簡単な支柱しかしていないので、台風が来ると、すぐに倒れてしまうが、早く倒れた方が木の傷みが少ないので、あえて、簡単な支柱しかしない。実は、少々の風では倒れないだけの支柱が、不器用で作れないだけのことなのだが、あまり困っていない。


 農業をスタートしてから数年は、頑丈な支柱を作れない自分に能力不足を感じた時期もあった。しかし、毎年必ず台風がやってきてすぐに倒れるのに、すぐに倒れるから逆に、凛として立ち尽くすナスビやピーマンより傷みが少なくて回復が早いということに気づいてから、不器用を逆手に取るというより、簡単な支柱にした方が実はいいのだということに、ある年に突然気づいた。その後はナスビとピーマンに対する苦手意識も吹き飛んだ。でもナスビは44本、ピーマンはその半分の22本しか定植しない。倒れた時に起こすには、これくらいの定植本数が適当だし、ナスビもピーマンも、他の野菜やハーブの中で位置づけて考えると、これくらいあれば十分である。自分は、数種類の作物をきちんと(整然と)、大量に作るというのは、つくづく苦手なんだと思う。でもそういう作り方が負担にならないなら、少品目大量生産にした方が、経済的には採算がよいと思う。身体的にはどちらが楽かわからないが。


 キュウリ、ナスビ、ピーマン、オクラ、ニガウリを収穫して、ナスビとピーマンを剪定すると、台風に対する備えは終了。その後、スイートバジルの伸び過ぎているのを切り戻した。スイートバジルは台風には強いが、できれば背が低い状態の方がより被害は少ないので、背の高いバジルは切り戻しておく。


 エンサイ、ツルムラサキ、青シソと、他のハーブ類は、台風の影響は少ない。こういう強い作物もあるからありがたい。


 タマネギ、ジャガイモ、ナンキン、トウガンは在庫野菜であるから台風は関係ない。


 サツマイモは台風の影響はほとんどないし、サトイモも大型台風でない限り比較的強い。


 逆に、かなり困るのは、種蒔きや定植をしたばかりの秋冬野菜が、強風や大雨で傷むことである。ポット育苗の定植物は、こういうことも見越して、半分ほどの予備苗を用意しているので、対応可能だが、ダイコン、カブ、ニンジンの直播の野菜や育苗床の直播の苗が被害を受けやすい。


 

このページのトップへ

ダイコンサルハムシ

 ぞろぞろぞろ、ぞろぞろぞろ、、水を入れた液肥を担ぐタルの中にもダイコンサルハムシが何匹か浮いている。液肥にかぶせたブルーシートの上も何匹かぞろぞろはっている。今年は多い。ダイコンとカブに農薬を使っておいてよかった。


 今日は雨の予報だったが、雨はぱらぱらとしか降らなかった。明日は台風の直撃を受けそうだったので、キャベツやハクサイの定植は台風通過後にしようかと思ったが、半分は残して、半分はとりあえず植えておこうと判断した。キャベツ、ハクサイ、ブロッコリーの定植、干しネギの定植、秋ジャガイモの定植、レタスの欠株へ再定植。その後、ロケットの第2回めの種蒔きを育苗床にした。そして、ふと先日蒔いたマスタードグリーンや赤色カラシナの発芽状況を確認しようと目を近づけて、仰天、ダイコンサルハムシがうじゃうじゃ集まってきている。これはだめだと思い、すぐに、ダイコンとカブの発芽状況も確認した。農薬が全然効果を示していない。やっぱり量が少な過ぎたのだ。すぐに家に引き返し、農薬を持ってきて、カブとダイコンの上からまたぱらぱらと散布した。それからすぐに、全てのアブラナ科野菜の株元に同じように農薬を散布した。他のアブラナ科野菜とはハクサイとキャベツとブロッコリーの3種類である。アブラナ科野菜は害虫が多いので、ぎりぎりまで減らしているが、この5種類(ブロッコリーは少し)は削れない。


 しかし、アブラナ科はこの5種類だけでなく、ハーブにもアブラナ科に属するものがいくつかある。代表的なのが「ロケット」である。ロケットのほかに、セルバチカ(原種ロケット)、マスタードグリーン、赤色カラシナもアブラナ科である。ロケット以外のアブラナ科のハーブは止めてもいいのだが、注文もあるので、ほんの少しずつであるが作っている。アブラナ科のハーブはすべて育苗→定植という2段階だが、育苗は、ダイコンとカブの種蒔き日と同一日にしている。そして、定植は25日後の10月10日頃である。定植が遅いので、この時期になると、ダイコンサムハムシの勢いも弱まってはくるが、初期にダイコンやカブに大発生すると、その後、これらのハーブにぞろぞろと移動してくる。


 去年までの4年間のアブラナ科の無農薬が不思議なくらい、今年はダイコンサルハムシが多い。去年、生育途中からカブに発生して、その後カブの葉がレース(網)のようになるくらい増えたのに放置していたのが遠因かもしれない。気分が重い。

このページのトップへ

宅配用の箱について

 県外の顧客だったら、宅配用のダンボールケースがいる。ボクが用意しているのは、


120サイズ→縦33 横58 高さ27 合計118(120サイズ)


100サイズ→縦33 横42 高さ24 合計 99(100サイズ)


 120サイズとは、縦、横、高さの長さの合計が120センチまでのことを言い、100サイズとは、縦、横、高さの長さの合計が100センチまでのことを言う。宅急便の運賃は通常、120サイズと100サイズでは、送料がかなり違ってくる(ボクの場合は、箱のサイズ、送る場所にかかわらず、全て一律の契約をしている)。


 120サイズと100サイズでは合計の長さで20センチしか変わらないが、実際にその箱を二つ並べてみると、大きさが大分違う。野菜のワンパックの場合、120サイズの箱だけ用意すればよいと思う。100サイズの箱を使うことは、春先の5月の、まだ野菜の種類がそろわない時期だけである。使用回数が少ない100サイズの箱は、その時期だけ、スーパー等でもらってきて(無料)それを使用してもいいと思う。自分の場合は、イタリア料理店には100サイズの箱で送る場合も月間に8枚平均あるので100サイズの箱も作っている。


120サイズ→1枚が120円(消費税が別途かかる)  


100サイズ→1枚が92円(消費税が別途かかる)


 近くのダンボール会社で、120サイズは250枚単位で発注している。これは3ヶ月分(1ヶ月約80枚)である。100サイズは200枚単位で発注している。2年間半ほどの在庫である。


 ダンボール会社の最低ロット数は200枚くらいなので、100サイズは2年間半の在庫をかかえることになる。


 120サイズは年に3回ほど発注している。ダンボールを注文する場合、だいたい3ヶ月分くらいの発送枚数を注文するのが良いと思う。自分の場合は250枚であるが、250枚でも結構、収納するための場所をとるものである。畳2畳分ほどの広さのスペースがいる(2段に重ねればその半分)。


 ダンボール会社によっては、最低ロット数が300枚くらいからの所もあるので、相談して見て下さい。多分、年間に2〜3回は、ダンボール会社にダンボールを取りに行くことになると思うので、できれば、ダンボール会社は近くで探した方がよい。持ってきてもくれるが、その場合は、1枚あたりの単価が高い。


 自分の場合は、車で30分くらいの所に、ダンボール会社が2社あったが、一方のダンボール会社は最低ロット数が500枚からと言われたので、そこは止めた。もう一つのダンボール会社は対応がていねいで、最低250枚から可能と言ってくれた。その後、200枚でも可能にしてくれた。


 ダンボールを最初に作る場合、設定サイズの型(金型)がいるが、それが2〜3万するらしい。ボクの場合は、別の会社が利用しているちょうど120サイズくらいの大きさの金型があったので、それを利用してもらったらよいと言ってくれた。だから別途に金型料金はかからなかった。100サイズも同様である。


 ダンボール会社と、ダンボール1枚の値段交渉をする場合、だいたい、ダンボールは1枚、どれくらいするものだと、頭に入れて望んだ方がよい。自分の場合は120サイズ→120円、100サイズ→92円という話になった時、他に比較できるものもなかったし、営業マンの対応がよかったので即答でお願いした。ただ、この価格は、いったん決めると、値下げ交渉は難しい。自分の場合はすでに15年ほどこの価格が一定である。年間にすれば、ダンボール会社と毎年9万円ほどの取引になるわけですから、最初の値段交渉を上手にやってください。


 ダンボールは横のサイドには空気穴、縦のサイドには、手で持ちやすい穴を開けてもらう必要があります。ダンボールの強度の問題も出てきますが、空気穴はできるだけ大きい方がいいと思います。自分の場合、120サイズでは、横に4センチ、10センチの楕円形の空気穴が二つずつ開いています。結構大きな空気穴ですが、野菜がその穴から飛び出すことはありません。手で持つ穴も3センチ、7センチの楕円形の穴が開いています。これくらいあると3本の指が十分に入るので持ちやすいです。一方、100サイズの方は、横に2センチ、6センチの楕円形の空気穴が二つずつ開いていますが、これでは小さすぎるのですが、金型がそうなっているらしく、仕方がありません。手で持つ穴も4センチ、2センチの楕円形では小さい。


 100サイズの方は空気穴が小さいのですが、120サイズの方はばっちりです。送るのはほとんど120サイズであり、縦、横、高さの寸法も、空気穴のサイズもとてもよいので、ぜひ参考にして頂きたいと思います。自分の場合は、たまたまこの金型がダンボール会社にあったので、それを利用させてもらいましたが、無い場合は、それに近い金型がダンボール会社にあれば、それを利用させてもらった方が得策であり、新たに作ると、金型代で2〜3万はかかるらしいです。


 ボクの場合、月間に80パックほど送っているので、宅配便の会社との契約で、120サイズまでだったら、どんなサイズの箱で送ろうと、箱のサイズにかかわらず送料は一定です。


 11月、12月、1月、2月の4ヶ月間は、ハクサイとキャベツというボリューム野菜が入るし、ダイコンも大きいので、120サイズでもぎちぎちいっぱいになります。ここで注意したいのは、春夏作のエンサイやツルムラサキ、秋冬作のネギは細長いので、できれば、ダンボールの横の長さは55センチくらいはあった方がよいです。ボクの場合は58センチありますが、これぐらいあれば、ネギでも先をちょっと折るくらいで入ります。ダイコンは長いのは45センチを超える場合があるので、少なくとも45センチは必要です。エンサイとツルムラサキは50センチを超える場合もあるので、やはり横の長さは、55センチ〜58センチあった方がよいと思います。


 5月はまだ野菜の種類が少なくて、箱の上部にかなり空間ができてしまうので、早生タマネギを「葉つき」で出します。葉つきだと空間がかなり埋まります。5月は春レタスと春キャベツでかなりのスペースになるので、100サイズでは入らない場合もあります。100サイズでは小さすぎ、120サイズでは大きすぎるという中途半端な場合には、レタス2個とかキャベツ2個は入れずらいので、タマネギを×2倍入れることによってうまくいっぱいに収めることもできます。5月の新タマネギなら、多く入れても問題はないと思います。


 7月からはナンキン、8月からはトウガンというボリューム野菜が入るので、夏場でも120サイズで、自分の場合はいっぱいになります。ここで有効活用したいのが、エンサイとツルムラサキという葉野菜です。スーパーにはあまり出回っていませんが、ワンパック野菜の必須野菜です。おいしさ、作り安さ(害虫がほとんど来ないという不思議さ)、高栄養価(案外、重要視されませんが)、そして収穫期間の長さ(6月下旬〜初霜の頃まで)、まさに4拍子そろった野菜です。我が家でも6月末頃から、レタスのできる10月中下旬頃までの4ヶ月間、2〜3日に1度は、どちらかの葉物が「ホウレンソウのようなおひたし」でテーブルに並びます。さっと茹でるだけで食べれるので、料理も簡単で、4拍子どころか、まさに5拍子そろった激賞野菜です。エンサイは炒め物にしてもおいしいのですが、茹でた時に、ホウレンソウのようには「めたらない(量が少なくならない)」のも大きなメリットです。6月の梅雨入り頃から10月の中旬頃まで、コマツナ類とか、ホウレンソウとかレタスのような葉物野菜は露地では作れない(雨避けのハウス等があればできないことはないが品質は落ちる)ので、エンサイとツルムラサキは、この時期のワンパックを支え続けてくれる特に重要な野菜である。どんな嵐にもびくともしないので、必ず計算できる野菜でもある。作らないのは無知。


 ボクの場合、エンサイとツルムラサキは、6月末頃からレタスのできる10月中下旬頃まで、両方とも必ずワンパックに入れている。この2種類の葉物を入れることによって、箱の上部が埋まり、120サイズの箱がきちんと空白なく収まる。箱の下部には、ジャガイモとかタマネギ、ナンキン、トウガン(更新の為、ナスビのない8月に威力を発揮する野菜である)、キュウリなどの重たい作物を入れるが、上部をエンサイ、ツルムラサキの他に、自分の場合は(1)青シソ (2)ハーブティ用ハーブ2種類(詳述予定)の葉物をサービス品として入れている。


 箱がいっぱいになるか、または、箱の上部がぐすぐすになるかは、ワンパック宅配を始めて1年経過すれば「勘」でわかるようになりますから、全くご心配なく。


 送るワンパック数が多くなると、スーパーで空き箱をもらってくるのは、案外手間取るし、箱のサイズが常時一定の大きさの箱でないと、上記の「勘」がつかめないと思えます。ボクが使っている120サイズの箱は縦、横、高さ、空気穴、手で持つ穴、ともに、ちょうど適当だと思うので参考にして下さい。

このページのトップへ

草刈機

  昨日はかなり雨が降ったので、今日は田んぼがぬかるんで、農作業ができない。こんな時は草刈が仕事である。草刈機で畦草を刈る。畦草を刈っていると、コオロギやバッタがあわてふためきながら、飛び跳ねて逃げる。バッタは初夏には見るが、コオロギを目にするのは8月の中旬頃から10月末頃までである。コオロギは秋の虫なのだろう。この時期の野菜にかなりの悪さをする。


 草刈機は5〜6万円の機械だが、この機械の威力はすごい。いったい、手で刈るカマの何十倍の仕事をしてくれているだろうか。50倍くらいの仕事をしてくれているように思う。ボクが小学校へ行っていた頃の45年ほど前は、まだ、この草刈機という機械は一般に普及していなかった。なぜなら、稲を、一家総出で、カマで刈っていた時代だったから。


 いつ頃から草刈機が集落に普及したのか、定かな記憶がない。でも、せいぜい40年ほどの歴史しかないだろう。始めてこの機械を使った農民は何を感じたのだろう。「とても便利」ただそれだけだっただろうか。確かに、草刈機によって、ハミ(マムシ)に手をかまれたりする危険性はなくなった。用心しいしい草を刈ることもなくなった。でも草刈機は一度エンジンをかけると止まれないし、草刈機のペースというものに従って作業をしなければならない。だから、草刈の途中で、害虫を退治してくれるカエルを草刈機の刃に引っ掛けて殺してしまうこともよくある。カマキリもよく引っ掛けてしまう。逆に、害虫のコオロギやバッタは案外逃げ足が速く、草刈機の刃にかかることは少ない。


 草食動物の牛には、毎朝、かなりの量の草を食べさせる必要があった。竹で編んだ大きな竹かごをチョウタ(一輪車)に乗せて、早朝の草をカマで刈ることが、1世代前の農家の仕事だった。ほとんどの家が、1頭の黒い役牛(農耕用、今のトラクタの変わりをした。その後、飼いかたが肉目的に変わった。ボクが子供の頃にはすでに肉目的に変わっていた。今は、集落や近在で牛を目にすることは全くなくなった)を飼っていたから、多分、草刈は競争になったと思う。というのは、自分の所有地の田んぼの畦草だけでは、牛1頭の胃袋は到底まかなえなかっただろうから。だから、池の土手草などの集落共同の所有地などは、朝、早いもの勝ちになったのではなかろうか。ちょっと遅くなると、もっと遠方に行かないと、刈る草がないというような場合もあったと思う。そして、その時代には、まだ草刈機が普及していなかった。草刈機が普及していったのは、まさに、集落から牛が消えていった時期と、時期を同じくしている。まさにそれは、草が貴重品だった時代から、草が「雑草」に成り下がった、歴史の大転換だった。コペルニクスも真っ青の大転換だった。ちょうど草刈機の出現と時を同じくして、当時のとても貴重品だった「人糞」がまさに「産業廃棄物」へとコペルニクス的転回をした時代でもあった。


 それと時を同じくして、農民の苦難の歴史が始まった。草刈機の出現は、農民の長時間労働からの解放のように、一見思えたが、それは、追いかけっこして、機械を次々に買わなければならない時代の始まりでもあった。儲けたカネのほとんどは、農業機械に投資せざるを得なくなった時代の始まりである。それはまさに、儲けたカネのほとんどを、洗濯機やテレビや冷蔵庫に投資せざるを得なくなった時代とも時を同じくする。


 確かに草刈機は、同じ時間内で、手で刈るカマの50倍の仕事をこなしたかもしれないが、その事によって失われていった、農業者の「精神世界」はいかほどのものだっただろう。青い空にも、田んぼを横切る風にも、小鳥の鳴き声にも、草の上で戯れる虫にも、畦に咲く草花にも、野山の移り変わる景色にも、ちょっとカマを持つ手を休めて見渡してみる余裕を草刈機は与えなくなった。草刈機は止まれない。ただスピードだけを追い求める機械である。その分、早く終われるから、後でゆっくりすればよいと考えることも可能だが、そういうふうにはなっていない。


 草刈機は、他の農業機械に比較すると、衝撃的な安さである。使う頻度も高く、その便利さといったら、これなくしては、農業は成り立たないという代物である。同じく必須のトラクターや軽四に比べても圧倒的に安い。


 草刈機は老若男女、誰でも使える農具である。カマで自分の手を怪我をすることはあっても、草刈機で怪我をすることはほとんどない。石にあたって、顔の方に飛んでくることもあるにはあるが、それもごく少ない。そして、草刈機は頑丈で、壊れたりすることはほとんどない。耐用年数は10年以上である。燃料費もしれている。ちょっと手間なのは、草刈機の刃を交換することくらいである。今は草刈機の刃も使い捨てが主流のようである。何回も研ぎなおして使うようなことは少ないらしい。


 配偶者が亡くなると、70才近い女性でも、必要にせまられて、草刈機を使い始める。それだけ誰でも使える機械ということだろう。草刈機は音が大きいし、けっこう振動もあるし、慣れるまでは、かなり疲れると思う農具であるが、そんなに危ないという農具ではない。。しかし、使い始めの頃はとても危険に感じる農具である。というのは、刃がとても高速な回転をしているので、ちょっと怖いのである。もちろん、回転している刃に触れたら、指などとんでしまう。


 ボクは道具が苦手だったので、農業を始めた頃、この草刈機を使うことが、けっこう負担だった。それに、当時は刃を研いで使っていたが、研ぐのがどうしてもうまくできなかった。刃を研ぐくらいのことは、農業者として最低限できなければならないことだと思ったが、うまくならないことはうまくならないものである。その後、草刈機の刃をセットして、刃を研ぐ道具も買ったが、結局それも使いこなせなかった。数年して刃を研ぐということは自分ではあきらめた。そして、近所の懇意な人にその道具を渡して、使った刃が7〜8枚たまったら、まとめて研いでもらうようになった。もう10年以上になる。今でもそうしている。その方は野菜は作っていないので、お礼に、出荷で残った野菜を時々食べてもらっている。


 11月中旬頃から3月末頃までの冬期間は草は伸びないので、草刈機を使うことはほとんどないが、4月頃から11月頃までの8ヶ月間は、使う頻度が多い農具である。


 秋冬野菜の種蒔きや定植が始まる8月中下旬〜9月中旬頃は、この草刈機が特に活躍する時である。畦草をきれいに刈っておかないと、ここを隠れ場にしているコオロギやバッタが、夜の間に田んぼに進入して、定植したばかりの若い茎葉を切ってしまう。


 9月中旬過ぎ、田んぼじゅうのあぜ草を刈り終えた頃、ちょうどその時期を待ってましたという風に、田んぼの畦道に彼岸花が頭をもたげてくる。9月のお彼岸に咲くから、彼岸花と呼ばれるこの花は、毎年、ダイコンの種を蒔き終わる頃に芽を出して、10月の体育の日の頃、気がつかないうちに路傍の草むらの谷間に沈んでいく。芽を出してから、色あせるまで、たった3週間ほどが命のこの花は、その短さがゆえに、鮮烈な印象を残して去る

このページのトップへ

長丁場の作物と農薬

 出荷の日の朝が雨というのは、やっぱり気分が重い。でも要領はわかっているので、そんなに時間がかかって困るということはない。しかし、同じ出荷軒数でも、晴れに日に比べて、1時間は余計にかかる。晴れの日は、1品目収穫したら、そのつど、竹やぶの日陰にコンテナ(収穫容器)を並べていくが、雨の日はいちいち物置に入れる必要がある。収穫後に雨にあたると傷む。


 全て収穫が終わると、晴れの日は、続けてすぐに仕分け(1単位ごとに小分けする)をする。竹やぶと物置の間は午前中は10時頃まで日陰になるので、そこに軽四をおいて、その上で仕分けをする。


 雨の日は、全て収穫が終わると、家に帰り、軽四の車庫で仕分けをする。


 ナスビは7月中旬頃には、テントウムシダマシ(ニジュウヤホシテントウ)が、葉にも実にもまぶれついて、ナスビが虫食いだらけになり、多くは即、ニワトリ行きとなるが、7月25日頃に枝を強く切り戻し、太い幹だけにして、葉も全部落としておくと、35日過ぎた9月上旬には、ピッカピカのナスビ(秋ナスビ)が成り始める。これはまさに自然界の7不思議のように思える。いったい、あの害虫はどこに雲隠れしたのだろうかと思う。あの害虫を捕食する天敵もいないはずだから、どこかへ行ったのだろう。毎年計ったように、7月5日頃から食害が目立ち始め、たった2週間ほどの間に、見るも無残なナスビになるのに、9月には、この害虫を、ただの1匹も目にしない。


 スイートバジルにも今年初めて、梅雨の長雨の時に害虫が大発生(この害虫はなぜか、肉眼で一度も目にすることができなかった)したが、ナスビと同じように強剪定(バジルの場合は伸びが速いので、強剪定を2回ほど繰り返す)すると、3回目に出てきた新芽は元通りのきれいなバジルになった。


 ほとんど虫のつかないツルムラサキでも、9月の一時期、ヨトウムシが大発生する年がある。


 すぐに農薬を使うのではなく、収穫期間が半年ほど続く長丁場の作物は、強剪定をして、少し休ませて回復を待つという態度も大切である。ナスビに毎年来る害虫もスイートバジルに今年始めて来た害虫も、1ヶ月ほどの間に、なぜ突然いなくなるのかわからないが、ツルムラサキに何年かに1度あるヨトウムシの大発生の時は、田んぼじゅうのアマガエルが集ま