例えば、あなたが55才だったら人生の終末点を意識し始めているかもしれない。
例えば、あなたが35才だったら、人生の終末点どころか、これから人生が始まろうとしている。
たった20年の違いだけれど、残された時間は、これだけの開きがある。
例えば自分の場合、35才とは、農業が脳裏に突然ひらめいた頃だった。実際にスタートしたのはその2年後。
ひらめいてから、早、20年が経過している。ひらめいた瞬間の衝撃を今でもはっきり覚えている。5月の連休、家でぼう~っとしていた時、何気なく手にした「農協だより」をぱらぱらと見た時だった。あの当時のことが、つい昨日のように思い出せるが、実際にはもう20年という歳月が経過している。
今日の朝日新聞に出ていた正社員の壁
大卒39才(男)、都内の有名私立大卒。就職氷河期の真っ只中に卒業。やっぱり、私のような人間では駄目なんです。ピシッとスーツを着て、ライフステージを踏んできましたと胸を張れないと正社員にはなれない。そういう厚い壁を感じてしまいます。
32才(女)、高校卒業後3年間は正社員だった。その後はバイト、製造業派遣、日雇い派遣へと「坂道を転がるような日々」だった。昨年夏から生活保護を受けている。
風呂の湯を再利用するため、空のペットボトルが並べられていた。トイレや洗濯に使うという。
どちらの人も未来は見えないと思う。自分の中でのコペルニクス的転回、もしくは世の中のコペルニクス的転回がないと、人生を変えることはできない。
そんな状態に追い込まれた時に自分は「農業」がひらめいた。ひらめいたのは、元々の農家であり、父が細々とながら家庭菜園を続けており、田畑も農具も全て揃っていたからひらめいたのである。背景に何もなかったら、農業などひらめくことはない。
「農業では食えない」と自他共に認識していたが、ひらめいてからは、150万~200万になれば十分だと考えた。
大阪、岡山と転職を繰り返していたので、その当時から自分の年収は「スズメの涙」だったので、150~200万は、そんなに少ない金額ではなかった。ただ、150~200万にはなるだろうと考えたのは、あくまで自分の「願い」の年収だった。現実はその半分にしかならなかった。
転職を繰り返していた時も、当時はまだいずれも「正社員」としての雇用だった。
自分と同年齢の人は今どれくらいの年収になるのだろう。あまり聞きたくはない。自分の気持ちが落ち込むだけだろう。
今は職業の違う人との交際はなく、同業者としか付き合っていない。
何か「住む世界が違う」ような気がする。自分の「農業世界」を充実させているので、相手が商工業の世界でどんな立派な肩書きの人であっても、臆することもないし、嫉妬などの感情は微塵もない。ただ、「住む世界が違う」と感じる。興味がない・・・。
商工業の世界は砂上の楼閣と思う。ちょっと運がよかったり、ちょっと時流に乗ることができたり、ちょっと特定の能力があったり、ちょっと話術や人をまとめる能力があったり、ちょっとその会社向きだったり、ちょっと上司に恵まれたり、ちょっと盆暮れの歳暮を他人より多く贈ったり・・・そんなちっぽけな・・・これは失礼かも知れない、本人の隠れた努力も大きいだろう。まあ、それはどうでもよい。36才で卒業した世界のことは。
上記の2人も、別の世界に進むことだと思う。ああ、でも現在の世の中には「別の世界」がない。逃げ場がない。農業が逃げ場になるのは、
(1)元々の農家で、田畑も農具も揃っている人
(2)資本力のある人(定年帰農者等)
(3)現役帰農者なら、特別の技術力や営業力が備わっている人
(4)Iターンなら、情報収集力、新しい土地でのよい出会いなども関係すると思う。
農業は今、特別の才能の持ち主か、元々の農家か、年金の後ろ盾のある定年帰農者か、そういう人たちに特化されつつある。
現実の農業は、自分がスタートした18年前より、状況がかなり悪化している。最も大きな悪化は「害獣のすさまじい進出」。
害獣防御の不得意な人は農業ができなくなりつつある。
商工業の社会は均質化されていて、一度レールを踏み外すと、もう元のレールに戻れない社会である。かといって農業も他の独立自営業も商工業の社会以上にきびしい経済状況にある。
都会の片隅で悶々と生きていく社会
狭いアパートの一室で、群集の中の孤独を感じる社会
それでも生きていかざるをえない社会
それが今の日本社会
息苦しいんだけれど、どうすることもできない
自分は転職を繰り返したのに、配偶者や子供には安定した職業生活を期待する自分の身勝手さ
コースを外れたけれど田舎では生きていける・・・それはない。今は田舎でも大都会でも日常の生活費にほとんど差はないと思う
田舎に行けば食べ物だけは何とかなる・・・それもない。自給用を作ろうとすれば買うことの数倍のカネがかかる
田舎に行けば人のよいおじいちゃんやおばあちゃん・・・それもない。田舎の人はあまり単純ではないし、人間関係も複雑
生きて行くための選択肢が限りなく少なくなっていると思う。
学校を卒業した年にきちんとした企業に入社し、つつがなくその企業で勤め上げれるような人はいいが、そういうコースに乗れない性格の人も多い。
これから人生が始まろうとしている35才前後の人に、自分はどんな助言ができるだろう。自分はサラリーマンが勤まらなかった。しかし農業という逃げ場があった。でも今の35才の人には逃げ場がない。
何の助言もできない・・・
スイートバジルの現在。5月5日頃に定植予定。定植までに35日かかるが、定植後の成長は猛スピード。5月末には収穫が始まる。
ナンキンに元気がない。長雨で過湿が続いたせいかもしれない。今日、ナンキンの周囲をヨツメで打って(耕して)、空気を入れた。少しメタン菌液肥も施した。

今日は真夏日を思わせるような高温だった。だから井戸水が大活躍。


左からオクラ、エンサイ、ツルムラサキ。オクラに元気がない。もう2~3日様子を見てみよう。エンサイとツルムラサキは元気。
暑かったので、日中は織布を取り、水やりを何回かした。
今日のニワトリ
(今日の夕飯)
ハヤシライス
キャベツの三杯酢
レタス
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75才までにあと20年しかないというのは、立ち止まって考えるとちょっと怖い。しかしこれが現実。
最も円熟期であるはずの晩年の10年が、この国では、人生で最も過酷な時期になるような気がする。
健康への不安・・・
経済的な不安・・・
家族や友人、自分のまわりの親しい人の死・・・
物忘れや痴呆との内面的葛藤・・・
老いとの直面・・・
あと20年で75才・・・
何も残せそうにない・・・
あめんぼ通信を残そう・・・
この先2年ほどは今の環境下で書けると思うが、その後は書く環境の変化が必要になると思う。ワンパターンでは書き続けれない。
2年後の激しいスランプ、葛藤、挫折・・・
スランプ、葛藤、挫折を乗り越えたら、また新しい夢中になれる対象が見つけれると思う・・・
とにかく、2年後まで毎日少しずつでも書き続けないと、スランプ、葛藤、挫折を経験できないし、それを経験しないと、次の段階には進めない・・・
小雨がそぼ降る中、ナンキンの定植をした。明日、明後日が雨の予報であり、雨上がりの3日間は、じるくて(ぬかるんで)植えれないとすると、今日植えなかったら5日後の22日になる。これではポット苗が大きくなりすぎるので、肌寒かったが今日定植した。
(1)品種、鈴なり錦2号・・・ナント種苗
(2)定植本数23本
(3)植え次ぎ(補植)苗として7本 準備
(4)保温とウリバエ避けにべた掛け資材をトンネルにした
(5)定植後、苗のまわりにクン炭をふり、その周囲に液肥をふった
(6)クン炭はネキリムシ(ヨトウムシ)の被害を防いでくれると思う
イノシシやシカの被害を考えて、今年から電柵で囲うことにした。そのためサツマイモの隣に植えた。

この黒マルチは、ナスビ、ピーマン、オクラ用。乗用トラクタの畝立て機を使えば、もっと高畝にできるが、自分はそれが使いこなせないので、小型管理機の畝立て機を使う。だから、畝が低くて排水が悪いが、できないのだから仕方がない。
右の画像のタマネギは少なく見えるが、これでも1500本余り植えている。最大の時はこの2倍の3000本ほど植えていたこともある。
もう少し多く「ブログ時間」を確保するために、春夏作のシミュレーションをしょっちゅうしている。
春夏作の12品目は
1類 タマネギ・ジャガイモ
2類 キュウリ・ナスビ・ピーマン・オクラ
3類 ナンキン・ニガウリ・トウガン
4類 エンサイ・ツルムラサキ・青シソ
※サツマイモ、サトイモ、ヤーコンは秋冬の出荷であるが、作るのは春夏作。
※自給用のスイカ、トマトの防御に案外と時間がかかる。
※ハーブはスイートバジルとイタリアンパセリ。後は小面積で足りる。
※ロケット、ディル、チャービルの3種類は秋冬作だけ作る。
「ソロで生きる意識を」と、作家の沢木耕太郎さんの講演が朝日新聞に載っていたが、今の時代は、独立自営業が成り立たなくなった。農業、大工さん、左官さん、自転車店、薬局、鉄工所、文房具店、八百屋・・・。95%以上の人がサラリーマンだと思う。長く組織の中で生きて、定年でソロになる。30代や40代で組織をドロップアウトすると、よほど能力がないと生きていけない。
生き方の選択肢がますます狭くなり
生きることがますます息苦しくなり
土からはますます遠ざけられ
夢にまで見た定年後の大地は、イノシシやサルが支配して 家庭菜園もろくろく作れない
資本主義の発達とともに、ニワトリは大地から離され、身動きできないケージに閉じ込められて、その生涯を終える。
資本主義の発達とともに、人間も大地(農業)から離され、サラリーマンという組織に閉じ込められて、その生涯を終える。
ニワトリも人間も資本主義経済の運命共同体。ニワトリがケージから開放されて、自由の大地(土の上)に戻ることができない以上、人間もサラリーマン組織から開放されて、自由の大地(農業)に戻ることはできない。
人間は本来「土着性」の生き物なのに、土から離され、身近に土のない生活を余儀なくされているために、ばかげたスピリチュアルや宗教やセラピーに依存する。
すでにニワトリも人間も大地の上に戻れなくなっている。死んでも土に戻れない。土葬でなく、産業廃棄物扱いの火葬によって、魂は帰る場所を失って彷徨う。これでは大地からの輪廻転生もない。
(今日の夕飯)
豚肉の生姜焼き・・・スパゲティ、春キャベツ
すまし汁・・・新タマネギ、トーフ
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田んぼから50メートルも歩けば、もう池の土手。池の土手から30メートルほど画像の小道を行けば、10アールほどの葉タバコ跡地の山の斜面に出る。
ちょうど春休みの4月上旬頃が「葉タバコ」の植え付け(定植)時期だった。一家総出の仕事だった。祖父が下の池からタゴで水を汲んでくると、ボクは植えた葉タバコに水を与える役目だった。もう45年ほど前のこと。
両親も祖父母ももうとっくの昔にこの世をおさらばしている。別にたいした感慨も感傷もない。年月が経過すれば誰でもそうなるのだから。そして存在は風化して、彼らがこの世に生を受けていたという記憶は、自分たち兄弟くらいにしか残らない。
まさか農業をするとは自分でも全く想像しなかった。普通にサラリーマンが続けれたら、農業などしなかった。
突然、頭の中に農業がひらめいた時、この田んぼをイメージすることができた。その時にイメージできた農業が今やっているような農業であり、イメージできなかったことは、何一つ実現できていない。
サラリーマンが続かなくて、農業を始めたのだから、農業を止めようと考えたことはない。いくら低収入でも、もう他にできると思える職業がなかった。
今、特に役立っていると思うのは「7年間の大阪暮らし」。いわゆる、大都会に対する変な劣等感とか憧れのようなものが全く無いのは、大阪暮らしのおかげ。
かといって、自分の郷土を「素晴らしい故郷」とも思わない。逆にあまり好きな場所ではない。
しかし、「自分には、動かない故郷がある」というのは、本当にありがたいことだと思っている。
好き嫌いを超越した絶対的な故郷(立脚点)があるから、この場所を基点にして、敢然と自己主張ができる。この絶対的な場所があるから、一人でも結構、戦えると思う。
今自分がつきあっている友人の多くは、農業を目指して都会から移り住んで来られた人たちである。
彼らに故郷はない。
故郷を求めているのかも知れない。
故郷などと大上段に考えないのかも知れない。
現実は、長年住み続けていれば、いつの間にかその場所が、故郷と言える場所になるのだろう。
ここ45年、日本人の多くは故郷を喪失してきたと思う。都会、それは故郷とは言えない。単なる砂上の楼閣。
故郷とは、山や川、田畑がイメージできる場所だと思う。
夢遊病者のように行き来して、夢遊病者のようにすれ違い、夢遊病者のように交わる、それが都会。
田舎も、現実的な問題に日々翻弄されて、ゆっくりと田畑に心を遊ばせる時間はない。
今日もまた、駆け足で写した。
故郷のない人から見ると、うらやましい場所かも知れない。日々何も思わずにそれを享受している自分・・・。
でも本当は心から、生まれ故郷の里山に感謝しているのだろう。そうでないと、毎日、飽きもせずに、写し続けれない。


当地にも山桜が咲き、ツツジが満開になった。たった5分でも腰を下ろせばよいのに、また急ぎ足で降りた。



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イノシシに狙われるのは、今の所、サツマイモだけである。しかし、近所の人が、去年はナンキンを全部食われたと言うので、今年はナンキンをサツマイモの隣に植え、この田んぼ全部を電柵で囲うことにした。
イノシシの好物は、サツマイモ、ナンキン、ジャガイモ、ニンジンの4作物。この内、現実に狙われたのはサツマイモだけである。
当地はまだイノシシやシカの密度が低い。そして、サルは今の所いない。ちょっと山村へ行くと、イノシシやシカの密度が高く、あらゆる作物を電柵やトタン、鉄柵で囲わなければならなくなっている。
サルが出没するような山村では、家庭菜園のような小規模でも、被害を考えたら、作るのがばかばかしくなるのではなかろうか。
「山村には何の未来も見えない」と思うのは、こんな害獣の被害も大きな一因である。
害獣以外の要因を考えても、山村に展望は全く無い。限界集落支援とかで補助金が下りるらしいが、いったい誰のために、何のために補助金が使われるのだろうか。
(1)ライフラインと社会保険料の支払いが全国一律
(2)山村にまで下水道がきて、田舎ほど料金は高負担
(3)日用品諸物価が都会に比べてかなり高い
(4)雇用の場が少ないか、もしくは遠方。賃金も安い
(5)車が運転できなくなったら、山村には住めない
(6)害獣の激しい出没で家庭菜園も満足にできない
山村のメリットは何だろう。自給自足は破壊しつくされて、山村もカネのある人しか住めなくなっている。
山村とは、
功成り、名を成した人が晩年の一時期を過ごす場所か
哲学的瞑想にふける場所か
ただひたすらに大地と戯れる場所か
自給自足をめざして、より奥地の山村へ向かうのか




今は、どの田んぼもほとんど更地である。ニワトリにやれる野菜クズも無くなった。だから草しか与えることができない。ニワトリのための草刈場として、一部は耕運しないで残した。
4月という月は、たった30羽でも、草に事欠く。

ニワトリほど農家にとって重宝な生き物はいない。
(1)タマゴ
(2)糞が肥料になる
(3)家の残飯処理
(4)田んぼの残渣処理
(5)45年前には、肉としての価値が最も高かった
そして、ほとんど手間もかからない。
(1)エサ・・・コゴメ、米ぬか、購入エサ
(2)青菜・・・草、野菜くず
(3)水
ニワトリは農業を始めて1年後に飼い始めた。まだトリ小屋もできていなくて家の納屋の軒下で飼っていた。トリ小屋ができたのは、飼い始めて2ヵ月後だった。
ニワトリ小屋の東(花が咲いている場所)に、ヤギ小屋を作ろうと思えばすぐにでも作れたのに、ヤギの導入には至らなかった。
ヤギと言えばヤギ乳を想像するが、ヤギの乳搾りは毎日15分ほどかかるらしい。
(1)ヤギの乳搾りの経験がなかった。
(2)ヤギの乳を飲んだ経験が数回しかなかった。
(3)子供の頃、家ではヤギを飼っていなかった。
(4)ニワトリほど思い入れが強くなかった。
(5)ニワトリほど重宝な動物と思わなかった。
(6)ニワトリより手間がかかると思った。
(7)物事は全て期限付きと思う。今までに飼えなかったのだから、もう飼えない。
ヤギは草食動物であり、土手草、山(葉タバコ跡地)草、畦草、田んぼ草、道草と、草場はいくらでもあったのに。
土に触れることができる仕事は喜びである。地位、名誉、肩書き等は、土に比べたら何ほどの事もない。
日々、土に触れる仕事に従事できていることが誇りである。現在という世の中は、土に触れるということさえ、本当に難しい時代になった。「土からの疎外」、それは人間にとって、「最も耐え難い疎外」だと思う。
99.9%のニワトリが、土の感触を知らずに淘汰されるように、99.9%の人間は土に触れる農業には従事できなくなった。それは、
(1)経済的理由からなのか
(2)世の中のシステムのせいなのか
(3)当人の自由意志によるものなのか
サラリーマンの世界でつまづいたおかげで、人より23年早く、大地の上に立つことができた。立ち続けることができる境遇にも恵まれた。
人間は、土からますます遠ざけられようとしている。

(今日の夕飯)
親子丼
ネギの煮物・・・昨日の残り
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