

タンポポ、今年最後の雄姿。2週間ほど楽しませてくれたタンポポだが、まもなく盛りを過ぎて長い地中生活に戻る。
タンポポが終わる頃から(タンポポが終わるのを待って)草刈を始める。畦草刈りだけで、5月~10月末頃の半年間に、4~5回の草刈をする。
軽四が通る箇所だけ草が生えていない。
竹の子が出ているかも知れないと思い、池の上の山に上がったが、今年はまだ1本も見かけない。イノシシが掘り返した後もないので、今年はもう生えないかも知れない。
いつのまにか新緑の季節になった。
市販のエサと米ヌカを半々ほどの割合で与え、雑草やトウ立ちしたイタリアンパセリなどをやり、水を新しい水に入れ替え、卵をもらう。
ニワトリのいる風景は楽しいし、手間は5~10分ほどで終わるし、ほんとに重宝な鳥だと思う。ただ、外泊は2泊までしかできない。羽数は30羽ほどがベスト。これくらいの羽数だと、毎日欠かさず青菜(雑草)がやれる。
山村再生などといっても、人は経済で動く。山村では生活できないから、仕方なく山村を出て行ったのだから、今頃になって、再生、再生と騒ぎ立ててみた所で、再生などできない。山村が再生できるのは、山村で「自給自足ができるようになった時」だけである。ライフラインや各種社会保険料の支払いなど、生きていくための最低限の経費が高過ぎるのだから、働き口の少ない田舎や山村が、再生できるはずはない。それを支援、支援と言っているが、誰に支援するつもりだろう。山村によい道路を作ったり、コミュニティーハウスを作ったりのハコモノ事業者を支援するだけで、山村を支援するものではない。
NHKスペシャル「大返済時代 」の放送が4月21日にあったらしい。それによると、多額の借金を抱える自治体は、公共料金値上げや補助金カットなどで住民にも負担を求めると言う。
島根県の医療費補助削減で寝たきりの夫の介護が立ち行かなくなり、鳥取県に移った女性・・・。
景気対策に連動した下水道事業のツケが重くのしかかる熊本県長洲町 ・・・。
他人事と思えない。当地も今年2月から下水道が稼動し始めたので、3年以内の下水道接続を申し渡されている。
受益者分担金・・・・・・19万5千円
トイレの改修費用・・・100万円ほど
毎月の下水道料金・・・上水道代より少し高い
数年内に、合計で120万ほどの負担を強いられる。そして、下水道料金は毎月のライフラインの金額にさらに上乗せである。ますます固定的支出金額がアップする。
これでは、地域愛も郷土愛も愛国心も持てない。もう少しライフラインや社会保険料の負担を軽くしてほしい。サラリーマンのような定期収入がない農業はますます立ち行かなくなる。
下水道で誰が儲けて、誰が負担を背負わされたか! 環境問題に貢献するとも全く思えない。田んぼに施された農薬や化学肥料や除草剤は下水道など通らずに、雨とともに、川に流れ込む。そしてまた、遊休地活用で「牛の放牧の導入」が各地で進んでいる。牛の糞尿も雨とともに、大量に河川に流れ込む。放牧は河川の汚染源になる危険性がある。
ヤギと違って牛は大型動物であり、糞尿の量も多い。当地でも、「美しい森」が整備されるずっと以前は、山の斜面に牛が放し飼いされていた。雨と共に牛の糞尿は池に流れ込み、河川を汚染してしまった。放牧がされなくなってからも、もう以前のきれいな池には戻っていない。
都会と違って、田舎の下水道効率は極めて悪いと思う。一旦導入された下水道料金の負担は未来永劫・・・次の世代は、この高負担に耐えていけるだろうか。自分はいい。せいぜい後20年ほどの負担で終わるだろうから。
田舎の下水道は次の世代にプレゼントする最大の負の遺産。子供は払い続けれるだろうか。
(今日の夕飯)
焼きそば・・・レタス、タマネギ
カキフライ・・・市販の惣菜
エンドウの卵とじ(エンドウは初物)
あなたの一票が、農業ルポライターへの
道を開いてくれます→

スポンサーサイト
「アメショッス(猫ブログ)」や「Mのランチ(飲食店ブログ)」などを見て、自分のブログに入る前のウオーミングアップをしていると、自分のブログに入るのが嫌になることがある。そうしているうちに時間は刻々と過ぎていく。自分の場合、12時前後がタイムリミットなので、多くても少なくても、それまでに書けたものをアップしている。
自分のブログへ進みたくなくても、とにかく身体(10本の指)を動かしていくようにすると、5行ほど書き進んだら、いつの間にか自分の空間に入れるようになる。
朝日新聞の「記者風伝」に横井庄一さんのことが載っていた。横井庄一さん・・・知っておられますか。グアム島で見つかり「横井庄一、恥ずかしながら帰って参りました」と、羽田空港、特別便のタラップの車椅子で叫んだ、あの横井庄一さんです。ボクはあの日の横井庄一さんをテレビに釘付けになって見ていた。だから、今でもよく覚えている。あの第一声は、なかなかの「名文句」だったと思う。
横井庄一さんがグアム島で見つかったのは1972年1月だから、今からもう36年も前の20才の頃。あれからもう36年もたっているのか! 自分の脳みそが、あの頃から全然、進歩していないような気がする。
横井庄一さんは戦争が終わってからも27年間一人で隠れ住んでいたわけだから、まるで龍宮城の浦島太郎。でも楽しい一人暮らしだったのではなかろうか。周りには豊かな自然があり、木の実、魚、食用になる植物やイモ類を食べていたのだろうから、とてもリッチな生活。
あくせく働く必要はなく、腹が減ったら、身近にあるものを採取や狩猟すればよかった。春夏秋冬、一人分の食べ量くらいなら、いくらでも収穫できたのだと思う。
小鳥の声や水の音や、太陽や、美しい自然に囲まれて、「孤独」など、あまり意識することはなかったのではなかろうか。大都会の孤独の方が深いと思う。
ただ、人に見つかることを何より恐れて暮らしていた横井さんは、人の気配というものを何より欲していたらしい。それは、横井さんの隠れ住んだ穴のあった竹やぶから、団地のような人家が見えていたらしいから。
あの年代の人は、山中に一人取り残されても、十分に生きながらえて行くだけの、生きる知恵があったのだと思う。つまり、戦争に徴兵されるまで自給自足的な生活をしていただろうから、それを引き続けてグアム島ですればよかった。
現代人はそんな自給自足の経験がないから、無人島に一人取り残されたら、生き残れないかも知れない。自分もそうである。
(1)火の起こし方を知らない
(2)足に履く「ワラジ」のような物が作れない
(3)釣り針が作れない
(4)釣り針に結ぶ糸が作れない
(5)魚を取る網や銛(モリ)が作れない。
(6)鳥を捕まえる網が作れない
(7)鳥を捕まえる「ひっつきもち」が作れない
(8)鋸(のこ)や鎌(かま)や鍬(くわ)の代用となるものが作れない
(9)魚の燻製や保存食の作り方を知らない
(10)下着や服が作れない→横井さんは戦前は服飾の職人だった
1世代前までの人は、幼い時から親の自給自足的な生活を間近に見ていたので、生活に必要な物は、人に依存したり、購入したりすることなく、自分で手作りすることができた。
現代人は、教科書の知識はあっても、現場の知識はないから、無人島などに取り残されると、生きていくことができない。カエルやバッタやヘビを食べるのも、生き残る条件である。
食糧危機が生じた場合、
(1)野菜は作れる
(2)主食の米は作れない→放棄
(3)この場合、サツマイモ、ジャガイモ、サトイモのイモ類が主食の代用となる
(4)イノシシやシカを捕まえる技術はないが、ニワトリを飼えば、肉と卵は自給できる
(5)牛乳はほとんど飲まないので不必要
(6)汚染が進んで魚も遠くない将来、食べれなくなるだろう
(7)茸類は取れなくなったが、シイタケは栽培して食することができる
そして、
(1)水は山水を利用できる。
(2)煮炊きは、戸外で薪を利用して炊くことができる。
(3)風呂も薪で沸かすことができる。
(4)下肥は田んぼに施せばよい。
都会では無理でも、田舎では何とか食糧危機は回避できる。


水曜日の10時頃からぽつぽつ降り始め、昨日は1日中降り、深夜にも強い雨が降った。1日半ほど降り続いた雨で、また田んぼが水浸しになった。4月に入ってから雨量の多い雨がよく降る。右の画像は液肥を担ぐタゴであるが、空っぽだったのが1日半で、5リットルの目盛りをを越えるほど降っている。
ナンキンを雨の前に植えていたのが、良かったのやら、悪かったのやら。早く水が引いてくれないと「根腐れ」を起こす。ナンキンの田んぼと、その上の田んぼは、どうも排水が悪い。まわりの細い水路も点検したが、落ち葉で「堰止め」になっている箇所はなく、水はスムーズに流れている。
去年の秋に集落で、墓に水が流れ込まないよう、墓の上に排水路を作ったので、水の道がちょっと変わったのかも知れない。それ以前は、こんなに水浸しになることはなかったように思う。

今日のタンポポ。強い雨にもめげず、元気に復活。
タマネギの通路に植えている、ハーブの「ジャーマンカモミール」が咲き始めた。このカモミールは定植したものでなく、こぼれ種から自然に生えたもの。これから5月中旬頃までの1ヶ月、この花が楽しめる。
この花を10個ほど摘んで湯のみに入れ、沸騰した湯を注げば、ほのかなリンゴの香りのカモミールティの出来上がり。


大森園芸さんで育苗してもらった、手前からイタリアンパセリ、スイートバジル、ニガウリ・トウガン、キュウリ、ナンキン、購入したトマト。
真ん中は昨日、義兄にもらったナスビ、ピーマン、スイカ。
スイートバジルは日曜日に5センチポットに鉢上げ予定。他は、もう少しこのままの状態で管理。
(今日の夕飯)
カレー
春キャベツ
あなたの一票が、農業ルポライターへの
道を開いてくれます→


肥料の高騰、飼料の高騰が、農業新聞で毎日のように取り上げられているが、自分の場合はほとんど影響がない。あまり「購入していない」から。
肥料・・・米ヌカ(1袋100円、もしくは無料)。ナタネカス(今年急激に値上がりしているが、年間で5袋ほどしか使わないので影響は小さい)。
飼料・・・コゴメ(親戚からもらっている)。購入飼料(コゴメがなくなったら月に1袋購入×7ヶ月ほど)。米ヌカ(肥料と飼料の兼用)
金額的には肥料で5千円、飼料で8千円ほど。完全自給はできていないが、これくらいの金額なら、外部にほとんど依存していないと言える。
最も頼りにしているのが稲作農家。稲作農家ががんばってくれるから、
(1)コゴメがもらえる(買える)
(2)米ヌカがもらえる(買える)
(3)籾殻がもらえる
(4)籾殻を利用して焼きすくも(くん炭)が作れる
(5)稲ワラがもらえる(買える)
(6)池の水を管理してもらえる
(7)害虫を食べてくれるトンボやカエルは水田で育つ
(8)田んぼが近くにあると涼しい
(9)田植え後の水を張った風景が好き
(10)作ってもらい、その上、小作料がもらえるありがたさ
なのに、減反(生産調整)の大合唱・・・。作るな作るな、減らせ減らせと言っている内に、減ってはいけない面積まで減ってしまう。そうなったら本当に困る。稲作はいったん手放したら(耕作を止めたら)、もう一度復帰するのは難しいと思う。
当地域の稲作は、10年後は風前の灯と思う。野菜は家庭菜園でできる。しかし稲作は家庭菜園ではできない。
稲作の風景が消えていく時、瑞穂の国の日本人の魂も消えていく。
肥料、飼料を書いたら、農薬についても書く必要がある。
農薬は秋のアブラナ科野菜だけに使っている。
春のアブラナ科野菜は、以下の2種類しか作っていない。
(1)冬越しの春キャベツ
(2)チンゲンサイ(去年まではコマツナ)
冬越しの春キャベツは害虫が活躍を始める頃にはすでに収穫期に入っているし、春はダイコンサルハムシがほとんど出ない。だから農薬の世話になる必用がない。少々の外観の悪さは有機栽培では当然のこととして出荷する。
山村の活性化について
山村の活性化について最近よく論じられているが、活性化はごく単純なことだと自分は思っている。それは、「山村で自給自足的な生活が成り立つこと」、この1点だけ。
(1)都市のスラム街の人の移住
(2)ニートやフリーターの人の移住
(3)雇用の場のない中高年の移住
(4)心身に障害のある人の移住
(5)刑務所から出所した人の移住
いわゆる社会的弱者の立場に追いやられた人が、誰に依存することなく、風光明媚な山間地に移住できて、そこで自給自足的な生活がまわっていくなら、山村は必ず活性化する。
しかし、自給自足されたら企業は困るのである。作った製品を買い続けて、あるいは、買い替え、買い替えしてもらわないと、資本主義は成り立たない。現に資本主義は「輸出」によって、低開発国の「自給自足的な村」を徹底的に破壊してきた。自給自足の生活が成り立たなければ成り立たないほど、資本主義は発展するのである。だから世界の隅々まで、アマゾンの奥深い集落の村々でさえ自給自足が成り立たないように仕向けてきたのである。
自給自足ができなくなった人は都市に働きに出て、そこで仕事にあぶれると、大量のストリートチュルドレンが発生するという構図である。
自給自足を取り戻す道は2つある。
(1)各種ライフラインの支払いからの開放
(2)各種社会保険料の支払いからの開放
なぜこの2つを取り上げたかというと、この2つに関して、日本全国津々浦々まで、大都会も、限界集落も同一の負担であるということ。もっと厳密に言えば、上水道代、下水道代等、限界集落の方が大都市より負担がかなり大きいという、まさに「あべこべ」の現象。財政破綻した夕張を見ればよくわかる。これでは、ますます山村から人口は流出する。
若い人が田舎で生活できなくなっているのである。
(1)雇用の場がない
(2)ライフラインや社会保険料支払いのためには、どうしても働きに出なければならない。
山村が没落するこんな単純な理屈がなぜわからないのだろう。雁首並べて、がたがた議論しても、何ら問題は前進しない。ある意味、資本主義政治経済制度そのものにあると考える。
EU(ヨーロッパ連合)諸国の山村がどうなっているのかよく知らないが、生きていくための、必要最低限の固定費(ライフラインと社会保険料)があまりに高過ぎるということが、若い世代が山村から出て行かざるをえない原因である。
政治経済制度はそのままで、補助金も出せないとしたら、システムを変えていくことである。つまり、
(1)上水道→山の清水を引く簡易水道の普及
(2)下水道→中国式の簡易なメタンガス発生装置に変更
(3)ガス→中国式の簡易なメタンガス発生装置の導入
(4)暖房→床暖房、いろり(薪を利用)
(5)NHK受信料→無しに
(1)国民健康保険料→免除
(2)国民年金保険料→免除
(3)固定資産税と火災保険料(家主に支払い)
山村活性化には、こんな政策が必要と思う。
こういう人たちは自給自足をめざすのだから、何ら経済活動には貢献しない。資本主義経済を信奉する人から見るとマイナス経済になるだろう。しかし、
(1)これ以上の害獣の進出を食い止め
(2)山林や河川を守り
(3)田園風景を維持し
(4)地球温暖化を止める生活様式
(5)山村に逃げ場があるという心の余裕
等は山村が維持されて始めて成り立つ。
道路などいらない
そんな余裕があるなら国家の借金をまず減らせ
山村に下水道などいらない。環境に名を借りた業者利益
道路工事がなくなって下水道に群がる
農業関係の補助金を全て一覧表にして示せ
農協はいったい、農業に何を貢献してきたのか
自給自足を返せ
あなたの一票が、農業ルポライターへの
道を開いてくれます→






コゴメが終わったので今日から、農協で買った「とり姫」という飼料を与えた。3月10日に買ったこのニワトリ飼料は、20キロが1240円だった。以前に買っていた「トラスト」という飼料は同じく20キロ入りで、
平成18年7月には 1360円
平成18年10月には 1400円
平成19年3月には 1530円
というふうに、徐々に値上がりしていた。ところが今回は、世界的な飼料の高騰とはうらはらに、300円ほど値下がりしている。購買係の職員さんに理由を聞いたら、トウモロコシの成分量が減っていると言われたが、今日見た感じでは、以前の飼料の色や外観と変わっているようには見えなかった。同じ20キロ入りで、値段が300円ほど値下がりしているので、この方が助かる。
画像の赤いボールに入れた飼料は風袋を除くと700グラムである。それを鍋に移してもう一杯700グラムを入れると、合計で1400グラムである。ニワトリは1羽で100グラムほどのエサが必要らしいから、自分の場合は1日、3100グラム(現在31羽。1羽客死、1羽死亡)与える必要があるが、実際は、1日1キログラムも与えていない。そして、画像のように「測って」与えるようなことはなく目分量で与えている。大体において、20キログラム入り1袋が20日間は持つように与える。だから計算的に、1日に1キロ以下しか与えていないことになる。足らない2キロ分は、野菜クズ、雑草で補うようにしている。重量感算で10キロは与えていないだろうが、軽く5キロは超えているはずである。とにかく、1日中、青菜がトリ小屋の床(地面)に途切れないようにしている。
定年帰農塾とか就農塾が農業新聞に時々出ている。最近は農協もこのような「農業塾」をしているようである。これから定年を迎える、あるいは迎えた団塊の世代が対象のようだが、彼らは田植えや稲刈りの手伝いの経験は多いと思うが、野菜は手伝うようなことが少ないから、わからないのかも知れない。確かに自分も子供の頃には田植えや稲刈りをよく手伝わされたし、葉タバコの苗を配ったり、植えた葉タバコに水をやったりした記憶も残っているが、野菜が成長している姿はあまり見ていない。家の近くに畑がなかったからだと思う。
その後20年余り農業から遠ざかっていたが、比較的鮮明に、
(1)堆肥の作り方 (牛小屋の前で作っていた)。
(2)葉タバコの温床の作り方。
(3)牛や豚やニワトリの飼い方。
(4)米の苗代作りや田植えや稲刈り。
に関しては記憶の底にあってすぐに思い出すことができた。そして子供の頃には農業を次のように考えていた。
(1)農業は家族を巻き込んでしまう。
(2)夜なべがあったりする激しい家内労働と思った。
(3)カネにはならない職業だと見ていてわかった。
(4)上の学校へ進学したら、農業はしないものだと思った。
(5)葉タバコ作りほど重労働な仕事は他にないと思った。
山村再生の研究会・・・こんな研究会をいくら催しても、未来は見えないと思う。山村で生きていくには、ある程度の収入の道が農業や林業で確保できる必要があるが、その点が決定的に難しい。山村に道路をつけても、山村は活性化しない。風光明媚であまり開発の手が入っていないから山村はいいのであり、その方が「売り」になる。
山村に道路を作る1億円の予算があるなら、200人のフリーターやニート、ロストジェネレーションの世代の人に、年間50万円の「山村生活費」を援助してあげてほしい。道路よりその方がはるかに山村活性化になる。
そして、
(1)自給自足の方法
(2)山の源泉からの簡易水道の引き方
(3)草刈機の使い方
(4)チェーンソーの使い方
(5)ごく簡単なニワトリ小屋の作り方
(6)ニワトリのさばき方(絞め方と肉にする方法)
(7)ヤギの放牧のやり方、
(8)ヤギの乳しぼりのやり方とヤギの増やし方
(9)地域の資材を利用しての堆肥や液肥の作り方
(10)春先の温床作り(苗作り)の、ごく簡便なやり方
(11)薪で沸かすお風呂に改善
(12)ガスを自給する「簡易バイオガス発生装置」の作り方
等を教えることができる山村生活者を先生に雇用する。そして次には生徒が先生に雇われるというように広げていく。
ここで提案した年間50万円の援助の内訳は、
(イ)電気代(5千円)
(ロ)新聞代(3千円)
(ハ)NHK受信料(1万5千円)
(ニ)国民健康保険料(5万円)
(ホ)国民年金保険料(17万円)
(へ)火災保険料と固定資産税の貸主支払い分(10万円)
・・・つまり借主の家賃分(約8千円×12ヶ月)です
(ト)車両関連費(一律で年間10万円とか)
(チ)パソコン関連費(一律で年間10万円とか)
人を育て、自然を守るには、こんな支援が大切です。山村に道路やその他の「ハコ物」を作っても、それは業者の儲けになるだけであり、何ら 山村は活性化されない。時間はかかっても、人を育てるソフトの事業をする必要がある。
1億円を道路に使うのではなく
1億円で、200人の資本主義難民に明日を生きるための50万円を!
(今日の夕飯)
ネギの煮物・・・ネギ、トーフ、野菜天
あなたの一票が、農業ルポライターへの
道を開いてくれます→

使っている肥料は
(1)メタン菌液肥(米ぬか5対ナタネカス1の割合)
(2)クン炭(焼きすくも)
(3)米ヌカ (農機具店でもらう、もしくは農協で買う)
(4)トリ小屋の鶏糞
(5)肥料ではないが、落ち葉、稲ワラ、草
ナタネカス以外は地域の産物である。肥料は自分で作り、できるだけ地域の資材だけを使うようにしたい。作付面積が30アールほどだったら、肥料は十分自給できる。1人だと、これくらいの面積が適当であり、楽しく農業ができる限度もこれくらいだと思う。
ただ、面積は40アールほどあり、その内の10アールは野菜を作っていない。
(1)物置とトリ小屋・・・2アール
(2)井戸の田んぼ・・・・1アール
(3)果樹・・・・・・・・・・・ 6アール
(4)花木・・・・・・・・・・・・・1アール
自分でも模範的な農業をしていると思う。20世紀型のスペシャリスト農業ではなく、21世紀型の少量多種類生産で、都市の住人や都市の小規模店への直販をしている。非の打ち所のない農業だと思う。
この農業形態で「食えない」のは、世の中のあり方が間違っている。食えなくなった理由は
(1)野菜単価が安すぎる
(2)ライフラインが自給できなくなった
(1)に関しては、世間とは超越した「自己設定価格」にしてもよいが、それを支えてくれる(理解してくれる)消費者と出会える自信がない。
(2)に関しては、巨大資本は密林の奥地の自給自足をも破壊して、大量の生活難民とストリートチュルドレンを生み出している。
ライフラインが自給できたから、農業で自給自足できたのに、自給できなくなったら「出稼ぎ」に出ざるをえない。東北地方の農家の出稼ぎが有名であるが、昭和20年代前半くらいまでは出稼ぎをしなくても「食べていけた」のに、昭和20年代後半にはもう出稼ぎが始まっている。
文明が進歩すればするほど生活は楽になるはずなのに、現実は家族離れ離れを余儀なくされ、生活自体もより厳しいものになっている。
(1)出稼ぎ
(2)炭鉱(鉱山)労働者
(3)現代のワーキングプア
どれも働き方がよく似ている。労働者が「使い捨て」になっているという現実において。そして、このような底辺の労働者ほど、連帯意識や仲間への共感、人情が篤いと言われる。その状態に甘んじてしまうと脱出できなくなるし、流されてしまう。そして、そういう意識を経営者側にうまく利用される。
「月が出た出た月が出た、三池炭鉱の上に出た・・・」は労働者側が作った歌ではなく、実は経営者側が作って「労働者の仲間意識(逃亡させない)」に利用したとも考えられる。
使われる自分がバカなのか
若いときに勉強しなかった自分に原因があるのか
手に職や技術を身につける努力をしてこなかったからか
35才を超えたからもう仕方がないのか
考えてみれば、サラリーマンをする以外、生きていく道がない
そんな状況に追い込まれた時、自分は農業がひらめいた。元々の農家であり、家も田んぼも農具も親も全て揃っていたからひらめいたと思う。
昼から雨だったので、新聞を読んで過ごした。2日分たまると読めなくなるので、今日の新聞は今日読んでしまう必要がある。
ブログも今日のブログを明日にまわして2日分は書けない。
朝、昼、晩の食事も1回パスして翌日にまわすわけにはいかない。
どれも期限付き(時間制限)である。
夕張のように財政再建団体になると、
(1)上水道代
(2)下水道代
(3)固定資産税
(4)市町村民税
(5)国民健康保険税
(6)軽自動車税
これらが値上がりし、
(7)人口流出→さらなる負担増
という悪循環に陥るらしい。
今までは「町」だったのに合併して「市」になってから、行政が見えづらくなった。そして「町」だった時は、地元(集落)選出の議員をあえて応援しなくても、さほど非難はされなかったが、市になると、地元から議員を1人は出しておかないと地元が不利になるいう意識がより強くなると思う。そして、その議員の見識や人格や政治姿勢で選ぶのではなく、地元のために地元出身の人を選ぶという見えない圧力を感じるかも知れない。田舎では「集落推薦」のようなことも多い。
(今日の夕飯)
サトイモの煮物・・・昨日の残り
味噌汁・・・朝の残りにタマゴを入れた
ダイコンおろし・・・昨日の残り
今日は家人は留守。一人の夕飯だったので、昨日の残り物ですませた。残り物ばかりでちょっと寂しかったので、いつもはアップしないラッキョと梅干を載せた。ラッキョ、梅干、漬物があると、それだけでおかずになる。
我が家は米は作っていないが、同じ集落に親戚がいて、稲作を委託している。70アール作ってもらっているが、小作料として4俵(240キロ)もらっている。本当にありがたい。買えば5万円ほどする。我が家は4人家族で年間に1人1俵食べるので、4俵でちょうど1年間分の食べ量になる。
あなたの一票が、農業ルポライターへの
道を開いてくれます→
