




「炭焼きをするからどうぞ」と電話をもらったので、今日午前中、家から45分ほどの「和気美しい森」の近くにあるAさんの炭焼き窯を訪ねた。
1年余り前の2月に焼いて窯出しをしていなかったので、今日、窯出しと新たな窯入れをした。
窯を良い状態で保存するためには、常に窯の中に材料が入っている状態にしておく必要があるので、窯出しと窯入れは同一日が多いようである。
簡易なドラム缶窯ではなく、本窯なので、窯出しも窯入れも2人作業である。
まず、材料投入口=焚き口のレンガを崩して、前回に焼いた炭を取り出す。
「レンガを崩す」という意味は、材料を投入後に、炊き口で火を焚いて、窯の中の温度が800度(確かそう聞いた)ほどになったら、握りこぶしほどの小さな空気穴だけ残して、炊き口はレンガを積み上げて泥を塗り空気を遮断する。
その後、煙の状態を見て、空気穴も完全に密閉する。
Aさんは77才。炭焼きを始めて8~9年ほどになるらしい。1年に1~3回焼かれるようである。
そんなに大きな窯ではないが、それでもドラム缶窯に比べたらはるかに大きい。


Aさんの本業はシイタケ栽培。毎年1000本ほどのシイタケの原木を用意するらしい。シイタケは菌を植菌して1年半経過すると出始める。出始めてから5年ほどが原木の寿命らしい。
例えば、この冬に植菌すると、シイタケが出始めるのは来年の秋から。
シイタケが生えるのは、毎年10月上旬頃から4月末頃までの7ヶ月間。
太い原木は右の画像のように短く切り、持ち運びが楽なようにしている。
都会に出て35年間ほど働いた後、61才の時(平成4年)に地元にUターンして、平成5年からシイタケ栽培を始めて、栽培歴は15年ほどになるらしい。
シイタケの選別や調整のために、画像のような小屋を手作りしている。こんな建物が自分で作れるくらいだから、かなり器用なのだろう。チェーンソーも、まるで身体の一部であるかのように、軽々と使われる。
シイタケの原木を切り出す時に、雑木も切り出す必要があり、その雑木を炭に焼いている。
10年ほど前に炭焼きがにわかにブームとなり、本窯でなく簡易なドラム缶窯で焼く「ドラム缶炭焼き」のイベントがしばしば催されていたが、Aさんもその頃に始められたようである。ただ、Aさんの場合、子供の頃に親の炭焼きを手伝った経験が豊富らしい。このあたりには、昔の炭窯の後がたくさん残っているとお聞きした。
シイタケは地元の農協の直売店に売っているが、炭の売り先はないようである。炭はなかなか売れない。中国や東南アジアの安い炭がいくらでも入ってくる。
良い炭を焼こうと思えば、何十回という炭焼きの経験が必要である。炭焼きがビジネスとして成り立つには、きちんとした炭を焼く技術力と、販路を開拓する営業力の二つがどうしても必要になる。それを兼ね備えた人は十分にビジネスとして成り立っているようである。
シイタケでも炭焼きでも、チェーンソーは朝飯前くらいに使いこなす必要がある。チェーンソーの刃が研げないようでは話にならない。自分の場合は草刈機の刃も研げないので、チェーンソーの刃を研ぐことはできない。チェーンソーの刃の研ぎ方は、何回教えてもらってもうまくできず、結局、チェーンソーは使わなくなった。
ハウス→自分で建てれない
ブドウ棚→棚が作れない
トリ小屋→自分で建てれない
その作物の起承転結のいずれかに苦手分野があれば、その作物は必要最低限しか作れない。
農業もかなり細分化されているので、まず、自分に最も向いていると思うものを、スタートするまでに見つける必要がある。
炭焼き窯の近くに、「水場」があった。山の清水が湧き出ているらしい。山にはこのように水が出る場所があり、上水道ではない「簡易水道」として利用している人も多い。
我が集落にも、自宅のすぐ東の山にこのような清水の出る箇所があり、集落の10軒ほどが共同で簡易水道として利用している。

ネギとチンゲンサイの2回目を蒔いた。地床育苗。
育苗にはこのような地床育苗の他に
(1)ポット育苗→5センチと8センチポット
(2)稲の苗箱に蒔いて、ポットに鉢上げして育苗
(3)144穴の発砲スチロールの連結ポットで育苗
と、作物によって使い分けているが、育苗せずに直播もある。直播はダイコン、カブ、ニンジン、インゲン。
身辺が忙しく、ネギの種蒔きが予定より5日ほど遅れた。その作物の最適期に種蒔きをすれば、たいてい順調に生育する。
(今日の夕飯)
トリのから揚げ・・・市販の惣菜
春キャベツ
シイタケ・・・今日の炭焼きで頂いた
煮魚・・・・・・ヒラ
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昨日、赤磐市のYさん方を訪問した。いつものように、真っ先に出迎えてくれるのがこのワンちゃん。右のワンちゃんは少し認知症気味とか。

ウサギ


Yさん方は、まるで動物園のように生き物が多い。左からウコッケイ、ガチョウ、ネコ。

左はヤギ。そして生計のニワトリ。ニワトリは300羽ほどに減らしているようだった。
それぞれの動物に手がかかると思うが、動物を飼うことを楽しみにしているのだと思う。そうでないと、目的もなくこんなにたくさんの動物は飼えない。


今は野菜の少ない時期である。左から、シイタケ、ナバナ、茎タマネギ。野山のツクシも出荷されている。そしてタマゴ。
販売は全て直販であるが、とにかくいろんな「引きだし」を持たれている方である。
タマゴ
野菜
野菜や花のポット苗
山菜
漬物等の加工品
米
各種果樹
米や各種果樹は仕入れ販売もされている。タマゴや野菜は、残れば青空市等へも出荷されている。
とにかく販売力のある人だと思う。この点に特に秀でているから20年を超えて農業が継続できているのだと思う。国のパイロットファーム事業で、25年ほど前にこの地に入植された。数名の方がほとんど同時期に入植されているが、現在も農業を継続できているのはYさん一人である。
自分より長く、同じような形態の農業をしている人を見ると励みになる。長年にわたって直販で売りさばくというのは、きわめて難しい。顧客があってのものだから。
自分のように、引きだしは都会へのワンパック宅配オンリーというのも弱い。しかし、他の直販には自分の身体が動かなくなっている。18年前にはできた「軽四での引き売り」は、今はもうできない。
Yさんのは引き売りではなく、特定の地元の顧客への販売である。自分の場合、地元の顧客はすでにゼロに近くなっているので、その点でもYさんの販売力がわかる。
しよう、しようと思いながら、ブログ関連が忙しくて前に進まなかった「トリ小屋と物置の屋根の改修」。いよいよ来週始める予定。
今日、近所の大工さんに来てもらって、大体の見積もりと方法を尋ねた。話しているうちに、古トタンを取らずに、古トタンの上に新しいのを重ねたらどうかという話になった。そこで色々と質問してみた。
(1)古い方のトタンの錆びが新しいトタンにうつることはないか
(2)2重になって暑さ(ニワトリは暑さに弱い)に問題はないか
(3)重ねると、台風の時に問題にならないか
(4)デジカメの撮影の時、二重トタンでもおかしくないか
(5)この次、18年後くらいにまた改修する時に、不便ではないか
どれも問題なかったようなので、古トタンを取らずに新しいのを取り付けてもらうことにした。
2年後、脱サラして農業を始めようと思ったら、日々、もしくは週末にはその準備のための行動をすると思う。
2年後、農業を1年休職しようと思えば、日々そのことを意識しながら生活をする必要がある。
暇ができたらとか、経済的に安定したらとか、60才になったらという風に、「たら」で計画したら、その時がきても何もできないと思う。その時になって、過ぎ去った過去を思い出しながら書ける言葉などあるだろうか。現在進行形でしか発っせれない言葉があると思う。
自分は過去を振り返ったりしない。前(未来)しか見ない。
(今日の夕飯)
スズキ
ネギの煮物
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まるで北海道の農場に来たようだった。目の前には信じられない光景が広がっていた。こんな場所が、家から30分ほどの所にあるとは。
見渡す限りの地平線ではない。でも見渡す限りの地平線に見える。実はこれ、山の頂上。眼下に町が見える。
牛は柔和だという先入観があったが、ちょっと違っていた。頂上について遠方の牛をしばらく眺めていると、ボクに気が付いて牛がこちらに向かって歩き始めた。そこまではよかったが、そのうち1~2頭が走り始めると、30頭ほどが集団で、それもかなり早い足どりでこっちに向かってきた。
瞬間、ちょっとやばいと思い、電柵の近くまで後ずさりした。いざという時は電柵の外へ逃げればよいと思った。ボクの前で急ブレーキをかけたような止まり方をした。後で岩本さんが「人みしりする」と話されたが、それとはうらはらに、明らかに怒っていた。闘牛に出て来る牛が闘牛士に対するような前足のしぐさをして、鼻息も荒く、これは部外者の自分が一人で縄張りに入ってきているのを怒っている態度だった。だから足を止めて、電柵を背にしてしばらく動かないようにした。しばらく20個ほどの目と「にらめっこ」になったが、やがて方向を変えて歩き始めた。
牛はこの山の中のどこかで寝る。厩舎はないのだから、厳寒の今の時期でも戸外で寝る。牛は寒さにはめっぽう強く、零下10度くらいは平気らしい。牛は胃袋が発酵しているからだと話された。逆に梅雨明け後の30度以上の高温はこたえるらしい。山の頂上だから、風が吹き抜けるのではと思ったが、冬はよく吹くが夏はあまり吹かないと言われる。
山桜もたんさんあって、特に桜の時期の1ヶ月が1年で最も景色がいいらしい。
牛が食べつくして、ほとんど草もなく、隠れ場らしい場所も見当たらないのに、イノシシがよく出るらしい。イノシシは牛を恐れると聞いていたが、岩本さんによると、全く恐れないと言われる。イノシシの檻が設置してあった。
4月、5月、6月、7月は草がよく伸びるので足りるが、他の時期は草が足りないと言われる。
岩本さんの牧場は借地で25ヘクタールほどあり、牛は40頭ほどらしいから、1頭に付き5反(50アール)ほどの面積の広さが与えられているが、牛は大きいからたくさんの草を食べるのだろう。
牛は1日で30リットルほど乳が出るらしい。1ヶ月で900リットル。それでも岩本さんの牛はよく運動をするので1ヶ月700リットルほどしか出ないらしい。日本記録は1日50リットルを超えているらしい。
お産の前2ヶ月は乳搾りは控え、10ヶ月間搾乳されるらしい。朝、晩、搾乳があるので、家を空けることはほとんどなく、家の葬式の時も乳搾りは欠かさなかったと言われる。
岩本さん、66才。後継者がいないらしい。こんな立派な牧場が元の山に戻ってしまうのだろうか。いろいろあって、タフでないと持たないと言われる。
「いろいろある」と言われた言葉がなにをさすのか、一つはすぐにわかった。でも書きたくない。
牛の病気などもあるらしい。厩舎がなく、完全に戸外で飼っているので、病気など寄せ付けないように思えるが、出産直後などが危険性が高いらしい。
乳は朝と晩の2回搾るが、その時には、乳搾りの場所まで300~400メートル(高低ではなく距離)下山してくる。下山してくる理由は、そこで「エサ」が与えられるから。それと「水飲み場」もここしかない。今は1年で最も草が少ない時期なので、サイレージや濃厚飼料(購入エサ)もかなり与えているらしい。確か1日1頭につき30キロと聞いた。ただ、今問題になっている飼料高騰については、岩本さんの場合はさほど影響は受けていないようだった。
ニュージーランドでは、常春で、純粋に「草だけ」で飼えるらしい。
朝起きたらエサを食べるために下山し、水を飲んだり、乳を搾ってもらったりしてから山に戻る。夕方また下山してきて、同じようにして山に帰って行く。
酪農を新たに始めるのは大変である。今は、ブドウ等の果樹でも、トマト等の施設園芸でも、稲作でも、後継者がいない時代なので、希望する第三者に「賃貸」する形態も増えているようである。
苗木を植えて成り始めるまでに3年ほどかかるブドウも、賃借形態なら、持ち主の農園主から指導を受けることもできるし、自分で棚に大きな金額を投資する必要もないし、スタートした1年目から、一定の収入を上げることもできる。
トマト等の施設も後継者がいない時はJAなどが代わって、新たな担い手を募集したりしているようである。
稲作も大型機械や大型倉庫に投資してまではできないので、後継者がいない農家の既存の設備を借りて、田んぼもそのまま引き継ぐような形で稲作を始める人もいるようである。
酪農も後継者がいない場合は、後継者を公募して、引き継ぐような形になるのではなかろうか。年月をかけて築かれた牧場を一代で終わらせてしまうのはあまりに惜しい。
桜が咲く頃、また牛さんに会いたい。
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